2017年6月25日 (日)

東京混声合唱団と鮫島有美子の「埴生の宿」

NHK「ららら♪クラシック」の録画を見ていたら、2017/06/23は「“埴生の宿”~“日本人の心”になったクラシック~」というテーマだった。
この番組で、歌詞の内容が分かり、改めてしみじみと聞いてしまった。
自分が持っている音源の中では、この2つがお気に入りだ。

<東京混声合唱団の「埴生の宿」>

<鮫島有美子の「埴生の宿」>

「埴生の宿」
  作詞:里見義
  作曲:ヘンリー・ローリー・ビショップ

埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春のそら
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや

ふみよむ窓も わが窓
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ むしは友
おお わが窓よ
たのしとも たのもしや

明治22年12月刊行の「中等唱歌集」に収録されたというこの歌の歌詞は、やはり難しい。
この歌詞を現代語に訳すと?こんな意味だという。

埴生の宿も わが宿
(みすぼらしい家といえども自分の家だ)
玉のよそい うらやまじ
(宝石の飾りも うらやましくはない)
のどかなりや 春のそら
(なぜなら、私の家はこんなに春の空ののどかな)
花はあるじ 鳥は友
(窓の外には桜が咲いている 自分のあるじは、王様でも何でもないこの桜が春はあるじだ。そして窓辺に来て鳴く鳥が自分の友だ)
おお わが宿よ
(それが私の家だ)
たのしとも たのもしや
(貧しいけれども心は豊かだ そこが私の心のよりどころだ) 

ふみよむ窓も わが窓
(月の光で本を読んでいる)
瑠璃の床も うらやまじ
(宝石を敷き詰めた美しい床の立派な御殿も 自分はうらやましくない)
きよらなりや 秋の夜半
(なぜなら、何の汚れのない月光が窓から床に差し込んでいる それが秋の夜半の景色)
月はあるじ むしは友
(その月の光が自分のあるじで、窓辺に来て鳴いているコオロギなどの秋の虫が友)
おお わが窓よ
(それが私の家だ)
たのしとも たのもしや
(そんなに豊かな私の故郷の家 そこが私の心のよりどころだ)

原曲の「ホーム・スイート・ホーム」を作曲したヘンリー・ローリー・ビショップ(1786~1855)は200年前、イギリスのモーツァルトと言われた作曲家だという。
そして「ホーム・スイート・ホーム」は、ビショップが音楽監督をつとめるコヴェントガーデン王立歌劇場のために書いた歌劇「クラリ(ミラノの乙女)」(1823年初演)の中の一曲。
貴族に見初められて宮殿にやってきた主人公が、つつましいふるさとの暮らしを懐かしむ歌だという。
原曲の歌詞を訳すと・・・

「ホーム・スイート・ホーム」
 作詞:ペイン
 作曲:ビショップ

娯楽に親しみ 宮殿を回っても
どんなに粗末でも わが家にまさる所はない!
そこでは空の魅力が 心を清めてくれる
世界中を探しても 決して他では出会わない
わが家よ! いとしいわが家よ!
わが家にまさる所はない

映画「ビルマの竪琴」に流れる歌がこれ・・・・
敵も味方も、同じ歌を歌っているうちに、戦意などどこかに・・・・

音楽は、言葉を越えて心に響く・・・
戦争の無い世界は、音楽という共通語から生まれるのでは?
(アベ君は、音楽教育を受けているのかしら・・・?おっと失礼!)

20170303124958be4 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (0)

2017年6月24日 (土)

前川前次官が安倍応援団を批判!安倍政権によるメディアの私物化は、民主主義を殺すと

リテラの「前川前次官が田崎史郎、山口敬之、読売、NHKら安倍応援団を批判!安倍政権によるメディアの私物化は、民主主義を殺すと」(ここ)という記事が面白い。
6月23日、日本記者クラブ主催の記者会見をした、前川氏の発言に付いての記事である。

この記者会見の報道について、特に各紙が権力とメディアの関係についてどう書いているか、ググってみた。案の定、読売新聞は記者会見そのものをほとんど無視。逆に毎日新聞は、記者会見の全文を報道していた。そして、かえってスポーツ紙の方が、スカッと伝えていた。

前川前事務次官が会見「出会いバー報道に官邸関与」
 学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画問題で、文科省の前川喜平前事務次官は23日、日本記者クラブで会見し、「安倍首相が先頭に立って説明責任を果たしてほしい」と求めた。文科省の再調査で特区担当と内閣府のやりとりを記録した文書の存在を文科省が公表したことには「松野博一文科相も苦しい中で精いっぱい誠実な姿勢を示した。一定の説明責任を果たした」と評価した。
 一方で萩生田光一官房副長官の発言概要として文科省が20日に公表した文書について、「書かれた内容は事実ではないかと思う。書いた課長補佐を知っているが極めて優秀。あえて虚偽も書かないし、聞き間違えはまずない」とした。
 問題のキーパーソンとして、和泉洋人首相補佐官の名前を挙げ「情報発信源。全体のシナリオを書いて統括したのでは」とし「文科省から出てくる文書はどこまでいっても文科省の文書。次は内閣府の調査が必要だ」と話した。
 メディアと権力のあり方にも「非常に不安」と指摘した。読売新聞の先月22日の「出会い系バー」報道について「官邸の関与があったと思っている」。この問題について最初にインタビューを受けたのはNHKからだとし、「いまだに放送されていない」とも話した。番組のコメンテーターには「官邸の擁護しかしない人もいる。森友問題もそう。性犯罪がもみ消されたとの疑惑を持たれている人もいる。自浄作用を期待したい」と話した。」(
2017/06/24付「日刊スポーツ」ここより)

毎日新聞が報じた全文を、つい読んでしまった。その中で、権力とメディアについての前川氏の発言部分を転載してみる。

読売の出会い系バー報道は「私ははっきりと官邸の関与があったと思う」
 もう1点付け加えると、獣医学部を巡る問題で、私としての発言を1カ月前に行った。そして、全く別の問題として認識を新たにしたのは「国家権力とメディア」の関係だ。ここには日本を代表するメディアが集まっている。
 一つは私に対する個人攻撃と思われる記事が、5月22日の読売新聞に掲載されました。私としては不愉快な話だったが、その背後に何があったのか。それはきっちりとメディアの中で検証される問題だと思う。私ははっきりと官邸の関与があったと思っている。
 また、文書の存在や官邸からの働きかけについて、私に最初にインタビューを行ったのはNHKだった。しかし、その映像はいまだに放送されず、報じられていない。
 また、真相を示す内部文書の中でも非常に決定的なものに、9月26日の日付のものがある。「官邸の最高レベルが言っていること」という文言を含むものだ。これは朝日新聞が報じる前夜に、NHKは報じていた。しかし核心の部分は黒塗りされていた。NHKを責めているわけではないが、これはなぜなのだろうか?
 また、報道番組のコメンテーターの中には、いかなる状況証拠が出てきても、官邸の擁護しかしない方がいた。その方の名前は差し控えるが、森友学園のときも官邸を繰り返し行われていた。名前を出すことは控えるが、森友問題で官邸を擁護し続けた中には、ご本人の性犯罪が検察、警察にもみ消されたという疑惑を受けている方もいる。
 こういったことを踏まえて考えると、私は今の日本での「国家権力とメディアの関係」に非常に不安を覚える。国家権力と「第4の権力」とまで言われるメディアの関係を国民の視点から問い直す必要性、またメディアの方々の中で自浄作用が生じることを強く期待したい。」(
ここより)

出会い系バー」報道「官邸と読売のアプローチ、連動していると感じた」
 --5月22日付の読売報道について「官邸の関与があった」とおっしゃられた。その根拠は何か。
 もともと私がそういうバーに出入りしていることについて、官邸は承知していた。杉田和博副長官からご注意を受けたことがあるので、まず官邸で知っていた情報だ。それがまず一つ。それから読売新聞の記事が出たのは5月22日だが、20、21日の両日にわたって読売新聞の記者からアプローチがあった。私の私的な行為、活動について「報道するつもりがあるんだ。ついては私のコメントが欲しい」とアプローチがあった。私は答えなかった。ま、正直申し上げて、読売新聞がそんな記事を書くとは思わなかった。
 同じ21日だが、一方で、和泉首相補佐官から文科省の某幹部を通じて「和泉さんが話をしたいと言ったならば応じるつもりがあるか?」と打診があった。5月21日の日曜日。私は「ちょっと考えさせてほしい」とそのままにしておいた。私は何か報道が出てもかまわないというつもりだった。報道が出ることについて、何かそれを抑えてほしいとか官邸に頼もうということは思っていなかったので、私はこの読売新聞からのアプローチと官邸のアプローチは連動していると感じた。それは一つの根拠だが、もしこういうことが、私以外の人にも起きているとするならば、それは大変なことだと思う。監視社会化とか、あるいは警察国家化とか言われるようなことが進行していく危険性があるのではないかと。あるいはさらに権力が私物化されて、「第4の権力」と言われているメディアまで私物化されることになれば、これは日本の民主主義が死んでしまう、その入り口に我々は立っているのではないかという危機意識を私自身が持った。そのことがこの問題の大きなインパクトだと思っている。」(
ここより)

読売報道前、和泉氏側からアプローチがあった
 --読売新聞の取材の関係で5月21日のシーンをもう少し詳しく伺いたい。この時に再度取材があってコメントを求められた。この日に和泉さんから話をしたいんだけれども応じる気はあるかという連絡があったんですか? この連動性は意識したか。
 読売新聞が取材したいという申し込みは、記事が出る前々日の5月20日からあった。5月21日にもより詳しい質問などが送られてきたが、対応しなかった。一方で、5月21日だけれども、より正確に記憶を呼び戻してみると、文科省の後輩に当たる某幹部から「和泉さんが話をしたいと言ったら、応じるつもりはありますか」というような言い方だったと思う。そういう言い方で打診があった。私は「ちょっと考えさせてくれ」とだけ返事してそのままにしておいた。私自身の中では、この二つのアプローチが、読売新聞と和泉さんの話に連動しているんだろうと意識はした。おそらく、想像ですけれども、嫌な報道をされたくなければ、言うことを聞けば抑えてやると。こういうことを言われるのではなかろうかと、想像だが、思った。」(
ここより)

国民の権利や自由を制限、戦前回帰の危険性を感じる
 --今の日本は知らず知らずのうちに右へ右へと傾きつつあるという感じを持つ。今の日本についてご所見を伺いたい。
 私は昭和30年生まれで、戦前の日本の社会や政治については、学校で勉強した、あるいは本で読んだ知識しかありませんが、その知識に照らして考えて、私も同様な感じを持っている。それは世界的にそういうことが起こっているような気がしまして、一国中心主義的なものが広がり、また、ナショナリズムが強まって、テロ対策というような名目で国民の権利や自由を制限するということが正当化され、内外に何らかの敵をつくることによって国民を統合していこうというような方向性とか、私は1930年代に近い状況が生じる危険性があるのではないか。必ずそうなるというのではないが、その危険性があると思っている。」(
ここより)

氏の指摘は的を射ていると思う。日本のメディアは死にかけている・・・

話は飛ぶが、先日WOWOWドラマで「社長室の冬~巨大新聞社を獲る男~」(ここ)(原作/堂場瞬一「社長室の冬」)を見た。
このドラマが指摘していたのは、新聞という紙のメディアは、時の権力の支配を受け、死んでいる。日本のマスコミ、ジャーナリズムは死んでいる。だからこれからは、“上”の影響を避けて、記者が自分の責任で即刻アップ(世に問うことが)出来るネットの時代。

しかし、前川氏の指摘は、まるでドラマを地で行っている。現実はドラマ以上なのだ・・・

改めて、氏の指摘、「私は今の日本での「国家権力とメディアの関係」に非常に不安を覚える。国家権力と「第4の権力」とまで言われるメディアの関係を国民の視点から問い直す必要性、またメディアの方々の中で自浄作用が生じることを強く期待したい。」を重く受け止めたい。

またまた飛ぶが、今日、沖縄が戦後72年目の「慰霊の日」を迎え、平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が営まれたが、たまたま見た今日のTBS「報道特集」(2017/06/24 17:54頃)で、那覇市在住の84歳の男性が、安倍首相の挨拶の直前にこう言っていた。
「安倍晋三にここに来る資格はありません。沖縄の声を抹殺しておいて、何が慰霊祭か。この平和の礎は、あらゆる戦争を正当化させない思いで、沖縄県民が作った平和の礎。そこに来て、戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体、県民として許せません。」

まずは7月2日の都議選である。都民は、この自民党政治にどのような判断を下すのか・・・

20170512183818611 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (2)

2017年6月22日 (木)

鮫島有美子の「四丁目の犬」

暗い世の中、こんな歌でも聞いて、うっとうしさを吹き飛ばそうか!?
何とも軽快な童謡、「四丁目の犬」という歌である。

<鮫島有美子の「四丁目の犬」>

「四丁目の犬」
  作詞:野口雨情
  作曲:本居長世
一丁目の子供 駈け駈け帰れ
二丁目の子供 泣き泣き逃げた
四丁目の犬は 足長犬だ
三丁目の角に こっち向いていたぞ

古い録音だが、昔のSPでも聞いてみよう。

<コロムビアゆりかご会の「四丁目の犬」>

良く聞いてみると、鮫島は「三丁目の角で」と歌い、ゆりかご会では「三丁目の角に」と歌っている。ゆりかご会の方が、正解らしい。

鮫島有美子のCDに、この歌についてこんな解説があった。
「四丁目の犬
 この曲は、野口と本居が童謡作家として協力しあうようになってからまだ間もない頃の作品である。つまり詩は「金の船」大正9年3月号に、曲はその翌月号に掲載された。
 1丁月と2丁目の子供は逃げ帰り、4丁月の犬は3丁目の角で追跡を諦めて立ちどまる。こっちを見ている犬の目には、もはや子供の姿はない。簡潔な数え唄の体裁をとりながら1-2-4-3と屈折する運動性を与え、しかも歌のあとには犬の光った両目にとらえられた音の無い虚ろな空間が残る。」

なるほど・・・・

前にも書いたが、この歌のように、自分にとっては長い間、犬は怖い存在だった。つまり子どもの頃に咬まれた思い出しかなかった。家の近くの会社の寮の、番犬用のシェパードが逃げ、それに2度も咬まれた。小学校高学年の頃だった。未だに尻にその跡が残っている。
我が家のヨーキーのメイ子は決して咬まないが、散歩の時に、大きな犬に遭うと、やはり用心する。

子どもの時の、犬が怖かった頃を思い出す歌である。

201706211756075f0 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (1)

2017年6月19日 (月)

なぜ何をやっても安倍政権の支持率が下がらないのか?

「なぜ何をやっても安倍政権の支持率が下がらないのか?」。これが自分にとって、ナゾである。
しかし安倍首相の言う「バカな国民」も、さすがに目が覚めてきたようで、ここ数日の各メディアの世論調査で、内閣支持率が下がっているという。

安倍内閣の支持率、40%~30%台に下落 各メディアの世論調査、加計問題が響く?
安倍内閣の支持率の下落が顕著になってきた。この週末にあった報道各社の世論調査の結果は軒並み40%~30%台にまで下がった。
「加計学園」問題をめぐる政権の不手際や「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法の採決強行が影響したとみられる。
朝日新聞が17、18日に実施した世論調査によると、安倍内閣の支持率は41%で、5月24、25両日にあった前回調査よりも6ポイント下がった。
昨年7月の参院選以降で最低だったという。
共同通信が同じ日に行った世論調査でも支持率は44.9%。前回(5月)よりも10.5ポイント下がった。
070619tv 日本経済新聞社とテレビ東京の世論調査(6月16~18日)では支持率は49%だった。40%台に落ちるのは2016年3月の調査以来だったという。不支持率は42%で、前回(5月)から6ポイント上昇した。
報道各社の中で、とりわけ厳しい数字が出たのは毎日新聞の調査だった。6月17、18両日に実施された調査によると、支持率は36%、不支持率は44%になった。
前回調査(5月)と比べ、それぞれ10ポイント下落、9ポイント上昇となった。
報道各社は内閣の支持・不支持のほか、加計学園問題や改正組織的犯罪処罰法などについても質問した。
朝日新聞の調査では、加計学園問題に関する安倍首相の説明が「納得できる」と答えたのは18%にとどまった。一方で、「納得できない」と答えた人は66%にのぼった。
また、共同通信の世論調査では、「総理のご意向」などと記された一連の文書に対する政府の調査をめぐり、真相が「明らかになったと思う」と答えた人は9.3%、「思わない」と答えた人は84.9%にのぼった。
毎日新聞は、今国会で成立した改正組織犯罪処罰法について質問。改正法に「反対」の人は47%で、「賛成」と答えた人(32%)を上回った。「十分に審議されていない」と答えた人も69%にのぼった。」(
2017/06/19付「ハフィントンポスト」ここより)

(朝日新聞)  (読売新聞)  (毎日新聞)
170619asahi 170619yomiuri 170619mainichi

(共同通信)  (時事通信)  (ANN)
170619kyodo 170619jiji 170619ann

毎日新聞の支持率36%を大きく下回っているのが「福島民報」の調査。支持率30%という。福島県民は厳しい・・・
福島県内「安倍内閣支持」30% 本社世論調査
 福島民報社は福島テレビと共同で福島県民世論調査(第18回)を実施した。安倍内閣を支持するかどうか聞き、「支持する」は30.6%で、今年3月の前回調査から4.3ポイント下落した。一方、「支持しない」は51.7%で5.2ポイント増えた。
 男女別では「支持する」としたのは男性32.8%、女性28.9%。「支持しない」は男性57.0%、女性47.6%だった。
 年代別では「支持する」の回答割合は80歳以上の38.1%が最高で、40代31.6%、70代30.7%などの順となった。「支持しない」は30代の64.3%がトップで、50代55.5%、60代54.6%などだった。
 県民世論調査では、2013(平成25)年3月の第4回以降毎回、安倍内閣を支持するかどうか聞いている。今回の「支持する」との回答率は、15年6月の第10回調査の28.4%に次いで2番目に低い。「支持しない」は15年9月の第11回調査の53.5%に次いで2番目に高かった。・・・」(
2017/06/19付「福島民報」ここより)

それにしても、各メディアの数字はバラバラ。上のグラフのように、おなじメディアの数字をトレンドとして見ないと分からない。
そんな中、各調査の数字を平均化してグラフにしているサイトを見付けた。
「はる/三春@みらい選挙プロジェクト‏ @miraisyakai
070619heikin 内閣支持率・不支持率(全社平均)
6月18日発表の共同・毎日・NNN・読売・日経の世論調査を反映しました。内閣支持率は暴落傾向で、安保法採決以来の低水準となっています。(各調査社の数値は偏りを補正したものを表示しています)」(
ここより)

なるほど・・・・。

さて、本題だが、最大の疑問、つまり「なぜ何をやっても安倍政権の支持率が下がらないのか?」を書いた「ビデオニュース・ドットコム」というサイトを見付けた。

少し長いが、“勉強”してみよう。
何をやっても安倍政権の支持率が下がらない理由
 何をやっても安倍政権の支持率が下がらないのはなぜなのだろうか。
 濫用の危険性を孕んだ共謀罪法案を委員会採決を省略したまま強行採決したかと思えば、「存在が確認できない」として頑なに再調査を拒んでいた「総理のご意向」文書も、一転して「あった」へと素早い変わり身を見せたまま逃げ切りを図ろうとするなど、かなり強引な政権運営が続く安倍政権。ところがこの政権が、既に秘密保護法、安保法制、武器輸出三原則の緩和等々、政権がいくつ飛んでもおかしくないような国民の間に根強い反対がある難しい政策課題を次々とクリアし、危ういスキャンダルネタも難なく乗り越え、その支持率は常に50%前後の高値安定を続けている。
1706162  確かにライバル民進党の長期低迷という特殊事情もあろうが、なかなかそれだけでは説明がつかないほど、政権の支持基盤は盤石に見える。
 ビデオニュース・ドットコムでは、一橋大学大学院社会学研究科の中北浩爾教授と、過去の一連の「政治改革」が権力を首相官邸に集中させたことが、結果的に安倍一強状態を生んでいることを議論してきた。(マル激トーク・オン・ディマンド 第841回(2017年5月20日)「安倍政権がやりたい放題できるのはなぜか」 )
 しかし、制度や法律の改革によって永田町や霞が関を支配下に収めることができても、自動的に国民の高い支持率を得られるわけではない。安倍政権の高い支持率が続く理由はどこにあるのか。
 政治とメディアの関係に詳しい社会学者で東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の西田亮介氏は、安倍政権の安定した支持率の背景には自民党の企業型広報戦略の成功と日本社会に横たわる世代間の認識ギャップの2つの側面が存在すると指摘する。
 第二次安倍政権がマスメディアに対して度々介入する姿勢を見せてきたことは、この番組でも何度か問題にしてきたが、それは自民党の新しい広報戦略に基づくメディア対策を着実に実行しているに過ぎないと西田氏は語る。
 支持率の長期低落傾向に危機感を抱いた自民党は、1990年代末頃から企業型のマーケッティングやパブリック・リレーションズ(PR)のノウハウを取り入れた企業型広報戦略の導入を進め、2000年代に入ると、その対象をマスメディアやインターネット対策にまで拡大させてきた。
 特にマスメディア対策は、個々の記者との長期の信頼関係をベースとする従来の「慣れ親しみ」戦略と訣別し、徐々に「対立とコントロール」を基軸とする新たな強面(こわもて)戦略へと移行してきた。その集大成が2012年の第二次安倍政権の発足とともに始まった、対決的なメディアとは対立し、すり寄ってくるメディアにはご褒美を与えるアメとムチのメディア対策だった。
1706163  マスメディアの影響力が相対的に低下する一方で、若年世代はネット、とりわけSNSから情報を得る機会が増えているが、自民党の企業型広報戦略はネット対策も網羅している。西田氏によると、自民党は「T2ルーム」と呼ばれる、ネット対策チームを党内に発足させ、ツイッターの監視や候補者のSNSアカウントの監視、2ちゃんねるの監視などを継続的に行うなどのネット対策も継続的に行っているという。
 こうしたマスメディア・インターネット対策も含め、自民党の企業型広報戦略は、企業の広報担当者が聞けばごく当たり前のことばかりで、言うなれば企業広報の初歩中の初歩を実行しているに過ぎないものだという。しかし、ライバル政党がその「初歩中の初歩」さえできていない上に、マスメディアが「政治のメディア戦略」に対抗する「メディアの政治戦略」を持ち合わせていなかったために、これが予想以上の成果をあげている可能性が高いのだという。
 また、安倍政権の安定した高支持率を支えるもう一つの要素として、西田氏は世代間の認識ギャップの存在を指摘する。
1706191  民放放送局(TBS系列JNN)による最新の世論調査では20代の若者の安倍政権の支持率は68%にも及んでいるそうだ。また、2016年の総選挙の際の朝日新聞の出口調査でも、若い世代ほど自民党の支持率が高いことが明らかになっている。これは、若年世代と年長世代の間で、政治や権力に期待するものが異なっていることを示している可能性が高い。
 自身が34歳の西田氏は、若者ほど政権政党や保守政治に反発することをディフォルトと考えるのは「昭和的な発想」であり、今の若者はそのような昭和的な価値観に違和感を覚えている人が多いと指摘する。実際、「若者は反自民」に代表される昭和的な価値体系を支えてきた「経済成長」「終身雇用」「年功序列」などの経済・社会制度は既に社会から消滅している。にもかかわらず、年長世代から昭和的な経済・社会情勢や制度を前提とした価値規範を当たり前のように強いられることに多くの若者が困惑していると西田氏は言う。
 思えば、かつて時の政権が安全保障や人権に関わる政策でこれまで以上に踏み込んだ施策や制度変更を実行しようとするたびに、強く反発してきたのは主に若者とマスメディアだった。若者とマスメディアの力で、与党の暴走が抑えられてきた面があったと言っても過言ではないだろう。しかし、マスメディアは新たな戦略を手にした政治に対抗できていないし、若者も経済や雇用政策などへの関心が、かつて重視してきた平和や人権といった理念よりも優先するようになっている。
 そうなれば、確かにやり方には強引なところはあるし、格差の拡大も気にはなるが、それでも明確な経済政策を掲げ、ある程度好景気を維持してくれている安倍政権は概ね支持すべき政権となるのは当然のことかもしれない。少なくとも人権や安全保障政策では強い主張を持ちながら、経済政策に不安を抱える他の勢力よりも安倍政権の方がはるかにましということになるのは自然なことなのかもしれない。
 しかし、これはまた、政治に対する従来のチェック機能が働かなくなっていることも意味している。少なくとも、安倍政権に不満を持つ人の割合がより多い年長世代が、頭ごなしの政権批判を繰り返すだけでは状況は変わりそうにない。」
(2017/06/18付「ビデオニュース・ドットコム」ここより)

「対決的なメディアとは対立し、すり寄ってくるメディアにはご褒美を与えるアメとムチのメディア対策」は良く言われているが、「自民党は「T2ルーム」と呼ばれる、ネット対策チームを党内に発足させ、ツイッターの監視や候補者のSNSアカウントの監視、2ちゃんねるの監視などを継続的に行うなどのネット対策も継続的に行っている」という対策は初めて聞いた。
そして「世代間の認識ギャップの存在」として、「若い世代ほど自民党の支持率が高い」という。
その結果、「マスメディアは新たな戦略を手にした政治に対抗できていないし、若者も経済や雇用政策などへの関心が、かつて重視してきた平和や人権といった理念よりも優先するようになっている。」という。

今更言っても仕方がないが、昔の我々の時代は、戦争や人権に対して、学生運動が盛んだった。若者の、それに対する意識が高かった。
しかし、現在は、若者にとって、雇用が最重要課題。毎日、食わねばならぬ。この若者の過労死とワーキングプアーの“貧困世代”に、幾ら人権や監視社会を言ってみても、心に入らないのかも知れない。

野党も、安部政権の経済対策を上回る国民の心を捉える新政策を発表し、それで世の中を明るく豊かにする、というビジョンを示さないと、せっかくブレーキが掛かった内閣支持率も、また時間と共に、元のもくあみ・・・!?
今日の記者会見でもまた、バカの一つ覚えのように「丁寧に」を連呼していた。こんな安易な言葉だけで国民をだます安部首相の高笑いは、もう聞きたくない・・・のだが。

20160223202116343 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (2)

2017年6月17日 (土)

良い音への投資限度は?~STAX「SRM-T8000」を聞く

先日、いつも自宅で聞いている「SRM-007tA」と、今回発売される「SRM-T8000」を、SR-009でじっくりと聞き比べる機会に恵まれた。
自分の駄耳で聞いた結果は、「値段がな~~」だった。今日はその時に感じたメモである。

自分が今聞いているのは、STAX(スタックス)の「SR-009」というヘッドホンと、「SRM-007tA」というアンプの組合せ。
それが先日、STAXが3年の開発期間を費やし、満を持してフラッグシップモデルのアンプ「SRM-T8000」を発売した(2017/06/16)。定価で64万円だという。フラッグシップと言うからには、そして38万円のSR-009とのバランスからすると、「そんなものだろうな」という値段設定。
さて、このモデルを自分としてどう捉えよう・・・

昔、SR-009を買う前、STAXの試聴室でアンプを取っ替え引っ替えして聞き比べたことがあったが(ここ)、その差が、自分の駄耳ではほとんど分からなかった。聞いたのが安価なイヤホン形、という事情もあったのだろう。
先日、「SRM-007tA」と、今回発売される「SRM-T8000」を、SR-009で聞き比べる機会があったが、予想通り、その差は簡単には分からなかった。ツイッターで、誰かが「サ音が気になる」と書いていたので、アナウンサーの声を聴いてみると、なるほどT8000はサ音が強く聞こえる。高域の特性が伸びているせいかも知れない・・・。
実は自分は「サ音」が妙に気になる性分(ここ)。それで、FM放送の録再には、STAXさんに前に教えて貰ったライントランスを使っているが(HAP-Z1ESはダイレクト)、T8000のサ音をどう評価するか?確かにアナウンサーでは強く感じられるが、音楽では気にならない。それは良かった。

ボーカルを聞く。T8000から007にSR-009を繋ぎ替えると、ふと思い浮かんだ言葉が「骸骨」。つまり、T8000で歌っている歌手が、007ではやせ細った人に変わる気がした。これは何か?
他の音源でも、T8000から007に繋ぎ替えると、「何か物足りない」という感じ。これは何か?
音は、なかなか表現が難しい。ワインの味の表現に似ている。
しかし、T8000に比べて007は「何か物足りない」という感じは、最後まで何を聞いても同じだった。つまりは、T8000の方が何かが良いのだろう。それは“認めざるを得ない”。

T8000の自分なりの聞き比べに、なぜそんな回りくどい表現をするのか?
それは価格なのである。ユーザーからすると、「価格の差」対「音の差」がすべて。
メーカーがどこにどうお金をかけようが、そんなことは知らん。インシュレーターにお金をかけて、それが音質にどれだけ影響するのか、それも知らん。
とにかく、再生される「音」と値段とのバランスなのだ。自分の好みの音に対してどうか?だけ・・・。

新製品のT8000が、価格コムで今日(2017/06/17)現在578,340円。一方、今自分が愛用している007tAが同じく125,532円だという。その差、4.6倍。絶対金額にして、45万円の差。それだけの差が、T8000の音にあるか?ということになる。つまり、自分にとって、その差のためにこれだけの投資をする価値(意味)があるか?ということになる。

もちろん、その音の差は、聞く人の好みによって大きく変わる・・・。メーカーが目指した音の差(改善)が、ユーザーにとって高く評価される場合もあるし、自分の好みと違う、と評価される場合もある。好みの世界はかくも難しい。誰もが納得する統一的な「どうだ!」という数値的な評価項目が無いのだろう。
前にSTAXの試聴室に行った時に聞いた話を思い出すと(ここ)、例えば高域特性。たぶん新型は、先の「サ音」に現れたように、高域の特性(変調度)が大きく改善されていると想像する。もちろんその他の点も・・・。しかし、それが「ユーザーにどうか?」なので難しい。

もう一度繰り返す。T8000の方が音が良いのは認める。しかしその差が“自分にとって”45万円に値するか??

この解は難しい。お金が幾らでもある人は、少しでも良い音になれば・・・と、投資するだろう。しかし、自分のように年金生活者にとってみると、この差45万円は大きい。
45万円あれば、最新の4Kの大型液晶テレビも買えるし、新車のグレードも上がる。それらの点を下して(却下して)までも、T8000に45万円投資するだけの価値があるかどうか・・・

そもそもオーディオの世界なんて微妙なもの。「良い音」なんて個人の好みの問題であり、自己満足の世界。そして、最高級レベルになると、何百万もかけても、その音の改善は微々たるもの。
あるいはその話と同じことかも知れない。非常に完成された「SRM-007tA」から見ると、それ以上に音を改善するには、45万円位はかけないと良くならない。その良くなった結果がT8000のこの音・・・ということなのだろう。

片耳難聴の自分にとってみると、改めて「SRM-007tA」は非常に完成された“自分にとっての名機”なのだと思った。
T8000のこの音の差が、自分にとって45万円に値するか?という解のない堂々巡りの禅問答に陥ってしまった、今回のT8000の試聴であった。

2017061618441717d_2 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (0)

2017年6月16日 (金)

「将棋の藤井四段、連勝記録26に伸ばす 最多タイまで2勝」

国会での暗いニュースばかりの世の中で、唯一明るい話題がこれだ。

将棋の藤井四段、連勝記録26に伸ばす 最多タイまで2勝
 将棋の最年少プロ棋士、藤井聡太四段(14)は15日、大阪市の関西将棋会館で指された名人戦の順位戦C級2組の対局で瀬川晶司五段(47)に勝ち、昨年10月のデビュー以来の公式戦連勝記録を26に伸ばした。将棋界の最多連勝記録は神谷広志八段(56)が1987年に達成した28で、負け知らずの快進撃を続ける中学生棋士が、大記録まであと2勝に迫った。
170616fujii1  藤井四段は対局後、「難しい将棋で、最後まで分からなかった。こんなに連勝できて自分でも驚いている」と語った。
 藤井四段は10日に連勝記録を25に伸ばし、歴代単独2位になった。17日には朝日杯将棋オープン戦予選で藤岡隼太アマ(19)と、21日には王将戦予選で澤田真吾六段(25)と対戦することが決まっており、連勝すると神谷八段の記録に並ぶ。その場合、26日の竜王戦決勝トーナメント、増田康宏四段(19)との対戦に記録の更新がかかる。
 順位戦は、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5つのクラスから成り、最上位のA級の優勝者が名人戦の挑戦者になる。各クラスでリーグ戦を行い、成績上位者が翌年、上のクラスに上がるが、飛び級がないため、C級2組の藤井四段が名人の挑戦者になるには、今年を含めて最低でも5年かかる。」(
2017/06/15付「日経新聞」ここより)

昨日(2017/06/15)は、午前10時からスタートで、各持ち時間が6時間というので、勝敗は夜の10時頃かと、Netで、何度も何度もニュースを確認してしまった。
170616fujii2 そして11時頃だったか、やっと毎日新聞の「8分前」の記事が引っ掛かり、26連勝したことが分かった。

別に自分は将棋を指す訳ではない。いや、指せない。しかし、この歴史に残る快挙は、興味津々。
言葉遊びに耽(ふけ)る、国会中継の薄汚い政府の面々に比べ、この14歳の、何と爽やかな表情だろう。
これらの若い世代に、早く日本も交代しないと、時間と共にどんどん悪くなって行く。それは取り返しが付かない。
「テロ等準備罪」と呼び方を変えただけで、コロリと騙される国民。だから内閣支持率も遅々として下がらない。
でも、この藤井四段の快進撃を見るに、何か明るい気持ちになってくる。

これからの対局は、6月17日、21日、26日と続くという。将棋の分からない自分だが、その活躍を見守っていきたい。

20170111164630b48 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (3)

2017年6月15日 (木)

「共謀罪」の強行採決

とうとう「平成の治安維持法と呼ばれる「共謀罪法」が15日朝の参院本会議で、自民、公明両党と日本維新の会の賛成多数で可決、成立した。投票総数235票のうち、賛成は165票、反対は70票だった。来月にも施行される。」(ここより)

日刊ゲンダイのメルマガに「共謀罪強行採決へ 野蛮な暗黒政治を止める方法はあるのか」(ここ)という記事があり、読んでいると、「東京新聞」の山口二郎のコラムの引用があった。
面白そうなのでNetでググってみると、こんな記事が見付かった。

本音のコラム「文明か野蛮か」 山口二郎
 この一週間の国会審議を見て、日本の議会政治の崩壊は最終段階に入ったと痛感した。1960年安保の時、中国文学者、竹内好は民主か独裁かという戦いだと喝破した。岸信介の孫が議会政治を壊そうとしている今、私は文明か野蛮かの戦いだと訴えたい。
170615yamaguti1  衆参両院の決算委員会における安倍首相の答弁は何なのだ。聞かれたことには答えずに無駄話で時間をつぶし、自分はヤジを飛ばしながら、野党にはヤジを飛ばすなと言う。質問が終わるとつまらない質問だったと聞こえよがしに喚(わめ)く。小学校の学級会でも、子どもはもっとまじめに話し合いに取り組む。首相は政治家以前の、人間としての基本的な礼儀作法ができていないと非難するしかない。道徳教育が大好きな首相に問いたい。あなたは家で一体どんなしつけを受けてきたのだと。
 野蛮人の支配する王国では、公私の区別がなく、国の財産は権力者の私物であり、権力はえこひいきのために行使するのが当たり前で、役人は権力者に隷属する使用人であった。これはまさに安倍政権が支配する日本の現状である。あったことをなかったことにするのが野蛮国である。
 ようやく権力者の下僕ではなく、法に従う文明人でありたいという公務員の声が政府内部で上がっている。われわれも文明人でありたいなら、黙っていてはならないのである。 (法政大教授)」(
2017/06/11付「東京新聞」より)

本音のコラム「国がほろぶ時」 山口二郎
 加計学園問題について、前文科事務次官の証言が飛び出したが、この発言の信憑性(しんぴょうせい)を損ねようとする政府の悪あがきは目に余る。
170615yamaguti2  前次官が在職中、怪しげな風俗店に行っていたと読売新聞が報じた。それがどうした。法に触れなければ余暇に何をしようが勝手だろう。首相の提灯(ちょうちん)持ちを演じていたジャーナリストが悪質な性犯罪を実行し、逮捕状まで出ていたが警視庁幹部が握りつぶしたと週刊誌が報じた件は何の追及もなしか。権力者に近しい者の犯罪はもみ消され、権力者に逆らう者は根拠のない攻撃を受ける。
 確かに日本には複数政党制や自由な報道機関がある。しかし、最大部数の新聞が政府の謀略に加担し、公共放送は政府の言い分を最優先で伝える。倣慢(ごうまん)な権力者は議会を軽蔑し、野党の質問には最初から答えない。もはや日本は、かつて中南米やアフリカに存在したような専制国家になり下がったと言ってもよい。
 獣医学部新設は岩盤規制の打敵だと政府の行為を擁護する声もある。それは大きな勘違いである。大学新設は政治が決めてもよい事柄だが、どの大学が新学部を運営する能力を持つかは、行政が公平に判断する事柄である。権力者がそれをゆがめたのが加計疑惑の本質である。
 権力者の我儘(わがまま)に政治家や役人がひれ伏すような国は早晩ほろびる。(法政大教授)」
(2017/05/28付「東京新聞」p27より)

際どい表現だが「権力者の我儘に政治家や役人がひれ伏すような国は早晩ほろびる。」という言い方が、あながち場違いではない現実におののく・・・。

今朝の朝日新聞に、青木理さんと落合恵子さんの言葉が載っていた。

尋常じゃない進め方 ジャーナリスト・青木理さん(50)
 277もの犯罪を計画段階から取り締まる「共謀罪」は、日本の刑事司法の転換点になる。これだけ重要な法案なのに、法務委員会の議論を打ち切るという異例の手続きで成立させるのは信じがたい。
 森友問題、加計問題と、最近の政権の物事の進め方はちょっと尋常じゃない。あるものを「無い」と言ったり、都合の悪い書類を「怪文書」扱いしたり、国会で改憲案について問われると「読売新聞を熟読して」と言ったり。異論や反論、疑問を数の力で押し切るやり方が目に余るが、今回はその究極形だ。
 歯止めがあいまいな「共謀罪」は警察の強力な武器になる。これで終わらず、通信傍受などの捜査手法の拡大が必ず待っている。市民社会やメディアは権力が暴走した時の怖さに鈍くなっている。表現の自由やプライバシーが危機にさらされる警戒感を持ち続けなければいけない。

数の力による暴挙 作家・落合恵子さん(72)
 数の力による暴挙でしかない。政府は「丁寧に説明する」と言いながら、責任を果たしていない。「中間報告」でいきなり採決を図ろうとするのは国民をないがしろにしたやり方だ。
 国会を延長すれば、森友学園や加計学園の問題でも追及が続く。できるだけ早く採決に持ち込みたいと考えたのだろう。民主主義が崖っぷちに立たされたこの状況を、与党議員も受け止めるべきだ。
 十数年前、共謀罪法案が議論されたときも反対した。今まさに成立しようとしているのに、反対の声が伝わりにくくなっている。「自分には関係ない」と思っている人が多い。だから、政権も採決を強行できるのだろう。
 特定秘密保護法、安全保障法制なども数の力によって成立した。では、誰がその力を与えたのか。私たちはその問いに、向きあっていかなければならない。」(
2017/06/15付「朝日新聞」p34より)

落合さんが言っているように「特定秘密保護法、安全保障法制なども数の力によって成立した。では、誰がその力を与えたのか。私たちはその問いに、向きあっていかなければならない。」
そうなのだ。その力を与えたのは我々国民。
「国民は、何をしても時間が経てば直ぐ忘れるバカ」を前提に、高止まりの内閣支持率を誇っている安倍政権。すべては国民の為せる業(わざ)。
さて、その“バカな国民”が、ここまでコケにされて、少しは目覚めるであろうか?
その結果は、まずは都議選に現れる“はず”・・・。
少しは国民が目覚めた結果を期待したいものだが・・・。

20170612191402470 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (3)

2017年6月12日 (月)

FMシアター「蛍の光 窓に雨」

今日は、夕方スマホが鳴ってビックリした。というのは、電話がかかってくる確率はゼロに近いので・・・
先日の中学の同窓会(ここ)の幹事からで、友人の消息についての確認の電話だった。名簿を修正するためだという。
ふと、先日聞いたラジオドラマを思い出した。同窓会が出てくる。FMシアター「蛍の光 窓に雨」(2017/05/27放送)だ。

NHKのサイトに、あらすじとしてこう載っている。
FMシアター「蛍の光 窓に雨」
40歳の男と女。かつて学級委員だった二人が、25年ぶりに中学校の同窓会を開くことになった。しっかり者の女性・高橋双葉は、積極的に同窓生の連絡先を調べ名簿作りを進める。一方、昔から面倒くさいことばかり押し付けられてきた男・鈴木彰は、いい年齢になっても未だ「成熟した大人」になった確信がない。
同窓生達の行方を調べるうちに、40歳の男女は過去に再会し現在に向き合うことになる。二人の思い出を巡る旅は、二度目の成人式のような成長と、卒業式のような寂しさへと行き着いた。」(
ここより)

<FMシアター「蛍の光 窓に雨」より>

*この番組の全部(50分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

このセリフが気になった。余命幾ばくもなくなった女性をホスピスに訪ねて行ったときの会話・・・
「私がクラス会を開きたい、名簿を作りたいと思ったほんまの動機、きっかけ。私よりうまくいってない人を探してて。心も体もずたずたの私より、もっと不幸な人、きっとどこかに1人ぐらいは居ると思う。あの人よりはまだマシなはず、そうやって、比べて安心して、自分の痛みや後悔を軽くしたかった。そやから、血眼になって名簿を作った。・・・」

同期会もそうだが、いわゆる同窓会は、元気な人だけが出てくる。よく「出席者は、ここに来られるだけ元気。来られない人が心配」と話す。
確かに、病気なのでもう名簿から外してくれと言ってくる人もいる。
このセリフは、その逆で、自分よりもっと不幸な人を探すという。

「他人の不幸は蜜の味」とはよく言われる。まさに上のセリフ通り。
先の中学の同窓会でも、若い頃は、子供が某有名中学に入ったとかいう話を聞いて、ヘエ~と思ったもの。しかし、この同窓会は、幹事が「肩書きも何も関係無い」というスタンス、と前に聞いていたので、この会では「自分は・・」という話がそれほど出なかった。
特に今回は、我々も古希という年代に入ったせいか、もっぱら誰々が亡くなった、という話ばかり。

たまたま先日同窓会があったばかりなので、何となく聞きながら、物語に入り込んでしまった。
そして、主人公の、若いなりにもキチッとした人生の終わり方についても、感心した。
自分なんてとてもとても・・・・。人生色々である。

201706071723498c3 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

| コメント (0)

«福生・ほたる公園に行く~我が家のホタル騒動