2017年11月21日 (火)

横綱審議委員が貴乃花親方を「懲らしめないと駄目だ」

相変わらずテレビからの話で恐縮だが、今朝(2017/11/21)のTV朝日の「モーニングショー」で、横綱・日馬富士の暴力問題について、こんな話が出て来た。

横綱審議委員が貴乃花親方を痛烈批判「懲らしめないと駄目だ」
「懲らしめないとダメだ」
   横綱審議委員会の委員の1人からこんな発言が出て来た。「己の目的のために横綱という宝を利用するのはいかんよな」と痛烈に批判した。報道陣が念のため「貴乃花のこと?」171121sumou と聞くと、「貴乃花だよ」と当然のように答えた。さらに、「彼は今の協会が悪くて、現理事を一掃するのが正義だと信じている。騒動を利用して理事長になろうとしているのでは」と述べた。
   横綱審議委員は「横審」と呼ばれ9人で構成され、不祥事が起きると意見を申し入れるなど、「相撲のご意見番」といわれる。この発言について、ゲストの東京相撲クラブ会友の大隅潔さんは「よくそこまで言ったと思う。的ははずれていない」と述べた。

協会評議員・池坊保子議長「こっちに相談してればなんとかなったのに」
   きのう20日(2017年11月)には、東京・両国国技館で評議員会も開かれたが、ここでも池坊保子議長が「巡業部長(貴乃花)は何かあったときは、上司、理事長に報告する義務があります。速やかに報告しておれば、理事長も対応のしようがあったのではと残念です」と苦情を呈した。
   これについて大隅さんは、「相撲協会では物事が多数決で決まるので、貴乃花グループは1票か2票しかないので、警察に先に被害届を出し、証拠固めをしたのだと思う」と解説した。
   貴乃花は沈黙を続け、姿をみせてもサングラス姿で表情を隠している。ただ、17日に報道陣に「警察にもう任せるということですか」と聞かれたときに、「そう、そう」と小声で答えただけだった。双方とも事の真相が明らかになるのは都合が悪いということなのだろう。」(
ここより)

貴乃花親方が無言を貫いているので、事態は憶測の域を出ない。自分も、これだけ世間が騒いでいるので、貴乃花が口を開けば良いのに、とも思っていた。
しかし、「懲らしめないとダメだ」という発言まで出たとなると、貴乃花が無言でいることの意味が分かるような気がしてきた。

昔のこんな話を思い出す。現役だった時、自分が管理職になったときに、泊まり込みで、管理職教育という集合教育があった。その時に、当時就任したばかりの新工場長が、講話に来た。その時の話を今でも覚えている。
「今後管理職として、“自分は聞いていない”という発言は許さない。それは、報告する人が、報告する相手に対し、報告する意味が無いと判断しているからだ。部下が“報告して良かった”と思わない限り、幾ら命令しても報告しない。部下が進んで報告するような管理職になれ・・・」と。
この戒めは、いまだに覚えている。(当の本人は全く覚えていないというが・・・)
これは本当だ。例えば、親が子供からの相談に、怒ってばかりでは、子供は親に相談しない。ただ叱られるのが分かっているから。生徒が教師に相談しないのも同じ。教師が親身になって相談にのってくれない教師の下には、誰も相談に行かない。
ビジネスでもそうだ。幾ら上司に報告する義務があっても、ただ叱責されるだけなら、部下は不都合なことは隠そうとする。どんな世界も同じである。

上に記事で、「池坊保子議長が「巡業部長(貴乃花)は何かあったときは、上司、理事長に報告する義務があります。速やかに報告しておれば、理事長も対応のしようがあったのではと残念です」と苦情を呈した。」とあるが、これはまさに自分のことを棚に挙げて・・・という話。自分が相談相手にされていない、という視点が抜け落ちている。
なぜ相談してくれなかったか?と言う前に、理事長がなぜ“相手にされなかったか”を自省するべきかも・・・。

今行われている国会での大切な議論が、こんなつまらない暴力話でかき消されて、マスコミにも苦言を呈したいところだが、周囲が叩けば叩くほど、一人で協会全体を相手に戦っている貴乃花親方を応援したい気になってくる。

171121sio <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月19日 (日)

野党の質問時間削減~大政翼賛会への道へ?

今朝(2017/11/19)の朝のTBSの番組「サンデーモーニング」で、青木理さんが、毎日新聞の記事の紹介をしていた。興味があったので、それを読んでみた。

特集ワイド 野党の質問時間削減 大政翼賛会への道、歩むのか

政府・与党が出す予算案や法案を、野党の異なる視点でチェックするのが国会質疑の意義。その野党の発言が封じられれば、国会が大政翼賛会と化してしまうのだが……

 もしかしたら日本の運命を大きく変えることになるかもしれない。開会中の特別国会で、与党・自民党が、野党が国政をただす場である委員会審議の質問時間を削ってしまったのだ。「与党議員の質問機会が少ないから」が理由らしいが、それは事実か。大政翼賛会へと歩んだ戦前の国会でも、同じ動きがあったのだが……。【吉井理記】

 「国会が自ら、国会の権能を低下させる愚挙です。日本を破滅させた戦争の時代にも、国会の力を封じる動きがありました」と怒りが収まらないのは、「国会質問制度の研究」などの著書がある千葉商科大の田中信一郎特別客員准教授だ。
 歴史を振り返る前に、おさらいしておこう。問題になっているのは、衆議院の委員会審議などで、与野党の質問(正確には質疑。決められたテーマに限り問いただすこと)時間をどう割り振るか、ということだ。
 国会法や衆院規則、実務手引きである「先例集」にも明示がないが、野党の時間を多くするのが長年の慣例で、この特別国会まで「野党8、与党2」の割合だった。ところが自民党は衆院選での大勝を背景に野党の反対を数で押し切り、まず15日の文部科学委員会で「野党2、与党1」とした上で、国会審議の中心となる予算委などでも配分を見直す方針なのだ。
 「2対1」なら一見野党が多そうだが、「それは錯覚です」と田中さん。
 「注意すべきは、この時間は質問だけでなく、首相や閣僚ら政府答弁の時間も入っている点です。与党から政府閣僚が選ばれるのですから、事実上は政府=与党です。するとどうなるでしょうか」
171119tvasahi  例えば、野党の持ち時間を4時間として、質問2時間に対し、政府が答弁を2時間したとしよう。「2対1」だから、与党の持ち時間が2時間で、質問1時間、政府答弁も1時間とする。発言時間を単純計算すれば、野党の2時間に対し、与党+政府の発言は4時間、つまり「2対4」と逆転する。
 政治学が専門の明治大教授、西川伸一さんも嘆息する。「そもそも、国会は野党のためにあるといっても過言ではありません。なぜなら国会で議論される予算案や内閣提出法案は、全て与党が事前承認したものしか提出されないからです。だからこそ国会質疑を通じた野党のチェックが重要なのですが、その野党の質問封じは、国会の否定です。少数意見を聞かず、多数決ですべてを決めれば、国会の意味がなくなりますから。議論が政府協賛の与党色に染められ、『大政翼賛会』『戦前回帰』という指摘も、あながち絵空事とも言えなくなってきます」

帝国議会ではゼロの時も
 では、その戦前の国会である帝国議会で、何があったのか? 田中さんが解説する。
 「帝国議会では最初、議員が政府に国政全般をただす『質問』は制限されていました。それでも田中正造ら自由民権運動を率いた先人の努力が、政府をただす機会を広げていったのです。しかし軍国主義が高まる時期から、議員が政府に質問する場が再び制限され、国会の力が失われていきました」
 当時は書面質問が原則だったが、議員は内容や理由を議場で演説することが慣例になっていった。田中正造はこうした質問を通じて足尾鉱毒事件を社会に問うことができた。
 慣例は「先例集」にまとめられ、国会運営のマニュアルとなっていたが、1935年前後に慣例が改められ、議員の演説時間や、政府答弁に対する再質問を制限する改定がなされた、という。残された「先例集」からは、改定を誰が言い出したかわからないが、議会多数派(当時は立憲政友会)の可能性が高い、という。
 「この時期は、満州事変(31年)で国際的孤立が深まり、天皇機関説事件(35年)など、思想弾圧が激しさを増す時代です。そんな風潮を反映し、国会で議論することに疑いを持ったり、政府批判は許せないと考えたりする議員が増えたための改定でしょう。つまり国会自ら、国会の力を弱めたのです」
 この結果、政府への質問そのものが国会から消えていく。田中さんによると、大正デモクラシー期の第31回帝国議会(13~14年)では衆院で計100件の質問があったが、各政党が大政翼賛会に合流した後の第76回帝国議会(40~41年)では18件。日米開戦後は質問ゼロという国会もあり、43年6月~44年9月の4回の国会は、1件の質問もなかった。国会が、政府の追認機関に堕した結果である。
 「国会の監視機能が働いていれば、無謀な戦争をしたり、続けたりすることはなかったかもしれない。でも結局、国会が機能しないがために、国を滅ぼす政策を止められませんでした」
 そもそも今回の問題は、自民党の若手議員が「自分たちの質問する機会が少ない」と訴えたことが発端とされるが、この理由には裏付けが乏しい。
 なぜなら、本当に政府をただしたいなら、時間もテーマも制限されない書面質問(質問主意書)が可能だからだ。例えば、「森友・加計(かけ)学園問題」で揺れた今年の通常国会では、衆院で438件の質問主意書が出されている。さて、与党分はどれだけか?
 「ゼロ」である。政府をただすのは与野党を問わず、国会議員の責務だ。質問主意書が出されれば、答弁書を作る各省庁の職員の負担は増えるから、主意書の乱発は論外だが、本来なら与党議員も出すべきものだ。実際、旧民主党政権時代は民主党議員も出していた。
 立憲民主党の川内博史衆院議員もその一人だ。旧民主党議員時代の2010年、鳩山由紀夫政権に官僚の天下り規制のあり方を問う主意書を出した。
 「規制のあり方が甘いと感じ、政府をただしました。政府をチェックし、政策を良いものにするために、必要と思えば出すべきです。自民党の若手議員の活躍の場がないというなら、もっと政府内に若手を登用すればいい。そもそも与党は、自分たちが国会に提出する法案を自分たちで承認しておいて、国会で何を問うつもりか。『安倍1強』と呼ばれる状況で、政府のチェックがきちんとできるのか」
 その自民党のベテラン議員によれば、かつては与党議員の依頼で、各省庁が質問を作り、答弁も書く「自問自答」が横行していたらしい。さすがに最近は少ないようだが、この議員は「今でも『貴重な質問の機会を頂いて』とか言いながら、『○○大臣のご決意をお聞かせください』『××に行かれたご感想は』なんて、恥ずかしい質問をする若手がいる。時間をくれと言う前に、質問力を磨くべきだ」と首を横に振るのだ。
 では、野党の質問時間を削ることは何を意味するのか? 田中さんがまとめた。
 「今のまま質問時間を減らせば、国権の最高機関として政府をチェックする機能は確実に低下する。これは間違いない。厳しい監視にさらされてこそ、健全な政権や政治が実現するんです。国会が機能しないことが、この国に何をもたらすか、72年前に私たちは経験済みです。与野党の政争とか、そんな小さな話ではないんです」
 自民党の選挙スローガンは「この国を、守り抜く。」であった。今からでも遅くはない。この国を守るためにこそ、野党の声に耳を傾けるべきだろう。」(
2017/11/16付「毎日新聞」夕刊より)

与党の質問については、同じ毎日新聞で、こんな記事もあった。
与党の質問、時間増必要? 国会論戦、政府と一体 英独は野党尊重
 自民党が国会の質問時間について、議席数に応じて与党分を増やすよう要求している。政府と一体のはずの与党の質問時間を増やすことは、どれだけ妥当なことなのだろうか。【和田浩幸】
 「首相は答弁に立つたびに必ず(スーツの)ボタンをお掛けになる。礼儀を尽くしておられる姿、本当に好ましい」。今年3月の参院予算委員会で自民党の堂故茂氏がこう発言し、ネット上で「ヨイショ質問の最たる例」と話題になった。昨年11月の衆院内閣委では同党の谷川弥一氏が質問時間をもてあまし、般若心経を唱えて批判を浴びた。
 衆院での質問時間は自民党政権の2008年は「与党4、野党6」で配分していた。同党は09年に野党に転落すると増枠を要求。旧民主党政権の下で「与党2、野党8」に見直し、安倍政権でもこれが続いてきた。
 見直し要求は10月の衆院選で大量当選した若手に活躍の場を与えるのが名目だ。ただ、与党は予算や法律案を国会提出前に「事前審査」している。議席数通りに配分すれば「与党67%、野党33%」。議院内閣制の国会で政府に対するチェック機能は一義的に野党にあり、自民党内でも「フェアではない」との意見がある。
 「議会の母」と呼ばれるイギリスはどうだろうか。政府が国会運営に影響力を持つなど政府・与党の一体性が強い半面、野党第1党の党首は法律で「国王陛下の政府に反対する最大野党の党首」と定義される。議員歳費のほかに給与も支給される特別な存在だ。
 英国議会を特徴付ける首相への「クエスチョンタイム(質問時間)」は毎週1回で、与野党の議員が交互に質問する。
 13年の国立国会図書館の調査によると、特に野党第1党の党首には6回の補足質問が認められ、与野党のトップが力量を競う事実上の「党首討論」とされる。
 1985年以降は会期ごとに20日間の「野党日」を設定。野党が議題を決めて閣僚に質問できる。成蹊大の高安健将教授(比較政治学)は「イギリスでは政府・与党の力が強いが、野党も尊重され、意見表明の機会が重視されている」と語る。
 ドイツ連邦議会には外交など大きなテーマを文書でただす「大質問」▽関心の高いテーマを聞く「質問時間」▽答弁が不十分な場合の「時事討論」など多くの質問の機会がある。05~09年では大質問と時事討論は9割以上、質問時間は8割以上が野党だった。
 首相の権限強化など90年代以降の日本の政治行政改革は、イギリス型のスピーディーな国家運営を目指してきた。それだけに高安教授は「本来は野党議員の質問を重視して民意のバランスを取るべきだ。政権の都合の悪い質問は受けたくないという意思の表れではないか」と指摘した。」(
2017/11/06付「毎日新聞」ここより)

野党の質問時間の中には、与党の答弁時間が含まれているので、実質の与野党に与えられた時間は違う、という指摘は他でも聞いた。しかし、「本当に政府をただしたいなら、時間もテーマも制限されない書面質問(質問主意書)が可能だからだ。例えば、「森友・加計(かけ)学園問題」で揺れた今年の通常国会では、衆院で438件の質問主意書が出されている。さて、与党分はどれだけか? 「ゼロ」である。」という話は初めて聞いた。

まさに「政権の都合の悪い質問は受けたくないという意思の表れ」が、堂々と行われており、誰も止められていない。
それによって「国会が機能しないことが、この国に何をもたらすか、72年前に私たちは経験済みです。与野党の政争とか、そんな小さな話ではないんです」・・・

バカバカしい大相撲の暴力事件にかき消されて、日本の将来に関する重大事が矮小化されているようで心配だ。良く見たい。

171119soochi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月18日 (土)

終戦時の鈴木貫太郎首相と天皇~ポツダム宣言全文

NHKラジオ第2の「カルチャーラジオ」(ここ)を良く聞いている。もちろんPCに録音しておいて、mp3データをウォークマンに転送しておいて、夜中に目が覚めたときに聞いている。

その中で「ラジオアーカイブス~声でつづる昭和人物史」(ここ)が面白い。自分が好きな半藤一利氏が、お年のせいか、あまり聞けない現在、このような歴史問題については、ノンフィクション作家の保阪正康が一番。そんな中、先日の「鈴木貫太郎2」での、戦争終結における天皇とのやりとりに興味が湧いた。少し聞いてみよう。

<NHK「声でつづる昭和人物史~鈴木貫太郎2」より>

*この番組の全部(30分×2)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

NHKのこの番組の解説にはこうある。
カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史~鈴木貫太郎
鈴木貫太郎(1868~1948)は昭和20年4月から8月の終戦に至る激動期の首相です。海軍出身で侍従長も務めましたが、2・26事件で瀕(ひん)死の重傷を負います。タカ夫人(1883~1971)はその場に居合わせ事件を目撃しました。今回の録音は、タカさん80歳の頃、千葉県野田市にある鈴木寛太郎記念館の上原進一さんがインタビューしたもので、昭和天皇幼時の思い出や2・26事件の生々しい様子を語っています」
「鈴木貫太郎(1868~1948)は昭和20年4月から8月の終戦に至る激動期の首相です。「最後のご奉公」とその任を受け、8月15日の終戦に至らしめました。終戦後は千葉県野田市関宿で、畑仕事をして過ごしました。タカ夫人(1883~1971)が語る貫太郎の海軍時代のエピソードや昭和21年に刊行された『終戦の表情』を紹介しながら、大転換期を生きた鈴木貫太郎夫妻について、その思いをたどります。」(
ここより)

この番組で、首相就任時の音声が残されている。
「今日(こんにち)、私に大命が降下いたしました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります。」

この鈴木首相の妻は、若い時に昭和天皇の養育係だったという。それだけ昭和天皇からすると、身近だったのだろう。

ところで、「ポツダム宣言」とは良く聞くが、恥ずかしながら自分は本文を読んだことがない。それでWIKIで読んでみた。
「日本の降伏のための定義および規約
    1945年7月26日、ポツダムにおける宣言
1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。

2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。

3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。

4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。

5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。

6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。

8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。

9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。

10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。

12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。

13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

これらの条件は、日本軍を念頭に読むと、それほど違和感を覚えない。これを日本が受け入れるのに、7月27日から8月14日までの時間を要した。そしてその間に原爆が・・・

歴史は、時間が経過すると、余計な枝葉末節が剥がれて、本質がむき出しになる。
かつての政治家に比べ、今の政権の“軽さ”は、あまりに目が余る。数十年後の歴史家から、「平成って何だっけ?」と、無視される時代になるのでは?と疑いたくなる。
その時代を生きているのが我々・・・。
モリカケに代表される政府の逃げ足を見ていると、今の時代に生きていること自体が、恥ずかしくなる。くだらない出来事ばかりの今の新聞を読むより、歴史を読む方がよっぽど体に良いと感じるこの頃である。

171118usse <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月16日 (木)

多摩動物公園に“ひとり”で行く

「亭主元気で留守が良い」という言葉があるが、我が家もまさに“それ”!
カミさんが「月に一度でよいから丸一日いなくなれ」と言う。「天気が良ければね」・・・
それで、今日、晴天だったので、留守にする目的のため、仕方なく出掛けた。朝出掛けて、夕方帰ってくると、「とっても良かった。毎日でも良い」「何が良いんだ?」「開放感かな・・・」

そもそも、我が家はカミさんと一緒に出掛けることが多い。というより、ほとんど!?
年金生活者になってヒマになったので、ほとんど行っていない多摩動物公園に行こう。と言ったが、カミさんは、自分の足の具合が良くないのと、昔、お袋を連れて行ったら、その時から足が悪くなって、晩年苦労したことがあり、それがトラウマになってか、行かないという。
それで、今日、一人で行ってきた、というワケ。

お袋と伯母を連れて行ったのは、メモを見ると1983年(昭和58年)9月18日だった。その時が最後。当時、子供は5歳と3歳だった。自宅から本当に近いのだが、それ以来行っていなかった。隣の多摩テックには、会社の行事があたので、何度も行ったが・・・
よって、実に34年ぶりなので、どこもまったく見覚えがない。ほとんど100%初めて行った感じ。

初めて京王の電車で行った。今までは、車だったので電車で行くのは初めて。高幡不動駅で乗り換えたが、学生が多い。そして多摩動物公園駅で降りたら、皆歩いて行く。地図で見たら、すぐ先に明星大学と中央大学のキャンパスがあった。モノレールは高いので、京王電車で通学しているのだろう。
まず入場券。65歳以上は300円だという。入る時に何か見せるのかと思ったら「口頭でよいので、誕生年を言って下さい」だって・・・
とにかく時間潰しの散歩。ゆっくりゆっくり回るぞ!①から最後まで見るぞ!
最初は、ツルから・・・。初めての動物は印象に残る。あんな長いクビが良く自由に動くな・・・。そしてインコは、羽を切っている為か、屋外に居るが飛ばない。

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ニホンザルの山ではたくさんの猿が日向ぼっこ。空には、横田基地へ向かうヘリコプターの編隊がうるさい。
圧巻は、「昆虫生態園チョウ・バッタ」だ。写真では分からないので、動画を(ここ)に置くが、目の前を無数のチョウが飛んでいる。顔にぶつかるほど・・・。出口には、体に蝶が付いていないかの注意文も・・・。暖房された広い庭園の蝶の飛翔は感激!
ライオンは、動物園の花形だが、あまりに遠く、面白くなかった。しかし、この辺りでいつもの限界か、アゴが出て来た。2千歩くらいで!でも、あまり無理をせずに、今日は半分にしておこうかな・・・なんて考えるだけ、老化のしるし。でも、マラソンと同じで、最初の苦しさをガマンすると、その後は、行け行けドンドンで、歩くのにそうツラクはなかった。

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たくさんのフラミンゴは、狭いオリの中に閉じ込められて気の毒。アフリカ象は、存在感が格別。しかし牙が折れていたりで、気の毒。
園内にお昼のチャイムが鳴る。12時だ。入る前にコンビニでサンドウィッチでも買っておけば良かったかな・・・と思っても、後の祭り。それが良くしたもので、直ぐ先にアフリカ売店。
覗くと、軽食がある。ハヤシライス650円也。ここで少々休息。

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ふと見ると、初老のおじいさんが、おばあさんの車椅子を押している。園内は坂が多い。車椅子では無理かも。もちろん平日なので、園内はガラガラ。幼稚園生の団体も居るが、若い女性が一人というのが目立った。もちろん若いカップルも多いが、子供連れの若夫婦や、ヤンママが何人かで連れ立っているのが多かった。初老夫婦も居たが、足の故障を考えると、やはり若者向け。
売店を後に歩き出すと、ディズニーランドのようなお城。ツタを見ると古そうだが、何か良く分からない。
キリンは頭数も多く、広い。すぐ近くまで寄ってくる。やはりデカイ。次のチンパンジーは、やはり実物を見ると、やはり人間の祖先だな。よく似ている。

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園内はコウノトリが多い。狭くて低い網の中で、飛ぶに飛べずに気の毒そう。それに引き替え、ワシのオリは広く高く、不公平。そして、コウノトリのエリアが多いのは、多摩が繁殖地に指定されているためだそうだ。
贅沢と言えば、コアラが一番贅沢。数匹のコアラの為に、立派な専用の建屋。

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オランウータンは、布をかぶって何を考える?ユキヒョウは精悍で格好良い。そして園内は、紅葉がキレイ・・・。

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そして動物の極めつけがトラ。ガラスのすぐ前を大きなトラが通る。その大きさに子どもたちも大騒ぎ。この大きさでは、彼の加藤清正でも無理では?そして、このアムールトラの生息地が、意外と狭いのにビックリ。

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そしてアジアゾウは、やはり穏やかそう。インドサイは、2頭の内の一頭が、血だらけのようで気になった。まさかケンカで負けた訳でも無かろうが・・・。そして最後の「モグラのいえ」が面白かった。部屋中にパイプが設置されており、ねぐらの各ガラスケースから、腹が減ったらパイプの中を歩いて、エサの部屋に行くのだとか。なかなかの企画。でも皆寝ていたが・・・
さて、オシマイで帰ろうかと歩いていると、何とクジャク?が道端を歩いている。「モシモシ、一人でかってにして良いの?」と聞いたが返事は無かった。

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園に入ってちょうど4時間の散策だった。しかし1~2頭の種が多く、確かに色々な動物は居るにはいたが、何となく寂しさが残った。
歩数を見ると1万3千歩。幸いにして、足は健在。しかし、やはりここは若い人向け。老人には、坂が多くて、歩きは大変。
17111625 しかし、自分的にはどうってことない歩きだった。途中でギブアップする事もなく、アゴも出なかった。まあ明日以降、足が痛くなるかも知れないが・・・

今日は、季節がちょうど良かった。午後に日が陰ってから少し寒くなったが、真夏や真冬はツライ。
しかし、このような広い場所の散策は、二人よりもむしろ一人の方が気が楽なのかも知れない。
久しぶりの、“ひとり旅”!?ではあった。

171116meni <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月13日 (月)

年賀状の止めどき・・・

ポストに、喪中はがきが入る季節になった。「95歳で永眠」などの文面を見ると、「良かったね」といった気分になる。
まだ11月中旬なので、ずいぶん早いな、と思ったが、Netでググると、「先方が年賀状の準備を始める前、10月下旬~12月中旬に投函します。」とある。もうそんな季節なのだ。

今日、年賀状の辞退のハガキが舞い込んだ。元の会社の先輩からである。曰く・・・
「拝啓
朝夕めっきり冷え込む季節となりましたが、元気でお過ごしのことと思います。
さて小生今年から年始のご挨拶を控えさせて頂くことにいたしました。
長い間ご厚情を賜り有難うございました。
誠に勝手ではございますがこれからも変わらぬお付き合いをお願い致します。
今後もご健勝でお過ごしになるよう心から祈念しております。
向寒のみぎり、くれぐれもご自愛ください。
                              敬具」

ちょうど1年前に、「「年賀状」もそろそろ卒業?」(ここ)という記事を書いた。
カミさんも、今年から同じく賀状辞退活動をするそうで、文面を検討中だ。
カミさんは、「古希なので」とかいう“言い訳”が無いので困った。と言っていたが、今日の文面を見ると、別に言い訳はいらないらしく、ストレート。

171113gajyou 年賀状の発行枚数を見てみると、ピークの6割ほどとは言え、1970年代規模。まだまだ多い。
しかし、年賀状の辞退宣言は、昔は無かったような気がする。返信を出さないと、自然に消滅・・・が普通。
それが、今の世の中は、ちゃんと宣言することが流行っているようだ。これは、たぶん誰かが始めたら、それを受けた人が「これは良い」と真似て、まさに「幸福の手紙」のごとく広まったような気がするが、本当のところは分からない。

ググると、辞退宣言について、「週刊朝日」にこんな記事があったらしい。
「 日本マナー・プロトコール協会の明石伸子理事長もこう話す。
「年賀状をやめるのは、マナー違反には当たりません。出すも出さないもその方の自由です」
 ただ、何も伝えず急にやめると、具合でも悪いのだろうかと相手に心配させる懸念があると言う。
「今年書く年賀状の末尾に一言、次の年から出さないという旨を添えるのがよいでしょう。とはいえ『年賀状だけの付き合いなのでやめたい』『虚礼を廃止しましょう』と“本音”を書くのはNG。相手に不快な思いを抱かせない表現を心掛けましょう」(明石氏)
 ふむふむ。でも、うまい言い方を考えるのは意外に難しい。そこで、具体的な例文とポイントを前出の中川氏に教えてもらった。
 年賀状辞退のあいさつで大切なことは三つ。【1】すべての人に対しやめる旨を明記する【2】辞退する理由は、年齢など当たり障りのないものにする【3】これが絶交ではないことを伝える──ことだ。
「『あなた一人だけやめます』としては印象が悪い。事実とは違っても『みんなにそうしていますよ』と伝えましょう。また、本当は大病を患ったなど重大な理由があったとしても、正直に書くと相手が心配し、お見舞いをしなくてはと気を使わせてしまいます。年齢による体力の不足など、差し障りのないものがよいですね」(中川氏)
 つまり、「この数年頓(とみ)に視力が弱まり年賀状の準備が困難になって参りました」「体力の衰えを痛感し年末を悠々と過ごしたく決意いたしました」など、相手が状況を察せられるようなものがおすすめだ。親しい人なら顔写真を入れて健在を示し、安心させるのもよいだろう。※週刊朝日 2015年11月20日号より抜粋」(
ここより)

まあ、礼を尽くすと、ここまで考慮する必要があるらしい・・・

カミさんが言う。「頼まれ仲人の人など、もう良いのでは? 相手も迷惑しているだろうから・・・」。確かに・・・。
逆に、自分が仲人して貰った人は、こちらからは毎年出していたが、2年続けて来なかったので、来年から止めた。こんな関係も、そろそろ卒業で良いのかも・・・ね。

そして、なかなか割り切れないのが親戚。叔父・叔母の時も、家族葬で葬儀に呼ばれない時代になり(自分もお袋の時に、親戚を呼ばなかった)、特に従兄弟での付き合いが無いと、「賀状だけの付き合いをどうする?」ということになる。しかし、これだけは続けようと思う。つまり「生きてま~す」情報のために・・・・。
学生時代や会社時代の関係は、亡くなったという情報も、風の便りで良いが、なぜか親戚だけは、その情報は欲しいと思う。

171113nenga 話は飛ぶが、年賀状についてググっていたら、こんな文面が見つかった。1994年の賀状だという。そう、当時はこんな趣向を凝らした?賀状もあった。
しかし、もうそんな気力?もないし、家の状況を賀状で知らせる相手も居ない。まあ寂しいと言えばそうだが、歳を取ると全てが断捨離の時期。
家の中の断捨離もそうだが、人間関係の断捨離も、そろそろ考えて行かないといけない古希世代ではある。

●メモ:カウント~1090万

171113hole <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月10日 (金)

もしも隕石落下 数百キロずれていたら…恐竜、今も君臨!?

今日の毎日新聞に、こんな記事があった。
隕石落下 数百キロずれていたら…恐竜、今も君臨!? 上空のすす少量、気温下がらず
 東北大などは9日、6600万年前に地球に落ちた巨大隕石(いんせき)の衝突地点が、実際よりもし数百キロずれていれば、恐竜は絶滅せずに現在も繁栄していた可能性があるとする分析結果を英科学誌サイエンティフィックリポーツに発表した。
171110kyouryuu  巨大隕石(直径約10キロ)は、6600万年前にメキシコ・ユカタン半島付近に衝突した。恐竜は約2億2000万年前から繁栄を誇っていたが、衝突で地中から放出されたすすや硫酸塩の粒が太陽光を遮り、地球が急激に寒冷化したことによって滅んだ。この時、恐竜とともに翼竜類やアンモナイトなど75%以上の生き物が絶滅したとされる。
 すすは、地中の有機物が燃えて発生する。海保邦夫・東北大教授(地球化学)らは、隕石衝突で発生したすすについて、気象庁のスーパーコンピューターで解析した結果、230~2300テラグラム(テラは1兆倍)の量が高度1万メートル以上の成層圏を覆うと、地球の平均気温が8~11度下がり、恐竜が死滅すると試算した。
 さらに、これだけのすすを放出する可能性がある地層が世界にどの程度あるか分析したところ、実際の落下地点を含めて地球の13%しかなかったことを割り出した。
 逆に、残る87%のエリアでは直径約10キロの隕石が落ちても恐竜の絶滅は起こらないと考えられるという。その場合は恐竜が現在も繁栄を続けていたと考えられ、今の地球の歴史が変わっていた可能性がある。【阿部周一】

171110inseki 巨大隕石が衝突すると、すすが大量放出される可能性がある世界のエリア(網掛け部分)。6600万年前の隕石は網掛け部分の★印に衝突。発生したすすで気温が下がり、恐竜が絶滅した=海保邦夫・東北大教授提供」(2017/11/10付「毎日新聞」(ここ)より

「歴史に“もし”はない」と言われるが、この“もし”があったら、何と楽しいか・・・?
いや何と怖ろしいか・・・

上の記事によると、恐竜は約2億2000万年前から繁栄し、6600万年前の隕石落下により絶滅したという。
171110hito 改めて、ヒトの誕生を確認すると、霊長類がゴリラと別れたのが1000万年前。そしてチンパンジーと別れたのが490万年前だという。
要は、恐竜の2億年の歴史と、ヒトの500万年の歴史との圧倒的な差・・・。ヒトは恐竜の、たった2.5%の時間しか生きていない。
恐竜は地球に君臨していたのだ。そしてヒトは地球の新参者。ヒトの「出アフリカ」は、180万年前らしい。
171110africa たまたま時代的に両者が出会うことはなかったが、もし同じ世界に生きていたら、果たしてヒトは生き延びられたのかどうか・・・
マンモスは約400万年前から1万年前頃に生息していたというので、ヒトとマ171110syutuahurika ンモスの戦いはあったのだろう。しかし、マンモスは20トンもあるというが、恐竜(プエルタサウルス)は全長30~40m、体重60~80トンというから、桁違い。肉食恐竜も、10m以上。
まさに映画「ジュラシックパーク」の世界だが、島に閉じ込めていない状態で、ヒトと一緒だったらどうなるのか・・・。想像するだけで楽しい!?
たぶんヒトが絶滅されていた??

そんなドラマのような地球の姿の確率が、「隕石の衝突地点が、実際よりもし数百キロずれていれば、恐竜は絶滅せずに現在も繁栄していた可能性がある」というので面白い。
しかも、地球の「87%のエリアでは直径約10キロの隕石が落ちても恐竜の絶滅は起こらない」というのだ。
まさに偶然が重なって今の地球がある。

もっとも、そんなに驚く事もないか・・・・。そもそも地球の存在自体が、水が存在できる奇蹟によるものなので・・・。そんな地球も、あまり大切にされていない・・・。

全てが偶然、と捉えると、今後何があっても、偶然としか思えなくなる。
たとえ、不治の病を宣告されたとしても・・・!?

171110toto <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月 8日 (水)

昭和51年の出来事(29歳)~研ナオコの「愚図」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの30回目。3年半ぶりの再開である。例のごとく、自分が28歳から29歳、つまりサラリーマン7年目になった昭和51年(1976年)の出来事を調べてみる。

この年は、1月に宅急便が始まった。2月にはロッキード事件の捜査が始まり7月には田中S56 角栄前首相逮捕。5月は、植村直己が北極圏単独犬ゾリ横断を達成。7月は第21回オリンピック・モントリオール大会。そして7月にはピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューして大騒ぎが始まった。9月には日本ビクターがVHSビデオを発表。家庭用ビデオの到来である。政治では、三木内閣が退陣し、福田越夫内閣が成立。

そして歌だが、レコードの売上枚数から見たベスト10は、「およげ!たいやきくん(子門真人)」「ビューティフル・サンデー(ダニエル・ブーン)」「北の宿から(都はるみ)」「木綿のハンカチーフ(太田裕美)」「岸壁の母(二葉百合子)」「俺たちの旅(中村雅俊)」「あなただけを(あおい輝彦)」「横須賀ストーリー(山口百恵)」「わかって下さい(因幡晃)」「あの日にかえりたい(荒井由実)」の順だという。
今日取り上げる歌は、本当はこの中から選びたいが、何かしっくり来ない。それで、レコード売上の順位は低いが、研ナオコの「愚図」を取り上げたみたい。

<研ナオコの「愚図」>

「愚図」
  作曲:宇崎竜童
  作詞:阿木燿子

あの娘があんたを 好きだって
こっそりあたしに 打ち明けたとき
友達だもの まかせときなよなんて
心にもないこと 云っちまった
あの娘はまつ毛が 自慢の娘で
まばたきしながら 人を見るのさ
比べてみたって 仕方がないよなんて
独りで勝手に 決めていたっけ
あたしって本当に 愚図なお人好し

あの娘にあんたを 逢わせたのは
あんたと行きたかった コーヒーショップ
仲良くしてよ いい娘だからなんて
ふたりを笑わせて ばかりいたっけ
あの娘は精一杯 おめかしをして
あたしは色のあせた ジーパン姿
ひとりでやたら しゃべってばかりいたから
目の前のコーヒーも さめてしまった
あたしって本当に 愚図なおせっかい

早く独りに なりたかったよ
そして何処かで 泣きたかった
急に重たい 心の中に
ふたりの笑い声 遠くに聞こえた
喉まで出かかった 言葉だけれど
云わずに先に 帰って来たのさ
本当はあんたが 好きだなんて
今更云える訳 ないじゃないの
あたしって本当に 愚図なおばかさん

この歌は自分的には記念碑的な歌!? つまり、歌詞の内容をほとんど気にせずに歌を聞く自分にとって、この歌だけは歌詞の内容を意識しながら聞いた歌だった。
この歌は、あまり美人が歌うと合わない(失礼!)だ。
それと、この歌は中島みゆきの歌かと思っていたら、宇崎竜童/阿木燿子のコンビの歌だって・・・

この歌を、佳苗(かなえ)という歌手の歌でも聞いてみよう。

<佳苗の「愚図」>

当サイトの歌の傾向からいうと、非常に異質な編曲の歌である。そもそも自分はオリジナル派であり、あまりにもオリジナルとかけ離れた編曲は好かない。しかし、なぜかこの歌は自分にフィットした。我ながら、何とも珍しい。

さて、話を昭和51年に戻すと、個人的には自分が結婚した年である。少しメモしておく。
1976年4月24日にお袋から、ある親戚?から見合いの話が来たとの電話を受ける。28日に写真と釣書が送られてきて、翌日にこちらの写真を送り、5月8日に親戚から会社に電話が掛かってきて、見合いの日取りを約束。そして5月23日にお見合い。まあ喫茶店で会って、市内をブラブラしただけ。昼食に釜飯屋に入ったが、こっちは緊張でほとんど食べられなかったが、相手は完食。負けた・・・
5月25日に付き合いOKの連絡が来て、5月29日に初デート。ホテル・ニュー・オータニの回転レストランで夕食。そして翌週の6月6日の鎌倉での2度目のデートで、婚約。6月13日に、11月23日の式場(赤坂・麹町会館)を予約。(つまり、“食い物”で“釣った”ことが分かる!)
茨城の実家に連れて行ったのが、7月18日だった。その時に会った祖母が「もういつ死んでも良い歳なので・・・」といった事を言っていたのを、いまだに覚えている。
その5日後の7月23日に、祖母は脳溢血で亡くなった。82歳だった。
仕事も、この年に分野が大きく変わり、後から考えると、公私ともに人生の最大の変曲点だった年。つまり、仕事のこの年の変化を乗り越えたので、その後のサラリーマン生活があった、とも言える。
今思い出しても、この年は大変だった。

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171108danna <付録>「ボケて(bokete)」より

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2017年11月 6日 (月)

オンガネの「麻辣(マーラー)ラーメン」

今日はラーメンの話。
ラーメンについては、前に「「今食べたいインスタントラーメン」ベスト10」(ここ)という記事を書いた。その時に書いた、自分が懐かしかった「ニュータッチのチャーシューメン」も、「クリエイト」で売っていることが分かった。
171106malaramen カミさんが最近凝っているのが、オンガネジャパンという会社が売っている「アジア麺旅行 麻辣ラーメン」(ここ)というもの。食べてみて、なかなかどうしてホンモノの味。辛いが・・・

カミさんは、以前ためしに買って気に入った、カゴメの「完熟トマト鍋スープ」(ここ)の後に作る雑炊がおいしいと言っていたが、このラーメンも、残りの汁を雑炊にすると、それにも匹敵するおいしさだという。(自分はもちろん食べないが・・・)
それで、このラーメンも買い足そうと「カルディコーヒーファーム」という店に買いに行ったら、品切れでいつ入るか分からないとのこと。
仕方がないので、通販で探そうとNetで検索するが、なかなか出て来ない。唯一見つかったAmazonでは、何と1個“669円”。100円少しのラーメンが!!
これは、廃止品で、プレミアが付いているな。と判断せざるを得ない。せっかく気に入ったのに残念。でも、「カルディ」以外でも扱っている店があるかも知れないので、前に「ニュータッチのチャーシューメン」の時に、メーカーに電話で問合せたところ、売っている店を調べて教えて貰った事があるので、今回も図々しく、ラーメンの袋に書いてあった問合せ番号に電話で聞いてみることにした。

その結果、扱っている店は、やはり東京では「カルディ」。その他だと、スーパー「ライフ」だが、全店で扱っているかどうかは分からないとのこと。残念ながら、ライフは家の近くには無い。
「カルディ」では入荷が分からないと言っていると言うと、店に頼んで取り寄せてもらえば?とのこと。そして、これは通販などには流していないので、Amazonで高いのは、廃止などで高くなったのではなく、転売品なのだろうとのこと。
なるほど・・・。それでカルディに電話で、取り寄せ可能かを問い合わせてみた。
「センターに聞いてみる」とのことで、しばらくして返ってきた回答は、「入荷の見込みはない」との回答。つまり、もうカルディでは、売る計画はない。という事らしい。

今回は“挫折”だが、少しだけ勉強になった。色々なところで買った珍しい食品を、また買おうと思っても、どこで買ったか忘れた、ということは多い。その時は、メーカーに電話で聞くと、どの会社も納入先のリストから、家の近くの扱い店を教えてくれる。
でも、今回のケースのように、行き詰まることもある。しかし、もし関東でカルディとライフのふたつしか販売チャンネルが無いとすると、メーカーも大変?
まあ、鹿児島県の会社の製造で、山口県の会社の販売なので、関東ではそう売れていないのかも知れない。
面白い物を売っている「カルディ」だが、単発なのが残念。つまりこのラーメンも、関東ではメジャーになりきれなかったと見える。あっと言う間に売り切れていたら、在庫を切らせることも無かっただろうに・・・
それにしても、珍しいものを買うのが好きな我が家の西太后ではある。

171106chuusya <付録>「ボケて(bokete)」より

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