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2008年6月25日 (水)

「日本人の時の感覚~定刻発車、正確な日本の鉄道」

NHKラジオ深夜便「日本人の時の感覚~定刻発車、正確な日本の鉄道 経済・経営ライター 三戸祐子」(08/6/19放送)を聞いた。
我々が当たり前と思っている電車の定刻運行が、実は大変な事で、それは日本の歴史によって培われているという話だった。曰く・・・

「日本の定時運転率は96%。世界の鉄道でもみな9割以上というが、尺度が違う。国によっては10分以下は定時だったり、アフリカのとにかく走らせるのが精一杯の国では、その日のうちに着けばよい、という国までさまざま。でも日本は文字通り、新幹線など0.3分とか0.5分とかで、1分も遅れてはダメ。
この日本の風土は、リーダーがしっかりしていた事もあるが、国民がそれについていった。それは奈良時代から駅馬伝馬制度があったりして、ポイント間を繋ぐ仕組みがあった。それに国民は文字が読めた。
定時運転は江戸時代から準備されていた。それは、駅と都市が鈴なりにつながっていた。したがって、時刻合わせのチャンスが多い。つまり駅と駅の間隔が狭いと、時刻を合わせるのに有利。ヨーロッパなど、駅の間が30分とか1時間とか、間が遠いので時刻合わせのチャンスが少ない。
奈良時代からあった駅馬伝馬制度は、徳川幕府もそれを利用して交通体系を作った。だから日本人は昔から交通の魅力を知っていた。京都には有名なお寺があるとか・・。大名行列でも分かるように、旅に慣れていた。
鉄道は大きな移動プロジェクトだが、参勤交代をいう制度で、日本人は経験を積んでいた。参勤交代は、勝手に行けばよいというものではなく、あらかじめ幕府から、何月何日までに江戸に入れと指示があり、それに遅れるとお家騒動・・・。また幕府に対して、何人を連れて、どれだけの兵馬を伴い、馬は何頭連れてこれだけの金を遣う・・と、届けを出していた。よって日本の社会は、経験的にプロジェクト遂行能力があった。
また、時の鐘は全国で3万~5万くらいあったらしいが、ペリーが日本に来た時に、ゴーンという時の鐘を怖れたという話が、ハリスの「日本滞在記」に書いてある。ペリーは攻めてくる合図だと勘違いした。
明治5年に陸蒸気が走った時、時間になると勝手に出発するので「オーイ陸蒸気の船頭さん待ってくれー」と誰かが言ったとか。
日本の鉄道が定時運行するようになったのは、明治末期から大正の中頃ではないか。運転技術を教え広めた人もいる。
戦前の鉄道黄金時代は1920年代。その頃には、現在でも使われている鉄道の各種規則が出来た。
汽車から電車に変わった頃、サラリーマンの通勤が始まった。電車の運行回数を増やすためには、駅での停車時間の短縮が重要。大正14年10月には20秒停車が始まった。大正3年には1~2分停車が普通だった。それに、降りる人が先で乗る人は後、というルールもこの頃に始まった。その頃の省線電車に「乗り降りご順に」というポスターがあり、理屈で停車時間が少なければ電車の回転が良くなり、混雑緩和につながる・・と、啓蒙したという。」

なかなか雑学として、この話は面白い・・・。
しかし、電車やエレベータなどの先降り後乗りが、大正時代に始まっていたとは・・・。ちなみに中国では、そんなルールは無く、一斉に乗り降りするから大変だったことを思い出した。
世界でも異常に正確な日本の定時運行は、単に日本人の(几帳面な)特性から来ているとばかり思っていたが、意外や、歴史的な背景がある事が分かった。

この番組をイヤホンで聞きながら、ちょうど乗っていた都営浅草線で、駅に着いてドアが開いている時間を計ったら、25~28秒だった。ラッシュ時は、やはり20秒は無理なようだ。


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