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2007年5月の32件の記事

2007年5月31日 (木)

塩野雅子の童謡「花かげ」

童謡で「花かげ」という歌がある。1931年(昭和6年)に発表されというこの歌は、有名なので色々な歌手が歌っているが、やはり塩野雅子の歌が好きだ。(なお塩野雅子さんは本名で、勝生真沙子さん(かつき まさこ1958年10月15日生)の名で活躍しているという。(ここ))

<塩野雅子「花かげ」>

「花かげ」
     作詞 大村主計
     作曲 豊田義一
   歌   塩野雅子

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
くるまにゆられて ゆきました

十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました

ところで、ここで言う「花かげ」とは何だ? 花の陰? 『桜吹雪の下で・・』という意味かな?

しかしこの歌は集めに集めたり、自分は9種類持っている。
(ザ・ピーナッツ、塩野雅子、加藤登紀子、芹洋子、鮫島有美子、石川さゆり、島田祐子、伴久美子、由紀さおり)その中でも、やはり塩野雅子の歌が一番良い。

(追)前に塩野雅子の「花かげ」をNHK FMで聞いて以来、そのCDを散々探したが廃盤で手に入らなかった。それがさっきネットで見たらCDが色々と出ている!(これ) 直ぐに買ってしまった・・・
欲しい時には入手できず、その後、またFMやったので今度はちゃんと録音できた・・・と思ったら、今度はCDが出る・・・。

なんとも、『いつもの世の中の動き』と同じだな~と思った。
つまり思い通りには行かないという事。~これこそ仏教でいうところの「苦」だ。(童謡の話が何で仏教に行く・・・?)

(2009/1/16追記)
こんな記事を見つけた。(ここ
「大村主計(おおむらかずえ:1904~1980)の菩提寺は山梨県塩山の向岳寺で桜の名所です。「絵日傘」も「花かげ」も向岳寺の桜吹雪を詠ったもので、向岳寺には「花かげ」の詩碑が建立されています。末っ子だった主計は、幼い時に、向岳寺の桜吹雪の下を人力車にゆられて隣村に嫁いでゆく姉の花嫁姿を見送っており、その思い出を詠んだのが。この「花かげ」です。」とあった。

(2009/4/5追記)
桜が見ごろだという情報を得て、山梨県塩山の向嶽寺に行ってきた。境内の詩碑の説明にこうあった。これが作詞の背景のようだ。(写真はクリックで拡大~桜真っ盛りの今日、撮った写真を幾つかアップ)
「友情の石ふみ
童謡「花かげ」の詩は、郷土の詩人大村主計が二十歳の時、一夜で書き上げたという。
P10404421 それは彼が少年のころ、姉はるえが嫁ぐ日、向嶽寺境内の桜並木をとおって旧大藤村へ嫁入りする後姿を涙ながらに見送った切ない想い出が脳裏に刻み込まれていたからだと言われている。
この詩は、戦前から歌われていたが、戦後、松田トシ、川田三姉妹が愛唱して全国的に知られるようになった。
昭和三十二年、この詩を顕彰して詩碑が建立され、その除幕式には、徳富蘇峰、サトウハチロー、堀内敬三等多数の文化人が参列した。・・・・」

P10404681 P10404531 P10404401

(関連記事)
童謡「花かげ」のふるさと~山梨の向嶽寺に行った
安田祥子の「絵日傘」(SP盤)

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2007年5月30日 (水)

映画「それから」のテーマ

映画「それから」は、夏目漱石の原作を、松田優作と藤谷美和子の主演、森田芳光の監督、梅林茂の音楽で映画化したもの。

実はこの音楽がしっとりとしていて素晴らしいのである。バックの音楽が、藤谷美和子の可憐さと実に良くマッチングしている。明治時代のの雰囲気も・・・
このサントラ盤を入手するために、長い間に亘って悪戦苦闘したものだ。DVDは出たが音はモノラル。昔のステレオのサントラCDは手に入らなかったが、結局何とかアナログのサントラLPを入手して、この騒動も終わった。この辺の事情は、前にこのblogでも書いた。少し聞いてみよう・・・

<映画「それから」のテーマ~梅林茂>

この音楽が自分の心に滲みる理由は、この映画で藤谷美和子が演じる“可憐さ・・・”かな?・・・と思った。
(実に今のカミさんと“同じ”なのである!? ~本当に“可憐”かどうかはハナハダ疑問だが、このblogがいつカミさんにバレるか分からないので、ケアが大変なのだ・・・! ~ここまで書くと、ケアしている事にならない・・・?)

(関連記事)
欲しいもの~「それから」のサントラ盤

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2007年5月28日 (月)

藤山一郎・松田トシの「白鳥の歌」を聞いた

先日、デジタルラジオで藤山一郎の「白鳥の歌」が放送された。自分としては、この歌を、まさに50年ぶりで聞いたのである。
藤山一郎と松田トシの昭和22年(1947年)5月発売の、何と60年前のオリジナル音源である。

<藤山一郎/松田トシ「白鳥の歌」>

「白鳥の歌」
   作詞 若山牧水
   作曲 古関裕而
   歌   藤山一郎
         松田トシ

白鳥は悲しからずや
空の青 海の青にも
染まず ただよう

いざゆかむ 行きてまだ見ぬ
山を見む このさびしさに
君は耐うるや

幾山河 越えさりゆかば
さびしさの はてなむ国ぞ
きょうも旅ゆく

前に聞いたのが中学1年の時だった。英語の勉強に使うと親をだまして買って貰った松下の9980円のテープレコーダ(4.74cm/S)。
これにラジオから録音して聞いて以来、50年弱が経ってしまった。

藤山一郎のこの歌はその後ステレオでも録音されており、当然自分も持っているが、松田トシと歌ったオリジナル版はなかなか聞けなかった。(唯一CDが出てるのは分かっていたが・・・)
それがやっと放送され、手に入った・・・・。伴奏が始まると(昔録音して散々聞いた)「藤山一郎さんと松田トシさんで白鳥の歌・・・」という女声アナウンサーの声が“頭の中で”聞こえる・・・。
松田トシは、いわゆる「歌のおばさん」で有名で、子供の時は、ラジオから聞こえてくる童謡の美しい歌声に聞き惚れたものである。

しかし、この年になると、色々なことが美化されて来るようで、大嫌いだった(亡くなった)親父についても「まあ昭和35年当時の1万円は大変な金。一度だけだったが一番欲しかったテープレコーダを買ってくれたのだから、まあ許してやるか・・・」ナンテ・・・・(どっちが許すのか分からないのに・・・・)

50年弱前の、中学校の時の甘酸っぱい想い出が蘇る「白鳥の歌」ではある。

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2007年5月27日 (日)

ジェームス三木の「憲法はまだか」を読んだ

ジェームス三木の「憲法はまだか」を読んだ。珍しく一字一句を精読した。一つひとつの事実が重く、読み流しが出来ない作品だった。その意味で、心に留まる良い作品だと思う。

この小説は、先日NHKアーカイブで見たTVドラマの「憲法はまだか」の小説版であり、どうも小説よりもNHKドラマの脚本が先に出来たらしい。
結果として、筆者は護憲論者と最後に述懐しているが、最後まで中立の立場で客観的に書いており、改憲派・護憲派それぞれの臭さが無く、気持ちよく読めた。
また会話はフィクションにしても、一つひとつの事実関係は、まさに事実であろうので勉強になった。この小説で、気になった文言(&事実)を抜き出してみると・・・・

・「昭和20年の日本人の平均寿命は、男性23.9歳、女性37.5歳である。」(P62)
・「・・・マッカーサー個人にまつわるふたつの謎に言及しておきたい。・・・なぜ天皇の地位を擁護したかである。・・・・65歳の大柄なマッカーサーが、44歳の小柄な天皇に、父性愛に近い感情を持ったとしても、決して不思議ではない。・・・・もうひとつの謎は、戦争放棄条項の発案者は誰かということである。・・・筆者はやはり、マッカーサーの提案が先であり、幣原首相が同意したと考える。」(P141)
・「憲法草案作成に直接関わったメンバー、つまり民政局行政部員だけなら24名(軍人14、民間10)、翻訳担当者を加えれば、26人である。ただしこの数字は、必ずしも正確とはいえない。もっといたかも知れない。・・・」(P169)
・(ハッシー中佐)「すると大佐は、再軍備を認めると・・・」 (ケーディス大佐)「認めるわけではないが、エルマン中尉も指摘した通り、軍隊を持たない独立国家は前例がない。少なくとも国家には、国土を守る権利があるはずだ。ひとりひとりの個人に、人権があるようにね。敵の攻撃を撃退してはいけないとまでは、いえないでしょうが・・・」(P188)
・「・・・・日本に進駐したアメリカ人は、ざっと20万人、そのうち女性はたったの60人だから、3千分の1だ。魅力的なベアテが、もてまくったのは当然だ。」(P204)
・「・・・『憲法の前文が出来ました』『読んでみて』・・・ケーディスは大きな拍手をした。『最高だ。歴史に残る名文だな』『これは日本の憲法でなくて。世界の憲法ですよ。思わずからだが震えました』『あのハッシー中佐がね』・・・・」(P253)
・「朝鮮戦争は、日本に驚くべき変化をもたらした。・・・・・・かつて豊臣秀吉が、2度にわたって朝鮮国を蹂躙し、略奪のかぎりをつくした。日清戦争では、朝鮮半島が戦火にさらされた。その後、伊藤博文は韓国を併合し、植民地とした。そして戦後日本の経済は、朝鮮戦争によって立ち直った。こうした歴史の流れは、日本人として、心に留めておくべきだ。・・・」(P407)
・「・・・アメリカでは『日本国憲法』に関わったGHQ民政局員が、箝口令を敷かれたまま、ずっと沈黙を守っていたが、マッカーサーが1964年に84歳の天寿を全うすると、少しずつ重い口を、開く者も出てきた。
新憲法制定時の経緯については、日米のすぐれた学者の研究書が、たくさん出ている。浅学非才の筆者がこの小説を書けたのは、それらの研究書があるからだ。
では何のために筆者は、この小説を書こうと思い立ったのか。それは『日本国憲法』に関わった人々を、記録の隙間から、人間として立ち上がらせ、心臓に鼓動を与え、呼吸をさせ、感情と性格を蘇らせたいと、思ったからである。
筆者が心がけたのは、それぞれの人物の思いや主張を、できるだけ公平に描き、誰の立場にも、建たないことであった。だが実際には、至難なことであり、知らず知らずのうちに、個人的な好き嫌いが、出てしまったかも知れない。・・・・」

この小説は「人はみな歴史の中継ランナーである。祖先から受け継いだ大事なバトンを、子孫に渡さなければならない。・・・」という書き出しで始まり、「・・・人はみな歴史の中継ランナーである」で終わっている。
まさにこの言葉が、この小説の中心線だ。

今朝(5/27)の朝日新聞(P4)に、以下の記事が載っていた。
憲法60年 社説の評価は 全国の新聞調べてみると 9条改憲・・・賛成:読売・産経・日経/反対:朝日/中間的:毎日
全国紙でもその論調は様々だ。

やはり大事な事は、風説に惑わされず、自分自身の心でしっかりと事実を掴み、判断することだろう。
自分も、当分は事実認識・確認の域を出ないだろう。ただ一ついえることは、拙速だけは避けるべきだ。

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2007年5月26日 (土)

キャノン・東芝の「SEDテレビの発売未定」の発表は残念だ

Scan102572_1 今朝(5/26)の朝日新聞に、「キャノン・東芝 SEDテレビ発売『未定』 訴訟長期化と説明」という記事が載っていた。非常に残念な発表だ。

テレビは、もはや薄型テレビ一辺倒の時代になり、ブラウン管TVは既に時代遅れ・・・・。
しかし、自分は相変わらずブラウン管TV派。何故ならば、ブラウン管TVは完全に完成されたシステム。
それに対して、液晶TVの画質は我慢の限界を超えている。先ず残像。画面がパンすると(横に動くと)お化けのように画面が尾を引く。これには絶えられない。プラズマは少しはマシなようだが、CRT(ブラウン管)にはかなわない。

それに対して、原理的に小さいブラウン管の集まりのSED方式には、大いに期待していたのに・・・・。残念だ。
昨年のCEATEC JAPAN(昔の晴海のエレクトロニクスショー)では、SEDの試作品を見て、その残像の無い画面を実感したものだった。
「自分は現在の薄型TVは絶対に買わない。もし買うとしたらSEDだ・・・」と思っていても、発売されないのでは無理か・・・・。しかも、当然値段もそれなりでなければ・・・・

話変わって、明日(5/27)まで、NHK技研の公開が行われている。今年は行かないが、これは昔、良く行ったものだ。
今でも印象に残っているのは、通常のNTCS方式なのに、NHK技研で見る画質の素晴らしさ。家庭で見る『放映された画質』との違いに、言葉を失ったものだ。
ダイレクトのナマ信号なので、電波に乗らない分だけ信号の劣化が無く、ゴーストも無いため画質は良いのは当然だが、あまりに違いすぎた。
それに続いて、ハイビジョンの画像の素晴らしさ・・・。当時は、技研の玄関をハイビジョンカメラで映して、部屋でその絵を流していたが、あまりの繊細さに『これは実験室だけの画質で、とうてい家庭とは無縁』と勝手に納得していたものだ。
それにプラズマ等の薄型TVの試作品の展示。昔は「壁掛けテレビ」と称して、夢のTVだった。

それが、今やBSデジタルや地上波デジタルで、夢の壁掛けTVと共に、ハイビジョンが当たり前的に家庭に入ってきた。
これは大変なことだ。デジタルで何の劣化もなく、放送局と全く同じハイビジョンの絵が家庭で見られるとは・・・・

しかし「液晶では、デジタルハイビジョンの素晴らしさを現すことは到底出来ない」というのが自分の思い込みである。
何とか頑張ってSEDを世に出して欲しいもの。
少なくとも新聞に「・・SED事業そのものから撤退する可能性も出てくる」とまで書かせないで欲しいものである。

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「ジョイフル本田 瑞穂店」の規模に圧倒された

ジョイフル本田 瑞穂店に行った。そしてその規模の凄さに圧倒された。

先週、日産 村山工場の跡地に建ったダイヤモンドシティ・ミューに行ったが、人から聞いていたホームセンターが無い。そしたらガイナッツさんからコメントを貰って、それはジョイフル本田の瑞穂店だという。それで早速今日行ってみたという訳である。

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そしてその規模の大きさに圧倒されて帰ってきた。
駐車場4000台の規模は、先週行ったダイヤモンドシティ・ミューと同じ。とにかく広い。何でもある。ペット同伴エリアから、スーパーの地下と同じ生鮮食料品の売り場まである。本社は茨城県の土浦らしい。
そして2Fのフードコートも大規模。

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前にハワイのアラモアナショッピングセンターに行ったとき、その中にあるフードコートに感激した。周囲にズラッと店が列び、中央のエリアで自由に食べる・・・
それがどうだ。日本でも至る所に同様なセンターが出来ている。
近くでは昭島駅前のモリタウンにも、04/10に改装オープンした時に大規模なフードコートが出来た。

大規模なペットショップ、クラフトコーナー等々、カミさんが喜ぶこと喜ぶこと・・・・
しかも04年11月に昭島にカインズホームが出来て、大規模ホームセンターに行く為にわざわざ多摩境まで行かなくて済む・・・と喜んだが、このジョイフル本田は、カインズホームの規模・機能までも取り込んでいるように見える。(どちらが本当に大きいかは分からないが・・)

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またビックリしたのは、店内に「歩く歩道」がある。
短くてそれほど機能しているとは思えないが、まあ面白い。

ともあれ、近く(と言っても12K位あるが・・)に色々と大きな店が出来ることは良いことだ。
今年の夏は、“海外旅行の代わり”に、これら近くの大規模店を順番に回ってみることにした。(別に海外に行かない“言い訳”をしているワケではないが・・・)

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2007年5月25日 (金)

山田太一のドラマ「星ひとつの夜」が良かった

さっき(5/25 PM9~11)、フジテレビで「山田太一ドラマスペシャル・星ひとつの夜」を見たが、期待に違わず良かった。いつもの山田太一だった。

ストーリーは上記のフジテレビのHPにあるので記さないが、いつもの山田太一らしい心の暖まる物語だった。
山田太一独特の、短い言葉を投げ合う会話のテンポも健在。悪い人が誰も出ない、という安心感?も、いつもの通り。ハッピーエンドも・・・

上記HPの筋書きには書いていないが、主人公が殺人の罪で11年刑務所に入ったが冤罪だという・・・。その真犯人は・・・?
カミさんとTVを見ながら、「浮気をされた奥さんが真犯人じゃないの・・?」という言葉も出たが、「山田太一だからそれは無いね」が結論。

「彼女はちゅらさんだよ。分かる?」と言われて良く見ると、「本当だ、ちゅらさんだ。でもキャラキャラしていないね。」「それはそうだよ。あの頃は若かったから・・・!?」。(国仲涼子からは“そういう役だから仕方が無いでしょ!”と叱られそう・・・)

HPによると、山田太一が描きたかったのは・・・・
今の時代は近代主義、人間主義で、努力すれば何でもできる、技術が進歩して何でもできるという風に考えられがちですが、それは浅薄な考えだと思います。現実はいくら努力してもうまくいかないことが多く、自分ではどうにもできないことに直面した人物・・・心の芯に沈黙がある人をドラマで描くことが大事なのではないかと思いました。」とある。
確かにこの世には理不尽な人生が幾らでもある・・・・

だいたい自分が脚本家を選んでドラマを見るなど、昔は一切考えられなかったが(それまでは役者で選んでいた?)、今ではカミさんから教育されて、脚本家で番組を選ぶようになってしまった。
でも山田太一のドラマは、何よりも安心して見ていられる。でも前に、最後に主人公が死ぬドラマを見て、「山田太一も変わったね」という話をしていたが、今日のドラマで「山田太一はもとに戻った」が我が家の評。
取り留めのないことを書いているが、山田太一には今後も心が暖かくなるドラマをたくさん期待したいな~

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2007年5月23日 (水)

通信型受信機~紅顔の少年の憧れ

9r42j_2 Photo_2 これらは、昭和30年代に発売された、TRIO製の通信型受信機である。30MHzまでカバーしているオールバンド受信機。これらの写真を見ると、今でも心がうずく・・・・・

小学校高学年の頃、無線に憧れ、鉱石ラジオを買った事を皮切りに、「ラジオの製作」「初歩のラジオ」といった雑誌を片手に、真空管のプラグイン受信機(コイルを差し替えて受信バンドを選ぶ)を自作し、海外の日本語放送を聞いた。
アンテナは家の屋根に乗ってエナメル線を張る。(生涯に一度だけ蜂に刺された事があったが、この時だ)
そして海外の放送局に受信レポートを出す。そうすると『ベリカード」とかいうのが送られてくる。これを集めたものだ・・・
今でも覚えているのは、英BBCからビッグベンの写真のソノシート(紙のレコード)が送られてきた。再生するとビッグベンの鐘の音が聞こえた・・・。これには感激した。
それから、確かラジオオーストラリアも良く聞こえた・・・

それからハム=アマチュア無線に憧れた。そして夢に出てくるくらいに憧れたのが、TRIOの9R42Jおよび、その後継である9R59だったのである・・・・。(上記の写真はネットから拝借~スミマセン・・)
もちろん子供で買える訳もなく、カタログを眺めては『いつか買うぞ・・・・』と、カタログと一緒に寝たものだった。

『中学に入ったらハムの免許を取るんだ・・・・』と思っていたが、高校受験で忙しく、取れなかった(言い訳・・・)。高校に入ると、オーディオ(AMP作り)と大学受験で忙しく、これまた取“れ”なかった。
大学に入ったら、ハムよりもオーディオ(と麻雀?)に忙しく、またまた取“ら”なかった。

そして、会社の独身寮に入って初めて、ハムをやっている人が周りに現れた。
ここでやっとオミコシがあがって、ハムの免許を取る気になった。
当然「電話級アマチュア無線」の国家試験は満点。
コールサインが欲しい。しかし試験に受かっただけでは取れない。でも、機材を買って電波を出すかというと、既に興味を失っていた。
エエイッと、寮の隣の部屋の奴から、送受信機のデータだけ貰ってコールサインの申請をした。(40年前で、もう時効なので白状・・・)
そして貰ったコールサインが「JJ1KYW」。とっくに失効しているが、ネットで調べてみたら誰も使っていなかった。

結局買えなかったTRIOだけれど、憧れの受信機・・・。
この写真を見ると、心がうずき、手に入らなかっただけに愛(いと)しい・・・・
(もしこれが女性だったら、初恋なのかな・・・?。しかし、手に入らなかったからこそ『美しい想い出?』になっているのかも・・・ ~今のカミさんとは大違い・・・!?)

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2007年5月21日 (月)

峠三吉「人間をかえせ」のレコードを聴いた

Scan102570_1 先日(といっても07/5/14だが)の朝日朝刊に「『にんげんをかえせ』の最終稿発見」というコラムが載っていた。
そういえば、この曲のLPを持っていたっけ・・・と、日曜日に本当に久しぶりにアナログプレヤーを動かして再生してみた。何とか動いた・・・・

そして、(ちょうど今、憲法を制定した戦後の時代に凝っているので)この詩の「序」の部分を、(広島、長崎はもちろんだが)世界中の戦争で肉親・友人を亡くした人の立場で聞いてみた。(もっとも聞いたのは最初の序の部分だけで、全体は聞いていない。~少し重たすぎるから・・・)

そうしたら、まったくその通りなのである。
この詩の序は、峠三吉が戦争で愛する人を奪われた、“残された人間の代表”として、叫んでいるように聞こえる。

「にんげんをかえせ」    峠三吉

       『序』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

Img_10891 大木正夫作曲/グランドカンタータ「人間をかえせ」のレコードがこれだ。
昔、冒頭のところだけを誰かに教わり、その強烈な詩が頭に残った。
それでこのLPを買ったのだが(71年6月)、(前にも書いた通り)内容が重たくて、全曲は聴いていない。

その「序」のところと「終曲 人間をかえせ」のMP3をアップしてみた。
(下の⇒印を押すとしばらくして音が出る。いやはやBlogも便利になったものだ)

Img_25102 しかしこの歌声は、時代を飛び越して太古の昔から将来の宇宙戦争まで(??)、戦争の悲惨さを嘆く永久に消えない叫び声だ。(今もTVで、テロで車が爆発した所をやっていた・・・)
現在の我々は、この声を忘れてはいまいか?
確かに今の日本は平和で良い。しかし世界のどこかで、今もこの歌と同じように叫んでいる人たちが居ることも事実なのである。

今回の憲法改正論議が、日本の平和ボケから世界の現実に目を向ける良いチャンスになるかも知れないな・・・と思いつつ、35年前のレコードを聴いた。

(2007/8/9追記)
NHK TVで「吉永小百合 言葉で平和を紡ぎたい -思いを受け継ぐ子どもたちへ-」という番組をやっていた。
吉永小百合が21年に亘って続けているという原爆詩の朗読会。その最初に必ず朗読するのが、この峠三吉の詩だという。
すこし聞いてみよう。07年8月9日PM10時から放送された一部である。

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2007年5月20日 (日)

日本のアジア侵略の事実は重たい・・・

最近、明治以降、敗戦までの日本のアジア諸国への侵略行為について、色々と考えされられる。

休日になると、HDDに溜めてあった番組を見るが、NHKの番組で「世界の小さな国」というのがあり(BShi、毎(水)AM 9:50)、5/23の放送「パラオ共和国」を見た。
冒頭、80才を越えるおじいさん、おばあさんが流ちょうな日本語を話すところから「パラオ共和国」の紹介が始まった。
(NHKの番組紹介には「日本から南へ3000キロ、太平洋に浮かぶミクロネシアの群島国家パラオ。種子島ほどの国土に2万1千の人々が暮らす。お年寄りたちが流暢に日本語を話すのは、第一次大戦後から31年間つづいた日本統治時代の名残り。・・・」とある)

第一次世界大戦始まった1914年から、第二次世界大戦が終了して米軍占領が始まる1945年までの31年間、日本がパラオを含む独領ミクロネシア(南洋群島)を占領していたという。
TVに出ていたおじいさん達は、子供の時に日本語で教育を受け、お父さん世代は英語、子供達世代になってやっと母国語になったという。
ここで「占領」という言葉を重く受け止めてしまった。
自分達の文化を、理不尽な外国人の勝手な都合によって破壊され、言葉さえも強制された歴史的な事実。

今読んでいるジュームス三木の「憲法はまだか」の中で、マッカーサーの父親の事が書いてあった。
「・・・ダグラスの父であるアーサー・マッカーサー二世は、17才のとき南北戦争に参加し、19才で早くも陸軍大尉に昇進した。後に准将としてアメリカの統治下のフィリピンで、初代軍事総督を務め、善政を敷いて、国民の賛辞を浴びた。・・・」(P123)
占領といっても、現地民に歓迎される占領も確かにある。

話かわって、今朝(5/20)の日経に堺屋太一氏のチンギス・ハンについての解説があった。(P33)
「・・・チンギス・ハンが世界征服を企てた真の目的は、『人間(じんかん)に差別無し、地上に境界無し』のグローバルな世界を創る事だった。・・・」
(モンゴル帝国はなぜ長続きしたか?)「・・・ユーラシアの7割、世界人口の6割を支配する。しかもその国は、短い地域でも百年、長いところでは20世紀のはじめまで6世紀以上も続いた。その秘訣の第一は『信仰の自由』だ。チンギス・ハンは自らの信仰や文化を押し付けなかった。一切の宗教や文化に干渉せず、治安と納税が守られる限り自治を認めた。・・・」

日本の戦後処理の極東委員会での、オーストラリア、ニュージーランドの日本大嫌いスタンス(知らなかった・・・)。
中国で今も教育されている「日本から受けた恥を忘れまい・・・・」。
また韓国に観光に行くと、中国以上に日本人に向けた白い目を感じるという・・・。
すべては、我々日本人が今までにしてきた報いであろう。
自分も今まで“ノー天気”にアジア諸国に観光に行ってきたが、前のBLOGでも書いた通り、個人一人ひとりが、小さくてもその穴埋めの努力が永遠に必要ではないかと感じるこの頃ではある。

また、日常大騒ぎをしている北朝鮮の拉致問題。
これは確かに事実であり人権問題ではあるが、かつて日本も全く同じ事を、もっと大規模に他国に散々してきたのも、また歴史的事実であろう。
この拉致問題を、日本が侵略した国の人々がどう捉えているか、現地の人のナマの声を取材して、NHKがドキュメンタリー番組でも作ってくれると面白い。日本人が考えているとは違った側面が見えるかも知れない。
(もっとも「菅義偉総務相は2006年11月10日、NHKに対し短波ラジオの国際放送で拉致問題を重点的に放送するよう放送法に基づいて命令した。」という報道もあり、期待はできないが・・・・)

日本国憲法(の理念)を日本人が作れなかった事実(敗戦しても自覚無し?)も、「日本は世界の嫌われ者?」の認識も、少なくても自分は良く知らなかった・・・・。
少々勉強が足りないな・・・・。
今年の憲法の日は、自分にだいぶん考えるチャンスを与えてくれているようである。
(外は上天気。こんな事を考えていても仕方が無いので散歩にでも出るか・・・・)

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2007年5月19日 (土)

日産村山工場跡の“イオンモールむさし村山ミュー”に行った

今日、日産 村山工場の跡地に建設された「イオンモールむさし村山ミュー(旧ダイヤモンドシティ・ミュー)(ここ)」に行ってみた。

Ts380090_1 カミさんから前から行こう行こう・・と言われていた「イオンモールむさし村山ミュー」だが、今まで生返事 をしていた。
ところが、ちょうど昨日の日経朝刊にその紹介記事が出ていたのを機に、ふとカーナビに住所を入れて、行ってみることにした。走ってみると、ほぼ直線で9Kしかない。思ったよりも近い。

Ts380109 さすがに大きい。しかしアクセスはどうか・・・・?
無料駐車場が4000台と言うが、バスに乗っては来にくい所だ。
全体的に、三越とジャスコが左右に配置され、その間に3階建てで180の専門店が並ぶ。
全体が出来たてピッカピカなので綺麗だが、土曜日の午前中にしては、人が少なく、空いている。

1階の「グルメミュージアム」には17店が軒を並べているが、11時前だったせいかガラガラ。

Ts380100 昼食はどこにしようかと、回ってみた。そこでカミさんが「食彩健美 野の葡萄(ナチュラルスタイルビュッフェ)」というのを見つけた。
そして、どうせ空いているので、後でゆっくり来よう・・・・と。

客層は若いようだ。我々のような団塊世代はあまり見かけない・・・?。カミさんが言うには、30~40才位が狙いではないかと・・・。

本屋でブラブラして、ジャスコで食料品を買ってからレストラン街に行ったら大混雑。
どの店も人が並んでいる・・・。
少し見通しが甘かったか・・・と思ったものの、頑張って列んで「食彩健美 野の葡萄(ナチュラルスタイルビュッフェ)」に入った。
ひとり1600円のバイキング。無農薬野菜を中心にした時間無制限の食べ放題。
野菜料理を中心に、カレーからお汁粉まである。季節野菜の天麩羅は、揚がると同時に人の列・・・。周りの客は団塊らしい夫婦が多い。
でも、この店はマアマアだったな。時間も1時頃だったので、昼の第一陣が過ぎ去った後で、比較的空いていたので助かった。(当然食べ過ぎた・・・)

まあもう一つ、新たに休日に行く所が出来た・・・・ということだ。
(何ということのない“無害なBLOG”ではある。写真も携帯で・・・)

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2007年5月16日 (水)

NHKアーカイブスで「憲法はまだか」を見た

今日の午後、たまたま時間が取れたので、川口のSKIPシティにある“NHKアーカイブス (川口)”に行き、96年放送のNHK土曜ドラマ「憲法はまだか」を見てきた。

Ts380079_2 最近、憲法に凝っている。先日兄貴から、「連休に、CS放送で昔のNHKのドラマ『憲法はまだか』を見て面白かった。ちょうどジェームス三木の小説『憲法はまだか』が発売になったので、読んだら?」という話を聞いた。
いつもは生返事をするのだが、本屋に行ったら、その本が山積みしてある。買って読み出したら意外と面白そうだ。
ネットで調べてみると、この番組は96年にNHK土曜ドラマとして放送し、だいぶん評判だったらし事が分かった。
そして、川口にあるNHKアーカイブスでいつでも誰でも無料で見ることが出来る事が分かった。それで行ってみたという訳である。

Scan102571_1 川口からバスで行く。住宅街にある大きなビル。何か、NHKの番組保存センターのような ところらしい。行くと若い女性の案内の人に一斉に歓迎された。平日なので当然閑散。でも「現在何人待ち・・」の表示がある位なので休日は混むようだ。
何の申請もなく(名前を書くわけでも、入門証を書く訳でもない)、「お願いします」と言うと、そのまま個人ブースのTVの所に連れて行かれて、操作方法を教えてくれて、勝手に番組を検索して見る。2時間が1回の限度で、夕方17:30の閉館まで、何度でも再申請が出来る。ただしその度に席が変わる。今日は90分×2番組で、前編と 後編に分かれていたので、前編90分が終わったときに再申請をして席替えをした。
さすがNHK。TVの絵もヘッドホンで聴く音も最高だが、TV画面がフラットなので、白いワイシャツが画面に映り込み、画面が見づらくて参った。
(愛宕のNHK放送博物館4Fにも「番組公開ライブラリー」があり、川口と同じく視聴できる。しかしここは席が少なく(20席くらい?)、一日2時間だけで、延長は出来ないという。調べたら全国のNHKで見られるようになっているようだ。しかし視聴場所がロビーでは、落ち着いて見られないな~)

ドラマは(当然だが)ジュームス三木の通りに展開する。憲法担当国務大臣 松本烝治が主人公のように進む。しかしやはりドラマだ。先日のNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」のドキュメンタリーとは違う。
新憲法を象徴する幻影(真っ白な男の子)がちょろちょろ登場する手法は、少し違和感がある。これは、第3者的・客観的な「視点」を表しているのだろう。
そして、登場する俳優の豪華なこと・・・・。

印象に残った場面は、松本が憲法問題調査委員が作った案をGHQに持っていた時に、「時間が無かったので英訳はしていない」と言う松本達を待たせて、GHQが総掛かりで、突貫で英訳している場面。
その翻訳している場面が凄まじい。アメリカ人が分担して辞書を片手に訳している。そのタイプライターの音が響き、“日本の将来のことを、日本人以上にGHQが考えていたのでは・・・”と思ってしまうような場面。

それに、東大法学部教授 宮澤俊義と松本との会話。
以下小説から転記してみると・・・・(小説「憲法はまだか」P277―278)

東大 宮沢教授「GHQの案はよくできていますよ。あのままでいいじゃありませんか」
憲法問題調査委員会 松本委員長「はっはっは、皮肉ですか?」
「いいえ、皮肉ではありません。私は一読して感動しました。目からウロコが落ちる思いでした」
「目からウロコが落ちるって、あれは民政局のシロウトが作ったんですよ」
「そうでしょうね。憲法学者には、とても思いつかない条文です」
「宮沢さん―――」
松本の反論をさえぎるように、宮沢は言葉を重ねた。
「正直にいいますと、私は学者の限界を感じました。もともと法律家というものは、保守的な考え方しか、できないものだと、思い知らされました」
松本は不機嫌に黙り込んだ。宮沢は遠慮しなかった。
「失礼ですが、調査委員会のメンバーは、大臣をはじめ、明治憲法しか、頭にありませんでした。明治憲法を改正するという固定概念に支配されていました。それがそもそもの間違いだったんです。高木教授がおっしゃったように、もっと早くGHQの真意を、確かめておくべきでしたね」
「私を批判しているんですか?」
「自分自身を批判しているんです」
「すると何かね、宮沢さんはアメリカの押しつける憲法を、すんなり容認しろというのかね?」
「押しつけとはいえないでしょう。我々はナショナリズムにこだわりましたが、あの憲法案は、インターナショナルですよ。国家という概念を飛び越えて、人類の理想が示されています。戦争を放棄して、平和国家を建設するという、空前絶後の条文には、心を洗われました」
・・・・・・

「理想を持たない人間には、人間としての価値がありません」
・・・・・・

これを機に、すこし自分で調べて見ようと思ったのが、マッカーサーだ。
何のことはない。
現在の日本があるのは「マッカーサーという偉大な真の日本の理解者が居たため」とは言えないだろうか?
(世界史・日本史大嫌い人間も、TVから入って行くと、調べるのも苦では無くなるな~)

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2007年5月15日 (火)

唱歌「母の歌」が見つかった・・・

CDでどうしても見つからなかった歌(唱歌)が見つかった
「母こそは 命のいずみ いとし子を・・・・」という歌詞。
野上弥生子作詞・下総皖一作曲/文部省唱歌 「母の歌」という。

しかも、これを頼りにネットで探したら、BLOGにあった。あの歌声が・・・・・・
しかも偶然に、その記事はたった2日前に書かれたものだった。
そうだ、数日前は『母の日』だったっけ・・・

<桑名貞子「母の歌」>

「母の歌」
野上弥生子作詞・下総皖一作曲/文部省唱歌

母こそは 命のいずみ
いとし子を 胸にいだきて
ほほ笑めり 若やかに
うるわしきかな 母の姿

母こそは み国の力
おの子らを いくさの庭に
遠くやり 心勇む
雄々しきかな 母の姿

母こそは 千年(ちとせ)の光
人の世の あらんかぎり
地にはゆる 天つ日なり
大いなるかな 母の姿

この歌は、昭和18年に作られたと歌だという。ちょうど戦争末期。
そして、その時代的背景により、陰に隠れたらしい。
ネットで見たら、次の記述もある

「母の歌」野上弥生子作詞、下総皖一作曲。1943(昭和18)年2月文部省から発行された国民学校芸術科音楽の第5学年用教科書「初等科音楽」3に掲載。

自分がこの歌をどこで聞いたかは覚えていない。しかし1番の歌詞と、切ない心に滲みる女声の歌声が自分の頭にこびりついた。
それから数十年・・・。
「母」の歌、という題だけは知っていたので、童謡・唱歌のCDで「母のうた」があると買った。しかし全部違っていた。
89年に鮫島有美子の「ゆりかごの歌~童謡・唱歌集」というCDを買った時に、CDの解説に次のような文があった。

<鮫島さんの童謡   齋藤槇爾>
・・・・・今回のCDには童謡の名作はほぼ収録されている。わが貧しき幼年期を象徴する『風』と、『母』(野上弥生子作詞「母こそは命のいずみ、いとし子を胸にいだきて・・・・」)が入っていないのは残念だが、まあこれは次回に期したい。・・・

これで題が「母」だと分かったが、これは正式には「母の歌」だということが、今日分かった。
今一度探してみたが、やはりこの歌の女声のCDは出ていないようだ。聞けるのは今日探し当てたBLOGだけ

前にも散々探した歌があった。塩野雅子が歌う童謡「はなかげ」。
NHK FMで放送したものを聞き、何とかCDを!・・・、とオークションも含めて探したが、廃盤で手に入らなかった。しかし幸いにも07/7/7にNHK FMでまた放送され、今度はバッチリとMDに録音した。

前に、『欲しいもの~「それから」のサントラ盤』というBLOGを書いた。
この文は間違いで、実はそれ以外に、もうひとつ(これからもあるかも?)欲しかった歌があった訳だ。

でも人生長くなってくると、金では入手できない昔の想い出の価値は、はかり知れない。
しかしネットの時代は大変な時代だ。世の中で自分と同じように大切にしているところ(=BLOG=人・・・)を発見(?)することが出来るようになった来た。

自分も、このBLOGを書き始めてそろそろ1年になるが、このおかげで少しずつ世界が広くなって行くような気がする。
もしかしたら、(これを書き始める切っ掛けとなった)「定年恐怖症」を克服できるかな・・・??

(関連記事)
野上弥生子の「母の歌」と上落合小学校

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2007年5月13日 (日)

個人としての日中友好

最近、カミさんがずっと見ている「関口知宏の中国鉄道大紀行」(NHK hi で日曜日の昼に放送)という番組を、自分も一緒に見だした。
俳優・関口知宏が、中国の鉄道を一筆書きの最長ルートで巡るという旅番組。今日は石門県だった。
関口知宏の体力も大したものだが、その屈託のない人柄にも支えられ、まさに“個人的な日中友好を果たしているな・・・”と、良くカミさんと話す。

この前の5月連休に、カミさんが趣味でやっている中国語を実際に使ってみたいと言うので、上海に行って来た。
旅行というのは「意義」を考えるものではないが、今回の上海行きは、「日中友好」について色々と考えさせられてしまった。

きっかけは、蘇州の寒山寺に行ったとき、ガイドさんの「このお寺は、日中友好で日本からの寄付が多いお寺だ。この賽銭箱も日本からの寄贈。あの鐘も伊藤博文と書いてある・・・」という説明からだ。この時に初めて日中友好という言葉を聞いた。

それまではあまり気にしなかった日中友好という言葉だが、夕食時にツアーで一緒になったご夫婦の奥さんが、レストランに冷えたビールが置いていないと聞いて、「この国ではビールを冷やさないで飲んでいるの?」と言った。
中国語を勉強しているウチのカミさんが、「中国では体を冷やすのは良くないので、ビールも冷やさないで飲むのが普通・・・」と言うと、信じられない・・・といった顔で怪訝そうにしていた。
そして自分が紹興酒を頼むと、そのガイドさんが「“日本人のために”、暖める事も出来るし、砂糖も用意してある」と言う。
そして帰り掛けに、先ほどの奥さんが「残ったものが勿体ないので、持って帰りましょうよ。お金は払っているのだし・・・」とガイドさんに料理を持ち帰るパックを要求。ガイドさんは仕方がなさそうに店に交渉した。

後でカミさんに言われた。
「中国の人は、日本人を良く思っていない。それを前提に行動しないと・・・。日本の価値観を持ち込むと中国の人は気を悪くする。そして、どんな些細な言葉も、ガイドさんは聞いている・・・」
確かに歴史的にはその通りだと思って、自分もそれからは気をつける事にした。

思い出すと、1970年代、会社で中国・上海に建設した宝山製鉄所の仕事をした事があった。その時に工場に中国の方が勉強に来られ、教えた事があった。
その時、門から玄関までを関係者総動員で列んで拍手で迎えたが、その時はその意味をあまり考えなかった。しかし、今にして思うと、その意味が良く分かる。
歴史的に日本が中国に対してした事の数々は、消えてはいない。

それに気が付いてからの我々の旅行の“合い言葉”は「日中友好」となった。

ホテルの室内掃除に来てくれた少女に、お礼にと、カミさんが日本の安いシールをあげたら、はにかみながらも喜んでくれた。日本では、このような無垢な少女はいない・・・

タクシーに乗ったときに、カミさんが何やら運転手さんに声を掛ける。運転手さんはビックリしながらも嬉しそうに言葉を返してくれた。
後で聞くと「今日は良い天気で、暖かくなって良かったですね」という意味のことを言ってみたのだという。運転手さんは、発音を直してくれながらも、一緒に会話に付き合ってくれた。そして片言の日本語で「アリガト。サヨナラ。・・・」と自分が知っている日本語を言ってくれた。
これもドブ板の日中友好活動かも・・・・(別に活動をしに行ったわけではないが)

カミさんが言うには「日本を歴史的に良く思っていない中国の人に近付くのは、言葉が第一。こちらから中国語を覚えて仲間に入って行くしかない」と言う。その通りだと思った。
それからは自分も、ガイドさんにも事ごとにキチッとお礼を言い、見学した後には、良かったときにはキチッとそれを表現した。ガイドさんにとっても、自分達の文化は誇りなのである。

しかし歴史的に、ガイドさんも日本語を覚えるにあたっては、大変な葛藤・軋轢があったのではないかとも思った。
そして、少なくても中国では、それだけ重いものを持っている人たちに対して、“日本の常識が世界の常識”という奢った観点で軽口を言う事だけは避けようと思った。
そして今回の旅行では、自分としては自分で出来ること、すなわち「謝謝(シェシェ)=ありがとう」だけは連発したつもりだ。

「日中友好・・・・・・」
自分にとっては遠い言葉だったが、何か考えさせられた旅ではあった。
そして、個人でも歴史の埋め合わせは少しは出来るのではないか・・・とも思った。

来年は、どうも北京に行くことになりそうである。
日中友好のためではなく、カミさんが中国語が通じたので嬉しくなって・・・・

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2007年5月12日 (土)

NHK「日本国憲法 誕生」は皆が見るべき番組だ

4/29に放送されたNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」の再放送を見た(5/12PM BS2で)。
このBLOGの「・・・・・は皆が見るべき番組だ」というタイトルも過激だが、これは日本人であるからには、断片的な話だけに止まらず、「事実はキチンと認識すべきだ」という思いから来ているのである。

新聞で、NHKスペシャル「日本国憲法 誕生」という番組が非常に良かった、という評判を見て、たまたま今日(5/12PM BS2で)その再放送を見た。
結果、「今までに見た番組の中でも、最高の番組のひとつである」と思った。
理由は、「事実の重み」そのもの。
まさに、ナレータの一言ひとことが聞き逃せない言葉であり、中身が濃い番組であった。

そしてこの番組は、自分が知らなかった『憲法が作られた経緯』を良く教えてくれた。
視点を変えると、この様に分かり易く色々な事実を教えてくれるNHKはやはり必要だろう。(馬鹿馬鹿しいバラエティー番組ばかり作っている民放には全く期待していない・・)

事実は何よりも重い。
しかし報道も、ある切り口(価値観)から意図を持って報道すると大衆を誘導することが出来るのは周知の事実。でも事実は事実だ。もしそれに反論があれば、与野党の攻防と同じく、別の視点で反論すれば良いわけで、それが民主主義だ。

国民投票法案によると、“その時”は、TV等のマスコミを動員してPR・議論が為されるという。その時に、この様な番組は非常に有用になるとも思う。

この番組を、以下テキストで表現してみた。
非常に長くなるが、記す意味はあると思う。

=============

ナレータ:「憲法誕生の舞台裏で繰り広げられたGHQと日本政府の交渉、そしてそれを見つめ続けた国際社会。日本国憲法が生まれるまでの1年を追いました

日本国憲法の草案は、マッカーサーの指示のもと、GHQのスタッフ20人が、わずか一週間で作ったという。
そこに与えた、民間の憲法研究会が作った「憲法草案要綱」の重み・・・・

草案策定で中心的な役割を果たした、GHQ民政局法規課長 マイロ・ラウエル中佐:
「私は民間グループから提出された憲法に感心しました。これで(憲法改正が)大きく進展すると思いました」
「私はこの民間草案を使って若干の修正を加えれば、マッカーサー最高司令官が満足し得る憲法ができると考えました。それで私も民政局の仲間たちも安心したのです。これで憲法ができる、と」


憲法研究会「憲法草案要綱」では、既に下記の理念あり。
・ 日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
・ 天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル

  (天皇は君臨すれど統治せず)

以下番組は、時間軸と共に進む・・・・

S20年(1945年)
 8月15日 終戦
 8月30日 マッカーサー厚木に降り立つ
 9月27日 昭和天皇がマッカーサー元帥と会見
10月11日 幣原首相にマッカーサーが日本人の手で憲法を作れと指示
           ⇒「憲法問題調査委員会」設置
12月     翌46年2月下旬に極東委員会(連合国11ヶ国)が設置される事が決定
           (極東委員会が出来ると天皇制等が危ない・・・)

S21年(1946年)
 1月24日 マッカーサーと幣原(しではら)首相の会談

幣原首相:「自分は生きている間にどうしても天皇制を維持させたいと思うが協力してくれるか?」
マッカーサー:「天皇制は廃止すべきだとの強力な意見も出ているが、一滴の血も流さずに進駐できたのは、まったく日本の天皇の力に寄るところが大きい。出来るだけのことはしたい」

幣原首相:「世界から信用を無くしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというようなことをはっきりと世界に声明すること、それだけが日本を信用してもらえる唯一のほこりとなることではないか」

2月 1日 毎日新聞が「憲法問題調査委員会」の改正案をスクープ
2月 4日 マッカーサーがGHQ民政局に、1週間で憲法草案を作るように指示
    
その時に指示された「マッカーサー・ノート
1.天皇は国の最上位(head)にある。(後の検討でsymbolに書き換えられる)
2.戦争の廃止
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に、与えられることもない。」

策定の中心となったのは、ラウエル陸軍中佐、ケーディス陸軍大佐、ハッシー海軍中佐の3名のメンバーからなる「運営委員会」。
そのうちのひとりで民政局次長のチャールズ・ケーディス陸軍大佐:
「マッカーサー・ノートの条文は、日本が攻撃された時に、防衛する権利さえも奪っているように思えました。どんな国であれ、自衛の権利は本来的に持っていて当然のものです。自国が攻撃されたら自分で守るという権利を否定するのは非現実的だと思ったのです。」

これで案は下記のようになった。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。いかなる国であれ他の国との間の紛争解決の手段としては、武力による威嚇または、武力の行使は、永久に放棄する。」

ラウエル陸軍中佐は生前、このように証言しています。
「民間の「憲法研究会」について、ケーディスたちと話し合った事はありますか?」
「確かに話しました。憲法研究会の草案に関する私のリポートをケーディスと議論し、ホイットニー准将に提出する前に彼の承認を受けたはずです。私たちは確かにそれを使いました。私は使いました。意識的あるいは無意識的に影響を受けたことは確かです。」

女性の人権については当時22才のベアテ・ゴードンさんという女性が作成。日本で5~15才まで生活。女性のために何かしたかった。⇒婚姻は両性の合意のみで成立。

2月12日 GHQ草案が完成
2月13日 GHQから日本政府に、GHQ草案を提示
2月22日 幣原首相が、受け入れを前提に2週間で政府案を作るように指示
3月 4日 政府案をGHQに提出(既にワシントンで極東委員会が発足)
3月 5日 政府とGHQとの徹夜会議の末、GHQと合意案完成
3月 6日 政府が緊急記者会見で「憲法改正草案要綱」を発表
3月14日 極東委員会で、米国が「マッカーサーの承認は個人的な承認であり、承認の権限は極東委員会にある」と説明。
4月10日 戦後初の総選挙。女性にも選挙権。吉田内閣誕生。
6月    第90回 帝国議会国会で審議開始。
7月 2日 極東委員会で国民主権の明確化⇒マッカーサーに指示

国会の委員会で、森戸辰男が、ドイツのワイマール憲法を手本に、生存権の追加を要求。草案「国民は健康にして文化的な水準の生活を営む権利を有す」
義務義務教育も、教師からの陳情で「初等教育」⇒「普通教育」に期間延長。

第九条の原文:
「国の主権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,他国との間の国際紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
陸海空軍その他の戦力は,これを保持してはならない。。国の交戦権は、これを認めない。」

7月27日 社会党の鈴木義男が提案
第九条の前に「日本国は平和を愛好し国際審議を重んずることを国是とする」という趣旨を入れたい。

7月29日 芦田均委員長が試案を提示
陸海空軍その他の戦力は,これを保持してはならない。国の交戦権は,これを認めない。」
⇒「陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。」とし、
本国民は,正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、」と「前掲の目的を達するため、」の文言を追加。

日本国民は,正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は,これを保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
前掲の目的を達するため国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。」

8月 1日 社会党の鈴木義男が元の順序の方が良い。と発言。
進歩党 犬養健が1項2項の入れ替えを提案

日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
前掲の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」

ナレータ「その時、芦田委員長が確認のために読み上げた条文は一カ所だけ条文が変わっていました。それまで『前掲の目的』とされていたものが『前項の目的』に変わり、そのまま委員会の修正案として承認されたのです。芦田は、ここで言う前項とは『国際平和の希求を指す』と説明しました。しかし芦田の説明とは別な解釈が出来ると気付いた人物がいました。事務方として審議に参会していた法制局の佐藤辰男です。佐藤の指摘は、前項の目的が第一項の『国際紛争を解決する手段』としての戦争放棄を指すと読むことも出来る。その結果、それ以外の目的、つまり自衛のためには戦力を持てると解釈できるというものでした。芦田は後に、この解釈同じく、自衛力を持つことは認められていると主張します

9月21日 9条の修正で極東委員会は紛糾。ソ連が「文民」の導入を要求
9月24日 マッカーサーが吉田首相にシビリアンコントロールの導入を要求。吉田首相、受け入れ。
9月25日 極東委員会の冒頭で、マッカーサーから送られてきた電文:「全ての閣僚は文民、という条文追加につき、日本政府を説得した」が紹介され、極東委員会で九条の改正は承認された。
11月3日 日本国憲法公布

これが今回議論されている第九条の経緯である。
色々とネットで検索していくと、憲法は『ウィキペディア(Wikipedia)』にも説明が詳しい。第9条についても詳しい
しかし一番詳しいのは、国立国会図書館の資料のようだ。
良い機会なので色々と勉強してみるか・・・・

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2007年5月11日 (金)

「般若心経」勝手帖-11 無罫礙

いー むーしょーとっこーぼーだいさっ たー
以無所得故菩提薩捶

えーはんにゃーはーらーみーたーこーしんむーけーげー むーけーげーこー
依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故

むー うー くー ふー
無有恐怖

通訳すると、
以無所得故=思索によって得るところのものは無いのだから、
菩提薩捶=菩薩の道をゆく者は、
依般若波羅蜜多故=他者救済の智慧の実践を完成させることによって、
心無罫礙無罫礙故=心をおおうものは無くなり、心をおおうものが無いために、
無有恐怖=恐れおののくこともない。
(「般若心経の本」より)

「菩提薩捶」はサンスクリット語の「ボーディサットヴァ」の音写語。略して菩薩という。
「菩薩」は「さとり」の意味で、「薩捶」は「人・生きもの」をさす。よって「さとりを求めて修行に励む人」の意。

「依般若波羅蜜多故」=般若波羅蜜多(自分を無にする智慧の完成)によって、

「罫(け)」は、「障り(さわり)」という意。「礙(げ)」は「妨げる」という意。よってどちらも「こだわる」「ひっかかる」という意味。よって「罫礙」は、真実を見えなくする心の迷い、色々なこだわりや欲望である。
つまり「心無罫礙」とは「心をおおうものが消滅する」という意。

「無罫礙故」は、「心をおおうものがないから」。
「無有恐怖」は、「恐怖が(有ることが)無い」。

*般若心経の真髄は、まさに「こだわり」「心をおおうもの」だな。
 日常生活で、この「こだわり」から遠ざかることがどれほど難しい事か・・・・

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2007年5月10日 (木)

ハワイで飛行機を操縦した話

以前の事になるが、2回ほどハワイで飛行機を操縦した。ふと思い立ったので、今日はその思い出話である。

TVで、タレントが素人で飛行機の操縦体験をしている番組を見て、自分も・・・、と思い立ち、ハワイで操縦体験をした。
そもそも飛行機は子供の頃から大好きで、若い頃に九州の大分に出張があった時は、当時の東亜国内航空の羽田-大分直行便には乗らず、わざわざ大阪経由で行ったものだ。何故かというと、飛行機に2回乗れるから・・・

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飛行機の操縦など、夢のまた夢・・・と思っていたが、アメリカではそれが可能だという。はじめてハワイに行った時にワシン・エアという会社に予約し、乗った。それではまり、2回目に行った時にもまた乗った。その体験記である。
HPを見たら、今でもやっている(失礼)。小学生から操縦可能だとという。日本円で2~3万円。安心なのは、全員?が日本人だということ。もちろん教官も。当然予約の電話も日本語。よって日本の会社と見間違う。メールでの予約も出来る。

(03年8月の時の写真)
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ホテルに車で迎えに来てもらい、ホノルル空港の事務所へ。最初に応接室で簡単な操縦のレクチャー。それから教官と一緒に飛行機に乗り込む。恐がるカミさんも後ろの席へ。パイパーの単発機で4人乗りだ。運転台は狭い。でもヘッドセットを頭に付けると、もうその気分。

ちょうど自動車教習所の車と同じで、操縦は運転席の自分の操作よりも助手席の操作が優先される。よって墜落しない。(危険な操作をしても、教官が直してしまう。たぶん自分が墜落して死にたくないので・・・)

滑走路まで走って待機。教官が、何やら英語で連絡を取って離陸許可をもらう。そしてスロットルレバーを前に倒してスタート。あるスピード(何ノットかは忘れた)になったら操縦桿をあげる。そして上昇。あっという間の離陸だ。

海岸線に沿ってオアフ島の周りを左回りに回る。眼下にダイアモンドヘッドが見える。注意するのは高度計とスピード計のみ。単位がフィートとノットなので、ピンと来ない。車と違ってぶつかる物は何も無い。何やら管制塔から連絡が来た。聞くと下のほうに別の飛行機が見える。それに注意しろと言う連絡とか。

手は操縦桿を固く固く握り締めている。(2度目はだいぶん慣れたが)
海岸線の景色を見る余裕も出てくる。エメラルドグリーンの海岸線に白い波が見える。
30分位海岸線を飛んでから、左に旋回して島の内部に入る。「真珠湾攻撃の際、この右手から日本の飛行機が真珠湾に侵入した」と説明してくれる。てっきり海側から真珠湾を攻撃したと思っていたが、事実は裏手の山側から真珠湾に入ったという。確かに真珠湾は南を向いているので、日本側から行くと、山を越えて真珠湾に向かうことになるのかな。
陸上を真珠湾に向かって飛ぶ。真珠湾には米軍の戦艦が見える。ニューヨークのテロ以来、真珠湾の上空は飛べないという事で、旋回して空港に向かう。ここからは操縦は無理。左旋回しながら、急速に高度を落とし、あっという間に前方に滑走路が見えた。着陸は完全に教官の操縦。その間、ちょうど1時間。

(05年4月の時の写真)
112747 112152 112204 113425 113513 113736 113819 114013 115814

一度目はVTR(自分の操縦風景、音声、そして外観)も注文したが、2回目は省略。自分の操縦のほとんどが収録される。良い思い出だ。最近はDVDらしい。

思えば、もっと過激に操縦棺を動かせば良かった・・・・。右に急に旋回したり・・・・。2回とも慎重に、大きく大きく旋回したため、あまり面白みは無かったな。
「飛行訓練証明書」を貰ってホテルまで送って貰ったが、大変に貴重な体験だった。

(付録)ホテルへ送ってもらう車の中で教えて貰った「Ross Stores」は雑貨・服のスーパーで、ハワイに行くと必ず寄る、楽しみの場所になっています。(Ross Stores /(808) 945-0848/ 711 Keeaumoku St Honolulu, HI 96814)

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2007年5月 9日 (水)

「日本国憲法」を読んだ

今日、会社から帰るときに、降りた地元のJRの駅で「**市民九条の会」という人たちが大勢でビラを配っていた。

憲法改正の議論が新聞・TVを賑わしている。せっかくの機会なので少し冷静に考えてみるか・・・。我が国の憲法も(自分と同じように)還暦を迎えたというし・・・。
(自分もまた学生時代に、ご多分に漏れず「憲法第九条は絶対に変えてはいけない」と吹き込まれたひとりであり、この様に初めから思い込まずに事態を冷静に見られるようになってきたのは、まあ年の功かも・・・?)

駅で貰ったビラで、反対派が言うには、「・・・・憲法第九条を改正して。自衛『軍』を作り上げ、日本をアメリカと一緒になって海外で戦争をする国にしようとするものです。・・・(原文通り)」とある。
またビラには「国民投票法案の慎重審議と廃案をもとめます」とある。理由は、1)最低投票率がない。 2)運動が制限される。(500万人の教職員・公務員が憲法を語ることを規制) 3)有料CM⇒改憲派が独占?! とあった。

なるほど。反対の視点はこういう事か・・・・
でも、上記2)項については、法案では、正確には「第百五条 教育者は、学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して国民投票運動をすることができない。」であり、自分はこれは当然だと思うが・・・。
反対運動となると、どうしても拡大解釈が出てくるのかも・・・。CMについても同様。~Wikipedia参照

話が横にそれるが、先日、新橋にある兄の事務所に遊びに行った際、帰りがけに「日本国憲法」の朱線付きのコピーを持たされた。兄曰く「憲法なんて読んだことが無いだろう。一度読んでみろ・・・」。

渡されたコピーを読んでみて、まず涙が出た(オーバーだが)。
憲法の前文で高らかに謳っているその崇高な理念に対して・・・。
「・・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・・・日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

まさに涙が出る位に感激するこの論調からは、戦争直後の、戦争に対する国民の嫌悪感がしんしんと伝わってくる。しかしこの崇高さは素晴らしい。(今頃気付くのも遅いが・・・)

話を戻して、第九条を改めて読むと・・・・

第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

反対派の論調は先に書いたが、確かに推進派の言う「独立国家として、はたして自衛戦争まで放棄するのか?」という疑問は、自分も湧いてくる。
しかも日本の軍隊は既に存在しており、自衛隊の不要論はあまり聞かない。
とすると、そろそろ憲法改正の議論をしても良いのかも知れない。

逆に、それとは正反対に、今まで何となく済ませてきたのだから、今更はっきりさせる必要性があるのか?という疑問もわく。
確かに実態にはそぐわないが、その状態を長い間続けてきたのだから、もう慣れたろう。反対があるのならそのままにして置いたら?という安易な考えもある。しかも、何かの『ブレーキ』にはなっているかも知れないし・・・?

結論として、なぜ「今」その時期なのかをもう少し勉強してみないと自分としては判断できない事が分かった。
何か大きな変化点があったのか?そこが分からない。
ビラには「これはアメリカからの要求によるものです」とあったが・・・

しかし、これだけは言える。少なくとも「国民投票法案」はキチッと議論して制定しても良いのではないか?
なぜならば「第九章 改正  第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」とあり、既に憲法で『国民投票』という言葉を使っている。
それなのに、その法律が今まで議論・制定されていないのは問題かも?
しかも、今回の法案は与野党が散々詰めてきた案だとも聞くし・・・

しかし恥ずかしながら、初めて(還暦になって)還暦になった憲法を読んだ。
今まで、読まなければいけない状況にならなかったのは国民としてラッキーだった訳だ。

つくずく、日本は本当に平和な国だ(平和ボケも含めて)と思うこの頃ではある。

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2007年5月 8日 (火)

電車の優先席の優先度

電車に優先席(旧シルバーシート)というのがあるが、今日はそのお話。
今朝、電車の優先席に座っていると、途中の駅でピクニックとおぼしきスニーカーを履いた老夫婦が乗ってきた。
向かい側の優先席の前に立つ。と、その席に座っていたサラリーマンの人がスッと立って、おじいさんの肩を叩きながら、「どうぞ」と言う。おじいさんはお礼を言いながら、その時は座るのをおばあさんに譲ったが、すぐに隣の席の人が降りたので二人とも座れた。

ここで論ずるのは、優先席の優先度である。
我々サラリーマンは、東京までの1時間の通勤が大変にツライ。特に自分のように還暦近くなると、体力的に座って通勤することが必須の条件である。よって座るために、わざわざ早く駅に行き、冬は吹きっさらしのホームで凍えながら長い列を作って電車を待つ。帰りも、通勤経路をわざわざ遠回りをして、始発の駅から乗るようにしている。
その努力をしてやっと座るのだが、まだ朝6時台だというのに、ピクニックに行く老夫婦に本当に席を譲らなければいけないのだろうか? はなはだ疑問になってきた。

前に、子供を抱いた若いお父さんが、『当然自分が優先・・・』とばかりに、優先席に座っている人に「席を譲ってもらえますか?」と言って、自分が座ったのを見た事がある。これは本当に正しい姿なのだろうか?
また別の例では、初老の品の良い紳士が、タッチの差で間に合わず、ひとつだけ空いていた優先席に中年の女性が座ったら、「その席は私が座るのです」と言って女性に立たせ、当然とばかりに自分が座った。そして、その女性は、気まずくなって電車から降りてしまったのを見たこともある。
これも正しい姿なのだろうか?

おっとっと、さっきの話の続き。
終点の東京駅のホームに着く直前、さっきのおじいさんが立って、譲ってくれたサラリ-マンに近付くと「大変だったでしょう。ありがとうございました」とお礼を言っていた。
それを聞いて、自分の硬い心が何か緩んで、温かくなっていくのを感じた。
まあ、許してあげるか・・・・
(自分だったら同じように席を譲るだろうか? それはもちろん譲るでしょう・・!? ←これは負け惜しみである)

話変わって、この通勤時間も考えようによっては有用だ。
自分の場合、サラリーマンの最初の5年は会社の敷地内にあった寮に住み、通勤時間はゼロ。その後の20数年は片道15分の車通勤だった。
よって東京通いはここ5年だけだが、激変した事として、良く本を読むようになった。

恥ずかしい話だが、電車通勤をするまで、ほとんど本は読まなかった。仕事が忙しく、仕事以外の事に時間を掛けられなかった事もあるが、五木寛之氏の言うように、還暦が近くなるにつれて、確かに『自分の生活』をしつつあるような気がする。
新しい自分をみつける為には、通勤の時間もまた良いことなのかも知れない

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2007年5月 7日 (月)

五木寛之の「林住期」を読んだ

五木寛之の「林住期(りんじゅうき)」を読んだ。先日新聞に広告が載っていて、売れているという。
内容が、何となくフィットしたので(50才からの25年間が人生の黄金期、ナンテ、ニクイニクイ・・・・)、つい買ってしまった。(だいたい自分は没個性なので、売れている本を読むのだ)

今夜は、寺子屋の始まりまでまだ時間があったので、お茶の水の駅前のマックに入って、若い人に交じって30分ほど読書。
しかし、何と「軽い本」か・・・・。この様な本は何というのだろう。エッセイか?
好き勝手なことを自由に書いている。それでベストセラーになるのだから、五木さんもたまらないだろう・・・・。
でもオヤッと思うところもある。曰く・・・

「古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆぎょうき)」。「林住期」とは、社会人の務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。 」
それぞれが25年ずつ。よって50~75才が『林住期』と言って、人生の黄金期だという。

「・・・・『林住期』をむなしく終えた人には、むなしい死が待ちかまえているだけだろう。その第三の人生をジャンプした者だけが、死を穏やかに受け入れることができるのだ。・・・・」

「・・・体はつねに言葉にならない内側からのメッセージを送っているのだ。その信号を私は『身体語』と呼んでいる。・・・『身体語』はよくわかるようになった。体が発する言葉に耳を傾け、ときには短い会話をする。・・・」

「・・・私たちが死を忘れ、それを意識の外に放置して実生活にうつつをぬかしているそのとき、死は背後に音もなく忍び寄ってきている。そしてポンを肩を叩いて、『時間ですよ』と無愛想に知らせるのだ。『死は前からは来ない』・・・」

「・・・・『どうしてこんなに次々に歯に不具合が出るのでしょう、と質問したところが、若い歯医者が、笑って答えたんですよ。そりゃ人間の体の各部分は、だいたい50年ぐらいはもつように作られているわけですから、それを過ぎると全部いっせいに不具合が生じてきます。耐用期限切れですから仕方がないでしょう、って』・・・・」

そして、
「・・・50才をはっきりひとつの区切りとして受け止める必要がある、と私は思う。そしてそこから始まる25年、すなわち『林住期』をこそ、真の人生のクライマックスを考えたいのだ。・・・・」
これがこの本で言っている全てなのだが・・・、泣ける~・・・・・。

我々団塊の世代が、最も渇望している事をいとも簡単に言い当てている。
「そうなんですよ!」と大きな声で返事をしたい気持ち。
五木寛之氏はもう75才というが、実に“これから湧いて出てくる”定年世代の人の心を捉えている。

よって以下のような“だじゃれ?”の文も読み流してあげようか・・・・。
「・・・すぐに退屈退治の第一項に取りかかった。まず車内に人がいないのを確かめて、靴を脱ぎ、靴下を脱ぐ。車内灯のあかりのなかで、じっくりと左右の足を点検する。それから・・・・」

しかし、何で五木氏のこんな話題に、金を払わなければいけないのか・・・・。
こんな事を書いて印税が入ってくるのは、あまりに理不尽・・・・。だいたい2時間弱で読み終わってしまう本が、1470円は高い!

しかし、それを一生懸命に転記している自分こそ、一体何なんだ・・・・・。
まあ自分は複雑な人間さ・・・・(自嘲)

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2007年5月 6日 (日)

「般若心経」勝手帖-10 無苦集滅道

むーくーしゅーめつどー
無苦集滅道

むーちーやく  むーとく いー むーしょーとっこー
無智亦無得以無所得故

NHKで「趣味悠々 はじめての写経~般若心経を書く~」という番組があるが、ここで解説されている「ひろさちや」さん流の解釈では、

『「苦集滅道も無い。また智も無ければ得ることも無い。一切が得ることが無いのだから」という意味。
「苦」は苦しみ。「集」は原因。苦しみの原因。苦しみの原因を無くせば苦しみが無くなる。「道」というのは方法。苦集滅道は4つの真理だった。
しかしそんなものは拘る必要はない。何で苦しみを無くそうとするのだ。
サンスクリット語で「ドゥフカ」という言葉があるが、これは「思うがままにならないこと」という意味。
私たちは、思うがままにならないことを思うがままにしようとする。そうすると苦しくなる。例えば昨日読めなかった漢字をひとつ読めるようになっていく。これは自分の努力で出来る。しかし、他人さんが絡んできて、あの人よりもうまくなりたいと思うと、思うがままにならない。
従って、思うがままになる事と、思うがままにならないことをしっかり分けて、思うがままにならないことを思うがままにしようとしなければ良いのだ。それが般若心経の教えだと理解して下さい。でも、思うがままになることはしっかりと努力して欲しい。・・・・』

「無苦集滅道」とは、「苦・集・滅・道、すなわち悟りにいたる四つの真理もない」
「苦集滅道」は四諦(したい)のこと。「諦」は「あきらめる」のではなく、「あきらかにする」の意。言い換えれば「四つの真理」。四諦(四つの真理)とは、

・苦諦(くたい=苦という真理):迷いの生は一切皆苦。老・病・死に代表される苦に満ちている。
・集諦(じったい=苦の原因という真理):その苦しみは、我々の尽きない欲望(煩悩)の集積として生じている。
・滅諦(めったい=苦の消滅という真理):煩悩を無くせば苦も消滅し、平安な悟りの境地に達する。
・道諦(どうたい=苦の消滅の道という真理):煩悩をなくすには、常に修行していかねければならない。それには八つの正しい方法=八正道(はっしょうどう)がある。
                      (「般若心経の本」より)

八正道とは、
1)正しく、道理にかなった、ものの見方をすること。(生見)
2)正しく、道理にかなった、ものの考え方をすること。(正思惟)
3)正しく、道理にかなった、ものの言い方をすること。(正語)
4)正しく、道理にかなった、行動をすること。(正業)
5)正しく、道理にかなった、生活をすること。(正命)
6)正しく、道理にかなった、精進、努力をすること。(正精進)
7)正しく、道理にかなったことを記憶して、正しい信念をもつこと。(正念)
8)正しく、道理にかなった、心の落ち着きと、心の統一をはかること。(生定)
              (「声を出して覚える般若心経」より)

般若心経ではそれらの真理も無いという。

次に「無智」とあるが、この「智」は知るという作用をあらわす。真理を見極めようとする思索の働きの意。「得」はその思索によって得られるのもの。
従って「無智亦無得」は、「思索もなく、思索によって得るものもない」
般若心経ではそれらも無いという。

「以無所得故」は、「思索によって得るところのものは無いのだから」という意味。

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2007年5月 4日 (金)

11)上海での写真いろいろ

  07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行ったが、本シリーズの最後に、残りの写真をアップしてみる。
(しかしblogは便利なツールである。今までは旅行の写真を撮っても、帰ってからざっと一回見てお蔵入り。その写真が何時でも見る事が出来る・・・・。まさに自分用の整理ツールとして、非常に有用だ)

先ず上海空港。さすがに立派だ。
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<上海の豫園(よえん)に行った>

上海の豫園は、1559年に造られた庭園で、現在は2万平方メートルの広さという。園の周りの店も賑やかで、城下町の様相を呈している。

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<上海博物館に行った>

1992年に現在の場所で再オープンしたという博物館。音声ガイド(日本語)を借りて、自由な1時間。
青銅館、彫塑館、陶磁館 、書法館等があるが、当然仏像主体の彫塑館で時間の大半を費やした。不思議に、どこかで見たことがある作品が多かった。

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中で、このお顔が一番気に入った。
穏やかで、実に円満なお顔ではないか・・・
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<上海の工展工芸品商店に行った>

ここは、最近造られた宝物を展示、販売しているところ。1Fが展示室。2Fが販売。
現地で渡された日程表には「工展工芸品商店」と書いてあったが、ネットやガイドブックには見当たらない。写真に写っている掲示には“SHANGHAI YIXING ART MUSIUM”とある。
玄関正面にある玉で造った舟は、大変な人数と時間を掛けて造った作品で(メモしなかったので具体的な数字は書けない)、非常に大がかりなもの。
それが玄関の横に、無造作に置いてある。

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2Fに展示してあった、このガラスケース全部が100万円だという。(裏側が鏡になっているので見にくいが)
6点の作品(若干入れ替え可)とガラスケースの全部を日本に運んで設置する費用や、消費税も何もかも含んで100万円という。
ここは政府の店なので、売る目的が中国文化のPR。だから安い・・・・。という。
確かに安いな・・・としみじみ見ていたら、本当に買うかも・・・・と、だいぶんしつこく勧誘された。(買う訳ないのに・・・・)

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<上海の静安小亭服装市場に行った>

地下鉄2号線、静安寺駅の前に久光百貨(上海そごう)があるが、その裏手にある静安小亭服装市場に行った。(当然カミさんの鞄持ちで・・・)
ここは数百?の小さな店がアーケードの中にひしめいている。雑貨や服が中心か?
出口にあった店で蒸したおこわ?を買って喰った。

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<上海で地下鉄に乗った>

静安寺駅から人民広場駅まで、初めて地下鉄に乗った。日本と全く同じだった。
しかし中国では降者優先の習慣は無いので、駅に着いて降りようとしても、ホームから乗ろうとしている人が、ドア全面から乗ってくるので、その人達を掻き分けて降りるのが大変。(4/30に乗ったので空いていたが、次の祝日の5/1だったら人の波で降りられなかっただろう。~人民広場駅で降りたら、お婆さんがカミさんに何やら聞いて来た。うちのカミさんは、日本人には見えないのかな?)

切符は磁気カード式。金を払うと磁気カードをくれる。それをタッチして入場。降りるときはカードが回収される仕組み。確かにこの方が資源有効にはなるかも・・・。

上海では、2010年の上海万博を目指して、現在何と190の駅(!)を作っているという。
しかし2008年には北京オリンピックがあるので工事はしない。そして2009年に工事を再開して2010年までに完成するという。しかも、国がやっているので必ず完成するという。
2010年までに地下鉄が整備されると上海は非常に便利になり、車も渋滞無く走れるようになる?

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最後に印象に残ったのは、乞食さんの多いこと・・・・。
ガイドさんからは、絶対に金銭を上げないでくれ・・・と言われた。もし上げると、周りの乞食が一斉に来るからと言う。
結局中国は、貧富の差が非常に大きいのだろう。

猛烈に疾走している街。それが上海のようだ。(終わり・・・。連休だったので一気に書いた)

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10)上海の玉佛禅寺に行った

上海の玉佛禅寺に行った。
07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行ったが、これは07/5/1に行った玉仏寺(玉佛禅寺)でのドキュメント(オーバー?)である。

朝9時前に、タクシーで玉佛禅寺に到着。
5/1から連休に入ったので、中国の人の観光客で混んでいるみたい・・・。切符売り場に列んで一人10元の入場券を買う。
門から入ったら、沢山の人が大きな線香を持って順にお参りをしようとしている。火が点いているので非常に危険だ。

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ぞろぞろと、人の列に沿ってお堂に入る。何の仏かは分からない。周りにも金ピカの仏さま。裏側にも赤い垂れ幕の向こうに菩薩さま。別のお堂に入るとガラスケースに入った白い観音菩薩。

Img_1031 Img_1025 Img_1026_1 Img_1030_1 Img_1034 Img_1052  Img_1036_1

通路を奥に行くと、通路で何やら皆が切符を買っている。別料金の入場料だろうと判断しImg_10791 て、エエイ!面倒なので皆買っておこう。と「10元2枚と8元1枚の、3種類の切符を二人分」と、カミさんが掲示してある文字をそのままメモに書いて、切符売りのおばさんに見せる。
しかし、おばさんは何やら手を振って、結局10元の切符を2種類渡される。おかしな?1枚で二人入れるのかな?と中に入って行くと、良い匂い・・・

Img_10351_2 何とそこは、食堂・ラーメン屋。切符を返す訳にも行かず、そのまま麺を貰った。それがこれ・・・(言い訳:「面」が「麺・と書いてあれば、食い物だと気がついたのに・・・・)
そう言えば、中国の人は朝食は外食だとガイドの人が言っていたっけ。皆、朝飯前なので先ず腹ごしらえか・・・・。しかし自分は腹一杯・・・・(それでもカミさんは、「ウマイ・・・」とパクついているから女は怖い・・・)

それから別に15元を払って玉佛楼に入る。入り口に「般若心経」が掲げてあったので撮ってみた。(ここ以降は、撮影禁止のマークがあったので撮れなかった)
中に入ると、白玉で造った仏像(1.9m)があった。非常に高貴な感じの仏像だった。

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更に進むと、臥仏堂にガイドブックにも載っている涅槃像があった。

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せっかく来たのだから全部見ておこうと、奥に入っていくと「万佛堂」とある。何やら大きなお堂の前に、またもや般若心経がある。そして大きなお堂に入ってビックリ。まさに壁一面に仏さま・・・。何万とある。所々の区画の仏さまの下に、名前の札がある。たぶん寄付金によって、名前が入るのだろう。

Img_1060 Img_1053 Img_1055 Img_1059 Img_1057 Img_1058_1 Img_1056_1

更に進むと、まるで「般若心経」そのものを奉っているようなお堂があった。「文殊堂」とある。
正面に仏さまがあり、左側には大きな般若心経の額の前に小さな仏さま。その下で皆が祈っている。 そして右側には4枚の額に入った般若心経・・・

Img_1065 Img_1064 Img_1061 Img_1063

禅寺なので般若心経を唱えるのは当然だが、日本のお寺ではお経を掲げてそれを祈るのはあまり見ない。
このお寺が、如何に般若心経を大切にしているかが分かった気がした。そう言えば、入り口に「般若」とあったっけ。

自由時間を利用しての、ぶっつけ本番のチャレンジであったが、片言の中国語を操るカミさんが居たからこそ体験できたもの。感謝せねばいかんな・・・。
しかし休日だったがタクシーも拾え、スイスイと移動できたのは助かった。

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2007年5月 3日 (木)

9)中国・蘇州の運河と虎丘に行った

中国 蘇州の運河と虎丘(こきゅう)に行った。
07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行ったが、今回は07/4/29に行った蘇州の運河と虎丘の紹介である。

中国の蘇州は「東洋のベニス」とも称される運河の町だという。
今回は舟に乗って、寒山寺から虎丘までの運河を旅した。
途中の、家々が面白い。庶民の生活そのものが、運河の舟から垣間見える。それが面白くて撮ってみた。

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舟が着いた所が虎丘。
961年に創建されたという47mの虎丘塔の傾きは、3.59度という。「るるぶ」のガイドブックには「15度傾いている」と書いてあるが、間違いであろう。

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しかし虎丘塔と一緒に写真が撮れる写真ポジションの争奪戦は凄まじい。
列にならぶという事が無く、一緒に行った人が強引に台の上に立ってガイドさんに写真を撮って貰っていたが、我々は早々に戦線離脱した。(気が弱いもので・・・)

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8)中国 蘇州の寒山寺に行った

中国 蘇州の寒山寺に行った。
07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行ったが、今回は07/4/29に行った蘇州・寒山寺の紹介である。

寒山寺は1500年前に創建された禅宗寺院で、幾たびかの火災に見舞われ、現在の仏閣は200年前に再建されたものだという。そしてその再建時に、仏閣の配置で、正門を西にして、火災の時に運河の水を取りやすくしたのだという。

Img_0744 Img_0743 Img_0749 Img_0765 Img_0768_1

このお寺は、日本の援助が多く、賽銭箱にも日本からの寄付だという日本人の名前が記されてあった。
また裏の小さな鐘楼には、何と伊藤博文の名前。明治33年?とかの記載があった。一緒に行った人が「伊藤博文は日本の初代総理大臣だよ」とガイドさんに言っていた。

Img_0756_2Img_0753_1 ガイドさんから「鐘楼に登って3回鐘をつくと、願いが叶う」と言われたので、5元で鐘をついてきた。さて願いが叶うかどうか・・・

Img_0761_1Img_0747 中国の仏像は、どれも金ピカ。何故かとガイドさんに尋ねたら「これらのお寺は、お金がある。よって毎年のように金箔で補修をしている。よって造った当時と同じように光っている」のだという。
そうすると、日本のお寺はどこも貧しかったので、金箔が剥げて木がムキだしになった・・・・。という事になる・・・
(このお寺だけは、ガイドさんから撮影を止められたので、あまり撮っていない。やはり仏像を撮るのは良くないのかな・・・・?)

中国の拝み方をガイドさんから教わった。仏さまの前に設置してあるマット?にひざまずき、中腰で手を合わせてから両手をマットに付けて、頭をマットまで付けてひれ伏す。これを3回繰り返すのだそうだ。日本のように、単に手を合わせているだけの人は居なかった。

Img_0773 このお寺は、「月落ち烏啼いて霜天に満つ・・・・」の漢詩で有名だそうだ。
この漢詩は、唐の詩人張継(ちょうけい)が詠んだ「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」で、中国の教科書に載っており、中国の人は全員知っている有名な漢詩なのだとガイドさんが説明してくれた。(もちろん自分は知らなかった。「国破れて山河あり・・・」位なら知っているが・・・・)

しかし、初めて行った中国のお寺であった。
中国は日本の仏教の手本であるが、何よりお参りしている中国の人の真摯さに打たれた。
日本のような観光風の人は少なく、皆熱心にお参りをしている。
よって必然的に、自分も中国流のお参りのマネ(失礼)をしてみる事になった。

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7)中国蘇州・拙政園に行った

世界遺産にもなっているという中国 蘇州の拙政園に行った。
07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来たが、今回は07/4/29に行った蘇州・拙政園の紹介である。

拙政園は、明代(16世紀初頭)に高官を失脚した王献臣により造られた蘇州四大庭園のなかでも最大の庭園という。
しかし、“拙政園”という名前の由来が面白い。高級官僚であった王献臣が賄賂で財をなしたが、それがバレる前に引退し、その賄賂の金で作った庭園がこの拙政園だという。

「普通、賄賂でクビになったら没収されるでしょう?」とガイドさんに聞いたら、クビでなくて引退したのだという。そして、その事を皮肉って「つたなき者がなせる政治」の意味で付いた名前とか。
しかし、さすがに失脚した王献臣を訪ねてくる人が少なかったため、もてなしの心づくしが随所に散りばめられている庭園であるという。

園は、広さ5ヘクタール。園には回廊が張り巡らされている。これは雨の多い蘇州にあって、当時の布製の靴が濡れないようにしてあるのだとか、ガイドさんが言っていた。

Img_0740 Img_0706 Img_0708 Img_0739_1 Img_0709 Img_0711 Img_0712 Img_0713 Img_0715 Img_0725 Img_0732 Img_0733 Img_0735 Img_0736 Img_0738

この拙政園には、雨がよく似合う。(決して負け惜しみではない)
歴史を感じる、雨の蘇州ではある。

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6)上海の夜景

07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来たが、今回は上海が誇る夜景の紹介である。

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ガイドさんが誇らかに言っていた。このきらびやかな照明は「上海の文化だ」と・・・。
しかし夏は、節電で照明が少なくなるらしい・・・。

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5)上海雑技に行った

上海雑技に行った。
07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来たが、今回は上海雑技の見物録である。

上海雑技は“中国第一のレベルを誇る雑伎”とガイドさんが言っていた。
料金260元(4200円)。毎日19:30~21:00まで。黄金週間等は5時過ぎからとの2回公演。演目は数カ月毎に入れ替えがあるとのこと。

皿回しや、椅子の曲芸、自転車に花のように乗る写真はどこかで見たことがある。「そうか、それが上海雑技だったのか・・・」と今頃感心したのでは、失礼だな・・・
演目は横の大型スクリーンに出る。“幸い”にも紹介文字の中に日本語もあった。(歴史的背景からか、日本語の紹介はまれ・・・)

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上記の写真は、07/4/30の全演目である。

確かにアッと言う間の1時間半だった。
子供の頃に連れて行って貰った木下大サーカスを思い出したが、それに比べると、当然はるかに高水準。
バイクの曲芸も前に見たが、上海雑技では5台が同時に回る・・・。団員は6才の頃から訓練するという。層が厚い・・・

これも上海人が誇る「文化」のひとつなのだろう。

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2007年5月 2日 (水)

4)上海のロイヤル・メリディアン・ホテルに泊まった

上海世茂皇家艾美酒店(ル ロイヤル メリディアン シャンハイ LE ROYAL MERIDIEN SHANGHAI)に泊まった。
(07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来たが、今回はホテル事情である。~新し過ぎてネットにもほとんど情報がないので少々詳細に・・・)

ル・ロイヤル・メリディアン・上海は、2006年10月1日開業で、66F/770室の最新のLグレードホテル。場所は、南京路歩行街。地下鉄1号線と2号線の交差する「人民広場駅」の出たところ。まさに繁華街のど真ん中。

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部屋の中は、超モダン。ワンルームでトイレ・バスルームをガラスで区切ってあるような造り。バスルームは透明ガラスで居間から丸見え。一応スイッチでロールカーテンが降りるが、ちょっとめくれば丸見え。トイレの音も部屋の中には筒抜け。我々初老の夫婦には少々???だった。 

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開業半年のせいか、まだサービスは未完成? 朝、バイキングのレストランで、席に案内されて「お飲物は?」を聞かれて「コーヒー」を頼むのだが、これが来ない。4泊したがそのうちの3日は催促しないと来なかった。朝一番で、まだ客が少ないのに・・・な・・・・?

しかし良い点も沢山ある。ホテルにはあちらこちらにホテルマンが立っていて「何かお手伝いすることは?」と聞いてくる。日本人と見るや、直ぐに日本人スタッフが寄ってきて、「何かお手伝いすることは?」と・・・。これは助かった。日本人スタッフも、24時間誰かが待機している様子。何でも聞けるし、最後にはホテル内の店で買った商品の交換や、ある店に忘れ物をしたが、その店へ電話で問い合わせをして貰った。

設備的には、外部の音が聞こえない。普通のホテルは、隣室の水道の音や、廊下での話声が聞こえるが、このホテルは静寂そのもの。もちろん市街地の騒音も聞こえない。さすが・・・・。
また、部屋掃除の少女のあどけなさ。我々の片言の中国語での会話で、そのはにかむ姿は、日本ではもう失った姿だ。

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目の前に上海市第一食品商店がある。ここは食品なら何でもある、ものすごく活気のある店で、店の中のカウンター食堂には人の列。試食したかったが諦めた。(カミさんが、「五香豆」というのを買うため、豫園で自由時間に苦労して「上海五香豆商店」という店を探して買ったが、何と上海市第一食品商店に置いてあった。ガックリ・・・。食料品はまずここで探すべし)

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新しいホテルなので、ガイドブックに載っていない。タクシーに乗っても、運転手が分からない。地図に矢印をして「ここ!ここ!」と言って、走って貰った。

結論。このホテルは最新だけあって立地・設備的には非常に良いホテル。しかし、唯一、バスルームが部屋の中で“露天“であることを除いて・・・。
まあ仲の良い夫婦か、母娘なら良いだろう。

追伸:ホテルの前の不思議な消火栓。歩道の真ん中に鎮座する・・・・
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3)上海で時速430Kのリニアモーターカーに乗った

上海浦東空港から上海市内までを、世界初というリニアモーターカーに乗った。
(07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来たが、今回はリニアモーターカーの搭乗記である)

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  最高時速は、431Kだった(最高記録は472Kだとガイドさんが言っていた)。空港-市内間の30Kmを、7分31秒(ガイドさんの実測値)で走った。さすがに300Kを超えると、外の景色が飛ぶように流れて、乗っていて怖い。430Kになるとかなり横揺れがする。逆に速度を200K位まで落とすと、妙に遅い気がする・・・。
 
このリニアモーターカーは1999年に完成したが、世界初だったのでテストを繰り返し、商用開始は3年前(2004年4月)という。
運賃はJTBパックで280元というから4500円位。

この速度からは、全長30Kは短か過ぎる。最高速度の430K/Hは1分~2分位で直ぐに速度を落とす。これはもったいない。
技術はドイツらしい。今後、北京~上海間のリニアモーターカー化というのも検討されているようだ。

たまたま4/27に上海までの飛行機の中で読んだ新聞に、我が“JR東海は、2025年までに首都圏-中部圏間での先行開業を目指す”と載っていた。まあ「そんなに急いで何処へ行く」という言葉もあるが・・・・。
しかし、なかなか印象深い体験ではあった。

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2)上海の高層ビル群に圧倒された

上海の高層ビル群に圧倒された。07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来たが、今回はそのビル編である。

東方明珠テレビ塔に登って見下ろすと、眼下に大きなビルが二つ見える。「金茂ビル(金Img_0493_2_2 Img_0502_1_2 Img_0511 茂大厦)」と建設中の森ビル(上海ヒルズ)だ。
上海で現在一番高い金茂ビル(金茂大厦)は、88階建でホテルグランドハイアットが入っているという。そして、その隣で今(07/4/27)建設中のビルが「森ビル」という(上海ワールドファイナンスセンター)。地上101階、高さ492mで2008年に完成予定。東方明珠テレビ塔の展望台の土産物店で売っているモニュメントで、すでにその姿が分かる(右の丸い穴の空いているビル)。しかし奇抜な姿だ。

上海の全てのビルは、この10~20年で建ったという(改革開放)。そもそも土地が国のものなので土地買収という段階が無く、ビルが建つのも早いらしい。よって政府から土地を借りてビルを建てるので、土地の利用効率の面から高層になる。

Img_0504_3Img_0492_3 Img_0825_1 上海には、既にビルが3000~4000位はあるらしいが、上海で1年に建つ高層ビルの数は何と360棟くらい(!)とガイドさんは言っていた。何と1日に1棟だ!!
上海の土地は、地下に岩がない。よって、地下深く杭を打つが、1年に1センチ位ずつビルは自分の重みで沈下するという。
ビルの外観は、地震が無いためか自由奔放。みな個性を競っている。

そして高層のマンションを買うと2~3千万円くらい。賃貸は、日本で言うと渋谷のマンションが10万円で借りられる感覚とか。

東京では高層ビル群は新宿くらい。それが上海では至る所高層ビル群だらけ・・・・。ビルの数では、既にニューヨークを超えているという・・・。
よけいなお世話だが、過激な乱造(?)で、ビルの品質が心配になってしまう・・・・
ペンシル型の40階建てマンションで、“エレベータが故障です・・・”となったら、生活はどうなってしまうのだろう・・・と。

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1)上海・蘇州に行ってビックリした事

07/4/27から5/1まで、4泊5日でカミさんと上海・蘇州に行って来た。
飛行時間が2時間強、と近い上海だが、なかなかと意義ある旅行だった。
そもそも旅行で「意義」など考える必要は無い訳だが、今回だけは色々と考えてしまった。それは「日中友好・・・・・」。

まだ覚えている事を(自分用の)備忘録として、以下タイトルを付けて記してみる。
その前に、概観・・・・(情報は全て現地のガイドさんから聞いたこと)

初めての中国だったが、とにかく人が多い。上海の人口は2000万人。面積は群馬県と同じ位。その半分が市街地という。それに、とにかくビルが多い。ペンシル型の高層ビルがまさに乱立している大都会。

Img_0497_1 しかし、交通事情だけは最悪。車が急に増えたのと、人が車を気にしていないので、道路は大混乱。それに車と車の進路争奪戦は凄まじく、クラクションがけたたましい。道を譲るなどという事は無い。とうてい素人には上海での運転は無理だ。よって車の接触事故も頻発。警官に運転手が食ってかかっている様子も、日本では無い風景。横断歩道で人が歩って来る所に車が突っ込む。ぶつかる・・と思うと、何事も無いように人が止まって車をやり過ごす・・・。車は人が止まるのを前提に運転。それが上海の常識らしい。車は、とにかく品質が悪いという。日本の車は高くて買えない。蘇州に行った日、同じJTBがチャーターした蘇州行きの他のツアーのバスが2台途中で故障してしまい、もしかしたら相乗りになるかも・・と言われた。

Img_0836_2 タクシーの運転手防護壁が面白い。中国の客は乱暴らしく、運転手に手が出せないよう に、運転席の周りがアクリル板で囲ってある。アクリル板は運転台と隣の補助席を完全に遮断するように、前の方まで付いており、タクシー代の受け渡しは、アクリル板の上からやりとりする。


上海の物価は、北京に次いで高い。よってブランド品は買わない方が良いとか。日本で10万円のブランド品が、上海では11万円するとガイドさんが言っていた。

「元」への両替で、また失敗した。成田で交換したが、成田でのレートは1元17.17~17.18円だった(売りは13.57円)。一緒になった人に聞くと、両替はもっぱらホテルだという。ホテルに聞いたら、レートは1元16.1円(売りは15.5円)だった(07/5/1で:buy=0.06212 se=0.0647)。政府系の店でクレジットを使ったら、1元15円位だという。よって、中国の元は、成田では交換してはいけない事を知った。クレジットが使える所は、やはりクレジットが有利なのは他国と同じようだ。

中国の黄金週間は5/1~7(メーデー)まで。交通渋滞がきれいに無くなり、その代わりに人人人・・・・。この期間は、どの観光地も中国人が多いため、この期間の国外からの観光は避けるべきだ。他に10/1からの1週間(国慶節)と、春節(旧正月)も同じらしい。

「中国では、ホテル以外ではトイレで使った紙は流してはいけない・・・。まだ下水道が充分でないので詰まる」とカミさんから言われてビックリ。確かに街の店のトイレでは、男子用個室にもゴミ箱が置いてあり、中に紙。ガイドさんに聞いたら「それは必須ではない」との説明。結論は、ホテル等は(日本と同じ水に溶ける)トイレットペーパーを使っているのでOK。しかし街ではトイレの紙は無く、地元の人は硬い紙を使っているので、流さないことは常識らしい。

皆が行っているという足ツボマッサージに行ってみたが、まあまあだった。行ったのはホテルで紹介して貰った「桃源郷」。ここは日本のガイドブックにも載っている。場所は南京路歩行街のソフィテル・ハイランドホテルの隣にある。料金は88元で1時間コース。同じホテルに泊まった人が60元の所を紹介してもらったというので、店は色々あるらしい。一緒にバスに乗った人は、全身マッサージで150元、2時間だったという。
(以上、タイトルが付けられない雑事をメモしてみた)

*それと、とにかくカミさんの中国語にもビックリ。だいぶ前から趣味で中国語はやっていたが、それが意外と通じるのである。
中国の町中では英語も日本語も全く通じない。中国語だけ。とは言われていたが、カミさんの通訳(???)が居なかったら、到底今回の体験は出来なかった・・・・。これだ今回最大のビックリかも知れないな・・・・・

*加えて今回、JTBのツアーの仕組みが分かったような気がした。今回はたまたまLグレードホテルにしたが、その価格の違いは決してホテル代だけではないようだ。蘇州で幾つかの同じJTBの団体と会ったが、我々は2組4名だったのに比べ、他のJTB団体は人数も多く、何よりもガイドさんの質が違った。我々のガイドさんはベテランで、たまたま一緒のなった見学場所で、同じ会社の新人ガイドらしい人に「お前、一緒に説明して見ろ」と実習?をさせていたが、やはり質が違う。料金が高い分、配車やガイド等、随所に扱いが異なっているようだ。我々初老にとっては、有り難い配慮である。

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