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2008年9月15日 (月)

ホスピス医 細井順医師の死生観

NHK教育TVの「こころの時代」~「ガンで見つめる“いのち” ホスピス医…細井順」(2008/9/14放送)を見た。(再放送:9月21日午後2:00~)
ヴォーリズ記念病院ホスピス医の細井順医師は1951年生まれの56歳。父親が胃がんのためホスピスで亡くなったが、初めてホスピスの医療に接したとき、「目から鱗・・・」。そして1996年、43歳のときに外科医からホスピス医に転身。4年前には自身も腎臓がんで摘出の経験がある方。なかなか含蓄のあるお話で、感銘を受けたので少し書いてみる。
この番組で細井医師は語る・・・

「ホスピスで行われる苦痛を和らげる医療は、ターミナルケアとも呼ばれ、与えられた一日いちにちをより充実したものにするための医療。
人が死ぬという事は決して病気があるから死ぬのではない。人間だから死んでいくのだ。だからターミナルケアは、いつから始まる・・というより、常に心のどこかに置いておいて、生きている人生の仕事の一つとしてあるのではないかと考えている。だから、ガンになったから死ぬのではなく、人間だから“その時”が与えられるのだ。患者さんから教わったことは、死というものは厳然としてそこにあるので、それを心の片隅に置きながら日々の生活をしていく事が大切・・ということ。

ホスピス医は患者と目線を合わせて、最初に「今どこか苦しいですか?」と聞く。我々外科医は、レントゲンや血液検査データなどを見て動いて(判断して)おり、患者の顔(色)を見ることなど無かった。患者を診るというよりも病気を見ていた。医師の仕事は病気を治すことだと思っていた。
それがホスピス医は、患者のつらさを取ることに注力していた。人と人との関わりの中で、人として、同じ弱さを持った人間としてそこにいた。ホスピス医は、病気を治すよりも、つらさを取る。外科医の時には病気を治すのが自分の使命と思い、ホスピス医になった当初も痛みを“取ってあげる”事が仕事だと思っていた・・・。

12年間のホスピス医の経験で思い出すのが、前立腺がんで腰の骨に転移した70代後半のおじいさんの話。入院した時、「ワニに食われて振り回されているように痛い」と言った。一日モルヒネを打ったりしたら、翌日痛みが半分になった。そして1時間いろいろな話を聞いてあげたら、「痛みはすっかり取れた、この病院に来てキリストに出会ったようだ」と言ってくれた。
痛みには「全人的な痛み」として身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、家庭的な痛み、霊的痛みなどがあるが、既にもらった戒名の話や、今までの人生の話を聞いてあげたことで痛みが取れたのだと思った。だからホスピスでの治療は、ただモルヒネの量を増すのではなく、その人の思っていることをしっかりと受け止めてあげることが大切だ。

もう一つ印象に残っているのが、付き添って高校の卒業式に行ったこと。その高校生は中学3年のときに膝の骨肉腫になって片足の切断。2月にホスピスに来たときには、寝ては呼吸が出来ない状態だった。「今一番、何がしたい?」と聞くと「高校の卒業式に行きたい」と言う。残り時間が少ないので、最後の望みを叶えることにして看護士2人と一緒に卒業式に行った。生徒達が皆で門から拍手で出迎えてくれた。その高校生が卒業証書をもらって皆に掲げたら、割れんばかりの拍手。その高校生は片足の松葉杖で3年間ブラスバンドをしていたので、ブラスバンド部が校歌やその高校生の好きな曲を演奏した。その時、これほど全員の心が一体になれるのか・・・と思った。帰ってきて「あとどのくらい生きられる?」と聞くので、「始業式まで頑張れたら良いね」と答えた。「そんなに少ないのか・・」と言った。その高校生が「ありがとう」と言って握手してくれたその温もりが、ホスピス医の自分たちの力になっている。

そして4年前、細井医師は大量の血尿から腎臓がんを発病、摘出。しかしがん患者になってみても、何も変わらないことに気付いた。一日いちにちを悔いの無い様に生きること。病気があろうと無かろうと、生きれるだけ生きるしかしかたがない、と思った。

死の恐怖は「私だけが」という「孤独感」だと思う。死を意識したとたんに、一人ぼっちで寂しいのだと思う。そこにホスピス医がどうしたら寄り添えるか・・・。その「寂しさ」というベースを、ホスピス医が共有すること、理解することが必要。
「生命(いのち)」と「いのち」とは違う。人間は生命体としての「生命(いのち)」は無くなっても、「いのち」は死ぬ事によって次々と受け継がれていく。大きな「いのち」があって、その部分部分が私達なのではないか・・。「生死を越えた命の在りかを共に探し求め、永遠を想い、今を生きる」が、私が願っているホスピスの姿。肉体的な生命体としての死はあるかもしれないが、しかしその事によって新たな生命が次に受け継がれていく。その事に気付けば、ホスピスでの死は悲しみだけでなく新たな生まれる喜びにもなっていくのではないか・・・」

いつもの通り、この記事もNHKの番組をただ文字にしただけだ。しかし、なかなか良い話だった。自分はなるべく病気のこと、死のことは意識的に考えないようにしている。なぜか? 怖いから・・・
しかし今日の話を聞いて、自分がいつか重大な病気になったら、またはガンの宣告があったら、この番組を録っておいてもう一度見よう、そしてこの人の本を読んでみようと思った。(←何で今ではない? ←怖いから・・・)

しかし、ホスピスは殆どがクリスチャン系。これは何故だろう?
カミさんに言わせると、「そう簡単には入れない」というホスピス。世の中、益々高齢化に進む。単にテクニックとしての「病気を治す」手段の医療だけではなく、人間として避けられないターミナルケアの重要性、またホスピスの必要性にもう少し社会が目を向けて行けないだろうか。

(関連記事)
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(1)~死生観が変わった
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(2)~朝日氏の語録
「病気」と闘うか?
「患者と医師の関係」
早期発見ははたして大切か?


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コメント

少し時間があきましたが、細井医師の番組について記事を書きましたので、トラックバックさせていただきます。

投稿: 志村建世 | 2008年9月25日 (木) 12:06

志村さん

TBありがとうございます。
「その時」には、自分もぜひホスピスに入りたいと思いますが、競争率が高いようです。
日本でも、もう少し理解が広がると良いのですが・・・

投稿: エムズの片割れ | 2008年9月25日 (木) 23:14

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