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2008年5月の32件の記事

2008年5月31日 (土)

映画「ある愛の詩」のサントラ≠「雨で思い出す映画ベスト10」

明日から6月。早いもので、そろそろ梅雨である。
今日(08/5/31)の日経朝刊(P s3)に「雨で思い出す映画」という記事があった。そこに「雨で思い出す映画ベスト10」が載っていた。これは、1年間に3回以上映画館に行く人1000人を対象に、インターネットで「雨で思い出す映画」を最大3つ挙げてもらって、その得票数でランキングしたのだという。有効回答は724。結果は、・・・・

<雨で思い出す映画ベスト10>

①「雨に唄えば」(1952年 米国) 300
②「シェルブールの雨傘」(1964年 フランス) 153
③「黒い雨」(1989年 日本) 98
④「ブラック・レイン」(1989年 米国) 78
⑤「レインマン」(1988年 米国) 69
⑥「雨あがる」(1999年 日本) 55
⑦「七人の侍」(1954年 日本) 44
⑧「ショーシャンクの空に」(1994年 米国) 33
⑨「いま、会いにゆきます」(2004年 日本) 31
⑩「となりのトトロ」(1988年 日本) 30

実は、自分には珍しく、これらの映画は結構見ている。①③と④は確実に見ていない。⑩も多分見ていない。でも、それ以外は見ている。

思い出すと、兄貴に「映画を見ろ」と誘われたのが03年である。定年後に時間が出来た時、昔の名画はそれぞれ見る価値があるので、楽しめるという話。なるほど・・、と「ぴあ シネマクラブ」という分厚い映画辞典を買ったのが、03年7月。当時は色々と研究?して、TVから録画したり・・・。でも長続きはしていないな。でも、もう少し落ち着いてからゆっくり見ようと思っている。

という訳で、「このうちのサントラを・・・」と言いたいのだが、今日は「ある愛の詩」なのである。昔の映画のうち、1970年の映画「ある愛の詩」のサントラは、何とも哀愁があって良い曲だった。映画そのものには、あまり感激しなかったが・・・
この曲は、イージーリスニングの楽団も数多く演奏しているが、やはりオリジナルサントラが一番良い。少し聞いてみよう。(この記事とは全く関係が無いが、まあ昔の映画のサントラ・・・・ということで だからタイトルが“映画「ある愛の詩」のサントラ“≠”「雨で思い出す映画ベスト10」”なのである。つまり「イコールではない」という意)

<映画「ある愛の詩」のサントラ>

この曲は、フランシス・レイの作曲で、1970年のアカデミー作曲賞を受賞している。
いまこの曲を、改めて聞いてみると、曲は意外と単調である。このサントラ盤では、ほぼ同じ旋律を、楽器を変えて6回繰り返している“だけ”である。

これは、単調な毎日(旋律)でも、毎日の行い(楽器)を色々と考えて(変えて)過ごせば、価値が出る(賞を受ける)という事か・・?(←このオチはかなりムリがあるな・・・。以上、MP3プレヤーの後の文は、カミさんの「唐突に終わっている」という評を受けて、後から書き加えたもの・・・)

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2008年5月30日 (金)

多摩県八王子市?~「日本全国“県境”の謎」

知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎という本を読んで、「多摩県」が出来る可能性があったことを知った。とすると当サイトは「多摩県八王子市」発??

Image00961 だいたい自分はミーハーなので、新聞に評が出ると、つい影響されてしまう。この本も同じだ。本屋で見て、まあ買ってみるか・・・と買った。普通は「この本が良かった!」とblogにも書くのだろうが、今回は違う。自分の住んでいるところ以外は、正直あまり興味が無い。よって走り読みだ。でもさすがに自分の所“だけ”は興味深く読んだ。
そこに書いてあったのが「多摩県」という文字・・・・・
この本のP81「6.神奈川県だった三多摩が東京に移管された本当の理由―三多摩が多摩県として独立していた可能性も―」というところ・・・。要約すると以下の経緯らしい。

1)明治中頃まで、三多摩(北多摩、南多摩、西多摩三郡の総称)は神奈川県だった。
2)東京府民の飲料水になっている玉川上水の衛生と水資源確保のため、玉川上水流域を東京府下に置くべく、1873年(明治6年)及び1886年(明治19年)に大蔵省に申請したが受理されず。
3)その後、三多摩と神奈川県は、政府と敵対する自由党の勢力が強かった。自由党が厄介な存在と思っていた神奈川県の内海知事は、警察と共謀して、1892年(明治25年)2月の総選挙で自由党に圧力を加えた。
4)それを選挙干渉だと自由党が強く反発し、知事と警部長の罷免を県議会に提出する事態になった。
5)そこで、知事らは難局を打開する策として、三多摩を神奈川県から東京府に移管する作戦に出た。
6)この動きに対して、三多摩地区では東京への移管に強く反対したが、「東京府及神奈川県境域変更に関する法案」は帝国議会に提出されて、難なく通過し、1993年(明治26年)4月、三多摩の東京府への移管が実現した。
7)大正時代になると都制案が浮上して、東京府と東京市(現在の23区とほぼ同じ)を統合して東京都に移管する案が論議されだした。
Image00951 8)三多摩の賛成者は、「東京市と三多摩は経済格差が大きい。よって三多摩が東京都から除外されれば、発展から取り残されてしまう・・」
9)東京市側は、「三多摩は農村地帯だから東京都に加えるべきではない・・」
10)結局、1943年(昭和18年)7月に都制が施行され、三多摩も東京都に組み込まれた。理由は、三多摩には緑地帯が多かったため、東京が理想的な都市を目指す上で欠かせないこと。首都防衛から、三多摩は軍事施設の移設地として適していたこと。災害時には避難地になりえること。
11)一方、「多摩県として独立すべき」とする根強い意見もあった。もし多摩県が誕生していれば、現在では面積こそ狭いものの、人口約40万人の全国有数の県になっていたことは間違いない。

・・・ってさ。
最近はあまり聞かなくなったが、前に「三多摩は東京都ではない。“東京都下”だ」という話がよくあった・・・。なるほど・・・。前に、この様な議論があったのだ・・・・

当blogの“製造場所”である八王子・・・。
でも自分としては、やはり「東京都八王子市」の方が、「多摩県八王子市」よりナウいと思う。
しかし、政争の具として神奈川県から移管されたことは、知らなかった・・・
でも、たぶんこの本は、皆さん地元の所しか興味を示さないかもね・・・

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2008年5月29日 (木)

フォー・セインツの「希望」~結婚式で歌っちゃった歌

NHK FMで毎月末に放送している「歌謡スクランブル-話題のホットミュージック-」を、ラジオ深夜便の録音のついでに録音しおいて、毎月息子のiPodに入れてやっているが、何と今日の放送に「この街で(フォー・セインツ)」とある。
フォー・セインツ?? ウソだろ~・・・とNetで見たら「フォー・セインツ、第二の青春!新曲「この街で」5月に発売 ~ 「小さな日記」のヒットで知られ、昭和40年代初期のカレッジフォーク・ブームの代表的グループ、フォー・セインツが、デビュー40周年を記念して本格的に再結成し、新曲「この街で」を5月7日に発売することが4日、分かった。・・・」(ここと載っている。何と40年ぶりの再結成だとか・・・

実は、フォー・セインツと聞くと、あまり愉快でない事を思い出す。
Image00921 それは、フォー・セインツが歌った「希望」という歌についての話である。実はこの歌を、自分の結婚式で、新郎新婦(自分たち)が朗々と歌ってのけたのである。先ずは歌詞をじっくりと聞いてみよう・・・。(未だに思い出すと赤面の至りである・・・)

<フォー・セインツ「希望」>1969年5月発売

「希望」
 作詞:藤田敏雄
 作曲:いずみたく

1)希望という名の あなたをたずねて
 遠い国へと また汽車に乗る
 あなたは昔の わたしの思い出
 ふるさとの夢 はじめての恋
 けれどわたしが 大人になった日に
 黙ってどこかへ 立ち去ったあなた
 いつかあなたに また逢うまでは
 わたしの旅は 終わりのない旅

2)希望という名の あなたをたずねて
 今日もあてなく また汽車に乗る
 あれからわたしは ただ一人きり
 明日はどんな 町に着くやら
 あなたのうわさも 時折聞くけど
 見知らぬ誰かに すれ違うだけ
 いつもあなたの 名を呼びながら
 わたしの旅は 返事のない旅

3)希望という名の あなたをたずねて
 涙ぐみつつ また汽車に乗る
 なぜ今わたしは 生きているのか
 そのとき歌が 低く聞える
 なつかしい歌が あなたのあの歌
 希望という名の マーチがひびく
 そうよあなたに また逢うために
 わたしの旅は いままたはじまる

問題は、この歌詞が結婚式に“ふさわしい”かどうかなのである・・・・
自分の「歌の歌詞を“味わないで”聞く・・」といういつもの「クセ」が全ての原因・・・・。
自分は、「二部合唱に丁度良い」「題が『希望』で結婚式には打ってつけ」という勝手な思い込みで、カミさんを脅迫して歌った。(当時はカミさんも素直だった・・・・!)
そして「よし、うまくハモッたぞ」と一人満足していたが、その後に良く歌詞を読むと・・・・!

話は飛ぶが、今Netで見たら、何と「YouTube」で、昨年再結成した時に「小さな日記」と「希望」を歌っているフォー・セインツの姿が見られる。(ここ)しかも音がステレオだ。全員が還暦・・というのに、ほとんど昔の歌声・・・・・
40年も経って再結成が出来る・・・、というのもオドロキだが、歌声が現役だというのもビックリ!
しかし、この「小さな日記」も「希望」も、実に素直な良い曲である。「YouTube」の昨年(07年10月)の声と、下の“昔の声”を聞き比べてみるのも一興か・・・・・?

<フォー・セインツ「小さな日記」>

話は戻るが、この「希望」という歌からスタートした我々夫婦が、その後どのような運命を辿ったかは、とても文字に出来ない・・・!?
つまり、「全て、この歌が悪い?」のだから、この次に結婚する時には“この歌だけは避けよう”と思っている。

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2008年5月28日 (水)

ロシア民謡「鶴」は広島の原水禁大会がきっかけ・・

前に録ってあったNHKラジオ深夜便「人生“私”流『ロシアの魂を歌い続けて』バス歌手…岸本力」(08/5/4放送)を(今頃・・)聞いた。番組の最後で、岸本力氏が「鶴」を歌ったが、その解説で「この曲は、ガムザートフというロシア人が広島の原水禁大会に参加した時の印象をもとに書いた詩に、フレンケリが作曲したもの。広島の千羽鶴を見て、“鶴となって天国に行って下さい。戦場の死骸を見ながら、彼らの魂も鶴となって舞い上がって幸せに生きてくれ”といった内容・・・」という話を聞いてビックリ。
と言うのは、久しく鮫島有美子の「鶴」を聞いてきたが、その歌詞に「広島原爆」の影は見えなかったし、てっきり昔のロシア民謡だと思い込んでいたから・・・

前にこのblogでも書いたが(ここ)、鮫島有美子の「鶴」の編曲は素晴らしいし、もちろん鮫島有美子の歌も珠玉である。

<鮫島有美子の「鶴」>

「鶴」
 作詞:フェオクチーストフ/訳詞:中村五郎
 作曲:フレンケリ/編曲:青木望
 指揮:青木望/演奏:室内オーケストラ

1)空とぶ鶴の群れの中に
 あなたはきっといる
 きっと このわたしをまっている
 激しいたたかいの日も 空に群れてとぶ
 美しい鶴の群れ あなたはそこにいる
 ルルル・・・

2)いくさにいのち捨てても
 死んではいない
 あなたはきっといる きっと生きている
 このわたしを待っている
 激しいたたかいの日も 空に群れてとぶ
 美しい鶴の群れ あなたはそこにいる
 ラララ・・・

この録音の作詞は「フェオクチーストフ」とある。ん???
それで、家に帰ってからCD(鮫島有美子「ともしび/ロシア民謡をうたう」)の解説を改めて読んでみたら「カフカス山脈とカスピ海にはさまれた小さな自治共和国ダゲスタンの詩人P.ガムザードフ(1923~)が、広島の原水禁大会に参加した時の感動をもとに書いたアヴァール語の詩。S.フェオクチーストフがロシア語訳をし、それに1969年にフレンケリが作曲した。戦場で散った戦友は死んでしまったのではなく、鶴に姿を変えて群れをなして大空を飛んでいるのだと偲んでいる。日本ではダーク・ダックスによって広く知られた。」とあるではないか・・・。

「鶴」の素性?をNetで調べたら、どうもこのような事らしい。(このHPに詳しい)

<ガムザードフの詩「鶴」の原文?>~(ここ)から引用
 時々私は兵士たちのことを思う
 血まみれの戦場から帰ることのなかった彼らのことを
 兵士たちはいつか、わが大地で眠りについたのではなく
 白い鶴に姿を変えたのだ、と

 彼らはあれから今もずっと
 飛び続け、私たちに空から話しかけている
 そのせいではないだろうか、空を見上げて
 幾度となく悲しげに私たちが押し黙るのは?

 空を飛んで行く 疲れた楔形の群れが
 夕暮れの霧の中を飛んで行く
 その列の中にある小さな隙間は
 もしかすると、私が入る場所なのかもしれない!

 いつの日か私も鶴の群れと一緒に
 この青灰色のもやの中を飛んで行く日が来る
 空から鳥のように声をあげながら
 地上に残る人々みんなと別れていくのだ
              (中島章利 訳)

それを、フェオクチーストフがロシア語に訳したのが、ダーク・ダックスや鮫島有美子が歌っている歌詞。
そして、同じ詩をガムザードフのコンビであるユダヤ人の詩人ナウーム・グレブニョーフがロシア語に訳したのが、以下。

<ナウーム・グレブニョーフの訳の「鶴」>~(ここ
 「鶴」
  作詞:R.ガムザト/フナウーム・グレブニョーフ訳
  作曲:Y..フレンケリ
  訳詞:坂山やす子

 1)Ahー Ahー Ahー Ahー
  私はふっと思う 傷つき帰らぬ兵士ら
  異国の土に眠り いつしか白い鶴に
  鶴は昔から今も 訪れては声伝う
  それ故か いつも切なく 声もなく 空見守る

 2)Ahー Ahー Ahー Ahー
  日暮れの霧の空を 疲れた渡り鳥が飛ぶ
  あの列の中の隙間は もしや 私の為に
  やがて鶴の群れとなり 青い夕もやを飛び立とう
  大空へ 鶴の言葉で 世の人々 偲びつつ
  Ahー Ahー Ahー Ahー

なるほど・・・・
確かに、歌うのは鮫島有美子の歌詞のほうが良いな・・・・。

しかし、これも「ロシア民謡」と言うのだろうか? (ここ)によると、「鶴」は「大衆歌曲(日本で言えば歌謡曲、流行歌か)として作られた」とあり、これも「ロシア民謡」と位置付けている。
何れにせよ、ガムザートフが参加した原水禁は1965年であり、「鶴」が作曲されたのが1969年である事が分かった。予想外の新しさ・・・・
でも名曲は名曲だ。最後にこの「鶴」を、前にこのblogで紹介した(ここ)ロシア人歌手「IOSIF KOBZON」の歌で聞いてみよう。まさに「ロシア民謡」的な朗々とした歌声だ。

<イオシーフ・コブゾーン(IOSIF KOBZON)の「鶴」>

*蛇足:カミさんにこの記事を読ませたら、「鮫島さんの歌詞は何を言っているか分からない。キレイ事はキライだ。“私はふっと思う・・”の歌詞の方が、リアリティがあってよっぽど良い。見解の違いだ・・・」という。実は我が家では、いつも意見が合わないのであ~る・・・

(関連記事)
鮫島有美子のロシア民謡「鶴」
ロシア民謡「鶴」の国内唯一?のCD

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2008年5月27日 (火)

ホンダ「スーパーカブ」の思い出

先日の新聞にホンダ、「カブ」シリーズ生産6000万台・発売から50年という記事があった(ここ)。実は自分も、学生時代~独身時代にはカブのファンだった。(以下つまらない思い出話である・・・)

Hondacub 友人から50CCのカブを譲ってもらったのは、大学4年になって間もない頃だったと記憶している。確か3千円だった。これを手に入れてからは、世界が広がった。当時は、ヘルメット着用の義務も無かったので、街の中を自由自在に走り回った。
自分の免許の歴史も、バイクの歴史と重なる。今の免許を見ると、原付が昭和43年7月30日とある。同じ下宿の友人がカブを買い、それに乗りたくて免許を取った。原付なので学科試験だけ。免許を取るや、直ぐにバイクを借りて街に繰り出した。交通ルールなどは、もちろん自分の体に身に付いていない。初めて乗って、その時に警察に捕まった。田舎の交差点を曲がったら、そこにパトカーが止まっていて、警官とバッタリ・・・。そしたら、一時停車違反と、サンダル履き違反の2件だという。もらったばかりの免許を出して、罰金。人生“初運転”で、“初罰金!”。まあこれは、“神様が「ルールを守って運転せよ」と自分に警告を出したくれたので、その後の大きな事故を避けられた・・・”と思ってはいるが・・・(負け惜しみ??)

思い出すと、就職も決まって大学4年も後半になると、普通免許を取ることが流行った。サラリーマンになると、なかなか時間が取れないので今のうちに・・・という。それはそうだ・・・と、自分も自動車教習所に通った。当時は金が無かったので、困って誰かに借りたと記憶している。

普通免許を取ると、今度は「実地試験だけで自動二輪免許が取れる」という話を聞きつけ、ついでにそれも取っておくことにした。そして、(カブにはない)バイクの“クラッチ”の練習・・・。これは大学の構内で、友人のバイクを借りて練習した。もちろん一発で合格。しかしその時以来、自動二輪に乗る機会はない。自分の免許証には「大自二」と書いてあるので、1000CCのバイクでも免許上は運転できるのだろう。でも今後も乗るとは思えない・・・

話はカブに戻るが、大学を卒業したときにも、このカブは手放さなかった。大学を卒業していったん荷物を実家に送るとき、実家までカブを運転して帰ったが、その時は1リッター50K走ったのを今でも覚えている。1970年春の話である。当時のエンジンの燃費で、実走行での50Kは驚異的だった。
そしてサラリーマンになって、配属工場が決まるや寮にバイクを持ってきて乗った。その後聞くと「日曜日の昼前になると、いつもパカパカというバイクの音が聞こえるので、また**さんが出かけるな・・・」、と分かったそうな。実は、バイクのマフラーの裏側が腐って抜けていて、消音装置がきいていなかったのだ。
そのカブも、同じ寮の友人から6万円!で車を譲ってもらったのを機に卒業した。それは昭和48年頃だったか・・・・。

ともあれ、40年も前に散々自分が乗ったバイクが、今も現役で大量に生産され、街を走っているのは、嬉しいものだ。今でも、カブだけは運転に自信がある。大きなバイクはまったくダメだが・・・
(本記事は、完全に自分の備忘録だが、まあ車の歴史もまたの機会にメモしておく事にしよう)

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2008年5月26日 (月)

ブルーコメッツの「何処へ」~楽しくなる歌・・

先日、amazonを眺めていたら、「ブルー・コメッツ・シングルス」というアルバムがあり、つい注文してしまった。前にもこのblogで書いたが(ここ)、自分は学生の頃、ブルーコメッツと布施明に凝った。そして下宿で一人、ヘッドホンでこのブルコメを良く聞いたものだ。

今、改めて聞くと、「何処へ」が懐かしい。これは本当に初期のレコードで、発売は1966年12月という。最初の「青い瞳」や「青い渚」がモノラル録音で、この「何処へ」からやっとステレオ録音になった。「ブルー・シャトー」はこの「何処へ」の次のシングルだった。その意味でも、この歌は本当に初期の録音だ。

<ブルーコメッツ「何処へ」>1966年12月発売

「何処へ」
  作詞/作曲:万里村ゆき子

1)いつものことのように 人は微笑み
 いつものことのように 人は涙ぐむ
 こんな小さな町にもきっとあるだろう
 喜び 悲しみ 明日のしあわせ
 僕はそれをさがしにきた

2)いつものことのように 人は知り会い
 いつものことのように 人は愛し合う
 こんな小さな町にもきっとあるだろう
 ふたりで育てる 本当の恋が
 僕はそれをさがしにきた

3)いつものことのように 人はおとずれ
 いつものことのように 人は去りゆく
 こんな小さな町にもきっとあるだろう
 会って別れて めぐりあう日が
 僕はそれをさがしにきた

Image00851

しかしブルーコメッツはユニゾン(斉唱)が本当にキレイだ。歌っているメンバーの、声の質が同じなのだろう・・・・。しかし、「NHK歌謡コンサート」で毎週伴奏の指揮をとっている三原綱木(参考:ここ)の声(2番の歌唱)の若いこと!若いこと・・・・!

しかし、これを聞くと何だか楽しくなってくる・・・・(よね)。
いうまでもなく、音楽を聞くと、人は色々と心に影響を与えられる。楽しい曲、悲しい曲・・・・。
歌謡曲などの世界では、“悲しい曲”はもはや定番で、あえて曲名を挙げることすら難しい。
一方、クラシックの世界でもそれはある。悲しい曲では、チャイコフスキーの「悲愴」交響曲の第4楽章や、ベートーヴェンの「英雄」交響曲第2楽章(葬送行進曲)などが直ぐに思い浮かぶ。自分も、昔悲しいことがあると、悲愴を聞いて“悲しいな~”ナンテ・・・
それに、先にこのblogでも書いたが、滝廉太郎の「憾み」(ここ)のように、その感情(思い)を曲にぶつけることも出来る・・・。
逆に楽しい音楽としては、マーチが代表例だが、この「何処へ」という曲もマーチのようにテンポが軽快で、聞いていて楽しくなる。

巷では、鬱病が多くなっているとか・・・。今日も、どこかの女子アナが自殺したらしい・・・。
だから、誰かが「“鬱病に効く”楽しい曲」なんて作ると良いのにね・・・・。「この音楽を聞くとうつ病が治ります・・・・」ナンテ・・。音楽って、それだけの効用があるのでは?

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2008年5月25日 (日)

「味の分かれ目 関が原」

今朝(08/5/25)の朝日新聞朝刊の付録のページ(P s1)に「味の分かれ目 関が原」という記事があり、面白く読んだ。
卵焼き、日清のカップ麺の「どん兵衛」、餅について、東西の違いについて論じていた。

卵焼きは、当然「固めで甘い」と思ったら、何と近畿圏は「だしが卵と同量で、やわらかく、薄い塩味」なんだって!
日清食品のカップうどん・そば「どん兵衛」は、東は「カツオだしを主体に濃い口しょうゆで味付けし、見た目も濃い」。西は「昆布だしを多めに、薄口しょうゆ」だって!
「どこで変えるか、日清の開発チームは新幹線こだまに乗り、一駅ごとに駅構内や駅近くのうどんを試食していった。結局、天下分け目の関が原(岐阜県)が味でも分かれ目だった」という。
は、角餅(のし餅)か丸餅か。郷土料理研究家の奥村彪生(あやお)さんが調べた分岐ラインもどん兵衛と似ていた。雑煮の汁も、ほぼこのラインに沿って、東はすまし、近畿圏はみそになる。
元旦の雑煮の習慣は江戸時代に広まった。本来は丸が主流。角は「大量生産」のための工夫という。長屋住まいでは個々に餅つきなどできない。餅屋が各家にのし餅を置いていき、固くなってから切った。」

Image00911 ヘエーだ。当然ケンポウで「卵焼きは甘い事」「そばの汁は濃い事」「餅は四角」「雑煮はすまし」と決まっていると思っていたが、いやはや・・・(本当は、うどんの汁だけは知っていた。大阪駅でうどんを食うと、汁の薄いこと・・・・)
しかも、新聞の地図によると、雑煮に入れる餅は、焼いた餅なのか焼かない餅なのか・・・・。関東以北は「焼いた角餅」で、関西以西は「焼かない丸餅」ではっきりしているが、中部圏は地域によって「焼かない角餅」「焼いた丸餅」が混在していて面白い。
しかし丸餅が標準とすると、何と面倒臭いことか・・・。ふと子供の頃、青いカビの生えた切り餅を、カビの部分を削りながら食ったことを思い出した・・・。最近の餅は、カビが生えないな・・・。

「なぜ、こんな東西差が――実践女子大の田島真教授(食品学)は、三つの要因をあげる。
第一は、気候風土。寒いほど人間は塩分を求める。
第二は、食材が近くにあるかどうか。濃い口しょうゆは江戸時代から千葉の銚子、野田などに産地があった。関東のしょうゆ文化と、関西の素材の味を生かす日本料理文化。
第三は、京都の公家文化と江戸の武家文化の違い。奥村さんによれば、公家の料理を口に合わないと受け付けなかった織田信長も、味を濃く変えて出したら喜んで食べたのだとか。」

・・・という事は、尾張の信長が関東(以北)の味の元祖という事になる????

しかし、ミソ味の雑煮というのは食べた事が無いし、食べたいとも思わんな・・・
良く、“カミさんをもらう時は、その出身地を考えないと「お袋」から受け継いだ「味」は簡単には変わらない・・」と聞く。つくずく、(行き当たりバッタリだったが)我が家は「結果オーライ」だったな・・・・。
今度、西に出張したら「どん兵衛」をお土産に買ってこよう。味の違う「どん兵衛」は、珍しいので(安くても)土産になるだろう。

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2008年5月24日 (土)

金子由香利の「再会」~おとなの歌

現代のJポップスが若者達の歌だとすると、「大人の歌」というのもあると思う。その代表が、金子由香利の「再会」ではないだろうか。
言うまでも無く、金子由香利は日本の代表的なシャンソン歌手。しかしNet上には、意外と金子由香利についての情報が少ない。
「1960年代より“シャンソンの殿堂”といわれた“銀巴里”のステージに立ち、シャンソン・ファンの間で高い評価を受ける。長い間一般的な知名度は低かったが、77年発表のアルバム『銀巴里ライブ・いつ帰ってくるの』をきっかけに、存在がクローズ・アップされる。谷村新司、山口百恵らがファンとなり、その評判も手伝って一般へ浸透。87年“NHK紅白”に出場・・・・」(ここから引用
まずは代表曲「再会」を聞いてみよう。

<金子由香利「再会」>

「再会」   
    訳詞:矢田部道一
  作曲:Emil Damitrov・Patricia Carli

あら!ボンジュール 久し振りね
その後 お変わりなくて
あれから どれくらいかしら
あなたは 元気そうね
私は 変わったでしょう?
あれから旅をしたわ
いろんな国を見て来たの
少しは 大人になったわ

私って おしゃべりね
引き止めて ごめんなさい
あんまり 懐かしくて声を掛けたのよ・・・

あの方 奥さんでしょう?
とても 素敵な人ね
私に少し 似ているわ
私をどう思うかしら
今の私達は 他人同士なのね
あなたは目には もう なにも
なんにも 残っていないわ

私って おしゃべりね
引き止めて ごめんなさい
あんまり 懐かしくてお話したかったの
今でも あなたを愛しているのよ・・・

この歌を最初に聞いたのがいつだったかは定かでないが、とにかくショックを受けたのを覚えている。何せ、普通の歌と違う・・・。歌というより「語り」なのだ。しかし、歌詞に味があり、何か哀しい・・・。
その時、さっそく“金子由香利とは何者か・・・”と調べたが、「シャンソン界の重鎮」位しか分からなかった。そして今も、年齢はおろか、何も情報がない。Wikipediaにも項目が無い。相当なご年齢だろうが、現役を貫いている・・・。

この「再会」という歌を聞いて、竹内まりやの「駅」を思い出した。前にもこのblogで書いたが(ここ)。この「駅」のストーリーも哀しい。両方とも、“昔の恋人と再会した”という設定は同じだ。でも竹内まりやは「駅」で彼を見付けて、遠くから眺めるだけ・・・・。でもさすがに“年の功”だ。金子由香利さんはキチッと声を掛けているからスゴイ・・・・
(自分はどちらかというと、気が小さいので“竹内まりや”派だな・・・・)

しかし、金子由香利にように、キチッと自分のエリア(シャンソン界)を持ち、いちいちテレビに出なくても、そのエリアのファンによって支えられ、時代に翻弄されない歌手というのを「大歌手」というのだろう。(世は「大サラリーマン」だらけだが・・・・←これ余計!)

(関連記事)
竹内まりやの「駅」

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2008年5月23日 (金)

小林啓子の「こころあたり」~隠れた名曲?

昔の フォーク歌手、小林啓子の「こころあたり」という歌を覚えている人は、そう多くはないだろう。実は、これがしみじみとしていて良い歌なのである・・・。
Image00871 ここに一枚のEP盤がある。白いレーベルの「見本品」である。しかもジャケットに、女性の文字(!)で歌詞がメモしてある。このレコードをどこで手に入れたかは、まったく覚えていない。しかし「こころあたり」は一つしかない。まだ独身の若い頃、友人のアナウンサーに「欲しいのがあったら持って行け」と言われて貰ったもの・・・。それ以外は「こころあたり」が無い。(何をだじゃれで・・・)
(しかし、放送局をキャンペーンで回っていた本人が残したメモ・・・ナンテ想像すると、楽しいけど・・・)

「小林啓子 こころあたり」でGoogleで調べたら、たったの48アイテムしか出てこない。既に忘れられた曲なのだろう。しかしこの歌が、1971年5月発売の曲だという事は分かった。少し聞いてみよう。

<小林啓子「こころあたり>

「こころあたり」
 作詞:田谷静恵
 作曲:高橋信之
 編曲:馬飼野俊一

 さびれた駅 海を見おろす駅
 こころあたりは もう ここだけなのに
 誰もあなたを 見かけないと言う
 こころあたりは もう ここだけなのに

 愛していたの だけど 知らなかった
 どうしたらいいか 知らなかった私
 小さな駅 花の咲いている駅
 こころあたりは もう ここだけなのに

 いつでもそっと 笑うあなただった
 私のわがままを許すあなただった
 誰もあなたを 見かけないという
 こころあたりは もう ここだけなのに

しかしNetで見て驚いた。1946年生まれというから、自分と同じでもう還暦を過ぎている。しかも2002年から「30年ぶりに音楽活動を再開・・・」とある。(ここ
いやはやビックリだ。このプロフィールの写真は、どう見ても還暦過ぎには見えない。(見えたらカンバックなど出来ない?(失礼))

ふと思い出した小林啓子の歌だが、その歌手名をキーにNETで検索してみると、色々と分かって面白い。
昔のフォークにも色々と良い歌が多いが、この歌だけは、長い自分の「録音生活」で、一回も引っ掛からなかった。つまり一度も、放送されたのを聞いた事がない。
その意味で「隠れた名曲?」なのである。
(さっき、カミさんに「これ女性の文字だろう」と言ってジャケットをチラッと見せたら、“老眼鏡”を持ってきて、しみじみ眺めている。残念!「これ、昔の恋人の文字!」と言えば良かった!)

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2008年5月22日 (木)

イタリア在住の宮川秀之氏の生き方

NHKラジオ深夜便(08/4/28~29) 「『地球家族を生きる』ワイン製造業…宮川秀之」 (平成18年9月14~15日の再放送)を聞いた。そして宮川秀之氏の、一人の女性との出会いにより、自分の人生をこうも変えてしまう生き方に、驚いた。

氏は1937年(昭和12年)生まれ、現在71歳。早大文学部2年の時に、友人と共にバイクでの世界一周10万キロの旅行に出た。そして1960年にイタリアに行った時に、欧州の車のデザインの素晴らしさに目覚め、トリノのモーターショーでマリア・ルイザ・バッサーノ(マリーザ)さんとの電撃的な出会い。その時、マリーザは日本に深い憧憬を持っており、既にその時は広島にホームステイする事になっていた。そして東京で再会した時に、結婚を約束。そして用意周到にイタリアの両親への説得に腐心し、結婚してイタリアに移住。
仕事としては、イタリアで世界一流のカーデザインの会社を立ち上げ、日伊の自動車業界の橋渡しをした。そして、今はトスカーナ地方で、無農薬の味の良いワインの製造業を営んでいる。また42社を束ねたワイン組合の理事長にも就いている。(本も出しているらしい)

そんな宮川氏の、愛妻マリーザさんとの出会い、そしてまさに「地球家族」としての生き方の話であった。
080522miyagawa それから結婚時の約束、つまりマリーザさんの「自分達の子どもが大きくなったら、世界の孤児を引き取って育てたい」という意志により、自分達の4人の子宝の他に、韓国人を手始めに、インド人、イタリア人の養子を迎える。そしてアフリカ・ザンビアの(ハンセン病の親の)子供も、(離れた)養子にしたという。それから同じように、10人を応援・・・・
そして、今はこのワイン農園に刑務所の囚人を受け入れているという。囚人は40分かけて車で刑務所から通勤して来るのだという。その信頼感・・・

その最愛のマリーザさんは3年前(H18年放送時)に突然逝去し、今はその遺志を受け継いで活動しているという。なぜ亡くなったかについては言及していなかった。

しかし、宮川氏の人生も壮絶だ。1950年代末の世界一周という発想自体が奇抜なら、イタリアで一女性と巡り合った事で、イタリアに住むことを決断。
しかも、早大を中退しながらも、イタリアで世界一流のデザイン会社を立ち上げ、そして無農薬ワインの製造業に成功・・・。
一方では、愛妻の希望通りに、(その糧をもとに)世界中から養子を迎えて育てる・・・・。

とても並みの人では出来ない事ばかりだ・・・。
仮に自分が、(欧州などは問題外として)九州か北海道に居る女性にベタ惚れしたとしても、果たして生まれ育った所の、“全ての歴史”を棄てて移り住んだり出来るだろうか? まあ相当な美人でも無理だな・・・・
とにかく、カミさんの「都会のマンションに住みたい」という希望を30年間ねじ伏せているウチとは、大違いだ・・・(いやはや世界は広い・・・)

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2008年5月21日 (水)

「観音経」勝手帖-02 概要

「観音経」は、言うまでもなく5世紀の中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した「『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五」を独立の経典として位置付けたもの。
「妙法蓮華経」(略して「法華経))は全部で28品(=章)あるが、その25番目が「観世音菩薩普門品」であり、それを略して「観音経」と呼んでいる。
なお、「観音経」はもともと独立した経典だったのを、法華経編纂の時に取り入れたという話もあるらしい。

この経典で教えているのは、観音菩薩(=「観世音菩薩」または「観自在菩薩」=観音様)にお願いすれば、どんな時にも、どんな所にでも助けに来てくれるという事を、述べている。
観音菩薩は、正式には「観世音菩薩」または「観自在菩薩」といい、まさに世の「助けて~という“音”」を常に耳を傾けて聞いている・・・という意、または、困っている人の所に、どこでも“出現する”という意味である。
例えば、「十一面観音」は、あらゆるところに目を配っている事を表している。(なぜ十一面なのかは別途)

「観音経」は長い経典だが、全体は「長行(じょうごう)=散文形式」と「偈(げ)=漢詩の形式)」の二つで構成されており、「長行」で説いた教えを、再び「偈」という詩の形で説いている。
良く読誦されているのは「偈文(げもん)」の方である。つまりこれは、観音経の中の「偈(=詩)」の部分を抜き出したもので、これは短くてテンポも良く(「念彼観音力」が繰り返される)、読経や写経に良く用いられる。「偈文」は、「世尊妙相具・・・・」と始まる所から「世尊偈(せそんげ)」とも呼ばれる。

内容は、全体が「観音様を信じて念じれば、どんな危機に瀕していても観音様が助けに来てくれる」という事を、色々な例を挙げて説明している。
「観音行偈」は当blogの(ここ)で聞いているので、今回は「観音経」全体を聞いてみよう。全体16分13秒の読誦のうち、11分36秒のチンと同時に偈の部分が始まる。(お経は(ここ)参照)

<「観音経」全文~高野山真言宗 川島宏之>

もちろん経典(お経)なので、いつもの手順で、誰か(「観音経」では無尽意菩薩(むじんにぼさつ))が世尊(仏=ブッダ)に尋ね、世尊がそれに答え、最後に集まった人が納得して散会する、というストーリー展開は同じ。
次回以降は「偈」の内容を見て行くことにする。

(関連記事)
「観音経」勝手帖-01 全文

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2008年5月20日 (火)

都はるみの「ふるさとよ」のカラオケに惚れた

自分は歌謡曲を良く聞くが、その中で1曲だけカラオケを先に聞いた(覚えた)曲がある。
つまり、普通は歌を聞くのは、当然歌入りの曲を聞くのだが、最初にカラオケを聞いてその曲に惚れこみ、あとから歌(旋律)を探し出して聞いた・・・という、自分では珍しい例が、都はるみの「ふるさとよ」という歌なのである。

前に聞いていたデジタルラジオ(CS放送)の「ミュージックバード」で歌謡曲番組を聞いていた時、時間合わせのためのBGMとして流れたのがこの曲であった。
その素晴らしいオーケストレーションに惚れこみ、歌入りの曲を後から探した。
まずは、そのカラオケを少し聞いてみよう。作曲は浜圭介である。

<都はるみ「ふるさとよ」のカラオケ>

このカラオケを聞いても、当然どこにも歌の「旋律」は出てこない。そして自分は「本来の歌はどんな歌だろう・・・」と思い巡らし、やっと巡り会ったホンモノの歌がこれである。

<都はるみ「ふるさとよ」>

「ふるさとよ」
  作詞:荒木とよひさ
  作曲:浜圭介
  編曲:川村栄二

遥かなる 山よ川よ
この瞳 閉じれば 心の中に
故郷を 遠く離れ
ひとり たたずむ 夕やけ空に
こみあげる想いよ 愛しさよ
北国 浮雲 母の顔
いつの日か帰ろう 星降る町へ
いつの日か帰ろう 心を連れて

果てしなき 時の流れ
胸に宿した 月日の早さ
故郷を ひとりはなれ
歩き続けた さみしい町で
こみ上げる涙よ 切なさよ
雪国 せせらぎ 母の歌
いつの日か帰ろう 花咲く町へ
いつの日か帰ろう 心を連れて

こみあげる想いよ 愛しさよ
北国 浮雲 母の顔
いつの日か帰ろう 星降る町へ
いつの日か帰ろう 心を連れて

いつの日か帰ろう あの故郷へ
いつの日か帰ろう 心を連れて

いつものように、(失礼ながら)歌詞などどうでも良い・・・。自分にとっては、その旋律とアレンジが大切なのであ~る。しかしこのカラオケから想像した「歌(旋律)の姿」とホンモノは、自分にとって少し違っていた。
まあ演歌なので仕方が無いが、カラオケから想像していた旋律に比べて、何となく「一般的な歌だった」のが残念・・・。
このカラオケを使って、別の(演歌らしからぬ)旋律で鮫島有美子なんかが歌ったら・・・・と想像すると楽しい・・・(が、有り得ないよね)

●本日カウントが9万を越えました。

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2008年5月19日 (月)

オーケストラの舞台裏~東響の金山茂人氏の話

NHKラジオ深夜便(08/5/15~16)の「こころの時代」は、「オーケストラを支えて30年 東京交響楽団・前楽団長 金山茂人」だった。
この話で、オーケストラの舞台裏を聞くことが出来て面白かった。ここ最近で、一番面白かった・・・

現在、在京のオーケストラは7つあるが、氏は東京交響楽団で30年も団長(=社長)をしていたという。その話からヘエーという話が幾つかあったので、以下紹介してみる。

・団員の新人募集には数十人の応募があるが、それは音楽大学を出ても就職口が無いため。一旦オーケストラに入るとなかなか辞めない。
・しかし力量が明らかに劣るメンバーに対しては肩たたきをする。
・新人は団員全員の過半数の賛成が必要。
・オーケストラの座る位置は、毎年9月に見直すが、一年間固定。(ベルリン・フィルでは、席は自由で後ろから埋まるとの事)
・曲目は、主に団長が決める。曲目は「営業」そのものなので。
・公演は、年間160回くらい。
・団員はN饗の120人を除くと、どこも100人前後。1回の公演は70~80人くらいなので、ローテーションで回す。
・練習は、1公演で1~2日。初めての難曲でもせいぜい3日。13時から17時までだが、最近はきっちりと17時に終えないと不満が出る。時代の流れ・・・
・団員の移動は、自由。現地に所定時間に着けば良い。だいたいは、みなさん相乗りの車で来る。でも遅刻等で開演時間が遅れたことは、過去一度も無い。時間を守ることについてはプロ。逆に、葬式があっても必ず出てくる。特に管楽器は代替がきかない。
・他のオーケストラへの内職は自由。だからN饗の団員もアルバイトで東饗に来る。オーケストラ界は、その点で不思議な世界。同じ音楽をやるので目くじらを立てない社会。
・だから他の楽団でオーディションがあると自由に応募する。N饗の管楽器は、その2/3は他の楽団から行った人ではないか?だからN饗には怨念がある。
・ベルリン・フィルやウィーン・フィルが世界一だというのは「人に感動を与えるのが一番という意味。だから各国の自治体や国は、自分達の文化(の誇り)のために、金を出す。それに引き換えて、日本はダメだ。東饗は7%を文化庁から貰っているが、企業努力をして儲けを出すと、返さなければならない。

先日の「レコード芸術」におけるオーケストラ・ランキング(ここ)では、東京交響楽団はN饗等の37位を抑えて日本トップの35位だった。現在、時流に乗っているオーケストラが、この東饗らしい。
しかし、金山茂人氏の個性が素晴らしい・・・(熱血漢? それともガンコジジイ・・・? 失礼!) 「音楽にはまず金が要る」と言ってのける氏の、この様なリーダーシップがあったからこそ、楽団存亡のピンチにも耐え、今の東饗があるのだろう。
しかし、話を聞いているアナが「そんな裏話をラジオでして、大丈夫なのですか?」と盛んに気にしていたが、「既に本でも書いたので大丈夫」と、まったく動じる風もない。それだけに聞いていて楽しかった。この回は、歴史にに残る「こころの時代」になるかもね・・・

(関連記事)
オーケストラ・ランキング2008

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2008年5月18日 (日)

映画「東京オリンピック」と円谷幸吉の遺書

昨夜(08/5/17)、NHK BS2で「日めくりタイムトラベル-昭和39年!-」という番組を放送していた。DVDレコーダに録っておいてざっと見たのだが、印象に残ったのが、市川昆監督の映画「東京オリンピック」と、そのマラソンで国立競技場で2位から抜かれて3位にはなったが、東京オリンピックで唯一の陸上競技メダルを獲得した円谷幸吉の姿だった。

映画「東京オリンピック」は、当時のオリンピック担当大臣 河野一郎が「記録性に欠ける」と批判したことから、「記録か芸術か」という論争になったのは有名な話。
思い出すに、この映画は高校2年のとき、学校から“見に行け”という話があり、ある一日、授業の替わりに映画館に見に行った記憶がある。

NHKの番組では、市川昆監督の映画の舞台裏や、「記録か芸術か」の論争を話題にしていたが、“もう一度見たいな・・・”と思ってネットを検索していると、何と「YouTube」に載っている(ここ)。
全編を20に分割しているが、まさにビデオオンデマンドで居ながらにして見られるのはスゴイ・・・・。(つい懐かしく、見てしまった・・・・)

そして、TVでもこの映画でも出ていたが、マラソンの円谷幸吉の姿・・・。直ぐに思い出されるのが、かの有名な遺書(血に染まった・・)である。

Tsuburayaisyo Tsuiburayakinenkan

父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました、干し柿 もちも美味しうございました、
敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました、
勝美兄姉上様、ブドウ酒、リンゴ酒美味しうございました、
巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました、
喜久造兄姉上様、ブドウ液、養命酒美味しうございました、又いつも洗濯ありがとうございました、
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難うございました、モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした、
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様 母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません、
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました、

校長先生 済みません、
高長課長 何もなし得ませんでした、
宮下教官 御厄介お掛け通しで済みません、

企画課長、お約束守れず相済みません

メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます、
一九六八・一、

この遺書は、実に哀しい。「美味しゅうございました」と繰り返される家族への感謝。そして「もうすつかり疲れ切つてしまつて走れません」という逃げ場の無い心の吐露・・・・。

実家(地須賀川市)の隣には、家族(兄弟)が開設した「円谷幸吉記念館」があったが、遺族の高齢化により2006年の秋に閉館したという。

世は、競泳のスピード社の水着の採用問題で騒がしいが、スポーツは時代が変わっても肉体の戦いである事は変わらない。
さて、今年の北京オリンピックはどうなるのか・・・

(関連記事)
東京オリンピックの思い出 
ミュンヘン五輪男子バレー金の監督「松平康隆」の言葉

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2008年5月17日 (土)

我が家の「サラリーマン川柳」ベスト10

今朝(08/5/17)の新聞に、毎年恒例の「第21回 サラリーマン川柳」(ここ)のベスト100が決まったという記事があったので、早速第一生命のHPで見た。毎年のように、カミさんとアーだコーだと「評論」する。
以下、このベスト100から改めて我が家で選んだ(?)「ベスト10(順不同)」である。

6位 「好きです」と アドレス間違え 母さんに (蒼空)

8位 社長より 現場を良く知る アルバイト (ゴットマウンテン)

11位 無料でも 家族間での 通話なし (栗ポン)

31位 空気より 漢字を読んで 頼むから (国語教師KY)

32位 「まかせたよ」 言われた割には 指示多い (雑用係)

35位 部長にも 「別に」と返事を してみたい (シュウメイ様)

42位 定年の 延長決まり 妻元気 (うつ蝉)

49位 俺社食 息子給食 妻美食 (定食パパ)

57位 「記憶にない」 妻に通じる わけがない (中海)

91位 シニア割 顔で通され 泣き笑い (若作りオバア)

Image00791 実は、我が家では、だいぶん前から「サラ川」のファンである。初期の頃は、そのウィットに感激して、単行本が発行されるや買って“味わった”もの・・・。(左の写真は、1991年発行のシリーズ1冊目)
しかし、年とともに段々とレベルが下がっているように思える。昔の「サラ川」には、今でも直ぐに口に出る“名作”が多い。例えば・・・

まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる(遠くの我家)第5回 1位

一戸建て まわりを見ると 一戸だけ(貝満ひとみ)~第5回 4位

「妻」の字が 「毒」に見えたら 倦怠期(FA宣言できない夫)第7回4位

やせてやる!! コレ食べてから やせてやる!!(栗饅頭之命)第8回 1位

やめるのか 息子よその職 俺にくれ(独楽)第17回 4位

二歳だろ トロ ウニ 選ぶな 卵食え(読み人知られたがらず)19回 4位

生活に潤滑剤は必要である。逆境にもウィットですり抜ける知恵もまた必要である。
世は「うつ病」のるつぼ・・・・。しかし、こんなウィットの持ち主はうつ病には罹るまい。

自分も、何とか一作でも応募しようかと頭をひねった時期があった。しかし所詮「才能」問題。これだけは自分には無理だと諦めた。
まあぜいぜい人の作った作品を論評でもしようか・・・。

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2008年5月16日 (金)

上海交響楽団の「荒城の月」

いわゆるイージーリスニングとして、日本の名曲をアレンジしたものは幾多あるが、自分がイチ押ししたいのが黄佩勤指揮の上海交響楽団の演奏(編曲)である。(編曲者は日本人だという)
「荒城の月」という、あまりに有名な(単純な)旋律を、ギターを入れた“ゴージャスなスタート部(1番)”、ピアノとオーボエ・フルートの“しっとりとした中間部(2番)”、そして“余韻を残した終結部(3番)”で表現している。特に2番から3番に移るときのピアノの旋律は、どこかで聞いた事がある・・・と思ったら、ベートーベンの月光ソナタだった。(それで自分にフィットしたのかな???)
Netに載っているCDのコメント(CDジャーナル)は、あまり好意的ではないが、まあ少し聞いてみよう。

上海交響楽団「荒城の月」

この録音は、昔(2001/2/5)にNHKFMで放送されたもの。Netで調べたら、日本クラウンから1993年11月21日に発売された「Dear My Heart(日本の抒情)」というCDだという事が分かった。(いやはやネットはスゴイ・・・)
しかしもう15年も前のCDであり、当然在庫切れで入手できない。(前にもさんざん探した・・) でも今日、色々とチェックしていたら、同じシリーズで「Dear My Heart(“世界”の抒情)」というCDがHMVで入手できそうな感じだったので、いちおうオーダーを入れてみた。でも多分「取り寄せ」なので「メーカ在庫切れ」というメールが来てチョンなのだろう。

昔は、FM放送をランダムに録音してMDに溜め込んでいたが、生き残った曲(その後、自分が何度も聞いた曲)はやはりオリジナルのCDが欲しくなるもの。でも殆どの場合、発売から時間が経っており「廃盤」だ。

しかし、前のblog(ここ)でも書いたが、廃盤のCDを手に入れる方法は意外と少ないもの。Yahooのオークションに出てくるのを待つか、Amazonで中古品をチェックするか・・・位しか思い浮かばない。
「売る」側主体のこの様な仕組みだけではなく、「買う」側を主体にした“欲しいCDを登録しておく”サイト(仕組み)は出来ないものか・・・・

(関係記事)
「荒城の月」の研究?

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2008年5月15日 (木)

ハーモニカ(森本恵夫)による「チゴイネルワイゼン」

「超絶技巧」という言葉があるが、楽器を自在にあやつる妙技で、最も感心したのが森本恵夫のハーモニカである。
サラサーテの「チゴイネルワイゼン」はバイオリンの難曲として有名であり、色々な楽器で演奏されている。当blogでも、サラサーテの自演やマリンバの演奏(ここ)を論じたことがある。
しかし、先日聞いたこのハーモニカの演奏には参った。何せ、息を吸ったり吐いたりで演奏するのがハーモニカ。良くこれだけのスピードで息を制御できるな・・・、と感心した。

このCDの解説をNetで読むと、この森本恵夫(よしお)というハーモニカ奏者は「チゴイネルワイゼン」を吹いて62年、このCDが発売になった2003年には80歳を迎えたという。
よってこの演奏は、素人が“ヘエー”と聞いてビックリするような単純なものではないらしい。つまり、この“一曲”には奏者「森本恵夫」の62年間の執念が込められている演奏・・・という事になる。それを頭に聞くと、実に「悪魔の演奏・・・」に聞こえてくる。ヴァイオリンは指を動かせば音程が変わる。マリンバは叩けば音が出る。管楽器も指でレバーを押さえれば・・・・・。でもハーモニカは「息」が全て。その息をここまで制御できるとは・・・・。その悪魔の演奏を聴いてみよう・・・

森本恵夫(ハーモニカ)「チゴイネルワイゼン」

Image00751 Image00761

Netで「森本恵夫」のプロフィールを読むと(ここ)、壮年期に出場した世界大会で2位の偉業。そして、1991年には世界ハーモニカ・チャンピオンシップス(デトロイト)で優勝したそうだ。まだ現役らしい・・。この演奏が何歳の時の録音かは分からないが、もしCDの解説通り80歳の時の演奏だとするとすると、それはスゴイ・・・。
80歳といえばもう後期高齢者である。それが、まさに体力勝負のハーモニカの演奏でこれだけの演奏を遂げる“もの凄さ”・・・。
前に、伊達公子の復活について当blogに書いたが、還暦を過ぎた位でオタオタしている自分が情けない・・・・
この執念の演奏を聞くと、還暦なんぞまだまだ「洟垂れ小僧」では?  ナンテ思ってみたり・・・

(関連記事)
サラサーテ自演の「チゴイネルワイゼン」

「チゴイネルワイゼン」の想い出

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2008年5月14日 (水)

石橋正次の「夜明けの停車場」

昭和47年(1972年)に石橋正次が歌った「夜明けの停車場」という歌がある。
Image00761 先日、NHKラジオ深夜便で毎月放送している五木寛之の「わが人生の歌語り」でも、当時の代表曲として紹介されていた。

この曲を聞くと、学生時代に一人北の方へ旅した情景を思い出す。期末試験を終わった開放感から、どこかに行こうとしているホームの自分の姿・・・・
でもこの曲のジャケットのメモを見ると、買ったのがS47-5-31とある。とすると、もう卒業してサラリーマンになっている。
なぜホームの自分の姿と、この歌がダブるのか分からないが、まあ単純にこの曲名に惑わされた結果だろう。懐かしいこの曲を聞いてみよう。

<石橋正次「夜明けの停車場」>

「夜明けの停車場」
  作詞:丹古晴已
  作曲:叶 弦大
  歌 :石橋正次

1)夜明けの停車場に ふる雨はつめたい
 涙をかみしめて さよなら告げる
 きらいでもないのに なぜか
 別れたくないの なぜか
 ひとりで旅に出る 俺は悪い奴
 だからぬれていないで 早くお帰り
 君には罪はない 罪はないんだよ

2)ひと駅過ぎるたび かなしみは深まる
 こんなに愛してて さびしいことさ
 きらいでもないのに なぜか
 別れたくないのに なぜか
 しあわせ捨ててゆく 俺がわからない
 だから遠くなるほど 胸がいたむよ
 君には罪はない 罪はないんだよ

先日、同じくNHKラジオ深夜便「人生“私”流「夫婦で歩く旅を楽しむ」カントリーウォーカー…山浦正昭」(08/4/28)という番組で、ユースホステルの話があった。
まさに昔は、ユースホステルで旅したもの。今の学生はどうしているのだろう。ビジネスホテルがたくさんあるから心配無い?

我々が学生の頃(昭和40年代前半)は、ユースホステルを良く利用した。というより、旅行といえばユースホステルだった。(今は2食付で4500円だって。昔は700円だっけ?)
自分も北海道から九州まで、あらゆる所に旅したもの。これは兄の影響が大きい。良く「金があったら物を買うより、旅行をしろ」と言っていた。社会人になると、金があっても時間が無くなる。だから時間の自由になる学生時代には旅をしろ・・・。まあ正解だな。
でも自分は、それほど旅行好きという方ではなかった。

還暦を迎えて“毎日が日曜日”状態になると、まさに学生時代に戻った感・・・。しかも時間だけでなくそれなりの金もあるし、一人で行きたくなければカミさんという(たぶん)付き合ってくれる人もいる。だから自由に何処にでも行ける羨ましい状況・・・の筈。
しかし問題は「体力」だな・・・。
我が家では、体力のある内に、そして何よりも少しでも金が入る現役時代には「海外旅行」、そして金を使う一方になったら日本?? 

まあそのうち、カミさんの中国語熱が冷めたら、京都・奈良の静かなお寺巡りをしたいな・・・とは思うが、実現しないかも??何故なら日本の旅行の方がよっぽど高いかも知れないので・・・

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2008年5月13日 (火)

童謡「十五夜お月さん」の思い出

今朝は寒かった。当八王子で10℃を下回っていた。“秋”でもないのに・・・
まったく季節外れだが、今日は童謡「十五夜お月さん」の思い出である。
自分が小学校5年の頃(昭和33年頃)だったろうか、カミナリより怖かった親父が「レコードコンサートをやる」と言い出した。怖くて口も利けなかった親父が、庭に面した縁側にラジオと新しく買ったプレヤーを持ち出して、買って来た黒いSP盤をかける・・・。するとラジオから童謡が・・・・

テレビの無かった当時は、当然ラジオしか無い。親父は、当時電気メーカに就職していた親父の弟(叔父)に頼んでプレヤーを買い、SPのレコードを買ってきたのだ。
自分はまさに興味津々・・・・・。レコードもプレヤーも・・・・。初めて手にしたレコード・・・。胸を躍らせた。
今考えると、その時の体験がその後の自分の音楽人生に深く影響しているのでは・・・?と、最近思う。つまり、その時から自分のレコード人生が始まったというわけだ。

その時のレコードの曲が、「十五夜お月さん」「お猿のかごや」「月の沙漠」・・・
実は、その時の「十五夜お月さん」の音が、未だに手に入っていない。その時に聞いたSP盤の録音・・・。誰の歌だったのだろう?伴久美子かな?川田正子かな? 
現在の川田正子は、この歌を良く歌っているが、昔の録音は聞いた事がない。
 
自分の持っている録音の中で、一番フィットする斎藤伸子の歌で聞いてみよう。

<斎藤伸子「十五夜お月さん」>

「十五夜お月さん」
  作詞:野口雨情
  作曲:本居長世

 十五夜お月さん
 御機嫌さん
 婆やは お暇(いとま)とりました

 十五夜お月さん
 妹は
 田舎へ 貰(も)られて ゆきました

 十五夜お月さん 母(かか)さんに
 も一度

 わたしは 逢ひたいな。
(『金の船』大正9年9月号。原題は、『十五夜お月』)

この歌に関して、野口雨情は次のように述べていたらしい。(ここから引用
 「お母さんがなくなってしまはれたので、小さい妹は遠い田舎へ貰はれて行ってしまつたし、婆やもお暇をとつて国へかへつてしまつてからは、自分一人がその後に残された淋しさを唱つたものです。それで十五夜のまんまるいお月さんを見てゐると、何だか、お月さんに物言ふてみたい懐かしさを覚えて『十五夜お月さん御機嫌さん』といつたのでした。それからお月さんに尚もいろいろ悲しさを訴へたのです。
 そんな風に月に対しては何事によらず話かけたいといふ純な子供らしさは誰でもが持つてゐた時代が必ずあつた筈なのです。
 それがどうです。少し智識が附くやうになると、今日、学校で月といふものを、理科の時間に教へますが、それによると、お月さんなんて、自分等が住んでゐるこの地球と同じやうな土の塊であつて、そこには動物も棲んでゐなければ、植物も生えないから人間などは勿論ゐないとか、或は又あの兎の形のやうに見えるところを望遠鏡で見ると深い谿であるとか、又、月は衛星の一種であつて常に地球の周囲を巡つてゐてその大きさは凡そ地球の五十分の一程であつて、地球との距離は約二十三万八千七百九十三里程になる、とかいふことを習つて来ると、却つてそんなことを知つたが為に以前に持つてゐたやうなお月さんに対する美しい詩的空想が害されてしまふではありませんか。
 だといつて何も智識といふものを排斥するわけではありませんが、ただ童謡を作らうといふ気分になつた時だけはいろんな智識を持つてゐる為に、真実の子供らしい感情や夢のやうな空想を曇らしてしまはないやうに気を附けなければなりません」(『童謡作法問答』交蘭社 大正10年より[『定本野口雨情 第七巻』に収録])

この論が大変に面白い。詩人と科学者の問答のようだ。
詩人に科学は必要が無い。科学者が作った詩など、面白くもない・・・。それは分かる。
この歌も、(今日のような冬に戻った寒空ではなく)秋の空を見ながら聞くと風情が出るな・・・
しかし子供の時の体験(聞いた歌)は、人生に大きく影響を与えるものらしい。だから、この歌についても、昔聞いて未だに耳に残っている歌声(昔の童謡のSP音源)を、永遠に探すとしよう・・・

(08/9/14追)
先日(08/9/5)のNHKラジオ深夜便「海沼実の歌の世界」で川田孝子の「十五夜お月さん」が放送された。うーん。もしかすると、自分の記憶の引き出しに入っている昔聞いた「十五夜お月さん」は、これかも知れないな・・・と思った。川田正子の昔のSPも、どこかで聞いてみたいが・・・

<川田孝子「十五夜お月さん」>

(2016/02/13追)
「純」さんから頂いたコメントで、聞いてみたが・・・

<田端典子の「十五夜お月さん」>

 

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2008年5月12日 (月)

PCがウィルスに感染?して冷や汗・・・

昨夜から、PCがウィルスに感染したらしく、冷や汗をかいた。でも復活したので良かった・・・。頭の中はPCのことでいっぱいなので、今日はその顛末??

昨夜、日経の記事の関連記をGoogleで探していたら、突然IEの画面の横に別の画面がくっついて、それとは別の新しいIE画面で別のページが勝手に立ち上がった。アレッと思っていたら、ウィルスバスターが、「システムを変えようとしているので、変えない場合は****をしろ」と言っていた。ヤバイと思ってその通りにしたら、何とか変なページが表示されるのは無くなったが、何か全体にヘンだ。音が出ない・・・。デバイスマネージャーを見たら、DVDドライブや、サウンドのデバイスが、「!」マークがついて黄色表示。システムが壊れたかと焦る。

いつもの「システムの復元」をしようとしたら、「無効」に設定されおり、復元ポイントが無い。“だいたいウィルスバスターは何をしていたんだ!!”と怒るが、待てよ?ウィルスバスターのダウンロードやらインストールやらがウルサイので、自分で止めた記憶がある・・・・。ヤバイ・・・・
これに気が付いたのが昨夜の寝る間際だったので、興奮して眠れない。明日は会社なので、後でゆっくりやろう・・なんて思っても、どうするかを考えて眠れるものではない・・・。
そうだ、「HD革命back UP」とかいう(USB HDDを買ったときに付録で付い来た)ソフトで、最近バックアップを取ったっけ・・・、と思い出し、USB HDDをチェックすると、5月3日にバックアップしている。シメタ・・・!これだ・・・。でも今のHDDをいじると少し怖いので、寿命のあるHDDなのでこれを機に容量の大きいものに交換して、これはこのまま保管しておくか・・・?と思ったり・・・・

そして今日の昼休みに、PCのメーカに問い合わせ。そしたら「バックアップは上書きをするので、5~6割位しか成功しないので勧めない。それに、もしHDDを交換したらその時点でメーカサービスが停止してしまう・・・」と言って、サウンドデバイスの再登録の方法を教えてくれた。そして「出来れば再セットアップをしろ」という・・・。(トホホ・・)
次に「HD革命back UP」のソフト屋で電話したら、イメージとしてバックアップしているので、データがあればその時点まで完璧に復元できる、と自信の言葉・・・・。

結果、1週間前のバックアップデータから復元することにして、家に帰るや、5月3日以降のデータだけ別のメモリにバックアップして、「HD革命back UP」の復元をスタート。
しかし、終わるはずの段階で、「ヘルプ」に無い動き・・・・。少し不安・・・。と言うのは、バックアップ後のチェック(1時間)が終わったら、そのまま2度目をスタートした・・。HDDのクラスタが部分的に壊れていて、復元できないかも・・・と思い出して、ダメかと・・・。
リカバーディスクを探したり、「まあ、何でも入っている自分の、い・の・ち・のPCだが、この辺で全てを棄てて、人生のたな卸しをするのも良いかも・・」ナンテ負け惜しみ・・・・。(5月3日以前のデータは散逸している・・・)
そして待つこと3時間。何と復活した!まさに5月3日の状態・・・・。いやはやホットした・・・。

直ぐにチェックしたら、「システムの復元」はやはり無効の設定になっている。これは、「HD革命back UP」でバックアップデータを取る時に一旦停止させるらしいので、もしかすると、その影響かもしれない。
そしてウィルスバスターを見ると、やはり前回のアップデートは3月18日!!案の定、せっかくの機能を、自分で止めていたのだ。もちろん、ウィンドウズのアップデートもしていない。“これで動いているのだから問題無い・・・”と、うそぶきながらサボっていたツケが来た・・・。
しかし、たまたまIOデータのHDDを買ったときの、おまけの「HD革命back UP」のソフトで、イメージでCドライブをそのままバックアップしておいてので、今回は助かったが、この反省は大きい。直ぐにウィルスバスターを自動更新に変えたのは言うまでもない。
つくずく、“タカをくくると痛い目にあう・・・”と思った。

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2008年5月11日 (日)

「日本は水の消費大国」~日経より

今朝(08/5/11)の日経(P11)「サイエンス」に「日本は水の消費大国~食料輸入に頼り不足分を穴埋め」というショッキングな記事が載っていた。曰く・・・

「牛丼一杯がペットボトル(1.5ℓ)1260本、コップ一杯の牛乳が同73本の水を消費する――。親子三人の昼食に並んだメニューの食材を国産だけで作ったと仮定したところ、合計4トンの水が必要だった。
特に水の消費量が多いのが牛丼だ。牛肉は牛が口にする飲料水のほかに、エサをなるトウモロコシなどの農作物の栽培にも大量の水が必要になるからだ。牛一頭育てるには6540トン、牛肉1kgでは約24トンの水が必要となる。コメは水田に水をはって豊富な水を使うようにみえるが、1kgでは3.6トン。単純に牛肉と比較すると、約6分の1で済む。・・・
・・東京大学と国立環境研究所の研究チームは、輸入した農作物を国内だけで生産すると仮定したところ、2000年度は年間627億トンの仮想水が必要になると試算した。国内で1年間に農業用として使える灌漑用水などの572億トンを上回る。・・・」

これではどうもピンと来ないので、例を挙げると・・・
「ビールジョッキ一杯=52ℓ、牛乳=110ℓ、フライドポテト(S)=25ℓ、月見そば=750ℓ、牛丼(並)=1890ℓ」だそうだ。
さっきの「3人の昼食に4トンの水が必要」とあったが、風呂(約200ℓ)の水で例えると、4トンは風呂20杯分となる・・・。これで少しはピンと来たかな??

そして、食料1kg作るのに必要な水の量は、・・・・
牛肉=20,600ℓ、豚肉=5900ℓ、鶏肉=4500ℓ、米=3600ℓ、卵=3200ℓ、大麦=2600ℓ、大豆=2500ℓ、小麦=2000ℓ、トウモロコシ=1900ℓ、パイナップル=396ℓ だとか。

日本の食糧自給率は39%で先進国では世界最低水準だが、仮想水で眺めてみると、大変な状況だという事が見えてくる。
(仮想水=バーチャル・ウオーター=海外から輸入した農作物や工業製品をもし国内だけで生産したと仮定したときに必要となる水の量。~1990年代に英国ロンドン大学のアンソニー・アラン教授が提唱)

ミャンマーではサイクロンの被害で大変らしい・・・。我々は、平和な日本でのんきに暮らせるのはラッキーだとしても、日々の消費については、(日本の美徳である)「もったいない」の精神は不可欠とだということか・・・

(メモ)
*カテゴリのページを「目次スタイル(リンク付き)」に作り変えた。これで幾らページが増えても、カテゴリページのアクセス時間の心配をしなくて良くなった。

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2008年5月10日 (土)

「コストコ入間」と「三井アウトレットパーク入間」に行った

今日は雨・・・。カミさんがコストコの入間店が出来たので行ってみようと言うので付き合った。家から18Km。今まではコストコ多摩境店に良く行っていたが、とにかく家から遠い。しかし、入間店はそれ以上だ。でも年会費4200円を払っても、それだけの価値があるのでカミさんは良く行っているらしい。(世界の会員数が5000万人というから半端じゃない)
P10206861 午前10時半過ぎに着いたというのにもう駐車場はいっぱい。コストコは会員制なので、2008年4月4日新開店の入間店はまだ閑古鳥が鳴いているだろうという期待は見事に裏切られた。(2002年開店の多摩境店は、会員が多くなり過ぎて休日は駐車場に入れないらしい)

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店の中は多摩境店とほとんど同じ。大きな棚が並び、まさに「入間“倉庫”店」である。まずデジカメのプリントを頼む。デカイ写真が1枚15円。普通は30円くらいするので最近我が家では気に入っているという。
アメリカ発の店らしく、とにかくデカイ。日本のいつもの商品も業務用が主で、とにかくデカイ。大家族の買出しには大変に安くて便利。しかし家電製品などは決して安くない。アメリカ直輸入の家具などは面白いものが多い。でも、店によっての特徴は無い事が分かったので、今後は近い所にする。(今日買った寿司は、多摩境には無かったというが)
どちらにせよ、ここ八王子近くに出来ると良いのだがね・・・(HPはここ

実は、今日それ以上にビックリしたのは「三井アウトレットパーク入間」が隣接していたこと。
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連休中にTVのニュースなどで「新開店の三井アウトレットパークが非常に混雑して・・・」とか聞いていたので、「そのうちに行こう・・」なんてカミさんに約束させられていたが、何とコストコに入ろうとすると、すぐそこにあった・・・。
コストコでの買い物が終わった後で、少し寄ってみたが、スゴイ。有名ブランド181店、レストラン6店、フードコート11店・・・という。
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コストコの倉庫型店舗と正反対のブランド店・・・。その規模は全国一とか・・・。実は我が家はブランド品には一切興味が無いので早々に引き揚げたが、フードコートの規模のデカサを含めて、さぞ賑わうのだろうと他人事のように眺めてきた。
(しかし自分もそうだが、コストコの駐車場を使う不届き者が多くなるのでは?と思った。コストコの2F駐車場から店に降りて、コストコの店内に会員証を見せて入る前に、三井アウトレットの入り口がある。ついそっちへ行きたくなるのも人情?たぶん、コストコから三井アウトレットに行く通路がそのうち封鎖されるかもね?~最初の写真は、コストコの入り口から三井アウトレットを見たところ)
とにかく、最近の郊外のモールのデカイこと・・・。毎日が日曜日予備軍の我々にとっては、たとえ買わなくても時間潰しには便利かもね・・・

(関係記事)
「ジョイフル本田 瑞穂店」の規模に圧倒された

日産村山工場跡のダイヤモンドシティ・ミューに行った

「イオンモール日の出」に行った

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2008年5月 9日 (金)

デヴィッド・ギルモアの2006年ロンドン公演「運命の鐘」

今日(08/5/9)の大ニュースは、今見たNHK hi「ワールド・プレミアム・ライブ ワールド・ロック・ライブ -デヴィッド・ギルモア-」である。2006年5月のロンドン公演である。ハイビジョンによるギルモアの公演は初めて見たので感激!

毎週金曜日の昼に、NHKから「BSファン倶楽部 “MYメルマガ”」なるメールが来る。そしてこれを昼食を食べながら毎週読む。ところが、今日は「-デヴィッド・ギルモア-[BShi]5/9(金) 後8:00-9:30 ピンク・フロイドの中心人物、デヴィッド・ギルモアの2006年ロンドン公演。ピンク・フロイドの数々の名曲も演奏。デヴィッド・ボウイほか同世代の大物ゲストも登場。」という記事に、目は釘付け・・・・。(NHKのHPはここ
さっそく、昔のPINK FLOYD仲間にメールを打ったら、ちょうどメールを見ていたらしく、直ぐに「全くノーマークでした。今日は残業せずに真っ直ぐ帰って録画します」という返事・・・。自分も同じく早く帰らねば・・・・、という訳で、1時間半ゆっくりギルモアの演奏を聞いた。
中で、「SHINE ON YOU CRAZY DIAMOND」も良かったが「HIGH HOPES」が印象に残った。

<デヴィッド・ギルモア「HIGH HOPES(運命の鐘)」>08/5/9NHK hiから

<デヴィッド・ギルモア「HIGH HOPES(運命の鐘)」mp3>

この曲は、1996年発売の「対」というアルバムに入っていた曲。今日の演奏は、ギルモアだけでなくリチャード・ライトもいつものようにキーボードを演奏していた。あとドラムスのメイスンが参加していたら良かったのに・・・、と思った。もっともメイスンまで参加したら、まさにPINK FLOYDの公演になってしまうが・・・・

ギルモアは1946年生まれというからまさに自分と同年代。昨年の公演なので、還暦公演だな。腹がポッコリは仕方が無いが、その演奏たるやトシを感じさせない。
PINK FLOYDの復活や日本公演は夢としても、今後もまだまだ元気に活躍して欲しいもの。しかしPINK FLOYDの断片をハイビジョンで見られることが素晴らしい。
(イギリスは公演のデジカメ撮影はOKなのかな? TV画面に皆がデジカメで写している所が何度も出てきたので気になった)
<蛇足:来世にまた人間として生まれて来たら、ぜひドラムスをやってみたいな・・・・・・>

(関係記事)
ギルモア(PINK FLOYD)のDVD「覇響」が出た
Pink Floydと喜多郎のドラマー
PINK FLOYDのDVD「pulse」が出るぞ

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2008年5月 8日 (木)

吉田兼好の「独身礼賛論」~徒然草より

今日は、久しぶりに人身事故で電車が遅れた。よって電車で一眠りした後で、まだ最後まで読み終わっていなかった「徒然草」を最後まで読み終える事が出来た。徒然草については前にも書いたが(ここ)、今日読んだ中で「独身礼賛論」があり、面白く読んだ。曰く・・・(現代語訳「徒然草」(角川ソフィア文庫)~ビギナーズ・クラシックス)P232より)

「『妻(め)といふものこそ』~「徒然草 第190段」

妻というものは、男の持ってはいけないものである。「いつまでも独身でいる」などと聞くと、その男性の人柄に深みが感じられる。

だから、「どこそこの婿に入った」とか、また、「これこれの女を家に入れて同居している」などと聞くと、心底、幻滅を感じさせられてしまう。どうせ、たいしたこともない女を最高だと舞い上がって、夫婦となったに違いないと、男の態度が安っぽく想像されてくる。反対に、いい女ならば、かわいがって自分の守り本尊のようにたいせつに世話しているのだろう。たとえてみれば、そんな程度だろうと思われてくるはずだ。

これらにもまして、家庭をきちんと切り回す女はじつにつまらない。子供なんか出来て、愛情を込めて育てている姿にはうんざりさせられる。さらに、夫の死後、尼になって年をとるさまは、夫の生前中はもちろん死後までもひどいものだという気がする。

どんな女だろうとも朝晩いっしょに顔を突き合わせていたら、気に入らない点が出てきて、いやになってくる。それは、女にとっても家庭内離婚のように、中途半端な状態になるだろう。

要するに、互いに離れて暮らしているままで、ときどき女を訪ねて泊まるような形にすれば、長年たっても二人の仲は切れることがないだろう。不意に訪れていっしょに寝泊まりなんかすれば、二人とも新鮮な気分を味わえること間違いなしである。」

連休は、二人の息子共が帰省してきて、家の中が狭くて参った。決して吉田兼好のように「独身主義」では無いのだろうが、まるっきり女気が無いのも気になる・・・・?

しかし息子が帰省して家に居られると、何でこうもうっとうしいのだろう・・・。だから昨日、下の息子が九州に帰ってホットした。

P10206711 そのせいか、ウチのメイ子(愛犬)が発病してしまった。(ウチのメイ子は“下の息子が、い・の・ち!”なので、気が疲れたのだろう。もっとも先日、家の外装と屋根のペンキ塗り工事をしたので、その気疲れもあったらしいが・・・)

P10206631 ちょうど実家の父親(ビアン・パパ)が膵炎で入院中(ここ)なので、 “付き合って”同じ病気になったのでは?・・・と心配したが、かかりつけの獣医さんの所に行ったら、急性腸炎だとか・・・。点滴をしてもらって、ひと段落? 食い気だけは他に引けをとらないメイ子だが、昨日から食事を採っていない。何とか早く食欲が出てくると良いのだが・・・・。(写真は精気のないメイ子)

話がぜんぜん違う方へ行ってしまったが、今日の「徒然草」は、我が家とは全く関係ないことだけは確かだ。(じゃあ、何でおもしろがる??)

(関連記事)

吉田兼好のblog=「徒然草」74段から・・・

吉田兼好のいう「友とするにわろきもの」

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2008年5月 6日 (火)

チェウニと西島三重子の「池上線」

昭和51年(1976年)に西島三重子が歌った「池上線」という歌がある。それを2003年に韓国出身の歌手、チェウニがカバーしてヒットした。
これがなかなかしみじみとしていて良い。

<チェウニ「池上線」>

「池上線」
  作詞:佐藤順英
  作曲:西島三重子

1)古い電車のドアのそば
 二人は黙って立っていた
 話す言葉を捜しながら
 すきま風に震えて
 いくつ駅を過ぎたのか
 忘れてあなたに聞いたのに
 じっと私を見つめながら
 ごめんねなんて言ったわ
 泣いてはダメだと胸にきかせて
 白いハンカチを握りしめたの
 池上線が走る町に
 あなたは二度と来ないのね
 池上線に揺られながら
 今日も帰る私なの

2)終電時刻を確かめて
 あなたは私と駅を出た
 角のフルーツショップだけが
 灯りともす夜更けに
 商店街を通り抜け
 踏切り渡ったときだわね
 待っていますとつぶやいたら
 突然抱いてくれたわ
 あとからあとから涙あふれて
 うしろ姿さえ見えなかったの
 池上線が走る町に
 あなたは二度と来ないのね
 池上線に揺られながら
 今日も帰る私なの

Image03841 チェウニは、韓国の大歌手(いわゆる美空ひばり)である「李美子(イミジャ)」を母に持ち、韓国では常に「李美子の娘」と評価されるのがイヤで、日本でゼロからスタートしたという。しかし、この歌の情感は素晴らしい。
またこの歌詞が良い。前にも書いたが、自分はほとんど歌詞を気にせず、旋律だけを聞くのだが、この歌詞は心に滲みる。

オリジナルの西島三重子の歌も聞いてみよう。

<西島三重子「池上線」~1976年盤>

080506nisijima 西島三重子には再録音のニューバージョンがあるが(ここ)、自分はどちらかというとチェウニのが好きだな・・・。チェウニにも別の録音もあるが・・・

独身時代、オープンデッキをタイマーで動かして、NHK-FMの昼に放送されていた歌謡曲番組を録音し、それから気に入った曲を集めていた。長いブランクの後、MD時代になってからも集めた。その中で見つけたのが、この西島三重子の「池上線」だった。
ランダムに録音しておいて、だいぶん曲を集めたが、最近はトンと良い曲が見付からない。もう悟りの境地?に達したらしい。
しかしこの歌は、カバーで昔の曲が見事に生き返った良い例ではある。

(関連記事)
西島三重子の「池上線」の駅は「池上駅」~話は事実

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2008年5月 5日 (月)

「もう一度聞きたい あの人の言葉」ベスト20~NHK「その時歴史が動いた」

今日は1年前のTV番組の話である。
連休になって、やっと前に録りためた番組を見ている。ほとんど100%がNHKの番組であるが、その中で「その時歴史が動いた」という番組がある。これは内容が重たいので、日常ではなかなか見る気力が出ず、DVDレコーダーに溜まってしまう。それで今日“頑張って”一番古い録画番組を見たのだが、これがなかなか面白かった。
「その時歴史が動いた~もう一度聞きたい あの人の言葉」というスペシャル番組で、今までの放送で紹介した偉人達の「言葉」を、視聴者2万人の投票で選んだものという。これらの言葉が、なかなか含蓄があり面白い。
・・・と思ったら、何と1年前の07/3/28の放送だった。今頃感激しているとは・・・・! でも歴史の偉人の言葉は色あせない・・・・・。

<「もう一度聞きたい あの人の言葉」ベスト20>
   ~NHK「その時歴史が動いた」(07/3/28)より
高杉晋作「おもしろきこともなき世を おもしろく…」~『高杉晋作』(奈良本辰也著)より
諸葛孔明「学問は静から 才能は学から生まれる 学ぶことで才能は開花する 志がなければ学問の完成はない」 ~孔明が子孫に残した家訓『誡子書』より
山本五十六「百年兵を養うはただ平和を守るためである」~『戦史叢書 ハワイ作戦』より
坂本龍馬「日本を今一度せんたくいたし申候」~『文久3年(1863年)6月龍馬の姉への手紙』より
大和の海軍士官「日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」~元乗組員による大和沖縄特攻を描いた手記『戦艦大和の最期』より
織田信長「是非に及ばず」~『信長公記』より
杉原千畝「私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった 大したことをしたわけではない 当然のことをしただけです」~『六千人の命のビザ』 より(ユダヤ人をビザ発給で救った元リトアニア領事)
石田三成「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」~辞世の歌
武田信玄「上杉謙信とは和議を結ぶように謙信は男らしい武将であるから 頼ってゆけば若いお前を苦しめるような行いはすまい 私は最後まで謙信に頼るとは言い出せなかった お前は必ず謙信を頼りとするがよい 上杉謙信はそのように評価してよい男である」~『甲陽軍鑑』より
白洲次郎「われわれは戦争に負けたのであって 奴隷になったわけではない」~『占領秘話を知り過ぎた男の回想』より(戦後吉田首相の側近としてGHQとの窓口として活躍)
上杉鷹山「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」~『なせばなる文書』(米沢市上杉博物館蔵)より
近藤勇「孤軍たすけ絶えて俘囚(ふしゅう)となる   顧みて君恩(くんおん)をおもえば涙更に流る 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所 快く受けん電光三尺の剣 只将(ただまさ)に一死君恩に報いん」~辞世の詩
柳生宗矩「こうしようと一筋に思う心こそ人が誰しも抱える病である この病を必ず治そうというこだわりもまた病である 自然体でいること それが剣の道にかなう本当にこの病を治すということなのである」~『兵法家伝書』より
劉備「大事をなすにはなによりも人をもって本(もと)となす 今 自分をしたってきてくれている人々をむざむざと見捨てて行けるか」~『正史三国志』より
黒田官兵衛「我 人に媚びず 富貴(ふうき)を望まず」~『黒田家譜』より
藤堂高虎「寝室を出るときから今日は死ぬ番であると心に決めなさい その覚悟があればものに動ずることがない」~藤堂家の家訓『遺書録』より
中岡慎太郎「志とは 目先の貴賤で動かされるようなものではない 今 賤しいと思えるものが明日は貴いかもしれない 君子となるか小人となるかは家柄の中にはない 君 自らの中にあるのだ」~北川竹次郎宛手紙より
徳川家康「三河武士は宝を持ちません しかし あえて宝といえば 私に命を預けてくれる五百騎の武士(もののふ)たちでありましょう」~『寛元聞書』より
吉田松陰「死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業(たいぎょう)の見込みあらばいつでも生くべし」~晋作宛の手紙より
天草四郎「いま籠城している者たちは来世まで友になる」~『四郎法度書』より

これらの詳細はNHKのサイト(ここ)に詳しいが、それぞれの人の生き様と照らし合わせながら聞くと、これらの言葉は説得力がある。
しかし「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」という有名な言葉が、米沢藩の財政復活を果たした上杉鷹山の言葉とは知らなかった・・・・・(トホホ・・)

ところで、自分も知らず知らずのうちに、このblogで「言葉」を幾多、発しているわけであるが、この中に後世に残る言葉があるとは到底思えない。それは「人生」が伴っていないからなのだろう・・・。反省しても、もう遅い・・・・

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2008年5月 4日 (日)

伊達公子の現役復帰と北京五輪水着の理不尽

今日(08/5/4)のスポーツニュースは、テニス伊達公子の現役復帰の「カンガルー杯国際女子オープン(岐阜市)」で、シングルス準優勝、ダブルスで優勝という快挙に大騒ぎ・・・・。

26歳で現役を引退し、37歳で11年半ぶりの現役復帰。スポーツ選手としてはまったく考えられない復帰である。そして、この結果・・・。ニュースによると、(元コーチの話では)伊達の強さの秘訣は体のバランスの良さだという。それに引退後、フルマラソンへの参加や子供にテニスを教えるなどで、体を動かすと同時に精神的にも成長し、強くなったという。
そして復帰を決意してからの毎日の日課は、AMに15Kmのランニング、PMはテニスの実戦・・・。この優勝は偶然ではない・・・・。

この“個人の努力の快挙”という話題に引き換え、先に報じられていた“水着を自由に選ばせて”という話題は、その理不尽さに目を覆いたくなる・・・。
先日の朝日新聞(08/5/2 P16)のコラム「自由自在」にこうある。

「『水着を自由に選ばせて』『水着を改良して』 北京五輪で5個のメダルを目指す競泳の日本代表から、そんな要望が強く出ている。4月下旬の代表合宿で選手たちが世界新を連発する英スピード社製水着を試し、『体が浮く』『今までの水着と違う』と感じたという。だが日本水連はアシックス、デサント、ミズノの3社と契約しているため、現時点では『スピード社製を着ることはできない』との立場だ。・・・・
・・・体を締め付けて体積を小さくするため、水の抵抗も抑えられるという。飛び込んで15メートルまでまっすぐ伸びるだけでも、タイムを1秒近く縮める選手がいた。・・・・・
あるコーチは言う。『決勝に進んで、ほかの7人がスピード社製だったら、どうなるか』。水泳人生をかけた五輪のスタート台で、絶望感を感じるだろう。・・・・・」

なんとも、この議論は絶望的だ。世界中の選手が同じ土俵に乗ってこそ、真の勝負。それを、日本水連の商業ベースでの契約から、既に日本選手が世界水準から出遅れる・・・。
確かに水連としてはスポンサーは必要なのだろう。しかし、それは差の出ない水着が前提。
日本水連は、日本選手の好成績を目指す組織であろう。それがメーカとの契約で、他国の選手よりも成績が悪くなるのが分かっている水着を着ろと、命令する。
一方、日本の水着メーカは、他社製より自社製が劣っている事が分かっていながら、日本代表選手に契約を根拠に自社製を着させて、竹やり戦法で討ち死にする・・・・・。これをどう考えているのだろう。水連はその“討ち死”に対して、どう責任を取るのだろう。

オリンピックは、結果は全て個人の成績である。北島戦団にしても然り。その黒子であるべきバックアップ部隊が、その足を引っ張るこの構図・・・。何とも涙が出る。
まだ時間がある。このコラムの結語「五輪まで100日もない。日本水連もメーカ側も決断の時を迎えている」をぜひ期待したいものだ。

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2008年5月 3日 (土)

ブログ支援サービス・ベスト10

先日の日経に(08/4/28夕刊P5)、「ブログ制作支援 ライブドア首位、後発組も台頭」というコラムがあった。当blogはベスト10が好きなので少し触れてみる。曰く・・・

「・・・ネット調査会社のネットレイティングス(東京・渋谷)によると、2008年3月の国内のブログ制作支援サービスの利用・閲覧者数トップはライブドアの「ライブドアブログ」だった。・・・伸び悩むライブドアなどを尻目に利用者数を伸ばしているのが2位の「アメーバブログ(アメブロ)」と3位の「ヤフー!ブログ」だ。アメブロはタレントや有名人の公式ブログを多数提供し、集客増につながった。」とある。
そしてベストテンは、・・・

<ブログ支援サービス ベスト10>
①ライブドアブログ 1,285万人(対前年同月比 101.0%)
②アメーバブログ  1,113万人(同 129.0%)
③ヤフー!ブログ  1,091万人(同 134.3%)
④ココログ       950万人(同 111.7%)
⑤gooブログ     834万人(同 100.2%)
⑥エキサイトブログ  791万人(同 109.7%)
⑦はてなダイアリー  769万人(同  99.1%)
⑧楽天ブログ     746万人(同  87.6%)
⑨ジュゲム      741万人(同  95.5%)
⑩ヤプロク!     641万人(同 106.2%)

これを見ると、いかに世の中が広いかが分かる・・・・。
と言うのは、自分が知らないサービスサイトがいかに多いことか・・。アメーバ・・・なんて初めて聞いた。でもこの多さ・・・。

当blogを始めてからもう2年になる。実は何も分からないでスタートした。自分のメールがたまたまniftyだったので、選ぶ間もなくcocolog・・・・。しかしこのトシになると、他のサービスと比較して云々することも面倒だし、別のルールを覚えるのも面倒・・・。まあこれでいぃや・・・

先日新聞で見たら、「blogを書く目的の1番目は、自分のための備忘録だ」と書いてあった。自分もまさにそれだな・・・・。誰がどう見ているかなどトンと気にせず、勝手気ままに書いている。
しかし、その備忘録も記事が多くなるとワケが分からなくなる。それで先日本にした。(参考blogはここ
これを田舎のお袋に持って行ったら、意外と喜んで読んでいた。色々と心当たりがある話題があるのと、息子だからといっても分からなかった部分が分かった・・・と言う。

それに近況が分かる利点もあるな。今、当家のメイ子(愛犬)の実家のblogを見たら、メイ子の父親のビアン君が入院した、とある(ここ)。心配だな・・・。この推移を見守るのもblogならでは・・・・・

いつの間にか当blogの話になってしまった。blogの健全な発展を祈る・・・!?(ビアン君の入院で、どうも心が動揺しているな・・)

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2008年5月 2日 (金)

北京旅行の斜め見物記(5)~北京の交通事情など諸々

08/4/25~4/29まで北京に行ってきたが、これはそれを斜め?から見た見物記である。

<北京の交通事情>
P10205521 中国の道路の広いこと・・・・。実際に車が走るのが2車線でも道路幅は5車線位ある・・? これは土地が国有のため、計画的に道路を作る事が出来るから?
北京に着いて、ガイドさんにまず言われたのが「中国は右側通行だが、右折はいつでも出来る。乱暴だと思うだろうがルールで許されている」ということ。それに「交通ルールよりも“力”だ・・・」。だから右折の車と歩行者のせめぎ合いの猛烈なこと。人が横断歩道を渡っている中へも、右折車が「どけ!」とばかりに進む。歩行者も集団で車を取り囲んで止めてしまう。だから車の鼻先と人との間は常に数センチ。でも意外とぶつからない。まさに、人も車も「そこのけそこのけ・・・」。それに、赤信号だろうが「皆で渡れば怖くない」を地で行っている。自分達もそれに慣れて、皆が渡る時に一緒に付いて行くことにした。

タクシーは非常に便利だった。初乗りが10元(150円)。メーターなので安心。言葉はなかなか通じなくても、ホテルから出発する時は、ホテルマンに予め地図と行きたい場所を言うと、タクシーの運転手に行き場所をちゃんと指示してくれるのでありがたい。それにタクシーを道ばたで手軽に拾えるので、運転手にガイドブックの写真や地図を示して、何とか目的の場所に行ける。

しかし、車の台数を減らそうと、国は地下鉄・バスの利用を進めており、地下鉄は何と定額で2元(30円)。これは安い。何度か乗ったが、何せ路線が少ないのが弱点。

<JTB事情>
自分達はJTBファンではあるが、ツアーで土産物屋に行くのは何とかならないものか・・・。一緒の人たちもそれは諦めており、粛々と従う・・・・。しかし、一日中歩き通しで疲れているのに、夕方5:30~6:10までの土産物屋巡りには参る。早くホテルに帰りたいのに「我々の真珠は・・・」というたどたどしい日本語の説明を聞かされる。仕方なく、黙って聞いていると、「何色に見えますか?ハイその人!」と聞いてくる。これは説明のテクニックとして訓練されているのだろうが、聞かされるほうはツライ。誰も買わず、相手にしない。結局、隅のテーブルで、ガイドも一緒に、皆で6:10になるのを待ち、やっと帰れた。しかし、出口を巧みに隠し、出口を探して客がウロウロするサマは、資本主義の国と同じだな・・・と思った。

それにどの国でも同じだが、ツアーのガイドがマッサージ屋へ誘う。疲れたので自分が知っている所へ紹介しよう・・・と。たまたま前日に90分の足のマッサージに行ったので、相場が分かった。定価168元(2700円)のを250元(4000円)と言っていた。
それにガイドが配る「カタログショッピング」。バスに乗ると、ガイドがお土産のチラシを配って注文を取る例のものだが、これも相場が分かった。昼食で止まっていたバスに女の子が「シルクバック」を売りに来てカミさんが買ったのが一つ10元(一般の店でも10元で売っていた)。それを5個で100元。ちょうど2倍だ。菓子などは提携しているので安いと言っていたが、どうだろう?

<北京旅行で感じたこと色々・・>
北京の警備はスゴイ。空港だけでなく、何処に行っても警官だらけ。北京飯店近くの歩行者天国に、夜も繰り出したが、歩いていると直ぐに警官に出会う。本屋に入っても、ショッピングモールにP10202091入っても、入り口には必ず警官や警備の人が居て、入ってくる通行人を監視?している。だから、我々観光客にとってみるとかえって安全? 道を尋ねる人も居り、国によって監視されていると思うより、我々の身の安全を監視してくれている・・・と思ったほうが楽か?
それに、だんだんと北京オリンピックが近くなりムードも盛り上がる。ビールにもオリンピックのマーク・・・。
P10205781 とにかく、何から何まで“デカイ”中国だが、その中国の“おおらかさ”を感じたのが、書店での立ち読み。これが「立ち読み」ではなくて「座り読み」なのだ。たくさんの人が、通路に座って堂々と本に読みふけっている。店員も意に介さない。日本では考えられないが・・・・。

それと、中国で日本語を話す人の多いこと・・。日本では、英語は話しても中国語を話せる人は少ない。いくら店員で必要があっても、中国語を話せる人がどの位いるか・・・。それが中国では、例のJTBがツアーで寄る土産物屋でも、全員が日本語を話す。その熱心なこと・・・。(もっとも、北京飯店では日本語は一切通じなかったが・・・)
しかし、中国での中心は英語。私立の学校では、授業は英語で行い、英語漬けにするそうだ。

中国でのモラルは今ひとつか・・・・? 市中に意外と公衆トイレがあるのにはビックリしたが、中がいただけない。一度、緊急避難で公衆トイレに入ったが、4つある個室のうち、使えるのは一つだけ。残りは故障中で使用禁。残った一つもドアのカギが壊されていて無い・・・。公衆のものを大切にしないのは日本以上のような気がした。

円から元への交換レート。元は中国で変えたほうが良いと聞き、北京飯店の24H自動交換機で両替。交換レートは15.5円だったが、まあまあか。でも小額のコインまで出てくる律儀な交換機に感動。

ガイドさんが、「北京の空は青くない。でもオリンピックの時は、7月20日頃から操業停止となるので青空が戻るはず」と言っていたが、それは本当かも・・? と言うのは、日曜は空が青かったのだ・・・。でも平日になると、やはり青空は無くなった・・・

まあ、今回2回目(昨年の5月は上海)の中国旅行だったが、まずはオリンピックの無事な成功を祈り、来年はまたカミさんに付き合って、中国のどこかに行く事になりそう・・・。
しかし、カミさんの中国語には助けられた。食事も朝食以外は全部自前。ガイドブックやblogのコピーを片手に、評判レストランに突入・・・。それでも何とかなったのは、カミさんの度胸と同時に、中国語を話す“CASIOの電子辞書”のおかげか・・・。
詳細は下記のblogをどうぞ・・・

(参考blog)
エムズのひとり言「北京の料理とお助けグッズ」

(関連記事)
北京旅行の斜め見物記(1)~万里の長城・北京飯店・・

北京旅行の斜め見物記(2)~天壇公園・頤和園

北京旅行の斜め見物記(3)~天安門広場・故宮博物院

北京旅行の斜め見物記(4)~胡同めぐり・宋慶齢故居・東郊市場

(memo)
08/4/25 地下鉄「建国門」ニューオータニJTB→タクシーで建外SOHO 夕食「皇城老媽」で→「ドラゴンフライ」で全身マッサージ

08/4/26 「十三陵」→「神路」→「八達嶺万里の長城」→夕食 建国門「呉越水郷」→「東方大班」で足マッサージ(11.4km)

08/4/27 「天壇公園」→「天安門広場」→「故宮博物院」→「頤和園」→夕食「四川飯店」(18.8km)

08/4/28 「胡同めぐり~宋慶齢故居」→地下鉄「大望路」新光天地で飲茶→「東郊市場」→夕食 銀錠橋で創作中華(13.1km)

08/4/29 散歩「菖蒲河公園」→「天安門」→帰国(7.8km)

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北京旅行の斜め見物記(4)~胡同めぐり・宋慶齢故居・東郊市場

08/4/28にJTBの「北京市内半日観光(三輪車での胡同(フートン)めぐり」に行った。これは、それを斜め?から見た見物記である。

<胡同(フートン)めぐり>
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前に「胡同(フートン)の理髪師」という映画を見たので、それと同じと思って楽しみにしていたが、ほんの片鱗だった。行った所は、いわゆる胡同のモデル地区で、歴史遺産としてもう壊さない地域なのだという。
一般家庭を訪問。ガイドさんと一緒におばあさんからお茶の接待を受ける。もう74才で、現役時代は車の運転をしていたという。子供は4人でそばに住んでいるという。このおばあさんとの話が面白かった。色々と質問して・・・・。
本当に小さな質素な部屋だが、ドイツ製の暖房機や、クーラーも完備。設備には(借家なので)国の補助金が出る。家は国からの借家だが、家賃は月に50元(800円弱)だという。土地は全部国のものだが、地代という概念は無く、自分で国から土地を借りて家を立てた場合にも、土地代はタダらしい。
犬を飼っていたが、犬を飼うときは国に1000元(16千円弱)を払い、毎年500元を治めるという。家賃よりも、ペットを飼うほうがよっぽど高い・・・。
借家なので、当然家の修理は国。それに子供に代々受け継いで行けるという。場所が良いので交通も便利。それに開発で出て行かされる胡同が多いなか、この地域は運が良かった・・・と言っていた。
なかなか面白かったが、このツアーは料金が高い。現地払いで一人360元(5600円)。タクシーの初乗りが10元なので、いかにも高い。2時間半で帰って来た。

<宋慶齢故居>
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宋慶齢とは孫文の妻だという。日本で撮ったらしい写真は今でも健在。この邸宅はかなり広く、あのラストエンペラーの溥儀もここで生まれたという。そして宋慶齢の居室は、まさにワンルームマンション。ベッドから事務机、TVからソファーまで一室に何でも揃っており、トシなのであまり動かなくて済むようにしたらしい。

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そして展示品もおもしろい。左は毛沢東から宋慶齢宛ての自筆の手紙、右は周恩来からの自筆の手紙だという。あまり達筆なので良く分からないが・・・

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そして大発見なのが、展示されていた真空管のラジオ。まさに自分が中学の頃に作ったラジオそのものである。実に懐かしかった。バーニアダイアル、プラグインコイル、バリコン・・・・。自分も子供の頃に、胸を躍らせてこのラジオを作った。そしてコイルを取り替えては、海外の短波放送の日本語放送を聞いた・・・・。(今回の旅行での最大の出会いだな・・・)

<東郊市場>
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08/4/28午後、地下鉄「大望路」駅から歩いて「東郊市場」に行った。カミさんが「何か雑貨があるのでは?」と言うので行ってみたが、当て外れ・・・
しかし、雑多な店の活気のあること・・・・。店の雑踏の向こうに高層ビル群。何か違和感・・・。(以下続く)

(関連記事)
北京旅行の斜め見物記(1)~万里の長城・北京飯店・・

北京旅行の斜め見物記(2)~天壇公園・頤和園

北京旅行の斜め見物記(3)~天安門広場・故宮博物院

北京旅行の斜め見物記(5)~北京の交通事情など諸々

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2008年5月 1日 (木)

北京旅行の斜め見物記(3)~天安門広場・故宮博物院

08/4/27に北京の天安門広場や故宮博物院に行った。これは、それを斜め?から見た見物記である。

<天安門広場>
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天安門広場はとにかく広い。南北880m、東西500mという。天安門の毛沢東と、広場の相対する所に孫文の巨大写真。広場のメンテも大変なようで、広場にこびりついたガムを、椅子に座った人が取っていた。

P10203041 P10203101 P10202991
天安門広場とは自由に入れる所かと思っていたら、その警備たるやスゴイ。広い道路側からは安全のためもあるのだろうが柵。そして広場に入るところには警備の人が見張っている。当然、広場の中も警察・軍隊?の人がそこかしこに・・・。
そしてこの広場に、イベント時には100万人の人が集まるという。その規模は、まったく想像ができない。そして100万人も集まると、問題はトイレ。右の写真で、一つ置きにあるのが女性用、長い連続の蓋のあるのが男性用で、この下に下水道が流れており、このマンホールの上に仮設トイレを設置するのだとか。周囲に沢山のマンホールがあったが、当日はさぞ大変な事態になるのだろ。何せ、中国は列に並ぶという習慣が無く、「力」の世界なので・・・・

<故宮博物院>
P10203661 P10203231 P10203291 P10203311 P10203351 P10203441
天気も快晴、風も無く暖かくて最高・・・。しかし日曜のためか結構人が多い。写真や映画「ラストエンペラー」で見た光景が眼下に・・・。でも残念ながらいたる所で工事・・・・。玉座が見られるかと思ったが、これも工事で近付けず、残念。しかしスケールは大きい。

P10203511 P10203411 P10203581
台湾の故宮博物院にも行ったが、(今回の見学ルートにもよるのだろうが)台湾の宝物の多さに比べて、何と少ないことか。右の写真の「三連印」は、ひとつの石から掘り出したもので、ここで一番の宝だと言っていた。監視員は居るものの、展示品のケースは非常に雑でスキマがあり、赤外線センサーは付いているものの、泥棒の危険もあるとか・・・

P10203631 帰りがけに、ラストエンペラーで見た通路を見かけた。確かこの上に板を渡して人が渡る場面があったっけ・・・。

ともあれ、明・清王朝の24人の皇帝が500年にわたって居住した紫禁城。そのスケールの大きさは、さすが大中国を彷彿とさせた。
(以下続く)

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北京旅行の斜め見物記(5)~北京の交通事情など諸々

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北京旅行の斜め見物記(2)~天壇公園・頤和園

08/4/27に北京の天壇公園や頤和園(いわえん)に行った。これは、それを斜め?から見た見物記である。

<天壇公園>
P10202671 P10202601 P10202821
この真ん中の写真。有名な祈年殿だが、どうも屋根の傾斜が気になった。歪んで見える。一番下の屋根の正面が、下に落ちていて、見えないはずの瓦が見えている。これはそのようなデザインなのだろうか?怖くてガイドさんに聞けなかったが・・・・

P10202441 P10202451 P10202911
そしてビックリしたのは、朝8:30開門のはずで、その直後に入ったのに、園内は人がいっぱい。日曜日のせいか?大勢でダンスをする人、リボンを振る人、そして水で道に文字を書く人・・・・

P10202491 P10202511
なかでも、渡り廊下?には老人がいっぱい。そして皆トランプやマージャンに没頭している。ガイドさんに「皆、知り合い同士なのか?」と聞くと、知らない同士だそうだ。そして、これはゲームをして遊んでいるのではなく、賭けだという。車椅子に座っても賭けに興じる人々。やはり最後の精算の時には、皆“角(=喧嘩)”が出るそうだ。
この天壇公園が、あまりに「市民の憩いの場」になっているので「老人達は無料か?」と聞くと、70歳以上は無料だが、皆30~50元で定期券を買って入るのだそうだ。60歳で定年を迎え、その後はこの様なところで過ごすのが、中国の人の日常のようで、(行く所が無い?)我々団塊の世代にとっては羨ましい??

<頤和園(いわえん)>
P10204131 P10203891 P10203951
楽寿堂は西太后の居室だという。回廊にはおびただしい絵。帰り道は、皆疲れたので遊覧船に乗ったが、船が出る時にガイドが「何かテレビのロケをしている」と言うので振り返ると、白いスーツの品の良い女性タレントさん・・? TVのカメラも・・・
カミさんが言うに、「NHKの有名なキャスターだが、名前が出ない・・・」との事。何かの番組の取材かな?(湖をわたる風が寒いくらい。中国の気温は侮れない。暑いと思ったら急激に寒くなったり・・・。ウィンドブレーカは必須だな)
(以下続く)

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