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2007年1月の11件の記事

2007年1月31日 (水)

中村元訳「ブッダ最後の旅」を読んだ

NHK「五木寛之 21世紀・仏教への旅~ブッダ最期の旅 インド」の番組の影響で、中村元訳の「ブッダ最後の旅~大パリニッバーナ経」を読んだ。

“経”というので、普通のお経かと思ったら、まさに物語。確かに詩のような繰り返し文句が多く、暗唱に便利な「お経」なのだが、題名の通り、ブッダの入滅までの旅の物語である。
これを読んで「なーんだ。今まで色々な本で読んだブッダの最後の場面は、ここからの引用だったのだ・・・・」が感想。

しかし“原典はさすがに迫力が違う”と思った。まるで三蔵法師や鳩魔羅什(くまらじゅう)のように、原典のパーリ語から直接日本語に訳した本書は、その辺に転がっている本とはやはり違う。
また、元来自分は、“岩波文庫”は何か古くさくて嫌いであり、今回初めて岩波文庫を買ったわけだが、やはり重みが違う。
1980年の第1刷から数えて、今回自分が買った2006/7月の版でも、既に第37刷とある。これはすごい。この本は、やはり日本でのこの手の研究の“原点”なのだろう。

また“本の半分が注釈”というのも初体験。
今回は初めて読んだので、文節毎に注釈を対比しては読まなかったが、2度目に読むときは、文節毎に注釈を併せて読んでいこう。

まあこれ位で、NHKハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅」も、そろそろ第1回「ブッダ最期の旅 インド」を卒業して第2回に移ろう・・・。
しかし、これほどじっくりと番組を見たのも久しぶりである。

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2007年1月22日 (月)

NHKビッグショー「藤山一郎」を見た

これは1975年1月5日放映というから、何と32年前のTV番組である。その画像の綺麗さにビックリした。これはスゴイ・・・・

おっとっと・・・、本題は藤山一郎である。
今夜(1/22)NHK BS2で“蔵出しエンターテインメント ビッグショー「藤山一郎 歌は涙か青春か」”をやっていたので録画した。
懐かしい・・・・。藤山一郎と、若きフランク永井が歌っていた。

自分が藤山一郎を知ったのは何時だったろう?中学1年生頃か・・・。「長崎の鐘」が最初だったかな? それから「青春日記」「白鳥の歌」・・・・・・

亡くなった父が懐かしのメロディーが好きだったので、自分とは生涯敵対していた?父ではあったが、妙にこの点でだけは話が合ったっけ。
中学1年の時だったか、その父に買って貰った松下電器の1万円の(4.75cm専用)のテープレコーダ。これで録音したのが、藤山一郎と松田トシの「白鳥の歌」だった。古関裕而の作曲である。
(今考えてみると、昭和40年頃の1万円といったらスゴイ金だ・・・。それでも散々楯突いて・・・・。自分も親不孝したものだ・・・)
それ以来、藤山一郎は聞くに聞いた。もちろんステレオ盤も・・・・

この番組では、64才当時の藤山一郎が朗々と歌う。今にして思えば、これは非常に貴重な“文化遺産”かも知れない。(この番組もDVDに落とさなければ・・・・)
面白かったのが、一緒に出演していた(藤山一郎が指導しているという)素人合唱団のメンバーの“メガネ”。みんな黒縁である。確かに自分も昭和50年の頃のメガネは黒縁だった・・・と思い出すとなつかしい。

来週は「古関裕而」だという。良いな。この様な番組は・・・・。非常に貴重な昔の番組・・・・
その内に「NHKアーカイブス」とかいうのに行ってみようかと思っていたが、BSでやってくれるのなら有り難い。その内、伊藤久男もやるだろうか・・・?

もう全ての歌は録音し尽くしたと思っていたが「藤山一郎と松田トシの“白鳥の歌”」が未だだ。何とかCS放送からでも見つけて録音しよう。
(しかしこの番組の画質には、舌を巻いた・・・・・)

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2007年1月20日 (土)

「中村元―仏教の教え 人生の知恵」を読んだ

中村元―仏教の教え 人生の知恵」という本を読んだ。大哲学者の“中村元学”の入門書である。

しかし一人の人間が、一生の間にこの様に膨大なアウトプット(著述・業績)が出せるものか・・・・という事に、先ず驚嘆した。
学生時代にドイツ政府から賞を授与されたという抜群のドイツ語力や、英語、フランス語はもとより、パーリ語、サンスクリット語の仏典原典からの翻訳等、その語学力故に世界中の人が影響を受けたという中村元氏。この本で、その人柄が良く分かった。

その中で、「はじめての人のための中村学入門 中村先生が生涯をかけられた事典 堀内伸二」に書いてあったエピソードが印象に残った。(P178)

「・・・・先生は、この成果を発展させて新たな事典を編纂する必要性を感じ、この事典の刊行後ただちにその仕事に取りかかられたのである。そして実に20年という長い歳月を費やして原稿が整えられ、昭和42年暮れ、あとは出版を待つのみとなった。
 ところが、事もあろうに不慮の事件により、出版社に預けてあった200字詰め約4万枚の原稿のすべてが紛失してしまったのである。信じられない出来事が起こったのである。原稿を管理していた出版社が、移転の際の不手際から起こした紛失事故であったようである。事の真相はともあれ、よほどの事件であったことは確かで、新聞十数社による報道記事、テレビ出演などの報道機関を通じての発見協力始め、届けを受けた所轄の警察署では5人の捜査員を投入・捜査、また仕切りや屋、探偵社への依頼、古紙回収ないし製紙会社への依頼、風呂屋のポスター等々、その規模は大変なもので、文字通り血眼になっての捜査が展開された。それというのも「このような研究はだれにでもできるものではない。仏教界にとってかけがえのない大損失。・・・・中村教授は一般の人にも仏教を理解してもらうにはどうしたら良いか、と深い語学力を応用してわかりやすいことばで説明、コツコツと研究をかさねていた。その方法はあらゆる文献を集めて新解釈をさがしだすというもので、仏教語近代化をめざす画期的なもの。・・・・原稿がもどらなければ、もうあれだけの大成されたものは書けないだろう」という、当時、立正大学仏教学部長であった坂本幸男博士のことばに端的に示されている学術的価値があったからである。
 先生のもとに紛失のことが伝えられたのは、12月9日のちょうど夕食時であった。電話を切られたあと先生は「どういうことかよくわからないんだが、原稿がなくなったと言うんだよ」とのみ。ご家族の方に静かに語られたそうである。中村先生のご息女でいらっしゃる三木純子さんからこの話を伺った時、内心、先生らしいお一言だなーと思い、また先生のそのときのお顔が何となく想像された。
 当時の新聞記事に載せられている先生のコメントの中に「カードの整理から管理保管、手伝いの人の世話まで、いろいろと気をくばってくれた家内は、・・・『あれはわたしもずいぶんお手伝いしましたのに』といって顔をくもらせます。それをみると、わたしが悪かったような気がしてつらい思いをします」「もし見つからなくても、投げ出してしまっては協力いただいた数多くの方々に申し訳ない」と、周りの方々への思いやりの言葉が実に多いことに気付く。先生は、紛失した出版社の批判は、この電話を受けられた後においても、ついに口にされることが無かったそうである。
・・・・・・・・また紛失後8年目にしてようやく「佛教語大辞典」の刊行をみたときには、御家族に「おかげでより良いものができた」とおっしゃられたそうである。驚くことに、「投げ出してしまっては協力いただいた数多くの方々に申し訳ない」とのことば通り、紛失の連絡を受けた10日後には、再編集のための打合せを始められている。」

実に人柄が良く出ているエピソード文なので、つい転記してしまった。
(自分など、PCがロックして書きかけのデータが消えてしまったときなど、PCを窓から放り出そうとする。まあそもそも人間の構造が違うので、比べるまでもないが・・・)

しかし下記の言葉が中村元氏の真の原点を表しているような気がした。

「先生は、「<東洋のこころ>というものがあるとすれば、それはいったい何か。その底に流れるものを求めての半生であったといっても、過言ではないように思います。・・・・その何かこそ『温かなこころ』ということではないかと思うのです」と晩年述べられている。」(P181)

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2007年1月18日 (木)

「あいさつは3分まで」

今日(1/18)の日経朝刊(P37)のコラムに野球評論家の豊田泰光氏の「あいさつは3分まで」というのが載っていた。曰く・・・

「ある業界団体の会合に呼ばれた。2時間のうち1時間、あいさつが続いた。・・・・・・・あいさつは3分までがいいところだろう。野球の監督も話が長いといけない。現ヤクルトの別所毅彦さんも話が長かった。・・・万年Bクラスが歯がゆくて仕方がない。だから訓辞も長くなるのだが、逆効果だった。・・・・
西鉄の三原脩監督は話が短かった。1956年、初めて水原茂さんの巨人とぶつかった日本シリーズの初戦は「負けてもいい。ただじっくり相手を見なさい」と言っただけだった。初戦は落としたが、ベテランの川上哲治さんらの衰えを感じ取った我々は2戦目以降伸び伸び戦って勝った。
若手主体の西鉄が、スター軍団の巨人に出はなをくじかれたらそのまま貫禄負けしかない。三原監督はそこにピシッと先手を打った。そもそも伝えたいことがはっきりしていれば多言を要しない。
ついでに言うと、スピーチのコツは百人中一人でも話に反応してくれたら、その人に集中的に語りかけることだ。一人をモニターとして反応をうかがい、伝えようと努力すれば、熱意は必ず他の九十九人にも伝わる。一人を満足させずして百人を喜ばせることはできない。・・・・」

日頃自分が思っていること、言っていることがそのまま載っていたので、つい転記してしまった・・・・。

自分も毎日、効率重視で切った貼ったの生活をしている。(ビジネスでは当然だが・・)
しかしこれは「NHKハイビジョン特集 五木寛之 21世紀・仏教への旅(3)ブータン」に出てきたブータンの人々の生活のスタンスとは、180度違う。(この番組は、また後でゆっくりと見るが・・)
確かに、的確に自分の意志を伝えることは大切。しかし、それだからと言って効率だけを追う今の生活が、本当に“ハッピーか”というと、最近は何だが違う気がしてきた。
これも五木寛之氏の影響かな・・・・・?(話が変な方向に飛んでしまった・・・)

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2007年1月16日 (火)

NHK「五木寛之 21世紀・仏教への旅」の再放送が始まった

今日(1/15)から早速、BS103でNHKハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅」の“再放送”が始まった。
初日(1/7)にインド編を見た“ショック”で、次の日にさっそく「本(インド編~上)」を買ってしまった。
しかしインド編の印象が大きく、その本を読み始まったら、直ぐにその夜(1/8)は「韓国編」。じっくりと味わいたいのに、何か慌ただしい・・・・
前の「シルクロード」等でも本が一緒に出たが、放送と本の発売は連動していて、毎月一回位のピッチだった。
しかし今回の放送は5夜連続放送。そのくせ本の発刊は遅れ、最後の「日本・アメリカ編」が出るのは9月という。何か変だ・・・・

でも考えようによっては、これは視聴者側が録画しておいて、勝手に後でじっくりと見れば良いのであって、毎月一回の放送で放送日を気にして録画するより、よっぽど視聴者のためには良いことだ、という事に気が付いた。
まあそんな訳で、この番組はじっくりと見ることにした。

今日の「インド編」の再放送も録画しておいてまた見始まったが、「ジャクディスプル村の小高い丘の上にある祠(ほこら)の仏像」。そこを歩く五木氏の、何とインドらしい絵作りだろう(スタートから0:15~0:16分目)。
前に「シルクロード」で、夕焼けの砂漠に歩くラクダのシルエットが、番組の象徴的な画像になっていたが、すくんだ空、くすんだ太陽、そして鮮やかでない緑。この田舎の絵もまた素晴らしい。

全体を通して、インド編とブータン編が素晴らしと思ったが、DVDレコーダに録った番組を何度か見て、じっくりと味わうことにしよう。
(しかし、講談社のこの本は高い。1700円は高い。講談社も後援しているようなので、本の収入で経費を賄おうとしているのか?)

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2007年1月15日 (月)

BSデジタル局が年末に2局増えるという

今日(1/15)の電波新聞(P19)に、「高まるBSデジタルへの期待 ~ 今年末、2局が新規参入」という記事が載っていた。曰く・・・

「・・・現在の8局に、BSアナログハイビジョンからBSデジタルハイビジョンに移行のスター・チャンネルに加え今年末に2局が新たに参入。
新規参入するのはビックカメラ、毎日新聞、松下電器、東芝、NTTドコモなどが出資する日本BS放送、伊藤忠やソニー、東北新社などのスター・チャンネルと、三井物産の100%子会社ワールド・ハイビジョン・チャンネル(WHC)の3社。新規参入組は今年12月1日をメドに放送開始の予定だ。3社とも05年12月総務省からBSデジタルの放送免許を取得している。
日本BS放送はアニメ、ニュース、映画など暮らしに役立つ教養系中心の番組編成で、ハイビジョンを中心に24時間無料放送。スター・チャンネルも24時間ハイビジョン映画専門の有料放送、WHCはディズニー、ナショナル・ジオグラフィックス・チャンネル、MTV、FOXなどの番組を完全ハイビジョンで24時間無料放送することになっている。・・・」

まあ番組内容が問題だが、無料のハイビジョン番組が増えることは楽しみだ。
高質のドキュメンタリー番組を期待したい所だが・・・・

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2007年1月 7日 (日)

NHK「五木寛之 21世紀・仏教への旅」が素晴らしい

待ちに待ったNHKハイビジョン(BS103ch)「ハイビジョン特集 五木寛之 21世紀・仏教への旅」が始まった。
今日は連日5回放送の第一回「ブッダ最期の旅 インド」だった。

ブッダの死に至る最後の旅の道を、五木寛之氏がカメラと共にたどる。
ブッダの最後の場面は、色々な経典で見聞きしてはいたが、現実にハイビジョンカメラがその道を辿って、遺跡を巡る画像は圧巻。(70才を越える五木氏は、体力的にだいぶん厳しかったらしいが・・・)
五木氏の片手には、岩波文庫の「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経」。これは中村元氏がパーリ語から訳したもの。
そのブッダの言葉が、番組の随所に散りばめられ、また女性アナウンサーのしっとりとしたナレーターも素晴らしい。(女性アナは“高橋美鈴アナ”とあった)

しかしこの番組は、自分にとっては「ブッダ」「五木寛之」「中村元」と3拍子そろった番組だった。
内容も良く分かり、品位があり、いわゆる上質の番組だ。この様な作品は、NHK以外では到底出来ないだろう。
(この様な番組を見ると、受信料は決して高くは無いな・・・と思ったりして・・・.。~何を隠そう、実は我が家もNHK不祥事抗議組で、しばらく銀行引き落としを中止していた時期があったのだ)

おかげで、家中の3台のHDDレコーダに録画してしまった。
1台分はDVDにムーブして宝にしておこう。番組の内容に深みがあるため、何度でも見ると思うので・・・・。(それはそうだ。言葉がブッダの言葉なので、そう簡単には理解できない・・・)

明日からも楽しみだが、やはり中村元訳の「ブッダ最後の旅」という本は、自分も読んでおかなければ・・・・と思った。(ますます中村元氏にのめり込む事になるが・・・)

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2007年1月 6日 (土)

D-VHSデッキがヘソを曲げた

家(うち)のD-VHSデッキ(デジタルハイビジョンビデオ)(HM-DH35000)がヘソを曲げた・・・(という非常に非科学的なつまらない話である)。

大晦日に、息子のためにVHSで番組を録ってやったが、使ったテープが古かったため、ヘッドが汚れてHSモード(デジタルハイビジョン)での録画が出来なくなってしまった。
最初はヘッドが汚れたことに気が付かなくて、コンピュータの誤動作かと、電源の入り切りをしてみたり・・・・。HSモードだけがダメで、STDモード(デジタルスタンダード)では動く・・・・。ハッと、ヘッドの汚れに気が付き、専用のクリーニングテープを買ってきて掃除をしたら、何とか動き出したが完璧ではない。
仕方なく、メーカに修理に出そうか・・・。やはりメカ製品はダメだなと思ったり・・・。良い機会だから、DVDレコーダを買おうか・・・・とか・・
(DVDはハイビジョン対応が出るまでは買わない。と思っていたが、今の調子ではいつ普及するのか分からないので諦めた)

DVDレコーダをネットで調べたら、1TB(テラバイト=1000ギガバイト)でも、Yahooオークションで新品が10万円を切っている。今から操作を覚えるのが面倒なので、居間にあるのと同じ型を買うことにした。

それからD-VHSについて、メーカに聞いてみたら「市販のクリーニングテープは、“はたき”で掃除するようなもの。やはり雑巾掛け(メーカ修理)が必要では?」と言われてしまった。

ここからが本題。「ヘッドの雑巾掛けくらい自分でも出来るさ・・・」と、配線を全部外し、デッキのカバーを外してヘッドを(昔のテープレコーダ用のヘッドクリーナで)掃除し、さて電源を入れると、何と!入らない。チラッと表示のランプが一つ二つ付いて直ぐに消え、ウンともスンとも言わない・・・・

これはまさしく機械の自分への嫌がらせだ。
自分が、DVDレコーダに切り替えようとしたので、主役の座を外されてヘソを曲げたに相違ない。または、メーカに修理に出さずに自分で掃除をしようとしたため、「やっと人間ドックor旅行?が出来ると思ったのに・・・」とヘソを曲げたか?

仏教では、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)と言って、植物どころか山や川にも命があると教えている。(だから殺生をしてはいけない・・・)
よって自分が機械にも全て命(意志)がある・・・と勝手に思っていても、決して頭が狂っている訳ではない・・・。

結局、D-VHSデッキは今日メーカに修理に出した。修理には2週間掛かって、費用は1万円位は最低掛かるという・・・・(まあ仕方がないが・・・)
しかし、明日DVDレコーダ(1TB)が来てからが大変だ。Panaの地上波デジタルのチューナと、IOデータのHDDレコーダが、次に「俺はもう用済みか?・・・」とヘソを曲げて壊れるのではないかと心配だ。

(付録):「殺してはいけない」というのはどの宗教でも同じだが、キリスト教では、それは人間だけ。生きとし生けるものは含まない。しかも、旧約聖書を良く読むと、殺してはいけないのは同じ宗教を信ずる人だけ。よって、世界中の紛争が起きている・・・という。(梅原猛「仏になろう」P98)

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2007年1月 4日 (木)

哲学者「中村元」のことば

元旦の夜にNHK教育で“NHK映像ファイル#084 あの人に会いたい「中村元」”という番組をやっていたので録画して、見た。以下はこの番組での中村元氏の発言である。

「学ぶこと少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが知恵は増えない。(ダンマパダ)」
(ナレータ)~中村元は、漢文からの訳が中心だった仏教研究をインドの古代思想にまでさかのぼり、初めて原始仏典を現代文に翻訳しました。・・・・

「相手に対する寛容の精神というものが大事です。その点で仏教は無理に暴力武力を用いて、人に強いるということがなかった。昔は宗教が違うということになると必ず武力による闘争と裏腹になっておりました。人類の歴史において多くの宗教が現れたわけですけれど、武力によらないで説得だけによって広まったのは仏教だけである。これは西洋の宗教学者も認めております。こういう考え方が、我々の祖先の中でも生きていたと思います。だいいち聖徳太子の憲法なんかにもはっきり出ております。現在でもこれは大切な心がけじゃないでしょうか」・・・・

「人間の体は王様の飾り立てた車のように、やがて朽ちてしまう。けれども人から人に伝えられる真(まこと)の法(のり)はいつまでも輝く。つまり人から人に真理が伝えられるわけでございましょう。それは永遠の価値を持っている。という意味なんでしょう。本当の自己というのはどういうものか。誰でも人間はどこかの場所で、いつかの時点で生まれてきたわけです。そして必ず両親があったわけですね。それから育ててくれる人があった。助けてくれる人があった。その助けてくれた人の数というのは無数でございます。人間だけじゃなくて三仙草木まわりのものが何か関係を持っている。遠く考えますと宇宙の彼方から、例えば太陽が光線を送ってくる。そうするとその太陽の恩恵も受けているわけです。宇宙にあるいかなるものも孤立したものではないという思想。宇宙とつながりがあるわけです。そのつながり方が、めいめいみんな違うわけです。だから個々の自己は非常に微々たるものと考えるかも知れませんけれど、実はその内には偉大なものを秘めているわけです。ですからその偉大なものを受けていることを自覚すれば、そこで自分の生きる道はどうかということが、おのずから明らかになって実現される。ということになるんじゃないかと思うんですが」

(ナレータ)・・・原始仏典を解釈し日本語に移すことを生涯の仕事とした中村。それは2500年の時空を越え、人間ブッダの声に耳を澄ますことでもありました。

「仏教の教えというものは、この上に輝く日月(じつげつ)のようなものである。太陽や月があらゆる人を照らすように、仏教の教える真理というものは、あらゆる人に明らかなものであり、あらゆる人を照らす、というわけです。続けて釈尊はこういわれました。もしも自分が人々を導くのであるとか、あるいはこの修行者の仲間が私を頼っているとか、思うならば、私が死ぬということは大変なことであろう。しかし、私は自分がみんなを導くなんて思ったこともない。またみんなが自分を頼りにしているなどとも思わなかった。自分はただ人々のよるべき真理、真の生き方というものを明らかにした、ただそれだけなのだ。だから、なにも自分が消えて亡くなったからといって嘆き悲しむな。およそこの世のもので、いつまでも破れないで存続し続けるものは何もない。いつかは破れ消え失せるものである。その道理を私はお前たちに今まで説いてきたではないか。ただ私はそこにある一貫した真理というもの、それを説きあかしてきた。だからそれに頼れ。」
「この変転常ない世の中ではまず自分に頼るべきである。自分に頼るとはどういうことであるか。自分はこの場合にどうすべきかということを、その場合、その場合に考えることでしょう。その場合、何を判断決定の基準にするのか。それは「人間としての道」「法(のり)」インドの言葉で言うと「ダルマ」と呼ばれるものです。これを「法」」と訳しますがこの人間の理法というもの、これに頼ること。「自己に頼れ 法に頼れ」これが釈尊の最後の教えでありました。」・・・

「世界が一つになるには、理解と寛容が絶対必要である」

しばらく「中村元」研究をしてみようと思う。

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2007年1月 3日 (水)

キューピーの招待でサントリーホールに行ってきた

カミさんが応募した「キューピースペシャル ニューイヤー・コンサート2007」チケットプレゼントに当選したそうで、2枚のチケットが送られてきたので、息子と二人で久しぶりにサントリーホールに行ってきた。
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このコンサート、サントリーホールのHPには「サントリーホール ニューイヤー・コンサート2007 ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 ハプスブルク家の栄華~美しく青きドナウ」とあった。
正直、指揮者のユリウス・ルーデルも、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団も知らなかった。でも、まあ天下のサントリーホールでの正月コンサート。良いではないか・・・

席は満席。曲は、ウィンナ・ワルツやオペレッタの序曲等。
知っているのはシュトラウスの「こうもり」序曲、「青きドナウ」、レハール「金と銀」位だったが、初めて聞いたヘルメスベルガーの「悪魔の踊り」が良かった。
ブラス(トロンボーン)が吠え、まさに圧巻。プログラムによると、この曲は2002年の小澤征爾のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートで演奏され、世界に紹介されたとか。

どの曲も“生演奏ならでは・・・”の音で良かった。「金と銀」では、ハープが意外と音量があるな・・・と感心したり、やはりシンバルのシャーンという音はナマでなければ聞けない・・・と思ったり・・・・
(しかし、知られた曲では拍手が大きく、知らない曲では拍手が小さいのは、実に観客が正直な証・・・)

なかなかサービスの行き届いた演奏で、楽団員が日本語で「新年おめでとう」と言ったり、指揮者無しでアンコールにラデツキー行進曲を演奏して、ウィーン・フィルのように、皆で拍手で拍子を取ったり・・・・、なかなか楽しめた。

面白かったのは、最後まで拍手が鳴りやまないので、指揮者が出てきてとうとうコンサートマスターの手を取って連れて帰ってしまった・・・。こんなの今まで見たことがない。実に正月らしい、柔らかな雰囲気のコンサートではあった。

帰り際に貰ったキュ-ピーのカレンダー。帰って見てみると、人参やピーマンの野菜カレンダー。カミさんは要らないと言うが、まあ切符を貰ったお礼に、台所にでも飾っておくか?

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2007年1月 2日 (火)

ウィーン・フィルに女性が居た

元旦恒例の「ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート2007」をNHK TVで見た。ウィーン楽友協会大ホールからの中継である。
夏に行ったホール(ムジークフェラインザール)が色々な角度から写し出されて、そう、そこそこ・・・・・と懐かしかった。
しかしあの黄金に輝くホール全体の色調を(と言うより、照明は電灯色・・・)、かなり押さえた色バランスの絵作りだった。カメラのホワイトバランス調整が大変だったろう・・・。

ここで二人の女性を見つけた。ヴァイオリンとビオラに・・・。“ウィーン・フィルに女性が居るわけがない・・・”と思ったのも、自分の浅はかさ・・・
ネットで検索してみると、既に97年に楽団員の総意で女性の入団が認められように規約が改正されたそうで、ハープ奏者が入団第一号を果たしたという。その後ヴィオラにも採用されたというからホンモノだ。
また団員もウィーンっ子だけと思ったら大間違いらしい。
また、何とブログに“新日フィルのチューバ奏者、杉山康人氏がウィーン国立歌劇場管弦楽団に採用されることになったというニュースをやっていました。(03-6-25)”というからオドロキ。~ネットで調べると、オーディションに合格した、という記述はあるが、ウィーン・フィルに入団した、という記事は見つからなかった。06年にはクリーブランド管弦楽団に入団したらしい・・・

それと、このNHKの番組で“コントラバスの位置が管楽器の後部に配置されるのは、ウィーン・フィル独自の伝統・・・”のような解説があったが、知らなかった・・・
東京公演でもそうだったのかな?

また、オーケストラの左右奥に、観客が座っている。
夏にウィーンに行ったときのコンサートでもそうだった。しかし、これはサントリーホールのような、客席が舞台を囲むビンヤード型のホールなら分かるが、普通の雛壇に観客・・・?
これは、ニューイヤー・コンサートのような、お祭りのコンサートだけの現象なのだろうか・・?
ともあれ、一度は世界の著名ホールには行ってみるもの。なぜか観客も隣人のような気がして来る(失礼)のは、自分の勝手な思い込みなのだが・・・

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