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2006年7月15日 (土)

これからの“SOS”は観音さま

中村元の「仏典をよむ(3)~大乗の教え(上)」も第18回になり「観音経」である。
15~17回の「法華経」は正直分からなかった。日本仏教思想の主流にあるという法華経だが、凡夫には難解だ。
それに引き替え、「観音経」は分かり易い。
「観音経」は、「観世音菩薩普門品第二十五」(法華経の第二十五章)を独立の教典として扱ったもの、と聞いていたが、元来単行教典であったものが中国で「法華経」に吸収されたという。

この教典の趣旨は簡単。
「観音さま・・・」と唱えれば(すがれば)どの様な状況(七難・・・等)でも観音さまが助けに来てくれる、というもの。
ストーリーは、無尽意(むじんに)菩薩が世尊(ブッダ)に観音菩薩について色々と聞く・・・、という形を取っている。
観音というのは衆生の音を聞く事・・・。(確かに、目で見るよりも音で聞く方が広い範囲をカバーできる。たまたま今、外は雷が鳴って雹と共に、にわか雨が降ってきたが、雷鳴は大分前から鳴っていた。でも目で見える範囲は庭だけ・・・。ナルホド・・・)

救ってくれる七難(外部からの災難)とは、
1)火=火災
2)水=インドの洪水・・
3)羅刹(らせつ)=鬼~宝物を求め大海に繰り出し、暴風雨に遭って遭難して鬼(羅刹)のいる国に流されても、誰か一人でも観世音菩薩の御名を唱えれば全員羅刹の難を逃れる。
4)刀杖(とうじょう)=人から害せられようとしている時に、観世音菩薩の御名を唱えればその悪漢が振りかざした刀などの武器は粉々に砕けてしまう。
5)鬼=夜叉(人に害をなす半ば神のような神霊)や羅刹などが来て、人を悩まそうとしたときに、観世音菩薩の御名を称えるのを聞いたならば、この悪鬼はへこたれてしまって、悪い目をもってこれを視ることさえもできない。もちろん害を加えることなどできなくなる。
6)枷鎖(かさ)=捕らえられて手枷(かせ)足枷をはめられて拘禁束縛されている場合でも、観世音菩薩の御名を称えると、免れるであろう。~これは罪のある人も無い人も同じであるという。ここで、罪のある人が逃れられるのはおかしい、という考え方もあるが、インド奥地の盗賊は義賊が多く、お金持ちから奪って貧しい人に配るのだという。

7)怨賊(おんぞく)=怨みをいだく賊が満ちているなか、隊商を率いて進んでいる時に、皆で観世音菩薩の御名を称えると、賊から免れるであろう。

また人間の根本にある三つの毒(内部からの災難)から離れることができる、という。
三つの毒とは、
1)
淫欲
2)
瞋恚(しんに)=怒り、憎悪
3)
愚痴=迷い、迷妄

また観音さまを拝むと子宝に恵まれるという。
男の子が欲しいと思って礼拝供養すると、福徳と智慧がそなわった男の子が生まれるであろう。
女の子が欲しいと思うならば、容姿端麗な多くの人に愛され、敬われるような女の子が産まれるであろう。

しかも、多く寄進した人の功徳と、チョットだけ拝んだ人の功徳には区別が無いという。
また観音さまは、相手に応じて相手の姿で(三十三身)教え導いてくれる、という。

ここまで聞いて、無尽意菩薩は自分の首飾りを観音菩薩に法施として差し出したが観音菩薩は受け取らない。
見かねて世尊が横から助け舟を出して「とにかくみな生きとし生けるもののためにこれを受けなさい」とアドバイス。
それで観音さまはその首飾りを受け取って二つに分け、一つはブッダに差し上げ、一つは多宝仏の塔に奉った。

・・・・・という物語でした。

何のことはない。観音経の勝手な解説をしてしまった・・・・

しかし今頃気が付いた。
十一面観自在菩薩像」というのがあるが、良く見るとこれは怪物だ。しかしその意味(人々のさまざまな苦難に対応するため、すべての方向に顔を向けた観音)を考えると、ナルホドと納得した。
俺の信仰心もまだまだだな、と思うこの頃である。


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