2014年8月20日 (水)

東京の地下鉄のレール幅は3種

今日は、しょうもない雑学・・・。先日の日経にこんな記事があった。
地下鉄レール幅は3種 都営・メトロ、相互直通で相手先に合わす
 都営地下鉄と東京メトロの計13路線が走り、都心を縦横無尽に駆けめぐる地下鉄。普段、何気なく乗っている人も多いだろうが、あまり知られていない事実がある。レール幅が路線によってそれぞれ違い、3種類の規格があるのだ。
140820chikatetu  東京メトロ銀座線と丸ノ内線、都営浅草線と都営大江戸線はレール幅が1435ミリメートル。「標準軌」という国際的な規格で、車体が安定し、乗り心地がよく、速度を出しやすい。他の東京メトロの路線と都営三田線は1067ミリメートルで「狭軌(きょうき)」と呼ばれる。建設費を抑えられ、日本では最も多い幅だ。一方、都営新宿線は1372ミリメートルと中間の長さを採用。「馬車軌間」と呼ばれ、都電の前身、東京馬車鉄道が採用した幅だ。なぜバラバラなのだろうか。
 「すべては直通運転の相手先にあわせた結果です」。東京都交通局の伊藤千晶主任に尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。都営で最初に開業した浅草線は戦前から運転していた直通先の京浜急行電鉄にあわせ標準軌を採用。都はその後の新路線も、浅草線と車両の検査工場を共有するため同じレール幅の採用を計画していた。
 だが、三田線は都心への直通運転を望む東武鉄道と東急電鉄(いずれも狭軌)との接続案が浮上し、急きょ狭めることに。都は新宿線の直通先である京王電鉄(馬車軌間)に幅の変更を求めたが、工事で乗客に不便をかけたくない京王が拒否。結局、京王にあわせる形となった。
 東京メトロも事情は同じだ。初期に開業した銀座線・丸ノ内線は他線と直通の予定がなく、脱線の可能性が低い標準軌を採用した。初めて狭軌のレール幅を採用したのは日比谷線で、東武と東急との直通運転を計画していたからだった。現在、私鉄などとつながっている東京メトロの7路線はすべて1067ミリメートルと狭軌で統一されている。
 ただ、レール幅が異なることによる問題も。伊藤主任は「車体や部品の共通化ができず、保守コストも高く、検査が大変」と嘆く。都営にはそれぞれの幅に対応する3カ所の検査工場がある。一方、東京メトロはレール幅が2種類のため手間は少ないという。ホームからレールを見ながら路線の歴史を想像してはいかがだろう。くれぐれもホームから転落なんてことはないようにご注意を。
〈もっと知りたい〉
○日本で最も狭いレール幅は762ミリメートル。東京にはなく、近畿日本鉄道の内部・八王子線など例はわずか。ちなみに大雪など気象条件が厳しいロシアでは、運行がより安定する1520ミリメートルが一般的となっている。
○レール幅が同じ浅草線と大江戸線の間には、検査工場を共有するため双方の路線をつなぐ約400メートルの「連絡線」がある。運転の方式が違うため、大江戸線の車両は浅草線内を電気機関車にけん引されて走る。」(2014/08/19付「日経新聞」p31より)

レールの幅は、全て相互直通の相手先に合わした結果だとか・・・。実は自分は勘違いしていた。直通運転は、開通した後で、双方の話し合いで相互乗り入れするのだとばかり思っていた。しかし現実は、最初から乗り入れを前提に建設されていたのだ。
確かに、各社・各路線のシステムが違えば、他社の線路を走るなど無理。最初から計画されていなければ出来ないことなのだな・・・。それもそうだ・・・。

いつも思うのだが、線路の幅はとにかく狭い。JR在来線などたった1メートルしかない。両手を広げただけでも1.5メートルはある。それなのに、たった1メートルで、時速100キロ以上のスピードで電車は走る。重心はかなり高いだろうに・・・。それに対して自動車は電車よりもよっぽど重心は低いが、車輪の幅は広い・・・。
まあそれなりの設計がされているのだろうが、自分の中の七不思議!?

連日の猛暑。広島では土石流で多くの人命が失われたという。夜中に家ごと流されたら、寝ている人間はひとたまりもない。
この頃、異常気象が続く。何か不穏な世の中・・・
こんな雑学で、「ヘエー」と感心している日常は貴重なのであ~る。

140820suman <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月19日 (火)

「ふるさと納税」をしてみた・・・

だいぶ前の記事だが、日経にふるさと納税についての記事があった。

ふるさと納税で届く特産品 コメ・肉・魚・・・自治体競う/確定申告忘れずに

 コメや肉、魚介といった全国各地の特産品がわずかな出費で手元に届く――「ふるさと納税」と呼ばれる制度を活用すると、そんなうれしい話が現実のものになる。制度をよく理解して上手に活用すれば、日々の家計にとってメリットは大きい。ふるさと納税の仕組みと、活用法を紹介しよう。

 「自治体によってさまざまな特産品があるので選ぶのも楽しい」。東京都在住の会社員Aさん(37)は今春、鳥取県に対して1万円の「ふるさと納税」をし、代わりに猪鍋(ししなべ)の食材セットを受け取った。5千円程度に相当するといい、「友人を招いてホームパーティーを開き一緒に味わった」。
 ふるさと納税は、その名称から誤解しがちだが、寄付金を意味する。自分が住んでいる地域とは別の市区町村や都道府県に寄付をして確定申告をすると、一部が所得税・住民税から差し引かれて税金が安くなる。
 寄付先の自治体は自分の故郷である必要はない。寄付を通じて特定の地域を応援できる。寄付を受ける自治体にとっては低迷する税収入を補い、地域振興にもつながる利点がある。

 2008年に始まった制度だが最近は別の意味で注目されている。寄付への「お礼」として140819nouzei1 地元特産品などを用意する自治体が増えているからだ。品物の内容をサイト上などで詳しく紹介し、数十種類の中から選べる例も少なくない。品物を受け取れるのは一定額以上の寄付をした場合。例えば寄付1万円でコメ10kg、1万円で牛肉500gの詰め合わせ、といった具合だ。市場で売られている価格で換算すると寄付額の50%を超える例もある。
 寄付する側にとっての良さを知るため制度の仕組みをもう少し見てみよう。寄付金のうち2000円(基礎控除)を超える部分について、一定額を上限に税金が全額控除されるのが基本。その上限額は、給与や家族構成などにより異なる。
140819zouzei2 例えば給与収入が600万円で、高校生の子どもが1人いる夫婦の場合、上限額は約3万5000円。寄付が仮に3万円なら、2000円を除く2万8000円分の税金が戻ってくる計算。実質的に2000円の自己負担で特産品が手に入るのだ。
税控除の恩恵は同じ年に複数の自治体に寄付したときも受けられる。例えば3つの自治体に1万円ずつ計3万円を寄付した場合も実質負担は2000円。お礼はひとりにつき年に1度に限る自治体が多いが、複数の自治体への寄付により様々な特産品を入手することが可能だ。

 以上を理解したうえでどこに寄付するか考えてみよう。まず候補にしたいのが、日常的に食べるコメ。新米が出回る秋に送付してくれる自治体が多い。一定量のコメを確保したうえで肉や魚、果物などを選ぶのも一案だ。自治体の中にはQUOカードなどの金券やスーパーの商品券をお礼として配るケースもある。受け取った券で自分の好きなモノを買えるので便利だ。
 地域内の旅館やホテルの宿泊券にレジャー施設の利用券がつくこともあるので旅行好きにお薦め。寄付が集まり過ぎて品不足になると申し込みを打ち切るケースもあるので、その場合は翌年度に早めに申し込もう。
 寄付の申し込みは、自治体のサイト上の指示に従って記入するのが一般的。送金手段は銀行振込や現金書留など。自治体によって「Yahoo!公金支払い」というサービスと連携しクレジットカードやTポイントで払えることもある。
 寄付をした後に忘れてはならないのが寄付金控除の確定申告。自治体から届く証明書(受領書)を保管しておき翌年、申告書とともに税務署に提出しよう。(日経マネー編集部)」(2014/07/26付「日経新聞」Ps5より)

実は、6月に開かれた毎年恒例の元の会社の同期会で、T君が、このふるさと納税について、体験談を披露していた。どうやら実質2千円で、各地の特産品が手に入るというのだ。
だから、「納税する金があるのなら、自分で買ってきたら良いのに・・・」というヤジにもめげずに薦めていた・・・。

まあこんな記事もあったので、モノは試しと、先日、ある市に1万円の寄附をしてみた。市のサイトに申込書があり、それに書いて、PDFにしてメールしたら、振り込み口座の連絡が来て、そこに1万円を振り込んでオワリ。混んでいるので、お礼の特産品は10月になるという。
それにしても、今回寄附した市は、特産品の品目が多い。立派なカタログがある。酒、米、肉から梨、柿などの果物や味噌、お菓子まで、色々・・・。

自治体によっては、お礼のお米が足りなくなり、遊休土地でまた米を作り出したという話もあるようで、良い回転になって結構な話だ。
今回は試しだったが、あと1万円どこかに追加しようかな・・・と思っているこの頃である。

140819honmono <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月18日 (月)

「寺田寅彦 独りで逝った最初の妻」

今日は、「読み物」である。先日の日経新聞に載っていた記事である。
愛の顛末 寺田寅彦(1)妻たちへの思慕 独りで逝った最初の妻
 東京都文京区の小石川植物園は、日本でもっとも古い植物園である。江戸幕府が設けた小石川御薬園がはじまりで、明治時代に東京大学が設立されるとその付属施設となった。一般にも公開されて人気を呼び、泉鏡花「外科室」、北原白秋「植物園小品」、森鴎外「田楽豆腐」などの文学作品にも登場している。
140818terada  恩賜賞を受けた物理学者であり、漱石門下の文人としても知られる寺田寅彦にも、ここを舞台にした作品がある。明治38年(1905年)の「団栗(どんぐり)」がそれで、肺を病んで早世した最初の妻・夏子との思い出が綴(つづ)られている。
 夏子が喀血(かっけつ)したのは、東京の本郷西片町で暮らしていた明治33年の暮れのことだった。年が明けて2月の暖かい日、寅彦は医者の許可を得て、夏子を植物園につれていく。
「団栗」には書かれていないが、実はこのとき、夏子は東京を離れて寺田家のある高知で療養することが決まっていた。感染を怖(おそ)れた寅彦の父親の指示だった。
 久しぶりの外出を妻は喜んだ。当時の寅彦はまだ帝大生で、22歳と17歳の若い夫婦である。夏子が高知に移るのは同月の下旬のことで、寅彦はせめて東京でのふたりの思い出を作ろうとしたのだろう。
 園内の温室を見学してから池の方へ行くと、母親が男の子と小さい女の子を遊ばせていた。それを見た妻は「あんな女の子がほしいわねえ」と言う。彼女はこのとき5カ月の身重だった。
 出口に向かう途中、妻は不意に「おや、どんぐりが」と声をあげる。そして、道の脇の落ち葉の中に落ちているどんぐりを、熱心に拾いはじめるのである。
〈ハンケチにいっぱい拾って包んでだいじそうに縛っているから、もうよすかと思うと、今度は「あなたのハンケチも貸してちょうだい」と言う。とうとう余のハンケチにも何合かのどんぐりを満たして「もうよしてよ、帰りましょう」とどこまでもいい気な事をいう〉と無邪気な妻の姿を描写した後、ふいに転調するように、話は数年後へと移る。
〈どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。お墓の土には苔(こけ)の花がなんべんか咲いた〉
 そして、妻の忘れ形見のおさな児が、かつての母と同じように植物園でどんぐりを拾う姿が描かれる。拾ったどんぐりを父の帽子の中に広げたハンカチに投げ込み、〈頬(ほお)を赤くしてうれしそうな溶けそうな顔〉をする子に、父は妻の面影を見るのである。
〈……亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである〉という述懐でこの短篇(たんぺん)は締めくくられる。寅彦の作品の中でも特に愛されている一篇である。
 植物園でどんぐりを拾った日から1年9カ月後、夏子は高知で死去する。最愛の妻をひとり寂しく死なせたことは、幼少時から人一倍感受性の強かった寅彦のその後の人生に寂寥(せきりょう)の影を落した。友人の安倍能成は、寅彦が亡くなったとき、彼のことを「実に寂しい人」「自分の苦患を自分の裏にせき止めて容易にこれを人に分たなかった」と弔辞で述べている。
 夏子の療養先は、高知市内から小舟で2時間ほどの海辺の村、種崎だった。5月26日、寅彦のもとに夏子がぶじ女児を出産したとの報(しら)せが届く。この日の寅彦の日記には「幸ありて桃の若葉と照り栄へよ」という句が記されている。種崎のあたりは、桃の木の多いところだった。
 貞子と名付けられたその子は、生後まもなく寅彦の実家に引き取られる。夏子は自分の手でわが子を育てることも許されなかった。寅彦は6月9日の日記にこう書いている。
〈……又夏よりも手紙来る乳の張るたび此(この)乳を呑(の)ます様ならは如何(いか)に嬉しからんと思ふなど言ひ越せり〉
 この年の夏、寅彦は高知に帰省しているが、その間、日記を書いていない。山田一郎『寺田寅彦 妻たちの歳月』(岩波書店)によれば、実家でわが子と対面したが、夏子とはなかなか会えなかったという。感染を怖れた父に厳しく止められていたのだ。
 寺田家は土佐藩の下級武士の家系で、寅彦はその長男である。父の利正が40歳を過ぎてやっと生まれた男子で、幼少時から優秀だったこともあり、期待を一身に受けて育った。結核とはいえまだ寝ついたわけではなく、しかも出産を控えていた夏子をいちはやく隔離したのは、大事な跡継ぎを守るためだった。
 夏の終わり、寅彦は肺尖(はいせん)カタルの診断を受ける。大学を休学してそのまま高知で療養することになったが、父の決めた療養先は須崎だった。夫婦は同じ高知にいながら、別々に療養生活を送らなければならなかった。(ノンフィクション作家:梯久美子)」2014/08/10付「日経新聞」p23より)

寺田寅彦(2) 妻たちへの思慕 海を隔てたはかなき逢瀬
 寺田寅彦の最初の妻・夏子は美しい人だった。結婚式の日の写真を見ると、黒紋付のすらりとした立ち姿に、大きな目が印象的だ。寅彦の19歳年長の姉・駒の回想によれば、駒の子供たちは「お夏さんの目が光るからラムプはいらぬ」と言って夏子をからかったという(小林勇編『回想の寺田寅彦』岩波書店)。
 寅彦と夏子が高知市内で結婚式を挙げたのは、明治30年(1897年)7月のことである。夏140818terada1 子は松山旅団長を務めていた陸軍少将・阪井重季の長女だった。新郎新婦は満年齢でいえば18歳と14歳という若さで、寅彦は熊本の第五高等学校に在学中だった。
 当時としてもかなりの早婚だが、寅彦の友人だった安倍能成は〈これは恐らく一粒の男種を伝えようとあせる両親の意志に、寺田さんがひたすら孝順だったせいであろう〉と書いている(「寅彦の墓に詣づ」)。父の利正は婿養子で、寅彦は結婚20年以上たってようやく生まれた男子だった。
 親同士の決めた結婚だったが、ふたりの仲はむつまじかった。だが挙式後は別々に暮らすことになる。寅彦は単身で熊本に戻り、夏子は高知の寺田家で家事や行儀作法を習った。家風に早くなじむようにということだったのだろうが、14歳の夏子にとっては心細い日々だったに違いない。
 ようやく一緒に暮らすことができるようになったのは、寅彦が熊本五高を卒業し、東京帝大物理学科に入学してからのことである。しかし若い夫婦の東京での暮らしは長くは続かず、1年足らずで夏子は喀血(かっけつ)。明治34年2月、身重の身体で東京を離れて高知県の種崎に隔離され、そこで産んだ娘・貞子とも引き離される。この年の夏から、寅彦も肺尖(はいせん)カタルのため高知県の須崎で療養することになったことは前回書いた。同じ高知県にいながら、寅彦は須崎、夏子は種崎、まだ乳児である貞子は高知市内の寺田家と、家族はばらばらに暮らさなければならなかった。
 寅彦が療養のため休学した期間は1年だが、この間、夫婦が会うことができたのは数回にすぎない。正月や貞子の初節句などで、寅彦が須崎から実家に帰っているとき、そこへ夏子が訪ねてくるのである。しかし夏子の住まいを寅彦が訪ねることは、感染を怖(おそ)れた寺田家が許さなかった。
 夫婦の間では頻繁に手紙がやりとりされた。明治34年11月23日の寅彦の日記には〈朝夏の端書が来て自分の今の境遇は波打際の落葉の様なものだと云つてある〉と書かれている。
 山田一郎『寺田寅彦 妻たちの歳月』(岩波書店)には、なかなか会えなかったふたりの、何とも切ないエピソードが記されている。
 寅彦が海路で須崎から高知市内の実家へ向かうとき、船は種崎の近くを通る。寅彦が事前にその日時を手紙で報(しら)せておくと、夏子は浜に出てハンカチを振ったという。
 寅彦の日記を調べてみると、確かに〈船浦戸に入りて雑喉場(ざこば)の前を過る時種崎の方の岸に見とるらしき女夏に似たり〉(明治34年11月26日)という記述がある。この日寅彦は、2日後の誕生日を実家で過ごすため、船で須崎から高知市内へ入ったのだった。
 地図を見ると、高知港に至る浦戸湾の入り口は、種崎と桂浜にはさまれた幅200メートルほどの狭い海峡になっている。ここを通る船からは、岸辺にいる人の姿がかなりはっきり見えたに違いない。それにしても、海をへだてた船上と岸辺での逢瀬(おうせ)とは、ふたりは何とはかない夫婦であったことか。
 明治35年1月19日には、正月を実家で過ごして須崎に戻る寅彦を、夏子が浜に出て見送ることになっていたようだ。この日の寅彦の日記には、〈船和楽園の前を過ぐる時浜を見たれど約束の人も見へず〉とある。寅彦は船上から目を凝らしたことだろう。しかしそこに夏子の姿はなかったのだ。翌日の寅彦の日記には、夏子から体調をくずしている旨の手紙が来たという記述がある。
 7月、夏子は種崎から桂浜のはずれへと転居を余儀なくされる。結核患者が暮らすことを近隣の住民が嫌がったためだ。あまりに不憫(ふびん)な夏子の境遇に、寅彦は〈暴風雨。桂浜の茅屋を思ふ〉(8月11日)〈朝夢に襲はれて泣く〉(8月13日)と書いている。
 9月から帝大に復学することになった寅彦は、8月21日、夏子のもとを訪ねた。
〈夏は思ひし程衰弱し居らず。戯れに写生帖にハンケチ頸に巻きたる姿を写す。別れ際に我衣の懐のだらしなく膨れたるを見て〉
 この日の寅彦の日記は、ここで唐突に途切れている。夏子は別れ際に、寅彦の着物を直してやったのだろうか。
 これがふたりの今生の別れとなった。11月15日夜10時、夏子死去。東京の下宿で寅彦がその報せを受け取ったのは、翌朝になってからのことだった。(ノンフィクション作家・梯久美子)」(2014/08/17付「日経新聞」P23より)

あまりに若い夫婦の死別の話・・・。寺田寅彦の話だが、何とも切ない話だ。
自分は寺田寅彦の作品を読んだことが無かった。それで今回、上に載っていた「どんぐり」を青空文庫で読んでみた(ここ)。何とも切ない・・・。

明治の時代は、親の決めた結婚が普通・・・。寺田寅彦の最初のこの結婚は、18歳と14歳という学生結婚なのでビックリ。そうとうな親の焦りがあったのだろう。しかし、ここにも書いてあるように、夏子17歳の暮れに肺結核を発病。翌2月に高知に療養転居して、5月に女の子を出産したが、翌年秋に、19歳で逝去したという。何とも短い生涯だ。当時の肺結核は死の病だったので、当時は仕方がなかったのかも・・・。でも幾らうつるとは言え、隔離は何とも残酷だ・・・。

その後、寅彦は夏子が亡くなって3年目の27歳の時に、浜口寛子と再婚したが13年後に寛子も31歳で死去。そして40歳の時に酒井しん子と再々婚するが、寅彦は転移性骨腫瘍のため57歳で亡くなったという。

ふと、自分の父方の祖父母を思い出した。とっくに亡くなったが、祖父母は、母親どおしが姉妹で、二人は従兄弟だという。2つ違いで生まれて直ぐに、親が結婚の約束をして、その通りに結婚したという。
当時は、それが当たり前だったとはいえ、祖父母夫婦も、まさに親の意向で全てが進んでいる。

こんな一文を読んでいると、心がふと別世界に行ってしまう・・・。
あんまり関係無いけど、そのうち小石川植物園にも行ってみようかな・・・。

140818yome <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月17日 (日)

スーザン・オズボーンの「荒城の月」と「浜辺の歌」

何度も同じ事を書くが、NHK FMを聞いていると、たまに“アレッ”と思う自分が知らない歌に出会うことがある。今日もそんな歌だ。スーザン・オズボーンが歌う日本の唱歌である。今日はそのうち2曲を紹介する。(この所、音が悪い音楽が続いたが、これは音が良い)

<スーザン・オズボーンの「荒城の月」>

<スーザン・オズボーンの「浜辺の歌」>

上の2曲とも、ハープによる分散和音が何とも心地よい。
「荒城の月」については、当サイトはかなりこだわっており、今までにも色々な楽曲を挙げている。しかしこのスーザン・オズボーンの「荒城の月」は、前に紹介した上海交響楽団の音楽と似ている(ここ)。

上の2曲も編曲は日本の編曲者。そして上海交響楽団の「荒城の月」も編曲は日本人だ。やはり日本の唱歌は、日本人の編曲が自分にはフィットする。

いつも思うのだが、「荒城の月」は実に単純な二部形式の旋律。それが何で、こうも日本人の心に入り込んでくるのか・・・
今日は、少し風変わりな日本の唱歌ではあった。

●メモ:カウント~620万

140817jidouteate <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月16日 (土)

「お墓をどうする?」~「樹林墓地」10倍の申し込み

お盆である。昨日は親父の18回目の命日だった・・・。
先日、日経新聞の「春秋」に、お墓についてのこんな記事があった。
「3代前から東京で暮らしている。祖父母が生まれた広島に、今はつき合う親戚もいないけれど、先祖代々の墓は広島の寺にある。東京で亡くなった祖父母も、広島に長く住んだわけではない父も、そこに眠っている。墓参りに行かねばとも思うが、足が遠のいて久しい。
墓とは誰のためにあるのだろう。3.11から半年たった頃、津波の被災地を走った折の光景が忘れられない。建物の跡形もない土地が延々と続く中で、太陽を反射してキラリと光る一画が所どころに現れる。真新しい御影石の墓石が整然と並んでいた。地元の人々が何よりも先に再建したのは、失われた命の居場所だった。
親鸞は、墓の下に死者の霊が集まることなどないと教えた。自らの死期が近づいたときに、こう語ったと伝えられる。「某(それがし)閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」(改邪鈔(がいじゃしょう))。それでも人は亡き親や友に手を合わせる所がほしい。墓とは去った者のためでなく、残された者が己の心に向き合うための装置であるに違いない。
ならば墓は近い方がよい。豪華な本堂の改修やら行事やら、高額の寄進を催促する手紙を送ってくるばかりの寺との関係には、いささか疲れてしまった。そう嘆く声が少なくない。不義理を気に病むより、思い立ったら行ける近場で簡素に樹木葬を、という人も多い。親鸞が現代の宗教の姿を見たら、なんと言うだろうか。」(2014/8/14付「日経新聞」「春秋」より)

話は飛ぶが、今朝のNHKニュースで、こんな放送をしていた。
「樹林墓地」10倍の申し込み
樹木の下に遺骨を共同で埋葬する「樹林墓地」について、東京都がことしで3回目の募集を行った結果、1600人分の募集に対して10倍を超える申し込みがあり、特に、生前に本人などが申し込むケースが目立っています。
「樹林墓地」は樹木の下に遺骨を共同で埋葬するもので、自然葬への関心の高まりや、管理費がかからないことなどから、人気を集めています。
東京都は、この樹林墓地を多摩地区の都立小平霊園に整備していて、先月ことしで3回目の募集を行いました。
その結果、1600人分の募集に対して、10倍を超える1万6929人分の申し込みがあり、高い人気が続いています。
申し込みの内容を見ますと、▽家族の遺骨を遺族が埋葬するケースは3倍前後の倍率にとどまっている一方、▽生前に本人などが申し込むケースは、最大でおよそ20倍となっていて、生前での申し込みに人気が集まっています。
東京都は「家族などに迷惑をかけないよう生きているうちに自分で墓を決めておきたい」という思いから生前の申し込みに人気が集まっていると見ています。
樹林墓地などの都立霊園の抽せん会は今月27日に東京都庁で行われます。
(2014/08/16朝のNHKニュース:ここより)」

このサイトでも、お墓については色々と考えてきた。今回もお盆なので、また・・・
お墓は、お骨を納める所、という他に、普通なら**家の家族が一緒に眠る場所、という事になろうか・・・。しかしそれが崩れている。上にある、「豪華な本堂の改修やら行事やら、高額の寄進を催促する手紙を送ってくるばかりの寺との関係には、いささか疲れてしまった。」という話には、心当たりがある人は多いのでは?

故人を偲ぶのは、お墓に行かないとダメか? 自宅で線香を上げてお参りするのではダメか?・・・
ウチのカミさんは、「形が大切なのではなく、お参りする心では?」と言い、自分の作業机の後に、亡くなった近しい人たちの写真を飾り、手元供養で毎日お線香を手向(たむ)けているという。
確かに、立派なお墓を作っても、誰もお参りに行かず、草ぼうぼうより、例え、正式な仏壇は無くても、亡くなった人を忘れず、偲んでいる人が居る方が、故人には供養になる気はする。

前に、今日ニュースで言っていた小平霊園に、昨年(2013年)行ったことがある(ここ)。
都立の霊園は初めて見たが、好印象だった。何よりも宗教色が無いのが良かった。今日の140816toeibochi ニュースで言っていた、H26年度の募集要項を見てみた(ここ)&(ここ)。
やはり管理料は安い。しかも、「合葬埋蔵施設」や「樹林型合葬埋蔵施設」は、ニュースで言っていた通り、管理料は無い。
それでは、それぞれの埋葬方法で、遺骨の行く先はどうなっているのだろう?
都の説明サイトにはこうある(ここ)。

「•一般埋蔵施設
 一般的な平面形式の墓地で、区画割された土地を貸し付けします。墓石等は設置されていません。
•芝生埋蔵施設
 芝生の平坦地に等間隔に埋蔵施設を配置しています。カロート(納骨施設)のみあらかじめ設置されています。
•長期収蔵施設
 使用期間30年間の納骨堂です。期間満了時に更新が可能です。
•立体埋蔵施設
 使用許可日から起算して20年間は、遺骨を地上のカロートに個別に埋蔵し、その後は地下に共同埋蔵します。
•合葬埋蔵施設
 一つのお墓に多くの方々の遺骨を共同埋蔵する施設です。「一定期間後共同埋蔵」とは、使用許可日から20年保管後に共同埋蔵するもので、「直接共同埋蔵」とは、納骨時に速やかに共同埋蔵するものです。
•樹林型合葬埋蔵施設
 樹林の下に、ご遺骨(粉状でお預かりした遺骨を含む)を直接土に触れる形で共同で埋蔵する施設です。」

これらは、個人の考え方で選択される。自分や家族の遺骨が、他人の遺骨と一緒に合葬されることに対する抵抗感があるかどうか・・・。それは「速やかに」または、「20年後」かも知れない。
そして人気の「樹林型合葬埋蔵施設」は、「遺骨1・2体用」「遺骨・生前2体用」「生前1・2体用」と3種類あるらしいが、場所はちゃんと並んで確保されるのだろうか・・・。でもそれ以外の周囲の人は、他人さま・・・。個別の従来型の墓地以外は、全てお隣さまをどう捉えるかが問題となる。
それを気にしないなら、遺族にとっても、これは非常に有り難い形かも知れない。そして「家族などに迷惑をかけないよう生きているうちに自分で墓を決めておきたい」という気持ちも理解出来る。しかしこれも、事前の家族(遺族)の賛成が必要となろう。何せ、お墓は残された家族のために存在する側面もあるので・・・

年に一回、お盆を機に、夫婦で自分たちのお墓をどうするかについて、話し合って置くのも良いのかも・・・ね。(何?ウチ? お盆と言わず、自分たちのお墓に関する討議は、連日行われているのであ~る)

140816passport <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月13日 (水)

SONYの「HDDオーディオプレーヤーHAP-Z1ES」が素晴らしい

SONYの「HDDオーディオプレーヤーHAP-Z1ES」(ここ)が素晴らしい・・・。実は、これについて今まで色々と言っていたのだが、結局買ってしまった。
結果は大正解! まずその音。繊細な高音、そして腹に響く低音。今まで自分が経験しな140813hapz1es かった音の世界がここにはあった。そしてタブレットによる操作性の素晴らしいこと・・・。
同じく昔のHDDプレヤーNAC-HD1を愛用している自分の使い方からすると、文句の付けようが無い。音は、今まで自分が聞いていた(NAC-HD1)⇒D/Aコンバータ(DA-200)の音がアナログテレビとすると、HAP-Z1ESの音は、まるでハイビジョンテレビに変わったほど・・・と言っては言い過ぎか・・・!?
まさに、「SONYさん!参りました!降参!降参!」といったところ・・・(理屈などはどうでも良い。重要なのは、「またあの音を聴くのが楽しみ・・・」と思うかどうか・・・)

実は昨年(2013年)10月の発売を待っていた自分だったのだが、その仕様ゆえ、買うのを諦めた経緯がある。それが結局今回、前言を翻して買ってしまったワケ・・・。

前に「SONYのHDDオーディオレコーダー(NAC-HD1)に惚れた話」(ここ)という記事で書いた通り、自分は、NAC-HD1の大ファン。AM/FMチューナー機能こそ使っていないが、取り込んだCD音源の再生だけでなく、毎日FM放送のアナログ録音に活躍している。
しかしこの製品は2007年5月~2009年10月まで売っていた製品で、後継機種が欲しかった。その自分の期待に応えてくれた(?)HAP-Z1ES発売のニュースを聞き、「SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」の発売が楽しみ」(ここ)という記事を書いて発売を楽しみにしていたのが、昨年の9月だった。そして、早々(はやばや)と操作用にSONYのタブレットも買って準備していた。
しかしその後、仕様が分かってくると、「SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」は多分買わないな・・・」(ここ)、「SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」の残念な仕様」(ここ)と、仕様が分かるにつれ、自分のNAC-HD1の代替品の期待とは違っていたため、購入意欲は減退していった。

その発売から、9ヶ月・・・。先日、価格COMの「レビュー」と「クチコミ」を読んでいたら、非常に「HAP-Z1ES」の評判が良いのである。それで、ちょっと考え直した。自分はPCオーディオはやっていないが、先日買った外付けHDDにCDをリッピングすれば良いので(まあ大変だが・・・)、つい、買ってみようかな・・・と。
そしていつもの価格コムの通販で調べ、思ったよりも安く買えた。
それから機器が届くまでの間に検討した課題が、リッピングのソフトはどうする?ファイル形式は?・・・
結局、WAVでは、タグ情報が充分でないらしいので、FLACでCDをリッピングすることにして、リッピングソフトも、SONY製が無難だろう、と思い、「MediaGo」とした。結局これも大正解。いつも使っているMP3tagというフリーソフトでタグを自由に変更できるので、非常に便利。
そしてアンプとのつなぎも、せっかくなのでXLR出力を利用することにして、XLRケーブルを自作するため、サウンドハウスで、モガミのケーブルとXLRのコネクタを手配。これは前にRCAケーブルを作った時と同じ(ここ)。
よって今回は、「HAP-Z1ES」→自作XLRケーブル→STAX製ヘッドホンアンプ(SRM-007tA)→ヘッドホン(SR-009)という極めて単純な構成。(自分はスピーカーでは聴いていない。ヘッドホン専門)

「HAP-Z1ES」が家に着いて、まず驚いたのが、その重さ。本体だけで15Kg近くもある。自分が愛用しているKENWOODのFMチューナーL-02Tも、たかだかFMだけのチューナーだが13Kgもあるので、重さだけで、「SONYのやる気」を感じて、好感・・・。
LANケーブルと電源をつなぎ、用意しておいた香西かおりの「あゝ人恋し」のファイルを転送する。(そもそも自分が聞くのは、歌謡曲が多いのである)
そして、38万円のヘッドホン(SR-009)を耳に当てて、再生・・・。ウーン・・・。続いて送った前川清も・・・。そして「これはスゴイ!」と唸った・・・。特にギターの音の生々しいこと・・・。

最初、音が小さいな、と思った。相当にボリュームを上げないと、何か物足りないのである。その原因は直ぐに分かった。刺激のない暖かな音なので、ボリュームを上げても、うるさく感じられない。自分の勝手な「良い音」の定義は、「うるさく感じられない音」なので、まさに、自分にこの機械はフィットした。
NAC-HD1の音と聞き比べてみた。NACの音はやはりボーカルが固い。ボリュームを上げると声がうるさい。なるほど・・・。格が違う。次元が違う・・・。並べて置いても、愛用のNAC-HD1がオモチャに見えてしまう。

次に、「HAP-Z1ES」を買うつもりで、前に買ってあったSONYのタブレット(SGPT111JP/S)にソフトをインストール。これには少々手こずった。そもそも自分はスマホ嫌い。アカウントがどうだとか、うるさい。でも何とか「HDD Audio Remote」が動くようになると、これが非常に使い勝手がよい。曲を選択すると、即座にスタートする。HDDに入れた音源(CD)が一目瞭然・・・。これはスゴイ! 何よりも「アルバム」や「アーティスト」と同様に、「フォルダ」から選曲できるので有り難い。これは必須。
実は、今までのNAC-HD1にも、CDをリッピングして沢山入れてあるが、実はほとんど聞いていない事に気が付いた。音源を、歌手名や作曲家別のフォルダーに収納しているのだが、何よりも曲の選択が大変で、いつもシャッフルで聞いていた。それがタブレットになって、HDDの中味が一目瞭然。これなら、HDDの中味全体がつかめる・・・。まさに棚に置いてある数百のCDが全てタブレットに入っている。そしてまるで電子図書館のようにクイックに覗けるのだ。しかもアクセスが早い。アルバムを選らんで、再生するまで、ほんのコンマ数秒。CDプレヤーだと、CDを探して、プレヤーにセットして、選局して・・・、と時間がかかるが・・・。
しかもPCのエクスプローラからNASとして認識するので操作が自由。これも非常に分かり易い。

リモコンに音量調整のボタンがある。押すが反応無し。どうも連携したSONYのアンプ用らしい。とにかく取説が無いので、この辺は手探り。幾ら世の中はスマホ時代で、勝手に触りながら覚えろ、と言っても、我々シニア族はやはり一通りの取説は欲しい。
もし取説が無いのなら、せめてユーザー通しのコミュニケーションサイトを提供するとか・・・。
10年ほど前に、iRiverのmp3プレヤーを買ったが、その時に、iRiverのサイトにユーザー向けの交友サイトがあった。そこのサイトに、ユーザーが分からないことを投稿すると、知っているユーザーが返信してくれる。現在は価格COMのクチコミサイトがそれになっているようだが、そんなサイトをSONYが提供してくれると、情報交換が出来て良いのだが・・・。
まだ使い始めて数日だが、だいたい分かった。しかしまだ一つだけ解せない動きがある。
ある「1,2,3・・・10」の順で入っているアルバムを聴いていたとき、仮に3曲目を聞いている時に、次に聞きたい曲を「再生キューの次曲に追加」で選ぶのだが、「Aを聞いて次にBを聞きたい」と押していくと、「3→B→A」という動きになってしまう。なぜ「3→A→B」にならないのだろう・・・。どこかに設定があるのかな??

さて、曲の解析は他のSONY機器と同じだが、NAC-HD1にはあった「全曲シャッフル(気まぐれチャンネル)」や「新着チャンネル」そして「アーティスト別」のシャッフルが無い。これは残念。
(2014/08/19追)
(失礼しました。シャッフルの使い方が分かりました。
アーティスト別のシャッフルは、「アーティスト」で並んだ名前を長押して「再生開始」ボタンを押し、シャッフルボタンを「FOLDER」または「TRACK」にする。「FOLDER」だと、例えば、選んだアーティストが3つのフォルダA,B,C(CDアルバム)を持っていたとすると、A,B,Cフォルダをシャッフルして、B→A→Cなどの順で、それぞれのフォルダの音楽を順に再生して行く。「TRACK」にすると、A,B,C全ての曲をまとめてシャッフルして再生する。
全曲シャッフルは、「フォルダ」モードで、全てのフォルダの上の階層(PC名など)が表示されている時に、同じく長押しして「再生開始」を押して、シャッフルボタンを上と同じようにする。つまり、長押ししたフォルダの、下の階層を対象にシャッフル再生が出来る。)

そして、自分の至極の時・・・。ベッドでヘッドホンを耳に当て、聞く。すると、何と選曲用のタブレットが重い・・・。確かに600gもあるので仕方がない。よし、軽いタブレットに買い換えるぞ!と調べると、軽いのは3万円もする。高い! そうだ、スマホの本体だけを手に入れて、Wi-Fiだけつないで単にリモコンとして使ったら・・・と思い付き、DOCOMOに聞くと、契約しなくても、Wi-Fiでインターネットはつながるという。これだ!と思って、楽天市場で、新品の白ロムのスマホ本体を、送料込み4500円で買った。ちゃんと動き出したが、それでも少し重いけど・・・。
これで万全整った。あとはCDをリッピングして、転送するだけ。これが意外と早い。1枚のCDのリッピングに数分。別の作業をしながら次々にCDを交換していると、そう大した仕事ではない。ここ連日、パソコンが壊れるのでは?と思うほど、連続してリッピング中・・・。

結局「HAP-Z1ES」について、自分なりにこう結論付けて納得した。
1)CDメーカーでの音源ハイレゾ化は、44K/16bitのオリジナルを色々と細工してハイビット化し、「ハイレゾ」として売っている。この「HAP-Z1ES」はその機能を本体内に持っているので、全てのCD音源に対して音が良くなるのだろう。
2)その「音の改善」に特化した製品なので、コンセプトが単純なだけに分かり易い。そして本体の重量で(!)、音にこだわったことが納得できる。(付属のRACケーブルがTV用でかわいらしい。一応は付けているが、まあ使う人はいないな・・・)
3)前に買ったクライバー/ウィーンフィルのハイレゾの「運命」を聞いてみたが、それほど感激しなかった。それよりもCD楽曲の音の改善の方が顕著。
4)タブレットの「HDD Audio Remote」が再立ち上げしたことがあるが、今までの何度かのバージョンアップを経て、もう変な動きはない。転送速度も充分。

かくして、こんな素晴らしい音が手に入った。ふと気付くと、毎日使っていたNAC-HD1に全く電源が入っていないことに気付いた。もしかすると、FMの録音以外ではもう使わないかも・・・。そして、NAC-HD1を愛用している人は、ほとんどがこれに買い換えるのではないか?自分のようにFM放送をアナログで録音している人以外は、すべての点で、上位なので・・・。
何よりも、HD1とユーザーとのインターフェースがCDだけで内部が見えないが、Z1ESは、PCにより中味が丸見え・・・。この安心感は格別だ。

今日も、もう何時間もぶっ通しで、音楽を聞いている。棚に飾ってあっただけの昔買ったCDが、数十年ぶりに現役復帰している。これは素晴らしいこと。
それにしても、データのバックアップが精神的に楽なのは有り難い。外部HDDに持っているデータをHAP-Z1ESに転送するので、常にバックアップのデータが手元にある。NAC-HD1は、(ここ)にも書いたが、数十時間をかけて外部HDDなどにバックアップを取るのだが、失敗すると苦労して貯めたデータが全部パー。その点、データの消失を実質的に考えなく良いので、ものすごく楽だ。
久しぶりに、値段では計れない貴重な製品を手に入れられた。これで音楽を楽しむため、少しでも長生きせねば・・・。

(2014/08/20)
7000曲弱のCDをリッピングして転送するのに1週間かかってしまった。でも色々と分かってきた・・・。
・スマホでの操作だが、タブレットと違って、スマホは画面が小さいだけに、フォルダモードなどでの表示文字が少なく、例えば「交響曲第」という文字ばかり並んで、次に書いてある演奏者が表示されない・・・。タイトル名を直して分かるようにするしかなかったが・・・。スクロールでもしてくれると有り難かったが・・・
・それと、タブレットやスマホでの電源ON/OFFが、なぜか表示が逆なのだが・・・。「電源OFF」で、実際はON・・・。そのうち機嫌が直るだろう・・・?
・ファイルの転送では、外部HDDのフォルダ名を変えると、必ず再転送される。Z1ESのフォルダ名と両方同じように変えても、再転送。まあ仕方ないけど・・・。もちろん元のフォルダ名を変えた時は、Z1ES側は新旧の二つのフォルダになるので、古い方のフォルダは別に消さないといけない。

(関連記事)
「SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」の残念な仕様」 
「SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」は多分買わないな・・・」 
「SONYのHDDオーディオプレーヤー「HAP-Z1ES」の発売が楽しみ」 
「SONYのHDDオーディオレコーダー(NAC-HD1)に惚れた話」 

140813virus <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月12日 (火)

「徴兵制、まさか…ね?」

終戦記念日が近くなり、毎年恒例だが戦争の話題が多い。
(今日は、徴兵制の勉強!? コピペで長いが、勉強なので・・・)
今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
徴兵制、まさか…ね? 政界・ネット、議論広がる
 あり得る、あり得ない――「徴兵制」をめぐる発言や議論が広がっている。安倍晋三首相は自ら繰り返し、否定している。

 ■政治に不信感、「派兵」に敏
 「徴兵制につながるというとんちんかんな批判がある。徴兵制が憲法違反だということは私が再三、国会で答弁している」。5日、自民党本部で開かれた地方組織の幹部を集めた会合。安倍首相は集団的自衛権の行使を認めた閣議決定に触れる中で、徴兵制について自ら否定した。首相は最近、こうした発言を繰り返している。
 専門家の間では、高度化した現代の戦争では訓練を受けていない一般市民を徴兵しても意味がなく、徴兵制はあり得ないとの見方がある。政治的にも極めて難しいとみられる。
 だが、首相が徴兵制を再三否定する背景には、最近、与野党の政治家らが徴兵制について発言し、ネットなどでも関心を高めていることがあるとみられる。
     *
 「自衛隊員が何十人と亡くなることが起きた時、今のように自衛隊員が集まるか。集団的自衛権を積極行使すると徴兵制にいかざるを得ない」。民主党の枝野幸男元官房長官は5月18日、さいたま市での講演で語った。安倍首相が同15日の記者会見で集団的自衛権の行使容認の検討を明らかにした3日後だ。
140812tyouheisei  ツイッターなどで話題になり、発言を伝えた朝日新聞デジタルの記事には、賛否合わせて4千を超えるツイッターのリツイート(転載)があり、政治家の発言では飛び抜けて多かった。この後も、自民党幹事長経験者らが徴兵制の可能性に言及した=表。
 また、メディアでも雑誌「週刊プレイボーイ」が7月28日号で徴兵制を特集し、産経新聞は2日付朝刊の連載記事で「あり得ない徴兵制」とする記事を掲載。朝日新聞は6月25日付朝刊で「将来、徴兵制を敷かざるを得ない」とする元防衛官僚で新潟県加茂市長小池清彦氏のインタビューのほか、投稿欄「声」でも関連の投稿を掲載した。
     *
 市民向け憲法勉強会を主宰する太田啓子弁護士(横浜弁護士会)は「集団的自衛権が連日報じられ、『戦地』『派兵』などの言葉に人々が敏感になっているのではないか」と考える。
 「徴兵制になるのか」「子どもが戦地に行くのか」。勉強会では、母親から毎回のようにこんな質問があがる。太田さんは「現実的ではないと思います」と答えるが、「東日本大震災以降、政治への不信感が強まり、その言葉が容易に信じられなくなっている」と考えている。
 一方、元内閣法制局長官の阪田雅裕さんは、背景に憲法解釈の変更を閣議決定で行った政権の手法があると考えている。
 内閣官房は集団的自衛権の行使容認の閣議決定後、ホームページで「(徴兵制の採用は)全くの誤解。徴兵制は憲法上認められません」と否定した。憲法18条は「奴隷的拘束及び苦役からの自由」を掲げ、徴兵制が認められない根拠とされる。だが、阪田さんは「歴代内閣が積み重ねてきた憲法9条の解釈変更がこれほど簡単にできるのなら、議論に厚みのない憲法18条の解釈を変えるのもわけないだろう」とみる。
 政権中枢にある政治家の過去の発言も、この見方を補強する。いま自民党幹事長の石破茂氏は02年5月、衆院憲法調査会小委員会でこう述べた。「徴兵制が憲法違反であるということには、意に反した奴隷的な苦役だと思わないので、どうしても賛成しかねる」
     *
 別の観点もある。
 一つは少子化だ。自民党の野田聖子総務会長は月刊誌「世界」6月号で「少子化が進み、(自衛隊員の)担い手がいなくなろうとしている」と指摘。ネット上では少子化で自衛隊の志望者が減れば、将来は徴兵制になるのではないかとの議論もみられる。太田さんの勉強会に参加した40代の母親の一人は、ママ友同士で「子どもが兵隊に取られちゃうのかな」という会話を交わしたと明かす。
 もう一つは安定した職場としての自衛隊に貧困層から入隊希望者が増える「経済的徴兵制」への指摘だ。
 ジャーナリストの堤未果さんは著書「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書)で貧困家庭やワーキングプアの若者が、軍が提示する学費補助や医療保険などに誘われて入隊する実態をリポートした。日本でも格差拡大が指摘される。堤さんは「今のまま貧困やワーキングプアが広がれば、徴兵制にせずとも日本は同じ道をたどるだろう」と話す。
 「徴兵制」に現実性は乏しい。しかし、安全保障論や憲法論と同時に、少子化や格差の拡大など社会が抱えるさまざまな課題も、徴兵制をめぐる発言や議論の背景にありそうだ。(渡辺哲哉)」(2014/08/12付「朝日新聞」p4より)

集団的自衛権、必然的に徴兵制に」~枝野幸男・民主党憲法総合調査会長
 自分の国を自分たちで守ることについてはモチベーションがあるので、個別的自衛権を行使するための軍隊は志願兵制度でも十分成り立つ。しかし中東の戦争に巻き込まれ、自衛隊の方が何十人と亡くなるということが起きた時に、今のようにちゃんと自衛隊員が集まってくれるのか真剣に考えないといけない。世界の警察をやるような軍隊をつくるには、志願制では困難というのが世界の常識だ。従って集団的自衛権を積極行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。(さいたま市のオープンミーティングで)」(2014/05/18付「朝日新聞」より)

下記は先月の記事だが、印象に残った記事だ。
「(インタビュー)老兵は闘う 元官房長官・野中広務さん
 ――安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。自民、公明両党も了承しました。
 「内閣の解釈で憲法の基本を変えるなんて本末転倒でしょう。絶対にやってはいけない。この問題の深刻さがようやく浸透してきて、この夏、地元に戻った国会議員は有権者の考えを肌で感じ取るはず。地方から大変な批判が出てくると思いますよ。それを、秋以降の国会論戦や個別法案の審議にどう生かせるか。このままでは来春の統一地方選や次の衆院選で自民党は公明党とともに、必ず鉄槌(てっつい)をくらう。現役の政治家の良識に訴えることが、私に残された仕事だと思うとるんです」
 ――自主憲法制定は自民党の党是です。手続きさえ踏めば、憲法は改正してもいいという考えですか。
 「憲法を常に見直す態度は変えてはならない。ただ、すべての条文を同じように扱うべきではない。9条があり、武力行使をしてこなかったから、戦後70年近く平和でおれた。9条は変えてはならないと思う」・・・
 ――かつての自民党は、宏池会(現・岸田派)に代表されるハト派が、タカ派的な勢力とバランスを保ってきました。今は、首相や内閣に注文や批判をすることはほとんどありません。
 「自民党の多様性が失われてしまったんです。政治改革の名のもと、選挙制度を中選挙区制から小選挙区制に変えてしまったから。僕は守旧派というレッテルを貼られたけれども大反対した。党本部が選挙区の調整やカネの配分に大きな権限を持ち、派閥の存在が薄れた。党総裁である首相の意向に従う議員ばかりになり、党内の左右のバランスは崩れたんです」
・・・・
 「偶発的な接触から、いつ戦争が起きるかわからない。その可能性を除去しておかないといけない。自衛隊は戦争にいかない前提で入隊した人たちが多いから、実際に行けといわれたら辞める人も多いはず。その次に何がおきるか。国防軍ですよ。いずれ必ず徴兵制がやってくる」
・・・・
 ――集団的自衛権の行使容認を含め、安倍政権は戦後日本のありようを大きく見直そうとしています。
 「戦争がどれだけ深い傷痕を国内外に残したか、もっと謙虚にあの時代を検証してほしい。『戦後レジームからの脱却』いうてね、歴史を消してしまうようなやり方は間違っている。それは国際社会への復帰につながった東京裁判も否定する。だから安倍さんはA級戦犯が祀(まつ)られている靖国神社に参るんですよ」
 「政権批判をするたび『売国奴』などといわれ、家族を含めて大変な目におうてきた。けど、僕がいわなければ誰がいう? 戦争が繰り返されたら、我々世代のつらい経験は『無』になってしまう。あの戦争で亡くなった人々の無念さを伝えなければ、死んでも死にきれない」・・・・
」(2014/07/18付「朝日新聞」p15より)

いつものように、朝日新聞の記事なのだが、「徴兵制」という言葉が、現代の日本で、話題になること自体が異様な光景・・・。首相が何と言おうが、国民が「徴兵制」を懸念する引き金を引いたのは、現政権なのだ。
「徴兵制」という非常に分かり易く、刺激的な言葉が、いとも簡単に使われているのもどうかと思うが、かと言って100%有り得ない、と強く否定することも出来ない気がする。
まあ、「徴兵制」という言葉に踊らされるのではなく、自分自身で、その背景を認識することも必要かな・・・と思って、長く引用した。

140812suika <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月11日 (月)

「車水没、閉じ込められたら…」

台風が去って、台風一過の晴天・・・と思いきや、今週の天気はあまり良くないらしい。でも2日遅れで、甲子園の高校野球も始まった。
しかし今年ほど、テレビのニュースで雨の話題が多かった年は無いのでは? 毎週、特に四国の豪雨で、ガード下の車が水没している光景が多かった。

先日、こんな記事があった。
車水没、閉じ込められたら…ドアが開くのは浸水後 JAFが実験 水圧の差小さく
 集中豪雨や台風により冠水した道路で水没した車両から脱出する実験を日本自動車連盟(JAF)が実施し、脱出が難しくなっても浸水が進んで車内外の水圧差が小さくなれば、かえってドアが開きやすくなるという結果を公表した。
 高架下を通る掘り下げられた道路が冠水し、車が下り斜面で停止した場面を想定し、車内に空気が残っている状態と、車内に浸水し車内外の水位が一致した状態を比較。セダンの前席ドアとミニバンのスライドドアを開ける実験をした。
 両車種とも水深が30センチから120センチまでは、車内に空気が残っている場合は水深にかかわらず、車外の水圧でドアが開かなかった。一方、両車種とも車内に浸水した後は車内外の水圧差が小さくなり、水深120センチでもドアを開けられた。
 車の窓ガラスをスマートフォン、ビニール傘、脱出用ハンマーなどで割る実験では、実際に割れたのはハンマーだけ。JAFは「ハンマーを運転席から手が届く範囲に置いてほしい」としている。パワーウインドーは両車種とも、水深90センチ以上だと電気系統の故障などで作動しなかった。
 車両の救援件数は関東地方に猛烈な雨が降った6月25日に関東1都5県で計55件あった。台風8号が九州を横断した際の7月11~16日には九州7県で計366件に上った。」(
2014/08/10付「日経新聞」p31より)

水に飛び込んだ車のドアが開かないのは、水圧の関係でよく分かるが、実験結果は初めて聞いた。しかし水深30センチで開かなくなるとは、意外。その時はパワーウインドーで窓を開けて逃げるしかないが、90センチまでは開くらしい。“そのとき”は先ずこれだな・・・。
とにかく窓を開けて脱出。もし窓が開かなかったら、車内に浸水するのを待つしかないか?
それにしても「ハンマーを運転席から手が届く範囲に置いてほしい」というJAFの話も乱暴だ。もし彼女を隣に乗せていて、ハンマーが見つかったら、「殺人の用意?」と逃げられるのは必定。
まあウチのカミさんも言ったが、道路が冠水していたら、絶対に突っ込まないでUターンに限る。
まだまだ台風シーズンは続くというのに、今年の雨は異常だね。

140811sukide <付録>「ボケて(bokete)」より

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