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2007年7月の27件の記事

2007年7月31日 (火)

パーシー・フェイスの「シンシアのワルツ」

ちょうど社会人になった頃だったろうか、いわゆるイージーリスニングに凝ったことがある。アルフレッド・ハウゼのコンチネンタルタンゴから始まり、パーシー・フェイスやフランク・チャックスフィールド、ポール・モーリア、そしてスタンリー・ブラックやエドモンド・ロスのラテンまで・・・。

中には放送で聞いていて、“これは良い”と思って何とかレコードを手に入れようとするが、曲名が分からなくて困ることもあった。
そのように苦労して手に入れたレコードで思い出すのが、パーシー・フェイス・オーケストラの「シンシアのワルツ」である。
この曲の場合、放送している音楽の断片を、あわててテープに録ったが曲名が分からない・・・。(最近では、ネット経由で、コンピュータが音楽の断片を判断して曲名(CD)を教えてくれるサービスがあるらしいが・・・)
それで、たまたま山口放送のアナウンサーをやっていた友人がいたので、テープを送って曲名を尋ねた事がある。それで教えてもらったのが、この「シンシアのワルツ」なのである。もちろん直ぐにドーナツ盤を買った。

Scan102921 改めてこのEP盤の解説を読むと、「1954年にグランツベルクが作曲したもので、映画『ア・プリンス・フォー・シンシア』の挿入歌」という事だ。
録音は、1954年4月5日で、オーボエのソロは、何とあのミッチ・ミラーだという。何と53年も前の曲である。少し聞いてみよう。もちろんモノラルである。

<パーシー・フェイス「シンシアのワルツ」>

久しく会っていないが、昔、結婚式の司会までさせた(この曲名を教えて貰った)Y放送のEアナを思い出すな~(もちろん今は“現役アナ”ではないが・・・・)
まあ還暦を前にすると、色々と感傷的になるこの頃ではある。

(追:2016/08/15)
ステレオの音源も手に入ったので、聞いてみよう。

<パーシー・フェイスの「シンシアのワルツ」(ステレオ)>

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2007年7月30日 (月)

私のふるさと(龍ヶ崎)紀行

私のふるさとは、茨城県の南部、龍ヶ崎市である。脱出してから40年以上。今回は久しぶりの、(まだ実家がある)ふるさと龍ヶ崎巡りである。
(「龍ヶ崎」が正式地名で「竜ヶ崎」は略字、という事は分かっているが、Google/Yahoo!で「龍ヶ崎」と「竜ヶ崎」を検索してみると、「龍ヶ崎」47万/37万、「竜ヶ崎」39万/31万で、拮抗している。どうもネットの検索では「龍」と「竜」は別のようだ)

1) 龍ヶ崎小にまだ「二宮尊徳の像」があった
約50年前に卒業した龍ヶ崎小に行ってみた。昭和33年4月に5年生に編入して昭和35(1960)年3月に卒業するまで2年間居た。現在の校舎には、まるで昔の面影はない。玄関も分からない。職員室らしい正面の古い建物に、古さを隠すように、ただ花だけが咲き誇っていた。昔ゴム飛行機を飛ばした校庭も狭い。もちろん建物は全て建て替えられているため、分からない。

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しかし唯一「二宮尊徳の像」が残っていた。昔の面影を残しているのはこの像だけだった。裏を見ると昭和13年1月1日とある。まさに自分も生まれていない戦時下である。
何故か、昔の龍ヶ崎小の写真を見たいな・・・・と、懐かしくなった。

2) 奇特な歯医者さん
龍ヶ崎西小学校の左隣にある「藤橋歯科医院」には助かったと、実家の母が言う。聞くと、入院していた(同居の)90才の伯母が、一時帰宅の2泊の間に入れ歯を修理してもらえた。しかもわざわざ日曜日に家に来て、入れ歯の噛み合わせ調整までしてくれた、と感激していた。殺伐とした現代でも、中には奇特な歯医者さんが居るものだと思って、どの様な医院か見に行ってしまった。
P10004431 不思議な歯医者だ。田んぼの中にポツンと一軒。道路に面している訳でもなく、普通の家の庭先で歯医者をやっている感じ。店という感じがない・・・。(写真の右端の建物が竜ヶ崎西小学校)

実家の母と同居している伯母が、入院中に付けられた手のグローブを外そうと歯でガリガリやった結果、入れ歯の上の前歯が3~4本取れた。これから老健に移るので、歯医者どころではない。困った母が、10年前に入れ歯を作った藤橋歯科医院に伯母の当時の診察券をもって相談に行ったら、とにかく入れ歯を持って来い、と言われ、土曜日の夕方に、一時帰宅した伯母の上下の入れ歯を外して持って行ったという。そしたら何と次の日曜日の夕方に、その入れ歯を修理して、自宅まで噛み合わせ調整に来てくれたという。そして半分ボケている?伯母を相手に、自宅の掃除機を使った歯の削り治具を使って調整してくれたとか・・・・。
土日を潰して突貫で修理してくれたり(普通は歯科技工士がやる?)、普通の医者なら、医院に来ないと到底やれない噛み合わせ調整を、出張してやってくれたり・・・。都会では信じられない話を聞いた。田舎ならでは・・・・の話かも?

3) 珈琲工房「ジャマイカ」
中学校の同級生が、まだ(失礼!)喫茶店をやっているというので行ってみた。卒業後40数年も経つのに、顔を出すと覚えていてくれて、直ぐに名前を言われと、“やはり龍ヶ崎は故郷だな・・・”と思う。(たった8年しか居なかったが・・・)

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竜ヶ崎駅前交差点から数軒先の珈琲工房「ジャマイカ」。開店31年目という旧市街では希少価値の喫茶店。
ご夫婦で経営されていて、店の玄関には奥さんが作られたという花が咲き誇っていた。店の間口は狭いが、奥が深いので、席は30~40席位あるだろうか。「新しい店ですね?」と聞くと、8年前に建て直したとか・・・。また駐車場も2台分あった。
朝は、東京に通っている人向け?にモーニングサービスで6時過ぎから開店し、夜は8時まで“原則”(何か無い限り)年中無休とか・・・・。毎日ヒマだとか言っていたが、常に拘束される生活は、サラリーマンから見ると尊敬に値する??

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ちょうど日曜日の昼食時に行ったので、軽く食べることにして、ボリューム満点という「特製焼きサンド(550円)」と「チョコレートワッフル(550円)」を注文した。
30年の年季の入った珈琲のウマイのは当然として、これらも美味しかった。あまり腹が減っていなかったが、結局カミさんと二人で平らげてしまった。
店の中は静か・・・。一人静かに本を読んだりして過ごしている人が多かった。また、旧市街では唯一?の喫茶店なので、打合せ場所はここしか無いらしく、女性グループが(懐かしい!)かき氷を食べながら話していた。

龍ヶ崎の旧市街は発展から正直取り残され、どの地方都市にも見られる地盤沈下が著しい。昔の店は軒並み閉店。車さえあれば、ニュータウンのショッピングモールの方がやはり便利だ。
でも30年もの間、営々と続けている喫茶店も文化遺産的(!)に貴重であり、常連さんにとっては風呂屋と同じく無くてはならない存在なのだろうと思った。
また竜ヶ崎に帰ったときには寄ってみよう・・・・。

(付録)首都高の日曜日の空いていること・・・
竜ヶ崎には、月曜日の出勤がツライので、いつも土曜日に帰省していたが、たまたま月曜日が休みだったので今回は日曜日に行ってみた。そうしたら首都高の空いていること・・・・。八王子から柏インター経由で竜ヶ崎まで、土曜日だと首都高の渋滞で3.5~4時間掛かっていたのが、殆ど渋滞無しで2時間で着くことが出来た。一日で往復するが、疲れが全く違う。
思い込みは良くない。色々と試してみることが必要だな・・・と感じた「龍ヶ崎ふるさと紀行」ではあった。

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2007年7月28日 (土)

立川花火大会 見物記

立川の昭和記念公園で開かれた花火大会に行った。
昨秋、ひょんな事から土浦の花火大会に行って、花火に魅せられた。それで、今度は近くの立川に行こうということになった。しかも新聞情報で、観覧席のチケットを売っているのを知り、手に入れた。それでゆっくり見ることは出来た。その見物記である。

今回の「国営昭和記念公園花火大会」は「第50回記念大会」だそうで、“特別協賛者観覧エリア(有料席)”に入場する時にもらったチラシには、
「一尺玉10発に加え、今年は一尺五寸玉(花火玉の直径約45m)を7発打ち上げ!一尺五寸玉が7発も打ち上がる花火大会は他にはありません。まさに日本一の花火大会です!」とあった。

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西立川駅で降りると(写真1枚目)、既に人の波。昭和記念公園は広い。会場まで歩いて20分。遠い。
一般ピープルの場所(写真2枚目)と違って、二人で3000円の席(写真3,4枚目)は、入るときにシートを渡され、勝手に場所を決める。スペースは広い。周囲も余裕がある。寝ながらの見物も出来る。これは良かった。

日暮れと共に、7時20分、花火が上がった。放送では隣の自衛隊の基地から上げると言っていたが、前方に見える。遠い。花火の音が届くまでに2~3秒掛かる。

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初めて、8時30分の最後まで見ていた。しかし、物足りない。5000発の「立川」と、2万発で競技会の位置付けの「土浦」とを比較してはいけないのだろうが、既に土浦が基準になっている。
花火の種類が少ない。同じ花火が多い。そして何より遠い。土浦は頭の上で花火がドンと鳴った。つまり口をポカンと開けて見上げる位に近い。しかし立川は、あっちの方で上がる。前方と上の違い。だから、全てが違う。迫力の全てが違う。
繰り返すが、土浦や大曲・諏訪の「コンテスト」と「一般の大会」とは、違っていて仕方がないのだろうが・・・。

そして会場が広過ぎる。30万人と言っていたが、8時半に終わって、帰る人の波・・・。西立川駅の方に行くと、駅が混んでいるので立川駅に方に行けと言う。Img_12581
まあそうするか・・・と方向を変えて歩くが、なかなか公園の出口に着かない。40分掛かってやっと出口に辿り着き、外に出ると、立川駅までは歩行者天国になっていた。これは助かった。
しかし、立川駅近くまで来ると、やはり駅で入場規制をやっているという。仕方が無いので、食事場所を探すが、どこも満員。何軒か回ってやっと食事場所を見つける。そして駅に着いたのが10時。花火が終わってから1時半経っていた。そして歩いた距離は6K。駅は10時でも、人の波だった・・・。

結論。土浦の花火を見てからでは、どの花火も物足りない。
浦の花火を見たときに思った「一生に一度だけでよいので、日本人である以上は、桟敷席から花火を見る事」は訂正する。
「いったん日本人と生まれたからには、死ぬまでに一度で良いから、土浦(または大曲または諏訪)の“花火競技大会”を“桟敷席”でみるべし」が正しい。
つまり、名前は同じ“桟敷席(観覧席)からの見物”でも、大会によって中身は大きく違う、ということ。

そして、帰りはなるべく“一足先”に引き上げる方が宜しいようで・・・・(特に老人は・・)
(しかし、立川の会場は若い人の浴衣姿ばかり。中高年の人が殆ど居ない。これは不思議だ・・・・。トシの行った人は、土浦や大曲のような、有名な大会にしか行かないのかな??)

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2007年7月27日 (金)

旧家は「耐震ふすま」に頼ろうか・・・

先日(07/7/25 AM5:45頃)、朝のNHKニュース「おはよう日本」で、“耐震ふすま“の話題を放送していた。(07/7/11にも放送されたらしい)

それによると、日本の家屋は柱だけで壁が少ないため地震に弱い。それで“ふすま”を「筋交いの入ったアルミ枠」の「耐震ふすま」に替えて建物の耐震強度を増すという方法が三重大学工学部で研究されており、近く壊される旧家にその耐震ふすまを取り付けて、実際に振動を与える実験が行われたという。
測定器による実験では、“ゆがみ”に対して通常のふすまの10倍の強度があり、実際の旧家を揺らす実験では、柱だけの昔の日本住宅が、“耐震ふすま”に入れ替えただけで、震度5~6に耐えたと紹介していた。またふすまは、当然固定されていないので、うまく滑って力を分散させるらしい。
よって、今回の中越沖地震クラスの震度でも、ふすまが壁の役割を果たして建物が直ぐには倒れないため、逃げる時間・空間が与えられ、有用だと言っていた。そして、特に寺社のふすまに利用したいとも言っていた。

なるほど。これは確かに素晴らしい発想だ。地震の時に、ふすまに壁の役目を与える・・・
確かにお寺などでは、歴史的な観点から、そうむやみに耐震工事も出来ない。もちろんふすまの所を壁に改造することも出来ない。でも、単にふすまをアルミ枠の耐震ふすまに替えるだけなら簡単だ。お寺の雰囲気も壊さない。

自分の家は洋風だから仕方が無いが、田舎の家は壁が少ないので、これは良い方法かも・・・・?
でも待てよ・・・? この前帰ったら、床がギシギシと沈んでいたっけ。
ふすまの前に、床が抜けないようにする方が先だな・・・・。
今度の日曜日に帰るので調べてみよう・・・
(最近調子が悪い!と、カミさんから檄を飛ばされる“悲劇のblog”ではある)

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2007年7月26日 (木)

“あと20年”をどう生きる?

昨夜、録画しておいた山田太一のTVドラマ「遠い国から来た男」(TBS 07/7/23夜放送)を、カミさんと一緒に見た。
元商社マンで、南米の国「サン・ハイメ(どうも架空の国らしい)」に帰化した(仲代達矢)が、46年ぶりに一時帰国し、昔の許嫁の(栗原小巻)に会いたいと連絡。そして現亭主の(杉浦直樹)が、結果として許嫁を奪ったので、あたふた・・・。そして(栗原小巻)と再会・・・。
最後に(栗原小巻)が、(仲代達矢)と一緒にサン・ハイムで暮らすと言い出し、(仲代達矢)が名演技だと誉めて笑い飛ばす・・・・・という話。
まあセンチメンタルな寓話と言ってしまえばそれまでだが、まあまあ楽しめた。(カミさんは感傷的過ぎて山田太一らしくないとの評だが・・・)

その中で、気になった(栗原小巻)のセリフがあった。
「私サン・ハイメに行って暮らすわ」「あなたとは充分長く一緒に居たじゃない?」「急に死んでも不思議で無いトシでしょ?」「いずれは一人」「ずっと夢なんか見たことなかった」

「私はまだ、20年位生きるかもしれない・・」「新しい世界を求めて何が悪いの?」
「20年あれば、何だって出来るわ。何だって・・・・。20年あれば・・・」

自分もそろそろ還暦・・・。親父の亡くなった80才まで生きると仮定すると、同じ20年だ・・・。
(栗原小巻)は、それを「20年あれば、何だって出来るわ」とぬかしやがる。
本当か?それだったら自分だって何か明るくなるぞ!!??

話が急に変わって申し訳ないが、自分は日本人である。だから外国語は大嫌いである。だからハワイに行っても『自分は客である。だから相手が自分に合わせるべき』と、堂々と日本語で「日本語が話せる人はいますか?」と言うと、チャンと日本人の店員が出てくる。(ハワイ以外の国では全くダメだったが・・・。そりゃそうだ!)

今日、ある本を読んでいたら、イギリスの言語学者オグデンが1930年頃に提唱したという“ベーシック・イングリッシュ”というのがあって、850語の単語ですべての英語の言語表現を可能にするのだそうだ。850単語を覚えればハワイに行っても話せる?これは魅力だ。
カミさんが大分前から中国語を勉強しているが、自分も還暦の手習いで、850個を覚えようか???(とんだ所で自分の無学をバラしてしまった・・・・)

ある先輩が、サラリーマンリタイア後の時間の使い方について「他人の為に時間を使え」というアドバイスをくれた。
なるほど・・・と思って心に留まったが、“あと20年”の時間の使い方について、色々と考えさせられたドラマではあった。

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2007年7月25日 (水)

「安全過信 最も危険」~新潟県中越沖地震の教訓

先日(07/7/24)の日経産業新聞に、東北大学の円山重直教授という人が、「原発、事前対策万全に ~安全過信 最も危険」というコラムを書いていた。これを読んで深く頷いてしまった。

070724nikkeisangyou 曰く、
「イタリア人は交通信号を守らないといわれている。ナポリの友人は『赤信号は止まることを単に推奨しているのだ』といっていた。しかし、交差点での事故は意外と少ない。自動車も歩行者も信号を守らないことを前提に注意して渡るからだ。日本では青信号で横断している際に事故に遭うことがある。信号を守れば絶対に安全だと教えられ、無防備に渡るからだろう。
技術や工業製品に『絶対安全』は存在しない。電力会社や政府は、原子力発電所が『絶対安全』であるという前提に立つと、重大な事故が発生した場合に被害を最小限に抑える対策の検討も十分出来ない。また、重大事故につながる不具合事例を発表できず、炉心損傷などの致命的事故を起こす可能性も否定できない。『絶対安全』に『本当の危険』が潜んでいる。・・・・・」

まったくその通りだと思う。当事者が言うと言い訳になるが、この指摘は大学の先生という第三者が言うので説得力がある。
日本人にアレルギーのある原子力に限らず、いったん事故が起きると、人は(地元は)相手に「安全宣言」を要求する。しかしこれは単なる言葉だけだ。「宣言」という“言葉”よりも、(タブー無しに)まさに“真にどう手を打つか”が重要ではないか?
よって、世の中に(原理的に)“100%は有り得ない”(宇宙の彼方だって、粒子の一カケラ位ある)という前提で物事を考えることは出来ないだろうか?
この指摘の通り「100%安全」を前提にすると、「もし事故が起きた場合は・・・」という議論・検討が出来ない。その議論は「タブー」になってしまう。そして結局、(確率の問題で)事故が起きると、その対策方法が検討されていないので、処置が後手後手になる。まさに、相手にプアーな対応をさせているのは、世論その物かもしれない。
よってこれを避けるには、「絶対安全(100%)は無い」事を、我々が許容するしかない。そして「もし起きたら」の対策も一緒に考えるしかない。

文頭の信号機の話も“なるほど”と合点した。
今まで行った海外旅行で、国々による交通信号の守り方の千差万別さ、にはビックリしてきた。オーストラリアの“青の時間のあまりに短いこと”や、中国での“誰も守らない信号”等々・・・・
でも先進国のイタリアでも同じだったのだ。つまり「信じるかどうか」の問題だったのだ。信号機という機械を信じるか、自分の身を守るため自分の目を信じるか・・・。言われてみれば、これは当たり前の事なのだろう。

しかし本当は世の中、何事も、出来ることなら疑らないで“信じて生きたい”もの。しかしそれには、その期待が裏切られても自分の責任だと思う覚悟も必要だろう。
(自分は昔、それを何度も味わった・・・・。でも子供だけは信じたいよね・・・)

理屈では分かるが、信じて生きたいと思う“初老の”この頃ではある。

(追加)
昨夜(07/7/24)、このblogをアップしようと思ったら、「メンテナンスのため18時間使えません」と出やがる。HPを良く読むと、何と3週間も前に予告されている。自分はそれを読んでいなかった訳だ。
つまり「Cocologは100%完全だ」と思っていたわけだ。まあ自分も「一般ピープル」であって、予防保全の出来ない並の人間だということが良く分かった。

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2007年7月22日 (日)

映画「隠し剣 鬼の爪」と藤沢周平

短編小説を2時間のドラマにする時、時間が持たないので色々と原作に無いストーリーを付け加えるが、この「隠し剣 鬼の爪」という映画はなかなか良かった。筋も無理が無く、納得できた。

このところ藤沢周平に凝っている。先日、「隠し剣孤影抄 」「隠し剣秋風抄」を読んだ。
ネットで見ていたら「隠し剣孤影抄」に収録されている「隠し剣 鬼の爪」が、2004年に山田洋次監督で映画化された、とあった。それでレンタルDVDに注文して今日見たという訳である。これで藤沢周平の映画「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「蝉しぐれ」「武士の一分」の4本全部を見た事になる。

この映画がなかなか良かったのである。先日「武士の一分」の映画を見て、何かフィットしなかったが、「隠し剣 鬼の爪」は原作を通り過ぎて、“あるドラマ”があり、良く見ると「隠し剣 鬼の爪」の短編ストーリーが散りばめられている・・・というように感じた。つまり「武士の一分」と違って全体的に違和感が無かった。最後の場面での、女中“きえ(松たか子)”との結ばれ方も、ハッピーエンドで良かった。(やはりハッピーエンドが良いな~)

思い出すと、自分の藤沢周平歴は浅い。NHKテレビのドラマ「蝉しぐれ」を切っ掛けに、藤沢周平の本を読むようになり、まず原作の「蝉しぐれ」を読んだが、それに続く本が問題だった。つまり何を読んで良いか分からないのである。迷った。何せAmazonで「藤沢周平」を検索すると、何と344件もあるし、本屋でも無数に並んでいる。これでは迷うはずだ・・・・。
それで映画「武士の一分」の原作である「盲目剣谺(こだま)返し」の「隠し剣秋風抄」に続いて、このシリーズを読んでみたわけである。
しかし、古臭い書名に反して(?)、このシリーズがなかなか面白かった。全て女性が絡み、必殺の秘剣が登場する。そして必ず秘剣が活躍する。そして善が勝つ。
そして珍しく、藤沢周平を帰りの電車の中で読み始めると、いつもの「四ツ谷」で眠くならないのである。もう少し読んで、眠くなったら寝るか・・という内に着いてしまう。まさに通勤上、体調維持の為の睡眠を妨げる藤沢周平でもあった。
また、この小説と一緒に買った「週刊 藤沢周平の世界」には、何と各短編に出てくる海坂藩の地図と、各々の事件が地図のどこで起きたかまで載っている。この小説の舞台(場面)を繋ぎ合わせて一枚の地図に纏めた事に、またビックリ?

実は、自分は小説を読んでも、なかなか登場人物の名前が頭に入らない・・・という特技がある。だから短編は苦手なのである。何故かと言うと、名前を覚える頃には小説が終わってしまうのである。だから良く、読み終わった後で“復習”する。前から読み直して、なるほどと納得する。(頭が悪いのだろう・・・) 今回も、映画を見終わってから、また“復習”してしまった。

ところで映画だけでなく、藤沢周平原作のTVドラマもたくさん作られているようだ。ウィキペディアに載っているものだけで19本もある。NHKの「蝉しぐれ」「秘太刀馬の骨」は見た。そして現在NHKのBS2で再放送されている「清左衛門残日録」(1993年放送~蔵出しエンターテインメント「藤沢周平ドラマ」)は、毎週楽しみに見ている。
NHKは今後も自分のような遅咲きのファンのために、これに続いて今までの作品を再放送してくれる事を期待したい。

そう言えば、10年前に亡くなった実家の親父の本棚に、時代小説がたくさんあったっけ。古臭いな・・・、と思って見向きもしなかったが、もしそれが「藤沢周平」だったら、親父を“再評価”せねばなるまい・・・・。今度、田舎に帰った時に本棚を見てみよう・・・・(今頃?)
(カミさんは、時間が無いといって一緒にこの映画を見なかったが、自分が良かったと言ったので、今、居間で見ている。「良くなかった」と言われると、今晩は寝ないで“激論”をせねばなるまい)

でも将来リタイア後、藤沢周平の本を相当読みそうな気がする。でもまあ、切っ掛けがどうあれ、楽しみアイテム(リタイア後にすること)が増えることは良いことだ。

●本日カウントが2万を越えました。皆様の“ご愛顧”に感謝します。

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2007年7月21日 (土)

編曲者「森岡賢一郎」

森岡賢一郎という音楽家をご存知だろうか?昭和40~50年代に活躍したアレンジャー(編曲者)である。今日は、素晴らしい森岡賢一郎の代表作の紹介である。

自分は、いわゆる歌謡曲が大好きだが、その全盛時代は昭和40年代だっただろう。その時代、自分が素晴らしいと思った曲は、ほとんどが森岡賢一郎の編曲だったのである。
Scan102881 その中でも、平尾昌晃作曲、森岡賢一郎編曲の作品はどれも大好きだった。布施明の「霧の摩周湖」「愛の園」・・・・・を初め、小柳ルミ子の「私の城下町」以下ほとんどの作品、そして伊東ゆかりの「小指の思い出」「恋のしずく」等々、名曲は幾らでもある。これは良いな・・・と思うと、だいたいこのコンビだった。
そもそも歌謡曲というのは編曲、つまり伴奏の作曲が大変に大事だ。平尾昌晃のような大作曲家でも、歌手から作曲家になった人は、大体にしてギター片手に鼻歌で録音し、プロがそれを譜面に落とし、そしてまたプロの作曲家が伴奏を“作曲”して一つの作品に作り上げるという話をどこかで聞いた。

そしてほとんど、オリジナルの編曲が一番良い。よく同じ歌手で、アレンジだけを新しくして新録音する事があるが、オリジナルよりも良いと思ったことはほとんど無い。特に「霧の摩周湖」などは、何枚もの新録音のCDを買ったが、どれも幻滅だった。
キングのオリジナルで平尾昌晃と森岡賢一郎の永遠の名曲、布施明の「霧の摩周湖」を少し聞いてみよう。(数年前にカミさんと、(学生時代以来初めて)摩周湖に行ったが、本当に“霧の摩周湖”で何も見えなかった・・・・。森岡賢一郎とは関係ないけど・・・)

<布施明「霧の摩周湖」>~編曲:森岡賢一郎

「霧の摩周湖」
 作詞:水島 哲
 作曲:平尾昌晃

1)霧にだかれて しずかに眠る
 星も見えない 湖にひとり
 ちぎれた愛の 思い出さえも
 映さぬ水に あふれる涙
 霧にあなたの 名前を呼べば
 こだませつない 摩周湖の夜

2)あなたがいれば 楽しいはずの
 旅路の空も 泣いてる霧に
 いつかあなたが 話してくれた
 北のさいはて 摩周湖の夜

編曲を比較する意味でコロンビアのCDで「井川雅幸」という人の編曲で聴いてみよう。同じ平尾昌晃の名曲がこうも変わる・・・

もう一つ、zitimaの「DO MY BEST」というアルバムから、同じ「井川雅幸」という人の別の編曲である。

Scan102891_1 森岡賢一郎の編曲で、もうひとつ挙げたいのが菅原洋一の「今日でお別れ」である。このマンドリンに始まる前奏を聞くと、ちょうど新入社員だった頃を思い出す。昭和45年の日本レコード大賞曲である。これも名曲、名編曲である。

<菅原洋一「今日でお別れ」>

「今日でお別れ」
 作詞:なかにし礼
 作曲:宇井あきら
 編曲:森岡賢一郎

1)今日でお別れね もう逢えない
 涙を見せずに いたいけど
 信じられないの そのひとこと
 あの甘い言葉を ささやいたあなたが
 突然さよなら 言えるなんて

2)最後のタバコに 火をつけましょう
 曲がったネクタイ なおさせてね
 あなたの背広や 身のまわりに
 やさしく気を配る 胸はずむ仕事は
 これからどなたが するのかしら

3)今日でお別れね もう逢えない
 あなたも涙を 見せてほしい
 何も云わないで 気安めなど
 こみあげる涙は こみあげる涙は
 言葉にならない さようなら
 さようなら

比較をする為に、別の編曲で聴いてみよう。

この森岡賢一郎の編曲を代表として、1970年代のいわゆる歌謡曲には、名曲が数限りなくある。しかしその後は、いわゆる「Jポップ」に世の中が席巻されていて、歌謡曲の影が薄いのはファンとして大変に残念だ。そもそも「歌謡曲」という言葉が古臭いのか・・・・? (もう少し“品位”がある言葉だと良かったのに・・・)
ともあれ、上記のように「歌謡曲」には、日本人の心にいつまでも残る名曲がたくさんあるのである。そして自分の心にも・・・・

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2007年7月20日 (金)

大リーグ桑田の姿勢に感服

今日(07/7/20)の日経朝刊(P39)に「桑田39歳『毎日勉強』苦境くじけず夢実現 本場も認めた投球術」というコラムがあり、団塊世代の「卒業」を前に、色々と考えさせられた。

曰く、
『「聞いたのと見るのとは大違い。毎日が勉強です」と言う39歳のルーキーの毎日は充実している。ケガを克服し、桑田真澄が6月10日に大リーグデビューを果たして1ヶ月余り。出番こそ、それほど多くないが、パイレーツのブルペン(救援投手陣)のまとめ役として存在感を増しつつある。
 日本で戦力外通告を受けた大ベテラン投手が大リーグのマウンドを踏んだ。しかも、初舞台はニューヨークのヤンキースタジアム。・・・・・・

 投球術はメジャーでもさえている。6月21日にシアトルで対戦したマリナーズのイチローには初球で内角を突き、ボールになるカーブで空振り三振。「参りました」と脱帽させた。「どのボールにも意図があるよね。それに自分が昔の自分でないことを受け入れている。ボール球で勝負しているってこと」とイチローは解説した。・・・・
 前半戦を終わったところで「(けがで落ちた)どん底からはい上がってこれた」と振り返った。・・・・・

 巨人で21年も投げていて二軍での登板が事実上の引退試合になる悲しさ。・・・・

 高額契約を勝ち取ったイチローに関して「そんな年俸より、彼の野球に対する取り組み方を子供たちに見てもらいたい」と語った。これは桑田自身のことでもあろう。・・・・

前から桑田はエライと思っていた。前に、年俸で球団提示の60%ダウンに合意しなかったため自由契約選手となり、全球団からソッポを向かれたオリックスの選手がいたが、それとは逆にアメリカに渡って「野球が出来るだけで幸せです」と言う桑田。

桑田の歩んだ道を、我々サラリーマンに当てはめてみると、どうなるのだろう?
「日本の超一流会社でトップ(監督?)近くまで上り詰めたあと、役職定年を迎えて子会社の平社員に移り(2軍落ち)、そこでさびしく一担当者として誰も引き止めないまま定年を迎える(戦力外通告)。しかし生涯現役を目指して単身アメリカに渡り、本場の一流会社の正社員に再就職して活躍を続ける・・・・」という事か・・・・?

まあ誰にでも出来ることではないな。
しかも、「・・自分が昔の自分でないことを受け入れている」という自然体・・・。自分の体力が落ちていることを素直に認め、それを前提に戦っている・・・・。
我々に当てはめると“『還暦を迎えて体力が落ちているのに、それを認めようとせずに無理をしてケガをする』ような事はしない・・・”ということ。

自分がその内、サラリーマンとしての“戦力外通告”を受けた場合はどうするか?
アメリカに行って、もっと大きな会社の就職試験を受けるか??
いや、それは無いな。理由は明快だ。昨年欧州オーストリアに行った際、時差ボケで参った。だから時差のある所には行かないのさ・・・・(まったく理由になっていないな~・・・?)

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2007年7月19日 (木)

我が家のMP3プレヤーもiPodに席捲される?

我が家のMP3プレヤーも、ご多分に洩れずiPodに席巻されつつある・・・・というお話。
我が家では、MP3プレヤーを使い出して3年以上になる。主にアイリバーのHDDタイプを使っていた。これはリモコンに液晶表示が付いているので、本体をカバンに入れても操作が出来るため、非常に便利だ。息子も親戚も含めてこの機種に決め、同じ機種を沢山買った。製造中止前に自分用の予備機まで買った。それから市場の動向に注意を払わなかった。

しかしとうとう、先日MP3プレヤーを“酷使していた”息子のプレヤーのHDDが壊れた。とうとう来たか・・・。当然、データのバックアップは取ってあるので問題は無いが、後継機種を調べてビックリ(と言うのもオーバーだが・・・)。世の中サマ変わり。
言うまでも無くiPod一辺倒。頼みのアイリバーもHDDタイプは既に止めていた。何よりも業績不振で、会社が買収されたり、修理拠点が閉鎖されたり、昔の面影は無い。仕方が無く、息子のMP3の後継はiPodの30Gタイプにした。世界を席巻しているだけあって、これがなかなかの優れもの。

続いて、カミさんのMP3プレヤーも、同じアイリバーのネックレスタイプを使っていたが、さすがに512Kタイプで容量不足である事と、表示が見えない、機能的に壊れかかり・・・という事で、買い換えることにした。同じネックレスタイプという事で探したら、iPod nanoでネックレス用のアクセサリーが純正であることが分かり、8Gのnanoに決定。
nanoは、とにかく小さい。見ると一体成型されているようだ。分解のしようも無い。操作的にもさすがに完成度が高い。カミさんもネックレスタイプで使えるし、表示も良く見えるので、まあまあ満足か・・・・

残るは自分のプレヤーの後継だが、容量が40Gの現在でも不足して困っているので、大容量が前提である事と、本体をカバンに入れて使うため、液晶表示のリモコンが欲しい・・・。
その前提で探すと、無い。iPodにもリモコンはあるが液晶表示がないため困る。結論として、現行機種を使い続けるしかない・・・と判断。
仕方が無いので、メーカにバッテリーの交換を頼んだ。これで生き返って当分使えると期待。ただし、HDDがクラッシュするまで・・・
でも、一旦自分なりの使い方(本体をカバンの中に入れてリモコンで操作)を始めると、そのスタイルを変えるのは相当に抵抗がある・・・。もしかすると、これも老化の一つかもしれない。(老人ガンコ病??)

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2007年7月18日 (水)

八洲秀章の「毬藻の歌」

今日は、叙情歌の作曲家 八洲秀章(やしまひであき、1915-85年)の話である。
いつもの思い出話だが、自分が八洲秀章という名前を知ったのは、たぶん伊藤久男の「山のけむり」からだったと思う。高校の頃だったろうか・・・。そして、はまった・・・・

八洲秀章の歌は、しっとりとした叙情歌が多い。伊藤久男が歌った「あざみの歌」「高原の旅愁」「山のけむり」を初め、岡本敦郎の「さくら貝の歌」「白い花の咲く頃」「チャペルの鐘」「すすきの丘」そして九条万里子の「マリモの唄」・・・・
八洲秀章(本名 鈴木義光)は、大正3年(1915年)北海道真狩村に開拓農民の次男として生まれ、事故で足を折ったことから軍人を諦め、独学で作曲を勉強したという。そして、昭和11年に上京した。それ以来鎌倉で、昭和60年に70才で亡くなるまでに、校歌や童謡など3000曲を作曲したという。
そして八洲秀章の名前の由来がロマンチックだ。北海道を出るときに片思いのまま残してきた横山八重子さんが、上京して2年経った昭和13年、夢枕に立ったという。その死を悼んで、彼女の「横山八重子」から「八」を、戒名「誓願院釈秀満大師」から「秀」の字を貰って「八洲秀章」と付けたのだという。
そして「さくら貝の歌」は、彼女を偲んで翌年逗子海岸を舞台に作った歌だという。

Img_11401_1Img_11411_3 自分はこの“しっとりさ”が好きで、八洲秀章の歌を随分集めた。これは1970年(大学4年の時)に買ったレコードである。
しかし色々ある八洲秀章の歌で、自分は「マリモの唄」が一番思い出がある。と言うのは、大学2年の時、北海道をユースホステルで旅行した時に、阿寒湖で街頭のスピーカから流れていたのが九条万里子の「マリモの唄」だった。やはり多感な時期に(自分にも青年時代はあったのだ!)、しかも北海道という“現場“で聴いた歌は、一番印象に残るものである・・・。
この歌のオリジナルは、昭和28年(1953年)に発売された安藤まり子の「毬藻の歌」が元祖らしい。しかも歌の名前は、「マリモの唄」「まりもの唄」とも呼ばれ、さまざまだ。

この「マリモの唄」は色々な人が歌っているが、自分では「プラハ少年少女合唱団」の「モーツァルトの子守歌」というアルバムに入っている「まりもの歌」の歌声が一番好きだ。日本語は拙いが(これは仕方がない)、まさに聞く人の魂を浄化させ、心が洗われる様な歌声である。天使の歌声というのはこの様な歌なのだろう・・・。

<プラハ少年少女合唱団「マリモの唄」>

「マリモの唄」
 作詞:岩瀬ひろし
 作曲:八洲秀章

1)水面をわたる 風さみし
 阿寒の山の湖に
 浮かぶマリモよ なに思う
 マリモよマリモ 緑のマリモ

2)晴れれば浮かぶ 水の上
 曇れば沈む 水の底
 恋は悲しと 嘆きあう
 マリモよマリモ 涙のマリモ

3)アイヌの村に 今もなお
 悲しくのこる ロマンスを
 歌うマリモの 影さみし
 マリモよマリモ 緑のマリモ

定番の九条万里子の「マリモの唄」も良い。(カミさんはこっちの方が良いと言うが、“見解の相違”は仕方がない)

<九条万里子「マリモの唄」>

ついでに、ネットで八洲秀章を検索していたら、本も出ているらしい。しかも生まれ故郷である北海道の真狩村が発行元という。
また、八洲秀章の作曲で「あゝ逢い見ての」という伊藤久男が歌った歌がある事を知った。このサイトで聞くと、まさに自分好みだ。伊藤久男ツウを自負する自分も知らなかった・・・・。
しかし良い歌を知った。これからの目標が出来たぞ。つまり、何とか昭和30年の発売という伊藤久男の「あゝ逢い見ての」の歌を手に入れる事だ。(JASRACコード:035-4344-7(ここ))
先に書いたが、藤山一郎・松田トシの「白鳥の歌」や「母の歌」が手に入ってから、目標を失った?が、“無い物ねだり”の新たな目標が出来たぞ!(さーて何処に行けば聞けるかな・・・・?)~(2010/11/12発見!~下記)

(2008/1/15追)
安藤まり子の元祖「毬藻の歌」の音源が入手出来たのでアップしておく。

<安藤まり子の「毬藻の歌」>

(関連記事)
伊藤久男の「あゝ逢い見ての」の音源が見つかった

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2007年7月17日 (火)

グレン・グールドと山口百恵・・・最新技術で蘇る?

狂気のピアニスト、グレン・グールドと山口百恵。まったく縁の無い二人だが、意外と接点があるかも??

「レコード芸術」7月号に麻倉怜士氏の「『グールド/ゴルトベルグ変奏曲(1955)の再創造』盤を聴く」(P309)と宮澤淳一氏の「新しいピアノ演奏再生技術をどう位置づけるか」(P82)という同じテーマの二つの記事があり、興味深く読んだ。
1955年に録音された、グレン・グールドのバッハ「ゴールドベルク変奏曲」の名演奏を、現代のコンピュータ技術を駆使してデータに変換し、コンピュータによるピアノの自動演奏での演奏会を開き、それを録音したCDが発売されたという記事だった。
レコ芸(P309)麻倉怜士氏の記事を引用すると
「まず55年録音のオリジナル・モノーラル・マスターテープから、Zenphというソフトウェアによってグールドの演奏特有の音楽的属性(音程、音符の長さ、テンポ、余韻の消える速度、ペタリングなど)のデータを解析。MIDIデータに変換、ヤマハのフルコンサート自動演奏ピアノにて演奏し、その音をマイクで収録、というプロセスを経て、このディスクは制作された」
とのこと。

自分は、グレン・グールドの信奉者でもないしゴルトベルク変奏曲が好きなわけでも無いが、このレコードが名盤であること位は知っていた。
確かにピアノは、オーケストラと違ってデータ化することは容易なように思われる。またピアノのような鍵盤楽器は、コンピュータによる自動演奏が出来る数少ない楽器かもしれない。ヴァイオリンなどは到底無理だろう・・・
しかしピアノの演奏で、時間軸(テンポ)や音程(高さ=鍵盤)はコンピュータにより分析が容易だろうが、鍵盤を弾く指のタッチ(強弱)やニュアンスなどはコンピュータ化が難しいように思われる。

この記事によると、グールドのお抱え調律士?からもグールドのクセを聞いて、それをも加味したという。
しかしピアノは、オリジナルのスタインウェイではなくてヤマハのピアノを使用したとある。これはヤマハはピアノの自動演奏装置を売っているが、スタインウェイでは聞いたことが無いので仕方が無いだろう。
出来上がったデータに基いて開かれた演奏会は、ピアニストが居ない不思議な演奏会になったとか・・。しかしイベントは成功し、それを聞いたグレン・グールドの信奉者は涙を流して感激したとか・・・・
しかし、往年の名演を聞くには、その名演奏そのものの音質を改善する努力をするのが正当である。という評価もある。

そう言えば、昔、山口百恵の歌で、オリジナルテープから山口百恵の声だけを抽出し、新たなアレンジの伴奏をコンピュータで同期させた「百恵回帰」というCDが出ていて買ったことがある。
このCDは、アレンジがあまりに現代的で、あまり好きにはなれなかったが、その斬新な発想に感心したものだ。
せっかくなのでサワリを聞いてみよう。「百恵回帰」というアルバムの「イミテーションゴールド」である。(飛んでもなく話が飛ぶが・・・・)

<山口百恵「イミテーションゴールド」新録音>

オリジナルと聞き比べてにみよう。(山口百恵の録音はいまだに通用する良い音だが・・・)

<山口百恵「イミテーションゴールド」オリジナル録音>

結論として、自分はこの手法に賛成だ。もう手に入らない“珠玉”を再評価する(追い求める)方法として、この様な考え方があって良いと思う。

ニュースで「ポーランドのショパンの生家の隣に住んでいた**さん宅の古い倉庫から、ショパンが住んでいた当時、発明が趣味だった祖先がショパンの演奏風景を録音した蝋管が発見され、コンピュータによる復元が成功し、ヤマハのグランドピアノでの演奏会が開かれることになった」ナンテいう話は、無いよね・・・。あると良いけど・・・
(でもリストなら可能性があるぞ。エジソンが円筒型蓄音機を発明したのが1877年。そして1885年にベルが蝋管蓄音機を発明しているから、リストが亡くなったのが1886年だから、理屈的には間に合う!~こんなことを想像しても、何の意味も無いのにね・・・。リスト自演のラ・カンパネラか・・・・)

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2007年7月16日 (月)

原子力発電のこと

今朝、新聞を読んでいたら、「50年前、『原始の火』ともる」という記事が載っていた。(朝日新聞07-7-16 p22)
(そんな事を考えていたら、午前10時13分に新潟・長野県で震度6の「新潟県中越沖地震」が発生。新潟県の柏崎・刈羽原子力発電所が自動停止したとニュースで言っていた。柏崎原発というと色々な思い出がある。そんな訳で今日は原発の思い出話である・・・)

1957年8月27日午前5時23分。これは、茨城県東海村にある日本原子力研究所で臨界に達した瞬間である。
新聞によると、1953年12月8日、アイゼンハワー大統領が国連で「アトムズ・フォア・ピース」=原子力の平和利用のために米国がウランを貸し出すことを宣言した事が切っ掛けで、日本での研究が再スタートした、とある。
しかし、学術会議内ではアレルギーから議論が紛糾する。それを打破したのが、当時改進党の衆議院議員だった中曽根康弘元首相。54年に衆議院での予算採決の寸前にウラン235にちなんだ原子炉建設予算 2億3500万円を加える修正案を出したという。
中曽根さんが原子力の利用に道を開いたとは知らなかった・・・・。
中曽根さんの「原爆の犠牲者に善用でこたえる」というコメントも載っていた。

Scan102891 実は1957年の時(10才)の事を自分は覚えている。しかしそれは「記念切手」で。ちょうどこの時、切手収集のブームが起き、初めて買った記念切手がこの「原子炉竣工」の切手だったのである。調べたら「1957年9月18日発行」とある。このあたりに発行された切手はどれも懐かしい・・・。「まりつき」や「関門トンネル開通」そして「アジア大会」・・・・。友達と取り替えっこをしたり・・・・。

柏崎・刈羽原子力発電所といえば若いときに仕事で何度も行った。1号機は、1978年着工で1985年運転開始というから、最初に行ってからもう20数年を数える。とにかくすべてが綺麗。見学のコースも何もかも、素晴らしい設備。特に印象に残っているのが、原子炉の「純水」の透明さ・・・・
自分が覚えているのはトラブルの思い出だけだが、未だに耳に残っているのが、「我々は社会的使命で仕事をやっている」という東電の人の言葉・・・・。
トラブルを起こした立場としては、この言葉には“ぎゃふん”だった。

ともあれ、今朝の地震で止まっているという。しかし多分設備への影響はそう多くは無いだろう。もっと大きな地震が来る前提で全てが作られており、ジェット機が原子炉に墜落しても大丈夫なように作られていると昔に聞いた。
でも、変電設備からの出火は・・? 本来は変だけど・・・

ともあれ、現役だったら飛び回って大変だったろうと、ホットしている?今日のニュースではある。

P10003601 (記事とは関係ないけど、今朝の多摩川。昨日の台風4号のおかげで、川がゴウゴウと流れていた・・・)

*いよいよ蝉のシーズンである。多摩川までの散歩道、階段を降りながらカミさんが“左手の方で蝉が鳴いている”と言う。自分は“いや右の方だろう”と言う。でも右手は空しかない・・・。(それは二人とも“耳鳴りだった”というバカバカしい話・・・。でも、もう少し歩いて行くと、今度は本当に蝉が鳴いていた・・・。本格的な夏である・・・・。

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2007年7月15日 (日)

電化製品のシェア

今日は電化製品のシェア(市場占有率)について書いてみる。「事実」はなかなか入手できない・・・・という話である。

自分は、家電品を買うときはかなり分析する。そしてターゲット(メーカ・形名)を決め、通販で探して、何とか最安値で買おうとする。たぶん誰でも同じだろう。
そして思い付きで買うときは、どの製品を選ぶかは、かなりシェアを気にしている。市場で売れ行きが良い製品は、まあ買っても間違い無いだろうという安易な考え・・・。
しかし、これはかなり正解で、あまり思い込みがない製品を買うときはこれを原則としている。(みんなで渡れば怖くない・・・)

ここで問題となるのが、どこでシェア(売れているメーカ・形名)を知るか・・・である。
実は今まで、大好きな「価格コム」の「人気アイテムランキング」を参考にしていた。しかしこれが、意外と当てにならないと分かったのが、この記事を書く動機なのである。

070713sangyo1_1 日経産業新聞に「ランキング」というコラムがあって、これと比較してみる。これは「日経BP・GfK」の「家電量販店の売れ筋データ」を載せている。このデータは有料であるという。
曰く:「日経BP・GfK SalesWeek3200」は,GfK Japan社(正式社名:ジーエフケー マーケティングサービス ジャパン株式会社)が日本の家電量販店から毎日収集している販売実績データを週単位にまとめて提供します(店舗数は2005年7月時点で3000店以上としました)。」 

これは信用できそうだ・・・。毎週、各店のPOSのデータを集計しているらしい。これ以上正確なデータは無い。
一方「価格COM」は「ランキングは商品情報ページの1週間の閲覧回数等を基に集計しております」とある。決して「販売実数」ではなく「人気アイテム」なのである。なるほど・・・

デジカメで両者を比較して見ると、
1位 松下 DMC-FX30
2位 カシオ EX-Z1050
(以上が2週連続で、3位以下は週で変わっているが・・)
3位 松下 DMC-FX100
4位 オリンパス FE-220

一方、価格COMではどうか?(07/7/15現在)
1位 富士フイルム F31fd
2位 松下 DMC-FX100
3位 キャノン DIGITAL 10
4位 リコー R6
5位 松下 DIGITAL 10
(以上が2週連続)
7位 松下 DMC-FX30
21位 カシオ EX-Z1050

DVDレコーダではどうか?:「日経BP・GfK」によると、
1位 シャープ DV-AC52
2位 松下 DMR-XP11
3位 松下 DMR-XW31
(以上が2週連続)

一方、価格COMではどうか?(07/7/15現在)
1位 松下 DMR-XW31
2位 東芝 RD-S600
3位 松下 DMR-XP11
11位 シャープ DV-AC52

・・・・なるほど・・・。結論として、メーカの戦略が分かった。
自分のような、安易な考えの者を考慮して、価格COMに“注目”しているのが東芝であり、富士フイルム??逆に気にしていないのが、シャープでありカシオ???

要は、正確なデータは有料だということ。無料のデータはそれなりのもの・・・・・
これからは、新聞をもとに何とか正確なデータを手に入れよう。(自分の最近の例では、デジカメは成功したが、DVDレコーダでは失敗したので・・・)
(でも、本来は、「国民生活センター」の分析等を参考にすると良いのだが、なかなかタイミングが合わない・・・・)

(07/8/2) (参考)上記を含む「06年のシェア(市場占有率)」の記事を書いた。

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2007年7月14日 (土)

映画「ホテル・ルワンダ」の重たいテーマ

ひょんな事から映画「ホテル・ルワンダ」を見た。しかし重いテ-マなので考えさせられた。
「シンドラーのリスト」と同じく、一般の人が機転によって多くの人を戦禍から救うという物語。と言うより、事実の再現映画である。100日間で100万人が虐殺されたという内戦・・・
この映画は、(自分は知らなかったが)カミさんに言わせると、『日本で公開の予定が無かったのを署名運動で公開されることになった、話題の多い映画だった』とか・・・。この経緯は公式HPにも載っている

主人公ポール(実在の人物)は4つ星ホテルの支配人として、自分の家族を助けたいという一念から家族をホテルに匿ったが、やがて自分達だけで逃げてはいけないと気付き、ホテルに逃げてきた1200人以上の人達を、一緒にホテル内にかくまい、虐殺から救った・・・。
この映画の詳細は公式HPに譲るが、まず悲惨なのは、このHPのHISTORYにある、
「第1次世界大戦後、国際連盟はルワンダを戦利品としてベルギーに与えた。国家としてまとまっていたルワンダを分裂させるためにベルギーが利用したのはフツ族とツチ族の容姿の差。・・・・ほとんどのフツ族とツチ族はそれでもまだ良好な関係を保っていたが、小学生にまで人種差別の思想がたたきこまれていくうちに、かつて統一されていた国家は急激に崩壊していった。」
という記述だ。まさに「先進国の罪の深さ・・・・」。

それと、一貫して流れるのが「家族の愛」というか、「家族の団結」というか、「家族が全て」というスタンスだ。これは、(自分が平和ボケしているせいか)少し違和感を持った。
これは映画の最後で、主人公が沢山の孤児の中から姪を探すシーンがあったが、そこでも同じ感じを持った。
しかしこれは、昔の関東大震災の時に、『家族と巡り会う事しか考えなかった』という祖母の話も聞いていたので、(我々も目の前にそのような異常事態が無いのでノホホンとしているだけで)その様な異常事態に直面すると同じように動くのだろうと思う。

そしてこの映画が強く訴えているのが、「先進国(国際世論)が自分達を見捨てて、何もしてくれなかった」という事実。
映画の中でも、“撲殺しているニュース映像を流しても『可哀想ね』で終わってしまって、また食事が続いて行く・・”という場面があったが、世界の人々にとっては、自分に影響の無い世界の出来事は、所詮他人事。(仲の良かった民族をわざわざ敵対させるようにし向け、内戦に追い込んだのは先進国(ベルギー)であるのに・・・)

しかしこれには自分もドキッとした。自分も同じではないかと・・・・。(白状すると、実はルワンダという国があることも知らなかった・・・)
でもまあこれを機に、自分とは全く関係のない(そもそも、この記述がいけない!)遠い国の出来事も、「もし自分だったら・・」と、少しでも共感できる感性を持ちたいものである。
それには先ず「関心」を持つこと。これに尽きる。これはまさに、『国境なき医師団』の貫戸朋子さんが言っていた言葉と同じである。
少しでも世界の出来事(悲劇)に関心を持てば、そこから少しずつ世界が変わって行くかも知れないので・・・・。

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2007年7月13日 (金)

ブログ好きの日本人

今朝(07/7/13)の日経産業新聞に「ブログ好きの日本人」というコラムがあった。これがなかなか面白い。

記事によると、
070713blog 「・・日本語で書かれたブログ数が世界のトップになった。ブログ検索サービスの米テクノラティが4月に発表した調査によれば、同社が観測している世界中の7千万以上のブログのうち、最も多いのは日本語で書かれたブログで全体の37%となり、英語で書かれたブログの36%を抜き世界のトップに躍り出た。世界には2千6百万前後の日本語ブログが存在することになる。日本のネット人口は8千万人超といわれるから、およそ3~4人に一人はブログを書いている計算になる。7億~8億人といわれる世界のネット人口の50~60%を英語圏が占めるのに対し、日本語圏は10%前後。それを考えると、やや異常なまでの日本人のブログ好きという姿が浮かび上がってくる。・・・」

ご多分に漏れず、自分も“現在は”blogに填(はま)っている。
しかし良く考えてみると、もしblogが「日記(もどき)」とすると、そもそも日記を公表する事はおかしい・・・。もともと日記は人に見せるために書くものではない。
だから、「いったいblogとは何ぞや?」と思ってしまう。
人を気にせずに勝手なことを書くくせにアクセス数を気にし、自分の非常に個人的な書き物なのに、それを公衆にさらして楽しむ?blogとは、一体何か?
まあ“表現の公衆化”と言ってしまえばそれまでだが・・・。

しかし一方では、知りたいことを検索すると、見ず知らずの人からヒントを貰うことが良くある。よって逆に、自分の持っている知識?思い込み?経験?を誰かに生かして貰う手段・・・と捉えるのも良いのかも・・・

色々と言い訳を書いている現在の自分だが、「みんなで渡れば怖くない」という“格言?”もあることなので、まあ自分も、これからも勝手に書いて行こうか・・・・。
日本人は世界でもまれにみる「ブログ好き」だそうなので・・・

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2007年7月12日 (木)

サラ・チャンのヴァイオリン・・・

今日は美しい女性の話である。
「レコード芸術」という雑誌に、付録で新譜のサワリを録ったCDが付いているが、1998年6月号に、「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲」の冒頭が付いていた。この演奏を聴いてホレた・・・・・。
今までは、自分の耳で聞いて判断してレコードを買う、と言うより、評論を読んで「名盤だ」というので買っていたのが実体ではないか。つまり“演奏に惚れて”CDを買った事は、今まではあまり無かったのではないか・・・。
その意味で、これは違う。即買いに行った。
ヴァイオリニストは「サラ・チャン」という。マリス・ヤンソンス指揮のベルリンフィルとの共演の「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲」である。

まさに「むせび泣くような」演奏である。ヴァイオリンが泣いている・・・。
女性的な曲の代表であるメンデルスゾーンのVCが、まさに女性によって女性らしさを表現している・・・。少し聞いてみよう。

この曲は、自分はいつ頃から聞くようになったのか・・・・。たぶん中学2年生頃だろう。
昭和30年代後半、ビクターから「VOX」レーベルの17cmの33回転LPが出ていて良く買ったが、この曲もたぶんそのシリーズのレコードで聞いたと思う。たしかイヴリー・ギトリスのヴァイオリンだった?
そして定番のハイフェッツも聞いた。もちろんモノラルで・・・
いま改めて聞いてみたが、その“無骨さ”は目を覆いたくなる・・・
少し聞いてみよう。ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリン、ミュンシュ/ボストン響との共演の“定番中の定番”である。
しかしサラ・チャンとの違いは歴然だ・・・・。「さっさと、弾けば良いんでしょ!」に聞こえる・・・

話が変わるが、このCDはステレオ録音なのである。子供の頃から「ハイフェッツはモノラル録音しか無い」と思っていたが、何とステレオの録音が残っているとは・・・

しかし音楽とは、曲目もそうだが、演奏そのもので人の心に入ってくる具合が違う。何とも不思議な生き物である。

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2007年7月11日 (水)

家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)

日本の家庭で、障害者が居る率がどの位かを計算してみたら、6.5%の世帯に障害者が居る、という結果が出た。(詳細下記)

弱者切り棄てで、まれに見る悪法と名高い「障害者自立支援法」について、弱者の立場で考えてみたい。(実は、自分はまだ不勉強のため、この法律の問題点がほとんど分かっていないが、これからシリーズで考えて行きたい)

本来は、予断無く考えるために「障害者自立支援法」その物を読むべきだが、何と271ページもある。さすがにメゲた・・・。

まず一般の健常者が「障害者の問題をどう捉えるか・・」で考え方も変わってくる。
前にカミさんから「人間が生まれる時、障害者がある確率で生まれて来るのは自然の摂理である。よって、障害者が誰の子供として生まれてくるかは“偶然”でしかない。だから障害者は、誰の子供として生まれても、それは社会全体で保護育成して行かなければならない。」という考え方があると聞いた。これは、その通りだと思う。(年金の世代間扶養の考え方と同じだ)よって、その視点で考えてみる。

まず日本の現状はどうか? 障害者は、一般家庭でどの位の率で存在するのかを調べてみた。ネットで色々と探すが、見つからない。エエイッ!面倒だ。計算してしまおう・・・
障害者は生まれた時から障害を負った児童も居るし、高齢になって脳出血で障害を負った人も居るが、厚生労働省の「身体障害児・者実態調査結果(平成13年6月1日調査)」が詳しい実態を示している。(どうも調査は5年に1回のようだ。たぶんH18年の調査結果が今年発表されるのだろう)

それによると「全国の18歳以上の身体障害者数(在宅)は、3,245,000人と推計される。」そして「身体障害者の人口比は、人口1,000人に対して31.1人であり・・」とある。

また児童については「全国の18歳未満の身体障害児数(在宅)は、81,900人と推計される。」そして「身体障害児の人口比は、人口1,000人に対して3.6人」とある。

つまり2001年の調査で、18歳未満の身体障害児の人口比は0.36%、18歳以上の身体障害者の人口比は3.11%である。
よって、身体障害児は常に0.36%の確率で生まれてくる(または発病する)事になる。
もし自分の子供が健常児だったら、99.64%の確率の中に入り、「ラッキーだった」という事になる。そうだ、単に「ラッキーだった」だけなのである。

また上記、2001(H13)年の日本の人口は1億2728万人であるという。
よって人口比では、
(3245000+81900)÷127289000=2.61%(2001年時点で)
となる。
また1世帯の平均構成人員は2.49人/世帯だそうだ。(H18年)

よって整理すると、人口比2.61%×2.49人/世帯=6.5%/世帯

つまり現在の日本の6.5%の世帯に障害者がいるという事なのである。(単位が「世帯」なので、若い人の単身世帯も独居老人世帯も、また大家族も同じ1世帯のカウントである)
これをどう見るか・・・・である。多いと見るか少ないと見るか・・・
世帯で見ると、93軒の家が、7軒の家の障害者を応援する・・・と考えると?
または、個人で見ると97人が3人の障害者を応援する・・・と考えると?

出来れば、93軒の中に入ったら「我が家はラッキーだったので、7軒さんの応援をしなくちゃ!」と考えたいし、また逆に7%の中に入ったら「我が家は(神さまから)選ばれた。大事に育てなくては・・・」と前向きに捉えたいもの。
だとすると、今回の「障害者自立支援法」のように、弱者切り捨ての法律を作るのではなく、逆に、あくまで選ばれた7%の弱者を93%の強者がどうバックアップするか、むしろ強化をする法律を作るのが“人の道”ではないかと思う。(もっとも、その立場に立ったら、自分はヘナヘナになるのは分かっているが・・・。でもカミさんは強いと思う。たぶん・・・)

ここからスタートして、いつまで掛かるか分からないが「障害者自立支援法」について、今後考えて行きたい。

(関連記事)
障害者自立支援法を考える(2)~その問題点と顛末

障害者自立支援法を考える(3)~各党の主張

障害者自立支援法を考える(4)~いよいよ抜本見直しか?

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2007年7月10日 (火)

薬の副作用は怖い・・・

今週の日経ビジネス(07/7/9号)の「心と体」コーナーに、『海外旅行と危険な感染症』というタイトルで、海外で罹った伝染病の恐ろしさについて書かれていた。昨年、フィリピンで犬に咬まれて狂犬病に感染し、帰国後に亡くなった例が2件発生したとか・・・・
そう言えば子供の頃、自分も犬に咬まれたことがあり、(親が)狂犬病の心配をしていたっけ・・・。(でもいったん発症すると、100%の死亡率・・・とは知らなかった・・・)

この記事を読みながら、以前のNHKの番組を思い出した。
それは、海外に行く前に日本で貰ったマラリアの予防薬が原因で、スティーブンス ジョンソン症候群という重症のアレルギーになり、生死をさ迷った挙句に失明したという話。しかしその方は、それから牧師の資格を取って、仕事で縁のあった場所で牧師になったという・・・・。

この番組は、06年10月1日にNHK教育テレビ「こころの時代」で放送されたという、安城教会牧師 武岡洋治さんとのインタビュー番組 「打たれた傷によって」である。(再放送:07/4/1を見た)

(ナレータ)
「武岡洋治さんが大学の教授を退官し教会の牧師になったのは3年前のことでした。それまでは、名古屋大学農学部で植物栽培学を教えていました。ライフワークは、稲の実りの仕組みを顕微鏡レベルで解明する研究でした。しかし14年前、農業調査に出かけたアフリカ スーダンで薬害に倒れ、目に重い後遺症を負いました。
日本の医療機関で予防用にと処方されたマラリア治療薬を飲み、その強い副作用のため、右目を失明。角膜移植によって取り戻した左目のわずかな視力に頼る生活となったのです。定年後、神学を学び牧師となったのは66才の時でした。・・・」

「・・・・9月4日、体の変調を感じ・・・目や喉が赤く腫れ、急速に悪化、・・・気を失ってしまいました。病院での診断はマラリア治療薬による極めて強いアレルギー。皮膚や粘膜がただれ、鼻や口の中の浮腫によって現地では9割以上が命を落とすと言われていました。目はほとんど見えず、ただれた消化器官からの下痢や下血が続くという思いがけない事態でした。・・・」

この薬は、出発前に日本の病院で貰ったファンシダールという薬だそうで、「一週間に一錠ずつ飲みなさい」と言われたので、出発前に1錠飲んで、現地でまた1錠飲んだ。そして体の変調を来して、マラリアかも知れないと思い、3錠目を飲んでしまった。これが誤りだった・・・という。
そして現地の病院で、これは既に世界的に使われなくなっている薬だということを知る。その後、厚生省に聞くと、ファンシダールはマラリアの治療薬としては認可しているが、予防用としては認可していない・・・という。
それを何故飲まされなければいけなかったのか・・・・
納得が行かなかった武岡さんは、医療裁判も考えたが、米国キング牧師が言った言葉=教会に爆弾が投げ込まれ、4人の少女の命が奪われた時の告別式での「自ら招いたものではない死は、人を救う力がある。だからこそ報復してはいけない」と人々を説得したという言葉=を思い出して、とどまる・・・・。
仏教では「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」という。~法句経(5)中村元訳から

このあたりの話はNHKのサイトから、(06/2/12にラジオ第2で放送された)武岡さんの「スーダンの盲学校をささえて」という番組を、今でもHPから聞くことが出来る。
ここでは「病院に入って一番助かったのは、海外青年協力隊でたまたまその病院にいた日本の看護士さんと日本語で話が出来たこと・・・」とも言っている。

しかし、視力をほとんど失うという凄絶な体験をしたが立ち直り、定年退官後、同志社大学神学部であらためて神学を学んで牧師になったというのだからスゴイ。

この人の話を聞いて、二つ思う。一つは不屈の精神の偉大さ。そして薬害の恐ろしさ・・・・
特に薬害は、幾ら多くの人で発症しなくても自分の体に合わなければ、大きなダメージを与える。しかも死に至る場合もある。(しかし、医師を怨まないで再発防止の運動をするとは、並の人では出来ない・・・・)

ある友人が「薬は必ず副作用がある。その副作用を止めるためにまた薬を飲み、その副作用のためにまた薬・・という悪の連鎖である。飲まなければいけない状況でも、出来る限り短期間服用すべきで長期の服用は避けるべき・・・」と言っていた。これは正しいと思う。
そのために「医食同源」を念頭に、脱“薬”を心掛けるしかない。しかし、これがなかなか難物だ。
でもまあ「病気はストレスから・・・」という原則を頭に、なるべくストレスから逃げて薬は飲まないことにしよう。(出来るワケ無いのに・・・・)

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2007年7月 9日 (月)

滝廉太郎の「憾(うらみ)」と「秋の月」

通勤の時に使っているMP3プレヤーから滝廉太郎の「うらみ」が流れた・・・。(何のことはない。単にシャフルモードでそのファイルが選択されただけだが・・)
しかしこの曲はいつ聴いても“すごみ”がある・・・。

滝廉太郎は22才の時にドイツに留学し、わずか2ヶ月で結核に倒れ、1年で帰国して、23才で亡くなったという。この「憾(うらみ)」というピアノ曲は、その死の4ヶ月前の遺作であるという。
そして、その楽譜には「Doctor!Doctor!」と走り書きしてあったそうな・・・
23才という若さで死を覚悟した無念さが、この曲から滲み出ている気がする。
滝廉太郎の遺作「憾(うらみ)」を少しだけ聞いてみよう。小川典子のピアノ演奏である。

滝廉太郎/小川典子(pf)「憾(うらみ)」

ところで、滝廉太郎と言えば「荒城の月」だが、それを聞くと直ぐにハーモニカを思い出す。小学校の時(昭和30年代)、学校で“楽器”といえばハーモニカだった。珍しくお袋からハーモニカを教わって、良く「荒城の月」を吹いた。そして先生から褒められて、学芸会でも独奏した。その写真が残っている。
歌を歌って褒められた記憶が無いので、自分の音楽好きのルーツは、意外と荒城の月のハーモニカだったのかも知れない・・・。

しかし滝廉太郎の歌曲では、自分としては(「荒城の月」は別格として)「秋の月」が好きだ。これは「四季」という混声四部合唱の秋の部分である「月」を、山田耕筰が独唱曲として編曲して「秋の月」としたものだそうだ。
この「秋の月」を三原剛の独唱で少し聞いてみよう。

三原剛「秋の月」

「秋の月」
  作詞・作曲:滝 廉太郎

 光はいつも変わらぬものを
 ことさら秋の月の影は
 などか人にものを思わする
 などか人にものを思わする
 あゝ鳴く虫も同じ心か
 あゝ鳴く虫も同じ心か
 声のかなしき

ついでに、原作も少し聞いてみよう。

<混声四部合唱「四季」から「月」>~ 中村邦子(S)中村浩子(Ms)中村健(T)平野忠彦(Br)三浦洋一(p)(CDはこれ

ところで、天才は若死にするという。
若死にで有名な作曲家としてはシューベルトが知られているが、それでも31歳である。それに続くのがモーツァルト35歳、ビゼー37歳、メンデルスゾーンとショパンの39歳と続く。それに比較して滝廉太郎の23歳の死はあまりに若過ぎる。これでは作曲しているヒマ(失礼)など無いではないか・・・
ちなみに長生き作曲家では、シベリウス92歳を筆頭に、ドボルザーク90歳、ストラヴィンスキー89歳、ヴェルディ88歳、サン・サーンス86歳・・・・

少なくとも、自分が死んでも「若過ぎた・・」と評価されることだけは無いと思う・・・・。残念??だが・・・・
(滝廉太郎の話が、なぜ作曲家の年齢分析になるのかは“永遠のナゾ”である・・・)

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2007年7月 8日 (日)

増田博一氏の「画家が戦争を記録した」

今日(07/7/8)の朝日新聞朝刊に「写真が語る戦争」(P35)という記事があり、陸軍幼年学校について書かれていた。これを読みながら、フトしたことから先日読んだ増田博一氏の「画家が戦争を記録した」を思い出した。今日はこの本の紹介である。

Scan102711_3 この本は、昭和19年3月18日に出征してからフィリピン ミンダナオ島で降伏し、昭和20年12月に復員するまでの1年9ヶ月間に起こった出来事を、チラシの裏などに描いたものの画集。筆者は、復員した直後に、憑かれたように昼は図書館でデッサンをして、仕上げの彩色は自宅で描いたといい、アッと言う間に出来上がったという。
しかしその評価は、
戦中からの回覧板の習慣を利用し、画集を町内班員(約30世帯)に見せたことがあった。当時、人の関心は画集より食い気が先だった。それにこんな兵隊じゃあ日本も負けて当たり前と、暗に私を非難した苦言や嘲笑に終った。・・・勤め先関係で海軍士官の経歴をもつ事業主から、こうした画集は、はやく焼却したほうが君の安全のためにもいいという忠告まで受けた。」(あとがきから)
なぜか? それは幾ら戦後とはいえ「真実」を語っていたからではないか?

以下に印象に残った幾つかの絵を転載してみる。ここには、一兵卒から見た戦争の真実が描かれている。検閲も何もない日本軍の本当の姿・・・

順を追って見てみると、3ヶ月の「臨時教育招集」での訓練の様子(市街地での訓練もあったのか・・・)。
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教育終了の最後に日に、戦地に行くメンバーの発表。そして家族のもとに帰る人と、戦地に招集される人との残酷な対面挨拶・・・。
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台湾を経てフィリピンに行く船での、リアルなトイレの絵。
友人Mの狂気。(米軍上陸の数日前に、昇汞水による筋肉注射で薬殺されたという)
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ジャングルの中を逃げまどう「皇軍」。そして人魂と、死後一昼夜で白骨化する気候。そして降伏・・・・
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この兵団は5194名中、4028名(78%)が戦没。しかしこの内、直接の戦闘による戦死者は638名(16%)で、大半の将兵は戦略的にはほとんど無意味な密林での行動中に失われたという。
そして、8月15日ではなく10月初旬の投降・・・・。

「百聞は一見に如かず」とは良く言うが、この画集で表現している「一見」は、単なる戦場のワンカットを切り取った写真とは違い、人間の「心」というフィルターを通った悲惨な戦場の有様だ。

憲法第九条の改正議論を前に、先人が大変な犠牲を払って経験した(しかし風化しつつある)戦争という現実の重みを、我々も、今一度噛みしめてみる必要があるのではないだろうか。

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2007年7月 7日 (土)

八王子・夏の風物市でナスを買った

P10003401 毎年恒例の「八王子・夏の風物市(あさがお市)」に行った。7/7~8に開催される。
(カミさんの)目的はナスの植木を買うことである。田舎への土産も含めて3つ買った。1つ900円だった。(もちろん自分はカミさんにせつかれて付き合うだけだが・・・・)

最初に買ったのは何時だったか・・・・もう忘れたが、今年が第6回目というので、ずっと買っていたのかも知れない。とにかく、秋までたくさんナスが出来るのである。
それから(カミさんが)“はまった”。いつだったか、前に鉢から外して庭に植え替えたことがあった。その時は全くダメだった。どうも鉢の中に『実がなる』ヤクが仕込んであるらしい。それからは言われるままに水だけ。それでもナスがたくさん取れる。

八王子の“夏の風物市(あさがお市)”の写真を付けておく。
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毎年思う・・・。こんなにちっぽけな鉢から、何でこんなに大量の作物が取れるのだろう・・・?
ナスの原料は鉢の中にある訳で、その原料がたくさんのナスに変わる?
「1+1=2」(・・・これは間違い無い)の世界から考えると、到底理解できない・・・・。
(鉢の中の原料)+(ナスの木)+(水)+(太陽)=(数十個のナス)・・・!
植物とは不思議な生き物である。

(それに比べて、自分は毎日大量の食物をインプットしていながら、何をアウトプットしているのか・・・? 効率の点から“ナスさま”を尊敬してしまうこの頃ではある)

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2007年7月 6日 (金)

「社会保障カード」を考える

今朝(07/7/6)の日経朝刊トップは「首相 社会保障カード 11年めど」という記事だった。7/5に安部首相が記者会見で「2011年をめどに社会保障カードを発行する方針を打ち出した」という。ここで「社会保障カード」について考えてみたい。

070706nikkei 「社会保障カードとは何ぞや?」については、今朝の日経に載っていた「きょうのことば」が分かり易い。『年金や医療、介護など社会保障関連の個人情報を一元管理するカード』だそうだ。
ここで思い出すのが、住民基本台帳ネット(カード)だ。
これは住民の4情報(氏名、生年月日、性別、住所)を電子化してネットワーク化するもの。情報流出で一番心配な「閲覧」について「住民基本台帳法」に目を通してみた。すると公益性があれば個人でも閲覧できるようだ。

(個人又は法人の申出による住民基本台帳の一部の写しの閲覧)
第11条の2 市町村長は、次に掲げる活動を行うために住民基本台帳の一部の写しを閲覧することが必要である旨の申出があり、かつ、当該申出を相当と認めるときは、・・・・・その活動に必要な限度において、住民基本台帳の一部の写しを閲覧させることができる。

ただしこんな条項もある。

2 市町村長は、毎年少なくとも1回、第1項の申出に係る住民基本台帳の一部の写しの閲覧の状況について、申出者の氏名、利用目的の概要その他総務省令で定める事項を公表するものとする。

どうもこれが歯止めのようだ。

ネットワーク時代の現代社会において情報の電子化は当然の流れだが、個人情報管理の観点では大変に課題が多いと思う。つまり、住基ネットで行われている歯止め程度で良いのかが心配だ。

これが実現すると、国が個人の病歴や職歴などあらゆる個人情報を知り得る事になる。
もし、何らかの手段でその個人情報を覗くことが出来る立場の人を想定すると、(今は死語になってしまったが)“お見合い”の話が来た時は、先ず相手の登録してある情報をのぞくだろう。(自分だったらのぞくな・・・)事前にチェックが可能になるので安心だ。逆に覗かれた方からすると、とんでもない人権侵害だ。

今までの(集中管理していないアナログ)社会では、自分の過去の経歴に口を閉ざして生きることが可能であり、過去を切り捨てて挽回=立ち直ることも出来る。しかし、自分の過去が他人に簡単に分かってしまう(知られ得る)時代が来ると挽回が出来なくなる。つまりジャン・バルジャンが成り立たないのである。(ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」で、過去を伏せて市長になったジャン・バルジャン・・・) これも死語だがレッドパージなどもやり放題だ。
昔見た「イレーザー」というシュワちゃんの映画で、コンピューター画面上に出た、人のデータを歯形まで死んだ人と入れ替える場面があったが、これもありえる事になる?・・・

もし、時代の流れで「社会保障カード」が“しょうがない”とすると、課題は対策である。
フト思い付いたのだが、自分の個人情報を閲覧した人を、その個人に教える。というのはどうだろう?個人の請求によって、いつ誰が自分の履歴を閲覧したか教える・・・。つまり、もし医者が自分の病歴を閲覧したことが分かっても、「ああ、あの時の主治医だから仕方が無いな」と納得できる。しかし、お見合いの相手が見ていたら破談にする事が出来るぞ・・・。(自分の場合は、既に手遅れだが・・・)

ともあれ、今回の年金問題を契機に、社会保障カードの議論も盛んになると思われる。これからの長い将来を考えると、時代の流れで何時の日か、データの電子化は避けて通れないと思う。そのときは、人権侵害につながる個人情報の管理について、力ずくで止めるだけで無く、閲覧者の徹底開示などのフィードバックで“原理的にブレーキが掛かる”仕組みとして欲しいものである。

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2007年7月 5日 (木)

映画「明日の記憶」を見た

先日の日曜日(7/1)の夜にTV朝日で放送された映画「明日の記憶」を、HDDに録画しておいたので、今日それを見た。思ったよりも良く出来ていた。

この映画は、映画館でやっていた時も意識はしていた。そしてDVDでレンタルが開始された時も分かっていた。しかし今まで見なかった。
何故か? ・・・少し怖い気がしたので・・・

主人公は49才でアルツハイマー病に冒され、記憶が壊れていく。そしてそれを奥さんが支える・・・・。
絵に描いたようなストーリーだが、何かテーマが怖い。いつ自分がそうなるか分からないので??
この映画を見た人は皆心当たりがあってドキッとするらしく、放送の次の月曜日、同僚から「昨夜、アルツハイマー病の映画を見たが、自分にも色々と当てはまるので、自分もそうではないかと疑ってしまった・・・」という雑談が出る始末・・・。
そう言えば、自分も10年ほど前に、パスワードが出てこなくなり、ドキッとして脳神経外科に行ったことがあったっけ。(臆病なもので・・・・)
その時に、同じ様なテストをされ、笑われて帰らされた。まあラッキーだった訳だが・・・

映画そのものは、あまり汚い場面が無く(下(しも)の話とか・・・)、きれい事の映画だったが、自分にとってはそれがむしろ救いだった。あまりにリアリティがあると見ていてツライので・・・
ラストシーンでは“とうとう奥さんの顔も分からなくなる。でも奥さんはそれを受け入れて気を取り直す・・・”という場面で映画は終わった。施設も含めて、ストーリー的に“その後への救い”があったのは、見ていてホットした。もう一度書くが、“あまりにリアリティがあると見ていてツライ・・・”

しかしどの家庭も、この様な逆境の時に“家庭の実力”が出るのだろうと思う。一見平和そうな家庭も簡単に崩れたり、逆に毎日ドタバタやっていた家庭が団結したり・・・
我が家も、その内に同じ様な事態にならないとも限らない。いや、なるだろう。
その時は、「看護している人が不幸(限界)なら、看護を受ける人の状態はもっと悪くなる」という話もあるので、“出来る限りはやるが、限界を超えた時には施設や外部の力を借りてやろう”というのが、どうも我が家の結論らしい。
(カミさんが「男の人は、下(しも)の世話になるとからきし弱い」と言うが、自分もそれは認める・・・。でも、取りあえずは忘れてしまおう。「怖いモノには蓋」が我が家の家訓なので・・・。まあ「起こった時はその時だ」・・・)

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2007年7月 4日 (水)

著作権の70年延長は疑問だ

先日(07/7/2)の日経朝刊に「インタビュー領空侵犯」(P4)というきわどい名前のコラムがあり、元マイクロソフト副社長の古川享(ふるかわすすむ)氏の「著作権70年は長すぎ~デジタル対応こそが本筋」という記事が載っていた。
ここで、保護期間について考えてみる。

この記事で、筆者は「・・・消費者の視点で考えると、著作権を70年に延ばすのは長過ぎだと思います。著作権は作者や音楽家などの創作意欲を高めるため、経済的対価を保証するのが狙いです。・・・」と述べている。

ここで改めて著作権法に目を通して見た。
(目的)
第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

これが全てだ。

Wikipediaの「著作権の保護期間」では、
ベルヌ条約7条(1)によれば、加盟国は、著作者の死亡から著作権の消滅までの期間を50年としなければならない。著作者の死後50年まで著作権を保護する趣旨は、著作者本人およびその子孫2代までを保護するためであるとされている。」
とある。

ここで言う「保護」というのに疑問を持った。
ある作家が苦労して作品を書いたとする。作家の死後、奥さんに著作権料が入るのは分かる。そして、子供もまあ分かる。売れない作品ばかり書いている時代、食うものにも困ったが、それを一緒に乗り越えた・・・・かも知れないので・・・。
そこで今度は孫である。50年は孫まで著作権料が入るようにするのが目的だそうだ。これからが疑問である。
自分に当てはめてみても、お祖父さんが書いた作品の著作権料が自分の銀行に入る・・・。非常に違和感がある。まさに不労所得である。入るいわれは無い。でもこれは現法律で認められている。

この法律で、唯一「遺族」という言葉が出ている条項がある。
(著作者又は実演家の死後における人格的利益の保護のための措置)
第百十六条 著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。)は、・・・・請求をすることができる。
2 前項の請求をすることができる遺族の順位は、同項に規定する順序とする。・・・

つまり、この法律で規定しているのは「孫」までである。それが50年の背景であるらしい。それを70年にする議論は、何と「ひ孫」まで保障するというのである。
もちろん会った事も無い“曾お祖父さん”の著作権料が自分の銀行に入る・・・・。何という違和感か・・・。まったくおかしい。

70年延長を求めている声明と、反対している声明を読んでみた。

著作権問題を考える創作者団体協議会の『共同声明』(2006年9月22日)

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名(青空文庫)

この二つを読んでみたが、自分は圧倒的に青空文庫に賛成だ。
70年を求める理由は、単に「著作権の保護期間を、国際的なレベルである『著作者の死後70年まで』に延長することを要望いたします。」であり、利権の延長以外に理由は無いように見える。

もし「創作意欲を高めるため、経済的対価を保証する」という著者へのインセンティブが必要なら、作者が“生きている内”に作者本人の手に入るように、著作権料を高くすれば良い。なにも曾孫まで不労所得という金を落とすのではなくて・・・・
上記新聞に、以下のように保護期間を著者自ら指定するという考え方もあるそうで、これは合理的で賛成だ。曰く、
「米スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授が『クリエイティブコモンズ』という運動を展開しています。一律に保護期間を課すのではなく。著作者が自ら一定の保護期間を指定し、それを過ぎたら共有物にしようというものです。」

ここまで書いたら、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」というのがあることが分かった。
ここにある“保護期間「延長派」「慎重派」それぞれのワケ”というのが分かり易い。まさに、自分が今まで思っていた事が書いてある。ここにある反対理由に同感だ。

話は飛ぶが、先日(07/6/24)「NHKアーカイブス」という番組で、ETV特集-「わが思いはアンデスの峰に~南米日本語放送の32年~」(1996年制作)というのをやっていた。
もう10年も前の番組だが、南米エクアドルの首都キトからの日本語放送に、南米各国の日本からの移民の人たちが聞き入っているという話だ。この放送をやっている夫婦は、32年前に、一日に1時間の日本語の為に移住してきたそうで、取材から機械の操作、そしてアナウンサーまで全てを夫婦でこなしているという。
そして日本人の昔からのリスナーの老夫婦が、年に一度地方からキトに上京し、放送局を訪ねてくるのが楽しみだそうだ。そこで、現地では手に入らない古い日本の本を、大切そうに借りて行く場面ががあったが、実に印象的だった。
ここで言いたいのは青空文庫の存在である。青空文庫のようにネットで公開されれば、地球の裏側でも日本の文化に直接に接することが出来るし、老人向けに音声での読み上げも可能だ。

話を戻すが、あらゆる可能性が出てきたネット時代の利便性を、ある一部の人の利権のために逆行させるのは反対である。それに、拙速な法の改定だけは止めたい。
拙速な立法の弊害は、「障害者自立支援法」だけでたくさんだ。これについてはまた書こうと思う。

この青空文庫のHPに「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」というのがあったので、自分も署名して送ろうと思ったら、4月末が締め切りだった。残念。しかし第二期もあるらしいのでそれに署名することにしよう。

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2007年7月 2日 (月)

国会図書館に行った

国立国会図書館に行ってみた。今日は、その2時間のドキュメントである。

前から行こう行こうと思っていた場所に、国会図書館があった。何となく機会がなかったが、今日は会社の創立記念日で半ドンだったので、何となく行ってみた。
有楽町線の永田町で降りて2番出口を出ると目の前。
HPで見た通り、新館の入り口に向かう。案内の人に聞くと、まず入門証を貰って中に入り、全てはそれからだという。「DVDもあるのか?」と聞くと、「あるにはあるが数は揃っていない」と言う。
タッチパネルを前に、住所・氏名・電話番号を入れると、カードが発行される。無料のコインロッカーに鞄を預け、透明の袋に筆記用具を入れて入門。
せっかく来たのだから以降のために利用者登録をしようと、その窓口に行く。免許証を見せてインプットして貰い、氏名入りのカードを貰う。無料。これでこれから手続きが簡略化され、HPから複写の申し込みも出来るらしい・・・。

時間がないので、まず新館1Fの「音楽・映像資料室」に行く。ここだけは4時申し込み締め切りで5時閉館なので・・・。
着いたのが4時5分前。面倒なので係の人に聞いたら、見たいDVDが決まっているのなら、パソコンであるかどうか検索せよと言う。言われるままに「ひめゆりの塔」と入れたら、ある。言われるままにカードに記入する。そしたら「許可申請証」を書けという。住所氏名は良いのだが「理由」という欄があり「何とか書いたら良いのか?」と聞いたら「自分で考えろ」と言われてしまった。仕方なく「視聴」と書いたら「ダメ。何かの研究と書け」と言う。なるほど、確かに単なる視聴ではレンタル屋に行けということになるな・・・。と納得して「沖縄戦の研究」と書いたら通った。
数分後に呼ばれて、14番コーナーで見ろという。何と、映像を見られるコーナーは3つしかない。たまたま空いていたので座れた。他にCDを聞く音楽のコーナーが4~5席あったか・・・・ 
渡されたのはDVDの空箱だけ。メディアは受付の横に各種プレヤーが列んでいて、それにセットしたらしい。席に座ると小さなタッチパネルがあり、それで操作をする。プレイボタンを押すと、映画が始まった。2時間の映画だったが、5時前に追い出され、半分しか見られなかったが、手順は分かった。

今度は、本を読む手順にチャレンジ。皆が向かっている検索用のPCに向かう。カードを置くと、PCが起動する。別に読みたい本があるわけでは無かったが、夏目漱石と入れても仕方がないので、志村さんの名前を入れてみた。そしたら16件出てきた。ちょうど絶版になっていた「おじいちゃんの書き置き」を借りてみることにした。クリックして、案内の人に聞いたら、本を地下の書庫から運んでくるまで10~20分くらいかかる。来たらカード番号が表示板に表示されるので、取りに来いという。
時間があるので、また検索PCに向かうと、到着案内のアイコンがある。叩いてみたら「未到着」だった。なるほど、ここにも表示されるのか・・・と、遊んでいたら、程なく「到着」と表示された。そして本を取りに行ったら「ハダカのピッカピカ(失礼)の本」を渡された。
普通の市立図書館だと、表表紙ごとフイルムでカバーされているが、国会図書館ではどうも表表紙は破棄されてしまうらしい。なるほど、中身で勝負か・・・・
でも本は、ハダカだと何とも味気ないな・・・・
志村さんのこの本も、本当は手垢で汚れていると良いのだが、ピッカピカ。どうも自分が初めての読者らしい。せっかくなので(失礼。今日はテストなので・・・)、閲覧室に行って30分ほど読んだ。閲覧室は5時を回っていたせいか、ほとんど人気がなかった。

この本は、まさに「私の履歴書」風に始まる。そして、あらゆる世界の「雑学」が詰まっている。志村さんのblogにも載ってはいるが、やはり本でまとめて読むのが良い。
しかし、この絶版も在処が分かったぞ・・・
という訳で、次の予定があったので6時過ぎに退散した。

一部、科学技術や人文などの開架式の部屋もあるが、原則全てがPCで本を指定して1冊ずつ借りる仕組み。どうも、日本の全出版物が揃っているというこの図書館の利用目的は「複写」にあるらしい。掲示を見たら、著作権法的に本の1/2まで複写が出来るという。それ以上は著者の許可証を持ってこい、とあった。逆に、手数料さえ払えば絶版の本でも半分のコピーは頼めるらしい。しかも郵送もしてくれるらしい。

まあ、初めて行った国立国会図書館。何度か行く価値はありそうだ。
“サンデー毎日・・・恐怖症”を前に、着々と時間つぶし(失礼)の場所を探す団塊の世代の悲哀ではある。

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2007年7月 1日 (日)

NHK「新マチベン」が面白そうだ

NHKの土曜ドラマ「新マチベン~オトナの出番」がなかなか面白そうだ。

このドラマは、初っぱなからイヤミだ。還暦60才でやっと弁護士になったという3人が主人公。
このドラマのHPを覗いてみたら、「ドラマのみどころ」と称してこんな事が書いてあった。
「いよいよ、2007年4月以降、現在60歳前の団魂の世代が企業から抜ける現象が起こります。しかし、定年を迎えても、新たな生き甲斐や職業に挑戦している退職者は少なくありません。これからは、定年退職者が新しい人生を自らつかみとる時代!」
(だからと言って何も「弁護士」でなくても良いだろう・・・。ったく・・・)

でも「60才を越える新米弁護士を雇う物好きが居るとも思えない・・・・」ナンテいうセリフもあって、誰も事務所に就職できずに自前の事務所を構える。(まあこれは、そうかも知れないな。今話題の元公安調査庁長官の弁護士でも、生活が大変だと新聞に書いてあったし・・)

そしてドラマは痴漢事件から始まる・・・。
(痴漢事件だけは、いつでも誰でも巻き込まれる可能性があり、テーマとしては身近だ。でも本ドラマではキーではなさそうだ)

しかしドラマはドラマとして、主人公の渡哲也は何故こうも堅いのだろう。役柄だけではないように思える。肩を怒らせ、見ている方も疲れる。
それに対して、石坂浩二の力みの無さは対照的・・・。
考えてみると、この様な法律ドラマには、石坂浩二は良く出演するな・・・。
4年ほど前に見た「裁判員-決めるのはあなた」という映画にも石坂浩二は出ていた。何か因縁があるのかな・・・?

ともあれ、色々なメディアで“これから世に排出される?団塊の世代”に焦点が当たって行くのだろう。
でもまあ客観的に、色々とうごめく団塊の世代の「その後」の世界を、冷静に観察してみようではないか。(自身の心構えとして・・)

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