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2007年6月の31件の記事

2007年6月29日 (金)

沖縄戦の映画「ひめゆり」を見た

今日(07/6/29)、志村さんにご一緒いただいて、長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を見た。あまりblogでこの様なことを書くのも気が引けるが、ぜひ一人でも多くの人に見て欲しいと思った。

切っ掛けは、blogにあった「ひめゆりの塔」との一言から。ウィキペディアで「ひめゆりの塔」を読んでいたら、下の方に“長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」”というリンクがあり、それでこの映画の存在を知った。
6/29まで上映・・・との記載があったので焦ったが、7/13まで延長され、東中野の駅前の「ポレポレ東中野」で上映中だ。

この映画は、「ひめゆり学徒隊」の生存者22人の証言をまとめたもので、ナレーションも何もない。淡々と、生き証人の証言が続く。昭和20(1945)年3月23日の戦場動員から6月末の悲劇的破滅に至る3ヶ月間の記録である。
映画で、もう80才近いおばちゃんが、自分の居た壕の入り口に立って、当時のありさまを証言する。そこにはまさに「事実」がある。いや「真実」しかない。

昭和20(1945)年3月23日、米軍が沖縄本島に攻撃を開始した。そしてこの日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の222名が、18名の教師に引率されて戦場に動員された。病院のための壕を作り、10~11人の生徒で600~700人の兵士の看護をする。
壕の中は人人人・・・。足の踏み場もない。寝る場所もない。寝るのは壕の入り口のみかん箱に座って・・・。でも座るのを先輩に譲って、自分はつっかえ棒につかまって“立ち寝”・・・。
そして、手術の手伝いで命じられるままに、まだ体温が残っている切り落とされた手足を捨てに引きずっていく自分。すれ違った炊事軍曹さんに「すごい女だな」と言われて、血も涙もない人間に変わってしまったのかとハッと気が付く自分。

そして悲惨なのが、6月18日夜の「解散命令」・・・。米軍に包囲されている状態で、解散するので壕から出て行け。これからは自分の判断で動け。とは、まさに軍の責任放棄。自分の責任で死ねと・・・・。
そしてそれまでの3ヶ月間の死者19人に対して、「解散命令」からの数日で100名以上が亡くなり、動員された「ひめゆり学徒隊」222人中123名の生徒が亡くなったという。
しかもその理由が「捕虜になるくらいなら、死を選ぶ」という“軍国教育の成果”。
『自分が捕虜になって、親兄弟だけでなく親戚まで、皆から国賊・非国民呼ばわりされる位なら死んだ方がまし・・・』という思い・・・。でも「お母さんに一度会ってから死にたい」という悲痛な叫び・・・。「お母さん助けて!」という声・・・

Scan102671_2 映画を見終わって外に出ると、夜の部は時間帯が良いらしく、沢山の人が入場を待っていた。そして皆の手にパンフレット・・・。
つい自分も買ってしまった。
帰りの電車でめくったこの冊子に、まさにこの映画の「心=想い」が書いてあったので、左に載せてしまった。

ここにも書いてあるように、
「今回の映画ではひめゆり学徒生存者が生の声で当時の様子を鮮明に語っています。この映画は、生き残った者の真実の叫びであり、亡くなった友への心の奥底からの鎮魂の思い出を綴ったものです。」

(この冊子には、おばちゃんの全ての証言=言葉が活字化されている。気になった言葉も、後で噛みしめる事が出来るのは有り難い)

ドラマも映画もそうだが、ある事を描くのに、主人公を立て、その人の動きで色々な事を表現する。この映画では、「ひめゆり学徒隊」という主人公を使って“戦争の悲惨さ”を見事に、と言うよりあまりにリアルに表現している。
冊子にも書いてあったが、「証言による想像力」の力である。
決して「ひめゆり学徒隊」の活躍を格好良く描いているのではない。そこにあるのは、戦争という現実の重みだけ・・・

家に帰ってカミさんに話したら、自分も見に行くという。
自分は20年ほど前だったか、出張のついでに沖縄を観光バスで2日間回った事がある。もちろん「ひめゆりの塔」にも行った。
だからカミさんから『沖縄に行こう』と言われても逃げていた。しかしこの映画の影響か、行く気になってきたぞ。たぶん今度は、別の思いで「ひめゆりの塔」を見ることになると思う。
そして、県民の1/3が死んだという沖縄県民の本土への思いも感じに・・・・

しかし今更ながら、全県民が逃げ場を失って死の淵をさまよった“沖縄の現実”を感じた。そして軍国教育の理不尽さを・・・・
本土では原爆もあったが疎開して助かった人もいる。しかし沖縄では、島全体が米軍に占領され、“島”ゆえに逃げる場所が無く、全住民が海岸まで追い詰められ、「死しか無い」「死ぬのが当たり前」という極限の状況に追い詰められた。それでも本土から「友軍」が助けに来ると信じていた住民・・・・・。
この逃げ場を失った全沖縄県民の体験は、本土ではとうてい想像できないかも・・・。

憲法改正の議論も、この様な映画を見て、ともすると“風化しそうな戦争の真実”を再認識しつつ議論すべきだと思った。

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2007年6月27日 (水)

伊藤久男の「ひめゆりの塔」

志村さんのblog「命を救う知識」を読んでいたら「ひめゆりの塔」という言葉が出ていた。
この記事は沖縄戦での悲惨さを書いたものだが、(悲しいかな)自分が先ず思い浮かべたのが、伊藤久男の歌「ひめゆりの塔」だった。
そこで今日はハンドルを切って、伊藤久男の思い出話である。

自分が伊藤久男を知ったのは中学の頃だったか・・・。確か「山のけむり」という歌からだったと思う。
高校の時、ちょうど図書館の新館が建って、土曜日の午後に新図書館の視聴覚ルームでレコードコンサートをやっていた。もちろん生徒の好きなヤツが段取るのだが・・・
そこに、自分で買った伊藤久男のEPのレコードを持ち込み、コンサートが始まる前に人が居ないのを良いことに、大きな音でかけたっけ・・・・。(今思うと、高校の図書館に伊藤久男の歌謡曲が流れた・・・。画期的?)
そこでかけた曲は「イオマンテの夜」と「サロマ湖の歌」だったな・・・・。

あの朗々としたバリトンの声は素晴らしかった。
自分が聞き始まったときには、既に「懐かしのメロディーの伊藤久男」だったが、あれから40年以上も経ってしまって、まったくの懐かしのメロディーだ。
伊藤久男の歌はほとんど聞いたが、ダイナミックな歌と、叙情歌の2つがある。
ダイナミックな歌では、「オロチョンの火祭り」「ブラジルの太鼓」など、叙情歌では「サビタの花」や「夕月の歌」など、数限りない。

中でも「ひめゆりの塔」は、実に伊藤久男らしい歌で圧巻であった。昭和23年7月発売のオリジナルの歌を聞いてみよう。

<伊藤久男「ひめゆりの塔」>

「ひめゆりの塔」
  作詞:西条八十
  作曲:古関裕而
  歌 :伊藤久男

1)首途(かどで)の朝は 愛らしき
 笑顔に 母を振りかえり
 ふりしハンケチ 今いずこ
 ああ 沖縄の 夜あらしに
 悲しく散りし ひめゆりの花

2)生まれの町も もえさかる
 炎の底に つつまれて
 飛ぶは宿なき はぐれ鳥
 ああ 鳴けばとて 鳴けばとて
 花びら折れし ひめゆりの花

3)黒潮むせぶ 沖縄の
 米須の浜の 月かげに
 ぬれて淋しき 石の塚
 母呼ぶ声の 永久(とこしえ)に
 流れて悲し ひめゆりの花

古関裕而の曲も素晴らしい。古関裕而についても後で書いてみよう。

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2007年6月26日 (火)

「吾唯(われただ)足るを知る」

中村元著「仏典をよむ-1 ブッダの生涯」(P45)に、『吾唯(ただわれ)足るを知る』についての記載があった。なかなか面白いので書いてみる。

「慈しみの心」
『スッタニパータ』には、「慈しみの経」と呼ばれて、いまも南方仏教でとくに重要視されているお経があります。・・・(第一 蛇の章 八節「慈しみ」)

究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直(なお)く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
足(た)ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官(かんかん)が静まり、聡明で高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない。

みずから「足ることを知り」というのです。わが国では昔から、「知足」「足るを知る」ということを申します。これは仏典にしばしば出てくる教えでございますが、もとは老子に出ているのです。「自勝者強、知足者富(みずからに勝つものは強し、足るを知るものは富めり)」。「富む」というのはうんとものを持っていることじゃない、足るを知ることが富んでいるのだというのですね。
また、西洋では、ことにストアの哲人が人生の理想として「足るを知る」「満足せよ」ということをよく説いております。
わが国では「知足石(ちそくせき)」という石があるのをご存じですか。真ん中に「口」という字を書きまして、文字の一部を四方に配すると、「吾唯知足(吾唯(われただ)足るを知る)」となるのです。「口」という字が共通ですからそれでおさまるのですね。わたしは起源はよく存じませんが水戸光圀が考え出したといわれています。・・・・

070626tadawaretaruwo ネットで色々と見ていたら、京都の龍安寺が元祖らしい。このHPが凝っていて分かりづらいが、「案」→「境内図」→「②つくばい」と叩くと「知足石」の写真を見ることが出来る。(上の写真はクリックで拡大)

しかしこの「足るを知る」という事は、ことによると人間の永遠の目標かもしれない。

我々の日常の生活は、何と「満足」と関係の無い生活をしている事か・・・。
先日、NHKhiで「世界の小さな国(サモア独立国)」という番組をやっていたが、海に魚をとりに行っても「今日食べるには充分だ」と言って、明日の分をとらない。まさに「満足」している。

でも最近は我が家でも、カミさんと散歩しながら「まあ息子共も独立して自分達で食っているし、我々も病気もなく海外旅行などに行けるし、まあハッピーなのかもね?これ以上望んだらバチが当たるかも・・・」と話しているが、これは「足ることを知った」会話ではないのかな~

ナンテ思ったら元気が出てきた・・・
(このblogの主旨は何だ?『良い言葉を知ったので、自分も取り入れよう・・!』ではなかったのか?)

P10002811 (記事とは関係ないけど、今日ウチに来たお客さんがくれたという「ハワイの花~プルメリア」)

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2007年6月25日 (月)

グリークラブの思い出

今日はグリークラブ(男声四部合唱)の魅力のお話である。
大学2年の時に、1年間だけグリークラブに入った。パートはベース(一番低いパート)であった。いまだに思い出す・・・。

そこで好きだった曲の筆頭は「小夜曲(Standchen)」といい、サイトに訳があった(ここ)。学生時代は訳さ(せ)ないままに原語で歌っていた。
この歌は恋の歌であり、男声が甘い柔らかい声で歌う・・・。これがまた難しい・・・
しかし、ワーンとハモるのが何とも心地よい。
1976年の録音を少し聞いてみよう。合唱は、慶応義塾ワグネル・ソサイエティー男声合唱団である。 ワグネルは美しく歌う。流石である・・・・

<「小夜曲(Standchen)」>慶応ワグネル男声合唱団

次に思い出すのが「いざ起て戦人よ」だ(ここ)。これはテンポも軽快で、ハモるし、歌っていて非常に気持がよい。まさにグリークラブのスタンダードナンバーだ。
少し聞いてみよう。同じ1976年のグリークラブ・アルバムから、早稲田大学グリークラブ の合唱だ。

<「いざ起て戦人よ」>早大グリークラブ

最後に出てくるのが「関学グリークラブの秘蔵の曲」と言われていた「ウ・ボイ」(ここ)。
長い間、関西学院グリークラブの門外不出の秘曲であり、楽譜が出回らなかったという。この曲の数奇な運命は関西学院グリークラブのHPに詳しい(ここ)。
同じく、1976年のグリークラブ・アルバムから、同志社グリークラブの合唱で聞いてみよう。

<「ウ・ボイ」>同志社グリークラブ

もちろんこの「ウ・ボイ」は歌ったことがない。しかしこの秘曲も、今ではグリークラブの定番になっているらしい。
*「ウ・ボイ(U.Boi)」の楽譜のPDFは(ここ)。

しかし不思議なもので、これらの曲を聞くと、40年前に歌ったベースのパートが自然と出てくるのは不思議だ・・・
子供の時に覚えた自転車は、いつになっても乗れるのと同じか??(例えが悪いが・・・)
段々と懐古趣味に耽るこの頃ではある・・・。

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2007年6月24日 (日)

「国境なき医師団」の貫戸朋子のことば

昨日の記事の続編である。
VTRに録ってあった(1999年放送の上記番組の続編である)2003年8月3日放送のNHK「課外授業 ようこそ先輩『17歳。戦争を学ぶ 命を考える』(医師)貫戸朋子」を少し見た。
これは、小学校6年生だった生徒達が、高校2年になっての再会の授業だ。

この授業が、大変な違和感からスタートした。(授業の途中打ち切り・・・)
まさに、自分も含めた“日本人の平均的現状”と、世界の現場を知っている人の距離感が良く分かるので少し書いてみる。
番組タイトル『17歳。戦争を学ぶ 命を考える』の通り「戦争」がテーマ。反戦運動・・・。

貫戸:「(世界で起きている戦争になどに)興味が無く生きている人って、いる?? 距離感が縮まらないとか・・・。例えば自爆テロについてどう思う? 同じ世代の17とかの女の子達が決心して自爆している。どう思う?」

生徒:「自分は出来ないし、やりたくない。神とは宗教とか、見えないものに命は張れない。宗教にいる人達は、たぶん小さい頃から親から教え込まれて、刷り込まれているから、自爆テロで死ぬことに特別に疑問を感じていないんだろうなと思う」

貫戸:「本当に神だけ、宗教だけで自爆テロをしているのかな・・?とは思わない? 疑問は持たない? ニュースで聖戦だと言っていても、本当にそれだけかな?とは思わない?
今日みんなの話を聞いていてすごく立派な意見はたくさんあったんだけど、発想の転換とか、自分の知らない世界を想像して語るとか、人間の感情を移入するとかが全然無くて、はっきり言ってお利口さんの機械と喋っていたみたいな感じだ。
宿題として、考えて想像して、感情を移入するという宿題をやってきて欲しい。もっと魂を入れて、今日のような空虚な機械的な知識だけを使った理論は無し。おわり」
ナレータ:「気まずい雰囲気の中で一回目の授業は終わった・・・」

まさに現場の悲惨さを見聞きしている人の、日本人の現状に対するイライラ感が出ている。
ビジネスでも良く言う。現場主義・・・・。頭で何を考えても、現場にはかなわない・・・

その“現場を知らない我々”が出来ることは何か・・・?
それは(今回の場合では)「国境なき医師団」に寄付をして、理屈抜きに彼らに頑張って貰うしかない・・・。これが我が家の今の結論。
まったくイデオロギー抜きで、「彼らがボランティアで、死ぬ人達を救っている」という事実だけを捉えて・・・

カミさんとこんな事を話していたら、自分と同額をカミさんも出すと言う。
よって思っていた額の2倍を明日にでも振り込もう。
自分達が出来ることは黙って金を出すこと位さ・・・(別にいじけているわけではないが・・・・。貫戸さんにTVで叱られていじけている??)

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2007年6月23日 (土)

「国境なき医師団」からのダイレクトメール

先日、「国境なき医師団」から突然ダイレクトメールが来た。
その時、二つ思った。一つは「どうして自分の住所氏名が分かったのか?」、二つ目は「ちょうど良かった。応援するターゲットが見つかった・・・」

普通は開けないでゴミ箱に直行するダイレクトメール。しかし、今回だけは意識して開けた。本文には、なぜ住所氏名を知ったかについては書いていなかった。ただ「突然のお手紙にも関わらずお手にとって下さり、ありがとうございます」とだけあった。
しかし、振込用紙に「今回のお便りは、ダイレクトメールを取り扱う会社の名簿をもとにお送りしております。」と書いてあった。
どこかで自分の住所氏名が名簿化されており、それをもとにダイレクトメール会社から送られてきたのだった。(確かに、医師団にしてみるとこれしか方法が無いのかも・・・)

自分が「国境なき医師団」を知ったのはいつだっただろう。NHKで(1999年4月25日に放送されたという)「課外授業 ようこそ先輩『戦争を学ぶ 命を考える』貫戸朋子」という番組の再放送を見た時だった。この番組の印象は強烈であった。
今、ふと貫戸さんのその時の言葉を思い出した。
確か、授業では「戦争をしている国の人達に、感情を移入して考えろ・・・」と言っていたような・・・・
そして、「(国境なき医師団では)お金は、留守をしている間のアパートの家賃位しか貰えません・・」といった話をしていた。(記憶が好い加減だが・・・)
それでも自分の命の危険を冒して、世界の紛争地帯に、子供の命を助けに行く・・・。
正直、ここに自分とは異質の、自己の理念のもとに働く人が居る・・・・

国境なき医師団憲章

国境なき医師団は
苦境にある人々、天災、人災、武力紛争の被災者に対し
人種、宗教、信条、政治的な関わりを超えて差別することなく援助を提供する。

国境なき医師団は
普遍的な「医の倫理」と人道援助の名のもとに、中立性と不偏性を遵守し
完全かつ妨げられることのない自由をもって任務を遂行する。

国境なき医師団のボランティアは
その職業倫理を尊び、すべての政治的、経済的、宗教的権力から完全な独立性を保つ。

国境なき医師団のボランティアは
その任務の危険を認識し国境なき医師団が提供できる以外には
自らに対していかなる補償も求めない。

このblogで「国境なき医師団」の解説をするつもりはないが、この(普通は見ないで棄てる)ダイレクトメールは、自分の何かが変わる切っ掛けになるかも知れない・・・?
(ノー天気に、オチャラけていてはいけない世界がここにある・・・)

最近自分で、世界の中で平和ボケの日本の殻の中に閉じこもっていて良いのだろうか・・・。日本だけ、平々凡々の平和な生活を享受していて良いのだろうか・・・。日本が何か世界に向かって出来ることは無いだろうか・・・と漠然と思っていたが、その解の一つが、ここにあるのかも知れない・・・・。

まあこれも縁なので、送られてきた振込用紙で幾らかの寄付をしてみよう。
(正直これは、自分の歴史にとって非常に珍しい行為なのではあるが・・・)

「国境なき医師団」のHPに、寄付の効果が書いてある。これもまた強烈だ・・・・

*10,000円でできることの例:
外科手術用麻酔キットを8人分購入できます。
およそ250人に予防接種を行うため必要な医療機器を購入できます。

*5,000円でできることの例:
避難民に毛布を8枚提供できます。
避難民3,000人に清潔な飲料水を10日間供給できます。

*2,000円でできることの例:
避難民100人に緊急栄養食を提供できます。
呼吸器系疾患に苦しむ子ども1人に抗生物質を用いた治療を行うことができます。 

しかし長い人生で、一方的に送られてくるダイレクトメールに感謝?したのは、初めての経験であった。自分が、何かに対し、何が出来るか・・・を考える良い切っ掛けを与えてくれた。
とにかく世界は広いのである。そして人の考え方もまた・・・・。

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2007年6月19日 (火)

「死が最大の遺産」~父の想い出

しばらく放ってあった「大法輪」という雑誌の先月号(6月号)を、帰りの電車の中で読んでいたら、「死が最大の遺産」という高田都耶子(たかだつやこ)という人のエッセイが目にとまった。
題を見てもピンと来なかったが、読んでみてドキッとした。

高田都耶子氏は、高田好胤氏の娘さんだという。この「死が最大の遺産」というエッセイは、尾上松助という歌舞伎役者の、親としての死に様について書いたものだが、本題よりも最後の文にハッとした。曰く・・・

「私の父、高田好胤は、自著『親の姿 子の姿』の中で、次のように語っています。
 -夫が妻に、妻が夫に、そして親が子に、子が親にと、親しき者同士がお互いに残し合う最大の遺産は何でありましょうか。
 金銀、財宝、書画、骨董、動産、不動産、それに事業など、それは色々ありましょう。けれども・・・・・・・    ・・・むしろそれは魔物です。
 それでは何が最大の遺産なのか。敢えて申しあげますならば、厳粛な死、それこそ最大の遺産です。・・・・夫婦においてもそうでありますが、親子においてもなおさらにそうであります。特に親たるものは、永遠に生き続ける親子の対話の場を、親の姿で子供の心の中に残してあげていただくことを願います。その親の姿は決して肉体の姿をのみ申すのではありません。精神的な姿勢を親の願いを込めて私は親の後姿を申すのであります。・・・」

「父はこうも申しておりました。『真実の対話は、死に別れたその瞬間に始まるのです』」

自分の場合、10年前に亡くなった父は、3人兄弟の中で自分が一番縁がなかった。(カミさんは、次男で一番気むずかしくヘソが曲がっている自分は、幾ら親でも手を焼いたはずだ・・と、実に良く納得している)
子供の頃、何かで叱られて家から叩き出されたとき「大人になったら殺してやる」と何百回誓ったことか・・・(何で叱られたかは当然覚えていない。自分に不利なことは直ぐに忘れるのである)
大人になっても、父には近づかなかった。実家にタマに帰っても話をしなかった。それがいつの頃か、父が茶の間のいつも自分が座る特等席に「ここに座れ」と言うようになった。
晩年になって、お互い棘の先端が鈍ったのかも知れない。

その父が、確かに、亡くなってから自分の心にドカッと居座っている。生きている時には全く意識に登らなかったが、亡くなってから妙に父の事を思い出す。
兄が時々言う・・・
「実家に帰ったとき、パーカーのボールペンを出して『これ貰ったので、要るならあげるよ』と言うと『ちょうど良かった。買おうと思っていた』と喜んで貰ったという。それが、亡くなってから机を整理していたら、同じボールペンが何本も出てきた・・・」と涙を流す。(父がそんなに思いやりのある人間だとは、自分も全く知らなかった・・)

自分は親父の本当の姿は知らない。そこまで接触がなかった。しかし、この存在感は何だろう・・・・? まさに高田好胤氏の言う「死んで子の心に残した遺産」なのかも知れない・・・
確かに、亡くなった人の姿は、その瞬間で止まる。
良くTVで、ケンカをした後に死なれて後悔している人の姿を、ドラマなどで見る。それも死に別れた瞬間で世界(死んだ人)が止まるせいだろう・・・。
自分の場合も、死んだ瞬間に自分の姿はそこで止まり、その時の姿で「(エムズ)さんは、****な人だったな・・」という風に人の心に残るのだろう。もちろん子供にも・・・
だから、「優しい」と思われたい人は、いつ死んでもそう思われるために、常に「優しい」生活をしなければいけないし、ケチと思われたくない人は、常に他人に大盤振る舞いをしなければならない・・・。(「あの人は禿げていたな・・」というような容姿を修正する事は無理だが・・・)
でも、人間そうそう格好を付けても長続きしないので、結局、真の姿が見えてしまうのだろうが・・・。

そんな親不孝をした父だが、一度だけ親孝行をした。
昔、一度だけ父から直接電話が掛かってきたことがある。「お前、会社で*長になったんだって?何で言わないのだ」と文句を言った後で、何かお祝いをくれるという。こんな事は、生まれて初めてなのでビックリしたが、カミさんに急き立てられて、お仕立て券付きのYシャツをもらう事にした。
その時は何も気にしなかったが、同じサラリーマンだった父が、一番不肖な息子が世間並みになった事に心から喜んでくれたのだと、後になって気が付いた。
この時の出世は、自分にとって唯一の父への恩返しという意味で、今でも良かったと思っている。それが無ければ、死ぬまで父に対して“反抗の権化”だった自分の歴史は、重荷になっていた・・・

自分と父との関係も、何れは自分と息子の関係にもなる。
先日も、このblogで同じ様な事を書いた
決して格好を付けるつもりも無いし、てらうつもりも無いが、つくずく親子とは不思議な縁だな・・・と思うこの頃ではある。

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2007年6月18日 (月)

「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が泣ける

鮫島有美子の歌う「喜びも悲しみも幾歳月」を聞き、何か感慨にふけってしまった・・・。

言うまでもなくこの歌は、木下恵介監督の映画の主題歌だが、(通勤の時に良くMP3で音楽を聞いているが)今朝は鮫島有美子の「喜びも悲しみも幾歳月」を聞いて、何度も繰り返して聞いてしまった・・・。
歌は、“人間の声も楽器の一つ”と捉え、歌詞の意味は殆ど聞いていない自分だが、珍しく歌詞を聞いてしまった。

鮫島有美子の歌は、4番がぐっとテンポが遅くなってしみじみと歌う。何かグッと来るな・・・。少し聞いてみよう。

<鮫島有美子「喜びも悲しみも幾歳月」>

「喜びも悲しみも幾歳月」
  作詞・作曲:木下忠司

1)俺ら岬の灯台守は
 妻と二人で 沖行く船の
 無事を祈って 灯をかざす
          灯をかざす

2)冬が来たぞと 海鳥啼けば
 北は雪国 吹雪の夜の
 沖に霧笛が 呼びかける
         呼びかける

3)離れ小島に 南の風が
 吹けば春来る 花の香便り
 遠い故里 思い出す
        思い出す

4)星を数えて 波の音きいて
 共に過ごした 幾歳月の
 よろこび 悲しみ 目に浮かぶ
            目に浮かぶ

(そう言えばこの歌は、3年位前に若くして?亡くなった叔父が、昔、従兄弟の結婚式で、突然の指名にも拘わらず、無伴奏で堂々とこの歌を歌ったっけ・・・)

今朝、いつもの新橋駅でモーニングコーヒーを飲みながら、何度も聞き返してしまった。
「灯(ひ)をかざす・・」か~。良いな~・・・。
「灯をともす・・」では無いのだ。かざすのだ。(「自由の女神」を思い出すな~・・・←これではグッと来ないけど・・)

特に4番の歌詞が良いな・・・。
「星を数えて・・」なのであって、「星を仰いで・・」でも「星を眺めて・・」でも無いのだ。
そして「・・・共に過ごした 幾歳月の 喜び悲しみ 目に浮かぶ・・・」ナンテ泣けるな~。

そして思った。「自分が重い病気の宣告を受けたら、この歌でも歌ってカミさんに感謝するか・・?」←まあ“一瞬だけ”思っただけで、直ぐに忘れると思うけど・・・

そしてつい昔の映画を見たくなって、レンタルDVDのサイトに注文してしまった。
同じ木下恵介のリメイク版は最近見たが、やはり1957年版のオリジナルが良いだろうと思って・・・(たぶん前に見ているが・・・)

最後に、“ご本家”の歌も聞かないと失礼だろう。

<若山 彰「喜びも悲しみも幾歳月」>

追)(08/3/2)
2008/2/23付け朝日新聞の「be」(e1頁)に「二人でかざす一筋の光」という記事があった。
「福島県いわき市の塩屋崎灯台・・・。田中きよさんが1056年(昭和31年)に手記「海を守る夫とともに二十年」を雑誌「婦人倶楽部」に寄稿したとき、夫の績(いさお)さんはここの灯台長だった。・・・この手記を読んで感動した木下恵介が制作したのが、映画「喜びも悲しみも幾年月」だ。」

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2007年6月17日 (日)

丸山勇の「ブッダの旅」を読んだ

丸山勇氏の「ブッダの旅」という本を読んだ。
写真家の丸山氏については前のblogでも書いたが、インドでブッダの足跡を丁寧にカメラに収めた事で有名な方。
その丸山氏が、この本でブッダの生きてきた、また辿った足跡を写真と共に巡っている。
まさにこの本は、ブッダの生まれた所から悟りをひらいた所、そして入滅の場所まで、仏教遺跡の今の姿を、写真で体験できる貴重な本だ。
そして、経典で言い伝えられている様々な故事が、レリーフで見る事が出来る。ブッダがマーヤー夫人の右脇腹から誕生した瞬間、アシタ仙人の予言、そして苦行抛棄の乳粥供養の場面など、まさに2~3世紀のレリーフが興味深くその場面を再現する。文章については、後半は何となく中に入れなかったが、前半は良く分かった。ここが、あの本に書いてあった何々なのか・・・と。

そして巻末にある前田專學氏の解説「ゴータマ・ブッダ-その人の思想」が良い。仏教についての要(エッセンス)が、非常に短い文章に凝縮されている。つまり、自分が今まで色々な本で読んできた仏教の根本教義が、ここに分かり易くまとめられている。

“こだわるな”というブッダの教えが、日常生活でいかに難しいかを実感する毎日だが、「百聞は一見にしかず」と言うが如く、これらの写真を見てブッダの生き様を実感した事を機に、少しでもブッダの心に近づきたいものではある。(ムリだけど・・・)

P10001971 (記事とは関係ないけど、ウチの庭の花一輪)

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2007年6月16日 (土)

著作権法上の「引用」を考える

著作権法の第三十二条(引用)について考えてみた。本記事は、本サイトを運営するにあたって、著作権法及び判例から見た本サイトの遵法への検証である。

著作権法に以下の条文がある。
第五款 著作権の制限
(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

では、具体的にどの様にすれば「引用」になり、遵法となるのかを改めて検証した。

当サイトにアップしているMP3のような音声はどうか・・・

(社)著作権情報センター
このホームページは、社団法人私的録画補償金管理協会(SARVH)の助成を受け、著作権制度の普及を目的とする共通目的基金をもとに開設しています。」と謳っている「(社)著作権情報センター」によると、引用の要件は、以下の4点である
1)「引用の目的上正当な範囲内」で行われるものであり
2)引用される部分が「従」で自ら作成する著作物が「主」であるように内容的な主従関係がなければならない。
3)かぎ括弧を付けるなどして引用文であることが明確に区分される必要があります
4)引用部分を明確にした上で、その後に誰のどの著作物であるかを表示するなど、少なくとも引用された著作物の題号や著作者名が明らかに分かるような表示が必要です。

では、新聞はどうか・・・?
(社)日本新聞協会
1) 引用には、報道、批評、研究その他の目的に照らして、対象となった著作物を引用する必然性があり、引用の範囲にも合理性や必然性があることが必要で、必要最低限の範囲を超えて引用することは認められません。
2) また、通常は質的にも量的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」という主従の関係にあるという条件を満たしていなければいけないとされています。つまり、まず自らの創作性をもった著作物があることが前提条件であり、そこに補強材料として原典を引用してきている、という質的な問題の主従関係と、分量としても引用部分の方が地の文より少ないという関係にないといけません。
3) 表記の方法としては、引用部分を「」(カギかっこ)でくくるなど、本文と引用部分が区別できるようにすることが必要です。
4) 引用に際しては、原文のまま取り込むことが必要であり、書き換えたり、削ったりすると同一性保持権を侵害する可能性があります。また著作権法第48条は「著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない」と定めています。新聞記事の場合、「○年○月○日の□□新聞朝刊」などの記載が必要です。

ウィキペディア
最高裁昭和55年3月28日判決によると、「引用とは、紹介、参照、諭評その他の目的で著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録すること」である。
1)文章の中で著作物を引用する必然性があること。
2)質的にも量的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」の関係にあること。引用を独立してそれだけの作品として使用することはできない。
3)本文と引用部分が明らかに区別できること。例『段落を変える』『かぎかっこを使用する』
4)引用元が公表された著作物であること。
5)出所を明示すること。(著作権法第四十八条) 
 」

では、判例は??
<判例-1>S55.03.28 最高裁判所 第三小法廷・判決 昭和51(オ)923 損害賠償[1] - 「パロディ裁判
この判決文を見ると、
「 法三〇条一項第二は、すでに発行された他人の著作物を正当の範囲内において自由に自己の著作物中に節録引用することを容認しているが、ここにいう引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならないというべきであり、更に、法一八条三項の規定によれば、引用される側の著作物の著作者人格権を侵害するような態様でする引用は許されないことが明らかである。」
これは判例であり、一番権威がある。
(なお「判例」は著作権法の保護の対象ではないので自由に引用可能である)

<判例―2>藤田嗣治絵画複製事件(東京高裁昭和60年10月17日判決)
両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘つて確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべき

また第三十二条についての文献も多い。例:「引用の適法要件

<「エムズの片割れ」としての結論と反省>
1) 言うまでもなく、50年以上経っている著作物(定義に注意)は、保護期間が切れているので掲載自由。
2) その他は、著作権法第三十二条の「引用」を適用するしかないので、法でいう上記の「要件」を満たしている必要がある。
3) その眼で改めて本サイトを振り返ると、上記の「パロディ裁判」の判例で「右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合」という部分、藤田嗣治絵画複製事件判例にある「分量」という解釈がどうか? 例えばこの記事にしても、本文よりも引用部分が「量的」に多い。しかし、「著作権の基礎知識」というサイトには「特に主従関係については判断の難しい部分があり、何をもって主従となすのか必ずしも明確ではない」ともあり、あくまで本サイトで言う論旨が「主」であり、(分量は多いものの)引用部分は論旨を補完している「従」であるという解釈である。

もし将来、本サイトの記事に対して著作権侵害で訴えがあれば、当サイトの解釈を裁判所に改めて判断して貰うしかないな・・・・。
今までも注意してきたつもりだが、改めて遵法を前提に書いて行きたい。

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2007年6月15日 (金)

世界のパソコンの普及率とその落差

先日(07/6/13)の電波新聞に、「多人口国のPC普及状況」なる記事が載っていた。つまり、世界のパソコンの普及台数、普及率の統計だ。それを“しみじみと”眺めてしまった。
何故かというと、多くの“ヘエー”ということがあったから・・・

070613denpa1 まず統計の数字が04年だということ。これは、いかに世界の統計を取るのが難しいかを物語っている。

そして世界の人口大国が、自分の意識といかに乖離しているかに気が付いた・・・
無知をさらけ出すようで気が引けるが、日本よりも人口が多いナイジェリアについて殆ど何も知らない。場所はアフリカの地中海沿岸だろう・・と思って地図を見たら、それはアルジェリアだった(トホホ・・・)。

そして、乱暴だがPCの普及率をその国の文化の先進性と捉えると、日本よりも人口大国の国々が、極端に二分化している・・・
米国の75%は別格としても、中国4.1%、インド1.2%、インドネシア1.3%、バングラデシュ1.2%、そしてナイジェリア0.6%。(それに続く日本は、54%)

そして先日のNHKスペシャルの「新シルクロード 激動の大地をゆく第7集 シバの女王の末裔たち」という番組でもやっていたが、出稼ぎをするイエメンと、(その出稼ぎを受ける)“石油が出る”隣国サウジアラビアとの貧富の落差・・・。
つまり世界の国々が、貧富で極端に二分化されている現実・・・。
人口比率で見ると、(輪廻転生で)例え人間世界に生まれることが約束されたとしても、先進文化の国に生まれる出る確率は、悲しいほど低い・・・。
つまり、自分は決して望んで日本に生まれ出た訳ではないが、これはもうラッキーだったと言うしかない・・・。

いかに自分の視野が低いかを悟ってしまった記事ではある。

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2007年6月13日 (水)

「運命」冒頭の聞き比べ(1/9)

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この記事は、ベートーヴェンの「運命」の、指揮者による演奏方法の違いの比較のため、第一楽章の冒頭を集めた「聞き比べ」である。

楽譜は、作曲者の“意思”であり、指揮者は作曲者が“意図”していた事を“具現化”する単なる橋渡し役に過ぎない・・と、昔、何かで読んだことがある。
それに忠実なのがトスカニーニであり、テンポも非常に正確だ、とも・・・。(実際にはかなり揺れていると聞くが・・・)
それに対し、今回聞き比べてみて、つくずく指揮者による違い(=解釈の違い)で、様々な演奏になる事が分かった。
「運命」の冒頭ではないが、次の演奏をどう捉えるか・・・(後半のオーボエの演奏・・)

<「運命」第1楽章の中間部>
(0)<デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団:1997年録音>(0:41)

楽譜で指示したテンポ・演奏の強弱がベートーヴェンの「意思」だとすると、それを指揮者が勝手に「解釈(=自分はたぶんベートーヴェンがこのように演奏したいと思って書いたと思う・・・)」と称して変えてしまう事は、ベートーヴェンに失礼かもね・・・
しかし、色々な演奏を聴くと、確かにベートーヴェンの意思とは関係なく、自分の心に食い込んでくる演奏があるのも確かだ。
まあ楽譜で伝えられる事は限られているので、作曲者の意図の“行間”を指揮者が(解釈と称して)補填している・・・と考えれば良いか・・・?

それでは「運命」の冒頭の部分の特徴のある演奏を、以下に聞き比べてみよう。「運命」のダ・ダ・ダ・ダーの聞き比べである。
しかし、「運命」もここまで違うと、確かに人それぞれ好みが出てくる・・・。
自分は、フルベンの1947/5/27盤を別格とすると、ワルターが好きだな~。

==========================
(このblogのプレヤーは3秒ほどフェードインするので、最初に2~3秒ほど無音を入れた。

(1)<アルトゥール・ニキッシュ/ベルリン・フィル:1913年11月10日録音>(6:47)
多分「運命」の最古の録音。電気録音が出来る前のラッパ吹き込み。ゆっくりしたテンポで間(ま)が大きく、フェルマータも長い。フルトヴェングラーに似ている・・・。否、フルベンがニキッシュに似ているのだ。(1855年生まれ)

(2)<リヒャルト・シュトラウス/ベルリン国立歌劇場管弦楽団:1928年録音>(5:52)
あの大作曲家のリヒャルト・シュトラウスの指揮する「運命」である。ポリドール45014~7。自分が学生時代の1968年に録音した9.5cmのオープンテープから録った音なので、音質は大変に悪い。

(3)<フランツ・シャルク/ウィーン・フィル;1929年10月26~28日録音>(1:31)
冒頭の「ダ・ダ・ダ・ダーン」が「ダ・ダ・ダ・“ダ”・ダーン」と4つ以上あるように聞こえる。つまりウィーン・フィルともあろうものが、冒頭がそろっていない。しかしこの時代の録音は、一発勝負。この録音が歴史に残ったことからも、演奏の質の高い事が分かる。(2012/04/29追加)

(4)<ウィレム・メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1937年5月4日録音>(0:55)
メンゲルベルクは凝った演奏をするので有名。SP録音。ものものしくて、音をひとつずつ置いている感じ。(1871年生まれ)

*「ニキッシュ~ワルターまでのMP3ファイル」は(ここ(30MB)に置きました。zipファイルです。ダウンロードされたい方はどうぞ。

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「運命」冒頭の聞き比べ(2/9)

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(このページは収録時間の関係からファイル量が58MBと非常に大きいので、応答が遅い)

<フルトヴェングラーの「運命」聴き比べ>
フルトヴェングラーは、生涯に下記12回の録音をしたらしい(出典:ここ)。当サイトではそのうち*印を除く7録音を収録している。
1)BPO  1926年10月
2)BPO  1937年10月 8日
3)BPO  1939年 9月13日*
4)BPO  1943年 6月30日
5)BPO  1947年 5月25日
6)BPO  1947年 5月27日
7)VPO  1950年 9月25日*
8)VPO  1950年10月 1日*
9)Roma 1952年 1月10日*
10)VPO  1954年 2月28日
11)BPO  1954年 5月 4日*
12)BPO  1954年 5月23日

(5)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1926年10月録音>(0:58)
フルトヴェングラーの一番古い録音。やっと電気吹き込みに変わった頃。何となく前任のニキッシュ的な演奏スタイル。(1886年生まれ)

(6)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1937年10月8日録音>(7:37)
日本でも、SPで出た名盤。フルトヴェングラーらしさが確立。フェルマータの長さ、間(ま)の取り方が、いかにもフルトヴェングラー的。

(7)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1943年6月30日録音>(8:10)
フルトヴェングラーは、生演奏とスタジオ録音とが違うことで有名。生は即興的な要素が大きくテンポが揺れる。これは第二次大戦中の演奏で47年盤と良く似ている。

(8)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1947年5月25日の復帰初日のライブ録音>(7:59)
歴史的復帰演奏会初日のライブ録音。27日の演奏に比べてあまり有名ではない。録音の悪さもあるが、27日に比べて全体的にノっていないように聞こえるのだが・・・。

(9)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1947年5月27日の歴史的ライブ録音>(7:52)
世界で最も有名な演奏。これはフルトヴェングラーが、追放が解けてベルリン・フィルに復帰した歴史的な演奏会のライブ録音。今までの追放の鬱積を晴らすような、物凄い演奏。ダダダの低音が一歩先に出る。
(「ベルリン・フィルは自分の主張が無い人は団員として入れてくれない。だから飛び出しをすると皆が拍手をしてくれる。それは主張があるから」:#1vn町田琴和さん談:2008/3/20追)
この飛び出しもベルリン・フィルの伝統。そして(音が途切れた)間(ま)に緊張がみなぎる。フルトヴェングラーはその間を生かせる指揮者。この演奏は、比べることに意味が無い、別格の演奏だ。

(10)<フルトヴェングラー/ウィーン・フィル 1954年2月28日~3月1日スタジオ録音>(8:31)
ライブでは物凄い演奏をするが、スタジオ録音では整然たるタイプに戻っている。しかし、フェルマータの長さはフルトヴェングラーの特徴。なおこの盤はブライトクランクの擬似ステレオである。

(11)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル・フィル 1954年5月23日ライブ録音>(8:30)
フルトヴェングラー最晩年、最後の録音。この年の暮れ、1954年11月30日に亡くなっている。

*「フルトヴェングラーのMP3ファイル」は(ここ(56MB)に置きました。zipファイルです。(多分10分以上かかります)

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「運命」冒頭の聞き比べ(3/9)

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(12)<エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル 1949年録音>(2:00)
ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの「運命」は、1949年、72年、74年の録音があるが、その一番古い録音。(1903年生まれ)(2012/04/29追加)

(13)<トスカニーニ/NBC交響楽団 1952年3月22日カーネギーホール録音>(7:18)
テンポが速く、一旦決めたらテンポを動かさない(と言われている)何時ものスタイル。(1867年生まれ)~第1楽章全曲

(14)<ヘルマン・シェルヘン/ロイヤル・フィル 1954年9月録音>(2:23)
(1891年生まれ)(2012/04/29追加)

(15)<ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団 1958年1月27・30日録音>(6:26)
冒頭のダ・ダ・ダ・ダーのフェルマータが最も長い演奏である。楽譜では1番目のフェルマータの方が短いはずだが、1番目の長さと2番目が同じ。(1876年生まれ)

(16)<ロリン・マゼール/ベルリン・フィル 1958年5月録音>(0:54)
(1930年生まれ)

(17)<フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 1959~61年録音>(0:55)
高校3年の時に買ったLP。懐かしい演奏・・・(LPから落としたのでスクラッチノイズあり)(1901年生まれ)

(18)<フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団 1959年5月4日録音>(0:53)
(1888年生まれ)

(19)<オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団 1959年10月22日録音>(0:58)
どっしりとした巨匠の演奏。(1885年生まれ)

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「運命」冒頭の聞き比べ(4/9)

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(20)<フレンツ・フリッチャイ/ベルリン・フィル 1961年9月25日録音>(1:03)
(1915年生まれ)

(21)<レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル 1961年9月25日録音>(0:57)
43才の若きバーンスタインの「運命」。
(LPから落としたのでスクラッチノイズあり)(1918年生まれ)

(22)<ピエール・ブーレーズ/ニュー・フィルハーモニア 1968年12月録音>(1:05)
大変に遅いテンポで、全ての繰り返しを行った最長時間の「運命」。リリース時は大変な物議を醸した演奏。
(LPから落としたのでスクラッチノイズあり)(1918年生まれ)

(23)<ジョージ・セル/ウィーン・フィル 1969年8月24日録音>(1:59)
(1897年生まれ)(2012/04/29追加)

(24)<齋藤秀雄/日本フィル 1969年9月16日 日本フィル 第184回定演(東京文化会館)から>(8:11)(DVDはこれ)
これは、08/1/17にBSフジ「日本フィル・シンフォニー・コンサート~今よみがえる幻の映像~」で 放送されたものである。この貴重な映像はフジテレビからDVDでも発売されている。

(25)<カール・ベーム/ウィーン・フィル 1970年4月25日録音>(0:57)
(1894年生まれ)

(26)<カルロス・クライバー/ウィーン・フィル 1974年3月録音>(8:52)
フェルマータが長くてじっくりと構えながら、その後に直ぐにテンポで追い込んで行く凄まじい演奏。(1930年生まれ)

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「運命」冒頭の聞き比べ(5/9)

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(27)<カラヤン/ウィーン・フィル 1948年11月11日録音>(0:51)
SP録音。颯爽とした40歳の若き時代の演奏。(1908年生まれ)

(28)<カラヤン/ベルリン・フィル 1976年10月録音>(0:49)
カラヤン 3度目の録音。

(29)<カラヤン/ベルリン・フィル 1982年11月18日録音>(0:49)
70才台半ばの時の演奏。カラヤンは、生涯あまり演奏タイプは変わらなかった。

(30)<小澤征爾/シカゴ交響楽団 1968年8月9日録音>(0:51)
我らが小澤征爾も聞こう。(1935年生まれ)

 

(31)<小澤征爾/ボストン交響楽団 1981年1月24日録音>(4:05)
  (TELARC録音)

(32)<小澤征爾/サイトウキネン 2000年9月8日録音>(0:47)

 

(33)<朝比奈隆/大阪フィル 1985年3月31日録音>(1:03)
非常に遅いテンポ。(1908年生まれ)

(34)<ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団 1987年2月25日録音>(0:47) (1912年生まれ)

 

(35)<クラウディオ・アバド/ウィーン・フィル 1987年10月録音>(0:52)
厚みがあって堂々としていて、テンポも遅め。ダ・ダ・ダーの2度目のフェルマータが長め。(1933年生まれ)

(36)<クラウディオ・アバド/ベルリン・フィル 2000年5月録音>(0:48)
ダ・ダ・ダ・ダーの最後のフェルマータがスッと消えるような演奏。最近のピリオド楽器(古楽器)オケが良くやるのでその影響か?

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「運命」冒頭の聞き比べ(6/9)

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(37)<クルト・アズマ/ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団 1989年12月2日 サントリーホール公演>(0:48) 

(38)<ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団 1990年4月15日公演>(0:49) (1912年生まれ)

 

(39)<ニコラス・アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団 1990年6月29日録音>(0:47)
(1929年生まれ)

 

(40)<エリオット・ガーディナー/オルケストル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティーク 1994年3月録音>(0:44)
ピッチが低い。ピリオド楽器オーケストラの特徴。(1943年生まれ)

(41)<クリスティアン・ティーレマン/フィルハーモニア管弦楽団 1996年7月録音>(0:55)
同じ現代でも、時代がさかのぼった感じがする演奏。(1959年生まれ)

(42)<ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ交響楽団 1999年10月18日録音>(0:42)
早いテンポ。(1945年生まれ)

(43)<ゲルト・アルブレヒト/読売日本交響楽団 2000年1月16日録音>(0:45)
 (1935年生まれ)

(44)<サイモン・ラトル/ウィーン・フィル 2002年4月29日録音>(0:50)
今日的な、現在のスタンダードな演奏。(1955年生まれ)

(45)<サイモン・ラトル/ベルリン・フィル 2006年9月23日ライブ録音>(0:50)(2007/6/22 NHK FM)
オケは変わっても演奏スタイルは同じ・・・・

(46)<ロジャー・ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団 2002年9月3日録音>(0:43)
ピリオド(古楽器)スタイルの演奏。ひとつのフェルマータの中で「ヘ」の字のように音をクレッシェンドとデクレッシェンドしている。ノンビブラートで、音を膨らませてスッと弱める演奏。(1934年生まれ)

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「運命」冒頭の聞き比べ(7/9)

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(47)<スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団 2005年10月17日録音>(0:49) (1923年生まれ)

(48)<パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン 2006年8月27日録音>(2:05) (1962年生まれ)
何とも、軽いというか現代的というか・・・

(49)<ベルトラン・ド・ビリー/ウィーン放送響 2007年8月録音>(1:07)

(50)<外山雄三/NHK交響楽団 2007年10月5日 第1602回定演から>(9:04) 5.1サラウンド
この演奏は、NHK hiから07/11/27に放送された5.1サラウンドを、SONYのデジタルサラウンドヘッドホン(MDR-DS8000)でMP3化したもの。少し長いが拍手から録音。現代日本の最新の演奏を、5.1サラウンドのイヤホン版で聞こう。

(51)<ケント・ナガノ/モントリオール交響楽団 2008年2月録音>(1:35)

(52)<延原武春/テレマン室内管弦楽団 2008年4月28日いずみホール>(7:11) (ここ)
「18世紀音楽の専門家」の指揮によるなかなかユニークな演奏。終結部のティンパニーが面白い。

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「運命」冒頭の聞き比べ(8/9)

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(53)<エド・デ・ワールト/NHK交響楽団 2009年4月16日第1645回N饗定期公演録音>(7:19)

(54)<ミハイル・プレトニョフ/ロシア・ナショナル管弦楽団 2009年7月9日サントリーホール>(8:21)

(55)<アントン・ナヌート/紀尾井シンフォニエッタ東京 2009年12月17-19日 東京/紀尾井ホール>(1:35)

(56)<付録:グレン・グールド/ピアノ 1967年12月録音>(0:53)
リスト編曲のピアノ版。(LPから落としたのでスクラッチノイズあり)(1932年生まれ)

(57)<付録:シプリアン・カツァリス/ピアノ 1989年録音>(7:35)
1990年発売。リスト編曲のピアノ版ベートーヴェン交響曲全曲集の最後の録音。(2012/04/29追加)

 

(58)<ハンス・シュミット・イッセルシュテット/VPO>(8:06)

(59)<ドゥダメル/シモン・ボリヴァル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ>(7:28)

 

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「運命」第1楽章終結部の聞き比べ(9/9)

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<第一楽章の終結部の比較>

(07/7/1追加)
ついでに、第1楽章の終結部の部分を、昔の指揮者と今の指揮者で比べてみる。
しかし、ここまで違うと、CDを買うときにも良く聞いてから買わないと、自分にマッチしない事が良く分かる。

(1)<ウィレム・メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1937年5月4日録音>(0:38)(CDはこれ)
格好をつけることで有名な指揮者。

(2)<トスカニーニ/NBC交響楽団 1939年2月27日録音>(0:33)(CDはこれ)
メンゲルベルクとは対照的に、インテンポでたたみかけるような演奏。

(3)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1937年10月8日>(0:59)(CDはこれ)

(4)<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1947年5月27日の歴史的ライブ録音>(0:57)(CDはこれ)
間の長い、息詰まる演奏。

(5)<カルロス・クライバー/ウィーン・フィル 1974年3月録音>(0:41)(CDはこれ)

(6)<ロジャー・ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団 2002年9月3日録音>(0:32)(CDはこれ)
音のニュアンスが細かい演奏。

(7)<ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ交響楽団 1999年10月18日録音>(0:37)(CDはこれ)
全体が一つのながれのなかにある演奏。

(8)<クリスティアン・ティーレマン/フィルハーモニア管弦楽団 1996年7月録音>(0:46)(CDはこれ)
昔のスタイルに戻った感じ・・・

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2007年6月11日 (月)

フォークダンスの想い出~コロブチカ

中学生のとき、体育祭での楽しみ?がフォークダンスであった。片想いの女の子が段々近付いてくると、心臓がドキドキいったりして~~・・
そこで流れていた懐かしい曲が「コロブチカ」だ。少し聞いてみよう・・・

<コロブチカ>

何かこの音楽を聞くと、紅顔の中学生の頃を思い出して甘酸っぱいな~・・・
ここで大切な事は、絶対に同窓会などに出ないこと。あれから45年も経って、皆な同じ「おじいさん」「おばあさん」・・・・。
何も好んで、せっかくの昔の純真な想い出を壊す事は無いではないか・・・
(とは思うものの、実はノコノコと行っているのである。会えるかな?ナンテ期待したりして~・・・。ガッカリする事が分かっていながら・・・)

P10000481 (記事とは関係ないけど、前に散歩の時に撮った花一輪・・・)

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2007年6月10日 (日)

NHKhiの「関口知宏の中国鉄道大紀行」がゴールした

NHK hiで毎週日曜日の昼に生中継していた「関口知宏の中国鉄道大紀行~最長片道ルート36000キロをゆく~」が、今日(07.6.10)10週間に及ぶ春の旅を終え、西安に到着した。
先日同じテーマでここに書いたが、再度、心に残ったので少し書いてみる。

この番組は、ウチでは最初からカミさんが見ていたが、自分は5月の連休に上海に行ったのを機に見出した。
中国各地のナマの現場に、アポ無しでちん入する。その意味は・・・?

関口知宏曰く
「・・・人の意図の入っていないPCが決めたルートでの旅。一期一会の旅。この様なルートで旅をする意味はどこにあるかと言うと、実際に体験した事がその答え。もし万里の長城に行って、パンダを見て、名所に行っていたら変わるはずのなかった中国やその人々への印象がガラッと変わった。先入観がボロボロ消えていった。これが人為というか人の意図が入らない旅の持っている魅力だったし、中国の人々の何ともいえない人なっつこさ。これに辿り着くには、イメージ通りの中国を旅をしていたら辿り着けなかった。偶発、偶然の旅をする事によって、飛んでもなく大きな収穫がありました。・・・今まで考えた中国とは全然違う・・・。先入観とか元々の思い込みが全部取れてゼロになった向こう側に中国の人々の愛おしいまでの魅力があった。・・・・」

この言葉が全てを言い当てている。今までこの番組を見ていて自分が感じていたことを、関口がそのまま言葉に替えてくれた。

ここで「人なっつこい」と表現しているが、「ちょっと寄っていきなよ」と声を掛ける中国の人々。そこにはもはや日本では失われている“素朴さ”がある。
そうだ。中国の人々とは何か? それは“素朴さ”なのだろう。

カミさんが自習している中国語の実践のため?に行った5月連休の上海・蘇州。自分もこれで随分と中国に親近感を覚えるようになった。
我が家では、今度は北京だと言っている。その次は西安?

NHKのこの番組は、日中友好の草の根運動のひとつと捉えることも出来るし、まさに“現実は現地に行ってみなければ分からない”という事をも教えている。
日中間の歴史も含めて、中国という相手を知るには、やはり現地に行って理解し、それを前提に考えなければならないが、それを疑似体験させてくれるこの様な番組はそれなりに意義があると思う。
超人的な強行軍をした関口知宏さんとスタッフに、「本当に、ご苦労さま」と言いたいし、また9月からの秋の旅を楽しみにしたい。まさにNHKらしい番組だった。

P10000351 (記事とは関係ないけど、前に散歩の時に撮った花一輪・・・)

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2007年6月 9日 (土)

「ぐりーんうぉーく多摩」に行った

今年の4月18日にオープンしたという、多摩ニュータウンの「ぐりーんうぉーく多摩」に行った(もちろん“喜んで”カミさんに付き合わされて・・・・←日本語が変だ)。
自宅から13K。まず土曜日の昼前なのに、駐車場がガラガラなのに心配した。大丈夫かな~・・・。
それに名前があか抜けないな~~。「ぐりーんうぉーく・・」とはどうもピンとこない・・・

P10002181 P10002191 P10002111

広いスペースに各店が思い思いの建家を建てている。その意味で、統一性は全くない。
まず「ニトリ」という店に・・。オレンジ色に輝く照明のもと、家具やインテリアの山・・・。
カミさん談「気に入った。とにかく安い。でも百円ショップに比べて品(ひん)がある。ブランドがニトリの統一ブランドで、自社製だから安いのかな~。なるほど・・。今後結婚するときは(食器や家具を)ここで揃えよう・・・」(「誰が~!?」と思ったがガマンガマン・・・)
「どう思う?」と聞くので「そう思う」と答えた。(男にとってみると、どうでも良いのだ・・・)

昼食はカミさんお気に入りの「スシロー」の回転寿司。しかし、納豆巻きをパクつく姿は信じられない。(納豆は必ず「朝」に「白いご飯で」というのがケンポウで決まっているのに「スシ」とは邪道も甚だしい・・・・)
自分はビールを飲んで「帰りは運転しないぞ!」

店の一つひとつの紹介をする気はないが、とにかく我が家の周辺でも、このテのショッピングモールがどんどん出来ている。(口コミで色々の情報が入ってくる)
店の規模に対して、あまりに客足が少ないのが気になるが、我々にとってみると、色々な「おでかけ」ポイントが出来るのは有り難い。(でも亭主にとってみると、本音は付き合わされる場所が増えて迷惑かも??)

P10002091 (記事とは関係ないけど、ウチの庭の紫陽花(アジサイ)・・・ ←この花の名前くらいは知っているのだ)

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2007年6月 8日 (金)

老健と特養~「生」の「苦」

今日は実家に行って、伯母(89才)の老健と特養に入居するための申し込み等の活動をしてきた。
実家のお袋は、実の姉(伯母)と二人暮らしをしていたが、先月伯母が入院してしまい、退院しても老人二人の生活は無理だ、という事で、妹のお袋以外には頼る人が居ず、天涯孤独の伯母の受入先を探しに、レンタカーを借りて地元の老健、特養を巡ったわけだ。

見学させてもらった特養(特別養護老人ホーム)、老健(介護老人保健施設)で、人のターミナルケアの現実を目の当たりにした。
今更ながら、なかなか目を背けられない現実がそこにはある。
そしてつくずく脳出血で翌日に亡くなった我が親父のラッキーさを感じた。

特養の人が説明してくれた・・・・。
入居者の8割は女性。(まあ当然だが・・)
最近建つ特養は、全部個室。だから入居費が高い。
もちろん簡単には入れない。・・・・

昔だったら自然と死んでいた状態、つまり食べられなくても点滴や流動食で生かされている人間。
もし自分だったら・・・と。つい考えてしまう。

ブッダは生きる事そのものを「苦」とし、「生老病死」の四苦を挙げているが、まさに「生」の苦を見たような気がした。「・・・・死ぬことも、まさに自分自身の問題でありながら、どうあがいてみても、自分の思い通りにならないのが現実です。・・・」(「ブッダの旅」~前田專學氏の解説より)

誰でも“死ぬまで活動的でありたい”と思う。しかし現実はさまざま・・・・。
自分の場合は、「退職 ⇒ 無趣味のため、する事が無くなり、意識が自分の体に行く ⇒ 体調ばかり気にして自分で病気を呼び込む ⇒ 病気 ⇒ 死ぬ」というパターンが想定されるため、「生涯現役」を目指したいが、現実はそう甘くはない・・・・

先日、下の息子が帰京して「親父は(無趣味のため)退職したら必ずボケるな。俺が保証する」と言いやがる。自分は将棋キチで将棋以外の事は何もできないクセに・・・・。 ったく・・・。

確かにリタイア後にする事を見つける事は出来るかも知れない。しかし、それが自分だけの内の世界だと、行き詰まるとも聞く。なかなか人と群れるのが嫌いな自分は、ボランティアも限度があるだろうし、なかなか難しい。
還暦を前に、またターミナルケアの現実を前に、近い将来を色々と思い、“定年になったら**をやるぞ”を早く見つけねば・・・と焦る今日この頃ではある。

P10000091 (記事とは関係ないけど、ウチの庭の花一輪・・・)

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2007年6月 7日 (木)

父親は「代打の切り札」?

Nikkei0706041 先日(07/6/4)の日経に「挑む 中学受験 子には自然体で 父親は『代打の切り札』」というコラムが載っていた。(P25)
中学受験という言葉は、我が家では、もう15年も前の話でとっくに『死語』になっているが、まあその話はさておき、コラムの後半の言葉がなかなか良い。

曰く・・・
・・・でも父親には父親の『出番』がある。・・・そして最後の最後、人生最初の敗北に打ちひしがれている我が子に語りかける言葉を準備しておくのも、たぶん父親の務め。父親の役割は、野球に例えれば、代打の切り札のようなものではないか。本当は自分も活躍したい。でも、最後まで出番がないのが、チームには最良の展開。・・・
これは実にもっともな話だ。

(我が家を飛び出して行った)ウチの息子どもについては今更語る気は無いが、世の若き父親たちには、良く味わって欲しい言葉ではある。
(我が家では、父親だけは立派だったが、何せ磨く相手(子供)のデキが良くなかった!? これは決して生んだ母親が悪い訳ではないが・・・。いやそうでもないかな? ゴメン・・・・)

P10000031 (記事とは関係ないけど、ウチの庭の花一輪・・・)

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2007年6月 6日 (水)

サラサーテ自演の「チゴイネルワイゼン」

音楽の中で、クラシックを聞くようになったのはいつ頃だったのだろう・・・? 我が人生の最初の頃を思い出してみると、サラサーテのチゴイネルワイゼンが頭に浮かぶ。前にこのblogでも書いた

思い出してみると、小学校6年の時に皇太子・美智子さんの結婚式があって(1959年(昭和34年)4月10日)、TVブームが起きた。
その頃は、家にTVは無かったが、ほどなく我が家にも白黒TVが入り、フジテレビで渡邉暁雄指揮の日本フィルの演奏会を毎週食い入るように見たのを思い出す。(毎週土曜日の3時頃だったかな~・・)

自分のレコードの歴史は・・・・?と思い出すと、その当時(1960年代初め)、ソノシートというビニール製のレコードがあって、本屋で売っていた。そのソノシートで、一番最初に買ったのが朝日ソノラマの?「世界のマーチ」。自衛隊音楽隊が演奏したマーチ集だ。それに続いて買ったのが(会社名は分からないが)、ビゼーの「アルルの女」組曲。これらが小学校6年~中学1年の頃。
そして初めて買った“固いレコード”が、ハイフェッツのチゴイネルワイゼンと言うわけだ。
ここで1904年に録音されたというサラサーテ自身の演奏による「チゴイネルワイゼン」を聞いてみよう。何と100年前の演奏である。

<サラサーテ自演の「チゴイネルワイゼン」>

変わったところで、マリンバによるチゴイネルワイゼンもある。
レコード芸術という雑誌があるが、その付録のCD(97年8月)で聞いてトリコになったのがマリンバ(木琴)の演奏。
前にTVで見た時に、その圧倒的なスピードにビックリしたものだ。到底人間ワザとは思えない・・・・。大御所は神谷百子と高橋美智子という二人である。
アラベスク」というアルバムに入っている神谷百子のチゴイネルワイゼンのサワリを少しだけ聞いてみよう。

<神谷百子(マリンバ)の「チゴイネルワイゼン」>



ともあれ音楽の世界も広い。まあクラシックについても自分の心に残っている音楽を少しずつメモって行こう。

P10001751  (記事とは関係ないけど、前に散歩の時に撮った花一輪・・・)

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2007年6月 5日 (火)

初めて「梅酒」を漬けてみました

P10001771P10001791_1 梅酒を漬けてみました。
梅酒は、10数年前に何度かカミさんが漬けたことがありましたが、その時は自分があまり梅酒に興味が無く、実家の父のお土産になってしまいました。
しかし今回は違います。自分で飲むのです・・・

自分が毎晩の晩酌に缶ビールを飲むようになったのがいつ頃だか覚えていません。しかし、30年くらい飲んでいたように思います。原因はご飯を食べなかったせい??
ウチのご飯は、実は五穀米なんです。白くないのです。(息子が帰ってくると、急に白くなるのですが・・・。ブツブツ・・・)
よって自動的にご飯を食べなくなり、ビールとおかずでの夕食が日常でした。(もっとも、ビールを飲みだした方のがよっぽど古いので、これは単なる言い訳ですが・・・)

それを、半年位前からビールをキッパリ止めて、梅酒にしました。そしたら胃の調子もよろしい。胃下垂なので発泡のお酒は良くないと言われていた事を思い出し、なるほど・・・と。そして“ビールでなければ・・・”という思い込みも卒業しました?

そんな訳で、今がシーズンだというので、自分も梅酒を漬けてみる気になったもの。
ネットで見ると、梅酒の漬け方も色々載っている。いたって単純なのだが、氷砂糖の量が様々。梅1Kに対してホワイトリカー1.8Lは同じだが、氷砂糖の量が200gから1Kまで色々・・。
今回は初回なので、氷砂糖の量は(一番ポピュラーだった)1Kにしてみた。

1年経つと飲み頃らしい。来年味を見て、また考えましょう。
しかし自分の酒肴のために、自分で行動を起こした事は初めて。
これも還暦を前にした“人間的成長”のひとつなのでしょう・・・?
退職を前に(といっても2年後だが・・)、色々と別の世界の開拓で忙しくなった(本当か???!)この頃ではある・・・・。(どうもウソっぽく、自己満足的に見えるな~・・・)

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(記事とは関係ないけど、前に散歩の時に撮った花一輪・・・ ~「松葉菊」とかカミさんが言っていた・・・)

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2007年6月 4日 (月)

読書の分野の広さ・・・

070604nikkei 今朝の日経(07/6/4)に「仕事術 読書と早起き、己に課す」という東芝社長 西田厚聡氏のコラムが載っていた。(P15)

曰く・・・
夜どんなに遅く帰宅しても、会食でお酒を飲んでいても、必ず30分から1時間は読書をします。30数年前からの習慣で、本を読まないと眠れないほどです。科学技術、経済、経営、政治、歴史、小説など、常に分野の異なる6~7冊を平行して読んでいます。ささいなことでも信念として続ければ、自分への歯止めとなる。・・・・早起きも同じで、毎朝6時30分に出社します。・・・
なるほど、エライ人は読書家で早起きなのだ・・・。

最近、特に『世の人はどうしてこれほど仕事と縁が無い分野についても詳しいのだ・・?』がナゾだったが、このコラムを読んで、何となく納得。
つまり世の人は、仕事とは縁のない分野についても読書で情報をアタマにインプットしていたのだ・・・・。
これは考えるまでも無く当たり前のこと・・・・。
それを自分は今まで出来ていなかった。だから“専門バカ”になってしまった訳だ。(これも異論がある。「自分に人に言えるような『専門』は本当にあるのか??」「それも無いんじゃないのか?? えっ エムズさん!?」)
まあ人間、異分野にどう興味を持てるかが、人としての幅を磨くポイントかも・・?

前に自分が『哲学者「中村元」のことば』(07/1/4)のコメントでこんな事を書いた
「先日、20年位前に12チャンネルで放送されたTV版の『中村元 私の履歴書』を見る機会があったが、その中で中村先生の奥さんが『学問以外は全くダメで、赤ん坊がお腹の中にいた時に“赤ん坊はお腹の中でも泣くのか?”と聞くんですよ!』とキャラキャラ笑っていました。中村先生も人間だったと安心?(あまりの著書の多さに宇宙人かと思っていた・・・・?)」
世界的大学者もこのような一面も持っている。
これこそが世界に冠たる専門バカだ。(中村先生 大変に失礼しました!)

我々凡人は、専門バカにもなれないので、残された時間(定年後に自由になる時間は、現役の時よりも多いとか・・・)で、色々な分野にクビを突っ込み、辻褄を合わせるしかないな・・・
(しかし東芝の秘書さんたちは大変だ。社長が朝6時半出社とは・・・・。これだけはマネしないぞ! ~“夕方5時半に帰る男”より)

P10000191

(記事とは関係ないけど、散歩の時に撮った花一輪・・・ ~「二人静(ふたりしずか)」ならぬ「三人静」)

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2007年6月 3日 (日)

映画「武士の一分」を見た

映画「武士の一分」を見た。映画館でやっている時は、キムタクのポスターにあまりそそられず見なかったが、その後、原作の藤沢周平「隠し剣秋風抄」の中の短編「盲目剣谺返し」を読んだら、映画も見たくなった。
それで、いつもの通りDMM.COMに予約を入れておいたら、6月1日にDVDが発売になり、送られてきたDVDをさっき見たというわけである。

原作を先に読んでいたためか、非常に「違和感」を感じた。
映画のシナリオや設定は映画独自のものであり、否定する訳ではないが、あまりに原作が頭に残っていると、どうしてもそれを念頭に映画を見てしまう。
しかし余韻という意味で、この映画は自分にはフィットしなかった。

まず時間軸の慌ただしさ。原作は「・・・眼に光を失ってから1年半近く経つ。」から小説が始まっているが全ての時間軸が圧縮されている。なぜ全てを短期間に凝縮するのか分からないが、これでも余韻が消えた・・・
特に、最後のクライマックスの加世が戻るシーンでは、原作では女中を頼むと決めてから、3日後に来て・・・・となっているが、映画ではその日の晩飯には間に合っている。その時間軸の慌ただしさ・・・・。
カタキの死に方(腕を切られる)をはじめ、全てのディテールの設定の変更に必然性が感じられず、違和感だけが残った。

それに役者も何かフィットしなかった。キムタクよりも「たそがれ清兵衛」」の方が、むしろフィットしているように思えるし、カタキの島村の役者も、もっと悪人面の役者の方が良かった。(あえて役者名は書かないが) でも徳平役は合っていたな・・・。

短編は、事細かに書いていない余韻が命。それを2時間の映画に“伸ばす”には色々とストーリーに変更が必要なのかも知れない。それでなくては、直ぐに終わってしまって持たないのかも・・・
でも、まあ監督は大変だ。原作を読んでいる人たちを相手に、何らかの形で「納得」させなければいけないので・・・。
(自分も原作を読んでいなければ、また違った感想になっただろうに・・・)
最近、藤沢周平に懲りだした今日この頃ではある。

(付録)一緒に見たカミさんの評:
「どうだった?」
「話が単純なので30分で良い。私も下働きのお爺さんが欲しい。メイ子(犬)の散歩も頼めるし・・・・」~どうも聞くだけ無駄だったようだ・・・・

P10001721_1 (記事とは関係ないけど、散歩の時に撮った花一輪・・・)

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2007年6月 2日 (土)

切りキズに効果絶大な「バンドエイド」

今日は「バンドエイド」の宣伝?である。

先週の日曜日(07/5/27)、カミさんが散歩で転んで右足の甲を捻挫した。ちょうど一月半前(4/14)にも左足首を捻挫し、しばらく歩けなかったが、今度は右足だ。
左足首の時に買った足首を固定するサポーターを付けたら、指がパンパンに腫れた。これはヤバイと、次の月曜日に会社を早々に引き上げて帰り、医者に連れて行った。レントゲンの結果、今度も右“足首”だとばかり思っていたのが、今度は足の甲の捻挫で、骨には異常がないので湿布だけでよいという事になりホットしたものだ。

Img_11011_4Img_11031_3 今日の本題はこれではない。キズを直す特効薬の話だ。
転んだときに、一緒に左足のひざをかなり擦りむいた。当然内出血と外側はキズだらけ。
ここで登場するのが、バンドエイドの「キズパワーパッド」だ。
これこそキズの特効薬だ。説明にもある通り、このバンドエイドはキズ口を完全に封鎖する。そして体液がキズを直す為に働き出すのをじっと見守る。それだけだ。
5/28夕に医者に見せて(無視されたが・・)、改めて貼ったのがその時・・・。それから今日が5日目。
そのバンドエイドを外してみてカミさんが叫ぶ。「すごい。もとのままだ!」。
つまりキズはすっかり治って、バンドエイドを剥がすともとの白い肌・・・・

何だか、前は医者しか使えなかったそうだ。それが市販されるようになった、というのを聞きつけて買った。それからは、包丁で指をスパッと切っても、これを貼るだけ。
前は医者で縫ったんだろうな、と見えるキズもこれを貼ると、縫う必要はもちろん無い。キズ口を完全に合わせることが出来るから・・・・

前に「ガスター10」とかいう胃の薬が、やはり一般に開放されたことがあったが、この様なキズの特効薬?が一般に入手できると、何よりも直ぐに手当てすることが出来るので有り難い。
世の中、何でも規制緩和?で便利になっていくな・・・

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2007年6月 1日 (金)

「エムズの片割れ」の1才の誕生日

昨年の6月1日に、このblogをスタートして、とうとう1才の誕生日を迎えてしまった。
この1年で書いた記事が 183本、コメント数 39、トラックバックが 31、そして累計アクセス数が 15,730件・・・・。これには、本人もビックリ・・・・

よくもまあ書くことがあるものだ。と同時に、よくもまあ沢山の“誰かさん”がアクセスしてくれたものだと感心・・・
「毎日書くぞ~」ナンテ、“とらわれる”ことだけは避けよう・・・・、というスタンスで来たが、フト思うと、正直かなり「とらわれている」な~・・・
しかし、最近は書くことがなかなか面白い。どこで誰が読んでいるかは全く見当がつかないが、それには関係なく書く、勝手気ままな備忘録である。そしてまた、blogとはどうも自己満足の世界そのもののようだ。何となく世界に向かって叫んでいるような良い気分になってしまって・・・・・・
還暦を前に、フト思い立って書き始めてみたワケだが、どうもはまってしまった??

最近、いよいよ自分の周囲で「定年・退職」に関した話題が多くなってきた。
今までサラリーマンをしていた皆がそろそろ卒業を迎え、今までは「**会社」という固有名詞の付いた別々な世界で暮らしてきたのが、定年という共通的な転機を境に、今までの社名から解き放たれ、「退職後はどうするのか・・・」という共通の話題ひとつに集約されて、一挙に皆が同類化する。そして皆の心は昔に帰る・・・・。(だから、卒業後初めて中学校のクラス会を計画したら、8~9割も出席するというのでビックリした・・・ナンテいう話も聞く)

今日、昼に兄貴と会ったが、その時にこんな話をした。
「今、ある本を読んでいるが、論じている視点が高い。世界が広い。サラリーマンの我々が今まで生きてきた世界は会社の中だけ。それで済んできた。別に地球の裏側の事件を知らなくても、会社の中では生きてこられた。だから、住んできた世界が狭い。しかし(今自分が凝っている)哲学者の中村元は膨大な著作を残したし、松本清張も沢山の小説を残した。司馬遼太郎も・・・・。それに比べて、我々は生きた事で何か残せたものがあるのだろうか? 何もない・・・。後に残る人に何も残せていない・・・」
「それは我々が凡人だということ。そもそも頭の構造が違うのだろう・・・」
「でも、少なくても生きてきた世界が狭かったと気付いたことで、色々な本も読むようになったし、価値観の違う人とコンタクトする機会も得た。これから死ぬまでの間で、いかに非日常の世界(今まで住んできたとは別の世界)に入って、少しでも広い世界を知る事が出来るかだ・・・(実はこれが一番苦手なのだが・・・)。もちろん、後世に残せるものを今更探すのは無理だが・・・」

とにかく世界は広い。最近特に本屋に行ったときに感じる。

P10000051_1 P10000061_4  

この写真は「オンシジウム」という花だそうだ。まるで踊り子に見える。(九州に赴任している下の息子が、母の日に送ってきた)
なかなか面白い花なので、新しくカミさん用に買ったデジカメで試写した1枚である。(「人畜無害」の話題も良いものだ)

実はカミさんがせっせと手入れをしている自宅の庭も、今まで気にしたことも無かった。しかし上の写真の花のように、少しでも今までの自分の世界から脱して、見る世界を広げていきたいと思うこの頃ではある。(まったく自信はないが、まあせっかくこの世に生を受けたのだから、会社以外の世界を知らないで終わるのは勿体ない?)

その一助がことによると、このblogかも知れない。繰り返すが、このblogに、“今日は何を書こうかな・・・”と頭を巡らすのが楽しくなってきたこの頃である。
それをも励みに、まあ、あまり力まずにこの「エムズの片割れ」もこれからも続けていこうと思う。(なるべくカミさんにバレないように・・・ =書きたいことを自由に書くために)

まさに“自己満足の備忘録”としての「エムズの片割れ」だ。
(そのうち自分用の“たった1冊の本”にでもまとめようかな~・・・・)

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