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2007年9月の26件の記事

2007年9月30日 (日)

「二世」もつらい~組織トップの器

今朝の日経(07/9/30 p13)の「遠いみち近いみち」というコラムに「『二世』もつらい」という記事があったが、これを読みながら色々と考えてしまった。

福田康夫新首相について、「二世」という視点で書いている。曰く、・・
「・・・53歳で衆議院議員に初当選した時に、父親の福田赳夫元首相について記者から尋ねられて「あんな年寄りと比べないでよ」とそっけなく答えている。こうした言葉をテレビで聞いて、大物を父親に持った息子の屈折した心理を感じた。・・・・親は親、オレはオレと思っていても、うっとうしいだろう。周囲は陰に陽に期待する。物心がつく年ごろになれば、息子は父親を身近なライバルとして意識するようになるものだ。うまく超えられるか、挫折するか。あるいは素直に従うか。二世のリーダーは宿命的に大なり小なり先代との心理的な葛藤を経験する。初代はたいてい奔放である。自ら道を切り開き一家を成すには、家族のことも眼中にない。しかし、がむしゃらにやってきて、ふと後継者を考えた時、子供に目を向ける人が多い。ダイエーの創業者中内功さんがそうだった。ある時期から長男の潤氏に権限を集中し世襲の準備を始めた。しかし潤氏には荷が重すぎたようだ。・・・・
ダイエーの経営が傾き、中内父子が退いた後、ある元幹部は「潤さんは普通の人で、かわいそうな被害者だ」と同情した。中内さんも会長兼社長時代に「会社に入ったばかりに息子も苦労する。かわいそうだと思うよ。勉強して商学博士になったのだから、大学教授でもやっていたほうが気楽だったろう」と言っていた。・・・・
・・・だが世襲は総じて人を小さく丸くする。
・・何かの因縁か福田さんは首相の座に就いた。父赳夫氏への屈折した思いを、前向きのバネにうまく変えられるだろうか。」

自分の場合、あまり親父を意識したことはなかった。ただ親父は、サラリーマンでは学歴が必要なことは認識していたようで、我々息子どもは当然のように大学を目指した。
自分の場合は、むしろ高校時代に兄貴との比較で苦労?したことがあったな・・・。母校は、担任が3年生を送り出すとそのまま新1年生を担任するので、兄貴と3才違いだった自分は、その先生達から教えられる事になり、授業中に「・・・兄貴はそのくらいは出来たぞ・・・」なんていうイヤミを言われる羽目になった。まあ別に競争はしていなかったので(負けが決定?)気にしなかったが・・・(参考記事:人生における“勝ち”と“負け”

しかしこの記事にあるように、会社経営における社長の世襲問題では、うまく行った例は少ないようだ。自分の現役時代を通して知った会社でも、オーナー社長が一代で築いた会社が殆どで、そのオーナー社長が後継問題で悩んでいる話を良く聞いた。
今朝の新聞のように、政治家同様、多くが息子への世襲を考えているが、前首相ではないが「器」または「相性」の問題で悩んでいる。
でもこれは当たり前の事だ。初代社長は苦労して会社を作った。しかし、息子はそれを“出来上がったもの”として受け止める。会社を見る目が違うのは当然だ。従って、会社への思い入れも、頭に占める割合も、オーナーと同じ事を要求する方が無理だ。
また“大きな親”であるほど子は小さくなるのも当然。それに、オーナー会社であるほど、従業員はカリスマの初代社長“個人”に就くのであって、“会社”には就いていない。よって、突然先代社長が亡くなって、従業員が息子社長に対して「私たちは先代に就いたのであって、あなたに就くつもりはない」と言って会社を去り、潰れた会社をたくさん見てきた。

徳川幕府でも、徳川秀忠を経て3代家光で爆発した。でも動きが激しい現代のビジネス社会では、3代目社長の時代までは、到底持たない。
このコラムを読みながら、話題は首相の世襲だが、ダイエーを初めとした企業のトップの世襲問題の方に興味が行った。

首相も社長もリーダーは皆同じ。人(=国民・社員)の“心”をどう捉えて人を動かせるか・・・・ではなかろうか。

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2007年9月28日 (金)

エルピーダメモリ坂本社長の潔さ

週刊誌で、エルピーダメモリの坂本社長の潔いスタンスを知り、信じられない・・・という思いを覚えた。

週間東洋経済(2007/9/29号)に、「電機超再生」という特集があり読んだ。その中にエルピーダメモリの坂本社長について下記のような記述があった。(P45)

「坂本社長はガバナンスにも気を使っている。02年11月に3年契約でやってきた坂本社長は、05年の契約満了後から社員投票を実施。60歳になった今年からは8割以上支持がなければ社長を辞任することに決めた。投票は非管理職の従業員のみから毎年選ばれる従業員代表十数人による無記名投票だ。「社長の善しあしは社員がいちばん見ている。社員がノーと言ったら、その場で辞める。そのくらいの覚悟で仕事をやっている」(坂本社長)
就任当時には世界シェア4%台しかなかったが、坂本経営の浸透で、今や3位に迫る12%台。シェア向上で業績も急回復。06年3月期には684億円の営業利益を計上した。」

エルピーダメモリといえば、1999年6月にNECと日立のDRAM事業を統合して作った会社。その後もシェアを落として行ったが、外部から坂本社長を招聘して奇跡の復活を遂げた、半導体会社では東芝と共に勝ち組になっている会社である。

その招聘された社長が、何と“契約社長”だったとは・・・。
電気会社のうち、かつてオーナー会社だった所は、松下、三洋等も含めて既にその体制は崩壊し、殆どがサラリーマン社長(株を殆ど持っていない)になっている。
しかし「契約社長」は聞いたことがない・・・・・。しかもその社長のもとで会社が復活している・・・。まさにプロの社長だ。
しかし、この目線は何だろう・・・。平社員の評価次第で、自分の“社長のクビ”を自ら“飛ばす”と言う・・・。信じられない・・・・。
どの会社も、幾らサラリーマン社長であってもこんな事を言う社長はいない。これほどの潔さは無い。

そして、この坂本社長の発言の裏には、「社員との信頼が全て・・」という熱い思いが感じられる。
そうなのだ。この信頼関係が会社を動かす・・・・。会社は人の集まり。人が全て・・・

もう自分は還暦でサラリーマンは“上がり”だが、会社は社員のやる気をトップがどう引き出すかに掛かっているのは常識。それを世の社長はどれだけ分かっているか・・・
それを再認識した一文ではあった。

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2007年9月27日 (木)

モラヴェッツの「月光」のテープが見つかった

イヴァン・モラヴェッツの演奏するベートーヴェンの月光ソナタの録音テープが見つかり、数十年ぶりに聞いた。

これについては、前に「『月光の曲』の思い出」という記事でも書いたが、この録音は1969年頃(自分が大学4年の頃)、フィリップスに「コニサー・ソサエティ」という録音シリーズがあって、録音用の特製のコンサートグランドピアノ(ボールドウィンSD-10)を使い、アナログ録音の究極を目指したもの。演奏はイヴァン・モラヴェッツ。
その時、確かLPを友人に借りてオープンテープに録音した・・という“記憶”があり、先の記事「20年前のSONYのオープンデッキが動いた!」で書いたように、何と37年前のオープンデッキに20年ぶりに電源を入れたら動いたという事もあり、“記憶”の録音テープを自宅の納戸で見つけたので、今回その再生が成功した・・・・という、長ったらしい話だ。
先ずは聞いてみよう。

<イヴァン・モラヴェッツ/「月光」ソナタ #1>

音を聞いてみて、高域の不足を感じた。テープはLPレコードをオープンデッキの19cmで録っているので、それなりに録音されていると思うが、もしかすると歴史物のデッキの高域特性(F特)がヘッタッていてるかも・・・・?(しかしヒスノイズも聞こえるので、一応は再生出来ているのかな・・・、とも思ってみたり・・・)

話を戻して、この音をどう聞くか・・・だ。実は自分はこの音、この演奏が大好きなのである。昔、独学でこの第1楽章だけピアノで弾けるようになったが、頭にあった手本はまさに“この音”“この演奏”なのである。
人によって音の好みは様々だが、自分はこのコニサー・シリーズの、ボーンと良く響くピアノの音が大好きだ。

モラヴェッツの演奏そのものも実に素晴らしい。たまたま持っているアシュケナージの月光も聞いてみたが、アシュケナージの弾く「月光」の“3連符”は、妙に突っかかる演奏で、素直に流れていない。つまり“命の”3連符を素直に弾いていない。それに引き替えモラヴェッツの演奏は、3連符も流れるように弾くし、安心して聞いていられる。

再び、何とかこのCDが手に入らないかと、ネットでまた調べてみたが、同じLP(SFX-7656)に収録されていた「エリーゼのために」はアメリカでCDになっているらしいが、「月光」は見つからなかった。

しかし“フィットする音”というのはあるのもで、この録音も早速MP3にして、携帯プレヤーで通勤途中で聞いているが、何度聞いても飽きない素晴らしい演奏・音である。

しかしこれを書いていて、“まさに自分の音楽を聞いてきた歴史を懐古しているな・・・”と思った。でもまあ、もう少しで「還暦」なので、許すとしよう・・・

(ついでに、今日の帰りのバスの中から見えた月は満月で、まさに十五夜お月さん・・・。そう言えば、2日ほど前にカミさんが十五夜の月見団子を買ってきたっけ・・・。ベートーヴェンは十五夜は知らないだろうが・・・。⇒ カミさんもblogで写真をアップしていた

●本日カウントが3万を越えました。皆様の“ご愛顧”に感謝します。

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2007年9月25日 (火)

障害者自立支援法を考える(4)~いよいよ抜本見直しか?

今晩(07/9/25)組閣した福田新首相は、先の自民党総裁選で公約として「障害者自立支援法の抜本見直し」を掲げていたが、いよいよそれが現実味を帯びてきた事は嬉しい。

今朝(07/9/25)の日経(P3)に、次の記事があった。

Nikkei070925国庫負担1000億円超も 医療費など負担増凍結 与党検討 厚労省試算 「現役」にしわ寄せ 概算要求基準超す公算
 与党内で検討されている高齢者の医療費負担の凍結、障害者自立支援法の抜本見直しなどが実施されると、年1千億円を超える国庫負担が発生する可能性があることが、厚生労働省の試算で分かった。・・・

<厚労省の試算>
  障害者の福祉サービス費の自己負担撤回 
    国庫負担増        400億円
    実施に必要な法整備  障害者自立支援法の改正

・・・・費用の原則1割を自己負担させる障害者自立支援法はすでに施行済み。この1割負担を撤回すると、国庫負担は400億円増える。撤回のためには同法を改正する必要がある。すでに民主党も臨時国会に自己負担見直しを盛り込んだ改正案を出す方針を示している。・・・」

先の記事にも書いたが、この障害者自立支援法については、自民党以外は全て改正を求めている。
それが、先の参院選挙で与野党逆転したのを受け、野党・民主党との話し合い路線を目指す福田新政府も、障害者自立支援法の改正に対して考慮せざるを得なくなったもの。
しかし、何はともあれ、この様な新聞記事が出ることを先ず喜びたい。
そして、何としてでも弱者救済のため、早急な改正に動いて欲しいもの。
皆で政府の動きを見守ろう。

(関係記事)
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)
障害者自立支援法を考える(2)~その問題点と顛末
障害者自立支援法を考える(3)~各党の主張

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2007年9月24日 (月)

ガンと戦うジャズシンガー「石野見幸」

今朝(07/9/24 AM7:30~7:55)のNHK総合テレビ「おはよう日本」で、「命ある限り“自分らしく”~ジャズシンガー石野見幸」という番組をやっていた。
自分は全く知らない石野見幸さんだが、昨年9月にスキルス胃ガンが発見され、胃を全摘。ガンの全身転移のため抗ガン剤と闘いながらも、何と7月にはステージに戻ったという。しかも心の支えだった父親が4月25日に突然脳卒中で亡くなり・・・・。
その事情は、本人のblogに詳しい。(一部下記に引用)

「心配するな、泣くな、ミィー、安心してどーんと生きろ」
          石野見幸 07年05月 5日 00時57分

 みなさんご無沙汰して申し訳ございませんでした。
あれから治療を続けながら過ごしておりました。毎日どんどん落ち込んで、朝から眠りに着くまで涙がとまらず、とにかく死ぬのが怖くて怖くて、明日が見えない不安で深い深い穴にストーンと堕ちてしまったみたいにあがいてもあがいても這い上がれず前を向く事も出来ずにいました。
 そんなとき4月25日父が突然脳卒中で亡くなったのです。
 私を世界で一番愛してくれた人がいなくなっちゃった。
 死ぬのが怖いと泣いてすがりつく私に『大丈夫や、お前をひとりで逝かせたりしない、お父ちゃんが一緒に逝ったる。
 心配するな、泣くな、ミィー、安心してどーんと生きろ』と抱きしめてくれた私の愛するととう(私は父をこう呼ぶ)。
 周りの人には『俺が先に逝ってあいつが迷わないようにしたるんや』と言っていたそうです。ととうは順番を守ってくれたのかも知れません。
 ととうは人を愛する事の素晴らしさや人を区別や差別せず愛しあう事の大切さを態度で教えてくれた。
 私は世界で一番素敵なととうとおかたん(私は母をこう呼ぶ)の子供に生んでくれた事を誇りに思いました。悲しみには終わりがないようにも思い絶望しました。
 骨になったととうは私に生きるエネルギーをくれました。
 まだ温かい父の力強い骨を拾い上げながら私はもう一度ステージに立とう、いや立たなければいけないと身体の奥深いところが震えたったのです。
 この悲しみから私はたちあがり、同じように病気を抱えて震えている人や、大切な人を亡くし立ちすくむ方々や様々な悲しみと闘う人々と抱きしめあいたいという気持になりました。
 そしてお断りしようと思っていたブルーノート大阪のステージに立つ事を決めたのです。
 今の私のからだには肝臓から小腸へ入った管が、腕から心臓へ栄養点滴のチューブが入っています。お腹が自由になりません。だけど今、私に出来る事を出来るだけやらせていただけるならという気持ちで頑張って歌います。
 人は誰も今日で終わるかも知れない命のはかなさを抱えて生きています。今日生きている事の大切さを私は知っています。どうか皆さんお見守りください。
 石野見幸は精一杯生きます。

TVに出ていた諏訪中央病院の医師 鎌田実氏は「彼女は決して強い人間ではない。むしろ弱い。しかし、その心はしなやかで、落ち込んでもスッと戻ってくる」と表現していた。
非常に若くして・・・、活躍の絶頂の時に・・・・(何とも言葉が見つからない)

TVを一緒に見ていたカミさんが「お父さんが自分の命を娘に分けたのだ」と言っていたが、本人のblogに同じ事が書いてあった。

前に当blogで「余命3カ月 藤田憲一氏の生き方」というのを書いた。そして「朝日俊彦の「笑って死ぬために」・・」という記事も書いた。
カミさんは、朝日さんの論はおちゃらけていて好きではないという。死とはそんなに簡単なものではないという。

自分も音楽はたくさん聞くが、ジャズは全くの門外漢。
しかし若い、そして弱い一般の人間が、残された時間をここまで精いっぱい生きている姿には胸を打たれる。
そしてつくずく、「言葉の軽さ」と「現実の重さ」の違いを目の前に突き付けられた・・・。
そして、両親との愛情の絆の重さ・・・・。

世の中、色々な家族がいるが、その中で「真の家族」がどれだけ居るのだろうか・・・・

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2007年9月23日 (日)

日本がインドに抜かれた日

多くの人は、日本は「世界第2の経済大国」だと信じている。しかし見方を変えると、日本は既に中国・インドに抜かれて「世界第4位の経済大国」になっている・・・という話である。

机の上を整理していたら、07/9/7付けの日経の切り抜きが出てきた。P19「大機小機~日本がインドに抜かれた日」というコラムである。読んでみて、なるほど・・・と納得。
それによると、世界銀行のホームページに2006年の名目GDP(ドルベース)のランキングが載っており、それでは確かに日本は「世界第2位の経済大国」である。

2006年の名目GDP(ドルベース)ベスト10

①アメリカ   13.20兆ドル
②日本     4.34兆ドル
③ドイツ     2.90兆ドル
④中国     2.66兆ドル
⑤イギリス   2.34兆ドル
⑥フランス   2.23兆ドル
⑦イタリア    1.84兆ドル
⑧カナダ    1.25兆ドル
⑨スペイン   1.22兆ドル
⑩ブラジル   1.06兆ドル
⑪ロシア    0.98兆ドル
⑫インド     0.90兆ドル

「多くの人は『中国が高成長を続けているので、やがて中国に抜かれる日が来るだろう。さらにインドにも抜かれるかもしれないが、それはまだだいぶ先だろう』と考えているのではないか。
しかしこの国際比較には問題がある。換算の際に使われる市場の為替レートは、長期的には貿易財の生産性を反映したものとなるため、必ずしも通貨の実力を反映していない。この問題を避けるには『同じ商品やサービスのバスケットを購入するのにいくらかかるか』を基準に換算すればよい。これが購買力平価である。
世界銀行のホームページには購買力平価でドル換算したGDP比較が出ている。購買力平価ベースでは、日本はかなり前に中国に抜かれ06年に初めてインドを下回った。ほとんど誰も気付かないうちに、日本はインドに抜かれ「世界第4の経済大国」となっていたのである。

2006年の購買力平価換算GDP(ドルベース)ベスト10

①アメリカ   13.20兆ドル
②中国     10.04兆ドル
③インド     4.24兆ドル
④日本      4.13兆ドル
⑤ドイツ     2.61兆ドル
⑥イギリス    2.11兆ドル
⑦フランス    2.03兆ドル
⑧イタリア      1.79兆ドル
⑨ブラジル   1.71兆ドル
⑩ロシア     1.70兆ドル

世界第二の経済大国という表現に慣れた人にはショックかもしれないが、驚くには当たらない。購買力平価で一人当たり国民所得を比較すると、中国は世界102位で、日本の4分の1以下、インドは145位で、日本の約9分の1以下である。中国、インドは、所得水準は低いが、人口が多いので、GDP総額は日本を上回るというだけのことである。これからも所得水準の低い国々は、先進諸国へのキャッチアップを目指して成長する。すると人口規模が大きい国のGDPは必然的に大きくなる。こう考えると、日本が世界第二の経済大国であり得たのは、日本がいち早くキャッチアップに成功した一方、人口大国が日本を大幅に下回る低所得に甘んじた過渡期の現象だったことが分かる。そもそも経済規模が大きいこと自体にはあまり意味はない。本当に誇るべきは一人当たりの所得(生活の豊かさ)なのだと、早く発想を切り替えるべきである。」

確かに海外旅行をすると、アジア諸国の通貨の価値の違いにはビックリする。あまりにも安い。それに引き替え、ヨーロッパやアメリカは高い・・・。
確かに日本の物価は世界一。
世界地図」による『都市別物価ランキング』では、ニューヨークを100とすると、①東京128 ②ソウル109 ③オスロ(ノルウェー)108 ④コペンハーゲン(デンマーク)103 ④ジュネーブ(スイス)103 ⑥ロンドン101 ⑦ニューヨーク100 ⑧モスクワ98 ⑨ストックホルム(スウェーデン)95 ⑩ウィーン94 ⑩パリ94 ・・・だそうだ。

団塊の世代が、たくさんの退職金を貰ってリタイアする。その世代の“その後”の過ごし方が注目されている。
自分も、もし海外の風土が好きで、現地語がペラペラならば、物価の安い海外へ移住していたかもね・・・・。特にハワイが好きだが、物価が高いから行かないだけなのさ・・・
(ついでに、いつもカミさんの話で恐縮だが、カミさんは海外に出ると体調バッチリ。よってカミさんの“前世”は外人(特に中国人)だった、と本人は言っている・・・)

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2007年9月22日 (土)

大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(3)

Scan103161_2 先日(07/9/15)、大峰千日回峰行を満行された、仙台の慈眼寺住職 塩沼亮潤氏の「心をこめて生きること」という講演を聞いたが、場外で即売していた塩沼亮潤氏と板橋興宗氏の対談による「大峯千日回峰行―修験道の荒行」という本を買った。今日は、この本での、気になった部分の語録である。

塩沼亮潤・板橋興宗著「大峯千日回峰行―修験道の荒行」より

Scan103201 「行を捨てる」 (P196)
板橋「阿闍梨さんの厳しい修業を通じて、せんじつめて「行」とはどういうことでしょうか。こういう時代にどういう意味があるのか、一言で表現するとしたらいかがですか?」

塩沼「そうですね、人間本来の姿、心のあり方、生き方を見出す、訪ねるということになりますでしょうか」

板橋「行を通して本来の人間のあり方のようなものを見出していくということですか?」

塩沼「行は目的がきちんと明確でなければならないと思うんです。私の場合には、千日とか日数の問題ではなく、自分の器を大きくする、それに目標を定めて行じてまいりました」

板橋「やはり目的は大切ですね」

塩沼「例えば、千日回峰行をします。千回歩きましたといって、何か社会的な価値があるでしょうか。これは余談になるのですけれども、以前、皇太子殿下が吉野の蔵王堂にいらっしゃいましたときに、管長様に「千日回峰行をしたらどうなるんですか?」とお尋ねになられました。そのときに「千日回峰行を満行した者は阿闍梨と呼ばれますが、社会的には何の価値もないものです」とお答えしておられました。ですから、行をしたというだけでは何の意味もないのです。よく師匠から、行が終わったら、行を捨てなさいと言われましたが、そういう肩書ですとか、そういうものを“はな”にかけたりするような生き方だけはしないように、ということでしょう。ですから、自分自身を厳しく見つめ直していくことが一番の目的だと思います」

「愚痴ることなかれ、ぶらりぶらりと」 (P209)
塩沼「命は大切にしなければなりません。地球の歴史に比べたら、人間の一生なんてあっという間です。ほんの一瞬です。辛さ、苦しさ、楽しさ、全て一瞬です。人は必ず死にます。その日、その時まで、いいことをして、やがて、お迎えが来たら胸を張って、あの世とやらにいけばいいのです。最後の一息まで大切にしなければなりません。誰ひとり天命のない人はいないのです。この世の中に不必要な人はいないのです。授かった命は、大切に感謝しなければなりません」

板橋「なかなかそういうふうに生きられない場合も多いと、つい愚痴を言いたくなることもありますけれども(笑)。・・・そういうことはあまりございませんか?」

塩沼「ええ、昔はあったかもしれませんけれども、いまは因果応報というのですか、やったことは必ず返ってくるということを自覚しておりますから、絶対に愚痴は言わないようにして、ありのままを受け入れ、急がず、焦らず、背伸びせず、大らかにのびのびと、というふうに変わってきました」・・・・

板橋「・・・文明が進んでも愚痴ることはなくなりません。愚痴るというのは考えても仕方ないと思いつつ、グチグチと考えることです。俺はガンになったんだと愚痴る。ガンになったら、ただ養生すればいいんです。ガンという思いが、思い苦しむんですから。ですから、何が煩悩かと言ったら、愚痴ることです。そうすると、こういう質問が出るんです。考えても仕方がないことと、考えるべきことと、どうやって区別をつけるんですかと。どのような結果になり、どんな出会いになっても、それを愚痴らないところが大切ですね。もし失敗しても、失敗という出会いですね。そういう判断は、心が落ち着き、頭が静かになっていると自然に判断がつくのです」・・・・

Scan103181_2 カミさんにこの愚痴の話をしたら「愚痴は人間にとって絶対に必要。人間は不要なものを排泄する必要がある。心の中の不要なものを愚痴を言って排泄することは必要」と言う。
なるほど・・・。凡夫の自分はこれを聞いていて、どうもカミさんの言うことの方が説得力があるように聞こえるが・・・・。
まあこれは、自分にとって悟りの境地はまだまだ遠い・・・という証かも知れんな・・・??
(付録:会場で買った本が、何と“サイン本”だったのだ・・・・。実に良い字だとカミさんは誉めるが、自分は最初、何て書いてあるのか分からなかった・・・。トホホ・・・)

(関連記事)
大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(1)

大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(2)

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2007年9月21日 (金)

「挫折」への対処法

今日(07/9/21)の日経産業新聞(P27)に、「挫折に直面なら 精神力でターン ~スキー・皆川賢太郎選手に聞く」という記事が載っていた。
自分は知らなかったが、皆川選手は、2006年トリノ冬季五輪アルペンスキー回転競技で、日本人50年ぶりの4位に入ったプロスキーヤーだという。
そして、皆川選手の過去は挫折の連続で、ソルトレーク五輪惨敗後、左ひざ前十字靱帯断裂。トリノ五輪は健闘したが、昨年12月、今度は右ひざの前十字靱帯断裂したという。その“挫折の王者”が言う・・・・

<気持ちの持ち方>
『貴重な経験』怪我の糧に

・・・「なんで自分がこんな目に遭わなければならないのかと何度も思った。でも、これを課せられた運命と現実を受け止めてからは前向きになった」・・・経験は糧となる--。大局観を持とう。

『仕事は苦行』割り切り必要
「仕事は人からの評価を受けてこそ価値があるが、評価されるのは簡単なことではない」・・・「評価や楽しさは、つらさ、苦しさを乗り越えた者だけが得られるゴールだと考える」・・・仕事は辛いものと割り切る潔さも大切なのだろう。

<日ごろの準備法>
得意技を磨く 不調時の『滑り止め』

・・・・自分の取りえとなるものを確認し、その部分を大きくしていく手法。平時にこそ、苦しい時に立ち返ることのできる「ベース」をしっかりと築いておく。・・・・挫折や失敗などで、当たり前のことができなくなる時でも「自分はこれで勝負できる」という支えがあれば心強い。いわば、不調時の止まり木だ。

『何のため』常に考える
・ ・・『挫折は自分自身を高めるヒント』と自らを励ましている。目の前のことにとらわれればどうしても、到達したい地点がおぼろげになる。遠い目標と近い目標をしっかりと見据え一歩ずつ進んでいけば、必ず視界は開けるはずだ。

この後の「産業カウンセラーのアドバイス」も面白い・・・

「ビジネスの現場では、専門家は挫折に直面した会社員に、どんなアドバイスをしているのだろうか。メンタルヘルス相談会社、セーフティネットの産業カウンセラー藤掛弘美さんは・・・・」

「とにかく口に出すこと。できれば対面か電話で誰かに話すこと。挫折に直面した人は余裕をなくし、自分自身との対話ができなくなる。自分の限界を超えても何とかしようと必死になり、自分を理解できなくなって自信を失うというパターンだ。そんな時、思い悩んでいることを言葉にすれば、できることと出来ないことの整理がつく。結果としてストレスからの解放につながる。大切なのは周囲とのコミュニケーション。落ち込んだときに相談できる関係を作っておくこと。・・・口に出せば大概の場合は『なんだ、そんなことだったのか』と気持ちが軽くなるケースが圧倒的に多いという。」

だいぶ引用が長くなってしまった。
でもいざ「挫折」に直面すると、これが簡単そうで簡単ではないんだよね~~
まあ自分も、これからも幾らでも直面するであろう「挫折」の時のために、これをメモしておくことにしよう・・・
(まあウチは、サンドバックのメイ子(犬)が居るからいいけど・・・。カミさんでもまあガマンするが・・)

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2007年9月20日 (木)

三浦洸一の「恋しても愛さない」

三浦洸一の「恋しても愛さない」という歌をご存知だろうか?いや知らないだろう。だいたい三浦洸一という歌手の名前さえ・・・。(ウチのカミさんに聞いたら、やっぱり知らないと言う。「踊り子」の・・・・。と歌ってやっても知らないと言う。ショック!これでは日本の文化が廃れてしまう・・・)

昔から、三浦洸一のその清潔な歌声が大好きだった。(ふと10年前に亡くなった親父が「踊り子」という歌が好きだったのを思い出すな~・・・)
そして、もし自分が三浦洸一で1曲だけあげるとすると、「踊り子」でも「流転」でもなく、この「恋しても愛さない」だな~。
この歌は、三浦洸一と東京混声合唱団との合唱で、昭和36年(1961年)7月の発売だという。もう50年近くも前の歌だ。もちろんモノラル。しかし、いわゆる歌謡曲で、これほど正規の合唱団が朗々と歌う歌を、他に知らない。
先ずは聞いてみよう。

<三浦洸一の「恋しても愛さない」>

「恋しても愛さない」
 作詞:川内康範
 作曲:吉田 正
 編曲:吉田 正

1)それはそれは
 三年前のことでした
 愛して別れてそれっきり
 忘れた筈の人でした
 それから幾度も恋をして
 汚れてはじめて気がついた
 心のすみにあの人が
 きれいなままで住んでいた

2)あれはあれは
 雪のそぼ降る夜でした
 ふとしたころから それっきり
 別れた筈の人でした
 あれから幾度も恋をして
 傷つきはじめて 気がついた
 心のすみであの人が
 昔のままで住んでいた

Wikipediaをみると、三浦洸一は東洋音楽学校(現東京音楽大学)卒とあるので、ちゃんとした声楽を学んだらしい。そういえば、菅原洋一も国立音大の出だし、歌謡曲の歌手にもホンモノは居るな・・・・(失礼)。

こんな歌声は、今の世の中では流行らないのかも知れない。背筋をピシッと伸ばした歌。(親父の好きだった)東海林太郎も燕尾服で有名だったが・・・(書きながら、段々時代錯誤になってきてイヤになってきた・・・)
でも良い歌はやはり良いのだ・・・。でも、例えばこの歌は、ネットで検索してもCDも発売されていないし簡単には聞けない歌だ。

本の場合は、国立国会図書館に日本で発売された本全部があるという。これは日本文化の継承だ。しかし、「混声合唱組曲「三つの山の詩」のテープを見つけた」の記事でも書いたように、日本の音楽の場合、後世に残す為の活動がどこまであるのか? もちろん音楽会社には元のテープは残してあるのだろうが、そこが倒産したら・・・? と考えると心もとないな・・・・

まあ、もうすぐ還暦だ(関係ないけど・・・)。昔の音楽をしみじみ聞くのも良いではないか・・・・

============================
(07/10/2 追記)

この記事が、こんなにコメントを頂けるとは思いませんでした。
「三浦洸一のファン歴50余年」という“odoriko さん”のご好意により、コメントを頂いた曲を以下にアップします。自分は知らない曲ですが、皆さん色々な思い出がお有りになるのでしょう・・・。

<三浦洸一の「純愛」>~昭和33年5月発売

<三浦洸一の「桜の園」>~昭和34年5月発売

<三浦洸一の「野菊のふるさと」>~昭和36年2月発売

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2007年9月19日 (水)

サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」

ずっと気になっていた『中国語での般若心経』を聞いた。予想に反して、まったくの中国語だった。(まあ当然だが・・・)

ひょんなことで、丸山勇という仏教写真家の事を知り、氏の「CD付 般若心教の世界」という本を買ってしまった。
その本に、サンスクリット語・中国語・韓国語の般若心経の読経のCDが付いていた。

実は、中国語での般若心経の読み方に興味があった。
何故かというと、漢字で書いてある仏典は日本も中国も同じはず。これは、日本に仏典が入ってきたときに、その神聖さを保つためにあえて日本語に訳さなかった、と聞く。
そして、どこかで『中国語は日本の音読みに似ている』と聞いたことがあった(これが間違い)。日本の読経を聞いてみても、とうてい日本語とは思えない。
・・・とすると、『意外と中国の読経の読み方も日本の読み方も、同じかも知れないな・・・』ナンテ思ったのが間違いのもと・・・・。

CDを聞いてみると、中国語はまるで分からない。むしろ韓国語の方が少し日本語に似ている・・・・。(同じ漢字を読んでいるのだろう・・・)

中国語の般若心経

Scan103111_2 中国語で、何となく発音が日本語に似ているのは、
「舎利子(ソオリイツ)」「菩提薩捶(プウティサアト)」「三貌三菩提(サンミャウサンプウテイ)」くらい・・。
最後の真言に至っては「羯諦羯諦波羅羯諦(チエティ チエティ ポロチエティ)波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ポロスンチエティ プウティサアポホ)」という発音。

サンスクリット語の般若心経

Scan103101_2 同じく、サンスクリット語では、
「舎利子(シャーリプトゥラ)」「三貌三菩提(サンヤクサンボーディム)」。
最後の真言は「羯諦羯諦波羅羯諦(ガテーガテー パーラガテー)波羅僧羯諦菩提薩婆訶(パーラサンガテー ボーディ スヴァ-ハー)」という発音。
こっちの方がよっぽど良く聞く発音だ。

韓国語の般若心経

Scan103121_2 韓国語では、
「舎利子(サリジャ)」「菩提薩捶(ボリサルタ)」「三貌三菩提(サンミャッサムボリ)」。
最後の真言は「羯諦羯諦波羅羯諦(アゼ アゼ バラアゼ)波羅僧羯諦菩提薩婆訶(バラスアゼ モジサバハ)」という発音。

こう並べてみると何か変だ。そもそも「訳すのがもったいないので音写した」と言われている部分が、何故この様に発音が違うのだ。
幾ら言葉は違っても、音をいわゆる「カタカナ」で表現したにしては、あまりに違い過ぎる。

しかし、日本の読経は『全くの日本語』だということが改めて分かった。読経は漢字を『日本語読み』で通読しているのだ。
でもこれは当然か・・・? 昔、そもそも日本語(発音)が最初にあって、文字が無かったので日本語を無理に漢字に当てはめた・・・? それが現在の日本語なのかも・・・

(先日寺子屋に行ったときに、東大名誉教授である先生に「中国語での読経は日本のと同じか?」と聞こうと思ったが、止めて良かった・・・・。バカ丸出しになる所だった。ホッ・・)
(本記事は07/4/24の一部改です)

(関連記事)
「般若心経」勝手帖-03 全文

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2007年9月18日 (火)

太平洋戦争を考える(5)~御前会議とは何か?

戦前、太平洋戦争開戦などを最終決定したという「御前会議」。これがどうも自分の先入観とだいぶ違っているらしい・・・。
半藤一利著「ドキュメント太平洋戦争への道」読んだ。この中で「御前会議とは何か」(P327)という章があり、なかなか興味深く読んだ。そこには、自分の先入観を見事に打ち破った事実が・・・・。
ここに書いてあった事を“要約”すると・・・・

御前会議は、昭和元年から太平洋戦争開戦までに8回開かれたという。第1回は南京攻略後の昭和13年1月11日(“国民政府を相手にせず”声明で有名)。第2回は同じ年の11月30日。いずれも日中戦争に対する基本方針を決めた。第3回は昭和15年9月16日で、日独伊三国同盟の締結が決定され、第4回は昭和15年11月13日に「日華基本条約」「支那事変処理要綱」が決められた。そして昭和16年には4回(7/2、9/6、11/5、12/1)も開かれて、日本は苦悩しながらも戦争を決意していく。

御前会議は国の最高機関であり、決められたことは不変であって、至高の命令となった。しかし、いつの場合でも、御前会議の前に大本営陸海軍部と政府との連絡会議がもたれ、実質的な討議はそこで行なわれていて、意見の一致をみてから天皇に報告、それから形式的に御前会議が開かれたのだという。
東京裁判で、木戸幸一はこう答えている。「ひとたび政府が決して参ったものは、これを御拒否にならないというのが、明治以来の日本の天皇の御態度である。これが日本憲法の運用上から成立してきたところの、いわば慣習法である」

そして御前会議での天皇は、立憲君主制を守り、先の連絡会で決めてきた事を拒否しない原則になっていた。つまり、法的な責任を取らず、または取れないように、一切発言をしない。
天皇も戦後になって藤田侍従長に語っている。「憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上明記してある国務大臣の責任の範囲内には、天皇はその意志によって勝手に容喙(ようかい)し干渉し、これを掣肘(せいちゅう)することは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」

このしきたりを作ったのは、西園寺公望だという。西園寺は御前会議そのものに反対であった。やむなく開かねばならぬとしても、天皇がみずから裁断することに反対した。それは、天皇が裁断したとして、実際に守られないようなことが生じたら、君権にキズがつくことになり、皇祖皇宗に申し訳がたたぬ、というもの。

とは言っても、天皇は事前に詳細な報告を受けており、しばしば質問もしている。その上で御前会議に出席するので、その決定の外側に天皇が置かれていたわけではない。だが、法的には責任は一切ない。
では責任は政府にあるのか。これが実に曖昧であった。政府と、陸・海の統帥部は独立して天皇と結ばれていた。これら三つのものが、それぞれ責任を持ち、それぞれに対して責任を持たない。だから、最終の国家としての責任は、誰もが持ってはいなかった。いや、もてなかった。

近衛文麿は嘆いている。「・・統帥部の問題は、政府に全然発言権が無く、政府と統帥部を抑え得るものは、陛下ただ御一人である。・・・・平時には結構であるが、和戦いずれかという如き国家生死の関頭に立った場合は・・・・・・」
しかし、天皇は、開戦をめぐる四つの御前会議で、そのしきたりどおりに、終始“無言”であったのである。

結果として、この事実が天皇を戦犯にしなかった・・・・。
歴史はなかなか面白い。当然「会議」なので論戦すると思いきや、事実は違う。天皇はあらゆる事を心配して質していたが、結果として全て軍部に騙された(見通しの報告と、違った結果になった)・・・。

これを、天皇を社長に読み替えて、会社組織として考えてみると面白い。部下に騙された(約束を破った)事が発覚した時点で、社長は部下のクビを飛ばして再発防止を打つだろう・・・・。(今日の話は、ここまでにしておこう)

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2007年9月17日 (月)

混声合唱組曲「三つの山の詩」のテープを見つけた

石井歓作曲の混声合唱組曲「三つの山の詩」の、昔録音した音源テープを見つけた。(今回は、まったくの独り相撲だった・・・)

先日、「混声合唱組曲「三つの山の詩」を聞きたい」という記事を書いたら、「20年前のSONYのオープンデッキが動いた!」ということで、自分の記憶の通りにテープが見つかると、幻の曲?が聴ける事になったが、納戸のテープを色々と調べていたら、何とそのテープが見つかり、聞くことが出来た。
その音源がこれである。学生時代は当然金が無いので、この音は、某大学の混声合唱団の定期演奏会の録音テープを借りて、自分のオープンテープに、9.5cmのステレオの片チャンネルのみに録音したという、苦労の音である。

<石井歓作曲 混声合唱組曲「三つの山の詩」>~某大学混声合唱団 昭和41年(1966年)収録

(楽譜のPDFは(ここ))

この合唱曲は、(1)ともしび (2)まつり (3)別れ という、まさに3つの歌からなっている。
音は悪いが、特に最初の「ともしび」がしみじみしていて好きだな・・・。

この様な合唱曲は、歌うことが目的になってしまって、楽曲として「聞く」事はあまり盛んではないようで、残念である。
このような素晴らしい合唱曲を、「日本の文化」として音で残し、一般にも手に入るような状況にはならないものであろうか?
・・・・とここまで書いてネットで調べてみると、何と同じような主旨の活動があった。「日本伝統文化振興財団」という。その中に合唱曲もありCDも出ている

「三つの山の詩」のCDは無かったが、色々と昔の曲が買えるらしいので、“合唱曲を聞くファン”として、このサイトをじっくり見てみよう。

(関係記事)
混声合唱組曲「三つの山の詩」を聞きたい

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2007年9月16日 (日)

大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(2)

大峰千日回峰行を満行された、仙台の慈眼寺住職 塩沼亮潤氏の「心をこめて生きること」という講演を聞いた。場所は新宿のヒルトン東京。2時間弱の講演だった。
今日は昨日の記事の続きである。

<大峰千日回峰行~その2>・・・その1はここ
平成4年5月3日に入行し、平成11年9月2日に満行。その間、行きたくないとか義務的な気持で行をしたことは一日も無かった。
しかし、怖いことは幾らでもあった。500日を過ぎた頃から、朝、出立するときに戸を開けると、雷に遭うことが匂いで分かる様になった。とにかく雷が一番怖い。台風の時などは、長さ5m位の木がフワーッと浮いて山肌に突き刺さる。山頂付近では雨が鉄砲水のように落ちてくるので、腰ぐらいまで水に浸かりながら山をよじ登って行く。ツキノワグマに襲われた事もある。
お参りする神社や祠(ほこら)は、往復で118ヶ所。般若心経を唱える。
手を抜こうと思ったらそれは出来る。誰も見ていないのだから。でも人の目はごまかせても、自分自身の心はごまかせない。という。

<四無行(しむぎょう)>~平成12年9月28日から10月6日までの9日間。
四無行とは、8日間を断食、断水、不眠、不臥。つまり、食べない、飲まない、眠らない、横にならない。
非常に危険で死ぬ可能性があるため、入行前に「生葬式」の儀式。そして親族と共にお堂に入り、一人ひとりが別れを告げて出て行く。最後に付き添い2人と共に、3人で行がスタートする。
毎日午前2時のお水汲み、3度のお勤め。お不動さんの真言10万遍と蔵王権現の真言10万遍。
食事は3日前から断食をスタートしていたので、一番楽だった。眠気は、3日位で無くなったが、やはり午前0時から夜明けまでは、身体が辛かった。人間は夜中は寝る動物だと思った。
最も辛かったのが水。お小水は朝晩出ていたので、それ毎に体力が衰えていく。血液がドロドロで、少し歩いただけで心臓が踊るように脈打つ。そして5日目でうがいが許される。天目茶碗が二つ。一方の水の入った茶碗から水を口に含み、空の茶碗に移す。同じ量でなければ飲んだことになる。その時の水の味は生涯忘れられない。うがいの瞬間から身体がしゃきっとした。生き返った。これで大丈夫だと思った。という。(原爆で被爆した人も、水・水・・。人間が最も必要としているものは、やはり水らしい・・) 
その間、意識朦朧となっていて(死の淵まで行って)付き添いの僧に呼び戻されたり・・・。五感は研ぎ澄まされ、線香の燃えた灰が落ちるのまで分かる・・・・
この行で、体重は10K減った。1日1K減ったことになる。そして満行後は徐々に戻して10日目位には普通の食事になった。戻るスピードとしては非常に早かった。

(以上、講演と「大峯千日回峰行―修験道の荒行」より抜粋)

この講演を聞いて一番印象に残った言葉は何だろう? それは「感謝」という言葉・・・。
行は感謝の気持ちがなければダメだという。行をしてくれと誰かに頼まれたわけではない。それが出来る状況に感謝すること・・・。
そして、「人間はダメだと思ったらそこで終わり。自分ならできると自信を持つこと。絶対にあきらめないで、粘り強く。そして常に心を明るく持つこと」だという。

そして塩沼亮潤がこの本で書いている「行を通して学んだこと」は、
確かに追い込まれれば追い込まれるほど、人間というのは攻めの姿勢で行かなければいけない。どうしても人間というのは、精神的、肉体的に追い込まれると、どんどん自分で悪いこと、悪いことを考えていく。それで泥沼に入っていきます。でも現実を受け止めて、なるようにしかならん、どっちでもなるようになるんだと、すべてもうお任せするという気持が大事ですね。それで、なお攻めていく」(大峯千日回峰行―修験道の荒行 P120より)

苦しみの向こう、悲しみの向こうには何があるのだろうと思っていたが、そこにあったものは『感謝の心』ただひとつ・・・」(講演の言葉より)

まさに仏教の真髄を言っている。でも大阿闍梨が言うだけに、言葉は重たい・・・。

話が変わるが、昔NHK特集「永平寺」という番組で、食事を作っている僧に「栄養はどうですか?」とアナが聞いたところ、「栄養なんて言われても・・・。昔から決まっているので・・」と戸惑っていたのを思い出した。

この修験行もそうだが、数千年の歴史に裏打ちされた人間の生きる力の素晴らしさ、逞しさ。でも、それを生かし切れていない現代社会・・・。
人間、還暦を迎えても、まだまだやれる事はたくさんあるのかもね・・・・

(関連記事)
大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(1)

大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(3)

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2007年9月15日 (土)

大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(1)

大峰千日回峰行を満行された、仙台の慈眼寺住職 塩沼亮潤氏の「心をこめて生きること」という講演を聞いた。場所は新宿のヒルトン東京。2時間弱の講演だった。

8月2日朝のNHK「こころの時代~『修験の行』 慈眼寺住職…塩沼亮潤」という番組を見て、塩沼亮潤氏の事を知った。そしてネットで今日、講演会が開かれることを知って行ってみた。異質の世界を知り、色々と考えてしまった。

氏は、小学校5年生の時、NHKの比叡山酒井雄哉阿闍梨の回峰行の番組を見て感激し、自分も目指したという。そして東北高校を卒業して、1年間バイトで資金を貯めてから金峰山寺(きんぷせんじ)の門を叩いた。
回峰行は比叡山が有名だが、この奈良・吉野山・金峰山寺の千日回峰行は1300年間で二人目という。なぜ金峰山を選んだかというと、金峰山の方が距離も長く、厳しく、標高差もある。よって、楽だと思う方を選んだら一生後悔すると思ったので迷わず金峰山寺を選んだという。しかし、その修行の厳しさには言葉を失う。

<大峰千日回峰行~その1>
吉野蔵王堂(標高364m)から24K先の大峰山寺(同1719m)の往復。標高差1355m、往復48K。1年で120日間。それを9年間掛けて千日を満行する。歩く期間は5月3日から9月22日まで。この4ヶ月を行で過ごし、年末までの4ヶ月で衰弱した体を元に戻し、、年明け後の4ヶ月で体力づくりをする。
千日の前に百日回峰行というのがあって、最初の50日は片道。1日目は大峰山頂まで行って、そこの宿坊に一泊して次の日に帰ってくる。そして後半の50日は本番と同じ一晩で往復し、千日回峰に算入される。百日回峰行で試される。
毎日、滝で身を清めてから午前0時半に出発。(スタート時点で気温は3℃位。そして山頂は吹雪の時も。また奈良は5月中旬には30℃の時も。よって5~6時間の間で、30℃の温度差と、千メートル以上の標高差を体験する)
そこから真っ暗な山道を提灯ひとつで登っていく。午前8時半頃に山頂に到着。そして早い昼食。山頂で食べるのは、胃が弱っているのでお握り二つと水だけ。それから下りて、午後3時半頃に蔵王堂に帰ってくる。1日の睡眠時間は4~5時間。
ピンチは何度もあり、490日目からの10日間は下痢が止まらず、熱が39℃に上がり、何を食べても2時間位で出てしまう。それで水だけを飲んだ。それでも行く・・・。10日間で11K痩せた・・・・。(終わらないので、追って続きを書きます

今日の話は、内容的には前のNHKの番組と同様だが、何せ『生の声(講演)を聞きに行った』というのは、実は自分にとって初めの体験?であり、画期的な出来事なのである・・・・。
そして『なぜ行をするのか・・・。誰からも頼まれないのに、何のために・・・』を、もう少し知りたくなって、講演の終わった後に、場外で即売していた「大峯千日回峰行―修験道の荒行」という本を買ってしまった。(帰りの電車の中から読んでいるが、何か魅せられて来た・・・?)

最後の質疑応答での下記のようなお話が、印象に残った。
今後、仏教界にどの様な一石を投じるのですか?という質問があったが、そんなつもりは全く無く、自分の道を淡々と歩むだけだと答えた。しかし最近夢が出来た。年を取って死んで、あの世に行った時に、あの世のたくさんの魂の皆さんに、心を込めて何か良いお話が出来ると良いな・・・・と

(関連記事)
大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(2)

大峰千日回峰行の塩沼亮潤氏の講演を聞いた(3)

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2007年9月14日 (金)

「小鳩くるみ」が歌う童謡

Wikipediaで、元童謡歌手の「小鳩くるみ」(本名:鷲津 名都江=わしずなつえ)が、何と自分と同じ年であることを知った。そして、ロンドン大学大学院修士課程(MA)の学位を持ったマザーグース(イギリスで成立し伝承されてきた童歌)の研究では日本の第一人者の学者であって、現在は目白大学 外国語学部 英米語学科 教授であると知り、尊敬!!!?

Img_22711 昔の童謡歌手の中で、小鳩くるみは何か舌足らずで好きでなかった。それなのに、良く聞くようになったのは、いつ頃だったろう。レコードを初めて買ったのが1974年だ。26才の時か・・・(自分も小鳩くるみも)。その時「うたのおねえさん」というLPを買った。自分はその時以来のファンである。(写真はクリックで拡大)
なぜ好きか?第一に声が良い。クセの無いきれいな声・・・・。そして、素直な顔立ち・・・・
童謡歌手も色々いたが、どの人も大人になると、声が変わって、そして歌い方が変わって好きでは無くなった。唯一、由紀さおり(安田章子)を除いては・・・・
そして良い意味で変わったのがこの小鳩くるみだった。まずこの人のアルバムから、「月の沙漠」を聞いてみよう。透き通った良い声だ。

<小鳩くるみ「月の沙漠」>

「月の沙漠」
 作詞:加藤まさを
 作曲:佐々木すぐる
 歌 :小鳩くるみ

1)月の沙漠を はるばると
 旅のらくだが 行きました
 金と銀との くら置いて
 二つならんで 行きました

2)金のくらには 銀のかめ
 銀のくらには 金のかめ
 二つのかめは それぞれに
 ひもで結んで ありました

3)先のくらには 王子さま
 あとのくらには お姫さま
 乗った二人は おそろいの 
 白い上着を 着てました

4)ひろい沙漠を ひとすじに
 二人はどこへ いくのでしょう
 おぼろにけぶる 月の夜を
 対のらくだは とぼとぼと
 砂丘を越えて 行きました
 だまって越えて 行きました

ネットで調べてみると、やはりこの人はとっくに歌手を引退して学者生活をしているそうだ。自分の持っているLPは73年と75年の発売。よって、この透き通った声も、時期としてはまさに「うたのおねえさん」の時代、つまり25才位の時の声らしい。
レコードジャケットの写真も当然その頃・・・・・。

昔の童謡歌手がたまにテレビに出て歌うが、その歌が非常に危なっかしく、聞くに堪えない事が多い。しかし、この小鳩くるみだけは“若い頃の声のイメージ”のままで、心の中で大事にしておきたいもの。
その方が夢があるでしょう・・・・・? もうすぐ還暦を迎える「うたのおねえさん」だけど・・・。

(関連記事)
小鳩くるみの「花嫁人形」
NHKラジオ深夜便で語る「鷲津名都江(小鳩くるみ)さんの話

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2007年9月13日 (木)

Pink Floydと喜多郎のドラマー

ピンク・フロイド(Pink Floyd)のドラマーといえば、いわずと知れたニック・メイスン(Nick Mason)である。実は、自分はこのニック・メイスンのドラムスが大好きなのである。
自分の好きな演奏(スタイル・・)が「原子心母」にある。少し聞いてみよう。

<ピンク・フロイド「原子心母」から2ヶ所抜粋>

次に、喜多郎の「気」という初期のアルバムにある「空の雲」に出てくるドラムスを聞いてみよう。

<喜多郎「気」の「空の雲」>

この二つ。似ていないか???

ところで、何でニック・メイスンが好きかというと、変拍子だ。正確にリズムを刻むのとは別に、即興でスティックが自由に飛び回るような演奏・・・(「アット・ポンペイ」のDVDにある「吹けよ風、呼べよ嵐」では、本当にスティックが空を飛んだところが映っていたが・・・)

前に、Pink Floyd狂の同僚にこの部分を聞かせて、これと同じような演奏をするバンドを教えろ。と言った事があった。
そしたら、「こんなの、普通のありふれた演奏だ」と言いやがる。そしてイエスとかキング・クリムゾンとかを教えてくれたが、これらを聞いても自分は何かフィットしなかった・・・・。
だから「プログレッシブ・ロックが好きだ・・」の境地には、まだまだ達していないのである。なぜなら、ロックでPink Floyd以外は全く聞かないのだから・・・・。

でも、もし次の世に生まれたら“ドラムスを勉強するぞ!”と誓う?この頃である・・・・・
(この世の(今の)自分では、あんなにあっちこっちのタイコを自在に叩くことなんぞ、出来るワケが無いので・・・)
それと、「喜多郎のドラムスは、実はニック・メイスンが演奏していた・・」ナンテいうニュースは無いかな~? ある訳無いけど・・・

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2007年9月12日 (水)

NHK「歌謡コンサート」の生中継に行った

昨夜(07/9/11)、渋谷のNHKホールに、「歌謡コンサート」の公開生中継を見物に行った。カミさんが何回か出してくれた抽選がやっと当たったので。
40分も前に行ったのに、席は何と2階席の最後部。舞台からすり鉢状になっている席のまさに最後部で、後ろは壁・・・・。ちょうど1年前にも行ったが、その時はほぼ最前列だったのに・・・。まあ仕方が無いけど・・・・

Ts380141 当然舞台の歌手の顔など見えるワケもなし。もっぱら舞台の上に付いているモニターを見ていた。(左の携帯の写真は開演40分前の姿。当然本番では電源を切ったが・・・)
しかし、照明がきつい。オレンジ色の照明なので色が違って見える。紫色の着物が茶色に見えたり・・・。まあハロゲン灯の照明なので仕方が無いが・・・。(昔からカラースタジオの照明は、色再現性の良い電球(色温度3000°K)色と決まっているのだ)
そして、照明が強いので舞台全体が(人の目で見ると)ハレーションを起こして、白くボヤけて見える。カメラを通すと良い色具合だが・・・・。まあ観客のためというよりカメラのための舞台作りなので、これも仕方が無いが。(サングラスをかけるとちょうど良かったかも・・・)
でもまあ姿は遠くて見えなくても、音は良い。ある意味、素晴らしい“ステレオ”装置だ。(←これ、見えなかった負け惜しみ!)

そして何よりも、観客が“還暦以上”という年齢制限が掛かっていたとは知らなかった!?
とにかく“お婆さん”と“お爺さん”ばかり。還暦前の自分など、観客の中では若輩者さ・・・。
自分の左の席は、拍手がすごいお婆さん。右の席もお婆さん。どちらも一人で来ていた。その向こうは老夫婦。その奥さんが、鳥羽一郎のファンらしく、鳥羽一郎が出ると立ち上がって大騒ぎ・・・。後ろが壁なので誰にも迷惑を掛けないから、良いけど・・・
そして何と、色の付いた懐中電灯を振っている人もいる。若い人のギャーピー(失礼)を笑ってなんかいられない。まさに老人会がフィーバーしているようだ。(失礼)
司会者が「10回以上来た人」と聞くと、かなりの人が手を挙げる。そうか、ここは常連さんのショーなのだ。(だから今まで抽選で当たらなかった・・?)

おっとっと。少しは歌の話もしなければ・・・。
曲は、森進一の「港町ブルース」からスタート。歌手はさすがにプロである。とにかく安心して聞いていられる。前に「プロ歌手とアマ歌手との境目」という記事を書いたが、プロの歌は“安心して聞いていられる”ことが、プロとアマの違う点かもしれない。

そしてトワ・エ・モアが出た。前に上記blogで書いた白鳥英美子も目撃した。もっとも姿だけ・・・(幾ら視力1.5を持ってしても、顔の判別は不可能だ・・)
そして、歌った「誰もいない海」は昭和45年の歌だという。自分が新入社員だった時だ。

20時43分で放送が終わった後は、アトラクション。まず指揮の三原綱木にマイクを向けたら「ドジっちゃった。ハハハ・・・」と言う。最後の曲で、本当はワン・ツーで出るのを間違えたという。(気が付かなかったが・・)
このバンドは優秀なので、それにもめげずちゃんと演奏したのだという。バンドの人に謝っていた・・・。でもハハハで終わった。
その後に3人の歌手が1曲ずつ歌った。大月みやこ、渥美二郎、田川寿美が出てきたが、本番の後のせいか、皆リラックスしてお喋りを楽しんでいた・・・

でも、まあまあ楽しめたな。
NHKで一番人気があるという公開生中継に行ったわけだが、どうも自分のような若輩者が行くものではないと悟った。
今回は、行く時は渋谷駅のハチ公前からバスに乗って行き、帰りもバスで帰ったので体は楽だった。お疲れさま。

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2007年9月11日 (火)

軒下借りて母屋を乗っ取った?話

当サイト「エムズの片割れ」が、親のサイト(当サイトの名前の由来)である「クラフト☆ギャラリーM's(エムズ)」を、アクセス数において超えました!

2007年9月11日 17:30現在 

クラフト☆ギャラリーエムズ  27,341(05/3/11スタート)
エムズの片割れ        27,343(06/6/ 1スタート)

それで、本家の「エムズ」さん(←ウチのカミさん)が「軒下を貸したら母屋を乗っ取られた」と言って騒いでいます・・・・!
しかし、「エムズ」さんに乗っ取られたと言われても、「クラフト☆ギャラリーエムズ」にリンクのアイコンを置いたのは、07年6月30日の事であり、ほとんどがエムズさんに内緒で書いていた頃(06年6月~07年6月)に稼いだ?カウントなのです・・・・。

しかし、当サイトはスタートが親から1年3ヶ月も遅いのに、スタート後1年3ヶ月余で親に追い付きました。(自分もこれほど記事を書くとは、想定外ですが・・・)

まあサイトの性格上、写真主体(HP)の「クラフト☆ギャラリーエムズ」と、文字主体(blog)の「片割れ」の違いから、原理的にGoogle等の検索に引っかかる確率が違うので、この勝負は何とも言えません。
でもまあこれからも、その差は開く一方でしょう。(ニタリ・・・)

ともあれ、いつの間にか、何となく自分の趣味の一つになってしまった「エムズの片割れ」。
まあ今後も何となく続けて行きますので、出来たらお付き合いを・・・(見えぬ読者殿へ!)

<捕捉>
片割れクンも、もう少しで還暦を迎えます。しかし片割れクンのサラリーマン生活は、取りあえず、数年の延長戦に突入することになりました。よって、しばらくは同じスタンスで書いて行きますのでよろしくお願いします。

<付録:「エムズの片割れ」の語源>(~本サイトのプロフィールより)
カミさんから毎週更新させられているHPの名前が、「クラフト☆ギャラリー M’s(エムズ)」といいます。(メンテは全て自分・・・)
http://emuzu-2.music.coocan.jp/index.html

そして、M’s(エムズ)の語源は、自分のイニシャルの「M」とカミさんの「M」、及びメイリーの「M」の“三つのM(=Mの複数形)”という意味で「M’s(エムズ)」
*メイリー=我が家のマスコットガールの犬の名前=ヨークシャテリア

自分が、そのHPを作っている一員(=“片割れ”)なので「エムズの片割れ」という訳です・・・。

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2007年9月 9日 (日)

NHKドラマ「蔵」のサントラ

今日は、12年前(1995年)のNHK金曜ドラマ「蔵」のサントラの紹介である。このドラマはNHKの歴史に残る名ドラマであったが、深草アキの作曲・演奏であるサントラもまた心に残った。
原作はもちろん宮尾登美子であり、その宮尾登美子がCDの巻頭に「美しくも悲しいこの旋律、どうぞあなたの胸の奥ふかく、しっかりととどめてください。」という言葉を寄せている。
またCDの解説には大山勝美という人が「『魂をゆすぶられる音』を久しぶりに耳にして、私は胸をときめかし感動した」と書いている。
少し聞いてみよう。

<NHKドラマ「蔵」エンディングテーマ>

<同じく「蔵」より「賀穂」>

自分がこのCDを知ったのは、96年6月24日付の、「ドラマ『蔵』の音楽で注目~秦琴(しんきん)で深草アキが公演 26日赤坂で」という新聞記事であった。その新聞にはこうある。
プログレッシブ・ロックバンドのベーシストを経て、16年前に中国の古楽器である三弦の秦琴と出合った。今では、『まず楽器ありき。僕の存在はその後。弦に指がなじんで、よく鳴ってくれるようになった」と言うほど、独自の世界にのめり込んでいる
この秦琴という独特の音色・・・・。それがドラマに非常にマッチしている。
秦琴という不思議な楽器は甘く切ない音色を響かせる。もともとは古代中国の楽器だが、それを古道具屋で見つけ、独特の音が出るように組み立て直したのは深草アキである。したがって秦琴は、中国の楽器というより、深草アキの手によって現代的に生まれかわった日本の楽器といえよう」(CDの解説より)
写真で見ると、秦琴はギターというよりバンジョーの様な格好をしている。

しかし、自分独特の音を作り出し、それにマッチした音楽を作り出す音楽家。シンガーソングライターとは良く言うが、深草アキのような音楽家は何というのだろう・・・
日本は世界に冠たるコンテンツ(音楽・芸術・・・)王国だという。この様な音楽が聞ける日本に生まれて、ラッキーだったよね。

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2007年9月 8日 (土)

サラリーマンの効率とは?~女性部長以上数ベスト10

NHKスペシャル「人事も経理も中国へ」(07/9/3初回放送)を見て、唸ってしまった。色々と、昔を思い出して・・・・

この番組では、ニッセンの総務・経理の業務を中国大連に移す3ヶ月間の、現場での苦悩を密着取材していた。
会社トップから業務を中国へ移すとの話が下りたときの現場の人の戸惑い・・・。たぶん心の中は「ふざけるな!」だったろう・・・。
何故か?自分達のやってきた仕事を否定された。プライドずたずた。今までの自分達の仕事は何だったのだ・・・
しかし、コストで@5500円/時(1ヶ月160Hとして88万円)が@750円/時(同12万円)を提示されると、もう勝負あり・・・・。

中国は上海・大連を中心に、昔の占領時代の事を背景に、日本語を話す人がたくさん居る事を武器に、日本語熱が高く(日本語が出来ると給料が2~3倍)、日本の仕事を取り込んでいるという。もう仕事を求めて人が動くのではなく、人を求めて仕事が動く時代だという。

自分も、昔このような“改革”をした事があったが、最大の抵抗が「プライド」だった。この番組でも出てきたが「自分がやってきた仕事は誰にでも出来る仕事ではない。やれるものならやってみな・・・・」。そうして時間を失して不幸な状態に突き進む・・・・。
ニッセンでは、中国への移管で人を減らすことはしない。しかし「自分の仕事は自分で探してくれ」という方針だったそうだ。つまり、自分の労働生産性=自分が居ることでの会社としての付加価値を、各人に問うている。これほど残酷なことはないが、実は当たり前の事なのである・・・。そして会社を辞めていく経理の人、新たな資格を取って転換を図る人・・・・。
しかし結果として、そのわだかまりを打ち破ったのが、中国の人の仕事への熱心さ・素直さ・ひたむきさ・・・にあったのには、合点が行った。

2~3年位前だったが、派遣会社の新入社員の数十人と話をする機会があったが、その時も中国・韓国等の外国人の熱心さと、それに対する日本人のノー天気さの格差に愕然としたものだった。
中国の一人っ子政策で、両親の“全て”は一人の子供のためにあり、その恩を両親に返す責任を負った中国の若者の仕事への情熱・・・。それを前に、日本人は到底勝ち目がないように思われる。
今後日本人は、世界規模で「自分のやっている仕事の価値」を各人が自覚し、それを世界のフィールドでも通用する“価値ある仕事”に高めて行かないと生き残れないだろう。

話が変わるが、先日(07/9/7)の日経産業新聞に「女性管理職数(部長級以上)ランキング」が載っていた。

①日本IBM      162人
②三菱UFJ信託銀行  55人
③東京電力       51人
④松下電器       44人
⑤NEC          34人
⑥東芝          32人
⑥イオン          32人
⑧UBS証券       31人
⑨西友          29人
⑩ファイザー       24人

との事。
(厚生労働省の06年賃金構造基本統計調査によると、民間企業の部長以上に占める女性の割合は、前年比+0.9%の3.7%だという)

若い人には“何でもあり”で、ぜひ自分達の仕事が他に奪われないように「価値」を意識して働いて欲しいし、自分的には“何でもあり”の女性管理職の下で働けなかった事が大変に心残りではあった。(←これウソ)

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2007年9月 7日 (金)

小川寛興作曲 交響曲「日本の城」

今日は、日本の誇る?交響曲である小川寛興作曲の交響曲「日本の城」の紹介である。

Scan1030311 今朝は、昨夜の台風の影響で中央線が7割のダイアで、電車に座れずに参った。つくずく“老人”にとって、座って通勤できないと体力が持たないことが良く分かった。ともあれ、今朝は珍しくMP3に録ってあった小川寛興作曲の交響曲「日本の城」を聞いた。
よって、フト思い立ったのでこの曲の話を書いてみる。

自分がこの曲を知ったのは、大学3年(1968年)の時だ。学生時代、唯一クラシックを聴いていた友人からこのLPを借りて聞いた。
その曲が、1998年にCDで復刻したのを知り、買ったのがこれだ。

Scan1030312 この交響曲は、明治百年を記念してキングレコードが企画して小川寛興氏が作曲し、それを外山雄三/日本フィルの演奏で録音したもの。
小川寛興といえば、倍賞智恵子の「さよならはダンスの後に」で昭和40年の日本レコード大賞の作曲賞を受賞した作曲家だ。(外山雄三は自分が第九を歌ったときの指揮者だ)

この交響曲は、日本の伝統楽器を使って、「日本の城」を映画音楽のように目に見えるように表現した名曲だと思う。
そのサワリだけを順に聞いてみよう。

<小川寛興作曲 交響曲「日本の城」>
(第1楽章 築城)~箏

(第2楽章 天守の城)~尺八

(第3楽章 戦いの城)~龍笛

(第4楽章 炎の城)~琵琶・胡弓

(第5楽章 不滅の城)

この様に、ベートーヴェンやマーラーだけでなく、日本にも交響曲の名曲は存在するのである。
CDの帯にも「海外でも圧倒的評価を獲得した名盤の復刻」とあるが、もし自分に海外でクラシックが好きな友人が居たら、多分このCDをプレゼントしていたかもね・・・・

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2007年9月 6日 (木)

「非正社員数ベスト10」と「残業の少ない会社ベスト10」

今朝(07/9/6)のNHKニュースで「今年度の日本新聞協会賞の編集部門に、NHKスペシャル「ワーキングプア」が選ばれた」と言っていた。

曰く「去年7月の1回目の放送では、非正規雇用を転々とした末に路上生活に転落した都会の若者や、景気回復に取り残された地方の自営業者や農家などの実態を、本人たちの悲痛な訴えとともに伝えました。・・・

この番組は自分も見たが、非常に印象的な番組で、特に非正社員の苦しさが記憶に残っている。
そういえば、先日(07/8/31)の日経産業新聞に「非正社員数ランキング」が載っていた。
それによると、

①ヤマト運輸      69,277人
②イオン         60,622人
③イトーヨーカ堂    32,985人
④デニーズジャパン  22,842人
⑤ユニクロ        22,786人
⑥ユニー         22,100人
⑦セブン-イレブン
     ・ジャパン   16,222人
⑧オリエンタルランド 16,212人
⑨西友         14,201人
⑩イズミヤ       13,973人

だそうだ。
非正社員とは、アルバイト、パートタイマー、嘱託、契約社員、派遣社員などを指し、一番多かったヤマト運輸は、正社員を加えた全社員数でもトヨタ自動車を上回って最多だったという。
(なお、厚生労働省の労働力調査によると、06年の非正社員数は1677万人で、全雇用者の33%だそうだ)

1/3が非正社員・・・
この数字をどう評価するかは非常に難しい。
「主婦やフリーター、学生など幅広い層に雇用機会を創出している」という評価もあるし、一部の正社員が、ご都合主義(仕事の量に合わせて)で簡単にクビに出来る非正社員に頼っているとも見える。
逆に、公務員を筆頭に、一旦就職すれば身分保障され、ほぼ無風状態で給料が貰える・・と揶揄される職業もある。

しかし、正社員と非正社員の待遇面の格差は絶大である。自分も、前に多くの派遣社員と話をした事があるが、前向きな理由、つまり「一社に束縛されたくないので」とか「自分の適性をはかるために、意識的に色々な経験を積むため」といった理由で派遣会社員になっている人は非常に少なく、実態は“正社員に採用されなかったので仕方なく・・・”であった。

企業側からすると、これは大変便利な仕組みではあり、ある意味、“能力見合いの仕組み”とも言えるため、否定も出来ない。(能力のない正社員を抱えた時の企業の苦しみ(簡単にクビに出来ない)は、それはそれで大変なのである)

ついでに、先日(07/9/5)の同じく日経産業新聞に「残業の少ない会社ベスト10(年間所定外労働時間ランキング)」が載っていた。それによると、

①スター精密        7H
②ミズノ           17H
③ユニクロ          18H
④東洋ゴム工業      20H
⑤岩谷産業        24H
⑤タカタ           24H
⑦セガサミーホールディングス   32H
⑧ミレニアムリテイリングGr    33H
⑨アシックス        48H
⑩高島屋          60H

なお、厚生労働省によると、常用労働者30人以上の事業所の所定外労働時間は06年で155時間だったという。
この数字が意外だ。そんなに少なくない気がするが・・・

企業は原理的に残業が多いほど効率は上がる。(社会保険料等は変わらない為、増えるのは人件費のみ)
そして、労働基準法の制約の中で、何とか法定時間をオーバーしないように苦労しながらギリギリ(法定内の最大=文殊の知恵を絞っても年間1000H)で動いているのが日本企業の実体ではなかろうか。

まあ自分にとっては、現役の頃の思い出話だが・・・。(負け惜しみ?)

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2007年9月 5日 (水)

仕事と給与のバランス~高給与会社ベスト10

昨日(07/9/4)、伊藤忠商事元会長の瀬島龍三氏が95歳で亡くなったと、各紙に報道されていた。瀬島氏は、陸軍大学卒業後、参謀本部作戦課という最優秀の人材を集めた部署に配属され、その後大本営参謀としてガダルカナル戦の撤退等を担当。終戦時は、関東軍参謀としてソ連に抑留された。11年の抑留後、伊藤忠商事に入社。副社長、会長を歴任して、伊藤忠商事を一繊維商社から世界的総合商社に脱皮させた立役者と言われている。
また、山崎豊子の「不毛地帯」のモデルでもあり、自分もこの人については、昔から知っていた。

ところで本題だが、商社の給与は非常に高いらしい。(ほとんどの人は関係無いけど・・・・)
先日(07/9/3)の日経産業新聞に「正社員平均年間給与ランキング」が載っていた。それによると、

①三井物産      1435万2千円
②三菱商事      1423万4千円
③住友商事      1402万5千円
④電通         1335万9千円
⑤伊藤忠商事     1279万8千円
⑥新日鐵エンジニアリング 1228万円
⑦大和證券Gr本社  1187万7千円
⑧丸紅          1177万5千円
⑨新日本石油     1167万7千円
⑩メタルワン      1167万2千円
(三菱商事と双日が共同出資する大手鉄鋼商社)

だそうだ。
大手商社が上位を独占しているのは、海外出張が多く、時間的な拘束や語学力を求めることを背景に、社員のリスクや能力に高給で報いているのだという。
(なお、総務省がまとめた2006年度の労働力調査によると、年間平均給与が1千万円以上の正社員は、126万人で、全正社員の3.6%だそうだ。)

これらの高給与を羨ましいと思うのが普通だが、自分にはどうもそう思えない。当然、給与と仕事の厳しさは連動している。世界の果てにたった一人で暮らす商社マンが高給なのは、まあ当然かも・・・

毎年の正月、1970年入社の同期会があるが、皆既に現役を離れ、“サラリーマン生活の総決算”が顔に出て来ている。出世のトップを走って、非常に高い地位まで上り詰めたが、近況報告では病気の話ばかり・・・という友人。一方、共稼ぎで、働き盛りの時にも堂々と長い連休を取っては世界中の山を登っていた同期は血色も良く、昨年は海外の何とかという山に登った・・・という話をする。
サラリーマンを終えて、どちらがハッピーだったかは分からないが(もっとも“出世”は自分で決める事ではないが・・・・)、色々と考えてしまう。

でも少なくても自分は会社選びで、“高給だけど嫌いな仕事”よりも、“給料は安くても好きな仕事”を選んだ。学生時代オーディオに凝っていた自分は、入社試験の面接で「俺はステレオをやる」と宣言して合格し、その後それを反古にして民生用でない産業用システムの道を選んだっけ・・・。(もし趣味の延長で本当にステレオをやっていたら、とっくに仕事を失って(事業撤退)社内で流浪の民になっていたな・・・・)
まあ人生、何がハッピーか分からないが、低給料(?)でも定年まで来る事が出来たことで、良しとしようか・・・。

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2007年9月 3日 (月)

iPodのコスト構造~垂直統合と水平分業

今朝(07/9/3)の日経(P5)に「選択はiPodから亀山まで~国際分業の隠された真実」というコラムがあり、興味深く読んだ。
それによると、完全なブラックボックス化を図る垂直統合型のシャープ亀山工場と、その対極にある完全な水平分業型のアップルを紹介していた。

シャープは、製造技術やノウハウが競争相手に渡さないように外部への情報漏洩を完全に遮断。装置の配置はもちろんダクトの形状、パイプの太さなど全てが秘密。そして、数少ないオペレータには、その防塵服に大きなゼッケンを付け、担当部署から不用意に離れて、余計な所に行かないか、監視カメラでゼッケンをチェックしているという。
他社から購入する部材は、隣接して立地している企業から調達。まさにコンビナートの垂直製造体制だ。

その対極にあるアップルは、製品のコンセプトや設計は手がけるが、製造は100%専門のEMS(電子機器の受託製造業)に任せる。競争力の源泉を斬新な製品企画やデザインに置き、製造のコストダウンは委託先に任せてマーケティングに励むという完全水平分業体制・・・。
その製造原価の構造が面白い。
30Gの第五世代iPodを例に取ると、

定価     299$(34,684円)(1$=116円として)
中国のEMSのコスト(原価)は、144$(16,705円)
よってアップルの利益は、299$-144$=155$(17,980円)=52%
(日本での量産品の製造原価は、昔の“定価”の1/3位が普通だったので、まあ妥当か?)

部品数 451個
一番高い部品は東芝製HDD 73.39$(8,513円)
(海外生産のため東芝の付加価値は19.45$(2,256円)
全体の日本メーカ(部品)の付加価値は、26$(3,0162円)
(~予想よりも少ないな・・・)

つまり、中国から米国への輸出単価は@144$(16,705円)だが、部品を海外から購入しているので、中国の実質の対米黒字額は組み立て分の@4$(464円)程度に過ぎないという。
こうした実態を見ると、中国の膨大な対米黒字も表面的な数字とは異なる実態がありえる、と指摘していた。
それにこのコラムの結びがきつい。
バブル崩壊で疲弊した製造業の建て直しのひとつのキーワードが国内立地でブラックボックス化。戦略部品から一貫体制という。しかし、このキーワードがどの企業、どのモノ造り産業にも当てはまるわけではない。・・・・ノウハウで固めた垂直一貫体制も強調し過ぎると、iPodやiPhoneを発想できなかった負け惜しみの国内篭城のように映る
(←こんな事は当たり前なのだが・・・)

日本の製造業は、バブル崩壊と共に、世界最高(?)の賃金の日本から逃げ出してアジア諸国、そして台湾・中国に移った。(それでどれだけの日本の雇用が失われたろう・・・・)
しかし、シャープは新たな垂直統合型のビジネスモデルで、製造を国内に呼び寄せた。日本の製造業はどこも、何とか高機能・高品質をキーワードに悪戦苦闘中なのである・・・。
しかし、目を部品に転じると、日本の実力は圧倒的である。

<日本製部品の世界シェア>(07/8/10日経P13「ヒットは部品で創れ」より)
・セラミックコンデンサ~村田製作所(38%)、TDK(20%)、太陽誘電(18%)、京セラ(10%)
・リチウムイオン電池~三洋(30%)、ソニー(30%)、松下電池(17%)
・水晶部品~エプソントヨコム(24%)、日本電波(21%)、京セラキンセキ(13%)、大真空(10%)
・振動モータ~シコー技研、日本電産コパル
・コネクター~ヒロセ電機、SMK
・アンテナ~日本アンテナ、原田工業
・プリント基板~イビデン、日本CMK、フジクラ
等々

日本の世界における携帯電話のシェアは7%程度。しかし、端末を開けると様相は一変。上記のように、(高い日本のユーザ要求で培われた)日本製部品の独壇場であるという・・・。(まだまだ日本は元気だぞ・・・・)

日本の製造業・・・。
今朝の新聞の“冷やかし”にもめげずに頑張って欲しいものだ・・・(自分はもう卒業なので・・・)

(関係記事)
06年のシェア(市場占有率)

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2007年9月 2日 (日)

太平洋戦争を考える(4)~東京裁判

NHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判・知られざる攻防~」(07/8/14放送)と、同じくNHKスペシャル「A級戦犯は何を語ったのか~東京裁判・尋問調書より~」(07/8/13放送)を見た。

(日本史大嫌い人間(=自分)が、還暦を前に勉強中?なのである。しかも、TV番組をきっかけに少しでも知ろうかと・・・)
盆休みに録り溜めたNHKの戦争特集番組を少しずつ見ている。今日は、上の二つの番組を見た。極東国際軍事裁判(東京裁判)について、インドのパール判事の少数意見についての経緯・背景・活動の番組と、アメリカ国立公文書に眠っている巣鴨プリズンでのA級戦犯の尋問調書から戦争責任を問う番組である。どちらも、まさにNHKでしか作れない重厚なドキュメンタリー番組である。

パール判事の番組の方が印象が強かったので、少し書いてみる。東京裁判は戦勝国が敗戦国を裁くという構図だったため、最初から結論ありきではなかったかという論があるが、経緯の文書から見る限り、裁判崩壊の危機があったほどで、舞台裏では大変な駆け引き、議論があったとして、“結論ありきではなかった”としていた。
そしてパール判事は、少数意見として全員無罪を主張したが、これは決して日本を擁護するためでなく、極東軍事裁判所条例(裁判憲章)の「平和に対する罪」および「人道に対する罪」は後から作られた法律であり、法律は遡っては適用されない、という原則に基づいた解釈である事を言っていた。

これらのパール判事の主張は、まさに国家の都合を背景にしたスタンスではなく、法曹としての正義に則った姿勢であり、頭が下がる。

そしてこの裁判は、二度と戦争を起こしてはならない。という全員の思いが全体を貫いていた、とも言う。もしそうだとすると、この理念は非常に気高いものの、その後の数々の戦争の現実との乖離が理解できない。もっと勉強が必要だ。

しかし、その結果として我々は世界に誇る(パール判事にも誇る)平和憲法を手に出来た訳で、結果的にはラッキーだった?
しかし、日本史大嫌い人間には、まだまだ分からないことが多い。
日本は、ヨーロッパ諸国のマネをして資源確保の為にアジア諸国を侵略した。とすると、その前に欧米諸国がアジア諸国を植民地にしていたのは、侵略でなくて何だったんだろう・・・? それらで行った侵略・犯罪行為は、罪にならない?(勝つと官軍??)
また、戦勝国が敗戦国を裁く。という仕組みも理解できない。敗戦1週間前に宣戦布告をしてきたソ連がそれに加わっているのも何か解せない。また、もし日本が仮にアメリカに勝ったら、日本がアメリカを裁判で裁く??? 何か変だ・・・
日本を戦争に駆り立てた責任者(東条英機等)を罰することは、庶民として自然に理解できるが、その法的根拠となると、勉強不足だな・・・(パール判事は全員無罪としたが・・・)

ともあれ、今日の番組で、満州事変から敗戦まで、陸軍の暴走を止められずにズルズルと戦争に走った日本の姿が随所に出ていた。(陸軍の暴走を追認して予算を認めた広田弘毅・・・)
このあたりをもう少し勉強してみよう。(NHKとともに?!)

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2007年9月 1日 (土)

映画「名もなく貧しく美しく」を見た

映画「名もなく貧しく美しく」を見た。これは(07年)8月19日夜、NHK BShiで放送されたもの。
この映画の題名は昔から知っていたが、内容は知らなかった。しかし、ビデオの再生ボタンを押してそのまま見てしまった。それだけ引き込まれた・・・・

この映画は実話に基づいて作られたという。昭和36年(1961年)の作品で、松山善三の脚本・監督。主演は高峰秀子と小林圭樹。(この当時の小林圭樹といえば『サラリーマン出世太閤記』だな・・・・失礼)
この映画には、自分の子供の頃の風景が次から次に出てくる。(なつかしい・・・)

聾唖者の秋子(高峰)は、乞われてお寺さんに嫁に入ったが、夫が亡くなったので実家に帰される。聾学校の同窓会で知り合った片山道夫(小林)に結婚を申し込まれ、弱い者どおし助け合って生きていこう、と結婚。やがて子供が出来、悪戦苦闘して育てる。そして最後に、聾唖者ゆえの悲劇・・・
何とも切ないストーリーだが、日本の純愛物語の傑作ではないか?
貧しい中で、ただただ必死に生きる聾唖夫婦。それを助ける秋子の母。その対岸に、賭け事に凝る刑務所帰りの弟と、聾唖者の妹を持つ事を恥として、家出をして中国人の妾をするバーのマダムの姉を配し、明と暗とが浮き彫りにされる。そして聾唖の両親ゆえにいじめられて屈折して育つ子供・・・・。何とも切ない・・・・。特にラストシーンの悲劇が何ともやりきれない・・・。実話が背景にあるので、ハッピーエンドにはならなかった??

この映画の底に流れているのは「聾唖者に対する偏見」。それが自分の胸にもチクチクと突き刺さる・・・
今はどうなのだろう。偏見は無いか?
そう言えば、前に会社の食堂で手話で話す人達がいたっけ。「障害者雇用促進法」で一般企業では1.8%の雇用が求められているが、その実体はどうだろう・・・。

この映画は、自分の右耳が故障している事もあり(前にblog「耳が壊れた話」を書いた)、耳の聞こえない悲しさが良く分かる。(まったく聞こえないのと、少し調子が悪い・・・のでは、事情は100%違うが・・)

この映画は、50年近く前の映画だが、時代の差は全く感じられなかった。
幾ら古くても、この様な永遠のテーマを持った、いわゆる名画は永久に残る。
その内にリタイアしたら、ゆっくりと順番に見て行きたいものだ。名画(世に残る映画)には「何か」がある・・・と思うから。
ともあれ、夫婦の愛、世間の偏見、子育ての悩み・・・と、色々と考えさせられた映画だった。

(付録)
(自分が“良かった”と言ったので)後から見たカミさんの評~
心に残ったセリフは、秋子の「世間の人は、同情はしてくれるが、理解はしてくれない・・・」
それと、同居している秋子のお母さんの愛・・・・。自分の指輪を売ってミシンを買ってあげたり、道夫が内緒で義弟にお金を貸した時に「給料を落とした」と言って夫婦間が険悪になる場面があったが、タイミング良く、間に入って取りなす所など、ホッとする場面が幾つかあった。(障害者だけで暮らすことの難しさ・・・)

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