2019年8月23日 (金)

「テレビ社会ニッポン」太田省一著~Uさんの読書ノート

Uさんの「本の紹介」も久しぶりである。何度も記したが、とにかくUさんが紹介してくれる本は難しい。しかし、今回の本は、ツツーと読めてしまった。

Uさんの紹介文にはこうあった。
「各位
暑い日が続きますが、皆様お変わりなくお過ごしの事と存じます。
今回の「本の紹介」は、せりか書房社長 船橋純一郎氏から贈呈された本「テレビ社会ニッポン」である。船橋氏とは、過って、新宿のゴールデン街にある飲み屋で知り合った飲み仲間であり、「各位」の一人でもある。この店はママが一人でやっている10人ぐらいしか座れない小さな店であった。客の主流は、早稲田の「露文」出身者、現役の早稲田大学露文の教授を始め、大学院生、OB達である。その一人が船橋氏であった。現在、この店は、ママが病気で亡くなった後、彼女の娘と孫娘が継いでいる。そして今や、客の多くは外国人の旅行者が主流のようだ。

本の帯に、人は何故テレビを見るのか?(視聴者)が自由を得るため。テレビは(自作自演的習性)、つまり「自分でやったことなのに、そ知らぬふりをする」習性持つ一方(視聴者)は、番組に出演したり、ツッコんだりしながらも、「テレビを実質放置」する。こうして戦後、暗黙の(共犯関係)による「テレビ社会ニッポン」は誕生した。その65年余に及ぶ歴史を検証し、転換期にあるテレビと視聴者の未来を展望する。誰よりも自らが(視聴者)であり続けて来た著者による渾身のテレビ論とある。
特に、メデア関係者には、お勧めの本である。」

★「テレビ社会ニッポン」太田省一著~Uさんの読書ノートのPDFは(ここ

Amazonで見ると、この本は各紙の書評でも取り上げられているらしい。『信濃毎日新聞』2019年2月10日 書評(上滝徹也氏) 、『日経新聞』2019年2月16日 書評、『週刊読書人』2019年3月22日 書評(高野光平氏)、『東京新聞』2019年3月31日 書評(荻上チキ氏)・・・

珍しくツツーと読めたが、まあ内容については書かない。しかし、テレビの放送開始当時の話は、懐かしく読んだ。そう、自分も(街頭テレビではなく)テレビを買った店の2階の窓から外に向かって置かれたテレビで、プロレスを見た方。昭和30年代初期は、テレビは独り占めできず、買った店は、客の顰蹙を買わないために、夜のプロレスの時間になると周囲の人が見られるようにしたのである。

それにしても、テレビが社会を動かす力は、戦前の新聞の様相。
話は飛ぶが、今朝(2019/08/23)のTV朝日のモーニングショーで、昨日の日韓軍事情報協定(GSOMIA)の韓国からの破棄通告のニュースに関し、こんな話があった。

9:17玉川「日本の方がもしかすると感情的にはエスカレートしているように僕には見えるんですね。そうなったときに今度はそれをメディアがあおる可能性がある。つまり、世論の大勢ににメディアは付こうとする場合がある。特にテレビなんかはそうだから。テレビは視聴率だから。韓国に対してけしからんと言った方が視聴率が取れるんだったらそっちに流れるんです。低きに流れる可能性があるんですね。そうなると、やっぱりまたそれが国民の感情をあおっていく。それをやっちゃ駄目だということは、戦前に我々は学んでるはずなんです。要するに不当に国民の感情を刺激してはいけないと。冷静になることを呼びかけるのが本来のメディアの役回りだと僕は思っているので、だからそういうふうに、ある種、志が低い方向に流れる。本当にそう考えてやっているんだったらいいですよ。そうじゃなくて、そっちの方が視聴率が取れるからって流れていくようなメディアがあったら、僕は残念です。」・・・

9:22玉川「韓国の国内の報道がまさに文政権をあおるような報道ばかりになっているという話を聞くんですがそうなんですか?テレビが特に。」

辺「確かに私もインターネットで韓国の新聞10紙全部読んでいますし、テレビも見ておりますが、新聞のほうはそれでも韓国の3大紙と言われている朝鮮日報、中央日報、東亜日報は基本的には反文在寅の論陣を張っていますので決してあおっていませんが、テレビは私から見ても正直なところ、あおっている面がありますね。」

自分は、バラエティー番組大キライ人間なので、テレビで見るのはニュースとドキュメンタリー番組が多いが、ニュースもその信頼度が怖い。
香港のデモのニュースも、中国ではデモ隊が乱暴をしている映像ばかり流し、中国国内での香港デモ隊悪人の世論が醸成されているという。

我々も無意識のうちに、テレビにコントロールされているのかも知れない。
テレビに“御される”ことだけは避けたいと思うのだが・・・

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2019年8月21日 (水)

4K放送の画面は暗い?~REGZAはOK!?

先日の朝日新聞にこんな記事があった。4K放送の画面が2Kに比べて暗いというのだ。

4K放送、画面暗い? 高精細のはずが…苦情 市販TV、低い輝度/2K映像を変換
 昨年12月に始まった衛星放送(BS)の「4K放送」に、視聴者の一部から「画面が暗い」との苦情が出ている。「こんどのテレビは、別世界」など、映像の美しさを売りにした4K放送で、なぜこうした苦情が出たのか。消費者がとれる対策はあるのか。(松田史朗)

 首都圏に住む60代男性は、わくわくしながら2018年12月1日を迎えた。居間には58インチの4Kテレビ。チューナーもつけ、4K放送の番組を見始めた。
 「あれ、暗いな……」
 従来の2K放送に比べ、4K放送の画面が暗く感じた。東京五輪を美しい映像で見たいとテレビ、チューナー、テレビ台に50万円ほど投じた。男性に購入を勧めた電器店に苦情を言い、メーカーの社員に自宅に来てもらったが「修理はできない」と言われたという。
1908214kgamen  朝日新聞は5月、この電器店の協力を得て、大手メーカーの同じテレビ2台で4K放送と2K放送を見比べたところ、通常の明るさ設定では4Kの方が暗く見えた。明るさ設定が「最大」だと4Kの暗さはある程度改善した。暗く見える原因と対策を追った朝日新聞デジタルの連載記事を8月上旬に配信すると、滋賀県に住む60代男性からも同様の指摘が寄せられた。
 男性は昨年、4Kテレビ(約15万円)とチューナー(約3万円)を通販で購入。NHK紅白歌合戦を美しい映像で見られると期待したが、「画面にどうにも鮮やかさがなかった」。
 一方で「暗さは全く感じない」「NHKはきれいだが、民放は画像が悪い」といった反響もあり、メーカーや機種によって見え方には差があるようだ。
 4K放送を推進する放送サービス高度化推進協会(A―PAB)の電話窓口には、5月末までに5042件の相談があり、うち「画面が暗い」との相談は82件(1・6%)だった。
 4Kテレビは6月末までに約685万台出荷されたが、テレビ内蔵型を含むチューナーなどの出荷は約127万台。4Kテレビを持つ家庭の多くは、まだ4K放送を受信していない。

 ■コスト面に課題
 なぜ暗く見えるのか。大手電機メーカーや放送局などに取材を進めると、テレビの性能面と、放送局の映像処理の双方に要因があることが分かった。
1908214k  一つは、テレビの「輝度(画面の明るさ)」の問題だ。4K放送は従来の2K放送に比べ、表現できる明暗のコントラスト幅が広がる。2Kだと黒や白につぶれてしまうようなところにも精細な映像を浮かび上がらせることができる。
 4K放送の映像を作る場合、放送局では、2K放送の10倍にあたる最大1千nit(ニト、輝度を示す単位)のプロ用の「マスターモニター」で編集を行う。
 ただ、家庭用4Kテレビの最大輝度は、コスト面の課題などからこれを大きく下回る。映像の専門家やメーカーの担当者によると、市販の4Kテレビの最大輝度は500nit前後のものが多い。ただ、メーカーの多くは機種ごとの最大輝度を公表していない。
 最大輝度が低いテレビで4K映像を見ると、映像の「作り手」が見ている元の映像に比べて暗くなるという。映像の専門家でシリコンスタジオ(東京)研究開発室長の川瀬正樹さんによると、液晶テレビのバックライトの性能が上がって従来の3~5倍も明るくなり、2K放送がより明るくなったことも、相対的に4K放送が暗く見える要因になった可能性があるという。

 ■前倒しが影響か
 放送局側の映像処理にも要因があった。民放のBS・4Kチャンネルには、従来の2K放送用の機材で撮影した映像を、4K向けに変換(アップコンバート)した番組が多い。民放も参加する電波産業会(ARIB)が定める「放送標準規格」に沿った編集では、2Kで撮った映像は最大203nit(参考値)で表示されるため、明るくなった2K放送や、4Kカメラで撮影された番組に比べ、暗く見えるという。
 BSフジの戸田英男技術局長は「民放は番組の間にCMを挟む。日本広告業協会と日本民間放送連盟の取り決めで、映像の色や明るさに手を加えることはできない」と説明する。
 一方、NHKは、4Kの番組はすべて4K用の機材で撮影した映像でつくっているという。
 4K放送の導入スケジュールを問題視する声も聞かれた。総務省は当初、20年からの放送開始を想定していたが、東京五輪の決定を受けて「18年」に2年前倒しした経緯がある。
 4K映像の編集機材が民放に納入されたのは18年夏、一般家庭向け4Kチューナーが出荷されたのは同10月と放送開始直前だった。複数の関係者によると、家庭用の4Kテレビとチューナーで4K放送を受信したとき、実際に映像がどう見えるのか、ほとんどチェックされないまま放送開始に至ったという。

 ■購入前、まず見比べて
 消費者はどう行動すればいいのか。これから4Kテレビの購入を検討するなら、電器店などで実際に4K放送の番組を見てから判断するのが確実だ。最近はチューナー内蔵型テレビも多い。4K放送と2K放送、あるいは同じ4K放送でもNHKと民放の番組を見比べ、高画質に納得がいけば購入すればいい。
 一方、すでに4Kテレビがあって、外付けチューナー(2万~6万円ほど)を買って4K放送を受信するかどうか検討している場合、チューナーによる映像の変化を確かめてから判断するのは難しそうだ。記者が複数の家電量販店に問い合わせると、一般的にチューナーの貸し出しはしていないという。
 A―PABは「新4K8K衛星放送」に関するコールセンター(0570・048・001、運用時間は平日9時~17時。通話料視聴者負担)を設けている。」(2019/08/19付「朝日新聞」p2より)

上の記事は、先に朝日新聞デジタルに連載された記事の要約版らしい。
連載の記事の方がより詳しい。

★(ここ)にPDFを置きますので読んでみて下さい。

①「4K放送、画質抜群のはずが「あれ、暗い」 相次ぐ苦情」
②「「4K放送は暗い」問題を検証 従来と比較した結果は」
③「4K放送が「暗い」わけ 専門家に聞いて浮かんだ仮説」
④「4K放送、なぜ「暗い」TVメーカーを直撃 残った疑念」
⑤「4K放送、民放を悩ます費用の壁 潤沢なNHKと温度差」
⑥「「4Kは突貫工事」特殊環境で試験放送、視聴者置き去り」
⑦「「放送開始前、調整しようがなかった」専門家に聞く4K」
⑧「楽しみだった紅白… 4K画質「あきらめろというのか」」

記事を読んでみると、なるほどと納得。しかし、実は自分もREGZAの4Kチューナーとテレビで見ているが(ここ)、暗いと思ったことが無かった。

記事を読んでみると、最大輝度を公表しているのがREGZAだけだと分かった(上のPDFの12/26)。他社は非公開。つまりREGZA以外は、メーカーとして自信が無い証拠かも?

そして局側の対応も面白い。目を引くのがNHKの対応。
「NHKはどうしているのだろうか。「アップコン」の指摘を含めた五つの質問項⽬とともに取材を申し込んだ。
しかし最初に返ってきたのは、たった1枚の⽂書回答。苦情件数の問い合わせには「様々なご意⾒をいただいています」。「暗い」原因については「それぞれの放送で最適な映像になるように調整します」、テレビの輝度の指摘には「メーカーが販売しているテレビについて、NHKではお答えできません」――。事実上のゼロ回答だ。」(上のPDFの17/26)

相変わらずの対応。政治の話と似ているな・・・

ともあれ、技術的な内容に興味がある人は上のPDFをじっくり読んで頂くとして、何より面白かったのは、映像の専門誌での話題のような話を、彼の朝日新聞が取り上げて深掘りしていたこと。そして、記者の熱心さによって、問題の核心に近付いていたこと。
これには、朝日も見直した。まるで、昔の「暮しの手帖」のような切れ味。

こんな企画はぜひ続けていってほしいもの。

それと、なぜ自分が「4Kが暗い」と気付かなかったのか?
自分が持っているREGZAの環境(50Z810Xと、4KチューナーのTT-4K100)では、今見比べても、暗い感じは無いのである。上の記事によると、メーカーの回答は下記だという(同じく12/26)。

「4K放送が暗い」という苦情の有無と件数を聞いた。回答はこうだ。

パナソニック ごくわずか
ソニー ⾮公開
東芝 なし
シャープ 5⽉末までに100件
三菱電機 直近3カ⽉で数件

なるほど、東芝への苦情は無いという。つまりは、自分と同じで、暗いと感じていない。つまりは、輝度があるため?(性能が良いため?)、ユーザーに不満が無いらしい。
それで自分なりに納得した。不満が無いのは、自分だけでは無いのだ・・・と。

思わぬ所で、朝日新聞の切れ味の良さと、REGZAの優秀さを確認してしまった記事であった。

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2019年8月18日 (日)

NHKドラマ「透明なゆりかご」は評判通りの秀作

NHKドラマ「透明なゆりかご」の再放送(2019/08/04~09)を見た。なるほど、これは評判通りの秀作だ。
このドラマの名を知ったのは、「早稲田大学での「テレビドラマの授業」」(ここ)で、早稲田大学文学学術院教授 岡室美奈子氏が優秀作品として紹介していたから。そのうちに見たいな、と思っていたら、DVDが出ている事を知って、7月にレンタルで全巻を借りた。しかし、見始めてみて、重いテーマに圧倒されて、当時の自分の精神状態から耐えきれなくなり、見ないまま返却してしまった。
それが、先日、BSプレミアムの過去番組を眺めていたら、「ATP賞授賞式 2019」(2019/07/30放送)という番組があった。それを見たら、この「透明なゆりかご」がこのATP賞のドラマ部門の最優秀賞に選ばれたことを知った。それを機に、再放送をしないかなと思っていたら、これまたNHK総合の過去番組を眺めていたら、何と全編が放送(録画)されていた(ここ)。それで昨日と今日の二日で全編を見たというわけ。

この番組は、ちょうど1年前の2018年7月20日~9月21日まで放送されたという。
NHKのサイトには、こう解説がある。

『透明なゆりかご』とは?
町の小さな産婦人科医院を舞台に、ひとりの感性豊かな少女の目線で、“命とは何か”を問い、見つめてゆく物語。

190818yurikago 累計325万部超、20~30代の女性を中心に圧倒的な共感を呼んでいる、沖田×華さんの漫画作品をドラマ化。脚本は、NHK総合で初執筆となる安達奈緒子さん。主演は、これがドラマ初主演となる清原果耶さん。物語は幸せな出産ばかりでなく、中絶や死産といった産婦人科の“影”の部分にも向き合いながら、時に明るく、時に切なく、主人公たちの命への“祈り”にも似た想いをつむいでゆく。観ていてどこかほっこりする、でも心の底までズドンと来るような、そんなドラマをお届けしたい。」(NHKのここより)

主人公の高校生(清原果耶)が、何とも清楚で好ましい。個性的では無い医師と、存在感溢れる原田美枝子演じる看護師長。
それぞれの回で扱うテーマが、何とも重い。それらに向き合う主人公の見習い看護師が、とにかくひたむき。

ドラマの内容は書かないが、wikiによると「作者初のフィクション作品となった『ギリギリムスメ』の連載に行き詰まった時に、「私が経験したことで何か漫画になるようなことあったかな、そういえば産婦人科でバイトしてたことがあったな」と本作を着想し、ネームを制作して編集者に提案。」だそうだ。
つまり、この物語は作者の体験談を元に、漫画「透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記」として作られた作品とのこと。

ちまたの評判通り、このドラマは色々な賞を総なめしている。見てみると、確かに「そうだろうな」と思う。
ずっと録っておきたいドラマであった。

★このドラマをご覧になりたい方は、録画したブルーレイ(3.5倍録画)をお貸しすることが出来ます。メールでご連絡下さい。

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2019年8月16日 (金)

「妻が願った最期の「七日間」」

今日(2019/08/16)の夕方のNHK「首都圏ネットワーク」で「中高年の心揺さぶる“最期の七日間”」という話を放送していた(2019/08/16 18:34~18:42)。
興味を持ったので、Netでググってみた。

話は、2018年3月9日に朝日新聞に掲載されたこの投稿からだったという。

「妻が願った最期の「七日間」
     パート宮本英司(神奈川県 71)
 1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
 ≪神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ≫
19081620180309asahi  妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま不帰の人となりました。
 詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。≪箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く≫
 五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。
 ≪あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょう 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう≫
 妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。≪私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ≫
 容子。2人の52年、ありがとう。」(2018/03/09付「朝日新聞」より)

その詩の全文がこれ・・・

「七日間」
     作:宮本容子

神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください

一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ

二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る

三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹(もみ)
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね

四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く

五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ

六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの

七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう

神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ

この話は、大きな話題となって、クミコさんがCDを、そしてサンマークから本も出版されたという。

この背景について、この記事が詳しい(ここ)。

妻が願った最期の「七日間」 投書にこめられた夫婦の物語
 「1月中旬、妻容子が他界しました」。昨年11月に入院した妻が、そのまま帰らぬ人となったこと、病室の枕元のノートに「七日間」という詩を残したことをつづる、71歳男性の文章は、そんな言葉から始まりました。3月9日、「妻が願った最期の『七日間』」の題で新聞の投稿欄に掲載されると、またたく間にSNS上で広がり、18万7千件以上の「いいね」でシェアされました。詩にこめられた夫婦の物語が知りたくて、この男性を訪ねました。(朝日新聞オピニオン編集部「声」編集記者・吉田晋)

老後を過ごそうと購入した自宅
 投稿を下さった宮本英司さん(71)は、神奈川県にお住まいです。息子さん2人は独り立ちして別に家庭をお持ちなので、今はメスのウェストハイランド・ホワイトテリア「小春」ちゃん(11)と一緒に暮らしています。
 ご自宅のマンションは、玄関やベランダからの広々とした眺めを気に入った妻容子さんが、転勤族だった英司さんと老後を過ごそうと購入を決めたのだそうです。暖かな日が差し込むリビングは、きれいに片付けられていました。
 「容子がきれい好きで、いつも冗談交じりに『あなたの後ろを片付けながら歩いているのよ』って。だから、きちんとしませんと」
 口元に柔らかな笑みを浮かべながら話す英司さんですが、時々言葉を詰まらせます。「容子の思い出を胸に前を向いて、と皆が言ってくれますが、そこにはたどりつけていなくて……」。

すでに末期だったがん
 容子さんが最初におなかの不調を訴えたのは、3年前の春。大学病院では感染性の腸炎との診断でしたが、夏に腸閉塞を起こしかけて開腹手術を受け、小腸がんと判明しました。すでに末期で、余命は平均2年との宣告でした。容子さんは68歳でした。
 非常にまれながんで、別の病院でセカンドオピニオンを受けると、こちらの医師は「人の命について、あと何年なんて言いたくない」。容子さんはうなずき、抗がん剤の治療が始まりました。
 最初は点滴で、副作用がきつくなってから経口薬も試しました。半年が経ったころ、容子さんはパソコンにこんな文章を残します。
 「耐えられない副作用ではない。治療することで少しでも延命ができるなら、もっと生きたい。もっとあなたと楽しい日々を過ごしたい」
 「生きることにしがみつきたい思いです。だって、やっとあなたと、ゆとりある日々が迎えられ、これからという時なんですものね」

少しずつ決めていた「覚悟」
 体調が許す限り、2人と1匹で旅行に行きました。
 八ケ岳、丹沢湖、鎌倉、箱根、北海道……。自宅の居間で、夕食後にパソコンの麻雀ゲームを一緒に楽しみながら夫婦の勝ち点を記録し、お金がたまったら旅の計画を立てます。
 穏やかな日々でした。腫瘍マーカーの数値も落ち着いています。「後2年と宣告したあの先生に、顔見せにでも行こうか」。2人の間でそんな軽口も交わされるくらい、経過は良好でした――昨年の夏までは。
 2017年7月。おなかが張って苦しいと訴え、緊急入院すると「腫瘍が大きくなっています」。腸がふさがり、人工肛門の手術をすることになりました。「半年程度しか持たない人に、この手術はしませんよ」という医師の言葉に、英司さんは希望を託します。
 しかし、容子さんは少しずつ覚悟を決めていたようです。手術当日の朝、白い手製のブックカバーをかけた愛用の手帳に、夫と2人の息子の名前、そして一人一人に「ありがとう」と書きました。
 英司さんが手帳を開いたのは、半年が過ぎ、全てが終わった後。そこにはこうありました。
 「病気はみんな私が背負うから 健康で長生きするのよ」

「家に帰ったら、何がしたい?」
 手術を乗り越えて退院した後も、容子さんの体調は戻りません。体重は10キロ以上減りました。
 10月にまた緊急入院。容子さんは「退院したら野菜スープを作るから、それ用のなべが欲しいの」「点滴をしながらでも2人で出かけたいので、車いすをレンタルしておいて」と自宅での生活を思い描きます。英司さんも在宅医療の手配を整え、妻の退院に備えました。
 「今思うと、病気が急にどんどん先に行ってしまって、気持ちが追いつかなくなっていました」
 11月、車いすで自宅に帰りましたが、毎日吐いてしまい、医師も「いったん入院した方がいい」と勧めます。数日後、自宅近くの病院に入院しました。落ち着いたら戻るつもりでした。妻も夫も。
 12月の半ば。「家に帰ったら、何がしたい?」。英司さんの問いかけに、ベッドに横になった容子さんが口を開きました。その言葉を、入院生活の覚書用に枕元に置いてあったノートに、英司さんが書き留めました。それが、「七日間」の詩です。

・・・・・」(2018年04月11日付「withnews」ここより)

そう。誰もが死ぬ。そしてどの家庭、どの夫婦にも、このような不幸な瞬間は必ず訪れる。問題は、それが“いつか・・・”だ。

何の変哲も無い日常が、どれほど幸せで有り難いことか、“その時”になってやっと気付く。

我々はただ、“その時”が訪れるのが、先であれば良いと、ただ祈るだけ。

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2019年8月15日 (木)

ツィーラーの「星条旗行進曲」~「パイのパイのパイ」

NHK BSで「ウィーン・フィル シェーンブルン 夏の夜のコンサート2019」(2019/07/29放送)を聞いた。グスターボ・ドゥダメル指揮だが、その中で、ツィーラー作曲の「星条旗行進曲」が面白かった。

<ツィーラーの「星条旗行進曲」~ドゥダメル/ウィーン・フィル>

この旋律はどこかで聞いたもの。そうだ。榎本健一の「パイのパイのパイ」だ。

<榎本健一の「パイのパイのパイ」>

「東京節(パイのパイのパイ)」
  作詞:添田さつき
  (ジョージア行進曲)

東京の中枢は 丸の内
日比谷公園 両議院
いきな構えの 帝劇に
いかめし館は 警視庁
諸官省ズラリ 馬場先門
海上ビルディング 東京駅
ポッポと出る汽車 どこへ行く
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデ フライフライフライ

東京で繁華な 浅草は
雷門 仲見世 浅草寺
鳩ポッポ豆うる お婆さん
活動 十二階 花屋敷
すし おこし 牛 天ぷら
なんだとこん畜生で お巡りさん
スリに乞食に カッパライ
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデ フライフライフライ

東京はよいとこ 面白や
豆腐 みそ豆 納豆 桶屋
羅宇屋 飴屋に 甘酒屋
七色とんがらし 塩辛屋
クズーイクズーイ 下駄の歯入れ
あんま 鍋焼 チャンしゅうまい
唄の読売ゃ どうじゃいな
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデ フライフライフライ

ん?この歌の元々の旋律は“ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」”??
自分の音源で「ジョージア」で検索すると「ジョージアを超えて」というのがあった。主な旋律は同じだ。

<「ジョージアを超えて」~フィリップ・ジョーンズ・アンサンブル>

しかし、wikiの「カール・ミヒャエル・ツィーラー」の項目に「星条旗行進曲」という文字は無い。
どうも、ツィーラーが「ジョージア行進曲」を下敷きにして作曲(編曲?)した作品らしい。

ともあれ、珍しい曲を聞いた。ウィーン・フィルも粋なことをする。
190815schonbrunn 10万人が聞いたというシェーンブルン宮殿でのコンサート。
シェーンブルン宮殿は、我が家で唯一のヨーロッパの旅行(2006年8月)で行ったことがあるが(ここ)、その時の光景が目に浮かんだ。
やはり一度ホンモノを見ていると違う。
エノケンの歌声も含めて、昔を懐かしんで聞いた音楽であった。

●メモ:カウント~1230万

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2019年8月10日 (土)

2019年「長崎平和宣言」引用の原爆詩全文

昨日挙げた田上長崎市長による「長崎平和宣言」に引用された原爆詩の原文が、今朝の朝日新聞に載っていたので、挙げておきたい。

 ■詩の全文

 あの日から三十四年/青い空を見上げてたゞひたすら感謝する/戦争というものがない今日この日だから

 戦争というものがあったとき/人は夜がきても眠ることができなかった/空襲のサイレンにおのゝきおびえて/暗い床下の防空壕で夜を過した/腹がへっても食べるものがなかった

 水のようなおかゆが一杯だけ/いもの葉っぱを浮かべてすゝった

 それでも人は重き銃をかついで/戦場へ出かけて行った/人が人を殺すため/父も子も行かねばならなかった/十五才の少女も/手に鉄のやすりをにぎりしめ/昼も夜も 兵器というものを造り続けた/人が人を殺すために

 そして真夏の太陽の照りつける日/たゞ一つの原子爆弾が浦上の空に落された/人間の歴史始まって以来誰も見たことのない/光と熱と風とをもって炸裂した

 幾千の人の手足がふきとび/腸(はら)わたが流れ出て/人の体にうじ虫がわいた/息ある者は肉親をさがしもとめて/死がいを見つけ そして焼いた

 人間を焼く煙が立ちのぼり/罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた/浦上のまちが見わたすかぎり/ガラガラの瓦だけになり/拾う人もない黒こげの死体が続いて/戦争が終った/ケロイドだけを残してやっと戦争が終った

 だけど……/父も母も もういない/兄も妹ももどってはこない

 人は忘れやすく弱いものだから/あやまちをくり返す/だけど……/このことだけは忘れてはならない/このことだけはくり返してはならない/どんなことがあっても……

そしてこの詩が出来た経緯について、こんな記事が・・・

繰り返させない、原爆詩に込め 長崎平和宣言引用、91歳の願い

 平和祈念式典会場の公園周辺が商店街だったころ、母子4人で住んでいた。74年前のあの日、爆心地になった。原爆を忘れたい。忘れてはいけない――。40年前、苦しみながら思いをつづった詩が今年、平和宣言に使われた。「戦争を考える糸口の一つになれば」。そう願う。

190810yamaguchi  長崎県長与町の山口カズ子さん(91)。17歳の時、勤め先の三菱兵器大橋工場で机に向かおうとして、強い光を受けた。崩れた建物からはいでると、外は一変していた。迫る火の手、暗い空。髪が逆立った人、頭から血を流した人。顔と両腕にやけどを負い運ばれた救護所で、自宅がある町で助かった人はいないと聞いた。希望を捨てたくなくて、誰にも家族の安否は尋ねなかった。
 父を早くに亡くしており、身を寄せた伯母に秋ごろ、告げられた。学校が夏休みだった11歳の妹は自宅で骨が見つかった。近所のしょうゆ工場で働いていた母と、14歳の妹は手がかり一つ見つからなかった。
 母と妹たちを捜すことも、遺骨を拾うこともできなかった。自分だけが助かったことがやりきれなかった。忘れなければ前に進めないと思った。家があった町に寄るのを避け、同級生と原爆の話はしなかった。
 冷静に振り返れるようになったのは、30年がたったころ。結婚後まもなく夫婦で始めた印刷所は従業員が増え、3人の子は20代になっていた。
190810nagasaki  本屋で被爆者の手記や写真集を手にした。立ったまま焼け死んでいた同級生。家族がいた町で水を求めて川に顔を入れたまま亡くなった人。知らないことばかりだった。母と妹の最期が浮かんだ。絶対に繰り返してはいけないと感じた。
 あの日と同じように空が青かったある日。初めて詩が浮かんだ。
 この日、式典会場に詩が響いた。参列した山口さんは、じっと目をつぶった。原爆に命を奪われた人たちと、平和に暮らしてこられた自分。生かされている不思議さ、申し訳なさ――。平和がずっと続きますようにと、強く願った。天国の母と妹たちも、きっと祈っていてくれる。山口さんは少しほほえんで、会場を後にした。(田中瞳子、安田桂子)」(2019/08/10付「朝日新聞」p30より)

話は飛ぶが、今朝の朝日新聞のトップは「森友問題、捜査終結 佐川氏ら再び不起訴 背任・文書改ざん「嫌疑不十分」」(ここ

どんな事件や事故も、時間と共に風化していく。そして人間は同じ過ちを繰り返す。
それを避けるには、「臥薪嘗胆」の故事ではないが、常に風化しないように思い出すしかない。

改めて、原爆の悲惨さを甦らせたこの詩、そしてそれを引用して原爆の怖ろしさを改めて世界に発信した昨日の平和宣言。
いずれ孫に読んで聞かせたい原爆詩ではある。

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2019年8月 9日 (金)

田上・長崎市長の2019年「長崎平和宣言」

今日は、被爆から74回目の長崎原爆の日。カミさんが、長崎市長の宣言を聞きたいというので、一緒に聞いた。今までに無く心にしみ渡る宣言文だった。

<田上・長崎市長の「令和元年 長崎平和宣言」>

令和元年 長崎平和宣言(宣言文)

目を閉じて聴いてください。

 幾千の人の手足がふきとび
 腸わたが流れ出て
 人の体にうじ虫がわいた
 息ある者は肉親をさがしもとめて
 死がいを見つけ そして焼いた
 人間を焼く煙が立ちのぼり
 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
 ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった
 だけど……
 父も母も もういない
 兄も妹ももどってはこない
 人は忘れやすく弱いものだから
 あやまちをくり返す
 だけど……
 このことだけは忘れてはならない
 このことだけはくり返してはならない
 どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
190809taueshichou  原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機に瀕(ひん)しています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
 戦争や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
 国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。
 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
 平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。
 核保有国のリーダーの皆さん。核不拡散条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。
 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。

 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。
 長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2019年(令和元年)8月9日
                  長崎市長 田上富久

非常に分かり易く、具体的で、いつまでも繰り返し思い出したい宣言文である。
その間、テレビに映し出された安倍総理は、左目を閉じて右目を開け目玉はキョロキョロ。まるで聞いていない風。一方、一緒に映った隣の大島衆院義の熱心に聞いている様子とは対照的。
たぶん首相は、いつものように、一刻も早くこの場から姿を消したいと思っていたのだろう。

特に印象に残った次の言葉を改めて噛み締め、原爆を風化させずに、次の世代につなげたいのものである。

「原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。」

「私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。」

「平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。」

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2019年8月 7日 (水)

朝日歌壇「番外地」~笑い飛ばしたいが・・・

先日の朝日新聞の記事である。

大いなる夢と笑いと 朝日歌壇「番外地」 選者・永田和宏
 朝日歌壇に寄せられた、入選は逃したものの笑いを誘う短歌を紹介する「番外地」第11弾。今年は永田和宏さんが紹介します。
     ◇
 まずは番外地名物、歌が採られない嘆き節から。
 ◆トランプの壁より高し朝日歌壇甘酒のんでひとり慰む 山口正子
 ◆ごくたまにわが歌の載ることあれば着いてはゐるらし投稿の葉書 坂本捷子
 ◆出してもいない歌をさがす日曜日出さねば出ない出しても出ない 梶正明
 どれも切実だが、トランプの壁が無くなっても、すみません、朝日歌壇の壁は低くはならないと思います。坂本さんは「ごくたまに」と言うけれど、はるかに打率の低い方々も大勢いらっしゃいます、念の為(ため)。昔、「私書箱300」は本当にあるのかなんて歌もあった。
 確かに「出さねば出ない」わけだが、「出しても出ない」が妙。選者への微(かす)かな怨嗟(えんさ)もあるか。あまり深刻にならないで。
 逆にあまりの能天気に笑ってしまうことも。
 ◆千年後朝日歌壇の吾(あ)の歌が元号となる夢を見ている 鈴木高志
 いいですねえ。万葉集が元号になるのなら、ひょっとして私の歌もというのだが、まずないでしょうね。まあ夢だけなら何の罪もないので大いに夢見て投稿を。
 ◆お迎えと迎えの違いは大きくて迎えのバスに「お」はつけないで 牧野弘志
 これは大いに笑ってしまった。何にでも「お」をつければいいというものではない。「お迎えがきました」と言われたら、デイサービスの車に乗り込むのにも覚悟が要るだろう。
 ◆夫婦間の言った言わないに使いたしドライブレコーダー、ビデオ判定 西村愛美
 ◆好物のいちごを妻に供えたが見切り品だと気付くだろうか 小田友弥
 夫婦間のジャブの応酬も番外地名物。言ったじゃない、いや言ってないは、夫婦喧嘩(げんか)の定番だが、現代技術を駆使すれば判定は訳もない。しかしカタをつけないで、ああだこうだと言っているのが夫婦喧嘩の妙というもの。小田さん、奥さんはもちろん気付くでしょう。でも喜んでいるはず。
 ◆「イワンの馬鹿」読み返しつつ膝(ひざ)を打つ「いやーん、ばかーん」そうだったのか 三井一夫
 全くばかばかしくも面白いナンセンス。でも気づいただけ賢くなったのかも。
 ◆あっち行ってお金やるからあっち行け!お化け屋敷で子の世渡り見ゆ 金宮美保子
 ◆「おじいちゃんの頭は肌色塗っちゃうね」五歳のお絵描きは容赦もあらず 折津侑
 立派な子供たちだ。お化けとの交渉術も見事だし写生に忠実なお絵描きも偉い。
 政治のあまりの劣化に笑おうという気も無くなったのか、ピリッと気の利いた社会詠が少なくなったのが残念だった。
 ◆どんたくは博多ばってんそんたくは小倉につなぐ橋だっちゃ、てか 小竹哲」(2019/08/01付「朝日新聞」P27より)

自分は川柳も好きだが、こんな番外の歌も読んでいて楽しい。
この朝日歌壇。たぶんベテランは毎週書いて投稿しているのだろう。そして、毎週自分の作品が載るかとドキドキ・・・
そんな趣味はうらやましい。ずっとチャレンジし続けるのも生き甲斐につながる!?

ここに挙がっているどの歌も楽しいのだが、選者が言うように「政治のあまりの劣化に笑おうという気も無くなったのか、ピリッと気の利いた社会詠が少なくなったのが残念だった。」
日韓の摩擦問題も、それぞれのトップの目線は自分への支持率だけ。それによって事態がどうなろうと、将来の国民がどうなろうと、そんな事よりも自分の保身だけを思って権力を使い、国民をあおっている。
力の弱い施政者が国をまとめるには、国の外に戦争を仕掛けて民意をまとめるのが最も簡単、とは良く言う。今の日韓関係は、まさに戦争を利用して国内をまとめる手法そのもの。
それに、愛知県の企画展「表現の不自由展・その後」が河村名古屋市長の圧力で中止になった件も、先進国として恥ずかしいこと。
オトナの大村知事と、ガキの河村市長との対比が目立った事件だった。

毎日暑い日が続いている。そして、もうすぐ終戦記念日。しかし今年は、重たいテーマはあまり論じたくない。
上の歌のように、笑い飛ばしたい劣化した世の中ではあるが、なぜか暑さで重苦しい自分の最近の日々である。

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