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2006年9月24日 (日)

「受け入れる」という事の難しさ

今日(9/24)の日経朝刊(医療欄P11)に「患者の目“熱願冷諦、ラベルに挑む” 声楽家 原田隆一氏」というコラムが載っていた。(いつも、記事の引用で恐縮だが・・・・)
曰く・・・・

 「闘病記」などと使われるように、病とは闘うものであろう。だが、脳卒中などの後遺症は、闘って消え去るものではない。自分の属性となり、受け入れるしかないのである。受け入れるとは、あきらめに通じるものかもしれない。
 失くしてしまった言葉を追いかけても戻ってこない現実は、確かに受け入れるしかなかった。しかし、その一方で、やみがたい舞台復帰への情熱は、胸の奥で燃やし続けてきた。
 数多くの舞台をこなしていたころの信条は「熱願冷諦(ねつがんれいてい)」だった。本番に臨むまではひたむきに取り組むが、実際の舞台の出来は、良くも悪くも冷静に受け入れよう、というものである。
 失語症になり、再びこの言葉を思い出した。意味を転じてはいるが。冷静に、現実を受け入れ、失くしたものはあきらめ、音楽にはひたむきに情熱をかける。そんな思いを固めたころ、「脳と音楽」という本を読んだ。・・・・・・

「あきらめる」という言葉の重さ・・・・。(別に病気だけでなく、あらゆる事に通じているが・・・・)
仏教で言う「こだわりを棄てる」という考え方にも通じているが、“現実を静かに受け入れる”事が出来たら、どんなに心が平静で居られるだろう・・・・。
自分はまだまだ日常的に“闘争的”である。そんなはずはない・・・と。

良くカミさんが「何事も“逃げる”か“闘う”か“我慢する”しかない」と言う。ここで言う“我慢”は“あきらめ”に通じる。“あきらめ”て現実を受け入れる・・・・

なかなか現実を受け入れていない自分。だから、いつも心が平静でない・・・?
「何でも(体調等・・)自分の思い通りになると思っているでしょう?」とは、ある医師に言われた言葉。
色々と模索しているものの、心(=人間)というものはそう簡単に変われるものではないようだ。
いつになったら全て(現実)を受け入れて、「負けるが勝ち」の静かな心境に到達できるのだろうか・・・・


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