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2006年9月の13件の記事

2006年9月29日 (金)

今日から階段を使うぞ・・・・?

昨夜、元の会社の同僚と飲んだ。その時にある男が言った。

「俺に自慢をさせてくれ。俺は土日に、合計で40K歩いている。3カ月位前に、体調が悪かったので歩くことにした。最初は30分で心臓がバクバク言ったが、最近は体重が10Kも減り、体調が非常に良い。太り過ぎが原因だった。土日は、早足で朝6時から3~4時間掛けて20Kを歩く。帰るとヘトヘトで昼寝をすると直ぐに夕方・・・。目標はホノルルマラソンだ・・・」

皆で「幾ら何でもそれはやり過ぎだ」と言ったが、靴から腕の万歩計から本まで・・・、本人は“歩き”に夢中になっている。

自分の場合は、別の友人に「歩くことは大切。夫婦で散歩をしろ」と言われて始まってはいるが、カミさんに土日に背中と蹴飛ばされて散歩しても、(犬のペースに合わせる為)最大でせいぜい1時間、3Kだ。

通勤の時も、いつの間にか頭の中で“駅の中でどの様なルートを通れば一番階段を使わなくて済むか・・?”なんて計算している・・・・

しかし自分も今日、昨夜の話を思い出して心を入れかえた。

会社を引き上げる時に、「もう階段は使わない。でも徐々に・・・・。最初は降りることから始めよう」と決心し、6Fから階段を使って1Fまで降りてみた。そしたら全く疲れない・・・。

“そうか、登るときが重要なんだ”と思って地下鉄の駅に着き、ハッと思ったら下りのエスカレータに乗っている・・・・。

“何なんだ俺は・・・・”と自分に怒ったが、“まあ下りの階段はあまり意味がないのだ・・・”と考え直して、正気に戻った。

東京駅では“1番線はエスカレータしか無いので仕方がない”といつもの通りにエスカレータに乗ったが、ハッと気が付くと隣を皆スタスタとエスカレータを登って行く・・・。(関東ではエスカレータの左側は黙って乗る人。右側はエスカレータでも階段のごとく登る人・・・。~関西では左右逆のようだが・・・)

つまり、何とか自分に言い訳をして階段を登らないようにしている自分がここに居る。

何を“決心”しても底が浅い自分を、今日改めて確認した。

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2006年9月28日 (木)

「般若心経」と「穏やかな心」

今朝の通勤電車の中で、久しぶりに柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」を聞いて、心が穏やかになった。
“聞いた”というのは、05年10月放送のNHKハイビジョン特集「いのちで読む“般若心経”生命科学者・柳澤桂子の世界」の番組の最後に放送された、「生きて死ぬ智慧」の全文朗読の部分を録音し、MP3化しておいたので、それを携帯デジタルプレヤーで聞いた。という意味である。

この番組の内容をリンクしようとHPを探していたら、何とそのものを聞けるサイトが見つかった。下記サイトの「■ いのちで読む般若心経ビデオ」をクリックすると映像付きで聞ける・・・。まさにこれだ。
http://a2.atnifty.com/mt/archives/000378.html
(このサイトが閉鎖されたようなので(ここ)にリンク)

この朗読は素晴らしい。心に滲みる・・・・。心が穏やかになる・・・・。

2年ほど前から「般若心経」を自分のものにしようと色々とやってはいる。2年前に暗唱だけはした。しかしどうも自分は、ただその回りをグルグルと回ってばかりいて中に入れていないような気がする。
柳澤さんの「生きて死ぬ智慧」は、柳澤さんなりの般若心経の解釈だが、小生も少しずつこのサイトで“自分なりの「般若心経」の解釈”をして行こうかな・・・と思ったりした。

結局「自分は何を求めているのか?」というと、それは「穏やかな心」なのかも知れない。
(日常、自分がいかに“穏やかでない心”で生活しているかの現れだが・・・)

(関連記事)
「生きて死ぬ智慧」のDVD BOOKが出ていた

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2006年9月24日 (日)

「受け入れる」という事の難しさ

今日(9/24)の日経朝刊(医療欄P11)に「患者の目“熱願冷諦、ラベルに挑む” 声楽家 原田隆一氏」というコラムが載っていた。(いつも、記事の引用で恐縮だが・・・・)
曰く・・・・

 「闘病記」などと使われるように、病とは闘うものであろう。だが、脳卒中などの後遺症は、闘って消え去るものではない。自分の属性となり、受け入れるしかないのである。受け入れるとは、あきらめに通じるものかもしれない。
 失くしてしまった言葉を追いかけても戻ってこない現実は、確かに受け入れるしかなかった。しかし、その一方で、やみがたい舞台復帰への情熱は、胸の奥で燃やし続けてきた。
 数多くの舞台をこなしていたころの信条は「熱願冷諦(ねつがんれいてい)」だった。本番に臨むまではひたむきに取り組むが、実際の舞台の出来は、良くも悪くも冷静に受け入れよう、というものである。
 失語症になり、再びこの言葉を思い出した。意味を転じてはいるが。冷静に、現実を受け入れ、失くしたものはあきらめ、音楽にはひたむきに情熱をかける。そんな思いを固めたころ、「脳と音楽」という本を読んだ。・・・・・・

「あきらめる」という言葉の重さ・・・・。(別に病気だけでなく、あらゆる事に通じているが・・・・)
仏教で言う「こだわりを棄てる」という考え方にも通じているが、“現実を静かに受け入れる”事が出来たら、どんなに心が平静で居られるだろう・・・・。
自分はまだまだ日常的に“闘争的”である。そんなはずはない・・・と。

良くカミさんが「何事も“逃げる”か“闘う”か“我慢する”しかない」と言う。ここで言う“我慢”は“あきらめ”に通じる。“あきらめ”て現実を受け入れる・・・・

なかなか現実を受け入れていない自分。だから、いつも心が平静でない・・・?
「何でも(体調等・・)自分の思い通りになると思っているでしょう?」とは、ある医師に言われた言葉。
色々と模索しているものの、心(=人間)というものはそう簡単に変われるものではないようだ。
いつになったら全て(現実)を受け入れて、「負けるが勝ち」の静かな心境に到達できるのだろうか・・・・

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2006年9月21日 (木)

西城秀樹の脳梗塞

朝日新聞(生活欄)で19日から「患者を生きる 脳卒中 ヒデキの闘い」の連載が始まった。
今51才の西城秀樹が、03年6月に脳梗塞を発病し、慶応大学病院に入院したという。とすると、48才の時だ。
しゃべれなくなり、歌えない。そこからの闘病記録である。
昨日(9/20)の第2回の最後にこんな事が書いてあった。

・・・その自分が、なぜ脳梗塞なのか。よりによってなぜ、声に障害が出るのか。いっそ死んでしまった方が良かったんじゃないのか・・・・。深夜、ベッドの中で自問自答を続けながら、泣いている自分がいた。
ひとり患者になって初めて、西城さんは自分の弱さと向き合ったのだった。

最後の一言が滲みた・・・・。
同じ朝日新聞(都内)に折り込まれてきた「定年時代」という冊子(9/19)に女優の小山明子さんの「大島監督の介護に従事 自らのうつ病克服」という記事が載っていた。
うつ病から復活するまで4回入院し、女優復帰に10年かかったという。

知っている人が突然の病気で倒れる・・・・
また、大島渚監督といい西城秀樹といい、どちらも突然の脳卒中・・・・。

自分もその内、突然の病魔に冒される事も当然あるわけで、その時にこそ西城秀樹と同じく“自分の弱さ”と否が応でも向き合うことになる。
ここに、自分の弱さに愕然とする自分が居る。
人間、強くなるにはどうしたら良いのだろうか・・・

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2006年9月19日 (火)

土屋賢二氏のウィットに感服

会社の帰り道、フト思い立って東京駅の本屋に寄って“土屋賢二”の本を探してみたら、あった。文春文庫に十冊くらいが列んでいる。 「われ笑う、ゆえにわれあり」という本を買ってみた。97年11月 第1刷で、06年8月 第16刷とあるので大分売れているらしい。

駅から家までのバスの中で、少しだけ読んでみようとめくってみた。最初の「今日からタバコをやめられる・・・」を読み始め、そして唸った。曰く・・・・

・・・禁煙の方法にはいろいろあるが、・・・あまり意識しすぎるな、ということである。・・・これはちょうど何かを忘れようとしすぎるあまり、いつも「忘れなくちゃいけないのは何だっけ」と確認する結果、記憶に深く刻まれてしまう場合に似ている。・・・・

・・・・ほかに負担のかからない禁煙法として、タバコを軽い銘柄のものに替えていき、しまいには人の吸った煙、煙突の煙、スモッグ、亜硫酸ガスなど、有害なものであれば何でも・・・

・・・・本数を減らしていく禁煙法もあるが、・・・・1日10本にしようと決めた場合、・・・「明日の分を5本にすればいい」と考えて今日15本吸ってしまう、という前借り方式を採用することになり、・・・・次第に今吸っているのが何百年先の分か覚えておくのが困難になる・・・

・・もう一つおすすめできない方法として、食後の一服に限るというのがある。・・・この方法だと食事の回数が1日20回にも増えてしまい、かえって身体に良くない。・・・

きわめて効果的だが非現実的な禁煙法もある。それはタバコよりももっと習慣性の強いもの、覚醒剤、麻薬、かっぱエビセンなどに切り替える方法である。・・・・・

・・・動物実験をするまでもなく、タバコが動物に有害であることは予想できることである。その証拠に、タバコを好んで吸う動物は一匹もいないのである。それどころか、身体の構造がそもそもタバコに適していない・・・・・口の構造がタバコをくわえにくくなっているもの(ワニ、ツル・・)、そもそも口があると言えないもの(ミミズ、アメーバ、貝など)、棲息する場所が喫煙に不向きなもの(魚、イソギンチャク、大腸菌など)・・・・

くだらないというか、バカバカしいというか・・・
バスの中で、一人ニタニタしている自分に気が付き、ハッと回りを見回した。誰も見ていないので安心して、また続きを読んでいたら、何と何年も一度たりとも乗り過ごしたことのないバス停を危うく行き過ぎそうになって、あわてて降りた。

本というモノは、読むと何かが自分に残るものである。しかし、まだ最初の1節しか読んでいないが、この本は何も残らない予感がする。それと同時に、東京駅の本屋に列んでいた“土屋賢二”の本をみんな買ってしまう予感もする・・・・・。
こんなくだらないことに時間を使いたくはないが・・・・。これも麻薬の一種だろうか・・・・?

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2006年9月16日 (土)

由紀さおりの軽妙なトークに感心

昨夜、NHKホールで行われた“BS永遠の音楽「叙情歌大全集」”(10/9 午後8時 BS2で放送予定)の公開録画に行った。
2時間半の観覧だったが、由紀さおりのそれはまあ軽妙な司会ぶりに感心した。
本人が自分の事を「シンガーソングコメディアン」と言っていたが、まったくその通り。

歌は叙情歌という事で、由紀さおり・安田祥子、ペギー葉山、白鳥英美子、サーカス、ダ・カーポ等が出演した。全部で40曲。
席が前から4列目の格好の場所だったこともあり、目の前の歌手はもとより、カメラの動きやディレクターの動き等、番組収録の裏舞台をかいま見る事ができた。
(席はむしろ時間ぎりぎりに行った方が、かぶりつきの前の席になるようだ)

しかし歌手はさすがプロ。(ペギー葉山が「夏の思い出」をワンテンポ早く歌い出し、やり直しになったが全く動じない。顔色ひとつ変えず、それは堂々たるもの)
一緒に行った兄貴の評=歌手は表情が良い。楽しんで歌っている。歌手は長生きするはずだ・・・・。

観客はすべて年輩者。若者は誰もいなかった。まあ番組の内容的にはそうだが・・・
(しかし、歌を聞いて楽しむのは良いとしても、隣の席のご夫婦が歌の思い出話に興じているのには参った。コンサートは黙って聴くのがエチケット、と思っていたが、本番中のペチャペチャは困ったもの)

由紀さおりが「歌詞の中で“お母さん”という言葉は良く出てくるが、“お父さん”は“お母さん”の付け足しで出る位で、単独で出ることはまずない」と言っていたが、その紹介ぶりの軽妙なこと・・・・。(放送されるかどうかは分からないが・・・)
まさに次女だ。
それにひきかえ、長女の安田祥子の落ち着き・・・。ネットで見ると(童謡歌手だった頃は別として)芸大大学院出のオペラ歌手で芸大講師だったというが、まさに経歴が雰囲気を物語っている。
(でも失礼ながら、安田祥子は65。由紀さおりもそろそろ還暦近いのに・・・・・)

しかしつくづく年齢とは別に、「人間好きなこと(天職?)をやっていると、何時までも若いものだ・・・」という事を感じた。
自分も小さくまとまってしまうのには、まだ早いかな?と思ったりして・・・・。

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2006年9月14日 (木)

鮫島有美子のロシア民謡「鶴」

鮫島有美子のCD「ともしび ロシア民謡をうたう」というアルバムの第1曲目に「鶴」という歌がある。これは、歌も編曲も素晴らしいので良く聴く。しかし、(このCDには20曲も収録されているが)他の曲は全く聴かない。
CDを買うと、普通は入っている曲を色々と聴くものだが、このCDはその内の1曲だけしか聴かない。結果としてこのCDは、自分にとって「鶴」という曲の為にだけあるようだ。
しかし「もったいない」という気が全くしない。これは非常に重大なことで、自分にとってこの1曲がCD1枚分の価値があるという事を示している。このように、ひとつでも“光るもの”があると、全体が光って見えるものである。少しだけ聞いてみよう。

<鮫島有美子の「鶴」>

待てよ・・・・?
たくさん光っているという事は、全体が光っているのであり、結局何も目立たない・・・。つまり光ったものがない・・・?
やっぱり自分は“単なる凡人”ということか・・・・・??

(関係記事)
ロシア民謡「鶴」の国内唯一?のCD
ロシア民謡「鶴」は広島の原水禁大会がきっかけ・・ 

「鶴」
 作詞:フェオクチーストフ/訳詞:中村五郎
 作曲:フレンケリ/編曲:青木望
 指揮:青木望/演奏:室内オーケストラ

1)空とぶ鶴の群れの中に
 あなたはきっといる
 きっと このわたしをまっている
 激しいたたかいの日も 空に群れてとぶ
 美しい鶴の群れ あなたはそこにいる
 ルルル・・・

2)いくさにいのち捨てても
 死んではいない
 あなたはきっといる きっと生きている
 このわたしを待っている
 激しいたたかいの日も 空に群れてとぶ
 美しい鶴の群れ あなたはそこにいる
 ラララ・・・

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2006年9月13日 (水)

松井“ゴジラ”は偉い!

今晩21:00のNHKニュースでもトップで紹介していたが、松井ゴジラがヤンキースでの復帰戦で4打数4安打を打った。しかし、“だからエライ”と言っているのではない。
彼の生き方・スタンスがエライと言っているのである。

朝日新聞夕刊(P17)の「鮮烈復活 松井秀大暴れ 待望の瞬間 手応えの笑み」という記事の中で、こう書いてあった。

・・・・・32年の人生で初めての骨折。全治3カ月の診断だったのに、8月に入っても両手での打撃練習が許されなかった。
 だが松井は復帰を焦ることも、逆に絶望することも無かった。「いつ戻れるとか、来年まで戻れないとか考えず、その時できることを一生懸命頑張ってきた。やり残したことはない」。・・・・・

“今を真摯に生きる・・・”
仏教がまさに教えていることだが、これがどれほど大変な事か・・・・・、そしてどれほど難しい事か・・・・・。

自分など、どれほどトシを取っていても、足下にも及ばないな。
・・・・と言って諦めてしまうのが一番の問題だ。

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2006年9月12日 (火)

人生における“勝ち”と“負け”

自分にも、そろそろ「定年(=還暦~ゾッとする言葉だが・・・)」という言葉が(自分の意志とは関係なく)ひたひたと近づいてくる(人生が見えてきた?)、イヤな感じのこの頃ではある。

いつだったか父の法事の時に、こんな事を言った事があった。
「自分は子供の時から兄貴と対抗してきた。中学の時の成績は俺が勝った。しかし高校の成績は負けた。大学受験(ランク)も負けた。しかし兄貴がサラリーマンから脱落した事では、(最後まで勤めた)俺が勝った。しかし兄貴が何とかいう国家資格を取ったのには負けた。それから数十年。そろそろ先が見えてきた今、俺は勝ったのかな?負けたのかな?・・・・」
その時に、お袋が間髪入れずに大きな声で言い放った。
「あんたは勝ったのさ。子供を育てたという事だけで勝ったのさ。兄貴には結局子供が出来なかったけど、あんたはちゃんと子供を産んで育てたじゃないか・・・・」

こんなにトシをとっても、(当たり前のごとく)いつも兄貴の事務所に行っては昼飯を奢らせているが、それに対してカミさんが言う。「いつまで奢ってもらっているの?良いオトナが・・・」
でも俺は言う。「兄貴は永久に兄貴だ。だから、いくら奢らせてもちっとも負い目は感じないのさ。金が余っているヤツには奢らせれば良いのさ・・・・」

(やはり自分は兄貴に負けたのだろうか・・・・)
少なくても、リタイア(定年)のない兄貴に対し、自分も負けずに“生涯現役”を貫きたいものである。

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2006年9月10日 (日)

映画「蝉しぐれ」を見た

DVDを借りようと思っていた映画「蝉しぐれ」だが、試聴のWOWOWで放送する事が分かり、見た。(9/10 20:00~)
藤沢周平の名作だが、自分としてはNHKドラマの「蝉しぐれ」の印象があまりに強く、まさにNHKドラマの“復習”となってしまった。

幾多の名作が映画化・ドラマ化されているが、その扱いというか捉え方というか・・・が非常に難しい。
この映画も、2時間という時間の制約もあっただろうが、自分としては全ての点でNHKドラマの方が良かった、と思った。

原作が光っている場合、映画が光る場合、TVドラマが光る場合、と色々あるが、この「蝉しぐれ」だけはNHKドラマがやはり良い。

思い浮かぶ“原作が光っている”例としては、山田 宗樹の「嫌われ松子の一生」。たまたまカミさんが本を買ってきて、面白いからと押しつけられたが、アットいう間に読んでしまった。
その後映画化されたことは知っているが、何かおチャラけた雰囲気が馴染めず、映画は見ていない。せっかくの原作のイメージを壊したくないので・・・。

“映画が光っている”例としては松本清張の「砂の器」がまず頭に浮かぶ。キャストといい、映像といい、音楽といい、全てが素晴らしく、昔はサントラのLPを買って、メインテーマの“ピアノ協奏曲「宿命」”を良く聞いたものだ。

“TVドラマが光っている”例としては、この「蝉しぐれ」や宮尾登美子の「蔵」が頭に浮かぶ。(これもサントラのCDを買ったっけ・・・)
どれもNHKならではの力の入れようで、映画と変わらない作り方・・・。

本当は「後から見る方がもっと良かった・・・」というのが、楽しむ上では原理的に一番良いのだが、そううまくは行かない。
TVドラマを見て、後から出来た映画を見たら、もっと良かった・・・・。というのが“損した”という事もなく、一番平和なのだが・・・

自分は別に評論家ではなく、TVも好きだし映画も好きだが、付き合わせるカミさんとの感覚が大体同じなことだけは、助かる。
違っていると、映画に行くたびに(そうそう行くわけでは無いが)“良かった”“良くない”とケンカをする羽目になるので、困るのである。

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2006年9月 6日 (水)

吉田茂とサンフランシスコ講和条約

NHK総合で放送した番組「その時歴史が動いた ~シリーズ  日本独立  その光と影~吉田茂とサンフランシスコ講和条約~  <後編>」(9/6 22:00~22:43)に感動した。
サンフランシスコ講和条約に漕ぎ着けるまでの吉田首相の苦労と、講和会議におけるアジア諸国の悲痛な叫びに・・・・・。

我々団塊世代にとって、“安保反対”という言葉は、内容は良く分からないものの青年期に良く聞いた言葉であった。
この番組は、それに至った吉田の“国を背負った苦悩・責任”を良く説明していた。

国の復興を目指しての、この吉田の類い希なリーダーシップ・・・。(ある意味“独断”だが・・・)
全ての組織のトップは(会社でも・・・)、それぞれに同様な立場で“決断する”宿命を負うが、吉田の負ったミッションはそれとはあまりにスケールが違い過ぎる。
当然、今の日本があるのもこの様な大人物の存在・実績の上に成り立っているが、政界引退後の、いわゆる「大磯」の存在も、時代背景的に必然だったと、今更ながら納得した。それほどの大人物だったのだろう。

そして特に印象に残ったのが、講和会議での日本が侵略したアジア諸国の悲痛な叫び・・・。
フィリピン・ロムロ代表の演説:
「あなたがたが我々に与えた傷は、どんな黄金やこの世のものをもってしても、元に戻せるものではない。しかし、運命は我々を隣人にした。我々は共に平和に生きるほかはない。そのためには我々が許しと友情の手を差し伸べる前に、日本には心からの悔恨と生まれ変わる証拠を示して欲しい」

侵略国日本に対し、憎しみ以外の何ものも無いであろうに、感情を抑え、全く発言権のない敵国・敗者の日本に対して、何という寛大な言葉だろう。この発言に日本は救われ、52か国中49か国が調印して条約は成立、日本は独立したという。

やはり重要なのはヨーロッパでなくてアジアだ。
タイ、ベトナム、台湾、オーストラリアには行った。今度はぜひフィリピンに行って、たくさんのお金を落としてこなければいけないな、と思った。

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2006年9月 3日 (日)

余命3カ月 藤田憲一氏の生き方

今日(9/3)の日経朝刊(P15)に、「“マイバランス” nci社長 藤田憲一さん 胃がん再発、余命宣告3カ月。最期まで世の中へ貢献貫く」というコラムが載っていた。
今年1月に、悪性度の高いスキルス胃がん再発の告知を受けたという。余命3カ月と。

・・・「そんな短期間では何もできない」と絶望しましたが。ふと思い直して「いつ時間切れになったとしても、何か意味のあることを精いっぱいにやればいいじゃないか」と思えた途端、力とアイデアがわいてきました。・・・・
・・・私はあくまで自分の生に執着したいと思っています。寝たきりで痛みをこらえながらその時を待つのではなく、最後の最後まで世の中に貢献できることをしたい。末期がん患者はモノではなく人間なんだと伝えたい。・・・・

ネットで検索してみると、出版ブログ等で非常に有名な方のようだ。
しかし強い。こんなに、人間として強い人も居るのか・・・と、唸ってしまった。

自分なんて「一番恐いのは死・・・」「恐いから死のことは考えないで避ける(逃げる)」「どんなささいな病気になっても、それに囚われてしまってそれだけで頭が一杯になるので、さすがのカミさんも呆れてしまって相手にしてくれない」のが現実。

避けられない“死”であるだけに、自分だったらその時、それにどう立ち向かうのか・・・・。想像すらできない・・・。
急に自分があまりに小さな人間であることに気が付いた。

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2006年9月 1日 (金)

山崎ハコのコンサート番組を見た

さっきまで、NHK BS2で山崎ハコのコンサートの番組(フォークの達人)をやっていて、D-VHSにデジタル録画できた。
自分にとって山崎ハコは幻のシンガーであった。つまり、めったにTVで見る機会が無いため、今日の番組では知っている曲は少なかったものの、まさに貴重な番組であった。

思い起こせば、自分が山崎ハコを初めて聞いたのはちょうど10年前である。こんな世界もあるのか・・・と、CDを集めたものである。聞くと、デビューが1975年だったというから自分は新参者。
新しい世界に入るのが苦手の自分だが、とにかく音楽の世界だけでも、“世界は広い・・・・・”。

また伴奏の安田裕美の柔らかなギターの音色が、また素晴らしい・・・。
ところで・・・と「安田裕美」をWikipediaで見てみたら、何と山崎ハコの夫だという! これまたビックリ。

この山崎ハコと安田裕美の演奏で「望郷」を少しだけ聞いてみよう。

<山崎ハコ(安田裕美)「望郷」>

「望郷」
 作詞・作曲:山崎ハコ

 青い空 白い雲 菜の花の小道を
 かけまわり ちょうちょとり遊んだふるさと

 まっ白な 霧の中 神社の石段を
 かけ上がり 手を合わせ泣いてた小さな子

 淋しくて 悲しくて 出て来た横浜
 やさしいと 思ってもみんな他人さ

 いつの間に こうなった 鏡の中には
 知らん人 疲れた顔で悲しげに笑ってた

 帰ろうか 帰ろうか 田舎のあの家へ
 青い空 白い雲の田舎へ帰ろうか

 あの家へ帰ろうか あの家へ帰ろうか
 あの家はもうないのに

番組の中で、山崎ハコが子供の時に一番感激したのは、ピンク・フロイド(Pink Floyd)のロックだと言っていた。
「中学校の時に、兄貴の持っていたレコードを内緒で聞いていたが、その中で心が止められないぐらい震えたのがロック。中でもピンクフロイドが好きで、ピンクフロイドの曲の中には自分が触れるフレーズが必ずある」と言っていた。

“そうか、山崎ハコと自分とはピンクフロイドで繋がっていたのか・・・”と勝手に思って、急に他人とは思えなくなった山崎ハコではある。

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