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2008年2月の26件の記事

2008年2月29日 (金)

次世代DVDとゲーム理論

今朝(08/2/29)の日経産業新聞(P39)のコラム「次世代DVDとゲーム理論」に面白い例え話が載っていた。曰く・・・

「東芝の撤退で決着した次世代DVDの規格争い。・・・・・
・・・・・
協力して大きな市場にし、特許料収入も含めて、その分け前を確保した方が両者にとっておいしい話ではなかったのか。
戦略分析でよく利用される「ゲームの理論」に「シカ狩り」というのがある。有名な「囚人のジレンマ」は、二人の共犯者が互いに相手が自白しないか疑心暗鬼になって墓穴を掘るのだが、こちらは二人の狩人の話。協力してシカ狩りをすることもできるし単独で兎狩りもできる。獲物のシカは折半しても兎二匹よりも価値があるが、二人で担がないと下山できない。兎は一人でも難なく捕らえられる。で協力するか単独行か、狩人はどうする。合理的な選択は協力だが、山の中で相手が本当に協力するか不確実。分担任務を放り出し眼前に現れた兎を追う恐れもある。そうなると忠実にシカを追った狩人はばかを見る。
ソニーも東芝も胸に一物ある狩人。志高くシカを追いかけるよりも兎を狙った。ゲームなら両者一匹ずつ仕留めて低位満足の均衡もあるが、ワーナーの“誤射”に驚いて東芝が一気に下山。理論と商売とは違うことを証明した結末になった。」

なるほど・・・・
要は、相手を信用できるかどうか・・・。
家庭でもまったく同じ。夫婦が協力し合えば絶大な力を生むし、不信感が生まれると絶大なストレスを生む。
このように、パートナーを選ぶという事は、(上記の次世代DVDの会社間でも同じだが)実は大変なこと・・・・。
自分の場合、『そのパートナー』が「当った~!」かどうかは、あえて言葉にするまでもあるまい・・・????(← ところで、どっちなの??・・・・・)

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2008年2月28日 (木)

画家 木下晋氏の母親との凄まじい葛藤

先日(08/2/19)NHKラジオ深夜便で放送された、「母を語る~画家 木下晋」という番組を聞いた。自分と同じ年なので、自分のその頃の時代を重ね合わせて聞いていたが、自分の平々凡々の経歴に対して、木下晋氏の凄まじい経歴に、唖然・・・・?

080228kinoshita1 木下晋(きのしたすすむ)氏は昭和22年(1947年)富山市生まれ。母親は3度目の結婚。小さい頃から両親の夫婦喧嘩が絶えず、その度に母が家出。その家出も半端ではなく、一度家を出ると、徒歩で富山から青森まで行ってしまい、2~3年は帰ってこない。金が無いのですべて野宿生活。農家の手伝いをしてお握りを貰ったりして、富山から青森まで行くという家出。小学校に上がる前に、母と一緒に家を出たことがあり、その時は1度目の夫(結婚2年で結核で死に別れ)の奈良の墓に行った。もちろん歩いて富山から奈良まで。ちょうど映画「砂の器」(参考記事はここの流浪の旅と同じで、まさにあの映画の風景が、そのまま目に重なるという。
よって、母親は殆ど家に居ないため、父親に育てられた。しかし、2~3年に一度は母親が帰ってくる・・・。
080228kinoshita2 そして、中学2年のときから母親は同居。当然母親に反発するが、「親に向かって何を言うか」と父親からボコボコにされた。もしそれが無かったら母親との縁は切れていたという。
父親は中学3年のときに事故で亡くなるが、その前の晩に、まるで死期を予想していたように、「母親を頼む」と言われた。よって父の遺言を無視できなくて母親を引き取るようになった。
父親が亡くなったときの母親の泣き叫ぶ取り乱しようは尋常ではなく、何度も家出を繰り返しても夫婦の絆はあるものだと、夫婦の絆の不思議さを知ったという。

080228kinoshita3 そのような日常に転機が訪れた。中学2年の時に若くて美くしい美術の先生が来た。夏休みは昼食の給食が無いのでピンチだが、その先生が「美術室に来ればラーメンを食べさせてあげる」と言ったので飛びついた。その美術の先生が彼の非凡さを見抜いたのだ。そして彫像をひとつ作った。そしてそれを持って、美術の先生の恩師である富山大学教育学部の大滝直平助教授(当時)に連れて行かれた。それから毎日のように大学の研究室に特別聴講生として通い、彫刻の勉強に打ち込んだ。今では到底考えられない。
そして高校1年の時に、ベニヤ板にクレヨン画を描いたとき、教授からそれを東京に持って行けと言われて13時間掛けて東京に行き、上野でやっていた自由美術協会展に作品を預けた。それが入賞し、県で初、16歳という最年少での入賞と地元では大騒ぎになった。
それから自分の鉛筆画の世界を作り上げるまで、アメリカに行ったり苦労したという。

そして奥さんとは駆け落ちするが、3ヶ月後には母親を引き取り、交通事故で無くなるまでの17年間同居したという。そしてその間、母親をモデルに幾つもの鉛筆画を描いたが、その時に母親の昔話を聞き、ようやく母親が身近になったという。

この母親の、女性でありながら無一文で放浪の旅に出るという凄まじさ・・・。1950~1960年代の頃だ。
ラジオ番組では、木下晋とはどんな風貌の人か・・・?そしてアナウンサーは鉛筆画を「まるで写真のよう・・」と言っていたがラジオではピンと来ない。でもネットの力はスゴイ。作品を垣間見ることが出来る・・・。
しかしもし出来たら、9Hから9Bまでの鉛筆を駆使してリアリティ豊かに表現するという大きな原画を見てみたいものだ。
まあ当然とは言え、自分と同じ年齢の人でも、自分とはまったく別の世界を生きた人がたくさん居る・・・・。

(関連記事)
鉛筆画家・木下晋氏と話した・・・

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2008年2月27日 (水)

仲代圭吾の「百万本のバラ」

俳優の仲代達矢の弟で、シャンソン歌手の仲代圭吾という人をご存知だろうか?この仲代圭吾の歌う「百万本のバラ」は、加藤登紀子とは違う別の趣があって面白い。
自分が「百万本のバラ」という歌を知ったのは、新宿のスナックで“流し”がギターで歌っていたのを聞いた時だった。その時に「何ていう歌?」と聞いてこの歌を知った。
今日は、仲代圭吾の歌で聞いてみよう。

<仲代圭吾「百万本のバラ」>

「百万本のバラ」
  作詞:A・ヴォズネセンスキ
  作曲:R・パウルス
  訳詞:松山善三

1)信じてくれますか 一人の若者が
 小さな家を売り バラを買いました
 信じてくれますか うそだと思うでしょう
 街中のバラを 貴方に贈るなんて
 バラをバラをバラを下さい
 ありったけのバラを下さい
 貴方の好きなバラの花で
 貴方を貴方を貴方を包みたい
 バラをバラをバラを下さい
 百万本のバラを下さい
 僕の僕の僕のこの生命
 貴方に貴方に貴方に捧げたい

2)貧しい絵描きの 僕に出きるのは一つ
 何もかも捨てて 貴方を思うこと
 誰も知らない 心のささやきを
 花びらにそえて 貴方に贈りたい
 バラをバラをバラを下さい
 ありったけのバラを下さい
 貴方の好きなバラの花で
 貴方を貴方を貴方を包みたい
 バラをバラをバラを下さい
 百万本のバラを下さい
 僕の僕の僕のこの生命
 貴方に貴方に貴方に捧げたい

3)出会いは短く 貴方はもういない
 貴方は踊り子 街からまた街へ
 夜汽車の窓辺で 貴方は思うだろう
 見えない愛の灯が この世にあるのだと
 くるくるくるくるくるくるまわる
 まっかなサテンのトウシューズ
 残った僕の熱い心には
 甘い思い出 涙のしずく
 バラをバラをバラを下さい
 ありったけのバラを下さい
 貴方の好きなバラの花で
 貴方を貴方を貴方を包みたい

*バラをバラをバラを下さい
 百万本のバラを下さい
 僕の僕の僕のこの生命
 貴方に貴方に貴方に捧げたい

NETで調べてみると、「百万本のバラ」という歌は、どうも以下のような経歴の歌らしい。

1)「百万本のバラ」のオリジナルは、ラトビアの音楽家R.パウルス(ラトビア共和国 元文化大臣)が作ったジャズピアノ曲に、レオンス・ブリエディスがまず詩を付けた。
オリジナルの詩の内容は、
「子どもの頃泣かされると、母に寄り添って慰めてもらった。
 そんなとき母はほほえみを浮かべささやいた
 神は娘に命を与えたけれど 幸せをあげ忘れた」
        (訳:黒沢 歩)

という、母娘の悲しい人生を綴る内容で、他国に支配され続けてきたラトビアの苦難の歴史が暗示されているという。(出典ここ

2)そして本場ロシアでは、1982年に、この曲にロシアの詩人ヴォズネセンスキイが詩をつけ、人気歌手アラ・プガチョバ(ロシアの美空ひばり)が歌って2000万枚の大ヒットになったという。

<アラ・ブガチョバ「百万本のバラ」>

この歌は、日本では1987年に加藤登紀子の歌で発売されたが、この絵描きの物語は実話に基いているという。
「グルジアの画家ニコ・ピロスマニ(1862~1918)は、ロシア画壇から異端視されていた画家だが、そのピロスマニが描いた絵に「Actress Margarita」という絵があり、そこに描かれ たマルガリータがこの歌のモデルらしい。マルガリータはフランス人の踊り子で、1905年にグルジアに来てピルスマニに会い、ピロスマニは彼女の美しさに魅了されて、彼女に文字通り「花の海」を贈ったという・・・」(出典はここ

Image01411(08/8/14追)
08/8/2付け朝日新聞夕刊(P9)に関係記事が載っていた。この話はやはり事実らしい。

3)日本で「百万本のバラ」を最初に(加藤登紀子よりも前に)歌ったのは「兵頭ニーナさん」で、NHKのロシア語講座の講師を務めていたとき、その番組の中で歌ったそうだ。

4)日本語の訳詩としては、加藤登紀子と松山善三とがあり、加藤登紀子の訳のほうが原詩に近いそうだ。

話が変わるが、同じようにフジテレビの「北の国から98 時代」というドラマで、正吉が蛍に結婚を申し込む時に、バラではなかったが、草の花を毎日届ける場面があったっけ・・・
もちろん自分も、惚れた女性には「花の海」を贈りたいが、現世ではもう無理なので、来世で実行してみようかな・・・??(相手は誰だろう・・・・? ドキドキするな~)

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2008年2月26日 (火)

映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見て

映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見た。
久しぶりに休暇が取れたので、「映画にでも行くか?」と言ったら、カミさんが「潜水服は蝶の夢を見る」(HPはここ)を見に行こうというので、二つ返事で、何の予備知識も無いままに行ってきた。
何とも奇怪な題名だが、この映画は実話だけにストーリーもリアリティがあり、また前半のカメラワークが脳梗塞を起こした主人公の目から見た光景のため、何だか自分が脳梗塞を起こしてやっと意識が戻ったような・・・、そんな気分になった。

080226sensuifuku 主人公のジャン=ドミニク・ホビーとは、実在したフランス版ELLF誌(世界的なファッション雑誌)の名編集長だったそうで、1995年、43歳の時に突然脳梗塞(amazon解説では脳出血)で倒れる。脳幹がやられており、普通は死んでいる・・。4ヵ月後?にやっと意識が戻るが、体が動かない。唯一動くのは左目だけ。右目は開いたままなので、まぶたを縫われてしまう。意識はあるのに体が動かない状態をロックト・インシンドローム(閉じ込め症候群)という。そして、唯一動く左目の瞬きの合図でアルファベットを綴り、20万回の瞬きによって、自伝「潜水服は蝶の夢を見る」を書きあげたという。
そして発病後1年3ヵ月の1997年3月、肺炎で死去。この本が発売されてから2日後という。この本は、世界28か国で出版される世界的なベストセラーとなったという。

080226sensuifuku1 この映画は、最初にも書いたが患者の目で見える光景から映画が始まる。やっと見えてくるぼやっとした風景。しゃべれない自分。考える自分。そして右目が縫われて徐々に見えなくなっていく光景・・・。何ともリアリティがある。自分も脳梗塞になったら、この様になるのだろう・・・・と、つい思ってしまった。

この映画は、脳梗塞・執筆/出版と同時に、家族についてもリアルに描いている。小さな子供が3人も居るのに、別の恋人が出来て離婚(別居?)。
妻はけなげに何度も見舞いに来るが、恋人は一度も来ない。そして「早く元の体に戻って!“元の彼”を愛している」と現実を受け入れない(ずるい)恋人・・・。
ラストシーンは、その恋人からの電話を夫に聞かせ、奥さんが目の瞬きで夫の言葉を通訳して恋人に伝える。その言葉が「毎日でも逢いたい」・・・・。そして泣き崩れる奥さん・・・・・。(このラストシーンは残酷だ。もしかしたら、こんな事をしているから神様が懲らしめたのかもね・・?)
それに、この映画に出てくる女優が全て美女。よって、(毎度のことだが)自分は区別が付かない。映画が終わった後で、カミさんに解説を聞いて初めてピントが合う始末・・・。(ラストシーンの泣き崩れる女性は、言語療法士の女性だとばっかり思っていたら、奥さんだった・・・というお粗末・・)

前に「NHKこころの時代~『難病ALSと闘う日々』を聞く」(ここ)という記事を書いた。まさにこの人と同じだ。しかし病名は違う。
時たま、もし何かで体が縛られて自由が利かなくなったら・・・と思うと、考えただけでも怖ろしい・・・・。(だから、今からカミさんに「もし病気になって暴れても、絶対に拘束するな」と言ってある・・・)
それが、この映画では「体」という閉所に閉じ込められる。その恐怖・・・・・。

話はコロッと変わるが、映画館に入るとき「夫婦50割引」と言ったら「年齢を証明するものを見せてください」と言われた。初めて!
自分は、若い頃から「間違いなく50歳以上に見える」と自負していたが、(まあ、お世辞だろうが「そう見えないので??」)それを証明しろという。「単に決まりだから言っただけ・・」ではシラけるが、今日は少し若い気になった??
そんな訳で、若い気になったり、いつ脳梗塞になって同じような体験をするかも・・と、行く先々を考えたり・・・と、何とも目まぐるしい一日ではあった。

(関連記事)
NHK「こころの時代~難病ALSと闘う日々」を聞く

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2008年2月25日 (月)

仕事は「何のために」する?

今朝(08/2/25)の日経の1面に「働くニホン それぞれの報酬 『何のために』終わらぬ問い」という記事が載っていた。何とも、考えさせられる指摘である。

「・・・06年春、ライブドア元取締役、熊谷史人(30)は43日間を拘置所で過ごした。熊谷は96年、岩手から横浜の大学に進み、19歳の時に恋人が妊娠して学生結婚。月15万のバイトで家族3人食いつないだ。「いつか楽したい」。数年後の02年、熊谷はライブドアの副社長として狂騒の中にいた。・・・熊谷の年収は3千万円を超えた。
・ ・・・・・
昨年6月、懲役1年、執行猶予3年の有罪が確定した。熊谷は現在、東京・青山の経営コンサルティング会社に就職して社会復帰を目指す。・・・・・
拘置所で熊谷は日記を付けた。「ごめんね。ようやく気付いた。一番大切なものは金でも名声でもなかった」。今では5人に増えた家族への言葉が並ぶ。多くのものを失った末に熊谷が見つけた働く糧だ。
・・・・・・・・・・・・・
・・ネットライフ企画副社長の岩瀬大輔(31)は・・・・・・04年にそれまでの経歴を捨て米ハーバード大ビジネス・スクールに留学した。そこでたたき込まれたのは最新の経営手法だけではない。こんな講義が印象に残る。
死の床にある経営者たちに人生を振り返ってもらった。すると「もっと仕事をすればよかった」という人はいない。誰もが「家族や自分のため時間を使いたかった」と話す――。どんなに成功しても自分なりの「働く意味」を見いだせなければ幸せになれない。そう教え込まれた。・・・・
・・・・・・・・・・・・・
取材班が3500人に働きがいを聞いたところ、「自分の成長」(46%)、「達成感」(43%)が上位に入り、「賃金」は31%と7位だった。物質的な豊かさを手にしたニホン。働く報酬として何を求めるかは一人ひとり探すしかない。経営学者ケインズは言った。「生きるために働く必要がなくなった時、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」。あなたにとって働く「値段」とは何ですか?」

還暦を迎えて、「年金」という言葉が他人事では無くなってきた我々団塊の世代。
まさに自分も、「仕事とはいったい何だったのだろう・・・」と、つい振り返ってしまう・・・。
「食うため」と言ってしまえばそれで終わりだが、それだけでは無い筈・・・・

先日も、年に一回の会社の同期会のとき、同じようなことを思った。同期で入社してから、もう38年・・・。サラリーマンとしての結果(出世したとか、転勤したとか・・・)もとっくに出ている。そして当然、それぞれの生き方は様ざまである。共稼ぎで、アクセクした仕事よりも自分の趣味を優先させ、今でも生き生きと世界を闊歩している人。仕事優先で働き過ぎ、定年のリタイア寸前で体がガタガタになってしまった人・・・・。
今まさに、全員が「定年」という言葉で総括される時。その時に自分のサラリーマン生活をどう振り返るか・・・。「自分にとって仕事は(食うため以外の)何だったのか・・」と。

まあせっかくだから、自分も少し(「食うため」を解き放たれた後の)「仕事の意味」を考えてみる事にしようか・・・。

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2008年2月24日 (日)

我が家の秘薬~桂枝加竜骨牡蛎湯

今日は、我が家の「秘薬」と言うより「駆け込み寺」「常備薬」・・・の紹介である。結論から言うと、過敏性大腸症候群には「桂枝加竜骨牡蛎湯(ケイシカリュウコツボレイトウ)=SG-26」、風邪には「ゼナ ジンジャー」。

Img_20091 昔から、緊張すると下痢気味で困った。これは自分の体質だとばかり思い込んでいて、ここまでトシをくった。でも“全ては精神状態”から来るものだと知って、「今までが何だったのか・・・・」と後悔した。つまり、治せるのだ・・・。
漢方薬は高価なものと思い込み、近付かなかったが、7~8年ほど前だったか、仕事で精神的に追い込まれた事があって、カミさんの勧めで街の漢方薬局に行った。いわゆる自律神経失調症(??)だが、その時は漢方薬に助けられた。
漢方は初めてだったが、調剤士が医師のごとく症状を聞き、加味逍遙散とか朝鮮人参とか、色々な薬を症状に合わせて調合する。2週間分で9千円とか15千円とか、決して安くは無かったが、症状は良くなって本当に助かった。つまり、その時に初めて漢方の威力を知ったわけだ。一応、半年ほど付き合ったが、程なく完全に漢方とも縁が切れた。
数年前に「ここにも書いた」が、完全に健保だけという漢方医を知り、精神的に不安定になると、たまに行くようになった。しかしその医師は、「桂枝加竜骨牡蛎湯(ケイシカリュウコツボレイトウ)=SG-26」を主に処方してくれた。色々な症状を言っても、自分の場合は「とにかくこれをキチンと飲め」と・・・・・。でもこれは確かだった。
一緒に貰う「桂枝加竜骨牡蛎湯」の注意書きには、作用として下記のように書いてある。「体質虚弱な人の神経過敏、精神不安、不眠症・・・・などの症状を改善する漢方薬です。神経を鎮め、体力を補います」。この薬、とにかく安い。2週間分で630円。一服15円。ネットで見ると、2~3千円でも売っているらしい。

精神の不安定から来る不定愁訴等の“訳の分からない症状”は意外と多い。死なないため、西洋の医師は相手にしてくれない。この様な時にこそ、漢方は効く。
(言い過ぎかもしれないが)もしこの記事を読んだ人で、過敏性大腸症候群等の精神的な事から来る体調不良の方は、この「桂枝加竜骨牡蛎湯」を試してみたら如何?(東京なら「ここにも書いた」医院に行くのもひとつ)
よって“我が家の合言葉”=「最近寝付きが悪い・・・」「不安感がある」・・・ ⇒「オースギ(または「26番」)を飲んでみたら?」

Img_20121 もう一つ紹介するのが、「ゼナジンジャー」。
九州に赴任した次男が帰省した時、風邪を引くと「ゼナジンジャー」を飲んでいる。下手な風邪薬よりも、この方がよっぽど効くと言う。このドリンク剤の効用は「かぜ等の発熱で体力を消耗している時の栄養補給に」とある。なるほど・・・・。利に適っているかも・・・・?
それからウチでもまねをして、風邪を引くと買っておいた「ゼナジンジャー」を飲むようになった(??) それに、ユンケル等の安い滋養強壮剤も家に置いておくようになった。トシで疲れると、これが意外と効くのである。
今まで「滋養強壮剤」などバカにしていたが、高価なだけの効用はあるようだ。もちろん一過性だが、風邪に打ち勝つには一過性で結構・・・。
よって“我が家の合言葉=「最近疲れた・・」 ⇒「ヤク(ユンケルのこと)を飲んだら?」

しかし、いつも我が家に置いてある「ゼナジンジャー」・・・
カミさんは、息子がたまに帰ってきて風邪気味だと言うと、直ぐに飲ませるくせに、自分が風邪気味だと言うと、(安い)ユンケルを飲めと言う。自分だけは、(相当な非常時でないと)飲ませてもらえない我が家の秘薬=「ゼナジンジャー」ではある。

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2008年2月23日 (土)

映画「胡同(フートン)の理髪師」を見て

神保町の岩波ホールで上映中(~08年3月下旬まで)の中国の映画「胡同(フートン)の理髪師」を見た。(公式HPはここ

Image00481 何とも、人畜無害というか(失礼)、平和な映画である。北京の紫禁城近くにある細い路地、胡同(フートン)に住む93歳の現役理髪師チンさんの物語・・・(というよりドキュメンタリー)である。
チンさんは実在の人物で、もちろん役者ではない素人。一介の職人を劇映画の主役として起用するのは非常に珍しいという。
映画を見ても、素人っぽさは全く無い。それは、誰かを“演じて”いるのではなく、単に自分自身の生活だから。

最初から最後まで出てくる(一日5分遅れる)古い振り子の時計が、この物語の時間経過を表す。いわゆる独居老人が住む胡同(フートン)。チンさんの息子は、既に年金暮らしの貧乏人。金が無いので自分の持病の薬も買えない。黙って金を渡すチンさん。
それと対照的に、成功して高級住宅に住む息子の居るチャオさん。フートンに放って置かれたチャオさんを、近く区画整理されて7,80万元入る事を知った息子が自宅に引き取る。でもチャオさんは元のフートンに戻りたくて、伸びたヒゲを剃らせない。仕方なくチンさんを車で迎えに行って、理髪を頼む・・・・。チンさんと再会出来て喜ぶチャオさん。それを、汚いものでも見るように・・・、不機嫌な嫁さん。

チンさんの毎日は、朝6時に起きて午前中は出前の理髪。午後は近所の仲間とマージャン。そして9時には寝る。
その仲間も順番に逝く。そろそろ自分の番かと、準備をするチンさん。葬儀屋に電話で手続きを聞くと、略歴500字を用意しろと言われる。カセットを前に、自分の生まれてからの歴史を一人録音するチンさん・・・。(でも、そのテープは猫がじゃれてバラバラに・・・)

身分証明書の交換を知らせに来るワン主任:「偽造防止の20年有効のものに変えるの・・・」。
チンさんが猫に言う:「聞いたかい?20年有効だって」(映画の会場から笑い声・・・)
・・・・・・
新しい身分証明書を持ってきたワン主任:「・・・驚いたわ、身分証明書を見たら1913年生まれ、92歳だったなんて。・・・いつか長寿の秘訣を委員会で発表して!」
チンさん:「別に秘訣なんて。年を取ると誰もが死を恐れ、生に執着し、不眠になるが私は違う。恐れないし、執着もない。すぐに眠れる」・・・

ラストシーンがウィットがあって良い。
必ず6時に起きるチンさんだが、6時に時計のチクタクが遅くなって止まる・・・。朝日が入る部屋。息子が訪ねてくる。「父さん。父さん」。シーンとした室内に入ると、机の上にチンさんが準備した遺影・・・。ハッとする息子・・・。
・・・・と「何か用か?」というチンさんの声・・・

映画館内に、ホットしたため息・・・。(これは見事!)

帰ってカミさんに700円で買った「胡同(フートン)の理髪師」のプログラムを見せると、チンさん役の「チン・クイ」さんの言葉が気に入ったと言う。
「ごあいさつ 私は初めて外国である日本に来ることができて、とても嬉しく思います。
たまたま「胡同の理髪師」に出演したお陰で、私が生きた証を子孫に残すことができました。
私が皆さまにまずお伝えしたいのは、親御さんを大切にして下さい、ということです。
人生はよいことをしても、悪いことをしても、一回きりです。お金があっても、子孫に遺すだけであって、あの世に持っていくことはできません。ですから、怒ることなく、人に親切にしてあげて下さい。そうすれば、人も親切にしてくれて楽しく過ごすことができ、長生きすることができます。そして、あまりくよくよと思い悩まないことです。
皆さまのご健康とお幸せを心からお祈りいたします。
2007年12月2日 東京にて チン・クイ」

まさに仏教でいう苦(=生老病死)を如何に受け止めるかを素直に表現した、秀れた映画だと思った。
自分はハリウッドのガチャガチャする映画よりも、このようなしみじみした映画のほうが好きだな・・・。

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2008年2月20日 (水)

伊東ゆかりの「愛は限りなく」と佐川満男の「今は幸せかい」

(なぜこの組み合わせかというと、“元夫婦”だから・・・・)
NHKラジオ深夜便(の録音)を聞いていたら「歌謡スター・思い出のヒット:伊東ゆかり集」(08/2/19)をやっていた。
何とも懐かしい歌声である。今日はその思い出話・・・

学生の頃、伊東ゆかりの歌は、同じキングだった布施明とともに良く聞いた。布施明と同様に、平尾昌章作曲の歌が多く好きだったな・・。
ネットで改めて調べてみると、伊東ゆかりは何と自分よりも半年年上だった。よって今年は自分と同じ還暦だ。そうは(=還暦に)見えないのは、さすがだ・・・。
デビュー以来、歌手と同時に俳優・タレントとしても大活躍・・・。
伊東ゆかりの曲を一曲挙げるとすると、やはり「恋のしずく」なのだが、今日は「愛は限りなく」を聞いてみよう。もちろんこの曲はジリオラ・チンクエッティの曲だが、途中でリズムが取れなくなる。最初のバラード風の部分が終わって盛り上がってくるところ=「それが愛なの・・・・それが恋か」(2:30~2:50)の所だが、何度聞いても違和感がある。4拍子かと思うのだが、拍子が取れない。これは外国の歌に無理に日本語を付けているせいかと、オリジナルのジリオラ・チンクエッティの歌を聞いてみたのだが、同じだった。この部分は素人では歌うのが難しい。でも伊東ゆかりは戸惑わないで堂々と歌っている。
最初の伴奏なしのバラード風の所を聞いていると、つくずく“伊東ゆかりは大歌手だな・・・”と思う。

<伊東ゆかり「愛は限りなく」>

その伊東ゆかりが佐川満男と結婚した時(昭和46年7月)は、何とも複雑な気持ちだったな・・・・。(特に伊東ゆかりの“大ファン”という訳でもなかったのだが・・・)
当時、佐川満男は「今は幸せかい」(昭和43年発売)しかヒットが無く、何か“格”が違うような(失礼!)気がした。・・・と思ったら、程なく離婚(昭和51年5月)してしまった。しかし、その一粒種は立派に成長して、今は「宙美(ひろみ)」という歌手として活躍中とか・・・。
この佐川満男の「今は幸せかい」を聞くと、なぜか大学のキャンパスを思い出す。色気の無い学部の殺風景なキャンパス・・・。でも、この歌も当時良く聞いたな・・・・

<佐川満男「今は幸せかい」>

「今は幸せかい」
 作詞・作曲:中村泰士

1)遅かったのかい 君のことを
 好きになるのが 遅かったのかい
 ほかの誰かを 愛した君は
 僕を置いて 離れて行くの
 遅かったのかい 悔やんでみても
 遅かったのかい 君はもういない

2)若かったのかい ふたりとも
 傷つけあうのが 恐かったのかい
 君は君の 心を知らず
 僕は僕の 心を知らず
 若かったのかい 悔やんでみても
 若かったのかい 君はもういない

3)今は幸せかい 君と彼は
 甘い口づけは 君を酔わせるかい
 星を見つめて 一人で泣いた
 僕のことは 忘れていいよ
 今は幸せかい 悔やんでみても
 今は幸せかい 君はもういない

しかし佐川満男の、その後の俳優としての名脇役ぶりは、世の中の評価するところ。いわゆる“大歌手?”と離婚して、そのまま潰れるのではなく、歌手としては“元カミさん”に負けても、俳優として見事に活躍しているのをみると、昔「格が違うな・・」と思ったのが、大変に失礼であった。(別に、心の中でそう思っただけで、本人に言ったわけでは無いのだが・・・)

でもまあ、イギリス女王の夫君ではないが、カミさんが上位に君臨すると、亭主は何かと苦労するものだ。まあウチも同じだけど・・・・

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2008年2月19日 (火)

ハンドバック引ったくり被害の、はかり知れない影響

今朝出社したら、ある女性社員が、歩っていてバイクに乗った男の引ったくりに遭い、ハンドバックを奪われたという話を聞き、衝撃を受けた。
聞くと、朝自宅から駅に向かう通勤の途中で、後ろからバイクで来た犯人にバックをひったくられる事故に遭い、キャッシュカード・現金(12万円)・入門証・携帯電話などの全てを取られてしまったとの事。本人に怪我等は無かったが、精神的に参っている・・・・・との事。

これと同様の事故は、いつ誰が遭っても不思議でない気がする。よって、その時への備えが重要だろうと思った。
現金は仕方が無い。社員証・入門証も紛失手続きをするしかない。カード類も紛失前提で仕組みが出来ているので、連絡すれば済む。しかし携帯電話を失った衝撃ははかり知れない。
新聞に良く、「携帯電話を紛失(または故障)した時の、何の連絡手段も無くなってしまう危うさ」の記事が載っている。友人や仕事上の電話番号、メールアドレス等、現代は個人の持っている情報はすべて携帯電話に入っており、それが機能しなくなるという事態を想定しないで、我々は日々生活しているのが実体ではないか。

また最近ドロボウも増えているらしい。栃木から通っている人は、「夜中にドロボウに入られたが、全く気が付かなかった。カードや通帳などはそのままで、現金だけが無くなっていた」と言っていた。また、「下手に出っくわさなくて良かった」とも・・・。
この様な被害に遭った場合は、情報漏えいの点でも心配だ。情報漏えいで一番心配な携帯電話は、フタを閉じた時のパスワードロックが一般化して来ているので、使い方では便利になってきた。

「他山の石」とか、「人の振り見て我が振り直せ」とかいう諺があるが、この話をどう自分に活かせるかだ。つい最近「取り返しがつかないこと」という記事を書いた。
「取り返しがつかないこと」を、あらかじめ手段を講じておくことによって「取り返しがつくこと」に変えておくべきなのだろう。
女性のハンドバックは全てが入っており、失った場合はオールインワンで取り返しがつかないが、男の場合はカバンや名刺入れ等、意外と場所が分散されている。でも、それらが無くなった場合にどこにどう連絡をすべきか、自分もこの際、見直すことにした。

1)現金 ~諦める・・・。大きな現金を持ち歩かない。

2)携帯電話 ~パタンと閉じると、パスワードのロックが掛かるように設定した。これでパスワードを知らない人が操作しようと思っても、キーが反応しない。よって例え携帯を失くしてもメールアドレス等の情報が外部に流れる事は無くなり、知人への迷惑も掛からない。また盗まれたときは、携帯事業者は携帯の現在位置を調査できるので、警察経由で、今どこにあるのか、調べてもらえるかも・・・・?(でも、誘拐事件でもない限り無理かな・・?)
またアドレス情報のバックアップは、古い携帯を棄てないで持っていれば、その時のアドレス帳までは復活できる。また、たまにショップに行って、古い携帯に最新のアドレス帳をコピーして貰えば、古い携帯をバックアップメモリとして使う事が出来る。

3)クレジットカード類 ~持っているカードをカラーコピー機に並べて、コピーを取った。そのコピーを家とか会社に置いておけば、どこの何番のカードを失くしたか直ぐに分かるので、ネットでカードの連絡先を調べて電話すれば、カードは止まる。

4)カギ類 ~これも諦める。でもハンドバックに自宅の住所が書いてあると、自宅のキーを交換しないと怖いよね・・。キーの紛失対策としては、昔は、家と車のスペアキーを、車の床下に「磁石付きのキーホルダー」に入れて貼っておいたものだ。だから自分の車さえあれば、家にも車にも入れた。(結局失くした事は無かったが・・・)

たぶん大事なものを失くした時はパニックになって、訳が分からなくなると思う。よって、特にカード類のコピーは有用ではないか・・・。
飛行機の操縦席にも、事故のときの手順書が置いてある。事故の時には(パニックになっている)パイロットには判断させない。手順書を取り出して、その通りの操縦をする。同様に、いざと言う時のために、メモ(カードのコピー)でも良いので手元において置くと、それが「お守り」になるかもね・・・。

家に帰ってカミさんにこの話をしたら、グッドアイデア!とばかりに、早速持っているカードのコピーを取った。  ←これは「転ばぬ先の杖」かな? 何の諺が最適なのだろう・・・・?(まあ諺なんかどうでもいいけど・・・)

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2008年2月18日 (月)

徳永英明の「青い契り」

今日の帰りのバスの中で、MP3から流れる徳永英明の「青い契り」を聞きながら、色々と思い出した。よって今日は、徳永英明についての思い出話である。

徳永英明という歌手は、Jポップ系の歌手・・という事で良いのだろうか・・・。(ニューミュージック系と言うのかな・・・・?) ナンテいう位、自分はこの歌手について、何も知らないのである。ただ1曲「青い契り」という曲を除いて・・・

徳永英明の「青い契り」という曲を知ったのは、カミさんに教えられてからである。自分がこの曲を最初にカセットに録音したのは、1999/1/21。公式サイトをみると、この歌は「1999/1/27発売」とあるので、まあ発売当初に既に知った事になる。
息子はニューミュージックを良く聞いているが、自分はほぼ100%聞かない。でも何故かこの歌だけは聞いた。特に通勤の車の中で、飽きるほど聞いた。(当時は車で15分の工場勤めだった・・・)

これと同じような曲を探して、カミさんと一緒にレンタルCDを借りて色々聞いてみたが、どれもフィットとしなかった。よって、徳永英明で聞く曲はただ一曲「青い契り」だけなのである。でも、この一曲で、この歌手を覚えた。その後病気になったという話も聞いたが、もう復活したらしい。とにかく聞いてみよう。

<徳永英明の「青い契り」>

「青い契り」
  作詞・作曲:徳永英明

あの頃の一枚の写真の中に
手をつなぎ笑ってる君と僕がいた
でも何故なんだろう思い出は
君の泣き顔ばかり
抱き合ったまま
僕らは違う明日を歩こうとしてたの?
でも今は君の全てを
受けとめられる僕でいるから
あの頃のまま…

随分と寄り道をしてきたけれど
目覚めた愛を永遠に
僕の胸に植えたよ
それでもいい?
もう二度と君の涙を憶えたりしないよ
この想いを今すぐに運べるならば
泣き顔だけの
あの思い出に…

二人の腕にこの愛の契り青く刻んで
あの空の広さのような大きな愛で
いくつもの季節を重ねたけど
深くなる君への想いと
イニシャルだけは
あの頃のまま…

話が変わるが、TVで徳永英明が歌っているのを初めて見たのは、竹内まりやの「駅」を歌っている番組だった。メモによると、2005/10/15とある。この時、カミさんに言われてあわててVTRの録画ボタンを押したっけ・・。そのときの“音”は、MP3にして大事に録ってある。いや、“自分が”でなくて“カミさんが”この時の歌を宝物にしているのである。(それで、自分は竹内まりやの「駅」という歌を知ったのだが・・・)
MP3ファイルを調べたら「徳永英明・Skoop On Somebody」とある。二人で歌っていたが、もう一人はどうも「Skoop On Somebody」という歌手らしい・・・。(後でNETで調べたら、この番組は、フジテレビの「MUSIC FAIR 21」で「竹内まりや特集」の番組だった)

<徳永英明・Skoop On Somebody「駅」>~2005/10/15フジテレビ「MUSIC FAIR 21」から

よく、歌手は“1曲大ヒットを飛ばすと食って行ける”と聞く。もちろん徳永英明は場末の歌手とは全く違う大歌手だが、でも自分にとっては、“ただ一曲の縁”の歌手なのである。
でもまあ、それでも良いではないか・・・・

(関連記事)
竹内まりやの「駅」

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2008年2月17日 (日)

高橋真梨子の「掌」

風呂に入りながら、さて今日は何を書こうかな・・・と考えた。そういえば、大御所の「さだまさし」について書いていなかったな・・・と思った。さだまさしで挙げるとすると何だろう・・? あまりに良い曲が色々あるな・・・。「防人の詩」か?「掌(てのひら)」も良いな・・・。
「掌(てのひら)」だったら高橋真梨子の歌が圧巻でしょう・・・。高橋真梨子といえば「桃色吐息」だけど・・・。「桃色吐息」といえば、肺がんで亡くなった中学校時代のYという女性を思い出すな・・・・。ナンテいう訳で、今日は実にプライベートな思い出話・・・・。

Yは中学2年のときに同じクラスだった。非常に活発な女性で、クラスの女性ホームルーム代表だった。自分が男の同じ役だったので、仕事も一緒にする事があったと思う。でも昭和30年代当時は、学校でも男女はほとんど話さなかった。

20年か25年位前になるか、中学校の同窓会があった。そこで数十年ぶりで会った。二次会で、姑との間で色々あって苦労しているという話を聞いた。その後で、カラオケで高橋真梨子の「桃色吐息」を歌っているのを聞いた。中学のときも音楽は秀でていたが、その時の歌も素晴らしかった。
その何年か後、肺がんでもう時間が無いと、友人から聞いた。会いに行った人も居るし、気晴らしに電話をかけてくれ、とも言われた。でも結局電話はしなかった。その代わりに音楽を送った。
臨床検査技師をしていた彼女は、1年前のレントゲン写真と見比べたという。1年前の写真には何も無い。そして1年後には手遅れ・・・・
そして、亡くなったのを聞いて、友人と通夜に行った。残された小学生の女の子が、お祖母さんと一緒に座っていた。

話が変わるが、大学2年のときに北海道に旅行した。ちょうど襟裳岬に行く満員の電車の中で、何と目の前に彼女達が友人と居た。あまりの偶然でお互いにビックリ。襟裳岬で中学の同級生達と写真を撮ったりした。もう一人の同級生から送ってもらった一緒に撮ったカラーの写真が、自分の初めてのカラー写真だった。

亡くなって、自分は「姑とのストレスが肺がんを起こした」と信じた。でも最近彼女の姉の話が伝わってきて、同じ職場のヘビースモーカーのタバコが原因だった・・という話を聞いた。
前にこのblogで、「亡くなった人の姿は、その瞬間で止まる」と書いた
幸いなことに、自分の周りの友人では亡くなった人はほとんど居ない。それだけに、高橋真梨子の歌を聞くと、妙に30歳代?(だったかな?)で亡くなったYを思い出すのである。
という訳で、あまり関係ないけど高橋真梨子の歌を一曲。さだまさしの「掌」
しかし、この歌の歌詞は本当に切ない。さだまさしは本当に天才だと思う。

<高橋真梨子の「掌(てのひら)」>

「掌」
 作詩・作曲 : さだまさし

1)うつむきがちに 私は
 掌をみつめてる
 自分の人生をみつめている
 つかみそこねた愛を
 指でそっとたどって
 ためらいに疲れて ため息つく
 今より少しでいいから
 勇気があれば
 あなたのあたたかい指を
 離さずにすんだのに
 ありきたりの別れなど
 しなくてすんだのにと

2)流した涙の数を
 指折りかぞえてみる
 ついてるついてないとかぞえてみる
 いつの間にか私の
 悲しみの数の方が
 自分の年よりも増えてしまった
 掌を鏡に写し
 さよならと云ってみる
 いつもと同じ笑顔で
 こうして別れた
 そしていつもこの涙を
 拭うのも私の手

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2008年2月16日 (土)

中村元訳「般若心経」の『小本』と『大本』の比較

自分が「般若心経」を知ってから、ちょうど4年になる。深遠なる心経はまだまだ分からないが、今までで一番ビックリしたのは、『大本』というものがある事を知った時だった。通常我々が目にしているのは『小本』。「般若心経」の『大本』は、本来の仏典の様式にのっとり、説法の状況がより詳しく説明されている。

Image00421 話が飛ぶが、中村元氏は言うまでもなく東洋哲学(仏教)の世界的権威であり、日本の第一人者であった。その中村元氏が「般若心経」を、玄奘三蔵訳からではなく、サンスクリットの原典から日本語に約した邦文は、まさに『日本人の般若心経』であろう。岩波文庫の中村 元、紀野 一義訳註「般若心経・金剛般若経」にその訳が載っている。
今日は、中村元(紀野 一義含む)訳の「般若心経」を味わうと共に、『小本』と『大本』の違いを比較してみる。
以下の「太文字」は小本・大本の「共通」の言葉である。逆に「太文字」でない部分は、それぞれのオリジナルの言葉である。
(当然だが、サンスクリット語から直接の日本語訳なので、対比する漢字は無い。つまり、サンスクリット原典⇒漢訳⇒日本語ではなく、サンスクリット語⇒日本語なので・・・)

============================

<中村元:訳「般若心経」の『小本』>

全知者である覚った人に礼したてまつる。
求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。

シャーリプトラよ、

この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ。
この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
それゆえに、シャーリプトラよ、
実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。
眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
(さとりもなければ)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
過去・現在・未来の三世にいます目覚めた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。)
ここに、智慧の完成の心が終わった。

中村元・紀野一義訳註「般若心経・金剛般若経」P11~15より)

============================

<中村元:訳「般若心経」の『大本』>

「このようにわたしは聞いた。あるとき世尊は、多くの修行僧、多くの求道者とともにラージャグリハ(王舎城)のグリドゥフラクータ山(霊鷲山)に在した。そのときに世尊は、深遠なさとりと名づけられる瞑想に入られた。そのとき、すぐれた人、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラは、深遠な智慧の完成を実践しつつあったときに、見きわめた、――存在するものには五つの構成要素がある」――と。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。そのとき、シャーリプトラ長老は、仏の力を承(う)けて、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラにこのように言った。「もしも誰か或る立派な若者が深遠な智慧の完成を実践したいと願ったときには、どのように学んだらよいであろうか」と。こう言われたときに、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラは長老シャーリプトラに次のように言った。「シャーリプトラよ、もしも立派な若者や立派な娘が、深遠な智慧の完成を実践したいと願ったときには、次のように見きわめるべきである――『存在するものには五つの構成要素がある。』と。そこでかれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、すべて物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
それゆえに、シャーリプトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。
眼の領域もなく、乃至、意識の領域もなく、心の対象の領域もなく、意識の識別の領域もない。
さとりもなければ、迷いもなく、さとりがなくなることもなければ、迷いがなくなることもない。かくて、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをなくすことも、苦しみをなくす道もない。知ることもなく、得るところもない。得ないということもない。
それ故に、シャーリプトラよ、得るということがないから、求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
過去・現在・未来の三世にいます目覚めた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。
その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。

シャーリプトラよ、深遠な智慧の完成を実践するときには、求道者はこのように学ぶべきである」――と。
そのとき、世尊は、かの瞑想より起きて、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラに賛意を表された。「その通りだ、その通りだ、立派な若者よ、まさにその通りだ、立派な若者よ。深い智慧の完成を実践するときには、そのように行われなければならないのだ。あなたによって説かれたその通りに目覚めた人々・尊敬さるべき人々は喜び受け入れるであろう。」と。世尊はよろこびに満ちた心でこのように言われた。長老シャーリプトラ、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラ、一切の会衆、および神々や人間やアスラやガンダルヴァたちを含む世界のものたちは、世尊の言葉に歓喜したのであった。
ここに、智慧の完成の心という経典を終る。

中村元・紀野一義訳註「般若心経・金剛般若経」P193~196より)

============================
般若心経は、短いこともあり、暗唱して唱えるのは簡単だ。でも逆に短いだけに、その言葉一つひとつに凝縮された意味というのは、あまりに深遠だ。
自分など、死ぬまでその意味は分からないだろうと思う。でも何年かかったとしても、少しでもその深遠なる世界に近付きたいものではある。

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-03 全文

「中村元―仏教の教え 人生の知恵」を読んだ

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2008年2月15日 (金)

仏の心とは・・・・?(通勤電車で)

今日は、本当にどうでも良い話である。通勤電車で、寄り掛かってくる隣の居眠りの女性の扱いについて、どう対応するべきかの哲学的思考である・・・!?

今朝、通勤電車に乗って座ったら、“しまった!”と思った。というのは、隣に“例の女性”が居るではないか・・。この女性は、前に居眠りをして自分に倒れ掛かり、往生した事があった。よって、絶対にこの女性の隣に座らない、と誓った女性だったのだ。
もう一つ、あっちのほうに席が空いている・・・。席を替わろうか? でも何となく目立つな・・・。もしかするとあの女性ではないかもしれないし・・・・。でも席があの時と同じだが・・・・
ナンテ迷っていたら、次の駅に着いてしまい、空いていた席も座られてしまった。ええい!もう覚悟を決めた!・・・
ほどなく、隣の女性がウトウト・・・。年は20歳前半だろうか・・・。
そして、以前と同じように自分にもたれかかってくる・・・。頭が堂々と、自分の肩の前まで・・・。幾らなんでもやり過ぎでしょう・・・・!
自分は悩みだした・・・・。押し返そうか・・・。でも若い女性だし、イイ年のオジサンなんだから、そのくらい我慢してそっとしておいてあげたら・・?? でも重いよ~・・。 新聞が読めないよ~・・・。
散々迷ったあげく、「エエイッ!」とばかりに、一回だけ押し戻した。普通はこれで目が覚めて、きまり悪くなって二度と寄り掛かって来ないのだが・・・・・・
ところが、そんじょそこらの眠り方と違うのだ。目を覚まさない。二度三度と推し返すが、目を覚まさないので、同じ調子で寄り掛かってくる。右肩の前に、頭の丸い形がコート越しに分かる位・・・。
やはり、気が付いた時に席を替わるのだった・・・、と後悔しても後の祭り・・・・

新宿に着いた!左隣の人が降りた!前に立っている人が座る気配が無い・・・。シメタ!とばかりに左の席にスッと席をずらした。ラッキー・・・。
しばらく、その席が空いていたが、男の人が座ったぞ。そっと横目で見ると、今度はその人に寄りかかって寝ている!
四ツ谷に着いた。前のときは、四ツ谷で降りたが・・・・、と「冷たい目」でそっと見たら、電車が止まってドアが開いた瞬間に、フト目を開けた! そして何と立ち上がってスタスタと降りて行くではないか・・・・・・・・!!!

今朝は、色々と“哲学的”に考えてしまった。
このような場合、幾ら寄り掛かられても我慢するのが大人の対応だろうか・・・?ホトケの心だろうか・・・・。(押し返すときの、自分の“意地悪い(悪魔の)感覚”がキライだな~)

結局、今朝の新聞には、何が書いてあったのかサッパリ覚えていない。
よって今朝の事件?で、自分の“気になると新聞記事さえ頭に入らなくなる心の狭さ”に気付かされたと同時に、寝ていても四ッ谷駅で正確に目覚める「人間の体内時計の正確さ」に、“人間の神秘”を見た。
(くだらない話に付き合ってくれて、どうもありがとう!)

*再発防止策=今回は、彼女が四ツ谷駅で降りるときにそっと見て、とりあえずメガネの形を覚えたので、一電車遅らせても、もう絶対に彼女の隣には座らないゾ!

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2008年2月14日 (木)

障害児を持つ親とは・・・・

先日(08/2/12~13)のNHKラジオ深夜便「こころの時代」で放送された「知的障害のある息子に背中を押されて NPO法人大阪障害者雇用支援ネットワーク理事 江口敬一」を聞いた。
氏は、赴任先のアメリカで生まれた次男がダウン症であり、それをきっかけに勤務先であったYKKの社長に直訴して特例子会社「特例子会社YKK六甲」を作ったという。

次男の裕介さんは現在26歳。介護職員として高齢者ディ・サービス・センターの「アンデスのトマト」で働いている。そして2004年に知的障害者としては日本で最初にホームヘルパー2級に合格して話題になったという。

この話で、幾つかの頭に残った言葉があった。
「YKKシアトル支店に勤務していた時に次男が生まれた。しばらくして、医師から「染色体検査の結果、ダウン症候群で知的障害があります」と告げられた。あまりのショックで診察室から出て行ってしまった。思い直して診察室に戻ったところ、医師から「良く戻ってきてくれた。あなた方は、障害をもった子どもを立派に育てられる資格と力のあることを神様が知っておられてお選びになったご夫婦です。どうぞ、愛情深く育ててあげてください」と言った。この言葉が心に響いて、救われた。
幸いなことに、シアトルのワシントン大学にはダウン症早期発達療育センターがあって、そこで色々と教えられた。
そこの父親のための講座で教えられた事は、「直ぐに子供のために何か出来る事は無いかと思い詰めるが、性急な事はするな。必ず父親の出番が来るのでそれまで待て」。

柳田邦男が書いてくれたエッセーの中「父親が会社員であれ事業主であれ、仕事が忙しすぎる場合には、障害を持った家族をケアする負担が全面的に母親の側にのしかかってしまう。父親がケアや家事を分担し、連れ合いを精神的に支えるようにしないと、夫婦関係に波状が生じる恐れがある。父親の選択は極めて難しいのだが、愛する家族のため、愛する子供のために逃げてはいけない」と書いてくれた。この言葉が今でも自分の心に染み渡っている。そして逃げてこなかった。
とりあえずは、小さいときは母親が一生懸命に育てて、父親はそれを精神的に、経済的に支える。そして「その時」が来たら、父親の出番になる。

その「出番」が、自分の会社で「特例子会社」を作って、障害者に働く場を与える活動だったという。」

何とも、理想的な活動ではある。

特例子会社は、07/9末現在、全国で223社あるという。そして、YKKのこの特例子会社の直ぐ近くに大阪の化粧品会社の特例子会社が出来たが、やはりその社長さんの家族に障害者が居たという。
このように、(前に書いた「しいのみ学園」もそうだが)多くの場合、自分が障害児を持って初めてその世界を知る。
だから、もし首相や厚生大臣が自分の家族に障害児を持っていたら、「障害者自立支援法」改定ももっと早く動いていたかも知れない・・・・。
(「選ばれて」という考え方を「ゴルフ上田桃子プロの障害者支援」の記事で書いたが、それと同じ言葉を今日聞いた。現実は、そんなに甘くは無いだろうが・・・)

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2008年2月13日 (水)

取り返しがつかないこと・・・韓国「南大門」焼失に思う

世の中、取り返しがつくものとつかないものとがあるが、先日(08/2/10夜)の韓国の国宝第1号という南大門(正式名称「崇礼門」)が放火されて焼失したニュースは、何とも“取り返しがつかない”事件で心が痛んだ。(ナーンテ、自分は「南大門」なんて初めて聞いたのだが・・・)
言うまでも無く、幾多の文化財は、それぞれの民族が営々と築いてきた文化の歴史そのものであり、誇りである。それがたった一人の出来心で、いとも簡単に消え去ってしまう・・・。
ニュースで流れているように、国宝に簡単に出入りが出来るという管理の甘さにも一因はある。日本でも、戦中に正倉院の高床の下で焚き火をしていた、という話を前に聞いたことがある。しかし現在では、正倉院は高い塀に遮られて、遠くのほうから垣間見るだけ・・・。まあ当然ではある。
よって、今回の韓国南大門の事件では、管理の甘さが強く指摘されているのは当然だろう。

同じように、文化財の破壊という点では、戦争が最も悲惨な例だ。前にTVで、第2次世界大戦の米英の空爆で完全に破壊され、戦後復元されたドイツ ドレスデンの復元のもようを見た。1万個のガレキを組み合わせて「世界最大のジグソーパズル」と言われ、復元に12年を要した聖母教会。これらドレスデンの町並みを元に戻す住民の努力と執念は、民族の誇りに根ざしているのだろう。
日本も、戦争とはいえ欧米の心ある人の努力によって、京都・奈良の文化財が破壊から免れたのは奇跡かもしれない。一時の感情(戦争)によって、数百年・数千年の人類の遺産が、かくも簡単に破壊される現実・・・。
金閣寺の焼失も、韓国南大門とまったく同じ状況だったが、人間は「やる気になれば何でも出来る」存在だと仮定すると、教育で「取り返しのできない事をしない」という事を教えるしか、方法は無いか?

先日(08/2/8)の、NHKラジオ深夜便「こころの時代」「網干善教さんの”高松塚への道”龍谷大学客員教授 太田信隆」を聞いたが、高松塚古墳は奈良県立橿原考古学研究所が主体で発見した。しかしその後の保存は、所長の末永雅雄や発見者の網干善教の決断で国(文化庁)に移管した。そして密封したはずの古墳が、30年後にはカビでボロボロ・・・。その間に、誰が中に入ったかは記録が無いが、内部に虫が入り込んでいた事実を見ると、文化庁の管理がどこまで徹底されていたのか・・・、非常に残念だ、と言っていた。これはすべて、その物の価値が分からないことから来ている。(結果として文化庁が、高松塚古墳の価値が分からなかった??)

取り返しがつかない事は、対人関係でも良くある。
まあ自分も、これからのさまざまな行動の中で、「取り返しがつくこと」と「取り返しがつかないこと」は、良く区別して行動したいものだ。(永遠のテーマだが、夫婦喧嘩で口にする暴言は、果たして取り返しがつくのであろうか?)

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2008年2月11日 (月)

「般若心経」勝手帖-14 羯諦羯諦

しゅうそくせつしゅーわつ
呪即説呪曰

ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー
羯諦羯諦波羅羯諦

 は    ら   そーぎゃーてーぼーじーそ    わ   かー
波羅僧羯諦菩提薩婆訶

はんにゃーしんぎょー
般若心経

通訳すると、
呪即説呪曰=即ち呪文を説明すれば、
羯諦羯諦波羅羯諦=行こう、行こう、彼岸へ行こう。
波羅僧羯諦=みんな揃って彼岸へ行こう。
菩提薩婆訶=みんな揃って悟りの彼岸に行き着こう。

「羯諦」は「行く」という意。 ではどこに? 「極楽と呼ばれる悟りの「彼岸」に。ここで言う「行く」とは「日ごろの行い」のこと。つまり「菩薩の行い」=「六波羅蜜行」の事。
「波羅羯諦」は「波羅“蜜多”羯諦」の蜜多が省かれたもの。
「波羅僧羯諦」は、「波羅“蜜多”」を「僧=ここでは私たち一般大衆」が「羯諦=(彼岸へ)行こう=お互いに六波羅蜜行という菩薩の行いを実践しましょう」
「菩提薩婆訶」の「菩提」は悟りの境地で仏さまの住む世界。「薩婆訶」は“成就する。完成する”の意。(「
声を出して覚える般若心経」より)

ちなみに「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」という真言は、サンスクリット語を、表音文字(いわゆるカタカナ)で表現したものだが、今聞いてみると、サンスクリット語では「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディスヴァ-ハー」、中国語では「チエティ チエティ ポロチエティ ポロスンチエティ プウティサアポホ」、韓国語では「アゼ アゼ バラアゼ バラスアゼ モジサバハ」と発音している。(参照:サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」

ともあれ、この「般若心経勝手帖」なるものも、悪戦苦闘しながらも何とかゴールにたどり着いた。悪戦苦闘=やっぱり難しい・・・・ということ。(このスタートが06年10月なので、ゴールまで1年半掛かった・・・)まあそれもそうだ。「大般若経」600巻のエッセンスが般若心経であるというのだから、そう簡単に分からない(はずだ)。

この「勝手帖」も、引き続いて心経にまつわる話を続けてみよう。あまりに深い心経ゆえ・・・。(そのうち、「観音経」についても書いてみようか・・・)

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2008年2月10日 (日)

「般若心経」勝手帖-13 是大神呪

こーちーはんにゃーはーらーみーたー
故知般若波羅蜜多

ぜーだいじんしゅーぜーだいみょーしゅー
是大神呪是大明呪

ぜーむーじょーしゅーぜーむーとうどうしゅー
是無上呪是無等等呪

のーじょーいっさい くー  しん じつ ふーこー
能除一切苦真実不虚

こーせつはんにゃーはーらーみーたー
故説般若波羅蜜多

通訳すると、
故知般若波羅蜜多=般若波羅蜜多(智慧の完成)を知ることによって
是大神呪=この「般若心経」は神妙な真実の言葉であり、
是大明呪=これは明白な言葉であり、
是無上呪=これは最上の言葉であり、

是無等等呪=これは他に比べようがない言葉だ。
能除一切苦真実不虚=能(よ)く一切の苦しみを除くことは、真実で偽りではない。
故説般若波羅蜜多=故に般若波羅蜜多の呪文を説く。

(「声を出して覚える般若心経」より)

般若心経に5回も登場する「般若波羅蜜多」・・・・。
人間の体という「小宇宙」には、無限の能力というエネルギーが蓄えられている。そのエネルギーを引き出すのが「波羅蜜多行(はらみたぎょう)」である。
その「波羅蜜多行」をするときの心がまえは、 
一つは「慈(じ)」といって、いつくしみの心を持とう。
二つは「悲(ひ)」といって、あわれみの心を持とう。
三つは「喜(き)」といって、人をよろこばせよう。
四つは「捨(しゃ)」といって、命を捨てても人を救おう。

人に接するときは、
第一に「布施(ふせ)」といって、施すことをしよう。
第二に「愛語(あいご)」といって、やさしい言葉を掛けよう。
第三に「利行(りぎょう)」といって、人の利益になることをしよう。
第四に「同事(どうじ)」といって、相手と同じ立場にたって考えよう。
(「声を出して覚える般若心経」(P139)より)

そして最後に出てくる「真言(しんごん)」が無上のものであると説く。「真言」とは「呪文」のこと。サンスクリット語では「陀羅尼(だらに)」といい、訳して「呪(じゅ)」とか「総持(そうじ)」とか「持明(じみょう)」とかいう。

(何度聞いても、「般若波羅蜜多」は分からない・・・・。よってこのコーナーも、ゴールを前にしばらく止まっていたのも(昨年8月以来)、自分で理解が出来なかったため・・?  とりあえず、最後まで行ってしまおう)

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2008年2月 9日 (土)

中島みゆきの「うらみ・ます」~非常に怖い歌・・・

無数にある歌のうち、「最も恐ろしい歌」として挙げるとすると、自分は躊躇無く中島みゆきの「うらみ・ます」を選ぶ。中島みゆきが泣きながら歌うこの歌は、それほど「怖い歌」なのである。
歌詞も怖いが、歌い方も怖い・・・。「女の恐ろしさ」がこれほどまでに表現されるとは・・・。また「歌」がここまで感情を表現できる手段になり得るのだという“見本”だ。
この歌はスタジオライブで、一発で録音OKになったという。実際に聞いてみると、確かにこの歌は、カラオケとともに後から歌だけ録音するような手段では、到底実現できない事が良く分かる。
バックも含めて実に緊張感あふれる一発録音であり、最後のフレーズの「死ぬまで~~」と中島みゆきが伴奏なしで声を伸ばしていて、バックが伴奏を入れるタイミングも、あまりの緊張感から、バックが待ちきれなくて音を発してしまうのも聞きどころ・・・・。まさに、ライブならではの緊張感がみなぎった録音である。少し聞いてみよう

<中島みゆき「うらみ・ます」>

「うらみ・ます」
 作詞・作曲 中島みゆき

うらみますうらみます
あたしやさしくなんかないもの
うらみますいいやつだと
思われなくていいもの

泣いてるのはあたし一人 あんたになんか泣かせない
ふられたての女くらいだましやすいものはないんだってね
あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで

雨が降る雨が降る
笑う声のかなたから
雨が降る雨が降る
あんたの顔が見えない

ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと
あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで

ふられたての女くらいおとしやすいものはないんだってね
ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで

朝日文庫の「中島みゆき全歌集」の解説で、谷川俊太郎が「うらみ・ます」についてこう書いている。
「・・・「うらみ・ます」を初めて聞いて、たじろがない人はいないのではないか。泣きながら歌う中島みゆきの声は余りにも私的だ。実際に彼女は特定の誰かをうらんでいて、その感情をまっすぐに歌っているのだと私たちは思いこむ。同時に私たちはそれが演技なのではないかとも疑う。・・・・・・
・・・例えば題名の「うらみ・ます」のうらみとますの間に入っている黒い小さな点は、いったいなんだろうというようなことが気にかかってくる。一息に言うのではなく、いったん息をのみこんでいて、その微妙なためらいのようなものが、うらんでいる自分をみつめる、もうじとりの自分の存在を感じさせる。黒い点はいわばからだからわき出る自然な感情の流れを、意味で中断する。
・・・・レコードの「うらみ・ます」はスタジオライブで、しかも1回だけの録音でできたということだ。そういう選択にも作者の意図が感じられる。それは賞をもらって泣く新人歌手の涙とは、似ても似つかぬものだ。・・・」

前に家族で旅行に行ったとき、旅館の地下のカラオケボックスで、自分がこの歌を歌ったら、皆が「怖~い~」と恐れおののいた。(そもそもこの歌は、酔っ払ってカラオケで歌うような歌ではないのだが・・・)
中島みゆきが自分のコンサートで、この歌を歌うとは思えないが(そんな軽々しい歌ではない)、この録音(の瞬間)だけが永遠に息づいて行く(命を保って行く)、そんな“怖ろしい”歌である。とにかく中島ゆみきは大大・・・大歌手である。

(関連記事)
「中島みゆき」の世界を新発見

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2008年2月 8日 (金)

自分の「経験」をどう活かす?

先日(08/2/5)の日経産業新聞(P15)に「見方変えてあなたをカエル~経験を組み合わせる~自分の価値に気づくことも」というコラムがあり、なるほど・・・と思った。
曰く・・・

「あなたはこれまで、どんな経歴を歩んできましたか?・・・・今までの経験で何か誇れるものはありますか?一つ一つを取り出せば、特筆すべきことは何もないように見えます。しかし、見方を変えてこれを「経験の組み合わせ」と見た瞬間、そこにはあなただけの新しい価値が生まれるのです。・・・・このように、経験が組み合わされることにより抽出された、世界でたった一つのオリジナルブレンド、それがあなたなのです。
・・・・
知人のNさんは、・・・思うような仕事ができずに転職、その後も上司とウマがあわずに会社を転々としました。転職を繰り返していると信用がなくなりそうなものですが、あるとき、彼は海外の俳優さんの日本でのマネジメント業務を引き受けるとこに。なぜそうなったか。それは、その業界を横滑りすることで、気がつくと、彼一人で仕事の段取りや手配をこなせる、いわばワンストップサービスを提供できるようになったからです。
・ ・・・・・・
私たちはつい不安を感じ、新しいもの(資格や実績)に手を出してしまいがち。ちょっと立ち止まり、今一度、これまでの自分の経験を振り返り、今の仕事に応用できるスキルや見方を抜き出してみませんか。いまの自分の価値に気がつくこと、それがあなたを変えるきっかけとなるのです。」

でも、この論は正しいのであろうか?
確かに「経験」というものは個々人にとっての財産である。要はこの貴重な「経験」をどう活かせるか・・・である。

ハローワークや人材活用会社に行くと、まず聞かれるのが「何か資格を持っていますか?」だそうだ。つまりこの事は、自分の「経験」を人から評価してもらう事が如何に難しいかを物語っている。だから誰でも、簡単に他人から評価される「資格取得」に走る・・・。

よく、「誰でも一つは小説を書くことが出来る。それは自分の辿ってきた“人生”を書くこと」と言われる。これはその通りで、小説を書くことは誰でも出来るかも知れない。しかしそれを“他人に読んでもらうこと”とは別だ。普通に考えると、幾ら書いても誰も読まないだろう・・・・。
それと同じで、「自分の経験」を誰かが買ってくれるか(売れるか)というと、それは非常に難しいのではないか?

「リタイア後は、団塊の世代が持っている“経験”をぜひNPO活動に活かして!」という声もよく聞く。
自分のサラリーマン生活も、今年は39年目に突入する。自分の「経験」が売れるとは到底思えないが、せめてその経験が他人の「害」にならないようにだけは、気をつけたいものである。(=「“毎日が日曜日”恐怖症」の“エムズの片割れ”ではある)

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2008年2月 7日 (木)

夫婦ゲンカの極意「勝たない。勝てない。勝ちたくない。」

「勝たない。勝てない。勝ちたくない。」をご存知だろうか?
綿密なるネットの検索によって、これは「全国亭主関白協会」の唱える夫婦喧嘩の<非勝(ひかつ)三原則>であることが分かった。

080207teisyukanpaku_2 先日、夕食に出てきたサフランの黄色いチャーハンを「匂いが強くて×(バツ)!」と言ったら、カミ(神)さんが猛烈な勢いで反撃してきた・・・。「いったい準備にどれだけの時間が掛かっていると思っているの? 食べなくてよろしいのよ」・・・・と。(フー・・・)
“犬も食わない話”なので詳しくは省略するが、結局「勝たない。勝てない。勝ちたくない。」を“暗誦”させられてチョン。(練習でうっかり「勝ちたくない」を「負けたくない」と言い間違ったら、それはもうエライ剣幕で・・・)
聞くと、TVのコラムやドラマでやっていた何とかという亭主関白の会の標語?だそうだ。(~調べてみたら、先日(08/2/1)、フジテレビでドラマが放映されたらしい。⇒ 金曜プレステージ『妻たちからの三行半~夫たちの(秘)離婚回避マニュアル~』」
この誓い?の言葉を覚えさせられたのが“しゃく”なので調べてみたら、「全国亭主関白協会」というのがあって、立派なHPがある(ここ)。(会長のblogも見つけた) かなり有名な?協会らしい。そこに、この言葉があった。解説に曰く・・・

『「夫婦喧嘩はたいていの場合、「ちょっと!あなた!」から始まる。
足をもつれさせないでリビングのソファーまでたどり着くのも至難のワザだが、愛妻の「ちょっと」は2、3分ではなく1時間と心得よ。
その際、心の中で唱えるのが<非勝三原則>である。
その深い意味を理解しなければならない。

①勝たない
話の内容を聞けば、ひょっとしてこのケンカ勝つかも知れないという思いが沸いてくることもあるだろう。しかし、反論をすれば1時間が2時間になるだけである。だから勝たない、のだ。 

②勝てない
仮にその問題が100%、亭主に分があるとしても、敵(じゃなかった愛妻)は、形勢不利とみれば20年も前の出来心の浮気を引き合いに出すに決まっているのである。だから、勝てない、のだ。

③勝ちたくない
もし、勇気を振り絞って戦い、そのケンカに勝ったとしよう。愛妻は反省するだろうか?否、しない。次の機会にそのストレスが、5倍10倍になってはね返ってくるだけであろう。だから、勝ちたくない、のだ。

以上の主旨をよく理解すれば、<非勝三原則>の深さがお分かりだろう。
日本には素晴らしい非核三原則があり、亭主には、ちょい、情けないが、非勝三原則がある。
争わないことが、真の勇者であり、勝者なのだ。
全国の亭主たちよ、それでも戦うのか(笑)

全国亭主関白協会 会長 天野周一』

しかし世の中には、デキた(悟った)人が居るものだな・・・と感心した。実に目線が高い。視野が広い。こころが広い・・・。(天野会長は、九州久留米の55才の方だそうだ)

話は突然に変わるが、家庭の中で言ってはいけない「禁句」というものはあるのだろうか?
一般的には「当然ある。夫婦といえども他人。家庭内といえども、また親子といえども最低限のエチケットというものはある。」が正解だろう。
しかしカミさんは言う。「家の中で“言ってはいけない言葉”というのは無いと思う。それがあるのは他人。他人は何かあると去っていく。でも家族(親族)は去れない。だから失言がもしあっても、言い過ぎた場合は謝ることで許されるべきではないか(=禁句があるような緊張した家庭では困る)」・・・・と。
なるほど・・・・。(じゃあ、何でサフランで叱られる??)

またまた話は変わるが、前に部下の結婚式の主賓に呼ばれると、いつも同じ事を言ってきた。「・・・・何でも話せる明るい家庭を築いて下さい」と。
実は、自分はこれを確実に実践している! 家に帰ると自分のクチのバルブは緩み、思ったことは頭で反芻するヒマも無く、かつ何も考えずにポンポンと口から出てしまうのだ・・。でも、カミさんからいつも叱られる現実・・・。

何でも言えるはず・・・と、叱られる現実・・・・という落差を理解するために、自分も「全国亭主関白協会」に入会して、その極意を教えてもらおうかな・・・。(実に良い協会を知った・・・)

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2008年2月 6日 (水)

ラジオ予約録音の「ラジオサーバー」を買ってみて・・

NHKラジオ深夜便を聞くためには、タイマーで録音してMP3化する必要があるが、先日、とうとうオリンパスの「ラジオサーバーVJ-10」を買ってしまった。(これは一般的ではないため、三省堂でしか売っていない)
今日はその使用感・感想である。

今までラジオの録音は、(ここ)に書いたように、フリーソフトと旧型のノートパソコンでデジタル録音していた。これらの組み合わせは、もう聞かなくなった「ミュージックバード」や「スターデジオ」の衛星ラジオのデジタル録音用だったが、最近NHKラジオ深夜便を聞くようになってからは、音源をアナログのSONYのステレオセット用のAM/FMチューナに変えて、同じようにパソコンで予約録音をしていた。
しかし、FM放送だけならそれで良かったが、ラジオ第1放送の「日曜名作座」を録音したり、FM放送の第1/3日曜日深夜の放送休止のときは、どうしてもAMのラジオ第1放送を録音することになる。そして、それが終わるとチューナをAMからFMに切換える必要があり、この手動での切り替えがかなり面倒だった。それでNETで調べたら、ラジオの予約録音に打って付けの製品があることが分かり、今回オリンパスのVJ-10を買った・・・、というわけ。

Img_19861 ひと言でいうと、このVJ-10は完成度が高い。相当の期間、真摯にユーザの声に耳を傾けて改良を重ねてきた事が良く分かる。
そして小さい。VHSカセット一個分・・・。
でも、あくまでも音楽と同様に“良い音で録ろう”としている自分にとっては、色々と不満もある。
先ず第一に不満なのが、録音フォーマットがWMAであるという事。なぜ最も一般的なMP3にしなかったのか、最大の疑問だ。よってレベルの調整も、ファイルの分割・結合も、対応出来るツールがまるで見つからない。よって音が悪化することを覚悟で、いったんMWA→WAV→MP3に変換してから処理することになる。この変換ソフトは幾つかあるが、何故かFM放送のMWAだけが変換できなかった。結局、iTunesで簡単にMWA⇒MP3に変換できることが分かったので、今後はそれを使う事にした。
(08/8/10追)
2008年6月のファームウェアのバージョンアップで、MP3での録音が選択できるようになった。(
ここ)しかしMP3を選択した場合、128Kのみで160Kが無い。まあFM放送の帯域は20~15000Hzなので仕方が無いが、そのうち160Kもサポートされることを期待しよう。でも、これによりいiPodにもそのまま転送可能になり、自由度が圧倒的に広がった。これで天下無敵のラジオになった?

それと、録音した音量の違い・・・。FM放送の音量に対してAMの放送の録音レベルは6~10dB位高い。これは携帯プレヤーに転送して聞く自分にとっては大問題。
そしてAM放送の感度・・・。専用のアンテナも売っているが4500円は高い。結局AM放送は、いままでのSONYのチューナから、入力音量の調整が出来るライン入力に繋いで音量をFMに合わる事にした。(これは最近、ライン入力もタイマーが効くようにVJ-10のファームウェアが改善されたので、対応が可能になったもの)

それにスイッチが重い。予約をするために何度もスイッチを押していると手が痛くなる。誤押し防止か?
また、厳密にはFM放送の音は、SONYのチューナの方がVJ-10よりノイズが少ないが、まあ通勤電車で聞くのが中心なので、我慢することにしよう。~なお、FMアンテナは専用の5素子アンテナをたてている。付属のロッドアンテナで音質を追求するのは無理だろう。

しかし、これでノートパソコンを一日中入れっぱなしにしておく必要も無くなった。いやはや便利な時代になったものだ・・・。

(2009/6/17追)
Panaのプラズマテレビを買ったら、AM放送に猛烈なノイズが入ることが分かった。東芝の液晶TVではノイズは無い。これには注意が必要だ。

(2010/2/9追)
「AMラジオ用高性能ループアンテナAN1」を買った。抜群の性能で大満足。
今まで、VJ-10のAMチューナの性能を信じていなかったため、FMはVJ-10でAMはSONYのチューナにつないでいた。しかしFM放送のノイズが我慢できず、AMの音は犠牲にして、AMをVJ-10、FMをSONYのチューナにつなぎ換えた。案の定、AM放送のノイズがひどい・・。それで本当にダメモトでVJ-10専用のアンテナAN1を買ってみた。今日着いたので、つないでみてビックリ。ノイズが消えてFM放送なみの音となった。当地は八王子だが、これは4500円の価値はある。AM放送の音質で困っている人がいたら、ぜひ試して下さい。

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2008年2月 5日 (火)

映画「母べえ」を見て

結論から言うと、山田洋次・吉永小百合の、この「母(かあ)べえ」という映画は、これから色々な賞を取るような気がする・・・・・・
そして、このような手法(?)で「反戦への思い」を強烈に表現する事が出来るのか・・・と、感心した。

フト気が向いたので、会社の帰りにシネコンに寄って「母べえ」を見た。
吉永小百合のこの映画は、できた事は知っていたが内容等は全く知らなかった。しかし前に「山田洋次さんも吉永小百合さんも、この作品を遺作にしたほうが良いのではと思う。」というユーザレビューが頭に残っていたこともあり、フト見る気になった。
「“母(はは)べえ”をシニアで1枚」と、初めてシニア切符を買った、自分にとっては記念すべき映画。しかし、その本名が「母(かあ)べえ」とは・・・・(トホホ)。

映画が終わっても席を立たなかった。(確かに館内の照明が点かなくて、暗かった事もあるが・・・) 何だろう・・・、この思いは・・・。
別に、ストーリーに感激して涙したわけではない。吉永小百合の演技に特別に感心したわけでもない。(全体が、あまりに自然に流れて行くので・・・) 音楽がサントラを買うほど印象に残ったわけでもない。それに昭和15年頃のセットに感心したわけでもない。でもこのズシーンとくる思いは、何なんだろう・・・

この映画は真の「反戦映画」である。
ストーリーも単純。演技も特段の見せ場があるわけでもない。ただ、ごく一般的な庶民の生活を、ひとコマだけ切り取っただけ・・・。
でも「戦争という理不尽が、一般庶民に与えた悲惨さ」を、見る者に強烈に印象付ける。“ふつう”が許されない時代。“本音”が言えない時代。
いわゆる「アカ」のため、治安維持法で捕まる「父(とう)べえ」。捕まった父べえは、転向上申書?に、支那事変を「戦争」と書き、「聖戦」と書き直すように要求されても屈しない・・・。
しかしこの時代が、自分が生まれるほんの数年前に実際に存在していたのだ・・・。

あまりにリアリティがあるので、公式HPを見たら「原作は、長年に渡り黒澤明監督のスクリプターを務めた野上照代が、幼い頃の家族の思い出を綴ったノンフィクション作品」とある。なるほど・・・。想像だけではこの作品は生まれない。

一方、出てくる風景はどれも懐かしく(学校など、子供の頃に通った風景そのもの)、特にシニアの人達には、すぐに入り込める映画だろう。(逆に、若い人はこの映画をどう見るのだろう・・・) ちゃぶ台も懐かしい。玄関の戸も懐かしい・・・・

また俳優陣も、吉永小百合は別格として、浅野忠信も檀れいも、もちろん子役の名も知らなかったが、その“演技とは思えない自然さ”が、この映画のリアリティさを増す・・・・。(しかし、さっき名前を知ったけど、檀れいは美人だね・・・・)

ともあれ、題名も読めないままに入った映画館だったが、とんだ拾い物だった。(失礼)
最初に書いたが、この映画は色々な賞を取ると思うが、どうだろう・・・・?

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2008年2月 4日 (月)

ゴルフ上田桃子プロの障害者支援

自分は全く分からない世界だが、ゴルフの上田桃子プロは07年度の最年少賞金女王達成の快挙を成し遂げた人だという。

ある冊子を見ていたら、まつもとりょう氏の「上田桃子の社会貢献~障害のある姉の存在が力の源と言い切る女王」というコラムがあり、上田桃子を例に障害者の兄弟について書いてあった。(上田桃子の5歳年上の姉・亜沙美さんは、小脳障害で足が不自由で小学校まで車イス生活だった。しかし今では、実家から独立して1人暮らしをしているという)

「・・・桃子プロに注目し、密かに応援するようになったのは、半年ほど前に偶然にもTVで見た、熊本の障害者作業所のニュース以来です。確か、餅つき大会の報道でした。桃子プロが参加していたのです。ナレーションでは、障害のある姉のことが、さりげなく紹介されました。

12月7日の週刊ポストの記事(上田桃子『よかごつなる』秘話)によると、彼女は姉が働くこの作業所に、スポンサー料の一部を寄付しているとのことです。それは、「障害をもったお姉ちゃんのためにも頑張りたい。トーナメントを通じて私にしかできない社会貢献をしたい」という趣旨からだそうです。・・・・

知的障害や脳性まひ、てんかん、自閉症などの発達期の障害の場合は、親や兄弟姉妹を含めた家族全体を巻き込みます。それ故に、本人に対する発達支援はもちろんですが、家族支援が不可欠です。しかし、我が国の福祉制度で存在するのは、家族責任論でしかありません。

兄弟姉妹の問題は、親とは異なり複雑です。親は、多くの場合は障害のある我が子を持って初めて障害の問題に直面します。しかし、きょうだいの場合、特に年下の場合は、生まれたときから「障害のある人(きょうだい)」が存在しています。それが自然なことであり、そこを出発点とします。そのため、しばしば親の否定的な態度に批判を抱きます。

親は、障害のあるきょうだいに目が向き、面倒を見れないことに申し訳なさを覚えます。きょうだいの子育ては、障害のある子供の親の間では、大きな課題となります。きょうだい故の「不幸」を嘆き、それ故にきょうだいから批判を浴びます。

・・・・・・

この時代での桃子プロの活躍です。それも、きょうだい故の「不幸」を嘆くのではなく、それを「力の源」と言い切る姿に、私たち親は感動するのです。もちろん本人は私たちの気持ちを、「そんなの関係ない!」といなし、感想を聞けば、「別に!」と言い放つでしょう。

・・・・・・・

このような桃子プロを育てた両親に、心から敬意を表したいと思います。」
(弟・悌史郎さんも鹿島アントラーズのユースに所属しているという)

前にも書いたように、「ある確率」で生まれてくる障害児・・・・。
そのきょうだいは、その存在をどのように見ているのだろう。本当に「あるがまま(障害者のきょうだいが居ること)」を受け入れているのだろうか。ことによると、「恥」と受け止めているかも知れない・・・・。

しかしそれは、全て「社会の偏見」から生まれて来る。社会がその「偏見」を許しているから・・・・

どのような障害児が生まれても、親は「自分の責任で育てねば・・・」と思う。否、そう“思い込む”。障害児を生んだのは“自分の責任”と・・・・・

しかし逆に、もし親が「自分は“(親の代表として)選ばれて”障害児の育児を任された・・」と思う事が出来、そして社会も全面的にその“選ばれた親”を支援する体制が出来たら、どんなにか世の中が明るくなるだろう・・・。

自分はどうしても障害児を育てるのを「個人の責任」と切り棄てる今の社会に違和感を感じる。
確かにこれは、あまりにキレイごとではあるが、少なくてもこの上田桃子プロの活躍は、素直に嬉しくなる話題であった。まさに、「別に!」と言い放つであろう“その感覚”(=障害者の姉に対する)に・・・。

あまり自信は無いが「上田桃子」という名は、永遠に??覚えておこう。

(関連記事)
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)

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2008年2月 3日 (日)

東京レディース・シンガーズの「雪の降る街を」

今日は2年ぶりの雪だった。今年も何度か「雪」の“予想(予報?)”があったが、いつも外れていたのに・・・。
我が家では、「カーポートにつっかえ棒をすると雪が降らない」という“言い伝え”があり、昨夜もどうしようか“議論”したが、「まあ明日は日曜日なので雪でもいいか・・・」という事になって、つっかえ棒をしなかった。だから雪になったわけだ。

「雪はこんこ・・・」の歌で「犬は喜び庭駆けまわり・・・・」という歌詞があるので、実験でウチの「メイ子」を外に出したら、このありさま・・・・・・(左の2枚はカミさんのblog用の写真をパクッたもの)

P10105611 P10105621 Img_19851

というワケで、ウチの犬は、凍えていました・・・・(これだから洋犬は・・・!)

これだけでは、ここまで読んでくれた人に失礼なので、雪にちなんだ歌を探してみた。やはり「雪の降る街を」が代表か・・・? 自分が集めた「雪の降る街を」のMP3を数えてみたら14種類あったが、今日はそのうち(音が悪いが)「東京レディース・シンガーズ」の歌を紹介しよう。オリジナルの高英男や、ダーク・ダックスも好きだが、この女声合唱の清楚な歌声が、今日の雪景色にフィットするような気がするので・・・・・。

<東京レディース・シンガーズ「雪の降る街を」>

「雪の降る街を」
 作詞:内村直也
 作曲:中田喜直

1)雪の降る街を 雪の降る街を
 想い出だけが 通りすぎてゆく
 雪の降る街を
 遠い国から おちてくる
 この想い出を この想い出を
 いつの日か包まん
 あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

2)雪の降る街を 雪の降る街を
 足音だけが 追いかけてゆく
 雪の降る街を
 一人心に 満ちてくる
 この哀しみを この哀しみを
 いつの日か解(ホグ)さん
 緑なす春の日の そよかぜ

3)雪の降る街を 雪の降る街を
 息吹とともに こみあげてくる
 雪の降る街を
 だれも分らぬ わが心
 この空(ムナ)しさを この空しさを
 いつの日か祈らん
 新しき光ふる 鐘の音

この歌が、1951年のNHKの放送劇「えり子とともに」の挿入歌であった事は知られているが、この歌の題名が色々だ。
「雪の降る街を」「雪の降る町を」「雪の降るまちを」と、どれも本命くさい。でも「詩」なので本名はあるだろう。やはり「雪の降る街を」が“本名”のような気がするが・・・。(Netで見たが良く分からん)

そう言えば、近所で雪かきをしながらキャーキャーと「雪合戦」をしている子供達(?)がいた。昔、やったっけ・・・。小学校の頃か・・・・。
(たぶんこの子供達は、還暦を過ぎて子供に戻った「子供」では無いと思うよ! 幾ら“気だけ若い”カミさんに宣戦布告されても、いいオトナがやるわけ無いよね・・・。たぶん・・・)

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2008年2月 2日 (土)

障害者雇用率ベスト10の会社

今朝(08/2/2)の日経に「障害者雇用率 ユニクロ首位」というコラムがあった。(P11)
曰く・・・・

「厚生労働省は民間企業の企業別の障害者雇用状況(2007年6月現在)の調査をまとめた。従業員5千人以上の企業で従業員に占める雇用者の割合が最も高かったのは、カジュアル衣料のユニクロで7.43%だった。フルタイムの従業員1万541人のうち783人を雇用、2位のすかいらーく(2.9%)を大幅に上回った。
障害者雇用促進法は従業員56人以上の企業に対し、従業員数の一定割合の障害者を雇うことを義務付けている。現在の法定雇用率は1.8%で、未達成の企業には納付金の支払いなどの義務がある。07年の全企業の障害者雇用率の平均は1.55%だった。
従業員5000人以上の企業を業種別にみると、飲食店宿泊料 2.19%、電気・ガス・熱供給 2.01% などが高い。
一方、サービス業1.66%、金融保険、不動産、不動産業1.7% などは法定雇用率を下回った。・・・・」


障害者雇用率 上位の企業
(従業員5000人以上、07年6月時点)

①ユニクロ      7.43%
②すかいらーく    2.90%
③パナソニックエレクトロニックデバイス 2.87%
④オムロン      2.76%
⑤しまむら       2.73% 
⑥ダイキン工業    2.66%
⑦西日本鉄道     2.54%
⑧NTT西日本 九州 2.53%
⑨松下電工      2.48%
⑩日本たばこ産業  2.46%

この会社群を見ると、会社トップの意思が大きく影響している事が分かる。ユニクロをはじめ、会社トップの障害者雇用への熱意がそのまま表れ、社内に浸透している結果なのだろう。
それに、いわゆる“大会社群”が目立つ。地球温暖化対策にも見られるように、いまや企業は“グローバルな貢献”という目線から避けて通れない。
この「障害者雇用率」も、“遵法”という重たい側面もあり、逃げられない。よって、この松下・NTT等社名から、本体は上位に出ないが、子会社が上位に顔を出している事から、企業群の姿勢は見て取れる。

先のblogでも書いたが、障害者はある一定の確率でどこにでも出現する。だから、それを社会全体で保護していく事は、やはり当然ではないか・・・。
ビル・ゲイツも、98年7月でマイクロソフトの経営から身を引き、残された時間を、世界の医療/教育問題の改善を目指す慈善団体Bill & Melinda Gates Foundationのために費やすという。
このビル・ゲイツの、「人生の目的は金を無限に稼ぐことではない・・・」といった姿勢に脱帽だ。

自分も、“衣服で必要なものは全てユニクロで買うぞ!”と一応は思った・・・。(別に安いから買うのではなく、障害者雇用の点で買うのだ・・・)

(関連記事)
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)

============================
(08/2/3追)~日経朝刊(08/2/3)より
▲民間企業の法定雇用率(従業員56人以上)=1.8%
       ↓
▲実際の障害者雇用率=1.55% 
 ・授業員100~299人の企業=1.30% 
 ・従業員1000人以上の企業=1.74%

■罰金
 ・従業員301以上の企業は、不足1人当たり月額5万円の罰金
 ・逆に上回る企業には月額2万7円の報奨金を支給
 ・罰金対象企業は1万2千社。うち7600社が未達で罰金を課されている。
       ↓(厚労省が罰金の対象拡大を検討中)
 ・現在の301人以上の対象企業を101人以上に広げる。
   ⇒新たに1万7千社に罰金が課されることになる。
  その他、「障害者就業・生活支援センター」を増設するなどして、5年間で就業者数の3割増を目指す。

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2008年2月 1日 (金)

「南極観測隊」を思い出す・・・

いつも聞いているNHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「わたしの南極再発見~科学ジャーナリスト柴田鉄治」(08/1/30~31放送)を聞き、子供の頃にあった「南極観測隊」の国民的フィ-バーを思い出した。

080201nankyoku 今の若い人は、南極観測隊と言ってもピンと来ないかも知れない。しかし昭和31年(1956年)に朝日新聞の発案により(←知らなかった・・・)スタートした南極観測は、永田隊長の名と共に、国民から熱狂的に迎えられた。この記念切手も懐かしい・・・・・。
そして、第一次南極観測隊が昭和基地を建設しての帰路、宗谷が氷に閉じ込められて動けなくなった時、ソ連のオビ号に助けられたニュースには、国中が沸き立ったのを覚えている。冷戦のさなか、南極は平和のシンボルだと・・・。
そして翌年の第二次観測隊は、今度は氷に阻まれてオングル島に近付けず、第一次越冬隊員を飛行機で脱出させ、引き上げることになった。これが、鎖に繋いだまま放置されて翌年生き残っていた事で有名になった、樺太犬のタロー・ジローの話である。

この放送では、昭和60年と平成17年にジャーナリストとして派遣された柴田鉄治氏の話だ。氏は、今まで2回しか居ない70歳以上の隊員の内の一人だそうだ。体験談だけあってなかなか面白い。印象に残ったことを思い出してみると・・・

・氏は、ペンギンファンだそうだ。きっかけは、最初に南極に行った時に、「何やってんの?」と5~600匹がゾロゾロと見物に来る様は、実に可愛くペンギンのトリコになったとか・・・。またアザラシも可愛いと・・・。でも、南極はペンギンは居るが白熊は居ない。逆に北極は白熊は居るがペンギンは居ない・・・。同じ住環境のように見えるが、何が違うのだろう・・・・。北極は海だが南極は大陸。この違いか?
・南極は日本の40倍の広さ。地球温暖化の影響は北極に比べてまだ無く、氷は解けていないという。もし南極全体の氷が解けると世界の海は60mくらい水位が上がるという。
・隊の構成は、越冬隊員40名、夏だけ隊員20名、船の隊員170名という。コックは2名。食材が良いので、毎日ホテルのレストランの料理が出てくるようなもので、不満は全く無いという。しかし月日と共に生鮮野菜が無くなり、もやしとカイワレ大根は作るものの、不足するらしい。
・昭和基地のような地上にある基地と違って、南極点の2800mの氷の上にあるアメリカの基地のように、氷上にある基地は、発生する暖房の熱や、建物や積もる雪の重みで、毎年氷の中に沈没して行くという。だから表面に出ているのは煙突だけ。すべては氷の中にあり、階段を下りて建物に入るそうだ。
・隕石は南極が一番発見しやすいが、30年前は、世界中の隕石の標本は7千個位しかなかった。しかしこの30年間で2万個が見付かり、その内の8割は日本が見つけたという。よって、日本は世界一隕石標本を持っている国という。
・南極条約が出来たきっかけは、アメリカが「ソ連が南極に基地を造ったら大変だ」と思って発案したら、ソ連が大賛成。何のことはない。ソ連も「アメリカが南極に基地を作ったら大変だ」と思っていたからという。
当時、自国が足を踏み入れた所は自国の領土・・・という風潮があり、7カ国が南極の領土を主張していた。しかしこの条約は「領有権を放棄する事は意味しない(放棄しなくて良い)」という事にし、でも「軍事基地は作らない」「研究は自由で、研究内容はお互い公表しあいましょう」・・・といったことで、まとまったという。実に巧妙な仕掛け・・・
でも、それを裏付けるように北極は「人類皆兄弟」が実現している。国境は無いし、パスポートもビザも税関も無い。
ある時、ソ連の基地に「寄りたい」と電報を打ったら、それはそれは大歓迎で、お互い言葉は通じないが身振り手振りでOK。なかなか帰してくれなかったという。またベルギーの基地に電報を打ったら「自分の方から船を訪ねるので待っていろ」と雪上車でやってきた。その時の土産が、ハスキー犬の子犬だったという。(今は環境保全の点で、犬の持ち込みは禁止されている)
各国の協力体制も素晴らしく、日本の「ドームふじ」基地で隊員が急病になった時も、1000Kあるので雪上車では昭和基地に戻るのに1カ月掛かるが、ドイツの飛行機が助けてくれて、スエーデンの基地に運び、本国から来ていた飛行機でアフリカへ。そこから日本に帰国できたという。
これらからも分かるように、まさに世界平和が実現されている所が南極。だから氏は「世界中を“南極”にしよう」と主張している。これは、宇宙から地球を見た人が「地球には国境線が見えなかった」と言うように、南極に居ると、愛国心が「愛地球心」に変わるそうだ。「国益」のために、戦争まで引き起こしているのがバカバカしくなるという。確かに言われてみるとそうだ。

実に良く喋る方だが(自分でも謝っていた)、実に話が面白かった。
なお宗谷は「船の科学館」として保全されているそうだ。お台場の「船の科学館」は晴海の国際展示場に行く時に、いつも通るが、行ったことは無い。
これを機会に、一度途中下車をしてみようか。

●本日カウントが5万を越えました。皆様の“ご愛顧”に感謝します。

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