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2008年7月 6日 (日)

「いのち伝えることば」~東後勝明氏の話

今朝(08/7/6)のNHK教育TV「こころの時代」は、「いのち伝えることば~早稲田大学教授…東後勝明」であった。(この番組は日曜日の朝5時からの放送。いつものラジオではない!)
最初は、英語学者としての話からスタートしたが、結局この番組では、家族との関わり合い、こだわり、言葉は命・・・・、という話だった。曰く・・・

東後勝明氏は松本亨先生の後を受け継いで、1972年から13年間にわたり、 NHKラジオ「英語会話」の講師を務めた方。その先生が、自分の人生を語っておられた。
氏は高校2年の時に父親に先立たれ、「勝明、出世しろよ」という父の遺言と、周囲の期待に応えて、英語の世界で“疾走”する。頭角を現したのは、早大1年の時、英語暗誦コンテストでリンカーンの演説を行って600人中1位を取った時。
卒業後、英語教師・海外留学を経て、1972年にNHKラジオの英会話講座の講師に抜擢され、37歳で早大の講師に迎えられるという順風満帆の生活。次の目標は博士号・・・。しかし、家庭内で歪が起きる・・・。
3度目の留学先のロンドンで、娘さんが中学2年頃から登校拒否。その娘さんが駆け込んだ教会の牧師さんからの電話で「娘さんが疲れているようだ。これは家族の中での人間関係のひずみが、特定の人に重荷(おもに)
がかかっているため。犯人探しでなく、家族の人間関係を見直したらどうか」と言われ、初めて現状を知って絶句・・・。それから、カウンセリングの本を読み漁っり自分でも勉強した。しかし、言葉では分かっても心ではなかなか分からない。本に書いてある通り、幾ら「学校に行きたくなかったら行かなくていいよ」と言葉で言っても、自分の心は「なぜ学校に行けないんだ」と言っているので、娘にはそれが分かってしまう・・・。言葉は心から出る。

奥さんもまた、“夫の目標実現のために支えるのが自分の役割”と思っていたから、“そのために少しくらい家族(子供)が犠牲になっても仕方が無い”と思っていた。よって、家庭の全ては、学者の夫に合わせた生活。夫に全員がピリピリ・・・。でもそれが限界に達して破綻する。そして、家族でカウンセリングを受けている最中に、妻がくも膜下出血で倒れる。そして12時間の手術・・・。続いて、自分も博士論文を書いている時期、55歳のときの教授会で倒れる。原因不明の腹部出血。命が危ないので手術をしようとするが、手術室で出血が止まり、中止。
その時に訪ねてこられた牧師さんが、聖書を読まれた。「主は羊飼い、わたしには何もかけることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を歩むとも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩篇23)」
これを聞いて、全身の力が抜けて「おまえさんは、それでいいんだよ」という声が聞こえた。父が死んでから、ずっと思っていた「このままではいけない。何とかしなければいけない。頑張らなければいけない・・・・」という強迫観念から、この時に一気に開放された。大きなものに生かされている、という心になった。「このままでいいんだ・・」と気が付いた。
ちょうど56歳の誕生日の日だった。死んでも良い状態から、神様から命のプレゼントを貰った。ありのままを生きる、という事は、与えられた命、存在を否定も肯定もせずにそのまま受け入れる事。存在そのものを大切に生きる、という事。

その時、人が生きていくうえで、また自分の人生にとって最も大切なものは何なのかを、もう一度考え直す事が出来た。そのとき自分は、博士論文よりも家族の再生が自分の人生で最も大切な事であるという心境になった。
そして、それまでの頂点を目指していた時から価値観が変わった。つまり人生における物差しが変わった。学位は必ずしも必要ではないと・・・。
その後、娘さんも心を開いてくれるようになった。

ヨハネの福音書の第一章に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言葉は神だった」という記述があるが、これは「声-声帯-息-命-神」というつながり。だから言葉は命を伝える。・・・・

またまた長い文章になってしまった。
キリスト教の事は(まだ勉強していないので)よく分からないが、氏の言うこの心の変化は、仏教でいうところの「捨てる」という事と同じではないか・・・?
しかしこの話での東後氏の生き方、家庭崩壊の話は、ちょうどサラリーマンを卒業して家庭に戻る時期の“我々還暦組み”にも、他人事ではない。
仕事に明け暮れていざ家庭に戻った時に、自分の居場所が無いという話はゴマンとある。早くそれに気が付かないと、会社は決して救ってくれない・・・・。
でも仕事に逃げている人がどれだけ多いことか・・・・
まあ自分の場合は「下宿部屋(自室)」があるので(物理的な)居場所だけはあるにはあるが、カミさんに言わせると「それあなたの事ね・・・」と言うだろう。自分も、もう遅いかもね・・・・


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コメント

こんばんは~

大変深いお話をきかせて頂きました。
イマイチ ブログの見方が解らなくて これまで すぐに画面右側のカテゴリーコメントを見ていましたが 左側に最近の記事があって これが一番新しいかき込みなのですね、
音楽関係ばかりお邪魔しておりました。 

実際に経験し苦しまれた方の再生のお話だけに 大変重みのある言葉でした。
牧師様のお言葉も 聖書の言葉も 共に溢れる慈愛に満ちた語りかけですね。

>仕事に明け暮れていざ家庭に戻った時に、自分の居場所が無い・・・

これ よく言われますね、特に 世のお父さん方が自戒を込めて 仰います。
でも 時々思うのです、お互い様なのかも知れないと。
妻の方も 自分の世界や思いにどっぷり使っていると 気がつけば夫を見失っているかも知れないと。
毎日夫が家に居るようになって初めて真剣に向き合うのではなく それまでにする努力や歩み寄りは お互い様なような気がします。
と 自分で書いていて 耳が痛いです。

投稿: 見切り発車 | 2008年7月 8日 (火) 22:07

見切り発車 さん

ハハハ・・・。確かにお互いさまなのですが、なぜかどの家でも、「家」はカミさんの“専用の棲家”のようになっていて、困りものですね。
日常的に会話が少ないと、「毎日が日曜日」状態に対して“緊張”するかもね・・・(ウチは大丈夫・・・のつもりだけど)

投稿: エムズの片割れ | 2008年7月 9日 (水) 21:56

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