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2008年4月 1日 (火)

吉田兼好のblog=「徒然草」74段から・・・

駅からの帰りのバスの中で、現代語訳「徒然草」(角川ソフィア文庫)~ビギナーズ・クラシックス)を読んでいたら、最近このblogに書いている内容に近いテーマの段があった。曰く・・・

「利に群がる蟻人間――蟻のごとくに」第74段(P107)

「人間が、この都に集まって、蟻のように、東西南北にあくせく走り回っている。その中には、地位の高い人や低い人、年老いた人や若い人が混じっている。それぞれ、働きに行く所があり、帰る家がある。帰れば、夜寝て、朝起きて、また仕事に出る。このようにあくせくと働いて、いったい何が目的なのか。要するに、おのれの生命に執着し、利益を追い求めて、とどまることがないのだ。
このように、利己と保身に明け暮れて、何を期待しようというのか。何も期待できやしない。待ち受けているのは、ただ老いと死の二つだけである。これらは、一瞬もとまらぬ速さでやってくる。それを待つ間、人生に何の楽しみがあろうか。何もありはしない。
生きることの意味を知ろうとしない者は、老いも死も恐れない。名声や利益に心を奪われ、我が人生の終着が間近に迫っていることを、知ろうとしないからである。逆に、生きることの意味が分からない者は、老いと死が迫り来ることを、悲しみ恐れる。それは、この世が永久不変であると思い込んで、万物が流転変化するという無常の原理をわきまえないからである。」

(解説)
「この仕事人間に対する観察の、なんと現代的なことか。蟻を、猛烈に働く会社人間に置き換えてみると、はっきりする。仕事があり、健康で働けるうちは、誰も人生の真実など念頭にない。しかし、定年を迎えたり、リストラに遭ってからでは遅い、と兼好は忠告する。若いうちに、早く、「変化の理」を学びとれ。それが人生を生きる知恵だ、と。」

(これはまさに平安時代のblogである・・・・)
ご他聞に漏れず、自分も「徒然草」は高校の古文の時間に読んだ(事になっている)。受験に出るということで、参考書も勉強した(事になっている)。でも、自慢ではないがもちろん覚えていない。覚えているのは「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、・・・・」という所だけ。

それを先日、フト本屋で現代語訳版の「徒然草」を見かけ、40数年ぶりに読んでみる気になって買った。高校の受験とは別に、純粋に文学を楽しめるかどうか・・・・(前に「世界史」で挫折した事がある)
それが読み始まったら、意外といける・・・。700年前の視点が、何と現代にも通じていることか・・・。(年譜によると、「徒然草」は70歳まで生きた吉田兼好の48歳(1330年)の作らしい)
この段も、平安時代のblog?とは思えない内容。仏教の無常の思想も入っているが、まさに現代でも通じる指摘・・・・・。

まあ、これに味をしめて(と言ってもまだ読み終わっていないが・・・)、名前だけ知っている世の古典を、純文学として(人生が終わるまでに)味わってみるのも、意外と“粋”なことなのかも知れないな・・・と思った。
それに世界の名作文学も、最近は現代人向けに再翻訳され、売れているとも聞く。これらも、リタイア後の“時間の有効活用”に、良い事かもね・・・・

(関連記事)
「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・


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