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2008年10月 7日 (火)

中村元の「観音経」(6/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01251 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第6回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その6CDはこれ

むじんに にゃくうにん じゅじろくじゅうにおくごうがしゃぼさつみょうじ ぶじんぎょうくようおんじき
無尽意 若有人 受持六十二億恒河沙菩薩名字 復尽形供養飲食
えぶく がぐ いやく おにょいうんが ぜぜんだんし ぜんにょにん くどくたふ
衣服 臥具 医薬 於汝意云何 是善男子 善女人 功徳多不
むじんにごんじんたせそん ぶつごん にゃくぶうにん じゅじかんぜおんぼさみょうごう
無尽意言甚多世尊 仏言 若復有人 受持観世音菩薩名号
ないしいちじらいはいくよう ぜににんふく しょうとうむい おひゃくせんまんおくごう ふかぐうじん
乃至一時礼拝供養 是二人福 正等無異 於百千万億劫 不可窮尽
むじんに じゅじかんぜおんぼさみょうごう とくにょぜむりょうむへんふくとくしり
無尽意 受持観世音菩薩名号 得如是無量無辺福徳之利


そして、こんどはブッダの方から無尽意菩薩に反問します。

(仏言わく)「無尽意よ、もし人有りて、六十二億恒河沙(ごうがしゃ)の菩薩の名字を受持し、また、形を尽くすまで飲食(おんじき)・衣服(えぶく)・臥具(がぐ)・医薬を供養せば、汝が意において云何(いか)ん。この善男子・善女人の功徳多しや、否や」と。
無尽意の言わく「甚だ多し、世尊よ」と。
仏は言(のた)もう、「もしまた人有りて、観世音菩薩の名号を受持し、乃至(ないし)、一時(ひととき)も礼拝し供養せば、この二人の福は正に等しくして異なること無く、百千万億劫においても、窮(きわ)め尽くすべからざらん。無尽意よ、観世音菩薩の名号を受持せば、かくの如き無量無辺の福徳の利を得ん」と。

「六十二億恒河沙(ごうがしゃ)の」とは、ガンジス河の砂のさらに六十二億倍ということですから、大変に多い数ですね。それほど多くの菩薩の御名を受けたもっていて、また「形を尽くすまで」、つまり命のある限り、「飲食(おんじき)・衣服(えぶく)・臥具(がぐ)・医薬」を供養したならば、おまえはどう思うか、というのです。「この善男子・善女人の功徳は多いか、どうか」。そうすると、無尽意は「たいそう多うございます」。
その答えを聞いて、ブッダは言います。「観音さまの名号を受けたもち、ちょっとでも礼拝し、供養したならば、その人の功徳と、前に大勢の仏さまを拝んだ人の功徳とは異なることがない。観音さまの名号を受けたもつというのは、それほど無量無辺の福徳が得られることなのだ」、というのです。

この教えは、なかなか心が広い(失礼)。つまり観音さまを供養することは、「回数」では無いという。要は、観音さまを礼拝し、唱えるかどうかだ、と言っている。

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