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2008年7月 7日 (月)

カルメン・マキの「時には母のない子のように」

先日、「エムズのひとり言」さんの友人が亡くなったが、見舞いに行ったときの記事(ここ)に、次の記述があった。
「学生時代、私が彼女にその頃はやったカルメン・マキの「時には母のない子のように」の歌が好きだと言ったら、彼女が急に怒り出したことがありました。
彼女はなぜ怒ったのか理由を言いませんでしたが、その歌詞が嫌だったのだなと後で思いました。
  だけど心はすぐ変わる
  母のない子になったなら
  誰にも愛を話せない
早くにお母さんを亡くした彼女にはつらい歌詞だったのだろうと思います。」


小学校(幼少)の頃に両親をなくし、そして自分も若くして・・・・

080707tokinihahahano カルメン・マキの「時には母のない子のように」は、1969年(昭和44年)2月の発売というから、あれからもう40年近く経つ。カルメン・マキ17歳のときの録音。
(この歌を聞くと、自分はなぜか学生時代の下宿部屋を思い出す。歯を抜いて痛がっている自分の姿・・・←関係ない話だな・・)
改めてカルメン・マキをNetで見てみると、この曲でデビューして以来、色々なバンドを結成したりして、音楽活動は続いたらしい。でも自分の中では、(カルメン・マキについては)当時のままで時計が止まっている。同じ年(1969年)に発売になった「山羊にひかれて」や「あなたが欲しい」という歌と共に・・・

<カルメン・マキ「時には母のない子のように」>~1969年2月盤

「時には母のない子のように」
  作詞:寺山修司
  作曲:田中未知
  歌:カルメン・マキ

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように
大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように・・・・

今改めてこの歌詞を読むと、詩が単純なだけに、解釈が難しい・・・・。
うっかりすると、カミさんが言うように、本当に母がいない人にとっては、“この歌は「何なんだ!」”と捉えられかねない・・・
でも、「だけど心はすぐかわる・・・だれにも愛を話せない・・」というフレーズは、もしかすると「般若心経」の世界を謳っているのかも知れない・・・。つまり「すべては空」、「是諸法空相=この世のすべての存在には、永遠に変わることのない性質はない」(ここ)・・・と。

カルメン・マキはその後、この歌を何度かセルフカバー(再録音)している。下の歌は、カルメン・マキ42歳のときの録音である。17歳の時の歌に比べて、想いが何か変わっているだろうか?

<カルメン・マキ「時には母のない子のように」>~1993年5月盤

でも、カミさんの友人も、今頃は天国(浄土)で、“母”に出会っているかも知れないな・・・・・


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コメント

「・・・ひとり言さん」の、ご友人は他界なさったんですねェ~・・・ちょうど、その記事拝見してたので複雑な思いですが、御冥福お祈り致します。
片割れさん」の記事も私の近況とシンクロ?する事が多く、不思議な思いで、いつも拝見してます。
カルメンマキさんは、つい最近どなたかとのアルバムで朗読・語り・・・の記事読んで、CDプレゼントに応募したばっかりです。
私の高校時代のデビューで、同じ世代の17歳と言う年齢で、とても衝撃的でした。
当時ヒッピー?スタイルで独特のメイク・・・全く違う世界の雰囲気に強いインパクト覚えましたァ~
この頃、同じ17歳の藤圭子デビューも印象に残ってますが、ウタダヒカルの活躍に時代の変遷感じますねェ~。
ところで、2枚のCD聞き比べ出来ると言う又と無い体験にワクワクしましたが、脳裏に潜んでた?ハーモニカのイントロに私的には、デビュー当時の方が好きカモ~♪
いつも懐かしくて、楽しい音源を有難う御座います。

投稿: 花舞 | 2008年7月 8日 (火) 12:17

花舞 さん

たぶん、還暦間近な人でこの歌を知らない人はいないでしょうね・・・。
我々世代の“青春の歌”ですね。

投稿: エムズの片割れ | 2008年7月 9日 (水) 21:49

『時には母のない子のように』、この歌が流行っていた頃、私は高校3年生でした。
『風』・『フランシーヌの場合は』・『遠い世界へ』などなど、現在でも、時々聴いては、若かりし頃を懐かしんでいます。

投稿: エカワ | 2008年7月12日 (土) 16:00

エカワさん

自分は大学を卒業する頃・・・
カレッジフォーク大はやりのころ。
先ずは森山良子でしたね。
まあ、還暦になって色々と振り返っています。

投稿: エムズの片割れ | 2008年7月17日 (木) 22:35

時には母のない子のように:好きな歌で偶にカラオケで歌います。詩と言うものは一字一句の意味を考えたり常識と照らして考えたりするものではなく全体の持つ『雰囲気、気分、情念、情感、思い』などを『心に感じる』ものでありこの歌もまたその全体像からある種の情感、気分を感じて感動すればいいのです。それに対してこの歌い手の歌はまさにピッタリで17歳の時よりは42歳の時の歌がより内面的ですね。

投稿: yakata1578 | 2011年4月14日 (木) 18:01

「母のない子」と言ったらなんと言っても光源氏。
 「時には母のない子のように」の作詞者は昭和の怪物寺山修司ですね。
 寺山修司は古典文化の髄を風俗で表現した怪物です。
 平安王朝文化における母のない子とは
一夫多妻制で複数の妻を持つ父のもとに取り残された子でした。世話をしてくれるはずの継母は自分の母が死んでから父が迎えた新しい妻ではなく、母が生きていた時の母のライバルであった父の妻の一人なんですね。その継母に自分の愛を語ることなどできるはずもなく、実母の後ろ盾を失った自分の愛など父が聞いてくれるはずもなく…
 母の実家が経済力を持つ時は 母方の祖母が引き取って育てることが多かったようです。その祖母に先立たれた後は 父がいても身寄りがない子のような頼りなさのなかで生きていくしかなかったわけです。なぜなら父には今の妻の実家の資産が必要だったから。それが寄生階級である貴族の現実です。
 その頼りなさのなかで生きなければならなかったのが、光源氏であり、紫の上でした。その現実認識は当時貴族の心をとらえた仏教の無常観と合致するものだったのではないでしょうか。『源氏物語』の世界とはそのような世界です。
 光源氏は愛を語れない子であって、彼の愛の出発が藤壺との禁じられた恋であったということはある意味で宿命であったのでしょう。藤壺は継母だけど、光の母が死んでから迎えられた人だから、光の母にも光にも屈折した気持ちは持っていなかったわけだけどね。
 「時には母のない子のように」の哀切で危ない感じは古典に根っこを持っているのだと私は解釈します。なんせ寺山修司ですからね。

【エムズの片割れより】
ナルホド・・・・・。
思ってもみなかった平安時代からみたカルメン・マキの歌・・
今度自分も源氏物語を読んでみる気になりました。ありがとうございました。

投稿: ichi | 2011年6月 4日 (土) 12:33

追伸
「ときには母のない子のように」
17歳の時のカルメン・マキの歌と
42歳の彼女の歌のどちらがよいか

もちろん、17歳のカルメン・マキです。おばさんが歌う歌ではありません。

投稿: ichi | 2011年6月 4日 (土) 17:36

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