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2008年5月30日 (金)

多摩県八王子市?~「日本全国“県境”の謎」

知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎という本を読んで、「多摩県」が出来る可能性があったことを知った。とすると当サイトは「多摩県八王子市」発??

Image00961 だいたい自分はミーハーなので、新聞に評が出ると、つい影響されてしまう。この本も同じだ。本屋で見て、まあ買ってみるか・・・と買った。普通は「この本が良かった!」とblogにも書くのだろうが、今回は違う。自分の住んでいるところ以外は、正直あまり興味が無い。よって走り読みだ。でもさすがに自分の所“だけ”は興味深く読んだ。
そこに書いてあったのが「多摩県」という文字・・・・・
この本のP81「6.神奈川県だった三多摩が東京に移管された本当の理由―三多摩が多摩県として独立していた可能性も―」というところ・・・。要約すると以下の経緯らしい。

1)明治中頃まで、三多摩(北多摩、南多摩、西多摩三郡の総称)は神奈川県だった。
2)東京府民の飲料水になっている玉川上水の衛生と水資源確保のため、玉川上水流域を東京府下に置くべく、1873年(明治6年)及び1886年(明治19年)に大蔵省に申請したが受理されず。
3)その後、三多摩と神奈川県は、政府と敵対する自由党の勢力が強かった。自由党が厄介な存在と思っていた神奈川県の内海知事は、警察と共謀して、1892年(明治25年)2月の総選挙で自由党に圧力を加えた。
4)それを選挙干渉だと自由党が強く反発し、知事と警部長の罷免を県議会に提出する事態になった。
5)そこで、知事らは難局を打開する策として、三多摩を神奈川県から東京府に移管する作戦に出た。
6)この動きに対して、三多摩地区では東京への移管に強く反対したが、「東京府及神奈川県境域変更に関する法案」は帝国議会に提出されて、難なく通過し、1993年(明治26年)4月、三多摩の東京府への移管が実現した。
7)大正時代になると都制案が浮上して、東京府と東京市(現在の23区とほぼ同じ)を統合して東京都に移管する案が論議されだした。
Image00951 8)三多摩の賛成者は、「東京市と三多摩は経済格差が大きい。よって三多摩が東京都から除外されれば、発展から取り残されてしまう・・」
9)東京市側は、「三多摩は農村地帯だから東京都に加えるべきではない・・」
10)結局、1943年(昭和18年)7月に都制が施行され、三多摩も東京都に組み込まれた。理由は、三多摩には緑地帯が多かったため、東京が理想的な都市を目指す上で欠かせないこと。首都防衛から、三多摩は軍事施設の移設地として適していたこと。災害時には避難地になりえること。
11)一方、「多摩県として独立すべき」とする根強い意見もあった。もし多摩県が誕生していれば、現在では面積こそ狭いものの、人口約40万人の全国有数の県になっていたことは間違いない。

・・・ってさ。
最近はあまり聞かなくなったが、前に「三多摩は東京都ではない。“東京都下”だ」という話がよくあった・・・。なるほど・・・。前に、この様な議論があったのだ・・・・

当blogの“製造場所”である八王子・・・。
でも自分としては、やはり「東京都八王子市」の方が、「多摩県八王子市」よりナウいと思う。
しかし、政争の具として神奈川県から移管されたことは、知らなかった・・・
でも、たぶんこの本は、皆さん地元の所しか興味を示さないかもね・・・


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