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2008年7月 1日 (火)

中村元の「観音経」(1/13)

「観音経」を通読しようと思った。それで、自分で勝手に解釈するのではなく、大先生の解釈で、改めて味わおうと思った。そして選んだのが日本のインド哲学の第一人者の故・中村元先生の講義である。
Image01231 この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていく。
なお「観音経」は、「長行(じょうごう)=散文形式」と「偈(げ)=漢詩の形式)」の二つで構成されているが、これから読むのは「長行の部」である。

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<こころをよむ/仏典「観音経」~その1CDはこれ

 みょうほうれげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんだいにじゅうご
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」

にーじーむーじんにーぼさつそくじゅーざーきーへんだーうーけんがっしょうこうぶつ
爾時 無尽意菩薩 即従座起 偏袒右肩 合掌向仏

にさぜごん せそんかんぜおんぼさつ いがいんねん みょうかんぜおん
而作是言 世尊観世音菩薩 以何因縁 名観世音

その時、無尽意菩薩はすなわち座より起(た)ちて、偏(ひと)えに右の肩を袒(あらわ)し、合掌し、仏に向かいたてまつりて、この言を作(な)す、「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以って観世音と名づくるや」と。

無尽意菩薩は「心の働きが尽きることがない」という名前の菩薩です。「偏(ひと)えに右の肩を袒(あらわ)し」とありますが、これは衣を右の肩からスッと滑らせて、右の肩をあらわすことで、尊敬の態度として、南アジアでは今日にいたるまで、仏教修行僧のあいだで行われております。
そして、合掌し、仏に向かって、「どういうわけで、観世音と名づけらるのですか」と聞いたわけですね。
そうすると、仏は答えます。

ぶつごうむじんにぼさつ ぜんなんし にゃくうむりょうひゃくせんまんのくしゅじょう じゅしょくのう
仏告無尽意菩薩 善男子 若有無量百千万億衆生 受諸苦悩

もんぜかんぜおんぼさつ いっしんしょうみょう かんぜおんぼさつ そくじかんごおんじょう かいとくげだつ
聞是観世音菩薩 一心称名 観世音菩薩 即時観其音声 皆得解脱

その時、仏は無尽意菩薩に告げたもう、「善男子よ、もし無量百千万億(むりょうひゃくせんまんのく)の衆生(しゅじょう)ありて、諸(もろもろ)の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて一心に名(みな)を称(とな)えば、観世音菩薩は、即時にその音声(おんじょう)を観じて皆、解脱(まぬが)るることを得せしめん」。

つまり、衆生が苦しみに遇っているとき、その御名を称えれば、観世音菩薩はただちに救いにこられるというのです。以下、詳しく出てきますが、まとめていうと、観音さまは「七難」をまぬがれるように救ってくださるのです。(以下続く)

前の般若心経に比べると、何と分かり易い・・? 無尽意菩薩が仏さまに質問して、仏さまが答えるという場面設定。
無尽意菩薩とは、「衆生を済度しようとする尽きることのない強い意志を持った菩薩」で、我々大衆に代わって質問をする。
無量百千万億の衆生とは、あらゆる生けとし生けるもの、命あるものを指す。
そして、衆生が現実の苦しみから救われたいと願うならば、心からその御名を称えなさい。観世音菩薩はその声を観じて、その衆生を救いに来て下さる。とお釈迦さまは告げた。

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