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2008年9月の27件の記事

2008年9月30日 (火)

藤山一郎が歌う「千曲川旅情のうた(小諸なる古城のほとり)」

今日はなぜか「千曲川旅情のうた(小諸なる古城のほとり)」である。
自分がこの歌を知ったのは、藤山一郎のLPを買ったとき。ピアノとチェロとフルートの簡素な伴奏で歌う藤山一郎の歌唱に、聞き入ったものだ。この日本の代表的な名歌曲は、色々な歌手が歌っているが、自分はやはり(初めて聞いた)藤山一郎のこの録音が一番好きだ。

<藤山一郎の「千曲川旅情のうた(小諸なる古城のほとり)」>

「千曲川旅情のうた」
  作詞:島崎藤村
  作曲:弘田龍太郎
  歌  :藤山一郎

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

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弘田龍太郎の作曲になるこの歌曲は、題が二つあるようだ。「小諸なる古城のほとり」と「千曲川旅情の歌」。JASRACのデータベースにも両方載っている。ただし、藤山一郎の歌は「小諸なる古城のほとり」で登録されている。
Netで調べてみると、初めて出た島崎藤村の詩集「落梅集」(明治34年)には、「小諸なる古城のほとり」と「千曲川旅情の歌」は別々の詩であり、それを後に、藤村自身が自選藤村詩抄で「千曲川旅情の歌 一、二」と改題したもの。このために二つの題があるらしい。

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藤村は27歳の時(明治32年)に、信州小諸義塾の創立者木村熊二の招きで、国語と英語の教師として赴任してきたが、塾の経営は苦しく、給料は減額されたが、土地の豪農神津家の援助のもとで詩集や小説「破戒」などを書き続けたという。
Chikumagawa この詩もその頃作られたという。その後、藤村自身が軽井沢の星野温泉に投宿していた弘田龍太郎(1892-1952)を訪ね、直接作曲を依頼したという。そしてこの歌曲は大正14年8月31日に作曲されたという。信州小諸の懐古園に歌碑がある。

Kaikoen 思い出すと、小諸の懐古園には今までに2回行った事がある。学生の時と、10年位前に家族で行った。メモを見ると、1999年11月27日とある。中央道須玉インターで降りて、清里から小諸に行き、軽井沢の会社の保養所で泊まったっけ。

話は変わるが、クラシックの世界には、同じ曲を演奏しても、歴史に残る「名演奏」というものが残っている。フルトヴェングラー/ベルリン・フィルの「運命」の1947年5月27日の歴史的ライブ録音(これ)などは、これに該当するだろう。
藤山一郎のこの歌唱もそれと同じ・・と言ったら、言い過ぎだろうか??

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2008年9月29日 (月)

NHK大河ドラマ「篤姫」の再放送が楽しみ・・

今日(08/9/29)から、NHKhiで大河ドラマ「篤姫」の完全再放送が始まった(ここ)。(9/29から(月)~(金)NHK hi 17:00~) 最近「篤姫」を見出した自分にとっては、ちょうど最初から見たかったと思っていたので、“グッドタイミング”なのである。
当blogで何度も書いているが、自分は実に“ミーハー”なのである。(広辞苑によると、「ミーハー」とは“世の中の流行にかぶれやすいこと。また、そのような人。みいちゃんはあちゃん。”)
よって、今まで見ていなかった大河ドラマ「篤姫」も、「評判が良い」「視聴率が高い」と聞くと、“どれどれ・・・”と見始める始末・・。(何と主体性が無く、情けない・・・・!)

自分が「篤姫」を見始めたのは、このドラマの時代考証をしている大石学氏の番組を聞いてから・・・かも知れない。(ここ
もともと自分はNHK大河ドラマは大好きで、良く見ていた。1965年(昭和40年)の緒形拳の「太閤記」が懐かしい。受験勉強の真っ只中。しかし週に一回のこの番組だけは見ていたことを思い出す。
そして見なくなったのは何時からだっただろう・・・。それは多分、若手の役者が多く出演するようになってから・・・・?
実は、自分は俳優さんの顔は覚えるが、名前はからっきし覚えられない。今日の「篤姫」第一回でも、直ぐに名前が出たのは、平幹二朗と樋口可南子くらい・・・(何と情けない・・)
よって、Jポップスの歌手が役者として出ても、老人(!)の自分には何の興味も無く、面白くないのである。

今日の第一回は、いわゆる“顔見世興行”だけあって、次から次に登場人物が出てくる。結局、訳が分からないうちに終わってしまった。役者の顔を覚えることが苦手なのに、いくら役柄(人物関係)がスーパーの文字で出ても、頭がついて行かず、理解できない。まあ明日の第二回からはテンポも遅くなるだろうから、NHKのHPを見ながら、それぞれの顔を人物関係図を確認しながら、ゆっくり見る事にするか・・・

しかし、HHKのHPによると。12/4頃に追いつくという。この1ヵ月位は見ているので、11月末位まで「篤姫」に追われる事になる??たぶん悪夢を見るかもね。(考えてみるとバカバカしいので、途中で挫折するかも知れないけど・・・)

しかし、NHKも実に良いタイミングで再放送をするな・・・。今までは、年末に総集編を放送するだけで、その年の内に全編の再放送など、考えられなかったが・・・。
まあどこまで付き合えるか分からないが頑張ってみよう??

(関係記事)
江戸時代の「大奥の生活」

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2008年9月28日 (日)

山口百恵の「曼珠沙華」

今日(08/9/28)は、親父の十三回忌で、日暮里の谷中にあるお寺に行った。時間があったので、日暮里駅から谷中の墓地の中をぶらぶら歩いていたら、カミさんが「曼珠沙華!!」と言う。「どこだ?」・・・
実は自分は、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という名前は山口百恵の歌で知っていたが、どんな花か知らないのだ。歩いていた路の途中のお寺の中に「曼珠沙華」はあった。それがこの写真・・・・

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何と華々しい花か・・・。それに葉がない! 白い色は珍しいとか? 別名「彼岸花」。そう言えば、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「曼珠沙華(ひがんばな)」では、「ゴンシャンゴンシャンどこへゆく 赤い お墓の曼珠沙華(ひがんばな)・・・」と歌っている。

まあそんな訳で、今日は山口百恵の「曼珠沙華(まんじゅしゃか)」である。ちなみに広辞苑によると、梵語では“まんじゅしゃか”と発音するそうだ。意味は“天上に咲くという花の名。四華の一で、見る者の心を柔軟にするという。”
よって、この歌の“マンジューシャカ”は正しい。この歌は1978年12 月21日の発売である。

<山口百恵「曼珠沙華」>

「曼珠沙華」
  作詞:阿木耀子
  作曲:宇崎竜童
  歌 :山口百恵

涙にならない悲しみのある事を知ったのは
 ついこの頃
形にならない幸福が何故かしら重いのも
 そうこの頃
あなたへの手紙
最後の一行 思いつかない
どこでけじめをつけましょ
窓辺の花が咲いた時
はかなく花が散った時
いいえ あなたに愛された時

マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
白い花さえ 真紅に染める

あてにはならない約束をひたすらに待ち続け
 そう今でも
言葉にならない優しさをひたむきに追いかける
 そう今でも
あなたへの想い
どこまで行ったら止まるのかしら
そんな自分を もて余す
机の花が揺れた時
ほのかに花が匂う時
いいえ あなたに愛された時

マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
命すべてを もやし尽くすの

マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
白い花さえ真紅にそめる

ところで、1992年に「百恵回帰」というアルバムが発売された。これは前にも書いたが(ここ)、引退した山口百恵の声だけを、オリジナルのテープから抽出し、それに新しいアレンジで伴奏を付け、コンピュータで同期させたもの。編曲はどちらも萩田光雄。自分はオリジナルの方が好きだが、この完璧な完成度は素晴らしい。

<山口百恵「曼珠沙華」>~「百恵回帰」から>

ともあれ、自分は山口百恵の歌の中では一番好きな「曼珠沙華」。何とこの歌を知ってから30年近く経って、今日ようやくその「花」に巡り会った・・・という訳。
親父の十三回忌と「曼珠沙華=彼岸花」。これもまた趣があるかもね。

(関係記事)
グレン・グールドと山口百恵・・・最新技術で蘇る?

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2008年9月27日 (土)

中村元の「観音経」(5/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 Image01251 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第5回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その5CDはこれ

にゃくうしゅじょう たおいんよく じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ べんとくりよく にゃくたしんに
若有衆生 多於婬欲 常念恭敬観世音菩薩 便得離欲 若多瞋恚
じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ べんとくりしん にゃくたぐち じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ
常念恭敬観世音菩薩 便得離瞋 若多愚痴 常念恭敬観世音菩薩
べんとくりち むじんに かんぜおんぼさつ うにょぜとうだいいじんりき たしょにょうやく
便得離痴 無尽意 観世音菩薩 有如是等大威神力 多所饒益
ぜこしゅじょう じょうおうしんねん にゃくうにょにん せつよくぐなん らいはいくようかんぜおんぼさつ
是故衆生 常応心念 若有女人 設欲求男 礼拝供養観世音菩薩
べんしょうふくとくちえしなん せつよくぐにょ べんしょうたんじょうそうしにょ しゅくじきとくほん
便生福徳智慧之男 設欲求女 便生端正有相之女 宿植徳本
しゅにんあいきょう むじんに かんぜおんぼさつ うにょぜりき にゃくうしゅじょう
衆人愛敬 無尽意 観世音菩薩 有如是力 若有衆生
くぎょうらいはいかんぜおんぼさつ ふくふとうえん ぜこしゅじょう かいおうじゅじかんぜおんぼさみょうごう
恭敬礼拝観世音菩薩 福不唐損 是故衆生 皆応受持観世音菩薩名号


観音さまの福徳
このあと、こんどは内面についての話にはいっていきます。

「もし衆生ありて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。もし瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち瞋(いかり)を離るることを得ん。もし愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち痴を離るることを得ん。無尽意よ、観世音菩薩は、かくの如き等の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。この故に衆生は常にまさに心に念ずべし。」

「婬欲」はおわかりですね。「瞋恚(しんに)」は怒り、あるいは憎悪、憎しみです。「愚痴」は迷い、迷妄といったらいいでしょう。この欲と怒りと迷いの三つを「三毒」と申します。人間の根本にある三つの毒というのです。
観音さまを拝むならば、その三つの毒から離れることができる。観音さまは不思議なすばらしい力があって、人のためにはかってくださることがこのように多い。だから衆生は、心のなかで観音さまを念じなさい、というのです。
そしてつぎに、観音さまを拝むと子宝にめぐまれる、といいます。

「もし女人ありて、もし男(おのこ)のを求めんと欲して、観世音菩薩を礼拝し、供養せば、すなわち福音智慧の男(おのこ)を生まん。もし女(めのこ)を求めんと欲せば、すなわち端正有相(たんじょううそう)の女(めのこ)の、宿(むかし)、徳本(とくほん)を植えしをもて衆生に愛敬(あいぎょう)せらるるを生まん。無尽意よ、観世音菩薩には、かくの如きき力有るをもて、もし衆生ありて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)し礼拝せば、福は唐損(むなし)からざらん。この故に、衆生は皆、まさに観世音菩薩の名号を受持すべし。」

つまり、観音さまを拝むと、子宝にめぐまれるというのです。男の子がほしいと思って、観音さまを礼拝し供養したなら、福音智慧の具わった男の子を生むであろう。また。もし女の子がほしいと思うならば、容姿端麗な女の子が生まれる。その人は、昔、いいことをしたから、多くの人に愛せられ、敬われるような女の子が生まれるであろう。
こういうわけだから、人々が観音さまを敬い礼拝したなら、その福音はむなしいことはない。だから人々はみな、観世音菩薩の御名を受けたもちなさい、というわけです。

仏教では「淫欲」を禁じている。そして「怒り」も。「愚痴」は、迷いとあるが、広辞苑を引いてみると「〔仏〕理非の区別のつかないおろかさ」とある。観音様を礼拝するとその三毒から逃れられるという。
そして、子宝にも恵まれるという。しかも福音智慧の、または容姿端麗な子宝・・・

確かに、自分が若かった頃は観音経を知らなかったので唱えることもせず、結果、「福音智慧」にも「容姿端麗」にも縁がない“子宝??”に恵まれてしまったが・・・・

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●メモ:カウント~19万

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2008年9月26日 (金)

「野口雨情」と「青い眼の人形」

先日(08/9/24)「野口雨情記念館」に行った。今日は、野口雨情についてである・・・
「野口雨情記念館」は北茨城市にある(ここ)。行ったとき、ロビーにチラシがあり、11月に「青い目の人形」展が開催される、とあった。そうか、この歌も野口雨情なのだ・・。

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そのチラシに、こうある。
「1924年(大正13年)アメリカで排日移民法が成立、日米関係が悪化して行くのを憂いた親日家のギューリック博士が以前から親交のあった実業家渋沢栄一氏に呼びかけ12,739体の「青い目の人形」を日本の子どもたちに送り、日米の相互理解を通して両国の平和と友情が育っていくことを願いました。
Ichimatsuningyou 1927年(昭和2年)、「青い目の人形」は全国の小学校や幼稚園に送られ歓迎を受けました。
日本からも返礼として、58体の「市松人形」を贈りました。」

もちろんこの歌は知っていたが、その背景に、このような話があったとは知らなかった・・・。
ところで、恥ずかしながら「市松人形」って何だ?・・・と調べたら、こんな人形らしい・・。なるほど、これなら日本らしくてアメリカでも喜ばれるだろうと思った。

前にも書いたが、帰りに寄った常磐道中郷SAにあった、歌碑の写真を幾つか・・

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というわけで、今日は、童謡の「青い眼の人形」である。
この曲は、5種持っていたが、聞き比べると井上裕子とコロムビアゆりかご会の歌が、一番素直で良かった。

<井上裕子の「青い眼の人形」>(CDはこれ

「青い眼の人形」
  作詞:野口雨情
  作曲:本居長世

青い眼をした お人形は
アメリカ生まれの セルロイド

日本の港へ ついたとき
一杯涙を 浮かべてた
「私は言葉が わからない
迷ひ子になつたら なんとせう」

優しい日本の 嬢ちやんよ
仲よく遊んで 遣つとくれ

「野口雨情記念館」で貰った冊子にはこんな記述もある。
「この曲は、本居長世と三人の娘たちによって全国に広がり、大正12年のアメリカでの演奏旅行でも歌われました。発表時には「青い目の人形」でしたが、童謡集収録の際「目」が「眼」に変更されました。・・・・・・」

なるほど・・・、上の古い写真で「本居みどり」とあるのは、本居長世の娘で、この歌を歌った人らしい。

ひょんな事で立ち寄った素朴な「野口雨情記念館」・・・。別段どうって事無い話だが、こんな事を機に、昔の偉人を知るのも、また良いのではないか?

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2008年9月24日 (水)

「茨城県天心記念五浦美術館」と「野口雨情記念館」に行った

昨日(08/9/23)はお彼岸の中日だったので、久しぶりに墓参りに行ってきた。墓は茨城県の日立市。少し遠いので、北茨城市の五浦の観光旅館に一泊し、今日は「茨城県天心記念五浦美術館」と「野口雨情記念館」に寄って帰ってきた。今日は、その見物記・・・
何よりも印象に残ったのは、「茨城県“立”天心記念五浦美術館」の豪華さと、“北茨城市立”「野口雨情記念館」の質素さ・・・

Image01661 「茨城県天心記念五浦美術館」(ここ)は、とにかく設備が豪華、立派・・・。広い敷地(2万7千坪)に広い建物((1770坪)。開館して11年になるらしいがピッカピカ。会館当時の記事には(ここ)「天心ゆかりの五浦に、茨城県立天心記念美術館が平成9年11月7日オープンしました。」とあるが、現在の名前には、「茨城県“立”天心記念五浦美術館」の“立”が抜けている。(恥ずかしいから?)
もちろん今日は平日なので館内はガラガラ。でも案内の人はキチンと・・・

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その後、近くの「野口雨情記念館」(ここ)にも寄った。野口雨情が茨城出身だということもあまり知らなかったが良い勉強になった。
館内に、常磐道の中郷サービスエリアに雨情の石碑があるというので、これも寄ってみた。そこにあったのがこれ・・・

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野口雨情については別に書こうと思うが、「野口雨情記念館」に紹介されていた童謡の数々の多さに改めてビックリ。これもか、これもかと・・・

何のことは無い。今日の記事は、岡倉天心と野口雨情の紹介と思いきや、箱物行政に対する批判??
P10303541_2 でも天気が良くて景色は絶景。最後に「茨城県天心記念五浦美術館」でコーヒーを飲んだ際に、近くの展望台?から見た景色を一枚・・。対岸は福島県の小名浜である。
しかし、秋は小旅行には絶好の季節である。そのうち色々と行ってみたいな・・・。

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2008年9月22日 (月)

ザ・シャデラックスの「君について行こう」

なぜか今日は、ザ・シャデラックスの「君について行こう」である。たまたま帰りのバスの中で、デジタル携帯プレヤーからこの曲が流れたので・・・
この曲は、発売が1966年6月だという。42年前か・・・。フォーク全盛の頃だ

<ザ・シャデラックス「君について行こう」>

「君について行こう」
  作詞/作曲:平岡精二

1)君について行こう
 どこまでもついて行こう
 すばらしい事を教えてくれた
 生きる喜びを教えてくれた
 君について行こう

2)君について行こう
 いつまでもついて行こう
 苦しい時も悲しい時も
 木枯らしに顔をまっすぐ向けた
 君とともに行こう

3)君について行こう
 何よりも愛を持って
 はかないこの世の人の命に
 こよない光を添えるものは
 人の愛のまこと

4)君について行こう
 この国を愛しながら
 ここはふるさと君と私の
 そして友達をそだてた所
 すべてを捧げよう

080922kiminituiteikou Netで見ると、この歌は新宿のうたごえ喫茶「ともしび」でヒットした曲の一つという記事があった。
新宿のうたごえ喫茶「ともしび」は、自分も昭和40年頃の学生時代に、当時横浜に下宿していた兄貴に連れて行ったもらったことがある。コーヒー一杯で何時間も居座り、小さな歌詞集の冊子を片手に、色々な歌を歌ったっけ。伴奏はもちろんアコーディオン。この年代(我々)の人にとっては懐かしい・・・

ところで、この歌詞をどう理解しようか・・? 「君について行こう」とは誰が誰を思って言っているのだろう?
だいたい、自分は歌詞をあまり気にしないのだが、改めてこの歌の歌詞を読んでみると4番の歌詞がどうも気になる・・。「この国を愛しながら・・・すべてを捧げよう」ナンテ、まるで軍歌のような歌詞だ。でも「うたごえ運動」とすると、軍国主義?は合わないな・・・。
でも、誰かさんが“自分に対して”歌っていると仮定したら・・・、何と1番、2番はピッタリだよね!!(笑)
まあ「君について行こう」という人生の姿勢の善し悪しは、人によって色々あるが、まああまり気にしないで聞くことにしようか・・・。

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2008年9月21日 (日)

「原爆詩集」を読んで

先日、ラジオで詩の話を聞いたが(ここ)、本屋に行ったら「原爆詩集 八月」(これという本があり、つい買ってしまった。そこには、前に吉永小百合さんが「原爆詩の朗読会」で紹介していた詩がいくつも載っていた。

Image01621 NHK TVで「吉永小百合 言葉で平和を紡ぎたい -思いを受け継ぐ子どもたちへ-」という番組を見たのは昨年の夏だった(ここ)。吉永小百合さんが、21年に亘って続けているという原爆詩の朗読会。詩集を買っても、そこで聞いた詩につい目が行く。先日のラジオで、横浜YMCA山根誠之氏が紹介された詩(ここ)以外の詩を、「原爆詩集 八月」から紹介してみる。
圧巻はこれ・・・

「げんしばくだん」
  坂本はつみ(広島市比冶山小3年)
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる

「やけあとで」
  水川スミエ((広島市比冶山小6年)
目の見えなくなった母親が
死んでいる子供をだいて
見えない目に
一ぱい涙をためて泣いていた
おさないころ
母に手をひかれてみたこの光景が
あの時のおそろしさとともに
頭からはなれない

「生ましめん哉(かな)」
  栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
くらいローソク一本ない地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりの中でどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
と云ったのは、さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめん哉(かな)
生ましめん哉
己(おの)が命捨てつとも

(この詩は架空の物語ではない。栗原貞子は広島市千田町の郵便局地下壕で実際に起こった出来事に脚色を加え、「生ましめん哉」を創作した。現実の産婆は生存し、子どもと再会したと伝えられる。・・・)(P74)

話は変わるが、自分が知らなかった逸話がこの本に載っていた。

「原爆詩集 8月」(P53)から
「8月1日、テニアン島――
トルーマン大統領による人類史上初の原爆投下命令は、日本の降伏を促す「ポツダム宣言」発表の1日前、7月25日に行われていた。その命令は、極秘裏にテニアン島のポール・ウォーフィールド・ティベッツ大佐に伝えられた。
8月1日、ティベッツ大佐は朝食のあと、米軍第509航空部隊司令部の自室に引っ込み、手早く書き物を始めた。彼が搭乗員を指名するための極秘命令書を起草するのには、数分あれば十分だった。・・・・

前日8月5日、テニアン島北飛行場――
Enolagay 午後3時過ぎ、一人のペンキ工がB29の機首にはしごをかけ、ペンキの缶とブラシを持って、ふくれっ面でのぼっていった。彼はソフトボールに興じている最中に、機長のティベッツから命令を受け、引っぱり出されたのだ。
ティベッツはペンキ工に一枚の紙を渡し、「これをあの機に大きくきれいに書け」と言った・
その紙には「ENOLA GAY(エノラ・ゲイ)」と書いてあった。ティベッツの母親の名だ。機体に書かれた「ENOLA GAY」は、彼の母親に対する尊愛のしるしであったが、また彼自身にとって、この攻撃任務が決して安全なものではないと思っていたことの表れでもあった。・・・」

日本人なら誰もが知っている広島に原爆を落とした飛行機の名前の「ENOLA GAY(エノラ・ゲイ)」。それが機長ティベッツ大佐が、直前に自分の母親の名前から命名して機体に書かせたものだったとは、自分は知らなかった・・・・
この母親は、自分の名が永遠に残ったことを、どう捉えたのだろう? 自分の息子の、命令完遂に対する誇りだろうか? それとも・・・・・

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2008年9月20日 (土)

映画「ルワンダの涙」を見て

映画「ルワンダの涙」を見て、改めてルワンダの悲劇を認識した。
Rwanda 舞台は1994年のアフリカ ルワンダ。ルワンダではフツ族(85%)とツチ族(13%)の間で長年にわたる部族間の争いが続いており、世界各国から派遣された国連治安維持軍(UN)が監視をしていた。1994年4月6日の夜、フツ族出身のハビャリマナ大統領が乗った飛行機が何者かに撃墜され、それを機にツチ族に対するフツ族の大量虐殺が始まった。
国連軍は守りの堅い(この映画の舞台である)公立技術専門学校(ETO)を防衛地点にして武装する。そしてこの学校に、ツチ族2500名余りが逃げ込むが、学校の外では日に日に血みどろの虐殺が繰り広げられていく・・・
1994年4月11日、国連軍が撤退の命令を受けたとき、海外青年協力隊の英語教師ジョーと学校長のクリストファー神父は、国連兵士たちと一緒にその場所を立ち去るべきか、それともルワンダの人々を守る為に立ち上がるべきか、判断を迫られる・・・
そして国連軍が去った数時間後、学校に残されたツチ族2500名余りは、全員虐殺された・・・。1994年4月から7月には、80万人以上のルワンダ人が集団虐殺されたという。(映画の公式HPはここ

前に「ホテル・ルワンダ」(ここ)を見ていたので時代的背景は知っていたが、最初に出た字幕「これはこの地で起きた実話である」の通り、この映画は実際の学校を使って、その虐殺から辛くも逃げ延びた人たちの体験をもとに作られたという。中には、汚物だめに14週間隠れて殺害を逃れた人や、家族の遺体の下に隠れて民兵の発見を免れた人など、(この事件を思い出したくない)何人もの体験者が、この映画のスタッフとして協力したという。

歴史的背景とこの映画の制作過程は公式HPに詳しい(ここ)。この映画は、アウシュビッツと同じく、現代版民族抹殺の事実と共に、国連の罪を指弾している。HPに、こうある。

「そしてまたこの一連の事件は、国際的な視点からみても、はなはだしい失敗の連続だった。そこには国連軍もいて、虐殺を防ごうとすれば出来たのにしなかった。国連の安全保障理事会はまざまざとその腰抜けぶりをみせつけた。国連が国連軍をボスニアに送ろうとした時点で、安全保障理事会はアフリカから逃げ出したのだ。たぶん国際機関が紛争国の仲裁に乗り出すには、二つの明確なルールがあるのだろう。その一つは当事者たちが白人であること、二つ目は当事者たちが西側が求める何かを持っていて、それが安全保障理事会の利益になるものであること、の二つだ。しかし当事者が黒人で、貧しい国であった場合は、関係ない。自分たち同士で勝手にやってくれ、となるのだ」(ここから)

しかし、この映画の原題「SHOOTING DOGS」が何とも皮肉だ・・・・。
国連軍は“監視”のために派遣されているため、集団虐殺を止めようとしない。大尉は言う。「安保理から命令されていないし、武器が使えるのは自衛のためだけ・・・・」。映画で、象徴的な、こんなシーンがあった。

・・・
大尉:
「実は犬のことで困っている。門の外で死体を食っている。衛生上の問題もあるし、撃ち殺すと皆に言ってほしい。銃声に驚かないようにと」
神父:「犬が君らを撃ってきたのか?」
大尉:「何が言いたい?」
神父:「君らが受けている命令のことだ。犬を撃つのは、先に犬が撃ってきたからだろうな」
大尉:「なあ・・」
神父:「言わせてもらう。なぜ下らん命令に従うんだ? “衛生上の問題”は次々と作り出されるぞ。連中のナタで・・」
・ ・・

このシーンが全てを物語っている。

しかし国連軍が去るときの、青年教師と神父の人生最大の判断・・・・。それはまさに生と死の判断だ。
誰もが何度か経験する人生での岐路。そこではキレイ事など言っていられない状況もある。この映画は、「その時にどうする?」という厳しい宿題を(平和ボケした)我々に問いかけている。
しかも、この内戦はたった14年前だ。(映画の公開は2005年)

ふと、ブッダの次の言葉を思い出した・・・・

<ブッダの言葉>
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」(「ダンマパダ」-5 中村元訳)

(関係記事)
映画「ホテル・ルワンダ」の重たいテーマ

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2008年9月19日 (金)

「強欲」嫌い始めた若者たち~破綻した貪欲リーマン・ブラザーズ

今朝(08/9/19)の日経産業新聞(p28)のコラム「眼光 紙背」に「“強欲”嫌い始めた若者たち」というコラムがあり、“好ましく”読んだ。曰く・・・

「米国発の金融危機に歯止めがかからない。名門金融機関のエリート社員たちが、私物を放り込んだ段ボール箱を抱えてオフィスを出る様子が、連日テレビに映し出されている。この惨状をずっと前に予知していた人たちがいる。米国の大学生たちだ。今から3年目、ニューヨーク在住の友人がこんな話をしてくれた。
「少し前まで、ハーバード大学でMBA(経営学修士)」を取るようなエリート学生は、初年度に2,000万円を超える年俸を出す証券会社や投資銀行に迷わず就職した。大きな会社で金融のスキルを見に付けたら、独立して投資ファンドを立ち上げるのは『成功』だった。でも、今の学生が最もあこがれるのは、年収200万円にも満たない職業なのよ」
その職業とは「ソーシャル・アントレプレナー」。日本語に訳せば「社会起業家(=社会変革と収益事業を両立させて起業する人達)
」となる。ビジネスの技術を駆使して社会貢献を目指す新しいタイプの起業家だという。知人はこう続けた。
「投資銀行に行く人たちも『自分はお金がほしいのではなく、金融を学んで将来、ソーシャル・アントレプレナーになるのが目的だ』と言い訳しないと、白い目で見られるようになったのよ」。経営破綻した米証券大手のリーマン・ブラザーズは世間に「グリーディー(強欲さ)」を批判された。若い世代はかなり早い段階から、その価値観を共有していた。(蹴球)」

同じような指摘で、先日(08/9/17)の日経朝刊1面下のコラム「春秋」に、こんな記事もあった。
つまり、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」を引用して、同じ糸に登ってくる他の罪人をののしる主人公に、お釈迦様が慈悲の欠落を見抜いて糸を切ったのと同様に、バンク・オブ・アメリカのCEO(最高経営責任者)は、救済相手を(今回破綻した)リーマン・ブラザーズでなくてメリルリンチに変え、リーマン・ブラザーズを見捨てた理由を「グリード(貪欲)」(な会社だったから)と言い切っているという・・・。

「・・・・小説で蜘蛛の糸を垂らしたお釈迦様は、同じ糸に連なって登ってくる他の罪人をののしる主人公に、慈悲の欠落を見ている。破綻した米国4位の証券大手リーマン・ブラザーズの問題点を、救済対象を第3位のメリルリンチに変えたバンク・オブ・アメリカのCEOは「グリード(貪欲)」と言い切っている。・・・」

法人(会社)という「人間」の生きざまを、皆はじっと見ている。そしてイザという時に、その過去の生きざまを、皆は思い出す。そしてその「法人」は、その時に後悔してももう遅い・・・・。

話が変わるが、先日、韓国サムスン電子が、東芝のフラッシュメモリーの提携先である米サンディスクに買収を提案し、サンディスクが評価が低いとの理由で拒否したと報じられた。しかも、数ヶ月間両社が内々で協議していたことも明るみに出た。
開発した東芝と、技術供与されてシェア1位を確保した韓国サムスン電子とは、大人の付き合いだった、とも書いてあった。しかし、心を許していたはずの許婚が、何と別の男と結婚の相談をしていたとは・・・・

確かにビジネスは「競争」である。しかし、ただ儲けるために食用でない米を食用として売った三笠フーズを始め、背信行為をした法人は舞台からたたき出されることは世の常でもある。
ここで、リーマン・ブラザーズやサムスンを論ずるつもりはないが、最近自社も色々とある事から、これらの話題を聞きながら、法人を構成する社員全員の心をひとつにして世の中から尊敬される「法人」を作ることが、如何に難しいかを感じるこの頃である。

しかしこの記事で、若者たちが「お金」だけでない・・・という価値観を持っている姿に、頼もしさを覚えた。

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2008年9月17日 (水)

永田和宏氏の短歌の世界・・・

いつものように、通勤電車の中でNHKラジオ深夜便「こころの時代」「科学と短歌〜ふたすじの道を歩む 歌人・京都大学教授 永田和宏」(08/9/14~15放送)を聞いて、初めて?短歌の世界を覗いた。

先日の「詩」の世界もそうだが、どうも自分はこの手の世界は苦手だ。しかし、今日の放送を聞いて、意外と“短歌の世界は表現が易しいな”とも思った。
永田和宏氏は細胞生物学者で、京都大学教授。トシは自分と同じ。夫人も子供さんもみな歌人だという。数々の賞にも輝く、その道ではぴか一の存在らしい。
その永田和宏氏が自分も歌も含めて、色々な歌を紹介されていた。曰く・・・

「南日本新聞の選者もしているが、印象に残った2つの歌。どちらも亡くなった夫を歌っている。

「逝きし夫(つま)の バッグのなかに残りいし 二つ穴あくテレフォンカード 玉利順子 南日本新聞の投稿歌」
長い間闘病生活をしてきた夫。いつも待合室から電話をかけてきた。残りの、あくはずだった五つの穴で、“ありがとう”と言いたかったのだろう・・・

「亡き夫(つま)の 財布に残る札五枚 ときおり借りてまた返しおく  野久尾清子 南日本新聞の投稿歌」
死者はいつまでも向こうに行ってしまわないで作者の中に生き続ける。我々の記憶の中に留め置かないと、死者はあまりにかわいそう・・・

2000年10月に、奥さんの(同じ有名歌人の)河野裕子さんが乳がんの手術を受ける。その時に、男女の差が歴然と出る・・・。
永田和宏氏の歌・・・・
「ガンと腫瘍の違いから先ず説明す 何も隠さず 楽観もせず」
それに対して、奥さんの河野裕子さんがこたえる。
「今ならば 真っ直ぐに言う 夫(つま)ならばかばって欲しかった医学書閉じて」
夫として、理論ではなくてかばって欲しかったという。自分としてはもっと生きて欲しいので、こんな事くらい大丈夫なんだから・・と、安心させたくて理論で言った。
「君と同じレベルで 嘆くことだけはすまいと来たが そう悲しむか」
「平然と 振舞うことはあらざるを その平然さが人(妻)は悲しむ」
「ひと言の 優しき言葉はたちまちに 我をおかすであろうとおそれき」
「ポケットに 手を引き入れて歩みつつ いやなのだ 君が先に死ぬなど」
・ ・・

奥さんだけでなく、娘さんの短歌も・・・
「鼻をかみ 鼻をかみして大泣きに 嘆く娘と夜の明けるまで」
娘が恋をして、その話を聞きながら・・・

(父親に、普通の娘が自分の恋の話など言うかな??)

孫の歌をひとつ・・
「“君”付けで 自らを呼ぶ2歳児が その父親を呼び捨てに呼ぶ」
皆が“櫂君”と呼ぶので自分のことを“櫂君”と呼ぶ孫が、永田氏が長男永田淳氏を“淳”と呼び捨てにするので、孫までそれを真似て、淳”と呼び捨て・・・。それが面白くて・・

40年間、後ろめたさとの戦いだった。“この路一筋・・・”が普通の美学。しかし自分はサイエンスと短歌の両方。短歌は趣味ではない。短歌にも自分の人生を懸けている。“短歌だけ”はダメ、“サイエンスだけ”もダメ。だから片方の存在で片方を言い訳したくなかった。後ろ指差されたくなかった。自分は、普通の人の2倍の人生を楽しんでいる。
短歌をあとで読むと、その時々の自分の時間が短歌の中に刻まれてきたのが非常に大きかった。娘は何かのインタビューで“歌を作ると自分の時間に重りがつくような気がする”と表現していた。
今は選者としても、年間に読む歌は30万を下らない・・・。」

話が変わるが、自分の(とっくの昔に亡くなった)祖母(明治27年生まれ)が短歌をやっていたことを思い出した。たしか「ぬはり社」といった。Netでみたら「若山牧水系の短歌結社[ぬはり社短歌会]は、牧水の最高弟の[菊池知勇]によって開設された歴史ある会です。 結社誌も2002年7月で通巻825号になります。・・・」という記事があった。まだ存在するらしい。
その祖母が、1970年に自分の歌を1冊の本にしたことを思い出した。「歌集~筧(かけい)」という。昭和30年初期、祖母たちは水戸に住んでいたが、その庭にあった筧・・・・。自分も1冊持っている。Netで検索したら、何とamazonにもあった。もちろん古書で取り扱い外だが、いやはやビックリ・・・。

ひょんなことで、今日は祖母の短歌を思い出した。もしかすると、その血が自分にも流れているかも??? まあ、それは当然だけど、自分に短歌の才能が無いことだけは確か・・・・・

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2008年9月16日 (火)

吉田兄弟の「津軽三味線」の妙技

今日は、津軽三味線の吉田兄弟である。(HPはここ) 吉田兄弟は、1999年のデビュー以来、伝統楽器の津軽三味線を現代にマッチさせ、数々のオリジナル曲を発表している。まさにロック? 

<吉田兄弟「百花繚乱」>

<吉田兄弟「マドゥルガータ」>

Yoshidakyoudai これ以降は残念ながら聞いていないが、NHK hiでも吉田兄弟のコンサートが放送されたらしい。この兄弟は、公式HP(ここ)にもあるように、1977年と1979年生まれというから、今31歳と28歳。この録音当時は24歳と22歳。1999年の国内デビューに続き、2003年に全米デビュー。「伝統」と「革新」を掲げて、もう10年の活躍である。
しかし“「伝統」と「革新」”というキャッチフレーズはなかなか良い。この演奏を聞くと、まさに伝統楽器が見事に現代に生きている。
一度生演奏を聞いてみたいと思ってHPを覗いたが、日本での公演の予定は良く分からない。
前に、雅楽楽器を現代音楽で蘇らせた東儀秀樹をTVで見たが、それに比べて吉田兄弟はものすごく派手。まあこれは楽器の種類にもよるのだろうが・・・
しかし両者とも、伝統楽器をまず自分のものにして(完璧な演奏)、それから革新している。これが素晴らしい・・・
先日辞任した北の海前理事長ではないが、伝統の上に胡坐をかくのは楽。しかしそれから、色々な“しがらみ”を棄てて革新させるのは難しい。(今度の新首相はどうだろう?)

しかし、今日野茂を超えて17勝目を挙げたメジャーの松坂投手と同じく、この吉田兄弟や喜多郎のように日本のミュージシャンが世界に出て、多くの人に感動を与えるのは、日本人として実に誇らしい。
我々のような“一般ピープル”には、世界に誇れるものなど何も無いので、このような“世界を相手に活躍”の話を聞くと、元気を貰えるよね・・・

●メモ:カウント~18万

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2008年9月15日 (月)

ホスピス医 細井順医師の死生観

NHK教育TVの「こころの時代」~「ガンで見つめる“いのち” ホスピス医…細井順」(2008/9/14放送)を見た。(再放送:9月21日午後2:00~)
ヴォーリズ記念病院ホスピス医の細井順医師は1951年生まれの56歳。父親が胃がんのためホスピスで亡くなったが、初めてホスピスの医療に接したとき、「目から鱗・・・」。そして1996年、43歳のときに外科医からホスピス医に転身。4年前には自身も腎臓がんで摘出の経験がある方。なかなか含蓄のあるお話で、感銘を受けたので少し書いてみる。
この番組で細井医師は語る・・・

「ホスピスで行われる苦痛を和らげる医療は、ターミナルケアとも呼ばれ、与えられた一日いちにちをより充実したものにするための医療。
人が死ぬという事は決して病気があるから死ぬのではない。人間だから死んでいくのだ。だからターミナルケアは、いつから始まる・・というより、常に心のどこかに置いておいて、生きている人生の仕事の一つとしてあるのではないかと考えている。だから、ガンになったから死ぬのではなく、人間だから“その時”が与えられるのだ。患者さんから教わったことは、死というものは厳然としてそこにあるので、それを心の片隅に置きながら日々の生活をしていく事が大切・・ということ。

ホスピス医は患者と目線を合わせて、最初に「今どこか苦しいですか?」と聞く。我々外科医は、レントゲンや血液検査データなどを見て動いて(判断して)おり、患者の顔(色)を見ることなど無かった。患者を診るというよりも病気を見ていた。医師の仕事は病気を治すことだと思っていた。
それがホスピス医は、患者のつらさを取ることに注力していた。人と人との関わりの中で、人として、同じ弱さを持った人間としてそこにいた。ホスピス医は、病気を治すよりも、つらさを取る。外科医の時には病気を治すのが自分の使命と思い、ホスピス医になった当初も痛みを“取ってあげる”事が仕事だと思っていた・・・。

12年間のホスピス医の経験で思い出すのが、前立腺がんで腰の骨に転移した70代後半のおじいさんの話。入院した時、「ワニに食われて振り回されているように痛い」と言った。一日モルヒネを打ったりしたら、翌日痛みが半分になった。そして1時間いろいろな話を聞いてあげたら、「痛みはすっかり取れた、この病院に来てキリストに出会ったようだ」と言ってくれた。
痛みには「全人的な痛み」として身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、家庭的な痛み、霊的痛みなどがあるが、既にもらった戒名の話や、今までの人生の話を聞いてあげたことで痛みが取れたのだと思った。だからホスピスでの治療は、ただモルヒネの量を増すのではなく、その人の思っていることをしっかりと受け止めてあげることが大切だ。

もう一つ印象に残っているのが、付き添って高校の卒業式に行ったこと。その高校生は中学3年のときに膝の骨肉腫になって片足の切断。2月にホスピスに来たときには、寝ては呼吸が出来ない状態だった。「今一番、何がしたい?」と聞くと「高校の卒業式に行きたい」と言う。残り時間が少ないので、最後の望みを叶えることにして看護士2人と一緒に卒業式に行った。生徒達が皆で門から拍手で出迎えてくれた。その高校生が卒業証書をもらって皆に掲げたら、割れんばかりの拍手。その高校生は片足の松葉杖で3年間ブラスバンドをしていたので、ブラスバンド部が校歌やその高校生の好きな曲を演奏した。その時、これほど全員の心が一体になれるのか・・・と思った。帰ってきて「あとどのくらい生きられる?」と聞くので、「始業式まで頑張れたら良いね」と答えた。「そんなに少ないのか・・」と言った。その高校生が「ありがとう」と言って握手してくれたその温もりが、ホスピス医の自分たちの力になっている。

そして4年前、細井医師は大量の血尿から腎臓がんを発病、摘出。しかしがん患者になってみても、何も変わらないことに気付いた。一日いちにちを悔いの無い様に生きること。病気があろうと無かろうと、生きれるだけ生きるしかしかたがない、と思った。

死の恐怖は「私だけが」という「孤独感」だと思う。死を意識したとたんに、一人ぼっちで寂しいのだと思う。そこにホスピス医がどうしたら寄り添えるか・・・。その「寂しさ」というベースを、ホスピス医が共有すること、理解することが必要。
「生命(いのち)」と「いのち」とは違う。人間は生命体としての「生命(いのち)」は無くなっても、「いのち」は死ぬ事によって次々と受け継がれていく。大きな「いのち」があって、その部分部分が私達なのではないか・・。「生死を越えた命の在りかを共に探し求め、永遠を想い、今を生きる」が、私が願っているホスピスの姿。肉体的な生命体としての死はあるかもしれないが、しかしその事によって新たな生命が次に受け継がれていく。その事に気付けば、ホスピスでの死は悲しみだけでなく新たな生まれる喜びにもなっていくのではないか・・・」

いつもの通り、この記事もNHKの番組をただ文字にしただけだ。しかし、なかなか良い話だった。自分はなるべく病気のこと、死のことは意識的に考えないようにしている。なぜか? 怖いから・・・
しかし今日の話を聞いて、自分がいつか重大な病気になったら、またはガンの宣告があったら、この番組を録っておいてもう一度見よう、そしてこの人の本を読んでみようと思った。(←何で今ではない? ←怖いから・・・)

しかし、ホスピスは殆どがクリスチャン系。これは何故だろう?
カミさんに言わせると、「そう簡単には入れない」というホスピス。世の中、益々高齢化に進む。単にテクニックとしての「病気を治す」手段の医療だけではなく、人間として避けられないターミナルケアの重要性、またホスピスの必要性にもう少し社会が目を向けて行けないだろうか。

(関連記事)
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(1)~死生観が変わった
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(2)~朝日氏の語録
「病気」と闘うか?
「患者と医師の関係」
早期発見ははたして大切か?

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2008年9月14日 (日)

今夜は十五夜・・・童謡「十五夜お月さん」

今夜は「十五夜」だという。いわゆる「中秋の名月」である。
実は、我が家では「十五夜」は重要な日なのである。なぜか?年に一日しか販売されない「お月見だんご」を買わないといけないので・・・。

P10302721 我が家のこの風習(?)の歴史はもう10年以上前からだ。たまたま近くの菓子屋で十五夜限定のだんごを買い、これは美味い・・と、毎年買うようになったもの。今日もカミさんが買いに行った。いつもの通り、ススキもくれる。(日野駅前、日野市豊田の「紀の國屋」(ここ))

それにしても、毎年「何日に“だんご”が売られるのか」が分からない。毎年「十五夜」の日が変わるから・・・。今年も「紀の國屋」に電話をして確認してしまった。そして、どうしたら来年の十五夜の日にちが分かるのか、Netで見たら、こんな事らしい・・・。

「旧暦の8月15日を「十五夜」「中秋の名月」といいます。「中秋の名月」とは"秋の真ん中に出る満月"の意味で、旧暦では1月~3月を春、4月~6月を夏、7月~9月を秋、10月~12月を冬としていたことから、8月は秋のちょうど真中であり、8月15日の夜に出る満月ということで、そう呼ばれるようになりました。
現在用いられている新暦では1ヵ月程度のズレが生じるため、9月7日から10月8日の間に訪れる満月の日を十五夜・中秋の名月と呼んでいます。」(ここから引用)

「月見(つきみ)とは、狭義には、太陰太陽暦(旧暦)の8月15日(十五夜)と9月13日(十三夜)の夜の月見を指す。旧暦の8月15日を「中秋」と呼ぶため「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」ともいう。・・・
十三夜は日本独自の風習であり、・・・。十五夜と十三夜どちらか片方の月見しかしないのは「片月見」または「片見月」と言って嫌われた。」(Wikipedia)


とある。では「十五夜」と「十三夜」は新暦で何月何日だ? それには便利なサイトがあって、旧暦を新暦に直してくれる(ここ)。それで計算した結果が下記だ。(ここにメモしておくことで、来年になっても、何日に“だんご”を買いに行くべきがが分かる。~blogは備忘録である)

  (十五夜)      (十三夜)
2007年 9月25日/2007年10月23日
2008年 9月14日/2008年10月11日
2009年10月03日/2009年10月30日
2010年 9月22日/2010年10月20日
2011年 9月12日/2011年10月 9日
2012年 9月30日/2012年10月27日
2013年 9月19日/2013年10月17日
2014年 9月08日/2014年10月 6日(閏11月5日)
2015年 9月27日/2015年10月25日
2016年 9月15日/2016年10月13日
2017年10月 4日/2017年11月 1日
2018年 9月24日/2018年10月21日
2019年 9月13日/2019年10月11日
2020年10月 1日/2020年10月29日
2021年 9月21日/2021年10月18日

話は変わるが、前に童謡の「十五夜お月さん」の記事を書いた(ここ)。そこで、子供の頃に家にあったSP盤の「十五夜お月さん」の音をもう一度聞いてみたいと書いたが、それらしき音源が見つかった。
先日(08/9/5)のNHKラジオ深夜便「海沼実の歌の世界」で、川田孝子の「十五夜お月さん」が放送された。それを聞いて、「もしかすると、自分の記憶の引き出しに入っている昔聞いた“十五夜お月さん”は、これかも知れないな・・・」と思った。少し聞いてみよう。

<川田孝子「十五夜お月さん」>

「十五夜お月さん」
  作詞:野口雨情
  作曲:本居長世

 十五夜お月さん
 御機嫌さん
 婆やは お暇(いとま)とりました

 十五夜お月さん
 妹は
 田舎へ 貰(も)られて ゆきました

 十五夜お月さん 母(かか)さんに
 も一度
 わたしは 逢ひたいな。
(『金の船』大正9年9月号。原題は、『十五夜お月』)

色々調べてみると、川田正子のSPは有名だが、JASRACの作品データベースに川田孝子の「十五夜お月さん」は載っていない(ここ)。しかし「花嫁人形」との組み合わせでコロムビアから確かに出ている。(Yahooオークションにレーベルの写真付きで出ていた)
P10303721 たぶん昔の自分の記憶はこの川田孝子か川田正子なのだろう。まだ聞いていない川田正子の昔のSPも、どこかで聞いてみたいものである。
さーて、今晩は月が見えるかな???
(写真は、常磐道中郷SA(上り)の「十五夜お月さん」の石碑)

(関係記事)
童謡「十五夜お月さん」の思い出
今年の十五夜(エムズのひとり言)

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2008年9月13日 (土)

横浜YMCA山根誠之氏が紹介する「詩」の世界

先日のNHKラジオ深夜便「こころの時代」で「私の好きな詩~横浜YMCA顧問 山根誠之」(08/9/9~10放送)を聞いて、詩の素晴らしさを「知った」。「知った」という“初々しい”表現を使ったのは、実は自分は詩の世界では全くの素人なので・・・

昔、高校の頃、高村光太郎の「千恵子抄」という詩集を買ったことがある。それから島崎藤村も、それから啄木の「一握の砂」・・・・。これは詩ではないな・・
まあ正直、“自分の詩の世界”はこんな程度だ。それが、この番組で紹介してくれた色々な詩が、なかなか良いのである。 (このところ、金子みすゞなど、当blogも詩に凝っている?)
山根氏は、YMCAの世界では相当なやり手さんらしい。その山根さんが、YMCAの機関紙に、毎回好きな詩を取り上げたエッセーを書き続けていて、その世界からの詩の紹介であった。紹介された詩を幾つか文字にしてみると・・・

星野富弘さんの「風の旅」より(中学の体育の先生で、クラブ活動中に脊柱損傷で手足が動かなくなった方)

喜びが集まったよりも 悲しみが集まった方が
 幸せに近いような気がする
強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が
 真実に近いような気がする
幸せが集まったよりも 不幸せが集まった方が
 愛に近いような気がする

===============
「あいたくて」~工藤直子
 だれかに あいたくて
 なにかに あいたくて
 生まれてきた ――
 そんな気がするのだけれど

 それが だれなのか なになのか
 あえるのは いつなのか ――
 おつかいの とちゅうで
 迷ってしまった子どもみたい
 とほうに くれている

 それでも 手のなかに
 みえないことづけを
 にぎりしめているような気がするから
 それを手わたさなくちゃ
 だから

 あいたくて

===========
「命一式」 (星野富弘全詩集Ⅱ)
 新しい命一式 ありがとうございます。
 大切に使わしていただいておりますが
 大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり
 申し訳なく思っています。
 いつもあなたが 見ていてくださるのですし
 使いこめば良い味もでて来ることでしょうから
 安心して思い切り 使っていきたいと思っております。

=========
「幸せ」~いちはらめぐみ(NHKみんなのうた)
 おばあちゃん
 もしかして
 おとうさんは
 おばあちゃんから
 生まれたの
 ありがとねぇ
 (障害児)

=======
読売新聞の子供の詩から(川崎洋 選)

あのねママ
ボクどうして生まれてきたのか知ってる?
ボクね
ママに会いたくて生まれてきたんだよ

==========
「無題」~佐藤 智子(広島市南観音小5年)
 よしこちゃんが やけどで ねていて
 とまとが たべたいと いうので
 お母ちゃんが かい出しに いってる間に
 よしこちゃんは 死んでいた
 いもばっかしたべさせて ころしちゃったねと
 お母ちゃんは ないた
 わたしも ないた
 みんなも ないた

==========
「弟」~栗栖英雄(広島市舟入小学校5年)
 いたといたの中に はさまっている弟、
 うなっている。
 弟は、僕に 水 水といった。
 僕は、くずれている家の中に、
 はいるのは、いやといった。
 弟は、だまって そのまま死んでいった。
 あの時 僕は 水をくんでやればよかった。

(この2編の原爆詩については、前に吉永小百合さんの詩の朗読を聞いたことがあった・・・)

歌について、(このblogで何度か書いたが)自分は歌のメロディーは頭に入るが、歌詞がなかなか頭に入ってこない。この原因は良く分からない。しかし、この番組で紹介されたような「短い詩」は自分の頭に入るようだ。

話は変わるが、自分が昔から聞いているクラシック音楽の世界では、いわゆる「名曲」というのがあり、誰が聞いても「良い曲」は良いのである。
しかし詩の世界ではどうだろう? 確かに詩人一人ひとりの詩集はある。しかし、詩の世界全体を通して「名詩集」というのはあるのかな? それは、人によって感性が違うので難しいかも知れない・・・。
しかし、今日の山根さんの好きな詩というのは、自分にはフィットしたようだ。山根さん選の「詩集」が出来ると面白いかも・・
まあこれを機に、少し詩の世界も覗いてみようか・・・

しかし、NHKがどんな基準で、「こころの時代」に出演する人を見付けて来るのか分からないが、良くもまあ・・と思うこの頃ではある。(一度NHKから、出演者の選定基準、人選びの苦労話を聞いてみたいもの)

(関係記事)
純白なこころ・・・「金子みすゞ」の世界
「かけがえのない大切なもの」
吉永小百合が朗読する「人間をかえせ」

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2008年9月12日 (金)

石井筆子の映画「筆子 その愛」を見て

“障害児教育の母”と呼ばれた石井筆子の映画「筆子 その愛」を見た。ひとことで言うと「つらい」映画だ。娯楽映画としては絶対に成功しない。それはなぜか?「現実」を直視する“つらさ”に耐えられないから・・・。
昨年この映画を見たカミさんは「切ない」という感想を漏らしていたが、自分にはつらい映画・・・。

(石井筆子の人となりを、貰ったパンフから転載)
「幕末、長崎大村藩士の娘として生まれた筆子。その美貌と知性で“鹿鳴館の華”と呼ばれ、(津田塾大学を作った)津田梅子と共に女性の教育と地位向上に力をそそいだ。しかし、最初の夫・小鹿島果との間に生まれた三人の娘はいずれも知的障害や病弱である上、夫を若くして亡くすなどの不幸が筆子を襲う。しかし、筆子は社会活動を精力的に行い、その中で日本初の知的障害者施設「滝乃川学園」の創始者・石井亮一と運命の出会いを果たす。その後、亮一との再婚を決意した筆子は、夫の事業を支える一方、学園の子供たちに無償の愛を捧げ、やがて“障害児教育の母”と呼ばれるようになる。」

一年ほど前、くにたち郷土文化館(国立市谷保)で開催されていた「滝乃川学園~石井亮一・筆子夫妻の軌跡」展に行ったことがある。当blogでも書いた。(ここ

Scan103701 この時に知った映画「筆子 その愛」(これ)を、そのうち見たいな・・・、と思っていた。そうしたら、先日(例の)NHKラジオ深夜便「こころの時代」で「福祉を拓いた女性、石井筆子の愛を語る 映画監督 山田火砂子」(08/9/7~8放送)を聞いた。実は、それがきっかけで、今晩、会社の帰りに、中野で途中下車して、「なかのZERO」で見てきたというわけ。
ここは視聴覚ルームなので席は80席ほど。19時の開始というのに、観客は30~40人ほど。ほとんど初老のかた。若い女性もいたが、若い男性は皆無。
でも山田火砂子監督がわざわざ来られて、挨拶で熱弁をふるっていた。なかなか説得力のあるお話で、なぜこの映画を撮ったかというと「忘れ去られていた石井筆子を、皆の心に蘇らせたいと思ったから・・・」とか。
この映画は、出来てからもう2年になる。最初、劇場で上映したら全く人が入らなかった。それから地道に口コミで上映が続いており、海外でもロスで反響を呼び、今度はロンドンでも上映されるとか・・・。
山田監督は75歳になるという。不自由な足を庇いながら歩いてこられた。山田さんの知的障害をもった娘さんは45歳になり、中野の施設に入っているという。そして言う・・・
「このトシになると娘を引き取っても、とても世話ができない。だから絶対に障害者の施設は必要だ。親が生きているときは何が何でも世話をするが、親が死んだ後は、子供は誰を頼ったら良いのか? 今、刑務所に入っている人のうち、23%が知的障害を持っている人。このカネ・カネの世の中に、障害者が一人で生きて行く方法は無い。だから仕方なく、無銭飲食をしたりして、刑務所に居場所を求める。高齢者も同じだ。それなのに、何だ!今の障害者自立支援法は!・・・・
子供を育てる責任の80%は家庭。学校は20%。それなのに特に高学歴の母親は学校を責める。家庭でも、特に必要なのは母親の慈愛。母親の慈愛さえあれば子供はすくすく育つ。子供が家には帰ってくればまだ良い。家に帰らなくなったら問題・・・」
等々。

「鹿鳴館の華」であった津田梅子と石井(渡辺)筆子。二人にとって決定的な違いは何か? それは筆子が知的障害の子供を生んだこと。もし、筆子の子供が普通の子供だったら、この道を選んだとは到底思えない。これが現実であり、今も同じではないか・・・。自分の子供、または近所に知的障害者が居る人、またはボランティアで施設で活動している等、何か縁が無ければこの世界を見ようとしないのが普通の人。自分だってそうだ・・・。キレイ事ではなく、顔を背けて済むのなら遣り過ごしたい世界・・・・・。
しかし、この現実は存在する。例えそのような人が自分の近所に居なくても、存在する・・・。(統計によると、6.5%の世帯に障害者は居るらしい(ここ))

昨年、福田内閣が発足したときに、自立支援法が改正されるという報道があり(ここ)、ホッとしたものだが、その後どうなった?結局、その時に言ってみただけか?
山田監督は、経済優先の世の無策に嘆いておられた。そしてこの映画で、障害児を育てた自分の体験を通し、障害児教育の大切さを訴えている。まったく無欲な、いつまでも赤ちゃんの障害児・・・

入場券をフト見ると「製作協力券」とある。「この製作協力券1枚1200円が映画の製作資金として充当される」と書いてある。我々も、弱者救済に直接的な活動は出来なくても、“この映画を見ることによって協力する”という手段もある。
見ていて非常にツライ映画だが、この記事を読んで、もし一人でも見に行ってくれる方がおられたら、監督が「お願いします」と言っていた「口コミ」のお手伝いが少しは出来たようで、当サイトとしても嬉しいのだが・・・・。

映画「筆子 その愛」公式ホームページは(ここ)、上映予定は(ここ

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2008年9月11日 (木)

「巨人の星」~ゆけゆけ飛雄馬

人生では、何度か“奮い立たなければならない時”がある。そんな時、こんな応援歌はいかがだろう? 今日は元気の出る(?)歌である。

自分はほとんどマンガを読まない。でも例外が二つある。「巨人の星」と「あしたのジョー」である。「あしたのジョー」はオトナになって改めて単行本を買って読んだ。それに比べ、「巨人の星」はマンガというよりTVアニメの印象が強い。そのTVアニメで流れていた主題歌がこの「ゆけゆけ飛雄馬」である。

<「巨人の星」~ゆけゆけ飛雄馬>

「巨人の星」主題歌「ゆけゆけ飛雄馬」
  (読売テレビアニメ「巨人の星」主題歌)
  作詞 東京ムービー企画部
  作曲 渡辺岳夫
  歌 :アンサンブル・ポッカ

1)思いこんだら 試練の道を
 行くが男の ど根性
 まっかにもえる 王者のしるし
 巨人の星を つかむまで
 血の汗流せ 涙をふくな
 行け行け飛雄馬 どんと行け

2)腕も折れよと 投げぬく闘志
 熱球うなる ど根性
 泥にまみれ マウンド踏んで
 勝利の凱歌を あげるまで
 血の汗流せ 涙をふくな
 行け行け飛雄馬 どんと行け

3)やるぞどこまでも 命をかけて
 父ときたえた ど根性
 でっかく生きろ 剛球もえろ
 男の誓いを 果たすまで
 血の汗流せ 涙をふくな
 行け行け飛雄馬 どんと行け

この「巨人の星」についてはWikipediaに非常に詳しい解説が載っている。それによると「漫画は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載された。TVアニメ化もされ、1968年3月30日~1971年9月18日によみうりテレビ系で、全182話が放映された。」とある。
1966年というと昭和41年、自分が大学受験の時だ。だからマンガは読んでいない。もっぱら、その後のTVで何度も見た記憶がある。自分は飛雄馬の父親の星一徹が好きだった。(実はそれで、とんだ間違いをするのだが・・・。←それを知っているのはカミさんだけ・・・)

話は変わるが掲載されていた「週刊少年マガジン」が発行された時の事をまだ覚えている。創刊は「週刊少年サンデー」と同じ1959年(昭和34年)3月17日というから、自分が小学校5年の時だ。両誌とも、友達から見せてもらって、毎週ワクワクしたのを覚えている。Netで見たら、両誌とも今でも発行されているらしい。

この歌もしばらく忘れていたが、いつだったか会社の飲み会で、誰かがカラオケで「行け行け飛雄馬・・・」と歌い出した。自分も嬉しくなって一緒に歌ってしまった。「そうか、カラオケにあるのか・・」と、それからタマに歌ったものだ。もうカラオケという言葉も、自分からは少し遠い存在になってしまったが・・
まあ、頑張らなければならない時、昔のこんな「元気になる歌」を聞くもの良いではないか・・・。

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2008年9月10日 (水)

純白なこころ・・・「金子みすゞ」の世界

NHKラジオ深夜便「こころの時代」で「魚と小鳥と神様と〜金子みすゞのまなざし 児童文学者 矢崎節夫」(08/9/3~4放送)を聞いた。

Image01521 Image01591 Image01601

もちろん金子みすゞという名は前から知っていたし、TVドラマを見た記憶もある。しかし、その詩を解説付きでしみじみと味わったのは初めてであった。
Image01641 「金子みすゞ記念館」(ここ)の矢崎館長は、16年位掛かって金子みすゞの詩を探し出して世に出した人。金子みすゞの実弟をやっと見つけて、金子みすゞの手書きの3冊の童謡集を弟さんから託されたとき、世に出ていたのは90編だけだったが、そこに書いてあったのは4年間で作った全512編の詩だった。

Image01531 「大漁」
 朝焼小焼だ 大漁だ。
 大羽鰮(いわし)の 大漁だ。
 浜は祭りの ようだけど
             海のなかでは 何万の
             鰮のとむらい するだろう。

矢崎さんは、この詩を初めて聞いたときに衝撃を受けた。今までの「いわしが大漁でうれしい」というだけの受け止め方に、「食べられる鰮も命だよ・・・」と気付かしてくれた。この詩によって、“生き物たちの命をもらって生かされている”自分に気が付いた。食べる前の「頂きます」という知識が、ストンと分かって“知恵”に変わった。それから「金子みすゞの世界」に魅せられた、という。

金子みすゞは山口県長門市仙崎で1903年(明治36年)に生まれ、20歳のときに同級生が兄の嫁として家に入るのを機に下関の親戚の書店(=上山文英堂~上の写真)に移る。そこで書店の番頭と結婚するが、不仲により26歳で離婚。その数日後、娘が(親権が父親のため)夫に奪われる当日、服毒自殺をする。(上のみすゞの写真は、自殺の前日に写真館で撮ったもの。遺品は3通の遺書とこの写真の受領書だったという)

この番組で紹介された詩とその解説を幾つか・・・

Image01551 「土」
 こッつん、こッつん、打(ぶ)たれる土は、
 よい畑になって、よい麦生むよ。

 朝から晩まで、踏まれる土は、
             よい路(みち)になって、車をとおすよ。

             打(ぶ)たれぬ土は、ふまれぬ土は、
             いらない土か。

             いえいえ、それは、名のない草の、
             お宿をするよ。

ひとつとして無用なものは無い。あなたはあなたで良い、居るだけで良い、という事をこんなに優しい言葉で言ってくれる・・・。

Image01581 「積もった雪」 
 上の雪 さむかろな。
 つめたい月がさしていて。
 下の雪 重かろな。
             何百人ものせていて。
             中の雪 さみしかろな。
             空も地面(じべた)もみえないで。

この詩では、中の雪に気付いている。みすゞさんは見えないものにも優しい。
記念館にこう書いてある。「誰の心の中にもみすゞさんは居ます。あなたの心の中のみすゞさんに出会ってくれると嬉しいです」

Image01561 「私と小鳥と鈴と」
 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
             地面(じべた)を速くは走れない。

             私がからだをゆすっても、
             きれいな音は出ないけど、
             あの鳴る鈴は私のように、
             たくさんな唄は知らないよ。

             鈴と、小鳥と、それから私、
             みんなちがって、みんないい。


(朗読)宮崎美子

「みんなちがって、みんないい」と、誰もが言って欲しい言葉をキチッと残してくれたのがみすゞさん。「鈴と、小鳥と、それから私」と題と順番が逆になっているのは、自分に都合の良い「私とあなた」ではなく、「あなたと私」という視点。

Image01571 「不思議」 
 私は不思議でたまらない、
 黒い雲からふる雨が、
 銀にひかっていることが。
 
             わたしは不思議でたまらない、
             青い桑の葉たべている、
             蚕が白くなることが。

             私は不思議でたまらない、
             たれもいじらぬ夕顔が、
             ひとりでぱらりと開くのが。

             わたしは不思議でたまらない、
             誰にきいても笑ってて、
             あたりまえだ、ということが。

この詩は小学校の教科書にも出ている。小学生に対しては、こう言っている。「“あたりまえ”が素敵なことだという事は大人は皆が知っている。でも、当たり前だと横に置いてしまいがち。当たり前のことをしたら褒めようね・・・」

Image01541 「蜂と神さま」   
 蜂はお花のなかに、
 お花はお庭のなかに、
 お庭は土塀(どべい)のなかに、
             土塀は町のなかに、
             町は日本のなかに、
             日本は世界のなかに、
             世界は神さまのなかに。

             そうして、そうして、神さまは、
             小ちゃな蜂のなかに。

「私の中に、神様も仏様もみんないて下さる・・」。金子みすゞという人は、花を見ても魚を見ても石を見ても、そこに神様や阿弥陀様を感じられる深いまなざしを持っていた人だったのだろう。

お話をされていた矢崎節夫氏は、「一人の人が蘇ると、たくさんの人が幸せになれるんだ、と思う」と言っていたが、インタビューしていたアナウンサーが感激してこう言っていた。「ラジオをお聞きの方も、初めて聞いた方はこんな素晴らしい詩があるのだろうか・・と思われただろうし、みすゞさんを知っている方も、あの優しさを自分の身に付けたいな・・と思うし、子供たちにもこの優しさをぜひ身に付けて欲しいな・・・と思っていまう

金子みすゞは、まさに純白の心で我々に迫ってくる。そして、誰もが忘れかけていた「素直なこころ」「子供のこころ」を呼び戻してくれる・・・

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2008年9月 9日 (火)

ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲

自分にとって、「幻の協奏曲」だったハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲のCDを買った。第一主題は頭にこびり付いているが、全曲をまともに聞いたことはほとんど無かった。40年以上に亘る録音人生の中でも、録音のチャンスはなかった。

人間の記憶は、それぞれ引き出し(風呂屋の下駄箱?)に入れているようだという。この曲が、その記憶の引き出しにまだ入っているようで、この曲を聞いた場面を今でも覚えている。中学生の頃だったか、寝ようとして床に入っていたとき、隣の部屋のラジオから流れてきたのがこの曲だった。暗い床の中で、そのユニークな第一主題と曲名とを知った。その後、どこかで聞いたことがあったかも知れないが、録音は出来なかった。そして今・・・

<ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲>
    
~パールマン/メータ・イスラエル・フィル

アラム・ハチャトゥリアン(1903-1978)は「剣の舞」で有名なソ連の作曲家であるが、このヴァイオリン協奏曲をご存知の方はそう多くあるまい。何せレコードが少ないのである。
このヴァイオリン協奏曲は、アルメニア民族音楽を研究していた研究成果として1940年に作曲され、ダヴィッド・オイストラフに献呈された。1940年11月16日にオイストラフの独奏とアレクサンドル・ガウク指揮のモスクワ放送交響楽団によってチャイコフスキー・コンサートホールで初演され、大成功を収めたという。日本での初演は、1963年2月9日、レオニード・コーガンの独奏、ハチャトゥリアン指揮 読売日響の演奏で東京文化会館で自作自演された。
1963年2月というと、自分が中学3年の時だ。もしかすると、その初演の演奏をラジオで聞いていたのかも知れないな・・・。そう思うと、この曲に対して何か親近感を覚え、ゾクゾクしてきたぞ・・・。オイストラフもハイフェッツと並んで、若い頃によく聞いたな・・・

還暦になって、一回りした記憶が蘇って来るこの頃ではある。

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2008年9月 8日 (月)

メイ子の顔・・・人間と犬との信頼関係

我が家でも犬を飼っている。犬種はヨークシャテリアで、名を「メイリー(美麗=中国語で美しいという意)」という(愛称=メイ子)。もう6歳になるので、人(犬)生の半分を過ぎたことになる。母親は亡くなったが、父親は実家の(ここ)に居る。
最近、ウチのカミさんが「メイ子は幸せだろうか?」「メイ子は笑っているか?」と聞く。自分は理科系のためか「犬は、顔の筋肉の出来が人間とは違うので、“原理的に”笑わないだろう・・」と、にべも無い。(人間は顔の表情筋が約80個あり表情豊かだが、犬などは表情筋がそれほど多く無いという。(ここ)しかもウチの犬はヨーキーなので、毛むくじゃらで、例え笑っていても分からない・・)

P10302541 また、カミさんは「犬にはなりたくない。趣味が無くて、毎日することが無いのはイヤだ・・」とも言う。しかし、これだけは間違いだ。ウチのメイ子の趣味はれっきとした「テレビ鑑賞」なのである。犬の鳴き声や、動物がTVに出てくると、尻尾を振って「ワンワン・・」。それは、それは、けたたましい。(↑これが証拠)

本件とはあまり関係無いが、先日、(いつもの)NHKラジオ深夜便アーカイブス「人生読本~顔」作家…中里恒子(08/8/24放送~昭和51年2月3日の再放送)を聞いた。そこで、“犬の顔”について心に残った話があったので書いてみる。(中里恒子氏=第8回(1938年)女性初の芥川賞受賞者)

「・・・・昔、外国の物語を聞いて忘れられない話がある。筋を言えば・・・・
夫を亡くした未亡人が一匹の犬を飼っていたが、何年か経つうちに蓄えも段々無くなって、犬さえも養うのが困難になってきた。未亡人も病気がちになり、結局は親戚のやっかいにならなければならなくなった。先ず考えたのが犬をどうしようか・・。人にもらってもらうだけの立派な犬でもないし、連れても行けず、残してもいけない。捨て犬を入れる穴があるが、そこに入れると集まった犬に殺されるかも知れないと聞いて、そこに入れるのは止め、近くの山のふもとに、何のためか大きな穴があるのを知って、そこに犬を捨てに行く決心をした。散々迷ったが、自分はこれから人の世話になって暮らすのだから、犬はこの穴の中で死ぬのが一番良いと決心して、最後にたくさんご馳走を食べさせて目をつぶって犬を穴の中に放って、逃げ帰ってきた。翌日、たまりかねてそっと穴を見に行くと、犬はもちろん生きて空を見上げている。婦人がその犬の目を見たときに、何か訴えられているようなたまらない気がして、慌てて帰って来た。それから4~5日してまた見に行った。食べ物は無くなっていたが、犬はまだ生きていた。それで婦人は犬が上を見ているのを、犬の方は見ないようにして、無我夢中で食べ物を穴に放り込んで、また家に逃げ帰った。そんな風にしてとうとう3週間たった。いよいよその婦人が旅に出なければならない時になり、そっと犬にお別れに行った。もう死んでしまっただろう。どっちみち生きているはずはない。そう思ってそっと穴のそばに寄ると、犬はまだ生きていた。そして上を見て鳴いた。婦人は穴のふちに座って、一生懸命犬の名を呼んだ。夢中で呼んで、走って人を呼んで、人の助けを借りてハシゴを穴に下ろし、やっと犬を救い出した。・・・
こんな物語だが、人間通しの愛よりも切実なものを感じた。今考えてみると、犬を捨てたのが愛か、痩せ細って骨と皮ばかりになって生きていた犬を救ったのが愛か、私はどちらとも言えないが、その婦人にとってはその両方ともが愛だっただろうと思う。
犬が3週間も生きていたのは、飼い主を信頼して、いつかは助けに来てくれるという望みを犬がずっと持っていたからだと思います。もし飼い主に対する信頼が無かったら犬は生きられなかったかも知れない。犬が出来るのはただじっと見るだけ。飼い主はその顔を見ただけで犬の何から何までも分かり、犬も飼い主の顔を見ただけで自分の全てを訴えたという了解が、両方に出来ただろうという気がします。」

“顔がすべてを語る”とは良く言う。でも、犬も顔ですべてを語るのか??
前にも書いたが、ウチはヨーキーのために顔が“毛むくじゃら”であり、風呂に入れたときなど、そのキツネのような(素顔の)スタイルにビックリすることがある(メイ子 ゴメンよ!)。しかし、その毛むくじゃらの顔の毛を剥いだとしても、メイ子が笑っているかどうかは、はなはだ疑問だ。
食事の時などは、メイ子と目と目を合わせることは良くある。でも何を考えているか、皆目分からない。でも、犬が日本語を喋れないことは、“お互いの平和のため”には良いことだ。(カミさんは、「もし喋ったら(=たぶん文句を言われるだろうから)、とても育てられないだろう」と言う・・・)

上の中里さんの話を聞いて、しげしげとメイ子の顔を見つめる今日この頃ではある・・・。
「メイ子 お前も信頼して生きて待っているか? それともさっさと見切りをつけてどこかに逃げるか?・・・・」

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2008年9月 7日 (日)

伊藤久男の「夕月の歌」

もう9月。そろそろ秋だな・・・。涼しくなった夕方、犬を連れて散歩・・。そしたら月が・・。“夕月”かな?(←・・ナンテこれウソ。またまた外は雷だ。今年はおかしい。台風が来ない代わりに雷雨が多い・・)
まあ言い訳はさて置き、また懐かしのメロディーである。
自分が伊藤久男の「夕月の歌」を知ったのも古い。高校時代だったか・・? もう40年も前・・・。この歌は昭和27年10月発売というから56年も前だ。てっきりNHKラジオ歌謡だと思っていたら、そうではないらしい。日本ラジオ歌謡研究会のHP(ここ)にも載っていない。なお、この歌は再録音されていない。

<伊藤久男「夕月の歌」>~昭和27年10月発売

「夕月の歌」
  作詞:寺尾智沙
  作曲:田村しげる

1)ふるさとの 丘に来て
 ひそかにも 君想う
 夕月の
 ほのかにかかる あの梢
 あああの梢

2)さよならと 頬よせる
 白樺の 白い木肌
 夕月の
 やつれた影に 湧く涙
 ああ湧く涙

3)思い出は はるかなる
 浮き雲の なお彼方
 夕月の
 うるんでいつか 消えてゆく
 ああ・・・

この歌の、作詞 寺尾智沙、作曲 田村しげるというコンビは、前に当blogで取り上げた「さざん花の歌」(ここ)や、岡本敦郎が歌った「白い花の咲く頃」「リラの花咲く頃」(そのうち取り上げる)と同じ夫婦コンビだ。
しかし、夫婦で作詞作曲というのも素晴らしい。このコンビはたくさんの叙情歌を残している。Netで調べて見ると(ここから引用)経歴は以下のようだ。

寺尾 智沙(本名寺尾富子:大正6年3月6日~昭和42年11月14日)広島県出身。
日本画家の父・寺尾通夫の娘として生まれ、幼くして上京。故郷を持たずに育つが、郷里を愛する田村しげるの影響で"ふるさと"を主題にした「白い花の咲く頃」がラジオ歌謡として大ヒット。コロムビアの専属作詩家として迎えられる。優しく温かい詩の多くは夫の田村の手により曲が付けられた。「白い花の咲く頃」は現在も日本人の心のふるさととして歌い継がれる。

田村 しげる(明治41年12月20日~昭和55年10月14日)京都府出身。
武蔵野音大卒業。昭和6年ビクターから「酔って笑って」を吹込み作曲家デビュー。翌年キングの専属となり、東海林太郎などに曲を提供。昭和24年に作曲した「白い花の咲く頃」がラジオ歌謡として大ヒット。作詩を担当した寺尾智沙とともにコロムビアの専属となる。郷里を深く愛し郷土に関する歌を多く残した。その叙情的な美しいメロディーは今も多くの人々に愛唱されている。

ウチも何かの才能があったら、夫婦で何かを残しただろうが、結局「ドラ息子」位しか残せなかった・・・。でもまあ「日本人の標準」なので許して頂こうか・・・

(関連記事)
NHKラジオ歌謡「さざん花の歌」

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2008年9月 6日 (土)

「目的の明示こそ行動力の源」~硫黄島の栗林中将

今日のニュースで、またまた「現場が独断でやった」と責任を部下に押し付けていた社長が「自分が指示したことに間違いありません」と謝罪記者会見をしていた。(「事故米」を食用に転用した三笠フーズの冬木社長) この事件の発覚も、農水省の「食品表示110番」への通報だったという。
繰り返されるトップの違法指示。それに従わざるを得ない従業員の姿・・・。ふと、組織を動かずトップの有り方・人格について考えてしまった。

この話とは内容が少し違うが、トップが組織を動かすことについて、先日の日経(08/8/25)の「リーガル映画館」(P25)というコラムに、「硫黄島からの手紙~目的の明示こそ行動力の源」という記事が載っていた。これは戦場での話だが、ビジネス世界でも全く同じ事が言える。曰く・・・

硫黄島からの手紙~目的の明示こそ行動力の源
ビジネスの現場では胃が押しつぶされるような思いで必死の努力をしなければならない時がある。そのとき最も大切なことは「何のための努力なのか」が明確であることだ。人は努力の意味を理解した時、初めて力を発揮できるからだ。
映画「硫黄島からの手紙」。渡部謙が扮する硫黄島守備隊司令官、栗林忠道中将は、米軍との激戦を前に将兵に振り絞るような声で訓示する。「もし硫黄島が敵の手に落ちれば、この地から本土への攻撃が始まる。最後の一兵になろうともこの島で敵を食い止める」と。中将は「子供たちが日本で一日でも安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味がある」と考えていた。
戦う意味を明らかにしたからこそ、これに続く中将の「敵兵十名を倒すまで死ぬることは禁ずる!」という言葉が実践的な「行動基準」の意味を持ってくる。中将はほかにも、「一発必中の射撃」「爆弾による敵戦車粉砕などの具体的な戦い方を掲げ、これらを「敢闘の誓い六カ条」として兵士に持たせたという。その結果、硫黄島の戦いでは米軍の死傷者が日本軍の死傷者数を上回った。・・・」

人生を振り返ってみて、「尊敬できる人」が何人いただろう・・。逆に、上司に「尊敬できる人」が居た人は、非常にラッキーな人ではないか? それほど少ないのが現状だろう。
部下の能力を最大限引き出してくれる上司は、部下に「働き(戦い)甲斐」を与え、「達成感」を与えてくれる。
もちろん、違法行為を先導する社長たちと栗林中将とを比べるつもりなど毛頭ないが、トップの資質に頼らざるを得ないのが組織員・・・。
しかし今は上記の事件のように、国や会社の「内部通報制度」などによって、トップが糾弾される仕組みが出来つつあることは幸いだ。
せめて「自分が組織を預かったら、こうする」という夢を持ちながら、(人を動かす)力(=人格)を蓄えたいもの。(まあ還暦の自分にはもう機会が無いけど・・・。たぶん)

追)前に書いた(ここ)「ただ餓死で死んでいったニューギニア」と、この「硫黄島の戦い」の違いを考えてしまった。もう少し勉強することにしよう。

(関連記事)
太平洋戦争を考える(7)~ニューギニア帰還兵 川村正風氏の話

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2008年9月 5日 (金)

「都会マンションへの脱出」が夢と消えた日・・・

今日はカミさんが大荒れだ。理由は、目指す品川のマンションの抽選に外れたから・・・。目指した19階の部屋の倍率は9倍。でもウチの番号の1番に対して、当選は5番。補欠は、順に次の番号に行くので、補欠の可能性も無い・・・

カミさんに、一軒家に“住んで頂いて”からもう30年(最初の家10年+今の家20年)になる。その間、ずっと言われ続けていたのが、「都会のマンションに住みたい・・・」。そして、息子どもが大きくなって家を出てから、少しその可能性が高まってきた。夫婦2人での5LDKは、さすがにでか過ぎ。2階の息子の2部屋と1階の和室はまさに物置だ。
自分が東京への通勤でアゴが出てきたのと、カミさんがラストチャンスと見つけてきた物件の時期とがマッチング。やっと自分もその気になってきた・・・という訳・・・。

P10301561 カミさんが雑誌で見つけ、ずっと待ち構えていた品川の定期借地権付きのマンションが、突然売り出されたのが8月初旬。名を「シティタワー品川」(これ)という。43階建てのタワー型のマンションで、総戸数828。
盆休みに現地見学に行った。品川駅の海側出口から徒歩10分位。天下の品川駅から歩ける距離。しかも定期借地権だから安い。80m2で3000万円。
しかし歩きながらマンションが見えてくると、なんだか見たことがある風景・・・。何と、前に何度も行った“ある客のビル”の真ん前。これには気分を害した・・。
暑い日だったが、周囲を回った。SONY本社ビルの隣で、とても人の住む所ではない、と思ったり・・・。でも大きな図書館が直ぐ近く。これは理想だ・・・
そして募集が始まり、中間倍率が発表されたら、何と目指す部屋は自分達しか応募していなくて1倍。しかも0倍の部屋が続出。これでは参考にならない・・・
ちょうどその頃、「シティタワー品川掲示板」(ここ)というのを見つけて、毎晩この書き込みを見ては一喜一憂・・・。その書き込み数の多いこと・・。いかに話題性が大きいか・・・
そして、今日の抽選会で見事ハズレ・・・

しかしこの掲示板の威力には感心。今日の抽選の模様も、まさに「実況生中継」されていたらしい。今日一日で1000もの書き込み・・。その中で、カミさんが見つけた一番面白い書き込み・・・

>No.440 by 匿名さん 2008/09/05(金) 16:37 
>キター!!!!!!!!!
>当たりました。うそハズレ
>あこがれの港南ライフ、真夏の花火、きらめきのレインボーベイブリッジよ、永遠に。さようなら
>つかのまの夢をありがとう。忘れないよこの思い、(クソ面白くねえな。)

トシをとってから、田舎の一軒家を売って都会のマンションに移る人がかなりいるという。トシをとると、やはり賑やかなところで「元気」をもらう必要があると・・・。だから自分も、せっかく人生の宿題をカミさんに返そうと思ったのに・・・
これで、犬を連れて品プリ(品川プリンスホテル)までお散歩・・・というのも夢・・・。サンダル履いて図書館・・というもの夢・・・・。
今回のように、地主の東京都が販売価格の上限を決めたというような物件は、今後もそう無いし、だいたい自分達が年齢的に対応できなくなってくる・・・。大きな変化に、肉体的・精神的に対応できなくなってくる・・・。

でも外れた“真の原因”を自分は知っているのさ・・。実は、自分はとうとう最後まで「タワーシティ品川」と呼んでいた。(本当は「シティタワー品川」)。物件の名前を間違えるようなヤツに「幸運の女神」が微笑むわけ無いよね・・・。

●メモ:カウント~17万

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2008年9月 4日 (木)

朝食を食べる人は66%・・~「3食」の役割

先日(08/9/2)の日経産業新聞(P1)に「ビジネスPlus」というコラムがあり、日本人の「朝食」についての調査結果が載っていた。これを見て“ヘエー”と思ったので、つい書いてみたくなった。曰く・・・

外で朝食 ワンコイン争奪戦
0809021 調査会社インターワイヤードによると、毎朝欠かさず食事をしている人は66.1%。週2回以下は「食べない」も含めて15.8%に達した。朝食を取る20代男性は46.1%と5割を下回るほど。朝は出かけるギリギリまで寝ていたい、おなかが減らず食べなくても平気など理由は様々だが、準備や後かたづけの手間を嫌う傾向もあるようだ。朝食を家で取る人は外食派よりも食事時間が短く、慌だだしい朝を過ごしている姿がうかがえる。
健康志向を背景に朝食を見直す動きも広がっている。農林水産省の試算では、朝食を取らない人が食べるようになると、1兆5000億円の市場が創出される。外で取る朝食はファーストフードやコーヒーショップが中心だったが、最近は回転ずしチェーンや定食系店舗なども参入している。朝の外食予算は8割強が500円以下。ワンコインを巡る需要争奪戦も激しくなりそうだ。」

このグラフが面白い。どの世代も女性が多いのは分かるが、50代で拮抗し、60代以上では男性が女性を上回っている。これは何とも理解しがたい。夫に先立たれた女性が、面倒になって朝食を取らなくなるのだろうか?
それに、60代以上の年代でも1~2割の人が食べていない。これも意外だった。

話は変わるが、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「ともに楽しく食事を作ろう 料理研究家・管理栄養士 田口道子」(08/8/29)の中で、こんな話があった。(いつもネタがラジオ深夜便で気が引けるが・・・)

「・・・・動物は本能で生きているが、動物は太陽が出て目が覚めたら、全ての臓器・器官を動かさなければいけない。体は何か食べ物を入れてあげないと本能的に動かない。その食べ物が朝飯。少しの量で良いので、ビタミン・ミネラルなどを入れ、歯を動かすことで脳や胃や腸に動きを伝達させる。これはお喋りや歌でも良い。
昼は動いているので、動きに合わせたエネルギーが欲しくなる。そのエネルギーいっぱいの物を食べるのが昼食。
夜は眠るだけの食事。寝てる間に、必要な体を作っている。子供なら成長。要らない粘膜や皮膚を垢として出す。それに必要なたんぱく質の肉・魚・卵や、豆、乳製品などを摂って、ご飯や、うどん等のでんぷん質は控えめで、エネルギー源は要らない。寝ている間は、せいぜい心臓や肺や血管が動くくらいなので。
そういう食事のリズムがある。それに3食完璧でなくても、自分の体、胃に合わせて、腹八分目で10時、3時に補うのも体に優しい。・・・」

考えてみると、自分の場合も、チョンガー時代は確かに食べていなかった。今は、毎朝新橋駅付近のコーヒーショップで・・・。まあ自分も上の記事の仲間だな・・・。
食事はもちろん大切。でも自分の場合は、もっぱら“食う”だけで、作るのはゴメン。よく「自分で作ってみると、意外に楽しいよ」ナンテいう話も聞くが、自分は到底その域には達していない。
「家に居るのならフィフティ・フィフティ。(火)(木)(土)はあなたが作るんだからね!」というカミさんの言葉も、そのうち笑い話では無くなのかも・・・。まさに“恐怖”である・・・

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2008年9月 3日 (水)

雪村いづみの「約束」

さっきNHK BS2の「蔵出し劇場」の(1983年放送の)「夜の指定席」という番組で、若き雪村いづみが歌っていた。それでフト、雪村いづみの「約束」という歌を紹介したくなった。
Wikipediaによると、この歌は「1964(昭和39)年1月に大阪労音リサイタルで発表された痛烈なる反戦歌」、とある。先ずはこの歌による壮絶な“ドラマ”を聴いてみよう。

<雪村いづみ「約束」>

「約束」
  作詞:藤田敏雄
  作曲:前田憲男
  歌 :雪村いづみ

その日 ぼくが石けりしてると パパが家から出て来ていった
「坊や いそいで帰ってくるんだ ママがお前に会いたいそうだよ」
ぼくはパパに小声で尋ねた
「そいじゃ ママはもう死んじゃうの」
するとパパは静かにいった
「そうだ坊や ママは死ぬんだ だけど坊や 泣くんじゃないぞ
みんな誰でもいつかは死ぬんだ 坊やわかるな お前は男だ
歯をくいしばり 耐えて行くんだ どんなときでも弱音を吐くな
男らしくやるんだ頼むぞ いいか坊や 約束してくれ」
ぼくはパパに約束をした


ぼくが走って帰るとママは 白い顔してベッドに寝てたが
ぼくに やさしく笑ってみせた
「坊や 元気で大きくなるのよ」
ぼくもママに笑ってみせた
だけどぼくは見たんだ そのとき ママの瞳にうかんだ涙を
ママはママは泣いているんだ
そうさ ママは考えてるんだ ぼくのことを心配してんだ
自分が死ぬということよりも ぼくのことだけ考えてるんだ
ぼくは思わず神に祈った
「どうかママを助けておくれよ ママが死んだらぼくも死んじゃう
どうかママを殺さないでよ
どうか神さま お願い 神さま どんなことでも ぼくはするから
夜ねる前に歯をみがくから ごはんの前に手も洗うから」

だけどママはその夜おそく そっと淋しくこの世を去った
ずっとぼくの手をにぎりしめ 涙うかべてこの世を去った
ムリさムリだよ 泣くなっていったって
ダメだ そんなの そんなの絶対ダメだよ
だって だってママが死んだんだ
ぼくは泣いた やっぱり泣いた ママ
だけどぼくは ぼくは男さ そのあくる年 あの戦争で
パパが死んだと聞いたときは ぼくはそのとき 涙をこらえた
ぼくはそのとき約束まもった

Yakusoku_3 この6分40秒余の大作は、まさに「ドラマ」である。もちろん「歌」はドラマだ。歌には、その少ない言葉(歌詞)の中に、凝縮された世界がある。しかしこの歌は、かなり写実的だ。聴いているとその場面が目に浮かぶ・・・。
同じように感情をぶつけた歌では、前に紹介した中島みゆきの「うらみ・ます」(ここ)があった。スタジオライブで泣きながら歌う中島みゆきも凄かったが、この「約束」もすごい・・・。

話は変わるが、親と子の絆は、何故か母と子の関係が深い。それに比べて、父と子は希薄・・・。この原因は、カミさんに言わせると「生みの苦しみ」から来ているという。娘が子を産んで母になった時、これほどの苦しみの中で生んでくれた自分の母親との関係が激変するという。自分には分からんが・・・。

そういえば、今朝、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で「亡きわが子に導かれて~いのちをバトンタッチする会代表 鈴木中人」(08/8/25~26放送)の話を聞いた。この放送の中で、鈴木中人氏が次のようなエピソードを紹介していた。ある学校の校長が教室をたまたま通りかかったら、飼っていたウサギが死んで、新任の先生が生徒にこう教えていた。「死んだものは腐る。ちゃんとパッキングして生ごみで捨てろ。ばい菌が付くといけないので良く手を洗え・・」。後で校長が「なぜ手を合わせて天国に行ってください、と教えないのか?」と聞くと、「学校でそんな宗教的なことを教えて良いのか?」と言われ、言葉を無くしたとか・・・。ともあれ、「いのちの大切さ」は永遠である。

話が大分それたが、この歌は、我々がいつも“当たり前”と思っている「いのちの大切さ」を、高らかに歌っているような気がするが、どうだろう?

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2008年9月 2日 (火)

遠藤郁子とモラヴェッツの[月光の曲」

今日は、ピアノの録音と演奏についてである。
当blogは、「運命」とともにベートーヴェンのピアノソナタNo14「月光」に“こだわって”いる・・・。前にも書いたが(関連記事は下記)、その続きである。

Image01461 遠藤郁子の「月光」のCDを手に入れた。それをかけてみて、最初の「ボーン」というピアノの音に“衝撃”を受けた。つまりひと聞き惚れ・・・。素晴らしい・・・・・・

先日、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「音楽の深みは病を越える」ピアニスト…遠藤郁子、という番組を聞いた(ここ)。そして、その番組の中で放送された「月光」の演奏が強く印象に残り、そのうちCDで聴いてみたいと思っていた。そしてやっとそのCDを手に入れた。それを聴いての「衝撃」なのである・・・。
この「衝撃」は、前に衛星デジタルラジオの「ミュージックバード」の音を初めて聴いた時の衝撃に似ている・・・。音質が素晴らしい・・・と。

今は死語となったが、「お見合い」は最初の数秒が勝負。つまり、第一印象でどうか・・・。その点、このCDの音は、少なくとも自分にはフィットしたようだ。少し聴いてみよう。この音、そしてこの演奏・・・

<遠藤郁子/「月光の曲」>(CDはこれ)

しかし、ピアノは“奏者のすべて”が出る。特に大きな音で賑やかに演奏する曲と違い、「月光」のように静かなゆっくりした曲は、ピアニストの指のタッチ、息遣いがそのまま録音されてしまう。録音はビクターの「20bitK2 SUPER CODING」とある。日本の録音だが、なかなかの名録音だと思う。
またこの演奏は、何と暖かい演奏だろう。(ここ)で色々なピアニストの「月光」を比較して聞いてみたが、自分はどうも忙しい演奏は嫌いだ。

その点、イヴァン・モラヴェッツ(ここ)の演奏はゆっくりして、誇張が無く、好きな演奏だ。もちろんモラヴェッツの演奏が一番好きだが、遠藤さんの演奏もそれと似ている。(最後の方で、すこしオーバーな所もあるが・・・)

せっかくなので、自分が好んでいるモラヴェッツの「月光」と「エリーゼのために」を聞いてみよう。40年前の米コニサー録音である。

<イヴァン・モラヴェッツ/「月光の曲」~米コニサー録音>

<イヴァン・モラヴェッツの「エリーゼのために」~米コニサー録音>

話は変わるが、何の鳥だったか・・・、生まれて直ぐに見た相手を母親だと信じる習性があるという。そう言えば、学生時代に聞いたモラヴェッツの演奏も、自分がまさに「素直な」時に聞いた演奏だ。すると、単に初めて聞いた演奏に惚れているだけかな・・・?

ともあれ、この演奏のCDは出ていない。よって、何年かかっても、40年前のこのLPを何とか手に入れようと、オークションのLPを探す自分ではある。

(関連記事)
遠藤郁子の弾く「月光」
モラヴェッツの「月光」のテープが見つかった
ベートーヴェン「月光の曲」の聞き比べ14種

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2008年9月 1日 (月)

「働きやすい会社2008」ランキング

今、テレビで福田首相の辞任表明記者会見が生中継されている。その時に、こんな記事を書いている場合じゃないのだが・・・(←あんまり関係ないか??)

今日(08/9/1)の日経、及び日経産業新聞に、 「働きやすい会社2008 ランキング」という記事があった。「この会社に入りたい」と幾ら思っても、簡単に入れる訳では無いが、各社優秀な人材を確保しようと、さまざまな努力はしているらしい。

「働きやすい」とはどのような基準かというと、「・・・調査は今年で6回目。企業から回答があった442社の人事、労務制度の内容と運用、利用状況を点数化。同時に実施したビジネスパーソン約2400人へのアンケートで重要視された分野の制度に得点を傾斜配分して、総合ランキングや評価項目別ランキングを算出した。」とある。
具体的には、企業編は上場かつ連結従業員2000人以上の会社1494社から回答のあった442社。ビジネスパーソン編は、インターネットを通じて日経リサーチアクセスパネル6000人を対象に、2397人から回答があった、とある。

評価項目は、以下の4つ。
1)社員の意欲を向上させる制度(①凸版印刷 ②大日本印刷 ③NEC)
2)人材育成と評価(①新生銀行 ②NEC ③アメリカンファミリー)
3)働く側に配慮した職場作り(①NEC ②松下電器 ③シャープ)
4)子育てに配慮した職場作り(①松下電器 ②日立製作所 ③三井住友海上)

結果、総合順位は、

<「働きやすい会社2008」ランキング>
   
~日経産業新聞(08/9/1)(P1)より

順位(昨年) 社名   得点
1)(2)  NEC       722
2)(1)  松下電器産業 720
3)(22) 日立製作所  709
4)(10) 三井住友海上 702
5)(5)  凸版印刷   677
6)(16) 大日本印刷  677
7)(9)  三菱電機   665
8)(3)  東芝      654
9)(17) シャープ    646
10)(4)  日本IBM   640
11)(6)  富士通    639
12)(12) 日産自動車  637
13)(66) アメリカンファミリー生命保険 636
14)(35) 大和證券Gr本社 635
15)(159) あいおい損害保険 631
16)(13) 帝人        630
17)(-) パソナグループ 629
18)(23) 富士フイルム  627
19)(11) 東京海上日動火災保険 626
20)(8)  日本ヒューレット・パッカード 625
21)(7)  ソニー      620
22)(32) ジェーシービー  619
23)(101) 富士電機HD  618
24)(21)  野村HD     616
25)(19) 第一生命保険  610
26)(-) 埼玉りそな銀行  607
27)(57) 伊藤忠商事    603
28)(87) 森精機製作所  601
29)(117) 住友商事    600
30)(29) りそな銀行    600
31)(26) 富士ソフト    599
32)(14) TOTO      599
33)(28) パイオニア    599
34)(266) ホンダ     596
35)(37) リコー      593
36)(39) オリックス    590
37)(61) 三菱商事    588
38)(51) マツダ      587
39)(15) 積水化学工業 586
40)(52) キリンHD    581
41)(34) 資生堂 581
42)(60) 三菱UFJ信託銀行 579
43)(43) 高島屋      577
44)(133) コマツ      576
45)(79) 新日本石油   569
46)(29) トヨタ自動車   569
47)(42) 大成建設    568
48)(78 )静岡銀行    566
49)(54) 東レ       565
50)(18) 損害保険ジャパン 563

51~200位は下。

0809011 0809012

一方、ビジネスパーソン調査で「非常に重視する」項目は、
①年次有給休暇の取りやすさ  52.9%
②実労働時間の適正さ      37.9%
③人事考課の結果伝達の有無 34.4%
④社員の定着率          33.9%
⑤人事考課をする側に対する研修・教育の有無 33.4%
⑥・・・・

といった項目。

この順位はなかなか面白い。世の中の「働く側から見た企業の通信簿」とも取れる。
だから、業績とは必ずしも一致しない。(もっとも、業績が悪いとそこまで手が回らないので論外か?)
「まあそうだろう・・・」と思うのは、電気会社が上位にならんでいること。「福祉の日立」「子供を同じ会社に入れたい東芝」「自由競争で大変なSONY」とか、過去にも色々評価があった。

でも、これから会社を選ぶ若い人にとって、このデータは参考になると思う。なぜなら「社員に優しい会社」の順位、と言えるので・・・。
その中でも「有給休暇」は良いバロメータ。組合が強く、なかば強制的に休暇を取らされる大企業があるかと思えば、合併で大きくなったような“大会社”では、有給休暇を申請しても「ダメ」と言われる(中小企業の集まりの)会社もある。

でも腑に落ちないのは、前年とかなり順位が乱高下していること。1年でそれほど評価が変わるとは思えないが・・・・。
これらの評価は、それほど固定したものでないので、毎年見直しているのかも・・・
でも、自分の居た業界がなぜか気になるのは、長い間の習性か?

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(08/9/3追加)
今朝(08/9/3)の日経産業新聞(P23)に、「2007年度 年次有給休暇取得率ランキング」が載っていた。それによると、

①ホンダ     100.6%
②トヨタ自動車   94.5%
②伊勢丹      94.5%
②関西電力     94.5%
⑤松下電器     92.8%
⑥テイ・エステック 92.6%
⑦東海理化     92.2%
⑧ボッシュ     92.1%
⑨NTN      91.6%
⑩旭硝子      91.0%
*前年繰り越し分を含む取得数を新たに付与した数で割って算出しているため、100%を超える場合がある。

「・・・回答した414社の取得率の平均は53.0%。このうち取得率が90%を越えたのは14社で、10%を下回った企業は9社あった。」
とのこと。

(08/9/8追加)
「正社員の平均年間給与ランキング」
 ~日経産業新聞(08/9/5) (P23)

①電通        1462万4000円
②住友商事     1402万9000円
③三菱商事     1378万1000円
④三井物産     1373万1000円
⑤伊藤忠商事    1363万4千円
⑥丸 紅       1215万円
⑦野村HD      1190万3000円
⑧野村総合研究所 1173万4000円
⑨三井不動産    1156万9000円
⑩双 日       1154万円

「・・・上位には大手商社が並んだ。他の業種に比べて海外出張の機会が多く、拘束時間の多さや語学の取得などに対し高給で報いているようだ。各社が把握できる最新のデータによる金額で、・・・・・・。平均給与が1000万円超の企業は21社あった。回答した384社の平均は734万5900円だった。」とのこと。

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「女性の管理職数ランキング」
 ~日経産業新聞(08/9/8) (P21)

①日本IBM       195人
②電 通          73人
③三菱UFJ信託銀行   59人
④松下電器        56人
⑤イオン          52人
⑥NEC           51人
⑦花 王          34人
⑧りそな銀行       28人
⑨ファイザー        24人
⑨日本ヒューレット・パッカード  24人

「・・・女性管理職の平均人数は3.4人で、女性管理職が10人以上の企業は37社。「0人」は215社あった。」とのこと。

================
「正社員の平均勤続年数ランキング」
 ~日経産業新聞(08/9/11) (P25)

①中電工        24.5年
②東京ガス       24.1年
③奥村組        23.1年
④ヤマハ        23.0年
④東京ドーム      23.0年
⑥ジャパンエナジー  22.9年
⑦高島屋        22.8年
⑧大 丸        22.7年
⑨YKK         22.4年
⑩戸田建設       21.9年

「・・・20年以上の会社は58社あり、石油、化学、鉄道などの会社が多かった。回答した企業の平均は15.7年だった。十年未満の会社は39社で、歴史の浅い会社が大半を占めるが、伝統企業と目されるようなメーカーもあった。」
社員の居心地が良い会社なら、社員は辞めない。とすると、勤続年数が多い会社は働きやすい会社・・・という事になるな・・。

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