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2008年8月 2日 (土)

江戸時代の「大奥の生活」

自分は見ていないが、NHKの大河ドラマ「篤姫」が好調のようである。その影響か、NHKラジオ深夜便でも「〔歴史に親しむ〕将軍と大奥 東京学芸大学教授 大石学」 (08/7/17放送)が放送され、雑学として聞くとなかなか面白かった。大石氏は、この「篤姫」を始め色々な歴史作品の時代考証をしているという。ヘエーっと思った点をメモしてみた・・・(大分前の放送だが・・・・)

・大奥は、徳川家康が1603年に征夷大将軍になったときから江戸城の普請を始めたが、その頃から女性のエリアが出来始め、3代将軍の家光のときに普請が完成したが、その頃までに大奥の空気がはっきりしたと言われている。
・「表」は儀式儀礼の場で政務、「中奥」は小さいが将軍の私的な空間で女性はいない。「大奥」は、将軍が鈴廊下を渡って入るところで将軍の私的空間。
・大奥の広さは、1845年頃の記録では、本丸全体の広さが1万1373坪だが、大奥が6318坪なので半分以上を占めている。
・大奥の女性の人数は1000人前後。旗本の娘が多い。京都のお公家の娘もいる。町人の娘の行儀見習いもあった。
・8代将軍吉宗のときの記録では、奉公するときに「起請文」という誓書を書かされる。それには奉公を一生懸命して悪いことはしませんとか、悪巧みをしない、悪心持たない、大奥のことを他に漏らさない、便宜をはからない、おごらない、陰口を言わない、風俗娯楽を自制する、火の用心、等々が書かれていた。
・大奥には広敷番(ひろしきばん)という見張り役の男性が300人位いた。これは交代制で詰めていた。外との交流を制限、または関与したりして、大奥といえども男性が監視していた。だから「大奥に入れるのは将軍ただ一人」というのは誇張・誤りで、常駐している男性の役人がたくさんいた。
・御台所の生活は、7時頃起床、お歯黒の後に朝湯に入る。天璋院は毎朝入っていたという記録がある。和宮は月に一度位。一般的には一日おき。だだし夜入る人もいる。
・8時位に朝食。ご飯とおみおつけと魚、豆腐、卵、時々鶏肉。10時頃に将軍がおなり。
・中奥と大奥の間には、将軍が通るときに鈴を鳴らすお鈴廊下があり、両方から厳重にカギが掛けられている。
・将軍が来ると、朝礼(挨拶)をして、御台所と将軍が一緒に奥の仏間に行って先祖を祭る。それが終わる11時頃から、御台所は御召し替えと昼食。午後の記録はあまり無いが、雑談、庭の散策などで、午後2時ごろにまた将軍がおなりになってくつろぎ、夜は9時位に就寝、という日課。天璋院は酒が好きで、女中と一緒に飲んで酩酊した人も・・・・
・大奥には東側などに別の入り口があり、呉服商人、大工や物売りの男性も来たりしていた。
・大奥の人が手紙を書けるのは、両親・親戚と範囲が決められていた。表に出るのも許可制。
・御台所(正室)が子供(将軍)を生んだのは3代将軍家光だけで、それ以外は全て側室が産んでいる。
・安政年間(1854年頃)の記録では大奥でつかった金は年間20万両。1両10万円とすると200億円。女性のサラリーは、御年寄レベルで年間1100万円、中老が550万円、お目見以下が200万、御末(雑用をする下女)が60万円。これは手取りで衣料とか薪代は別。
・江戸城無血開城のお膳立ては、みな大奥の女性たちが行った。実際には天璋院と和宮が全てを仕切って、西郷と勝海舟の会談はむしろセレモニーとすら思える。
・江戸時代の女性の地位は、西洋に引けを取らない位高く、その頂点に大奥があった。

まさにNHKラジオ深夜便は「雑学」の宝庫である。確かにカミさんから「それを知ってどうなる?」と言われても、どうにもならないが、まあ楽しいではないか・・・

しかしこの番組で一番ビックリしたのは、大奥の女性官僚達のサラリーの高いこと・・・・。大奥では、幾ら商人が物売りに来たとしてもそれほど遣えないから、下がった後に遣うのかな・・・? でも年1千万円としても10年で1億円ダゾ・・・(「そんなこと考えてどうなる??」←どうにもならん・・)

しかし大奥に女性が千人も居たのでは、将軍もリラックス出来なかっただろう。(ウチの大奥は“一人”なので何とかなっているが・・・・?)
しかしこの番組でも、(西洋の学者の研究によると)江戸時代の女性達の生活は、西洋に引けを取らない水準にあったと言っていた。
ちょんまげ姿の江戸時代も、文化の面で西洋と比較するとなかなかのものらしい。
また藤沢周平でも読むか・・・・

(関連記事)
「江戸時代が生み出したもの」~18代当主 徳川恒孝氏の話


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