2019年2月16日 (土)

「小4虐待、母の「被害」に想像力を」

昨日(2019/02/15)の朝日新聞の「声」の欄に、こんな投稿があった。

「(声)小4虐待、母の「被害」に想像力を
    大学院生 女性(千葉県 24)
 千葉県の小4女児死亡事件を取り上げた天声人語(11日)を読んで絶句した。夫の暴力の矛先が娘に向いている限り自分が被害に遭うことはないと供述したという妻を「信じがたい保身」と非難したのだ。しかし私は、筆者には暴力の本質に対する想像力が根本的に欠けていると感じた。
 私も実の親から虐待を受けた。それゆえ、夫の暴力が妻にどれほどの恐怖をもたらしたか、その本質を想像することができる。もちろん、わが子の命を守れなかった点で母親にも責任はある。しかし、見方を変えれば、虐待を黙認していたとされる母親自身も、夫から暴力を受けた被害者なのだ。
 責任があるならば、たとえ被害者であろうとも責めていい。そんな風潮を作ってはならない。「責任」を強調しすぎると、被害者が萎縮し、周囲に助けを求めることができなくなってしまう。
 だれが悪く、だれを責めるのかから議論を始めてしまっては、結局のところ何の解決にもならない。暴力をなくすためにまずすべきこと、それは、被害者への想像力を働かせることだと思う。」(
2019/02/15付「朝日新聞」p16「声」より)

改めて、「天声人語」を読んでみる。
「(天声人語)「矛先をそらす」
 千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さんが亡くなってから半月余りが過ぎた。胸がつぶれるような話ばかりが日々報じられる。娘に虐待を繰り返す父親を、母親も止められなかった。彼女は捜査当局に、こんな内容の供述をしているという▼「娘が暴力を振るわれていれば、自分が被害に遭うことはないと思った。仕方がなかった」。矛先が自分に向かわぬよう娘へとそらしたとすれば、信じがたい保身である。しかし、それと変わらぬ行動を、児童相談所や教育委員会もしていたのではないか▼野田市教委は父親の恫喝(どうかつ)に負け、心愛さんが暴力の被害を記したアンケートを渡した。「精神的に追い詰められて、やむにやまれず渡してしまった」という。その結果子どもがどう追い詰められるかは、考えないようにしたか▼言葉を失うのは、児童相談所の無為無策である。危険があるとして一時保護をしながらも、その後は腰が引けていた。家庭を訪問して父親と向き合うこともなかった。虐待問題のプロとして、介入する権限を十分持っているはずなのに▼二度と繰り返してはならない。昨年の3月、東京都目黒区で5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが虐待死したときにも、叫ばれた言葉である。起きたばかりの悲劇が、教訓にも自戒にもならなかった。鈍感さをもたらした根っこに何があるのか、いまだ明らかになっていない▼検証も対策も、一刻を争う。だれかたすけて。そんな小さな声はこの瞬間も、どこかから発せられているのだ。」(
2019/02/11付「朝日新聞」「天声人語」より)

このところ、この事件の報道が下火になってきたが、ワイドショーなどでの連日の報道合戦はすごかった。そして、そのスタンスはどれも「矛先が自分に向かわぬよう娘へとそらしたとすれば、信じがたい保身である。」。

投稿した女性は「私も実の親から虐待を受けた。それゆえ、夫の暴力が妻にどれほどの恐怖をもたらしたか、その本質を想像することができる。」と書く。
棚の上から、見下げるように「母親なのだから、自分の身を挺して娘を守るのが当然」と決め付ける。そこには、「その場に自分を置いて、考えてみる」という想像力は働いていない。あくまでも、他人事の目線である。

自分なりに想像してみると、マインドコントロールされた自分への暴力が日常化していたとき、その恐怖で娘を含む「他のこと」など、目に入らなくなるのではないか。自分への暴力以外を慮(おもんばか)る余裕など無くなるのではないか。

児童相談所や教育委員会の対応が、想像を絶するほど論外なのは、記者会見で目をキョロキョロしていた自信の無さからも明瞭。しかしこれが全国の現場の普通の状況なのだろう。
この事件が問題になって、何らかの対策が前進すれば、せめてもの救い。しかし、期待は出来ない。
この事件を“論評する”声の全ては、「自殺するくらいだったら、その前に相談してくれれば・・・」という事後の周囲の声と同じ。まったく何の意味も持たない。ただただ「棚の上から目線」で、自分は別世界・・・

ドラマでは見たことがあるが、ほとんどの人が経験しない「家庭内暴力」「DV」。その当事者に自分を置いた時、果たして「母親なのだから、自分が夫の暴力の犠牲者になって娘を守るのが当然」という毎日を送れるのかどうか、いちど想像してみたい。

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2019年2月14日 (木)

「医者の余命告知を真に受けてはいけない理由」

こんな記事を見付けた。余命宣告に関する記事である。

医者の余命告知を真に受けてはいけない理由
   人の余命は断定的に言えるものではない
    慶應義塾大学看護医療学部教授 加藤 眞三

進行したがんや難病など、進行性の重い病気をもった患者さんへ余命告知をしたほうがよいかどうか、患者になったときに余命を聞きたいかどうか、議論されることがしばしばあります。

担当医に自分の余命を尋ね、「放置していれば、あと3カ月ですね」と返答されれば、患者やその家族は戸惑い慌てふためいてしまいます。平穏だった日常生活から、いきなり断崖絶壁に立たされていることに直面するのだから当たり前です。

人間には人生の重大な危機に対処する力が備わっています。しかし、この3カ月という期日を信じ込み振り回されてしまうと、呪文にかかったようにその力を失いしぼんでいきます。

訴えられた例もある
2017年8月の読売新聞の記事で『進行がん患者、聞きたいと思ってるのに 余命「告知なし」4割』と題して国立がん研究センター(東京都)と東病院(千葉県)で行われた研究結果が紹介されていました。

ここでは、「がん治療について余命を知りたいと思っていたが、医師から聞いていない人が、進行がん患者の4割に上る」と書かれていました。

しかし、実際には、「余命何カ月です」と断定的に言えるほど、医師は患者の余命を知っているわけではありません。

また、2018年10月には、同年1月に死亡した大分市の女性(当時57歳)に余命1カ月との診断結果を告知しなかったため、「残りの人生を家族で充実させることができなかった」として、遺族が女性の通院していた病院を運営する市医師会と主治医に対し損害賠償を求める訴訟を大分地裁に起こしたということが報じられました。ここにも、余命はわかるものとの前提があるように思われます。

2008年に報告されたアメリカの調査では、患者に具体的な余命について話す頻度は、「つねに」あるいは「通常は」と答えた医師は43%。「ときどき」、「まれに」あるいは「まったくない」の回答が53%であったと報告されています。

患者さんへの情報提供が進んだアメリカにおいても半々なのです。大分で起きた件も、余命を知らせなかったというよりは、病気の重症度や、死に至るのはどのような経過が可能性としてあるのか、などが十分に伝わっていなかったことが問題なのだろうと考えられます。

「余命1ヶ月の花嫁」がテレビのドラマや映画などになって話題になったように、余命告知から始まるドラマや小説が数多くあります。おそらく、その影響もあって、余命1カ月・3カ月と判断できるのが当たり前と考えてしまっているのでしょう。しかし、余命の予測はあたりません。

医者の的中率はどのくらいか
190214yomyou0 予測された余命が、どの程度の精度であったかという研究が2015年に報告されています(※ここより)。通常、有効な治療がなくなり6カ月以内とされた人が入る緩和施設の研究であり、わが国の緩和ケア施設が59施設も参加した多施設研究です。臨床的に予測した生存日数と実際の生存日数が報告されています。下図の横軸が予測した日数、縦軸が実際の生存日数です。

横軸の30日、60日、90日、180日の上に黒い点が数多くのっているのは、医師が予測する時に、このような期日を目安に予測していることを表わしています。

横軸の60日や90日の上に打たれている点を見ると、ほぼ0日から180日までまんべんなく広がっています。それ位、医師の予測はあたらないということを表しています。

グラフには3本の斜線が引かれています。真ん中の線が予測と実際の日がピッタリとあたった場合の線です。上の線は予測より33%長く生きた場合、下の線が33%短く生きた場合です。

上下の線にはさまれた部分が、プラス・マイナス33%の範囲であり、予測が60日であれば、40日から80日の間に亡くなられた場合に相当します。このプラス・マイナス33%の範囲内で亡くなった人は35%であり、予測日が長めだったのは45%、予測日が短く悲観的すぎたのが20%でした。

まずは、医師の予測の的中率はこの程度ということを理解してほしいと思います。この調査は、積極的な治療をあきらめ、緩和医療に入った進行がんの患者さんが対象です。がんの進行度がより軽く、これから治療を試みようとする患者さんであれば、結果はバラツキ予測の的中率はさらに低くなります。

がんはゆっくり進行する病気であるために、比較的余命がわかりやすいほうです。ですが、心筋梗塞や不整脈、脳卒中や肺炎などでは、突然なるため予測はより一層難しくなります。

もう少しわかりやすく解説しましょう。地震や火山の噴火の予想はかなり難しいですね。この予想のあたらなさが、心筋梗塞や不整脈、脳卒中や肺炎などの死亡予測に相当するものと考えてください。

地震予測もあと何年以内に何%の確率でという予測であれば、ある程度科学的で信頼できるものですが、何日後とか何カ月後に起きることが予測できるかといえば、不可能なのです。

徐々に病気が進行するがんや慢性呼吸不全や慢性心不全、肝硬変などでは、突然訪れる心臓病や脳卒中に比べて、もう少し予測があたるかもしれません。しかし、それでも、天気予報でいえば台風の進路予測ほどにはあたりません。台風でさえ、迷走することがあり、あたることもあたらないこともあるのです。

余命を短めに伝える
医師による余命の予測は、そもそもあたらないものですが、余命を聞かされたときに、気をつけておくべきことがもう1つあります。それは、医師は予測よりも短めに伝えがちということです。

余命の予測を短く伝えて、患者さんがそれより長生きされれば問題は起きませんが、長く伝えて短期間で亡くなられてしまうと、患者さんにも遺族にも恨まれることになります。あるいは、余命を短めに伝えておいたほうが医師から奨める治療に早く同意するからという要因も無視できません。そのような背景もあって、医師は自分の予測よりも短く伝えることになりがちです。

患者さんや家族に余命を尋ねられたときの医師の思考を考えてみたいと思います。聞かれたとき、医師は正直に「解りません」と答えることは難しいのです。ある種の勇気が必要となります。なぜなら、「この医者は余命も解らないのか」と医師としての経験や技量が疑われてしまうからです。

それを避けようと、医師は勘をはたらかせて「あと何カ月」などと答えてしまいます。どちらかと言えば、医師の自己防御的な余命の告知です。

一方、患者さんが聞いてもいないのに、「このままで放っておけば、あと3カ月の命です。手術をすれば……」といったように余命を伝えようとする医師もいます。医師が自分の勧める治療に少しでも早く持ち込みたいという気持ちが強ければ、いわゆる「おどしの医療」として余命を短く伝えてしまうことになります。主導権をにぎって患者に早く決断してもらいたいからです。

患者さんは即断をせず、冷静になる時間をとり、できる限りの情報を集め、自分が何を大切にするのかという本心を確かめ、信頼できるほかの人とも相談したうえで決めたほうがよいでしょう。

断定的に死ぬ期日を伝える余命告知はあたらないし、聞かないようにしたほうがよいのです。もし、乱暴な口調で医師に余命を告げられたとしても、信じ込まないことです。余命なんて、実は誰にも解らないことなのですから。

AIを使って、病気の予後を予測計算させるという試みは始まっており、今後確率的な精度は多少上がってくるでしょうが、それでも断定的な余命の予測はできないものと考えたほうがよいでしょう。
(※)Amano K, et al. The Accuracy of Physicians' Clinical Predictions of Survival in Patients With Advanced Cancer. J Pain Symptom Manage. 2015 Aug;50(2):139-46.(
https://www.jpsmjournal.com/article/S0885-3924(15)00161-X/fulltext)」(2019/02/14付「東洋経済」ここより)

先日、親戚のひとりが、大病院にかかった。そこで渡されたのが「検査報告書(CT)」という読影医の「所見」と「画像診断」が書かれたCTの画像付きの書類。
写真には、矢印と共に病変が○で示されており、所見にはその説明が克明、かつ端的に書かれていた。
そして書類の下部には「本レポートは画像診断上のひとつの見解であり、実際の症状を含めた総合的な判断は主治医とご相談下さい。」とあった。

それを見て、なるほど、今は、検査データをそのまま患者に渡す時代なのだな、と思った。

しかし、病気の進行となると、これは医師の経験によるカンのエリア。素人には分からない。しかし、患者にとって最も知りたいのが、「治るのか?」「治らないとした、あどどのくらい生きられるのか?」ということだろう。
医師も正確には分かるわけも無く、結局は、自分の経験とカンとによって言うことになる。

しかし、上のグラフが興味深い。
予測が60日だった場合、40日から80日の間に亡くなった人は35%、80日以上だったのが45%、40日以下だったのが20%だったという。
なるほど、医師は短めに言うようだ・・・
しかし、半数が予測の1.3倍以上生きていることになり、医師から言われる余命は、最悪値と考えて良いらしい。
逆に、余命2ヶ月と言われたのに、1ヶ月強以内に亡くなっている人が20%も居ることに、予測の難しさが分かる。いわゆる急変か、精神的に参ってしまったのか・・・
そのばらつきの多さに、ビックリ。患者は、このばらつきを良く認識しないといけないな。

自分は、以前から言っているように、余命は知りたくない方。しかし、今は勝手に?宣告されてしまうのだろうな・・・
良い情報は欲しいが、悪い情報はあまり知りたくない。身勝手な最近の自分のスタンスだが、本人の意志とは関係無く、機械的に動くのが今の医療現場らしい。
何とか、そんな世界とは縁を持ちたくないものだが・・・。

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2019年2月11日 (月)

映画「アラビアのロレンス」序曲

NHKのBS4Kで放送された(2019/01/26)映画「アラビアのロレンス(完全版)」を観た。たぶん2度目だったので、スジは分かっていたが、鮮明な4K画面で、映画を堪能。
まず、その序曲を聞いてみよう。

<映画「アラビアのロレンス」序曲>

最初のティンパニーが非常に印象的。この音楽を初めて聞いた時のことを覚えている。それは大学1年で入った下宿の隣の部屋からだった。
190211arabia 1966年、昭和41年のことである。入学に際し、大学の学生課に下宿の紹介をして貰いに行った。すると、4軒長屋があるといい、ちょうどその場に紹介の依頼に来ていた4人そろって、その下宿を訪ね、その場で4人の入居が決まった。
入居後、しばらくして隣の部屋から聞こえた来たのが、この曲だった。最初のティンパニーの音が印象的で、あとで聞くと、「アラビアのロレンス」のサントラだという。

wikiを見ると、この映画の日本公開は1963年だという。その3年後だったので、レコードも出ていたのだろう。
この映画を最初に見たのがいつだったかは、メモが無いので分からない。しかし、オートバイ事故のシーンからスタートするのも、非常に印象的だった。
この映画は、ほぼ史実から作られた歴史映画だが、227分という長丁場。先に書いた「ベン・ハー」や「十戒」などの超大作も、今は作られていない。もっぱらCGを駆使した映画が多い。いわゆる超大作映画は、今に時代にフィットしないのかも知れない。

しかし、さすがに4K画面はきれい。相変わらずモスキートノイズ(動く物の周囲に表れるモヤモヤ)は気になるが、音も良い。
昔の映画の4K版が放送されているが、まさにハイレゾの音楽と同じく、オリジナルの質による。この映画は、70ミリだったらしいので、4Kにすると非常にキレイに映る。しかし、「新日本紀行」は16ミリフイルムのせいか、4Kらしさが分かりにくい。

ともあれ、アナログフイルムだからこその4K画面の再現。これは昔の歌の、アナログ録音のハイレゾ化と同じ。
あと4Kはハイビジョンで改めて見たい映画は、「クレオパトラ」かな・・・。これは1963年の作品。テアトル東京まで見に行ったことがある。場所は東京・京橋で、3台の映写機で上映されるシネラマだった。囲まれるようにあるスクリーンは迫力満点だが、ストーリーそのものは、良く分からなかった。
ともあれ、長生きしていれば、昔浸った過去の作品群が、高級品として“再賞味”が出来る。映画も音楽も・・・だ。健康第一だね。

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2019年2月 9日 (土)

小椋佳の「木戸をあけて」

最近、つくづく長生きして良かった~!と思う。理由は、素晴らしい4Kの絵と音で、小椋佳のコンサートを見ることが出来たから。
先日(2019/02/03)、NHKのBS4Kで「小椋佳生前葬コンサート」が放送された。
NHKの解説に「70歳の古希を迎えた小椋佳が、2014年9月に行った「生前葬コンサート」。4日連続で全100曲を歌いきる前代未聞の公演から、選りすぐりの名曲を届ける。」
とある。
この番組は、2014/10/19と2014/10/26にNHKのBSで放送されたものと同じ番組だが、今度はオリジナルの4Kでの放送。絵も素晴らしいが、音も素晴らしい。音は、圧縮をかけているので、原理的には2Kと同じらしいが、自分には圧倒的に良い音で聞こえる。

後編の2曲目に「木戸をあけて」が歌われた。この歌をまだ挙げていないことに気付き、取り上げてみた。

<小椋佳の「木戸をあけて」>

「木戸をあけて」
   ─家出をする少年がその母親に捧げる歌─
     作詞・作曲:小椋佳

あなたの後ろ姿に そっと別れを告げてみれば
あなたの髪のあたりに ぽっと灯りがさしたよな
裏の木戸をあけて 一人夜に出れば
灯りの消えた街角 足も重くなるけれど
僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない

許してくれるだろうか 僕の若いわがままを
解ってくれるだろうか 僕のはるかなさまよいを
裏の木戸をあけて いつか疲れ果てて
あなたの甘い胸元へ きっともどりつくだろう
僕の遠いあこがれ 遠い旅の終わるときに

帰るその日までに 僕の胸の中に
語りきれない実りが たとえあなたに見えなくとも
僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない

190209ogurakei もちろんこの曲は、1972年3月発売の「彷徨」というアルバムに収録されている歌。いまだに、小椋佳のアルバムではこれが一番好き。
小椋佳という名も、「彷徨」というLPも、若い時に九州に出張した時に知った。当時、入社4年目のまだまだ若造。でも、よく客との打ち合わせで全国に出張した。この時は、福岡への出張。その時の、営業担当者のKさんが、自宅に泊まれというので、一晩泊めてもらった。そのときに、家で紹介されたのが、この小椋佳の「彷徨」というLPだった。
少し聞かせてもらっただけで惚れた。それで東京に帰って直ぐに同じLPを買った。1974年の夏のことである。

190208asahip9 話は変わるが、昨日(2019/02/08)、朝日新聞を読んでいたら、「後継者がいない」という、ちょうどKさんと同じ境遇の話が載っており、読みながらKさんのことを思い出した。
Kさんは、福岡で通信工事会社の社長をしており、自分よりひとつ下なので古希。まさに、上の生前葬コンサートをやったときの小椋佳と同じ歳。
そろそろ自分の引退の後を考えなければならないが、なかなか難しいという。中小企業の社長は、新聞の例と同じく株の引き取りも入ってくるため、大企業のサラリーマン社長とは事情が違うという。
年金生活者の自分とは別世界の話だが、社員への責任の重みは良く分かる。

まだまだ現役を続けているKさんにエールを送ると共に、高齢でなかなか声が出ない小椋佳との半世紀に及ぶ“お付き合い”に感謝。
まさに、50年前に小椋佳のLPをむさぼり聞いたとき、まさか4Kテレビで、そのコンサートを聴けるとは、思ってもいなかった。
自分も、既に世の中に何もしていない人生だが、とにかく生きて居さえすれば、良いことがある。と実感しながら見て聞いた小椋佳の番組ではあった。

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2019年2月 8日 (金)

「地震に備える家庭の極意」~食育・料理研究家・坂本廣子氏の話

だいぶん前だが、NHKラジオ深夜便で、「地震に備える家庭の極意 食育・料理研究家 坂本廣子」(2019/01/19再放送・初回2012年1月OA)を聞いた。これがなかなか有用だった。

<「地震に備える家庭の極意」坂本廣子さんの話(43分)>

この話を聞きながら少しメモしてみた。
・阪神淡路大震災で、被災。呼吸停止になった娘を心肺蘇生(心臓マッサージ)で救う。以前に受けた講習会で分かっていたのでとっさに出来た。ぜひ講習を受けて下さい。
・震災のとき、指定の避難所には絶対には入れない。避難所の容量に比べて、住民が多すぎる。最初から避難所には行けない、と考えた方が良い。
・ブレーカーを落としていないと、通電火災が起きるので、電気が通せない。全世帯のブレーカーを落とす確認に1週間かかった。
・あらかじめ、家族が逃げるスペースを確認しておく。例えば、キッチンの大きなテーブルの下に家族で逃げ込む、とか。
・冷蔵庫の中にあった物を、いかに食い伸ばすか。まずカセットコンロで加熱。醤油に漬けたりして保存食に換えて行く。カセットコンロが無い場合は、ビールの空き缶を切って、サラダオイルをアルミホイルで作った灯心に火を付けてコンロとする。
・避難所にいる人には食事が保証されるが、入れなかった人は、各家庭で頑張ってね。
・避難所は究極の椅子取りゲーム。早く行った人だけが保護されて、体の調子が悪くて歩くのが遅いような、本当に保護が必要な人は避難所に入れない。これはおかしい。
・炊き出しは、いつも豚汁では疲れてくる。普通のご飯が一番。
・水は運ぶのが大変。2リットルのペットボトルに入れておけば、台所でも使える。石油タンクタイプでは、重くて直接では台所では使えない。
・食器が洗えなければ、食器の上にラップを付けて使う。食器が無ければ、新聞などで折り紙で器を作る。食べる以外の水をいかに減らすか。
・ポリ袋とアルミホイルの備蓄。まな板を使わない調理法。空中で料理する方法。ポリ袋を手袋に。食材を混ぜるのも、ポリ袋に材料を入れて揉む。
・食材の備蓄は乾物が一番。豆が良い。たんぱく質が豊富。ご飯が食べられなくなった時、一番被害を受けるのは発達途上の子どもの脳。子どもの脳は、途切れずに脳を作る栄養である必須アミノ酸が無いと、脳が発達しないのと逆戻りしてしまう。後から食べても間に合わない。鬼はウチの豆を、お握りが来たら子どもにだけ10粒食べさせれば、子どもの脳が少ない食糧の中でも守れる。
・今は、親戚の住所や連絡先をスマホの中に入れているが、危険。安否確認のため、紙に書いたアナログで用意しておく。
・上水道が復旧しても、下水道が復旧しないと、水は流せない。水洗トイレが使えないときは、2リットルの1/3の所を切り取る。キャップを開けて反対にするとじょうごになる。下の2/3の所に小さなポリ袋をかませて、上にじょうごをかぶせてオシッコを取る。それを保管。大便は紙を折って作った器にして、それを大きなポリ袋に入れて保管。落とし紙は、落とし紙で分けて保管。3つの保存袋を作って溜める。尿と便とを混ぜると、メタンガスが発生したりするので、3つに分けて保存する。
・私のハンドバックに入れておくもの。バックにチェーンでつないだ家の鍵とともに、100均で買ったLEDライトと笛、鈴。財布の中には小銭。自分が誰であるかを照明する物を入れておく。ソーイングセット、紙のマッチ。小袋の塩と豆。歯ブラシ。箸、スプーン。毛抜き。虫眼鏡。化粧品用の小さいハサミ。爪切り、耳かき。小さいペットボトルの水。いったん脱水症状になると、点滴で入れないと飲んでも吸収しなくなる。意識して水を飲む。自分の薬。スカーフ。小さいポリ袋。油性ペン。毎晩、携帯の充電をしながら、これを枕元に置いて寝ている。ホテルでも、何かあったらこれを持って逃げる。これが第一避難袋。
・一度、不便の日を作り、体験してみる。

先日、立川防災館に行ったが(ここ)、ここにも持出品リストが展示してあった。これは参考になる。

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今日、Amazonで買った「家具 転倒防止 伸縮棒」が届いたので、取り付けた。居間では、大きな洋服ダンスと、ガラスの食器棚、そして自分の部屋には、カミさんから「倒れるとドアが開かなくなるよ」と指摘された本棚と、オーディオラックの、計4つに取り付けた。
Amazonのコメントを読むと、色々あったが、立川防災館の「地震体験」の地震台に乗っていた冷蔵庫が、同じ突っ張り棒が取り付けてあった。それが震度7で、連日繰り返す地震体験の揺れに耐えていることを評価して、買ってみた。

ここ数日の“体験”で、心臓マッサージとAEDの講習、そして「家具 転倒防止 伸縮棒」は少し進んだ。
火災報知器はまだ取り付けていないが、サーテどうしよう・・・

でも、夫婦間では出来ても、果たして公衆の道路で、人が倒れていたとき、実際に心肺蘇生が出来るかどうかは自信が無い。
でも我が家も、少しだけ前進したのは確か。

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「立川防災館」で心臓マッサージの体験をした 

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2019年2月 5日 (火)

「立川防災館」で心臓マッサージの体験をした

昨日(2019/02/04)は、カミさんの誘いで、「立川防災館」(ここ)に行ってきた。
先日は、同じ立川の「南極・北極科学館」に行ったが(ここ)、午前中だったため生徒が多かった。それで今回は午後に。
旧米軍立川基地の跡地は、立派なハコ物が多い。これもそのひとつ。

190205tachi 場所は、立川市役所の道路を隔てた向かい側。HPにある通り地下の駐車場にすんなりと入れた。エレベーターで2階に行くと、受付があって、そこで入場申し込み書に書いてから、希望する体験コースを指定すると、受付の人が、混み具合を勘案して、スケジュール表を作ってくれた。体験コーナーは「防災ミニシアター」「地震体験」「煙体験」「救急体験」「消火体験」「救出体験」の6つ。
我々は、「地震体験」「防災ミニシアター」「煙体験」「救急体験」の順で回ることになった。時間はそれぞれ30分。

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最初は「地震体験」。家族連れ2組と一緒だった。部屋には地震で冷蔵庫や家具が倒れた状況の再現があった。倒れたタンスを持ち上げるには、車のジャッキが便利とのこと。
係員の説明を聞いた後、2組に分かれて地震台に乗る。大人は阪神・淡路大震災と同じ震度7だという。まず地震速報の音声が流れ、台が揺れ始める。直ぐにテーブルの下に隠れ、テーブルの脚をつかむ。結構揺れたが、そんなに強烈では無かった。こんなものか・・・
しかし、結構体験後に体調を崩す人も居るらしく、「お父さん大丈夫??」と聞かれた。たぶんこの地震体験がここのメダマなのかも?
しかし、家具の転倒防止は必要かも。我が家ではあまり対策していないが、家具のつっかえ棒だけでも設置しようかと思った。

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2つ目が「防災ミニシアター」。映画の上映だ。数十席のシアターは、大画面の映画館で、かなり立派。防災について教えてくれる。空いていて、我々二人の貸し切り状態。

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3つ目が「煙体験」。ここも空いていて我々二人の貸し切り状態。
煙の充満した暗い部屋が幾つかつながっており、ドアを開けながら非難する体験。左手のドアから入って、右手のドアから出てくる。手は壁伝いにドアを探す。取っ手はカギがかかっているものもあり、それを避けて開くドアを探しながら、次の部屋に進む。熱い取っ手は、次の部屋が燃えている証拠なので、開けない。結構早く出てこられたが、カミさんは自分のベルトを持ってついてくるだけ。何の訓練にもならない。だから最初に自分が「別別にやらないと体験にならないだろう」と言ったが、係員さんが「一緒にどうぞ」と言うので一緒に入った。ここはそれぞれ別に入らないと体験にならない。いつも目の前にオレの腰ベルトがあるとは限らないのであ~る。

ここでの説明が残った。煙は熱い微粒子の集まり。よって口にハンケチなどを当てるのは、その微粒子を避けるため。そして出来たら濡れたタオルを口に、というのは、熱い煙を少しでも冷やして吸うため。なるほど・・・
そして、家庭用の火災報知器も紹介されていた。普通は煙感知器を設置するが、台所は料理で煙が発生するので、熱感知器の方が良いとのこと。我が家では設置していないが、必要かも・・・

4つ目が2階に上がって「救急体験」。自分が一度体験したかった心臓マッサージである。
部屋には心臓マッサージ用の人形がズラリ。でもここも、我々二人だけの貸し切り状態だった。まずAEDの体験。倒れている人が居た時、近くに寄って、両肩を叩きながら声掛け。酒酔いなどと違い、反応が無ければ、頭から胸を見て10秒間呼吸が無いかの観察。次に手を振って人を呼ぶ。「人が倒れているので来て下さい~」。そして心臓マッサージをしながら、一人目の人に「救急車を呼んで下さい」と頼む。二人目の人に「AEDを探して持ってきて下さい」と頼む。3人目以降の人とは、心臓マッサージを交替する。
AEDは、バッグを開けて電源を入れると、案内の声が自動的に出る。パッドを広げて、絵の通りに右肩と左腹に付け、電気ショックを与える。

心臓マッサージは、右手の上に左手を置き、両腕を伸ばしたまま5センチ位沈むように、胸(左右乳首の真ん中)を押す。速度は1分間に110回位。結構早いスピード。
人形を使って押したが、相手が生身の人間だったら、5センチも押せるかどうか・・・・
しかし、心臓が停止すると2分で脳がやられるという。それを、まだ酸素が含まれている血液を強制的に脳に送ることによって、脳のダメージを少なくさせるのが心臓マッサージだという。説明を受けて、なるほどと思った。

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それにしても「AED」という名は覚えづらい。カミさんは「LED」と言って、何度か直されていた。日本語で「心臓電気ショック機」とか言えば分かり易いのだが・・・??

と言うのは、我が家は、夫婦二人とも心臓に持病?があるので、いつ心臓が停止するか分からない。よって、片一方が倒れた時に、心臓マッサージをする必要が出てくる。そのための備えなのである。
東京の場合、救急車が来るまで7分強。心臓マッサージのような処置をしていれば、2分以内だったら助かる可能性が増すという。
まあ使わないに越したことは無いが、心臓マッサージも、煙からの脱出も、一度経験しているのと、していないのとは、雲泥の差が出る。
AEDの扱いも含めて、良い体験になった。サラリーマンの団体も来ていたが、学校でもたぶん積極的に利用しているのだと思う。
なかなか有意義な2時間ではあった。

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2019年2月 2日 (土)

黒川伊保子著「妻のトリセツ」をどう読む?

カミさんが新聞で、「妻のトリセツ」という本の広告を見付けたのがいつだったか・・・。
数日後、Netの記事で「スッキリ」(2019/01/18)というモーニングショーでこの話題があったと知り(ここ)、この番組をタイムシフトで見てみた。
テレビの内容は、取るに足らないが、まあそんなものか・・・・
190202tumanotorisetu カミさんが読んでみるというので、Net通販で買おうと思ったら、どこも売り切れ。あっても、何とプレミアが付いて、定価の800円ほどが、1300円ほどで売っている。メルカリを覗くと、大量に出品されているが、どれも出品と同時に売れていて、これも手に入らないことが分かった。図書館を覗くと、在庫2冊に対して予約数70。
特に急がないので、ポイントを使ってNet通販で予約。それが届いたのが、1月末。

ざっと読んでみたが、後半は何かバカバカしくて、走り読み。唯一?気になったページが下記。

心と裏腹な妻の言葉を翻訳すると……
 心の通信線を使った女性脳の言葉は、時として男性脳の予想を超えた意味を含んでいることがある。第1章の終わりに、「心と裏腹な妻の言葉」を翻訳してみよう。

「あっち行って!」
⇒あなたのせいでめちゃめちゃ傷ついたの。ちゃんと謝って、慰めて!

「勝手にすれば」
⇒勝手になんてしたら許さないよ。私の言うことをちゃんと聞いて。「好きにすれば」は同義語。

「自分でやるからいい」
⇒察してやってよ。察する気がないのは愛がないってことだね。

「どうしてそうなの?」
⇒理由なんて聞いていない。あなたの言動で、私は傷ついているの。

「なんでもない」
⇒私、怒ってるんですけど? 私、泣いてるんですけど? 放っておく気なの?

「一人にして」
⇒この状況で本当に一人にしたら、絶対に許さない。

「みんな私が悪いんだよね」
⇒えっ? それって私か悪いの? 私のせいなの? あなたのせいでしよ。

「やらなくていいよ」
⇒そんな嫌そうにやるならもう結構。私はあなたの何倍も家事してますけどね。

「理屈じゃないの」
⇒正論はもうたくさん。「愛してるから、君の言う通りでいい」つて言いなさい。

「別れる」
⇒ここは引けないの。あなたから謝って!」(「
妻のトリセツ」p96~98より)

本の根底に流れている思想が、男は理屈や解決策。しかし女は単に共感が欲しいだけ。
本を精読した?カミさんの感想を聞くと、なかなか良かったという。女性はやはり解決なんか望んでいなくて、ただ共感を得たいだけ、と言う。まさに著者と同じなので、売れている理由も分かる??
今朝(2019/02/02)の朝日新聞によると、「週間ベスト10」の3位だった(三省堂1/21~27)。

どうも最近は「**のトリセツ」なるネーミングが流行っているようである。
確かに、言い得て妙である。
先日、同期会があった。そこで近くに座っていたY君に「妻のトリセツ」という本が売れているという話をしたら、えらく興味を持っていた。本のネーミングで分かったみたい。
買って読むのか?と聞くと、買わないけど、読んだら教えて!と来た。自分はサボって、本のエキスだけ教えろ、ということらしい。しかし、日常では同じ課題を抱えているのかも知れない。
同期会の帰り道、立川駅に入ってから、自分が「カミさんにお土産を買う」と言うと、Y君も「じゃあオレも」と言う。結局、駅の構内では店が少なく、パン屋でパンを買っただけだが「要は心だから」という自分の言葉に「そうだよな」と言っていた。
Y君が帰ってからどのような展開になったかは分からない。しかし、一緒にいたB君からのその後のメールに、「ところで帰りに駅中でお土産を買ってたろ。その話を「妻のトリセツ」と一緒に話したら家族中から何故買ってこないと非難されちゃった。」とあった。
やはり「気は心」??

カミさんは、まだ現役の?息子に送ろうか、と言っている。

ここまで書いて、「妻のトリセツ」を手に取ってページをめくってみた。すると最後のページ「おわりに」に“名文”があることに気が付いた。曰く・・・

おわりに~本当にいい夫の条件~
 この本の冒頭に、「妻から放たれる弾を10発から5発に減らそうというのが、本書の目的である」と書いた。なぜ、ゼロを目指さないと思いますか?
 実は、脳科学的に「いい夫」とは、時に妻の雷に打たれてくれる夫のことだからだ。
 女性脳は、家事と育児を片付けるため、生活の中で、あらゆる気づきとタスクを多重させて走らせている。このため、日々をただ生きているだけでストレスがたまる脳なのだ。さらに周産期から子育て中の女性は、ホルモンバランスが激変していくので、生体ストレスが半端ない。
 女性たちは、ときどき、このたまったストレスを“放電”する先を探しているのである。そんなとき、まんまと夫が何か気に障ることをしてくれると、気持ちよーく放電できる。
 夫が完璧だと、その放電先が子どもになったり、自分に跳ね返ってうつに転じたりして、危なくてしょうがない。いい夫とは、「おおむね優しくて頼りがいがあるが、時に下手をして、妻を逆上させる男」にほかならない。
 逆上されたからといって、すべての原因が夫なのではないのである。だから、原因を真面目に究明しようとしても、公明正大に改善しようとしても、まったく埒(らち)が明かない。女はただ怒るために、怒っている。本人も気づいていないけれど。
 ……そう、女は、本当のところ、かなり理不尽なのである。

 しかし、その女性脳のストレスは、夫の6倍近い家事や「家族のための気づき」を休みなく行っている結果、たまったものだ。その放電の手伝いをするのは、ある意味、理にかなっていると言えなくもない。
 夫が家事を完璧にこなしてやり、親身に話を聞いてやれば、放電は少ない。家事や会話をサボれば、放電は多い。女と暮らさなければ放電はないが、生活をすべて自分で回さなきゃならないし、多くの場合、生きる意味を見失う。男の人生とは、この三択なのである。さて、あなたは、どれを選ぶのだろうか。

 昔は、怒りを爆発させることを「雷を落とす」と言ったものだが、ストレスの放電は、雷に本当によく似ている。
 なぜなら、一番、高いところ」に落ちるからだ。
 夫って、なぜだろう、この世で一番腹が立つ。そういう女性は、とても多い。さもありなん。だって、それは、夫が彼女の脳の中で最も高い場所にいるからだ。最も期待し、最も求めている相手だから。
 つまり、理不尽な怒りもまた、愛なのである。

夫婦というのは面白い。
かつて、永遠の愛を誓ったあの日の煌めくような「愛」とは、似ても似つかないところに「愛」の正体がある。しかし、結婚も35年を超えれば、「理不尽な怒り」と「とほほ(苦笑い)」こそが、暮らしのアクセントであり、生命力の源であり、ふたりにしかわからないきずなになるのである。

 結婚の初め、「この人がいなければ生きていけない」と思った、その気持ちの色合いとは全然違うけれどい私は、またあらためて「この人がいなければ生きていけない」と思っている。私の感情の露出に、まったく動じないのは、この人だけだから。思いっきり放電できて、手放しで泣いてなじって甘えられる、唯一無二の相手だから。

 子育ての最中には、御多分にもれず、「一緒の部屋の空気を吸うのもいや」と思ったこともあったけれど、あのとき、手放さないで本当によかった。あのとき、見捨てないでくれて、本当によかった。
 多くの結婚35年超えの妻たちが口にする実感である。夫婦の道は、照る日も曇る日も嵐の日もあるけれど、継続は力なりである。最後の峠に咲く花は、案外、優しくてふっくらしている。
 これから、この道を行く多くの夫婦が、この苦難と豊穣の道を、どうか賢く切り抜けてくれますように。『妻のトリセツ』を手にとってくださって、本当にありがとう。
 最後に、この本の骨子をまとめてくださった凄腕ライターの坂口ちづさんに心から感
謝申し上げます。 編著者 黒川伊保子」
(「妻のトリセツ」p144~148より)

この一文には納得。筆者の“悟りの境地?”からの目線。なるほど・・・。この一文だけでも、買う価値のある本かも・・・ね。
もう一度、ちゃんと読み直してみようかな・・・

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2019年2月 1日 (金)

四角いウンチをするウォンバットの秘密

先日、NHKラジオ深夜便「ドラマを貫く精神 脚本家・倉本聰(1)」(2019/01/22放送)を聞いた。この番組の中で、倉本聰氏がこんな話をしていた。
「今、僕はやることが単純。シナリオを書き終えたので、今は絵ばっかり書いている。一日中絵。絵か、森を見てるか寝てるかなんです。時々ニュースを見ると複雑なことを言い始めるので、イヤだなと切ってしまう。生活を複雑にする気が無い。
昨日、今泉さんという「ざんねんないきもの事典」というベストセラーを書いた人と色々な話をした。この人に初めて聞いたんだが、ウォンバットという動物。オーストラリアにいるネズミの巨大なような。このウォンバットというのはね、うんこが四角いんだって。そして、なぜ四角くなるのかと研究している学者がいるんだって。バカでしょう? バカだけど、良いでしょう? そういうことの方が、人生として楽しい気がするんだ。だって四角いウンコよ。どうやって出して、どこで切るの?こういうことに一生を捧げちゃった人間というのは、株の上下なんかとは関係が無く、良い人生だと思うな・・・」

何度も書いているが、当サイトは、自分が「ヘェ~」と思ったことを書いている。今回の“四角いウンチ”も「ヘェ~」なのである。
さっそく“ウォンバットのウンチ”をググってみると、こんな記事が見付かった。

四角いうんちをする ウォンバットの秘密
学会で発表、謎だったサイコロ状の糞の仕組みが解明されつつある

 ずんぐりとして愛らしいウォンバット。オーストラリア固有の有袋類で、穴を掘るのが得意だ。だが、あまり知られていないこともある。なんとウォンバットは、サイコロのような四角いうんちをするのだ。わかっている限りで、四角い糞を排泄する動物は、世界でウォンバットだけだろう。
800pxvombatus_ursinus_maria_island_  この変わった生態は、各方面から注目され話題になっているものの、本格的な研究はこれまでほとんどなかった。科学的にも謎のままだったのだ。
 2018年初め、米ジョージア工科大学の研究者で、体液が専門のパトリシア・ヤン氏は、ある会議でウォンバットのうんちを知り、詳しく調べてみることにした。
「糞の形がサイコロみたいだなんて、最初は信じていませんでした」とヤン氏は言う。

何のために糞を四角くするのか?
 ウォンバットの専門家であるオーストラリア、アデレード大学のマイク・スウィンボーン氏は、「いろいろな仮説があります」と話す。これまで有力とされた説は、ウォンバットがなわばりを示すため、糞が転がることなく積み重ねられるようになったというものだ。ウォンバットは糞をなわばりの印として使う。しかし、スウィンボーン氏の考えは違う。
「レンガでピラミッドを作るわけのとは目的が違います。ウォンバットは、ただ自分のなわばりで糞をしているだけです」と言う。
Cwu80ifukaavsag  スウィンボーン氏は、糞が四角くなるのはウォンバットが生息する乾燥した環境と大きく関係しているのではないかと考えている。「ウォンバットは、必要な水分を食べものから摂取しなければなりません」。実際、水を直接飲むことができる動物園で飼育されたウォンバットの糞は、それほど四角くならないことがあるという。
 1969年からウォンバットを飼育している米シカゴのブルックフィールド動物園のビル・ジーグラー氏は、水分摂取も一因である可能性は認めるが、ウォンバットの消化管の特徴による影響が大きいと話す。「ウォンバット・南オーストラリア」という組織の代表ピーター・クレメンツ氏も同意見で、生息環境とウォンバットの消化管の2つの要素が組み合わさって四角い糞ができると考えている。
 ヤン氏たちの研究でも、その消化管の秘密に迫っている。北米の動物園からは死んだウォンバットの内臓を入手できなかったため、オーストラリアから交通事故で死んだ2匹のウォンバットの腸を取り寄せた。
「最初は、肛門が四角いのか、胃のあたりで(立方体に)整形されるのだろうと考えました」とヤン氏は振り返る。実際に解剖してみると、ヤン氏の予想は誤っていた。ヤン氏たちは、ウォンバットの腸が驚くほど伸縮性があることに気付く。
 食べものが消化管を移動して消化されるなかで、便の形成を助けるのが腸による圧力だ。つまり、便の形は腸の形状によって決まる。そこでヤン氏のチームは、ウォンバットとブタの腸に空気を入れて膨らませ、伸縮性を測定、比較してみた。
 ブタの腸の伸縮性は、比較的均等だった。このため丸い糞が作られる。ところがウォンバットの腸は、これよりずっと不規則な形をしていた。周囲の組織と比べてよく伸びる溝状の構造が2つ見つかったのだ。ヤン氏は、ウォンバットの糞が四角くなるのは、こうした独特の腸の構造によるものだと考えている。
 発表原稿を査読したスウィンボーン氏は、「生物学的、生理学的な説明にたどり着いたのは、これが初めてでしょう」と話す。同じく初期に査読を行ったクレメンツ氏は、「貴重な発見だと思いますが、糞が立方体になるメカニズムについてもう少し説明できるとよいかもしれません」と付け加える。
 サイコロ状の糞ができる理由には、まだ謎が残っているという点には、当のヤン氏も同意する。この研究はまだ継続中で、ヤン氏は、どうして4つではなく2つの溝で立方体状の糞ができるのか、理由を解明したいと考えている。今回のウォンバットの腸の構造の発見を応用すれば、今後、製造業などに活用できる可能性もある。
 ヤン氏は、自然界で立方体ができること自体が珍しいことだと言う。人間が立方体を作るにしても「やわらかい材質のものを整形するか、固い物質を立方体状に切り出すかのどちらかです。でも、ウォンバットは第3の方法を知っているということですね」とヤン氏は語った。」(文=TIK ROOT/訳=鈴木和博)
2018.11.21付「National Geographic」ここより)

何か考えてしまった。毎日テレビや新聞のニュースを見て、悪い“気”を入れてイライラする。自分に解決策があるわけでも無いのに・・・。
特に子どもが親にいじめ殺された事件などを聞くと、あまりに痛々しくて心がすさむ。

そんなことは耳に入れないで、ただただ自分の世界に没頭する。そんな余生の過ごし方もあるのかも知れない。アベのメガネも、ゴーンの行く末も、厚労省の統計も、そしてサッカーやテニスの結果も気にせず、チャンバラ小説に耽る方が心に良い・・・!?

最近、食事の時にテレビのニュースが見られない。カミさんがチャンネル権を持っていて、許さないから。気分が悪くなるニュースを聞きながら食べたくないという。上の倉本聰さんのスタンスと似ている。
しかし、この面白いウォンバットのサイコロウンチの話をしても興味を示さない。なぜ面白くない? 議論の場であるはずの国会で、正面から議論をしない“はぐらかし首相”の姿を見るより、よっぽど楽しいではないか・・・!?
まあ、色々と考えさせられた倉本聰の言葉である。

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«厚労省の不適切統計は、担当職員の減少が根本原因かも?