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2008年3月の25件の記事

2008年3月31日 (月)

長寿と仕事の関係・・・・

先日(08/3/30)の日経朝刊に「健康情報を読み解く~長寿と仕事の関係は?~早期退職悪影響も」 というコラムが載っていた。(P10)

この記事は、現在会社で(定年後の)“延長戦中”の自分が、最も思い込んでいる「退職したら、家でやる事が無くなり、意識は自分の体調だけに行って、結果として病気を呼び込むのでは?」という不安(思い込み)に対して、解をくれている・・・。曰く・・・・

「仕事を早期にリタイヤして、残りの人生を好きなことをしてのんびり過ごす―。筆者もそんな夢を見る一人だが、早期退職が必ずしもその後の健康に結びつかない可能性を示した研究が3月1日、米国専門誌に報告された。

研究対象は、ギリシア人の男女約1万7千人。1994-99年の時点で、退職しているか仕事をしているかを尋ねた。その後平均7.7年間の追跡調査を行い、生死や死因を確認した。

すると、調査開始時点ですでに退職していたグループは、仕事を続けていたグループに比べて、同年齢でも死亡率が1.51倍と高かった。退職者の中でも、退職年齢が早い人の方が死亡率も高くなる傾向があった。

米石油大手シェルの社員を調査した2005年の別論文でも、55歳で早期退職した集団は、65歳で定年退職した集団より、死亡率が1.37倍高かった。

どちらの研究も、早期退職がその後の長寿につながるという仮説に対して否定的だった。むしろ反対に、早期退職が健康の悪化と結びつく可能性をうかがわせる結果だった。

もっとも、これらの研究は、早期退職が原因で健康状態の悪化が生じたのか。あるいは逆に、健康状態の悪化が原因で早期退職を余儀なくされたのか、十分区別できない。・・・・・・・

とはいえ、退職に伴って生じる生活の大きな変化が、体や心の健康にさまざまな影響を及ぼすのは確かだろう。退職に向けて十分に備えることの大切さをうかがわせるデータと言えそうだ。(東北大学公共政策大学院教授 坪野吉孝)

結論は簡単だ。如何に人間、生き甲斐を持って暮らせるか・・・だろう。それは分かっている。自分の課題は、バカの一つ覚えの「会社員」をリタイアした後、その他の生活を知らない、否、知ろうとしていない所に問題があるのである。

このblogも、「(会社員以外の)世界探し」をテーマに始めたものだ。それから、何ともう2年にもなる。
それで見付かったか?? いやいや、
まだまだ見付かったとは言えない・・・。

別に長寿が目的で会社員の延長をしている訳ではないが、会社員をリタイアした後、どうしたら充実した毎日を送れるか・・・、それが自分の課題なのである。(「濡れ落ち葉」に、カミさんも逃げるだろうし、メイ子(我が家の愛犬・・)だって逃げるだろうな・・・・)

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2008年3月30日 (日)

「葬儀」について考えた

今朝は、急逝した会社の同僚(といっても一緒に仕事をした事は無かったが)の葬儀に、越谷まで行ってきた。享年51歳。くも膜下出血で3月25日の朝に倒れ、2日後の27日昼前に帰らぬ人となった。ほんの一週間の出来事である。
まさに人の死は、突然にやってくる・・・・。しかし、悲しいことに世の中は何も変わらない。会社も何も変わらない。一人の命など、まったく関係なく踏み潰して時間は過ぎていく。
でも今日の葬儀では、さすがに涙を流している同僚が何人か居た。それが救いだった。

自分なども勝手なもので、そのような事件が無いと、死について考えない。避けて通る・・。
だから案の定、今日も駅から葬儀のお寺までの道を歩きながら「しょうがないこと」について考えた。いかに「しょうがないこと」を「しょうがない」と自分で納得できるか、それが難しい・・・と。でもこれからの人生で、それは必須であるような気がする。今までの平々凡々の生活から、いつ何時、理不尽な出来事が目の前に現れるか分からない。自身の病気や親族との別れ等。その時に、「しょうがないこと」を直視出来て、それを「しょうがない」と受け入れることが果たして出来るか、自分ははなはだ疑問でなのである。

先日、カミさんから「直葬(ちょくそう)」という言葉を聞いた。松原惇子 「『ひとりの老後』はこわくない」という本に載っていた「ひそかなブームの直葬」という記事だ。曰く・・・
「葬式は自分のためにあるのではなく、遺された人のためにある。・・・・最近、私が出した結論は『お葬式はしない』である。近年、お葬式はせずに、火葬だけの『直葬』が多くなったと、葬儀関係者から聞いた。
勉強不足で知らなかったのだが、お葬式はやらなくてもなんの問題もないらしい。葬儀と葬式は別物で、火葬はしなければならないが、葬式というセレモニーは法律で義務付けられているわけではないのだ。・・・」(P188)

テキ(カミさん)は、こんな本を買って、「その時」に備え出したらしい・・。
まあ正解といえば正解だが(男が残されたほど悲劇は無いと言う・・・)、自分が死んだ時、カミさんの持論(?)で自分も「直葬」になるかも・・・?
でも最近は、それで良いように思えてきた。最近は会社でも、「密葬(?)のため香典は辞退します」という通知が多くなってきた。(これは、正しくは「家族葬のため・・・」が正解か?)
自分の場合、10年前の親父の葬式は盛大に行った。その時はそれで良いと思っていた。しかし、自分も現役引退を間近に控えて、見方が変わってきた。それは、自分の視点(価値観)から“相手にとって”に変わってきている。
だから自分の時も、いわゆる家族葬で充分のような気がしてきた。一人でも泣いてくれる人が居れば、それで良いとしようか・・・
まあ、それに、“いつ何時「その時」が来ても大丈夫なように、日々そのような生活をせよ”ということなのだろう・・・。
(しかし、段々とアタマに来てきたぞ・・・。もう「『ひとりの老後』はこわくない」という本を読んでいるカミさんは“けしからん”・・・よね?)

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2008年3月29日 (土)

「江戸時代が生み出したもの」~18代当主 徳川恒孝氏の話

NHKラジオ深夜便歴史に親しむ~江戸時代が生み出したもの~ 徳川宗家第十八代当主…徳川恒孝」(08/3/20~H19.4.19の再放送)を聞いた。
この方は日本郵船のサラリーマンだった人で、今は2003年に出来た「徳川記念財団」の理事長をされているという。この話で「目から鱗」が色々あったので、以下抄録してみる。

・江戸時代265年間に戦争が無かったのは非常に素晴らしいこと。その間、ヨーロッパは戦争につぐ戦争。アジアは悲惨な植民地化。戦争は文化を生み出さない。西洋が世界の中心だったとすると、日本は一番遠い所にあったので巻き込まれなかった。これが一番幸運だった。19世紀は西欧社会が一番輝いていた。明治の日本はそれに圧倒された。
・豊臣時代の朝鮮出兵に疲れていた日本は、徳川政治が多少悪くても、平和であればしょうがないということだったのだろう。
・家康が力を入れたのが本の出版事業。駿府に移ってからは銅の活字での出版事業は日本で最初の大量活字印刷だった。家康は「世の中が乱れるのは皆が本を読まないからだ。本を発行する事は仁なる政(まつりごと)の元である」と言っている。元禄の頃は年間で4~5千点の出版が行われていた。西欧は貴族のためだが、日本は町民等全ての大衆相手なので、部数が多かった。
・参勤交代は、文化が日本中に広まったことでは意味があった。260年間日本中の大名が行ったり来たりした。しかも村の若い人も荷物運びで江戸に来た。そうすると薩摩の農家の息子が津軽の農家の息子と一緒に浅草なんかで芝居見物をしている・・・、という風に、日本中の文化が国中をめぐった。だから、何万という人達が官費で行き来する効果は大変なのもがあった。西欧では領主は行ったり来たりするが、95%の人は自分の住んでいた所から一歩も外に出なかった。明治になって、自分の藩がどうなんだと言うより、日本がどうだなんだという風に考えられたのは、二百数十年間訓練が行き届いていたからだ。
・学問のあり方も全国統一。子供達は寺子屋。武家は藩校。先生達は全国を巡回している。だから、教育のシステムと人々が街道を行き来する文明、そして参勤交代が一緒になって、おそらく日本は西欧に比べて200年は早い大旅行国家になっていた。
・よって、ペリーの来訪などの事件の情報は、全国津々浦々に早く伝わり、色々な所にその記録が残っている。
・日本の知的水準は高く、幕末の段階での識字率は世界一だったろうというのが世界の定説。武家は5~7%だったので残りの90%の教育は寺子屋。6~7才から入って12~13才まで。それも一人ひとりへの能力に合わせた個別授業。教科書は7000種類あって、それを十返舎一九や滝沢馬琴が書いていた。それが終わると丁稚奉公。22~23歳くらいまでは、よそ様のメシを食べて社会で生きていくとはどういうことかを学ぶ。これが今とは全く違う。つまり小学校はみっちりやって、中学・高校・大学は寮に入って実地訓練を受けるというのが庶民の生活だった。
・日本が世界から尊敬される大きな要素は、戦前の軍事力でも戦後の経済力でもなく、「文化力」だ。日本は世界でも有数の豊かな国だ

日ごろ目に(耳に)しない別の視点からの話に、「ヘエー」と思った。
確かに日本は良い国だ。「今度生まれ替わって来るのなら、やはり日本人・・・」と思っている人も多いだろう。
しかし、江戸時代の庶民の生活には驚かされる。映画等では見ることもあるが、ここまでの話は聞いた事が無かった。
まあ、色々な世界は(いや、日本は)広く、深いということか・・・? 
ついでに、我々団塊の世代だって、“広く、深い”ところがあるかもね・・・

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2008年3月28日 (金)

将棋九段「内藤國雄」の面白い話

NHKラジオ深夜便(08/3/25)アンコール「人生私流」~才能と努力と運~将棋九段 内藤國雄(H20・2・9放送)を聞いた。なかなか愉快な人で、つい聞き入ってしまった。
自分は将棋はやらないが(下の息子が小学校低学年の時、将棋に負けて自転車を買わされてからのトラウマ)、将棋の世界から人生が見えてくる話で面白い・・・。以下その抄録である。

・囲碁はつかみどころが無くて分かりにくいが、将棋は「大手」というのがあって分かり易いと思って、囲碁ではなく将棋を選んだ。
・入門した「藤内」は「内藤」の逆で、昔は右から書いていたので、同じ名前だと思ったのが将棋入りをした大きなきっかけ。
・子供のとき、兄が将棋教室に通っており、自分は外で自転車の見張り役。そしたら教室のお爺さん(実は藤内先生)が声を掛けてくれて、中に入れてもらって将棋をやった。その時に相手になってくれた人が13級だったが、3番続けて負けた。それでイヤになっていたら、もう一番やろうと言うのでやったら、見事に勝った。それが嬉しくて嬉しくて、その味が忘れられなくて、将棋教室に通うようになった。後で、それはわざと負けてくれたのだと分かった。もしそこで負けていたら、将棋界には入っていなかっただろう。
・13歳でアマ13級。とても遅いスタートだったが、それから半年で初段になり、内藤先生から「なかなかのものや」と褒められてプロに誘われ、14歳でプロ6級でスタートした。

・若い頃は、うまい手を発見した時は嬉しくて、将棋はうまい手を発見した方が勝つ、つまり妙手探し、巧手探しのゲームだと思っていた。しかし段々と、うまい手で勝負がつくのではなく、悪い手で勝負がつくのだと分かってきた。確かに大山名人の将棋を見たら、悪い手をやらないように・・、敵が間違えるから・・、という姿勢・人生観。
・前にTVを見ていたら、鈴木健二アナが升田さんに「将棋って何ですか?」と聞いた。そしたら升田さんが「我慢比べですな」と答えた。大山さんならともかく、大胆な升田さんのこの言葉には感心した。つまり将棋は妙手探しでなく我慢比べ。ほとんどの将棋は悪い手をやったほうが負けている。大山名人はどうも「人間は、どんなエライ人でも必ずミスをするものだ」という人生観を持っていたようだ。だから自分が苦しくても、楽しく粘っている。希望を持って粘っているから弾力のようなものが出来て、実際に相手がミスをしたチャンスを捕らえて逆転勝ちをする。悪くなっても投げない。敵は必ずミスをするので、そのチャンスを待って逃さない、という将棋。
・将棋は勝たなければ面白くない。途中で楽しい場面があっても、勝たなければ全てが消えてしまう。女性の将棋ファンが極端に少ないのは、そのせい。女性は、将棋は負けるとツライと言う。囲碁は、自分で働いた分(陣地・石)は試合が終わった後も残る。しかし将棋は、どんなに持ち駒があっても負けたとたん消えてしまう。
・将棋は「終わり良ければ全て良し」というゲーム。人生と似ている。終盤が良くて勝てれば、つまり晩年が良ければその人の人生は幸せだ。若い頃が幸せだったので、晩年が不幸でも、まあ人生こんなものだ・・とは絶対に思わない。若いときに幸せだと、終わりの不幸はよけいにツライ。
・前に、自分が悪手で「しまった」と思った時、若い相手が2時間くらい居なくなった事がある。これは後で考えて、良い作戦だと思った。つまり、ミスを出した場面を長い間見させられている。勝負の最中で一番やってはいけないのは、指した手を反省すること。それを2時間見させられたら、気持ちが萎えてくる。勝つ一番楽な方法は、相手に嫌気を起こさせること。早く勝ちたいと、結論は急いではダメ。
・もう将棋界で50年。そろそろ引退の時期が近付いているので、最後の夢は、最後に素晴らしい将棋を指して、「なかなか良い将棋を指すな・・・」と思って頂いた所でさっと引退したい。

ラジオを聴きながらメモして行ったら、つい長くなってしまった。
それに内藤國雄九段は、特技として演歌が大好きで、(自分は知らなかったが)32年前に「おゆき」という100万枚の大ヒットがあるそうだ。まあ、三橋美智也と春日八郎が大好きだと言っていただけの事はある。

ともあれ、同じ将棋キチのウチの息子とは、だいぶん世界の広さが違うな・・・と思ってみたり・・・。まあ比較するだけムダだが・・・

(関連記事)
「名付け」という事

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2008年3月27日 (木)

「おもねる」というイヤな言葉~都の400億円出資に思う

今朝(08/3/27)の日経の社説「都民にツケ回した「石原銀行」救済の罪」は実に的確な指摘である。(全文はここ)(朝日の社説も全く同様の論調だった)  曰く・・・

「・・・私たちは新銀行を早期に幕引きするようにこれまで繰り返し求めてきた。・・・
都議会の審議でもこうした疑問点は解消されなかった。・・・
最大会派の自民党に至っては審議が始まって早々に賛成を表明し、新銀行に関する質問はほとんどなかった。・・・
自民、公明が賛成に回ったのは来年夏の都議選を意識したためだ。福田康夫政権の支持率が低下するなかで、石原与党という立場を明確に打ち出す方が得策とみたのだろう。都庁に寄せられる意見や様々な世論調査をみても追加出資に反対する声が多いのに、両党は党利党略を優先して都民にツケを回した。時間がたてば新銀行問題について都民は忘れるとでも思っているのか。
 都議1人の報酬は年間約1700万円と地方議会のなかで最高の水準である。それでこのありさまだ。新銀行の経営が今後改善しない場合、石原知事はもちろん、都議会はどう責任をとるつもりなのだろうか。」

この400億円の負担は、1人当たり3110円、都内一世帯当り6520円になるというから、合計1400億円では2万3千円近くにもなる。つまり、我が家でも2万3千円を石原銀行に出資しているのだ。
石原知事は「皆さんが選んだ都議会で説明する」とうそぶき、説明を受けるべき都議会がこの体たらく・・。何とも言葉が無い。
都民の声を代弁するべき都議が、自分達の私利私欲を優先して都民にツケを回す姿勢には、もはや無力感さえ漂う。
しかも石原知事は「都民の皆さんが、議会が知っていること以上に知っているわけがない。」「世論調査を気にしていたら政治なんてできない」と言ってのける・・・・。このような人を誰が選んだのだ・・・・

話が変わるが、視点をサラリーマン社会に向けてみよう。
先日、何かで「おもねる」というイヤな言葉を聞いた。時は4月。まさに会社の人事異動、組織改変のシーズンだ。そこには当然組織体制変更(上長交代等)による悲喜こもごもがある。そしてサラリーマンは、上長に対して迎合しなければ生きて行けないという宿命がある。
前にこのblogで「四苦八苦」について書いた(ここ)が、八苦のひとつに「怨憎会苦(おんぞうえく)~うらみや憎しみをもった相手と付き合う苦しみ」がある。

フト、この自公の党利党略は、サラリーマン社会ではどこにでも転がっている、このイヤな処世術と同じような気がした。
もしかすると、都議会の自公は石原知事に対して、苦しんでいるのかも・・、と考えると、実は“哀れ”なのかも知れないな・・・・。(TVで見た、議会で可決後に知事と握手をしている面々・・・)
でももし今、都議選があったら、少なくても石原与党には投票しないだろうな、と思うこの頃である。
(政治向きの事は書かない方が良い、とカミさんは自分に忠告するが、今日だけは我慢できない・・・)

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2008年3月26日 (水)

昭和7年の歌「天国に結ぶ恋」

今日は、すごく古い“心中の歌”の話である。
1932年(昭和7年)発売の「天国に結ぶ恋」という歌をご存知だろうか? 歌っているのは、東京音楽学校出身のバリトン歌手「徳山璉(たまき)」と四家文子という歌手である。(あまりに古くて良く分からない・・・)

自分がこの歌を初めて聞いたのは、中学生の頃(昭和30年代)だったろうか・・・。旋律が物悲しく、そして「ふたりの恋は清かった・・」という歌詞が気になり、“英語学習用”のテープレコーダにあわてて録音したものだった。(だから3番の「ふたりの恋は清かった・・」という歌詞が頭に残っているのである)
とにかく聞いてみようか・・。何と76年も前の録音である。

<徳山璉/四家文子「天国に結ぶ恋」> ~1932年(昭和7年)

「天国に結ぶ恋」
  作詞:柳水巴(=西條八十)
  作曲:林純平 
  唄 :徳山璉・四家文子

1)今宵名残りの三日月も
 消えて淋しき相模灘
 涙にうるむ漁火に
 この世の恋の儚さよ

2)あなたを他所に嫁がせて
 なんで生きよう 生きらりょか
 僕も行きます 母様の
 お傍へ あなたの手を取って

3)ふたりの恋は清かった
 神様だけが御存知よ
 死んで楽しい天国で
 あなたの妻になりますわ

4)いまぞ楽しく眠りゆく
 五月青葉の坂田山
 愛の二人にささやくは
 やさしき波の子守唄

当時の新聞を賑わした「坂田山心中」についてはNetで詳しい事情が読める
簡単に言うと・・・、昭和7年大磯で心中事件が発生した。男の方はある男爵の甥で、東京市芝白金三光町に住む慶応大学理財科3年の調所五郎(24)、女の方は静岡県駿東郡下に住む湯山八重子(22歳)。調所家に残されていた五郎の遺書から、八重子の両親から交際を反対されたのを悲観しての自殺と分かった。
どうして若い男女の一心中事件が日本中の話題をさらったのかというと、心中女性の死体が仮埋葬してある寺から盗まれ、服を剥ぎ取られて海岸で発見されるという猟奇事件に発展したこと、そして心中女性の死体が検視の結果、処女であったと発表された事。
しかし、全ては東京日日新聞の「純潔の香高く、天国に結ぶ恋、多摩に営む比翼塚、大磯心中の麗しい結末」という見出しや、「天国に結ぶ恋」という名文句が一人歩きして、新聞・マスコミが非常にロマンチックな物語に仕立て上げてしまったのだという。
そして間髪入れずに、この「天国に結ぶ恋」という歌や同名の映画が作られたのだという。

なぜこの記事を書く気になったのかというと、静岡から出てきた湯山八重子が入学した東京の学校(頌栄高等女学校)が、何と自分の通勤駅と同じ所にあるため、何となく他人の気がしないのである・・・(← 幾ら何でも無理スジ・・・・)
まあ二人が出会うきっかけとなったのが、通勤している会社の近く・・・、と言うだけなのだが・・・・

今では「心中」という言葉そのものが死語。しかし、「自分も、実は若いときに“心中”するような熱い恋があった・・・」なんて言い出すと面白いかも・・・?
でもウチのカミさんは「そんなワケ無いでしょ!」でチョンだな・・・。言うだけムダなので止めておこう・・・

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2008年3月24日 (月)

美空ひばりの「津軽のふるさと」

歌謡曲界の大御所、美空ひばりの歌から1曲選ぶとすると、自分は「津軽のふるさと」を選ぶ。
この歌は、いわゆる「美空ひばり風」な歌では無いように思う。この歌を初めて聞いたとき、オリジナルの歌が美空ひばりと聞いてビックリしたものだ。

言うまでも無く、これは昭和27年(1952年)11月20日リリースの島耕ニ監督の松竹映画「リンゴ園の少女」の挿入歌である。この映画には、かの「リンゴ追分」も歌われており、映画の内容とは別に重要な映画だ。
「津軽のふるさと」は昭和28年(1953年)1月15日の発売というから、実に55年前の歌だ。しかしこの叙情豊かな旋律は、実に美しい・・・。大御所の歌で聞いてみよう。

<美空ひばり「津軽のふるさと」>~1953年発売

「津軽のふるさと」
    作詩・作曲 米山正夫

1)りんごの ふるさとは
  北国の果て
  うらうらと 山肌に
  抱かれて 夢を見た
  あの頃の想い出 あゝ今いずこに
  りんごの ふるさとは
  北国の果て

2)りんごの ふるさとは
  雪国の果て
  晴れた日は 晴れた日は
  船が行く 日本海
  海のいろは碧く あゝ夢は遠く
  りんごの ふるさとは
  雪国の果て

  あゝ 津軽の海よ 山よ
  いつの日も なつかし
  津軽の ふるさと

ついでにステレオ再録盤も聞いてみよう。

<美空ひばり「津軽のふるさと」>~ステレオ盤

この歌は、いわゆる演歌ではなく、まさに叙情歌なので、オペラ歌手をはじめ色々な歌手が歌っている。自分が持っているものでも、他に秋川雅史、岡本知高、塩田美奈子、島津亜矢、森進一がある。(鮫島有美子が歌っていないのは寂しい・・)
この記事を書くにあたり、全員の歌を聞いてみた。結果、オリジナル以外ではやはり塩田美奈子の歌が良い。塩田美奈子の「津軽のふるさと~ある古い歌の伝説」というCDはかなり売れたと聞く。なるほど、確かにこの歌にフィットしている気がする。少しだけ聞いてみよう。

<塩田美奈子「津軽のふるさと」>

Image01871 しかし、改めてNetで見てみると、美空ひばりは52歳で逝去している。若かった・・。それにもう没後20年近くになる。しかし大歌手だった。昔、美空ひばりのレコードの印税は、ただ一人ダントツだと聞いた事がある。まあ“格”が違っていたのだろう。
最近は、このような大歌手も居ないし、爆発的に売れた曲もない。まあ寂しい限りだが、この様な名曲は、永遠に消える事はなかろう。

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2008年3月23日 (日)

「開き直り」とは?・・・・浅田真央の転倒に思う

2008年世界フィギュアスケート選手権で浅田真央が優勝したニュース(08/3/20)は、まだ記憶に新しい。最初のジャンプに入る前に、まさかの転倒・・・。それにも拘らず立ち直っての演技、そして優勝は、彼女の精神力の強さに世界が舌を巻いた。(実はウチのカミさんがフィギュアスケートの大ファンで、また浅田真央のファンなので、つい一緒にTVを見てしまう・・・・)

最近、「開き直る」ことについてつい考えてしまう。
オリンピック等のスポーツや芸術の世界での、いわゆる「本番」・・・。そこでは、小さなミスによってガタガタになる人、それを乗り越え、むしろリラックスして伸び伸びと演技ができる人、まさにさまざまである。その違いは何だろう・・・。それは、いわゆる「開き直り」の違いのような気がする。
つまり、ミスをした直後の心理・・・。 「もうダメだ」と諦めて力が抜けてしまう? 逆に「ダメでもともと・・・」と開き直る?
この浅田真央の演技は、人が挫折を感じた時の立ち直りに、貴重なアドバイスを与えてくれているように感じる・・・

話は変わるが、今日の昼、春本番の天気に誘われて、メイ子(ウチのヨーキー)と一緒にいつもの散歩・・・。歩きながらカミさんと雑談していたら、カミさんは「開き直りは諦めだ」と言う。「開き直り」は「諦め」が出発点か?
浅田真央の場合も、転倒することで優勝しなければ・・・といったプレッシャーから力が抜け、かえって“怖いもの無し”で、思う存分演技が出来たのかも・・・? という。

NETによると、本人はインタビューでこう言っていたらしい。
「転んだ瞬間には、すごくびっくりしました。リンクの壁が目の前に見えて、何も考えることができなくなって……次のフリップ-トゥループのコンビネーションの時には、『アクセル転んじゃった、もうダメだ……』って気持ちでした。でもだんだん、やっぱり行かなきゃ、頑張んなきゃって思うようになって……。とにかく残りを全部、しっかり練習してきたとおりにやろう! って気持ちになれたんです」
「世界選手権を経験して分かったのは……あきらめないってことの大事さです。トリプルアクセルを失敗しても、ほかのエレメンツでばん回しよう、そのほかの部分をあきらめずに頑張ればいい結果が出るんだって、分かったから」

ここで分かることは、日ごろの練習に裏打ちされた「自信」である。どのような逆境に陥っても、自分自身を失わない自信・・・・。
これを我々の生活に当てはめて考えてみると、人生の節目での自分自身の対応になる。
受験で失敗した時。就活で失敗した時。失恋。会社生活での肩タタキに逢ったとき。そして離婚騒動や、病死での配偶者との別れ。そして自身の病気の宣告等々・・・・。
これからも幾らでも「難題」は降りかかって来る。
その時にどう「開き直れるか」だ。

自分は夕食の時に良くうそぶいている。「これだけ毎日うまい物を食っているのだから、病気になる訳が無い・・・」
つまり、例え病気になっても「これ以上は努力しようが無いので天命だ」と思えるような生活をしているか? 何かあっても「最大限の努力(例えば食生活)はしたのだから、しょうがない」「これ以上やりようが無いのだから仕方が無い」と諦められるような生活をしているか?
そして毎日を、“手抜きの生活”をしていないだろうか・・・?という反省・・・。
「開き直る」にも「開き直れる“資格”」があるような気がするこの頃ではある。

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2008年3月21日 (金)

空の旅は「窓際族」に限る・・・

雑誌「ラジオ深夜便」4月号に、アンカーコーナ「のど自慢旅日記~空の旅、海の旅~空の旅は“窓際族”に限る」という宮川泰夫アンカーの記事が載っていた。(08/1/24放送というが聞かなかったな~)
080321radioshinyabin この記事には、“空の旅のノウハウ”が詰まっているので、一読だけでは勿体ない。だから、文字にしておこう・・・。(なお、NHKラジオ深夜便では、毎日の担当アナウンサーの事を(最後の番組なので)「アンカー」と呼んでいる)

宮川アンカーがNHKのど自慢の司会を担当したのは、1993年から2005年までの12年間。訪れた地域は600箇所。そのうち、約1/3の200往復は飛行機を使い、羽田空港から飛行機が飛んでいる日本の全ての空港を踏破したというのが自慢。
その経験から、飛行機の窓から見える絶景の“おススメ”が書いてある。記事の順に、メモを取ってみると・・・・

・「瀬戸内海上空」~“進行左側の窓際”が良い。羽田から九州に向かう飛行機は。瀬戸内海上空で本州側の海岸線に沿って飛ぶ。瀬戸内海の島々や、本州を四国を結ぶ3つの大橋の全容も見える。

着陸する時の景色も素晴らしい・・・
・「高知空港」~羽田から高知空港に向かう飛行機は、いったん高知沖の太平洋に出て、そこから空港に向かって高度を下げる。島影ひとつ無い太平洋と、海に向かって弧を描く高知の長い海岸線は、日本離れしたスケール。

・「熊本空港」~“進行左側の窓際”。山の大眺望が楽しめる。空港が阿蘇の西側にあるため、東京方面からの飛行機は必ず阿蘇の山々を横切る。高度を下げていく時、阿蘇五岳や外輪山の全容が見える。

・「帯広空港」~大地の広さを実感できる。カラマツ並木で整然と区画された畑や、牛舎、乳牛の群れが見え、大地の大きさと人々が続けてきた農業という営みを実感できる。

・「伊丹空港」~大都会を上空から俯瞰できる。ビルが林立し、家屋が密集する市街地のど真ん中に高度を下げて行く時の光景は怖いほど迫力がある。

・「羽田空港」~羽田空港へは、ぜひ夜の到着便を。着陸間際、窓の外に広がるまばゆいネオンの海。世界に冠たる大東京の夜景には息をのむ。

いちばんのおすすめは?
・「南アルプスの山々」~羽田から西に向かう飛行機のお目当ては富士山。進行左側に見える富士山では、頂上の火口や観測所が見える。しかし、富士山とは反対側の「右側」の眼下に見える南アルプスの山々は、北岳、間の岳など3000メートル級の山が連なっている。

・「北アルプス越え」~そして、200往復でのいちばんのおすすめは、北アルプス越え。羽田から富山空港、能登空港、小松空港に向かう飛行機は、ちょうど北アルプスの真上を横切るように飛ぶ。穂高岳や槍ヶ岳など、切り立った個性的な山々が手に取るように眺められる。中でも富山行きの便は、進行左側の窓から乗鞍岳や木曾の御嶽山、右の窓からは立山。槍ヶ岳と穂高岳はほぼ真下。絶景中の絶景。なお富山から羽田に向かう便はこのコースは取らないので、羽田発限定の楽しみ。

自分も飛行機は好きで、良く窓際に座ったが、これほど詳細には見なかったな・・・。
1030361 ふと、自分なりの絶景を思い出した。それはオーストラリアからの帰り、飛行機から見えたグレートバリアリーフである。まあこれは海外旅行での話だが、この景色はいまだに目に焼き着いている・・・・(この写真は04/8/11撮影)

もし次のチャンスがあったら、このノウハウを覚えておいて、空からの絶景を堪能することにしよう。(blogというのは備忘録でもある。実はこの記事は、自分用のメモも兼ねているのである・・・)

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2008年3月19日 (水)

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」~歌謡曲のアレンジの妙・・・

前にも このblogに書いているが、自分は「良い音」で歌謡曲を聞くのが好きである。演歌でも何でも、音が良くなければダメ。よって、同じ曲でも編曲(アレンジ)・録音時期が違うもの(レコード会社が違う等)は、全て別の曲として収集している。
だいたいにおいては、初リリースの録音(編曲)がベスト。印象的にも、初リリースされた時のアレンジは、誰の耳にもその音が滲み付いており、そうそう評価は揺るがない。しかも、後で録音する際は、編曲者が自分の個性を出そうとするので、とかく馴染めない場合が多い。
その中で、新録音の方に惹かれた数少ない盤に、石川さゆりの「津軽海峡・雪景色」がある。もともとは日本コロムビアの録音(編曲は作曲者である三木たかし」:1977年=昭和52年発売)だが、レコード会社の移籍にともなって2000年に発売されたテイチク盤(編曲は今泉敏郎)は、オリジナリティは保ったまま輝きを増しており、素晴らしい録音(編曲)だ。オリジナルの編曲が染み付いている耳にも、違和感は無い。少し聞いてみよう。

<石川さゆり「津軽海峡・冬景色」~テイチク録音2000年>(CDはこれ

ちなみにオリジナルも少し聞いてみよう。
<石川さゆり「津軽海峡・冬景色」~コロムビア録音1977年>

何度聞いたか分からないこのようなスタンダード曲も、改めて新録音で聞いてみると、なかなか新鮮で良いものである。これは、いわば音楽の「リニューアル」である。
しかしクラシックの世界では、再録音は日常的である。特に指揮者は長寿な人が多いので、オーケストラやレーベルを変えて再録音する。ワルターがステレオで全ての曲を改めて再録音したのをはじめ、カラヤンの「運命」など、Netで調べてみると7回位録音しているらしい・・。

話は変わるが、我が家も築20年・・・。そろそろ外壁や屋根が傷んできた・・・。手遅れにならないうちに、そろそろリニューアルでもしようか・・・?
カミさんや息子共のリニューアルは無理だけど・・・・(ン???)

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2008年3月18日 (火)

脚本家「橋本忍」89歳

NHKハイビジョン特集「映画に賭(か)ける~脚本家・橋本忍~」(08/3/10放送)を見た。あまりに有名な脚本家の人生を辿る。
その作品群は膨大。自分が知っているものだけでも「大菩薩峠」「ゼロの焦点」「上意討ち」「日本沈没」「白い巨塔」「日本の一番長い日」「張り込み」「どですかでん」「隠し砦の三悪人」「生きる」「七人の侍」「羅生門」「悪い奴ほどよく眠る」「私は貝になりたい」「八甲田山」「砂の器」「切腹」「風林火山」「霧の旗」・・・・等々、これまで映画化された作品は71本に及ぶという。

橋本忍は若くして従軍するが、入隊から3ヶ月の21歳の時に結核を発症。除隊。その後、伊丹万作の指導を受け、その縁で、映画監督の佐伯清、黒澤明につながっていく。
橋本が黒澤に送った短編「雌雄(藪の中)」が黒澤の目にとまり、黒澤が芥川龍之介の「羅生門」と合わせて書き換えたのが映画「羅生門」のシナリオ。その後、「生きる」「七人の侍」等々を共同執筆。

映画の黄金期、1958年度の観客動員数は11億2700万を記録。国民1人当たり年に10回以上も見た事になる。橋本は次に何をやるかに付いて、自分で基準を作った。
1)自分のやりたい作品であるかどうか 2)金がどれだけ入るか 3)名誉声望が得られるか
その結果、黒澤作品はどれにも当てはまらなかった。結果、黒澤作品から自然に足が遠退いていった。

砂の器」はどの映画会社も取り上げてくれず、仕方なく橋本プロダクションを立ち上げた。この作品は映画化が非常に難しく、後半の40分の構成を、人形浄瑠璃「壷坂観音霊験記」を手本に、舞台右手の「浄瑠璃語り」を“事件を解明して行く警視庁の捜査会議”に、正面の「人形芝居」を“親子の旅”に、舞台左手に持ってきた「三味線奏者」をオーケストラ「宿命」のコンサート会場に位置付けた。この三つが同一時間に成立するかどうかが勝負。これは「マクリ一発」(競輪で、ゴール寸前で一気に抜き去る戦法=橋本は競馬の大ファン)の脚本だという。そして大ヒット。

1991年(73歳)の時から橋本は病がちになり、右の腎臓摘出、すい臓炎、膀胱がんなど12年間に亘って病院との往復の生活となる。しかし黒澤の訃報を知ってから(1998年)、自分が黒澤組の最後のシナリオライターだと知り、黒澤組の共同脚本の実態を書き残すべく、その後「複眼の映像~私と黒澤明」を執筆。
そして、今まで執筆した脚本は一度も書きなおした事が無かったが、「私は貝になりたい」について、黒澤から以前、脚本を手に「この本では何か貝になれないんじゃない?(=軽い=何かが欠けている)」と言われた事を思い出して、書き直すことにした。
そして橋本が書き改めた「私は貝になりたい」が今、中居正広主演でリメイクされることになって撮影中だという。
そして番組は「橋本忍は言う。自分は映画の賭博者。職人の技で映画の可能性に賭ける勝負師だ」という言葉で終わる・・・・。

最後に出てくるフランキー境の「私は貝になりたい」は、1959年(=小学校6年のときだ)、学校からわざわざ映画館にこの映画を見に連れて行かれたのを思い出す。
しかし、12年間の病気との闘いにもめげずに89歳にして復活するエネルギーはすごい。
朝起きた時から今日仕事をしなければいけないと思うと心構えが違う。この本のお陰で3年間長生きさせてもらった。体もしゃきしゃきする。字を書く事が楽しいし、字が書けなかった5~6年前よりも(生活に)張りが出て、むしろ体調は良い

この番組は、この橋本の言葉からも、“人間の晩年の生き方”に対して重要な示唆を与えているようにも思った。

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映画「砂の器」のサントラ「宿命」

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2008年3月17日 (月)

森田童子の「逆光線」・・・自死遺族の会

NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「自死遺族が語り合える場を『こころのカフェ きょうと』代表 石倉紘子」(08/3/15放送分)という放送があった。
氏は23年前、夫が精神を病んだ末42歳で自殺。それを乗り越えるのに、毎日泣き叫んで酒に逃げ、そこから抜け出すのに2年位かかったという。そして、保育士を退職したのを機に、何でも語り合える自殺者遺族の会を結成したという。
こころのカフェ きょうと』はそのHPで「自死遺族の方々を対象としたわかちあいの場を設けることを目的とするボランティア団体です」と謳っている。
この話を聞きながら、フト「逆光線」という歌を思い出した・・・・。(話が飛び過ぎ?)

じつは、この歌のテーマが何と「自殺」なのだ・・・・。いつも歌詞を聞かない(意識しない)自分だが、この「逆光線」をいう歌詞の内容は凄まじい・・・。
その歌を歌っているのが森田童子という女性歌手。非常に不思議な歌声の持ち主で、
まさに童子(男児)の声だ・・・・。
Netで見たら、“1975年~1983年まで活動したシンガーソングライター”とある。

<森田童子「逆光線」>

「逆光線」
  作詩・作曲:森田童子

淋しい ぼくの部屋に
静かに 夏が来る
汗を流して ぼくは
青い空を 見る
 
夏は淋しい 白いランニングシャツ
安全カミソリがやさしく
ぼくの手首を走る
静かに ぼくの命は ふきだして

真夏の淋しい 蒼さの中で
ぼくはひとり
真夏の淋しい 蒼さの中で
ぼくはひとり

やさしく 発狂する

080317moritadouji 自分が森田童子という名前を知ったのは、93年に初めて「僕たちの失敗」を聞いた時である。その不思議な歌声。「ぼく」がたくさん出てくる歌詞・・・。
「ぼく」の歌詞から、“男性にしては声が女性っぽいな・・・”と、「正体」が分からずに随分悩んだ(?)ものだ・・・
Netでみると、やはり森田童子はコンサートでもレコードのジャケットでも、全く素顔を見せずに、そのまま活動を停止し、表舞台から去ったらしい。

同じように暗いテーマで歌うシンガーソングライターでは、山崎ハコ、カルメン・マキなどがいるが、森田童子は一段と暗い。
この非常に狭く閉ざされた「森田童子の世界」・・・。とうてい一般受けするとは思えないユニークな「森田童子の世界」・・。
Netでは「放送禁止」という言葉も出てくる。歌詞が刺激的なせい??

ともあれ、森田童子は25年も前の歌手であり、現在は主婦だという。もちろん復帰の可能性は0%。
1952年生まれというからもう56歳か・・・・。しかし、この様な厭世的な歌を歌っていた彼女が、今は孫のいる生活・・・ナンテ想像すると、何かおかしい・・・(ナゾの歌手なので、ひょっとすると隣に住んでいるかもね??)

話を戻すと、よく「死ぬことを考えたら何でも出来る」という。10年前に死んだ親父からも、昔、「戦争の時の事を考えたら、全て些細なこと」と言われたことがある。またTVで戦争からの生還者が「動くものは全て食べた。食えない奴は死んだ」と言っていた・・・。
戦場での生への執念と、対極にある自死・・・・。
たぶん心の切り替え=開き直りが出来る人は死なないのだろう。
自分もその様な場面に遭遇した時、果たして「開き直り」が出来るかどうかははなはだ疑問だ。だから「その様な場面」に出くわさないように、逃げるが勝ち・・・???
冬も過ぎ、これから夏に向かって一直線!
・・・という訳で、今日は一足早く、真夏の恐~い歌の話でした・・・・。

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山崎ハコのコンサート番組を見た

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2008年3月15日 (土)

我が家もとうとう薄型テレビ・・・

我が家でもとうとう薄型テレビ(東芝の液晶テレビ37Z3500)を買ってしまった。今日はその顛末記である。
先週(08/3/13)、家に帰るとカミさんが「テレビが壊れた」という。なぬ・・・?電源を入れてしばらくすると、画面が消えて電源が点いたり消えたりを繰り返す。なるほど・・・。これは壊れたな・・・。とうとう我が家も薄型テレビに買い換える時期か・・・・

しかしけしからん。今のテレビは、たった6年しか稼動していない。メモをみると居間の東芝ハイビジョンテレビ(32D3000)は、02/2/8購入とあるので、まさに6年。これは短い。その前のテレビは12年も動いていたのに・・・。まあ画面はまだまだキレイだったので、修理すればまだ使えるのだろうが、良い機会なので買い換えることにした。
思えばこのテレビの時代は、ハイビジョンテレビの出初めで、もちろんブラウン管の時代。SONY、Pana、東芝等が競っていた。結局、大きさやiLinkの相性などからこのTVにしたが、まあまあ当たったな。しかし、当時のTVは地上デジタルのチューナーは内蔵していなかった。よって、後からDVDレコーダーを買い足して、チューナーはもっぱらDVDレコーダーを使い、D4でつないで見ていた。DVDレコーダーは立ち上がりに時間がかかるため、イライラすることもあったが・・。

1ケ月ほど前に、自室のDVDレコーダー(DV-DH1000D)が誤動作を繰り返し、嫌気が差していたので、今後どうしようか・・と考えて検討していた。その時の結論が東芝の液晶テレビ37Z3500であった。よって今回、何を買うかは迷わなかった。
今まで、液晶ならシャープが無難・・・、プラズマならPanaか・・・、と考えていたが、決め手は一般市販のUSBハードディスクに録画できること。
前にブラウン管式ハイビジョンTVを買ったときにも、画質に散々拘った。今回も、液晶TVの残像に拘った。一般の液晶TVの残像は耐えられない。しかしビクターが始めた倍速スキャン(120コマ)だと大分改善されている。店頭の画面差は歴然。東芝にも内蔵されているので、まあ良いかな・・・・と。

当初、居間には42型を・・・と考えていたが、置き場所で“この位の大きさ・・・”と示すとカミさんが42型では大き過ぎると言う。仕方なく37型で我慢することにした。確かにこれからは、動く(転居)とすると部屋は必ず小さくなる・・・・
その夜、価格COMで店を選んでパソコンから注文。北海道の店が安いが、遠すぎる。よって近くのカード決済が出来る店を選んだ。カードが使えれば、実質1%引きとなるので、送料込み139,800円は138,400円だ。まあこんなものだろう。
先月、新橋駅前のヤマダ電機で聞いたら、ポイント無しの現金だと16万とか16.5万とか・・・。さっき、ラオックスて見たら16.2万円だって・・・。まあ通販は安い・・・。
そして、パソコンから注文してから36時間後の今朝、もうテレビが家に配達されてきて、さっき設置したという訳。

一番気になっていた残像は、やはりブラウン管にはかなわない。幾ら倍速スキャンでも、画面をパン(横に移動)したときの残像は大きく、かなり解像度が落ちる。
でもまあ、仕方が無いな・・・。(カミさんは全く気にしていない・・・・)

Img_20781 居間のテレビはこれで良いとして、自室の同じ32D3000が壊れたときは、何を買おうか・・・。世の中、SEDも挫折したし、有機ELディスプレイもまだまだ・・・。プラズマも、もう一度研究してみるか・・・?
しかし、実は自室は32型がやっとなのである。家を建てたとき、機械類を収納する棚を買ったが、20年前のその時代には、これほど大型テレビが普及するとは想定されていなかったため、棚のテレビスペースは32型がやっと。自室のTVは、SONYもPanaも大きさ的にダメだった。大きさ的に東芝しか選択肢が無かったのだ・・。
さーて、自室は(カミさんには内緒で?)金をふんだんに掛けて、最高級のTVを買う予定だが、スペースが最大の問題だな・・・。
実際に今回の37Z3500も入らない・・・。とすると、居間のTVよりも性能が落ちるな~。トホホ・・・

(追:08/3/23)
田舎に帰った時、シャープの液晶テレビ(LC-32D10~@89千円)と画面を見比べてしまった。しかし同じ液晶でもこれだけ画質に差があるとは・・・・・・。
まず、LC-32D10は動いた部分の輪郭が大きく崩れる。例えば、人物がお辞儀をして頭を下げると、動いた頭と肩の部分の輪郭に(極端に言うと)ブロックノイズが現れる。
それと、細かい部分のジュワジュワ・・というノイズ。例えば野球の観客のような細かい部分が、全体的にノイズでざわめく。
もちろん値段相応なのだが、グレード毎に絵の作りは大きく違うと言うことだ。もちろん田舎のお袋には、言うだけムダなので(全く意に介せず)言わなかったが・・・・

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2008年3月14日 (金)

島倉千代子の「哀愁のからまつ林」

NHKラジオ深夜便で、先日(08/3/13)「にっぽんの歌・こころの歌 作家で綴る流行歌:船村徹(作曲)作品集」を放送していた。船村徹というと、自分は島倉千代子の「哀愁のからまつ林」を真っ先に思い出す。
この歌は、まさに「哀愁」をおびた日本の名曲である。少し聞いてみよう・・・

<島倉千代子の「哀愁のからまつ林」>      

「哀愁のからまつ林」
  作詞:西沢爽
  作曲:船村徹
  歌 :島倉千代子

1 涙あふれて はり裂けそうな
  胸を両手で 抱きしめる
  見えないの 見えないの
  背伸びをしても
  ああ あの人は行ってしまった
  からまつ林

2 せめてもいちど 恋しい人の
  胸に甘えて 縋れたら
  それだけで それだけで
  死んでもいいの
  ああ 弱虫と 風が叱るわ
  日暮れの風が

3 あとも見ないで 別れていった
  男らしさが 哀しさが
  燃えるよな 燃えるよな
  夕焼け小焼け
  ああ 帰りましょう 影を踏み踏み
  落葉の道を

オリジナル(モノ)も聞いてみよう。これは作曲者・船村徹の編曲である。

ステレオ再録盤でも上と違う録音もある。編曲者は同じだが、だいぶん雰囲気が違う・・・

「哀愁のからまつ林」をNetで検索してみると、昭和34年(1959年)11月発売とある。しかしWikipediaで「島倉千代子」を読むとその波乱に満ちた人生にビックリ。しかも1938年(昭和13年)の生まれというから自分とは9歳しか違わない。
7歳の時に左手を怪我し、左手切断の宣告までされる。1955年、16歳でデビュー。21歳のとき声が出なくなり失踪。23歳のときファンの投げたテープが目に当たり失明寸前。25歳のとき阪神の藤本と結婚。そして30歳で離婚。37歳で実印を貸したことで16億円の借金。39歳で知人の失踪により2.4億円の負債。55歳で乳癌手術。そして2007年、また知人に資産を奪われて借金を抱える・・・
とまあ、69歳の現在でも島倉千代子の人生は激動である。
でも立派だ。ずっと現役で活躍し、膨大な借金も返しているらしいし・・・・・。

思い出してみると、もしかすると自分が一番最初に覚えた歌手は島倉千代子かも知れない・・・。
今でも良く覚えている・・・。自分が生まれた大宮の家で、ラジオから流れてきた島倉千代子の歌声。「からたち日記」が昭和33年発売というからまさにその頃だ・・・。
そしてその歌声は、子ども心にも何か「枯れた独特の声」に聞こえた。今思うと、それは島倉千代子20歳の頃の声だったのだが、そんなに若くは聞こえなかった。

ともあれ、この「哀愁のからまつ林」を聞いていると、しみじみしていて「日本の良さ」を感じるな・・・・。

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2008年3月13日 (木)

英エコノミスト誌の「日本特集=JAPA“i”N」

先日の日経(08/3/12)に載っていた「英エコノミスト」誌の日本特集抄訳(P6)はなかなか面白かった。曰く・・・・
080313economist 「政治の混乱や経済の停滞が目立つ日本に対して、海外のメディアが厳しい視線を注いでいる。英エコノミスト誌は「JAPAiN」と題した特集記事を掲載した。日本の英語表記に「i」を加えて苦痛(Pain)の意味を掛け合わせ、経済の低迷に苦しむ現状を表現。失敗の責任は政治家にあると指摘した。米国やアジアのメディアも日本の現状に懸念を示している。」

この記事の見出しを羅列するだけで何を言わんとしているかが分かる。曰く・・
「世界第2位の経済がいまだに立ちすくんでいる・・・」
「ニッポンの停滞 海外の厳しい目」
「JAPAiN(苦痛に満ちた日本) ~問題は政治なのだ」
「なぜ日本は失敗し続けるのか~経済閣僚に失望」
「何も決められぬ政治家 ~一貫せぬ小沢氏」
「やる気なくす官僚 ~改革か低成長か」
「有権者にも責任の一旦」

この記事の中で、特に印象に残ったところを引用してみると・・・
「政治は昨夏から混迷状態に陥っている。2006年9月に小泉純一郎氏の後任として首相になった、安倍晋三氏は、07年9月に退任。後継の福田康夫首相は求心力に乏しい。混迷が本格化したのは、小沢一郎代表率いる民主党が07年7月の参院選で大勝し、野党が過半数を握ってからだ。民主党はいまや成長をめざす経済改革どころか、あらゆる政策協議を滞らせる力を持つに至った。
こうした状況では、内閣提出法案の成立と円滑な国会運営を任務とする自民党の大島理森国会対策委員長も嘆くしかない。『世界中の投資家や政治指導者は、今の日本を一目見ただけで、あの国の政治家は何も決められないのだと、歩くときにどちらの足を出すのかさえも決められないのだと、考えるに違いない。』」

「第一の責任者は安部前首相だ。改革の旗手を自認して首相になったのだが、過去の言動を見る限り、経済改革に感心があったとは思えない。・・・第二の責任者は、自民党内で隠然たる勢力を誇る旧世代の大物たちだ。・・・福田政権になると、決定権は再び派閥と長老たち――中でも中曽根康弘氏、森喜朗氏の首相経験者――の手に戻った。・・・第三の責任者は、民主党の小沢代表である。・・・・小沢氏は党のこめかみに拳銃をつきつけているような立場にある。代表の座をめぐって意見対立が起きるようなことがあれば、民主党は空中分解しかねないとわかっている。小沢氏が離党を決意したら(なにしろその前歴がある)、何人かの議員は行動を共にするだろう。そうなったら民主党は参院での優位を失う。」

「・・・さらに言えば、・・・一族郎党の利益を実現する手段として政治をもてあそぶ風土こそが問題である。・・・そして最後に、有権者も責任の一端を負うべきである。十年前、本誌が『失望させることにかけては超一流』だと日本をやゆしたとき、論客として知られるある議員が反論した。タイトルは『失望しないことにかけては超一流の日本の有権者』とすべきだったという。・・・」

本blogではあまり政治向きのことは書かないようにしている。よって今回も、単に引用だけしておく。
しかし海外のメディアは、まさに核心を言い当てている。日本の政治家も、この様な客観的な指摘に素直に耳を傾ける姿勢があれば、もう少し日本は良くなると思うのだが・・・。

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2008年3月11日 (火)

居酒屋チェーンと取引ビール会社

今日はビールと居酒屋の話である。
今朝(08/3/11)の日経産業新聞(P24)に「サントリー一筋 ワタミの“変節”」という記事が載っていた。今まで知らなかったが、居酒屋チェーンは、普通創業時からビール会社から有形無形の支援を受けており、居酒屋とビール会社との結びつきは普遍であったという。それが最近、サントリー派のワタミがアサヒビールから4%程度の出資を受け、4月から「わたみん屋(125店)」でスーパードライを出すというので話題になっているとか・・・。

自分は、トシとともにあまり居酒屋にも行かなくなったが、居酒屋とビール会社とのつながりについては知らなかった。
その記事によると、各居酒屋チェーンとビール会社との関係は、以下のようだという。

モンテローザ(白木屋・笑笑)=キリン
コロワイド(甘太郎・いろはにほへと)=サントリー
ワタミ(和民・わたみん屋)=主:サントリー、従:(4月以降)アサヒ
大庄(庄や・やるき茶屋)=主:サントリー・アサヒ、従:キリン・サッポロ
チムニー(はなの舞・こだわりやま)=キリン
ヴィア・ホールディングス(備長扇屋・うおや一丁)=アサヒ
関門海(玄品ふぐ)=主:サッポロ、従:キリン

080311izakayabeer 自分にとっては聞いた事の無い店が多いが、居酒屋チェーンもいまや若者の酒離れと飲酒運転規制で苦境らしい。これはビール会社も同じだろう。
よって、ビール会社にとって、大量消費をしてくれる居酒屋チェーンの囲い込みは、やはり最重要課題なのだろう。
このアサヒの例では、ワタミが4%の株式の取得に必要な額は27億円。でも、単純計算で年間36億円の新規取引を確保する事になるため、3~4年で投資を回収できるという。

でも自分が、今後例え居酒屋に行ったとしても、“この店は**屋だからキリンだな・・”なんては思わないな・・・・。それほどビールの味にツウでは無いので・・・・。

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2008年3月10日 (月)

杉並児童合唱団の「冬の花」~斉唱の美しさ・・・

今日は「斉唱」の美しさについてである。
聞いていて“心が素直になれる音楽”というのは確かにある。例えばこの歌・・・・。
杉並児童合唱団の歌う「冬の花」という唱歌(童謡?)である。

<杉並児童合唱団「冬の花」>

「冬の花」
 作詞 阪田 寛夫
 作曲 湯山 昭

さわってみたい 冬の花
かれた野原の 白い星
さわればきっと つめたくて
こころもしろく ひかるでしょう

さわってみたい 冬の花
ゆびをしずかに 近づける
さわればきっと 花びらは
小さい涙 こぼすでしょう

さわってみたい 冬の花
けれどなぜだか さわれない
そのままそっと 立ち上がり
はしってかえる かれ野原

この歌は、自分はたまたまラジオで聞いたのだが、この音源のCDがなかなか見つからない。そして分かったのが、CDマガジン「日本のうた こころの歌」No.52に収録されている事が分かった。その冊子によると、この歌は、昭和52年12月の作品で、小学校4年生の音楽の教科書のために書かれ、この歌は「イ短調」を学習する目的だったとか。
その他、「日本童謡唱歌大系 第5巻(東京書籍)」「現代こどもの歌秀作選 湯山昭選集」にも載っているらしい。

しかしこの歌、心に素直に入ってくる、澄んだ良い曲ではないか・・・
この歌を聞くと、パートに分かれたいわゆる「合唱」でなく、同じ旋律を歌う「斉唱」もなかなか良いものである。
そういえば、オーケストラのヴァイオリンも、ソロと違って合奏は何かしっとりと品が出る。児童合唱も同じで、この歌声も何か品があるな・・・

ところで、ここで言う「冬の花」とは何という花だろう?
別に、今年も去って行く「冬」を懐かしむ訳ではないが、まあこんな歌でも聞きながら、年寄りに厳しかった冬にサヨナラでもしようか?

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2008年3月 9日 (日)

春だ・・・若山彰の「惜春鳥」

やっと春だ~~
今日は散歩をしていて、途中で汗が出るくらい・・・。20度に近い。やっと冬が終わったかな?

しかし今年の冬は寒かった。当八王子でも、先週も朝は1~2度。昼は暖かくなるので、何を着て行くかにも迷う・・・。
しかし昨日に続いて今日も暖かい。散歩道にある梅の花も満開だ~~

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多摩川の風景にも、春の日差し・・・。川の水の色も、心なしか春めいている?(向こうに見えるのは多摩川に架かる八高線の鉄橋)

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という訳で、何か春にちなんだ(題名に「春」が入った)歌はないかと探したら、こんな曲が出てきた。
若山彰の「惜春鳥」である。この曲は昭和34年(1959年)6月発売。久しぶりに聞いてみると心が明るくなる良い歌だ。でも若い人はまず知らない歌であろう。還暦を過ぎた我々にも、若い頃はあったのである。

<若山彰「惜春鳥」>

「惜春鳥」
    作詞 木下恵介
    作曲 木下忠司

1)流れる雲よ朝空に 朝空に
 輝く遠き山々よ 山々よ
 若きいのちの 喜びを
 知るや大空 晴れわたる
 あゝ青春の 花さけば
 何処かで鳥が 鳴いている

2)流れる歌よ春の日の 春の日の
 風の調べか草笛か 草笛か
 恋のいのちの せつなさを
 知るややさしく 鳴りわたる
 あゝ青春の 花香れ
 何処かで鳥が 鳴いている

3)流れる春よ夕空に 夕空に
 願いし夢よ思い出よ 思い出よ
 清きいのちの さゝやきを
 知るや入日が 消え残る
 あゝ青春の 花散れば

 何処かで鳥が 鳴いている

ステレオ再録盤も聞いてみよう。
<若山彰「惜春鳥」(ステレオ)>

 

(2014/10/29追)
★若山彰のロシア民謡集~ZIPファイルは(ここ
odorikoさんから提供頂いた、若山彰のロシア民謡集です。「カチューシャ」「ともしび」「トロイカ」「バルカンの星の下に」「モスクワ郊外の夕べ」「りんごの花咲く頃」「仕事の歌」「リラの花」の8曲が入っています。

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2008年3月 8日 (土)

NHK激流中国「上海から先生がやってきた~貧困の村で~」

NHKスペシャル 激流中国「上海から先生がやってきた~貧困の村で~」  (08/3/2放送)を見て、中国の壮大なエネルギーを感じた。この番組を見て号泣したウチのカミさんは「このままでは、日本は中国に負ける・・・」と言う。
以下、この番組に感激したウチのカミさんの感想を交えて、この番組を振り返ってみる。(08/3/9 AM10:49~BS2で再放送)

「中国の600人のボランティア大学院生が支教団として1年間貧しい農村を支える。国が指定する貧困県は600箇所。「貧しい人々に教育を施す事が使命。教育で国を救う」。農村では教師の数も能力も不足。若者の力を借りて農村の人材を育て事が支教団の目的。都会で余裕の出来た若者が10万人以上が農村に向かっている。

メンバーの一人、上海の名門、復旦大学に通う梁佩思(りょうはいし)さん(22)は、恵まれた生活を離れ、貧しい農村の高校で1年間のボランティア教師となることを決意した。
そして大学の仲間12人と西部の西吉県に向かう。西吉県は上海から列車で2日。収入格差は10倍。

Img_20611 現地に行ってビックリ。二段ベッドに6人。トイレは仕切りも無い穴だけ。食事は、おかずも無いモーモーが週に一個。貴重な水は取り合い。校内はどこを見ても勉強する生徒。寝ている時間以外は教科書を離さない。生徒達は朝4時半から夜12時まで必死に勉強。しかも勉強する場所が無いので、皆歩きながら勉強する。
Img_20651 家庭訪問に行くとそれぞれの事情が分かってくる。「私が大学を出て金を稼いで皆を貧しさから救いたい」。もう一人の女の子は昼休みに家に帰っている。父は亡くなり、母も腰の骨を折って何も出来ないのでその世話に帰る。弟が一人畑作業で一家を支える。しかし家計が赤字なので、利子の仕組みも知らないまま銀行からの借金に頼る。その額13万円。弟は意Img_20661 を決して都会に仕事を探しに出るが、仕事を探す人が多過ぎて見付からない。そして母を親戚に預け、命の危険を冒して何年か炭鉱にこもると決心。そうしてまで、貧しさから抜け出るために姉を大学に・・・・
冬は零下15度。この時期、香港の支援団体から奨学金が寄せられるが、
Img_20671 この子は勉強不足でその候補(一人1000円=家の一月の収入以上)にはならない。
朝6時にはもう高校生が窓の明かりで勉強を始めている・・・。歩きながら・・・・

Img_20731 農村の若い人は、皆出稼ぎに行く。まるで日本の戦後の集団就職・・・。知識も無いままに出るので金にまつわる悲劇も・・。
何もしてあげられないと、悩む上海から来た梁さん・・・。」

以下は、この番組を見ての我が家(実はカミさんの・・・)の感想である。
「中国は、自分のためでなく全ては家族のため。出稼ぎに行く弟も、姉と母のためにグチも言わずに懸命に働く。日本なら「何でオレがやらなきゃいけないんだ・・・」と投げ出す所なのに・・・・
ボランティアの先生も、住む所は(トイレでも分かるように)劣悪。日本だったら先生が帰ってしまうだろう。人のためにあれだけやれるかな・・・とショック。本当に寒く、日本のお嬢さんだったら逃げちゃう。日本はあのエネルギーに負けるな・・・と思う。
この1年間の経験で、これからこの若者達は彼らをその貧しさから救おうと、活動すると思う。日本では“見なかったこと・・”で済ましてしまうが、この子達はその現実に向き合っているからすごい。
日本の場合は、その努力も“自分のためだけ・・”という場合が多いように思う。また、“自分のために何かをする”というのは、本当はとても贅沢で恵まれているという事だということを、我々は気付かないといけない。
中国では動機が全く違う。だから、「自分がどうにかなりたい・・・」という日本の志の低さ(エゴ)と、「人を助けたい(貧困の人を・・、親を・・)」という中国の人の志の高さとの違いを、この番組では我々に厳しく突きつけてくる。日本はこの対比から、勉強をするにしても、“ご飯の心配もなく勉強出来る”という当たり前のことも、それが恵まれている事だという事に気付き、感謝し、そしてそれぞれが今いる自分の場所で努力する事が大切なのではないだろうか?
ボランティアの家族も、よくもこんな環境の世界に娘を送り出す・・・。日本だったら「苦労することは無いよ・・」と止めるのでは?」(以上、この番組に感激したカミさんの感想・・・)

人間は、どんなに恵まれていようが、それに慣れて感謝を忘れる動物。自分もかなり恵まれているのだろう・・・・。
カミさんに言われるまでもなく、「感謝」を忘れずに暮らしたいものではある・・・。

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2008年3月 6日 (木)

腸内細菌と免疫~藤田紘一郎氏の話

NHKラジオ深夜便「こころの時代」で「小さな小さな友達・微生物 東京医科歯科大学名誉教授 藤田紘一郎」(08/3/4~5)を聞いた。なかなか面白い話で“目から鱗”??
話を要約すると・・・

「人間の腸内細菌は、500種類、100兆個、重さにして1.5K。乳酸菌、ビフィズス菌、大腸菌達がお互いにバランスを取り、体の免疫を高めたりビタミンを作ったりしている。しかし現代の人間社会はそうした細菌達を汚いものとして排除しようとしている。
腸内細菌は大切。人間の糞便には1g当たり1兆個の細菌がいて、体には100~150兆個の腸内細菌がいる。我々の免疫力の70%はその腸内細菌が作っている。あとの30%は心の問題。笑うとか・・・。

現代は、糞便は出た瞬間から汚いものになる。江戸時代、徳川家康が関東ローム層の関東の地に、40万の人達とやってきて、なぜ暮らせたかというと、人の糞便が肥料になったから。その頃は糞便屋、うんち問屋があった。値段は5段階くらいあって、尿と一緒になっていない糞便は高価だった。だから、当時世界最大都市の江戸は清潔な町だった。長屋でも、家賃を払わなくてもちゃんと便を出してくれれば、大家はそれが売れるので家賃の代わりになるという良い時代。
それに比べてパリは汚かった。ベルサイユ宮殿にもトイレは無かった。トイレを作ったら直ぐにいっぱいになってしまう。皆おまるを持ち歩いて、適当に捨てていた。だから2階から降ってくる便を避けるために傘が必要であり、道路の糞便を踏まないためにハイヒールが出来た。対策として、パリでは下水道を作った。
便の半分は腸内細菌だが、最近はそれが減っている。便の量が、戦前は一日平均300gだったのが、今は200g~150gになった。最近まれた赤ちゃんは、その40%がアトピーとか喘息になる。それはお母さんの腸内細菌が少なくなっているため。

清潔も、今の日本のような“し過ぎ”は良くない。表皮ブドウ球菌のような10種類の皮膚常在菌は皮膚を守っている。それを抗菌グッズなどで殺している。女性の膣の中にはデーデルライン乳酸菌がいて膣を守っている。これが膣のグリコーゲンを餌にして乳酸を作って、強力に膣の中を酸性にして雑菌が入らないようにしている。トリコモナスという原虫は常在していないが病原性はゼロ。それが膣の中に入ると餌のグリコーゲンを取ってしまう。だから餌が無くなりデーデルライン乳酸菌が死んでしまって中性になってしまう。だから雑菌が増える。最近はビデで洗いすぎて膣炎になっている人が多い。

日本の水道法は世界で一番厳しい。水道水の細菌を殺すために塩素をたくさん入れる。それを飲むので体の中の細菌まで死んでしまう。
日本人は洗えばきれいになると思っているが、洗いすぎると汚くなる。つまり薬用石鹸などで洗いすぎると、皮膚を守ってくれている細菌まで殺してしまい皮膚の病気になる。東京医科歯科大の皮膚科に来た患者の例では、3分の1が洗い過ぎが原因の皮膚病。
若い人が、一度風呂に入って石鹸で洗うと、皮膚常在菌の90%が流れた。しかし若く健康であれば12時間で元に戻る。しかし年を取るとその戻りが遅くなる。藤田氏は20時間かかった。よって1日1回までの入浴は許されるが、それ以上はダメ。アトピーになったり乾燥肌になったりする。

1950年頃は、日本人には回虫が62%いた。サナダムシとかの回虫の分泌液には人の免疫を抑える働きがあった。だから昔はアトピーとか花粉症とかのアレルギーは無かった。この40年にそれが発生するようになった。
虫が体に中にいる事は、昔から許容されていて、日本語にもたくさんの言葉がある。「虫の知らせ」とか「虫唾(むしず)が走る」とか「浮気の虫」とか。自分はその気は無いが、体の中のムシが勝手に浮気した・・・・ナンテ。

自分はサナダムシのキヨミちゃんを15年間体内で飼っていた。共生している微生物は主主に悪い事はしない。なぜなら宿主が死ぬと自分も死んでしまうし、子供を残せるのはその宿主の中だけ。だから宿主を大事にする。我々が病原体と言っているのは、他の動物で共生していたもの。それが人間の体に入ってくると病原体になる。微生物には縄張りがある。エボラ出血熱の病原菌は、昔からアフリカのミドリ猿に共生していたもの。鳥インフルエンザウィルスを無くそうとしているが、それは無理。人類が人になる前からカモ(鴨)に共生していた。それが同じ水鳥でも、アヒルに感染すると3割が死ぬ。ニワトリだと全滅。人だともっと怖い。これは、人が地球温暖化のような自然破壊で、彼達の生態系を脅かしているから異変が起きる。

大腸菌も生き物なので、抗生剤などでイジメると変身して延命を考える。その過程で157番目のO-157のようなものが出来てしまう。しかし細菌の生きる力のうち、O-157は毒素を作るのに70%の力を使い、生きるエネルギーに30%しか使っていない。だから生きるエネルギーに100%使っている雑菌が居ると、30%のO-157は弱いので、100%の雑菌に殺されてしまう。よって、雑菌のいる所にはO-157はいない。国別では米、日、仏、英、カナダ、北欧等の清潔な国でO-157は発生する。場所では、世界一清潔な学校給食の無菌の場所でのみ繁殖する。O-157の運び屋のカイワレ大根は、無菌で育てられているから。土で育てられた大根などは、雑菌が多いのでO-157はやられてしまう。
前に大阪・堺の小学校でO-157の集団感染があった。その時に児童の便を調べたデータでは、O-157菌がいっぱい居ながら一度も下痢をしなかった子供が30%いた。逆に下痢を繰り返して入院した子供が10%。入院したこの子供達を調べてみると、大変に神経質で大腸菌の数が少なかった。逆に、下痢をしなかった30%の子供には大腸菌がちゃんとあった。だから、O-157が入ってきても元から居た大腸菌がO-157を追い出したので下痢をしなかった。残る60%の子供達は、少し下痢をしたが元気だった。だから大腸菌は悪者ではなく、本当は重要な働きをしている。よってばい菌もバランス良く持っている事が重要だ。

人間は1万年前に免疫システムが完成した。だから同じ環境だと免疫システムは活発になる。人は誰でも1日に3000個のガン細胞が発生するが、TH-1免疫がそれをやっつける。・・・」

とまあ、書いても書ききれない。
しかし、全て「過ぎたるは及ばざるがごとし」ではある。
「アレルギーを避けるためには回虫を飼うこと・・・」とはビックリだが、確かに自分達が小学校の頃は回虫の話題があった。検便にもその検査があった。しかし「花粉症」という言葉は無かった・・・・。
それにしても、清潔は良いことだが人間も動物。色々な動物と共生することで、補っていた部分もあったわけだ。
“何事もほどほどに・・・”だな。

●本日カウントが6万を越えました。皆様の“ご愛顧”に感謝します。

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2008年3月 5日 (水)

「観音経」勝手帖-01 全文

今日から「観音経」について新たなカテゴリを設けて書いてみる。「般若心経勝手帖」に続いて「観音経勝手帖」のスタートである。
まずは偈(げ=詩)の全文を聞くことにしよう。
観音経の録音(CD)は10種類弱を聞いてみたが、下記の日本クラウン盤「お彼岸・お盆・ご命日のお経『天台宗』」に入っている観音経が一番聞きやすいように思う。振りがなは、原則としてこの読み方で振ってある。

<「観音経偈」天台宗~読誦:即真尊れい>

みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼんげー
妙法蓮華経観世音菩薩普門偈

せ-そんみょうそ-ぐ- が-こんじゅ-もんぴ- ぶつし-が-いんねんみょうい-かんぜ-おん
世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音
ぐ-そくみょうそうそん げ-とうむ-じんに にょうちょうかんのんぎょう ぜんのうしょほうじょ-
具足妙曹尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善応諸方所
ぐ-ぜいじんにょうかい りゃっこうふ-し-ぎ- じ-た-せんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん
弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願
が-い-にょ-りゃくせつ もんみょうぎゅけんしん しんねんふ-くうか- のうめつしょ-う-く-
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
け-し-こうがいい-  すいらくだいか-きょう ねんぴ-かんのんりき か-きょうへんじょうち
假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池
わくひょうる-ご-かい りゅうご-しょ-き-なん ねんぴ-かんのんりき は-ろうふ-のうもつ
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
わくざいしゅ-み-ぶ- い-にんしょ-すいだ- ねんぴ-かんのんりき にょ-にちこ-くうじゅう
或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住
わくび-あくにんちく だ-らくこんごうせん  ねんぴ-かんのんりき ふ-のうそんいちもう
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
わくち-おんぞくにょう かくしゅ-とうか-がい ねんぴ-かんのんりき げんそくき-じ-しん
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
わくそうおうなんく- りんぎょうよくじゅじゅう ねんぴ-かんのんりき とうじんだんだんね
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
わくしゅ-きんか-さ- しゅそくび-ちゅ-がい ねんぴ-かんのんりき しゃくねんとくげ-だつ
或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱
しゅうそ-しょ-どくやく しょ-よくがいしんじゃ- ねんぴ-かんのんりき げんじゃくお-ほんに
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
わくぐ-あくら-せつ  どくりゅうしょ-き-とう ねんぴ-かんのんりき じ-しつぷ-かんがい
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
にゃくあくじゅ-い-にょ- り-げ-そうか-ふ ねんぴ-かんのんりき  しつそうむ-へんぼう
若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方
がんじゃ-ぎゅうふっかつ け-どくえんか-ねん ねんび-かんのんりき じんしょうじ-え-こ
玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去
うんらいく-せいでん ごうばくじゅ-だいう- ねんぴ-かんのんりき おうじ-とくしょうさん
雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散
しゅじょうび-こんやく むりょうく-ひっしん かんのんみょうち-りき のうく-せ-けんく-
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
ぐ-そくじんづうりき こうしゅうち-ほうべん じっぽうしょこくど  むせつふ-げんしん
具足神通力 廣修智方便 十方諸国土 無刹不現身
しゅうじゅうしょ-あくしゅ- じ-ごくき-ちくしょう しょうろうびょうし-く- い-ぜんしつりょうめつ
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
しんかんしょうじょうかん こうだいち-え-かん ひ-かんぎゅうじ-かん じょうがんじょうせんごう
真観清浄観 廣大智慧観 悲観及慈観 浄願常譫仰
む-く-しょうじょうこう  え-にちは-しょあん のうぶくさいふうか- ふみょうしょうせ-けん
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
ひ-たいかいらいしん じ-い-みょうだいうん じゅ-かんろ-ほうう- めつじょ-ぼんのうえん
悲體戒雷震 慈意妙大雲 濡甘露法雨 滅除煩悩焔
じょうじゅ-きょうかんじょ - ふ-い-ぐんじんちゅう ねんぴ-かんのんりき しゅうおんしったいさん
諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
みょうおんかんぜ-おん ぼんのんかいちょうおん しょうひ-せけんのん ぜ-こ-しゅ-じょうねん
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
ねんねんもっしょうぎ- かんぜ-おんじょうしょう お-く-のうし-やく  のうい-さ-え-こ-
念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
ぐ-いっさいく-どく  じ-げんじ-しゅ-じょう ふくじゅ-かいむ-りょう ぜ-こ-おうちょうらい
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼
に-じ-   じ-じ-ぼ-さつ  そくじゅうざ-き- ぜんびゃくぶつごん せ-そん にゃくう-しゅ-じょう
爾時 持地菩薩 即従座起 前白佛言 世尊 若有衆生
もんぜ-かんぜ-おんぼ-さっぽん じ-ざいし-ごう  ふ-もんじ-げん  じんづうりきしゃ-
聞是観世音菩薩品 自在之業 普門示現 神通力者
とうち-ぜ-にん く-どくふ-しょう ぶっせつぜ-ふ-もんぼんじ-しゅうじゅう はちまんし-せんしゅうじょう
当知是人 功徳不少 佛説是普門品時衆中 八萬四千衆生
かいほつむとうどう  あのくたら-さんみゃくさんぼだいしん -
皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心

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「般若心経」勝手帖-03 全文

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2008年3月 4日 (火)

91歳作詞家「丘灯至夫」が吼えた・・・?

NHKラジオ深夜便(08/3/2~3)の「こころの時代」は「われら常に、この国を愛す~作詞家 丘灯至夫」だった。91歳にしてはかくしゃくとしていて、現代の歌に苦言を呈していた。

「丘灯至夫(おかとしお)」の作詞というと、舟木一夫の「高校三年生」、スリー・グレイセス 「山のロザリア」、岡本敦郎の「高原列車は行く」などで有名。 未熟児で生まれて、150cm台、30Kg台の貧弱だった自分が、乳母や師事した西條八十、古関裕而、舟木一夫など、みんなに助けられて90歳まで生きようとは・・と言っていた。
その丘灯至夫が机を叩きながら苦言を呈していた。

「昔は言葉があって、それにふさわしいメロディーを作曲家が作ってくれた。それが今では勝手に先に曲を作っちゃって、後から言葉をはめ込む。だから、アクセントもイントネーションもめちゃくちゃ。だから、今の歌は大衆が歌えない。大衆は聞くだけだ。それは歌とはいえない。それに言葉の意味が通じない。だいたいタイトルが横文字で、日本語が半分しかない。言葉が長いから、途中でつまずいてしまう。途中で言葉が無くなってしまい、困って横文字を入れる。日本語の間に横文字が入るから、更に訳が分からなくなる。それと「自然」の歌がない。「私は彼が好きだ」とか、「彼がどうした」とか、そういう歌ばっかりだ。自然を愛し、川を愛し、鳥を愛し・・・という壮大な美しい日本を讃える歌がない。 
それに、今は携帯電話が流行しているが、私と永六輔と小林亜星は携帯電話とインターネットには縁が無い。必要がないと言っている。アレがあるからかえって害がある、と・・・・」

レコード会社の社長に毎年正月に挨拶に行くが、その時に、次のようなレコードを作ってくれるように頼んだ。それは「あの世はパラダイス」「霊柩車は行くよ」。すると社長が乗ってくれたので、小林亜星に作曲を頼んで作ってもらった。社長は良い歌だと誉めてくれたが、営業が待ったを掛けた。こんなの売れない・・と。それから3年、この歌が出来ないと死ねない・・・・・

  「あの世はパラダイス」
丘灯至夫作詞 小林亜星作曲

「(木魚)(ナンマイダー ナンマイダー)
世の中さようなら おさらばすれば
アアあの世というところ あの世というところ
誰も帰ってこないから 誰も戻って来ないから
楽しいところ素敵なところ・・・・」


  「霊柩車は行くよ」
丘灯至夫作詞 小林亜星作曲

「いろいろお世話になりました
何かとお手数をかけました
これから行きます 参ります
アアあの世というところ
どこのどなたも どなたも誰も
帰ってきた人いないとこ
どんな素敵なとこでしょう・・・・」

この歌は、高齢になったら楽しみながらあの世に行って欲しい。死ぬということは悲しいことではない。新しい世界へ行くんだ、という気持ちで行ってもらいたい。というのが、私が作ったお願いなんです。あの世は良いところだから、希望を持って、楽しいところだから行ってらっしゃい。ああ行きますよ・・・。という気持ちで、お葬式を出してもらえればありがたい。
私なんかもこの歌で送ってもらおうと思っている。小林亜星も、そのつもりで作った。
小林亜星がエジプトから帰ってきたら、早く編曲を頼んで、歌い手をさがして練習させて・・・。この歌ができないうちは死ねない。・・・」

どうもあの世という所は、誰も帰って来た人が居ないので、相当に良い所なんだろう・・・と言っていたが、本当かな~~
それにしても、この話を聞きながら「そうか90歳とすると、まだ自分はその2/3しか生きていないんだ・・・」と思った。
しかし、90歳になってもこのウイット・・・。好きだな~・・・・

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2008年3月 3日 (月)

ラジオ主題歌「笛吹童子」「少年探偵団」「赤胴鈴之助」

今日は3月3日、ひな祭りだという。
P10106651 カミさんが、ウチに女の子(の孫?)も居ないのに、(買い物のついでに)ひな祭りのケーキを買ってきたので、愛犬“メイ子”の視線を気にしつつ食った・・・。まあ還暦のおじいさんとおばあさんが「あかりをつけましょ ぼんぼりに・・」と歌ってみてもシャレにならない。

フト、この歌で思い出した・・・。小学校低学年の頃、学芸会で「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花・・」の歌に合わせて遊戯をしたことがあったっけ。自分は、確かピンチヒッター。「五人囃子」に何故か欠員が出来て、急遽加わったことを思い出した。(気弱な自分は、子供のときからスタメンにはなれないのだ)
自分が小学校4年まで居た学校は、埼玉県与野市立上落合小学校・・・。その学校から転校したのが昭和33年3月なので、半世紀も前のことだ。
当時、年が明けた今頃は学芸会のシーズン。父兄が見に来る・・・と緊張してやったものだ。

その頃の楽しみは、ラジオドラマ。もちろんテレビなど無いので、もっぱらラジオの世界に入り込んだ・・・。よって、その主題歌が懐かしい・・・。幾つか聞いてみよう・・・。

<笛吹童子(NHKラジオ「新諸国物語・笛吹童子」主題歌)>

<少年探偵団のうた(ニッポン放送「少年探偵団」主題歌)>

<赤胴鈴之助(ラジオ東京主題歌)>

だいたいこの歌を懐かしいと思うのは、還暦を過ぎた人に限る。まさに、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代だ。
若い人には分からないだろうな・・・・。ラジオの世界に入り込んで、ドキドキハラハラの子供心・・・。
還暦は、一回り回って子供にかえる意味もあるそうだ。よって、こんな歌でも聞いて童心にかえるのもまた良いかもね・・・

(関連記事)
NHKの「三つの歌」と「一丁目一番地」

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2008年3月 2日 (日)

救急患者受け入れ拒否と医療訴訟化への危惧・・・

今日(08/3/2)の夕方のNHKニュースで、「救急患者受け入れ拒否~10回以上 300件」という報道があり、次のように伝えていた。

「患者が救急搬送を繰り返し断られ、死亡する問題が相次いだことを受けて、総務省消防庁は各都道府県を通じて実態調査を行っています。NHKが、現段階での調査結果を20の府県についてまとめたところ、救急が重症の患者の受け入れを医療機関に打診して5回以上断られたケースが、去年1年間に1799件に上り、このうち10回以上断られたケースは302件ありました。最も多いのは、マンションから転落し意識不明になった大阪の30代の男性が39回断られたケースで、埼玉や千葉でも20回以上断られたケースがありました。また、救急隊が到着して、受け入れ先に出発するのにかかった時間は30分以上が6176件で、1時間以上かかったものも625件ありました。医療機関が断った理由は「ベッドが満床」というものや、機材やスタッフが足りず「処置が困難」、「医師が別の患者に対応中」というものが多く、受け入れ態勢の不足が浮き彫りになっています。総務省消防庁は、全国の調査結果を今月中にまとめ、改善策を検討することにしています。」

城西大学 伊関友伸准教授:談「受け入れ態勢を充実させることはやはり重要だと思います。もうひとつは患者側も知恵を使う。タクシー代わりに救急車を使わない。昼間医療にかかるべきところを、夜中にコンビニ的に使うようなことを控えることも重要だと思う」(08/3/2 19:00NHKニュースより)

我が家でも、もう30年近く昔、上の子供が1歳半のとき、夜中に異常になり初めて救急車を呼んだ事があったが、「電話を貸して下さい」と言われ、家からあちこち電話をしていてなかなか救急車が出発せず、初めての救急の姿にビックリした事があった。あれから数十年、救急車のお世話になっていない事はラッキーだが、これからは他人事ではない・・・。
よって、悪化一方の日本の現状に、何とも心苦しく聞いた。

この問題は、既にTVや新聞等で何度も取り上げられている事であり、先日(08/2/28)の電波新聞のコラムにも「救急病院のタライ回しでまた人が死んだ・・・」というコラムがあった。このコラムで指摘している「病人タライ回し」の原因は、
1)表面的な理由は「病床がない」
2)第一の問題は、応急処置をした後、患者を病院に入れなければならない。廊下に寝かせても良いのだろうがこれが出来ない。
3)次に問題なのが、専門医がいない。大学病院と違って普通の病院は、専門医が当直するとは限らない。応急処置は出来るが訴訟が怖い。
4)最近は術後、数ヶ月たってから訴訟される。例えば針で傷口を縫う。専門医でなくてもできるが、やはり下手。これが訴訟の理由になる。
5)産婦人科の問題は、胎児や母体の状況で対応出来るとは判断できない。最近は妊娠しても産婦人科に行かない妊婦もいるそうだ。よって訴訟が怖いので断るほうがよい。

・・・というロジックだそうだ・・・・・。

確かに、病院が緊急患者を無理して受け入れ、病院が良かれと思って処置したとしても、患者は「喉元(のどもと)過ぎれば・・」で、病状が落ち着くとその恩を忘れて(重箱の隅をつついて)医師を責める・・・・。

これでは病院もたまらない。だから、医師が居ない・・・等の自信が無い場合は、見て見ぬフリをしてダンマリを決め込む・・・。まあ仕方が無いようにも見える。でも患者にとってはたまらない。

そこでフト思い付いた。「尊厳死協会カード」のように、「(応急処置で何かあっても)“文句は言いません”カード」でも作って、救急車が「“文句は言いませんカード”を持っている患者ですが受け入れてくれませんか?・・・」と病院に電話する・・・、という風に変えたら、このタライ回しも少しは減ると思うが・・・・、どうだろう?
つまり、さっきのNHKニュースでも伊関准教授が指摘しているように、この日本の膠着状態を打開するには、患者側も考え、権利だけを主張する姿勢を正さないと元に戻らないと思うのだが・・・。

米国の訴訟社会を辟易と見ていたが、いつの間にか日本もそれに近くなってきた。もちろん好い加減な治療を是とする訳ではないが、緊急時に放って置かれる状況のほうがよほど恐ろしいように思う。

(蛇足だが、昼に散歩に行ったら、公園の掲示板に「救急車を呼ぶ前に『#7119』を!」とあった。24時間体勢で、看護士等が救急車を呼ぶべきかどうかの相談に乗ってくれるという。まさにこれも「知恵」の一つだな・・・)

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2008年3月 1日 (土)

「例え試合に敗れても、世界が終わるわけじゃない」

「例え試合に敗れても、世界が終わるわけじゃない」
この言葉は、1996年のサッカー ヨーロッパ選手権で予選敗退した時に、元セルビアモンテネグロ代表監督のイヴァン・ブラジェヴィッチが言った言葉だそうだ。

さっき夕食後、先週録ってあった(08/2/23 pm11:10)フジテレビ「ロス:タイム:ライフ」第4話「看護師編:看護師の涙が起こすドーハの奇跡!~人生をあきらめないで」をカミさんに付き合って、ついつい見てしまった・・・。
これがなかなか面白い・・・。主人公が可愛い・・・「上野樹里」という人らしい・・・

「若い看護婦の松永(上野樹里)が、恋人に振られて病院の屋上から飛び降り自殺する。例によって、地上2mでストップ。審判団が現れて、4時間44分のロスタイムに突入する。そして死ぬまでの4時間で、やり残したことをするのだ。
今回は、たまたま同じ屋上で自殺しようとしていた男を助ける。会社をリストラされたこの男は、バイト先の事務所にあった金142万円を盗んで競馬につぎ込み、パーになって自殺をしようとしていた。松永はどうせ死ぬんだからと、男に貯金をおろして金を渡す。そして不足分を補うために、元恋人からもらった指輪を質屋に持って行くと、価値500円のおもちゃ。これで、元恋人にだまされていた事に気付き、会っておもいっきりピンタ・・・。
これで気が晴れるが、趣味のバックを全部売って、あまった金で食べた寿司のウニの美味しさ・・・・
つくずく自殺したことを後悔するが、もう後の祭り・・・・
そして4時間が過ぎて、飛び降りた病院に戻る。そして死ぬ。・・・はずだったが、何と今回は、生きていた! むっくりと起き上がる松永。そして、タイトルバックで、ウニを散々食う松永・・・・・・・」(
ナンテいうドラマだった) (ストーリーはこのサイトにも詳しいが・・・)

何でこのドラマのことを書く気になったかと言うと、ラストシーンで自殺した看護婦がまだ生きていたので、「ア-よかった・・・!」と、つい自分も嬉しくなって、気分が明るくなったのであ~る。(何と単純な・・・)

「例え試合に敗れても、世界が終わるわけじゃない」という言葉もそうだが、このドラマの失恋も、ある方向からだけ見ていると、自殺するほどの大事件・・・。でも、フト別の観点(別の事実=元恋人のくれたオモチャの指輪を宝物にしていた自分・・・)から見てみると、実につまらないこと・・・・。
まあどんな修羅場に遭遇しても、最悪の場面に比較して考えてみると、どうって言うこと無いのかもね・・・。
(ウチにとって最悪の事って何か?←それはやはり「家族」に何かあった時でしょう・・・・??)

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