2017年9月23日 (土)

「無関心と呼ばれる政治不信」

先週の日曜日の朝日新聞から。
「(日曜に想う)無関心と呼ばれる政治不信 編集委員・大野博人
 人は自分で選んだ者たちを信じていない――。ある世論調査のデータを見ながら奇妙だけれど腑(ふ)に落ちると感じた。
 大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが拠点となって定期的に続けている全国調査の最新の結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だと思った。
 そこには社会に影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。回答の選択肢は「とても信頼している」「少しは信頼している」「ほとんど信頼していない」「わからない」の四つ。そのうち信頼に肯定的な二つを合わせても29.4%。逆に「ほとんど信頼していない」は、52.2%に上る。「市区町村議会議員」も不信が45.2%と高い。
 今年のサンプル数は744と比較的少ないが、約2千から3千のサンプルを集めた2000年から15年まで10回の調査も似たような傾向を示す。議員たちより信頼されないのは「宗教団体」だけ。
 逆に信頼の選択肢の合計が安定して高いのは「病院」で90%前後、「学校」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台、「大企業」で60%台が続く。「学者・研究者」もおよそ70%だ。「中央官庁」と「労組」はやや落ちて40から50%付近を上下している。
 「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台の信頼が寄せられているが、不信度は上昇傾向。自戒しなければ。
 あきらかに人々は自分たちで選んだわけではない人たちの方を信頼している。
     *
 この夏、朝日新聞の「声」欄で、読者が選挙での棄権と白票をめぐって意見を交わした。
 一つの投稿がきっかけだった。「投票先がないなら何も書かない白票を」と提案し「白票は政治不信に対する明確な意思表示」と主張していた。
 これに対して「白票数が多ければ何かが変わるのでしょうか」「少しでも自分が大切にしていることに考え方の近い人や政党を選んで欲しいな」「白票は与党を利するだけ」と批判的な声が寄せられた一方、白票に意味を持たせようという提案も。それが「1位となれば、その選挙区では当選者が出ないことに」。
 意見が分かれても投稿に共通してにじむのは、政治家や国会への不信だ。「傍若無人な国会運営を追認し、保身のみに汲々(きゅうきゅう)としている議員たち」「首相の国会でのヤジ、はぐらかし、閣僚の失言、暴言は最高度。あぜんとする」
 信じることがむずかしい者たちの中から選ぶしかない切なさ。
 この5月に大統領選があったフランスでも有権者たちが同様の葛藤に揺れていた。棄権するか白票を投じた人は有権者の約3分の1と、歴史的な高さになった。決選に残った2人の候補の「どちらも信頼できないのにどうして投票できるのか」と考えた人が多かったからといわれた。
 民意を政治に届ける民主主義の動脈があちこちで詰まっている。
     *
 選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする。ある人は棄権し、ある人は白票を投ずる。そしてまたべつの人は、「よりひどい」者を排除するために「まだまし」な者に一票を入れる。選挙結果が表現するのは、だれかへの信頼ではない。だれかへの不信だ。
 日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く。近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。議員を信頼していない人がざっと半分という調査データと重なる。低い投票率が示すのは、政治への無関心というより政治への不信と読める。
 民主主義では選挙こそが正統性の根拠だ、とだれでも考える。だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが民主的な正統性を独り占めすることになるのだとしたら。
 奇妙だと思う。そして、このことは腑に落ちない。」(
2017/09/17付「朝日新聞」p3より)

いよいよ「アベノタメノ解散」だってさ・・・(←この俗称を自分は気に入っている)
最近、新聞の投稿欄で「白票」についての話題があることは自分も読んでいた。自分は白票には反対。まさに自分も「白票は与党を利するだけ」だと思うから。

フランスでは「棄権するか白票を投じた人は有権者の約3分の1と、歴史的な高さになった」というが、そんなことが話題になる事自体、白票や棄権(無効票)を、投票者の抵抗と評価する風土があるのだろう。
日本では、白票や無効票など、幾ら多くなっても話題にもならず、ひっそり消えて行くだけ。その意味など誰も考えない。今の政権がそうであるように、とにかく勝てば良いのであるから・・・

しかし安倍総理の国連での発言は怖い。(ここ)で全文を読んでみたが、首相の考えによって、日本が戦争に向かって一直線に突き進んでいるように思えてならない。
「北朝鮮に全ての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄させなくてはなりません。そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」
「全ての選択肢はテーブルの上にある」とする米国の立場を一貫して支持します。
「必要なのは行動です。北朝鮮による挑発を止めることができるかどうかは、国際社会の連帯にかかっている。残された時間は多くありません。」

等々・・・・

心配事はただ一つ。日本が戦争に向かわないこと。
このままでは危ない。総理が北朝鮮という外に敵を作って、自分への支持を取り付けたい本音は、まさに北朝鮮の将軍さまやトランプ大統領と同じ構図です。
議院内閣制では、この国民を戦争に駆り立てる首相を国民がクビにすることは出来ない。出来ることはただ一つ。戦争から遠ざかる候補者(党)を選ぶしかない。
それには全選挙区で、自公に対向する野党候補者が1人に絞られることを期待するしかない。
この「アベノタメノ解散」でも自公が勝つなら、それを選んだ国民は戦争を覚悟するということ。日本人はそんなバカな国民だと思いたくはないが・・・

170923missile <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年9月21日 (木)

さだまさしの「転宅」

だいぶん前から、愛機HAPZ1ESに置いてある「歌」を、順番に聞いている。音源を歌手別のフォルダに分けているのだが、寝る前に暗いベッドに入ってから聞くのが趣味。
自分なりの洋楽・童謡のジャンルを別にした「歌」のカテゴリには、今見たら6571の音源がある。
改めて「あ」から順番に聞いているが、今は「さ」で「さだまさし」の歌を聞いている。
さだまさしの主だった歌は既に取り上げているが、「転宅」という歌をきいて、改めて挙げておきたいと思った。

<さだまさしの「転宅」>

「転宅」
  作詞/作曲:さだまさし

親父が初めて負けて 大きな家を払った
指のささくれ抜くみたいに 後ろ向きで荷作りをした
いやな思い出は皆 残してゆきましょうと
床の間の掛軸丸め乍ら かあさんが言った
丁度かくれんばで 息ひそめて
鬼の過ぎるのを待つみたいで
何も無くなった部屋では
おばあちゃんが 畳ふいてた

それから移り住んだのは 学校の裏通り
そこで初めて家で過ごす 親父の背中を見た
ひとつ覚えているのは おばあちぁんが我が子に
負けたままじゃないだろうと 笑い乍ら言ったこと
人生は潮の満ち引き
来たかと思えば また逃げてゆく
失くしたかと思えばまた
いつの間にか戻る

そのあと我が家はも一度 家を替わることになる
一番喜ぶはずの人は 間に合わなかったけれど
人生は潮の満ち引き
来たかと思えば また逃げてゆく
失くしたかと思えばまた
いつの間にか戻る

この歌は、1976年発売の、さだまさしのソロ1枚目の「帰去来」に収録されている。(上の音源は「帰郷」(1986年)から)
WIKIに「父・雅人は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子と結婚し、雅志・繁理・玲子の3人の子をもうけている。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、自宅は部屋が10以上もある豪邸だった。3歳よりヴァイオリンを習い始め才覚を現す。ただし1957年の諫早の大水害によって父の事業は失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる。」とあるように、自叙伝的な作品らしい。さだまさし5歳の時の記憶であろう。

さだまさしの作品は、この歌のように、内容が非常に分かり易い歌と、歌詞が難解な哲学的な歌、そしてコミカルソングに分けられるような気がする。
この歌は、歌詞から情景が直ぐに浮かぶため、聞いていて何か悲しくなってくる。WIKIの「帰去来」の項にあるように「佐田家の人間はこの歌を面白半分に歌われる行為を嫌う。」 のも良く分かる。自分の家の困難な時の状況なのだから・・・・。
このお父上は、2009年に90歳で他界され、明るく送ったという。

この歌の真実は「人生は潮の満ち引き 来たかと思えば また逃げてゆく 失くしたかと思えばまた いつの間にか戻る」という歌詞ではないか。
人間、挫折した時は、なかなか明るい将来を思い描けないが、確かに朝の来ない夜はない。

孫たちの為にも、何とか未来が明るいことを祈ろう。

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2017年9月20日 (水)

伝家の宝刀の「解散」はいつから“総理の専権事項”に?

今朝(2017/09/20)のTV朝日の「モーニングショー」(ここ)では、勉強させて貰った。
総理の解散の権限は、憲法には規定が無く、吉田首相時代に始まって、最高裁を経て定着したのだという。しかし日本の見本のイギリスでは、勝手な解散は許されなくなり、世界的にも、残っているのは4カ国だけだという。学習院大学教授の野中尚人氏による解説である。

番組に従って、メモしてみた。
(動画は(ここ)にある。 8:26~9:06)

伝家の宝刀 解散はいつから“総理の専権事項”に?

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・閣僚15人中12人が「解散は総理の専権事項」と発言。特に林文科大臣は「総理の大権」

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どういう時に衆議院が解散になるの?
 憲法第69条 内閣は「衆議院で不信任の決議案を可決」、または「信任の決議案を否決」された時は、10日以内に衆議院を解散、または内閣総辞職。
170920tv05  ⇒日本では少ないが「世界標準」(しかし解散そのものが少ない)
 憲法第7条 天皇は内閣の助言と承認により国民のために国事に関する行為を行う。①憲法改正、法律、制令及び条約を公布すること。②国会を召集すること。③衆議院を解散すること。
 ⇒実際には総理の“好きな時に解散”(憲法には書いていない)
これらはイギリスの議院内閣制をモデルにしている。

解散が“総理の専権事項”になったきっかけは?
 初めて“好きな時解散”を行ったのは、吉田茂総理大臣が1952年8月の「抜き打ち解散」で、側近のみと相談し解散。しかも国会を開会せず。これは自由党の党内抗争で、鳩山一郎の勢力を減らす為に行った。これに対して、当時のマスコミの評価は、当時の朝日新聞の社説によると「イギリスの議院内閣制をとる以上は当然のこと」と評価。
170920tv06 (その前の1948年にも解散しようとしたが、GHQに止められた。GHQは69条解散が原則だから7条解散はダメと)
 これに対し失職した前議員が提訴した。当時改進党の苫米地義三氏が、好きな時に解散できる「“7条解散”は違憲だ」。
 それに対して最高裁は、1960年「解散のように政治性の高い行為は裁判所の審査権の外にある」と判断せず。違憲とされなかったことで、好きな時に解散できる“7条解散”を認める憲法解釈が主流になり「総理の専権事項」となった。

 「日本国憲法」が施行されてから23回の解散の内、好きな時にできる“7条解散”は19回。

日本のモデル、イギリス議会は“好きな時解散”を廃止。やめたワケは?
 かつてイギリスでも、解散権は“国王の大権”
実質は首相が助言し好きな時に解散。
 以前からイギリスでは根強い批判。「与党に有利で不公平だ」。そこで6年前の2011年に解散を制限する法律を制定。これは「議会任期固定法」で、任期を5年に固定。解散できるのは、内閣不信任案の可決、または下院の2/3以上の賛成。
 日本のモデルのイギリスをはじめ、いまや主要先進国は解散権を制約し、ほぼ使えないようにしている。好きな時に解散できる“7条解散”は21世紀の民主主義に合っていない。
 世界的に見ると、OECD35カ国では、「解散権がない・一般的ではない」国は、18カ国。「制限が強い」国が13カ国。「好きな時に解散」は日本、カナダ、デンマーク、ギリシャの4カ国。

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(野中尚人氏の指摘)
・根本的な話としては、今回のような不意打ちの解散は、国民に対して充分な情報や選択肢の提供がない。例えば、与党はこんな実績がある、野党はこんな提案をしたい。という情報を国民に周知せしめていく。新党が立ち上がれば、その意見も聞いて、堂々と我々を選んでくれ。つまり国民が充分に主権者として選択権を行使できるようにする、それが一番大切な選挙の役割。任期を固定することによって安定的に行う。政権の側は、4年の任期の中で約束した仕事をできだけきちんとやる。これが今の民主主義の考え方。
・日本の場合は、平均で2年9か月位の任期なので、2年位経つと皆ソワソワする。すると仕事をしない。国民の為の仕事そっちのけで、選挙区回りばかりやる。これが日本の政治のクオリティを上げることにどれだけマイナスになっているか良く考えるべき。
・イギリスは突如変えた訳ではない。ヨーロッパでは主要な国はこういう方向に動いていて、イギリスは素地として、反対党の準備を待ってから解散するというのはルールになっている。そんな根本的なことも踏まえないで、いまだに100年前のやり方をやっているという感じがする。
・国民が民主主義を動かすと考えると、自由な解散はほとんどメリットが無くてデメリットの方が大きい。戦後直ぐの時にはそれなりに理屈があったし、状況があったが、今や日本では合わないものになっている。

自分も、当たり前と思ってきた首相の解散権について、目から鱗・・・
この話を聞くと、日本はまだまだ子供の国だと思う。大所高所からの反省によって、政治の世界を改善するという姿勢になっていない。従来の慣習に這いつくばって、ただただ自己保身を図る目線しかない。
今回も、まさに堂々たる「アベノタメノ解散」だ。

話は変わるが、このような情報番組、いわゆるワイドショーだが、現役時代は朝と午後のこんな番組は見たことがなかった。それが引退してからは、なぜかTV朝日のこの番組を見るようになった。
そもそもこんな番組は、キャスターの好き嫌いで見ることが多い。自分は、羽鳥慎一キャスターもクセが無く感じるし、玉川さんの指摘の目線も好き。それに青木さんのコメントも好き。それに引き替え、石原、長嶋くんは、レベルが低いのでほとんど聞かない。

前は、つまらないゴシップばかりでバカにしていたが、今日の解散についての解説は国民の啓蒙にも通じる内容で、「羽鳥慎一モーニングショー」という番組を見直した。
今後も、こんな視点での解説を期待したい。

(2017/09/21追)
今朝の朝日新聞に、上の議論と同様の河野元衆議院議長のコメントが載っていた。
冒頭解散、身内から異議あり
 ■権力側の都合、理解できぬ 河野元衆院議長
 河野洋平元衆院議長は20日、日本記者クラブで講演し、安倍晋三首相が28日召集の臨時国会冒頭に衆院を解散する構えを見せていることについて「安倍さんは『できるだけ丁寧に国民に説明する』と言っていた。その説明もせずに、冒頭解散するというのは私には理解できない」と批判した。
 河野氏は、森友学園や加計学園をめぐる問題を念頭に、「国民の懸念に説明をすべきだと野党が要求してきた臨時国会をずっと開かずに引っ張ってきて、問題への説明も懸念払拭(ふっしょく)の努力もしないで(解散)しちゃうというのは、野党が何だと思うのは当然だ」と指摘。さらに、「権力の側が自分の都合の良いときに自分の都合で解散するというのは果たしていいのかどうか、議論しなければならない」と訴えた。
 河野氏は英国首相の下院解散権が2011年に封印されたことに触れて「党と党の話し合いで解散権に制約を加えるのは非常に賢明な対処法で、あのやり方ができればいいと思う」との見方も示した。 (倉重奈苗)」(
2017/09/21付「朝日新聞」p4より)

20170920192918408 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年9月19日 (火)

「アベノタメノ解散」~野党共闘拒否で前原代表は責任取れる?

吉田首相の「バカヤロー解散」ならぬ「アベノタメノ解散」という俗称が気に入った。「日刊スポーツ」が名付けた。

「アベノタメノ解散」森友加計隠し?国民にどう説明
 「アベノタメノ解散」だ! 安倍晋三首相は、28日の臨時国会を召集直後に衆院を解散し、10月22日か29日に衆院選を行う意向を固めたことが17日、分かった。野党や「小池新党」の選挙体制が整わないタイミングを狙い、臨時国会で森友&加計学園問題の追及を避けるためには「今だ」と判断したようだ。ただ、北朝鮮情勢が緊迫する中の解散で、首相周辺でも慎重論がある。すべては首相の都合。識者は「本当に大義のない解散。大勝できるか分からない」と指摘した。・・・・」(
2017/09/18付「日刊スポーツ」ここより)

野党共闘に対する野党各党首の発言。

「若狭・細野新党は自民政治の補完」 共産・志位委員長
■志位和夫・共産党委員長(発言録)
 (若狭勝氏と細野豪志氏らが検討する)国政新党は野党の流れと考えていない。自民党政治の補完勢力だ。この流れに私は未来があるとは思っていない。もちろん連携もあり得ない。
 安倍政権を倒すには(民進、共産など野党4党の)共闘しかない。安保法制・戦争法の廃止を原点に、市民とともに共闘の流れを総選挙でさらに大きなものとして発展させるため、ありとあらゆる知恵と力を注ぎたいと決意している。
 共闘の成功には、しっかりとした共通政策、本気の共闘態勢が必要だ。我が党が一方的に候補者を下ろすことは全く考えていない。
 野党共闘の流れは全国各地で草の根で広がっている。いろんな困難があるが、安倍さんが計算違いだったとひどく後悔するような結果をつくりたい。理念政策が違う者であっても互いの立場をリスペクトし、違いは持ち込まないで一致点で協力する。これが政党間の協力だ。(記者会見で)」(
2017/09/18付「朝日新聞」ここから)

共産党の野党共闘へのラブコールに対して、民進党はつれない・・・
「前原氏「連立組めぬ」共産との選挙協力に否定的
 民進党の前原代表は18日、衆院選での野党共闘について、「政権選択選挙で基本的な理念・政策が一致しないところと協力しても、勝った後に連立を組もうとはならない」と述べ、共産党との選挙協力に否定的な考えを示した。
 共産党を念頭に、「あちらも民進党と連立を組むつもりはない」とも語った。東京都内で記者団の取材に応じた。
 民進、共産、生活(現・自由)、社民の野党4党は昨年5月、衆院選での協力で合意。民進党内では保守系を中心に、安全保障や消費増税など基本政策が大きく異なる共産党との選挙協力に反発が強いが、地方レベルでは協力を深める動きも広がっている。前原氏は共闘見直しを掲げて代表選に勝利したが、「地域事情を考慮する」とも発言しており、一定程度の協力を容認する可能性もある。
 一方、自由、社民両党とは「選挙協力をしていきたい」と述べ、候補者の一本化を進める考えを示した。」(
2017/09/18付「読売新聞」ここより)

前原代表は、“昨年5月、野党4党の衆院選での協力で合意した”にも拘わらず、共産党とは共闘しないという。
野党共闘について、今朝(2017/09/19)のTV朝日の「モーニングショー」でこんなデータを示していた。
野党共闘の無かった2013年7月21日の参院選1人区では、自公29議席に対して野党4党は2議席。そして野党共闘が実現した2016年7月10日の参院選では、それが21議席対11議席。共闘で2:1になった。
前回の2014年の衆院選小選挙区では、自公231に対して野党4党は43。それを、もし野党共闘していたら、単純計算で、自公185に対し野党共闘は91で、野党が倍増。これも2:1になっていた、という。

共産党の志位委員長は、新潟知事選、仙台市長選の共闘での勝利を踏まえ、「野党4党と市民の力を合わせれば、安倍政権を倒せると実証されている」という姿勢なのに対し、前原代表は「共産党も民進とは連立を組むつもりは無いと思う」と正反対。 
国民はどうすれば良いのか・・・

玉川さんが過激なことを言っていた。「前原さんって隠れ自民党なんじゃないか!」

この番組で、青木さんは、「自民党を支持していない人にとって、野党共闘が実現しないと、非自民票が死に票になってしまう。有権者に対する責任としても考えて頂きたい」と言っていたが、まさに前原代表が日本の将来の生殺与奪の権を握っているようにも思える。
つまり、民進党の代表が党内で、どの位の権限を持っているかは知らないが、新代表が従来の方針を変更し、共産党との共闘を拒否すると、少なくとも「自公185:野党4党91」の可能性を、「自公231:野党4党43」に減らす切り札を、前原代表が持っているということ。
たぶん野党共闘が出来れば、前回衆院選よりも自民の状況は悪いので、シミュレーションの185:91よりももっと野党は増えるはず。それを3党共闘で91よりも減った場合は、まさに前原代表が、4党共闘を拒否した結果だという事になる。

それは、日本の将来に大変な影響を及ぼす。「戦争に益々近付く」という点で。
この責任を前原代表はどう思っているのだろうか?どう責任を感じるのだろうか・・・
「勝った後に連立を組もうとはならない」と、100%有り得ない共産党との連立内閣を夢想して方向を転換し、国民の非自民の受け皿作りを否定するとしたら、先の民進党の代表選の結果は、日本国民に計り知れない不幸を呼ぶことになる。

“戦争に近付く”日本(政府)に、国民がブレーキを掛けようと思っても、国民にとって唯一の手段である今回の衆院選というチャンスを、国民から奪う権力を、前原代表が結果として持ってしまっている現況に、ゾッと寒気を覚える。

170919haihai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年9月17日 (日)

今朝の朝日の「声」より~専守防衛、夏休み、不倫、本屋

今朝(2017/09/17)の朝日新聞の投書欄「声」は、自分もついひとこと言いたくなる意見が多かった。

「(声)専守防衛の逸脱を危惧する
    元自衛隊員(愛知県 72)
 15日、北朝鮮の発射した弾道ミサイルが北海道上空を通過した。これは北朝鮮への圧力強化を進める米国と日本への警告である。
 8月には島根、広島、愛媛、高知の4県にPAC3(地上配備型迎撃ミサイル)が配備された。Jアラート(全国瞬時警報システム)や、エムネット(緊急情報ネットワークシステム)もあるが、住民避難の対応も万全ではないようだ。
 政府が見直しに取り組むという防衛大綱(防衛計画の大綱)の焦点は、ミサイル防衛の強化と、敵基地攻撃能力の保有だと、私は考える。
 ただ、北朝鮮の脅威が念頭にあるとはいえ、平時から他国攻撃の兵器を持つことは憲法の趣旨に反する。
 借金大国なのに、来年度予算の概算要求は、4年連続で100兆円を超す。防衛費は過去最大の5兆2551億円で、2017年度当初予算に比べ、2.5%の増だ。
 国防は大事だが、防衛費の膨張傾向が進む一方でいいのだろうか。そして、他国への攻撃用兵器の導入を進めてもいいのだろうか。私は、憲法9条の枠内での「専守防衛」に徹すべきだと考える。」

「(声)対抗手段の検討は不可避だ
    会社員(北海道 64)
 小野寺五典防衛相が陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入に前向きという。
 北朝鮮の核兵器所有が、わが国の安全保障に決定的な影響をもたらすことは間違いない。対抗するにはわが国も核武装すべきだと考えるが、核武装せずに核兵器に対抗する方法があるなら、積極的に導入するのは当然だろう。
 わが国ではともすると、軍備強化について問答無用で否定的になる風潮があるが、北朝鮮の核武装や弾道ミサイル所有を考慮するなら、対抗手段の検討は不可避だろう。
 日本が北朝鮮の核ミサイルを被弾すれば、何万、何十万という人命が失われ、放射能汚染が生じるからだ。
 戦争は話し合いで回避すべしとの主張もあるが、話し合いで散々譲歩したものの、最終的にヒトラーに裏切られて第2次大戦を招いた英仏の実例を考えれば、平和主義の呪縛にとらわれてはなるまい。
 話し合いがドイツの再軍備に口実と時間を与え、平和願望がヒトラーの野望に付け込まれた悪例を、忘れてはいけない。」

北朝鮮のミサイルについては、日本中が大騒ぎ、韓国以上の反応らしい。
茨城の高校は休校し、民放テレビはその特番のため、通常番組のCMが吹っ飛び、CM料の問題で頭を抱えるという。
指定地域の国民をたたき起こすJアラートについては、自分は否定的だが、今朝のTBS「時事放談」で、民進党の前原委員長も、北朝鮮のミサイルの精度はよくない、もし新幹線に落ちるリスクを考えると、Jアラートは必要、と言っていた。
自分は、必要ないとは言わないが、自衛隊が指摘しているように、もっと地域を絞れないか?と思う。

同じTBSの「時事放談」で、石破さんが、例のごとく、非核三原則について言っていたが、どうも違和感を覚えた。上の「声」の意見もそうだが、北朝鮮から核ミサイルが飛んでくる前提で、色々な事を考え始まっている。防衛費の増大も・・・・
憲法がどうであれ、国民を核ミサイルから守らなければいけない、の一点張り。
日本は法治国家。それなのに、憲法を踏みにじっても、北朝鮮からの脅威を盾に、専守防衛を超え、日本海では米軍艦船への給油という米軍への兵站を始めたという。兵站は後方からの参戦そのもの、という指摘もあるのに・・・
北朝鮮の脅威を盾に、憲法はどうあれ敵基地攻撃能力を備えて戦争に近付くのが良いのか、それとも、憲法があるので、専守防衛しかできない。その範囲内で国民を守るために、米国の説得を含めて政府はどう動いた方がよいのか。政府の動きを国民は良く見て、次の選挙に備えなければいけない。

「(声)まったり自由な長期休暇を
    主婦(大分県 59)
 夏休みの一番の思い出はラジオ体操だ。蚊帳からはい出し、眠い目をこすって走った。帰ると、また蚊帳の中でごろり。いつもと違うゆったりした時間の流れの中、適当に宿題をやり、友と遊びに興じ、夕方遅くに帰宅して叱られたことも懐かしい思い出だ。
 今、子どもたちの夏休みが年々、短くなっているという。授業時間の確保など、様々な理由があるようだが、夏休みを短くして、本当に学力がアップするのか。私は疑問だ。
 ノーベル賞をとられた日本人学者が、子どものころ野山を駆けまわって遊び、その体験の中から自分のやりたいことを見つけ、研究につなげたという記事を読んだことがある。
 塾に通い、ますます自由な時間がなくなっていく子どもたちは、夏休みを満喫できるのだろうか。
 せめて、夏休みぐらい、まったりした自由な時間を、おなかいっぱい味わってほしい。自由な時間にこそ、ふだん体験できない何かを子どもたちは見つけ、その後の生き方にいかしていくと思うのだが……。」

自分もこの意見に同感。自分の子ども時代も、夏休みは特別な時間。海水浴に行ったり、伯母の家に遊びに行ったり、記憶に残る思い出は、幾らでも出てくる。それが、自分の自由がまったく無く、塾という勉強だけに絞られたら、自主性など吹っ飛ぶ。
カミさんはよく、孫にだけは、やりたいことを皆やらせて、自分の好きな道を探させたい、という。ただただ勉強という枠にはまった人間は伸びない、という意見は、自分も賛成である。

「(声)不倫になぜ首を突っ込むの?
    高校生(東京都 16)
 芸能人の不倫のニュースを見るたびに、いつも疑問に思うことがあります。「税金を使っていた」などと、国民に迷惑をかけているのならわかりますが、誰にも迷惑をかけていないのに、ただ芸能人をおとしめるためだけに報道するのはどうなのでしょうか。
 もし、私の母か父が不倫をしていて、友達や周りの人などに知られていたら、ショックなうえ、次の日からどうやって顔を合わせて良いのかわからず、家に引きこもってしまうと思います。
 確かに不倫は良くないことだと思います。しかし、それはその人とその人の家族と、不倫相手の問題であって、私たちが首を突っ込むことではないと思います。私はこう考えますが、皆さんはどう考えますか?」

前に「山尾志桜里議員の離党は残念~早期復活を期待」(ここ)という記事を書いたが、その話と一緒。「その人とその人の家族と、不倫相手の問題であって、私たちが首を突っ込むことではない」という意見は、政治家も同じ。
なぜ政治家は、不倫のような個人的な事柄まで、記者会見で国民に説明しなければいけないのか、自分には分からない。

「(声)本の取り寄せ、時間かかり過ぎ
    主婦(宮城県 54)
 書店の減少が問題になっている。私は普段、車で10分ほどの書店で本を買う。だが先日は求める本がなく、取り寄せにも「1週間から10日かかる」とのこと。結局、帰宅後にネット通販に注文し2、3日で届いた。私が25年以上前、書店に勤めていた頃と、取り寄せにかかる時間はあまり違わない。旧態依然ではますます書店離れが進んでしまう。
 友人は書店で司馬遼太郎のシリーズ作品を購入しようとして、欠けている巻があってがっかりしたようだ。私が書店員だったときは、シリーズ物に欠品がないよう、上司からしばしば注意された。話題の本は山のように置いているのに、こうした面には目が届かなくなっているのか。街の書店は大切なだけに、買ってもらえる機会を逃さないでほしい。」(
以上、2017/09/17付「朝日新聞」p6より)

この話題は、今朝カミさんがこの記事を読んで言っていた。カミさんも経験があって、前に本屋に頼んで、10日もかかって取り寄せて貰ったという。自分も経験がある。それに比べて、Net通販の簡便さ。とてもかないっこない。
それと、Amazonなどの「中古本」の程度の良いのには驚かされる。プロの中古本屋さんは、プロの目で見ているので、着くととても中古とは思えない本が送られてくる。
雑誌を除くと、もう長い間、本屋で本を買った記憶がない。本屋さんも、もう少し買い手の身になって動かないと、残念だが廃れるのは時間の問題だろう。

話は変わるが、ここ長いこと、新聞の投書欄は、自紙に都合の良い「声」だけ載せているのではないか、と疑心暗鬼で、ほとんど読まなかった。
というのも、ちょっと経験があるので・・・・
現役時代、会議があって自分が議事録を書く場合、メモ書きから各意見を集約する(選ぶ)時に、つい私心が入ってしまう。自分と同じ意見の言葉は載せるが、気に入らない意見は削除。それが出来るのが議事録。よって、国会の議事録が正解。全ての言葉を、そのまま記録する。それがホンモノ。

マスコミの報道の捉え方・・・。政治の捉え方も、日刊ゲンダイと産経では正反対。
人一倍、染まりやすい自分なので、つい身構えてしまうが、それでも、簡単に染まってしまう主体性の無い自分・・・。しかしその困った頭で、新聞を読むしかない現状なのである。

170917abe <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年9月16日 (土)

元NHKアナウンサー・鈴木文弥氏のプロ根性

先日、2024年と28年の五輪が、パリとロスに決まったというニュースが流れていた。五輪も、費用の点から辞退する都市が相次いでいるという。
夏季五輪、24年パリ・28年ロス正式決定 IOC総会
 国際オリンピック委員会(IOC)は13日、ペルー・リマで開いた第131次総会で、2024年夏季五輪の開催地にパリ、28年夏季五輪にロサンゼルス(米国)を正式に選んだ。パリでの開催は1900年、24年以来。ロサンゼルスは1932年、84年以来となり、ともにロンドンと並ぶ3度目の夏季五輪となる。2大会の開催都市が同時に決まったのは96年ぶり。
 両都市はもともと24年大会に立候補していた。しかし、巨額の費用負担などを理由に撤退する都市が相次いだことから、IOCは2都市を振り分けて28年大会の開催都市も同時に決める異例の方針を決定。24年以降は選手村予定地の確保が難しいパリに、ロスが譲る形で合意した。(遠田寛生)(
2017/09/14付「朝日新聞」より)

自分はそもそも、今更五輪の開催など、税金の無駄遣いだと思っているが、1964年の東京五輪は別だった。全国が湧いた。(20年の東京五輪のように、世界中が“バカみたい”と思ったスーパー・マリオに扮した誰かさんの為の五輪ではなかった。)
その開会式のラジオの実況中継が、鈴木文弥アナだった。

先日、NHKラジオ深夜便で放送された特選 スポーツ名場面の裏側で~元NHKアナウンサー…鈴木文弥」(2007年10月11日放送)(2017年5月28日再放送)を思い出した。
改めてこの10年前の再放送を聞いてみると、鈴木アナの放送に対する真摯な向き合い方、プロ根性に圧倒される。
そして、58歳の時に発症したという脳内出血のリハビリの努力ぶりには頭が下がる。その部分を聞いてみよう。

<NHK「スポーツ名場面の裏側で~元NHKアナ・鈴木文弥」>

*この番組の全部(43分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

言葉を失ったが、4ヶ月の闘病生活で、あ、い、う、え、お、の発声練習を人一倍繰り返した結果、言葉を取り戻したという。
「自分の気持ちにピリオドを打ってはいけない」。努力しないといけない。
そして「あ・い・う・え・お」が大切で、これを忘れている日本人が増えているとも・・・
「あ」は、相手の立場を考えよう。
「い」は、嫌なことを進んでやろう。
「う」は、上を見たらきりがない。
「え」は、笑顔は自分で作れ。
「お」は、お礼の気持ちを忘れない。

この放送で、圧倒されるのが、氏の「努力」。実況中継の前の、準備の周到さ・・・。
アナウンサーが放送で、ここまで日々努力をして言葉を発しているとは思わなかった。
しかし、58歳の時に言葉を失っても、その努力の結果、お亡くなりになるまでの30年間は、リハビリの成果が花開いた訳で、人間「もうダメ」と思ったら、そこが終点。でも努力をすれば、その後の人生を取り返せるということ。
人生の大先輩として、含蓄のあるお話だった。
2013年に88歳で亡くなったという氏の冥福を祈りたい。

20170913175716a6e <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年9月14日 (木)

山尾志桜里議員の離党は残念~早期復活を期待

山尾志桜里議員のスキャンダルに伴う離党は、非常に残念としか言いようがない。
そして民進党の対応のドタバタぶりも、目を覆いたくなる。
今朝の朝日新聞の「声」のひとつの意見・・・。

「(声)民進は男女差別をしていないか
  無職(青森県 64)
 山尾志桜里議員に対する今回の民進党の対応に違和感を感じる。10年ほど前、当時の民主党の男性議員が、ニュースキャスターとの不適切な関係を週刊誌で報じられたときには、動かぬ証拠となる写真が掲載されたにもかかわらず、1年間の役職停止だけで、離党勧告や議員辞職などする雰囲気ではなかった。
 今回、本人は「男女関係はなかった」としているにもかかわらず離党となった。「本人の意思」とされるものの新聞報道を見る限り、党内に「離党すべきだ」の声や、「議員辞職すべきだ」との声すらあったようだ。
 ここで私が問題に思うのは、山尾氏の行動の是非ではない。同じような行動をとっても、男性と女性では対応の仕方が違うということだ。下世話に言えば、男が女遊びをしても許せるが逆は許さないということか。
 民進党には度々ガッカリさせられる。蓮舫氏が代表を辞めたときも、選挙の顔として役に立たないなら用はないという空気だった。自民党以上に女性を飾りとしか考えていないことに怒りを覚える。民進党が真に自民党に対抗できる政党になるには、女性を対等のパートナーと考えることから始めるべきだ。」(
2017/09/14付「朝日新聞」p14より)

自分も同感で、「党内に「離党すべきだ」の声や、「議員辞職すべきだ」との声すらあった」という事実は、見過ごせない。

この件を、滑舌の良い?「日刊ゲンダイ」に言わせるとこうなる。
不倫疑惑で山尾氏離党 執行部が“議員辞職だ”と大騒ぎの愚
 既婚男性との「ダブル不倫」疑惑を週刊文春に報じられた民進党の山尾志桜里衆院議員(43)が、7日離党届を提出した。会見で疑惑について、「男女の関係はありません」と否定したものの、「誤解を生じさせる行動でさまざまな方々に迷惑をかけた」「臨時国会の場に混乱を持ち込むことは党にさらなる迷惑をかける」として、離党を決めたという。
 それにしても、である。7日の民進党の迷走はひどかった。
 まず午前、前原代表が報道陣に囲まれると、「本人から話を聞きたい」と発言。その最中に、党内からは「離党」どころか「議員辞職」を求める声が上がる。午後になると、執行部の一部が山尾氏に議員辞職を促したという一報まで流れた。夕方になって、大島幹事長に対応が一任され、夜、山尾氏と大島幹事長が会い、離党届提出となったのだった。
 不倫は問題だとしても個人的なことであり、政治資金疑惑などとは違う。所属議員の不倫報道が続いた自民党は、毎度「出処進退は議員自身が決めること」としてきた。その結果、“ゲス不倫”の宮崎謙介前衆院議員こそ同僚議員の妻に促されたらしく議員辞職したが、“重婚ストーカー不倫”の中川俊直衆院議員は離党、“略奪不倫”の今井絵理子参院議員に至っては離党すらしていない。
 それなのに民進党は、党役員でもない一議員の個人的な問題に党が前面に出てきて、「議員辞職だ」とワーワー言って騒ぎを大きくしているのだからどうしようもない。

溺れる人を蹴飛ばす“悪しき文化”
 政治ジャーナリストの角谷浩一氏もこう言う。
「山尾さんが幹事長に就任していたら党として一大事ですけど、未然に防いだわけですから、ここまで大騒ぎする話じゃないでしょう。突き放して、『議員の出処進退は本人が決めること』とすればいいのに、どうして全体で抱えようとするのか。兵隊が勝手なことを言い出し、溺れる人を蹴飛ばすのは民進党の悪しき“文化”です。幹事長人事でもそうでしたが、選挙で選ばれた代表が決めたことでも、『俺は気に入らない』と文句を言う。組織政党としてお粗末です」
 今月15日までに山尾氏が議員辞職したら、来月22日の補選になる。「自民党は補選が増えるのを避けるため、『ハゲーー!』の豊田真由子議員を辞職させないのに、後先考えずに辞職を叫ぶ民進党ってホント、おめでたいですね」(自民党中堅議員)という皮肉も。
 やっぱり、もう解党しかないか。」
(2017/09/08付「日刊ゲンダイ」ここより)

「党内から“議員辞職”を求める声」という話だが、改めて議員の身分を考えてみる。
山尾氏は愛知県第7区の小選挙区で当選している。比例区ではない。つまりは、愛知7区の人が選んだ代表。つまりは「議員辞職を求める声」は選挙民が言うなら分かるが、それ以外の同じ党の人が言い立てるという事実に困惑する。ワケが分からない。
やはり『議員の出処進退は本人が決めること』が正解だろう。それに、議員は、こんなプライベートなことまで、記者会見で国民に説明しなければいけないのだろうか?
企業で考えてみよう。社員が不倫をしても、法に触れない限り処罰はしない。社業に影響を与えない限り、説明をさせることもしない。国会議員はそんなに違うのだろうか?

自分も山尾氏には大いに期待していたので、今回の事態は残念。こんな「私」のつまらないことで、国民から期待されていた「公」の活動が奪われたのが、ただただ残念だ。
時代は違うが、田中角栄は、愛人との間に何人もの子供がいた。しかし政治的な能力とは関係無かった。

先日、NHKで「アナザーストーリーズ「激写!スクープ戦争~写真週刊誌・タブーに挑んだ人々~」(2017/09/05放送)を見た。1980年代に過激化した写真週刊誌「フォーカス」と「フライデー」とのスクープ合戦の話である。
ダイアナ妃がパパラッチの追撃をかわす為に事故死した事件もあった。自分は、このような、人のプライベートを暴いて商売にする人種はキライ。
今回の週刊文春も、これと同様に感じる。単なる一議員のプライベートがそんなに重要か?騒ぎ立てることか?
それよりも、週刊文春が暴いたことで、日本の政治が悪い方向に動いてしまう悪影響の方がよっぽど問題のような気がする。この暴きによる日本国としてのメリットとデメリットを、歴史という裁判官はどう判断するのだろう。

山尾氏も確かにモラル的には色々な批判があるだろうが、こんな法にも触れない「私的なこと」で、大いに期待されていた「公的な」政治生命が奪われるとすると、残念。
山尾氏には、ワキが甘かったことで、「国民からの“野党のエース”という期待を裏切った」ことは猛省して頂くとして、ぜひ早期の復活を期待したい。
同じ週刊文春が報じた金銭授受疑惑の責任をとって大臣を辞めた甘利明議員のように、検察が動いたスキャンダルでも、入院して姿をくらまし、国会閉会後にヌケヌケと姿を現すのもアリなのだから・・・。

まだまだ人生は長い。それに山尾氏も若い。
日本は、山尾氏のような人材が必要である。
今回の私的な事件の矮小さに対して、国会での安倍政権との論戦で、山尾氏が“抜ける”重要性との違いを、“残念”という言葉で終わらせたくないものである。

最後に、95歳の老女性作家のエールを附しておく。かつて恋に燃え、家族を捨てた先輩から見ると、こんなエールになるらしい。

「(寂聴 残された日々:27)山尾さん、孤独の出発に自信を 恋は理性の外、人生は続く
 何気(なにげ)なくつけたテレビの画面いっぱいに、端正な美貌(びぼう)の女性が、涙のたまった両目をしっかりと見開き、正面を向いてしきりに言葉を発している。その表情がまれに見る美しさだったのと、しゃべる言葉がしっかりしているのに驚かされ、テレビから目が離せなくなってしまった。
 当時、民進党の山尾志桜里議員の正面を向いた顔が、ずっと映され、必死に涙をこらえた泣き顔の美しさに、思わずこちらも膝(ひざ)を正していた。はっきりした口調で語りつづける声や言葉は、乱れることなく、今にも崩れそうな表情より頼もしく、しっかりしていた。
 発売されたばかりの週刊文春に、9歳下の弁護士との交際を不倫と発表され、問題になっていた。両方の家庭に配偶者と子供がいた。
 週刊文春の記事は写真入りで、ほとんど連日逢(あ)い、男のマンションや、ホテルで、朝方まで過ごしたことが詳細に発表されていた。結局、その事件で党に混乱と迷惑をかけたので、その責任をとっておわびに離党するという意見だった。
 とにかく頭のいい人だという印象が強かった。ホテルに2人で入ったことがあったのも、男は1人帰り、泊まったのは自分1人で男女の関係はないと言いわけしていた。そんなことは神のみぞ知るで、誰も当人の言いわけなど信じる者はいない。
    *
 95歳の私が、今頃思いだしても噴飯ものだが、今から60年昔、私の35歳の時、東京・野方に下宿していて、ある日、野方の駅から電車で新宿まで出かけた。乗客の少ない電車の中で、座るなり目に入る天井からの吊(つ)り広告に目をやったら「ある奇妙な女流作家の生活と意見」という文字が目に飛びこんできた。
 ――誰のことだろう、気の毒に、何が書かれたのか――。私は好奇心を抱いて、新宿に電車が着くなり、売っている週刊誌の中から、名も通っていないその新しい週刊誌を買って、歩きながら開いてみた。いきなり、私の顔がページいっぱい大きく写されていたではないか。
 あきれて記事を読んでみると、会ったこともない見知らぬライターが私の小説の端々をつぎあわせ、勝手な妄想を加えて、不倫の生活だとこと細かく報じてあるのだった。相手の実名も書いてある。私はあきれかえり、すぐさま公衆電話で、その会社に電話をし、キイキイ声で編集長を呼びだし、一度のインタビューもなく、いい加減なことを書くなと、どなりつけた。
 相手はそんなことに慣れているらしく、インギン無礼に言葉をにごすだけで、結局どなりつづける私の方が疲れ切って、声も出なくなってしまった。その会社は半年もしないうちにつぶれてしまった。
 その気持ちのよかったこと!
    *
 不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷のように天から降ってくる。雷を避けることはできない。当たったものが宿命である。
 山尾さんはまだまだ若い。これからの人生をきっと新しく切り開いて見事な花を咲かせるだろう。それを95の私は、もう見られないのが残念。」
(2017/09/14付「朝日新聞」p31より)

201709131757148e6 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2017年9月12日 (火)

文化講演会「ゆがめられた関西像」井上章一氏の話

先日、NHKラジオ第2で、「文化講演会「ゆがめられた関西像」国際日本文化研究センター教授…井上章一」(2017/08/27放送)を聞いた。
そして、関西人はやはり“人種が違う”と思った!?

番組の解説にこうある。
「「関西人」と言えば、どのようなイメージがあるだろうか。“面白い”“必ず笑いをとろうとす170912inoue る”“話にオチを求める”…など思いつく事柄はいくつかあるだろう。どうして、関西人のイメージはそのように定着したのか、関西人は昔からお笑い気質だったのか。京都で生まれ育ち、阪神タイガースをこよなく愛する生っ粋の「関西人」、井上さんが、関西のイメージの変遷をたどりながらその本質を探る。」(ここより)

そもそも「国際日本文化研究センター」という所は何だ??
HP(ここ)によると「国際日本文化研究センター(日文研)は、日本文化に関する国際的・学際的な総合研究と世界の日本研究者に対する研究協力・支援を行うことを目的として、昭和62年(1987年)に設置されました。」だそうだ。
もちろんそんな機関があることは知らなかったが、なるほど、この漫談のような(失礼!)講演も、日本の文化における関西人、と捉えると、何か分かるような気がする。
少し聞いてみよう。氏がブラジルのリオに行った時、サンバショーに行き、たまたまその席が最前列で、ボードビリアン(ショーの司会者)から舞台に上がらされ、“日本人代表”として舞台で奮闘した時の話である。

<文化講演会「ゆがめられた関西像」井上章一氏の話>

*この番組の全部(60分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

この話に出てくる、氏の研究によるテレビ局の話、そしてプロ野球の草創期の話は、なかなか興味深い。関西のテレビ局は、準キー局としてのプライドから自社制作の番組が多いが、資金が少ない為、ギャラのかからない素人さんを出演させ、それも笑いが取れる関西人を出し続けた結果、関西人は面白い、というウワサが定着した。という論など・・・
まあ、言われてみると、なるほど・・・とも思う。

中学の時、社会科の塙先生という先生がいた。いつも冗談を言って生徒を笑わせた。真面目な顔で冗談を言うのである。落語家も同じだが、自分が笑ってしまってはダメ。マジメな顔で冗談を言うから面白い。
しかし彼の先生は、この冗談はA組とB組では言ったが、C組はまだ・・・という台帳を付けていなかったので、前に聞いたと同じ冗談を繰り返して言う。生徒は、この前言ったのと同じだ・・と思いつつ、お付き合いで仕方なく笑ったもの。そんな昔話を思い出した。

この講演の井上先生も、HPを見ると大学者。そしてマジメな顔で講演をされている。しかしそれを聞くほど、やはり「面白い”“必ず笑いをとろうとする”“話にオチを求める”」という関西人という人種へのイメージは、くつがえるどころか益々固くなった。

演題は「ゆがめられた関西像」である。しかし、自分の聞いた感想は、「いやいや決してゆがめられていない。そのことを氏は、この講演で証明した。」と思った。
やはり関西人は、我々ニッポン人とは人種が違うようである。

170912tutta <付録>「ボケて(bokete)」より

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