2014年7月26日 (土)

ロシアの歌「ブッフェンワルドの警鐘」

連日、イスラエル・ガザ地区の戦闘の惨劇がニュースで流れている。そうなのだ。今でも戦争は起こっている・・・。
この所、オープンデッキを手に入れたことから、50年前のテープを再生して喜んでいる。高校生の頃、録音した音が再生出来るので、楽しい。音質は別にして、当時の色々な事が思い出される。その中で、「ブッフェンワルドの警鐘(Alarm bell of Buchenwald)」という歌を見付けた。これは大学時代(昭和40年代前半)に録音したもの。テープは完全にワカメ状なので、音は最悪だが・・・。

<ロシアの歌「ブッヘンワルドの警鐘」>

ブッヘンワルドの警鐘」
  作詞:ソボレーワ
  作曲:ムラヂェリ
  訳詩:関 鑑子

世界の友よ いざ起て
聞けよ 響くあの鐘の音
響き渡る ブッヘンワルド
鐘の音の その響き
地上を泳ぎまわり
たいきは呻きに波立つ
世界の友よ 今こそ
我が手に平和を 今こそ起て
今こそ 今こそ 起ち上がれ
今こそ 今こそ 起ち上がれ

百万人が 焼かれた
生きて焼かれた 犠牲者の
インタナショナルな 隊列
口ぐちに 口ぐちに
吹雪のような響き
烈風のようなうなり
疾風(はやて)のような 原子に
取り巻かれ 太平洋
うめくは うめくは 太平洋
うめくは うめくは 太平洋

世界の友よ いざ起て
聞けよ 響くあの鐘の音
響き渡る ブッヘンワルド
鐘の音の その響き
地上を泳ぎまわり
たいきは呻きに波立つ
世界の友よ 今こそ
平和を つかみ取れ
今こそ 今こそ 起ち上がれ
今こそ 我が手に永遠の平和

Netで検索すると、一つだっけヒットした。仙台ロシア合唱団というサイトだ(ここ)。
このサイトの解説によると、
「ブッヘンワルドは「ブナの森」という意味だそうです。
アウシュビッツに続く収容所が、ドイツのワイマールの近くにあります。ここでも沢山の人々が虐殺されました。
この曲は、太平洋上に再び戦争の暗雲が立ちこめた時、ブッヘンワルドで殺された人々の亡霊が警鐘を鳴らすという内容の歌だそうです。」
とある。

このサイトにあるYoutubeの合唱が圧巻(ここ)。平和の祈り、誓い、が伝わって来る。

wikiによると、ナチスの強制収容所についてこうある。
「1937年にはヴァイマルの郊外にブーヘンヴァルト強制収容所が置かれた。ダッハウとザクセンハウゼンとブーヘンヴァルトの3つはそれぞれ南ドイツ・北ドイツ・中央ドイツに位置したことから、三大収容所としてドイツ国内の強制収容所の中心的な存在となった。」

「ブーヘンヴァルト強制収容所(Konzentrationslager Buchenwald)は、ナチス・ドイツがテュ140726buchenwaldam24april1945 ーリンゲン地方エッテルベルク(de:Ettersberg)の森の丘の麓に設置したブナの木の名を持つ強制収容所。ヴァイマル市のやや北西7キロメートルほどの位置にあった。1937年7月に設置されてから1945年4月のアメリカ軍による解放を迎えるまでの間にブーヘンヴァルトには総計で23万3800人の人間が囚人として送られ、そのうち5万5000人以上の人間がここで死亡したと見られている。「ブッヘンヴァルト」「ブッヒェンヴァルト」とも表記される。」

たぶんこの歌を録音したのは、自分が大学2年の1967年(昭和42年)だと思う。まだまだ学生運動が盛んで、学内が騒然としていた。目標はただ一つ、「平和」。戦争の傷跡がまだまだ残り、世界も米ソの冷戦から、安定していなかった。
平和を求める学生の活動は盛んで、色々な活動、討議が行われていた。このような歌も、そんな活動の中から歌われていたのだろう。
しかし、それから半世紀を経た今、こんな歌は忘れ去られ、戦争を知らない世代の政治家たちが、日本を再び戦争へと駆り立てている。しかし、今の学生はスマホに熱中・・・

こんな歌を、「日本に再び戦争の暗雲が立ちこめた時、ブッヘンワルドで殺された人々の亡霊が警鐘を鳴らしている」と捉えて聞いたらどうだろう・・・。

まさか、こんな懐かしい歌が、現実にこれから起こるかも知れない“日本の戦争”とダブルとは、想像だにしていなかった・・・

最後に、本家ロシア語による歌を聞きながら、安倍政権が目指す悪夢のような日本の戦争への道が霧散することを祈ろう。

<ロシア語の「ブッヘンワルドの警鐘」>

140726inu <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (0)

2014年7月25日 (金)

歌代房江著「こんな夜はハグしてほしい」を読んで

この本は、ある普通の主婦が、海外旅行先での突然の事故により半年に亘る闘病生活を余儀なくされ、それを機に、それまで自分を支えてくれた多くの友人、家族、そして自分の人生に思いを馳せ、その感謝の念を綴った「感謝の書」であるような気がする。

ひょんなことから、歌代房江著「こんな夜はハグしてほしい」という本を読んだ。実は最初、抵抗があった。本の題に・・・。
そもそも「ハグ(Hug)」って何だ? カミさんに聞いたら「抱き合う」ことだという・・・。

でも、それにも拘わらず、読後直ぐに2回目を読み始めた。これは自分としては非常に珍し140725hug い・・・。つまりこの本は、本文のあちこちに著者の短歌・俳句がちりばめられていて、それが全体の流れを締めている。しかし自分はどうもそれらが苦手。よってほとんど短歌を“味わう”こともなく、最後まで一気に読んでしまった。しかし読み終わってみて、短歌を読み飛ばしたことを「惜しい」と思った。それで、最初から今度はマジメに短歌も味わいながら(?)、読み直した、というわけ・・・。

この本は、著者が2009年6月に、ベルリン、ブリュッセルの旅行中にホテルの入り口の泥落としマットにつまずいて転倒し、股関節を骨折。現地での手術と、帰国後の4か月半に亘る入院生活の色々なエピソードを通して、軽妙なタッチで自分の人生を語っている。そこには何のてらいもなく、飾らない文体が良い。

朝日新聞にも紹介されたというこの本について、Amazonにはこんな紹介がある。
「作者の人柄がにじみ出ていて、軽快なテンポで読める闘病エッセイ。そこにはユーモア、涙、感動の人間味あふれる内容が綴られている。股関節骨折という重傷を負い、再手術に次ぎ、リハビリの苦行に耐えながらも、エッセイの種は豊富でとどまるところを知らない。誰の人生も簡単ではないことをしみじみ感じさせ、爽やかな感興を呼び起こし、希望を灯してくれる力がこの作品にはある。」(ここより)

読み終わって、まず感じたのが著者の暖かなまなざし。それに、売るために書いていないせいか(?)、何と自然体・・・。
しかし、語られる人生は、決して安穏なものではない。高校生の頃からの持病の変形性関節炎。そして外国で、障害を持って生まれて直ぐに死んだ長女。そして、50歳での乳がん手術・・・。それについて本文にこんな記述があり、読んでいて心が痛む。
「乳がんの手術を待っている時のことを今でも思い出す。これからはどんなに小さな体の不調もがんの再発? 転移? と恐れなければならないのかという不安。常に頭の上に暗雲が垂れ込めているような鬱陶しさ。それでなくても私は悲観論者なのだ。(P101より)」
自分は幸いにも体験していないが、ガンを宣告された人は、誰もがまさにこのような心境なのだろう。

そして、「病院はあの世とこの世の間にある異空間(P100より)」で、こんなことを想う・・・。
「人はみな人なくしては生きられず人を恋して人を待つのみ(P42より)」
この歌は、自分がこの本を読んで、一番心に残った歌である。
そして帰国後の「診断名は左大腿骨頸部内側骨折後の偽関節。・・・十月一日に左全人工股関節置換手術を受けた。(P21より)」

何よりも、著者はプロの作家ではない。還暦をとうに過ぎた普通の主婦。もっとも短歌は朝日新聞の「朝日歌壇」によく載っているらしいが・・・
そんな著者が投稿を始めたのは・・・
「五十代も半ばを越えた頃から、感じたことは何らかの形で発信しようと思うようになった。黙っていては伝わらない。・・・でも夫の定年退職後は、私個人の生き方をしたい、感じたことは溜めないで発信しようと、考えるようになった。俳句や短歌の投稿を始めたのもその頃だ。(P127より)」という。それがこの本に結実する・・・。

小説と違ってエッセイ集なので、ストーリー性は無いが、事故からリハビリを終えての退院までを、時間を追いながら、そして時々のエピソードから自身の思い出をちりばめながら、一気に読ませる。
家族のこと、親兄弟のこと、夫婦げんかなど、色々な話が出てくるが、これらはどの家庭にもあること。しかしこのように1冊の本にまとめられると、そこにデンと存在感のある家族(関係)が屹立する。
ふと前に、同じような短歌の闘病記を読んだな・・・と思ったら、歌人の河野裕子・永田和宏夫妻の本であった。それは河野裕子さんがガンで亡くなった時のことをまとめた本・・・。(ここここ)(~著者が入院中、朝日歌壇で永田和宏氏選の1席だったのも不思議な縁・・・。P103より)
この本も、それと同じように、闘病記であると共に家族の記録・・・。同じく、闘病を機に人生を見つめ直している・・・

キッカケが、旅行中の事故であるだけに、こんなことも書いている。
「しかしこれだけは言える。旅行保険は必須だ。人っていてつくづくよかった。まさしく不幸中の幸い。教訓中の教訓と言っていいだろう。ちなみに私が入っていたカード付帯の海外旅行保険は被保険者への補償が三百万円、介護者の費用が二百万円。結果的に保険でかなりの医療費をカバーできた。(p19より)」
おっと、自分はこんなことにあまり気を遣っていなかったっけ・・・。今頃、ゾッ!!

でも何よりも、素人が本を出してしまうことに衝撃を受けた。半年の闘病記など、書く気になれば、数ページで終わってしまうが、筆者は、闘病という非日常生活から、それまでの人生を振り返り、それを文字でピンに止めた。
カミさんも前に入院した時は、得意のイラストで記録したと言っていたが、誰も、自分の得意な手段で記憶を留めるものらしい。

誰でも小説を1冊は書けるとよく言われる。それは自分の人生を書くこと。

前に「関東大震災から90年~祖母の震災体験記」(ここ)という記事を書いた。
祖母は趣味で長い間、短歌をやっており、喜寿の記念にそれを1冊にまとめて家族に配った。その「筧(かけい)」という歌集がいまでも我が家の本棚に残っている。
この本も売るために作った本ではない。でも祖母自身の長い歌人生活を一冊の本にまとめたことで、結果として自分のような後世(孫世代)に対して、自分(祖母)が、そして家族がこの世に存在した、という証になっている。
そんな意味で、自分や家族の歴史をこのように1冊にまとめて残すことは意味があるように思った。例え、それが不幸な事件がキッカケとなったにせよ、またその本を家族以外の一般の人が読まないにせよ・・・

それ以外で気になった部分をメモしておく。
「長男は小学校時分よく風邪を引いて、月に一度くらい熱を出していた。ある時心細く一人で看病していた私(当時私も若かった)、夫が帰宅して玄関のドアを開けた瞬間に、「お父さん、また熱を出して……」と切り出してしまった。夫から返ってきた応え。「家の中が暗い!」(P108より)」
「家の中が暗い!」という言葉はインパクトがある。自分も同じような体験がある。小学校低学年の頃、家は埼玉の与野にあった。茨城に単身赴任していた親父が週末に帰ってきた時、自分が病気で寝ていると、決まって怒った。お袋に、「お前の管理が悪い!」と・・・。だから病気をして寝ていることが怖かった。まあ病気の時にお袋が作ってくれたリンゴのすりおろしの味は今でも忘れないが・・・

そして自分に続いて読んだカミさんも、自分も膝関節症の患者だけに、歩くのが怖い、という言葉には共感したという。そして「病人が出ると戦争」もその通りだという。
その(歌人の河野裕子さんの)書簡集の中に、「一家の中に病人が出ると、戦争が起こりますね」と言う一節があった。真理だ。規模は違うが、我が家にもあった。(P106より)」
我が家でも、長男が1歳半の時にかかった病気で、長く大変だったが、家族に病人が出ると雰囲気が一変するのはよくあること。それは、家族に対する「覚悟」が足りない証なのかも・・・!?

そして、カミさんが「これは確か!」だと言っていた・・・。
「入院中は神経が鋭敏になっていたせいか、(略)……とにかくよく泣いた。今思うと、泣けてよかったとも思う。泣くということはカタルシスに通じる。カタルシスはギリシア語で【浄化、排泄】の意味らしい。なるほど、涙を流すのは一種の排泄なのだろう。涙で悲しみを洗い流すのだ。これからも素直に泣ける自分でいたい。涙もろいのは、年のせいだと言わないでほしい。(P30より)」

この本には、飼っている犬や猫のこと、そして趣味の映画の話もたくさん出てくるが、それらについては省略。それと、全体的にご主人の話がもう少しあっても良かったかな・・・とも思う。同じ立場として応援したいものの、まあベテラン夫婦の亭主の存在なんて、我が家も含めてそんなものか・・・

そしてこの本のキーワードは下記かも・・・
「今回の入院中、手術後の脱臼が怖くてたまらず、その他感染の危険性や脚の使い方などの制約で頭がいっぱいになってしまう夜が何度もあった。がんの再発、転移の恐怖、リンパ腺切除による腕のむくみを恐れる気持ち、左膝の不調とあいまって、なんて不自由な体になってしまったんだろうと、落ちるところまで落ち込んだ。泣くしかない。泣くしかなかったそんな夜……。誰でもいい、今すぐ私のところに来て、ハグしてほしいと願った。言葉は要らない。温かいハグがただほしかった。

こんな夜はハグしてほしい日本にはない温かなハグの習慣 (P102より)」

引用が多く、長文になってしまった。
でも読み終わってみると、「人生にはどんなことも起こり得る」ゆえに、本の題の「こんな夜はハグしてほしい」の意味が良く分かった。そこには弱さをさらけ出した素直な姿がある・・・
自分も将来病気などで心が弱った時、「ハグして欲しい」と言ったら、カミさんはハグしてくれるだろうか・・・。

●メモ:カウント~610万

140725neko <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (3)

2014年7月24日 (木)

伊藤久男とダークダックスの啄木「東海の」

自分の音楽探しの歴史は古いが、この歌もなかなか楽曲(音源)に巡り会わない一曲だ。石川啄木の「東海の・・・」に曲を付けた歌である。
この歌を一度だけ聞いたのが、昭和40年頃(1965年~高校3年)のこと。ラジオで伊藤久男の特集番組があり、当時持っていた松下製の1万円のテープレコーダー(ここ)に録音した。
そのテープはまだ持っていたが、再生するテープレコーダーが無い。何せ、テープスピードは4.8cmなのだ。それで先日、再生可能な中古品を安く手に入れた。それで、半世紀ぶりに再生したのがこの音源。昭和39~40年頃に、真空管式ラジオのスピーカーにマイクを押し付けて、4.8センチで録音した音源なので、当サイトで最も音が悪いが、“歴史的音源”ということでご容赦を・・・。

<伊藤久男の「東海の」>

石川啄木『一握の砂』より
 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる

この歌の作曲者はたぶん古関裕而だと思う。しかし証拠がない。でもたぶん伊藤久男とのコンビなので、古関裕而だな・・・

同じく、昭和41年(1966年)の日付のあるテープで、同じ曲名の歌を録音していた。こちらはたぶんダークダックスだろう。

<ダークダックスの「東海の」>

こちらの作曲者は不明だ。

JASRACのデータベースを検索すると、啄木のこの歌に作曲した作品としては、8人の作曲者の作品が登録されている。「千葉毅、中村太郎、田中雅明、石河清、大西進、鶴澤清介、古関裕而、近藤昇」の方々だ。しかしNetを検索しても、それ以上の情報は得られない。
上の伊藤久男の歌は、古関裕而だと思うのだが、「古関裕而記念館」の作曲一覧(ここ)のリストにも載っていない。

半世紀前の高校時代にそれぞれ1度だけ聞いて頭に残った旋律・・・。この歌のホンモノの音源がいつか見つかることを期待して、ここに挙げておく。

140724artist <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (0)

2014年7月22日 (火)

2年ぶりのコーヒーショップ

今日は1時間早い出勤だったので、1時間早く退社した。それで時間があったので、乗換駅でつい降りて、前に毎朝通ったコーショップに寄ってみた。
実は自分は、2年弱前から、重役出勤、つまり10時出勤なのだ(ここ)。会社まで朝は1時間半ほどかかるが、それでも楽・・・。
しかし(火)だけは定例会議のため、1時間早く出勤している。それで帰りも1時間早いというわけ・・・

重役出勤の前は、毎朝乗換駅で途中下車し、駅前のコーヒーショップで軽い朝食を摂るのが日課だった。その店に、1年9ヶ月ぶりに行ってみた。店構えは同じだが、中に入ると様子が変わっている。いつも座っていた2階に上がると、店内の配置が変わっており、喫煙室が密室になっている。昔は単に間仕切りがあっただけなので、煙が回っていた。それだけ喫煙に対する状況が厳しくなっているのだろう。
夕方に入ったのは初めてだが、店内はいっぱい。学生が多い。一人用の席も多い。とりあえず、店の隅に席を取った。そしていつも飲んでいたコーヒー・・・。
でも何か落ち着かない・・・。皆本を読んだりしているが、自分だけはそそくさと席を立った。帰りにトイレに入ると、ここも改装してあって、立派。

話は変わるが、NHKラジオ深夜便「ワールドネットワーク」でイギリス・コルチェスターからのレポート(2014/07/17放送)でこんな話をしていた。
イギリスも高齢化社会になってきて、2037年までに80歳以上の人が600万人、人口の1割に達するという。それに向かっての研究の中で、高齢者自身の意見として、現在ではほとんど見られない街中での公衆トイレの増設や、町の商店に協力を求めて、高齢者がちょっとトイレを借りられる制度を作って欲しい、というのが出ているそうだ。
そのイギリスからの話に対し、相槌を打つアナウンサーがさも自慢げに「日本ではコンビニにトイレを併設する所が多くて、先日も利用させて貰って助かった。コンビニは色々な所にあるので、日本では既に実現されている」と・・・
確かに、こんなコーヒーショップに寄らなくても、立派なトイレは街中のコンビニにある。いやはや便利になったものだ。

おっとコーヒーショップのトイレの話から、話が脱線してしまった。
ともあれ、昔の行き付けの店に久しぶりに行ってみると、その変化に、年月の過ぎ去るのが早いことを感じる。
とにかく時間が経つのが早過ぎる。何とかならないものか・・・
たった2年だが、妙に時間の経過を感じてしまったほろ苦い今日の1杯のコーヒーではあった。

140722mac <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (0)

2014年7月21日 (月)

「海はどうして出来たのか」藤岡換太郎著~Uさんの読書ノート

昔の会社の先輩だったUさんが送ってくれる「読書ノート」。正直、いつも難しいのだが、今回は良かった。科学なので・・・
Uさんのメールにこうある。
「毎日暑いですね。お元気でお過ごしの事と存じます。今回の本の紹介は「海はどうして出来たのか」藤岡換太郎著である。夏と言いうと何と言っても「海」である。お孫さんに「おじいちゃん、海はどうして出来たの?」と尋ねられたら、各位はどのように答えますか?
また、もう一つの視点は日本の将来に明るい希望が見えない中で、唯一の希望が「海」である。日本列島は周りを海に取り囲まれている。しかも幸か不幸か火山帯海溝が多くある。レアーメタル等の鉱物資源の埋蔵が期待できる。海をチョット調べて見ようではないか。」

★「海はどうして出来たのか」藤岡換太郎著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

地球の46億年の時間軸を1年に例えた地球カレンダー。その表現で少し抜粋してみると・・・
・「2月25日」に誕生した生命は、「3月29日」に簡単なバクテリアに進化し、更に「5月31日」になると光合成をする生物であるシアノバクテリアが生まれる。
・酸素が発生したのは、およそ27億年前、地球カレンダーで言えば「5月31日」。それは海の中で「生命」によって作られた。地球上の酸素は全て植物の光合成が賄っている。
・約4億万年前に節足動物が陸上に現れる。そして海には魚類が出現し、その後魚類から両生類が派生した。
・6550万年前、地球カレダーで「12月26日」、現在のメキシコ・ユカタン半島に直径10㎞の巨大な隕石が地球に衝突した。これによって巨大地震と巨大津波が発生し、衝突による火災で陸は火の海と化し、ほとんどの植物は燃えて煤が発生し、それによって太陽光が遮られて、地球は急激に温度が下がって2億年に亘って繁栄して来た恐竜が絶滅する。
・地球カレンダーの大晦日「12月31日、午後11時37分」、遂に地球上にホモサピエンスが登場する。そして「残り2秒」でイギリスに於いて産業革命が始まる。「残り1秒」で21世紀が始まったのである。

そしてこれからの地球は・・・
・海はこれからも永久にこのままの姿であり続けるのか?これまでの地球史の中で海が消滅したという記録は残って居ない。しかし海はやがてなくなると考えている人達がいる。海の水が全て地球の内部に持ち運ばれてしまい、地球の表層に水が無くなってしまうというシナリオである。
・今から約10億年後にその時が来ると言われている。海が消えた地球は生物の生存は望めない。それは今の火星のような星になると言う事である。

前に映画で見たことがあるが、太陽の終焉=地球の終焉は50億年ほど先の事と考えられているという。でも今から10億年後には、既に地球は人の住めない火星化・・・
地球の年齢からすると、今の地球は寿命の半分位ということか・・・?ともあれ、長大な時間軸であり、今のホモサピエンスがどのように進化しているのか、想像だにできない。

科学というと、亡くなった親父を思い出す。経理屋だった親父は、それでも科学は好きだったらしく、その関係の本が本棚にたくさんあった。宇宙関係の本や、世界七不思議といった本も・・・。子どもだった自分はそんな本をよく盗み読みしたもの・・・
ウチの家族は文系が多かったが、自分は珍しい理系!? それもこんな本の影響があったのかも・・・
それにしても、子どもにその家庭環境が与える影響は大きい。本がたくさんあれば本好きになるし、ピアノが鳴っていれば音楽好きになる!?
まあ親の遺伝子が半分ずつ子どもに伝わるわけなので、環境と相まってそれは当然ではあるが、それにしても、子に与える影響を考えると、何もかもがちょっと怖ろしい。
よくウチで話題になる。親の血を受け継いでいるはずの息子どもが、どうもそうは思えない・・・。いつも「でもね~。病院で間違えた可能性もないしね~」と、半ば諦めている(!?)この頃である。

140721ashidake <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (0)

2014年7月20日 (日)

奥田英朗著「沈黙の町で」を読んで

カミさんに強く薦められ、奥田英朗著「沈黙の町で」を読んだ。
とにかく奥田英朗は“うまい”ので読めと・・・

1年前の朝日新聞の文化欄の切り抜きも一緒に・・・。その記事に曰く・・・
「誰も裁かず 心情引き出す いじめ描く「沈黙の町で」単行本化
 小さな地方の都市で、中学2年の男子が学校で転落死し、いじめの実態が明らかになる――。朝日新聞連載時に反響を呼んだ奥田英朗の小説『沈黙の町で』(朝日新聞出版)が単行本になった。「何が起こったのか、小説だからこそ全景を描くことができた」と作者は語る。
140720chinmoku  1学期末の試験をひかえた中学校で、2年B組の名倉祐一が死んでいるのが見つかった。携帯メールからゆすりといじめがあったとわかる。失点を恐れて先走る警察は少年2人を逮捕、2人を補導する。わが子を守ろうとする加害者側の親の暴走、真相解明を求める被害者家族の焦燥。学校側は穏便第一だ。真夏の地方都市を舞台にした群像劇で町の全体像に迫る。
 昨年7月の連載終了直前に、大津市での中学2年生の自殺といじめの関係が話題になった。その後も痛ましい出来事が続いている。
 「いじめはなくならない。自分の中学時代を思い返しても、通過儀礼のようなものでさえあった。特に男子は弱肉強食で暴力と隣り合わせ。自力では地域から逃げ出せない中学3年間は、サバイバルの時期だ」
 『沈黙の町で』には、学校生活の中で「いじめ」がおこる雰囲気が形づくられていく様子が描かれる。加害側には元いじめられっ子や不良だけでなく、正義漢や人気者がいる。死んだ名倉も従順なだけではない
 〈大変だなあ。生きて行くって〉――先輩からのいやがらせを回避するため、教師にうそをつく女子中学生のつぶやきは切実だ。
 作者が執筆の際に気をつけたのは「誰も裁かない」ということだ。「百%の正義も悪もない。裁くと物語の値を落とすと思う。何かを踏みにじることになるし、何かを見なようにしていることになる」
 ただ、この作品は自分の中に痛みを生んだという。「登場人物が死ぬという設定は避けられないし、これまでもあったが、人間の尊厳を損なってまで物語を作りたくはなかった。今回は、そこに抵触したかもしれない。登場人物全員を救いたいと思ったが、最初に名倉君を死なせてしまった。登場人物を見捨てるみたいで、書きながらもずっと胸が痛かった」
 連載中、読者から「名倉君を救って欲しい」という手紙など、各登場人物への同情や共感が寄せられた。「奥田さんは教師だったのか」という元教師からの問い合わせもあった。教師経験はないし、人物取材もしない。「13歳の子供にも、親にも言い分かある。登場人物に耳を傾けて声を引き出していく」というスタイルだ。何事も大人に相談せずに処理しようとする子供たちと、都合のよい事実だけを知りたがる大人たち。それぞれの「言い分」が、単行本化にあたって加筆修正され、大人と子供の世界の乖離がよりくっきりと浮かび上がった。(吉村千彰)」(
2013/02/25付「朝日新聞」文化面より)

本の内容は上の記事の通りだが、読んでいてストーリーの変化の少なさに、少々不満を覚えた。舞台は中学校とその周辺。同級生の死を取り巻く小さな動きを、事細かに描いて行く。
物語は、7月1日の事件発生から一学期の終業式までの動きと、4月の始業式から事件発生の日までの、二つの時間軸で動いていく。そしてその二つの流れが、最後に一つになる。
上の記事のように、この物語には悪役もヒーローもいない。カミさんが言うように、どこにでもいる中学生とその家族、そして教師やマスコミが、まあそうだろうな・・・という動きをしている。特に母親の「自分の子どもさえ・・・」という姿や、平凡な生活で、このような事件が勃発した時のパニックの様(さま)は、我が家でもありそう・・・。

一番不安定だという中学生時代の友だちや教師との関係。そして、子どもを甘やかして育てることの危険性、親と子の薄い会話・・・。もちろん子どもは問題が起きても、「親に相談する」などという選択肢は無い。子どもを育てる上で、一番やっかいなこの時期、どこにでも発生する可能性のある事件のような気がする。

振り返ると、自分たちの頃は(昭和30年代後半だが)、イジメという言葉はあまり聞かなかった。しかし不良はいた。でもそんなに悪さをすることもなく・・・。しかし今は携帯の時代。メールでイジメの「指示」が直ぐに飛ぶ。

言うまでもなく、イジメは理屈抜きで悪いこと。特に自分がいじめられないために付和雷同しての集団でのイジメは、多くの悲劇を生んでいる。
この物語も、いじめられて死んだ子どもが完全な被害者で、いじめていた友だちが完全な加害者、という前提で進んでいく。しかし、その先入観は徐々にくつがえされて行く。つまり、いじめられていた本人も、場所を変えると(下級生や女子生徒相手だと)いじめる側に立っている・・・。それはまさに、食物連鎖を連想させる。

どこにでもありそうなここに描かれている数々の出来事。それが一人の死によって、周辺の事情が明らかにされていくが、もし死という事件さえなかったら、どこにでもある風景として霧のように消えて行く運命だったのだろう。
今の学校現場で、このようなイジメがどのような状態なのかは知らないが、たぶん現実にはこのようなことは普通の風景なのだろうな・・・と思いつつ、何とも救いのない読後感ではあった。
せめて、孫にはいじめる側にもいじめられる側にも立って欲しくないと、ただ祈るのだが・・・

140720undoukai <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (1)

2014年7月18日 (金)

(集団的自衛権)「松阪市長の違憲提訴」記者会見~「愚かな為政者」という発言のマスコミ各社の報道の違い

昨日、こんな報道があった。
松阪市長、違憲提訴へ団体設立 集団的自衛権で活動の受け皿
 三重県松阪市の山中光茂市長は17日、集団的自衛権の行使を可能とする閣議決定の無効確認を求めて提訴するため、活動の受け皿となる市民団体「ピースウイング」を設立し140718kyoudou た。
 全国の自治体首長や議員、一般市民に参加を呼び掛ける。既に松阪市議や愛知県、大阪府などの地方議員計40人が賛同する考えを伝えてきているという。山中氏は団体を通じて、集団的自衛権をめぐる問題に関する勉強会やシンポジウムを開くなど提訴に向けた準備を進めたいという。
 会見で山中市長は「愚かな為政者が戦争できる論理を打ち出したことで幸せが壊される。国民全体で幸せを守っていかなければならない」と訴えた。」(
2014/07/17付「共同通信」~ここ

マスコミ各社が、集団的自衛権の憲法解釈変更について、世論調査も含めて色々な報道スタンスであることは前に書いた(ここ)。

上の共同の「愚かな為政者が戦争できる論理を打ち出した・・・」という会見での発言報道に、自分は興味を持った。それで会見でのこの発言を、各紙がどのように報道しているのか、Netで調べてみた。

先ず反対派の朝日は・・・
「・・・記者会見した山中市長は「国民が築いた平和が、愚かな為政者によって台なしにされようとしている。当たり前の幸せを次の世代に残せるか、今が分水嶺(ぶんすいれい)」と設立趣旨を述べた。・・・また、「提訴自体が目的ではない」とした上で、「平和への思いを共有する中で、憲法の平和的生存権の侵害という訴えの利益を見極めたい」と語った。さらに、訴えの利益については「自衛隊員が契約していない労務を強いられることへの国家賠償請求など、様々な論理が考えられる」と述べた。」(「朝日新聞」ここより)

そして賛成派の読売は・・・
「・・・山中市長は会見で、「憲法が保障する国民の平和的生存権を侵す違憲状態にある。国民的な議論を経ずに行われており、遺憾だ」と今回の閣議決定を批判。1か月以内に市民団体を設立した上で、勉強会やシンポジウムなどを開催し、賛同者の意見を集約して提訴に踏み切るかどうか判断するとした。
 山中市長は「提訴ありきではないが、手法の一つ。全国市長会などにも呼びかけ、地道に仲間を募り、運動を広げたい」と述べた。」
(「読売新聞」ここより)

同じ記者会見でも、切り取る言葉によって、読者の受ける印象は大きく違う。

同じく時事通信は・・・
「・・・山中市長は同日午前の会見で「司法の場において国にノーを突き付けていきたい」と述べた。」(「時事通信」ここより)

中日新聞は・・・
「・・・会見した山中市長は「市民の当たり前の幸せが守れるか今が分水嶺(れい)。人生をかけて運動に取り組みたい」と決意を語った。」(「中日新聞」ここより)

日テレは・・・
「・・・会見で山中市長は「ひとりひとりの当たり前の幸せが壊れていく前に防ぎたい」と話し、今後、有識者や市民とともに国に対し、集団提訴していく考えを明らかにした。」(「日テレ」ここより)

名古屋テレビは・・・
「・・・松阪市の山中市長は会見で、「憲法を冒涜する判断をした安倍政権に司法の場でしっかりとNOを突きつけなければならない」と力を込めました。」(「名古屋テレビ」ここより)

そして、東京新聞は共同を引き、毎日、日経、NHKでは、そもそもこの17日の会見の報道記事は見つからなかった。
つまり、「愚かな為政者」という発言は、共同と朝日しか取り上げなかったわけだ。

自分は今の安倍首相の政治姿勢に対し、首相が尊敬する祖父の岸元首相が、国民の大反対を押し切って安保改定に踏み切って“歴史に名を残した”ことを念頭に、同じように自分も歴史的に名を残したい自己顕示欲から、何の緊急性も必要性も無いのに、また自民党が国民から支持されている訳でも無いのに(ここ)、小選挙区制の仕組みのイタズラから多数議席を得ている今のチャンスを捉えて、国民無視の利己的な野心を遂げようとしているとしか見えない。
今朝の朝日新聞(2014/07/18付p15)に、野中・元自民党幹事長のインタビュー記事が載っていた。これら自民党OBも、安倍政権のやり方や公明党の存在感の無さを憂いていた。
そして、結果として誰もその「愚かな為政者」を止められない日本政治の体たらく・・・
先ずは、先の記事で野中氏が言っている「創価学会の協力なくして自民党議員の8割は選挙で落ちますよ」に期待して(!)、公明党が一人前の公党として、一人の大臣の椅子にしがみつくのではなく、これを機に政権離脱を期待したいのだが・・・

140718syuusei <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (3)

2014年7月17日 (木)

「犬派」と「猫派」

先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
猫の流儀 大竹昭子
 長いこと、自分は犬派だと思っていた。ふらふらさまようのが好きな性格を野良犬の姿に重ね、シンパシーを抱いていた。犬にならば難なく気持ちを委ねることができたのだ。
 反対に猫についてはまったくだめだった。飼ったことがなく、どういう生き物なのかわからない。親しみの持ちようがなかった。
 ところが最近、さまようのが好きだったり、身勝手だったりする自分の性格は、実は猫に近いのではないか、と思いはじめた。
 どこかの家から猫が出てきて柵の隙間から向かいの家に入って行く。または、わざわざ狭い路地に身を滑りこませて通り抜けようとする。空っぽの駐車場に数匹が測ったように等間隔を空けて香箱を作っていることもある。思わず立ち止まって眺め入ってしまう。そのそっけない図々(ずうずう)しさといい、気ままな様子といい、互いの距離の置き方といい、我が身を見ているようによくわかり、深い共感がわき起こる。
 犬は猫ほど気ままな態度はとらないものである。習慣を守り、ルーティーンワークをこなし、すべてを予想の範囲内で処理する彼らは、意外性にはほとんど縁がない。
 両者の立場のちがいを考慮する必要はあるかもしれない。犬にはうるさく命令するご主人がいて、自由に動きまわることはままならないが、猫は家を勝手に出入りし、野良という生き方も選択できるのだ。
 それならば、猫みたいに自由に生きられたら、犬も性格が変わって、猫に近づいてくるのだろうか。
 ここで思い出すのは、バリ島の犬のことである。あの島では猫はめったに見ない代わりに、犬はとても多くていたるところで見かける。数匹飼っている家も珍しくなく、しかも放し飼い状態で、犬が猫に近い自由を得て暮らしているのだ。
 にもかかわらず、彼らの行動に猫のような気ままさを感じることは少ない。家の前を人が通ろうものなら、こぞって出てきて吠(ほ)え立てる。その激しい吠え声はその家の敷地が終わり、隣家の犬がバトンを受けて啼きはじめるまでつづく。勤勉なガードマンさながらの働きぶりである。
 道を歩いている姿もよく見かけるが、その様子はさまようような猫の歩き方とちがい、行くべき場所を持っている人間の姿に近い。役所に書類でも取りに行くような顔なのだ。
 ひるがえって、歩いている猫の姿を見て用事がありそうだと感じることはない。たとえあっても、角をまがったとたんに別のことに気が移って忘れてしまいそうな、当てにならない顔をしている。
 猫にとって優先されるのはまず自分の気分なのだろう。とらえにくいそれをしかと捕まえ、平常心を保つのがうまい。大事なのは外界と自分の位置関係であり、それを破るものは無視するし、ふりまわされもしない。自分を操ることにおいて、彼らは天性の直感力をもっているのだ。
 もしかしたら、ルーティーンワークが苦手な私にとって、猫は導師たりうるかもしれない。そう考えて、散歩の道々、猫を見かけると立ち止まり、彼らの流儀を観察するようになった。
 動きやすい気持ちの流れを読み、ベストの状態をつかまえて自らを仕事机に座らせようと努めるとき、だいぶ猫に近づいたかな、と思うこの頃である。(作家)」(
2014/07/16付「日経新聞」夕刊p7より)

「犬派」と「猫派」・・・。あまり意識したことはなかったが、猫を飼うという選択肢は、たぶん自分には無いのだろう。いや、犬を飼う選択肢も、本来は無かった。しかしカミさんが12年前に犬を飼いたいと言い出してから世界が変わった!? それ以来、我々夫婦の生活は、犬を中心にして回っているようだ。やれエサを残した、足音が軽快でない、歩き方に元気がない・・・等々。とにかく相手は生きもの。だから、夏は12畳のLDに、たった3Kgの犬のためにエアコンは1日中点けっぱなしだし、冬は暖房用具も入れっ放し・・・。
まあ仕方がないけど・・・。

思い出してみると、自分には犬について、咬まれた思い出しかない。家の近くの会社の寮で、番犬用の大きな犬が逃げ、それに2度も咬まれた。未だに尻にその跡が残っている。だから自分は昔から犬がキライ。犬は吠えて咬むものだと思い込んでいた。
でも今飼っているヨーキーのメイ子は何をしても咬まない。これはしつけ以前の犬の性格なのかも知れない。
猫についてもあまり良い思い出がない。前に住んでいた家で、隣家で野良猫にエサをあげるので、我が家の庭が猫の通り道。そして挙げ句の果てに、子ども用に作った庭の砂場が、猫のフンだらけになって使えなくなり、悪い思い出だけが残った。
メイ子を連れて散歩に行っても、駐車場の車の上などに寝ている猫をよく見かける。そしてメイ子と出くわした猫は、戦闘意欲満々で、通り過ぎるまでじっとこちらの様子をうかがっている・・・。
まあ道で出会っても、猫は怖く無いが、繋がれていない犬は怖い・・・。トラウマだな・・・。

8年ほど前に、ツアーでオーストリアに行った。その時、ある湖の桟橋に皆でたたずんでい165841 ると、向こうの桟橋に大きな犬を連れた男の人がいた。その人が犬をそのままにして、こっちの桟橋に歩いてくる。そして、声を掛けると、その大きな犬はゆっさゆっさとこちらに歩いてきて、飼い主の足下に座った。
その従順さに、感動さえ覚えたもの。犬は飼い主には従順だと・・・。

それに引き替え、いつも散歩で通る近所の角の家の犬は何だ!? 庭に2頭放し飼いしているが、前の道をメイ子を連れて通る度に、大きな声で吠える。周囲の家に迷惑この上ない。

最近、メイ子の食事の状況を夫婦で心配している。今日は食べ残していないか?? 今日のウンチは?
でもこのところ完食が続き、良いウンチで大丈夫・・・。一安心。
まさか日常で、こんな会話をするとは思ってもいなかった。犬を飼うなど、まさにワンチャンスのメイ子。
いつまでも元気で居てくれると嬉しいのだが・・・。居ないことが有り得なくなってしまった我々「犬派夫婦」ではある。

140717ogamareru <付録>「ボケて(bokete)」より

| コメント (1)

«「フォーチュン500」2014年版と原発再稼働