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2007年6月 7日 (木)

父親は「代打の切り札」?

Nikkei0706041 先日(07/6/4)の日経に「挑む 中学受験 子には自然体で 父親は『代打の切り札』」というコラムが載っていた。(P25)
中学受験という言葉は、我が家では、もう15年も前の話でとっくに『死語』になっているが、まあその話はさておき、コラムの後半の言葉がなかなか良い。

曰く・・・
・・・でも父親には父親の『出番』がある。・・・そして最後の最後、人生最初の敗北に打ちひしがれている我が子に語りかける言葉を準備しておくのも、たぶん父親の務め。父親の役割は、野球に例えれば、代打の切り札のようなものではないか。本当は自分も活躍したい。でも、最後まで出番がないのが、チームには最良の展開。・・・
これは実にもっともな話だ。

(我が家を飛び出して行った)ウチの息子どもについては今更語る気は無いが、世の若き父親たちには、良く味わって欲しい言葉ではある。
(我が家では、父親だけは立派だったが、何せ磨く相手(子供)のデキが良くなかった!? これは決して生んだ母親が悪い訳ではないが・・・。いやそうでもないかな? ゴメン・・・・)

P10000031 (記事とは関係ないけど、ウチの庭の花一輪・・・)


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コメント

こんにちは。
なるほどと、妙に納得しました。
代打はプレッシャーがかかりますが、それだけに準備に準備を重ねて、いざという時に備えるのですね。
人生において、代打逆転満塁HRは打ちたいものです。

投稿: まだまだ現役 | 2007年6月 8日 (金) 13:34

 もう 20年余り昔の話です。まだ パソコンという言葉はなく、小型のビジネス・コンピュータが幅を利かせていました。当時 私は 6~7県ほどのエリアを統括していましたが、社内でコンピュータを扱う管理部門の若手連中が、地域貢献のために 毎週 水・土の夜、空いている会議室を利用して 市民向けに「コンピュータ講座」を開設したいと提案してきましたので、私は “面白かろう”と 諒承し、出入りの電機販売会社と交渉して 東芝のビジネス・コンピュータ20台を無償で借り入れる手配だけして、後は任せました。
 若手連中はプロの指導員を誘って、3年程講座を維持していました。無論私は コンピュータのコの字も知りませんから、4ヶ月毎の終了式で卒業証書を渡すだけが仕事でした。まだそのような講座は珍しかった所為か、地域中小企業の社員や大手と目される企業に在籍している人たちも、自己啓発的に来ていました。
 破格に安い受講料を設定していましたが、それでも結構な黒字を計上してくれていましたので、私は本社と折衝の上、これら利益を自由に使えるようにし、若手の発案どうり毎年2回 無料の「文化講演会」を開催、その地域ではなかなか聴けない著名人を招いて名物イベントに育てていました。

 その有名人のお一人に フィールズ賞を受けられ、盛んに「教育論」を発表しておられた少壮大学教授に お越しいただいたことがありました。

 偶々 その講演当日が、私の倅が通っていた高校の“学園祭”と重なっていたことから、先生方が講演を聴けなかったそうで、後日 息子が原稿用紙を2枚ばかり持ち帰ってきて、「その月の校内誌に載せるから ○○氏の講演要旨を書いてもらってくるように…」先生に言われたと申します。

 約1時間半の講演の要約は至難の業です。結局 普段から子供の教育には無頓着で、父兄会とやらにも 一度も足を運んだことのない不義理を詫び、
 「ディズニーの漫画『バンビ』というのがあった。森の王子バンビは、母親鹿の愛情でスクスク育っていったが、父親鹿は 親子から離れて画面には一度も姿を現さない。
 ある日 森に大火事が発生したとき、成長したバンビが 森の小動物たちを率いて火から逃れようとするが、途中 絶体絶命の窮地に立たされた その時、霏霏と雪が降りしきるロッキーの岩山の頂に スックと立つ父親鹿がバンビたちを見おろすシーンがあった。バンビたちは その父親鹿を眺めて勇気を奮い起こし、危難から逃れることが出来た。
いつも母親任せにしていて申し訳ないが、私はそんな父親像を思い描いている」
と書き綴った原稿用紙を 学校に持たせました。帰宅した息子曰く、「君の親父さんは変人だナといわれたヨ」
 
 誠に偶然ながら、倅は大学で そのフィールズ教授の薫陶を受け、卒業後は、民営化されたさる会社で、次世代コンピュータ言語を開発する仕事に携わることとなったのですが、不甲斐なくも猛烈な仕事の忙しさに翻弄され、入社17年目の中堅の立場で いわば火勢に圧されて逃げ場を失い、突如 遺書を残して失踪してしまいました。

 元官庁に等しい会社は、JR西日本と同じく 信じられないくらい無責任、冷淡、逃げ腰でした。私は ロッキーの岩場に立って見下ろすほど肝が据わっていませんから、爾来徹底的に相手会社と立ち向かい、彼らが無断で供託していた退職金その他も 民法第25条をたてに取り戻し、告訴こそ見送りましたが、すべての手を講じた後 出奔後588日目にして、やっと本人を街角で見つけ出し、無事連れ帰りました。

 それから2年が経とうとしています。本人の健康・知能に異常はありませんでした。今は、ひとまず 平穏な日々を過ごすことが出来ています。

 mei-chanさんの“父親は「代打の切り札」”を読んで、過ぎ去った日のことを想い起こしました。

 ピンチヒッターの出番のない試合なんて、アルコール抜きの発泡酒を飲むようなものだと思います。波瀾万丈の人生こそオモシロイのではありますまいか。

投稿: ヤ ク オ | 2007年6月 8日 (金) 23:16

ヤクオさん
凄まじい体験をされていますね。
しかし「波瀾万丈の人生こそオモシロイ」と受け止められる事こそ「肝が据わっている」事になりませんか?
まあ自分など、出来れば死ぬまで息子どもの「越えられない壁」としてそびえ立って?いたい所ですが、一方では「息子に越えられることこそ喜び・・」という話もあるそうで、色々ですね。
しかしまた、大人になってからの親のあり方も、考えてしまいます。
デパートに行くと、どちらが親か分からない母娘のカップルが沢山います・・・

========
まだまだ現役 さん

確かに代打が必要の無い平穏が良いのですが、ヤクオさんの体験のように、いざというときに長年の経験がモノをいうのでしょう。

投稿: エムズの片割れ | 2007年6月 9日 (土) 08:06

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