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2008年4月の23件の記事

2008年4月30日 (水)

北京旅行の斜め見物記(1)~万里の長城・北京飯店・・

08/4/25~4/29まで北京に行ってきた。もっぱらカミさんの中国語の実地研修?だが、斜めから見た見物記を書いてみよう。(まともな見物記は色々あるので・・・・)

<万里の長城>
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08/4/26に万里の長城に行った。前日と打って変わって風も無く晴天で、絶好の登山?日和。向って左手の「男坂」の方が眺めが良いと聞いて、登り始める。どうせ還暦だ、途中までで良いと思っていたら、何とカミさんが裏切りやがって、スタスタと頂上めがけて先に行く。仕P10201821 方が無いので後を付いて行くが、結局頂上まで登らされた。後でデジカメのデータから調べたら、登りは23分かかった。下りは13分ほどか。標準が往復50分とか言っていたので、我々還暦族の往復35分は素晴らしいのでは??
男坂の標高差は200米というが、途中には斜度が75度もあるだろうか(降りる時に、そばで誰かが言っていた)、垂直に近い階段もあり、なかなか登り甲斐があった。しかし降りてきてのキャラメルの美味さ。これで生き返った。万里の長城にはキャラメルが必需品である事が分かった。そして、スタスタと先に登ったカミさんの“実力”に、やはり相当長生きするな・・と思った。

<ANAの飛行機>
ANAのBG787機で行ったが、ジャンボに比べて中型機は両サイド2人席なので良い。TVP10109921 も座席毎に付いているのでありがたいが、この操作器は明らかに設計不良。操作器に少しでも刺激を与えると、メニューに戻ってしまう。ちょっとひじが当たっても、操作をしようと操作器を少し動かしただけでもリセットされてしまう。途中まで進んだ映画を、後からその場面まで早送りをするのは大変。だから帰りは“直立不動”で体を動かさないで見た。
でも、映画は最新版を見る事が出来、帰りも「最高の人生の見つけ方」という日本語吹き替えの映画を見たが、帰ってきて新聞を見たら、5/10ロードショーとある。日本公開前の映画だったわけだ。しかし、くれぐれも操作器は、写真のようにずっと手に持って「空中に浮かして」見る事をおススメする。

<北京空港>
P10206351 北京空港はとにかくデカイ。ほんの1カ月前の3月26日開業のピッカピカ。同じように、先日オープンした英の新ヒースロー空港に比べるとに比べると、実にスムーズ。(先日リニューアルオープンした英ヒースロー空港では、開業日の朝、機内預け荷物を飛行機に分別する係りの人が、従業員駐車場の場所やセキュリティチェックの長蛇の列に慣れていなくて、職場に着けず、人手不足で荷物がベルトコンベアー上にあふれてストップし、乗客は荷物無しで飛行機に乗るか、旅行を諦めるかの選択を迫られたという。そして一日で5000個の荷物が倉庫に溢れ、1万5000個が紛失、あるいは置き去りになり、責任者はクビになったとか・・・)
でもあまりに乗客が少なくヒマなので、ぐっすりと寝ている窓口女性もいた。まあ保険の窓口なので、客が来ないのだろう。でも空港に限らず、トイレでも何でも「ヌシ(トイレ管理人)」が居て、少しでも長居をするとそのヌシがノックする警備の厳しさはスゴイ。

<北京飯店>
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北京飯店に泊まったが、グレードはやはりAかBか・・。設備が古いのは仕方が無いとして、中国の老舗中の老舗ホテルの従業員のモラルには、残念。朝食バイキングのウエイトレスが壁のガラスを鏡に髪を直していたり、部屋の廊下で大きな声で携帯電話をしていたり・・・・。しかも窓の外は、近くに故宮博物館が見えるものの、眼下はホテル建設の突貫工事。夜中までガンガン・・・。
P10204771しかし国家の要人はこのホテルを利用するらしく、何度も要人の出入りに 出くわした。要人が来る時は、入り口からエレベータまで赤絨毯を敷き詰め、ロビーは警護の人でピリピリ・・・。日本でもそうだが、到着前は北京P10204331飯店の前の道は通行止め、もちろん歩行者も止めてお召し車を通す。たまたま当日「日中韓賢人会議」なるものが開かれており、日本の国旗を付けた車があったので、誰が来ていたのだろうと、帰国後調べたら、中曽根さんが来ていたらしい。(ここ 照)
このホテルの空調は良く分からなかった。最初の日は何もしなかったので、一晩中寒く、朝起きたら湿度28%、温度は20度。その後、空調を止めたので?、21度の38%位になったが、乾燥はスゴイ。朝の外は16度、41%だった。(自分はいつもデジタル温湿度計を持ち歩くのだ)
(以下続く)

(関連記事)
北京旅行の斜め見物記(2)~天壇公園・頤和園

北京旅行の斜め見物記(3)~天安門広場・故宮博物院

北京旅行の斜め見物記(4)~胡同めぐり・宋慶齢故居・東郊市場

北京旅行の斜め見物記(5)~北京の交通事情など諸々

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2008年4月24日 (木)

オーケストラ・ランキング2008

レコード芸術」の08年5月号に、「オーケストラ・ランキング2008」なる特集が載っていた。これは、40人の評論家が優れていると思われるオーケストラを10選び、1位から10位まで順番を付け、1位が10点・・・10位が1点で点数を付けてその合計により、総合順位を付けたという。しかし順位が付けられない場合、例えば1位が10団体あれば、全部に10点を与えるという。。(この配点は良いのかな?人によって持ち点が違って来る。1位から10位までちゃんと付けると、持ち点の合計は55点だが、全部が同じだと、それぞれに10点なので合計100点。これは不公平では?)
結果、以下になったという。(当blogはベスト10が大好きなのだ・・)

「レコード芸術 オーケストラ・ランキング2008」
①ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(313点)
②ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(308点)
③ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(285点)
④バイエルン放送交響楽団(193点)
⑤シカゴ交響楽団(146点)
⑥ドレスデン国立管弦楽団(138点)
⑦ロンドン交響楽団(113点)
⑧ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(106点)
⑨ベルリン国立管弦楽団(104点)
⑩パリ管弦楽団(102点)

まあ順当だが、コンセルトヘボウが上位だな・・・・。シャイーのマーラーの5番は良かったが・・・。(自分の頭は相変わらず“アムステルダム・コンセルトヘボウ”。いつ名前が変わったのだ?)
米国のオーケストラが少ないな・・・。ニューヨーク・フィルが11位、クリーブランドが13位、フィラデルフィアが23位、ロス・フィルは26位、ボストン饗に至っては27位だって・・・。かのウィーン交響楽団が1点でラストの61位・・・・。

まあこの評価をどう見るかだが、流行なのだろうか・・・・?
記事にもあるが、かつてはカラヤン=ベルリン・フィル、バーンスタイン=ニューヨーク・フィルといった名コンビがあった。ショルティ=シカゴ饗も・・・
今は分からなくなった。
ちなみに、1993年に30人の評論家が選んだベスト10も載っていた。それによると、

「1993年のオーケストラベスト10」
①ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
②ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
③ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
④シカゴ交響楽団
⑤クリーブランド管弦楽団
⑥モントリオール交響楽団
⑦パリ管弦楽団
⑧18世紀オーケストラ
⑨ドレスデン国立管弦楽団
⑩バイエルン放送交響楽団

だったそうだ。

自分はオーケストラよりも、録音のレーベルに重きを置いた。何度かこのblogにも書いたが、英デッカの録音に惚れて、LPは何でもデッカ録音を買った。ドイツグラモフォンの録音が地味で嫌いだった。
これは夢だが、デッカ録音のカラヤン=ベルリン・フィルが聞けたら面白かっただろうに・・・・

最近はトシのせいか、あまり音にこだわらなくなった。録音のレーベルにもこだわらなくなった。
つまりこれは、自分の右耳が壊れたり、または耳の周波数特性が経年変化で悪くなって、音質の差を認識できなくなったためではないかと思う。
でもブッダも言っているように、「こだわらない」というのが心の平静には良いのである。まあ負け惜しみだが・・・・

*明日からしばらくお休みです。昨年の上海に続いて、今年は北京に行ってきます。帰ったらまたレポートしま~す。

(関連記事)
ショルティ/VPの「タンホイザー」序曲

ジョン・カルショーの録音

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2008年4月23日 (水)

光市母子殺害事件の死刑判決に思う

今日(08/4/23)の新聞各紙の社説は、昨日判決が下った「光市母子殺害事件」について論じている。各紙のタイトルがそのスタンスを表している。

日経「国民の感覚を映した死刑判決
朝日「母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら
毎日「母子殺害死刑判決 厳罰化の流れが強まるが
読売「母子殺害死刑 年齢より罪責を重く見た
産経「母子殺害死刑 常識に沿う妥当な判決だ
東京「母子殺害判決 重い課題が残された

どの社説を読んでも、妥当な判決であり、日経のタイトル通り「国民の感情」を重視したもの・・・との評価である。
前の当blog「映画「それでもボクはやってない」を観て」でも書いたが、「裁判は、被告人が有罪であるか無罪であるかを、集められた証拠でとりあえず判断する場所」とすると、犯行当時、18歳を少ししか過ぎていないから死刑は避けようという発想はおかしい。
前に、フィギュアスケートで浅田真央が参加資格年齢に達していない時、ルールを変えて出場可能に・・・という話題があったが、結果はあっさりダメ。まあ当然だったがこれと同じだ。

また、被害者を愚弄する発言の数々を発した被告に対し、何と全国からの21人の大弁護団が組織されたという。
弁護士は、人権を守るのが仕事ではある。しかし、今回の事実関係そのものを否定する戦術はいかがなものか・・・

日本には一生刑務所から出られない「終身刑」、または「懲役300年・・・」が無い。直ぐに出てくる「無期懲役」と「死刑」との間があまりに大きい事は、昔から指摘されている。今回の事件が、終身刑が良いとは思えないが、死刑を避けるために21人もの大弁護団が組織されるのであれば、そのエネルギーを「終身刑」新設の活動に使ったらどうなのだろう。
自分は、ハンムラビ法典ではないが「目には目を」が当然のような気がする。今回のような凶悪非道な事件では、一人殺しても死刑に・・・というのが国民感情ではないだろうか。

自分が最も納得した「日経の社説」を参考に・・・
「社説2 国民の感覚を映した死刑判決(4/23)
 無期懲役では刑が「甚だしく不当に」軽いとして最高裁が審理のやり直しを命じた光市母子殺害事件で、広島高裁は死刑判決を言い渡した。
 裁判で事実認定された犯行のありさまは、まったく非道、残忍極まる。にもかかわらず、差し戻し前の1、2審とも死刑を避けたのは、被告人が犯行当時18歳になったばかりだったのを重視したからだ。
 少年法は、少年は大人に比べて更生の可能性が大きいと考え、18歳未満の者には死刑を科さないと定めている。この条文の趣旨を酌んで裁判所は18歳以上であっても未成年者を死刑にするのには極めて慎重である。最高裁が1983年の判例で示した「死刑選択の許される基準」でも「犯人の年齢」は考慮すべき要素の1つになっている。
 昨年報告書が出た、司法研修所による「量刑に関する国民と裁判官の意識についての研究」に次のようなアンケート結果があった。
 被告人が未成年者だったら刑を重くすべきか軽くすべきか、を尋ねたところ、一般国民の回答者はほぼ半数が「どちらでもない」を選び、裁判官の常識とは逆の「重くする」「やや重くする」が合わせて25%あった。裁判官で重くする方向の回答はゼロ。「軽くする」「やや軽くする」が計91%である。
 また殺人事件の判決を一般国民はどうみているかを調べると「重い」は3%「妥当」は17%しかなく、「軽い」が80%に達した。
 光市事件のような未成年者が犯した殺人では裁判官と一般国民の考える「適正な処罰」に相当大きな差がある、と推測できる調査結果だ。
 死刑は憲法が禁止する「残虐な刑罰」にはあたらない、との判断を初めて下した48年の最高裁大法廷判決には「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる」との補足意見がついている。
 これを敷衍(ふえん)すれば、死刑適用を判断するには、裁判官は専門家の「量刑の適正感」でなく、国民の「何が適正な刑罰か」の感覚をくむべき、といえよう。さらに刑罰全般についても専門家の「適正感」が妥当か一般国民の感覚と常に照らし合わせる必要がある。裁判員制度を始める理由の1つがそこにある。 」

(関連記事)
「光市母子殺害事件」~門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか」を読んで

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2008年4月22日 (火)

シューベルトの「あふるる涙」

日本人の自分が、(第九を除くと)唯一ドイツ語で(少しだけ)歌える歌が、シューベルトの「あふるる涙」である。言うまでもなく、歌曲集「冬の旅」の第6曲である。(訳によっては「水が溢れる」「洪水」「あふれる涙」「雪どけの水流」とか、色々な曲名になる)

先日、カミさんとスーパーの食料品コーナーを回りながらこの歌を口ずさんでいたら、「誰がウナっているのかと思った・・・」とカミさん・・・。(自分はドイツ語の歌を歌っているのに・・・・)
しかも「どんな内容の歌なの?」と聞きやがる・・・。「それは・・・???」(即答できるわけが無い)
とにかく聞いてみようか。ヘルマン・プライの歌である。

シューベルト「あふるる涙」~ヘルマン・プライ

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「あふるる涙」

溢れ湧く涙が私の眼から
雪の上にしたたり落ちる
つめたい雪片が、むさぼるように
熱い悲しみを飲みこんでゆく

若草がもえ出ようとする頃には
なま温かい春風が吹きわたり
氷はわれて小さなかけらとなり
淡雪は消えてしまうだろう

雪よ、お前は私の願いを知っていよう
とけて流れて、一体どこへ行くのだ
私の涙に従って行くなら
まもなく小川に行きつくだろう

小川とともに町なかを流れて
にぎやかな通りを出入りするときに
私の涙が熱くたぎるのを感じたなら
そこに私の恋人の家があるのだ

思い出すと、この歌に凝ったのは、新入社員の頃だった。この歌を聞くと、会社の独身寮で、なぜか洗濯をする場面を思い出す。(どの歌も何かの場面を思い出すが、この歌は「洗濯」である)
フィッシャーディスカウのLPを買って、そして楽譜も買い込んで良く聞いた。そして覚えようとした・・・。

話は変わるが、世界3大テノールの一人として有名だったパバロッティが2006年のトリノ冬季オリンピックの開会式で歌ったものが、何と口パクだったことが明らかになったという。開会式でオーケストラを指揮したレオーネ・マジエラ氏が、最新の著書でバラしたらしい。
日頃思うが、歌手ほど大変な職業は無い。何せ自分の体が楽器なのだ。特にマイクを使わないオペラ歌手はごまかしがきかない。TVに出るような歌手は、昔の歌番組では当然だった口パクが幾らでも出来るが、マイクを使わない歌手では無理だ。体調によって声が出ない場合も有り得る。だからこのパバロッティの場合も、その場合を想定して予め録音しておいたらしい。
本番というのは、誰でも緊張する。スポーツの世界でもその本番に向かって体調を整えて行く。でも幾ら風邪をひかないように・・と注意しても、本番の朝になったら喉が痛くて声が出ない・・・ナンテ有り得る・・・・。

だから、声楽(歌)の世界やスポーツの世界など、自分の体を使う職業は大変だと思う。その点、サラリーマンは、体調不良には都合の良い職業ではあるな・・・。

(関連?記事)
映画「敬愛なるベートーヴェン」を見た

ブラザーズ・フォーの「グリーンフィールズ」と「グリーンスリーブス」

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2008年4月21日 (月)

さだまさしの「空蝉」

さだまさしは、本当に天才だと思う。歌の素晴らしさと共に、あのような哲学的な歌詞を書く才能は何処から来るのか・・・・。小椋佳も中島みゆきも同じだが、いわゆるシンガーソングライターは、誰の助けを借りる事なく、自分で自分だけの世界を作れる・・・。

天才さだまさしには幾らでも名曲があるが、今日は(帰りのバスの中で聞いた)「空蝉」という曲を紹介しよう。これは「夢供養」というアルバムに入っている。

<さだまさし「空蝉」>

「空蝉」
 作詩・作曲:さだまさし

名も知らぬ駅の待合室で
僕の前には年老いた夫婦
足元に力無く寝そべった
仔犬だけを現世(うつせみ)の道連れに
 小さな肩寄せ合って
 古新聞からおむすび
灰の中の埋火おこすように
頼りない互いのぬくもり抱いて
昔ずっと昔熱い恋があって
守り通したふたり

いくつもの物語を過ごして
生きて来た今日迄歩いて来た
二人はやがて来るはずの汽車を
息を凝らしじっと待ちつづけている
 都会へ行った息子がもう
 迎えに来るはずだから
けれど急行が駆け抜けたあと
すまなそうに駅員がこう告げる

もう汽車は来ません
とりあえず今日は来ません
今日の予定は終わりました

哲学者“さだまさし”は、非常に難解な歌詞を書くが、この曲はその中でも分かり易い。でも、この詩をどう解釈するか・・・・
「空蝉」は蝉の抜け殻。この老夫婦を抜け殻と言っているのだろうか?息子を待って「弁当」を持って毎日通う駅・・・。あまりにむごい光景・・・。
この詩を良く読むとぞっとする場面があり得る・・・。都会に行った息子が、不慮の死を遂げ、空蝉(死体)になった「ボク」が霊魂となって故郷に戻ってきた・・・。そして年を取った両親を見ている・・・。
両親は、息子の死を認める事が出来ず、毎日息子が帰ってくるのを待っている・・・・
そして駅員が、「“とりあえず”今日は来ません」と優しい言葉をかける・・・・

団塊の世代の我々も、これから「生老病死」の「老病死」の世代に入って行く。
その状況のなかで、果たしてこの老夫婦を笑い飛ばす事が出来るのだろうか? 

この歌詞の、両親と息子との関係はどうだったのだろう? 自分もそうだったが、息子は特に父親との関係が難しい。なぜなら、人生で“最初の唯一絶対のテキ”は父親だから・・・。(だからウチの息子どもとの関係も、そんなものだろうと達観している)
もし最後の別れが良いものでなかった場合、この老夫婦には何かの後悔があって駅に通っているのかも・・・?
考えれば考えるほど気持ちが沈む・・・。
この歌詞で、もう少し明るい解釈は無いものだろうか・・・。

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2008年4月20日 (日)

「本屋大賞2008」~全国書店員が選んだいちばん!売りたい本

今朝(08/4/20)の日経(P21)に、「活字の海で~注目度増す本屋大賞~等身大のオススメにファン動く」というコラムがあった。
昨日も書いたが、自分のようなミーハーは、読む本を選ぶときに、プロである本屋さんのオススメは、客観的でありなかなか有用である。
コラムによると、「本屋大賞」は今年5年目を迎え、本音を言うと出版社は直木賞よりもよっぽど欲しいとの事。理由は、本屋大賞で1位に選ばれた本は、プラス20万部の増刷は堅く、事実、04年以降では、直木賞の22万部に対して、本屋大賞は83万部だそうだ。
たまたまさっき本屋に行ったら「本屋大賞2008」なる本が売っていたのでつい買ってしまった。その記事も含めてこの賞について紹介してみる。

Image00641 今年の本屋大賞は、全国749書店から1037人のエントリーがあり、その中から実際に1次投票したのが426人、2次投票には386人の書店員が参加したという。
「本屋大賞は全国の書店員が「いちばん!売りたい本」を選ぶ賞であり、書店員の投票のみで大賞が決定する。投票資格を有するのは新刊書店に勤務するすべての書店員。第5回の対象になる本は、06年12月1日~07年11月30日の間に刊行された日本の小説で、投票は1次と2次の二回。1次投票では対象となる本から投票者が「読んでよかった」「もっと売りたい」と思った三作品を選び推薦理由とともに投票する。その結果、投票が多かった上位十作品を2次投票のノミネート作品とし、2次投票は、その作品すべてを読んだ上で、改めて三作品を選び推薦理由と共に投票する。1次2次とも、1位3点、2位2点、3位1.5点が得点となり、獲得点数がもっとも多かった本が大賞となる仕組みだ。」

<本屋大賞2008 ベストテン>
① 「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎/新潮社 509.5点
② 「サクリファイス」近藤史恵/新潮社 312点
③ 「有頂天家族」森見登美彦/幻冬舎 280.5点
④ 「悪人」吉田修一/朝日新聞社 233.5点
⑤ 「映画篇」金城一紀/集英社 227.5点
⑥ 「八日目の蝉」角田光世/中央公論社 225点
⑦ 「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹/東京創元社 213.5点
⑧ 「鹿男あをによし」万城目学/幻冬舎 196.5点
⑨ 「私の男」桜庭一樹/文藝春秋 129.5点
⑩ 「カシオペアの丘で」重松清/講談社 126点


ちなみに第1回~第4回までの受賞作品は、

<第1回 本屋大賞2004>
①「博士の愛した数式」小川洋子/新潮社 202点
②「クライマーズ:ハイ」横山秀夫/文藝春秋 148点
③「アヒルと鴨のコインロッカー」伊坂幸太郎/東京創元社 111点
④「永遠の出口」森絵都/集英社 109点
⑤「重力ピエロ」伊坂幸太郎/新潮社 99点

<第2回 本屋大賞2005>
①「夜のピクニック」恩田睦/新潮社 374点
②「明日の記憶」萩原浩/光文社 302点
③「家守綺譚」梨木香歩/新潮社 274点
④「袋小路の男」絲山秋子/講談社 185点
⑤「チルドレン」伊坂幸太郎/講談社 155点

<第3回 本屋大賞2006>
①「東京タワー」リリー・フランキー/扶桑社 279点
②「サウスバウンズ」奥田英朗/角川書店 196.5点
③「死神の精度」伊坂幸太郎/文藝春秋 190点
④「容疑者Xの献身」東野圭吾/文藝春秋 184.5点
⑤「その日のまえに」重松 清/文藝春秋 179.5点

<第4回 本屋大賞2007>
①「一瞬の風になれ」佐藤 多佳子/講談社 475.5点
②「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦/角川書店 455点
③「風が強く吹いている」三浦しをん/新潮社 247点
④「終末のフール」伊坂幸太郎/集英社 228点
⑤「図書館戦争」有川浩/メディアワークス 176点

今は、なかなか時間が取れない自分だが、「毎日が日曜日」になったら、評判のこれらの本は一通り読んでおこうか・・・と思った。(これは備忘録である)

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2008年4月19日 (土)

BSフジの韓国ドラマ「チュモン(朱蒙)」

BSフジで毎週水曜日の夜8時に放送中の、韓国ドラマ「チュモン(朱蒙)」に凝っている。今日、やっと放送に追いついた。つまりDVDレコーダに録画してあった番組を全部見て、残りが無くなった、というワケ。

今年の年末に、迷惑にも兄貴から電話があり、「年末年始に、BSフジで“チュモン”の放送済み35話を再放送するので、ぜひ録っておけ。定年になって時間が取れたら見たら良い・・・」との事。まあ、前に「海神(へしん)」を見させられて、単純な自分がこのドラマに“はまった”ことも記憶に新しいため、いちおう録っておくことにした。
それを見始まったのはつい最近。それがこの所、休日になると4話位ずつ見続け、とうとう今日「第50話」を見て、追いついてしまった。全81話というから、このドラマはまだまだ続く。

前の「海神」の舞台は9世紀だが、このドラマは紀元前1世紀。主人公のチュモンが、ダメ息子から英雄に変身して、高句麗を建国するというドラマ。主人公は「海神」でアナーキストのヨンムンを演じたソン・イルグク。他に個性的な商人を演じたイ・ジェヨンや、「チャングムの誓い」でチェ尚宮役のキョン・ミリが出ている。

自分はかなりミーハーなので、視聴率が高いと聞くと、「何かあるのだろう・・・」と思って、つい見てしまう。この「チュモン」も韓国で最高視聴率52%だったというので、何かあるのだろう・・・・・と。(それでも韓国では歴代25位・・・。韓国の人はドラマが好きなのか?)
このドラマは、何が魅力なのだろう? ダメ息子が変身すること? それとも韓国チャンバラ? まあ確かに、はらはらドキドキはあるな・・・。それで、つい連続して見てしまう。理由は特に無い。(理由など、必要は無いが・・・)
それで、何か残ったか? 別に・・・。
たぶんドラマには、面白いドラマと心に残るドラマがあるような気がするが、この「チュモン」は面白い・・だな。だから、別に何も残らないし、一度見るだけでOK。それに比較し、これは映画だが「いつか読書する日」や「阿弥陀堂だより」は、何度も見たっけ。
まあ迷惑な「チュモン」だが、ここまで来たので全81話・・・、最後まで付き合うことにするか・・・

(関連記事)
BS朝日の韓国ドラマ「海神」の魅力

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2008年4月18日 (金)

最近の「個人情報漏洩」に思う

最近の個人情報漏洩・個人情報流出事件への社会の過敏な反応ぶりに、懸念を禁じ得ない。

ここ2週間ほど、前に通販で購入した事のある、サウンドハウスなる店から、情報漏えいについてのメールが、立て続けに入って来ている。そのドタバタぶりに、如何に現代社会が情報漏えいに対して過激になっているかを垣間見る事が出来る。
この会社から最初に「個人情報の流出について」というメールが入ってきたのが、4月4日。それから計8通。確かにNHKのニュースでもやっていたので大問題なのだろう。クレジット情報も入っているので、重大事と受け止めて対応してくれるのは良いが、その対応があまりに稚拙。メールが届いた後に、直ぐに「一部訂正」や「補足説明」なるメールが入る。たぶん、メールを読んだ人が問い合わせた為、あわてて修正メールを出す・・・。

「・・上記流出の対象となる場合は、お手数でもクレジットカード裏面に記載のある窓口へ連絡を取っていただき、カード会社の指示に従い・・」のメールの後に「・・・お客様からクレジットカード会社へご連絡いただく必要はございません。・・・」

「2. 個人情報流出の可能性がある122,884名 全てのお客様に、1,000円相当のクレジットをお客様の弊社ご登録口座に進呈させて頂きます。」というメールに至っては、「昔のソフトバンクは500円だった。1000円だと、合計1億2千万円・・・。これは凄いな・・・。ヘタすると会社が潰れてしまうな・・・」と思っていたら、さっき来たメールで「当初、「1,000円相当のクレジットをお客様の弊社ご登録口座に進呈させて頂きます。」とご案内いたしましたが、こちらはサウンドハウスでのお買い物代金に充当させて頂く形になります。・・・」

ここで見えるのは、この会社がこの様なリスク(事件)への対応に対して、如何に慣れていないか・・を露呈しているということ。決して慣れる事が良いのではないが、コンテンジェンシーへの対応力があまりに弱い。

話が変わるが、先日、会社で社有の携帯電話を失くして大騒ぎをしていた。会社では、携帯を閉じた時にパスワードを入れないとボタン操作が出来ないように設定しておくルールになっており、それは全員に徹底されている。よって、いくら電車で落としても、ボタン操作が出来ないので、アドレス等の情報は流出しないはずだが、対応が大変・・・。社長への即報告は当然として、親会社のリスク管理部門への報告、警察・JR等への届け等々・・・・・。そして親会社からの連絡は「懲罰についてはどうするのか・・・・」だって・・・・

確かに、新聞を見ても、パソコンを無くした、USBメモリーを無くした、という事が記事になっている。社会的に、この様な記事が出るのが当たり前の時代?なので、事件は「懲罰」に発展する。まあ、パスワードの無いパソコンの電車網棚への置き忘れは論外としても、ファックスの誤送信など、あり得ることも、それはもう大事件・・・・
聞く所によると、政府関係の機関が、常にネットを監視しており、そこで見つけた情報をその会社に連絡するため、内々という事が出来ずに報道発表・・・という事になるとか・・・・

自分は、この社有携帯の紛失事件の話を聞いたとたん、ある決心をした。会社の携帯を借りていることのメリットと、それを失くしたときのリスク(デメリット)を比較すると、“即会社に携帯を返却する”と・・・
次の日に「経費節減のため、社有携帯を返却します・・・・」(「担当者に「本当に良いんですか?」と言われたけど・・・)

人間、誰でもミスはするもの。それを絶対に許さない社会事情があるのだとすれば、初めから持たないで「失くす」リスクを避けるしかない。こんな予防保全をしなければならない社会になったとすると、それが本当に正しいのか、疑問を持つ。それにしても、住みにくい社会になったものだ。ほどほどは無いのか・・・・?

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2008年4月17日 (木)

森山良子の「愛する人に歌わせないで」

昨夜(08/4/16)、NHK総合で放送された「SONGS 森山良子」を見た。卒業した成城学園や、24歳で亡くなったという1歳上の兄、森山晋の思い出で作った「涙そうそう」の話など・・・・

しかし、森山良子は自分より一つ年下だとばかり思っていたら、Wikipediaで改めて読むと、全くの同じ年だった。しかし成城高校時代に1年留年しているという。それが勘違いの原因だった。なるほど・・・・

森山良子ほど、我々団塊の世代にとって思い出深い歌手はいない。まさに自分も学生時代の色々な思い出が、森山良子の歌と共に蘇って来る。「今日の日はさようなら」などから始まって、「死んだ男の残したものは」等々、その頃のベトナム戦争の影響を色濃く映している。
ほとんどの曲を聴いたが、「ふたつの手の想い出」は別格とすると、この「愛する人に歌わせないで」をよく聞いた。自分の気に入っている再録盤で少し聞いてみよう。ハープの音色が心地よい・・・・。

<森山良子「愛する人に歌わせないで」(新録音)

「愛する人に歌わせないで」
  作詞・作曲:森田公一

もう泣かないで坊や あなたは強い子でしょう
もう泣かないで坊や ママはそばにいるの
あなたのパパは強かった とてもやさしかった
だけど今は遠い 遠いところにいるの

ほら見てごらん坊や きれいなお星さまを
あれはパパなの坊や いつもあなたを見てるの
ママはいいの一人でも あなたがそばにいれば
だってあなたはパパの パパの子供だから

あなたのパパは坊や 私たちのことを
あなたのパパは坊や とても心配してたの
戦いに行くその日まで きっと無事で帰ると
かたい約束をして 出掛けていったのに

あなたのパパは坊や あんなに言ったけれど
あなたのパパは坊や ここに帰らないの
あなたが大きくなったら 愛する人に二度と
歌わせないでちょうだい ママの子守唄を
ママの子守唄を ママの子守唄を

しかし、兄が若くして亡くなったとは・・・。この兄は成城でバスケットをやっていたという。なぜ亡くなったかは知らないが、森山良子にとっても大ショックだっただろう事は想像に難くない。
しかし、カレッジフォークの大御所も、自分と同じ還暦だ。
でもTVで見ても、まったくそのトシを感じさせないのは立派。言うまでも無く森山直太朗のような立派な息子も居り、歌手生活40年は「生涯現役」の模範だな・・・(2度の離婚は良く分からないものの・・・・)

(追:2011/04/17)
NHKラジオ深夜便でこんな紹介があった。 「歌っている森山良子さんによると、森田さんのグループと一緒にコンサートで回っていたとき、森田さんはピアノとコーラスを担当していたが、そこで森山さんに聞かせてくれたのがこの歌。この歌は、森田さんの生い立ちをモチーフにして作られたそうです。」 (2011/04/17の3時台)
ついでにオリジナル録音も聞いてみよう。

<森山良子「愛する人に歌わせないで」

(関連記事)
森山良子の「ふたつの手の想い出」

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2008年4月16日 (水)

九州の“まぼろし”の「さしみ醤油」

今日は、珍しく食べ物の話、つまり自分お気に入りの「九州のさしみ醤油」の話である。結論は、九州福岡のニビシ醤油製の「特選さしみしょうゆ」(@288円)、これが美味い・・・という話。(メーカーサイトはここ

先日会社で、4月に九州に赴任した同僚がやってきて、「**さん、前に**さんが“凝っていた”九州の醤油って、何だっけ? 自分も試してみるから・・・」と言う。
そうなんです。実は、数年前福岡で(自分にとっては)「幻の醤油」を見つけて、それに凝ったのでした・・・。ではその経緯から・・・

もう20年以上も前のこと、九州福岡に出張した時に、九州の営業さんが接待してくれて、料理店に入った。そこで刺身を食ったが、その時、テーブルに置いてあった「さしみ醤油」に惚れた。とろーっと甘くて、関東のサラッとした醤油とはワケが違う。醤油と言うより、まるで“タレ”のよう。ドロッとしている所もまた独特。「これはうまい」と(サシミでなくて)醤油を褒めたら、「アホッ!」・・・・(メーカーサイトにはこうある「本醸造しょうゆをベースにした刺身用のしょうゆです。豊かな旨味と甘味が特徴で口当たりはまろやかで、とろりとしています。」)

それから数年経ってから、やはり出張で大分駅前のビジネスホテルに泊まった時、ホテルのレストランでその醤油(の味)と劇的な再会!!
今度は意を決して店の人に尋ねた。「この醤油はどこで手に入るか」と・・・。そしたら素っ気無い答え。「その辺のスーパーで売っていますよ」・・・・・・

Img_21571 そして03年、久しぶりに行った福岡で、夜の散歩のついでに寄ったスーパーで、それらしき醤油を3つ4つ買い込んで、東京に持って帰った。そして次々と封を開けて試食したところ、その中に「幻の醤油」があった! その名が「ニビシの特選さしみしょうゆ」だったというワケ。

これを発見してから、出張で九州に行く人が居ると、頼んで買ってもらった。
それからもう5年になるが、刺身となると自分だけこの醤油で食っている。しかし、何故か家族は誰もこの醤油を口にしない。マズイという・・・。やはり関東の人の口には合わないのかも・・・。
本当は、自分はカミさんと回転寿司に行く時にもこの醤油を持ち込みたいのだが、まだその勇気はない・・・。(しかし、最近はめっきりと刺身が食卓に乗る回数が少なく、せっかくの醤油が賞味期限切れになるのが残念・・・・)

まあ、(自分だけの)「まぼろしの音楽」を探すのも楽しいが「まぼろしの醤油」を探すのもまた楽しい。次は、30数年前に北九州のビジネスホテルの朝食で一度だけ食った味噌汁の味=「赤味噌」でも探そうか・・・・・(フトこのblog、食べ物のカテゴリが無いことに気が付いたけど、まあいいや・・・)

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2008年4月14日 (月)

井上陽水の「心もよう」と石川セリの「八月の濡れた砂」

(井上陽水の「心もよう」と石川セリ ・・・・・。なぜ並んでいるかと言うと、夫婦だから・・・・。(実は、自分はさっきまで知らなかったのだ・・・)以下、本題・・・)

歌手で美空ひばりが「別格」のように、そして指揮者でフルトヴェングラーが「別格」のように、フォークの世界でも「別格」の歌というものはあるものである。自分にとって、それは「井上陽水の『心もよう』」なのである。

「心もよう」は、1973年(昭和48年)9月にリリースされた歌である。作詞・作曲:井上陽水、編曲:星勝。そして、続いて12月にリリースされたアルバム『氷の世界』は、「LPがシングル並みの売れ行き・・・」と話題になった、日本初のミリオンセラーアルバムであった。

<井上陽水「心もよう」>

「心もよう」
  作詞・作曲:井上陽水 
  編曲:星 勝

寂しさの つれづれに
手紙をしたためています あなたに
黒いインクが綺麗でしょう
青い便箋が悲しいでしょう

あなたの笑い顔を
不思議なことに 今日は
覚えていました
十九になった お祝いに
作った歌も 忘れたのに

寂しさだけを 手紙に詰めて
故郷に住む あなたに送る
あなたにとって 見飽きた文字が
季節の中で 埋もれてしまう アーア

遠くで暮らすことが
二人に良くないのは わかっていました
曇りガラスの外は雨
私の気持ちは 書けません

寂しさだけを 手紙に詰めて
故郷に住む あなたに送る
あなたにとって 見飽きた文字が
季節の中で 埋もれてしまう

あざやか色の春はかげろう
まぶしい夏の光は強く
秋風の後雪が追いかけ
季節はめぐりあなたを変えるアア……

この詩が何とも良い・・・。若い頃の自分を思い出す。当時はメールなんて無かったので、手紙だったのだ・・・・。何が???

しかしこの「心もよう」だけは、誰がカバーしようが、また今後井上陽水自身が再録しようが、このオリジナルの編曲・録音が最高だ。まさに完成された曲である。自分も、今まで井上陽水自身がこの「心もよう」をTVで歌っているのを聞いたことが無い・・・。オリジナルがあまりに完成されているので、変に編曲された「心もよう」を聞きたくない・・・・

Netで見ていたら、何と石川セリが井上陽水の2度目の奥さんだって!ヘエー!ビックリ!(カミさんに言わせると、「そんなこと昔から知っていた・・・」とか) そういえば、先日カミさんが「石川セリが**年ぶりで新しいCDを出すんだって・・」と言ってたっけ・・・。確かにamazonで「タイトル未定」のCDが載っている。
という訳で、ついでに(失礼)、石川セリの代表曲「八月の濡れた砂」を聞いてみよう。

<石川セリ「八月の濡れた砂」>

この井上陽水・石川セリ夫妻の間には、一男二女がおり、次女は作詞家・歌手の依布サラサであるという。(公式HPはここ) 宇多田ヒカルではないが、血統的には充分なので、たぶん優秀なミュージシャンなのだろう。(自分は知らないが・・・)

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2008年4月13日 (日)

「疲れ果てる勤務医」

今朝(08/4/13)の朝日朝刊(P3)に「疲れ果てる勤務医~残業月100時間、危うくミスも」という記事があり、興味深く読んだ。
最近勤務医の過労の問題は、新聞・テレビ等で話題が多い。その原因の一端をこの記事は教えてくれているようだ。曰く・・・

当直、労働時間には含まれず 厚生労働省のまとめでは、病院勤務医の勤務時間は平均週70.6時間。労働基準法による法廷労働時間(週40時間)を大幅に上回り、月換算の時間外労働は100時間超。平均的な勤務医でさえ、労災基準で「過労死ライン」とされる時間外労働月80時間をゆうに超える異常事態だ。
・・・・「医師のただ働きの上に、日本の医療は成り立っている」・・・・
当直の扱いもおかしい。労基法などにもとづくと、医師の当直は労働時間に含まれない。だがこれは、当直時に院内の巡視や電話対応程度の軽作業しか行わないという建前。日勤-当直-日勤という36時間連続勤務が見逃される理由もここにある。」

現在の会社では、36協定等、時間外管理は大変に厳しいが、勤務医がなぜ当てはまらないか不思議だった。ここにこんなからくりがあるとは知らなかった。それに、労基法で決められているとは・・・・・。普通のサービス会社では、「待機」は少ない手当てを貰って、家で待機する。酒を飲まないで、携帯電話が鳴ると直ぐに飛び出す前提で・・・。しかし会社での待機となると、幾ら電話が掛かってこなくても、平常勤務をしていると見なされるのが普通だ。それを、急患があっても待機していると見なされてタダ働きだとすると、理不尽この上ない。

「一方、欧米の医師の労働時間は日本に比べて短い。経済開発協力機構(OECD)によると、英仏独で00年の医師の平均労働時間は週40~50時間ほど。EU司法裁判所が03年、日本の当直にあたる医師の院内待機の時間を労働時間と見なす判決を出したことで、時短の流れが強まっているという。」

なぜEUが日本の労働時間に対して判決を出したか、詳しい事は書いていないが、まあこれが普通の考え方だろう。
これに対し、軽減策としては、

看護師や開業医がサポート 済生会宇都宮病院では看護師の力を使った。特別な研修と訓練を積んだ看護師に05年春から、CTやMRIの検査前にする造影剤の静脈注射を任せた。・・・帰宅時間がしばしば午後11時を過ぎたが、導入後、ほぼ定時に帰宅できる。・・・
開業医が多忙な救急を支える取り組みも始まっている。兵庫県の姫路医師会は、65歳以下の内科・小児科の開業医が輪番で初期救急を担う。午後9時から翌午前7時まで2人、休日日中は5人がセンターに詰める。朝まで開業医がカバーするのは全国でも珍しい。支える開業医は約100人で月1回ずつ。ただ、開業医も高齢化が進み、担い手は減る一方という。・・・」

これを読むと、地域医療の現場では、勤務医の悲惨な現実を何とか皆で支えようとしている動きで、立派だ。
話は変わるが、むかし通院した事がある信濃町のK大付属病院では、注射は全て医師本人がやっていた。それまでの病院では、注射はほとんどが看護師さんだったので、何か違和感を感じた。もちろん、医師だから注射が上手い・・・とも限らないので、建前よりも適材適所で、皆が分担して医師に負荷が偏らないようにすべきだろうと思う。

しかし逆の例では、2004年にインターン制度が廃止になって、研修医が研修先を自由に選べるようになった結果、研修医が都市部へ集中し、結果として地方の病院に大学から医師の派遣が無くなったため、医師不足で地方の病院が潰れて行く・・・、という現実もあると聞く。
これらの問題は、確かに一筋縄では行かないが、これから医療にお世話になる予定の“団塊の世代”としては、何とか充実した医療を維持して欲しいものだ。

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2008年4月12日 (土)

さとう宗幸の「CALENDAR(カレンダー)」

最近、このblogで、「手仕事屋きち兵衛」や「大塚博堂」といった(結果として)歌声と風貌がまったくマッチしない歌手を紹介したが、今日は、声と風貌がピッタリの歌手の登場である。
080412satomuneyuki 先の二人とならんで、自然体で(?)歌う歌手に、仙台の「さとう宗幸」がいる。少し声のビブラートが“過ぎる”キライもあるが、まあ自然体での歌い方ではないか・・・・?
しかし、前のお二人に比べで風貌が声にマッチしているでしょう・・・・? そうなんですよね・・・。この様な素直な顔立ちだと、CDで「素直」な声を聞いても違和感が無いが、「手仕事屋きち兵衛」さんや「大塚博堂」さんは、なぜか顔と歌声がアンマッチなのである・・・・。(失礼)
自分が、さとう宗幸の歌で自分が一番気に入っている曲は、庄子眞理子とのデュエットによる「CALENDAR(カレンダー)」である。

<さとう宗幸&庄子眞理子「CALENDAR」>

「CALENDAR(カレンダー)」
  作詞:のなかみやこ
  作曲:三嶋清正
  歌 :さとう宗幸/庄子眞理子

January ある日どこかで
February 出会った二人
March 愛が芽生えて
April かわすくちづけ
May 何て素敵な
June 恋の夕暮れ
July 二人で駆ける
August 白い砂浜
September 焼けた素肌を
October くらべあって
November 愛は深まり
December 結ばれた二人

Jarnuary 時は過ぎ行き
February すべては変わる
March 明るい夢も
April いつかは消える
May 胸に染みる
June 雨のトレモロ
July なぜに悲しい
August 海の青さよ
September 一人涙で
October 枯葉拾えば
Novenber 愛は壊れて
December 別れた二人

Netで見ていたら、何とこの歌は、40年近く前の1969年頃にエレックレコードから、昔のフリーアナウンサー「土居まさる」が歌ったもののカバーだという。なお土居まさるは1999年に58歳で永眠。(土居まさるの歌声は、このサイトで聞ける) 自分も初めて聞いたが、ボサノバ調で雰囲気がまったく違う。(自分としてはNGだな・・・)
しかし、ひょんな事で土居まさるを思い出した。文化放送のパーソナリティで、カミさんに言ったら覚えていた。そしてとっくに亡くなっていると言ったら、またビックリ・・・。

先日(08/4/6)、NHKラジオ深夜便 深夜便アーカイブス「にっぽんのメロディー・中西龍」という番組を放送していたが、NHKの中西龍さんというアナウンサーも独特の語り口であり、久しぶりに聞いて懐かしかった。
しかし、亡くなった後も(親族以外の)人に懐かしがられるという事は、大変に難しいことだ。(特にサラリーマンは・・・)
まあ健康に働けるだけ、よしとしようや・・・

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「わすれ雪」
大塚博堂の「めぐり逢い紡いで」

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2008年4月11日 (金)

映画「明日への遺言」を見て

映画「明日への遺言」を見た。この映画は決して「面白い」映画ではない。舞台(場面)も、ほとんどが法廷と独居房のみ。また、ストーリーが法廷での発言で動くため、最初は付いて行くのにひと苦労。
Ashitahenoyuigon01_1024 この映画は、名古屋の絨毯爆撃の際、パラシュートで降りてきたB29の搭乗員11名を斬首処刑したB級戦犯「岡田資(たすく)中将」の法廷での姿を描いているが、自分はこの映画を見て違和感ばかりが残った。法廷での発言があまりに「文語体」。主語述語が極めて明確で、法廷での発言と言うより、まるで論文を朗読しているよう・・・・。中でも、孤児院の先生役の田中好子の言い方は、まるでラジオで“小説の朗読”を聞いているよう・・・。幾らドラマでも、法廷でのこのような“一人芝居”のような話し方には違和感を覚える。

それに主役の藤田まことがあまりにカッコ良過ぎる。発言も堂々として、セリフがあまりに正確。口語体ではない。だから逆にリアリティが無くなっている。それに、法廷で孫を抱くシーンにしても、「本当か?」とつい疑って見てしまう。法廷で、検事もいるのに、被告席に居る人が、本当に孫を抱いてそれを皆が黙って見ている??

それと、聞いていて、アレッと思った点がある。
法廷で岡田中将は「命令は自分が下したもので、責任は全て自分にある。部下はその命令に従っただけ」と主張する。・・・とすると、検事が言っていた、「パラシュートで降りた無線兵も、命令で搭乗した」だけなので、斬首された無線兵は無実で、命令を下した大統領?が責任者、という事になるのでは?
それを岡田中将は「爆撃は、明らかに無差別爆撃であり違法である。よって、爆撃に参加した者は有機的に一体となって責任がある。よってパラシュートで降りた無線兵も、捕虜でなく戦犯である。よって処罰した」・・・・とすると、岡田中将の部下達も有罪では??

最後に、裁判官が「米国法では、報復なら許されるが、これは報復ではないのか?」と問うが、岡田中将は「報復ではない。処罰だ」と言い切り、死刑の判決を受け、死んで行く。
このドラマは事実に基づいた・・・、とあるが、岡田中将が閉廷前に発言を求め、公平な裁判に感謝を述べるシーンがあるが、これも事実なのだろうか?

同じ小泉堯史監督の作品で「阿弥陀堂だより」という名画があるので、どうしてもそれと比較してしまい、つい「詩が無いな・・」ナンテ思ってしまう。

でも視点を変えると、岡田中将の一身に責任を負って部下をかばうこの姿勢は、賞味期限偽装事件などでの食品会社の社長の記者会見ではないが、自分が命令したことを「自分は知らなかった」とシラを切る世のサラリーマンなどに比べると、何と気高い志だろう・・・。
この映画が幾ら過剰演出だとしても、田中中将のこの姿勢は、世の組織の人間は誰もが見習うべき姿勢なのだろう。

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2008年4月10日 (木)

山室信一著「憲法9条の思想水脈」を聞いて

先日(08/4/5)放送されたNHKラジオ深夜便「人ありて、街は生き『司馬さんからの便り』京都大学教授 山室信一」を聞いた。憲法第9条についての論で、氏の著書「憲法9条の思想水脈」の解説(内容)がなかなかと面白かった。
この本は、「憲法9条に謳われている崇高な平和思想、非戦思想は、18世紀からの思想が地下水脈として流れており、その到達点として日本国憲法がある」と論じている。この番組は、著者がそれを解説していた。曰く・・・・

カント「常備兵が問題。常備兵が存在すると残酷な戦いになる。常備兵がいると、国民は戦争になっても、兵だけが戦って死ねば良いという事になる。よって、国民が国を守ろうとするならば、常備兵を止めるか、国民全体が兵となって戦うしかない」
⇒「世界政府」
⇒「人類は地球全体の一員である。地表は人類全体の共有物である。その中で戦いがある事自体がおかしい」
 ↓

横井小楠(よこいしょうなん=幕末)「徳によって治めるべき。政治を行うための一番の条件は、民を殺さないこと。つまり戦争に苦しまないこと」
 ↓

植木枝盛(うえきえもり=明治)「戦争を止めるためには、世界政府、無上(世界)憲法を作って、国境を離れて人類の一員として活動すべき」
 ↓

中江兆民(なかえちょうみん=明治)「非武装。武装を解いてしまって、風になろう。自分達が軍備を持たないのだから相手が攻めてきても戦う術が無い。自分達は風なので切る事は出来ない。軍備に向かう金を文化国家を作るために遣おう。非武装の文化国家を攻める国があっても、国際世論が許さない」
 ↓

内村鑑三(うちむらかんぞう=明治大正)「戦争は人を殺すことである。人を殺す事が悪いことであるなら、それを大規模にする戦争は良いはずはない。戦争は勝てば勝つほど拡大していく」
 ↓
(それからシステムとしての非戦の動きになる・・・)
1791年のフランス憲法にその規程がある。
 ↓
1899年のハーグの万国平和会議で、国際紛争は平和的に解決すべき。
 ↓
第一次世界大戦~国際連盟
⇒米国が入っていなかったのと、ソ連も革命で入るのが遅れた。それに制裁権が無かったので不充分だった。
 ↓
1928年の不戦条約(戦争放棄に関する条約)~日本国憲法の戦争放棄の英訳と同じタイトル。これが戦争放棄の水脈。
 ↓
日本は、第一次世界大戦の戦場から遠かった事もあって、認識が充分でなかった。そして、自衛戦争は許されるとの解釈で、満州事変等を戦争ではなく事変だという。
 ↓
よって、国際連盟では「戦争」という言葉は使わず「武力の行使」「武力による威嚇」と表現。
日本国憲法は、広島・長崎の原子爆弾投下という事態を踏まえているので、より強い姿勢を取っている。

1944年3月10日の東京大空襲では12万人が死亡。広島・長崎の原子爆弾投下では30万人。イラク戦争開始から5年経ったが、米兵の死亡者は4000人。WHOによると、2006年6月までのイラクの市民の死亡者は15万人を越えた。
つまり21世紀の戦争では、一旦戦争が起これば、非戦闘員が直接的な被害を受ける。これを受けて、国連の報告書は、従来の「国家を中心とした安全保障」から戦争の原因を貧困や人権侵害など個人の安全が脅かされている事に求めて、「人間の安全保障」に変わってきている。
61年前に出来た日本国憲法ではあるが、国連が考えている「人間の安全保障」を先取りしているともいえ、第九条の思想水脈は違う形の水脈としてつながってきていると言えるのではないか。」

なるほど・・・・(←これだけ?? 筆者も、コメントしようが無いのであ~る)
これだけでは締まらないので、西橋正泰アンカーの憲法の朗読を少し聴いてみようか・・・

憲法の前文「・・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・・・」

「第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

(関連記事)
「日本国憲法」を読んだ

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2008年4月 9日 (水)

チョー・ヨンピルの「窓の外の女」

20数年前、カーラジオでチョー・ヨンピル(趙榕弼)の「窓の外の女」を聞いた。その時に聞いた“音”が頭にこびりついた。それから、その「音」探しが始まった。(ここで言う『音』とは『歌』という意味ではなく『録音』という意味)

この歌は、韓国のチョー・ヨンピルが大麻事件で3年間の活動停止処分を受け、1979年にカンバックした時の歌だという。
自分は、違う編曲でこの歌を3つ持っているが、この編曲(録音)が一番オーソドックスで良い。先ずは少し聞いてみよう。

<チョー・ヨンピルの「窓の外の女」>

「窓の外の女」
  作詞:裴明淑(訳詩:三佳令二)
  作曲・趙容弼

夕暮れの窓ぎわに立てば 想い出す
優しいあなたの笑顔を 白いその手のぬくもりを
いつも離れない あなた あなた

あゝ 愛を 美しい などと
いつ 誰が 云ったのですか
いっそ いっそ あなたの手で
眠らせてほしい

この歌は、前半がバラード風で、後半が絶叫調・・・。自分の好きなタイプの曲だ。その中で、特に印象に残るフレーズは、「いつ誰が云ったのですか“~~~~”」と伸ばすところ。
ここは、吉幾三の「雪國」で「逢いたくて恋しくて 泣きたくなる夜“~~~~” そばにいて少しでも 話を聞いて“~~~~”」のフレーズと似ている。
少しだけ比べてみよう。何か似ていないか??

<吉幾三「雪國」から~部分>

話を戻すと、記憶に残る「窓の外の女」の「その音」を探して色々とCDを買ったものだが、どうも頭に残っている「その音(録音=編曲)」と何か違う・・・・・
チョー・ヨンピルが何社のレーベルで、何度「窓の外の女」を録音したのかは知らないが、でもまあ、たぶん自分の思い違い(勘違い)なのだろう。
(しかし、「極めた!」というより、「探し求めている・・」方が楽しいのは確か・・。いつかフィットする「窓の外の女」が聞けるかもね・・・)

<付録>
同じ韓国の歌手・チェウニが歌うとこうなる・・・。

<チェウニの「窓の外の女」>
   
~BShi「渋谷らいぶステージ」(2008/8/26)より

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2008年4月 8日 (火)

「汚名挽回?」~混交表現

先日(08/4/7)のNHKラジオ深夜便で「くらしの中のことば~NHK放送文化研究所 主任研究員 柴田実」を聞いた。なるほど・・・、と思ったので、今日はその抄録・・・

<注目語>について、“言葉のプロ”が説明してくれた。同じような言葉が混合されて、間違った言い方が使われているという。

<間違いの例>
×「汚名挽回」=「汚名返上」+「名誉挽回」
×「明るみになる」=「明るみに出る」+「明らかになる」
×「喧々諤々(けんけんがくがく)」=
  「喧々囂々(けんけんごうごう)」+「侃々諤々(かんかんがくがく)」
×「期待倒れ」=「期待外れ」+「看板倒れ」
×「体調を壊す」=「体調を崩す」+「体を壊す」
×「熱にうなされる」=「熱に浮かされる」+「夢にうなされる」
×「溜飲を晴らす」=「溜飲を下げる」+「鬱憤(うっぷん)を晴らす」
×「貧すれば通ず」=「貧すれば鈍す」+「窮すれば通ず」

×「疲労回復」⇒「健康回復」~「疲労回復」だと、疲労した状態に戻る??

これが、「疲労が回復」するいう意味で使われるとすると、「汚名回復」もありそうだが・・・・ダメ。何故かというと、「名誉回復」という言葉が既にある。よって「名誉回復」と同じような意味を持った場所に、新しく作った「汚名挽回」「汚名回復」という言葉は座れない。つまり、言葉は一種の椅子取りゲーム。これは理屈だが・・・

しかし、言葉にスキマがある場合は、新しい言葉も定着する事が出来る。
<定着の例>
○「破く」=「破る」+「裂く」
○「捕らまえる」=「捕らえる」+「捕まえる」

でも、流通して便利な言葉はちゃんと定着していく。おかしいと思わない人が多くなればなるほど、その言葉は定着する。
しかし「汚名挽回」はまだその席に座っていないので、「汚名挽回」と使うと思わぬ恥をかくので注意・・・。
だって・・・

言葉の常識の話だが、意外と皆が使っている・・・。例えば、Googleでウェブ検索をしてみると、
「汚名挽回」:125,000
「汚名返上」:289,000
「名誉挽回」:221,000
この数字からすると、正解言葉(「汚名返上」「名誉挽回」)の半分くらいは間違い言葉(「汚名挽回」)が使われている事が分かる。

自分も、このblogを書き始まって以来、誤字には気をつけるようになったが、言葉の世界もなかなか奥が深い・・・。
でも今日の番組で紹介された例は、自分はほとんど使っていなかったので、ホッ・・。
(それとも、自分は単に“語彙が少ない”というだけかもね・・・)

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2008年4月 6日 (日)

映画「ベン・ハー」序曲~チャールトン・ヘストンが亡くなった

NHKの夜7時のニュースを見ていたら、米映画俳優のチャールトン・ヘストンが(2008年4月)5日に84歳で亡くなった・・・、と言っていた。死因は明らかにされていないが、2002年には自らアルツハイマー病に罹っていることを公表していた、という。

チャールトン・ヘストンは、自分が最初に覚えた外国俳優の名前であるので、何か感慨深い。「ベン・ハー」「十戒」「猿の惑星」などが有名だが、何と言っても「ベン・ハー」が思い出深い。1959年にアカデミー賞主演男優賞を受賞。
1959年というと昭和34年・・・。この映画は、母に連れられて見に行ったのを今でも覚えている。(当時は映画は唯一の娯楽・・・)しかし当時は小学校6年生・・・。実は、スジは分からなかった。でも、母が「これは良い」と盛んに言っていたので、そんなものかと・・・・。
後年になって何度も見た。そして、「十戒」なども・・・・。それから、何となく歴史スペクタクルに魅せられて、テアトル東京に「クレオパトラ」(1963年)を見に行ったり・・・。テアトル東京は京橋にあり、シネラマの映画館だった。シネラマとは、中央から左右に広がる半円形のスクリーンに、3つの映写機から映すという映画。シネラマという言葉自体、もう死語かもね・・・・

しかし、「ベン・ハー」の50年前と、今のCGを駆使したハリウッド映画とは比較にならないが、当時の「ベン・ハー」のレースの場面や「十戒」の海が二つに割れるシーンなど、その歴史スペクタクル映画の特撮は強烈な印象だった。
でも往年の名優も次々と亡くなって行くな・・・。まあ当然だが、段々と時代は移っていく・・・。
・・・という訳で。今日は映画「ベン・ハー」の音楽を・・・。(実は前にアップしているので、再録だが・・・・)

<映画「ベン・ハー」から「序曲」>ローマ交響楽団演奏によるオリジナル・サントラ

<映画「ベン・ハー」から「勝利の行進」>

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2008年4月 5日 (土)

城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」を読んで

城山三郎の遺稿、「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。何とも題が良い。まさに言い当てている。この一言に全てが・・・

Image00531 この本は、氏が亡くなった後、書斎に遺された原稿の断片を新潮社が整理して一冊の本にまとめたものだという。(P155)それだけに、一貫した何かがあるわけではない。でも、そこには一組の夫婦の物語がある。

二人が初めて会ったのは、名古屋の図書館の入り口。城山がまだ学生の23歳の時。「間違って、天から妖精が落ちてきた感じ」という有名な言葉が出てくる。(P11) 図書館が休みだったため、何となく二人で歩き出し、映画を見て喫茶店でお茶・・・。まあお互いに何かがあったのだろう・・・。しかし彼女の父親に見付かり、絶交状・・・・。
翌年、大学を卒業して名古屋に帰った城山は、ダンスホールで偶然容子さんと再会。働き出していた容子さんと、それからは連絡がつき、デートを重ね、最初に会ってから3年後の昭和29年に結婚。城山26歳、容子22歳であった。
当時、名古屋では縁談があると、仲人などを通した情報収集が普通であったが、城山の母親は、息子からの告白を聞いて、相手の家にすっ飛んで行ったという。そして容子の父親も、母のそうした「飛び込み」が気に入って、結婚の話は一気にまとまったという。
「・・・『悪魔の辞典』の著者アンブローズ・ビアスによると「人間、頭がおかしくなると、やることが二つある。ひとつは、自殺。ひとつは結婚」なのだそうだが、私も容子も、頭がおかしくなっていたのかどうか、結婚に躊躇は無かった。」(P36)

それから大学の教員をしながら作家への道へ。当初、同人雑誌に載せた小説は不評。でも容子の「泣けたわ」という一言でくじけずにすみ、城山に三月に引っ越したので「城山三郎」というペンネームで「文学界に「輸出」を投稿。それが新人賞に決定して作家生活がスタートする。

容子は取材旅行には何処にでも付いて来たが、1999年8月のヴァンクーヴァーでは、疲れたと言って、いつもの容子ではない。そして検診。病院からの帰りを、心配しながら駅前マンションの仕事場で待っていると、「ガン、ガン、ガンちゃん ガンたらららら・・」。末期の肝臓ガンだった・・・・・
「そして容子の希望通り、手術はしない、抗癌剤も使わない、ただ本人が望むワクチンやサプリメント類は用いる。入院もせず、定期的に通院して注射などをするだけ、と決まった。・・・そして、2000年2月24日、容子永眠。享年68。癌と分かってから4ヶ月、入院してから2ヶ月少し。」

しばらくして出版社から依頼が来る。・・・しかしなかなか書けない・・・・
「夜半、人の気配に目覚めると、すぐ横に容子の笑顔があった。 「私のこと、書いて下さるって?嬉しいわ。でも恥ずかしい」 「うん、だけど最後まで書けるか、どうか・・・」 つぶやいているうちに、容子の顔は消えた。」(P82)

まさにこの本は、「夢枕に立つ」容子が応援した本。

巻末に「父が遺してくれてたもの」という次女の井上紀子さんの文章が載っており、これが両親の真の姿を伝えてくれる。
「・・・その後、母との終の棲家には帰れず、仕事場が父の住居と化してしまった。・・・父だけの祈りの場。誰にも邪魔されぬ所で、父と母との会話をし続けようとしていた。・・・しかし、以後の7年間、父はどんなに辛かったか、計り知れない。想像以上の心の傷。その大きさ、深さにこちらの方が戸惑った。連れ合いを亡くすということは、これほどのことだったのか。・・・・」

どの夫婦も、これほどの信頼関係で結ばれているとは限らない。しかし、城山三郎の姿は、一つの夫婦の理想かも知れないな・・・。
もちろん我が家も、城山に勝るとも劣らない信頼関係なのである・・・。(病気になったら看病を頼まなければいけないため、幾らblogとはいえ、うっかり本音は言えないのであ~る・・・・)

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2008年4月 4日 (金)

吉田兼好のいう「友とするにわろきもの」

通勤途中で、平安時代のエッセイである吉田兼好の現代語訳「徒然草」(角川ソフィア文庫)~ビギナーズ・クラシックス)を読んでいるが、今日読んだ所に「友とするにわろきもの」(第117段)(P156)という段を読んで、前に当blogで「ブッダの教える『友人関係』」という記事を書いたのを思い出した。ブッダの言う「良友・悪友」と平安時代の吉田兼好の言う「良友・悪友」を比べてみるとなかなか面白い。曰く・・・

「友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める人、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲深き人。
よき友三つあり。一つには物くるる人、二つには医者(くすし)、三つには智恵ある友。」(徒然草 第117段)

この文は、現代文に置き換える必要が無いくらい良く分かる。いわゆる“おつきあい御免の7タイプは、「お偉いさん」「青二才」「不死身」「飲んだくれ」「冷血漢」「うそつき」「欲張り」”だ。
これに対して“大歓迎の3タイプは、「援助好き」「医者」「知恵者」”

これは「論語」を下敷きにした友人論なのだそうだ。
ちなみに古語を成績の5段階評価とを組み合わせてみると、
「よし」~5点、「よろし」~4・3点、「わろし」~3・2点、「あし」~1点。
つまり、ここで言っている「わろき者」とは、好ましくないという意味。一方、「よき友」はベストフレンドということになるそうだ。(P157)

ちなみにブッダは、よき友は「(1)助けてくれる人 (2)苦しいときも楽しいときも一様に友である人 (3)ためを思って話してくれる人 (4)同情してくれる人」であり、悪き友は「(1)何ものでも取って行く人 (2)ことばだけの人 (3)甘言(かんげん)を語る人 (4)遊蕩の仲間」だと言う。

でもまあ若い人と違い、我々還暦にもなると、会社関係以外で新しい人と知り合うチャンスはほとんど無く、友人を選ぶなんて、到底縁が無いのが現実・・・・。(閉鎖世界に住んでいる自分だけかも知れないが・・・)
でも2500年前のブッダの時代でも、700年前の吉田兼好の時代でも、人間が考えている事は大して違わないという事か・・・・・

(関連記事)
ブッダの教える「友人関係」

●本日カウントが7万を越えました。皆様の“ご愛顧”に感謝します。

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2008年4月 3日 (木)

安い買い物?「遠近両用メガネ」

前にこのblogで、「インプラント~一番“価値のあった”買い物」という記事を書いた。今日買った遠近両用メガネのレンズも、これと同じで、値段に対する「効果」で、“安い買い物”だったかも知れないな・・・。

最近目が疲れて困る。自分のメモを見ると、遠近両用メガネのレンズを、この4年くらい変えていない事に気が付いた。これが原因では・・?と思った。
最初に老眼になって遠近両用メガネにしたのが、97年8月。それから老眼が進んだので02年2月、04年4月とレンズを変えてきた。最初は良かったが、前回の04年の時にトラぶった。遠方の度数は変えないで、近く用の度数だけ、老眼が進んだ分だけ度数を下げてきたので、結果として遠方用と近く用の度数が離れてしまい、レンズの周囲が歪んでしまって、参った。それに、近くを見た時に良く見えるレンズのポイントが、左右にずれたため、右目で近くが良く見えるレンズのポイントでは左目ではボヤけ、逆に左目が良く見えるポイントでは右目ボケる・・・という状態になって、困った。結局、メガネの専門家の店長に正確に作りなおしてもらって、何とか見えるメガネを作った。それから4年経ったが、前回色々あったので、今回は30年付き合ってきた眼鏡屋を変えて、東京で作ることにした。
・・・と言って、どの店で作るか・・・、店の良否が分からない。仕方が無く、Netで調べたら「認定眼鏡士」なる資格があることが分かったので、その資格を持った人が居る店に行くことにした。
そして、新橋駅前の店に行ったら、確かに認定眼鏡士が居た。その人に、前の事情を話して注意して検眼をしたもらった。
自分では、当然老眼が進んでいたせいで目が疲れるのだと思っていたが、何と度数はこのままで良いと言う。やるとすれば、乱視を一度下げる位と言う。何のために来たのだ・・・、と困った。眼鏡士が言うには、レンズのグレードを上げる位しか方法が無いという。今まではレンズが約4万円位だった。それと同じレンズが、今ではオープン価格になっていて2万円位だとという。それを、今回は新型の4.4万円クラスに上げると、前のレンズに比べて視野が広くなり、自分の経験からも見易くなるだろうという。
そのHOYAのFDというレンズは、レンズの片面だけ削るのではなく、両面から削るレンズなのだと言う。このまま帰るのも癪なので、つい頼んでしまった。そのレンズが今日出来てきた・・・という訳。(いやはや、経緯説明が長くなってしまった・・・)

そのHOYAのFDというレンズが意外と良いのである。その眼鏡士もそれを使っているが、この上のクラスもあるにはあるが、値段が急に高くなり、相応の効果があるかは分からないという。よって、FDクラスが一番おススメという。視野が広くなるのと、歪が少ないと言っていたが、それが確かにそうなのである。
元来、遠近両用のレンズは、近くを見る事が出来るエリアは、レンズの中心から下に向かった実に細いエリアでしか見えない。よって、新聞を読む時など、無意識にレンズの良く見えるポイントを、探し探し見ている。しかし今度のレンズは、見える範囲が確かに広い。クビを左右に振っても、目の前の新聞の文字がボケない・・・。なるほど・・・・・

まあ、これで目の疲れが軽減するかどうかは分からないが、今までのレンズよりも視野と歪の点で良い事は確かなようだ。時代と共に技術は進歩している。自分の老眼はどうも止まっているらしいのでラッキーだが、レンズを新型に取り替ええることで、見易くなったのは良かった。
まあこれも、海外旅行と同じで「高ければ高いだけの事はある」という事なのだろう。それと、Netで見たら、同じレンズが安売り店で43千円とあった。今回の44.1千円と大して変わらない。メーカのレンズは店によってそれほど価格差は無いようだ。

話が変わるが、しかし眼鏡屋は客が少ない・・・。いや、まったく客が来ない。新橋駅前なのに、こんなに客が来なくて、良く店を開いて行けるものだ・・・と感心した。メガネはものすごい利幅があるのだろうが、幾ら何でも少しは客が来ないと困るだろう・・・。余計なことだが心配?というより、眼鏡屋の事業構造(どうやって儲ける?)に興味を持ってしまった。・・・けど、分からないが・・・

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2008年4月 2日 (水)

大塚博堂の「めぐり逢い紡いで」

前に当blogで紹介した手仕事屋きち兵衛の「わすれ雪」を、ウチのカミさんがエラク気に入って、MP3プレヤーや、カーステレオで聴いておる。
それで「同じような素直な歌い方の歌は無いのか?」とリクエストが来た。

それでフト思い出したのが、大塚博堂の声なのである。先ずは自分が一番気に入っている「めぐり逢い紡いで」。大塚博堂の作曲で作詞は「るい」である。

<大塚博堂の「めぐり逢い紡いで」>

「めぐり逢い紡いで」
 作詞:るい
 作曲:大塚博堂

 胸のボタンひとつはずして
 あなた好みに変わってゆく
 ただひたむきに愛されたい
 惜しみなく奪ってほしい

 はじめてつけたマニキュアが
 もろい かける 割れる はがれる
 めぐり逢い紡いで愛の色に織りあげた
 あなたへの燃える火を
 断ちきれない
 消せはしない

 束ね髪をふわり広げて
 かわいい女つくろって
 ただひたすらにつなぎとめる
 行かないでこっちを向いて

 はじめてつけたマニキュアが
 もろい かける 割れる はがれる
 めぐり逢い紡いで愛の色に織りあげた
 あなたへの燃える火を
 断ちきれない
 消せはしない

 めぐり逢い紡いで愛の色に織りあげた
 あなたへの燃える火を
 断ちきれない
 消せはしない

080402ootsukahakudo_2 大塚博堂はもうこの世に居ない。1981年に37歳の短い命を終えている。それも、脳内出血により、倒れてから4日後に亡くなったという。
それに下積みが長く、本格的に世に出たのは、32歳で「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」から・・・。(だからヒットした曲が少ない。)
そして1977年に「過ぎ去りし想い出は」、1978年に「めぐり逢い紡いで」を発売。布施明も同年にこの「めぐり逢い紡いで」を競作し、この年のNHK紅白歌合戦でも歌ったという。
布施明の「めぐり逢い紡いで」は昔から良く知っていたが、この歌の作曲者の大塚博堂の歌もまた素晴らしい。音楽学校で声楽を勉強しただけあって、朗々と・・・というか、素直な無理をしていない声だ。
(でも「手仕事屋きち兵衛」といい「大塚博堂」といい、何で風体が「声」と違うのだろう・・・。ジャケットの風体からすると、こんな素直な声で歌うとは、到底思えない・・・よね)

しかし、大塚博堂は1944年生まれというから、生きていたら64歳。“団塊の世代”前の世代である。
優秀な人間ほど短命だ・・・なんていう話を聞くが、大塚博堂もその一人かもね。(自分は還暦まで生きたので、少なくても大塚博堂よりは優秀じゃない??)~話がズレてきたのでそろそろオシマイ。

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「わすれ雪」

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2008年4月 1日 (火)

吉田兼好のblog=「徒然草」74段から・・・

駅からの帰りのバスの中で、現代語訳「徒然草」(角川ソフィア文庫)~ビギナーズ・クラシックス)を読んでいたら、最近このblogに書いている内容に近いテーマの段があった。曰く・・・

「利に群がる蟻人間――蟻のごとくに」第74段(P107)

「人間が、この都に集まって、蟻のように、東西南北にあくせく走り回っている。その中には、地位の高い人や低い人、年老いた人や若い人が混じっている。それぞれ、働きに行く所があり、帰る家がある。帰れば、夜寝て、朝起きて、また仕事に出る。このようにあくせくと働いて、いったい何が目的なのか。要するに、おのれの生命に執着し、利益を追い求めて、とどまることがないのだ。
このように、利己と保身に明け暮れて、何を期待しようというのか。何も期待できやしない。待ち受けているのは、ただ老いと死の二つだけである。これらは、一瞬もとまらぬ速さでやってくる。それを待つ間、人生に何の楽しみがあろうか。何もありはしない。
生きることの意味を知ろうとしない者は、老いも死も恐れない。名声や利益に心を奪われ、我が人生の終着が間近に迫っていることを、知ろうとしないからである。逆に、生きることの意味が分からない者は、老いと死が迫り来ることを、悲しみ恐れる。それは、この世が永久不変であると思い込んで、万物が流転変化するという無常の原理をわきまえないからである。」

(解説)
「この仕事人間に対する観察の、なんと現代的なことか。蟻を、猛烈に働く会社人間に置き換えてみると、はっきりする。仕事があり、健康で働けるうちは、誰も人生の真実など念頭にない。しかし、定年を迎えたり、リストラに遭ってからでは遅い、と兼好は忠告する。若いうちに、早く、「変化の理」を学びとれ。それが人生を生きる知恵だ、と。」

(これはまさに平安時代のblogである・・・・)
ご他聞に漏れず、自分も「徒然草」は高校の古文の時間に読んだ(事になっている)。受験に出るということで、参考書も勉強した(事になっている)。でも、自慢ではないがもちろん覚えていない。覚えているのは「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、・・・・」という所だけ。

それを先日、フト本屋で現代語訳版の「徒然草」を見かけ、40数年ぶりに読んでみる気になって買った。高校の受験とは別に、純粋に文学を楽しめるかどうか・・・・(前に「世界史」で挫折した事がある)
それが読み始まったら、意外といける・・・。700年前の視点が、何と現代にも通じていることか・・・。(年譜によると、「徒然草」は70歳まで生きた吉田兼好の48歳(1330年)の作らしい)
この段も、平安時代のblog?とは思えない内容。仏教の無常の思想も入っているが、まさに現代でも通じる指摘・・・・・。

まあ、これに味をしめて(と言ってもまだ読み終わっていないが・・・)、名前だけ知っている世の古典を、純文学として(人生が終わるまでに)味わってみるのも、意外と“粋”なことなのかも知れないな・・・と思った。
それに世界の名作文学も、最近は現代人向けに再翻訳され、売れているとも聞く。これらも、リタイア後の“時間の有効活用”に、良い事かもね・・・・

(関連記事)
「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・

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