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2008年8月 9日 (土)

長崎原爆の写真~「焼き場に立つ少年」

今日は、8月9日。長崎に原爆が落ちた日だ。先日(08/8/7)、NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」(これ)という番組があり、ついカミさんと釘付けになって見てしまった。そこで見た一枚の写真・・・。(カミさんは、これは有名な写真で、前に何度も見たことがある、と言うが、自分は初めて見た)
息を呑む情景という言葉があるが、まさにこの写真は少年の無念さがひしひしと伝わって来るショッキングな一枚だ。

この写真を撮ったアメリカ人カメラマンのジョー・オダネルは、軍の公式カメラマンとして、原爆投下の1ヵ月後の長崎に入った。そこで目にした惨状を、「日本人を撮るな」という軍の命令に背いて、密かに持ち込んだ自分のカメラで30枚の写真に記録し、アメリカに持ち帰った。しかし43年間そのネガをトランクに入れたまま封印。それを被爆者の写真を貼った反核運動の彫像を見たことをきっかけに開くことになる。・・・。昨年亡くなったオダネルの遺品から見つかった(カセットテープの)肉声をもとに、NHKの番組は伝える・・・・

080809nagasaki1 「ナレータ:今から63年前、長崎の火葬場で撮影された一人の少年。背負っているのは原爆で死んだ弟です。弟を焼く順番を待ちながら、悲しみに耐える少年。歯を食いしばるその唇には、血が滲んでいたといいます。写真を撮影したのはジョー・オダネル軍曹。・・・
・・・長崎を南北に貫く浦上川。そのほとりに下りていったオダネルは、生涯忘れられない光景と出会います。そこは火葬場でした。焼け野原を一人の少年が歩いてきました。少年は、背中に小さな弟の亡骸(なきがら)を背負っていました。
オダネル:『一人の少年が現れた。背中に幼い弟を背負っているようだった。火葬場にいた2人の男が弟を背中から外し、そっと火の中に置いた。彼は黙って立ち続けていた。まるで敬礼をしているかのように。炎が彼のほおを赤く染めいてた。彼は泣かず、ただ唇をかみしめていた。そして何も言わず、立ち去っていった』・・・・
帰国後、オダネルは長崎での記憶に精神をさいなまれます。
『被爆者たちの体をうごめくうじ、助けを求める声、鼻をつく異臭。私は長崎でも他光景を思い出すまいとした。しかしその光景は頭から離れず、私をさいなみ続けた。あの時のアメリカの決断は正しかったと言えるのだろうか。
眠ろうとしても眠れないのだ。悪夢が終わらないのだ。写真を見たくなかった。見ると長崎の悪夢がよみがえってしまう。』
苦しみから逃れるため、オダネルは全ての写真をトランクに封印しました。屋根裏部屋に隠し、以後43年間開ける事はありませんでした。
・・・
日本に原爆を落としたことをどう思っているのか。オダネルは一度だけ、自分の思いをトルーマン大統領にぶつけました。・・それは1950年の出来事でした。
『大統領、私は長崎と広島で写真を撮っていました。あなたは日本に原爆を落としたことを後悔したことはありませんか?
彼は動揺し顔を真っ赤にしてこう言った。当然それはある。しかし原爆投下じゃ私のアイデアではない。私は前の大統領から単に引き継いだだけだ。』
・・・
1989年オダネルの運命が変わります。オダネルは偶然立ち寄った修道院で、そこに飾られていた(十字架を背にした)反核運動の彫像に出会います。その全身には被爆者の写真が貼られていました。・・・・
『私は彫像を見て衝撃を受けた。罪のない被爆者たちの写真が彫像の全身にはられていたのだ。それを見たときの気持ちは言い表せない。長崎の記憶がよみがえりとても苦しくなった。しかし、私は何かしなければと痛烈に感じた。まさに啓示だった。自分も撮影した真実を伝えなければならないと。』
オダネルは屋根裏部屋に行き、43年ぶりにトランクを開けました。・・・・」

(1990年、アメリカの各地で写真展を試みるが、原爆の写真を受け入れる施設はない。本にしたくても出版社から断られる。原爆投下は誤りだと、母国アメリカを非難する声は結局同胞には届かず、その行動を理解できない妻は離婚。トランクを開けたときから家庭は崩壊した。孤立を深めながらも、それでもジョー・オダネルは戦争非難活動を続ける。)

「『誤解しないでほしい。私はアメリカ人だ。アメリカを愛しているし国のために戦った。しかし母国の過ちを、なかったことにできなかった。退役軍人は私のことを理解してくれないだろう。私は死の灰の上を歩きこの目で惨状を見たのだ。確かに日本軍は中国や韓国に対してひどいことをした。しかしあの小さな子どもたちが何かしただろうか。戦争に勝つために、本当に彼らの母親を殺す必要があっただろうか。1945年、あの原爆はやはり間違っていた。それは100年たっても間違いであり続ける。絶対に間違っている。絶対に。歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もあるはずだ。』

オダネルは昨年(2007年)8月、85歳で(原爆病のため)息を引き取った。その日はくしくも長崎原爆と同じ8月9日だった。

『アメリカ人が好むと好まざるとに関わらず、8月6日と9日は毎年やってくる。嫌がらせの手紙や投稿がどんどん集まってくる。「お前は裏切り者だ」「アメリカが嫌なら日本へ行け」と。ある時、娘が教えてくれた。「お父さんの活動に味方する投稿が一つだけあるよ」と。その投稿は私への批判の声に反論してくれていたのだ。「オダネルに批判する人に言いたい―― 原爆とは何だったのか。図書館に行って歴史を勉強してから批判しろ」。名前を見るとそれは私の息子だった。』・・・・」
そして今、息子がその遺志を継いで活動している。

今日の記事は単にNHKの番組を写しただけである。でもこの肉声は、その真実は、解説を必要としない。
63年目とはいえ、この惨劇を二度と繰り返さないため、またこの人類の未曾有の過ちを子々孫々に伝えて行くために、年に一度、戦争を、そして原爆を思い出すのも、戦争で亡くなって行った人への礼儀かもしれない。
なお、この番組は、2008年8月27日(水)深夜0時45分から再放送されるとの事。自分が今年見たドキュメンタリー番組の中でも一級の作品だと思った。


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コメント

はじめまして。
「長崎原爆の写真~「焼き場に立つ少年」」の記事を拝見しました。
同じ番組に感動して歌った短歌にTBさせていただきました。
よろしければお立ち寄りください。

投稿: 髭彦 | 2008年8月10日 (日) 00:21

9日の「焼き場にたつ少年」の記事 拝見させて頂きました。
また 髭彦さんのブログからオリビエさんのブログまで入らせて頂きました。

胸が詰まって涙がとまりませんでした。

国家 大義名分に隠された人間の残虐さに言葉もありません。
マンハッタン計画のおぞましさはデータを得る為の「人体実験」がその後も続いたことです。
妻も去った後も あの戦勝国アメリカの中でたった一人で 原爆投下の間違いを主張し続けたオダネルさんの 人間としての心のあり方良心の強さにも心うたれました。
息子さんがその意志をついで たった一人の味方となったこと 奇しくも八月九日にお亡くなりになったこと この記事を拝見してはじめて知ることばかりでした。

投稿: 見切り発車 | 2008年8月10日 (日) 11:36

髭彦 さん

コメント&TBありがとうございます。
自分は短歌の素養が無いので分かりませんが、その広範囲な話題の貴blogに敬服いたしました。時々寄らせて頂きます。

==========
見切り発車 さん

もしご覧になっていなかったら8/27深夜の再放送をぜひ。多分この作品(番組)は、今度何度も再放送されると思います。それほど心に残る秀作です。

投稿: エムズの片割れ | 2008年8月10日 (日) 23:08

お早うございます。お久しぶりです。

ゆうべ 見ました。
また ネット友達にも声をかけて見て頂きました。

静かな語り口がかえって胸に迫り 大変印象的な番組でした。

素晴らしい番組をご紹介頂いて 有り難うございました。
毎日のようにお邪魔させて頂いて 記事をよんだり音楽を聴かせて頂いております。
これからも 宜しくお願いいたします。

投稿: 見切り発車 | 2008年8月28日 (木) 07:29

見切り発車 さん

この番組は、何かの「賞」を取って、これから何度も再放送されるような予感がします。

投稿: エムズの片割れ | 2008年8月30日 (土) 09:12

偶然8月27日深夜の再放送を見ました。

理不尽な理由で家族を失い希望を失くして
途方にくれている時でした。

その後友人からのアドバイスで海外旅行へ行き広い海と人の優しさに癒されて帰りました。

帰国して無性にあの少年のことが気になり写真を探していてここに辿り着きました。

又少し生きていく勇気が出てきました。
ありがとう。

投稿: 海 | 2008年9月13日 (土) 13:00

海 さん

コメントありがとうございます。
このところ、詩に凝っています。さっきカミさんと話していたら、前に書いた記事=「かけがえのない大切なもの」(07/11/12)に載せた詩が一番切ないと言っていました。
家族を失われたとか・・・。言葉がありません。ブッダの説話(子供を亡くした母親が、ブッダに生き返らせてくれと頼む話)も思い出しますが、それは理屈ではありません。自分だったら多分、ただひたすら泣くだけだろう・・・と思います。

投稿: エムズの片割れ | 2008年9月13日 (土) 21:13

 米国で原爆写真展を開催しようとすると、現在でもかなりの抗議活動があるそうです。
 ある意味、米国民自身も事実のあまりの悲惨さを知り始め、かたくなに自己防衛をしているのだろうとも思えます。
 でも、より大切なこと、それは我が国自身が被害者意識を前面に出さず、反核のみならず、反戦の思いを強く訴えていくことなのではないでしょうか?こうした展示にはすべからく「人類の愚行展」と銘打って欲しいといつも思います。
 この放送も、TBSのビートたけしの放送も視聴しました。後者は消化不足の感あり…。
 「映像の世紀」もそうでしたが、この類のものはなるべく子供達と一緒に視ることが、自称欠陥親の最低の義務と考えています。長くなってすみません…。

投稿: rirac | 2009年2月26日 (木) 15:07

rirac さん

含蓄のあるコメント、ありがとうございます。「人類の愚行展」とは良い案ですね。世界の内戦を思うにつけ、自分も一層そう思います。
どの国も、自国の行動については誇りを持ちたいのでしょうが、歴史的な事実は事実です。
せめて日本の過去の蛮行は、子々孫々まで真摯に受け止めたいもの。それはやはり子供に対する「教育」が必要なのでしょうか。

投稿: エムズの片割れ | 2009年2月26日 (木) 21:18

先日、長崎出張の空いた時間に市内をブラブラ散策してきました。
散策するなかで長崎は観光都市の持つ華やかさや情緒の中に、戦争の怖さ、原爆の怖さと無念さをいっぱいもっていることを感じる場所であると思いました。
 訪れた原爆資料を順路に従い、こみ上げる怖さと悲しさを我慢しながら進んで行くと展示物の最後に「焼き場に立つ少年」の写真が掛けてありました。 子供の顔からみてとれる何か真剣な思いや決意が何であるのかを写真横の説明分で理解できたとき、私は涙が溢れてとまりませんでした。
大好きな弟の命を兄の力では到底守れない大きな戦争、原爆によりむしりとられ、兄として泣き弟を荼毘に付すことを決意し、裸足で一生懸命どうすることもできない悔しさを唇を強く噛むことで我慢し焼き場まできたことが痛いほど理解できました。 戦争の愚考を許さない、原爆を持つこと、作ることを許さない気持ちと行動をとることを、戦争により原爆により命をむしりとられた人たちに誓い長崎をあとにしました。
- 2009.12.10 44才のサラリーマン -

投稿: kaneji | 2009年12月12日 (土) 17:38

kanejiさん

長崎や広島では、立っているこの場所で何人も死んだ・・と思うと、いても立っても居られないのでしょうね。
最近のアフガニスタンへの米軍増派のニュースなどを聞くと、原爆・戦争がまだまだ過去の話ではない、とゾッとします。世界から戦争が無くなるということは無理なのでしょうか・・

投稿: エムズの片割れ | 2009年12月12日 (土) 21:58

返事が遅くなり、すいません。
戦争や紛争など無くならないかも知れませんが・・・無くす努力はやめないのが大事だと思います。 過去の悲惨な出来事を繰り返さない努力と工夫を人間は出来るものだと思います。

投稿: kaneji | 2009年12月31日 (木) 14:35

原爆について教えてくださいsign02

投稿: 安杖 | 2010年12月 6日 (月) 14:32

この少年の写真を国会の入り口に未来永劫、貼っておいてほしいですね。日本国の象徴として、岸、佐藤,安倍と続く一族の反省と選挙で彼らに投票した国民のために。

投稿: 白萩 | 2017年8月13日 (日) 11:22

この少年の実名は公表されたはずだけど違ったのかな。
今から10年以上前、NHKの原爆取材番組でこの写真に写る少年と思われる老人が「これは自分だと思う」と証言してたはず。
その際の本人と思われる老人のインタビューによると、「口元から血が出てたのではない。」と言ってた。「口元に擦り傷があった。」もしくは「口元にすすが付いていた」と、はっきりと口元から血が出てた事は否定してた。あの老人は、その後、あの写真の少年は自身だと確信がなくなったのかな。

投稿: hiro | 2017年8月14日 (月) 06:07

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―<ナガサキの日に。8月7日放送・NHKスペシャル「解かれた封印米軍カメラマンが見たNAGASAKI」を見て> 祖国をば愛するゆゑに原爆の投下許さぬ米人をりき 命ぜられNAGASAKI写すO'Donnellのカメラ宿しぬ人間のこころを (O'Donnell=オダネル、人間=ひと) 封印を解きて被爆の実相をO'Donnell示せり八九年に 反米の烙印押され妻去れどO'Donnell糾す原爆投下を 妻去れど息子受け継ぐO'Donnellの原爆糾すその真情を ... [続きを読む]

受信: 2008年8月10日 (日) 00:17

» ジョー・オダネル [京の昼寝〜♪]
NHKスペシャル 「解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」  「焼き場に立つ少年」・・・その1枚の写真は63年前、被爆した長崎で撮影されたもので、その写真を撮ったのはアメリカ人カメラマン、ジョー・オダネル。 写真は亡くなった幼い弟を背負い火葬場の前で順番を待っている少年。 弟はすでに亡くなっている。 彼は少年ながら幼い弟を荼毘にふそうと涙をこらえ気丈に立っている。 涙をこらえた彼の唇は真一文字に結ばれ、泣き声を出さないように唇を強く噛み締めているため、写真ではわかりにくいが血が... [続きを読む]

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