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2006年12月 3日 (日)

宗教による死生観の違い

「梅原猛の授業 道徳」の第12時限「人生をよりよく生きるために 3~感謝と哀れみ」に、宗教による死生観の違いについて書いてあった。面白いので転記してみる。

<日本の神道>
日本の神道といいますか、日本人が昔から信じてきた考えによれば、人間は死んだらどうなるか。人間が死んだら魂が肉体を離れる。霊(たま)とか魂とかいうものが肉体を離れるので、肉体はナキガラ、魂のないカラになる。そして魂はしばらく家のなかにあるカモイ(神すなわち霊のいるところ)に止まって、近くのオヤマすなわち里山(さとやま)に行く。そのオヤマにもしばらくいて、やがて西のほうにあるらしいあの世へ行って暮らす。そこには、一足先にあの世へ行ったお母さんやお父さんがいて、この世と同じように家族単位の生活をしているらしい。・・・・・
あの世とこの世は、あまり変わりがない。ただ、万事が逆の、あべこべの世界です。・・・
人が死んだとき、葬儀屋さんは死者に左右あべこべに着物を着せるでしょう。それはこういう思想によっているんです。・・・・
そうして、例えばこの世のA家とB家の間に子供ができる。すると、その知らせはすぐにあの世へ伝わり、あの世のA家とB家の代表者が相談して、あの世にいるA家とB家の人たちのうちの誰をこの世に送り返すかを決める。この人を返すと決まったら、その人の霊があの世からシューッと飛んできて、妊婦の腹のなかに入って、月が満ちてオギャーと生まれてくる。そういう考え方です。・・・・

<仏教>
・・・浄土宗や浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえれば、となえた人はみな極楽浄土へ行けるという。・・・
しかし、極楽浄土へ行きっぱなしではなく、また浄土から帰ってくる。・・・・法然や親鸞は、行くことと同時に帰ってくることを強調しています。なぜなら、仏教の思想は自利利他だからです。自利だけなら極楽浄土に行きっぱなしでいいんですが、この世に苦しめる衆生がいるかぎりは、またこの世に念仏の行者として帰ってきて、人を救わなければならない。・・・
これが浄土教の考えですが、日本人は死んであの世へ行くのか、極楽浄土へ行くのか、そのところはあいまいにしている、と柳田国男は言っています。・・・

<キリスト教>
キリスト教では、人間が死ぬと・・・・一度は煉獄(れんごく)という、執行猶予のようなところで眠りについている。十字架にかけられて神の国に行ったイエス・キリストは、いつか再臨して、また地上にやってくる。そしてそのときに、最後の審判が行われる。そしてこの世が神の国、天国になる。・・・・
だから、キリスト教ではあの世とこの世の往復運動は一回だけです。この一回の往復運動によって、決定的な裁判が行われる。・・・・
キリストが再来して最後の審判が行われ、やがてこの世が天国になるという考えは、この世で苦しんでいる人々に希望を与える考えです。キリスト教徒は、キリストが死んで百年後にはきっと再臨するに違いないと期待していたんですが、来なかった。では千年後には・・・・・この世は天国にならない。西暦2000年は、文字通りのキリストの再臨を期待している人はいなかった。・・・・
イスラム教もキリスト教とだいたい同じ考え方です。一回だけの、最後の審判がやってくる。・・・コーランのほうが新約聖書よりはるかに具体的です。・・・・

ちょっと長々書きすぎた。
梅原猛氏によると、日本は明治の廃仏毀釈によって神も仏も失った民族という・・・・・。

自分が“その時”を迎えたとき、どう考えるか・・・・・は、恐いので避けて通ることにしよう。


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