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2008年10月の27件の記事

2008年10月30日 (木)

「仏教者の様々な臨終」

ブッダの最期の言葉が「修行僧たちよ、怠ることなく修行を完成しなさい」、だったことは有名だが、雑誌「大法輪 11月号~特集:死とどう向き合うか」(これ)で、日本の宗派の開祖たちの臨終の言葉を読んだ。

「仏教者の様々な臨終」(「大法輪」2008年11月号P87~91)
   (作家)瓜生 中(うりゅう なか)

<空海の臨終~永く山に帰らん>
・・・承和(じょうわ)元年(834年)の5月、空海は弟子たちに「生期(しょうき)、今いくばくもならず。汝ら、よく住して仏法を慎み守れ。吾は永く山に帰らん」と遺言したという。・・・そして翌年の2月ごろには高野山に登り、3月21日の夜半、62年の生涯を閉じた。臨終に際しては、釈迦と同じように右脇腹を下にして横たわり、最期のときに「滅!」と唱えたと伝えられている。「滅」という最期の言葉は、世俗の生との決別を意味していたのではないか。それは新たな生への餞(はなむけ)だったようにも思える。

<法然の臨終~弥陀の本願>
建暦(けんりゃく)2年(1212年)、浄土宗の開祖、法然は京都の禅房で80年の生涯を閉じた。・・・・法然の臨終のときには「住生伝」に見えるような、聖人の臨終に際して紫雲がたなびくとか、光明が射すというような奇跡は何ひとつ起こらなかった。最期の時を迎えた法然は念仏を唱え、弟子達が3尺の阿弥陀仏を枕辺にまつろうとすると「この仏のほかに仏まします」といい、仏像の指に結びつけた五色の紐を持たせようとすると、これも拒否したという。阿弥陀如来の本願を確信していた法然にとって、仏像も五色の紐も不要だった。臨終に際しては必ず阿弥陀如来がやって来て極楽浄土に連れて行ってくれる。だから、世間一般に行われているような臨終行事は全く必要ないと考えていた。淡々と阿弥陀如来の迎えを待てば十分だったのである。このような臨終に際しての法然の態度は、真の信仰を獲得した人だけが取りうるものだったに違いない。・・・

<親鸞の臨終~遺骸は魚に与えよ>
浄土真宗の基礎を築いた親鸞は、弘長2年(1262年)11月28日、90歳の天寿を全うした。「本願寺聖人伝絵」には臨終のときの様子を次のように伝えている。・・・
釈迦と同じように頭を北にし、顔は西に向けてひたすら念仏を唱えながらの大往生だった。臨終の床は末娘の覚信尼をはじめ、関東や越後から駆けつけた門弟たちに囲まれていたという。親鸞は生前、死後のことについて「某(それがし)、閉眼せば、加茂川にいれて、魚にあたうべし」(「改邪抄」)と言っていたと伝えられている。これは争議などに煩わされることなく、一心に弥陀の本願を信ぜよという親鸞の遺誡(ゆいかい)であった。釈迦が入滅に際して、出家の弟子たちが葬儀に関わることなく、修行に励めと言ったことと共通するものであった。

<一遍の臨終~南無阿弥陀仏になりはてぬ>
時宗の祖、一遍は南無阿弥陀仏の念仏による衆生の救済に務め、一所不住(いっしょふjちゅうう)の遊行(ゆぎょう)生活をしたことで知られている。・・・病床の一遍は参集する信者とともに念仏をとなえ、正応2年(1289年)8月23日の朝、ついに51歳の生涯を閉じた。眠るが如き大往生だったという。臨終に先立つ8月10日、「一代の聖教(しょうぎょう)みなつきて南無阿弥陀仏となりはてぬ」と言いながら、わずかな経典や所持品を焼き捨てたという。ただ、南無阿弥陀仏だけが残った。「捨て聖」の真骨頂を発揮した瞬間だった。
・・・・


以上、名僧の死様を見てきた。そこに共通してみられるのは、死の恐怖を微塵も感じさせず、淡々と死を受容する態度だ。これはここで取り上げた以外の名僧にも共通して見られる。そして、このような態度を取ることができる原動力は、真摯な信仰心に裏付けられた強い信念であるということができよう。
極度に流動化した現代社会において、「何か」に対する絶対的な信頼に基づく信念こそ、最大の喪失物といえるのではないだろうか。しかし世界には絶対的な信頼を置き得る「何か」が必ずあるはずだ。その「何か」に出会った人だけが、死の恐怖を克服することができるのではないだろうか。そうありたいものである。」

またまた長くなってしまった。
聖人の臨終の場面は、それぞれ宗派にとっては非常に重要な事であるため、後世に詳しく語り継がれて来たのだろうが、それぞれの教えと通じていて、なかなか興味深い。
しかし、この論の筆者である瓜生氏の言う「何か」とは何だろう? “「何か」に対する絶対的な信頼”とは、自分にとっては何を意味するものだろう?
少なくともそれは、最近暴落している「株」でも、沸騰している「円高」でもない事だけは確かだ。 まあ自分にとってそれが何かは、大体想像できる・・。別にそれは信仰に限ったものでもなかろう。信仰に足る「何か」なのだ。
まあ、まだ時間があるので、死ぬまでにその「何か」が何であるかを、しっかりと見極める事にしようか・・・・。

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2008年10月29日 (水)

歌手 白鳥英美子のさわやかな話・・・

NHKラジオ深夜便「インタビュー「歌手・母親そして娘として」歌手…白鳥英美子」(2008/10/20)を楽しく聞いた。そして改めてトワ・エ・モアと白鳥英美子さんの歴史を振り返ってしまった。

白鳥さんの経歴を少し記すと、1969年に同じく歌手志望の芥川澄夫と、「業務命令」によって「トワ・エ・モア」を結成。多くのヒットを飛ばしたが、白鳥さんが疲れ(違和感を覚えて)、2年毎の契約を4年で打ち切り、1973年に解散。その後、白鳥さんは保母の学校へ。2年間は猛勉強。そして卒業後に結婚。1年間米国での生活。その時の刺激により、帰国後歌へ復帰。1977年に、夫のベーシストでもある白鳥澄夫らと4人組の「鴉鷺(あろ)」を結成。
1981年からソロ活動開始。1997年には、長野オリンピック(1998年2月)を前にNHKから札幌オリンピック賛歌「虹と雪のバラード」を歌う事を求められてトワ・エ・モアを再結成。しかし25年ぶりに歌った芥川澄夫はブルブル震え通しだったという。そして現在は白鳥英美子のソロコンサートに芥川澄夫を呼んで、トワ・エ・モアとしても歌っているという。

自分は決してトワ・エ・モアのファンではない。しかし、この番組での白鳥さんは、何と自然体でさわやかな話しぶりだろう。聞き手のアナウンサーも「人生の色々なことを柔らかく受け止めて、それを着実にこなしているんですね」と言っていた・・・。その話を少しだけ聞いてみると・・・

改めて、トワ・エ・モアの歌を色々聞いてしまった。その中で、自分は「愛の泉」が好きだった。二人の伸びやかなハモッた声が良かったな・・・・。少し聞いてみよう。

<トワ・エ・モア「愛の泉」>

「愛の泉」
  作詞/作曲:渡部隆巳
  歌 :トワ・エ・モア

遠い北国の森 愛の泉があった
その泉の前で 二つの影は出会う
水鳥たちが遊ぶ 愛の花咲く岸辺
その泉の前で 愛は結ばれる

若者は少女に 首飾りを贈った
それはそれは二人だけの愛のしるし
二人が歌い出せば 魚たちが躍った
二人が泣いた時 泉は嘆いた

夢の中で少女は 若者の胸に
二つの二つの白い鳥は空に消ええた
遠い北国の森 愛の泉があった
今そこに残るのは 愛の首飾り

白鳥さんの娘さん(31)も歌手だと言っていたが、「蛙の子は蛙」、同じような透き通った声だろうか???
でもこの番組を聞いて、(トシを感じさせない)この様な自由なトシの取り方も良いものだな・・・と思った。(失礼)

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2008年10月28日 (火)

小柴昌俊氏の話

このタイトル。全く関係の無い話なのであるが・・・・
今朝聞いたNHKラジオ深夜便「こころの時代 特集・100年インタビュー 物理学者 小柴昌俊」(2008/10/23~24)が、なかなか面白かった。何でも、元の「100年インタビュー」というNHK hiの番組は、「100年たっても色あせない、100年後の日本人にも見てもらいたい、という願いをこめた新しい大型インタビュー番組」というコンセプトだそうで、それをラジオ用に再編集したものだという。これが、なかなか聞きごたえがあり、このシリーズは今後も楽しみだ。

小柴昌俊氏(82歳)というと、ノーベル物理学賞受賞者ということで、いかめしい人柄を想像してしまうが、そのお話は“優しく”、分かり易かった。
聞き手のアナは、小柴さんが人生で辿ってきた色々な出来事を記したメモを片手に、インタビューを進めていた。その中で、何が面白かったかというと、“予想外”の出来事か・・・? もちろん楽しく聞かせるために、ある程度の誇張はあるのかも知れないが、その「意外さ」が何とも面白い・・・!?

①小児麻痺に罹ったんだって・・・
小柴氏は、中学1年の時に小児麻痺に罹って手足が麻痺して動けなくなったという。それを、お手伝いの二十歳位の娘さんに手伝ってもらって風呂に入るのがどうしてもイヤで、何とか這ってでも自分で動くようにして、それで少し動けるようになり、自分で風呂に入れるようになったという。そして、このままでは中学校も卒業できず、自分の将来はダメになると思い、片道4Kの道を普通の人の倍の2時間かけて通うようになり、それが功を奏して歩けるようにもなったという。しかし右手だけは麻痺が残って今でも不自由だという。

自分も、子供の時に周りに小児麻痺の人が何人もいたが、不自由な手足を克服したという話は聞かなかった。

②生活苦から成績は悪かったらしい・・・
父親が中国で捕虜になり日本に帰らなかったため、自分が家族の生活費を稼ぐしかなく、一高・東大ともに授業になかなか出られなかった。一高から東大物理学科に入った時も、成績が悪くて入れそうにないので、寮で同室だった秀才の友人に、試験までの1ヵ月間家庭教師を頼み、その特訓で入れたとか・・。そんな状態だったので、東大での成績は悪く、優が2つだけ。それに、大学院には無試験だったので入れたとか・・・。アメリカに留学した時も、金に追われていたため、奨学金のために論文を書いたりしたとか・・・・。

③自殺未遂もしたんだって・・
一番ビックリしたのが自殺未遂・・・。原因は年上の人妻への恋と、いつまでも続く生活苦。東大1年の時に神宮外苑の池のそばで睡眠薬を3ビン飲んだ。3日後に目覚めた時には、バカバカしいと気を取り直したとか・・・。これだけ聞くと凡人だな・・・

そして、静かに年金生活をしていた時にノーベル賞をもらい、それからは週に2回位講演をたのまれるため、また忙しい生活になったと言っていた。
しかしこの番組は、小柴さんの写真で見る通りの温和な人柄が出ていて、聞いていて楽しかった。この記録は、まさに100年後でも“昔のノーベル賞受賞者の話”として残るだろう。

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2008年10月27日 (月)

「親子で楽しめる工場見学」

先日(08/10/25)の日経(P3)に「ものづくりの魅力身近に~親子で楽しめる工場見学」という記事があり、これはいつの日にか役立つかも知れないので記録しておこうと思った。それで今日の記事・・・。(blogは備忘録である!?)

この調査は、「家族で楽しむのにおすすめの工場を、識者や愛好家に順位と点数を付けて挙げてもらった。その結果をもとにポイント化し、順位を付けた。」とのこと。結果、・・・

「親子で楽しめる工場見学」
①全日空 ANA機体メンテナンスセンター(675点)
 (東京都大田区)TEL:03-5756-5094
全日空で使っている飛行機の紹介や整備・構造などの説明を受けた後、格納庫に移動し、整備中の飛行機を見学する。小学生以上から。
②トヨタ自動車 工場・トヨタ会館など(360点)
 (愛知県豊田市など)TEL:0565-29-3355 予約は原則ネット
組み立て工場または溶接工場などを見学。トヨタ会館ではロボットの演奏やミュージアムショップも。
③江崎グリコ グリコピア神戸(350点)
 (神戸市)TEL:078-991-3693
「ポッキー」「プリッツ」の製造工程などを見学する。オリジナルのアニメを立体映像で楽しめる「3Dシアター」が子どもたちに人気。
④新日本製鉄 君津製鉄所(290点)
 (千葉県君津市)TEL:0439-50-2571
溶鉱炉から銑鉄が流れ出てくる工程や圧延工程、製品出荷を見学する。小学3年以上。
⑤キューピー 伊丹工場(275点)
 (兵庫県伊丹市)TEL:06-6422-1537
 マヨネーズの製造ラインを見学する。1分間に600個の卵を割る「割卵機」が圧巻。
⑥JFEスチール 東日本製鉄所(255点)
 (千葉市)TEL:043-262-2205 公開日=10月26日及び春・夏休み
 高熱の鉄の板が薄くのばされていく工程などを見学する。
⑦バンダイ ホビーセンター(228点)
 (静岡市)TEL:054-208-7511 予約はネットのみ
人気アニメ「機動戦士ガンダム」の模型の成型工程などを見学する。
⑧日産自動車 追浜工場(205点)
 (神奈川県横須賀市)TEL:046-867-5013 予約はネットのみ
 コンパクトカーの組み立て・検査、専用埠頭などを見学。
⑨崎陽軒 横浜工場(185点)
 (横浜市)TEL:045-472-5890
原材料を混ぜ合わせ、箱詰めされるまでの「シウマイ」の工程を見学。最後に試食も。
⑩味の素 川崎工場(183点)
 (川崎市)TEL:044-233-8910
「ほんだし」「CookDo」の製造工程を見学。「味の素」の昔の看板。包装の展示も。

Image01901 思い出してみると、自分は昔から工場見学が大好きであったようだ。小学校低学年の頃、大宮に住んでいたが、森永のキャラメル工場に行って、キャラメルを貰ったことを覚えている。それに、小学校5年の時に、千葉の銚子に修学旅行に行った際、ヒゲタ醤油の工場見学をして小さな醤油を貰い、帰ってからそのお土産をお袋にあげた記憶がある。

子供の頃の印象は非常に強い。だから、大切にするのは子どもたちだ。子供の心に良い印象を与えることができれば、将来の顧客・ファンになってくれることは間違いない。(もっともウチではヒゲタ醤油かどうかは分からないが、少なくとも名前だけは覚えている)

前に「団塊!今こそ『社会見学』」(ここ)という記事を書いたが、この工場見学は、大人だけで行くのは無理だな・・・。まあ引退したら、近くの子供に付き合ってもらって行ってみる事にしようか・・・

(関連記事)
団塊!今こそ「社会見学」

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2008年10月26日 (日)

知里幸恵の「アイヌ神謡集」~伊藤久男「オロチョンの火祭り」

先日(2008/10/15)放送されたNHK「その時歴史は動いた」、「神々のうた 大地にふたたび~アイヌ少女・知里幸恵の闘い~」(ここの再放送をまた見てしまった。

081026chirisachie アイヌ少女・知里幸恵(1903年(明治36年)~ 1922年(大正11年))は、命を賭けてカムイユカラ(アイヌ民族の「口承叙事詩」)の「アイヌ神謡集」を纏め上げ、アイヌ民族の誇りを初めて高らかに謳った人。

明治政府は北海道植民地化の方針のもと、近代国家建設のため資源の独占を図って北海道を急速に開拓した。そしてアイヌ人は劣った民族であるという教育をした結果、北海道のアイヌ人たちは、その誇りを失って行った。
知里幸恵が(アイヌ人として初めて入学した)旭川の女子職業学校の生徒だった15歳の時、金田一京助が訪ねて来てアイヌの伝承を記録している姿を見る。そして金田一は言った。「アイヌ人は決して劣った民族ではない。伝承が何よりの証拠だ」。そして学校を卒業したら東京で研究を手伝う約束をする。しかし知里幸恵は17歳で学校を卒業するも、心臓病を患って約束を果たせない。すると金田一京助は新しいノートを送ってくれた。幸恵はそれに、アイヌの伝承を文字にしていった。ノートの左頁には文字を持たないアイヌ語をローマ字で、右頁には日本語訳を。
それを見た金田一京助は、その出来栄えに驚嘆し、柳田國男と相談してそれを本にすることにした。大正11年、幸恵は病を押して上京。出版の校正を手伝う。そしてその作業が終わった夜、無理が祟ったのか心臓発作により命が尽きたという。
しかし、その命と引き換えに残された「アイヌ神謡集」はアイヌ人の誇りを取り戻させ、その後のアイヌの差別の撤廃などの運動に、計り知れない影響を与えたという。
そして2008年6月6日、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」は衆参両院で採択された。

その「アイヌ神謡集」の「序」で19歳の知里幸恵は謳う・・・。
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
・・・・
 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。
 時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮《あけくれ》祈っている事で御座います。・・・・」(ここ

自分にとっては、北海道を旅行していて、単なる観光の対象でしかなかった「アイヌ」。そのアイヌ民族の悲劇をこの番組で垣間見ることができた。
ブータンの「国民総幸福量」(ここ)ではないが、経済最優先の社会が本当に人間にとって幸せなのか・・?とも、知里幸恵は問うていた。

アイヌに敬意を表して(?)、伊藤久男の「オロチョンの火祭り」を・・・

<伊藤久男「オロチョンの火祭り」>

「オロチョンの火祭り」
 作詞:石本美由紀
 作曲:上原げんと
 歌 :伊藤久男

タッカル オーヌグ
ブガコングヮー
ツグフグシ イットル
ゼンニヨイラー
(アイヤ アイヤ アイヤ アイヤ アイヤ)

1)アイヤサー アイヤサー
 オタスの杜に 陽は落ちて
 河の流れに 冴える月
 エインヤホッホー エインヤホッホー
 太鼓叩いて かがり火囲み
 踊ろうよ 踊ろうよ
 宴たのしや 熊祭り
 アアアアアイヤサー アイヤサー
 オロチョンの火祭り

2)アイヤサー アイヤサー
 炎と燃える フレップに
 酔うて古びた 胡弓弾く
 エインヤホッホー エインヤホッホー
 頸に飾った 樺太玉が
 揺れるよ 揺れるよ
 踊り狂えば 夜が更ける
 アアアアアイヤサー アイヤサー
 オロチョンの火祭り

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2008年10月25日 (土)

3D(立体)映画「センター・オブ・ジ・アース」を見る

本日(2008/10/25)公開の映画「センター・オブ・ジ・アース」(ここ)を見た。これはなかなか面白い・・・・
P10305481 数ヶ月前、(旧日産自動車村山工場跡地の)「イオンモールむさし村山ミュー」(ここ)に行った際に、吹き抜けに「3Dメガネをかけて飛び出す、地底探検」という垂れ幕に気が付いた。
カミさんと、これは面白そうなので、その内に見に行こうか・・と話していた。それを昨夜、フト思い出してネットで見たら、予約が出来る、とある。それで中央の特等席を予約をして、公開初日の今日、見てきたという訳。(いつも行く、MOVIX昭島は予約が無料なのに、予約料が2人で200円は高い。しかも50割が無い・・・。でも並ばなくて席が取れるので、まあ良いか・・・)

Image01891 話題性がある映画なので、やはり席はほぼ満席。子どもが多いだろうと思ったが、そうでもなかった。入り口で例のメガネをもらう。予告編の3Dアニメもなかなかの迫力。映画が始まると、周囲の子どもが「来るぞ、来るぞ・・・。来た~」と叫ぶ。立体映画の始まりだ・・・

自分は、今までも何度か3Dをイベントで見た事はある。しかし、本格的な3Dの劇映画は初めて。ジュール・ヴェルヌの「地底探検」が原作で、ストーリーは単純。でもなかなか面白い。人食い植物、恐竜、ジェットコースターなどなど、立体映画の面白さは随所に・・・。(もちろん、①真っ暗な地底で、なぜこんなに明るく周囲が見渡せる? ②あんなに大きな恐竜が、地底の砂漠で何を食って生きている? ③大海原に暴風雨・・・。大気の影響の無い地底で、なぜこんな気象現象? ④何十年も経った地下の発電設備が、なぜスイッチを入れたら動く?・・・ナンテ考えてはダメ。“荒唐無稽”こそが面白いのだから・・・)
(大きな声では言えないが)映画の初めの方で、ヨーヨーをやっていた主人公が「あぶない!」と叫んだと思ったら、糸の切れたヨーヨーがこっちに飛んでくる! ハッと、頭をよけてしまった!(チェッ!やられた! 周囲をそって見て恥ずかしくなった・・)

P10305591 しかし(愛用の)MOVIX昭島では、いつもガラガラなので潰れるのを心配しているが、シネコンでこんなに人が入った映画を見るのは久しぶり。この映画は、メガネをかけるのと、目が疲れるので老人には不人気かも知れないが、若者には評判になるだろう。今まで万博のようなイベントでしか見ることが出来なかったのが2千円でみられる。またお土産にメガネももらえる。もらっても仕方が無いが・・・

しかし、全ては「付加価値」。そして、もちろん映画はドラマ・・。何を訴えるか・・・・。重たいテーマの映画などでは、3Dなどは確かに“邪魔”。しかし、家族が楽しむ娯楽映画では、このような訴え方もある。まさに一時を楽しむ「娯楽」の世界では・・・・。
この「センター・オブ・ジ・アース」は、米国では、700館で3D上映され、日本では55館で3D上映されるという。3D映画を上映するには、場合によって1スクリーンあたり数千万円の設備投資が必要となるらしいので、どこまで普及するかは分からないが、このような「付加価値」で集客するのも方法だろう。

帰りに、喉が渇いたので(いつも混んでいて並んだ事がなかった)アイスクリーム屋に並んでみた。そして、なぜ何時も混んでいるかが分かった。注文により、色々な種類のアイスをブレンドして、栗やイチゴなどを混ぜてくれる。よって注文ごとの「付加価値」が付いたアイスだったのだ。
何でも「普通」では面白くない。“何か”が付いてこそ価値が高まるというもの。自分にその“何か”があるとは到底思えないけどネ・・・・・

P10305541 P10305571 P10305511

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2008年10月24日 (金)

灰田勝彦の「鈴懸の径」

今日は、灰田勝彦の「鈴懸の径」。この歌は古い歌だが、実にモダンな歌だ。
自分がこの歌を知ったのも古い。高校生の頃か?昭和30年代の末・・・
この歌が発売されたのが、昭和17年(1942年)9月というから、まさに戦争の最中。軍歌一色の時代によくもまあこんなモダンな歌が出たものだ。

<灰田勝彦「鈴懸の径」>

「鈴懸の径」
  作詞:佐伯孝夫
  作曲:灰田晴彦

 友と語らん
 鈴懸の径
 通いなれたる
 学校の街
 やさしの小鈴
 葉かげに鳴れば
 夢はかえるよ
 鈴懸の径

この単純とも言える歌詞。そこには戦争の影は無い。学徒出陣は昭和18年という。その前年に「友と語らん・・・」とは・・・。それさえも難しくなってきた時代を先読みしていたのだろうか? 戦争とこの歌詞に、何か違和感を感じる・・・

ところで、灰田勝彦はハワイ・ホノルル生まれの二世だという。作曲は兄の灰田有紀彦(灰田晴彦)。灰田兄弟はハワイで父親が急逝したあと、帰国。そして2人は立教大学に入ったという。この歌は立教大学の道をモデルに作曲されたそうで、立教大学には歌碑があるという。

Suzukakehi Suzukake1

そして、鈴懸とはプラタナスの別名だという。まるで鈴のような実?が付くらしい。もちろん知らなかったが・・・。

Suzukake2 Img_44311_2

まあ今の人は歌わないだろうが、こんな歌を聞きながら、若い頃を懐かしむのも良いかもね・・・・(今日はかなりいい加減だな・・・)

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2008年10月23日 (木)

がん難民コーディネーター 藤野邦夫氏の話

このところ、世界的な株の下落ばかりではなく、今日はドル安、ユーロ安が大きく報道されている。悪い情報は、体に“悪い気”が入るので聞かない方が良い。という考え方もあり、自分もそうしたい方だが、下記のラジオ番組で「現状を正しく認識しなければダメ!」と叱られてしまった・・・。

先日(08/10/15)放送されたNHKラジオ深夜便「〔輝いて生きる〕がん難民を救え~がん難民コーディネーター 藤野邦夫」を聞いた。
この放送は録っておいて、今後、自分や家族がガンに罹ったときに再度聞き直す事にしたい・・・・、そんな番組であった。まあ要約するとこうなるかな・・?(必ずしも話をされた順ではない。~話が飛ぶため、語録をカテゴリ毎に整理した)

「西東京市の翻訳家 藤野邦夫さん(73)は、自分の母親と弟・妹の3人をがんで亡くした体験、および自身が4年前に前立腺がんで「小線源療法」を受けた事をキッカケに、手弁当(無料)で、がん患者と医師との間のコミュニケーションを手助けする“がん難民コーディネーター”をしているという。「がん難民」とは、末期がんなどで病院から見放されて(治療する事が無くなって)退院を余儀なくされ、病院から追い出されて行く所が無くなった人。

藤野邦夫さんは、職業が翻訳という事から医療情報が豊富に入ってくるため、その情報をもとに、色々なアドバイスをしている。

<キッカケとなった「本」>
最初は、医学のがん治療の最先端の本を訳していた。それから医者のシンポジウムで話したりしていた。訳した本の中に「ガンに打ち勝つ患者学」(
これ)というのがあり、余命1ヶ月と言われた人が10年以上生きている人が何万人も居ると書いてあった。

<病院・医師の現状>
もはや日本は2人に1人はがんになる時代。
他の病院で手術をした人は、大病院では受け入れないというドライな面がある。
医師は週90時間労働など、あまりに忙し過ぎて、余裕が無い。
医師の中には「これから3ヶ月命をのばして、どんな意味がある?」と言う人も居るが、人は生きる意味を考えて生きているわけではないので、患者や家族が生きたい、生かせたいと思えば生かすべき。
病院側は、手術できない末期がんの患者を抱えても金にならないという事情がある。でも患者側は、切羽詰っても行くところが無い。
抗がん剤は、大病院ではシステム化されており、抗がん剤をどう使うかは、病気の状況によりプログラム化されている。

<患者と医師>
知識の無い患者、親切に出来ない(=時間の余裕が無い)医師の間をどう埋めるか。これが仕事。
患者側もうろたえて医師の質問に答えられない。例えば治療方法に4つの選択肢があります、と言われても萎縮してしまって答えられない。

<どうアドバイスするか?>
相談される患者は、余命3~6ヶ月と言われた人が多い。
まず時系列の病歴を聞く。そして細かく、貯金は幾らあるかまで聞く。
地方の人は東京に呼び出して話を聞き、計画を立て、実際の治療は地方の病院で行ってもらう。セカンドオピニオンは地方では難しい。しかも2万円の金が掛かる。
①患者は自分の病状を正確に認識する事。医師は、もっと患者に詳しく説明するようにならなければいけないが、医師の力量に差がある。
②今、どのような療法があるかを全部話す。
西洋医学が中心になるが、進行がんの場合、先ず抗がん剤で緊急状態を脱する。そして時間的な余裕を持ち、それから本人の免疫をいかに高めるかを考える。最後にがんと闘うのは、本人の免疫以外はない。
世界の共通認識だが、「統合医療」が世界の趨勢。がんを精神的なものを含めて対応する。

<免疫を強くする>
まず患者にとって一番大切なことは。痛みを取ってやる。痛みさえ無くなれば、あっち(あの世)に行きたいと言う人は居なくなる。
痛みの無いQOLの高い生活は寿命を長くする。これは6月に行われた全米の学会でも発表があった。
免疫を強くするには、ライフスタイルが重要で、朝水を飲む。1日コップ8杯2リットル。
そして運動すること。運動は週に3時間以上散歩すること。雨の日はしなくても良い。
これで乳がんや大腸がんの免疫が2倍になるという。ぬるめの風呂に20~30分入って血行を良くすること。玄米も昔から良いと言われている。そして、検査データに一喜一憂するな。マイナスの事は考えるな。
抗がん剤も個人で効き方が全く違う。温熱療法や免疫療法。

新しいデータは毎日のように入ってくる。医療の現場の人は、新しい知識に欠けている人が多い。」(2008/10/15放送、NHKラジオ深夜便「〔輝いて生きる〕がん難民を救え~がん難民コーディネーター 藤野邦夫」より)

まあこれらをひと言で言うと、「自分で余命を永らえたければ、自分で病状を良く認識し、世界の療法を良く知って選び、そして自分の免疫を高める努力をすれば、幾ら医者が3ヶ月と言っても、それ以上生きられるよ・・・」と言う事か・・・

確かに、標準治療というのはあるらしい。先日カミさんの友達のヘルパーさんから聞いた話では、「利用者さんの90歳を超えた人にがんが見つかって手術をした。でもがんが再発して2度目の手術をしたが体調が悪化して、その後の検査の最中に亡くなってしまった」という。この例は、本当に手術をした方が良かったのか・・・。年齢に関係のない?「標準治療」の犠牲になったのかも知れない・・、と感じた。

まあ自分の場合は、本人(自分)はオロオロと、うろたえるだけだが、まあカミさんがしっかりと医師と話をするだろうから心配はしていない。(トホホ・・)

(2010年5月6日追加)
1)上記のオリジナルの放送(41分間)を聞く方は(zipのここ)をクリックして10分間黙って待つ・・(ダウンロードに時間がかかる)

2)NHKラジオ深夜便<ないとエッセー>「今、がんと闘うために」翻訳家・がん難民コーディネーター 藤野邦夫”(2009年11月23日~26日放送/2010年2月22日~25日再放送)
の放送全部(44分)を聞く方は、(ZIPファイルのここ)をクリックして10分待つ・・・

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2008年10月21日 (火)

「省令は無用の長物」~三木谷浩史氏の主張

先日(08/10/20)の日経朝刊(P5)に「省令は無用の長物~重要事項、官僚が決めるな」というコラムがあり、“なるほど・・・”と思った。
ここで、楽天社長の三木谷浩史氏はこう主張されている。

「省令は無用の長物~重要事項、官僚が決めるな」(08/10/20「日経」朝刊より)
           楽天会長兼社長 三木谷浩史氏

――霞ヶ関の官僚自らが決定権を握るルール体系に違和感をお持ちだそうですね。
「一国の法体系の土台である法律を制定したり改正したりするには、国会の決議を経なければなりません。その審議過程は透明です。結果はその時々の主権者つまり国民の意思を映しているともいえます。しかし法律を肉付けする省令や通達などの『装置』を操作する権限を官僚が握っているのは問題です」
――どういう弊害ですか?
「記憶に新しいところでは2007年の改正建築基準法の施行があります。国土交通省が定めた審査のやり方が実務とかけ離れて厳しく、周知徹底も遅れたため、建物の建設が遅れるなどして経済成長を阻む実害が出ました。同省は後に省令を改めています」
「・・・・国交省はタクシーの需給調整を省令さえ定めずに通達でやっています。いずれも消費者への影響が大きい問題です」
・・・
「消費者が便利になる規制改革は歓迎です。その傍らで厚労省の官僚、なかでも薬剤師の資格を持つ技官が中心になり、医薬品は対面販売が原則という規制を設けようとしています。対面販売とは売り手が買い手に商品を手渡すやり方を指すのでしょうが、いまや商品名を指定して風邪薬を買う人も多い。手渡ししろというのは時代錯誤です」
「パブリックコメントを通じ意見を広く聞くと言っていますが、結論ありきのようにみえます。消費者よりも薬剤師業界の利権を守ろうとしているのでは。法律で定めるならまだしも、大切なことが国会審議を経ずに役人の胸三寸で決まるのはおかしい。与党も野党も官僚支配からの脱却を唱えています。その早道は省令というわかりにくい制度をやめることです。国民生活への影響が多大なルールづくりを官僚任せにする国会議員も、職務放棄に等しいのでは」

なるほど・・・。この事実は重い。一般国民に影響が大きい事項を、主権者(国会議員)に審議の機会を与えず、官僚が勝手に決めているという事実・・・。
しかし、主権のある国民が、それらの決定権を官僚に任せたという事実はあるのだろうか?

例として、先の「改正建築基準法」を調べてみたら、「省令で定める」という文言が何と153箇所もあった。
・・・という事は、(三木谷氏も指摘しているように)国会議員は“「省令で定める」という文言が沢山ある法律を成立させた”という「事実」により、その部分の決定権を官僚に委ねた、とも言える。
そして、国民がそれによって困っているとしたら、国会議員は市民の声を国の施策に活かすという職務を放棄した事になる。

衆議院議員選挙も近い。国会議員は、いちおう我々が選挙で国に送り込んだ「代表」という事になっている。そして、それを選ぶ基準は候補者が掲げる「公約」。しかし、当選した後に、その公約をどこまで実行したかの説明は無い。

今度の選挙で、どこかのNPOが、再出馬した候補の“前回選挙のときの公約の実行度”を○×で調べてくれたら、「この候補は、その時に言うだけで、当選したら何もしない」とか、「この候補は、言う事は少ないが、確実に実行してくれる」とかが分かって、次の投票の時に役立つと思うが、どうだろう。

どうも世の国会議員が、(建前とは別に)“我々が選んだ我々の代表”と感じないのは、自分だけではあるまい。まあ鉄壁の守りの日本の官僚なので、これらは簡単には変わらないだろうが、このコラムのような視点も大切だな・・・と思うこの頃ではある。

●メモ:カウント~21万

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2008年10月19日 (日)

オルガンとピアノによる「ワーグナー」

前に、ショルティ/ウィーン・フィルのワーグナー「タンホイザー」序曲の“録音”について書いたことがあったが(ここ)、今日はそのワーグナーの楽曲の、オルガンの編曲とピアノの編曲の紹介である。
まずオルガンの編曲(リスト編)だが、オリヴィエ・ラトリーのオルガン演奏による歌劇「タンホイザー」から「巡礼の合唱」の旋律。オリジナルのオーケストラの音は、この上なく重く、荘厳な曲だが、このオルガンによる演奏も、なかなか荘厳で良いではないか。少しだけ聞いてみよう。

<ワーグナー(リスト編):「タンホイザー」から巡礼の合唱>(CDはこれ
   オルガン:オリヴィエ・ラトリー

次に、同じ旋律を4手のピアノ(連弾)で演奏したものを聞いてみよう。この編曲はワーグナー自身である。これは、オルガンよりも細かな旋律を演奏しているが、重みは無い。これも少し聞いてみよう。

<ワーグナー(ワーグナー編):「タンホイザー」序曲より>(CDはこれ
   ピアノ:タール&グロートホイゼン

ちなみにオリジナルはこれ・・・
<ワーグナー:「タンホイザー」序曲より>(CDはこれ)
   ショルティ/ウィーン・フィル~1961年録音盤

ついでに同じワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲も聞いてみよう。これは2台のピアノのためのもので、レーガーの編曲である。

<ワーグナー(レーガー編):「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲>(CDはこれ
   ピアノ:永井幸枝&ダク・アシャッツ

聞いてみると、重いワーグナーやブルックナーの音楽にオルガンの音色は合っているが、ピアノはモーツァルトの音楽に、より合っているような気がする。
そうは言っても、確かにワーグナーの荘厳な音楽を、ピアノやオルガンで演奏すること自体が“作曲者に対する冒涜だ”という見方もある。(もっともピアノ編曲は自身が行っているので、そうでもないか?)
でも、もし自分がピアノを演奏することが出来たら(まったく出来ないが・・)、ワーグナーを“自分一人で演奏出来る”という事は、すばらしいことだ。(もっとも4手必要なので、2回録音??)
まあ“夢のまた夢”だけどね・・・・

(関連記事)
ショルティ/VPの「タンホイザー」序曲

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2008年10月18日 (土)

中村元の「観音経」(7/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01261 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第7回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その7CDはこれ

むじんにぼさ びゃくぶつごん せそん かんぜおんぼさつ うんがゆうししゃばせかい
無尽意菩薩 白仏言 世尊 観世音菩薩 云何遊此娑婆世界
うんがにいしゅじょうせっぽう ほうべんしりき ごじうんが ぶつごうむじんにぼさつ ぜんなんし
云何而為衆生説法 方便之力 其事云何 仏告無尽意菩薩 善男子
にゃくうこくどしゅじょう おういぶつしんとくどしゃ かんぜおんぼさつ そくげんぶつしんにいせっぽう
若有国土衆生 応以仏身得度者 観世音菩薩 即現仏身而為説法
おういびゃくしぶつしんとくどしゃ そくげんびゃくしぶつしんにいせっぽう おういしょうもんしんとくどしゃ
応以辟支仏身得度者 即現辟支仏身而為説法 応以声聞身得度者
そくげんしょうもんしんにいせっぽう おういぼんのうしんとくどしゃ そくげんぼんのうしんにいせっぽう
即現声聞身而為説法 応以梵王身得度者 即現梵王身而為説法
おういたいしゃくしんとくどしゃ そくげんたいしゃくしんにいせっぽう おういじざいてんしんとくどしゃ
応以帝釋身得度者 即現帝釋身而為説法 応以自在天身得度者
そくげんじざいてんしんにいせっぽう おういだいじざいてんしんとくどしゃ
即現自在天身而為説法 応以大自在天身得度者
そくげんだいじざいてんしんにいせっぽう おういてんだいしょうぐんしんとくどしゃ
設現大自在天身而為説法 応以天大将軍身得度者
そくげんてんだいしょうぐんしんにいせっぽう おういびしゃもんしんとくどしゃ
即現天大将軍身而為説法 応以毘沙門身得度者
そくげんびしゃもんしんにいせっぽう おういしょうおうしんとくどしゃ そくげんしょうおうしんにいせっぽう
即現毘沙門身而為説法 応以小王身得度者 即現小王身而為説法
おういちょうじゃしんとくどしゃ そくげんちょうじゃしんにいせっぽう おういこじしんとくどしゃ
応以長者身得度者 即現長者身而為説法 応以居士身得度者
そくげんこじしんにいせっぽう おういさいかんしんとくどしゃ そくげんさいかんしんにいせっぽう
即現居士身而為説法 応以宰官身得度者 即現宰官身而為説法
おういだいばらもんしんとくどしゃ そくげんばらもんしんにいせっぽう おういびく
応以婆羅門身得度者 即現婆羅門身而為説法 応以比丘
びくに うばそく うばいしんとくどしゃ そくげんびく びくに うばそく
比丘尼 優婆塞 優婆夷身得度者 即現比丘 比丘尼 優婆塞
うばいしんにいせっぽう おういちょうじゃ こじ さいかん ばらもんふじょしんとくどしゃ
優婆夷身而為説法 応以長者 居士 宰官 婆羅門婦女身得度者
そくげんぶにょしんにいせっぽう おういどうなん どうにょしんとくどしゃ そくげんどうなん
即現婦女身而為説法 応以童男 童女身得度者 即現童男
どうにょしんにせっぽう おういてん りゅう やしゃ けんだつば あしゅら かるら きんなら
童女身而為説法 応以天 龍 夜叉 乾闥婆 阿脩羅 迦褸羅 緊那羅
まごらか にんぴにんとうしんとくどしゃ そくかいげんしにいせっぽう
摩ご羅伽 人非人等身得度者 即皆現之而為説法
おういしゅうこんごうじんとくどしゃ そくげんしゅうこんごうじんにいせっぽう
応以執金剛神得度者 即現執金剛神而為説法

「三十三身」を示して説法する

無尽意菩薩は、仏に白(もう)して言わく「世尊よ、観世音菩薩は、如何にしてこの娑婆世界に遊ぶや。如何にして衆生のために法を説くや。方便の力、その事如何ん」と。

そこで無尽意菩薩が問います。「観世音菩薩はどうして。この娑婆世界にいらっしゃるのか。どういうぐあいに、人々のために教えを説かれるのか。その方便の姿はどうであるか」。すると、仏は答えます。

仏は無尽意菩薩に告げたもう、「善男子よ、もし国土ありて、衆生の、まさに仏の身を以って度(すく)うことを得べき者には、観世音菩薩はすなわち仏の身を現して、ために法を説くなり。
まさに辟支仏(びゃくしぶつ)の身を以って度(すく)うことを得べき者には、すなわち辟支仏(びゃくしぶつ)の身を現して、ために法を説くなり。
まさに声聞(しょうもん)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち声聞の身を現して、ために法を説くなり。
まさに梵王(ぼんのう)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち梵王の身を現して、ために法を説くなり。
まさに帝釈(たいしゃく)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち帝釈の身を現して、ために法を説くなり。
まさに自在天(じざいてん)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち自在天の身を現して、ために法を説くなり。
まさに大自在天の身を以って度うことを得べき者には、すなわち大自在天の身を現して、ために法を説くなり。
まさに天の大将軍の身を以って度うことを得べき者には、すなわち天の大将軍の身を現して、ために法を説くなり。
まさに毘沙門(びしゃもん)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち毘沙門の身を現して、ために法を説くなり。
まさに小王(しょうおう)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち小王の身を現して、ために法を説くなり。
まさに長者(ちょうじゃ)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち長者の身を現して、ために法を説くなり。
まさに居士(こじ)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち居士の身を現して、ために法を説くなり。
まさに宰官(つかざびと)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち宰官の身を現して、ために法を説くなり。
まさに婆羅門(ばらもん)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち婆羅門の身を現して、ために法を説くなり。
まさに比丘、比丘尼、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の身を現して、ために法を説くなり。
まさに長者、居士、宰官、婆羅門の婦女(ぶにょ)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち長者、居士、宰官、婆羅門の婦女の身を現して、ために法を説くなり。
まさに童男、童女の身を以って度うことを得べき者には、すなわち童男、童女の身を現して、ために法を説くなり。
まさに天、竜、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(げんだつば)、阿脩羅(あしゅら)、迦褸羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩ご羅伽(まごらが)、人、非人等の身を以って度うことを得べき者には、すなわち皆、これを現して、ために法を説くなり。
まさに執金剛神(しゅうこんごうじん)の身を以って度うことを得べき者には、すなわち執金剛神の身を現して、ために法を説くなり」。

仏の答とはつまり、「仏」の身をもって救うことのできるものには仏の身をあらわして、「辟支仏(びゃくしぶつ)」身をもって救うことのできるものに対しては辟支仏の姿で、「声聞(しょうもん)」の身をもって救うことのできるものに対しては声聞の姿で、とういうふうに、相手に応じて相手の姿で法を説く、というのです。「辟支仏」とはひとりで修行して、ひとりでさとる人、「声聞」とはブッダの教えを忠実に実行する人ですね。
こうして観音さまが「仏」の身からはじまって、三十三の姿、身体をあらわし、それで人々を救うということが、くりかえし似たような表現で述べられています。
「梵王」。「梵天王です。これはバラモン教では宇宙を創造し、支配する王とされます。つづいて「帝釈」。帝釈天です。これは「リグ・ヴェーダ」のインドラ神です。この梵王と帝釈が、仏法守護の二人の大きな神さまということになっています。そして「自在天」。バラモン教での支配神のことです。「大自在天」。これはヒンドゥー教ではシヴァ神の別名です。
さらに、「天の大将軍」「毘沙門(びしゃもん)」「小王」「長者」「居士」「宰官(つかざびと)」「婆羅門(ばらもん)」「比丘」「比丘尼」「優婆塞(うばそく)」「優婆夷(うばい)」。そして、「(長者、居士、宰官、婆羅門の)婦女」「童男、童女」、婦人の姿をあらわしたり、子どもの身を示して法を説くこともある。
その他、「天」「竜」「夜叉(やしゃ)」「乾闥婆(げんだつば)」「阿脩羅(あしゅら)」「迦褸羅(かるら)」「緊那羅(きんなら)」「摩ご羅伽(まごらが)」、この大部分はサンスクリットでの名称の音を写したもので、いずれも人間とは異なった、半ば神のような神的な存在。この八つは、天竜八部衆と申します。つぎに「人」「非人」。人あるいは人ではないもの。以上述べた異様な神々は人間でないもののなかに入るのですが、そういう姿を示すこともある。それから、「執金剛神(しゅうこんごうじん)」。この「金剛」は一種の武器です。必ずしも金剛石という意味ではありません。武器を手に持っているもの、もとはインドラ神のことをいっていたのです。
こういうようないろいろな姿を示す。これを。「三十三身」と称しています。ただ、漢訳では三十五身、サンスクリットの原本では十二身、十二の姿だけが出ています。細かな比較は省略しますが、サンスクリットの原本では偉い存在だけが出ていた。ところが、この漢訳では、一般の人々や民間信仰における神々、神霊、そういうものまで全部、取り込んだのです。それだけ漢訳の「観音さま」は民衆的、庶民的になっている。一般の人々のことを広く考え、受け入れるというかたちに、発展していったといえるかと思います。


ここの所は、観音さまが人間を救うために、相手に合わせてあらゆる姿になって救うことを、具体的な例を挙げて述べている。中村先生の解説によると、元々は十二の姿を挙げていたのが、漢訳するときに三十三の姿に追加されたという。まさに、このコンセプトが九面観音、十一面観音のような像に繋がっているのだろう。

前に会社の事務所が浜松町にあったとき、昼休みに散歩で増上寺に良く行ったが、そこにはあのホテル・ニュージャパン火災(昭和57年2月8日)の罹災者のための聖観音菩薩像があった。
最近は昼休みに高野山東京別院(ここ)に散歩するが、ここにも観音像はある。何かあると、つい頼ってしまう観音様ではある。

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2008年10月17日 (金)

映画「君の名は」の主題歌「花のいのちは」と「忘れ得ぬ人」

このトシになると、“オオ!?”と思う歌にめぐり合うことは少なくなった。しかし、先日少しだけ“オオ!?”と思った歌があった。それがこの「花のいのちは」・・・

先日、このblogにも書いたが(ここ)、映画「君の名は」第2部を見た時に、そのバックに流れていたのが若き岡本敦郎と岸恵子が歌う主題歌「花のいのちは」であった。この映画「君の名は」第2部は1953年12月1日の封切。そして主題歌「花のいのちは」は昭和29年(1954年)1月発売という。
作曲の古関裕而によると、「作曲する前に、岸恵子さんの音域を調べ、無理のないように旋律を書いた。」と述べていたそうで(出典はここ)、当時、岸恵子の歌は“大ニュース”だったらしい。そして「岸恵子が流行歌を吹き込んだのはあとにもさきにもこの一曲だけ。よってこの歌は貴重な歌という事になる」そうだ。(CD「岡本敦郎名唱集」解説より)

少し演歌調の歌だが、中に例の「君の名は~・・」の旋律が出てくる。(これはベートーヴェンの「運命」の主題(タタタター)が、ピアノソナタ「熱情」に出てくるのと同じ・・・?)

<岡本敦郎・岸恵子「花のいのちは」>

「花のいのちは」
  作詞:菊田一夫
  作曲:古関裕而

1)ゆけよ幌馬車 唐松林
 雲の流れの さいはてに
 君の名は 忘れはてよと
 旅をゆく心の せつなさよ

2)花のいのちは 嵐が吹けば
 消えゆくものと 知りながら
 君の名を 忘れかねては
 月にきく心の 悲しさよ

3)会えど結ばぬ 運命の糸は
 北の風吹く 地の果てに
 君の名を 呼べど叫べど
 別れの汽車に 雪が降る

そして同じく1954年封切の映画「君の名は」第三部の主題歌「忘れ得ぬ人」がまた名曲だ。伊藤久男がしみじみと歌う。

<伊藤久男「忘れ得ぬ人」>

「忘れ得ぬ人」
  作詞:菊田一夫
  作曲:古関裕而

1)忘れ得ぬ 人とは
 遠き人なり その人の名を
 その人の名を その人の名を
 呼べども 人は答えぬ
 山彦の 悲しさよ

2)めぐり逢い 別れる
 恋の悲しさ その悲しさを
 その喜びを その苦しみを
 呼べども 人は答えぬ
 山彦の あわれさよ

3)木の葉散る 秋の日
 君を抱きて 頬をすり寄せ
 その名を呼べど 君は答えぬ
 木枯し 吹く夜の
 山彦の 悲しさよ

もう「時代」が違うので、最近は映画もドラマも、また主題歌も「君の名は」のような大ヒットは無くなった。
原爆の体験者、戦争の体験者が少なくなって行くのと同じく、「君の名は」の伝説を体験した(NHKドラマを聞いた)人も、段々と居なくなって行くのだろう。。(←もちろん自分も当時は子供で知らないが・・・)
しかし、これらの“歌”だけは、永々(えいえい)と命を永らえるような気がするが、どうだろう?

(関係記事)
映画「君の名は」と伊藤久男の「君いとしき人よ」

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2008年10月16日 (木)

岡崎大五 著「日本は世界で第何位?」を読む

「ベストテン」が好きな当blogだが、先日、岡崎大五 著「日本は世界で第何位?」これ Image01801 を読んだ。それが単なるハウツー本かと思ったら、意外や意外、なかなか面白かった。
何が面白いかというと、単なるベストテンの羅列ではなく、そこには筆者が世界を闊歩した経験談がちりばめられている。つまり、筆者の岡崎大五さんは、海外旅行の添乗員の経験などで、世界80ヶ国を巡ったというが、そのエピソードがいっぱい・・・

まず、日本の世界での位置を、“定番”から・・・
<国土面積>:62位
<人口>:10位
<国民総所得>:2位
<物価の高さ>:東京1位
<マクドナルドの「ビッグマック」の値段>:32位
<1人当たりの国民総所得>:5位
<ガソリンの高い国>:17位
<平均身長の高い国>:26位(男性)27位(女性)
<肥満度の高い国>:54位
<軍事費>:4位・・・

(もっとも母数が項目によってバラバラなのでピンと来ないかも・・・)

それ以外に面白いアイテム・・・。
日本は現在マンション不況だが、日本は世界でも安い方らしい。
<マンション価格>1位:ロンドン(9997万円)、2位:香港(9735万円)、3位:ニューヨーク(8791万円)、4位:パリ(6874万円)、・・・・10位:東京(3424万円)

日本の住宅は「うさぎ小屋」と言われて久しいが、この順位を見るとまあまあか?
<住宅の広さ>1位:アメリカ(162㎡)、・・5位:日本(95㎡)、6位:オーストリア(92㎡)、7位:フランス・ドイツ(90㎡)、8位:イギリス(87㎡)・・・

しかし日本の住宅の寿命は、先進5か国中では最低。欧州は石の家であり、日本は木と紙で作るので、仕方が無いか・・
<住宅の寿命>1位:イギリス(141年)、2位:アメリカ(103年)、3位:フランス(86年)、4位:ドイツ(79年)、5位:日本(30年)

平等感・・・。日本の税金における累進課税から見ても、まあそうだろう・・・
<平等な国(ジニ計数)>1位:デンマーク(24.2)、2位:日本(24.9)、3位:スウェーデン・ベルギー(25.0)、5位:チェコ(25.4)

そして怖いのが・・・
<岡崎大五が選んだ危険な都市>~強盗等・・
1位:ヨハネスブルク(南ア)、2位:ラゴズ(ナイジェリア)、3位:ナイロビ(ケニア)4位:コロン(パナマ)、5位:メキシコシティ(メキシコ)

そして最後に意味深なベストテン・・・・・
本の表紙帯にもナゾナゾとなっているこの順位は何だろう?(回/年)
1位:ギリシャ(138)、2位:クロアチア(134)、3位:セルビア・モンテネグロ(128)、4位:ブルガリア(127)、5位:チェコ・フランス(120)、7位:アメリカ(118)、8位:オランダ・ポーランド(115)、10位:ニュージーランド(114)、・・・41位(最下位):日本(45)

解説にこうある・・・(P23~24)
「・・面積と人口だけをくらべてみても、日本が決して小さな国ではないことがわかった。でも国連の推計による将来の人口を見てみると、出生率の低い日本は低落し、出生率の高いアラブ、アフリカ地域が台頭するだろうとされている。
そうなると、政治的、経済的にも、世界を牛耳るパワーバランスが、大きく変化することだって考えられる。だからこそ日本政府は、少子化対策に躍起になっているのだろう。なんたって、日本人女性が一生に産む子供の数は、1.33人と、世界で174位なのである(2005年国連調べ)。2.08人生まないと、いまいる人口は維持できないらしいが、先進国はおしなべて、この数字を下回っている。世界の平均は2.65人だ。加えて日本人は**レス気味である。
デュレックスという避*具の有名ブランドをもつ、大手メーカーの調査によれば日本人の頻度は、つまりは週一回弱という計算になる。それだけ聞いたなら、まあまあじゃないかと思えるが、3日に1回はしている上位国とは雲泥の差だ。このランキングを見ていると、女性にもっと子供を生むように仕向ける前に、個々人がすべきことはなんだったのかと、初心に立ち返る必要がありそうである。・・・」

この手のハウツー本は読むと直ぐに棄ててしまうが、この本は少し持っていようかな・・・。前にも書いたが、この本は何よりも筆者自身の体験から湧き出る“哲学”があるので、なかなかと読み応えがあった。もちろん単なるデータブックと違って“唯我独尊”ではあるが、それでも面白かった。

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2008年10月15日 (水)

ピンピンコロリ~「緩和医療」大津秀一医師の話

一つのグラフを見て「緩和医療」の何たるかを知った。
カミさんが尊厳死協会の会員になってから久しいが、その会員報「リビング・ウイル(No.131:2008/10月号)」(P12)の、松原アーバンクリニック(東京)ホスピス医 大津秀一氏の「知っておきたい緩和医療」という記事には考えさせられた。曰く・・・・

「・・・医師になるまで人間の死ぬ場面を見たことがなかった。TVドラマで見るような「ずっと愛していたよ・・」「私も・・」と最期まで言葉を交わし、次の瞬間ガクッと亡くなるのが死だと思っていた。医師になってこうした死が存在しないことを知った。
・ ・・2004年、忘れられない一冊の医学書に出会った。現在阪大の緩和医療学講座の教授である恒藤暁先生の「最新緩和医療学」だ。この本の内容がすごかった。こういう苦痛の症状にはこういう苦痛緩和の治療を、と事細かに書かれていた。末期がんの患者さんの苦痛を取り除く優れた医療があることを知った
・・・・
さて、「希望どおりの最期」を実現するには、終末期を迎えるに当たり四つのことを知っておいた方がいい。患者さんを診てきて私なりの経験則からのまとめで、おそらくこの四つを押さえておけば「みじめでない死を迎える」可能性は高くなる。

<四つの知っておくべき事>
 苦痛の少ない最期を迎えるために必要な事・・・
 1)病気の正しい理解
 2)がん告知、終末期に対するシミュレーション
  及び家族との良好なコミュニケーション
 3)緩和医療受ける事
 4)望まない延命治療を拒否する事

・・・意識はあくまでも変えず、命も縮めず、薬を使って苦痛のみを取り除くのが緩和医療だ。・・・
・・・
緩和医療の「今」と「昔」がある。「がんを治しましょう」と抗がん剤治療をしていて効かなくなると、突然「緩和ケア病棟やホスピスに行ってください」と言われ、患者も戸惑うなかで緩和医療に急に切り替わる。これを「昔」の緩和医療(今もまだ多いが)とすれば、痛みや苦しみは最初から取り除き、緩和医療の比重を徐々に増やしていくのが「今」の緩和医療。日本のがん医療はこのようにならないといけない。
・・・・
・・緩和医療の使命は、病気の早い段階では主に痛みの緩和であり、その後の段階では痛みだけではなくだるさや食欲不振などの多様な苦痛症状を和らげることにある。その目的で使う薬剤として、医療用麻薬(モルヒネ等)、ステロイド、鎮痛補助薬などが挙げられる。
・・・・
081015kanwa では緩和医療を行わないとどうなるのか。緩和医療をしないで放置すると、腫瘍に伴う苦痛症状は個人差があるが余命60日目前あたりからどんどん出てくる可能性がある。苦痛症状が複合して現れると、早い段階から寝たきりに近い状態になってしまうこともある。しかし緩和医療を受けていると、患者さんの苦痛症状は一般的に軽くなる。・・・ただし注意したいのは、緩和医療をしようがしまいが、最期は急にやってくる場合が多いということである。昨日まで歩けた人が・・、ということはよくある。それが人間の体なのだ。それでも緩和医療をしっかり行えば、したいことができる時間を確保できることが多い。
自分が末期がんになったらどうしたらよいか。まず緩和医療が受けられる医療機関を調べてほしい。日本ホスピス緩和ケア協会(現在、登録施設182=3552床)のHP(ここ)を見れば、最寄りの緩和ケア病棟やホスピスが見つかるはずだ。また最期の療養場所として緩和ケア病棟と自宅のどちらを選択するかを考えておくのも大事である。・・・」

先にも書いたが、この記事にあったグラフがショッキングだった。図では見にくいが、「緩和医療の効果」で苦痛の“実線”が“点線”まで持ち上げられる。まさにピンピンコロリである。しかも、科学的に確立された「医療」として・・。

結局のところ死期は変わらない。死ぬときは死ぬ。しかしそこに至る患者の状態で、ピンピンコロリか、のた打ち回るかは大きい。そして、その違いは医師の治療方針に掛かっている。そして氏は、患者が“家族を動員して”それに対して「意思を持つべきだ」と指摘する。

ここで思ったのは、自身が患者になってからでは、意見を言えるチャンスが限られるかも知れない。従って、自分自身の意思を事前に周囲の家族に伝えておき、「その時」になったら、家族からその意思を医療の現場に向かって発信してもらうしかない。そのためには、日頃の家族とのコミュニケーションが必須。(自分の意思とは無関係に、家族が延命治療を望む場合も大いに有り得るので)

振り返って我が家ではどうか・・・・? 自分が重篤な病気に罹ったときには(カミさんが動くので)まず心配ないが、カミさんが先に罹った時には(自分が動くので)心配だとカミさんが言う。
仕方が無いので、国会答弁ではないが、「その時」医師に言うべき事柄を、今から文書で用意して置こうか・・・?? そして「その時」は、真っ先に大津秀一氏の「死学」という本を買って来よう、と思った。

(関連記事)
「知っておきたい緩和医療」を読んで(エムズのひとり言)

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2008年10月13日 (月)

立川の昭和記念公園で散歩・・・

今日は体育の日。・・だから、という訳でもないが、天気も良いので、思い付きで立川の国営昭和記念公園(ここ)にコスモスを見に行った。愛犬のメイ子を連れて・・・
思い付いたのが9時過ぎで、10時過ぎには駐車場に入れた。9:30から駐車場は開いていたらしい、マアマアの場所。しかし駐車料金が820円は高い。それと、本当に犬を連れて公園に入れるのかと心配したが、OK。

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公園に入って地図を見ると入ると、目標の「コスモスの丘」まで2.5Kほどで、一番遠いエリア。我々はもちろん犬連れなので歩きだが、貸し自転車場は長蛇の列。この公園は歩き用の道とは別の自転車ロードが整備されているので楽だが、犬を連れてのぶらぶら散歩は、やはり歩きが良い。しかし天気が良いので、歩いていると暑い。日陰に入るとちょうど良い涼しさだが・・・
・・・・・と太鼓の音。「こもれびの里」で伝統芸能の発表会? 小学校の和太鼓クラブが演奏していた。つい聞いてしまった。
そして「コスモスの丘」・・・。思ったより広い・・・。一面のコスモス畑。なるほど・・・。公式HPに41品種411万本とあったが、どうやって数えたのか・・・。しかし、これは見応えがある。

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帰り道、ぶらぶら歩いていると、池ではボート、道端には大きなススキ。「みんなの原っぱ」は広々としていて、子供が遊ぶ・・・

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しかし、さすが国営? トイレはいたる所にあり、駐車場もデカイ。それに“ペット同伴可”とは心が広い・・・。そのせいか、犬連れの多いこと。あらゆる犬種が居た。ウチのメイ子も、犬を見つけるとケンカを売るのが趣味なのだが、今日はあまりに相手が多く、そのうちに飽きてしまって吼えなくなってしまった。
しかしさすがにレストラン等は混んでいて、昼食にありつけず・・・。公園の出口のところでやっと昼食。手ぶらで、何の食べ物も持って行かなかったのは、ぬかった・・・。

しかし、ほとんどが子供連れ。それに、爺ちゃん婆ちゃんが孫を連れたり・・。しかし、初老の男性が一人で、高級カメラで花を撮っていたり、定年後とおぼしき初老の夫婦連れを見ると、なぜか心が和んで安心する・・・。
まあ秋の公園風景ではあった。
(残念なのは、せっかく持って行った万歩計、帰って見ると、フタが開いて、なぜかリセットボタンが押されていた。まあ正味2時間、6K位の散歩だったのだろう)

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2008年10月12日 (日)

映画「君の名は」を見る

「忘却とは忘れ去ることなり
      忘れ得ずして忘却を誓う 心の悲しさよ」

というナレーションをご存知の方は、このblogを眼にしている世代には、決して多くは無いだろう。
WOWOWの試聴で9月末に放送された日活映画版の「君の名は」を録画しておいたのを、連休を利用して見た。
この映画は1953年~54年(昭和28~29年)の作品である。オリジナルのNHKの連続ドラマは、1952年(昭和27)年4月10日から翌1953年(昭和28)年4月10日までの1年間放送され、放送時間の木曜日の夜8時半から9時まで、銭湯の女湯がガラガラになったという伝説まで生んだ。
よって、PCでこの記事を目にしている世代の母親、またはお祖母さんの世代の話であろう。
実は、自分にとって「君の名は」は、織井茂子や伊藤久男の歌う主題歌など、昔から良く知っていたドラマだが、実は筋書きや中身を良く知らなかった。それをこの録画を機に、“頑張って見た!”ので、色々な“発見”があった。

まずスジだが、今までの勘違いも甚だしかった。ウワサで、“すれ違い”の連続で“会えない状態”が長く続く、とばかり思っていたが、ドラマの最初の方で二人は会ってしまい、その後のイジメの展開が多かったのだ。つまり「君の名は?」は、最初のエピソードだったのだ。そして、よくある一人息子の嫁への姑のイジメ、そして三角関係。悪役と主役が見事に対比していて物語が分かり易く、最後は全員が善人に戻ってハッピーエンドで終わるというもので、後味が良い。
見ていてこの“三角関係”は、漱石の「それから」の三角関係に似ているな、と思った。女性が自分の感情(好きな人)を抑えて、別の男と結婚してしまい、後から本命の男と一緒になろうと葛藤する姿・・・。
映画では離婚裁判にまで発展するが、映画を見ながら、“実態として結婚の状態が無い場合は離婚すべきだろう”と思った。(最近の判例では、確かそのはず?)まあコケにされた男の意地も分かるけど・・・

それから主題歌について。
映画の第一部の主題歌は「君の名は」「君いとしき人よ」、第二部が「花のいのちは」「黒百合の花」、そして第三部が「君は遥かな」「忘れ得ぬ人」「数寄屋橋エレジー」「綾の歌」の4曲。
その“主題歌の使い方”を初めて知った。映画で、その場面そのものの歌詞の歌がバックで流れる。つまり「夜霧の橋に 君待てど 街はただふけて ネオンは悲し・・・」という歌が流れる映画のシーンは、まさに橋と街のネオンの場面・・・
今まで何気なく聞いていたが、主題歌の歌詞は、場面に合わせて作られていた。いや逆かな? 歌詞に合わせて映画シーンが作られた?なお、最初のSP盤のレーベルは「君、いとしき人よ」となっている。

<伊藤久男「君いとしき人よ」>

「君いとしき人よ」
  作詞:菊田一夫
  作曲:古関祐而
  歌 :伊藤久男

1)君 名も知らぬ うるわしき人よ
 君は しあわせか
 夜霧の橋に 君待てど
 街はただふけて ネオンは悲し
 ああ 君ありてこそ たのしきに

2)君 我を捨て 去りにし人よ
 君は しあわせか
 落葉の路に 見る君の
 濡れたまつ毛に 涙はにじむ
 ああ 君ありてこそ たのしきに

3)君 はるかなる いとしき人よ
 君は しあわせか
 春 花咲けば 心ときめき
 街に風吹けば あの日を思う
 ああ 君ありてこそ たのしきに

しかし、自分には「表面の知識」だけで中身を知らないことが、如何に多いことか・・・
この「君の名を」も同じ。題は知っていたが中身を知らない・・・(別に知らなくても恥ではないだろうが、今まで自分は、沢山の「君の名は」に関係した歌を聞いていたので、まあ“エチケット”として中身を知っていても・・・?)

話は変わるが、5年ほど前に「あらすじで読む日本の名著」という本が流行った。この本は、現役の高校の先生が、「若者の読書離れを防ぐために、少しでも多くの名作を読ませたい」との思いで、「せめて、名作のあらすじだけでも理解させ、それを手がかりに原作に若者を一歩でも近付けたい」との主旨で出版したという。つまり、世の中、「題」と「中身」が如何にかけ離れているか、という事だろう。つまり、学校では「著者」と「作品名」を暗記・・・。

まあこの「君の名は」が日本の名著かどうかは分からないが、自分もリタイアして時間が取れるようになったら、死ぬまで「題」と「中身」を少しでも一致させたいものだ。
(前に「徒然草」や「枕草子」の現代語訳を読んだが、先日「日本の昔話」という文庫を買ってきた。これもその一環ではあるが・・・)

(関係記事)
吉田兼好のblog=「徒然草」74段から・・・

<付録>
今朝、ちょっとした不注意から左手人差し指の付け根をハサミでスパッと切ってしまった。当人がビックリするくらいの血が周囲に飛び散って・・・・(血の圧力とはこんなにすごいのか・・・)
Img_11011_4Img_11031_3その時に、冷静にカミさんが持ってきたのが前に記事を書いたバンドエイドの「キズパワーパッド」(ここ)。抑えている傷口を緩めると血が噴出するので、カミさんが「キズパワーパッド」を用意して、“せえのっ”と貼り付けた。そしてしばらく包帯で締め付けていたら、バンドエイドがピッタリくっついてOK。いやいや助かった! このまま4~5日放っておけば治る。
しかし傷口が大きかったので、もしこの「キズパワーパッド」が無かったら、医者に行って縫ってもらうしかなく、休日だったので大変だった。まさに神様・仏様の「キズパワーパッド」であった。

(関係記事)
切りキズに効果絶大な「バンドエイド」

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2008年10月11日 (土)

倍賞千恵子の「さあ太陽を呼んでこい」

「体育の日」も近いので(?)、今日は元気がもらえる勇ましい歌の話・・・
倍賞千恵子&ボニー・ジャックスの「さあ太陽を呼んでこい」であるが、この曲に関する情 Saataiyouwoyondekoi 報が、なぜかNet上に乏しい。色々見てみたら、この歌のレコードは、昭和39年(1964年)3月10日発売という。
そして「NHKみんなのうた」でも、その少し前の1963年12月から1964年1月に放送されたらしい。しかしそれを歌ったのが、倍賞千恵子なのかどうかは分からなかった。「NHKみんなのうた」のCDには、NHK東京放送児童合唱団と倍賞千恵子の両方があるから・・・。(そんな理由から、この曲は一応「童謡」に分類した)
そして、それ以上の情報は無い・・・。 しかし、作詞が件(くだん)の石原慎太郎氏とはビックリ・・・。

そして、この曲が収録されているCDを探したが、見つからなかった。倍賞千恵子の歌の中でも、この歌はそれほどマイナーな曲なのだろうか?

しかし石原慎太郎作詞のこの歌詞を改めて読んでみると、サラッとしていて軽い。石原慎太郎氏は昭和7年生まれというから、この歌は30歳頃の作品という事になる。まあ政治家になる前なのでサラッとしているのかな・・・

<倍賞千恵子「さあ太陽を呼んでこい」>

「さあ太陽を呼んでこい」
  作詞:石原慎太郎
  作曲:山本直純

1)夜明けだ 夜が明けてゆく
 どこかで誰かが 口笛を
 気持ち良さそに 吹いている
 最後の星が 流れてる
 暁(あかつき)の空 明けの空
 もうじき若い 日が昇る

2)みんながみんな 歌うんだ
 あの口笛に 合わそうよ
 流れる雲が 輝くぜ
 若いみんなの 歌声で
 暁の風 朝の風
 すばらしい朝を 作ろうよ

3)この世に夜は いらないぜ
 みんながこの手で 暁の
 扉を空に 開くんだ
 さあ太陽を 呼んでこい
 暁の雲 朝の雲
 望みの鐘を 鳴らそうよ

しかしこのメロディー・・・。我々のような初老(?)の者の耳には、まだ残っているのではないか  ?
当たり前のように耳に残っている歌なのだが、意外とマイナーな曲(?)の代表が、この「さあ太陽を呼んでこい」なのかも知れないな・・・。
(ノーベル物理学賞を受賞した南部さんのように、半世紀前の業績に、今、改めて脚光があたることもある。また、「蟹工船」や「カラマーゾフの兄弟」が最近売れているように、過去の作品が何かのきっかけで表に出ることも有り得るが、さーて・・・)

*付録~まったく関係ないけど、ウチの生垣のキンモクセイの花が咲いている・・・。植えてから20年。実は今日初めて花の名を知った。ゴメンよ!キンモクセイさん・・・・
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2008年10月10日 (金)

全聾の作曲家 佐村河内守氏~日本のベートーヴェン?

「致知」という雑誌の2008年11月号に「わが人生の挑戦~闇の中に見出した小さな光~インタビュー全聾の作曲家に聞く」(P38)という記事が載っており(ここ)、興味深く読んだ。
と言うのは、作曲家 佐村河内 守(さむらごうち まもる)氏は、まったく耳が聞こえない全聾だという。しかし絶対音感があるので作曲は出来るという・・・。記事の人物紹介にこうある・・
Image01811 「昭和38年広島県生まれ。4歳から母親にピアノを師事。作曲家を志し、高校卒業後に単身上京。その一方で高校時代から激しい偏頭痛に悩まされ、20代で聴覚異常を発症。35歳の時に全聾となるが、その後も肉体的、精神的な苦痛を抱えながら、絶対音感を頼りに作曲活動を続けている。平成9年ゲームソフト「鬼武者」の音楽が世界的評価を受ける。15年「交響曲第1番」完成。17年「交響曲第2番」完成。著書に「交響曲第1番」(講談社)がある。」

そしてこう語る・・・。
「9月1日に広島で開催された議長サミットで「交響曲第1番」が初演されたが、私は聴くことが出来ないという凄まじい葛藤・・・。しかし、私は子供の頃から音楽しかやってこなかったので、音楽を取ってしまったら何も残らない。耳が聞こえなくても譜面は書けるが、他には何の仕事も出来ない。音がなくなった、だから音楽しかなくなった。・・・
音が聞こえなくても「絶対音感」があれば作曲は出来るのです。普通は、例えばピアノを弾いて音を確かめながら、譜面に書き込んで曲を作っていく。しかし、絶対音感が備わっていれば、ピアノで確かめなくても分かる。これは、子どもの頃に訓練することによって養われるもので、大人になってからでは養えない。だから、音の組み合わせ、楽器の組み合わせ、和声和音もすべて頭の中で自由自在にできる。ちょっとこのホルンの音を半音下げて不協和音としたらどうなるだろうと思ったら、そこの音だけ変えて百人のオーケストラを頭の中で鳴らしてみる。実際に音を聞かなくても細部にわたって分かるのです。」
「私は自宅の作曲室で作曲するのですが、部屋の中には机が一つ置いてあるだけで、楽器は一切ありません。・・・頭の中に降りてくる曲を書き留める作業です。ただ、私には曲が降りてくるのを妨げるものがある。それは耳鳴りです。TV放送が終わった後のザーという音を、ものすごく大きくして四六時中ヘッドフォンで聞かされている感じ。・・・」

以下、上記とダブルが記事をかいつまんでみると・・・
「氏は子供の頃からピアニストの母親の特訓を受け、10才で「ソナタ」「コンチェルト」を終えるほどだった、(教授が敷いたエスカレータに乗ることを嫌って)音楽大学には行かなかった。しかし高校を卒業して上京したものの、世の中はそれほど甘くはなく、音大も出ていない作曲家には、誰も相手にしてくれなかった。その後、「鬼武者」というゲームソフトの音楽を担当したことで世界的に認められるようになったが、難聴の悲劇は高校時代から始まっており、上京して5年位たった頃、弟の交通死をきっかけに、(後で分かったが)突発性難聴が発症し、片耳が聞こえなくなった。しかし偏頭痛のためだろうと軽く考えて、病院に行かなかったため、難聴が固定。そしてもう一方の耳もダメになって、「鬼武者」が認められるようになった35才の時に完全な聾(耳が聞こえない)になってしまった。そして、頭の中はいつもジャーという音で一杯であり(「頭鳴症」=ずめいしょう)、とても眠れない。発作が起きると、浮遊感覚、全身の硬直、嘔吐が起き、光に対して敏感なので家から出られない。オムツをして糞と尿にまみれた生活をする深い闇を経験した。・・
そんな折りに、ご縁を頂いて障害児の施設を訪れる機会があり、そこで知りあった子どもたちが、発作で訪問できない時に「守さんが元気になりますように」と朝も昼も晩も祈ってくれているという話を施設の方から聞かされ、「闇の底に光を感じた」という。・・・・
「私が障害児の施設を訪問するのは、結局自分が救われたいからだと思います。私が彼らを救うのではない、彼らが懸命に生きる姿を見て、こちらの方が救われるんです。力をもらえるんです。私はどんな本よりも、そういう子から一番人生の意味とか力をもらいました。・・・」

前に当blogの別の記事で「ベートーヴェンは耳が聞こえなくても第九を作曲したが、それは何かの間違い。聞こえないのに、和音が認識できる訳がない・・・」(ここ)と書いた。しかし、この記事を読んで、それが間違いだったことが分かった。絶対音感とはそのような不思議なものらしい。
今更ながら日本にも、いや世界を見渡しても、耳の聞こえない作曲家が居ることにビックリすると同時に、聾の人の「灯台」として、頑張って欲しいものだと思った。
そしていつか佐村河内 守氏の交響曲を聞いてみたいものだ。

(2008/10/19追)
YouTubeで検索したら「佐村河内守:作曲 吹奏楽のための小品(神奈川大学吹奏楽部)」が聞けた。100人にも上る大吹奏楽団による非常に規模の大きな演奏。
前に当blogで取り上げた「小川寛興作曲 交響曲「日本の城」(ここ)」と似た、まさに現代音楽だった。
YouTubeでは、その後、TV放送された番組がアップされ、交響曲第一番の一部も聞けるようになった。

(関連記事)
耳が壊れた(突発性難聴)話


2008年10月 9日 (木)

レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」と“還暦”

「生演奏を聞いて“惚れた”曲」いうのは自分でも少ないが、その一曲が実はこのレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」の第3組曲なのである。今日はその思い出話である・・・。

学生の頃、ある企業城下町に住んでいた事があった。その町には、その企業が作ったホール(会館)があり、定期的にプロの演奏家を招いて演奏会が行われていた。自分も安いチケットを買って、初めて聞くナマの演奏に胸を躍らせたものだった。
演奏の楽団はまったく覚えていないが、そのホールで、小さなオーケストラによるこのレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」を聞いた時に、一目(一聞き)惚れ・・・。この曲名は何だ・・?と、曲名を頭に叩き込み、直ぐにレコードを買いに行ったのは言うまでもない。今、レコードを探してみたら、アンタル・ドラティ指揮のフィルハモニア・フンガリアのLPが見つかった。昭和44年6月29日とメモしてある。大学4年のときだ。
そのうち、第4楽章の「シチリアーナ」を少し聞いてみよう。これはローザンヌ室内管弦楽団の演奏である。

<レスピーギ:「リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲~シチリアーナ」>:ローザンヌ室内管弦楽団(CDはこれ

今改めて調べてみると、この曲は1931年の作曲であり、レスピーギ(1879年~1936年)は、かのリムスキー=コルサコフに学んだ作曲家であるという。年代的にはラヴェルと同年代。
実はこれを書くまで、自分は勘違いしていた。バロックの作曲家かと・・・? でも「ローマの松」などの楽風からいうと、そんなわけないよな・・

ちなみに先のLPの「解説」によると、こうある。
「・・「リュート」とは大型のマンドリンのような楽器で、13~14世紀にヨーロッパ各地に広まり、18世紀頃までのヨーロッパ音楽を形成する土台となった重要な楽器。
レスピーギはこのリュートの為に書かれた15~16世紀頃の作品を、サンタ・チェチリア音楽院の図書館で調べるのを楽しみにすると同時に、自分の気に入った作品を、彼得意の弦楽楽法のテクニックを使って、現代的なオーケストラに編曲した。その種のものの一つがここの録音されたリュートの為の(正確には“リュートの為に書かれた作品による”)三つの組曲というわけである。・・・」

なるほど。やはり原曲は15~16世紀頃の曲。だから自分の勘違いも、あながちピント外れではないな・・。
音楽を聞くと昔の情景を思い出すが、この曲で思い出すのは、学生時代のあの街・・・。まさに「振り返りのblogではある。(←自分以外は全く興味が無い話だよね・・)

============
この音楽と、全く関係の無い話だが、「還暦」の話を付録に・・・。
当blogのサブタイトルを「とうとう還暦になっちゃったオジサンのエッセイ」から「とうとう還暦を“過ぎちゃった”オジサンのエッセイ」に改定しようかな、と思って、もう一度正確な「還暦」の定義を調べてみた。
すると、広辞苑では「還暦=(60年で再び生れた年の干支に還るからいう)数え年61歳の称。華甲。本卦還:ほんけがえり。」とある。同じく「数え年=生れた年を1歳とし、以後正月になると一歳を加えて数える年齢」なので、自分の還暦は、誕生日に関係なく(ここまでワープロを打ったらキーのミスタッチで“誕生日”が“退場日”と出て、ドキッとした。←益々関係ないが・・)、満60歳になった昨年の“正月から年末”までが自分の「還暦」という事になる・・・。今の今まで、勘違い・・・ ああ・・・
やはり自分は“トシ”だ・・・・・

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2008年10月 8日 (水)

カナダの迷惑電話防止法

今日はものすごく“軽い”話・・・・。 NHKラジオ深夜便に「ワールドネットワーク」というコーナーがあり、先日(08/10/2)のカナダ モントリオールからのレポートが面白かった。

話題は、カナダで2008年9月30日から「Do-Not-Call (勧誘電話拒否) リスト」(DNCL)を政府が正式に導入した、というもの。
カナダでも、迷惑電話では困っているらしく、勧誘の電話を受けたくない人は、ウェブサイトまたは電話で、このリストに電話番号を登録すると、1ヶ月以内にその様な電話がかかってこなくなる仕組みとか。
この制度は予想以上の反応で、初日から登録用のウエブサイトがパンク状態で、翌日の(この放送時点でも)繋がらない状態が続いており、初日の午後1時30分の時点で、22万3千人が登録したという。
ただし例外として、「チャリティー関係」「政府関係」「世論調査」だが、それに「新聞の勧誘」が含まれており、何でだ?と皆で言っているという。これらをもブロックする時は、別に登録する必要があるという。
また、過去18ヶ月間に関わりのあったビジネスは、勧誘の電話をしても良いことになっているという。たとえば、夏の芝生の手入れや、家の改造などは次の年も勧誘はOK。
カナダで勧誘が多いのは、新聞の勧誘、雑誌の講読の勧誘、芝生のケア、家のメンテ関係、それに「タイムシェア」という(多人数で交替で利用する)避寒地フロリダの共有分譲マンションの会員権の勧誘も多かった。
そして、これに違反すると、企業では最高で1万5千ドル(150万円)、個人事業者で1500ドルの罰金であり、結構高い。
先週行われた調査では、回答者の72パーセントが登録するつもりだと答えているそうだ。企業側の対応策としては、家の郵便ポストに投げ入れる紙のダイレクトメールがさらに増えるだろうと予測されている。
(Netで調べてみると、隣国アメリカでは、既に同様のリストが2003年10月に導入されており、セールス電話拒否どころか、「Do-Not-E-mail(迷惑メール拒否)」リストも議論されているとか・・。ただし実質的な効果はなく、仕組みが複雑でプライバシー問題の懸念もあるため、米連邦取引委員会 (FTC) はあまり乗る気では無さそう。それどころか、まだ実際には存在しない “Do-Not-E-mail リストの偽モノ”にアドレスを登録させて、その登録アドレスにスパムを送りつける悪徳業者まで現れたそうなので、この制度の実現は難しいだろう、との事)

この話題を聞いて、実にうらやましかった。ぜひ日本でも検討して欲しいものだ。
・・・と言うのは、昔、自宅や会社への勧誘電話で辟易した経験があったから・・・。 毎日のように、1日数本の迷惑電話が入り、まったく困った。殆どが、投資用ワンルームマンションの購入の勧誘で、あまりにしつこいので、逆に聞いてみると、同じリストを何人も持って電話をしているので、自分ひとりがリストから外しても、また掛かってくるだろう、と言う。そして、「法的には何も悪いことはしていないので、拒絶することは出来ませんよ」とかえってうそぶかれるほど。
仕方がなく、家の電話番号は変えて、徹底的に電話番号の秘匿(一切の名簿に登録しない)をした結果、家についてはほぼ無くなった。
その後、個人情報保護法などが出来たので、最近の状況は少しは良くなったのだろう。

しかしこのカナダの話で面白いのは、今までも多かったという「新聞の勧誘」が許されていること。Netで調べてみると、「カナダのこの制度は2005年から議論されていたものだが、業界の反対に屈してなかなか準備が進まなかった。」とある。
この“結果”を見ると、カナダでは新聞業界の圧力が強く、それに政府が屈して新聞の勧誘だけは許された、という状況が見て取れる。つまりカナダの新聞業界は“わがまま放題”だという事か・・・

話は変わるが、今度の衆議院選挙・・・。
どの政党でも良いので「迷惑電話防止法制定の推進・・・」ナンテいうのを公約にしていたら、自分も投票するのに・・・・(←あまりに無党派でスミマセン)

●メモ:カウント~20万

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2008年10月 7日 (火)

中村元の「観音経」(6/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01251 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第6回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その6CDはこれ

むじんに にゃくうにん じゅじろくじゅうにおくごうがしゃぼさつみょうじ ぶじんぎょうくようおんじき
無尽意 若有人 受持六十二億恒河沙菩薩名字 復尽形供養飲食
えぶく がぐ いやく おにょいうんが ぜぜんだんし ぜんにょにん くどくたふ
衣服 臥具 医薬 於汝意云何 是善男子 善女人 功徳多不
むじんにごんじんたせそん ぶつごん にゃくぶうにん じゅじかんぜおんぼさみょうごう
無尽意言甚多世尊 仏言 若復有人 受持観世音菩薩名号
ないしいちじらいはいくよう ぜににんふく しょうとうむい おひゃくせんまんおくごう ふかぐうじん
乃至一時礼拝供養 是二人福 正等無異 於百千万億劫 不可窮尽
むじんに じゅじかんぜおんぼさみょうごう とくにょぜむりょうむへんふくとくしり
無尽意 受持観世音菩薩名号 得如是無量無辺福徳之利


そして、こんどはブッダの方から無尽意菩薩に反問します。

(仏言わく)「無尽意よ、もし人有りて、六十二億恒河沙(ごうがしゃ)の菩薩の名字を受持し、また、形を尽くすまで飲食(おんじき)・衣服(えぶく)・臥具(がぐ)・医薬を供養せば、汝が意において云何(いか)ん。この善男子・善女人の功徳多しや、否や」と。
無尽意の言わく「甚だ多し、世尊よ」と。
仏は言(のた)もう、「もしまた人有りて、観世音菩薩の名号を受持し、乃至(ないし)、一時(ひととき)も礼拝し供養せば、この二人の福は正に等しくして異なること無く、百千万億劫においても、窮(きわ)め尽くすべからざらん。無尽意よ、観世音菩薩の名号を受持せば、かくの如き無量無辺の福徳の利を得ん」と。

「六十二億恒河沙(ごうがしゃ)の」とは、ガンジス河の砂のさらに六十二億倍ということですから、大変に多い数ですね。それほど多くの菩薩の御名を受けたもっていて、また「形を尽くすまで」、つまり命のある限り、「飲食(おんじき)・衣服(えぶく)・臥具(がぐ)・医薬」を供養したならば、おまえはどう思うか、というのです。「この善男子・善女人の功徳は多いか、どうか」。そうすると、無尽意は「たいそう多うございます」。
その答えを聞いて、ブッダは言います。「観音さまの名号を受けたもち、ちょっとでも礼拝し、供養したならば、その人の功徳と、前に大勢の仏さまを拝んだ人の功徳とは異なることがない。観音さまの名号を受けたもつというのは、それほど無量無辺の福徳が得られることなのだ」、というのです。

この教えは、なかなか心が広い(失礼)。つまり観音さまを供養することは、「回数」では無いという。要は、観音さまを礼拝し、唱えるかどうかだ、と言っている。

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2008年10月 6日 (月)

団塊!今こそ「社会見学」

先日(08/10/3)の日経新聞に「団塊 今こそ『社会見学』~国会議事堂・防衛庁・工場・・・ 時間に余裕、好奇心満たす 1万円でお手軽ツアー」という記事があり、“これだ!”と手を打った。 何が? 「毎日が日曜日」の過ごし方・・・
曰く・・・

081003nikkeisyakaikengaku団塊 今こそ『社会見学』~国会議事堂・防衛庁・工場・・・ 時間に余裕、好奇心満たす 1万円でお手軽ツアー
与野党の攻防が続く国会議事堂や大手企業の工場、旧財閥の邸宅などの“名所”を巡るツアーに参加する人が目立っている。日帰りなら料金は1万円前後。拘束時間が短く、煩わしい見学手続きも省けるとあって、売り切れる商品が相次ぐ。ツアーでは珍しく、利用者の過半が男性。時間に余裕のある団塊世代を中心に、手軽に知的好奇心を満たそうというニーズが膨らんでいる。・・・」

記事によると、阪急交通社の国会・最高裁・造幣局めぐり(1万円)、「はとバス」は最高裁と安田財閥邸(7900円)、クラブツーリズムの防衛庁ツアーや、JTBの「おとなの東京探訪」、日本旅行にもあるという。つまり殆どの旅行会社が企画している。

家に帰ってカミさんに話したら、「行ってきたら?」と言う。今度の連休は4連休なので行けという。自分はまだ延長戦中なので、「毎日が日曜日」になった時に、時間つぶしにどうかと思った訳で、今すぐに行く気は無いのに・・・・。
でもこのひと言で、将来が見えたな・・・!(濡れ落ち葉の将来の自分が・・・・)

でも、これはなかなか面白いのでは・・・? 
・・・・こうして、定年恐怖症に少しずつ備える“定年予備軍”の姿ではある。
(今日は珍しく短かった!! ←自画自賛!!)

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2008年10月 5日 (日)

「荒城の月」の研究?

いつもの「NHKラジオ深夜便 こころの時代」で、「イチョウの古木に教えられて 声楽家・芸術プロデューサー 大野一道」(08/10/2放送)を聞いた。話の中で「荒城の月」についての解説があり、なるほど・・・と聞いた。

「「荒城の月」は瀧廉太郎が21歳の時に作った歌。作ったのは単旋律(無伴奏の歌曲)のみ。つまりその頃は、作曲技法を持ち合わせていなかった。西洋的に見ると、または作曲技法的に見ると、内容的には稚拙・・・。つまり、ヒゲの無い音符が単調に並んでいるので、出した音で何かを表現しようとしても出来ない。逆に日本の建物で言うと、桂離宮のように無駄なものをそぎ落としている。だから、瀧廉太郎が西洋的な手法を知らなかったがために、日本的に出来上がった曲であると言える。従って「荒城の月」が単純であるという事は、具体的に音に感情をのせることは難しいが、音の奥に感情を込めるという意味では適した歌である。・・・」

先日、クロスロード・ツインズ・ハーモニーが歌った「荒城の月」を聞いた、単調な歌を色々と変化させて苦労して(?)歌っていた。印象に残ったので少し聞いてみよう。

<クロスロード・ツインズ・ハーモニーの「荒城の月」>

「荒城の月」
  作詞:土井晩翠
  作曲:瀧廉太郎

1)春高楼の 花の宴 巡る盃 かげさして
 千代の松が枝 わけ出でし 昔の光 いまいづこ

2)秋陣営の 霜の色 鳴きゆく雁の 数見せて
 植うる剣に 照りそいし 昔の光 いまいづこ

3)いま荒城の 夜半の月 変わらぬ光 誰がためぞ
 垣に残るは ただ葛 松に歌うは ただ嵐

4)天上影は 替わらねど 栄枯は移る 世の姿
 写さんとてか 今もなお 嗚呼荒城の 夜半の月

ところで、米良美一の「母の唄~日本歌曲集~」というアルバムの解説に、このような記述がある。

「発表時の表題は「荒城月」で、瀧はメロディーしか作っておらず、現在演奏されている伴奏譜は山田耕筰の手になるものだ。その時、原曲の1小節を2小節に分け、8分音符を4分音符に置きかえ、4/4拍子の曲に編曲している。そして6ハナノ“エ”ン・・・の<エ>の音が“嬰へ”だったのを#を削る改正もした。(=原曲より半音下げている)米良美一は、原曲通り“嬰へ”で唄っている。」

この歌唱は珍しいので、少し聞いてみよう。(なお、米良美一はカウンターテナーのれっきとした「男性」なのでお間違えの無きよう・・・)

<米良美一「荒城の月」>

一方、この詩は情景だけが詠われており、そこには人の意思は何も書かれていない。
子供の頃、「めぐるサ」「かずき影さして」と歌い、「かずき」って何だろうと思ったものだ。(当然その後、「巡る杯」と納得したのは言うまでもないが・・・)

しかし“研究”してみると、
1番は「めぐる」「“さ”かずきかげさして」
2番は「鳴きゆく」「雁(かり)の数見せて」
3番は「変わらぬ」「光誰(た)がためぞ」
4番は「栄枯(えいこ)は」「移る世の姿」

よって、やはり1番は「めぐる“さ”」「かずき影さして」が正しい・・・と、ツイ思ってしまう・・。よね? やっぱ、思わない??(詩を解さない自分だけか・・・トホホ・・)

話は変わるが、前に「上海交響楽団の「荒城の月」」という記事を書いた(ここ)。何とかC Image01781 Dを手に入れたいと書いたが、先日、ふと夜中に目が覚めたとき、“虫の知らせ”でネットで「上海交響楽団」と検索したら、何とamazonでこのCDが売り出されているではないか。もちろん中古だが・・・。直ぐに注文して手に入れたのがこのCD。まあ「荒城の月」以外はそれほどフィットしなかったが、この1曲のためにCDを買う価値はあった。改めて(良い音で)聞いてみよう。

<黄佩勤:指揮/上海交響楽団の「荒城の月」~市原宏祐:編曲>(CDはこれ

実は、なぜ自分がこの編曲に拘るのかというと、ベートーヴェンの「月光の曲」の旋律を“引用”しているので、自分にはついフィットしてしまうのである。

話は飛ぶが、昔独身の頃、新しく開発したシステムのPR実験のために、九州の顧客をセールスカーで回ったことがある。その時に、瀧廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城址に寄った事がある。フトそのときの事を思い出した。
そのうち、別府の温泉めぐりとともに、もう一度岡城址で「荒城の月」を“味わう”のも一興かもね・・・。

(関係記事)
上海交響楽団の「荒城の月」

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2008年10月 4日 (土)

映画「おくりびと」を見て

映画「おくりびと」を見た。(公式HPはここ) いつものように、新聞で評判が良いのと、カミさんの友人から薦められたことから・・・・
何とも不思議な映画。納棺師なる職業も初めて聞いた。納棺は葬儀屋さんがするのだと思っていたが、まあそれをプロに“外注”するのも分かるな・・・・。

Image01751 物語は、チェリストの主人公が、せっかく就職したオーケストラが解散して職を失い、郷里山形で仕事を探す所から始まる。そして「旅のお手伝い」の広告でNKエージェントに就職する。(これが「旅“立ち”のお手伝い」で社名が「NK(納棺)エージェント」だって・・・。
世間の人から忌み嫌われている仕事が、本当は“悲しいはずのお別れを、やさしい愛情で満たしてくれるひと”とコピーにある。それに目覚めて行く主人公。
そして色々な別れがそこにはあった。美人だと思ったらニューハーフだった青年、幼い娘を残して亡くなった母親、交通事故で亡くなった娘さん、沢山のキスマークで送り出される大往生のおじいちゃん・・・・
そして主人公の職業を知った妻は、「汚らわしい」と、実家に帰ってしまう。しかしそれに耐えて誇りをもって仕事に励む主人公。そして最後は、自分が6歳のときに家出をした父親を送る・・。

どの役者もベテランぞろいで安心して見た。タダ一人を除いて・・・・。妻役の広末涼子は、最後までピンと来なかった。この役だけは残念。彼女では無理だ・・・
しかしチェロの演奏から納棺師まで、まさに本木雅弘の名演技とともに、自分の妻を送ったのを機にこの世界に入った社長の山崎務の渋さと、崇高さを醸し出す演技、陰のある事務員役の余貴美子の安心の演技、銭湯を一人で頑張る吉行和子、そして銭湯の常連客で焼き場の笹野高史のベテランまで。

そして、納棺の所作の張り詰めた美しさ・・・。一つひとつの納棺の所作が、これほど格好良い(?)とは・・・。
印象に残ったのが、焼き場の笹野高史の言葉。「死ぬのは門をくぐること。逝ってらっしゃい。また会おうな・・・」

この映画のHP(ここ)によると、この映画のコンセプトは、「笑って、泣けて、深く心を打つ・・・そんな映画を作りたい」だそうだが、それは成功している。
この映画は、既に第32回モントリオール世界映画祭グランプリを受賞し、今後も世界中の映画祭に出品されるらしい。確かに、日本の文化をこのような形で世界に発信することも意味があるように思う。

自分は泣かなかったが、カミさんは見ていて散々泣いたという。そしてカミさんの隣の席のおばあさんは、映画と共に泣いて、納棺の時には一緒に手を合わせていたという。そんな、見る人をその世界に引きずり込む、秀作の映画であった。

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2008年10月 3日 (金)

子が親を語る・・・2つの例

この所、子から親を見た色々な記事・番組を見聞きすることがあり、色々と感じた。今日はそれらを紹介する。

1)「父を語る先輩」
先日(08/10/1)の日経朝刊(p44)の「交遊抄」というコラムに「父を語る先輩~日本製粉社長 青崎 済」という記事があった。読んでいて、父親との関係について何か甘酸っぱかった。曰く・・・

「『社長になったんだってな。一度飲もうよ』。突然、そんな電話がかかってきたのは2年ほど前。電話の主は・・・・・高校の1年先輩。もっとも高校時代に直接交流があったわけではない。父が同校の教員で、教え子として我が家を訪ねてくれていたのだ。
戦後、中国から郷里に戻り教員となった父は常に怖い存在で、あまり会話も交わさなかった。学生時代、一度議論をふっかけたこともあったが「お前はまだ青い」とあっさりいなされた。以来、就職や結婚も決めてから報告する程度だった。
就職先も私の父に相談して決めた福重さんは様々な話を知っていた。・・・・そこには私の知らない父の姿があり、福重さんは父の人生観を伝えてくれるありがたい先輩だ。・・・」

この話は、(全くといって良いほど、まともに話をするチャンスが無かった)自分と親父との関係に似ている。しかし、自分の場合は「私の知らない父の姿」は誰も教えてくれず、そのままだ。

2)Netで亡父を語る・・・
話は変わるが、こんなサイトを見つけた。 「五味比左志~合唱とともに~」(ここというサイト。2003年に61歳で亡くなった父親の三回忌を機に、息子さんが父親の音楽の遺産を整理してHPにアップしているもの。その精緻さ・努力に感心した。読むと、親子の関係は必ずしも良好では無かったようだが、父親の死後、息子はその父を良くも悪くも“仰いで”いる。息子にとって父親の存在が如何に大きいか・・・・(このサイトは引用禁止であり、許可を得ようとメールを送ったが、アドレスエラーのために内容を引用できない・・)
父親が逝った後の家族・親子の関係について、何か考えてしまった記事であり、サイトであった。

前に、長崎の原爆で子供を失って精神を病み、人間が変わってしまった後藤みな子さんの母親の話を書いたが(ここ)、家族の問題は大きい。解決策が無いので・・・・。

しかし我が家でも、「その時」「その場」に遭遇した時、どれだけ対処できるか、まったく自信は無い。“その時”に、それぞれの「家族」の真価が問われるのだろう。

(関係記事)
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)
長崎原爆での家族崩壊~作家 後藤みな子氏の話

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2008年10月 2日 (木)

「CEATEC JAPAN 2008(エレクトロニクス展)」に行った

今日は秋晴れだったので(?)、幕張メッセで開催されている「CEATEC JAPAN 2008(シーテック・ジャパン=最先端IT・エレクトロニクス総合展)」に行ってきた。3年ぶりだろうか・・・(なお、写真はすべて携帯電話のカメラ。だから画質は良くない)

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もちろん目当てはデジタル家電。でも、展示は各社、薄型ハイビジョンテレビ一色。でも各社、ポイントは絞っている。東芝は「高解像度」。得意の半導体技術(セル)を使ったマルチ画面・・・。でもこれは要らないな・・・。しかし高解像度技術は面白かった。地上デジタルの解像度を、独自技術でフルハイビジョンに補完するのだという。まあ確かに繊細にはなっているが・・・

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SONYはもっぱら「薄型」。薄さ9.9ミリをPR。それに有機ELテレビは、0.3ミリの試作品。これは薄型というより、もはや「シートテレビ」だ。いやはや時代は進んだものだ。それと、4倍速(240コマ)というのも面白い。しかし良く見ると、普通の60コマを倍速の120コマにしたときの改善度に比べると、その2倍(240コマ)にしても大幅改善にはなっていない。ちょっとだけ・・

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一番混んでいたのがパナソニック(旧松下電器)のブース。昨日から社名が変わったせいか、力が入っているようで、ブースは大賑わい。混んでいて中に入れない位。なかでも、ブルーレイレコーダの、ハイビジョンの長時間録画の画面比較をしていて、どこが弱点かを教えてくれていた。なるほど長時間モードだとエッジはきたない。でも素人目には分からないか・・?

そのPanaに対して、SONY、日立、三菱、シャープのブースの空いていること・・・。ブースのなかはスイスイ・・。よって、混んでいたのはPanaだけ?

しかしこんな展示を見ると、また自分の中の「ムシ」が“うごめき”出す・・・。自分の部屋にも、薄型ハイビジョンTVが欲しいな・・・と。今のブラウン管のハイビジョンTVを、薄型に買い換えるか? でもまだ映っているし・・・。贅沢だよ・・・。でも、その位いいじゃない?  ・・・ナンテ心が騒ぐ・・・

しかし、日進月歩の技術も、もはや飽和状態のような気がする。画質も、以前の富士山がエベレストになるほどの違いの改善技術ではなく、エベレストと2位のK2を比較・改善しているようだ。もう、そこまで行ったのなら良いじゃないか・・・ナンテ。

話は変わるが、もう20年も前、エレクトロニクスショー(このシーテックの前身)で見た「デジタル(処理)テレビ」のキレイさに惚れて、高い金を出してそれと同じテレビを買ったら、会場で見た画面と違う・・・。色々と聞いてみると、会場にあるのは、メーカの技術者がピッカピカに調整したもの。だから一般売りの製品とは違う・・・、という。
それ以来、展示品はそれなりの眼で見るようにはなった。でも、こうして一堂に会して画像比較が出来るのはありがたい。ああ、ムシが騒ぐな~・・・・(本当に欲しくなってきたぞ・・)

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2008年10月 1日 (水)

なぜ男性は短命か?

最近、当blogはお彼岸や墓参りの話題が多いが、今日もそれに関係する話で、(少し古いが)日経で見つけた記事についてである。
これは、8月28日の日経夕刊1面のコラム「明日への話題」の「日本の平均寿命」というコラムで、男女の寿命差についての話だが、男性の筆者が女性を羨んでいる(としか思えない?)目線が可笑しい・・・。(筆者は、青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授というから、“この道”ではプロだ) 曰く・・・

「日本の平均寿命」~08/8/28日経夕刊より
 分子生物学者 福岡 伸一
日本人の平均寿命がまた更新された。男性79.19歳、女性85.99歳。長生きできることはよいことだが、それにしてもなぜ男性の方が短命なのか。
男の方が喫煙、深酒、過食など不健康な生活習慣だから? 男の方が重労働だから? 男の方がストレスが多いから? 男の方が虐げられているから? たぶんこれらは短命の一因であるかもしれないが、主因ではない。世界中のあらゆる国で、あらゆる民族や部族においても、男は女よりも常に寿命が短い。つまり、気候、衣食住、習慣、社会、分化など環境要因がさまざま異なる場所で、いずれも男は早く死ぬ。
男はいつも威張っているが、実は、生物学的には男の方が弱いのではないか、と私は危惧する。
厚生労働省の統計に、年齢構成を標準化した人口十万人あたり、どの死因で何人が死ぬかを男女別に見たデータがある。どの原因でも男性が際立って多く死んでいる。男はガンになりやすく、心疾患、脳血管疾患でも男の方が死にやすい。肺炎のように病原体が外部から進入してくる病気についても男の方が二倍以上も多く死ぬ。不慮の事故、自殺についても男が三倍近く多い。女性が男性をわずかに上回っている死因がひとつある。それは老衰だ。女は男よりも長く生きながらえ、そして天寿を全うするということである。
男は単に死にやすいだけではない。色々な病気にもかかりやすい。感染症だけではなく痛風やヘルニアのような代謝や組織の病気、精神疾患も男性の方が罹患しやすい。そうなるとやはり、男の死にやすさは生物学的に運命づけられているとしか思えなくなる。弱き者、汝の名は男なり。」

話は変わるが、男性(オス)が女性(メス)より短命な「原理」は何だろう・・、と調べてみた。するとこんな記事が見つかった。

「イギリスのケンブリッジ大学の研究者Tim Clutton-Brock氏とKavita Isvaran氏は、20種の異なる脊椎動物の調査を行い、一夫多妻の規模が大きい種ほど、オスの寿命がメスよりも短くなるという結果を得たそうです。その研究者たちによると、一夫一婦制の種と一夫多妻の種とを比較した結果、オスの交尾の競争が激しくなるほどオス一匹あたりの交尾回数が少なくなるため、そのような種のオスは、長寿になるように進化する強い動機がなくなり、寿命が短くなると説明しています。
Clutton-Brock氏によると、人間は一夫多妻制が普通だった後期石器時代頃から、女性より男性の寿命が短くなったのではないかと考えているそうです。(原文“Why Males Die Before Females”はここ)(引用はここ)」

では、動物のオス・メスの“寿命の差”の実際は??
「犬と猫の平均寿命伸びる」(~2004/9/5のNHKニュースから)
調査は東京農工大学大学院の林谷秀樹助教授らのグループが、全国121の動物病院に協力を求めて2003年7月までの1年間に死んだ犬と猫のデータを集めたもので、犬およそ3200匹、猫およそ1800匹について分析しました。
その結果、平均寿命は、犬が11.9歳、猫が9.9歳で、同じグループが8年前に行った調査と比べて、犬で1.8歳、猫で3.2歳延びていました。平均寿命を性別で見ると、犬の場合、オスが12歳、メスが11.9歳とほぼ同じだったのに対し、猫はオスが8.7歳、メスが11.1歳とメスの方が長生きでした。
平均寿命が延びる中で、死因のうち腎不全やがんなど感染症以外の病気が占める割合が増加し犬では、8年前から15.2ポイント増えて77.4%、猫では19ポイント増えて69%となっていました。
調査をした林谷助教授は「医療の進歩や病気から守ろうとする飼い主の意識の向上で寿命が延びる一方で、人間で言う生活習慣病が死因と見られるペットも増えてきている」と話しています。」

なるほど・・・・
つまり脊椎動物では、一夫多妻の種は、オスが交尾のために激しい競争をするので、負けたオスは交尾の回数が減り、長生きする(生きている)「必要」がない。つまりハーレムの主は長生きする“必要がある”が、「その他大勢」のオスは早期に「ご苦労さん!」という事か・・・??
人間も、後期石器時代頃からは一夫多妻制が普通だったので、動物と同じ・・・・

何ともはや・・・・。
確かに“動物としての人間”の長い歴史からすると、一夫一婦制はごく最近の制度だ。よって、どうやら男が短命なのは、最初のコラムの指摘通り「運命」らしい・・・。
だから、これだけは“カミさんに文句を言ってもしょうがない”という事が分かった。

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