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2007年3月17日 (土)

映画「しいのみ学園」の歌

日経の「私の履歴書」の今月(07年3月)は「宮城まり子」さんだが、いよいよ「ねむの木学園」の設立にまつわる章に入ってきた。
同じような話で、(宮城まり子さんとは関係無いが)子供の頃に見た「しいのみ学園(宇野重吉、香川京子)」という映画を思い出した。

施設の内容は違うが、子供の幸せのために施設を作った、という点においては同じだ。
この映画は、小学校の時に見て感激し、それから50年以上経ったが忘れていない。
「ぼくらは しいのみ まあるい しいのみ・・・」という歌も忘れていない。

ネットで調べてみると、昭和30年6月19日の封切りというから自分は小学校の2年生の時だ。その時の記憶がまだあるという事はスゴイ。

10年ほど前、NIFTYに入った時、ニフティサーブに映画のフォーラムがあり、そこで「“しいのみ学園”という映画を知っていますか? もう一度見たいが・・・」と書き込んだら、「知っていますよ。新宿のTSUTAYAに、レンタルビデオが置いてありましたよ」という書き込みがあった。シメタと思って借りて見たものだ。
物語はだいたい記憶していたので、自分の記憶もなかなかのものだ。
(そのフォーラムも、今日(3/17)の朝日新聞の夕刊に、今月末で終了すると載っていた。)

しいのみ学園」を作った曻地三郎氏は現在も健在で、100才という。
94才の時に書いた「しいのみ学園をつくって47年」という文章がネットで読める。
まさに映画そのものだ。学園の公式HPからも由来が見て取れる。
しかし曻地三郎氏の人生は、あまりに立派過ぎて、近寄りがたい・・・
それに比べて「しいのみ学園」の歌は覚え易く、自分の子供心にもしっかりと根を下ろした。映画から歌詞を採ってみた。

<映画「しいのみ学園」からサントラ>

<伴久美子「しいの実のうた」>

「しいの実のうた」
   
~「しいのみ学園」の歌
  作詞 西 葉子
  作曲 齋藤一郎

ぼくらは しいのみ まあるい しいのみ
お池に 落ちて 泳ごうよ
お手てに 落ちて 逃げようよ
お窓に 落ちて たたこうよ たたこうよ

ぼくらは しいのみ 小さな しいのみ
小鳥に 落ちて 飛びたいな
お舟に 落ちて 乗りたいな
こぶたに 落ちて 跳ねたいな 跳ねたいな

みんなは しいのみ 元気な しいのみ
お風に 揺れて 歌おうよ
お庭で ころころ 遊ぼうよ
みんな 仲良く 遊ぼうよ 遊ぼうよ

小学校の時、同じ教室に小児マヒ(ポリオ)の子がいた。学校に来るときに箱形の乳母車を押して来た。一人では歩けないため乳母車に寄り掛かって歩く。自分はなぜかその子の友達となり、良く家にも遊びに行った。しかし、それだけだった。

自分の人生は、曻地三郎氏や宮城まり子氏の生き方には、とうてい及ぶべくもないが、せめて「しいのみ学園」の歌でも歌って、応援しようか・・・
(何と安易な・・・・!)

★Youtubeでこの映画を見ることができる。(ここをクリック)

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映画「しいのみ学園」をDVD化した


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コメント

おはようございます
初めておじゃまします。
私も小さな頃に見たこの映画が忘れられません。
この歌を探していたのですが、今日こちらで聴くことができました。

朝から懐かしい思い出に浸ってしまいました(‐^▽^‐)、どうもありがとうございました♪

投稿: sweetpea | 2008年7月19日 (土) 07:59

sweetpea さん

コメント有難うございます。
この頃に小学生だった人は、皆この映画を見たようですね。そして、この歌は誰もが覚えています。
それだけ、子供の心に届いた映画だったのでしょうね。
懐かしかったのは、自分だけでは無かったようで安心?しました。

投稿: エムズの片割れ | 2008年7月20日 (日) 11:03

はじめまして
私は福岡で育ったせいで、小さい頃からしいのみ学園の事は聞いていました。残念ながら映画の記憶は無いのですが、この歌の記憶はうっすらと有りましたが、聞く事が出来て、すっかり思い出せました。
ありがとうございます。

投稿: GON | 2008年9月22日 (月) 20:06

GON さん

コメントありがとうございます。
「しいのみ学園」は、我々団塊の世代には忘れられない映画でした。
学園は今も活動していて、創立の曻地先生は今もお元気ですよね。

投稿: エムズの片割れ | 2008年9月22日 (月) 23:24

子供の頃に聞いて覚えていて、「ぼくらはしいのみ、ちいさなしいのみ、おいけにおちてうたおうよ、こまどにおちておどろうよ、……あそぼうよあそぼうよ」と一人で歌っていた曲でした。「原爆の子」という映画を見た記憶があり、その頃に覚えたかすかな記憶の中で、なぜか心に沁み込んでいました。回り中の人に聞いても誰も知らないし、歌の書物にもない曲でしたが、このページで見つけてびっくりしました。よくぞ、この歌を紹介していただいたものです。感謝いたします。嬉しいです。誰も歌わなくなった中に眠っている素晴らしい歌を、ぜひ探し出してご紹介ください。惜春鳥につづく投稿です。

投稿: 岡山の野良男 | 2009年2月23日 (月) 11:56

岡山の野良男さん

この映画は、たぶん学校で全員が見たのでしょう。我々の年代の人は、必ずこの歌を知っています。懐かしいですよね。

投稿: エムズの片割れ | 2009年2月23日 (月) 22:23

映画「惜春鳥」のからみで少し長いですが、私のブログの文章を投稿しました。
2/25白虎隊・山本八重・惜春鳥
隣町の図書館で家人が借りた「山川健次郎伝~白虎隊士から帝大総長へ」(星亮一著、平凡社)を読んだ。激烈を極めた会津戦争を15歳で遭遇し、1歳満たないために白虎隊から外された山川健次郎の戦いと後に帝大総長に上り詰めた生涯を書いた伝記である。旧幕府陣営で最強を誇った会津藩が阿鼻叫喚の地獄絵図の中に身をおいた戦いが詳細に語られている。鶴ヶ城の内外での全ての老若男女が巻き込まれた悲惨な戦闘や16から17歳で組織された白虎隊の飯盛山での集団自決の様子もさることながら、後に新島襄婦人となる山本八重の壮絶な戦いの様子も描かれている。「砲術師範の家柄である山本八重は連発銃を肩に、射撃の訓練に余念がなく、男どもの度肝を抜いた。兄の覚馬は京都で砲術を教えていたが、眼病を患い、そのまま京都に残った。黒髪を束ねた八重の姿を見て、老人達も負けるものかと奮い立った」とあり、また、「山本八重のところには『いざというときは、介錯して下さい』と何人もの母親が頼みに来た」ともあり、「狼狽している男たちをしりめに、山本八重は着物も袴も男装で、両刀を腰に差し、元込めの七連発のスペンサー銃を抱えて城にはいり、近づく敵兵に銃弾を浴びせた」と書いてもある。後に八重が「婦人世界」という雑誌に書いた手記には「一番心配でたまりませんでしたのは、厠に入っている時でございました。武家の婦人として一矢も報いずに犬死するようなことがあっては、主君に対しても家名に対しても誠に恥ずかしいわけですから、たとえ流れ弾に当たって死ぬまでも、戦えるだけ戦って、立派な最期を遂げたい一心でございました」と書いている。会津藩はこの戦いの敗北で賊軍となり、会津藩23万石から下北半島に斗南藩3万石で移封され、家臣達の生活は悲惨を極めたと伝えられている。(約15年ほど前に「労務改善協議会連合会」という団体の視察で会津塗りの工房を訪問した時、鶴ヶ城を歩き、白虎隊を偲び、近くの会津板下町の春日八郎の出身地をバスで回ったことがあるが、会津の人は今でも白虎隊の歌と詩吟と剣舞を大事に身に付けているとのことだった)。この伝記を読むうちに、会津若松を舞台として、白虎隊の歌や剣舞が登場する映画「惜春鳥」を思い出し、二ヶ月ぶりにビデオを掛けて観た。鶴ヶ城での白虎隊の歌と詩吟を歌いながらの剣舞に尚武の士を思い起こさせ、挿入歌で繰り返される若山彰の軽快でかつ懐かしい感傷を呼び起こす歌に酔いつつ感慨に耽った。新島襄先生は、あの凄惨を極めた戦争の真っ只中に身をおいた山本八重と結婚したことが、同志社大学を創設するための、いかなる困難をものともせずに、「志」を貫ぬいたバックボーンになったのであろうと思う。ここで終わるのは誠に惜しいが、頭の整理ができていないので、改めて、幕末の日本社会の中で青春を生きた新島襄先生の姿を追求してみたいと思った。

投稿: 岡山の野良男 | 2009年2月25日 (水) 17:23

岡山の野良男 さん

ありがとうございます。勉強になります。
しかしどのような事件も、詳しく見て行くと、色々な事実・背景があるようで、興味は尽きませんね。
飯盛山で思い出しました。昔、霧島昇の白虎隊という歌があり、そこに白虎隊の詩吟が一緒に入っていました。今まで、何とはなしに聞いていましたが・・・。

投稿: エムズの片割れ | 2009年2月25日 (水) 21:58

先日ラジオにしいのみ学園の理事さんが出て(103歳 お元気でした)映画を思い出しました。夫は5歳年上ですが映画は知らないそうです。私は小学校で授業で見ました。懐かしい歌が聞けて感無量です。歌詞もほとんど覚えていました。小学校の同学年にポリオの男の子がいて毎日お母さん(当時ですから和服です)に付き添われて松葉杖で通っていました。今になってみるとお母さんのご苦労がしのばれます。彼は今どうしているのでしょうか?

投稿:  のりりん | 2009年5月 5日 (火) 21:42

のりりん さん

コメントありがとうございます。
昔はポリオ(小児麻痺)の子供がクラスに1人はいたような気がします。
自分はなぜかその子と友達になることが多く・・・。
しかし、しいの実学園のその先生が現役なのには元気付けられますね。

投稿: エムズの片割れ | 2009年5月 6日 (水) 22:28

しいのみ学園、なつかしいですね。
私も同世代。小学校が板付だったのですが、映画を見て大変感動しました。井尻にあったんですよね。でもCDはどこを探しても無かったのですが、唯一ここにありました。
他の曲、マリモの歌も学生時代屈斜路湖辺りのYHで聞きました。良い歌が多いですね。

投稿: まむ君 | 2009年7月 6日 (月) 21:38

初めて投稿します。
PC歴 半年の駆け出しです…。 
右も左も解らない位の手探り状態乍、
ナントカ 開く事が出来たページで、…
こんなに 沢山の方々が「しいのみ学園」に
思い出を持って検索してる事を知り、
感動の一語です!
私も、同世代の一員、東京の南の果ての島で
育ちましたが 当時辺鄙な島の小さな小学校でも 映画教室と云うのが有り、この映画を観て深く心に残って居ます。
昭和30年と云うと 2年生、多分 同年代でしょうか?。一番の歌詞しか覚えておらず
ナントカ全部知りたいと、ダメもとのつもりで検索したのに…こんなに沢山の方々が…!
痺れる様な感慨に浸っています。
エムズの片割れサンに感謝!!です。

僻地医療に携わる父(現在も91歳で現地で
現役)だった事もあり、当時の私は、この映画を観て 将来、小児マヒの子を治す医者になるんだと 担任の先生に語ったそうです。
(その記憶を覚えて無いのが残念ですが…)
先生とは、昨年暮れ 96歳で黄泉の国へ
旅立たれるまで交流が有り、逢う度に
「しいのみ学園」の話と 私の決意の話が
出たものです。
先生に ご報告出来なく為ってしまった事が
残念で為りません!!
私がもう少し早く…せめて、1年前にPC
始めていれば…どんなに喜んで戴けたかと…
悔いが残ります!
せめて、墓前にご報告して来ようと思っています。
因みに、私は医者には成れず…陶芸家です…

投稿: 飛べなかった信天翁 | 2009年7月10日 (金) 16:37

飛べなかった信天翁(あほうどり)さん

コメントありがとうございます。心が柔らかい(子供の)時にインプットされたモノって、心の奥に滲み付いていますよね。
あらゆる「良いもの」は人間形成に役立ちますが、このコメントを見ても、この映画はその頃の非常に多くの子供に影響を与えたものだと思います。
そう言えば、私も(この映画の影響かどうかは分かりませんが)かつては教師を志望した事がありました。つまり「モノ作り」ではなくて「人間を作る」んだと・・・。

投稿: エムズの片割れ | 2009年7月12日 (日) 15:10

   エムズの片割れ様!

私如き駆け出しの書き込みに、
ご丁寧なお返事頂戴致しまして痛み入ります。貴方様のプロフィールを読み返し、
大変失礼な間違いをした事に気付き、
お詫びせねばならぬと思い 急ぎ書き込みます。
大切なお名前、間違えて仕舞うと云う、
本当に失礼な初歩中の初歩!の間違いを
犯して居ります事、心よりお詫び申し上げます。誠に申し訳有りません!!
何卒、そそっかしい駆け出しの間違いを
寛容な目を持ちまして、お許し戴けませんでしょうか…?
今後とも、お許し戴いて お付き合いさせて戴けると 有り難いのですが…。
心より お詫び申し上げます。
済みませんでした。!!

投稿: 飛べなかった信天翁 | 2009年7月15日 (水) 00:04

飛べなかった信天翁さん

ハハハ・・・。お気になさらず・・(修正しておきました)

投稿: エムズの片割れ | 2009年7月15日 (水) 12:44

「しいのみ学園」が放送されていた頃の歌で思い出したくておもいだせないのがあります、どなたか分かりませんか?
「桜の花が大きく育つ頃、僕らはみんな大人になるんだ、あの子にこの子、真っ赤なほっぺをしているが」ここまでしか覚えていません。ぜひ知りたいのです。よろしくお願いします。

投稿: totoro | 2010年2月 9日 (火) 03:53

totoroさん

Netで調べてみたら「木下恵介劇場」の「記念樹」という番組らしいです。下記で聞けます。
http://www.youtube.com/watch?v=IcpsAOUh9YI

詳細は、下記にもあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312686653
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q134625628

投稿: エムズの片割れ | 2010年2月 9日 (火) 22:15

早速の情報を有難うございました。歌が流れたとたんに涙があふれて来ました。映像を観て増々涙がとまりませんでした。当時の貧しかったが楽しかった家族との生活が浮かびあがって。
映像に覚えがありません。映画を観る余裕はありませんでしたし、TVがある家も近くになく、記憶としましてはラジオから流れてくる歌を覚えていたのではないかと思います。物語にも記憶があるような。歌詞も間違ってましたね。書込みしながらも懐かしさでいっぱいです。お気に入りに入れて何度も楽しみたいと思います。心よりお礼申し上げます。他のHPも訪問しようと思います。書込みが沢山あって(福岡の人もおんしゃって、うれしかよ。)

投稿: totoro | 2010年2月10日 (水) 13:24

あるかな?…と、何気なく検索したら逢うことができました!たしか小学校3年生頃に巡回してくる校内映画で観ました。足の悪い子や障害をもった子供達が丘の上にある学園での生活や友達が亡くなって作文を読むシーンで泣いた事を思い出しました。担任の女先生が泣いていたのも記憶あります…歌もしっかり覚えています。今の子供達にぜひ観て欲しい映画と思います。過激な描写に慣れた?現代の若い親子の方に…
私も子を亡くし、愛しくてたまらず泣きながら聞きました…涙もろいだけじゃないんです…

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。自分もちょうど同じ頃にこの映画を見ました。
お子さんを亡くしたとか・・・。
さっき、カミさんと外食して車の中、ウチの息子も出来は悪いが、何事もないだけマシ・・と話しました。
平凡こそ宝ですね。

投稿: 涙っぽい男親 | 2010年5月27日 (木) 23:03

 エムズの片割れ様

 こんばんは。初めまして。
 私はあまり有名でないシャンソン歌手です。 
 毎年12月にはクリスマスパーティーを開催しています。今年は12回目になります。毎年、どんな構成で皆さんに聞いて頂こうかと頭を悩ませています。
 今年は映画音楽を…と思い、洋画、邦画の思い出深い作品を選択していました。その中で幼い頃学校で見た「しいのみ学園」を思い出したのですが、資料が無くて…パソコン初心者ですが、一生懸命探しました。そしてこのページに出会いました。
 嬉しかったです。どんな主題歌だったかは忘れていましたが、しっかり覚えていました。そして幼い頃に受けた映画の感動がそのままよみがえって来ました。
 ほんとうにありがとうございました。

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。この歌は、ある年代の人の耳には必ず残っている旋律のようですね。

投稿: 長瀬ゆき | 2010年9月23日 (木) 20:16

 小学生だったころ、学校でまたはみんなで映画を観に行きました。
 その中でも、「しいのみ学園」の歌は今でも頭に刻まれております。
 是非、孫に映画を見せたいと思います。
音楽をありがとうございます。
 団塊の世代、の 遠い思い出です。!!

【エムズの片割れより】
コメントをありがとうございました。
本当にこの映画は、当時の全国の小学生の心に根を下ろしました。最近の子供たちは、そんな映画やドラマはあるのでしょうかね? テレビのない静かな時代でした。

投稿: 関  | 2010年11月21日 (日) 17:52

『しいの実のうた』を歌っている伴久美子さん、その何とも表現し難い『声』、同じ声の人は二度と出てこなかったし出て来ないのでしょう。彼女の『夜店の歌』をまた聴きたい。たしか、・・・『イモムシゴロゴロ、ひひょうたんポックリコ・・・』って歌もあったと思うけれど。

【エムズの片割れより】
自分は伴久美子さんの「夜店の歌」の音源も持っています。今改めて聴いてみたのですが、童謡というには少し変わった曲想ですよね。

投稿: yakata1578 | 2011年5月 7日 (土) 08:13

『しいのみ学園』懐かしいです。この映画は小学一年生の時、学校の教室で映画を鑑賞し子供ながら映画に感動して溢れる涙を流した記憶が有ります。「男のくせに泣くなんて!」と思うかも知れませんが自分乍感情的で児童の歌う美しい歌声とドラマの筋が見事に現れ感動に吸い込まれます。筋書きは殆んど記憶に有りませんが、『しいのみ学園』の歌はこの歳が経ても忘れませんでした。こんな素敵な映画は現代版でもよいですから製作してテレビなんかで 放映されると良いのですが・・? 『しいのみ学園』の歌を≪エムズの片割れ≫で聴かせて頂き本当に有り難う御座いました。

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。
この映画は、たぶん当時の全国の小学生が見たのではないでしょうか。そして直ぐに覚えられるこの歌は、たぶんほとんどの人がまだ心の底に残っているのでは?

投稿: yokohama Carmen | 2011年6月22日 (水) 18:38

小学生のころ学校から見に行った映画の思い出がいまだ強い印象で残っております。内容ははっきり記憶ありませんが、覚えやすい歌と、映画の最終シーンだったように思いますが、運動場に長く残された跛行の足跡が強烈に残っております。しいのみ学園の歌声をもう一度聞きたいといろいろ探していましたがわかりませんでした。今日たまたま見つけることができ、さっそく拝聴しました。映画のシーンとともに流れてくる歌声を聞き、感動し年甲斐もなく思わずこみあげてまいりました。できればテレビで放映されることを希望しています。本当にありがとうございました。

【エムズの片割れより】
昭和30年代初めの小学生は皆この歌を覚えていました。振り返ってみると、いわゆるヒューマニズムを知った最初の映画だったと思います。
もし東京でしたら、新宿(紀伊國屋書店の前)のTSUTAYAに、まだVHSのレンタルテープがあるようですよ。

投稿: 鷲見俊雄(スミトシオ) | 2011年7月25日 (月) 17:42

 ようやくちゃんとした歌詞をこちらで知りました。ありがとうございました。

 昭和30年の映画だということは私も小学校2年生でした。多分学校のすぐ傍にあった「福祉会館」でみんなで見たんだと思います。

 この唄のメロディーはなぜか頭に残っています。「にあんちゃん」も「女中っ子」もあの頃なんでしょうかねぇ。

 ありがとうございました。

【エムズの片割れより】
「女中っ子」も懐かしい・・・。
昭和30年代の初め、当時与野に住んでいた自分は、小学校の校庭に作られた銀幕の前で、夜皆でこの映画を見た思い出があります。

投稿: nsw2072 | 2011年10月18日 (火) 20:24

インターネットはすごいですね。この歌があるなんて思いもよらなかったです。私も64歳になるのですが子供のころの記憶に一番最初に浮かぶメディーがこの、しいのみ学園です。映画の内容は忘れましたが曲は今でも覚えています。大阪市の平野小学校の講堂での上映だったと記憶いたします。インターネットに感激しました。

【エムズの片割れより】
我々還暦過ぎの人間にとって、この歌はある意味、トラウマ的(?)に心に残っていますよね。

投稿: OM | 2012年2月15日 (水) 19:46

私は今62歳でございます。しいのみ学園の昇地先生の事をブログについ先日かかせていただきました。今あなた様のブログを偶然見つけて
すぐに書かせて頂いております。私は昇地先生に純真短大の時の生徒でございます。うろ覚えで申し訳ございませんが社会学を学んだように
記憶しておりますが新聞で先生のお名前を拝見
致しました。涙が止まらず私もまだ幼いころに
映画で観ましたあの主題歌を歌ってみました。
多少歌詞に覚え間違いもございましたが
幼い時に覚えた歌を今歌えるなんて!!
先生は若い時はとってもハンサムでございました。先生の講義の時は80名の学生がシーンとしてお言葉に聞き入っておりました。昇地先生もっともっと長生きなさって下さいと願っております!!     大分県大分市

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。そうですか。昇地先生は教育歴が長いだけに教え子が多いのですね・・・
もう106歳!映画「しいのみ学園」の先生を演じた宇野重吉さんは亡くなりましたが、香川京子さんは80歳でお元気なようです。
昇地先生には、現役最長の記録を作って欲しいですね。

投稿: 塩崎 陽子 | 2012年4月15日 (日) 16:27

 突然の投稿失礼します。
最後に投稿された方が最近であったのでまだ続いてもいいかなと思い、思いきって・・。
 
それが、何からここにきたのかも分からないのですが、「しいのみ学園」のコメントが目に入り、読んでいくうちに皆様の「涙が止まらなく」のコメントに私が涙が止まらなくなりました。
あぁ、こんなに泣いたらまた偏頭痛になるのにと感動の片隅には自分のいたわりも忘れず(失礼・・)読ませていただきました。

私、福岡県に住んでいますので、昇地先生のしいのみ学園は知っていますが、映画や歌は知りませんでした。というか、宮城まり子さんの話とどこかでからまっているような感じです(30年生まれです)
その当時の小学生が感動した「しいのみ学園」観てみたいです。
 
私は学校でみた映画で強烈な記憶があるのは「橋のない川」
ですね。これから反抗期が始まったような気がします。家庭で少しでも偏見的な話題がでると敏感に反応しましたね。目覚めたというのでしょうか。

「岡山の野良男」さんの白虎隊も興味深く読ませて頂きました。
うちの子供達が中学まで剣舞をしてましたのでよく詩吟にあわせて「白虎隊」を舞台で踊ってました。もう20年近く前になりましたが
観客のお年寄りが涙していたのを懐かしく思い出しました。

支離滅裂に書き込んでしまいましたが、ここの内容にふさわしくないようであれば
削除して頂いてかまいませんので。

本当にパソコンってよくも悪くもパンドラの箱ですねぇ。
私はどうしてここにたどり着いたのか今から考えよーーっと。 
失礼致しました。dog

【エムズの片割れより】
ホホホ・・・。“感動”がこちらにも伝わって来るようで・・・。
昭和30年生まれ、というと、この映画を見た年代ではないですね。
先日(2012年4月18日)の記事で書いたように、この映画をDVD化しました。もしご覧になりたいようでしたらDVDを送りましょうか?
半世紀前の映画ですが、当時は子ども心に強烈な印象を与えました。

投稿: ももぐさ | 2012年4月20日 (金) 11:54

「しいのみ学園」の創立者 
曻地三郎さんが亡くなられたようですね。
学校から観に行った映画、
映画の中で何回も聴いた「しいの実のうた」
懐かしく思い出しています。

【エムズの片割れより】
そうですね。自分の新聞で見ました。中身の濃い人生だったようで・・・

投稿: なち | 2013年12月 1日 (日) 06:19

なつかしくてこの歌忘れられません。私は昇地先生から授業受け、先生の学園へ実習にいったことがあります。運動会のときでした。小児マヒの子供が顔をひきつらせて走る姿にぐっとおかしくなり、我慢した思いでがあります。若かりし頃の私ですが、この歌を聞くたびに反省しています。こんな歌もういちど全国に広がってみんなで歌いたいなと思います。少し世の中変わるのではと・・・・。

【エムズの片割れより】
先生にご縁のある方も多いようで・・・
昔はよく見かけた小児マヒの人も、本当に見なくなりました。
Wikiによると「日本では、1980年に野生株によるポリオ感染が根絶された」ようですね。
孫が小学校に上がったら、この映画を見せたいと思っています。

投稿: kumiko | 2016年5月 8日 (日) 20:19

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