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2007年10月 1日 (月)

田中角栄の凄さ~NHK「その時歴史が動いた~日中国交正常化」

NHKの「その時歴史が動いた」300回記念~「日中国交正常化」(07/9/26放送)を見て、深い感動を覚えた。それは田中角栄という大政治家の、まさに“トップはこうあらねばならぬ”という行動に対してだ。
この番組については、NHKのHPに詳しいが、まさに「その時歴史が動いた」の300回目に相応しい力作であった。(少々長いが、この番組を振り返る)

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昭和47年9月25日、当時の総理大臣 田中角栄が日中国交正常化のために北京を訪れた。田中は日中の貿易に注目して、大平外相とともに日中正常化に執念を燃やしていた。しかし交渉の現場は、日本の戦争責任の謝罪、中国が認めない台湾との関係の扱いで暗礁に乗り上げていた。それを田中角栄は、まさに人物の大きさで乗り越えていく。
最大の争点は「日中戦争はいつ終わったのか」という問題。台湾と日華平和条約を結んだ昭和27年に日中戦争は終わったと主張する日本。しかし中国は台湾を認めず、今回の共同声明の公表の日に終了すると主張。そして突然の毛沢東とのトップ会談で、田中の誠意が通じ、日中両国のお互いの顔が立つ表現で合意。そして、昭和47年9月29日、日中共同声明に調印。

国交を結ぶ条件は、日本側は「日米安保の承認」「戦争賠償の放棄」、中国側は「日華平和条約を破棄し中華人民共和国を唯一の中国政府と認める」。
田中内閣成立の1週間後(72/8/4)、公明党の竹入委員長が前の週に訪中した時の周恩来の伝言(7/27)を伝えに来た。そこには「日米安保条約にはふれません」「賠償の請求権を放棄する」と記されていた。そして田中は訪中を決断。9月25日から29日までの長い4日間が始まる。 
(自分の記憶によると、この時NECが突貫で衛星中継器を作って、中国から衛星生中継をやったのでは・・・?)

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田中「今回の訪中をぜひとも成功させ、国交正常化を実現したい」

周恩来「日中両国には様々な違いはあるが、小異を残して大同につき、合意に達することは可能である」

晩餐会での田中の挨拶「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどって参りました。この間わが国が中国国民に多大な“ご迷惑”をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」

交渉での高島条約局長「日中戦争の講和や賠償の問題は日華平和条約で終わっている。今回は日中の外交関係樹立によって生じる将来の問題について話し合いたい」

周恩来「ご迷惑とは、中国では道ばたでうっかり女性のスカートに水をかけたときにわびる言葉でしかありません。それをあなたは、日中間の不幸な過去の説明に使ったのです」

田中「日本語で『迷惑をかけた』とは、万感の思いをこめてわびをする時にも使うのです。この言い方が中国語として適当かどうかは自信がない」
(ナレータ:誠心誠意のお詫び、その気持に偽りがないことを田中は繰り返し訴えました)

周恩来「日本と台湾が条約を結んだ昭和27年には、台湾の国民政府は大陸から逃げ出していた。彼らが全中国を代表して戦争を終わらせたなど、とんでもない話だ」

中国から出された声明案は、『中華人民共和国と日本の間の戦争状態はこの声明が公表される日に終了する』

(田中が「大学出たやつはこういう修羅場になるとだめだな」と言った。そして「どういう風に話し合いを持って行くのかは、ちゃんと大学を出たヤツが考えろ」の指示で、その夜ホテルで徹夜で考えた案)
大平正芳「日中両国のこれまでの関係は『不自然な状態』と表現できないだろうか」と中国外相に伝えた。そしてその夜、突然毛沢東の家に案内される。

毛沢東「けんかはもうすみましたか けんかは避けられないものですよ」
毛沢東「あなたがたは、あの『ご迷惑』問題をどのように解決しましたか」

田中「我々は中国の習慣に従って改めるよう、準備しています」

毛沢東「しかし迷惑をかけたという言葉の使い方は日本の首相の方がうまいようですね」

(この毛沢東の一言は日本の立場を受け入れるという中国側からのサインでした)
(安堵してホテルに戻った田中は鼻血・・・。医師に田中は「記者団に言うな。言うと毛さんに会って、田中は帰って鼻血ブー・・となるんだから」)
(田中は極度のストレスに耐えながら、中国側に対しても日本の外交スタッフに対しても、表面上は明るくふるまい続けていました)

この後開かれた協議で、中国側から戦争状態の表現について大きな譲歩が示された。
中国案『本声明が公表される日に、中国を日本との間の極めて不正常な状態は終了する』

日本側「日華平和条約で戦争が終わった」と解釈
中国側「今回の交渉で戦争が終わった」と解釈

そして日本と台湾との今後の関係が話し合われ、日本の次の提示で合意。
1. 日本と台湾との外交関係は解消
2. 日本政府は「二つの中国」の立場はとらない
3. 台湾との民間交流は継続される

そして昭和47(1972)年9月29日 日中共同声明が調印される。

TVでこの時の様子を見ても、田中と周恩来の何度も繰り返す固い握手は、両国の万感を込めた本当の握手に見えた。

周恩来「これで日中間の新しい1ページが始まりましたね」

田中「今日はもうこれで会議がないから、大いに飲もう!」
(この田中の一言で、日中双方は大きな笑い声に包まれました)
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田中が脳梗塞で倒れてから7年後の1992年4月7日、田中の家を江沢民が訪ね訪中を誘う。そして4ヶ月後に田中は訪中。
中国は国賓待遇でもてなし「田中先生は国交正常化に最も貢献した方。中国は永遠に忘れない」

田中「中国再訪が実現し万感胸にせまるものがある。私はこの20年間片時も目を離さず、日中関係を見つめてきた。首相当時下した決断が間違っていなかったことを確信したい一心で訪れたのである」

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この番組を見て、まさに大物政治家の“偉大さ”を感じた。アメリカと戦った吉田茂も同様である。(前に「吉田茂とサンフランシスコ講和条約」を書いた)

会社でも何でも、トップは「いざ」という時が何度もある。ものすごいストレスだが、その場をどう乗り越えるか・・・。それまでの全人格が試される・・・。(自分も、思い返すと色々な場面を思い出す。皆、客先とのぶつかり合いだった・・・・)

しかし、昔の「国」を背負った政治家に比べ、今の2世政治家の粒の小さい事・・・・。
そして毎日繰り返される「身体検査」と称する不毛な話題・・・・。
田中角栄のような、何があっても(逮捕されても)、何十年経っても相手国(中国)から感謝され、慕われる大物政治家は、もう日本では出現しないのであろうか?


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コメント

個人的には、小沢一郎が田中角栄を超える政治家であると思う。
田中の悲願である小選挙区比例代表制を引き継ぎ達成した。
日中関係も民主党政権になったら飛躍的によくなるだろう。

投稿: | 2009年5月26日 (火) 15:48

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