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2008年1月の28件の記事

2008年1月31日 (木)

映画「砂の器」のサントラ「宿命」

日本の映画の中で、誰もが超一流と認めるだろう映画の一つが「砂の器」だと思う。
全編を貫く、悲劇的な音楽であるピアノ協奏曲「宿命」・・・。映画音楽は、あまり主役にはならないが、この映画は特別だ。この音楽そのものが主役のような気がする。

映画「砂の器」サントラ~「宿命」>

親子の絆という重たいテーマ。美しい風景。そして単なるサントラとは違う本格的なピアノ協奏曲。この映画は、そうそう現れない日本の代表的な映画である。

Img_19731 加藤嘉の演ずる「そんな人、知らねえ!」と絶叫する親の愛・・・・。なんとも切なく、殺人という「事件」を、つい否定したくなる。(殺人から始まるいつもの推理小説とは違う)

最近でも、マイナーな良心的な作品はあるものの、この様に、何度も見て、場面ごとに目に焼きついている映画というのはそうそう無い。
あまりに有名過ぎる映画だが、自分にとってもサントラと共に忘れられない映画ではある。

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2008年1月29日 (火)

1000年前の世界の大都市・・・

昨日(08/1/28)の日経朝刊(P5)に「紫式部の時代には」というコラムがあり、面白く読んだ。
今年は「源氏物語千年紀」だそうで、紫式部の時代(寛弘五年=1008年)から今年はちょうど千年目という。

このコラムの、1000年前の世界の大都市についての記述を読んで、ヘエーと思った。曰く・・・

「・・・その平安京が当時、世界屈指の大都会だったことは、あまり知られていない。
過去4千年の世界の都市人口を推計した米国の歴史家ターシャス・チャンドラーによる西暦1000年の世界ランキング(人口順)は次の通りだ。

①コルドバ(スペイン)   45万人~イスラム王朝の首都
②開封(中国)       40万人~北宋の首都
③コンスタンチノープル=現イスタンブール(トルコ)30万人
④アンコール(カンボジア)20万人
⑤平安京(日本)     17.5万人
⑥カイロ(エジプト)    13.5万人
⑦バグダッド(イラク)   12.5万人
⑧ニシャプール(イラン) 12.5万人
⑨アル・ハサ(サウジアラビア)11万人
⑩アンヒルワーダ=現パタン(インド)10万人

それに比べて、パリ(2万人)やロンドン(1.5万人)は田舎町だったという。

現在の東京も世界の大都市だが、1000年も前の平安京も世界の大都市だったとは・・・・。日本は、明治になってちょんまげを棄てるまで、西欧から比べると文明が遅れていたとばかり思っていたが、意外や意外、平安時代の人は頑張っていたのだ・・・。

それでどうした?
まあそれだけの話だけど・・・・

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2008年1月28日 (月)

手仕事屋きち兵衛の「わすれ雪」

手仕事屋きち兵衛(てしごとや きちべい)というシンガーソングライターをご存知だろうか?
改めてNETで調べてみると(ここ)、手仕事屋きち兵衛さんは1949年生まれというから、自分とそう変わらないな~。今初めて姿を見たが・・・・、なるほど・・・・・。凡人ではないな・・・。
生粋の歌手ではないため、TVでは全く見かけない。1986年に「わすれ雪」でデビュー。実はこの歌が実に良いのである・・・。「ねがい星」という歌も良いが、この歌声を先ず聞いてほしい。

<手仕事屋きち兵衛「わすれ雪」>

「わすれ雪」
  作詞:手仕事屋きち兵衛
  作曲:手仕事屋きち兵衛
  編曲:小畑和彦

1)雪が降る 今日も降る
 巷(ちまた)のざわめき 消して降る
 夜の雪は やさしく降る
 できるなら この胸の
 痛み消して積もれ
 あなたの あの面影
 隠して 積もって消してしまえ
 わすれ雪になれ

2)幸せに なりたくて
 見つめてきたのは あなただけ
 いつの間にか 信じていた
 あなたとの ささやかな
 あたり前の暮らし
 あなたを 愛していた
 あの日も 季節に埋もれていく
 忘れられないのに

3)未練なら 消してくれ
 冷たくやさしい わすれ雪
 そっと積もれ 止まずに降れ
 燃えている 残り火の
 上にそっと積もれ
 あなたが 残していった
 思い出 包んで溶かしてくれ
 わすれ雪になれ

この素直な声・・・。何よりも“スレ”ていない。(田舎に住んでいるから?) さとう宗幸と似たような声だが、変に技巧的でないのが良い。
しかし、この歌を人から教えてもらったとき、何とふざけた名前か・・・と思った。
ウィキペディアによると名前について、こう紹介されている。
名前の「手仕事屋きち兵衛」は、本来は、きち兵衛が夫人と経営している店の名前であった。その由来は当人が少年時代、物事にのめり込み易く、さらに他の事が見えなくなってしまう性格であったことから、友人達から「気違い」という意味で、「きち」、「きち」と呼ばれていたこと、そう呼ばれていた当人もこれを気に入っており、それを店の名前、そして芸名として使ったということである。」

この記事を書くのを機に、自分もやっとその由来が分かった・・・。
本業は木彫刻業であるが、最近また音楽活動を再開したらしい。

話は飛ぶが、今日の新聞を読んでいたら、シニア層をターゲットとした「チャンネル銀河」という放送が4月よりスタートするという。いわゆる団塊の世代のような“オトナ向け”の放送チャンネルという。

これと同じで、歌もいわゆる「オトナ」向けの歌を、これから作っても良いのではないか?
手仕事屋さんも、年齢も同じ世代なので、このような静かな、素朴な団塊向けの歌を新しくたくさん作ってほしいな~~
(もう、そういう「時代」では無いのか? これからこの様な歌が出来ても“時代錯誤”なのだろうか・・・)

===============
(2009/3/17追加)「わすれ雪」の他のバージョンも聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛「わすれ雪」>
  ~ギターの弾き語りバージョン~「素描画」から(CDはここ

<手仕事屋きち兵衛「わすれ雪」>
  ~「風暦(かぜごよみ) 」から(CDは
ここ

==============
手仕事屋きち兵衛のディスコグラフィ
1)「詩紬」(1987/12/21発売)<30KCD-126>CDは(これ
2)「光る風」(1989/5/25発売)<12KCD-161>廃盤~音源は(ここ
3)「風景色」(1999/9/1発売)<ST-11001>廃盤~音源は(ここ
4)「素描画」(2000/2/10発売)<ST-11002>廃盤~音源は(ここ
5)「安曇野」(2000/11/22発売)<KICM-1>廃盤~音源は(ここ
6)「風暦」(2000/12/21発売)<KICS-935>CDは(これ
7)「風の誘い」(2001/7/25発売)<KICM-7>廃盤~音源は(ここ
8)「原風景」(2002/11/1発売)<TSC-0001>廃盤~音源は(ここ
9)「サントリーホールライブ」(2002/11/1発売)<TSC-0002>廃盤~音源は(ここ
10)「色即是空」(2004/9/20)<IGSA-040929>CDは(これ
11)「愛唱歌集」(2006/12/10発売)<TSDA-061121>CDは(これ

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」
手仕事屋きち兵衛の「安曇野」

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2008年1月27日 (日)

映画「そうかもしれない」を見て身につまされた

先日(08/1/16)NHK BS2で放送され録画しておいた、映画「そうかもしれない」をやっと見た。なんとも切ない映画で、直ぐに忘れてしまいたいような内容。(我が家のモットーである「臭いものには蓋・・・!」方針により・・・?)
謳い文句は「実話に基づく夫婦愛と感動の私小説、堂々の映画化」とある。夫婦二人きりの家庭が、老年になって終焉を迎える物語。

主演がどうも素人っぽいと思って調べたら、主演の桂春團治は“映画初主演となる上方落語界の重鎮”とある。雪村いづみも本来のプロではない。それだけに、なんともリアリティがあった。

物語は、前に6冊の本を出したという、そう売れない小説家とその愛妻が、子供も無くひっそりと暮らしている。しかし、段々と年を取り、妻がアルツハイマー病で徐々に壊れて行く。夫の介護が限界に来たとき、妻はホームに入る。夫は、それまで介護のために我慢してきた口の中の痛みに耐え切れず、やっと病院に行くとガン・・・・。そして入院。
病院に見舞いに来た妻は、病気が進んで夫が分からない。「ご主人ですよ。会えて良かったね」という付き添いの人の言葉につぶやく・・・。「そうかもしれない・・・・・」
そして、ホームに「ご主人が亡くなられました」と電話が入る。でも妻は分からない・・・・・

まさに、何処にでもあるような、我が家がそうなっても全く不思議ではないような日常的な話題。それだけに身につまされる・・・・・。
還暦を迎えた自分はあと何年生きるのだろう・・・?と、客観的に「厚生労働省の平均余命表(H18年)」を見たら、60歳の男は「22.41年」とある。(ウチのカミさんはあと32.48年だって?? ・・ったくオレより10年も長い!~もっとも単なるデータだけど・・・)
統計的にはあと20年か・・・。待てよ?20年前って何があったっけ?そうだ、昭和天皇が亡くなって、色々あったっけ。フト、武蔵野陵に埋葬された日(=大喪の礼:1989年2月24日)の事を思い出した。前日に雪が降り、少し雪が積っていた・・・。大きな出来事だったので、二人の息子を連れて、歩いて近くの八王子インターの近くまで行ったっけ・・・。(どうせ息子共は覚えていないだろうが・・・) あれからが“20年”か・・・。

おっと、話がそれた・・・・。
どの家でも「終わり」は必ずある。特に子供がいないと、この映画にも出てきたが、住人が家を出た時のそのままの状態で、“家は凍り付く”。(この映画では、ホコリにまみれた書斎の本棚で象徴されていた)
核家族が普通の現在では、例え子供がいてもそれは同じだろう。“その時”をどう迎えるかだ・・・・。
本来は、少しずつでも考えておかなければいけないのだろうが、考えても仕方が無い事でもあり、どうも後回しだ。(やはり、我が家訓の「臭いものにはフタ(蓋)!」が生きている・・・?)

でも、蓋も永久ではない。まあ、蓋が腐って勝手に外れる前に、カミさんと相談しておくことにしよう・・・・(何を??・・・・・)

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2008年1月26日 (土)

「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・

自分にはトラウマの言葉がある。「世界史」という言葉である。
前にblogにも書いたが、高校の時、世界史の授業になると必ず「睡魔」が襲ってきて、自分はその戦いにいつも敗れていた。(自分はいつも、“先生”と“前の席の男”と“自分”とを一直線上に置きながらウトウト・・・。つまりこれが一直線上にあると、原理的には自分の“ウトウト”が先生からは見えない(ハズな)のであ~る)

よって世界史の点はボロボロ・・・。当然受験科目からは外さざるを得ない。もっとも日本史もダメだったので、自分は「歴史」とは相性が悪いのだろう・・・。Image00281_2
しかし、還暦になったのを機に、またトラウマを撲滅するべく、そして何よりもこのblogに世界史の教科書を再読した」と書くべく、高校の時と同じ山川出版の「詳説世界史」の教科書を読み始まったのだが、やはりイカン・・・。
案の定、電車の中で読み始めると、直ぐに「睡魔」に襲われ、ページが進まない。とうとう「アレクサンドロス大王」の43ページ(全400P)で、教科書を放り出した。

なぜ眠くなるのか、自分なりに解析してみた。とにかく読んでいて面白くないのである。確かに事実は淡々と述べられている。しかし何の感情も無く、ただ淡々と・・・。そこには「命の息吹」が無い。「生きていない」文章は面白い訳が無い。だから眠い・・・。
図や写真が豊富で、そしてカラフルで装丁は素晴らしいのだが、とにかく「単語」が多い。数えてみたら、モーセの「出エジプト」のページ(P30)には「太い文字」が何と15もある。要は「これを全部暗記せよ!」が高校の授業だ。いやはや、これでは高校生が可愛そう・・・・。
フト思い出した。昔、教科書を勉強して試験に臨んだら、教科書に載っていない事項が堂々と試験に出た。先生が教えてもいない事をテストする姿勢に、怒った。教科書だけでなく、他の参考書をいかに勉強しているかのテストだった。だからキライになった・・・(というのはもちろん言い訳だが・・・)

でも高校生は大変だ。(覚えずに)単に読むだけでもこれだけ苦労する「本」を暗記しなければならぬ・・・。(もう受験勉強など、二度とゴメンだな・・・)
自分のトラウマも当分は抜けそうに無いが、またそのうちチャレンジしてみよう・・・。

(関連記事)
図解「世界のなかの日本史」を読んで

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2008年1月25日 (金)

沖 守弘著「マザー・テレサ~あふれる愛」を読んで

写真家 沖 守弘氏の「マザー・テレサ~あふれる愛」を読んで、心が洗われた?気がした。
先日(07/12/20)、NHKラジオ深夜便「心の時代~マザー・テレサとインドと私:写真家 沖守弘」を聞いて「マザー・テレサの生き方」という記事を書いた。この番組で知った「マザー・テレサ~あふれる愛」という本を先日買ってきた。そして、今日の通勤帰りの電車の中で(いつもの居眠りもせず)一気に読み終えた。この本は、今まで読んだ中で、特異だ。何か自分まで心がキレイになったような?気になってくる・・・・(本当は勘違いだけど・・・・)

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マザー・テレサの生き方を良く表しているのが、次の文か・・・・
「・・だからマザーは、世間に見捨てられ、見も心もズタズタになって路上に倒れ伏し、死の寸前にはこびこまれてきた、ボロ切れのようなひとりひとりのからだを丹念に払い清め、髪を短く刈ってやり、粗末ながらも清潔な衣服に着かえさせて、ベッドにそっと横たえてやる。しっかりと手をにぎり、話すこともできない瀕死の人には目で語りかけながら、ゆっくりと温かいスープを口にはこんでやる。
「あなたも、私たちとおなじように、望まれてこの世に生まれてきた大切な人なのですよ」
マザーは、そう話しかけながら、もう一度力をこめて手をにぎる。
だれにもみむきもされなかったかもしれない、路上で産まれ路上で死ぬ身かもしれない、でもせめて死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたい・・・・いままさに息をひきとろうとしている“見捨てられた人びと”をみとりながら、マザー・テレサの心はその想いでいっぱいなのだ。・・・」(P26)

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「死を待つ人の家」でシスターの手を握りながら、感謝に涙しながら死んで行く人々・・・
クドクドと書かなくても、上の文章と写真が全てを語っているように思う。
この本は、“自分の心を洗いたい人”、“自分の心をキレイにしたい”(と勘違いしたい)と思う人は、一度読んでみると良い。まさにこの様な生き方をしている人が居る・・・。

マザー・ハウスは1950年10月7日にわずか12人のシスターでスタート。そしてこの修道院が出来て2年後に「死を待つ人の家」を作り、(この本が出版される前の)1980年10月10日現在で、「死を待つ人の家」に収容された人は40,406人、うち既に死亡した人は18,944人だという。
それから3年後に「孤児の家」を作る。親に棄てられた子、道ばたにいた浮浪児、女子大生が生み捨てた子・・・。連れ込まれる子は全てを受け入れた。そして、同じく1980年3月11日現在で9,803人。
それに続いて、インド全体で700万人、カルカッタだけで36万人いると言われているハンセン氏病患者のための施設「平和の村」を1968年3月に作る。

マザー・テレサの修道院(マザー・ハウス)のシスターになるには、6ヵ月間の見習期、次の6ヶ月間の志願期、そして2年間の修練期を終え、三つの誓願、さらに最終誓願をしてシスターになるという。マザー・ハウスの一日は、朝4時半からの聖堂での黙想から始まる。見習生は午前中の奉仕活動が終わり昼食をすませ、英語やキリスト教理の学習、午後の奉仕、祈り、夕食、夜の祈り、そして午後9時半の就寝・・・・。

本来、この様な活動は政府・自治体で行うべき活動かもしれない。でもマザー・テレサはこう言う。
「私がもし、社会福祉や慈善のために活動するのだったら、しあわせだった家も捨てなかったでしょうし、両親とも別れなかったでしょう。私は神に捧げた身ですから、いま私がしていることはヒューマニズムでもなんでもないんですよ。ごく当たり前のことなんですよ。」(P221)

そして、医療や社会事業のための国庫補助金一度も受け取っていない。理由は書類作成で大変になるから・・・・。だから寄付をする人で、領収書を求める人はいないという。

日本人でも、沖氏のように写真で世界にマザー・テレサを紹介した人の他にも、倉敷の河野進牧師のように、得意の詩でマザー・テレサの存在を世の人々に訴え、5年間に6千万円の寄付金を送った人もいるという。その河野さんの詩が良い・・・。(P179)

 「流れ」
浅い流れは音が高い
わたしの 祈りよ 言葉よ 行いよ
音が高くないか
深い流れは音をたてない

 「ぞうきん」
こまった時に 思い出され
用がすめば すぐに忘れられる
ぞうきんになりたい

何と“力み”の無い素直な心か・・・・

ともあれ、自分の生き方とは180度違う価値観だが、還暦を迎えてフリーになるこれからは、その気になれば少しはマネが出来るかな??
最後にマザー・テレサが1981年4月22日に来日した際に残した言葉を紹介する。

「・・・豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか?
だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で、貧しさを忘れないで下さい」(P247)

(関連記事)
マザー・テレサの生き方

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2008年1月24日 (木)

天体写真家 藤井旭氏の趣味に生きる人生

先日(08/1/20~21)の、NKHラジオ深夜便こころの時代 悠久のときを見つめる 天体写真家 藤井旭」を聞いた。自分の好きな天文に人生のすべてをかけるという藤井旭氏の生き方に感心した。この様な生き方もあるのかと・・・・

もちろん自分は藤井旭さんという人のことは全く知らない。でもウィキペディアによると、60冊を越える著書があるその道のプロらしい。でも郡山の饅頭屋にお勤めとか・・・・(郡山というと、薄皮饅頭かな・・・・?)

この放送で、記憶に残ったことを思い出してみる・・・
藤井旭さんは1941年生まれというから66歳。子供の頃、戦後で何も無いので星ばかり見ていた事から星が好きになった。山口市出身だが、大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を出て、とにかく星が良く見えるところ、という条件で東北を旅した。ちょうど郡山に寄った際、饅頭屋で「これはうまい」と言ったら、それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」と言われて、今までのお客が直ぐに店員となって働き出したという。
とにかくすべてのことは「星」が主役。星を見るには、既に都会はダメで、東北もこの辺りだと良く見えるという。そして東京からも近い白河に、星仲間5人と一緒に1969年に白河天体観測所を建設。当時の金で400坪の土地が30万円で買えたとか・・。そして30センチの高性能望遠鏡を設置している。
前の天文台長はアイヌ犬のチロ。この辺りでは、昔はクマが普通に出没しており、一番強く頼りになる犬のチロが、いちばん天文台長にふさわしい・・・ということになった。チロは亡くなったあとも、新発見の星にチロと命名し、まさに「チロは星になった」という。そして日本ではもう新たに見る星がなくなったので、1995年に南半球を見るためにオーストラリアの星仲間に土地を現地で用意させ、日本からハイテクの望遠鏡を持ち込んで、オーストラリア西部のバースという町の近くに愛犬の名前を冠した「チロ天文台南天ステーション」を建設した。
愛犬のチロは、もう25年も前に死んだが、生きている頃は「チロ星祭り」を毎年開いていて、全国から2千人もの人が集まったという。

話は、話題が宇宙なだけに壮大。素人の自分からは、ヘエーという話ばかり。
太陽の寿命は100億年。今ちょうど50億歳くらいなのであと50億年の余命がある。よって地球もあと50億年はあるだろう。・・・・
昴(すばる)という星の名前はれっきとした日本の名前。日本書紀にも古事記にも、清少納言にも出てくる名。昴は肥満(光り過ぎる)なので、今5000万年位だが、あと5000万年位が寿命だろう。だから非常に短命な星。・・・
昔は、星は天界と地上を結ぶ管(くだ)のように思われていた。水の中の忍者の息継ぎパイプのように、天界の光がパイプを通して地上に漏れてくる・・・・
ほうき星が次に来るのは9万年後・・・。途方も無い時間だが、最近、永遠の過去から永遠の未来まで繰り返すという学説も出てきており、もしかすると次の宇宙でめぐり合うかもしれない、と思うと楽しい・・・と笑っていた。
また藤井さんの写真は世界的に有名で、NASAのHPにも無償で提供し、ハッブル宇宙望遠鏡の写真で、どこを写しているかを示す写真に使われているという。

しかし、氏はプロではない。饅頭屋さんの社員・・・。まあ仕事と趣味との折り合いをどう取っているのかは分からないが、大会社で無いだけに融通はきくのかも知れない。
しかし本業で成果を出すことは当たり前だが、趣味で“世界に通用する存在”になることは、大変な事。
でもたぶん本人は“世界的に有名になろう・・”ナンテは全く考えなったと思う。ただただ好きなことをやっていたら、自然に“有名な存在になってしまった・・・”のだろう。この趣味は“ホンモノ”なのかも・・・・。
ナニ?自分の趣味は?って??・・・もう聞かないでくれ~~(オレは小さな存在さ・・・)

まあこれを機に、話が出ていた(同じ天文同好会の?)宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でも読んでみるか?それに、氏の“情緒がある”という天文写真も見てみたいな・・・

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2008年1月23日 (水)

「一生」を記録するメモリー容量は「3テラバイト」・・・

先日(08/1/22)の日経産業新聞のトップに人生保存15万円の時代~思い出丸ごと1つに~メモリー下落・大容量化が後押し」という記事が載っていた。非常に面白いレポ-トである。

この記事を要約すると・・・・
サンフランシスコにあるマイクロソフト研究所の上席研究員ゴードン・ベル氏の「研究成果」によると、人生の出来事すべてをデジタルデータ化し、メモリーに保存すると(=ライフログ)、その全データは、1日あたり93MB(メガバイト)、一生では3TB(テラバイト)になるという。(注:ちなみに「3TB」とは、地上デジタルHD放送を380時間、BSハイビジョン放送だと270時間くらい録画できる容量)
080123nikkeisangyo ベル氏が研究してきたライフログのプロジェクトが「マイライフビッツ」。これは、ベル氏自身が自動シャッター付きのデジタルカメラとICレコーダーを首にかけ、生活のすべてを記録してパソコンのHDDに記憶させている。
プロジェクトを開始した2001年以降、目の役割を果たすデジカメが30秒に1回シャッターを切り、ベル氏の一日の行動を次々とHDDに焼き付けていった。
受け取った電子メールや請求書、小説、雑誌などもすべてパソコンから転送したりスキャンしたりしてデジタルデータ化。
徹底した「人生のデジタルデータ化」から7年。蓄積したデータを分析して項目毎に分類し、人々が記録する1日当りのデータ量を推計。生まれてから82歳まで、人生にかかわるデータを保存するのに必要な容量を2.8テラバイトとはじき出した。

ベル氏が示す利用方法としては、患者が身に付けている記憶装置を使い、医師が過去の病歴を把握しながら治療をしたり、認知症の人が過去に何を食べたかも確認して適切なアドバイスが出来る。ビジネスパースンは会議で上司が話した内容を自宅で詳しく確認できる。また過去に買いそびれた商品をどこの店舗で見かけたかを確認したり、・・・・
そして、3テラバイトの記憶媒体は1400ドル(15万円)程度しかかからない。・・・・・と言うのが結論・・・・。

さーて、この話をどう見るかだ。(細かく言うと、500GのUSB HDDは最安値@14千円位なので6台買うと84千円、1TのHDDだと@4万円位として12万円・・・・)
人生で次々と起きる事象。それをデジタル化して何時でも取り出せるとしたら、人生がどう変わるか・・・・?
正確な記憶、正確な行動の検証は可能になる。でもそれは、どれだけの利用価値があるのだろう・・・? どれだけ利用するチャンスがあるのだろう・・・?
結論として、自分としては否定的だな・・・。人間、忘れることを前提に文化が発展してきた。「忘れない」が前提だったら、過去の行動に完全に縛られて、取り返しがつかなくなる・・・・。
例えば、カミさんとケンカして「暴言」を吐いたとする。それをお互いに忘れるから、何とか家庭の平和が維持できる(!?)。しかし、いつもその言葉を(=いやな過去を)目の前に突きつけられたら、黙認することも出来なくなる。もちろん「臥薪嘗胆」ナンテいう言葉も無くなる・・・。
「3テラバイト」という試算は面白いが、まあこの話は笑い話だね・・・。

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2008年1月22日 (火)

脳梗塞にもめげず現役「岡本敦郎」83才

昨日(08/1/21)のNHKラジオ深夜便列島インタビュー のびやかに今年も歌う 歌手 岡本敦郎」を聴き、83才とは思えないかくしゃくたる声にビックリ・・・・。
それに、インタビューしている宇田川清江アナウンサーが、まるで「インタビューしている」事を忘れて、コロコロと笑いながら話に夢中になっている様子に、実に楽しく、また思わずもらい笑いをしてしまった。(・・・さぞ電車の隣の席の人は、怪訝な顔をしただろう)

<NHKラジオ深夜便 岡本敦郎(08/1/21am1:00~)>



話の内容を要約すると・・・・
岡本敦郎(おかもとあつお)は大正13年12月25日生まれで83才。芸大に入れない事が分かったため、武蔵野音大の声楽科に入学。しかも予科1年・本科3年のところ、在校生が芸大に行ってしまって定員割れの「本科募集若干名」にただ一人合格。本当は、ベルリンオリンピックの放送を聞いてアナウンサーに憧れていたが、仕方なく歌を歌うことにした。兵隊にも行った。昭和19年から1年間北海道で訓練を受けたが、終戦。新聞で「新人歌手大募集」に応募して歌手に・・・。「白い花の咲く頃」は21才の時に録音した。
無趣味だが、車をぶっ飛ばすのが好き。先頭の車に追い付いて、それを抜かないと気が済まない。しかし昨年の敬老の日を境に運転を止めた。
というのは、昨年(07年)9月18日の朝、朝食を食べようとしたが、箸でものを挟めない。家内が「それは脳梗塞よ」と言うので、救急車で入院。でも軽かったので復帰できた。それで無事故無違反の運転免許を返上する事にした。・・・・

という話。
岡本敦郎という歌手は、若い人は知らないかもしれないが、いわゆる終戦後からの「懐かしのメロディー」の常連。東海林太郎のように直立不動で、叙情歌を歌う。「白い花の咲く頃」「チャペルの鐘」「アカシアの花」「マリモの唄」等々、自分の大好きな叙情歌手である。
取って置きの歌を挙げよう。「すすきの丘」という曲である。もちろん八洲秀章の作曲である。このレコードを買ったのは1964年。つまり高校2年の時である。

<岡本敦郎「すすきの丘」>

「すすきの丘」~昭和33年3月発売
  作詞:山上 武夫
  作曲:八洲 秀章
  歌 :岡本 敦郎

1)すすきの丘に ひとり来て
 さみしく仰ぐひるの月
 すすきの道に別れたる
 面影あわき人を恋う

2)すすきの丘を 越えゆきて
 かえらぬ遠き人ゆえに
 すすきのかげに身を寄せて
 すすきを渡る風に泣く

この歌は、自分は大好きだが、やはりCD化はされていないようだ。
ともあれ、このような形で、岡本敦郎の生の声が聞けたのはラッキー。
そして、83才でまだ現役だという。声も張りがあって、ナルホド・・・と。
色々な意味で、見習わなければいけないな。還暦なぞ、まだまだハナ垂れ小僧??

(関係記事)
八洲秀章の「毬藻の歌」
藤山一郎・松田トシの「白鳥の歌」を聞いた
NHKビッグショー「藤山一郎」を見た

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2008年1月21日 (月)

チベットで生きる日本人~マリア・リンチェンさん

先日(08/1/18)放送したNHKラジオ深夜便「こころの時代」「チベット仏教に学ぶ チベット語通訳 マリア・リンチェン」という番組を聞いた。
日本人でもこのような生き方があるのかと、感心した。

マリア・リンチェンさんは、本名「鴨居真理さん」というれっきとした日本人。早稲田大学理工学部建築学科を出た1級建築士。1985年からダライ・ラマ14世がおられるインド北部のダラムサラに住んで建築家として活躍中。ダライ・ラマが来日した時の通訳も務めている。また24、23、20才の子供を育てた母親でもある。ダライ・ラマ14世はいわずと知れた元チベット元首。インドに亡命してから48年。1989年にはノーベル平和賞を受賞。

マリアさんがなぜチベットかというと、父が幼稚園に入る前に亡くなり、母親一人で育てられたので母親の面倒を見るつもりで居たら、大学2年の時に急に癌で亡くなってしまった。それで、母を養うために手に職をつけたのに、目的が無くなってしまった。そして、自分が何をしたら良いか分からなくなり、自分にとって未知の世界を見に行こうかと片道切符でインドに渡った。
そこで見たものは今までの世界と違った。カシミールで宗教(イスラム教)とも出会った。
ボランティアでチベット亡命政府の建物を手掛けた事が縁で、ダラムサラに住み始める。そこでチベット仏教を知る。
そして仏教で「今を幸せに生きるという事が、明日の幸せにつながって行く」という事を初めて学び、チベット仏教に帰依。

生活はダラムサラで、原始的な生活をエンジョイしている。家は2部屋の単なるハコの家で、電気はあったが水もトイレ台所も何も無い。暖炉が全て。トイレは家が山の中なので、水を汲んで山の上に上がればそれでOK。でも1992年にダラムサラに大雪が降って、2週間くらい雪が解けなくて家を出られなかった。それで困って家にトイレを作った。そして、同じ家に住み続けながら改良を重ねている。

子供の父親とは事情があって分かれたが、子供は英・米に出した。
インドは物価が日本とは大違い。月に2~3万円あれば一人で充分に生活できる。
教えの実践としては、最初にチベット仏教で習ったこと。つまり朝起きたときに自分の心の設定をする。例えば「今日は一日怒るまい」とかを設定する。そして寝る前に一日のことを振り返る。そして良い事をしたら白い玉が一つ。悪い事をしたら黒い玉を一つ。そして一日の玉の数が昨日よりも白い玉が増えるように、黒い玉が減るようにして行けば、自分の心をより良い方向に向けていけますよ。という教え・・・・。

・・・とまあ、現在の日本とは大違いの生活。まさに肝っ玉母さんだ。また女性なのに物事に動じず、精神が太い・・・。そこには「自分」がある。いやはや参った・・・
それでいて、定職に就いた事がないという。幾ら生活費が安いと言っても、3人の子供を海外に留学させて・・・・。
「国立の医学部が全部落ちたので、仕方が無く建築科に行った・・」という所までは普通の日本人だったのに、この変身ぶり・・・。本来の自分を見つけたという訳か・・・・?

しかし、「こころの時代」という番組は、電車の中でウトウト聞いていても、歩きながらでも、何か違う世界を教えてくれるので有難い。
当分、はまる事になりそう・・・・

*ウチでも、“白い玉と黒い玉をやろうか・・・・”ナンテ、カミさんが言っているが、まあ長続きしないな・・・・

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2008年1月20日 (日)

「クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)」に500作品目をアップ

クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)」が500作品目をアップした・・・、と言っても何のことか分からないでしょう・・・???
実は当サイトの親会社(親サイト)が、「クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)」というサイトなのである。
URLは「http://emuzu-2.music.coocan.jp/index.html 」

Emuzuhp080120 このサイトは、ウチのカミさんが趣味で(?)やっている「ペーパークラフト」の作品集。スタートは05年3月11日。よって、そろそろ3年になる。よくもまあ続いたものである。“何があっても毎週日曜日に更新する”と宣言してやってきたが、最近はアゴが出てきた??? 継続は力なり(何のチカラ?)・・・なんだけど・・・
「エムズ」の語源等は、当blogの「軒下借りて母屋を乗っ取った?話」(07/9/11)という記事でも書いたし、親サイトの「作者のプロフィール」にも書いてあるので省略するが、このページにある「エムズの“労働者”のグチ」が当時の状況を端的に表しているので以下転載・・・・

(エムズの“労働者”のグチ)
・はじめまして。エムズの“労働”を担当しているエムズの“片割れ”です。
 (HP開設2周年を迎えて、エムズの“裏の世界”の紹介と、グチを少し・・・)
・毎週土・日になると、オーナーさまから1週間作り貯めた材料(本人は『作品』と言っていますが)を与えられ、まずそのいい加減な寸法の材料を、作品(製品)にすべくキチッとした大きさに修正。それから、その日の気分で 調子が変わる難敵の「ラミネータ」さん相手に奮闘します。
・ラミネータは本当に気分屋で、その日の体調でせっかくの作品がシワシワになったりします。そうなるとオーナーさまから「1週間かかって作った作品を台無しにした!」と、それはもう大変で、生傷が絶えません・・・・?
・それからポイントカード入れや写真立てなどに貼り付けます。貼り付けた材料が剥がれないように、いままで色々な接着剤を実験して、何とかしっかりと張り付くようになりました。
・完成すると、写真撮り。そして写真のトリミング、ホームページへのアップと続きます。短いときでも4~5時間、先日大量受注をしたときには、何と一日13時間も“労働”を強いられました。
・実は、それでいてこの2年間“無給”なのです! 「そのうちにハワイにでも連れて行ってあげる」と言いながら、オーナーは、この2年間の売り上げには一切手をつけていません。
・毎週、「せっかくの日曜日に、オレは何でこんな事に時間を遣わなければいけないのか・・・!」とブツブツ言うので、オーナーさまも根をあげて、「それなら止める?」と聞くので、いつも「止める!」と即答するのですが、いっこうに止めさせてもらえません。そして毎週これと同じ会話をしています。
・「毎週こんな事をやっている夫婦は、世の中いないよね~」とオーナーが言うので、「当たり前だ! これほどカミさんに尽くす夫は世間広しといえど居ないぞ!」と暴動を起こすのですが、やはり土曜日になるとまた材料が目の前に与えられます・・・・
・いったい何時になったらこのような“趣味”に飽きるのでしょうか? 助けてクレ・・・!!
          07-3-11  エムズの“無給労働者”よりの悲鳴

P10105161 あの悲鳴から、もう1年経とうとしているが、おかげで労働量が減っているのは幸いなこと・・・。オーナーも色々と忙しいので、作る量が減っているのでそれが幸いしている。
でも500も作ったという事は感慨深い。全て手作りなので同じ作品がひとつも無い。よくもまあ作ったものだ。それに作品は家にはほとんど無いので、どこかで誰かに使われていれば、これほどハッピーな事はない。
苦労話での一番は、やはりラミネータ。せっかくの作品がシワシワになると台無しになるので、二人とも非常に緊張する。紙の厚さ、中身の絵(と言っても切り抜きを貼ってある)の厚さが、場所によって色々と違うので、温度設定も含めてラミネータはとにかく難しい。均一にシワ無くラミネート出来ると「やった~」と・・・。
次に難しいのが、写真撮り。ラミネートすると、表面がピカピカ光るので、写真を撮るのが意外と難しい。市販の写真撮り用のテントも買ってみたがうまく行かなかった。それに写真撮りの頃になると、そろそろ“疲れ”が出て来るので、段々と語調が強くなり、緊迫した雰囲気・・・・。(一触即発で夫婦喧嘩??)

Emuzuhp0507031 HPについても、最初はプロに頼んでベースだけでも作ってもらおうかとも考えたが、日々のメンテを考えると、見よう見まねで自分で作ってみることにした。左がスタート早々のHP。05年7月3日のHPである。それに比べると、現在のページ(ここ)は少しは進化した??

最初は、作品が世の中でどう評価されるかを知りたくて、下北沢のレンタルショップに置いてみたり、通販スタイルで注文を取ってみたり・・・、と色々したが、現在は「単なる作品集」に戻している。まああまり“肩を怒らせない”方が気分的にも良いようで・・・・

何でカミさんの趣味の手伝いを始めたかって?
カミさんの作業が実にアナログ的で見ていられなかった!から・・・。直角に切ったハズの紙が88°だったり、138mmに切るところが、何度やっても±5mm位ズレたり、そのいい加減な作業は、とても見ていられなかった・・・・。これがスタート・・・・。

まあこのドタバタが、いつまで続くか分からないが、今日の記事は、「とりあえず本日(08/1/20)、『クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)』にアップした作品が500作品になりました・・・」という報告です。

ついでに、エムズのオーナーが「エムズのひとり言」(ここ)ナンテいうblogも始めたのでヒマがあったら覗いてみて・・・・。

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2008年1月19日 (土)

レターメンの「ラヴ」

今日は、レターメンの「ラヴ」という曲の紹介である。
Image00171 若い頃、自分はほとんどいわゆる「ドーナツ盤」(もう死語だが)は買わず、全集が出た時にLPを買っていた。しかし、どうしても1曲だけ欲しいときには、仕方が無くドーナツ盤を買っていた。よって、自分が持っているドーナツ盤は、どれもそれなりに思い出があるのである。

その中で、自分としては珍しい「レターメン」の盤が見付かった。「ラヴ(Love)」という曲である。実に分かり易い歌詞。物静かな旋律。このような“上品な歌”を最近は聞かない。

<レターメン「ラヴ」>

詩が良い。流れるような・・・

Love(John Lennon)
     :The Lettermen

Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love is wanting to be loved

Love is touch, touch is love
Love is reaching, reaching love
Love is asking to be loved

Love is you
you and Me
Love is knowing
We can be

Love is free, free is love
Love is living, living love
Love is needing to be loved

ところがなのである。ドーナツ盤の解説を見ていたら「『LOVE』は彼らにはめずらしく、ジョン・レノンに挑戦しています。ジョン・レノンの持つ魅力を使って、レターメンはどんな魔法を使ったのでしょう・・・」とある。何の事はない。この曲はジョン・レノンの曲なのだ。(実は今の今まで知らなかった・・・)

世の中不思議な事だらけである・・・・(自分の無知を棚に上げて??)。
この盤は昭和48(1973)年7月16日購入とあるので、もう35年も前の曲である。何枚かドーナツ盤はあるので、この際、今一度聞き直してみるか。そうすると、知らなかった「事実」が顔を見せるかも知れないので・・・・
(それにしても、早くオリジナルのジョン・レノンの「ラブ」を聞かないといけないな)

(追:2009/12/13)
ジョン・レノンの「ラブ」の音源が手に入ったので聴いてみよう。この曲は妻オノ・ヨーコを歌ったものだという。

<ジョン・レノンの「ラブ」>

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2008年1月18日 (金)

映画「アイ・アム・レジェンド」を見た

映画「アイ・アム・レジェンド」を見た。
ウーン。このテの映画は、唸ってしまう・・・。どう見るかだが・・・。
CGの傑作?それとも荒唐無稽の中身の無い子供向け映画?(この記事は、映画を見ていない人にとっては、読んでも分からないであろう・・・)

先日、カミさんと「たまには映画にでも行くか?」という事になり、近くのシネコンで何を見るか探っていたら、世界でたった一人生き残ったら・・・というこの映画にたどり着いた。
嫌がるカミさんを引き連れて見に行ったが、映画が進むにつれて、自分が嫌いな「ホラー映画」ではなかと疑った。
設定は2012年で、人類60億人が死に絶えて3年経つという設定なので、人類は来年(2009年)に死に絶える“予定”・・・?

確かにCGは素晴らしい。人っ子一人居ない草ぼうぼうのニューヨークの風景、空母の甲板にあるステルス戦闘機の翼の上での、ゴルフの打ちっ放し。そして市街地でのライオン親子の狩・・・・。
しかし“中身”は色々と疑問だらけ・・・。誰も居ないニューヨークの市街地を車でぶっ飛ばす・・・・。何で? 事故を起こしたら誰も助けてくれないでしょう?・・・
誰も居なくなって3年も経つのに、電気・ガス・水道が何で出るの?いくら自動運転だって、3年も経てば燃料切れでしょう?まあ車のガソリンは誰も使っていないガソリンスタンドから失敬するとしても・・・。
それに中波の放送で「誰か居ないか?」と呼びかけているが、誰も居ないのに放送局は動いている??・・・・

人類滅亡のきっかけは、遺伝子組み換えで人間が作ってしまったウィルス。その免疫を持ってただ一人生き残った主人公が、「現場」で狂犬のように凶暴に生まれ変わった「“元”人間」を相手に人体実験を繰り返し、血清を作るのだが、その感染も腑に落ちない。愛犬も感染しない。ライオンも・・・。でも感染した「人間」に飼われている犬は、感染してこれも凶暴だ。凶暴に生まれ変わった犬を、凶暴に生まれ変わった人間が飼っている・・・。という事は、凶暴な犬よりも人間はよっぽど凶暴に生まれ変わった・・・という事?
しかも、何に感染して何に感染しないかが分からない。“敵”の「人間」と「犬」だけに感染している。鳥も動物も草木も平和なのに・・・

まあ揚げ足を取れば、幾らでも矛盾点は指摘できるのだが、別の観点で見ると、素晴らしい「一人芝居」なのかも知れない。主役以外にはほとんど役者が出てこないので、役者の費用をCGに振り向けたのだろう。

見終って、自分が「10点満点でまあ3~4点くらいだな」と言ったら、カミさんが7点位だと言う。「隙を突かれた。予想外に良かった・・・」って。何に感激したのかは分からないが、この荒唐無稽さに、充分楽しめる人もたくさん居るのだろう。
まあ、あまり難しいことは考えずに、素直にCGだけを見に行く。という映画なのだろう。
このトシになると、前に見た「いつか読書する日」のような映画のほうがよっぽど好きだな~。

(参考記事)
映画「いつか読書する日」

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2008年1月17日 (木)

アルフレッド・ハウゼ楽団の「碧空」

もう「アルフレッド・ハウゼ」という名前は過去形なのだろうか?自分は学生時代から「コンチネンタルタンゴの王様」であるアルフレッド・ハウゼ楽団を良く聞いた。まさに自分のイージーリスニング歴の草分けである。(ちなみに「コンチネンタル(=大陸の=ヨーロッパの)・タンゴ」とは、元祖アルゼンチンのタンゴがヨーロッパに伝わって変化したもの)

NETで見てみると、CDは山のように出ているが、アルフレッド・ハウゼの経歴その他の情報は少ない。ハウゼは1921年生まれで、1948年にアルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラを結成した・・・、とある。そしてレコードが日本に紹介されたのは1954年。そして1965年に初来日。来日時に楽器を乗せた飛行機が着かず、日本で急遽楽器を借りて公演をしたというエピソードもあったけ・・・。この頃は、他にもマランド楽団、リカルドサントス楽団などが活躍していた。

ハウゼの曲を1つを選ぶと、やはり「碧空(あおぞら)」だろう。「オレ・グアッパ」「ジェラシー」「夜のタンゴ」と好きな曲は無数にあるのだが・・・。この旧録音が一番好きだ。

<アルフレッド・ハウゼ楽団の「碧空」>

昔CDが発売された当時、良い音を求めてハウゼの1982年の最新録音のCDも買った(83年2月~自分にとって5枚目のCDだった)。しかし待望のこのハウゼのCDは、音がキンキンしていてガッカリしたっけ。新録音だったが、これは頂けなかった・・・。

<アルフレッド・ハウゼ楽団の「碧空」>~1082年録音

この頃は、まさにCDプレヤーが出た最初の頃である。ちなみに日本におけるCDプレヤーの歴史は、1982年10月1日発売のSONY CDP-101に始まる。自分はこのCDP-101を82年12月14日に手に入れているので、その道でも老舗か?!
という訳で、CDが発売されてからもう四半世紀が経ったわけだが、LPが駆逐された速度は論じるまでも無い。しかし16ビットPCMという素朴なスペックは世界共通の文化(音楽)の交流に重要な役割を果たしているのだろう。(海外旅行でCDを買っても安心・・・。でもDVDはダメ・・・)

おっとっと、アルフレッド・ハウゼ楽団が過去形・・・・だなんて失礼だった。NETで見たら、昨年(07年)も来日して公演しているらしい。
ハウゼは亡くなったが(2005年)、次の来日公演がもしあったら、自分も一度ナマで聞きに行ってみたいものである。

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2008年1月16日 (水)

我が家の食洗機

我が家の食器洗い乾燥機をとうとう買い換えた。
先日、毎日活躍してくれていた食洗機の動作がおかしい・・・とカミさんが言う。その時は機嫌が悪かったらしく、ガチャガチャやっていたら復帰した。
でもそろそろトシだよね・・・、と調べてみたら、何と買ったのが96年11月。つまり使い出してから11年以上になる。これでは賞味期限も切れているだろう・・・。このベテランは、我が家では数少ないサンヨー製。

前にも何度か買い換えようという話は出ていた。理由は「うるさい」から・・・。旧式だけあって、スイッチを入れた後のうるさいこと・・・・。TVはボリュームを上げないと聞こえない。
でもカミさんが「まだ頑張っているのだから可愛そうだ」と言うので、買い換えが延び延びになっていた。でも今回、一時でも“トライキ”を起こしたという事は、「オレもそろそろトシなので引退させてくれ。でも急に頓死すると困るだろうから、一応アラームを出したからね!」と言っているのだろう。という話になり、買い換えることにした。

家電量販店に行って品定め・・・。トップメーカはやはり松下だろうから、松下製が安心か?・・・と思ったら、どうも東芝製の方が音が静からしい。結局、我が家で一番の問題であった「静かさ」をとって東芝製を買うことにした。もちろんNETで調べて、通販で・・・。(近くの量販店の3割安で買えた)

着払いだと直ぐに品が着く。早速設置。水道栓もそのまま使えるので、ワンタッチ。しかも静か!! それにタイマーも付いているので、寝てから動かすことも出来る優れもの。でも前のは箱型だったので上に物が置けたが、今度のは扉の関係で箱型ではない為に、物が置けない。

次の日に、カミさんが市の清掃工場に旧型を持ち込んだ。すると清掃工場の人が、まだ動く食洗機を、あっという間に廃棄場に投げ込んだという。その時に、カミさんが次のような声を聞いたという・・・・。「10年以上も働いてきたのに、この仕打ちかよ~~!」
(この話はホントの話。なお、自分は会社に行っていたので、この声は聞いていない。そして今のところ、カミさんも「妄想」の診断は出ていない・・・! ホッ!)

一切衆生悉有仏性=生きとし生けるもの全てに成仏できる性質が備わっていること。

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2008年1月15日 (火)

「佐賀のがばいばあちゃん」の“目線”

カミさんが「読んだら?」と持ってきた雑誌の切抜きに、「なるほど・・・」と思う言葉があった。

「売れなくなって『山あり谷あり、人生大変やわ』って言うと、『谷におるのが普通なんや』と言われました。山の頂上には草も木もないけど、谷には川があって木も繁ってるやろと。確かに頂上は寂しい。下でみんなで和気藹々としてるほうが楽しいんですよね」

「お金があっても風邪はひくし腹も痛くなる。金を払えば睡眠時間が2時間で済むということもない。『いくらお金があっても3食以上は食えん』とばあちゃんが言ってたけど、その通りでした。幸せはお金の多寡で決まるのではなく、心のあり方次第だと実感してるね」

「人生は思い通りにはいかん。失敗するのが当たり前。そう言い続けたばあちゃん。だからこそ、『死ぬまで夢を持て。かなわなくてもしょせん夢だから』とも言ってました。それは、失敗してもいいんだから諦めるなということ。そう思うと勇気が湧いてくるよね」

これは、「50代からを応援!ゆうゆう」という雑誌の2月号、「島田洋七さんの生き方~生き方上手のお手本~がばいばあちゃんが教えてくれたこと~」(P30)に載っていた言葉である。

「佐賀のがばいばあちゃん」というのは前にTVで見た事がある。泉ピン子主演だった。昨年の1月放送・・・・。でも映画は見ていない。
しかしこの『信念』は、ある意味、“経験に裏打ちされた人生への開き直り・・・”のような強靭さを感じる。まさにその通りなのであ~る。
すべて「目線」だな・・・。何事も、どの視点から見るかで(考える立場・ポイントで)、その価値・意味はどうにでも変わる・・・。
でも生身の人間は、そうそうお釈迦様のようには悟れない。直ぐに人目を気にしてしまう。特にサラリーマンはそうだ。

自分も定年を迎えてから、『少しは肩の力が抜けてきたかな・・?』と思うこともあるが、現実はどうしてどうして・・・
まあ自分も(今更・・・だが)、640万部を売ったという「佐賀のがばいばあちゃん」という本でも買って、「ばあちゃんの“爪の垢”」でも煎じて飲むとするか・・・・・

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2008年1月14日 (月)

NHK放送の因幡晃の「雪が降る」

テレビで放送される色々な歌は、レコード録音と違って淡雪のように消えていってしまうものだが、「消えずにいつまでも心に残っている歌(演奏)」というのも、あるものである。
自分が1曲を挙げるとすると「因幡晃の“雪が降る”」なのである。(今頃は、この冬で一番寒い時期・・・。“本音”は、雪が降らなければ良いと思っているのだが・・)

この歌は、2004年1月21日にNHK総合TV「NHK歌謡コンサート」で生放送されたものである。
自分は別に因幡晃が特別に好きなわけでもない。知っている曲も、「わかって下さい」「忍冬(すいかずら)」くらいしか知らない。そして「雪が降る」も、アダモの新旧録音を聞く位で、特段にどうって言うこともない。
でもこの放送のときの“熱唱”は特別だ・・・。ちょうど4年前の放送である。

<因幡晃「雪が降る」>~2004/1/21NHK歌謡コンサートから:ヘッドホン用5.1サラウンド(拍手が後ろから聞こえる・・)

「雪が降る」
 訳詩:安井かずみ

雪は降る あなたは来ない
雪は降る 重い心に
むなしい夢 白い涙
鳥はあそぶ 夜は更ける
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ
ララララ ラララ

この悲しみ このさびしさ
涙の夜 ひとりの夜
あなたは来ない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり
白い雪が ただ降るばかり
ララララ ラララ
ララララ ラララ
ララララ ラララ

ハッと思ったのは自分だけでは無かったようで、新聞でも採り上げられたし、再放送もされた。そしてとうとうCD化も・・・(上記タイトルのリンクのように2004/11/10に発売)
でもやはりこの“生(ナマ)”ほうが良いな~~

クラシックの世界でも、一世一代の名勝負(名演奏)というのはあるもので、フルトヴェングラーのバイロイトの弟9や、同じく1947年5月27日のベルリン・フィルとの「運命」など、二度と再現できない演奏である。

サラリーマンでもそれはある。いわゆる「いざ鎌倉」である。定年を迎えるとき、ふと自分の経歴を振り返って、何を思い出すだろう・・・? 何の事件を・・・?
芸術家の名演奏と違って、サラリーマンの場合は、「一世一代の大勝負」は無ければ無いほうが良いような気がする。
なぜか「良い思い出」はほとんど無く(ほぼゼロ?)、圧倒的に「悪い思い出(事件)」が多いので・・・

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2008年1月13日 (日)

障害児と家族~障害者自立支援法改正はまだか?

今朝(08/1/13)の朝日新聞の「声」の欄(P10)に、障害者を兄に持った小学生の投書があり、それを読んで障害児を持った親の大変な苦労を想像してしまった。曰く・・・

「障害の兄いて友だち増えた」
    男子小学生(兵庫県伊丹市 10歳)
ぼくの兄の和くんは6年生で、重度の知的障害があります。母は兄ばかりかばうので、僕はきらわれていると思っていました。
ある時、母に手紙で「なぜ和くんばかりなの」と書くと、「和くんは病気なので、大輝にめいわくかけるけど、ママは心の中で愛しているよ。大輝も和くんのことをよろしくね」という手紙がかえってきました。そして「ママは、大ちゃんと和くんがいてくれて、とても幸せです」とも書いてありました。ぼくは、この一言で心が変わりました。
兄のことで、友だちからいやなことも言われたことがあったけど、兄がいるおかげで6年生にいっぱい友だちが増えました。今では、元気な兄を大好きに思います。
手紙の最後に、「これからも家族で協力して、がんばって生きていこうね」とありました。ぼくの心は幸せで満タンになりました。ぼくの将来の夢は、プロ野球の選手です。

文は小学生らしく素直であり、非常に暖かいが、母親の「がんばって生きていこうね」という一言に全てが凝縮されており、キレイ事ではない家族の大変さ(むしろ母親が自分に言い聞かせている・・・)が滲み出ている気がした。

話は変わるが、先日(08/1/4)のNHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「日々是好日(2) 南無の会名誉会長 松原泰道」を放送していたが、ここで「みる」という事について話していた。看護婦さんの「看」の字は「手」の下に「目」があり、『手で看(み)る』とか・・・・。これこそ千手観音の意味・・・。そしてこんな話もしていた。

“目の見えない子が、お母さんの絵を描いた。先生が「良く描けたけど、お母さんの足が二本なのに、何で手をたくさん描いたの?」と聞くと「お母さんは、ボクが見えないから、兄さんや妹よりもボクにたくさん手を掛けてくれる。それでお母さんありがとうという意味で手をたくさん描いた」と答えた。・・・・”

障害者自立支援法の改正もまだ見えない。障害児を抱えた家族はどこも大変である。この投書の家族のように、前向きに生きようとしている姿は、ことによると稀かもしれない・・・。そしてどの家族も、ちょっとした事で家族崩壊の危険をはらんでいる。
政府の懸案の補給支援法が成立した事でもあるので、福田政権発足時の約束である「障害者自立支援法の改正」を、そろそろ願いたいものである。

(関係記事)
知的障害者自立支援の「にじの会」 
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)
障害者自立支援法を考える(4)~いよいよ抜本見直しか?
「かけがえのない大切なもの」

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2008年1月12日 (土)

「イオンモール日の出」に行った

イオンモール日の出」に行った。でも何とも名前が頂けないな~・・・・・
年末(07/11/23)に開店した「イオンモール日の出」。正月休みは「珍しさ」で混んでいるだろうと、やっと今日行ってみた。家から11.5K。少し遠いが道が混んでいないため時間はそう掛からない。
行ってみると、田舎に(失礼!)デデーンと巨大な建物・・・・。でも、ビックリしない。日産村山工場の跡地の「ダイヤモンドシティ・ミュー」や「ジョイフル本田 瑞穂店」、はてまた「ぐりーんうぉーく多摩」などに行きつけているので慣れてきた。

駐車場に降り立って、とても初めて来た感じがしない。「ダイヤモンドシティ・ミュー」(家から8.5K)と全く同じ感じなのだ。駐車場の右手に「イオン」が鎮座し、左手に専門店街・・・・

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中の感じがそっくり。3階建ての160店の専門店街も、吹き抜けの感じやレストラン街も全く同じ感じ・・・

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案の定、土曜日の夕方だというのに客は少ない。いくら圏央道が開通して日の出インターの近くとは言え、高速に乗ってショッピングに来るとも思えないし・・・・
でもデカイ。駐車場は3700台とある。
「日の出」といえば、昔の中曽根首相を思い出す。昭和58年11月、中曽根首相の別荘「日の出山荘」にレーガン大統領が来て、日米首脳会談が行われた。案内によると、ここは昨年(07/11)から「中曽根康弘・ロナルドレーガン日米首脳会談記念館」として一般公開されているそうだ。

でもこの辺は、このような大規模なショッピングモールが無いので、土地の人には何よりのプレゼントだろう。映画館もあるし、何もかもある・・・(リタイア後のサラリーマンには特に・・・)
昔この道を通って、奥多摩の会社の保養所に良く行ったものだ。でも子供が大きくなってからは、この近くのサマーランド含めてあまり来なくなった。
でもこれを機に、暖かくなったら昔良く行った青梅の方にもまた行ってみようか・・・。吉川英二記念館とか、ウチのカミさんが大好きな「紅梅苑」とか、良いところは色々あるので・・・・。

*付録:どうでも良い話だが、帰るときに車に戻ったら、何と車のドアが開かない。ヤバイ。リモコンのキーを落としたらしい・・・。あわてて夕食のレストランに聞いたが無い。2階のインフォメーションに行って聞いたら、「類似のものが届いている」と出してくれた。従業員が見つけて届けてくれたという。ホッ・・・
もし出てこなかったら「二度と行くか!」だったが、親切に見つけてくれたので「また行こう」・・・っと。

⇒(帰りの車の中で・・・)
カミさん「再発防止策は?!」←エラそうな声で!
オレ「今日はたまたまジャンパーのポケットに入れていたので、これからはズボンのポケットに入れますです・・・。ハイ・・・・」←か細い声で・・・・

(関係記事)
日産村山工場跡のダイヤモンドシティ・ミューに行った

「ジョイフル本田 瑞穂店」の規模に圧倒された

「ぐりーんうぉーく多摩」に行った

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2008年1月11日 (金)

宮城道雄の生涯

元旦(08/1/1)と二日の早朝の「ラジオ深夜便~こころの時代」は、正月にふさわしく「春の海~音に生きた宮城道雄 宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子」を放送していた。宮城道雄の生涯を、その音楽と共に丁寧に紹介していて興味深く聞いた。以下内容を要約すると・・・・

宮城道雄をひと言で言うと「邦楽器を使った今の日本の音楽への道を切り拓いた人」だという。
宮城道雄は明治27年4月7日、神戸三宮の居留置で生まれた。当時父親が、ブラウン商会というお茶を扱っていた外国の会社に勤めていた関係で。生まれた時からの目の病気で、とうとう明治35年(8歳)に医師から失明宣告を受け、筝の世界に入る。
江戸時代までは、目の見えない男性は「当道(とうどう)」という組織に属する事によって、地歌(三味線)・筝曲(琴)や針・灸・按摩を唯一プロとして教える事が出来るという、いわば福祉システムがあったが、その名残りで筝の道に入る事になった。筝の上達は早く、3年で免許皆伝。韓国で一旗上げようとしていた父親が、暴動に巻き込まれた事を機に、父の代わりに一家を支えるため明治40年(13歳)に韓国に渡る。そして大正6年(23歳)に上京するまで、韓国の筝の世界(殆ど日本人)で大成する。
韓国に居た14歳の時に「水の変態」を作曲するが、既に筝曲は弾き尽くしたし、教えてくれる人も居ないため作曲を思い付いたという。「水の変態」は14歳の時の作とはいえ最高傑作だと言う。
上京後、5歳年上の吉村貞子と結婚。大正8年、第1回演奏会。大正14年3月のNHKラジオ仮放送でも、演奏。それ以来、放送への貢献で、昭和25年、山田耕筰と共にNHK放送文化賞を受賞したという。
名曲「春の海」は、昭和4年に尺八の吉田晴風(せいふう)と初めて試演し、翌昭和5年1月2日の広島放送局から放送初演。これは「瀬戸内海の島々の綺麗な感じ」を描いたという。「曲の途中で少しテンポが早くなる所は、舟歌を歌いながら艪を勇ましく漕ぐという感じを出したもの」・・・・・
「春の海」が世界的に有名になったのは、フランスの女流ヴァイオリニストのルネ・シュメ-との出会いから。ルネ・シュメ-が来日した際に「春の海」の楽譜を持って帰り、ヴァイオリン用の編曲が出来たという事で昭和7年にルネ・シュメ-の演奏会で合奏し、大好評を博して世界でレコードを発売し、国際的に有名になった。

そのオリジナルの演奏を少し聴いてみよう。

宮城道雄自演の「春の海」(vn:ルネ・シュメ-)/「さくら変奏曲」/「水の変態」>

ところで、宮城道雄は“プロ”の随筆家でもあったという。随筆の中で、音と色についての話が面白い。「白い音」というのは、単純さ・聖人・僧侶、「黒い色」というのは、暗黒・悪人を想像するという。放送の中で「音に生きる」という随筆を朗読していたが、盲人の世界を著している内容で、なかなか興味深い。

「毎年正月になると、私の家の庭先へ、一羽の小鳥がやって来る。それは去年も一昨年もその前の年に来たのと、同じ小鳥なのである。
しかし、私の家の者は誰も、それが毎年来る同じ小鳥であるということには、気がつかない。これは、ただ私だけが知っているのであって、私はその小鳥の囀(さえず)る声を聞いて、今年もまた正月を祝っているのだな、と何となく嬉しいような懐かしいような気持ちになる。
目の見える家の者たちが知らない小鳥を、目の不自由な私だけが知っているのは、おかしい話であるけれども、それは、私は小鳥を目で見ないで、耳で鳴き声を聞いているからである。毎年同じ音色と調子で囀るのを聞いて、私にはそれが前年と同じ小鳥だということがわかるのである。・・・・」

その“耳の名手”の宮城道雄が電車から転落して62歳で亡くなる。昭和31年6月25日の未明、寝台列車「銀河」で関西に演奏旅行に行く際、姪の喜代子が「もう寝るので、トイレに行くときは起こして下さいね」というのが最後だった。
東海道線(名古屋の手前の)刈谷駅の近くで、貨物列車の乗務員からの「轢死体らしきものが見えた」との通報で行ってみると、宮城道雄が倒れていた。ほどなく気が付き「どこかに連れて行ってくれ」と言うので直ぐに病院に運んだが、AM7:15に亡くなったという。

当時の新聞には「用便に起きて間違う?」と報道され、自分も昔からその話は聞いていた。しかし随筆で本人が語っている言葉(耳で情景を見る・・・)を思い出すと、幾らお酒好きで寝台列車内で飲んだとしても、車外への出入口の扉を開けた時の音の変化に気が付かないわけはない・・・。
これは永遠のナゾだが、ともあれひょんな所で宮城道雄の生涯を“復習”する機会になってしまった。

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2008年1月10日 (木)

HD-DVDとブルーレイ(BD)の綱引きに決着?

先日(08/1/4)、ハイビジョンの次世代DVD規格である「HD-DVD」を東芝と共に主導してきた米映画大手ワーナー・ブラザーズが「ブルーレイ・ディスク(BD)」陣営の単独支持を発表し、「次世代DVD勝負は決着か?」と、新聞で大騒ぎである。
まあ消費者にとっては、早く普及してメディアもハードも安くなってくれると有難いのだが・・・。

2007年1~9月の米主要映画会社のDVDのシェアは、BD陣営では「20世紀フォックス(15.6%)」「ソニー・ピクチャーズ(15.1%)」「ウォルト・デズニー(12.3%)」「ライオンズゲート(5.8%)」であり、今回最大手の「ワーナー・ブラザーズ(18.4%)」が加わって合計67.2%。
一方、今回窮地に立ったHD-DVD陣営は「パラマウント(12.5%)」「ユニバーサル(10.3%)」の計22.8%となり、3:1の比率となった。
引き続き、パラマウントもHD-DVDの契約に「ワーナーがブルーレイを支持した場合は規格の乗り換えを認める条項がある」とか、「契約は向こう18ヶ月間という期限付き」という報道もあり、今日の夕刊だと一ヶ月以内に方針を出すという。そして最後の盟友である米マイクロソフトの幹部までが「諸費者が望むなら対応を考える必要があると語った」と報道される始末・・・。ここに来て、雪崩現象の恐れがあるとのこと。

今回の仕掛け人はソニーのストリンガー会長。会長はCBS出身でハリウッドに豊富な人脈があり、今回もトップセールスで親会社を口説いたらしい。背景としては、タイムワーナーの株価はこの1年で27%も下落。その一因に「新世代DVD市場のもたつき」をアナリストから指摘され、今月最高経営責任者に昇進したビューケス氏がHD-DVDとの離縁を決断したという。

ハードは、米クリスマス商戦前まではHD-DVDプレヤーが過半数を占めていたが、プレステーション3の販売増でこの商戦中にBDのシェアが70%に達したという。もちろん日本でのシェアはBDが98%と圧倒的。
確かにそろそろ決着させないと、ソニーがBD規格を立ち上げたのが02年2月というから、時間軸的にはもったいない。つまりせっかくの新技術の普及が遅れているのはもったいない。
ソニーは専業メーカとしてDBに命を賭けているようにも見えるが、東芝の本業は半導体と原子力。西田社長がSEDや有機ELテレビをあっさりと引っ込めたように、近い内にHD-DVDについても「やーめた」と宣言しないとも限らない・・・・。
ともあれ、目線を消費者に向けての進捗を期待したい。

しかし、米大手映画会社がBDに結集したとして、今度はBDが普及するかというとはなはだ疑問だ。日本では上述のように既に98%のシェア。でも普及が遅れている。
これはメディアが高価なのが普及の妨げになっているような気がする。
現在のCPRM対応DVD-Rは@100円位になっているが、BDは@700円位、HD-DVDは@900円位で、とても買う気にならない・・・。
PCのHDDなら、容量によって価格が違うのも分かるが、ハイビジョンのディスクは、消費者にとっては容量なんて関係ない。何時間ハイビジョンで録れるか・・・だ。
方式が一方に決まっても、消費者が最も気になる燃費(メディアの価格)が、手が届く所まで下がらなければ、結局は「消費者のために・・・」では無くて「メーカーのために決着・・・」になってしまう。
今後のBDのメディアの価格下落に、大いに注目(期待)したい。でもそろそろ買い時かもね・・・。
(松下電器が社名を「パナソニック」に変えると夕刊で報道されていたが、それを記念して(?)安くしないかな・・・)

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2008年1月 8日 (火)

鮫島有美子の童謡「あした」

童謡は、自分が好きなジャンルだが、この「あした」という歌も哀愁があって大好きな歌のひとつだ。しかしレコード録音は意外と少ない。自分は川田正子と鮫島有美子を持っているが、どちらも良い。
この歌は、清水かつら(明治31年7月1日~昭和26年7月4日)作詞、弘田龍太郎(明治25年6月30日~昭和27年11月17日)作曲で、『少女号』大正9年(1920年)6月号に「新作童謡」として掲載された。
いわゆる“ヨナ抜き短音階(ラシドミファラ)”で作曲されている。

<鮫島有美子「あした」>

「あした」
   作詞 清水 かつら
   作曲 弘田 龍太郎

(1)お母さま――
  泣かずに ねんねいたしましょう
  赤いお船で 父さまの
  かえる あしたを たのしみに

(2)お母さま――
  泣かずに ねんねいたしましょう
  あしたの朝は 浜に出て
  かえるお船を 待ちましょう

(3)お母さま――
  泣かずに ねんねいたしましょう
  赤いお船のおみやげは
  あの父さまの わらい顔

(余計なお世話だが)この歌詞で、「父さま」は一体どこに行っているのだろうと気になる・・・・。
大正9年(1920年)というと、日露戦争(1904~05年)の15年後、満州事変(1931年)の11年前だ。どうも戦争で“抑留”されているようにも思えない・・。
時代が大正なので“海外旅行”は有り得ない。とすると海外留学かな・・?
ウン、夏目漱石が英国留学したのが1900~1903年なので、時代的にこれは有り得るな・・・・。

まあこの議論は座興だが、いつの世でも「あした」に目を向け、「あした」に希望を託すことは良いことだ・・・。
今日よりも明日は良い事があるだろう・・・・ナンテ・・・(普通は勘違いだが)
しかし、しみじみしていて心に響くな~。
(この歌を歌うため、“父さま”は帰ってこなくてもいいよ!?)

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2008年1月 7日 (月)

竹内まりやの「駅」

帰りのバスの中で、いつものNHKラジオ深夜便「アンコール特集・竹内まりや デニムのように~私と音楽と人生と(H19.8.31放送)」(07/12/29放送)を聞き、竹内まりやという人の、気品のある話しぶりに聞き惚れてしまった。(正月休みにMP3で録り貯めた「ラジオ深夜便」を通勤途中で聞いているのである)
ほとんど知らない人の事を書くのも気が引けるが、少なくてもこの話は素晴らしい。特に年齢が50歳を越えているという話を聞いてから、すっかり「同胞?」に思えてきた。(何せ“まりや”か“まりあ”か分からないので、NETで調べている状態・・・)

夫が山下達郎だと・・・。どこかで聞いた名前だが、自分は良く知らない。竹内まりやの歌も、知っているのは「駅」という曲だけ。これはウチのカミさんが大好きなので、一緒に聞いている位・・・。他の曲も、聞いてみたが、残念ながら自分にはフィットしない。(失礼)
でも今日聞いた番組での話は好きだ。何しろ滑舌(かつぜつ)が良い。まるでアナウンサーのような滑らかな話しぶり。しかも話し方が上品だ。それに夫婦仲の良さが、話の中に滲み出ている。

帰ってカミさんに言うと、夫が山下達郎だということは百も承知。しかし山下達郎という人は、風貌がかなり“個性的”らしい。「子供がどちらに似るか心配だ・・・」という。(余計なお世話だが)。 NETでHPを見てみると、なるほどこれは心配だ・・・。(失礼!自分の事は棚に上げて・・・?)

この番組でも、最後に1987年の作という「駅」で締めくくっていた。この歌はやはり年配の人からリクエストが多いそうだ。

<竹内まりや「駅」>

「駅」
 作詞・作曲:竹内まりや

1)見覚えのあるレインコート
 黄昏の駅で胸が震えた
 はやい足どり まぎれもなく
 昔愛したあの人なのね
 懐かしさの一歩手前で
 こみあげる苦い思い出に
 言葉がとても見つからないわ
 あなたがいなくてもこうして
 元気に暮らしていることを
 さりげなく告げたかったのに・・・

2)二年の時が変えたものは
 彼のまなざしと私のこの髪
 それぞれに待つ 人のもとへ
 戻っていくのね 気づきもせずに
 ひとつ隣の車両に乗り
 うつむく横顔見ていたら
 思わず涙あふれてきそう
 今になってあなたの気持ち
 はじめてわかるの 痛いほど
 私だけ愛してたことも

3)ラッシュの人波にのまれて
 消えてゆく後ろ姿が
 やけに哀しく心に残る
 改札口を出る頃には
 雨もやみかけたこの街に

この歌の詩がなかなか良い。自分は殆ど歌詩を聞かないが、この歌の詩は味わっている。このストーリーは切ない・・・・。
ふと、カミさんがこの歌が好きなのは、自分の体験から来ているのかな・・・?と、少し心配?になった・・・?
でもこのトシになると、こんな話があるだけ、日々の生活に変化があって面白いかもね・・・。まあウチには関係ないが・・。  ・・・ン?  ・・・だよネ!

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2008年1月 6日 (日)

NHKの「三つの歌」と「一丁目一番地」

今朝(08/1/6)のNHKラジオ深夜便で「深夜便アーカイブス」として「三つの歌~家族大会(昭和37年1月3日)」を放送していた。昭和26年から昭和45年まで放送されたというこの「三つの歌」。宮田輝の司会、天池真佐雄のピアノ伴奏も、実に懐かしかった・・・。このテーマソングも良く覚えている。
昭和37年(1962年)1月というと、自分は中学2年のときの放送だ。この放送を聞くと、凧揚げで遊んでいるという。この当時はまだまだ凧揚げがあったのだ。フト子供の頃、冬は竹馬で霜柱が立った道を歩いたことを思い出した。今の子供は、道路も舗装されているため、霜柱なんか知らないのかも・・・

<NHK「三つの歌」~昭和37年(1962年)1月3日放送>

 

(2014/07/26 下記2つを追加)
<NHK「三つの歌」>~初回(1951年(昭和26年)11月2日)の同時録音の音源

「現金を差し上げます」という、今では考えられない形でスタートした。

<荒井恵子、越山あつ子のNHK「三つの歌」の歌>~昭和27年キング盤

============
昭和30年代、TVが無かったときはラジオが唯一の楽しみだった。中でも覚えているのが、NHKラジオドラマの「一丁目一番地」(1957~1964年放送)。確か夕方に放送され、毎日楽しみに聞いていた。もちろんこのテーマソングも良く覚えている。

<NHK「一丁目一番地」のテーマソング>

この歌を聞いていたら、なぜか取っ組み合いの兄弟げんかを思い出した。自分が小学校低学年の頃(昭和30年頃)、3才年上の兄貴と良くケンカをした。そして直ぐに取っ組み合い・・・(自分は絶対に謝らない!)
近所では、我が家は「武蔵野道場」と呼ばれ、自分が泣いて大騒ぎをしていると、近所の子供達が垣根の隙間にズラッと並んで“観戦”していたものだ。
まあTVのプロレスが流行る前の時代だったから、自分はその先鞭をつけていたのかも知れない・・・
今の子供は、取っ組み合いの兄弟げんかなどするのだろうか・・?
(ちなみに、お袋はあきれていつもどこかに行ってしまう。だから、ケンカを止めに入る者が無く、兄弟げんかは永遠に続くのである。・・・考えてみるとウチのお袋は無責任だな・・・。ケガでもしたらどうするんだ? 段々と腹が立ってきた・・!?)

(関連記事)
ラジオ主題歌「笛吹童子」「少年探偵団」「赤胴鈴之助」

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2008年1月 5日 (土)

BS朝日の韓国ドラマ「海神」の魅力

BS Asahiで放送した(08/1/8 22:00から再放送スタート・毎火曜日夜)韓国時代劇ドラマ「海神(ヘシン)」にはまっている。このドラマは昨年(07年)11月までBS朝日で放送したらしい。もちろん自分は全く知らなかった。実はそれにはまった兄貴がDVD-BOXを買い、自分に見ろと強制(脅迫)してきたもの。渋々見始まったが・・・、なるほど、はまった。(HPにはBS朝日と、公式HPの二つがあり、解説が詳しい)

現時点で、DVD-BOXの2巻(35話/全51話)を見終わったところだが、この正月休みは、ヒマさえあればこのドラマを見ていた。全51巻というのは長い・・・・・。しかし飽きさせないドラマだ。
何が魅力なのだろう・・・(自分なりに分析してみると・・・)
1)史実に基づいた(?)歴史ドラマ(役の半分くらいは実在の人物らしい)
2)TVドラマとは思えな大スペクタクル(映画「ベン・ハー」を思い出す)
3)役者がうまい。誰も個性的で魅力溢れる俳優陣
4)ハイビジョンだけあって、画面がきれい
5)着ている服がまた美しい・・・
6)ストーリー展開が早く、見ていて飽きない・・・
等々。

DVD-BOXの第3巻に付録で付いていた「“海神”ドキュメンタリー」が面白い。各役について少しコメント。

「張保皐(チャン・ボゴ)(=チェ・スジョン)」~そもそも「海神」という名は中韓の歴史書ではなく、日本の歴史上で呼ばれた名だという。中国の歴史書「新唐書」では英雄として褒めたたえ、日本の円仁(第3代天台座主)は張保皐を“海の神”とあがめたという。しかし“三国史記”では、謀反をたくらみ刺客に暗殺された“海島人”、身分の低い人物だと記録されているという。その彼が日中で新たな記録が発見されて再評価されたのは、ほんの10年前だという。

「ヨンムン(閻丈=ヨムジャン)(=ソン・イルグク)」~実在人物。三国史記によるとヨンムンは勇敢で怪力で有名だった。彼は王を訪ね、この手でチャン・ボゴの首を取ると豪語したという。(ドラマとは全く逆・・・?) ソンはこの役を、無口で感情を表さない冷酷な暗殺者(アナーキスト)として演じている。自分としては、このドラマではチャン・ボゴ以上に魅力的な存在・・・、と写った。

「チョンファ(=スエ)」~二人の主役から愛される可憐な女性。架空の人物だが、このドラマを単なる歴史スペクタクルではなく、愛のドラマに仕立てている。

「ジャミ夫人(=チェ・シラ)」~悪役の代表。架空の女帝。その演技、衣装は素晴らしい。

「イ・ドヒョン(=キム・ガプス)」~恐ろしい奴隷商人。海賊の頭領。これも素晴らしい存在感・カリスマ性。役柄で一切笑みを見せなかったキムが、インタビューで笑い顔を見せたときにはホットした??

「鄭年(チョン・ヨン)(=キム・フンス)」~チャン・ボコと行動を共にする弟分。中国史に記録された代表的な実在人物。
・・・・・・

撮影はかなりの部分を中国で、中国の役者(エキストラ)を起用して撮影。しかし言葉が通じなくてチャンバラ場面ではタイミングが合わず大変だったとか。剣闘場の撮影で、観客席に動員された中国人エキストラは5千人。また、タクラマカン砂漠での撮影も暑さと渇きで大変。チャン・ボコが砂漠に埋められて首だけ出している場面の撮影など役者がドクターストップ・・・。戦闘で馬が倒れる場面、そしてCGの駆使・・・等々見せ場も色々。

そして寒さとの戦い。普通のどの場面でも、俳優が吐く息が白い。何とマイナス18度でも普通に撮影したという。だから女性陣は肌着を3枚も重ねたり、カイロを抱いたり、ライトで手を温めたり・・・。韓国は日本以上に寒いのだろう。

ともあれ、このドラマは見ごたえがある。ちょうど08年1月8日22時から再放送が始まるという。DVDのレンタルも始まっているが、ベン・ハーのミニ版をご覧になりたい方はちょうど良いかも・・・。
最近なぜ韓国ドラマが話題になるのか・・・。なぜ日本のドラマよりも韓国ドラマが見ごたえがあるのか・・・・。
その解は、「本格的」の違いかもしれないな・・・と思った。
これに味をしめて「朱蒙(チュモン)」や「 太王四神記」も録画した。いつ見られるか分からないが、しばらくは韓国ドラマに浸ることにしようか・・・・

(08/1/10追記)
全51話を見終わった。上記を書いてから16話を一週間で見た事になる。今週は通勤があったのでツラかった。毎日睡眠不足で・・・・(カミさんにバカにされながら・・・)
結論。はっきり言って面白かった。途中で平和に終わるのかな・・・と思ったら、どっこい、最後の最後までハラハラドキドキ・・・・。
ストーリーは書かないが、その辺のハッピーエンドの軟弱なドラマよりもよっぽど面白い・・!? しかし、どうもこのドラマの主人公は刺客のヨンムンのような気がしてならない。でもヨンムンは「自分の意思」が無い人間に見えてもどかしかったので、最後に一発!天下のために“暗殺”してくれるとスッキリしたのだが・・・・、残念。
(でもやはり振り返ると、全50話の予定を51話にした事に、「続」につなげる意図を感じる・・・。だから49話の最後からストーリーに「無理」がある。よって見終っても何となく“不消化”・・・・。勧善懲悪がやはりスッキリして良いのかも? たぶんそのうち、「続・海神」が始まるだろうから、それを楽しみに??)
ともあれ、結局夢中になって見てしまった・・・。
再放送をハイビジョンでやりだしたので、ゆっくり復習でもしようか・・・・。(お疲れさま!さ~て、やっとゆっくりと睡眠が取れるゾ!)

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2008年1月 4日 (金)

ダーク・ダックスの「北上夜曲」

叙情歌の名曲「北上夜曲」は、昭和16年2月、作詞者の菊地規氏が18歳、作曲者の安藤睦夫氏が17歳のときに作られた歌だという。この歌は昔の歌声喫茶の定番曲だった。誰でも知っている名曲だけに、非常に多くの人が歌っているが、自分はやはりダーク・ダックスの歌が一番この歌に合っているように思う。
ダーク・ダックスでは3つの録音を持っているが、どの編曲も良い。(普通はアレンジで風味がだいぶ違うが、ダーク・ダックスの録音はどれも叙情豊かで良いアレンジだ)
フト、そのうちの一つが、一般に歌われている歌詞と違うことに気が付いた。

<ダーク・ダックス「北上夜曲」>KINGレコード録音

つまりこの盤では、2番の歌詞を一般には「宵の灯(ともしび) 点(とも)すころ」なのに、「宵の灯(あかり)を 点(とも)すころ」と歌っている。自分の持っている同じダーク・ダックスのほかの録音は、この2番の歌詞を歌っていない。
Netで調べてみると、全歌詞は以下のようだ。

「北上夜曲」
   菊地 規:作詞
   安藤睦夫:作曲

(1)匂い優(やさ)しい 白百合の
   濡れているよな あの瞳
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の 月の夜

(2)宵の灯(ともしび) 点(とも)すころ
   心ほのかな 初恋を
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の せせらぎよ

(3)銀河の流れ 仰ぎつつ
   星を数えた 君と僕
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の 星の夜

(4)春のそよ風 吹く頃に
   楽しい夜の 接吻(くちづけ)を
   想い出すのは 思い出すのは
   北上河原の 愛の歌

(5)雪のチラチラ 降る宵(よい)に
   君は楽しい 天国へ
   想い出すのは 思い出すのは
   北上河原の 雪の夜

(6)僕は生きるぞ 生きるんだ
   君の面影(おもかげ) 胸に秘め
   想い出すのは 想い出すのは
   北上河原の 初恋よ

歌う歌詞は、歌手(録音)によって様々で、自分の持っている11の録音では以下の通りである。
ダーク・ダックス~①KING盤(1)(2)(5)、②KING別盤(1)(5)、③meldec盤(1)(5)、④多摩幸子/和田弘とマヒナスターズ(1)(2)(3)(5)、⑤和田弘とマヒナスターズ(1)(3)(5)、⑥鮫島有美子(1)(2)(3)(5)、⑦倍賞千恵子(1)(2)(3)(6)、⑧島田祐子(1)(2)(3)(4)、⑨都はるみ(1)(2)(3)(6)、⑩黒木憲(1)(3)(6)、⑪小林旭(1)(2)(3)(4)。
この11録音を、星取表でカウントしてみると、1番~11票、2番~7票、3番~8票、4番~2票、5番~6票、6番~3票である。結構、どの歌詞も満遍なく歌われている事が分かる。

まあこの議論は単なる座興だが、この歌の誕生を見ても、歌というものは決してプロの作曲家だけのものではなく、誰でも心に響くものがあれば、自然と湧き出てくるものだと思う。(もちろん、自分にこの様な歌が湧き出てこないことからも証明できるように、“才能”が必要な事は言うまでも無いが・・・・)

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2008年1月 3日 (木)

初詣(高幡不動尊)

カミさんと“二人”で、“我が家恒例”の高幡不動尊への初詣に行った。(我が家といっても、息子共はカウントに入っていない)
京王線の高幡不動駅(日野市)に降り立つと、その駅の素晴らしいこと・・・・。そういえば、昨年来たときは新駅舎完成まであと一息・・という所だったっけと思い出した。
正月も3日となると、初詣の混み方はちょうど良い。あまりに人が居ないのも白けるが、込んでいて身動きが取れないのも困る。

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以前は、お札をもらうのでお堂の中に入り、ご本尊(不動明王)さんの下まで行ってお参りしていたが、このところサボって、今日もお堂には入らなかった。
年末に頼んでおいたお護摩の札をもらい、今日は珍しく奥(大日堂)に行ってみた。すると、皆はお堂の前でお参りしていたが、見るとお堂の障子が閉まっていて仏様も何も分からない。何にお参りするのか分からないので、お参りは省略・・・。

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帰りは、これも毎年恒例の甘酒を飲む。甘酒屋も決まっていて、なぜか五重塔への階段の近くの店。以前は階段から降りた突き当りだったが、最近は場所が少し変わった。(中央の写真の左手~露天の“宣伝”をしても仕方がないが・・・)

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いつものように、たくさんの露天が出ていたが、同じところに甘酒屋が出るということは、どうも毎年出店の地図は変わっていないようだ。

ともあれ2008年がスタートした。我が家も大きなイベント(受験・就職・定年・・・)が全て終わってしまい、何の変哲も無い新年ではある。
まあ嫁さんでも来ると、我が家も一気に盛り上がるのだろうが、露ほどの気配も無く、まあ静かな新年というのもまた良いものではある。(これは決して負け惜しみではない・・・・!)

<追:付録>
さっき、大本営発表・・・・つまり、年末ジャンボの発表・確認をしました。(3日にもなって・・)
カミさんが番号を読み上げて、自分がバラの10枚の番号を確認するのですが、段々と見る力(意欲)が弱くなりました・・・。本来、賞金が上がると「力」が入るはずなのに、何で段々と「投げやり」になるのでしょう・・・・。
「リキ」を入れて買った10枚のはずなのに、当選したのはたった一枚!「3」だけでした。
しかも全くカスリもしない・・・・。途中で投げ出したくも、なりますよね・・・
『こんなところで「運」を使ってはダメ』と言われても、それではどこで運を使えば良いのでしょうか・・・・。数年に一度しか買わない年末ジャンボなのに・・・
まあ今度は、年賀状の抽選に“賭ける!”事にしましょう。
(でも確かに図々しいよね。たった10枚で・・・・)

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2008年1月 1日 (火)

2008年はカラヤン・イヤー・・・

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、年末年始のTV(TOKYO MX)でも特集を組んでいたが、2008年はカラヤン生誕100周年。新聞の広告でも「2008年はカラヤン・イヤー!」だと大きく掲載していた。レコード会社は、この指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕100年を記念して、「史上最大のCD企画~カラヤンの偉大な遺産を年代別に収録!」CD240枚!総時間約252時間!全457曲、延べ625曲収録!という定価30万円の「カラヤン ドイツ・グラモフォン・コンプリート・レコーディング」を発売するという。これはまさにカラヤンがドイツグラモフォンに録音した全記録なのであろう。

1640451_2 学生時代から読んでいた「レコード芸術」という雑誌。その頃(1960年代後期)はカラヤン全盛期。次から次に新譜を出していた。雑誌に載るカラヤンの写真は、目をつむった独特のポーズ。また、自家用飛行機を操縦するだけあって、映画・ビデオなどの新メディアに画像を記録することにも熱心だった。自分もカラヤンの第九の映画を見に行ったことがある。画面はカラヤンの指示で、オーケストラ全体を写すカットは無く、指揮者カラヤンか、各楽器の大写しの画面ばかりだった。完全に自分を主役(英雄?)に位置付けていた。それだけに、自分は何か違和感があり、カラヤンは好きになれなかった・・・。

1640051_3 また、このCDには付録に「カラヤン・リハーサル集」のCDが付くという。そういえば、自分も昔リハーサルのLPを持っていたっけ・・・と探したら、出てきた。1962年10月に第九を録音した時、本番録音前の練習風景である。30万円のCD集とは別に、第九の20万円のCDも出すというが、このリハーサルはまさにこの時の録音の“直前の風景”である。

<カラヤン/ベルリン・フィル 第九 第1楽章リハーサル風景>(1962年10月録音)

ドイツ語対訳を付ける。(英語“ですら”オンチ!の自分には、全くついて行けない・・・)
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話が変わるが、06年8月にザルツブルクに行った。川のほとりにカラヤンの家があった。しかしその時は補修工事中で、家全体にシーとがかかっており、全体の写真は撮らなかった。でも入り口と銅像の写真は撮った。上の2枚の写真がその時撮ったもの。 しかし、何か荒れており、誰も住んでいないように見えたが・・・・

前のblogでも書いたように、カラヤンの日本公演は2度聞きに行った。それはそれで思い出なのだが、何か感激がない・・・。
それより、PINK FLOYDのロジャー・ウォーターズの公演のほうがよっぽど印象に残っている・・・。これは“音の大きさ”の問題(ロックの巨大な音にはビックリ!)だけでは無かろう。
ともあれ、今年はカラヤンが話題になる年らしい・・・。昔のカラヤンのLPを持ち出して、改めて聞いてみることにしようか・・・・。

(関係記事)
カラヤン指揮グリーグのペールギュント

ウィーン楽友協会大ホールに行った

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