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2006年6月の19件の記事

2006年6月30日 (金)

ブッダの教える「妻」像

中村元の「仏典をよむ」の2冊目、第8回の続き。「シンガーラへの教え(1)人間関係」

6/21に妻に対する夫の心構えを紹介したが、ここでは「夫に対する妻の心構え」について紹介してみる。

曰く
「妻は次の五つのしかたで夫を愛する」
「すなわち妻は、(1)仕事をよく処理し、(2)眷属(けんぞく)をよく待遇し、(3)道を踏みはずすことなく、(4)集めた財を保護し、(5)為すべきすべての事がらについて巧妙にしてかつ勤勉である。(30)」

解説として、
(1)仕事をよく処理し、
は、当時は妻は夫の仕事を助ける家内工業、あるいは小さな店を開いている信徒が多かったですから、夫の仕事を良く処理するということです。
(2)眷属(けんぞく=血のつながりのあるもの。親族。)をよく待遇し、
は、親戚あるいは仲間内、その人々を良く待遇して、それで衣食に不自由のないようにしてあげる。
(3)道を踏みはずすことなく、
は、妻は夫以外の男を心のなかでさえも思わない、その倫理を言っている。
(4)集めた財を保護し、

は、夫婦ともに苦労して財を集めたのですから、無駄遣いをしないで大切にする。
(5)為すべきすべての事がらについて巧妙にしてかつ勤勉である。

これについてのコメントは書かない。
なぜならば、それでなくてもビミョーな我が家で、何を書いても(ウソは書けないので)いつか嵐が吹き荒れるのは火を見るよりも明かであり、そのような割が合わないことをする訳にはいかないのである。

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2006年6月27日 (火)

松井秀喜の「運命論」

今朝(6/27)の日経(P32)に「ヒデキマツイ2006」というコラムが載っていた。曰く・・・

「・・・前回の紙面で「けがは運命だから仕方ない。あとはけがをどうプラスに持って行くか」という言葉を紹介した。「運命」という2文字に、ある種の松井的精神スタイルを解くカギがあるような気がした。
「運命という以上、けがは起きるべくして起きたと思っているの?」
「最初からそう決まっていたんだって思う以外ない。神様がそういう風にコントロールしたのかもしれないって思えば、いいわけであって。・・・」
野球場という空間には幸運と不幸が無数に散らばっている。「もし」と100万回考えても、「解」のない方程式に挑むようにむなしい。ならば現実をさっさと受け入れてしまおう。大切なのは次に何をするか。「ある意味、運命論者なのかも知れない。すべてがそうなるべきだったというか、そうなるようにできてたっていうか、そう考えるのが一番簡単。そうすれば受け入れやすい。あのときこうすればよかったとか、そういう風に僕は考えない」
 松井の運命論とは運命の流れに身を任せるという受動的なものではなく、逆に野球の戦略上欠かせない積極的な創意に思えた。・・」(2006/06/27付「日経新聞」p32より)

仏教(般若心経等)では、「空(くう)」の思想で「こだわるな」「執着するな」を徹底して教えている。いわば固定概念の否定である。

(確かに数億年レンジで考えると、全てが“無”であることは理解できるが・・・。~ 幾ら立派な“鉄筋コンクリート作り”であっても数億年たてば崩壊して無くなってしまう・・・)
また仏教(般若心経等)では「縁起」(あらゆる現象はそれぞれの関係性の上に成り立っている)も教えている。

これら松井選手の言葉を聞いていると、まさに仏教的な発想(空の思想)を感じる。
大きな声では言えないが、実は小生はこの松井選手と、ある“縁”で結ばれている・・??
それなのに、なぜ自分は全ての事に大いに“こだわって”毎日を過ごしているのか?
これは永遠のナゾである。

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2006年6月24日 (土)

ブッダの教える「友人関係」

中村元の「仏典をよむ」の2冊目、第9回。「シンガーラへの教え(2)~生きていく道」

「仏教」は死んだ人の為にあるのではなく、生きている人が、“いかに生きて行くべきか”を教えているが、パーリ語(インドの古典語)の仏教聖典の中に伝えられている「シンガーラへの教え」は、在俗信者の実生活の指針を述べたものとして有名とか?

ここでは「人間一般が心がけねばならない事」についても教えている。
そこでブッダは「友人関係」についてどう教えているか?

次の四種は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。
すなわち、(1)何ものでも取って行く人 (2)ことばだけの人 (3)甘言(かんげん)を語る人 (4)遊蕩の仲間 は敵であって、友に似たものに過ぎないと知るべきである。
(15)

さらに詳しく述べている。
(1)何ものでも取って行く人
「何でも品物を選ばずに取って行く」「わずかの物を与えて多くの物を得ようと願う」「自分の利益のみを追求する」
(2)ことばだけの人
「過去のことに関して友情を装う」「未来のことに関して友情を装う」「利益になることを言って取り入る」「なすべき事が眼前に迫ってくると、都合が悪いと言って逃げてしまう」
(3)甘言(かんげん)を語る人
「相手の悪事に同意する」「善事には同意しない」「その人の面前では称賛し、その人の背後、その人のいないところではその人を悪く言う」
(4)遊蕩の仲間
「もろもろのお酒など、怠惰の原因にふけるときの仲間」「時ならぬのに街路をぶらつき回る仲間」「祭礼・舞踏などの賑やかな集まりがあるときに入り込んでいる仲間」「賭博など遊惰な事がらにふける仲間」

(これが本当なら、会社の同僚など、全員「(4)遊蕩の仲間」ではないか・・・!)
では、ほんとうの友とはどういうひとであるか?

これらの四種類の友人は親友であると知るべきである。
すなわち、(1)助けてくれる友 (2)苦しいときも楽しいときも一様に友である人 (3)ためを思って話してくれる友 (4)同情してくれる友 は親友であると知るべきである。あたかも母がおのが子をいつくしむがごとく
(26)

さらに詳しく述べている。
(1)助けてくれる友
「友が無気力なときに守ってくれる」「なすべき事が起こったときに必要とする二倍の財を寄付してくれる」
(2)苦しいときも楽しいときも一様に友である人
「彼に秘密を告げてくれる」「彼の秘密を守ってくれる」「彼が困窮に陥ったときも彼を捨てない」「彼のためには生命をも捨てる」
(3)ためを思って話してくれる友
「悪を防ぐ」「善に入らしめる」「まだ聞かないことを聞かせてくれる」「天に至る道を説いてくれる」
(4)同情してくれる友
「その人の衰えるのを喜ばない」「その人の繁栄を喜ぶ」「他の人が彼をそしるのを弁護してくれる」「他の人がその人を称賛するのを広めてくれる」

ブッダは前563年生まれと言われているが、この時代は日本でいうと縄文時代から弥生時代である。この時代に既にこのような事を教えているのはオドロキである。(もっとも仏典はその後相当経ってからの成立だが・・)

ちなみにブッダの教えで、自分を反省してみると、
・自分はとうてい誰の友でもない(特に自分は「遊蕩の仲間」以外の何者でもない)という事が分かった。
・逆に、自分の周りは「親友だらけ」だという事が分かった。
(~と同時に、つくづく自分はサラリーマンで周りを意識してしまい、本当のことが言えない人間だ・・・という事も分かった)

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2006年6月21日 (水)

ブッダの教える「夫」像

中村元の「仏典をよむ」も2冊目、第8回になった。
今日の電車の中で読んだのは「シンガーラへの教え(1)人間関係」

この教典は「大蔵経」の中に納められているとかで、何だかお経で「父母と子の守るべきこと」とか「師弟関係の礼儀と心得」なんかを唱えているのも、おかしな感じ・・・

この中で夫婦の間の心構えについて書いてあった。曰く

「実に夫は次の五つのしかたで妻に奉仕すべきである。(1)尊敬すること (2)軽蔑しないこと (3)道を踏みはずさないこと (4)権威を与えること (5)装飾品を提供すること によってである」

自分を反省してみた。
(1)尊敬すること=これは○
~自分は妻を尊敬している。毎食時に何と「五穀米」という豆の入ったご飯を食う。とっても俺には食えない。これは尊敬に値する。また、毎晩眠いのをこらえて、顔をぐちゃぐちゃと何時間もやっている。毎晩こんなつまらないことに時間を掛ける。とっても俺には出来ない。よってこれも尊敬に値する。

(2)軽蔑しないこと=これも○
~軽蔑なんてとんでもない。今ここに自分が存在していること。これがまさに軽蔑などしていない事の証。もしそんな事をしていたら、自分はとっくに消されていた。

(3)道を踏みはずさないこと=これも○
~これは「妻以外の婦人と一緒に外へ出て歩き回るな」という意味とか。自分がしたくても、“ご婦人”が自分を相手にしてくれないので、これは自分の意志とは無関係に100%実現不可。よってこれもあり得ないので○。

(4)権威を与えること=これも○
~これは「女人というものは、食物を分配する自由を与えられないと怒る。だから杓文字(しゃもじ)を持たせて、お前の好きなようにせよ、と言って自由にさせて権威を与えることだ」という意味とか。
自分は“台所に立つ位なら食事を抜く”くらいに料理が大嫌いなので、食事に対しての発言権などあろうはずもなく、妻は既に数十年間“大権威者”であり続けている。よって○。

(5)装飾品を提供すること=これも○
~これは言葉からの印象と大分意味が違っていて、南アジアの人々は銀行に金を預けたりしないで、お金が出来ると直ぐに貴金属や金の腕輪などを買って自分の身に付ける。そしてお金がいるときはそれを一つ一つ売る。つまり、妻に装飾品を買い与えるのは貯蓄増強の趣意。とか。
自分の場合はどうか? 妻から、ボーナスが出る数ヶ月も前から、化粧品が**万円とか書いた「ボーナス予定表」なるものに、強制的・暴力的にサインさせられ、挙げ句の果てに何と最近では○○万円と金額欄が白紙!(テキは後で金額を書き加える魂胆・・・)
つまり自分は、これまた自分の意志とは無関係に色々なものを妻に提供させられている。
よって○。

こう見てみると、自分はブッダによって“100%完璧な夫”であることが証明された訳で、“やっぱりそうだったか”と今日改めて納得した。

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2006年6月20日 (火)

「芝公園」と「芝東照宮」

また、昼休みに散歩・・・・・。
(昼休みの45分間で、ダイエー本社のある浜松町軍艦ビルでパンを買い、芝公園のベンチで食べて散歩して、キチッと時間内に会社に帰ってきているので・・・・。念のため)

芝増上寺の隣にある芝公園に行ってみました。
060620_5珍しく 今日は、広い敷地の中で、消防士が訓練をしていました。
きびきびした訓練が、何となくのんびりした雰囲気と違う感じ・・・

鳩がたくさん群れていました。060620_3

東京タワーが見えるのはいつもの風景。
060620_6

もちろん、花畑もある。
幼稚園生が植えていたチューリップはもう終わったけど・・・

帰り道に、隣の芝東照宮に寄った。
060620_4 060620_2_1

060620_1_2ここは、数年前に息子の就活で頭を下げたことがあった。
その時、何とかうまく行ったので、それ以来頼みにしている。
今日のお願い事は???・・・

前に、定年のサラリーマンが、行く所が無くなった為、勤めていた会社の近くの公園に、弁当を持って“出勤”している・・・ナンテ言うさびしい話があったが、自分だけは何とか「公園以外の行く場所」を探したいものである。(写真はすべて携帯電話のカメラです)

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2006年6月19日 (月)

哲学者 土屋賢二氏とは?(日経のコラムから)

日経の月曜日朝刊に「青春の道標」というコラムがあり、毎週唸っている(=関心している)。
見事だ。いったい何者だ?この土屋という人は・・・・

カミさんに言わせると、かなり有名な人のようだ。
Googleで「土屋賢二」と入れてみると何と10万件。
なるほど有名な訳だ。現在はお茶大の名物教授とか?

公式HPもあり、実に楽しい。
このセンス。若い人かと思ったら、60才を少し越えているらしい。
しかしこのウィットは素晴らしい。
本でも買って読んでみるか?

久しぶりで「人」に興味を持った次第。

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2006年6月18日 (日)

ジョン・カルショーの録音

ジョン・カルショーとは、英デッカの名プロデューサである。1967年にデッカを辞職するまでの間、主にステレオ初期に活躍した。

先日(といっても大分前だが)CS放送のMUSIC BIRDで、ジョン・カルショーの名録音の特集をやった事があり、それを機に、久しぶりに色々と聞いてしまった。

学生時代からデッカ(ロンドン)の録音、ショルティの録音(特に高域、繊細な音)が好きだったが、今思えばカルショーの録音が多かったようだ。

ショルティ/ウィーン・フィルの「ニーベルンクの指環」はその代表作であり、学生時代に「ワルキューレ」の中古の4枚組レコードを手に入れた。これは自分が初めてオペラに接した記念碑であり、今も手放していない。(この頃はカルショーという名は知らなかったが・・・)


やはり学生時代に、同じくショルティ/ウィーン・フィルの「タンホイザー序曲」の17cm/33回転のレコードを買い、その音の良さに感激したものだが、今回またMUSIC BIRDでその録音に接し、改めてその録音のCDを探し当てて、買ってしまった。

今回改めて“やはりあれはカルショーだったか・・・と再認識し、やっぱりシカゴ響との録音ではダメだと思った次第。

この年になると、昔の趣味も“昔(の音)”に戻るようである。

★ジョン・カルショーの録音リストは(ここ
~ジョン・カルショー著「レコードはまっすぐに あるプロデューサの回想」より

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2006年6月17日 (土)

映画「花よりもなほ」は?

先日、カミさんと映画「花よりもなほ」を見た。
カミさんは、スッと入ったと言うが、自分は「何なんだこの映画は。ダラダラと。一体モチーフは何なんだ」と気に入らなかった。
しかし、後から「もう一度見たい」そして「各所をもう一度確認したい」と思うのは何故だろう?

時代劇だが、時代劇らしからぬ・・・
人情劇? 確かに人間味あふれる映画。

今日の夕刊の広告に「各界から絶賛の声続々」「リピータ続出中」「誰も死なない時代劇」とあったが、その通り。

前に勧められて見た「ALWAYS 三丁目の夕日」は、まさにこの時代を生きた自分として、やらせっぽく、ハナについてイヤだったが、この「花よりもなほ」は清々しく、気持ちが良い映画。
このような映画が、暖かい映画なのかも?
見終わった後から強い印象が出てくる、不思議な映画だった。

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2006年6月15日 (木)

中村元 仏典をよむ

たまたま寄った本屋で「中村元」の「仏典をよむ」という本を見つけた。

これは85年にNHK第二で放送された「こころをよむ/仏典」という26回の連続講義を活字化したもの。
当時は全く知らなかったが、兄貴からカセットを借りたので、MP3化して通勤途中で聞いていた。

単に耳で聞いているとスッと流れてしまうが、耳で聞きながら活字を追うと、残る。
通勤の行き帰りで3~4回聞いたが、再度聞きながら読むとまた新鮮。
今日は、第4回「いきる心構え~サンユッタ・ニカーヤ」(原始仏典)であった。

そこに次の言葉があった。
「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見いださなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛おしいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」(8-8)

これはまさに、本BLOGのスタートの時(6/1)に記した“己所不欲、勿施於人”と同じ事だった。

ついでに“ブッダの言葉についての教え”
1.最上の善いことばを語れ。
 ~立て板に水といった“能弁”という意味ではなく、“立派なことば”という意味。
2.正しい理を語れ、道理に反する事を語るな。
 ~人間が生きて行くためには道理がある。道理に従ったことだけを語る。むちゃな事は言わない。という意味。
3.好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。
 ~好ましい、愛情のこもったことば、という意味。「愛語」
4.真実を語れ。偽りを語るな。
 ~嘘を言ってはいけない。しかし必ずしも事実を事実のまま伝える、という意味ではない。真心がこもっていることば、これが大事。

どれも難しいな~

全4巻を買ってしまったので、聞きながら読むのに2Wは掛かるかな?
でも小生に限って言うと、これらの教えが自分の身に付く事は、永遠に無い気がする。
(カミさんからいつもそう言われているので・・・・)

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2006年6月13日 (火)

オジ(~)さんの銀ブラ

会社の帰り、カミさんのお使いで、銀座の伊東屋に行ってきました。
まあオジ(~)さんには縁がないお店で、そそくさと退散。

帰りにブラブラと銀座から有楽町駅まで歩いてくると、角にジェラートアイスクリーム屋さん。
あまりに蒸し暑かったので、ついつい入って350円。
外のイスに座って、若い女の子と一緒にオジ(~)さんもアイス。

“どうせ知った人は誰もいない・・・”という安心感か、「新しい世界?」を知りました!
⇒オーバー???

でもオジ(~)さんにとってみると、こんな事にも勇気が必要なのだ。

せっかくの東京通勤。
たまには新しい?世界に入り込んでみるのも一興か?

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2006年6月12日 (月)

久しぶりの増上寺

梅雨の中休みか、日が差してきたので、昼休みに散歩がてら足を延ばして芝の増上寺まで行ってみました。

いつもながらの増上寺・・・。

大殿の境内では、十数人の人が阿弥陀様の前に並んでいるイスのあちらこちらで、じっと座っています。

自分もその中に入って目を閉じる・・・。

この静寂がとても好きです。呼吸の音さえ聞こえてこない静寂。ほんの10分間しか居ませんでしたが、何か心が素直になる気がします。

8月に事務所が移転になる関係で、それからは昼休みにチョット・・・という訳にいかなくなるのが残念。

それまでに、何度か足を運ぼうと思っています。

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2006年6月11日 (日)

「ピロリ菌退治」に成功したが“失敗”

タマに胃の調子が悪いので(もたれ、胸やけ)近くの医院に行った。そこで「ピロリ菌は除菌した方が良い。自分もやったが胃が軽くなった」と勧められてから、だいぶん経つ。

どうするのかと聞くと、胃カメラをして調べるという。胃カメラなんていやだ、とやらなかったが、ネットで調べると、呼気での検査や血液の検査でも調べられるという。
医院で聞くと「胃カメラは保険が効くが、他は病気を直す検査ではないので保険が効かない。呼気検査では6千円、血液検査では3千円掛かる」という。
「それでは自費で血液検査を」と調べて貰ったら「うじゃうじゃ居るヨ」との結果。
「シメタ。早速除菌しよう。少なくとも今より良くなる手段があるということ」と思ったのが運の尽き。

2006/04/15より抗生剤を1週間飲み続けるが、数日経った頃から胸やけ。何とか1週間飲んだが、舌に真っ黄色のコケ。1ヶ月後の検査ではピロリ菌は除菌されていたが、逆流性食道炎が正式に発症。(と言うのは前からその症状が出たり引っ込んだりしていた)

それから2ヶ月になるが、相変わらず胸やけに苦しめられています。
「オメプラゾール」という酸抑制剤を飲んでいるが、最近効かなくなって、昨日「マグテクト」という胃の粘膜を保護するという薬をもらってきた。
医院の話では「これはピロリ菌が居なくなったリバウンドで一過性」というが、ネットでは10~20%の確率で逆流性食道炎が発症し、6~8ヶ月間、一時的に起こりやすくなる・・・と書いてあるサイトもあった。

別の医師からは「バカな事をした」という顔をされ、つくづく“自然に逆らうことはダメ”“何かをするときには、医師の体験談を鵜呑みにせずに、キチッと自分で調べてから行うべき”と思い知った次第。
これからは自分も、“何かの病気で手術が必要・・・”という事態になったとき、とても慎重になるでしょう。まあ長い目で見れば、良い体験かも?

*追記:医者の言った通り、2ヶ月余で(これを書いてから1週間位して)胸やけは消えました。
*追記(07/5/8):この記述は間違いだった様です。その後、自分の胃袋は大変に好調です。やはりピロリ菌除去の効果なのだと思います。

(2013/07/27追メモ)
昨年(2012年1月)から胃の調子が悪く(持病のもたれ、膨満感)、逆流性食道炎だとばかり思っていた。従来のオメプラゾールが効かなくなったので、2012年10月からネキシウムに変更。毎日飲まないと調子悪し。
2013/07/23胃カメラ。結果「食道も十二指腸もキレイ。一部に萎縮性慢性胃炎だけがある」とのこと。ピロリ菌退治の後遺症で逆流性食道炎だと思いこんでいたが、違っていた。血液でのピロリ菌検査結果は5.3で(-)。思い込みは怖い・・・。

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2006年6月10日 (土)

「還暦」とは?

他人事だった「還暦」という言葉が、急に身近になってきた。
ギョッと思って「いったい還暦って何だ?」と調べてみた。 (色々なサイトを見たが「語源由来辞典」が一番詳しいようだ)。曰く・・・・

還暦とは、数え年で61歳(満60歳)。また、その祝い。華甲。本卦還り。
還暦の「還」は「かえる」「もどる」という意味で、「暦」は干支を意味する。
干支は本来、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干と、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥からなる十二支を組み合わせたものをいい、60通りの組み合わせがある。
60年で干支が一回りして、生まれた年の干支に戻ることから、「還暦」というようになった。
現代では少なくなったが、還暦には、赤いちゃんちゃんこや赤い頭巾など、近親者が赤い物を贈る風習が古くからある。
還暦に赤い物が贈られる由来は、赤ちゃんに還る(生まれた年の干支に還る)という意味と、赤は魔除けの色とされていたためである。

ついでに調べてみると、

古希とは、数え年で70歳(満69歳)。また、その祝い。
古希は、中国唐代の詩人『杜甫』の「曲江詩」の詩句にある「人生七十古来稀なり」に由来する。「稀」と「希」同義語で、70歳まで生きることは古来まれであるという長寿の祝いである。

喜寿とは、数え年で77歳(満76歳)。また、その祝い。喜の祝い。喜の字の祝い。喜の字の齢。
喜寿は、「喜の字の祝い」「喜の字の齢(よわい)」ともいう。
「喜」の字を草書体で書くと、「十七」の上に「七」が付いたような文字で「七十七」に見えることから、77歳を「喜寿」と呼ぶようになった。

米寿とは、数え年で88歳(満87歳)。また、その祝い
米寿は、「米」の字を分解すると「八十八」となることから、88歳をいうようになった。
米寿の祝い方は、基本的に還暦と同じだが、色は赤色から金茶の物になる。

まあ米寿まで長生きしたいとも思わないが、こんな言葉が気になる年になってしまった・・・・。という事だ。

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2006年6月 7日 (水)

映画「阿弥陀堂だより」から

夜、BS2で「阿弥陀堂だより」をやっていたので、ついつい見てしまった。
この映画は2002年の映画。もう3~4回以上見ているが、何度見ても良い映画は良い。

今回の新たな発見は、「協力:浄土宗」とタイトルバックに載っていた事。
まさにこの映画は仏教の教えが随所に表れていると思った。
特に、おうめ婆さんの言葉(生き方)には、それが色濃い。

また先生の臨終の場面では、先生:「先に行くよ」、奥さん:「そんなに待たせませんから」・・・。 
何か印象深い言葉ではある。

それと、村の広報に載っているというコラム「阿弥陀堂だより」のセンテンスの素晴らしいこと。

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2006年6月 6日 (火)

仏教でいう「苦」

ひろ さちや氏の「仏教が教える老いを楽しむヒント」という本に、次のような言葉がありました。

・・・・仏教でいう苦とは本来「思うがままにならないこと」という意味なのです。・・・老も病も思うがままにならない。・・・人間はその思うがままにならないことを、何とか思うがままにしようとする。それが苦しみなんですね。
では、どうしたら苦しみから逃れられるのか。思うがままにならないことを、思うがままにしようとすることが苦なのだから、思うがままにしようとしなければいいだけのことです。
老いたくない、長生きしたい、ボケたくない・・すべてが思うがままにならないことです。だったら。そこは仏さまにおまかせして、自分であれこれしようとしないのがいい。それが苦から自由になるということなんですね。そして、思うがままになることをしっかりとやるのです。
大切なのは、何が思うがままにならないことであり、何が思うがままになることであるかを、しっかりと明らかにすることです。・・・・

どうしようもない事はどうしようもないのだから放っておく。実はこれが大変に難しいのです。しかしこの境地になれれば、自分も随分とストレスから解放されるのでしょうが・・・・                                     

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2006年6月 5日 (月)

「中島みゆき」の世界を新発見

「新発見!」なんて言っても、小生だけのことだけど・・・・

小生は、昔から歌を聞くときに何故か歌詞は全く聞いていません。歌詞は全く意識していません。単なる「声」という楽器・・・。よって、昔から紙に書いた歌詞がないと歌えませんでした。そして、たまに歌詞を意識すると、ビックリすることがあります。こんな意味の歌だったのか!! 例えば昔カラオケで良く歌った歌に、五木ひろしの「契り」というのがあります。バラード風で非常に旋律のきれいな曲。いつだったかカラオケでTVに出た歌詞に、ビックリしたことがありました。「あなたは誰と契りますか~・・・」 オッ やべ~!

今日、通勤電車での帰りに、中島みゆきの曲を聞きながら、じっくりと歌詞を味わいました。歌を聞きながらだと、歌詞が分からなくなってしまうので、amazonで100円で買った古本の「中島みゆき全歌集」という歌詞の文庫本を片手に・・・・・

小生のデジタル携帯には、中島みゆきはMP3で、50曲以上録音してあり、「あした天気になれ」からアイウエオ順に「この空を飛べたら」まで10曲位聞いたのですが・・・・。改めて彼女は天才ですね。

やはり圧巻は「うらみ・ます」。スタジオライブで泣きながら歌い、一発で本番OKになった録音との事ですが、奇々怪々、聞いていて“鳥肌が立つ”歌というのを、小生はこれ以外は知りません。あと40曲あります。いつも帰りの電車は居眠りなのですが、今日は寝ませんでした。今週は電車で寝ないで、中島みゆきの世界を新発見してみます。

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2006年6月 4日 (日)

我が家のトイレの掲示

我が家のトイレ(失礼)に、カミさんがどこかで見つけてきた、下記のようなものがピンで留めてあります。005119
曰く「時が実ればあなたも進めるようになる」 曰く「心配するのは、心配事が起こってららでい~んじゃないの?」・・・・・

なかなか良い言葉だと思っていましたが、最近カミさんが「これは間違いだ。その時・・・になってからでは遅い」と言うようになりました。

さて真実は???

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2006年6月 3日 (土)

初めてペットと共に旅行

092539 初めて、ペットの犬と一緒に宿に泊まってきました。たまたま休みだったので、6/2~3に山梨清里のロッジクルトという宿。

ロッジクルト

075153 pet宿.com(ペット宿ドットコム)というサイトで、準グランプリの宿という事で、カミさんが見つけて、思い付きで予約をして行ってみました。

ペットと共に宿に泊まることも初めてで、同じ目的の隣の部屋の人と話したり、オーナーと話したり、全てが初体験でした。

初めてにしては、“当たった”宿でした。隣室の方の談:「今回は5回目。今回は3泊する。ここはとにかく安い。それに何よりも自由。犬もリラックス出来るみたい。ここはリピーターが多く、連休などはいつも同じメンバー・・・」。これはオーナーさんでなく、隣の部屋の人の話。こっちは初めてだったので、「そうですか~」と相づちを打つのが精一杯。しかし、リピーターが多いという事は、何かの魅力があるのでしょう。一泊でしたが、何となく分かった感じがしました。

オーナーさんも犬を飼っており、初心者の我々は大いに“教育”して貰いました。キーワードは、“犬の嫌がる事は避けよ”かな?

6/3は、天気が晴れたので、せっかく清里に来たので、県営八ヶ岳牧場の「まきば公園」105832 に寄ってきました。高原の広い空間に、羊や牛が見え、シーズンオフで空いていた事もあり、良い気分でした。

ついでに、ロッジで教えて貰った「八ヶ岳リゾートアウトレット」に寄ってきました。その駐車場の広いこと。しかし、土曜日の11時半頃でしたが、ほぼ満車状態。しかし、このような高原の真ん中に70店舗のパリのブランド等が軒をならべており、圧巻。軽井沢と同じ感じか?131229_1

まあオジさん・オバさんにはフィットする物はほとんどありませんでしたが、犬を連れて入れる店も多く、犬と子供連れが多いのが印象的でした。

ともあれ、なかなか見直した、清里でした。また行きましょう。

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2006年6月 1日 (木)

己所不欲、勿施於人

取りとめのない「つぶやき・・」集です・・・・・

高校生の時、漢文の教科書に載っていて、感激した言葉がありました。

「論語」・・・孔子の言葉でした・・・

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人


子貢(しこう)問いて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、
子曰く、「それ恕(じょ)か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」

「この一言なら生涯守るべき信条となる-そういう言葉はあるでしょうか」
子貢にこう尋ねられて、孔子は言った。
「まず恕だろう。人からされたくないことは、自分からも人にしないことだ」

あれから40年・・・。

何と、これと縁のない生活をしてきたものか・・・・・

今更取り返しは出来ないけど・・・・(これが初めてのつぶやき・・・)

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