« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月の10件の記事

2007年3月31日 (土)

首都高6号上り八潮PAのトイレが素晴らしい

首都高6号三郷線上りの八潮PAのトイレが素晴らしい。自分が体験した、海外を含めたどのホテル、デパート、レストラン・・・よりも素晴らしい。
その清潔さは感動ものだ・・・・・・

ひょんな事から千葉の香取神宮に行った。ちょうど結婚式の真っ最中。出来ちゃった結婚らしく、時代を感じた。
Img_03021 Img_02901 Img_02971 Img_03001

帰りに実家に寄ったが、東京に戻る時、いつも楽しみ?にしている八潮PAのトイレに寄った。
常磐道上り線、三郷ジャンクションを過ぎて、八潮の料金所は“一番左側ブース”を通る。そして料金所を出たところの直ぐ左手に曲がると八潮PA。(だから右手のブースからでは左折が難しいのだ)

そのトイレの清潔感は感動ものだ。
<男子トイレ>
Ts290157 Ts290155 Ts290156 Ts290153

<女子トイレ>
Ts290162 Ts290161 Ts290160 Ts290163

(なお女子トイレの写真は『潜入』したのではなく、カミさんが撮ったので念のため)
なお、パウダールームとかいう化粧室もあるとか・・・・

落書きひとつ、チリ一つないトイレは清潔そのもので、それを維持している方々の努力には敬服・・・・・

*ぜひ一度立ち寄るべき・・・・。繰り返すが、常磐道の上り、三郷ジャンクションの次の八潮料金所は左端のブースを通り、料金所を出たら直ぐ左に曲がるとPAだ。意識して行かないと、料金を払ってそのままアクセルを踏むと行き過ぎる。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月29日 (木)

春だ~

今朝、都営浅草線が人身事故の影響で不通となり、たまたま振り替え輸送で品川駅まで行ったので、初めて品川駅から高輪まで歩いてみた。
品川駅から高輪プリンスホテルの脇(庭先)を通って、高輪衆議院宿舎の横を通って・・・・の道。
空は晴天。風はさわやか。サクラは満開寸前・・・
Ml_ts290140_1 Ml_ts290144

まさに散歩日和の朝。
(会社に遅刻しても言い訳材料はあるし・・・・!?)

自宅のある都下と、都心との温度差は毎日5℃位あるが、さすがに今日はコートを置いてきて正解だった。
うららかな日差し・・・・。犬の散歩をしている人・・・・。
暖かい、と言うより暑いくらい。

春だな~を実感。
いつも春になると、何か良いことがあるような気分になるが、今年も期待外れかな?(しかし携帯電話のデジカメは、なかなかに便利だな)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月25日 (日)

NHK特集「シルクロード-2」がアンコール放送される

新聞の週間TV番組表を見ていたら「シルクロード」という文字!
NHKのHPで確認したら、

NHK特集 シルクロード アンコール放送について>(HPから)
4月からの新シリーズ放送にさきがけ、NHK特集「シルクロード」第2部 ローマへの道(1983年4月~1984年9月放送)を最新のデジタル処理を施したデジタルリマスター版で3月26日から総合テレビで放送します。インド、イラク、旧ソ連、トルコなどをめぐる全18回の放送です。

嬉しいな~。また録ろう。

05年に「シルクロード -絲綢之路-」(1980年)の“ハイビジョン版”が放送された。
本来、『昔の番組のハイビジョン化』など、素材の品質から有り得ないが、これはたまたまオリジナルが“フイルム”だたため実現したもの。
オリジナルの“フイルム”からハイビジョンで収録し直せば、確かに525本のNTCSよりは高精細の可能性はあるわけで、原理的に“夢の”「シルクロード」の出現に大いに期待したものだ。
やはりオリジナルのハイビジョン撮影には届かないものの、そのNHKの斬新なチャレンジ精神には大いに敬服したものだった。

しかし05年のリマスター版の放送は、順番も放送時間も毎月バラバラだったため、録画時間に気を遣い、結局だいぶん録り残してしまった。
今回の第2部は集中放送なので、その心配は無い。良い番組は、何度見ても良い。喜多郎の音楽も素晴らしい。
もちろん家中のHDDに録画するが、05年の「シルクロード -絲綢之路-」のハイビジョン版も、オリジナルの順番通りに集中的に再放送してくれることを期待したい。もちろん深夜で良いので・・・。
何より、苦労して原フイルムから収録し直したという映像は、たった一回の放送だけではもったいない。
1980年放送の“NHK特集「シルクロード」”は、NHKの歴史に残る名作品なのだから・・・。
ついでにNHKのHPには「日中共同制作第2弾「大黄河」(86年)では初のハイビジョン取材も実現した。」とある。そのうちに大黄河もハイビジョンで見たいものだ。

(しかし、録画した番組が膨大になっていって、到底見ていられない・・・というのが現状だ。『退職してからゆっくり見よう』と思って録って置いたS-VHSが、D-VHSに代わり、今はDVD+HDD。本当に定年で家に落ち着く頃は、HD-DVDの時代になっているかも?
いつゆっくり見るのだろう・・・と思うと、自信がない。カミさんからはいつも『TVに振り回されている』と非難ゴウゴウだが・・・)

(追:07-3-27)
昨日の深夜NHK総合(デジタル)で放送されたデジタルリマスター版「シルクロード 第2部」第一集“パミールを越えて”を見た。
番組の最初に今回のリマスター化についての紹介があったので、改めて高画質化の原理が分かった。
この番組のデジタルリマスター化は、NHK放送80年事業だそうだ。
1980年放送の「-絲綢之路-」と同じく、フイルムからのハイビジョン化だ。やはり素晴らしい画質になっている。音質も抜群。
同じ番組を今まで何度録画しただろう・・・。アナログ放送から衛星放送・・・・・。しかし、今回の放送が究極の画質。
当時、『取材機器の運搬が大変だったのでフイルム取材にした』と聞いたことがあった。それが、今『運良くフイルム取材だったので、高画質化できる』とは・・・。
毎日、帰宅してからの楽しみが出来た。今回は世界地図を片手に見た。全18回なので1ヶ月は楽しめる。
まさに、このHDD録画は永久保存版だな・・・。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月24日 (土)

久しぶりの結婚式

今日は、5年ぶりの結婚式(部下~主賓)だった。疲れた~
仲人と、主賓はプレッシャーだ。何がプレッシャーかというと、欠席できないプレッシャー・・・。
Ts290129

普通は、何でも代替はきくもの。しかし、これだけはダメだ。
新郎側主賓*****と印刷されているし、風邪を引いたからと言って誰かに頼めない。
今日は、まあ何とか役目を終えたのでホッと一息。(明日が休日なので助かる・・・)

しかし、5年ぶりの主賓だったが、結婚式もこの5年で様変わり????
変わったな・・・と思ったことをメモすると・・・・

・仲人が居ない結婚式には慣れたが、新婦側の主賓挨拶の「口語体」にはビックリ。仲人、主賓を十数年前からやらされているが、昔買った本には「主賓はそれなりの重みと品格が必要」と書いてあったので、今日もその通りに『マジメ』に挨拶した。しかし新婦側の気楽な挨拶にビックリ。

・友人の挨拶も極小。新郎側は友人がみんなで歌を歌ったくらい。新婦側は一人がマイクを向けられて話した程度。
乾杯の音頭でドキドキしたGPMと自分の二人で、『何だ、挨拶させられたのは自分達だけか?不公平な・・・』とブツブツ・・・
(確かに皆の前で挨拶するとなると、それが終わるまでは酒を飲んだ気がしないのは確かだ。だから皆イヤがってそれが当たり前になっているのかな??)

・新婦がお色直しで退室する際、一緒に腕を組んで出て行くのが何と自分の母親・・・。昔は仲人夫人が後に続いたもの・・・・。しかも後から新郎が退室する際も、何と自分の母親を呼んで、腕を組んで出て行く。エエッ??

・最後の花束贈呈。昔は、新郎新婦がそれぞれ相手の母親に花束を渡していた。それが今日は、それぞれ自分の母親に渡している。そして父親にも箱に入ったプレゼントを渡す。いつから逆になったのか・・・

(もう一つ、ビックリ。宴の最後にメードさんが一列に列んでスポットライトがあたり『今日は我々がお世話しました』みたいなご挨拶。結婚式の主役はあくまでも新郎新婦。メードさんは裏方に徹するべきと思うが、式場のオーナーのこのやり方に違和感を覚えた。横浜だけの風習か?)

とにかく、この5年で世の中は変わってしまったようだ。
それなのに自分は、最近の結婚式の研究もしないで、10年前の手引き書通りの時代遅れの挨拶をしてしまったらしい。
まったく気配が無くて何時になるか全く見通しのない息子の結婚式だが、それがもしあれば、その時は最新の本を買ってきて、その時代(22世紀?)の常識を捕まえておかないといけないな、と感じた。

| コメント (0) | トラックバック (2)

2007年3月21日 (水)

素晴らしい「五力田森の診療所」が休診するという

ひょんな事から「五力田森の診療所」という病院があることを知った。
06年5月開院で、まだ1年も経たないのに、この3/31で休診するという・・・。
場所は、川崎市麻生区五力田、小田急線「五月台駅」下車、徒歩8分。

HPを見ただけだが、その「開設趣旨・理念」が素晴らしい。(以下HPから)

<開設趣旨・理念>
1)開設趣旨
1.高齢化などに対する予防医学を提供します。
2.西洋医学などを基本としたストレスケアを提供します。
3.みなさまの健康管理に寄与します。
4.みなさまに適正な医療情報を提供して日本の医療システムの進歩に貢献します。

2)理念
・自然の中で「癒し」と「やすらぎ」を与える患者様中心の医療サービスを提供します。

3)基本方針
1.人間としての尊厳と生活の質を重要視し、全人的医療を実践します
2.患者様が真に社会復帰できるための支援をします。
3.患者様の視点に立って、より快適で心の通合う安全良質な医療を提供します。
4.患者様の人権を尊重し、十分な説明と同意の下に開かれた医療を行います。
5.地域連携を深め、地域医療、地域住民の健康を支援します。

<専門外来>
当診療所では、生活習慣病や”がん”、皮膚疾患などを対象とした外来診療を行っています。
どの分野においても心理的要因が影響していることが多いことは医学的にみても明らかです。これら疾患の治療や予防について、ストレスや睡眠障害などを考慮しない医療は、非常に不自然であると考えています。私たちはこれらの疾患に対して診療を行う際、医療機関として循環動態、神経・精神・免疫系への作用などを考慮した医療を提供したいと考えています。
※全て保険対象外となります。自費診療となりますが、念のため初診時は保険証をご持参ください。

<<がん専門外来>> 
「がんセカンドオピニオン外来」(1時間)
がんに対する診断や治療について主治医以外の医師の意見を聞く外来です。
料金 12,000円

「がん統合医療外来」(2時間)
西洋医学にこだわらず、食事、代替療法などを組み合わせ最適な治療法を見つけるための外来です。
料金 20,000円

「がんよろず相談外来」(2時間)
がんに関するどんな悩みや疑問でも相談できる外来です。
料金 20,000円

院長 萩原 優氏のプロフィール
約30年間聖マリアンナ医科大学に勤務。豊富な経験と知識、また様々な認定医の資格を有する。
長い間のがん患者の診察を通して、西洋医学だけではなく、東洋医学等の見地からの診察の必要性を強く感じ、以後西洋医学以外の研究も深めていく。現在は、病気になったときなどの心のあり方の大切さにも注目。心理カウンセラーの経験を活かした催眠療法等を行い、患者様の心のあり方も含めた統合医療の実現を目指している。

まさに、あらゆる所が人間尊重の視点で貫かれている。
西洋医学で見られる単なる『症状 ⇒ 薬 ⇒ 副作用 ⇒ また薬・・・・』という連鎖でなく、「人間は全て自分で直そうとしている」視点で、色々な療法にチャレンジしている。
保険外といっても、料金が実に良心的。この病院のために温泉まで掘ったというのに・・・・

前に、このBLOGで50年間病院に行っていないという五木寛之氏のことを書いた。
それに5年ほど前から、西洋医学の限界から外科医を辞めた友人の影響で、色々と思うところがあった。
それが、このHPの理念を読んでいて、何かパッと明るくなった気がした。
統合医療」という言葉も知った。
そうなんです。患者といっても皆人間なのです。そこに視点を・・・・!

今朝、カミさんとHPを見て、これは素晴らしい。まさに今まで思っていた通りの病院だ。一度行ってみよう。しかし、あと10日で閉院とは・・・・。
「急げ!午後にでも行ってみよう!」とばかりに電話をしてみると、既に閉院の準備が始まっており、風邪等の一般的なもの以外は受付中止。既に予約をしている人だけだという。

「知るのが遅かった!」が結論。
我々はまだ怖い病気にはなっていないが、ガンになったら真っ先に駆けつけたい病院だ。
しかし、そこがどうして休診?(HPによると『諸事情(リニューアル等)に伴い、4月1日より暫くの間、休診とさせて頂くこととなりました。』)

Google等で検索してみても、この病院についてのヒットは少ない。
病院はそう早くは立ち上がらない(患者が来ない)。
さあこれからだ、という時期に残念だ。
この“休診“が、ネガティブな事情でない事を祈り、自分がSOSを出すまでに再開されることを祈って、時々HPを覗いてみる事にした。

世界は広い。自分と同じ様な価値観で、現実に自分の理念を実現するべく活動している人々が居る。
何と自分の存在がチッポケか。考えさせられたHPではあった。何か応援する事が出来ないだろうか・・・・

森からのメッセージ」~何と感動的な言葉だろう・・・
鳥たちのさえずり、
  緑溢れる木々のささやき。
    そして、爽やかな空気。
それは、訪れる人を優しく迎えてくれる。

大地に根をはり、大空に伸びる樹木のように
健康にくらしたい。

私たちは
その健康という豊かさを支えたいと願います。

五感を創造する医療施設、
それが五力田森の診療所です。

(07/9/13追記)
okanさんという方からコメントを頂いて、萩原先生は「ほあーがんサポートネットワーク」というボランティア活動を始められたとのこと。
http://www.gansupport.com/contents.html

この活動に期待しよう。
そして五力田の病院は、他の名前で開院したらしい。五力田森の診療所の再開は無理だったか・・・・・

| コメント (0) | トラックバック (4)

2007年3月17日 (土)

映画「しいのみ学園」の歌

日経の「私の履歴書」の今月(07年3月)は「宮城まり子」さんだが、いよいよ「ねむの木学園」の設立にまつわる章に入ってきた。
同じような話で、(宮城まり子さんとは関係無いが)子供の頃に見た「しいのみ学園(宇野重吉、香川京子)」という映画を思い出した。

施設の内容は違うが、子供の幸せのために施設を作った、という点においては同じだ。
この映画は、小学校の時に見て感激し、それから50年以上経ったが忘れていない。
「ぼくらは しいのみ まあるい しいのみ・・・」という歌も忘れていない。

ネットで調べてみると、昭和30年6月19日の封切りというから自分は小学校の2年生の時だ。その時の記憶がまだあるという事はスゴイ。

10年ほど前、NIFTYに入った時、ニフティサーブに映画のフォーラムがあり、そこで「“しいのみ学園”という映画を知っていますか? もう一度見たいが・・・」と書き込んだら、「知っていますよ。新宿のTSUTAYAに、レンタルビデオが置いてありましたよ」という書き込みがあった。シメタと思って借りて見たものだ。
物語はだいたい記憶していたので、自分の記憶もなかなかのものだ。
(そのフォーラムも、今日(3/17)の朝日新聞の夕刊に、今月末で終了すると載っていた。)

しいのみ学園」を作った曻地三郎氏は現在も健在で、100才という。
94才の時に書いた「しいのみ学園をつくって47年」という文章がネットで読める。
まさに映画そのものだ。学園の公式HPからも由来が見て取れる。
しかし曻地三郎氏の人生は、あまりに立派過ぎて、近寄りがたい・・・
それに比べて「しいのみ学園」の歌は覚え易く、自分の子供心にもしっかりと根を下ろした。映画から歌詞を採ってみた。

<映画「しいのみ学園」からサントラ>

<伴久美子「しいの実のうた」>

「しいの実のうた」
   
~「しいのみ学園」の歌
  作詞 西 葉子
  作曲 齋藤一郎

ぼくらは しいのみ まあるい しいのみ
お池に 落ちて 泳ごうよ
お手てに 落ちて 逃げようよ
お窓に 落ちて たたこうよ たたこうよ

ぼくらは しいのみ 小さな しいのみ
小鳥に 落ちて 飛びたいな
お舟に 落ちて 乗りたいな
こぶたに 落ちて 跳ねたいな 跳ねたいな

みんなは しいのみ 元気な しいのみ
お風に 揺れて 歌おうよ
お庭で ころころ 遊ぼうよ
みんな 仲良く 遊ぼうよ 遊ぼうよ

小学校の時、同じ教室に小児マヒ(ポリオ)の子がいた。学校に来るときに箱形の乳母車を押して来た。一人では歩けないため乳母車に寄り掛かって歩く。自分はなぜかその子の友達となり、良く家にも遊びに行った。しかし、それだけだった。

自分の人生は、曻地三郎氏や宮城まり子氏の生き方には、とうてい及ぶべくもないが、せめて「しいのみ学園」の歌でも歌って、応援しようか・・・
(何と安易な・・・・!)

★Youtubeでこの映画を見ることができる。(ここをクリック)

(関連記事)
映画「しいのみ学園」をDVD化した

| コメント (30) | トラックバック (0)

2007年3月14日 (水)

「月光の曲」の思い出

TVで「ぴあのピア-悲恋のピアノ・ソナタ-」という番組をやっていた。今日はベートーベンの月光の曲(ピアノソナタ第14番)である。
(このBLOGの書き出しは、全てがTVなのである・・・。また今日のBLOGは、自分の備忘録である)

思い出すと、我が人生でただ一曲だけピアノで弾けた曲が、この「月光の曲」の第一楽章“だった”。(もちろんピアノなんか習ったことないけど・・・・・)

「月光の曲」の楽譜がここにある。80円。S43(1968)年9月23日、と購入した日がメモしてある。大学3年の秋休み(試験休み)である。
独学で弾こうと思い立ったきっかけは、大学2年の時に、当時グリークラブに入っていたが、その男声合唱の練習場であった講堂で、同じ高校出身の先輩がピアノでこの曲を弾いていた。
「エッ?ピアノが弾けるの?」と聞いてみると、毎日授業の帰りに講堂に寄ってピアノを独学で練習して、弾けるようになったとか・・・
その時は、「スゴいな~」で終わったが、ちょうどこの頃、自分の帰省先の実家が引っ越し、その借りた家に古いピアノがあった。それで「これはチャンス。先輩が独学で弾けるのなら自分だって・・!」と楽譜を買ってきて、ムキになって一人ピアノに向かった、という訳。
たった3ページの曲。非常に音符の数が少なく、テンポもスローなので素人には楽な曲である。

楽譜を見ると、9月27日には2ページ目の終わりまで行った、とある。練習を始めて4日目だ。かなりペースは早い。もっとも朝から晩まで、一日中ピアノに向かっていたことを覚えている。
楽譜には、各音符に「ド」とか「ソ」とか書いてある。つまり、音符の位置と鍵盤をドレミファで関連付けて練習した。全く、独自の世界である。
そして、楽譜の最初には「ド・レ・ファ・ソ」と大きく書いてある。この曲には#が4つ付いている。その位置が「ド・レ・ファ・ソ」の場所だという訳なのである。

曲は完全に頭に入っているので、和音がおかしければ直ぐ分かる。それだけが頼りだ。「ムーンライトソナタは不協和音の名曲」とその先輩が言っていたが、その通りだ。
秋休みだったので、連日朝から晩までピアノに向かっていた訳だが、多分1週間チョイで弾けるようになったのではないか?(秋休みは長くない・・・)

もちろん暗譜。楽譜を見ながらピアノを弾く・・・ナンテいう芸当は出来るわけがない。指使いも当然勝手な自己流。途中で、右手中指が既に鍵盤を押している薬指を越えて高い鍵盤を弾かなければならなくなり、これだけはムリだと諦めた事もある。まあピアノをやっている人が見たら、さぞビックリする弾き方だろう。
その後、とにかく1回で良いのでトチらない“演奏”を録音しようと、兄嫁のピアノで録音したことがあった。しかしオープンテープでの録音だったので、今では再生のしようもない。

月光の曲と言えば、学生時代にフィリップスの「コニサー録音」というのがあって、その「月光の曲」のLPを友人に借りてオープンテープに録音した事を思い出した。
演奏はイヴァン・モラヴェッツ。コニサー・シリーズは、音にこだわったレーベルで、ピアノも録音用の特製のピアノを使ったとか。音が、ボーンと良く響いていた。
先日、この演奏(当時は「エリーゼのために」とカップルだった)のCDが無いかと、ネットで探し回ったが、もはやコニサー録音というのも死語になっているようで、見つからなかった。
この録音も、若き日の思い出だ。

何とか覚えた“唯一弾けた”月光の曲。何年か経っても、指が勝手に覚えている。ピアノが置いてあると触ってみる。少しは弾けた。しかし、もはやあれから40年。当然、もうだめだ。定年したら再チャレンジ??

話は飛ぶが、結婚する前、カミさんの家に行ったらピアノがあり、早速弾いてみたら、まあまあ弾けた。
後で聞いたら「結婚を止めようかと思っていたが、ピアノが上手だったのでまあいいか・・・・」と結婚したのだと言う・・・・(ドキッ!)
(さすがに、自分が弾ける曲が“1曲しか無い”事は知らなかったらしい。いまさら詐欺だと言われても後の祭りだ)
つまり、自分にとってこの「月光の曲」は、ヨメさんがもらえたという人生で最も大切な1曲なのである。(ヨッコイショ!)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月12日 (月)

NHKプレミアム10「小椋佳・63歳のメッセージ」

NHK総合で今、プレミアム10「小椋佳・63歳のメッセージ」を放送している。

小椋佳が来生たかお、井上陽水と一緒に歌った「少しは私に愛を下さい」を食い入るように見た。
それにしても、井上揚水の歌う「少しは私に愛を下さい」は初めて見た。87年の収録という。もちろん皆若いが、この歌・映像は圧巻だ。少しだけ聞いてみよう。

<来生たかお・井上陽水・小椋佳
          「少しは私に愛を下さい」>

「少しは私に愛を下さい」
  作詞・作曲:小椋佳

1)少しは私に愛を下さい
 全てを あなたに捧げた私だもの
 一度も咲かずに 散ってゆきそうな
 バラが鏡に映っているわ
 少しは私に愛を下さい

2)たまには手紙を書いて下さい
 いつでも あなたを想う私だもの
 あなたの心の ほんの片隅に
 私の名前を残してほしいの
 たまには手紙を書いて下さい

3)みぞれの捨て犬 だいて育てた
 やさしい あなたを 想い出しているの
 少しは私に愛を下さい

これらの昔の映像を見ていると、チョンガー時代のこれらの歌にまつわるの色々な事を思い出す。この歌は、心に滲みる数少ない歌だ。

しかし自分が初めて1974年に「彷徨」というLPを買った当時は、小椋佳という人の顔は知らなかった。もちろんジャケットにも写真は無かった・・・。
その理由が、(本人の言う)「人前に出すような顔で無いから・・・」というのも後で知った。しかし、その顔と澄んだ声との落差・・・・(失礼)

番組と共に年代は進む。小椋佳もトシをとってくる。特に癌を患った後のコンサートで歌う「山河」の映像では、小椋佳が痛々しいくらいに痩せている。
しかし幾らトシをとっても、その声は若いときと同じように、力まない自然な発声。自分はこれが好きだ。
でも番組で中村雅俊を談笑する今の姿はまだまだ若く、これからも活躍しそうなのは有り難い。

しかし最近のNHKは良い。番組が上質なので安心して見ていられる。
これからも昔の素材(=文化遺産だ)を利用して、この様な心に残る番組を作って欲しいものだ。(何も新しく撮影する必要は無いのだ。NHKには無限の映像の遺産が残っている・・・・)
デジタル放送ならではの素晴らしい音と、とうてい20~30年前とは思えないVTR映像の再現。
(手前味噌だが、自分は若いときにテレビカメラの設計をしていた事があるので、映像の質については良く分かるのだ)

民放しか見ないカミさんと違って、自分は98%NHKしか見ない。それはなぜか? それは番組の品位の問題だと思う。

番組の最後に中村雅俊が言った「小椋さん、あなたの歌を聞き、生き方を知り、また元気が沸きました。これからも青春を僕たちに届けて下さい」という言葉が、この番組の全てだ。

(2009/9/15追)
NHKラジオ深夜便「ミッドナイトトーク」(2009/9/3放送)で、小椋佳さんがこの「少しは私に愛を下さい」にまつわる誕生秘話を話していた。それによると、この歌は勧銀時代、アメリカに留学していた時、3日遅れで送られてきた日経新聞を見たら、“勧銀が第一銀行と合併”と載っていた。それで勧銀のトレードマークのバラともお別れか・・・と思って出来た歌だという。よって、これは恋の歌というより、勧銀人事部に対する“恨み節”だという・・・。(この歌に惚れている自分は、この話は聞かない方が良かったかな?)

<小椋佳が語る「少しは私に愛を下さい」の誕生秘話>

ついでにオリジナルも・・・

<小椋佳「少しは私に愛を下さい」>

| コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月 8日 (木)

ブッダの遺骨が日本に実在する

ブッダの遺骨が日本に実在するという。
中村元の「原始仏教~その思想と生活」という本を読んでいるが、その中にブ『ッダの遺骨が日本にある』という記述があり、ビックリ。
曰く・・・

「1898年にカピラヴァットゥから約13キロ隔たったピプラーワーというところで、イギリスの駐在官ペッペが一つの古墳を発掘したところ、その中から遺骨を納めた壺が発見された。それには世紀前数世紀の文字で「釈尊の遺骨」である旨が銘刻されているから、それは歴史的人物としてのゴータマ・ブッダお真実の遺骨である、と断定してよいであろう。
この遺骨は仏教徒であるタイ国の王室に譲りわたされたが、その一部が日本の仏教徒に分与され、現在では、名古屋の覚王山日泰寺に納められ、諸宗交代で輪番する制度になっている。」(P43)

へえ~・・・・だ。知らなかった・・・・
確かにネットで検索すると、色々と出てくる。
中でも「紫雲寺」のHPにある「仏教夜話」に当時の事情が詳しく書いてあり、勉強になった。(タイ王国大使館HPにも紹介がある。他に写真もある)
明治33年にタイ国王から贈られ、それを納めるための超宗派の寺院が名古屋に建立され、それが日泰寺(日本とタイ)であるという。

別にブッダの遺骨を崇拝するつもり無いが、今まで遙か彼方にあったブッダという存在が、この話で急に自分にとって身近に感じられるようになったのは不思議である。ブッダは、まさに歴史上の人物である。

日泰寺は、東本願寺の4.5倍の敷地に、今の金にして1000億円規模を費やして建てた寺院というので規模は大きい。そのうちに、一度は訪ねてみたいものだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 4日 (日)

「般若心経」勝手帖-09 無明

むーむーみょーやくむーむーみょうじん
無無明亦無無明尽

ない しー むーろー しーやく むー ろー しー じん
乃至無老死亦無老死尽

ここからが難しい・・・・。(だからしばらくサボっていた)
NHKで「趣味悠々 はじめての写経~般若心経を書く~」という番組があるが、ここで解説されている「ひろさちや」さん流の解釈が分かり易い。

「無明も無ければ、老死も無い。また無明が尽きることもなければ、老死が尽きることもない」

「無明」とは「無知」。最大の苦しみである「老死」は何から起きるのかと言えば、無明から起きるのだと、般若心経以前の仏教では考えられていた。
『無明』とは、『明』が無い。つまり『智慧が無い』。
智慧が無いから迷っているので、苦しみが生じる。迷っているので、最後の『老死』という苦しみまでが生じる。
でもそんな事はこだわる必要がないではないか。と言っている。『老死』を無くするにはどうしたら良いかが、今までの仏教の考え方だったが、『老死』はあったらあったで良いではないか。そんな事にこだわるな、と教えている。

ここで『無明』乃至(ないし=**から**まで)『老死』の間には次の項目が入って、計12の項目になり「十二支縁起(じゅうにしえんぎ)」「十二因縁(じゅうにしいんねん)」と言われている。
生きとし生けるものの生存は、次の12の連環にによって成り立っている。

1)無明(むみょう)=根元的無知
  ~人間の持っている根元的無知によって何らかの行為を起こす。
2)行(ぎょう)=潜在的形成力
  ~行為の潜在的形成力によって、必ず何かを認識する。
3)識(しき)=認識作用
  ~認識作用は、名称と形態を必要とする。
4)名色(みょうしき)=名称と形態
  ~名称と形態は6つの領域において生じる。
5)六入(ろくにゅう)=六つの領域
  ~6つの領域では、感覚器官と対象の接触が生じる。
6)触(そく)=接触
  ~感覚器官と対象の接触は感受をもたらす。
7)受(じゅ)=感受
  ~感受作用は誤ったとらわれを生じる。
8)渇愛(かつあい)=妄執
  ~誤ったとらわれによって執着が生じる。
9)取(しゅ)=執着
  ~執着によって生存が生じる。
10)有(う)=生存
  ~生存は具体的な誕生をもたらす。
11)生(しょう)=生まれること
  ~誕生によって結果的に老いと死が生じる。
12)老死(ろうし)=老い死ぬこと
  ~老いと死は人間の苦しみの代表である。

『老死』の苦しみは何によって起こるのか?『生」によってである。『生」は何にによって起きるのか?・・・と考えて行くと『無明』にぶちあたるという考え方。順環と逆観の考え方がある。

良く聞く「十二支縁起」という言葉だが、これはもう少し時間を掛けて味わうことにしよう。

←BACK     (1/14)へ     NEXT→

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »