2019年4月17日 (水)

新聞で「取り上げない」というリスク

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)「取り上げない」というリスク 湯浅誠
 「お金のない人が、ニュースを知ろうと思ったとき、情報を得る手段と言えば?」――こう大学生に聞けば、ほぼ全員が「スマホ」「ネット」と答えるだろう。しかし、今秋に予定される消費増税にともなう低所得者対策としての軽減税率(据え置き)の対象になったのは、スマホでもパソコンでもテレビでもなく、「定期購読契約が締結された週2回以上発行される新聞」だった。

 「新聞が重要な情報源だという国民はたくさんいる」という意見も当然あるだろう。私は新聞への軽減税率の適用自体を批判するつもりはない。私が違和感をもつのは、それについての議論が、朝日新聞紙上にほとんど展開されなかったことだ。
    *
 朝日新聞のデータベースを見ても、軽減税率適用を求める新聞大会決議が、紙面の目立たないところにそっけなく載るだけ。新聞への適用が決まった際には、社説が「私たち報道機関も、新聞が『日常生活に欠かせない』と位置づけられたことを重く受け止めねばならない」「社会が報道機関に求める使命を強く自覚したい」(「軽減税率 『再分配』を考えていく」、2015年12月16日朝刊)と触れたが、なんだかあまり都合のよくないことが起こったときの閣僚答弁のようだ。ホントの閣僚答弁だったら、朝日新聞は「~と歯切れ悪く語った」とでも評するのではないか。

 朝日新聞社を始めとする新聞社の立場は当然、あっていい。「ネットで流れるニュースだって、元をたどれば新聞記者がとってきた情報だ」と、堂々と新聞への軽減税率適用の正当性を主張すればいい。しかし世の中にはそう思っていない人もいる。だから考える素材を提供する必要がある。新聞は、健全な民主主義の発展のために、その使命と役割を担ってきた。それなのに自社が絡むと議論が低調になり、考えるための多様な素材も紙面に載らない。読者から「新聞も他の商品と同じく10%にすべきだ。上げないなら、新聞社あるいは新聞協会としてしかるべき説明をすべき」(70代・男性)との声もあったが、朝日新聞の幹部が、反対する人と対談し、世の中に「どうか」と問うくらいの度量と企画力があってもよかったのではないか。

 そうでないと、朝日新聞が「多様な素材を提供する」と言うときは朝日が取り上げたいときで、取り上げたくないときは議論低調なままやり過ごす、人々の目が向かないようにするんだ、と見えてしまうのではないか。民主主義の成熟よりも自社利益を優先する新聞だという「邪推」が成り立ってしまうのではないか。それって、朝日が誰かさんを批判するときによく使う論法じゃなかったっけ? 「不都合なことには目を向けない」「まともに答えない」と。
    *
 この件について、佐古浩敏ゼネラルエディターに聞いた。紙面展開が少なかったのはなぜですか?

 「会社としては『民主主義を支え活字文化を守るためには、知識への課税は最小限度にとどめるべきだ』『書籍、雑誌などを含む活字媒体への軽減税率適用の必要性を訴えていく』との考えを示しています。世の中に表明している、この立場を横に置いて多様な意見を紹介しても『アリバイづくり』に見られるだけではないか、という懸念がありました」

 「新聞への軽減税率適用の是非を超えて、『新聞は民主主義社会のインフラだ』とみなさんに認めてもらえるような良質な紙面を届け続けることが、結果的にみなさんのご理解を得る近道だと考えています」

 ……それなんですよね。取り上げないのは、自社への利益誘導と見られないため。しかし取り上げないことで自社への利益誘導と見られるおそれもある。私が懸念するのは後者のリスクで、それに対する回答が「良質な紙面を届け続ける」だけでは弱いのではないかと思うんです。

 佐古さんの言葉は、好意的に見れば「職人気質の潔さ」とも言えますが、取り上げないことで「不都合なことから目を背ける」と見られるリスクを軽視しているなら、今という時代に合わせたセルフプロデュースができていないとも言える。「たしかに今の時代、メディアの当事者性を意識した自己開示をしていく必要性も理解しています。これからの課題です」と、佐古さんは話した。

 取り上げるリスクと取り上げないリスク、たしかにどちらもある。だが、朝日新聞が「良質な紙面を届け続ける」と愚直さを示すことが、いつでも好意的に評価されるとはかぎらない。その態度だけで、「倒れゆく巨象」の運命を免れられるか、私は疑問に感じてもいる。

 今秋に向けた消費増税の議論の中では、後者のリスクを意識した紙面が展開されることを期待したい。
    ◇
 ◆ゆあさ・まこと 社会活動家、東京大学特任教授。1969年生まれ。こども食堂の普及啓発に取り組む。」(2019/04/16付「朝日新聞」p17より)

この記事を読みながら、先日の「上野千鶴子さんの東大の入学式での祝辞」(ここ)を思い出した。

「言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。」という言葉と、この全文を東大のHPに載せたこと。

これは取りも直さず、東大という組織が、この上野さんの発言を許容しているという事。
同様に受け取ると、朝日新聞もこの湯浅誠さんの、朝日にとって耳が痛い意見を載せたということで、まだマシなのかも知れない。
まあ、掲載したことで、アリバイづくりをしているのかも知れないが・・・

他紙の状況は分からない。朝日にしてこうなので、もっと無視しているのだろう。

それにしても、自己に都合が悪いことは、お手盛りで情報操作をする、という悪しき伝統は、政界に止まらず、日本全体の伝統なのだろう。
特に戦前、新聞の販売部数を上げるために戦争へ駆り立てた新聞の扇動ぶりは、今さら語るまでも無い。
それに引き換え、現代のNetをいうメディアは、誰もが言いたいことを言える手段を得た、という意味では大きい。しかし、その大海原から何を拾うのか・・・
情報管理されていることが前提の今の世の中。Netを駆使して自分にとって正しい情報を得、物事を判断していくとしても、生半可な努力で得られる物では無い。
自律して生きることは、なかなかに難しいものである。

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2019年4月14日 (日)

上野千鶴子さんの東大の入学式での祝辞

東大の入学式での祝辞が、こうまで話題になることは少ない。全文を読んでみると、なるほどと解せる。

「「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】

「ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました」

「その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょうーー」

4月12日に開かれた東京大学の入学式の祝辞が、話題を呼んでいる。【BuzzFeed Japan / 伊吹早織】(ここより)

190414ueno 新入生約3100人を前に祝辞を述べたのは、ジェンダー研究(女性学)の第一人者として知られる、同大名誉教授の上野千鶴子さん。

上野さんは、東京医科大学が女子受験者を差別していた入試不正問題に触れ、「あなたたちはがんばれば報われると思ってここまで来たはずです。ですが、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」と述べた。

「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」と言い、社会に根付く構造的差別に目を向けるよう求めた。

さらに、東大入学者の女性比率が「2割の壁」を超えないことを挙げ、「社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです」と指摘。

高校生新聞によると、同大の2019年度一般入試合格者のうち、女子は510人で、全体の16.9%だった。17年度の19.3%、18年度の18.2%と比べて比率は下がっている。

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます」

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」と訴えた。

上野千鶴子さんの祝辞全文は、以下の通り。
「ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。

が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。

文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。

問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。

ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?

全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。

ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。

まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。

第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。

統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。

第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。

この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。

「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling down、すなわち意欲の冷却効果と言います。

マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。

他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。

東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。

なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。

なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。

女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?

愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。

この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。

「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。

わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。

この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。

ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。

その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。

女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。

私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。

女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。

女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。

どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?

...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。

今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。

女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。

東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。

そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。

ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

これまであなた方は正解のある知を求めてきました。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。

学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。

あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。

知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

ようこそ、東京大学へ。」ここより)

何と含蓄のある言葉であろう。特に印象に残った言葉は・・・
「愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。」

「そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。」

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」

上野さんも東大出かと思ったら、京大だそうだ。wikiで経歴を読むと、44歳の頃、東大の助教授になり、18年間東大で教えたという。

氏が言う通り、日本は女性の活躍が少ない。政治の世界も同じ。世界では、ドイツや英国の首相だけではなく、北朝鮮の政府幹部も女性が堂々と記者会見をしていた。
しかし、日本の女性政治家を頭に浮かべると、立派な人だと思える人がいない。頭に浮かぶ女性政治家の誰もが、辟易する人ばかり。この違いは何だろう?人材が居ない??

ともあれ、東大卒という肩書きだけで生きていける時代では無い。東大という恵まれた環境の中で、どう自分を磨いていけるのかの問題。
しかし東大出の優秀な人の集まりである官僚の世界も、近年は「忖度」「公文書改ざん」など、目を覆うばかり。
上野さんの言葉は、そんな現状をも見据えて、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」と言っているように聞こえた。

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2019年4月12日 (金)

作品には罪はない?

昨日(2019/04/11)の朝日新聞の記事である。“ピエール瀧”事件の反動で、色々な対応に分かれている世間。それらの意見をじっくりと眺めてみよう。

(耕論)作品には罪はない? 多田憲之さん、尾木直樹さん、碓井真史さん
 麻薬取締法違反の罪で起訴されたピエール瀧被告は、ドラマや映画、ライブに引っ張りだこだった。関連作品の自粛が広がる中、その対応に賛否が分かれている。「作品に罪はない」のか。

 ■一律自粛、表現の場苦しく 多田憲之さん(東映社長)
 ピエール瀧被告が出演する作品を公開するかどうか、配給会社として判断を迫られました。逮捕直後から、映画製作委員会の参加社と協議しましたが、議論百出。編集を求める意見も出ましたが、結局「作品に罪はない」と、一切編集や削除をせず、予定通り公開することにしました。
 記者会見で発表すると、すさまじい数の賛否両論が寄せられました。ネットの書き込みには「犯罪会社」など過激なものもありました。一方、賛同の電話やメールもたくさん頂戴(ちょうだい)しました。上映館や出資者が減るのではとも心配しましたが、今のところ、一つもありません。
 劇場で上映する映画は、有料で見たい人や鑑賞の意思を持った人が来るクローズドなメディアです。見るか見ないかは、お客様に決めていただけばいい。その代わり、出演者についてはしっかり告知し、前売り券の払い戻しにも応じることにしました。
 ただ、映画ならいつも同じ判断をするということではありません。作品の製作委員会の構成や内容によって判断は分かれます。一律に公開、非公開の線引きをするのは不可能だと思います。
 私個人としては、十把一絡げに公開中止や配信停止の動きが広がっている最近の風潮に、違和感を覚えます。
 何十人もの俳優さんやスタッフが長い年月をかけて作り上げた作品が、その中の1人のせいで没になる。さらに過去の作品までもが自粛となる。江戸時代の五人組や戦時中の隣組のような、連帯責任と相互監視のようなものを連想してしまいます。
 例えば部員1人の不祥事により、高校野球のチームが出場辞退することがあります。チーム全員でたばこを吸ったとか、酒を飲んだというならともかく、ムラ社会的な窮屈さを感じます。
 企業も昔はそれほど過敏ではなかったと思います。インターネットやスマホが普及し、大変便利になった半面、時として縮こまりがちになってはいないでしょうか。SNSでの炎上が怖いとか、株価が下がったらどうしようとか、そういうことを恐れ、「よそがやるからうちも」という同調圧力が働いているのではと思います。
 クリエーティブな世界では、優れた才能を持つ人々が、自由闊達(かったつ)に表現方法を追求していくことが大切です。もちろん、時代に応じた規制を受けるのは当然です。
 ただ今回の件に加え、時代背景を考えずに「喫煙シーンは駄目」などと、一律に自粛する風潮が広がると、表現の場が息苦しくなってしまうのではと恐れています。私たちの原点は大衆の娯楽であり、庶民が喜んでくれる作品をつくることです。政治やイデオロギーのための映画ではありません。(聞き手・池田伸壹)
     *
 ただのりゆき 1949年、北海道生まれ。72年に東映入社。北海道支社長、秘書部長などを経て2014年から現職。

 ■薬物汚染、子どもに影響大 尾木直樹さん(教育評論家)
 「作品と犯罪は別だ」「作品に罪はない」「過去の作品まで封じるのは行き過ぎ」という意見は、一般論としては理解できます。
 ただ、それは大人だけの意見です。当然、社会には子どももいます。ぼくは、薬物汚染の「弱者」である子どもを守る立場から警鐘を鳴らしたいのです。現時点では作品は自粛すべきだと思います。
 薬物汚染の低年齢化が進み、「小学6年生が大麻吸引」「中学生が覚醒剤を使用」といったニュースは何も特別ではありません。ネットやSNSなど入手方法も容易になったうえ、価格も安くなっています。そもそも日本の子どもたちは他国と比べて自己肯定感が極めて低く、薬物に流されやすい土壌が熟成されているのです。
 関西の有名私立4大学の新入生約2万3千人が答えた2018年の調査では、薬物の使用を「絶対にダメ」と考える学生は91%にのぼりましたが、「個人の自由」と考えている学生も7%いました。薬物使用の目撃経験者は6%で、入手できると答えた学生は56%にもなりました。
 母数が多いし、新入生が高校時代の経験で答えているのだから、深刻な事態です。
 薬物乱用の防止教育について言えば、単に恐怖心をあおるようなものではなく、脳への影響など科学的知見に基づいた内容であるべきです。
 「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というコピーがありました。でもピエール瀧被告は、何十年も芸能界で活躍してきました。よきパパだったとさえ言われています。彼の作品が平然と出続けたら、子どもたちに、薬物の恐ろしさは「大人が大げさに脅しているだけ」と受け止められてしまいます。
 例えば五輪メダリストは、ドーピングの発覚によりメダルを剥奪(はくだつ)されます。薬物で運動能力を向上させたとみなされるからです。つまり、薬物と結果が結びついているのです。ではなぜ、作品中の俳優の名演技と薬物は「別物」なのでしょうか。演技が日常的な薬物摂取による「ドーピング」的効果なら、両者には関係があると言えます。被告が俳優として社会的責任を果たすためにも厳しい姿勢でのぞむべきです。しかし見捨てるのではなく、依存症の治療には社会が温かい手を差し伸べないといけません。
 東映は予定通り出演作品を公開しました。いったん見合わせ、この事件が若い世代に与える影響を慎重に見てほしかったです。公開を称賛する声もありますが、そこに見える大人の薬物への鈍感さや、依存症に対する脳科学的な無理解に、ぼくは憤りを感じます。尾木ママはこの問題では譲れません。子どもたちは、大人の対応ぶりをしっかり見ているように思います。(聞き手・中島鉄郎)
     *
 おぎなおき 1947年生まれ。元法政大学教授。中、高、大で44年間教壇に立つ。近作に「尾木ママの孫に愛される方法」。

 ■一気に流れる空気に警鐘 碓井真史さん(新潟青陵大学大学院教授)
 作品の公開を自粛することがあってもいいと思います。例えば職場の同僚が逮捕されたとき、家族が亡くなったとき、宴会を自粛するのは自然の行為ですよね。強い悲しみや、心の底から罪の意識を持った結果としての行動なら、自粛してもある程度はファンも納得できるものです。
 ただ、「世間の空気」というあってないようなものを読み過ぎて何もかも無しにするのは、自粛ではなく「萎縮」です。そんな雲隠れや事なかれ主義に、納得できない人もいるでしょう。
 ヘマをした人や組織に対し、鬼の首を取ったかのように攻撃し、非難する人が増えています。日ごろからストレスをため込み、何かを蹴っ飛ばしたいけれど我慢している人は、小さなきっかけで怒りを爆発させます。普段は力を持つ有名人や芸能人をたたくと、気持ちがいいのです。
 人は集団の中で孤立することを恐れます。だから「僕の考えていることは、みんなもそう思っている」と感じられると、声を大にして意見を言うことができます。原発が素晴らしいと言う意見が目立てば同じ主張をする人が増える一方、少数派は沈黙するようになります。これを「沈黙の螺旋(らせん)理論」といいます。
 ネット社会では、これが偏った形で加速しています。SNSなどでは、自分の好きな意見や記事だけを読む傾向にあります。自粛すべきだと考える人が、自分が多数派だと思うと、より声が大きくなりがちです。またネット上での攻撃は、自分は絶対安全なところにいるので過激化しやすいのです。
 「優しく、共感しやすい」と言われる日本人は、数字やデータよりも人の感情に流されやすく、感情的意見を短時間でいくつも採り入れるのではないでしょうか。右も左も、そんな情報の中に平気でウソを紛れ込ませます。ウソは受けるし、おもしろいので、拡散力もあります。
 ひとたび転がれば、一気に流れる世の中の空気は本当に恐ろしい。非難が炎上して不買運動になるリスクを考えると、自粛という名の防衛に入りがちです。目立たなければ、非難は盛り上がりにくいですからね。しかしリスク面では賢くても、やり過ぎると優れた音楽や映画に触れられなくなり、私たちみんなが損をしてしまいます。ふさわしいバランスがあるはずです。
 そろそろ、そんな状態に歯止めをかけられないでしょうか。非難する側は、自分の気持ちにぴったりという意見やニュースほど、要注意と心がけましょう。非難を受ける側は、反対意見も尊重してどうあるべきかを議論し、しっかり考えた上で自粛するかどうかを判断するべきです。ネット社会においても、それができる世の中になってほしいものです。(聞き手・後藤太輔)
     *
 うすいまふみ 1959年生まれ。専門は社会心理学。ウェブサイト「心理学総合案内こころの散歩道」を運営。」(2019/04/11付「朝日新聞」P15より)

さて皆さんはどの立場を取るのだろう?自分は、東映の意見に賛成だな。
尾木ママは、「五輪メダリストは、ドーピングの発覚によりメダルを剥奪される」、だから「演技が日常的な薬物摂取による「ドーピング」的効果なら」同様、との指摘。
この論は少し無理があるのではないか?スポーツ選手の薬物は、即肉体を作ることが頭に浮かぶが、俳優の薬物摂取が名演技を呼び込むとは思えない。逆にセリフを忘れて、自沈するのではないか?
それに引き換え、3番目の碓井さんの意見は、大人の意見だと思う。
自分も、単に賛成や反対を唱えるのでは無く、こんな落ち着いた意見を自ら発信出来るようになりたいもの・・・

話は変わるが、ココログが3月19日に全面リニューアルして、そろそろひと月が近くなってきた。この大混乱は、目を覆う。それで、自分もすっかりツイッターを覗くようになってしまった。
先日も、京都旅行の記事を、写真を挙げながら書いていたら、急に画像のアップが出来なくなった。どうもおかしい、とツイッターで「ココログ」を検索すると、何と他にも同じ現象で困った、と書いている人がいた。やはりココログ側が原因と分かり、書くのをあきらめた。
徐々に改善はされているらしいが、当サイトに多くあるmp3ファイルに「MP3プレヤー」も表示されなくなってしまった。これも現在対応中らしいが、いつ直ることやら・・・

一方、Yahoo!ブログは2019年12月15日で、13年間のサービスを終了するんだって。
ココログは既にマイナー。月刊訪問者数で見ると、FC2ブログが2億3000万に対して、ココログは1400万。そして今回止めるYahoo!ブログでも3300万。
まあ書く方からすると、サービスを止められるのが最も困る。でも今回のリニューアルで、当分は止めるつもりが無い事が分かっただけ良かった!?
それにしても今回は、試作版を現場に投入したようで、乱暴なリニューアルだった。以前のが、アメリカの完成版を日本語化して持ってきたような完成度だと仮定すると、今回のは、素人が初めて作った試作品のように感じる。ココログも、新しいブラウザに対応出来ず、全体が古くなってしまったことは確かで、大幅リニューアルは必須だったにせよ、少々乱暴。
ツイッターを覗くと、あきらめて他のブログに移っていった人も多いらしい。ココログが、益々シェアが小さくなって行くのが心配。
まあ、今後の長いサービス期間を見据えると、ここ一番頑張って欲しいものだ。

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2019年4月 8日 (月)

京都・天満宮巡りと「梅小路公園手づくり市」に行く

先日(2019/04/05~06)、京都の天満宮巡りと、「梅小路公園手づくり市」に行ってきた。そのメモである。
「梅小路公園手づくり市」は、毎月第1土曜日に開催される。ウチのカミさんは、これだ大好き。今回は2度目。最初に行ったのが2012/11/03(ここ)だった。
今回は、3月の第1土曜日に行く予定だったが、バタバタしていてキャンセルし、1ヶ月後の今回リベンジ。

新幹線で9時過ぎに京都着。夜泊まる予定のホテルの前で、貸切タクシーと待ち合わせ。今回はプチ贅沢の旅である。前日までは、徒歩とバスの予定だったが、ふと貸切タクシーがあることを思い出し、電話すると前日にもかかわらず、予約できた。老人は、無理はいけない!?
一日、貸切タクシーで、京都市内の天満宮を巡り、御朱印帳集めをした。順番にメモしておく。

①文子天満宮(9:44)
まずは駅から最も近い文子天満宮。小規模ながら誰も居ない。御朱印帳を頼む。
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②菅大臣天満宮(10:09)
境内は少し広いが、ここも誰も居ない。そして御朱印を貰う場所が、何とも個人の家。ガレージの管理事務所も兼務。何とも・・・
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③五條天神社(10:19)
次は直ぐ近くの五條天神社。どこも桜が満開。ここでは、ピンポンしても誰も出ず、御朱印は貰えなかった。
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④菅原院天満宮(10:37)
ここには、菅原公の産湯の井戸があった。
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⑤護王神社(10:47)
次に行ったのが、自分の干支であるイノシシにちなみ、カミさんが見付けた「いのししの護王神社」に行った。
この神社は、とにかくイノシシ。そして足腰の守護神だというので、つい「足腰御守」を買ってしまった。
そして、初めて訪れたイノシシ年生まれの人には、何やらくれるという。自分も貰ったが、小さな袋の中に絵馬が入っていた。
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そしてランチは、これもカミさんが探してきた「本家尾張屋」のソバ。タクシーの運転手さんは良く知っていて、昼前に行かないと混む、とのことで、早めのランチ。やはり店を出たときは、列が出来ていた。店内は外人さんも多く、結構有名な店のよう。
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⑥廬山寺(12:02)
これもカミさんが後から行くと言い出したお寺だが、紫式部の邸宅跡で、源氏物語の執筆地だという。庭が綺麗・・・
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⑦下鴨神社(12:37)
さすがメジャーの神社。赤い門の前では、結婚式の写真を撮っている新婚さん。境内が朱色のトーンで統一されている。
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⑧霊光殿天満宮(13:09)
ここも桜は満開だったが、人はいなかった。
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⑨水火天満宮(13:21)
水火天満宮は、御朱印集めの女性がズラリ。桜も満開。人も多かったが、運転手さんの話によると、人が多いのは桜が満開の今だけとのこと。
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⑩北野天満宮(13:44)
さて、天満宮の大御所である。御朱印の受付もテントを張った専用の場所がある。
宝物殿に入ったら、刀剣が展示してあった。
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⑪錦天満宮(14:38)
ここだけは特殊。街の真ん中にある。雑踏の中を歩いて行くと、繁華街の突端に天満宮。ちょっとビックリ。
道路にはハデな色彩の浴衣姿の女性が歩く。聞くと、3千円位で和装するサービスが受けていて、外国の若い女性が、競って浴衣を着て、厚化粧をし、闊歩する。その姿でお寺などを観光しているが、結構みな綺麗。
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⑫建仁寺(14:55)
ここの規模の大きさには圧倒された。さすがに運転手さん、案内をしてくれた。もし我々だけだったら、迷子になって元の場所に戻れなかったかも・・・
禅居庵まで歩く。天井の双龍図も迫力満点。金澤翔子さんの書もダイナミック。
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⑬高台寺天満宮(15:54)
ねねさんの高台寺である。ここも規模が大きく、人も多い。ねねさんが、雨に濡れずに行けるよう、回廊がある。我々のエネルギーも尽きてきたので、そこまで行くのは止めた。
かくして、ホテルに戻る。16時43分着。しめて貸切タクシーは7時間半で23,200円だった。我々にとってみると、安い。
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最初は、徒歩とバスのつもりだったので、行く先を地図にプロットしており、位置関係が分かっていた。しかし、貸切タクシーの運転手さんに、プロットした地図を渡して、順番を任せた結果、それぞれの位置関係はまるで分からなくなった。でもこれは観光バスも同じ。
かくして、天満宮だけで8ヶ所回れた。なお、wikiに載っていた火除天満宮にも行ったが、あまりにプアーだったので、数に入れず。
かくて、今日のスマホの歩数は13,427歩だった。

<梅小路公園手づくり市>
次の日(2019/04/06)、ホテルからタクシーで、梅小路公園に。手づくり市は10時スタートだが、9時40分に着いた時には、もう始まっていた。客もボチボチ。カミさんは直ぐにお目当て店に行き、手編み帽子を注文していた。自分は相変わらず荷物持ち。
孫が来た時のために、小さな椅子を買う。軽いがかさばる。これを持って新幹線。
もちろん、園内の桜は満開。ふと、かきもち屋に長蛇の列。女性たちが奪い合いように買っている。それに釣られてカミさんも買い込む。土手に座って見ていると、あれよあれよあれよという間に完売し、オジサンがさっさと店を閉じていた。
そして11時半に、カミさんが買い物の終了を宣言。大満足とか・・・
公園内のカフェで少しお茶してから出発。
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カミさんが、京都鳩居堂に行くというので、タクシーで出発。着くと目の前に本能寺。
確か、本能寺は当時の場所から移転しているので、正確にはここでは無いはずだが、門前には高層マンション。信長を見下ろしている気分は如何??

⑭本能寺
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それからランチをしようと、ホテルのコンシェルジェが教えてくれてと言う店に行ってみると、開店は夕方だという。仕方なく、京都では有名だというイノダコーヒー本店に行く。ここでサンドイッチでランチ。店内は、高級ムード。まあ値段もそれなり。

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そして京都鳩居堂。本店は閉まっていて、仮店舗で営業していた。本店には建て替えで閉店の張り紙が。

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かくして3時前に全日程を終了し、ホテルに戻って荷物をもらい、京都駅から16時過ぎの新幹線で帰京。家に着いたのが8時前。
かくて、今日のスマホの歩数は11,104歩だった。
天気にも恵まれ、桜満開の京都小旅行。カミさん大満足、自分は、ああ疲れた!?
お疲れさまでした。

(関連記事)
京都小旅行(2/2) 

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2019年4月 3日 (水)

物理学者・米沢富美子さんが死去~「人生はいつでもチャレンジ」

先日、NHKラジオ深夜便で、「深夜便アーカイブス オトナの生き方「人生はいつでもチャレンジ」物理学者 米沢富美子(初回2013年2月10日OA)を聞いた。
この1月17日に亡くなっていたという。改めてググると、こんな記事があった。

「米沢富美子さんが死去 慶応大名誉教授
女性で初めて日本物理学会の会長を務めた慶応大名誉教授の米沢富美子(よねざわ・ふみこ)さんが1月17日、心不全のため東京都品川区荏原7の14の16の自宅で死去した。80歳だった。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長女、ルミ子さん。
1966年、京都大大学院修了。京大助教授や慶応大教授などを歴任した。アモルファス(非晶質物質)研究で世界の第一人者。96年に日本物理学会の会長に就くなど、女性科学者の草分け的存在として活躍した。
2012年6月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。」(2019/01/21付「日経新聞」ここより)

この番組は、たぶん3度目の放送。自分のラジオ深夜便のmp3ファイルを検索すると、同じ2013年の6月20日~21日にも再放送されているので、今回は3度目。
再度聞いてみると、この番組は残しておきたいと思った。
氏については、2012年6月19日に「日経の「私の履歴書~米沢富美子」~何とパワフルな…」(ここ)という記事を書いているので、改めて書かないが、前半の最後で語っていた、夫が55歳で亡くなって以来、「夫が心の中に生きていて、二人の人間がひとつの体の中で生きている」という言葉が印象的だった。

改めて聞いてみたい。

<オトナの生き方「人生はいつでもチャレンジ」物理学者・米沢富美子(前半)>

<オトナの生き方「人生はいつでもチャレンジ」物理学者・米沢富美子(前半)mp3>

<オトナの生き方「人生はいつでもチャレンジ」物理学者・米沢富美子(後半)>

<オトナの生き方「人生はいつでもチャレンジ」物理学者・米沢富美子(後半)mp3>

(関連記事)
日経の「私の履歴書~米沢富美子」~何とパワフルな… 

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2019年4月 2日 (火)

新元号発表のお祭り騒ぎ

テレビ好きの自分が、一日中テレビを点けなかったのは異例である。昨日(2019/04/01)の話である。
新元号発表で、お祭り騒ぎの一日を静かに過ごすためであった!?
そんな中、政権批判を旨とする日刊ゲンダイは、こんな記事を挙げていた。

新元号発表“異例”の生中継 テレ東に「判断基準」を聞いた
 新元号の話題で持ちきりだった1日、地上波テレビ各局は歴史的瞬間を報じるため朝から生放送の特番態勢を組んだ。
 そんな中、大事件があっても番組編成を変更しない“独自路線”がたびたび話題となるテレビ東京が新元号発表の瞬間を生中継し話題となった。
 この日、テレ東では、ニュース番組「昼サテ スペシャル」を、通常午前11時13~35分放送のところ5分間拡大して40分まで放送予定だった。しかし、元号の発表が11時41分にズレ込んだため、さらに延長し、その瞬間を生中継。これに対しSNS上では「歴史的快挙」「いつものテレ東じゃない」などと驚きの声が上がった。
 しかし、午前11時50分からは通常放送に切り替わり、安倍首相の談話は華麗にスルー。レギュラー番組の「昼めし旅」を放送し、「かぬま和牛の贅沢旨辛丼」などを紹介した。SNS上では再び「やっぱりテレ東はこうでなくっちゃ」「ありがとうテレ東」などと賛辞の声が上がった。
 テレ東の“独自路線”を巡っては、湾岸戦争開始時や、北朝鮮の弾道ミサイル発射、オウム真理教の松本智津夫被告が死刑判決を受けた際などにも「通常運転」のままアニメ番組の再放送や情報番組を流し続けた。そのスタンスが潔いとされ、「テレ東伝説」としてSNS上で称賛されていた。
 特番編成や臨時ニュースを流す判断基準に関して、テレビ東京に聞いてみると「番組差し替えについては、編成状況や、緊急性、社会への影響度などから総合的に判断しております」(広報部)と答えるのみ。
 先月28日に行われた社長定例会見で、視聴率低下の話も伝えられたテレビ東京。他局に迎合することなく、このままの“独自路線”で回復の糸口を見つけて欲しいものだが……。」(2019/04/02付「日刊ゲンダイ」ここより)

テレビ局が溢れている首都圏ならでは?
テレビ東京は、2011年の東日本大震災のときも、堂々と特番を放送していなかった。その心意気には感心。
それゆえ、特別に15分延長しただけでニュースになる!?

「令和」だって・・・。自分は郵便局で待たされていたときに、たまたまスマホで知ったが、「令」の字に違和感。響きが堅い。「めいじ」「たいしょう」「しょうわ」「へいせい」に比べて、「れいわ」はキツイ。
「命令のイメージ」という指摘もある。
ニュースによると、「令和」のほか、「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」が候補だったという。どれもピンと来ない。自分だったら、全部拒否かも??

ま、そもそも自分は新元号が何であっても、たぶん違和感。理由は、アベがきらいだから・・・
あの得意満面の顔を見るのがイヤで、昨日はテレビを点けなかったのだと思う。
オレがオレが・・・という姿勢がイヤ。
いつになったら平和が来るのだろう!?
自分は西暦以外は使わないので、どうでも良いのだが・・・

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2019年4月 1日 (月)

透析中止、広がる議論~延命治療の現場

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(時時刻刻)透析中止、広がる議論 44歳女性死亡、病院「問題なし」 他20人説明せず
 昨年、当時44歳の女性が人工透析をやめ、公立福生(ふっさ)病院(東京都福生市)で亡くなった。病院は28日、初めて報道各社の取材に応じ、女性の意思を十分確認した上で中止し、手続きなどに問題はなかったとの認識を示した。患者が透析中止を希望した場合、医療者はどのように対応すべきか。今回の件をふまえて学会で議論している。
190401touseki  治療にあたった外科医(50)と松山健院長らが女性の治療経過を説明した。
 説明によると、糖尿病による腎不全や心筋梗塞(こうそく)などを起こし、人工透析をしていた女性は、左腕につくった透析用の血液の出入り口(シャント)の状態が悪化。血管の状態も悪く、新しくシャントをつくるのは難しい状態だった。
 昨年8月9日、女性はシャントが閉塞(へいそく)し、同病院を受診。外科医は首周辺に管を通す透析治療を提案したが、女性は「シャントがだめだったら透析をやめようと思っていた」と話し、拒否した。
 外科医は透析をやめると2週間くらいで死に至ると説明、女性は「よくわかっている」と答えたという。女性と女性の夫、外科医と看護師、ソーシャルワーカーを交えて再度話し合ったが、女性の意思は変わらず、夫も女性に同意した。外科医は透析からの「離脱証明書」に女性に署名してもらった。
 女性は14日に入院。16日未明、呼吸の苦しさや体の痛みを訴え、看護師に「こんなに苦しいなら透析した方がいい。撤回する」と発言したことが記録に残っている。
190401touseki1  しかし、16日昼前に女性の症状が落ち着き、外科医が呼吸の苦しさや体の痛みが軽減されればよいか、それとも透析の再開を望むかと尋ねると、「苦しさが取れればいい」と答えたという。外科医は女性の息子2人にも説明して理解を得たうえで鎮静剤を増やし、女性は同夕に亡くなった。
 外科医は「透析を続けるための措置を拒否したために透析が出来なくなった特異なケースだが、丁寧に対応し、出来ることはやらせてもらった」と述べた。
 今月6日に病院に立ち入り検査をした東京都は当初、外科医が透析をやめる選択肢を示した、と説明していた。この点について外科医は「中止の選択肢は示していない」と否定した。
 透析中止の判断をめぐり、都は、日本透析医学会の提言を踏まえて第三者も入る倫理委員会に諮るべきだったのに行わなかったとして、病院を口頭指導した。しかし、松山院長は「病気の進行や患者の透析離脱の強い希望などがあった。学会の提言には違反していない」と述べた。
 都の調べで、同病院では女性のほかに透析を始めなかったり、中止したりした患者20人が亡くなったことが判明している。病院側は「確認が取れていない」として説明しなかった。
 病院側の弁護士は、取材対応が問題の表面化から3週間以上後になったことについて、学会の調査や見解を待っていたため、などと説明した。
 都のほか、日本透析医学会と日本腎臓学会も調査を進めており、近く指導したり、見解を示したりする予定だ。(土肥修一)

 ■命を左右、十分な説明必要
 日本透析医学会は2014年、どのような場合に透析を中止するかについての提言を示した。中止の検討対象を、がんを併発するなど終末期の患者に限定。終末期でない患者が強く中止を望む場合は、透析の効果を丁寧に説明し、それでも意思が変わらなければ判断を尊重するとしている。また、患者の意思が変われば透析を始めたり、再開したりすることも盛り込んだ。
190401touzeki2  木澤義之・神戸大特命教授(緩和支持治療科)は、「病院側の説明では、本人の意向を何度も確認し、誠実に対応した印象だ」と話す。その上で、透析中止の判断後の重要性を指摘する。「がん以外の他の病気では家族への対応が不十分な場合も少なくない。今回、適切な苦痛緩和や家族の十分なケアが行われたのかという視点での検討も必要だ」と話す。
 人工透析は週2~3回、1回で4~5時間かかり、身体的にも精神的にも負担が大きい。少数だが、脚の血管が詰まり透析の度に激痛が走る例もある。透析開始年齢が平均約70歳と高齢化して合併症を持つ人も少なくない。このため、透析をしたくない、やめたいという患者もいる。
 だが、多くの場合透析をすれば、何年も生きることができる。藤田医科大の稲熊大城教授(腎臓内科)は「心臓などに問題がなければ、透析を始めれば、その時点での平均余命の半分は生きられる」と説明する。
 70歳男性なら7年超にあたる。透析をしながら旅行やスポーツなどを楽しむ患者も少なくない。透析医学会は25日、透析をしているだけでは終末期に含まないとの見解を示した。
 患者の命にかかわる透析の中止などについては、慎重な検討が必要だ。清水哲郎・岩手保健医療大学長(臨床倫理学)は「方針決定には本人の意思の尊重が大前提だが、医学や生活への影響についての知識が不十分なままでの意思決定は必ずしも本人にとって最善とは限らない」と話す。
 患者が透析で余命が何年も見込めるのに透析を望まない場合や、透析の実態や費用などについて誤解している場合は、医療従事者は透析の効果やリスク、公的助成などについて十分に患者に説明し、理解してもらうことが欠かせない。
 清水さんは「医療従事者も含めて本人やチーム全体が合意に至らなければ、本人の人生観や価値観を踏まえた上で、何度も話し合いを繰り返すことが大切だ」と強調する。(小坪遊、田村建二、大岩ゆり)」(2019/03/29付「朝日新聞」p2より)

この話は、「単に生きていれば○(マル)なのか?」という疑問と、「余り病院を叩くと、医師が萎縮してしまい、結果として植物人間が増えてしまう」という懸念を自分に持たせる。
前に「リビングウィルの病院現場での体験」(ここ)という記事を書いた。

延命措置を望まない兄を、病院と戦いながら?送った体験談である。
最期まで意識があった兄は、チューブにつながれて生きる意味を考え、6年も前から尊厳死協会のリビングウィルに署名をして、自分の死に様を決めていた。
しかし、最期の症状であった気胸の治療に対し、病院側の姿勢は非常に頑(かたく)なで、それがそう簡単に実現しないことが分かった。書類も延命治療を拒否し、本人にそれを聞いても、明確に延命措置は不要。と答えていた。
それでも、主治医は瀕死の患者に「拒否する理由は何ですか?」「後日、4人の治療チームの医師で説得します」と言っていた。そこには「気胸で、チューブを入れない人はいない」という固定概念があり、それに向かって突き進むのが病院として正しいことだったらしい。そこには、口では「患者自身の意志が最優先」と言っていながら、標準治療を押し付ける姿勢が明確だった。

今回の、福生病院の透析問題は、まさにその背景を映し出している。そう、患者の意思を尊重すると、こうなるのである。叩かれなくても良いことで、世間からこれだけ逆風を受ける。だったら、患者の意志など無視して、標準治療を押し付けた方が、病院としては楽なのである。

この事件の発生で、益々病院は、患者の意志から遠くなり、標準治療を押し付け、結果として苦しみながらただ生きているという無残な患者が増えるだろう。患者本人はもとより、家族の負担、保険の負担が増え、「何のための延命か?」「何のために、生き長らえなければいけないのか?」という疑問が膨れる。

この透析患者の場合、途中から苦しいからと、「止める(透析を続ける)」と意志が変わったとしても、たぶん後戻りはできなくなっていたと思われる。しかし患者の心変わりも分かる。上の記事にもあるが、そこには苦痛緩和の治療がどれだけ為されたのか、という疑問だけは残る。
治療を止めて、死ぬまでにどのくらいの苦痛が伴うのか、それに対してどう処置ができるのか。という説明がどれだけ為されたのか?それによっては、「簡単に死ねないのなら、治療を続ける」という判断もあったかも知れない。

自分が今後、同じ状況になったら、今までの「治らないのなら、単なる延命治療はしない」「しかし、死ぬまで出来る限りモルヒネを使って下さい」に加えて、今回の事件を受けて「散々モルヒネを使っても、死ぬまでどの位苦しいですか?」と聞くことにしよう。
「延命治療をしないで死ぬのがそんなに苦しいのなら、そして、もし延命治療をすることで、苦しまなくて死ねるのなら、延命治療をして下さい」と言うかも・・・
医療現場が萎縮することを懸念させる今回の事件ではある。

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2019年3月29日 (金)

NHKの政治報道変だ~「安倍政権寄り」

先日の毎日新聞(2019/03/27付夕刊)にこんな記事があったという。

NHKの政治報道変だ 「安倍政権寄り」と保守系誌も批判
190329mainichi1  NHKの政治報道が変である。今年に入り、論壇誌が相次いで「安倍晋三政権寄りが目に余る」などと報道姿勢にモノ申す特集を組み、NHKのOBらが古巣に抗議する事態になっているのだ。物議を醸した籾井勝人前会長が退任して2年。公共放送はどこへ向かっているのか?【吉井理記】

190329mainichi2  記者が報道の仕事に最初に関心を持ったのは、小学生だった1984~85年放送のNHK特集「21世紀は警告する」だった。番組内容をまとめた単行本を今も持っている。もちろん、それ以降も社会や歴史の断面を深く掘り下げるドキュメンタリー番組に圧倒されてきた。
 そのNHK、政治ニュースにかつてないほど厳しい目が向けられている。保守系論壇誌「月刊日本」は4月号…」(2019/03/27付「毎日新聞」夕刊ここより)

全文を読みたいな、とググっていたら、(ここ)で全文が読めた。写真はここから借用。

自分も心配?していたことだが、客観的にもNHKは劣化しているらしい。
自分もNHKニュースをまともに見なくなって久しい。これはちゃんと受信料を払っている者からすると残念。しかも、受信料はスマホのワンセグ携帯でも払え、という最高裁判決まで出ている。
怖いもの無しのNHK。それだけにこの劣化は怖ろしい。国民への政権のプロパガンダにつながる。金を払って、政権の宣伝放送を見る???

元NHK記者だった相澤冬樹(著)の「安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」という本が、Amazonではベストセラー1位だという。
問題意識は、広まっている。しかし、その問題を今後どう正して行くかは、国民が選挙を通してしか、手段が無い。
当blogで毎度、念仏のように書いているが、我々国民が投票した選挙の結果がこの事態を招いている。このNHK問題も、我々自身の責任なのだろう。

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