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2007年6月 3日 (日)

映画「武士の一分」を見た

映画「武士の一分」を見た。映画館でやっている時は、キムタクのポスターにあまりそそられず見なかったが、その後、原作の藤沢周平「隠し剣秋風抄」の中の短編「盲目剣谺返し」を読んだら、映画も見たくなった。
それで、いつもの通りDMM.COMに予約を入れておいたら、6月1日にDVDが発売になり、送られてきたDVDをさっき見たというわけである。

原作を先に読んでいたためか、非常に「違和感」を感じた。
映画のシナリオや設定は映画独自のものであり、否定する訳ではないが、あまりに原作が頭に残っていると、どうしてもそれを念頭に映画を見てしまう。
しかし余韻という意味で、この映画は自分にはフィットしなかった。

まず時間軸の慌ただしさ。原作は「・・・眼に光を失ってから1年半近く経つ。」から小説が始まっているが全ての時間軸が圧縮されている。なぜ全てを短期間に凝縮するのか分からないが、これでも余韻が消えた・・・
特に、最後のクライマックスの加世が戻るシーンでは、原作では女中を頼むと決めてから、3日後に来て・・・・となっているが、映画ではその日の晩飯には間に合っている。その時間軸の慌ただしさ・・・・。
カタキの死に方(腕を切られる)をはじめ、全てのディテールの設定の変更に必然性が感じられず、違和感だけが残った。

それに役者も何かフィットしなかった。キムタクよりも「たそがれ清兵衛」」の方が、むしろフィットしているように思えるし、カタキの島村の役者も、もっと悪人面の役者の方が良かった。(あえて役者名は書かないが) でも徳平役は合っていたな・・・。

短編は、事細かに書いていない余韻が命。それを2時間の映画に“伸ばす”には色々とストーリーに変更が必要なのかも知れない。それでなくては、直ぐに終わってしまって持たないのかも・・・
でも、まあ監督は大変だ。原作を読んでいる人たちを相手に、何らかの形で「納得」させなければいけないので・・・。
(自分も原作を読んでいなければ、また違った感想になっただろうに・・・)
最近、藤沢周平に懲りだした今日この頃ではある。

(付録)一緒に見たカミさんの評:
「どうだった?」
「話が単純なので30分で良い。私も下働きのお爺さんが欲しい。メイ子(犬)の散歩も頼めるし・・・・」~どうも聞くだけ無駄だったようだ・・・・

P10001721_1 (記事とは関係ないけど、散歩の時に撮った花一輪・・・)


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コメント

そもそもが女房を寝とられた点がノー・サンキューになるのでは?。監督も弘法の筆の誤りあるんですね。

投稿: なんだかんだ | 2008年5月 3日 (土) 17:27

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