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2008年6月12日 (木)

藤山一郎の「長崎の鐘」+永井隆博士の短歌

藤山一郎は“懐かしのメロディーの大御所”という前に、まさに“国民的大歌手”だった。だから、この人が歌った歌の数は、歌手の中でも最大級ではなかろうか。先に書いた「白鳥の歌(ここ)」もそうだが、「長崎の鐘」という歌は、本当の初期、つまり自分が中学生の頃に聞いた歌だった。先ずは、昭和24年(1949年)6月発売のオリジナルから・・・。

<藤山一郎「長崎の鐘」>~昭和24年(1949年)6月発売

「長崎の鐘」
  作詩:サトー・ハチロー
  作曲:古関裕而
  歌 :藤山一郎

1)こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

2)召されて妻は 天国へ 別れて一人 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの 鎖に白き 我が涙
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

3)つぶやく雨の ミサの音 たたえる風の 神の歌
 耀く胸の 十字架に ほほえむ海の 雲の色
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

4)こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ
 貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

(永井隆博士詩)
「新しき朝の光の さしそむる荒野にひびけ 長崎の鐘」

(この歌詞の3番は、ほとんど聞いたことが無いな・・・・・)
そして、藤山一郎が病床の永井隆博士のもとを訪れた時に博士から贈られた短歌「新しき朝の光のさしそむる荒野にひびけ長崎の鐘」を、その後、藤山一郎が旋律をつけて歌っている。

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その部分も歌っている音源はこれしかない。その録音も聞いてみよう。これは1959年6月発売のレコードである。(高校2年だった昭和39年7月7日に購入)(よって、Wikipediaの「長崎の鐘」の項にある「その後、1983年ごろに藤山の作詞・作曲によるサビ部分が付け足された。」という記述は間違い)

<藤山一郎「長崎の鐘」>~昭和34年(1959年)6月発売のLP

国民的大歌手だった藤山一郎だが、この記事を書くに際してWikipediaに目を通したら、知らないことがたくさん書いてあった。まず専属レコード会社はコロムビアだとばかり思っていたが、ビクター、テイチク、コロムビアを経て、昭和29年からはNHK専属だったとか・・・。
そういえば、前に愛宕のNHK放送博物館に行った時、藤山一郎コーナーがあり、そこに遺品が展示されていた。その中にNHKの駐車場の許可証があったが、てっきり番組に出るためだと思い“何時でも使える駐車場許可証を貰う位だから、出演回数が多かったのだろう”と考えた自分は、間違いだった。藤山一郎はNHKの“職員”だったのだ。

話が変わるが、学生の頃、長崎に旅行したことがある。バスの中から「この家が永井博士の家で~す」とガイドに言われて、バスの窓から首を出して、何の変哲も無い家を覗いた事を思い出した。(写真はクリックで拡大)

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しかし何故か長崎の原爆は、広島の原爆に比べて影が薄い・・・。広島の死者14万人に対して長崎が7万人と少なかったからだろうか?
自分はこう思う。「次男は長男に比べて影が薄いのさ!」←ちなみに自分は次男である。

(追:2009/4/4)
<古関裕而「長崎の鐘」を語る>
  ~NHK人生読本「旅と歌~古関裕而」(昭和54年4月4日放送)から

(関連記事)
藤山一郎・松田トシの「白鳥の歌」を聞いた


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コメント

今日も書かずにはおれません。
「長崎の鐘」には思い出があります。
高校2年生。修学旅行は当時は北九州と決まっていました。
神戸港から船に乗って・・・・。
それはどうでも良いのです。
観光バスで長崎めぐりをしました。
このブログでも紹介されているように、長い博士の住居も見ました。随分小さなお住まいだという感想でした。
そして、バスの中で、ガイドさんが博士の日記だったか?読んでくださいました。
席はバスの中ほどだったと思います。
涙が出て出て止まらなくて恥ずかしい想いでした。男子校でしたから。昭和39年でした。

投稿: 兼太郎 | 2008年6月13日 (金) 11:32

「長崎の鐘」、近年は秋川雅史さんが歌ってておられますね。

パイプオルガンのソロから始まる重々しいイントロが、これから語られる歌のテーマの大切を語っているようで、このアレンジも気に入っています。

長崎へ行けば、皆さんのお話のように、もっと・もっと肌で感じられるんでしょうね。

ぜひ、行ってみたいものです。

投稿: 雫 | 2008年6月13日 (金) 12:17

兼太郎さん
本当に同じ年なんですね。自分が九州に初めて行ったのは、大学2年か3年か・・・・

雫 さん
この歌は、誰が歌っても、やはり藤山一郎の歌です。長崎には、広島の原爆資料館のような所に行った記憶が無く、平和祈念像だけ行きました。
Netで見たら「長崎原爆資料館」もあるのですね。

投稿: エムズの片割れ | 2008年6月13日 (金) 22:42

先日、長崎を旅する機会を得ました。藤山一郎さんの「長崎の鐘」は勿論知っていましたが、その詩を深く考えたことはありませんでした。永井博士のことやガイドさんの歌声が妙に心に残り、ネットで色々見てみました。あらためて戦争の悲惨さ、平和の尊さを感じています。長崎の鐘が永久に鳴り響きますように・・・・・。

投稿: 茂吉 | 2008年11月 2日 (日) 20:55

茂吉さん

コメントありがとうございます。
先日カミさんから「こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ」とは、「晴れていたから落とされた。もし小倉のように、晴れていなかったら、このような悲劇は無かったかも・・」という思いだと聞き、まだまだ自分は歌の中身を理解していない、と思いました。

投稿: エムズの片割れ | 2008年11月 2日 (日) 23:13

初めまして。

大人になって、初めて一人旅行したのが長崎でした。
高校の修学旅行は東京・奈良・京都でした。ほとんど記憶にないので、行き直してみようと思ったのですが何故か長崎へ。

着いたその日に観光バスで長崎市内へ。原爆で片足を吹き飛ばされてもなお立っている鳥居。慰霊祭が行われる公園に座して空を指し示す像。
バスガイドさんが永井博士の最愛のご家族を失ったお話しや日記など披露してくださり、胸が熱くなったのを思い出します。

「長崎の鐘」の後に歌われる「あたらしき」なのですが、2つあるのをご存知ですか?
どうやら私が覚えていたのは、後に藤山一郎さんが作った方の「あたらしき」だったようです。お亡くなりになられた後に楽譜が発見されたそうです。

以前NHKの歌番組で披露されたのを見て覚えたのですが、途中のメロディがあやふやになってしまい、それで後で作られた「あたらしき」を歌ってる方がいないか探したのですが、いらっしゃらないようで残念です。頑張って思いださなきゃ(^^;;)

「長崎の鐘」の後の「あたらしき」は明るく展開されて希望の光を感じるのですが、後で作られた方は凛として、静かに新しい日が始まっていく感じの美しいメロディなんですよ^-^
もう一つの「あたらしき」藤山一郎さん、もう1度歌い直したくて作ったのかな?
と、勝手に想像しております^-^

【エムズの片割れより】
ヘェ~~。「新しき・・」が二つあるとは知りませんでした。もちろん聞いたことも・・・
どなたか、ご存じ??

投稿: スミレ | 2015年12月15日 (火) 23:45

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