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2008年3月18日 (火)

脚本家「橋本忍」89歳

NHKハイビジョン特集「映画に賭(か)ける~脚本家・橋本忍~」(08/3/10放送)を見た。あまりに有名な脚本家の人生を辿る。
その作品群は膨大。自分が知っているものだけでも「大菩薩峠」「ゼロの焦点」「上意討ち」「日本沈没」「白い巨塔」「日本の一番長い日」「張り込み」「どですかでん」「隠し砦の三悪人」「生きる」「七人の侍」「羅生門」「悪い奴ほどよく眠る」「私は貝になりたい」「八甲田山」「砂の器」「切腹」「風林火山」「霧の旗」・・・・等々、これまで映画化された作品は71本に及ぶという。

橋本忍は若くして従軍するが、入隊から3ヶ月の21歳の時に結核を発症。除隊。その後、伊丹万作の指導を受け、その縁で、映画監督の佐伯清、黒澤明につながっていく。
橋本が黒澤に送った短編「雌雄(藪の中)」が黒澤の目にとまり、黒澤が芥川龍之介の「羅生門」と合わせて書き換えたのが映画「羅生門」のシナリオ。その後、「生きる」「七人の侍」等々を共同執筆。

映画の黄金期、1958年度の観客動員数は11億2700万を記録。国民1人当たり年に10回以上も見た事になる。橋本は次に何をやるかに付いて、自分で基準を作った。
1)自分のやりたい作品であるかどうか 2)金がどれだけ入るか 3)名誉声望が得られるか
その結果、黒澤作品はどれにも当てはまらなかった。結果、黒澤作品から自然に足が遠退いていった。

砂の器」はどの映画会社も取り上げてくれず、仕方なく橋本プロダクションを立ち上げた。この作品は映画化が非常に難しく、後半の40分の構成を、人形浄瑠璃「壷坂観音霊験記」を手本に、舞台右手の「浄瑠璃語り」を“事件を解明して行く警視庁の捜査会議”に、正面の「人形芝居」を“親子の旅”に、舞台左手に持ってきた「三味線奏者」をオーケストラ「宿命」のコンサート会場に位置付けた。この三つが同一時間に成立するかどうかが勝負。これは「マクリ一発」(競輪で、ゴール寸前で一気に抜き去る戦法=橋本は競馬の大ファン)の脚本だという。そして大ヒット。

1991年(73歳)の時から橋本は病がちになり、右の腎臓摘出、すい臓炎、膀胱がんなど12年間に亘って病院との往復の生活となる。しかし黒澤の訃報を知ってから(1998年)、自分が黒澤組の最後のシナリオライターだと知り、黒澤組の共同脚本の実態を書き残すべく、その後「複眼の映像~私と黒澤明」を執筆。
そして、今まで執筆した脚本は一度も書きなおした事が無かったが、「私は貝になりたい」について、黒澤から以前、脚本を手に「この本では何か貝になれないんじゃない?(=軽い=何かが欠けている)」と言われた事を思い出して、書き直すことにした。
そして橋本が書き改めた「私は貝になりたい」が今、中居正広主演でリメイクされることになって撮影中だという。
そして番組は「橋本忍は言う。自分は映画の賭博者。職人の技で映画の可能性に賭ける勝負師だ」という言葉で終わる・・・・。

最後に出てくるフランキー境の「私は貝になりたい」は、1959年(=小学校6年のときだ)、学校からわざわざ映画館にこの映画を見に連れて行かれたのを思い出す。
しかし、12年間の病気との闘いにもめげずに89歳にして復活するエネルギーはすごい。
朝起きた時から今日仕事をしなければいけないと思うと心構えが違う。この本のお陰で3年間長生きさせてもらった。体もしゃきしゃきする。字を書く事が楽しいし、字が書けなかった5~6年前よりも(生活に)張りが出て、むしろ体調は良い

この番組は、この橋本の言葉からも、“人間の晩年の生き方”に対して重要な示唆を与えているようにも思った。

(関連記事)
映画「砂の器」のサントラ「宿命」


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