« 3D(立体)映画「センター・オブ・ジ・アース」を見る | トップページ | 「親子で楽しめる工場見学」 »

2008年10月26日 (日)

知里幸恵の「アイヌ神謡集」~伊藤久男「オロチョンの火祭り」

先日(2008/10/15)放送されたNHK「その時歴史は動いた」、「神々のうた 大地にふたたび~アイヌ少女・知里幸恵の闘い~」(ここの再放送をまた見てしまった。

081026chirisachie アイヌ少女・知里幸恵(1903年(明治36年)~ 1922年(大正11年))は、命を賭けてカムイユカラ(アイヌ民族の「口承叙事詩」)の「アイヌ神謡集」を纏め上げ、アイヌ民族の誇りを初めて高らかに謳った人。

明治政府は北海道植民地化の方針のもと、近代国家建設のため資源の独占を図って北海道を急速に開拓した。そしてアイヌ人は劣った民族であるという教育をした結果、北海道のアイヌ人たちは、その誇りを失って行った。
知里幸恵が(アイヌ人として初めて入学した)旭川の女子職業学校の生徒だった15歳の時、金田一京助が訪ねて来てアイヌの伝承を記録している姿を見る。そして金田一は言った。「アイヌ人は決して劣った民族ではない。伝承が何よりの証拠だ」。そして学校を卒業したら東京で研究を手伝う約束をする。しかし知里幸恵は17歳で学校を卒業するも、心臓病を患って約束を果たせない。すると金田一京助は新しいノートを送ってくれた。幸恵はそれに、アイヌの伝承を文字にしていった。ノートの左頁には文字を持たないアイヌ語をローマ字で、右頁には日本語訳を。
それを見た金田一京助は、その出来栄えに驚嘆し、柳田國男と相談してそれを本にすることにした。大正11年、幸恵は病を押して上京。出版の校正を手伝う。そしてその作業が終わった夜、無理が祟ったのか心臓発作により命が尽きたという。
しかし、その命と引き換えに残された「アイヌ神謡集」はアイヌ人の誇りを取り戻させ、その後のアイヌの差別の撤廃などの運動に、計り知れない影響を与えたという。
そして2008年6月6日、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」は衆参両院で採択された。

その「アイヌ神謡集」の「序」で19歳の知里幸恵は謳う・・・。
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
・・・・
 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。
 時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮《あけくれ》祈っている事で御座います。・・・・」(ここ

自分にとっては、北海道を旅行していて、単なる観光の対象でしかなかった「アイヌ」。そのアイヌ民族の悲劇をこの番組で垣間見ることができた。
ブータンの「国民総幸福量」(ここ)ではないが、経済最優先の社会が本当に人間にとって幸せなのか・・?とも、知里幸恵は問うていた。

アイヌに敬意を表して(?)、伊藤久男の「オロチョンの火祭り」を・・・

<伊藤久男「オロチョンの火祭り」>

「オロチョンの火祭り」
 作詞:石本美由紀
 作曲:上原げんと
 歌 :伊藤久男

タッカル オーヌグ
ブガコングヮー
ツグフグシ イットル
ゼンニヨイラー
(アイヤ アイヤ アイヤ アイヤ アイヤ)

1)アイヤサー アイヤサー
 オタスの杜に 陽は落ちて
 河の流れに 冴える月
 エインヤホッホー エインヤホッホー
 太鼓叩いて かがり火囲み
 踊ろうよ 踊ろうよ
 宴たのしや 熊祭り
 アアアアアイヤサー アイヤサー
 オロチョンの火祭り

2)アイヤサー アイヤサー
 炎と燃える フレップに
 酔うて古びた 胡弓弾く
 エインヤホッホー エインヤホッホー
 頸に飾った 樺太玉が
 揺れるよ 揺れるよ
 踊り狂えば 夜が更ける
 アアアアアイヤサー アイヤサー
 オロチョンの火祭り


« 3D(立体)映画「センター・オブ・ジ・アース」を見る | トップページ | 「親子で楽しめる工場見学」 »

コメント

楽しく拝読させていただきました。
最初に北海道へ行ったときその広大な大自然に感激しました。目にする多くの景色は実は開拓による人工的な自然美であることに気が付かなかったのです。
牧場が自然であるはずがないのに。
二度目に北海道へ行ったとき、改めて険しい自然を切り開いた開拓民のたくましさに感動しました。
三度目に北海道を訪れた時その広大な土地を先住民族であるアイヌ民族から奪い取って作り上げたものであると、改めて知り複雑な心境になったりしました。
でも知里 幸恵というアイヌ少女を知り、長い時を経て北海道がアイヌ文化を伝承していこうとしていることを知り、彼女が遺した『アイヌ神謡集』を知り、また北海道に行きたくなりました。彼女が序に記したように、時は絶えず流れ 世は限りなく進展していきますが、それは希望に向かってなのだと思いたいものです。

投稿: 森口 務 | 2009年2月17日 (火) 18:58

森口さん

コメントありがとうございます。
考えてみると、まさにアイヌの国を日本人が奪ったのですね。誇りも踏みにじって・・・
でも彼女は、この本で自分たちの文化を誇り高く謳ってアイヌの人に勇気を与えたとか・・・
若くして亡くならなければ、色々な活動に繋がっただろうに、と残念です。

投稿: エムズの片割れ | 2009年2月18日 (水) 22:55

こんにちは。「その時歴史が動いた」の知里幸恵の放送は僕も見ました。知里幸恵を取り上げた意義は評価しますが、内容は同居していた伯母の金成マツの存在がスルーされているなど疑問の残るものでした。金成マツがユーカラを書き記した大学ノート百冊にも及ぶ「金成マツノート」の一部を翻訳したのが『アイヌ神謡集』だったのですが、「金成マツノート」は半分以上が未翻訳のまま文化庁が2007年に翻訳助成金を打ち切った為に宙に浮いたままになっています。未来に残すべき人類の文化遺産なのに悲しい事です。

それから『オロチョンの火祭り』ですが、Wikipediaにも誤った記載がされていますが、この祭りは本来はアイヌとは無関係です。

オロチョン族はアムール河沿いの中国とロシアにまたがって住むツングース系の民族ですが、同じツングース系の民族で樺太の先住民であるウィルタをアイヌは「オロッコ」と呼んでいたので、ロシア人がオロチョンとオロッコの区別がつかず、ウィルタの事も誤ってオロチョンと呼んでいました。このロシア人の誤りを一部の日本人も踏襲してしまったようです。

南樺太が日本領だった時代、先住民のウィルタとニヴフ(ギリヤークとも呼ばれる)はオタスという地に

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。「金成マツノート」というのは知りませんでした。勉強になります。
オロチョンはアイヌと無関係、というのも前にNetで読んだことがあります。でもいったん歌になってしまうと、訂正は難しいですね。
色々と情報をありがとうございます。TV、ラジオの番組は、事実のほんの一部、という事も分かりました。前に、ブータンの記事で、同様のご指摘を頂いたこともあります。心します。ありがとうございました。

投稿: ☆諒 | 2010年6月 6日 (日) 15:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/179901/42911330

この記事へのトラックバック一覧です: 知里幸恵の「アイヌ神謡集」~伊藤久男「オロチョンの火祭り」:

« 3D(立体)映画「センター・オブ・ジ・アース」を見る | トップページ | 「親子で楽しめる工場見学」 »