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2008年7月の27件の記事

2008年7月30日 (水)

なぜ消えた?「お見合い結婚」

少子高齢化が進む日本。厚生労働省の2006年(H18年)の人口動態統計年報によると、全国の初婚年齢の平均は、男30.0歳、女28.2歳だという(ここ)。自分が結婚した昭和50年代当時は、男27.0歳、女24.7歳だったので、当時から3年以上遅くなったらしい。
面白いのは、県によってかなりバラついている事。東京は男31.3歳、女29.3歳、福岡は男29.5歳、女28.0歳だそうである。まあ都会が遅いのは分かる・・。(なぜ福岡が出てくるかって??)
ついでに、夫が年上の結婚は57.1%、同年齢19.4%、妻年上23.5%だそうで、意外と妻年上が多いな・・・(ここ

まあ統計の話はさて置き、最近は「見合い結婚」というものが無くなったようで残念である。昔は、世話好きなおばさんがいて、誰かと誰かをくっつけるのが生き甲斐のような人がいた。(自分もそれで救われたのだが・・・)でももう今は居ないらしい。

誰も同じ事を言うと思うが、子供を育てるということは、まさに自分を育てること。自分が今まで親に対してして来た事を、子供に同じ事をされて初めて気付くことが、如何に多いか・・・・。それが人間を育て、人間に幅を持たせる・・・・。(最近、親を困らせようと殺人事件を起こす話があるが、何とも言葉が無い・・・)
だから真っ当な人間に育つためにも、結婚は必要だと親は思う。でもこればっかりは最高に難しいテーマだ。

話は変わるが、自分の会社の現役時代、入社してずっと同じ課(Gr)に属していたが、その課を卒業する時、人に言われたことがある。「お前がしてきた功罪のうち、最も罪があるのは部下に結婚させなかったこと・・」。上司が部下の結婚というプライベートな領域に、どれだけ入り込めるかは難しいが、結果としてその課を卒業した時、8割の人は結婚していなかった。その後も結婚したという話は聞かず、当時の部下は若い人でももう40歳に近い。皆結婚しないまま行くのであろう・・。
その時に、こううそぶいたものだ。「自分の相手を探すことも出来ない自分が、他人の相手を探せるワケがないよ・・・」。

でも繰り返すが、人間にとって結婚は必要だと思う。子供を育てる経験も絶対に必要だと、自分の体験からそう思う。
ウチの九州に赴任している息子も、結婚平均年齢までもう1年余になってきた。七転八倒しても、ゴールに辿り着ける可能性は限りなくゼロに近いのが現状だろう。(会社と将棋の世界だけではムリだろう・・・)
ちなみに我が家は立派なお見合い結婚だったが、この如何ともしがたい状況は「お見合い結婚制度が日本から駆逐されたせいだ」と考えるのは乱暴か?(←いや、この考えはイカンな・・・。逃げているな・・・)
まあ、健康のことでも金のことでも仕事のことでもなく、こんな事に夫婦が毎夜対策を話し合っているだけでも(←これはオーバー)、ありがたい状況だと思う事にでもしようか・・・。(なお、当サイトは息子にバレていないので勝手に書いている)

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2008年7月28日 (月)

井上陽水「傘がない」~3種

前に井上陽水の「傘がない」について(ここ)、「この「傘がない」はオリジナル以外の録音(演奏)を聞いたことがない。逆に聞きたくもない。要は、それほどこの録音(編曲=演奏)が完成されている・・・ということだろう。」ナンテ書いたが、このところ、最近の2種の演奏を聞いた。でも結論は、自分はやはりオリジナルが好きだな。

一番新しいところでは、「井上陽水コンサート2008」で、2008年6月29日に東京渋谷のBunkamuraオーチャードホールで演奏したもの。これをwowowが昨夜(08/7/27)放送した。これを少し聞いてみよう。陽水59歳の歌である。

<井上陽水「傘がない」~2008/6/29渋谷>wowow(08/7/27)より

「傘がない」
  作詞/作曲:井上陽水

都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
つめたい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろう?

テレビでは 我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をして しゃべってる
だけども 問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ
つめたい雨が 僕の目の中に降る
君の事以外は何も見えなくなる
それはいい事だろう?

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨の中を

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない

この演奏を聞くと、つくずく「傘がない」は“ロック”だと思う。

次は、陽水58歳の声。昨年の2007年5月30日、滋賀県立芸術劇場での公演である。

<井上陽水「傘がない」~2007/5/30滋賀>

オリジナルが出てから、30数年経っているが、この歌はまだまだ色あせていない。でも前にも書いたが、自分のこの曲に対する評価は、やはりオリジナルが最高。それが、これである。

<井上陽水「傘がない」>オリジナル(1972/7/1発売)

芸術の世界は、その人の出現が“世界を変える”ことがある。それを「影響」という。古くは、モーツアルトが、ベートーヴェンがそうだった。音楽だけでなく、絵画も文学も全ての分野で、世界に影響を与えた巨匠は幾多いる。陽水もその一人ではないかと思う。

今朝(08/7/28)の日経朝刊のコラム「春秋」は、ロックフェラー、A・カーネギー、そしてゲイツ氏の慈善活動に触れていた。
そうなのだ。サラリーマンといえども、ビジネスで得た金を他の人のために遣えば、世の中に影響を与えることが出来る。
でも、まあ自分など、世の中に影響を与える事などはとても無理だが、せめて何度も来ている「国境なき医師団」に、また少し寄付でもするか・・・・

(関連記事)
井上陽水「傘がない」と沢田研二「許されない愛」は似ている?

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2008年7月27日 (日)

我が家のパソコン復活記

先日、我が家のパソコンが反逆してから(ここ)ちょうど一週間になる。そして今日、何とか別のパソコンが動き出した。今日は、その顛末記である。

7/20夜にPCが故障し、21日に色々調べて買い換えようとしたが、VISTAに自分の持っている各種アプリが対応していないことが分かり、結局XPにこだわった為、壊れた東芝Qosmio G10を修理することにして、22日に引き取りに来てもらった。
でも6万円は高い・・・と思いつつ、Netで見ていたら、業務用の「Satellite」だとXPがまだまだ現役であることを知った。そしてNet通販が安い・・・。
そして東芝のサポートに聞いてみると、「一般論だが、2~3万円だと修理する人が多いが、6万円だと買い換える人のほうが多いのでは?」という。この際、「Satellite」という手もあるなと思って、修理窓口に問い合わせると、せっかく引き取ったQosmioだが、事情を話すと、何とか修理チェックをキャンセルしてくれるという(つまり送料含めて無料)。即、決断。「Qosmioの修理止め。XPのSatelliteを買おう・・・」。
Net(楽天)で調べると、あまりに売っているもの多くて(数百)、選びようがない。結局条件として、「XP搭載」「DVDスーパーマルチドライブ」の2点で検索すると、15種類出てきた。それをExcelに整理して仕様と価格を調べて「PST311SCWSR1K」とした。送料込みで69,800円。
Officeなし。もちろん無線LANなし。HDDは80G。でも7万円は安い。定価183,750円のPCである。多分、どこかの企業が大量に注文して、不要になったので放出したのだろう。昨年12月10日発売のもの。

データは、ふと「同じパソコンが兄貴のところにある」ので、もしHDDが生きていればそのPCでデータがコピーできる・・・と気が付いた。前に兄貴がPCを買いたいというので、自分からのアドバイスが必要なら、同じパソコンを買ったら?と言って、同じものを買わせたもの。それを借りてチェックしてみることとした。

そして、7/25夜には新PCが着く。着払い込みで7万800円。開けてビックリ。何もない。本体と電源と、薄い冊子が2冊。でもそれ以上のものは、必要ないな・・・。マウスもあるし・・・
そして昨日、早速セッティング。Officeは昔のdynabookのバックアップで付いてきたものを利用。それで、昨夜blogを書いて、フト気が付いたら、右手が腱鞘炎? 手が、腕が、痛い。良く調べたら、新しいSatelliteのキータッチの固いこと・・・。手元にあったDELLを含めて3種類のノートPCを叩いてみたが、Satelliteだけがダントツに固い。仕様を見たら、ストロークが2.5mmだという。他のは皆2.7mm。昔、やはりPCのキーのせいで腱鞘炎で病院に行ったことがあり、その再発かと思って、“しまった”・・・・
そして、今朝、キータッチについて東芝に聞くと、外付けのキーボードを付けるしかない。多分ストロークの違いで、手が2.7㎜のつもりで叩くが、2.5㎜で突き当たるので、そのせいだろうという。若しかすると、慣れるかも知れないので、キーボードを外付けするかどうかは、しらばく様子を見ることにしよう。

そして今日の昼に、兄貴から日通の「パソコンポ」で届いた同じQosmioに、祈る気持ちで自分のHDDを取り付けてみた。そして電源を入れると、まさにいつもの自分の画面が出てきた・・・・。やはりHDDは無事だった。後は簡単、外付けのUSB HDDにデータを丸ごとコピーして、新しいPCに落とすだけ。夕方にはすべての環境が元通りになった。そして、借りた兄のPCは“滞在6時間”で夕方には送り返し、残った問題は「キータッチ」だけになったわけ。ヤレヤレ・・である。

反省??故障はHDDだと思い込まないこと。常にデータは複数にバックアップ・・・。そして、世の中「XP」は、もうないので、普通はアプリも買い換えるしかないが、節約モードで行くなら、業務用PCを買うのもひとつの手段。業務用は、使用が連続なので、設計が頑丈らしい。しかも余り物なので安い・・・・

VISTA? もう少し時間が出来たら遊んでやるよ・・・。今は、会社でも家でもXPだけの世界で生きているし、XPに不満も無いので、わざわざVISTAを覚える気はない・・・・。また後でね・・・
以上、我が家のPC騒動の顛末でした。お疲れサマ・・・(まあ一人相撲だったが・・)

●本日、カウントが14万を越えました。G=20.300 、Y=15,000&458

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2008年7月26日 (土)

07年のシェア(市場占有率)~(3/3)世界シェア

先日(08/7/22)の日経産業新聞に、毎年恒例のシェア(市場占有率)の記事が載っていた。続いて世界シェアを見ていこう。(出典:2008/7/22日経産業新聞P16~P19)

*自動車①GM 13.0%(▲0.3)②トヨタ12.7%(0.0)③フォード8.9%(▲0.7)④フォルクスワーゲン8.6%(0.2)⑤現代自動車5.9%(0.2)

*クレジットカード①VISA 60.1%(▲0.2)②マスター28.0%(0.7)③アメリカンエキスプレス10.5%(▲0.2)④JCB 0.9%(▲0.3)⑤ダイナーズクラブ0.5%(0.1)
我が日本のJCBも世界では1%にも満たない・・・・。やはり海外旅行ではVISAだな・・・。

*液晶TV①サムスン(韓)18.7%(3.6)②ソニー17.1%(0.9)③シャープ11.6(0.1)④フィリップス(蘭)9.98%(▲0.9)⑤LG電子(韓)8.0%(1.2)
*プラズマTV①松下34.5%(5.0)②サムスン(韓)20.1%(6.0)③LG電子(韓)16.1%(0.3)④日立7.5%(▲0.4)⑤パイオニア7.3%(▲0.9)
*デジカメ①キャノン20.0%(▲1.5)②ソニー19.3%(2.0)③サムスンテック(韓)9.7%(1.1)④コダック9.3%(▲1.4)⑤オリンパス9.1%(▲0.2)
*ビデオカメラ①ソニー42.8%(2.6)②ビクター20.7%(▲0.2)③松下16.3%(▲1.5)④キャノン10.3%(▲2.8)⑤サムスン電子(韓5.9%(▲0.1)
*携帯電話端末①ノキア(フィンランド)37.8%(3.0)②モトローラ(米)14.3%(▲6.8)③サムスン電子(韓)13.4%(1.6)④ソニー・エリクソン(英)8.8%(1.4)⑤LG電子(韓)6.8%(0.5)

もちろん携帯電話端末の世界では、日本の影はない。ビデオカメラでは、ベスト4が日本だというのに・・・

*パソコン①HP(米)18.8%(2.2)②デル(米)14.9%(▲1.8)③エイサー(台)7.8%)2.0)④レノボ(中)7.5%(0.4)⑤東芝4.1%(0.1)
*インクジェットプリンター①HP(米)46.2%(0.6)②キャノン18.5%(0.7)③エプソン16.9%(0.7)④レックスマーク(米)10.2%(▲1.3)⑤ブラザー工業4.2%(0.5)

*CT①GE(米)35.0%(1.5)②シーメンス24.5%(1.0)③東芝メディ24.0%(1.0)④フィリップス(蘭)14.0%(▲3.5)⑤日立メディコ3.5%(▲1.5)
*MRI①GE(米)37.5%(▲7.4)②シーメンス(独)26.0%(1.5)③フィリップス(蘭)19.5%(1.5)④東芝メディ8.0%(1.4)⑤日立メディコ3.5%(▲1.5)

パソコンの世界市場ではノートの東芝が頑張っているし、医用機械の世界では、東芝、日立が意外と頑張っている。

もし来年も当サイトが生きていたら、08年版を載せるとしよう。
(これに何の意味があるかって? 「現役は大変だな~」って眺めているだけさ・・・)

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08年のシェア(市場占有率)(1/3)~エレクトロニクス/情報・通信・メディア
08年のシェア(市場占有率)(2/3)~自動車/住建/生活・食品・医療/サ-ビス/機械
08年のシェア(市場占有率)(3/3)~世界シェア

07年のシェア(市場占有率)~(1)エレクトロニクス系
07年のシェア(市場占有率)~(2)自動車・生活・サービス他
07年のシェア(市場占有率)~(3)世界シェア

06年のシェア(市場占有率)

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07年のシェア(市場占有率)~(2/3)自動車・生活・サービス他

先日(08/7/22)の日経産業新聞に、毎年恒例のシェア(市場占有率)の記事が載っていた。今日は先日に続く「その2」である。(実は毎年この記事が楽しみなのである。自分で思い込んでいるイメージと現実との“乖離”の意外さ・・・)(出典:2008/7/22日経産業新聞P16~P19)

<自動車>
・乗用車①トヨタ47.7%(0.1)②日産16.6%(▲0.6)③ホンダ13.4%(▲0.2)④マツダ5.7%(0.1)⑤富士重2.9%(▲0.1)
・軽自動車①ダイハツ32.0%(2.3)②スズキ30.8%(0.6)③ホンダ11.7%(2.4)④日産7.8%(1.1)⑤三菱7.4%(▲5.1)
・輸入乗用車①フォルクスワーゲン19.8%(▲1.2)②BMW17.9%(▲0.1)③ベンツ17.8%(▲1.3)④日産8.1%(8.1)⑤アウディ5.8%(0.0)
・普通トラック①日野32.5%(2.0)②いすゞ30.4%(1.0)③三菱ふそう21.4%(▲1.9)④日産ディーゼル15.7%(▲1.1)
・二輪車①ホンダ43.3%(▲3.0)②ヤマハ22.0%(1.0)③スズキ21.3%(▲0.3)④川崎2.9%(0.0)⑤ハーレー2.1%(0.0)
・カーナビ①パイオニア29.8%(1.5)②松下28.9%(1.0)③富士通テン14.2%(1.5)④三洋9.8%(▲3.2)⑤クラリオン7.9%(0.3)
・タイヤ①ブリヂストン47.6%(0.0)②住友ゴム22.9%.(0.0)③横浜ゴム16.2%(0.3)④東洋ゴム12.2%(0.1)

自動車での07年の話題は、ダイハツが軽で初の首位。スズキが34年間守ってきた首位の座を明け渡した。

<住建>
・マンション①穴吹3.7%(0.0)②大和ハウス三井3.4%(0.5)③三井不動産3.3%(▲0.5)④野村不動産2.8%(0.8)⑤大京2.8%(▲1.3)
・戸建て住宅①積水ハウス4.4%(0.2)②大和ハウス2.5%(0.2)③ミサワホーム2.4%(0.2)③積水化学2.3%(0.2)③タマホーム2.2%(0.7)

マンションでは、大京が30年ぶりに首位から転落し、5位。06年の3位から首位に上昇したのが、地方都市を中心に展開する穴吹工務店。

<生活・食品>
・化粧品①資生堂25.3%(▲0.7)②カネボウ17.2%(1.7)③コーセー10.2%(0.2)④ポーラ8.1%(1.1)④花王6.0%(▲0.5)
・台所用洗剤①P&G32.9%(▲2.1)②花王32.8%(▲1.2)③ライオン21.3%(0.3)
・婦人服①オンワード梶山3.1%(0.1)②ワールド3.0%(0.2)③イトキン1.7%(▲0.1)④サンエー・インターナショナル1.7%(0.1)⑤山陽商会1.6%(0.1)
・婦人下着①ワコール26.1%(▲0.3)②トリンプ・インターナショナル12.5%(0.2)③シャルレ4.2%(0.0)④グンゼ4.2%(0.0)⑤セシール2.6%(▲0.3)
・ビール①アサヒ37.9%(0.1)②キリン37.8%(0.2)③サッポロ12.5%(▲0.4)④サントリー11.0%(0.2)
・清涼飲料①コカコーラ29.1%(▲0.9)②サントリー19.9%(0.8)③キリンビバレッジ11.0%(0.0)④伊藤園8.8%(0.0)⑤アサヒ飲料7.5%(0.3)
・即席めん①日清39.3%(▲0.6)②東洋水産20.2%(0.2)③サンヨー12.0%(0.1)④明星10.8%(▲0.5)⑤エースコック7.4%(0.0)

<サービス>
・海外旅行①JTB 36.5%(1.2)②HIS 11.3%(0.4)③阪急9.2%(▲0.1)④近畿ツー6.5%(▲0.4)⑤日本旅行5.8%(▲0.6)
・国内航空①全日空46.9%(0.0)②JAL44.1%(▲1.2)③スカイマーク3.9%(0.9)④北海道国際2.0%(▲0.1)⑤スカイネット1.43%(0.1)
・宅配便①ヤマト37.9%(1.3)②佐川急便32.5%(0.1)③日通10.7%(0.0)④郵政公社8.3%(▲0.1)
・クレジットカード①三菱UFJニコス14.6%(-)②JCB 12.5%(0.8)③三井住友カード11.9%(0.2)④セゾン8.6%(▲0.2)⑤JALカード4.4%(0.3)
・人材派遣①スタッフサービス7.9%(▲1.3)②パソナ5.3%(▲1.3)③テンプスタッフ5.3%(▲1.2)④リクルート5.9%(▲0.8)⑤アデコ5.0%(▲0.9)

<機械>
・産業用ロボット①安川29.4%(▲0.6)②松下25.9%(1.6)③川崎重工8.4%(▲0.3)④ファナック6.7%(0.3)⑤不二越5.5%(▲0.5)
・腕時計(ムーブメント含)①シチズン55.2%(2.4)②セイコー38.7%(▲1.4)③リコー1.6%(0.3)④カシオ0.7%(0.0)⑤オリエント0.5%(0.4)

昨年のシェアと比べてみると、ほとんど変わっていないことが事が分かる。つまり、それほど「市場」は甘くないという事。売り上げを簡単に上げることなど出来ないということだ。
その中でも、ビールのアサヒとキリンの競争は、良く話題になる。昔は、キリンがダントツで逆転されたが、今再逆転されようとしている・・・

一番変化があったのは、人材派遣の世界かもしれない。新聞も賑わしているが、ベスト5の会社が軒並みシェアを落としている。競争激化により、それ以下の中小会社が食っている??

いつも同じ事を書くが、“シェア争いから卒業”するという事は、何と“精神衛生上”良いことか・・

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2008年7月24日 (木)

07年のシェア(市場占有率)~(1/3)エレクトロニクス系

先日(08/7/22)の日経産業新聞に、毎年恒例のシェア(市場占有率)の記事が載っていた。昨年に続いて、今年も07年のシェアについて見ていこう。あまりにも記事が膨大になるので、今年は幾つかの記事に分ける。先ずは一番興味のあるエレクトロニクス系である。
(実は毎年この記事が楽しみなのである。自分で思い込んでいるイメージと現実との“乖離”の意外さ・・・)(出典:2008/7/22日経産業新聞P16~P19)

<エレクトロニクス>~( )は対前年比%
・液晶TV①シャープ46.1%(2.2)②ソニー15.9%(▲2.1)③松下15.0%(2.0)④東芝13.2%(4.7)
・プラズマTV①松下68.8%(2.3)②日立28.6%(0.1)③パイオニア2.5%(▲2.5)
・DVDレコーダ①松下35.2%(7.2)②シャープ25.9%85.8)③東芝17.9%(0.4)④ソニー13.2%(▲4.8)
・次世代DVDレコーダ①ソニー50.3%②松下28.0%③シャープ17.5%④東芝4.2%
・デジカメ①キャノン21.0%(▲0.8)②松下16.7%(1.6)③富士14.0%(▲0.8)④ソニー11.8%(▲1.8)④カシオ11.8%(▲1.9)
・デジタル一眼レフカメラ①ニコン46.0%②キャノン37.5%③オリンパス6.0%④HOYA(ペンタックス)5.9%⑤ソニー4.2%
・ビデオカメラ①ソニー36.7%(4.9)②ビクター21.5%(0.2)③松下17.9%(▲3.3)④日立11.5%(0.3)⑤キャノン11.2%(▲1.7)
・携帯音楽プレヤー①アップル50.6%(1.2)②ソニー26.6%(5.9)③東芝4.4(2.3)④松下4.2%(▲4.4)⑤アイリバー2.2(▲4.6)
・洗濯機①東芝CM25.2%(2.4)②松下20.8%(0.3)③日立19.5%(0.3)④シャープ14.5%(▲1.0)⑤三洋12.3%(▲0.5)
・冷蔵庫①松下24.4%(0.5)②シャープ18.1%(0.6)③東芝CM15.5%(0.0)④日立AP14.7%(0.0)⑤三菱14.6%(▲1.9)
・エアコン①松下23.1%(2.3)②ダイキン18.0%(▲0.6)③三菱14.7%(0.6)④東芝12.2%(▲0.6)⑤富士通ゼネラル9.1%(▲0.1)

・パソコン①NEC20.3%(0.2)②富士通18.7%(1.2)③デル14.0%(▲0.2)④東芝9.0%(▲0.9)⑤日本HP7.6%(1.1)
・インクジェットプリンター①キャノン42.3%(2.3)②エプソン40.8%(▲0.7)③日本HP7.5%(▲1.3)④ブラザー4.6%(0.2)
・メモリーカード①松下21.1%(▲2.0)②サンディスク17.4%(8.8)③ハギワラ10.8%(▲2.1)④IOデータ10.1%(1.6)⑤ソニー8.4%(▲4.6)
・複写機・複合機①キャノン28.2(0.0)②リコー28.1%(0.1)③富士ゼロックス22.3%(0.4)④シャープ10.4%(0.1)⑤コニカミノルタ8.0%(▲0.1)

<情報・通信・メディア関係>
・携帯電話①ドコモ52.0%(▲2.4)②au 29.5%(0.4)③ソフトバンク18.1%(1.6)イー・モバイル0.4%
・携帯電話端末①シャープ24.3%(4.7)②パナソニック12.4%(▲0.8)③富士通11.1%(3.2)④東芝9.9%(▲0.9)⑤NEC9.4%(▲3.8)
・プロバイダー①OCN20.0%(2.0)②Yahoo!BB 17.0%(▲3.0)③au one net(KDDI)7.6%(0.9)④ぷらら7.5%(0.4)⑤BIGLOB7.2%(1.0)
・ADSL①ソフトバンクBB37.9%(1.9)②NTT東19.0%(▲0.9)③NTT西17.7%(▲0.5)④イー・アクセス14.5%(0.8)⑤アッカ7.5%(▲0.3)
・光ファイバー通信回線①NTT東40.8%(2.2)②NTT西31.3%(0.9)③KDDI5.8%(▲0.9)
・家庭用ゲーム機①任天堂67.2%(▲4.1)②ソニー31.2%(4.0)③マイクロソフト1.6%(0.2)
・家庭用ゲームソフト①任天堂31.1%(▲2.8)②スクウェア10.0%(▲0.4)③バンダイナムコゲームス9.9%(▲0.5)④カプコン7.3%(2.8)⑤コナミ6.5%(▲2.8)
・動画共有サイト①米ユーチューブ48.5%(1.3)②ニワンゴ22.7%③ヤフー11.3%(▲2.0)④USEN9.7%(▲14.5)
・ポータル・検索サイト①ヤフー75.9%(3.1)②グーグル5.4%(0.2)③MSN3.5%(▲1.3)④インフォシーク2.7%(▲0.6)⑤BIGLOBE2.6%(0.3)
・出版①リクルート17.7%(0.7)②ベネッセ9.4%(0.5)③講談社5.0%(▲0.1)④小学館4.9%(▲0.2)⑤集英社4.8%(0.1)
・音楽ソフト①エイベックス16.6%(3.1)②ユニバーサル15.8%(1.7)③ソニーミュージック11.9%(▲2.5)④EMI7.2%(▲2.5)⑤ワーナー6.8%(▲1.2)
・DVDソフト①ワーナー6.0%(▲1.5)②20世紀5.5%(▲0.4)③ディズニー5.3%(▲2.8%)④バンダイ4.7%(▲1.2)
・映画①東宝30.0%(1.0)②ワーナー13.1%(1.3)③ディズニー9.7%(▲2.9)④ソニー8.2%(1.0)⑤松竹7.9%(1.0)
・広告①電通22.6%(▲0.6)②博報堂10.2%(▲0.1)③ADK5.5%(-)
・サーバー①富士通20.2%(0.5)②日本IBM19.4%(▲0.4)③HP17.7%(▲0.1)④NEC16.4%(▲0.9)⑤日立11.1%(0.6)

昨年同様、解せないのが検索サイト。Yahoo(75.9%)に対してGoogle(5.4%)が何とも分からない。これは自分が利用しているのがもっぱらGoogleなので、それで理解できないのか? 待てよ・・・? ポータルサイトとして見ると、まあピントは合うな・・・。ポータルサイトと検索は分けられないのかもね・・
でも、どのジャンルも、まあ“想定内”だな。
しかし還暦(定年)に達した人は、ビジネスの「シェア地獄」から開放されて、やっと冷静にこれらの事実を俯瞰できる・・・。客観的に見つめて・・・・。それでどうする?
ふと、ビジネスを離れると、これらのシェアは“自分が消費する(買う)時の参考”にしかならない・・・、と思って愕然(??)とした。

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2008年7月23日 (水)

井上陽水の「人生が二度あれば」~還暦版

今日(08/7/23)の日経夕刊(P22)に「井上陽水コンサート~巨人の風格と安定感」というコラムがあった。先日の7月11日に渋谷で行われた全国25公演の最終日のレポートだ。
たまたま先日、何かで同じような記事を目にして、ちょうど発売になったばかりのCD「弾き語りパッション~井上陽水」というアルバムをamazonに頼んで、ちょうど来たところだったので、この記事も興味深く読んだ。
実は、先日当blogで、「心もよう」と「傘がない」は他の演奏を聞いたことが無い・・・と書いたら、このCDに両方とも入っている事が分かり、早速買ったというわけ。
ところが、今朝初めて電車の中で聞いたら、一番印象に残ったのが「人生が二度あれば」だったのである。このコラムによると、・・・

「・・・この日、アンコールでまず「この歌が似合う年齢になりました」と老いた両親をモチーフにした「人生が二度あれば」を歌った。彼がまだ23歳の時の作品である。続いて・・・」

この弾き語りの録音は、トシ相応で、いわゆる「いい味出している・・」演奏である。(今年の8月で、陽水も還暦さ・・・・)

<井上陽水「人生が二度あれば」>
       (2007/6/27 沖縄コンベンションセンターでの録音)

「人生が二度あれば」
   作詞・作曲:井上陽水

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た

父の湯飲み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば

母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている

そんな母を見てると人生が
だれの為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば

父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば

この作品は、1972年3月1日発売。まさに「傘がない(1972/7/1)」「夢の中へ(1973/3/1)」「心もよう(1973/9/21)」が後に続く黄金期の作品だ。

しかし同世代の自分も、この歌詞には何かしみじみしてしまう・・・。オリジナルの音を聞くと、やはり今の声のほうが良いような気がする・・・。
さっきのコラムではないが、テレビで見ると飄々としているが「陽水は巨人」だな・・・(サラリーマンには風格なんぞ無いけど・・・)

さて我々は「人生が二度あれば」どうするだろう? 「こんな人生はイヤだから最初からやり直したい・・」人も居るし、「いやいや、まあ人生こんなものだろうから、これでいいや・・・」と言う人もいる・・・。
自分は?? 当然「今が最高なので、やり直しなんてとんでもない!!」(これは、決してカミさんを意識して言っている訳ではないので・・、念のため)

まあ、PCが復活したら、「心もよう」や「傘がない」についても、昔と今とを比べてみよう。

(関連記事)
井上陽水の「心もよう」と石川セリの「八月の濡れた砂」
井上陽水「傘がない」と沢田研二「許されない愛」は似ている?

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2008年7月22日 (火)

交響曲の「世界遺産ディスク」~「レコード芸術」誌から

レコード芸術」の今月号(2008年8月号)の特集は「世界遺産ディスク」。これはなかなか面白い企画である。曰く・・・

「レコード芸術選定 世界遺産ディスク 歴史に刻まれた記念碑的名盤」
「『世界遺産ディスク』とは、“顕著な普遍的価値を有する録音物”。本誌では独自の選定基準を設定し、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲・・・・の各ジャンルごとに“世界遺産”と呼ぶにふさわしいディスクを選定しました。ここに登場する録音の数々は、深く記憶に刻まれ、永く聴き続けられるべき、クラシック音楽の記念碑というべきものばかり。・・・これらのディスクの不変の価値はいつまでも輝き続けることでしょう。」

ちなみに一番分かりやすい「交響曲」では、下記の盤が選定されていた。

「交響曲」~諸石幸生氏選
①ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
  フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭O.(1951)
②ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
  ワルター指揮 コロンビアso.(1958)
③ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
  トスカニーニ指揮 NBCso.(1953)
④マーラー:交響曲第9番
  バーンスタイン指揮 ベルリンpo.(1979)
⑤モーツアルト:交響曲第39~41番
  ベーム指揮 ベルリンpo.(1961~66)
⑥チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
  ムラヴィンスキー:レニングラードpo.(1960)
⑦ブラームス:交響曲全集
  カラヤン指揮 ベルリンpo.(1977,78)

<他に候補になったディスク>
(1)ベルリオーズ:幻想交響曲
  シャルル・ミュンシュ指揮 パリo(1967年10月)
(2)サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」
  シャルル・ミュンシュ指揮 ボストンso.(1959年4月)
(3)シューマン/交響曲全集(第1番~第4番)
  ジョージ・セル指揮 クリーブランドo.(1958年10月~60年10月)
(4)ブラームス/交響曲全集
  ジョージ・セル指揮 クリーブランドo.(1964年10月~67年10月)
(5)ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
  フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団(1957年11月)
(6)ブラームス/交響曲全集
  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウィーンpo.(1989年5月~91年4月)
(7)マーラー:交響曲第5番
  ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団(1970年3月)
(8)ブラームス:交響曲第4番
  カルロス・クライバー指揮 ウィーンpo.(1980年4月)
(9)シューマン:交響曲第2番
  ジュゼッペ・シノポーリ指揮 ウィーンpo.(1983年6月)

選定の方法は、当然、人によって評価が違うため、各ジャンル毎に別の人があたっていた。交響曲は諸石幸生氏である。

①のフルトヴェングラーの第九は当然として、1947年5月の「運命」が挙がっていないのが不思議だったが「1巨匠1点」という枠を設けて選定したというので、仕方がない・・・
この候補の16枚を作曲家別に数えると、ブラームス:4、ベートーヴェン:3、マーラー:2、シューマン:2だ。ブラームスがベートーヴェンを越えた・・・。

しかし、つくづく“音楽は人の好み”だと思った。これらの交響曲はたぶん誰もが納得するような気がするが、例えば協奏曲では、(ここ)に書いたように、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、自分はサラ・チャンが好き。でもこの「世界遺産ディスク」では、ハイフェッツが5位に入っていた。
それにオペラでは、英デッカのジョン・カルショーのプロデュースによるショルティ/ウィーン・フィルの「ニーベルンクの指環」は当然入っていると思っていたが、入っていない。(参考ここ

まあ、「レコード芸術」誌に載ったからといって、ユネスコに登録される訳でもないので、あまり気にすることは無いか・・・・。
でも学生時代に、なけなしの小遣いで買った盤が「歴史的名盤」と聞くと、今でも嬉しいものである。

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2008年7月21日 (月)

我が家のパソコン(東芝G10)の反逆

いやはや、最近「捨てる」ことについて記事を書いていたら、どうもウチのパソコンにそれが聞こえていたらしく、「捨てられるものなら捨ててみな!」と、ウチのパソコンがストライキを起こしやがった・・・。結果的には、自分の大敗北・・・・

いつも、ノートPCの蓋を開けると起動するはずなのに、昨夜PC(東芝のG10)を使おうと思ったら、画面が真っ暗なまま・・。ヤバイと思って、電源スイッチを押して強制終了させ、電源スイッチを入れると、最初のWindowsの文字がメチャクチャ。あっちこっちに文字がバラバラに表示され、画面がわけのわからない文字で埋め尽くされる。そのうちに、内蔵ファンがグワーと回り出す・・・。何か不安になってまた電源を落とす・・・。セーフモードの文字らしき表示が出ることもあるが、文字があっちこっちに飛んでいる。これは今までに無い症状。今まではHDDが壊れることが多く、PC自体は生きていた。でも今回は様子が変だ。前に、IOデータのHDDを買ったときに付録で付いていたバックアップソフトで、Cドライブ全体をミラーで保存はしてある、しかしマイドキュメントを裸では保存していない・・・。故障はHDDと、決めて掛かっていたのでヤバイ・・・・

昨夜は東芝のサポートも終了していたため、今朝一番でサポートに電話。結論、ハード的に壊れているので修理が必要。メイン基板が壊れていると、49千円と技術料12.6千円の6万円以上掛かる。ディスプレーだと同じく部品代が33千円・・・・だとさ。

買ってから、たったの丸3年。しかも一日で夜の2~3時間しか使っていない。それなのに、もう寿命か???Net(価格com)で見たら、VISTAの最新型が9万円。これなら修理するより、最新型に買い換えたほうが良いではないか・・・・。(注:カミさんに言わせると、1日4時間、休日は10時間だと言っているが、そんなに電源は入っていない。・・・つもりだけど・・・・。←追(08/9/20)壊れた原因が分かった。メーカ東芝の設計不良または製造不良だった。つまり、実は同時に買ったまったく同じG10が同じ症状で壊れたのだ。兄がPCを買いたいと言うので、同じ型のものを買わせたのだが、同じく壊れたという。それも殆ど使っていない。PCオンチの兄は、毎週末にメールを見るくらいで、アプリもWORDしか使ったことが無い。そのG10が全く同じ時期に壊れた。東芝に電話すると、製造番号を聞いて「アア、あの症状か・・・」といった対応だったとか。結局兄は、設定が大変なので66千円かかったが、基盤を交換してもらった。Netでみると、同じ現象で次々と壊れているという。PCのリコールは無いのか?結局、東芝のPCはもう買わない、しか対応方法はなさそうだ)

昼に、早速近くの量販店に物を見に行ったら、やはり最新型は格好良い。「もうVISTAに乗換えだ」、と息巻いて、ふと思った。アプリはVISTAで動くのか???
そして驚いたことに、フリーソフトのMP3編集ソフトを初め、HPの作成ソフト等、毎日使っているほぼすべてのアプリがVISTAに対応していないことが分かった。これでは、アプリを全部買い換えて、設定のやり直しが必要ではないか・・・。
と思ったら、力が抜けた・・・・。つまり、「敗北」だ。しぶしぶ東芝の修理窓口に電話。明日、家にPCを取りに来るという。修理には1週間強かかるという。今となっては、ハードディスクが何とか無事であることを祈るだけ・・・。
「設定の時間を考えたら、いまのまま復活してくれたほうが楽さ・・」「XPで自分は何の不自由も無いさ・・・」とうそぶいてはいるものの、心中穏やかではない・・・

前に、DVDレコーダを買おうとしたら、D-VHSデッキ(デジタルハイビジョンビデオ)がヘソを曲げたことがあった(ここ)。
皆さんも、機械を買い換えることを考えた場合は、なるべく不要になるであろう機械の前では“声を出さない”に限る。(もし聞こえると、反逆される・・)

でも今回は不思議に焦らなかった。「捨てる」事を意識していたのと、カミさんからも「パソコンに牛耳られているので、良い潮時・・」なんていう話もあったし・・・。
しかし、一番困るのが「クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)」のHPデータ。これだけは別の携帯HDDにバックアップを取っていたので助かったものの、肝心のアプリがVISTAで動かないことが今回敗北の決定打?? まあ、これを機にこのサイトの休業も考えたものの、とりあえず今はXPの復活に賭けよう。

しかし、つくづくblogは安心だ。データが“あっち”にあるため、PCがどうなっても壊れない。
「Qosmioさん、負けた。“捨てる”なんて考えていないので、長生きして!」・・・(何のこっちゃ・・)

*仏教では、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)といって、植物どころか山や川にも命があると教えている。(だから殺生をしてはいけない・・・)
よって自分が真顔で機械に呼びかけても、それで“頭が狂っている”と早とちりしてはいけない・・・。合掌。

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2008年7月20日 (日)

動物写真の素晴らしさ

数年前から、いわゆる“義務”で、我が家の居間に動物写真のカレンダーが鎮座している。しかし、これが意外と素晴らしい・・・。(なお、この感想はカミさんがいつも言っているもので、必ずしも自分の感想ではない)

Img_21971 まずこの写真(写真をダブルクリックするとポップアップで拡大される)。これはMELTEC(三菱電機ビルテクノサービス)の2007年6月のカレンダー写真である。解説にシロアジサシ~太平洋、インド洋、大西洋の熱帯、亜熱帯に生息。その愛らしい姿からFairy Tern(妖精アジサイ)とも呼ばれています。他のアジサイ類のようなコロニーはなく、つがいで行動。巣は作らずに、木の枝に分かれた部分やせまい岩棚などに直接卵を産みます」とある。
この写真に惚れたカミさんは、月が替わっても写真だけはそのままにしたため、結局、昨年の6月以降、月が替わっても写真はこのままになった。そしてさすがに今は、カレンダーでなくて単なる写真として寝室の壁を飾る・・・。そしてカミさんは、「この写真を見ているだけで心が和む」という。

Img_21981 次の写真は、同じ会社の今月(2008年7月)のカレンダー。解説にアミメキリン~サバンナにオス1頭、メス2~3頭と子どもが群れをつくって暮らしています。成長したオスとメスは求愛の表現として、長い首をからませたり、頭をこすり合わせたりします。」とある。
カミさんは「恋人同士だろうか・・・・。どんな動物でも、その心が素直に出ている」という。(これらの写真、撮影者が書いていない。幾らカレンダーでも、誰の作品か、小さくても書いておけば良いのに・・・・)

動物写真家は、一枚の写真を撮るために、たぶん想像を絶する苦労をされているのだと思う。風景写真家は天候に左右され、動物写真家は偶然に左右される。写真は数百分の1の瞬間を記録するが、写真家はその瞬間のために、海外に行き、山奥に入り込み、何日も「その瞬間」のために泊り込む。しかし「その瞬間」が来ないかも知れない・・・・。
でもこれらの写真に見られるように、「その瞬間」は我々にはかり知れない「安息」を与える・・・。

話が変わるが、先日ひょんな事で昔のアルバムを開けたら、こんな写真が出てきた(1973Image01352 年6月撮影~大分退色しているが・・・)。これは、自分が会社の寮にいた時に、壁に貼っていたもので、コダックのPR写真(をスチールカメラで撮ったもの)である。この子猫の一匹一匹の表情が可愛らしく、味気ない独身寮の部屋を潤してくれたものだ・・。多分還暦近くの方は見覚えがあるだろう・・・。

写真家については、当blogでもマザー・テレサを撮った沖守弘氏(ここ)、天体写真家の藤井旭氏(ここ)、そしてブッダの足跡を撮った丸山勇氏(ここ)の事を書いたことがある。
つくずく写真というものは、“その一瞬”で、奥深く“何かを語る”ものだと思う。

◎パソコンが故障しました。よってしばらく更新が無理の見込みです・・・・(今日の分は、昼に下書きしたのをそのままアップしますが・・)

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2008年7月19日 (土)

72歳から10年かけて博士号~元神戸製鋼所社長 亀高素吉氏

今朝(08/7/19)の朝日新聞朝刊(P2)の「ひと」というコラムに「10年かけて薬学博士を取得した元神戸製鋼所社長 亀高素吉さん(82)」という記事があり、世の中とてつもない人がいるものだと感心すると共に、還暦だと騒いでいる自分があまりにも小さく、考えさせられてしまった。曰く・・・

「10年かけて薬学博士を取得した元神戸製鋼所社長 亀高素吉(かめたかそきち)さん(82)
『物忘れが多くなった』と言いながら、薬学の専門用語がぽんぽん出てくる。忘れた分を上回る新しい知識が頭に入っている。北里大学から18日、薬学の博士号を授与された。
98年、神戸製鋼所会長を退いた。普通ならあとは余生だろうが、「もう一遍、意味あることに人生を使いたい」と思った。
40年前、前妻を白血病で失った。今の妻も、くも膜下出血で倒れ、薬の副作用から免疫力が低下した。もっと良薬は作れないのか。「女房のかたきをとってやる」。北里大薬学部で聴講生として大学院の講義を聴き始めた。98年の秋だった。
Image01341 かつて卒業したのは経済学部。薬学は全くの素人だ。講義を聞いても分からない。高校の化学の教科書を自習し、図書館で復習・予習やリポート書きに精を出した。薬理学など13科目の単位を、満点近い平均96.5点で取得。だが、自ら新しい知見を見つけたかった。そんな時、石井邦雄教授から研究員に誘われた。
学生らと実験棟にこもり、ラットに薬を投与して白内障への影響を探る研究を続けた。ラットのような小動物の眼底写真を精細に撮れるカメラを、神戸の企業と共同で世界で初めてつくったことが、研究に弾みをつけた。学術雑誌に4本の論文が掲載され、博士取得につながった。
『熱意としつこさ』が石井教授の亀高評。本人は『薬効のメカニズムが分からない』と興味は尽きない。老学徒の心の火種は燃えている。(文・安井孝之)」

超一流の会社の社長・会長を歴任し、功成り名を遂げた人が、リタイアした72歳で全くの異分野の勉強を始め、82歳で博士号を取るとは・・・・・。まさに絶句・・・・

先日、専業主婦から奮起し、36歳で医学部に合格して医師になって、えりもの辺地医療に尽くした鈴木陽子さんのことを書いたが(ここ)、世の中、ものすごい人は居るものだ・・・。
そして、このような話題は、「還暦だ」「定年だ」・・・・・と感傷にふけっている自分の耳に、何と痛いことか・・・。
「爪の垢を煎じる」とはよく言うが、最近は“煎じる垢”が集まり過ぎて、間に合わない・・・。つまり、自分はまだまだ「甘い」ということだな~と思った。(自分も早く何かを見つけねば・・・!??)

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2008年7月18日 (金)

平岩弓枝氏の「私の履歴書」~“捨てる”ということ

今月の日経朝刊に連載されている「私の履歴書」は、平岩弓枝氏である。自分はこの人の作品を読んだことが無いが、今年の元旦のNHKラジオ深夜便で平岩弓枝さんの番組を聞いたことがあり(「小説の世界に魅せられて半世紀 作家 平岩弓枝(08/1/1放送)」)、平岩さんが神主さんの娘であるとかの背景を知っていた為、このコラムを読んでいても話がよく分かる。
今日(08/7/18)のテーマは「『生きたせりふ』に開眼~放送枠、無駄をそぐ助けに」である。これを読んでいて、前にも書いたが(ここ)“捨てる”事の重要さ、難しさについて、改めて考えてしまった。曰く・・・

「・・・テレビドラマの仕事は楽しかった。気の合う人々と一緒に一つのことを創り上げて行く面白さは格別のものがある。勿論きびしい問題もあった。小説は或る程度のびのびと自由に書けるが、テレビドラマには時間の制限がある。1時間ドラマ、30分ドラマ、15分ドラマ、民放であればしれからコマーシャルの時間をさっぴかなければならない。時間よりはみ出したドラマは容赦なくどこかを切って編集しなければ通用しない。
まだ、テレビドラマが万事手作りであった頃だが、それでも書いたものが切られるのは嬉しくなかった。映像になってから切られるのは尚更である。名優といわれる人人が実にいい芝居をし、いい具合にせりふを喋っている。それをばっさりやられるのは俳優さんにすまない気がした。次第に自分は自分の脚本の段階で無駄なせりふを自ら切り落とすようになった。
それなら最初から無駄なせりふを書かなければよいとわかっているがつい熱中して書いていると熱くなっている分だけ冗漫なせりふになる。その中(うち)に気がついた。本当に生きたせりふには無駄が全くないのだということである。恩師のおかげで私は牛の歩みながらまた一つ勉強をした。」

このことは、我々の日常の生活すべてで言える。冗長な生活ほど希薄。逆に、凝縮した生活は充実・・・・。(でも疲れるけど・・)

話は変わるが、最近「捨てて」楽になったという、実にバカバカしいことがあった。自分は好きなTV番組をいつもDVDレコーダに録画しておいて、後から見ることにしているが、このところ1テラバイトのハードディスクが満杯になり、「早く見なければ・・」と、何か追われているような状態になっていた。実にアホらしいことである。(だいたいNHKの「世界ふれあい街歩き」の再放送が多過ぎる・・・!??)
それでフト、「見なければ・・・」と思っていた番組を、「本当にそうか?」と思い直して、まとめて消してしまった。まずNHKの「太王四神記」だ。自分はミーハーなので、世間で流行しているドラマは、まあ見ておくか・・という事になる。それで24巻までBShiで録画してあったが、しばらく見たがどうも自分にフィットしていなかったので一挙に消した。他にもドラマなどを消した・・・。そしたら、DVDレコーダの空きが大きく出来た。そして、バカバカしいほどに「こころが軽く」なった。なんともアホらしい・・・・

家財道具も、人との縁も、何もかもそうだが、我々は色々なものを背中に背負いながら生きている。でも、捨てられないと思い込んでいるものも、その気になれば簡単に捨てられるものがどれほど多いか・・・。
そう思うと勇気が出てきたぞ!よし、何でも捨ててしまえ! (おっとっと。お金だけは別だよね・・・。ついでに、家族も捨てられないよね~・・・・。~ナーンテ、これは建前だけど・・・)

(関連記事)
「捨てる」ということの難しさ

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2008年7月16日 (水)

中国人の芥川賞受賞と、直木賞の「蛙の子は蛙」

今朝(08/7/16)の新聞に、昨夜決まった第139回の芥川賞と直木賞の受賞について報道されていた。ビックリしたのは、何と中国の人が芥川賞を取ったということ・・・。

「第139回の芥川賞・直木賞の選考委員会が15日夜、東京都内で開かれ、芥川賞は楊逸(やん・いー)氏(44)の「時が滲む(にじむ)朝」に決まった。中国人作家の芥川賞受賞は初めてで、日本文学の可能性を広げる契機になりそうだ。直木賞は井上荒野氏(47)の「切羽へ」が選ばれた。」(日経朝刊08/7/16より)

楊逸さんは22歳の時に来日し、アルバイトをしながら日本語学校で日本語を勉強し、お茶の水女子大を卒業。中国語新聞の記者を経て中国語講師に・・・。日本人と結婚したが7年前に離婚して今は二人の子供を育てているという。
しかし、大人になってから習った日本語で、天下の文学賞を取るという快挙。これは、人間、やる気になれば何でも出来るという事か・・・・

同時に、直木賞は井上光晴氏の娘の井上荒野氏。昨日、たまたま「蛙の子は蛙」の記事を書いたが、それはどうも本当らしい・・・。

話は変わるが、今月の日経朝刊の「私の履歴書」は平岩弓枝さんである。毎日楽しく読んでいるが、今日のテーマが「直木賞受賞」・・。「直木賞受賞~候補で満足、外出中知る~借りた晴れ着で記者会見」。
日経の前のページ(P38)で、井上氏の直木賞受賞に関し、「・・・委員を代表して平岩弓枝氏は・・・・とたたえた」とあり、“そうか平岩弓枝氏も直木賞の選考委員だっけ・・”と思いつつ次のページ(P40)を広げると自分の直木賞受賞の話とは、何とも絶妙のタイミング・・・。さすが大御所・・・

前に五木寛之氏が直木賞について、(NHKラジオ深夜便の「わが人生の歌語り」で)「今後、その人が筆で生活が出来る才能がある事を認めること・・・・」と言っていた。だから、作家の大御所たちが今後プロの作家として活躍することを予見したことでもあるので、直木賞の受賞者が、その後パッとしないと選考委員は困るそうだ。(確かに五木寛之氏も平岩弓枝氏も、今度は選ぶ側に回るほど期待に応えたが・・・)

まあ、芥川賞受賞の中国の人は、「語学大嫌い人間」で今でも学生の頃の語学試験の夢を見てうなされる自分にとっては、実に遠い世界の出来事・・・・。凡人とは頭の構造が違うのだろう・・・。しかし中国の人は努力家である事は確からしい・・。

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2008年7月15日 (火)

服部克久の「自由の大地」~新世界紀行のサントラ

今日(08/7/15)の日経夕刊を読んでいたら、「こどもと育つ~作曲家・服部隆之さん」というコラムがあり(P17)、作曲家 服部克久氏の息子もまた作曲家だという事を知った。曰く・・

「祖父は服部良一氏、父は服部克久氏。三代にわたって五線紙に音を紡いできた音楽家のバトンは今、八歳の娘に引き継がれようとしている。・・・・」

「青い山脈」などを作曲した服部良一氏は、国民栄誉賞も受賞した昭和初期の代表的な作曲家。服部克久氏は編曲も手掛け、テレビで指揮をしているところを良く見た。しかし、その息子も作曲家だったとは知らなかった。

“蛙の子は蛙”とは良くいうが、音楽家の家系は環境的にも音楽家が育ちやすいのだろう。バッハ然り、モーツァルト然り・・・。指揮者の世界では、自分が高校の頃から良く知っていたエーリッヒ・クライバーの息子は、あのカルロス・クライバーだし、フォンタナレコードで子供の頃に良く聞いた指揮者:フランツ・コンヴィチュニーの息子のペーター・コンヴィチュニーは、先日も新聞でオペラ公演の広告に載っていた。

政治家や俳優を代表例に、歌手などの音楽の世界でも親の七光りが多いが(おっと、宇多田ヒカルは超えている?)、このコラムにもある通り、
「ただ、芸術家には親の七光りも“十四光”も通用しない。人がいいと思う音を生み出せるのか。実力のみの世界が横たわる。」
これは確かだ。カルロス・クライバーの「運命」を聞けばまさにそれが証明される。(ここ

・・・という訳で、あんまり関係ないが、自分が一番好きな服部克久の曲をひとつ・・・
1987年~1992年の毎週日曜日に、TBSテレビ系で放映されたドキュメンタリー番組「新世界紀行」のテーマソング「自由の大地」である。

<服部克久作曲「新世界紀行」のテーマ「自由の大地」>

この曲を聞くと、まさに“世界雄大さ”が伝わってくるな・・・。(実はこのTV番組は見た記憶が無い。テーマソングだけが印象に残っていて、CDを見つけた時に衝動買い?したもの)

話は変わるが、本当に“蛙の子は蛙”なのだろうか?はっりき言って迷惑だな。ウチの息子どもも迷惑だと言うだろう・・・。(でも亡くなった親父が凝っていた将棋を、自分を飛び越えて息子が凝っている姿を見ると、“蛙の「孫」は蛙”なのかとドキッとする・・・)

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2008年7月14日 (月)

沖縄の害虫ミカンコミバエ根絶への道~小山重郎氏の話

NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「沖縄に”青切りミカン”が戻った日 元・沖縄県農業試験場室長 小山重郎」(2008/7/10~11)を聞いて、害虫根絶への苦労と、オスの悲哀?を感じた。この番組では、氏が行ったミカンコミバエ根絶とウリミバエ根絶のうち、主にミカンコミバエ根絶の話をされていたが、“百億匹単位?のハエをゼロにするという事が本当に出来るのだ・・・!”と絶句。曰く・・・(一部、沖縄県ミバエ対策事業所のHP(ここ)から引用)

子供の頃から昆虫少年だった小山重郎氏は、沖縄でミカンコミバエ根絶に挑む。沖縄は、1972年に本土復帰を果たしたものの、みかんなどの柑橘類や瓜類は、日本本土には居ないミカンコミバエやウリミバエによって汚染されていたため、「植物防疫法」という法律によって本土への出荷が禁じられ、沖縄にとって経済的に大きな問題だった。それを、1978年8月にミバエ研究室長として赴任した小山重郎氏がまとめ役となり(5年間の在任)、「雄除去法」によって最終的に1986年2月にミカンコミバエを,「不妊虫放飼法」によって最終的に1993年10月にウリミバエを、沖縄全域から根絶したという。一匹残らず・・・。

害虫を根絶させるためには、1)毒の餌で殺す「毒餌誘殺法(どくじゆうさつほう)」 2)オスだけ殺して交尾させない「オス駆除法」 3)放射線を当てた不妊虫を大量に放って野生虫間の交尾の機会を減らす「不妊虫放飼法」がある。

080714mikankobae ミカンコミバエはもともと台湾などから持ち込まれたもので、沖縄諸島には大正8年に侵入が確認され、沖縄の夏だと、卵から約1ヶ月間で成虫になって卵を生むようになり、1年間で約8世代を繰り返すという。
ミカンコミバエ根絶で使った「オス駆除法」では、科学的に合成させた(オス成虫を誘引する香料の一種である)メチルオイゲノールと殺虫剤を混ぜた誘殺テックス板などを島内に大量に蒔き、オスだけを殺してメスがオスと出会えなくして根絶したという。費用は年間3億円、5年間で15億円。
一方、ウリミバエ根絶に使った「不妊虫放飼法」の原理が面白い。オスは10回位交尾をするが、メスは1回の交尾で一生産卵するだけの精子を貰い、二度と交尾をしないという。これは自然の摂理で、オスは自分の子孫を残すために、一度交尾したメスには、他のオスとの交尾をさせないように、ある種の仕掛けをメスに施すのだという。不妊虫はヘリコプターで散布するが、1回のフライトで400万匹、20年間で530億匹を放ったという。
そして幾らゼロになっても、これらの駆除方法は永続的に続くという。いつまた進入してくるか分からないので、永久に続く事業なのだという。(これらの駆除方法については、沖縄県ミバエ対策事業所のHP(ここ)に詳しい)

そして、小山重郎氏がこれらの活動で、一番印象に残っているのが、沖縄から出荷が出来なかった法律が改定され、出荷が出来るようになったことだと言っていた。つまり、法が公聴会で1名の反対も無く改定されたときは、“とにかくホットした・・・”と。

この放送を聞いて二つのことを感じた。まず小山重郎氏が「自分達がやったのだ」という誇りを持たれていた事。人生で、現役が終わったとき「オレはこれをした」と言い切れる仕事をした人間が何人いるだろうか・・・・。(昔、現役時代に建設省のダム建設所に何度も行ったが、ダムはスタートから建設完了まで数十年も掛かるだけに、“ダムを作り上げるのは男一生の仕事”と現場の人が言っていた事を思い出した。・・・ところで「自分は何をした??」・・・とても言えることはナイな・・・・)

二つ目に、この番組を聞いてオスの悲哀?を感じた。どんな生き物も、最大のミッションである子孫を残すために、オスはメスの匂いを追う。それなのに、残酷な人間は「メチルオイゲノール」なる媚薬(フェロモン)を合成して、てっきりメスだと思って近寄ったオスを根こそぎ殺す。何という裏切り・・・
人間の世界でも、このテの話はおとぎ話でよくある。絶世の美女がふところの中で牙をむく話・・・・。(もうウチは関係無いけど・・・・)

でも結論として小山重郎氏は、リタイアして仙台で家庭菜園をしている現在の経験から、「害虫はどのような時に出てくるかと言うと、肥料のやりすぎ。農薬を使うと天敵が居なくなるので使わない(農薬に、アブラムシは強いが、天敵のてんとう虫は弱い)。そうして天敵を温存する。それから作物を適した季節に作る。トマトは夏に、大根は冬に作れば強い。そうすれば農薬を使わなくてすむ。最後に害虫との共存を考える。害虫の根絶は大変な努力が要り、害虫は絶対に負けない」という。

何に対してもそうだが「負けるが勝ち」が真実なのかも・・・。害虫根絶のために戦ってきた小山氏が、「害虫との共存」が結論とは・・・
なかなか、考えさせられる番組ではあった。

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2008年7月13日 (日)

カーン・リーの「雨に消えたあなた」と天童よしみの「美しい昔」

この2曲がなぜ並んでいるのかというと、2003年にヒットした天童よしみの「美しい昔」は、ベトナムの反戦歌手であるカーン・リー(Khanh Ly, 1945-)の「雨に消えたあなた」のカバーなのである。
080713amenikietaanata 「雨に消えたあなた(美しい昔)」の原題は「Diem Xua」といい、ベトナムの反戦歌だという。作詞・作曲はチン・コン・ソン(1939-2001)。
1970年、夫を殺されたカーン・リーは、ユエからサイゴンに落ちのび、大阪万博に出演して日本語盤の「雨に消えたあなた」をリリース。その後この歌は、1979 年のNHK ドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の主題曲となって「美しい昔」に改題して1979年12月に再発して日本でも知られるようになったという。(他に、菅原やすのり(1984年)、加藤登紀子(1997年)がカバーしている)
原曲カーン・リーの「雨に消えたあなた」を聞いてみよう。

<カーン・リー「雨に消えたあなた」>~1971年1月発売

ベトナム語の歌を、訳詩を見ながら聞くのも良い。(出典はここ

「Diem Xua」(美しい昔/雨に消えたあなた)

霧雨が 古い塔を濡らしている
君の長い手 とても澄んだ瞳
秋の葉を打つ雨音を耳にしながら
小さな靴はすり減っていく
沈んだ瞳に 長い道のりが煙る

雨は 小さな木の葉に降り続く
夕暮れはいつも 雨が通り過ぎるのを待つ
君の足跡には 枯葉が静かに降り積もる
苦しむ君を想い 不意に心が痛む

雨は今日も降るのに 君はなぜ戻らないのか
心が痛む時 いつも君を想っている
痛みと想いはなぜいつも一緒なのか
早く戻って来ておくれ

雨は 波乱の人生に降り続く
墓標が痛みを知らないと なぜ君にわかるのか
雨よ この広い大地に降っておくれ
これからも僕が 彷徨い続けられるように

小石のように寄り添える日が
いつかきっと来る

そして、この歌が、天童よしみの手に掛かるとこうなる。少し聞いてみよう。

<天童よしみ「美しい昔」(New Ver)>

「美しい昔」
  訳詞:高階真
  歌 :天童よしみ

赤い地の果てに あなたの知らない
愛があることを 教えたのは誰?
風の便りなの 人のうわさなの
愛を知らないで いてくれたならば
私は今も あなたのそばで
いのち続くまで 夢みていたのに
今は地の果てに 愛を求めて
雨に誘われて 消えて行くあなた

来る日も来る日も 雨は降り続く
お寺の屋根にも 果てしない道にも
青空待たずに 花はしおれて
ひとつまたひとつ 道に倒れていく
誰が誰が 雨を降らせるのよ
この空にいつまでも いつまでも
雨よ降るならば 思い出流すまで
涙のように この大地に降れ

私は今も あなたのそばで
生命つづくまで 夢みてたのに
今は地の果てに 愛を求めて
雨に誘われて 消えて行くあなた

心に滲みる歌には、それぞれ歴史があるようだ。
080713khankly カーン・リーという歌手も、ベトナム戦争のかげで、夫が目の前で殺されるような凄まじい過去があるという。それだけに、昔の歌声は(今の美しい姿を見ても)なぜか淋しい。

話は変わるが、家族で(といってもカミさんと)海外旅行に初めて行ったのはタイだったが、2度目(2002年4月)に行ったのがベトナムだった。朝早くからの、バイクでの人の猛烈な流れ(動き)に、戦争の痕跡を打ち消すような、圧倒的な活力を感じた。学校は、校舎が少ないので朝早くから昼までの午前の部と、昼からの午後の部とに分かれていると、その時は聞いた。今はどうだろう?
付録に、そのときの写真を何枚か付けておく。若いエネルギッシュなベトナムに幸あれ・・・・・と。

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●本日、カウントが13万を越えました。G=18,800 、Y=12,800&444

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2008年7月12日 (土)

えりも辺地医療の鈴木陽子医師

「NHKアーカイブス」(08/6/28)で放送された、NHKスペシャル「たったひとりの医師として ~えりも・辺地医療の11年~」(2001/5/26放送)と、ドキュメンタリー'90「安心をあげたい ~えりも岬に母さん医師がきた~」(1990/7/11日放送)(HPはここ)を見て、世の中には大変な人がいるものだと感心した。(もちろん自分など比較の対象にならないが)

医師の鈴木陽子さんは、もともと厚生省の麻薬取締官として7年間勤務していたが、出産を機に退職して娘と息子の二人の母として専業主婦をしていた。しかし、33歳の時にテレビでたまたま見たへき地医療の番組で、自転車に乗って往診に行っている医師の姿を見て、「誰かが必死になって待っている人がいるというのは、いいな・・・」と自分もやってみたいと思うようになった。そして4才の子供を抱えながら猛勉強し、36歳で大阪市立大学医学部に合格。42歳で医師の資格を取る。その後、大阪の総合病院で経験を積んだ後、娘が高校を卒業したのを機に、えりもで医師を探していることを知って、辺地の医師になる夢を実現させることにした。1990年5月、49歳単身での旅立ちであった。行き先は、北海道のえりも町立診療所。この時、診療所に二人いた医師が辞めてしまい、住民の不信感が高まっていた。それから、たった一人で20人近い入院患者の回診から、毎日100人以上の患者の診察、夜間の急患の対応まで、24時間何が起きるか分からないピリピリした生活が続く。
080712erimosuzuki_2 全国では600人に一人の医師がいるが、えりもでは住民6400人に一人。しかし、手術が出来る設備も無く、急患は応急処置だけで大きな病院に送るしかない・・・
でも念願の往診をしてみて、「在宅の寝たきりの人は初めて見たが、みんな良い顔をしている。やはり、自分の家が良いのだ。医者の仕事の大部分は安心をあげることだから、結構聴診器をあてるだけでも意味があるのかも知れない」・・・

しかし、襟裳は遠い。父親が倒れた時も、徳島まで23時間もかかり、結局2時間間に合わず、死に目にも会えず。そして、2年間の契約が終わり、大阪に帰ろうとしていた時、息子が会社で倒れる。脾臓に12センチの腫瘍・・・・
「あきらが育っていくと同時に、私の中にも変化が起きてきた。あきらと同じ位の子供にも、その母親にも親しみを感じた。私の母性愛が沸々と毎日湧き出し、自己中心的だった私を、それではいけないと思うように変えていった。私の医師になった原点であるあきらが死んだら、すべて何の意味もない。私自身の人生さえ・・・・」
そして手術の結果、良性と分かった。
「身近な者が病気をして、医者としてのあり方が大分変わった。患者の周囲の人の不安が良く分かった。」そして町との契約を延ばしてえりもに残った。
それから数年後、39歳の藤戸収作医師が入り、この人なら後を任せられると思い、大阪に帰ることにした。そして2001年3月に大勢の人に見送られてえりもを去る。時に60歳。
その後、夫(受付・医療事務)と二人で淡路島に診療所「神陽台クリニック」を開き、今に至るという。
最後に(今の)鈴木さんは言う。「知らない人ばかりの所に来て、しまったと思い、いつ大阪に帰ろうかと思っていたとき、新聞で養老孟司さんのお母さんが90何歳で現役の女医(小児科医)と聞いて、“これだ”と思った。自分も100まで生きて現役を続けようと思ってから気が楽になった。ここで灰になるという覚悟が決まった」
今は、えりもの診療所は外科と消化器科の2名によって守られているという。

番組後、辺地医療に60年間携わっている早川一光医師(84歳)のコメント。「鈴木医師をえりもに止めたものは、有難うという医者と患者の結びつき、えりもの住民の笑顔、感動の涙。これが鈴木さんを11年えりもに止めた」「地域医療とは、暮らしの中に病気がある。暮らしの中に医療がある。暮らしの中に治療がある」「みなさん、最後は家に帰りたいという。家が病室。間の道は病院の廊下。一番大切なのが家族の支え。これを作っていくのが我々の仕事。それが医療。“治し”の医療ではなくて“癒し”の医療が大切」「辺地医療はソロではなくてシンフォニー。ひとりの人の良心・赤ひげだけに頼っているのではなく、その先生の周りを固める協力体制が必要」・・・

また、長々と番組を文字にしてしまった。
(40年前の学生時代に襟裳岬に行った事がある。電車は途中までで、襟裳岬にはバスで行った。あの襟裳かと、その当時の景色を目に浮かべながら見てしまった)

この番組は、鈴木さんの姿勢はもちろんだが、同時に辺地医療、地域医療や在宅看護についても考えさせられる番組であった。
しかし、鈴木陽子さんの“想い(&スタンスと実行力)”には言葉が無い。(もはや、評論する対象ではない・・)
しかし夫の鈴木茂夫さんの言葉に救われる?・・・「すごいですね。バリキがね・・。うらやましいです。私にはちょっとマネができない」
この言葉にホットしてはいけないのだが、なぜか自分はホットする・・・。(夫婦が鉄人であるのではなく、夫は我々と同じだった・・・。ホッ・・)

仏教では「生老病死」を四苦という。(参考ここ) 我々にはまだこれから「老病死」 の4つがめぐってくる。自分も、まだまだ他人事と思っているが、そのうち、覚悟させられる時が来るのだろう。
とにかく、生涯現役医師を目指す鈴木陽子医師に合掌である。
(本も出ているらしいので(これ)、そのうち読んで爪の垢でも煎じよう)

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2008年7月11日 (金)

喜多郎のNHK特集「シルクロード」のテーマ

NHK BS2の「蔵出し劇場」で「NHK特集“シルクロード”」(-絲綢之路-~1980年4月~1981年3月までの12回放送)が先週終わり、「NHK特集“シルクロード”第2部」(~1983年4月~1984年4月までの18回放送)の再放送が始まった。([BS2]毎週火曜 後7:45-8:34)
この番組が最初に放送されたのは1980年というから、もう30年近く前になる。しかし幾多あるNHKの番組の中で、過去最も印象の強い番組としてこの「シルクロード」を挙げる人は多いのではないか。自分もこの番組で喜多郎に目覚めた事は、前にも書いた。(ここ
そして、この第2部のテーマソングがこの「キャラバンサライ」だ。(CDはこれ

<喜多郎「シルクロード~天竺」より「キャラバンサライ」>

この主旋律に使われている「シタール?」の音が、何とも異国情緒豊かで良い。

ついでに、NHK特集「シルクロード-絲綢之路(しちゅうのみち)-」の有名なテーマも聞いてみよう。

<NHK特集「シルクロード」より「絲綢之路」>

何年経っても、実に良い曲だ・・・・。そういえば、喜多郎のコンサートには、昔、夢中になって行ったっけ。残っているプログラムを数えてみると、1982年から1987年に、4回行ったことになっている。

しかしこの番組を今見ると、さすがに昔の中国だが、当時の中国は閉ざされた世界だった。その中国をこじ開けたこの番組は、新鮮だった。
2005年にハイビジョン化した同番組が放送されたが、今回の再放送は「蔵出し劇場」なので、そのリマスター版ではなく、たぶんオリジナル放送版なのであろう。

そういえば、昔、会社で実験用の映像信号源用としてパイオニアのLD(レーザーディスク=1981年発売)を買ったが、その時のメディアディスクとして、この「シルクロード」のLDディスクを買った事を思い出した。
1980年代、自分はまさに「シルクロード」と「喜多郎」にどっぷり浸かっていたわけだ。しかし最近は、この「シルクロード」のような歴史に残る名番組が少ないように思うが、どうだろう?

(関連記事)
NHK特集「シルクロード-2」がアンコール放送される

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2008年7月10日 (木)

国内のブログ数は1690万・・

今朝(08/7/10)の電波新聞(P3)に「国内の公開ブログ数1690万~毎月新規に40万~50万開設」という記事があった。(朝日新聞等にも同様記事あり) 曰く・・・・

「総務省情報通信政策研究所(IICP)がまとめたブログの実態調査によると、08年1月現在公開されている国内ブログの総数は約1690万、記事総数は約13億5千万件。削除済みを含め01年1月以降、開設されたブログの総数は累計で約2240万件あり、毎月40万~50万件のペースで新規にブログが開設され、活発な情報発信が続いていると、同調査は分析している。
一方で、1ヶ月に1回以上記事が更新されるアクティブブログは、ブログ総数の20%弱の約300万件にとどまっている。・・・・
080710blog コンテンツ量ではデータ総数が今年1月現在で42テラバイト、このうち画像、動画ファイルなどのデータ量を除いたテキスト情報のみのデータ量は約12テラバイトで、書籍1冊当りのデータ量を457キロバイトと換算すると、約2700万冊分に相当する。・・・
同調査は、さらに同1月末現在のアクティブブログのうち約12%がスパムブログという。・・
ブログ開設者の動機としては全体の31%を「自己表現」が占め、「コミュニティの形成」26%、自己の関心分野に関するいろいろな情報を整理・蓄積する「アーカイブ型」が25%、「収益目的」10%、「社会貢献」8%の順になっている。」(電波新聞08/7/10 P3より
)

日本の人口で、15歳~64歳は85百万人なので、単純割り算だと、国民の約2割の人がブログを持っている事になる。(←これは多い・・・。スパムを除いたアクティブブログ(300万件の88%)で計算すると3%・・・。まあこんなものだろう) また、公開されているブログの平均記事数は80件という。(←これも多いな・・・)
開設動機としての分類も面白い。当blogは典型的な「アーカイブ型」だが、当Blogにリンクさせて頂いている“エムズのひとり言”は「自己表現型」?、“デカヨーキーと大人6人”さんや“*笑む~*の土笛・吹いてぇ~♪ ”さんはコメントが多いので「コミュニティの形成型」かな? しかし、実にうまい分類だ。
一方、引き算をすると、01年以降550万件が削除された事になる。これはBlogの1/4が消えたということ・・・。
まあ当Blogも、いつまで記事を載せ、いつまで公開されているか分からないが、記事を書く目的を“ボケ防止”という事にさせて頂いて、コンテンツの良否については許して頂くことにしよう。

(追:2008/7/11)
日経産業新聞(08/7/12 P1)によると、
「ブログ大国“三日坊主”多く~ 世界で一番ブログの投稿が多い言語を御存知だろうか。080711blog 英語ではなく、日本語なのである。ブログ専門検索サイトの米テクノラティ社の調査によると、2006年10~12月における日本語のブログ投稿数は世界全体の37%。英語を抑えてのトップだった。・・」
日本人は新らしもの好きで、Blogも直ぐに始めてはみるが、直ぐ飽きて放り投げる?・・・民族なのかな??

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2008年7月 9日 (水)

「捨てる」ということの難しさ

仏教では、人生は苦である(思い通りにならない)という。そして、全ては「空(くう)」だといい、また宇宙の全ては「縁」によって結ばれており、単独で存在するものはないという。そして、その苦を脱するには、“全てを捨てよ”と教える。また、“こだわりを捨てよ”とも教える・・・・・。

宇宙的な時間軸で見ると、その全てに納得はいく。しかし現実の生活で「捨てる」という事がどれほど難しいことか・・・。「こだわりを捨てる」という事がどれほど難しいことか・・・。

ブッダは2500年前、王子という地位も、妻子も、全てを捨てて城を出た。そして悟りを得たという。
先日ラジオで聞いた早大の東後先生の場合は(ここ)、危うく家庭崩壊を招いたが、その原因は父の遺言(=「偉くなれ」)の呪縛だったという。
たとえ、その様な重いものが無いとしても、我々は何で捨てられないのか? 何で「こだわる」のか? 何で自由になれないのか?・・・・

最近、通勤の途中で思うことがある・・・。電車を降りるとき、我先にと先を急ぐ人には、先に行ってもらえば良い。自分は最後に降りれば良いさ・・・と。
しかし、電車が駅に着いて乗客がホームのエスカレータに集中する時、色々な人の流れが一つのエスカレータの入口向かって並ぶが、そのとき“日本人はつくずくエライ”と思う。つまり、自分はいつも自然の流れに身を任せるものの、誰が横から割り込んでも、誰も文句を言わない。みんな黙々と順番を待ってエスカレータに吸い込まれていく。(中国では、「待つ」「譲る」という習慣は無いそうだ・・・)
これはもともと日本人に、民族の文化として「捨てる」「こだわらない」事が身に付いているのかも知れない・・・・、と思った。

それに引き換え、自分は・・・?というと、何一つ「捨てる」事ができず、すべてに「こだわって」暮らす自分がいる。
世の中の「上がり」の年齢に達し、もう「付録」のフェーズに入っているにもかかわらず、相変わらずこの“ギラギラしている”生活態度はいったいどうしたものか・・・
もう少し力まず、あるがままで平穏に暮らすためには、どうしたら良いのだろう・・・・、と思う最近ではある。(具体的な事は書けないが・・・・)←大きな声では言えないが、どんなに疲れて帰って来ても、“Blog”に執着しているのであ~る。捨てられない・・?←Blogを!

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2008年7月 7日 (月)

カルメン・マキの「時には母のない子のように」

先日、「エムズのひとり言」さんの友人が亡くなったが、見舞いに行ったときの記事(ここ)に、次の記述があった。
「学生時代、私が彼女にその頃はやったカルメン・マキの「時には母のない子のように」の歌が好きだと言ったら、彼女が急に怒り出したことがありました。
彼女はなぜ怒ったのか理由を言いませんでしたが、その歌詞が嫌だったのだなと後で思いました。
  だけど心はすぐ変わる
  母のない子になったなら
  誰にも愛を話せない
早くにお母さんを亡くした彼女にはつらい歌詞だったのだろうと思います。」


小学校(幼少)の頃に両親をなくし、そして自分も若くして・・・・

080707tokinihahahano カルメン・マキの「時には母のない子のように」は、1969年(昭和44年)2月の発売というから、あれからもう40年近く経つ。カルメン・マキ17歳のときの録音。
(この歌を聞くと、自分はなぜか学生時代の下宿部屋を思い出す。歯を抜いて痛がっている自分の姿・・・←関係ない話だな・・)
改めてカルメン・マキをNetで見てみると、この曲でデビューして以来、色々なバンドを結成したりして、音楽活動は続いたらしい。でも自分の中では、(カルメン・マキについては)当時のままで時計が止まっている。同じ年(1969年)に発売になった「山羊にひかれて」や「あなたが欲しい」という歌と共に・・・

<カルメン・マキ「時には母のない子のように」>~1969年2月盤

「時には母のない子のように」
  作詞:寺山修司
  作曲:田中未知
  歌:カルメン・マキ

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように
大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように・・・・

今改めてこの歌詞を読むと、詩が単純なだけに、解釈が難しい・・・・。
うっかりすると、カミさんが言うように、本当に母がいない人にとっては、“この歌は「何なんだ!」”と捉えられかねない・・・
でも、「だけど心はすぐかわる・・・だれにも愛を話せない・・」というフレーズは、もしかすると「般若心経」の世界を謳っているのかも知れない・・・。つまり「すべては空」、「是諸法空相=この世のすべての存在には、永遠に変わることのない性質はない」(ここ)・・・と。

カルメン・マキはその後、この歌を何度かセルフカバー(再録音)している。下の歌は、カルメン・マキ42歳のときの録音である。17歳の時の歌に比べて、想いが何か変わっているだろうか?

<カルメン・マキ「時には母のない子のように」>~1993年5月盤

でも、カミさんの友人も、今頃は天国(浄土)で、“母”に出会っているかも知れないな・・・・・

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2008年7月 6日 (日)

「いのち伝えることば」~東後勝明氏の話

今朝(08/7/6)のNHK教育TV「こころの時代」は、「いのち伝えることば~早稲田大学教授…東後勝明」であった。(この番組は日曜日の朝5時からの放送。いつものラジオではない!)
最初は、英語学者としての話からスタートしたが、結局この番組では、家族との関わり合い、こだわり、言葉は命・・・・、という話だった。曰く・・・

東後勝明氏は松本亨先生の後を受け継いで、1972年から13年間にわたり、 NHKラジオ「英語会話」の講師を務めた方。その先生が、自分の人生を語っておられた。
氏は高校2年の時に父親に先立たれ、「勝明、出世しろよ」という父の遺言と、周囲の期待に応えて、英語の世界で“疾走”する。頭角を現したのは、早大1年の時、英語暗誦コンテストでリンカーンの演説を行って600人中1位を取った時。
卒業後、英語教師・海外留学を経て、1972年にNHKラジオの英会話講座の講師に抜擢され、37歳で早大の講師に迎えられるという順風満帆の生活。次の目標は博士号・・・。しかし、家庭内で歪が起きる・・・。
3度目の留学先のロンドンで、娘さんが中学2年頃から登校拒否。その娘さんが駆け込んだ教会の牧師さんからの電話で「娘さんが疲れているようだ。これは家族の中での人間関係のひずみが、特定の人に重荷(おもに)
がかかっているため。犯人探しでなく、家族の人間関係を見直したらどうか」と言われ、初めて現状を知って絶句・・・。それから、カウンセリングの本を読み漁っり自分でも勉強した。しかし、言葉では分かっても心ではなかなか分からない。本に書いてある通り、幾ら「学校に行きたくなかったら行かなくていいよ」と言葉で言っても、自分の心は「なぜ学校に行けないんだ」と言っているので、娘にはそれが分かってしまう・・・。言葉は心から出る。

奥さんもまた、“夫の目標実現のために支えるのが自分の役割”と思っていたから、“そのために少しくらい家族(子供)が犠牲になっても仕方が無い”と思っていた。よって、家庭の全ては、学者の夫に合わせた生活。夫に全員がピリピリ・・・。でもそれが限界に達して破綻する。そして、家族でカウンセリングを受けている最中に、妻がくも膜下出血で倒れる。そして12時間の手術・・・。続いて、自分も博士論文を書いている時期、55歳のときの教授会で倒れる。原因不明の腹部出血。命が危ないので手術をしようとするが、手術室で出血が止まり、中止。
その時に訪ねてこられた牧師さんが、聖書を読まれた。「主は羊飼い、わたしには何もかけることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を歩むとも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩篇23)」
これを聞いて、全身の力が抜けて「おまえさんは、それでいいんだよ」という声が聞こえた。父が死んでから、ずっと思っていた「このままではいけない。何とかしなければいけない。頑張らなければいけない・・・・」という強迫観念から、この時に一気に開放された。大きなものに生かされている、という心になった。「このままでいいんだ・・」と気が付いた。
ちょうど56歳の誕生日の日だった。死んでも良い状態から、神様から命のプレゼントを貰った。ありのままを生きる、という事は、与えられた命、存在を否定も肯定もせずにそのまま受け入れる事。存在そのものを大切に生きる、という事。

その時、人が生きていくうえで、また自分の人生にとって最も大切なものは何なのかを、もう一度考え直す事が出来た。そのとき自分は、博士論文よりも家族の再生が自分の人生で最も大切な事であるという心境になった。
そして、それまでの頂点を目指していた時から価値観が変わった。つまり人生における物差しが変わった。学位は必ずしも必要ではないと・・・。
その後、娘さんも心を開いてくれるようになった。

ヨハネの福音書の第一章に「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言葉は神だった」という記述があるが、これは「声-声帯-息-命-神」というつながり。だから言葉は命を伝える。・・・・

またまた長い文章になってしまった。
キリスト教の事は(まだ勉強していないので)よく分からないが、氏の言うこの心の変化は、仏教でいうところの「捨てる」という事と同じではないか・・・?
しかしこの話での東後氏の生き方、家庭崩壊の話は、ちょうどサラリーマンを卒業して家庭に戻る時期の“我々還暦組み”にも、他人事ではない。
仕事に明け暮れていざ家庭に戻った時に、自分の居場所が無いという話はゴマンとある。早くそれに気が付かないと、会社は決して救ってくれない・・・・。
でも仕事に逃げている人がどれだけ多いことか・・・・
まあ自分の場合は「下宿部屋(自室)」があるので(物理的な)居場所だけはあるにはあるが、カミさんに言わせると「それあなたの事ね・・・」と言うだろう。自分も、もう遅いかもね・・・・

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2008年7月 5日 (土)

中村元の「観音経」(2/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連Image01241_2 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第2回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その2CDはこれ

以下、詳しく出てきますが、まとめていうと、観音さまは「七難」をまぬがれるように救ってくださるのです。
「七難」とは、火・水・羅刹(らせつ)・刀杖(とうじょう)・鬼・枷鎖(かさ)・怨賊(おんぞく)です。この七通りの災難が人間に襲ってきたときに、救ってくださるといいます。そのいちいちについて、これから説明があります。

にゃくうじぜかんぜおんぼさつみょうしゃ せつにゅうだいか かふのうしょう
若有持是観世音菩薩名者 設入大火 火不能焼
ゆぜぼさいじんりきつこ にゃくいだいすいしょひょう しょうごみょうごう そくとくせんじょ
由是菩薩威神力故 若為大水所漂 称其名号 即得浅処
にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう いぐこん ごん るり しゃこ めのう さんご
若有百千万億衆生 為求金 銀 瑠璃 硨磲 碼碯 珊瑚
こはく しんじゅとうほう にゅうおたいかい けしこくふうすいごせんぼう ひょうだらせつきこく
琥珀 真珠等宝 入於大海 仮使黒風吹其船舫 飄堕羅刹鬼国
ごちゅうにゃくうないしいちにん しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ ぜしょにんとう
其中若有乃至一人 称観世音菩薩名者 是諸人等
かいとくげだつらせつしなん いぜいんねん みょうかんぜおん
皆得解脱羅刹之難 以是因縁 名観世音

もしこの観世音菩薩の名(みな)を持(たも)つもの有らば、設(たと)い大火に入るとも、火を焼くこと能(あた)わず、この菩薩の威神力(いじんりき)に由るが故なり。もし大水のために漂よわされんに、その名号(みょうごう)を称えれば、すなわち浅き処を得ん。もし百千万億の衆生ありて、金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・硨磲(しゃこ)・碼碯(めのう)・珊瑚(さんご)・琥珀(こはく)・真珠等の宝を求めんがために大海に入らんに、たとい、黒風(こくふう)その船舫(ふね)そ吹きて、羅刹鬼(らせつき)の国に飄(ただよ)わし堕(おと)しめんに、その中にもし乃至一人(ないしひとり)ありて、観世音菩薩の名(みな)を称えれば、この諸の人等(ら)は皆、羅刹(らせつ)の難を解脱(まぬが)るることを得ん。この因縁を以って観世音と名づくるなり。

「火」はわかりますね。「大水」は、洪水であったり、あるいは大きな湖のなかで漂わされるようなことが起きたとき、観音さまの名号を称えたならば、浅いところへ着くことができるであろう、というのです。インドでは洪水の場合はたいへんですから、とくに痛切に感じられたことだろうと思います。また、宝を求めて大海に入り、「黒風」、これは暴風雨のことですが、それで「羅刹」の棲(す)んでいる国に流されるようなことがあった場合でも、だれか一人が観世音菩薩の御名を称えれば、この人々はみな羅刹の難をまぬがれることができる、という。「羅刹」はもとのことばでは、ラークシャサで、鬼の一種です。「このわけで観世音と名づけるのである」。(「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」P188-189より)

火災に遭っても、“観音さま・・”と唱えれば助けてくれる。水に溺れても“観音さま・・”と唱えれば浅い所にたどりつけられる。
・・・とここまでは良いが、次が「さすが観音さまは、我々凡夫と器(うつわ)が違う!」と思うところ。つまり、金銀などの宝を求めて海に繰り出して遭難した時でも、助けてくれる・・、というもの。これは、遭難した人は「物欲」から出ているので、“自業自得さ・・”という見方もあるが、観音さまは違う。しかも、誰か一人でも“観音さま”と唱える人がいれば、全員を助けてくれるという。

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2008年7月 4日 (金)

小山明子さんの介護の姿勢

NHKラジオ深夜便「〔こころの時代〕いつだって今が一番幸せ~女優 小山明子」(2008/6/30~7/1)を聞き、小山明子さんの大島渚監督への介護に取り組む姿勢に感心した。
そして、今日の帰りの電車の中で、この番組を聞きながらついメモを取ってしまい、下記のように“文字”にしてしまった。
前半の6月30日の放送では、1996年に大島監督が脳出血で倒れるまで、そして後半の7月1日の放送は、大島監督が倒れてからの12年間の介護の話である。
世の中には、介護に疲れ果てている人がどれだけ沢山居られることだろう。この番組での小山さんの話は、それらの人に「パワー」を与えてくれる話ではなかろうか・・・。
その明るい声を少し聞いてみる。これは7月1日放送の後半最後の部分である。

オリジナルの番組(後半の7月1日放送分)は、ここ(ZIP)をクリックすると、“数分後”に窓が開くので(ZIP解凍)、それをダブルクリックすると聞ける。(なお、42分の番組のダウンロード(40MB)なので数分PCが沈黙する)
前半(6月30日放送分)も併せて聞く場合は、(ここ)(37MB!)をクリック。
(なおこのZIPファイルは短期間で消去する予定です)

特に後半の介護についての話が心に残った。人は逆境でも、考え方一つでこの様に変われる・・・。その話の断片を記すと・・・・

「1996年2月、大島渚監督はロンドン空港に行く途中、脳出血で倒れた。連絡を受けたとき、自分は映画やドラマの仕事があったので、全てを捨てる決断が出来ずに、飛んで行けなかった。それが後になって、自分のうつ病発症の原因となった。
ロンドンの病院に3週間居て東京に戻ってきたが、右半身不随だった。本当は妻として、毎日付き添わなければいけないのに、今から撮ろうとしていた映画(御法度)はどうなる、お金はどうなる・・と考えてしまい、自分を追い詰めて行った。
そして生きていてもしょうがないと思うようになった。それを息子が病院に入れなければと気がついて、嫁が病院と電話しているのを横で聞いてしまった。それで、家を飛び出して行き付けの病院で睡眠薬を貰い、家に「もう生きていてもしょうがないので死ぬ」と電話した。少しフラフラしたあと、家に電話したら、息子から「パパどうするの。パパが淋しがっている」と言われて、アアそうだった。パパがいた。「じゃあパパに会いに行く」と病院に行き、そのまま入院させられた。
1ヶ月後に退院してから、介護体勢に入ったが、リハビリが大変。1200カロリーの食事を作れと言われても、本にある献立通りに作るしかない。主婦として何も出来ないので悩み、その後も入退院を繰り返した。
一方、大島本人はそうなった自分を受け入れて、グチも言わずに努力した。そして必ず「ありがとう」「すみません」と感謝の言葉を言う。後で考えると、「あなたは奥さんなんだから、やって当たり前」と大島が怒鳴っていたら、私は出来なかった。半年後には、連載していた新聞のコラムを口述で書けるようになった。そして映画が撮れるまで回復した。これには、本人の社会復帰をしようというやる気、病院スタッフの社会復帰させてやろうという熱意、そして家族のサポートの三つが無ければ復帰できない。ウチは映画(「御法度」)という一つの目標があったので早く復帰できた。
2000年のこと、リハビリを3年やって復帰し「御法度」をカンヌ映画祭に出した。その年は色々な賞を頂き、これから・・と言うときに、今度は肺炎と十二指腸穿孔で生きるか死ぬか・・。「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」という諺があるが、幸せと不幸は裏腹で来ると思った。
でも、私のところに生きて帰ってきた、と思うと愛おしくなった。10年来抱いたことも無いのに、愛おしくて抱きしめた。それから車椅子での生活になった。
アルフォンス・デーケンの「よく生き よく笑い よき死と出会う」という本に出会って、手放す心、感謝する心とユーモアを知って、自分のバイブルとなった。なかなか、女優という立場、世界的監督という立場から離れられなかったが、それを手放したら、大島の事をやっている妻としての自分もステキだと思うようになった。

幸せって何?私は幸せの基準が出来た。彼が良い気分で一日を過ごしてくれたら、その姿を見ているのが私は幸せ。介護は大変と思ったら、こんな大変な事は無い。でも楽しんでやる方法はいっぱいある。楽しい会話で乗り切る。ユーモアで自分がやるので、皆も付いてくる。
待っていてくれる人がいる幸せ。それはどんなになっても生きているからこそ。
息子は、自分も妻がそうしてくれるかな?というので、「私たちには歴史がある。それは一度も裏切られていない。女性問題も無いし、ギャンブルも無い。一度も泣かされたことがない。自分はパパに育てられたと思っている。だからそれが出来る。夫婦の歴史。奥さんを裏切らない夫であれば、心ある人だったらやってくれるのでは?」・・・と」

番組でも言っているように、普通は、大監督・大女優であればあるほど、「その後」を隠すものであろう。それをこの様に開き直って堂々と話をする。このスタンスこそが、前向きに明るく進む小山さんのエネルギーの源泉なのだろう。
自分も、“その時”は先ず「ありがとう」を連発することにしよう。

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2008年7月 3日 (木)

菅原洋一の「風の盆」

ふと、菅原洋一の「風の盆」を聞いて懐かしくなった。この歌を聞くと、なぜか車の中を思い出す。この歌が流行った当時、いつもカーステレオで聴いていた。だから通勤の車の中を思い出す。
この歌は哀しい・・・。しかし、菅原洋一の声がピッタリ。「今日でお別れ」もそうだが三拍子のワルツである。

<菅原洋一「風の盆」>

「風の盆」
  作詞/作曲:なかにし礼
  歌 :菅原洋一

哀しい時は 目を閉じて
八尾の秋を 思い出す
日が暮れた 坂道を
踊るまぼろし 影法師
おわら恋しい 風の盆

あんな哀しい 夜祭りが
世界のどこに あるだろう
足音を 忍ばせて
闇にしみ入る 夜泣き歌
君に見せたい 風の盆

哀しい人は みんな来い
八尾の町に 泣きに来い
夜流しを 追いかけて
下駄の鼻緒も 切れるだろぅ
夢かうつつか 風の盆

080702owara_2005 この歌が発売されたのは、1989年6月だという。当時は、石川さゆりの「風の盆恋歌」(1989年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞、日本作詞大賞大賞)という歌もあり、“風の盆ばやり”だったと記憶している。
もちろん越中八尾に行ったことも無いが、Netでみると見世物ではない地方の地味な祭りらしい。それが、この歌以来?全国から見物客が押しかけているという。せっかくの情緒ある地方のお祭りが、商業的になっていく・・・。どうしたものか・・?
でもこのポスターを見ただけでも、何か日本的な情緒を感じて心が和む。

お祭りというと、小学校の頃の祭りを思い出す。小学校低学年の頃は埼玉の与野にいた。学校が終わるや、山車を引いたり、神輿を担いだり・・・。でも神輿はほとんど大人の出番で、子供の出る幕は無かった。一回りして帰ってくるとお菓子を貰ったりした。
大人になってから、当時住んでいた場所に行って見ると、通路の狭いこと、そして山車を置いてある広場の狭いこと・・・。自分が小さかったので、相対的に広く感じただけ。

話は変わるが、今朝カミさんの学生時代からの友人が亡くなった。(参考ここ
人工透析を20年。それにガンを患って逝った。平均寿命からいうと、余りに短い人生だった。
また、先日42年ぶりの高校のクラス会に出たが、病気がちだという誰かが「これからは年金の話と、どう死ぬかが話題だな・・・」と言っていた。

これらの話は、この歌には勿論関係ないが、今日はこの歌を聞くと、いつになく淋しい。どうもその原因はこの歌にあるのではなく、知人の死が身近にあったためだろう。
還暦はひと回りまわっての“再スタートのとき”。元気を出そう。

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2008年7月 2日 (水)

智恵子抄の「ほんとの空」~言葉の背景

NHKラジオ深夜便で『「ほんとの空」を仰ぐ~高村智恵子没後70年』(08/6/28)を聞いた。
この番組の中で、あまりにも有名な「あどけない話」をいう詩の背景の話を聞き、どのような短い言葉も「背景=歴史」を持っていることを、改めて認識した。

「あどけない話」~「智恵子抄」から
      高村光太郎

智恵子は東京に空が無いといふ
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

この詩に対して、文京区に住み、83才になる文芸評論家 北川太一さんは、この番組でこのように解説している。(なお北川さんは、晩年の光太郎を訪ね、光太郎自身からさまざまな話を聞いて本を出版し後世に残す活動をしているという)

「あどけない話」という詩があるがあれを読んでいると、あの詩は牧歌的な良い詩だと言われているが、千恵子抄のなかで、あの詩ほど哀しい詩はない。あの詩を書いたその日に智恵子さんの生まれた家が競売にあっている。そのことを高村さんは知らない事は無い。
あんなに愛した安達太良山の上の空が、もう自分のものではなくなってしまった智恵子に対して、どう言って慰めて良いのか、どう智恵子を抱きかかえて良いのか分からないような高村さんの気持ちが、あの詩にはとっても良く表れていると思う。一番最後の「あどけない空の話である」という一行がすごく辛い響きを持っている。だからこの詩は牧歌的というよりも、智恵子の故郷喪失に対してどう智恵子を抱きしめていっらた良いのかという(高村さんの)気持ちがこもっている詩だと思う。(北川太一氏談)

智恵子の家が破産したこと、及びそれらが原因で智恵子の精神が不安定になった事は誰もが知っている。もちろんこの詩も良く知っている。
しかし、それだけの知識・背景でこの詩を読むとき(風景描写)と、まさに“この瞬間”に安達太良山が見える自分の生家が競売に掛けられている、という背景を知ってこの詩を読むとき(心の描写)では、感じ方がまるで違う。

この話で、表面に出てきた現象(言葉)から、その本質を読み取る事がいかに難しいことかを、今更ながら認識した。
これこそ「年の功」なのだろうが、還暦にもなって相変わらず自信の無い自分ではある。

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2008年7月 1日 (火)

中村元の「観音経」(1/13)

「観音経」を通読しようと思った。それで、自分で勝手に解釈するのではなく、大先生の解釈で、改めて味わおうと思った。そして選んだのが日本のインド哲学の第一人者の故・中村元先生の講義である。
Image01231 この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていく。
なお「観音経」は、「長行(じょうごう)=散文形式」と「偈(げ)=漢詩の形式)」の二つで構成されているが、これから読むのは「長行の部」である。

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<こころをよむ/仏典「観音経」~その1CDはこれ

 みょうほうれげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうご
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」

にーじーむーじんにーぼさつそくじゅーざーきーへんだーうーけんがっしょうこうぶつ
爾時 無尽意菩薩 即従座起 偏袒右肩 合掌向仏

にさぜごん せそんかんぜおんぼさつ いがいんねん みょうかんぜおん
而作是言 世尊観世音菩薩 以何因縁 名観世音

その時、無尽意菩薩はすなわち座より起(た)ちて、偏(ひと)えに右の肩を袒(あらわ)し、合掌し、仏に向かいたてまつりて、この言を作(な)す、「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以って観世音と名づくるや」と。

無尽意菩薩は「心の働きが尽きることがない」という名前の菩薩です。「偏(ひと)えに右の肩を袒(あらわ)し」とありますが、これは衣を右の肩からスッと滑らせて、右の肩をあらわすことで、尊敬の態度として、南アジアでは今日にいたるまで、仏教修行僧のあいだで行われております。
そして、合掌し、仏に向かって、「どういうわけで、観世音と名づけらるのですか」と聞いたわけですね。
そうすると、仏は答えます。

ぶつごうむじんにぼさつ ぜんなんし にゃくうむりょうひゃくせんまんのくしゅじょう じゅしょくのう
仏告無尽意菩薩 善男子 若有無量百千万億衆生 受諸苦悩

もんぜかんぜおんぼさつ いっしんしょうみょう かんぜおんぼさつ そくじかんごおんじょう かいとくげだつ
聞是観世音菩薩 一心称名 観世音菩薩 即時観其音声 皆得解脱

その時、仏は無尽意菩薩に告げたもう、「善男子よ、もし無量百千万億(むりょうひゃくせんまんのく)の衆生(しゅじょう)ありて、諸(もろもろ)の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて一心に名(みな)を称(とな)えば、観世音菩薩は、即時にその音声(おんじょう)を観じて皆、解脱(まぬが)るることを得せしめん」。

つまり、衆生が苦しみに遇っているとき、その御名を称えれば、観世音菩薩はただちに救いにこられるというのです。以下、詳しく出てきますが、まとめていうと、観音さまは「七難」をまぬがれるように救ってくださるのです。(以下続く)

前の般若心経に比べると、何と分かり易い・・? 無尽意菩薩が仏さまに質問して、仏さまが答えるという場面設定。
無尽意菩薩とは、「衆生を済度しようとする尽きることのない強い意志を持った菩薩」で、我々大衆に代わって質問をする。
無量百千万億の衆生とは、あらゆる生けとし生けるもの、命あるものを指す。
そして、衆生が現実の苦しみから救われたいと願うならば、心からその御名を称えなさい。観世音菩薩はその声を観じて、その衆生を救いに来て下さる。とお釈迦さまは告げた。

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