2015年2月27日 (金)

「こわい夢」

自分は夢をよく見る。だからこんな記事もマジメに読んでいる。
こわい夢 千早茜
 悪夢体質である。
 とにかく頻繁に悪夢をみてうなされる。それもひどい時には一晩に幾つもみる。
 世の中の人々が一体どれだけ夢をみているのかは知らないが、夢占いやフロイトの夢判断などがあることから考えれば、みんなそこそこ夢はみるものなのだろう。昔飼っていた犬でも寝ながら吠(ほ)えたり足をばたばたさせていたりしていたので、人間がみていなかったらなんだかちょっとさみしい。
 けれど、周りの人に訊(き)いてみると、私くらい一晩にたくさん夢をみている人は多くはないようだ。私は基本的には一晩に四つ五つくらい夢をみる。まったく夢をみない晩はほとんどなく、少なくても二つか三つはみる。一度、夢日記をつけようと思ったことがあったが、夢があまりに多く、ひとつひとつが長いので面倒になりやめた。
 何かの本で読んだ情報によると、人は一晩にかなりたくさんの夢をみているが覚えていないことが多いそうだ。とすると、私は夢においては異様な記憶力が発揮されていることになる。しかし、残念ながら平素の記憶力はどうもぱっとしない。寝る前に明日やることをメモに書いて仕事机の上に置いておかなくては、次の日は何からはじめたらいいのか途方にくれるくらい頼りない記憶力だ。どうも記憶の容量を夢に取られているような気がする。悔しい。
 私の夢はいつもフルカラーで、匂いや感触まである時がある。楽しい夢ならいいのだが、悪夢だとひどい思いをすることになる。悪夢は暴力的なものが多い。戦場にいたり、怪しい人間に追われたり傷つけられたりする。ここには書けないような凄惨な目に遭ったりもする。感覚がある夢の時だと恐ろしく痛い。おまけに、夢というのは不思議なもので一定のパターンがあり、なにやら不穏な気配を感じて「あっこれはまずい展開になるやつだ」と気付いても、自分の選択で夢の結末を変えることができない。「嫌だ、怖い」と思いながらも、定められた受難へと突き進んでいく。一度、腕をナイフで切り裂かれた夢をみて、あまりの痛みに叫びながら跳び起きると、片腕だけが熱くなっていたことがあった。休息のために寝ているのに、起きて鏡を見ると目の下には隈(くま)、ということもたまにある。ちょっと脳よ勘弁してくれよ、と思う。
 悪夢は本当に疲れるし、あまりに濃厚だとどっちが現実かわからなくなり、一日のはじまりがどんよりとしたものになる。ただ、けっこうバラエティに富んだ不幸や災難を夢で経験しているので、そういったものに対する耐性はついたと思う。それでも、怖くて仕方ない夢はある。小さい頃は父が死ぬ夢だった。その夢をみてしまうと、震えながら父の部屋へと暗い廊下を走った。父は寝ていても仕事をしていても、私の背中をぽんぽんと叩(たた)いてくれた。叩くリズムは心地良く、大きな手は温かく、私は深い息をついて安堵した。温(ぬく)もりだけは夢にはない。自分の体温が自分では感じられないように、さすがの脳も人の温度は作りだせないのかもしれない。
 今はうなされると夫が手を握ってくれる。悪夢は辛いものだけど、そばにいる人のありがたみと日々の平穏さを教えてくれる気がする。とはいえ、みないに越したことはないのだが。(作家)」(2015/02/17付「日経新聞」夕刊p7より

自分も夢を見る大家。だから夢の話題には事欠かない。1年前にも「怖い夢」(ここ)という同じような記事を書いている。でも懲りずにまた書く・・・

朝起きて、カミさん相手に夢の話をするのは日常。今朝の夢は、亡くなったお袋や伯母が登場。なぜか前に住んでいた家で、居るはずのない兄貴が引っ越しの整理をしている。自分も一緒になって、古いテレビなどを、捨てる捨てないの作業・・・。まあ夢はワケが分からない。

自分が顔を洗いながら、忘れる前に夢の話を始めると、カミさんはいつも「何? 今の話は夢の話? 黙って聞かなければいけない?」・・・。「もちろん聞かなければいけない!」と無理に聞かせる。まあそれは覚えている物語なので話せる。しかし上の記事のように、自分も一晩で幾つもの夢を見るので、朝その全部を話せる訳ではない・・・
いわゆる悪夢は、「これは夢だな。起きれば逃れられる」と意識して、無理に目を覚ますこともある。その時は「ああ、夢で良かった」とホッとする。逆に、楽しい夢では「ああ、これは夢だな。続きを見たいな・・・」と、目が覚めそうになっても、無理をして眠って続きを見ようとしたこともある。少しだけだが、夢も意識でコントロール出来そうな所が面白い。

今朝のように、亡くなった人が夢に出てくることもある。親父はほとんど出て来なかったが、昨年お袋が亡くなってから、親父も“お袋とパック”で出てくるようになった。内容的にはどうって言う話では無いが・・・

人には霊感の強い人がおり、その人は霊を見ることが出来ると言う。ウチの長男もそんな一人。昨年お袋が亡くなったときも夢に出てきて、自分に対する文句を言っていたそうな・・・
そして先日亡くなった義母も、夜、自室で見えたという。
その息子の話を聞いて以来、夜中にトイレに行くときに、怖くなっている。トイレの前の廊下の常夜灯のそばに誰かが出てくるような気がして…。おお、怖っ!!
カミさんに言うと、「前兆でゾゾッとするらしいので、それが無ければ出て来ない」と言うが、なぜが怖い…。それに、さっき、「お墓の刻印ができたら気にならなくなった」と言うと「四十九日が過ぎるまでは、この辺をうろちょろしているよ」ナンテ言いやがる。

夢を見るのは、眠りが浅いためだという。でもなかなかそれを治すわけにも行かず・・・
これも加齢とはいえ、たまには夢を見ないでぐっすりと眠りたいものである。

150227conveni <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月26日 (木)

「黒い屍体と赤い屍体」~立花隆と画家・香月泰男

NHK Eテレ、ETV特集「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」(2015/02/14放送ここ)を見た。その中で紹介されていた、画家・香月泰男の「赤い屍体」についての話に衝撃を受けた。(動画はここ

この番組の中で、香月泰男の作品「一九四五」について、ナレーターはこう言う。
「・・・描かれているのは、中国からシベリヤへ向かう鉄道の線路脇にうち捨てられていた日150226katuki 本人の屍体です。生皮を剥がれ、筋肉を示す赤いスジが全身に走った赤い屍体。教科書の解剖図の人体、そのままの姿だった。憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いないと、香月は述べています。」
そして立花隆は言う。
「日本人は、すごく悪い加害者的な行為を中国人に対してしてきたので、戦争が終わった途端に(中国人が)手近な日本人をつかまえて生皮を剥いだりしたという、歴史的事実があった。香月さんは車窓から見たその屍体を「赤い屍体」と名付けて、日本人が加害者だったということをみんなが忘れてしまっていることが、香月さんの絵をずっと描かせ続けたひとつの動機ではないか」

香月泰男(立花隆)著「私のシベリヤ」より
「日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。
黒い屍体によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
私には、まだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
だが少なくともこれだけのことはいえる。戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。」

そして立花隆は、
「この問題提起というのは、どうも日本人というのはあの戦争が終わった後、あの戦争の話というと、日本中に黒い屍体が転がっている話ばかりして、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキというスローガンをただどなっていれば平和がくる、という感じでいるが、それはちょっと違うのではないか」
と指摘している。
それにしても、人間の生皮を剥ぐという行為は、あまりにむごい。日本は、それほどの憎しみを生むほど、中国に残虐行為を行ったということだ。それが、日本が行った戦争の原点。

番組の中で、立花隆が、欧州で前に「第一次大戦の最後の兵士が亡くなった」というニュースが流れたと言っていた。そして日本では今、「最後の被爆者が亡くなった」という日も近い、とも。
段々と、先の戦争の記憶が薄れて行く。
そして一方では、こんなタイトルの記事が流れている。

戦後70年談話、安倍カラーへ地ならし 有識者懇が初会合
・・・1995年の終戦記念日に旧社会党出身の村山富市首相が発表した戦後50年談話は、過去の植民地支配と侵略を痛切に反省し、心からおわびすると記した。2005年、当時の小泉純一郎首相の戦後60年談話はそのときの表現をほぼ踏襲した。
 安倍首相の談話が過去の談話の表現をどこまで残し、何を加えるかが焦点だ。両談話を「全体として引き継ぐ」としているが、「植民地支配と侵略」や「心からのおわび」といったキーワードの維持に慎重だからだ。
 25日に示した5つの論点をみても首相が重視するポイントは明確だ。まず「戦後日本の平和主義や経済発展、国際貢献への評価」であり、「米中韓などとの間で歩んだ和解の道」を踏まえた「21世紀のアジアと世界のビジョン」だ。侵略にもおわびにも触れていない。・・・」(
2015/02/26付「日経新聞」ここより)

ここで言う「有識者懇談会」とは何か?
「知恵蔵2015」の「集団的自衛権の有識者懇談会」(ここ)にもあるように、安倍首相は見直し賛成派の論客を懇談会のメンバーにそろえて…」なのである。

国民からみて、有識者懇談会など、何の意味もない。税金を使って、ただただ首相の論を正当化するだけの会合。そんな傀儡の会議に“有識者”のメンバーもよく付き合うものだ。
しかし、日本は確実に戦争、いや結果としての侵略(「赤い屍体」を生む戦争)に向かって突き進んでいる。専守防衛から踏み出そうとしている。

立花隆は、カナダ人の旧友の、こんな話も紹介していた。
冷戦時代、カナダには米国の迎撃ミサイル基地が数カ所あった。それは核兵器を積んだソ連の爆撃機をカナダの上空で打ち落とすため、アメリカがカナダに1963年核ミサイルを配備。しかし打ち落とせば、カナダは核の被害を受ける。そのカナダの友人は、カナダ政府に対して反対運動を展開し、1961年に核配備に反対する国民は18.5%だったが、1966年には43.9%にまで増やし、1969年にカナダ政府は国内にある米国のミサイル基地を決断したという。
国民の意思で政治は変えられる。それが民主主義だ。と…

つまり今、日本が戦争へ突き進んでいる道も、国民の意思で止められるのである。
止めるのも、政府の動きを放置して戦争への道を拓くのも国民。
「赤い屍体」を再び繰り返さないため、我々が唯一持つ1票の重みと、国民の意思の表示を、もう一度再認識したい。

150226soudesuka <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月25日 (水)

時計の精度に思う…

先日の日経新聞にこんな記事があった。
「ニュースな科学 時計の誤差、もはやない?
 今年は7月1日午前9時前に、3年ぶりに「うるう秒」が加えられる。1秒の定義のもとになっているセシウム原子時計と地球の自転にズレが生じるためで、累積で1秒になる前にうるう秒が設定される。
150225tokei  セシウム原子の振動を利用する今の原子時計で生じる誤差は3000万年に1秒以内だ。14世紀初めに北イタリアで作られた機械式の時計は1日に30分~1時間もずれていた。教会などの高い塔に設置し、つり下げたおもりが少しずつ落ちていく力で歯車を回す。
 17世紀後半に振り子時計が誕生し、一気に精度が高まった。その少し後、細い金属が渦巻き状になったひげぜんまいで動く時計が発明された。現代のぜんまい式時計は部品を精密に加工するとともに、温度で伸び縮みしにくい金属を使うことで、誤差を1日に10秒以内に抑えている。1920年代には水晶の細かな振動を使って時刻を計るクオーツ時計が開発され、大きく精度が上がった。
 今は原子時計よりも正確な「光格子時計」が登場している。原子を振動させる光の周波数を物差しにしており、東京大学のチームが10日、160億年以上で1秒という世界最高の精度を達成した。時計の進歩は刻々と進んでいる。」(2015/02/13付「日経新聞」p35より)

時計の精度も随分と上がったもの…。
ウチの時計は、ほとんどが電波式。世の中に電波式が出た当初からその正確さが好きで、これを買っている。
1997年にSEIKO初のソーラー電波腕時計(M615)が出た時も、つい買ってしまった。これは直ぐに電池が切れて、いちいち照明で充電するのがわずらわしく、ほとんど使わなかった
それに引き替え、壁掛けの電波時計は、価格も安く、時刻の誤表示も無いので、安心して使っている。

先日、突然腕時計が欲しくなった。今使っているのは13年前に買った単なるクオーツ。別に壊れた訳ではないが…
自分は非常に思い込みが強く、デザインが「グランドセイコー」風なのが好き。この際、高価だがグランドセイコーを買おうかと思って、店で手に取ってビックリ。その重たいこと…。あっと言う間に熱が冷めた。
どうせ買うなら、やはり電波時計だな。ソーラーは「光にあてる」手間があるので、普通の電池式がよい。そして、日付表示は必須で、出来たら曜日の表示も欲しい。これからサンデー毎日になったら、「今日は何曜日?」が必要になるはずなので・・・
今使っている13年前の2万円の腕時計は、電波式で無いことを除くと、自分にピッタリなのだが、探してもこれの“電波式”が…、無い・・・。電波式は全てソーラー。
そして、SEIKOでは、デザイン的に「グランドセイコー」っぽいものは、曜日の表示がない。そしてやっと探し当てたのが、シチズンの製品。結局これを買ってしまった。デザインはいまひとつだが、曜日表示付きの電波式は、この機種しか見つからなかったので…

これを買って1週間。ふと時計を見ると、何と時刻が30分も遅れている。電波の受信もNG。買った時計屋に聞くと、「基準位置がずれているのだろう」と言う。これには参った。使っている時に、基準位置の変動によって時刻表示が“ずれる可能性”があるとすると、常にその心配をしなければならず、安心して使えない。表示を信頼できない。
結局、メーカー返送で、内部の機械(ムーブメント)の交換の修理になった。
まあ今のところ無難に動いているが、電波時計は原理的に衝撃などによって基準位置のずれは発生するらしいので、たまに確認する必要がありそう…
今まで使っていた腕時計も、ほとんど時刻合わせをすることなく、特に不便は感じていなかったが、改めて電波時計と比べてみると、月に2~3秒は進むようだ。
ま、遅れるよりは進む方が良いが…。でも今回電波時計に変えたので、これからは正確だ・・・

現役時代と違って、それほど時刻にうるさく無くなったこの頃。年齢からして、もう買い換えることは無かろうと思う、腕時計談義ではある。

1502250girigiri <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月24日 (火)

2015年の「サラリーマン川柳」入選作

今年も、第一生命の「第28回サラリ-マン川柳」の入選作100句が発表になった(ここ)。

ざっと見ると、時代と共に自分とかけ離れていくような気がする。つまり、流行語にちなんだ句が多いので、流行語にうとい自分は、付いて行けなくなってきたのだ。
でもまあ気を取り直して、自分にフィットした10句を並べてみようか…。投票はしないけど・・・。(番号は第一生命のリストの順番)

14) 本当の 子にも孫にも 振り込めず(日本エレキテナイ連合)
振り込み詐欺のニュースを見る度に、「皆さん、良くこれだけのお金を持っているな~」と感心する。我が家にも前に振り込み詐欺の電話があったという。「**だけど」という一声で、ウチの息子はそんな丁寧な口の利き方はしない、と直ぐに分かったという。
ま、分からなくても、そもそも振り込むお金が無い。ウチに電話をしてくる詐欺屋さんも、家の財産をもう少し研究してから電話を掛けてくるべき。

17) 湧きました 妻よりやさしい 風呂の声(湘南おじん)
これは確か。ウチのお風呂も、「もうすぐお風呂が沸きます」と「お風呂が沸きました」と言ってくれるのだが、なかなか優しい。もちろんウチの妻も優しいけど…!?????

23) 年老いて モトがとれない 飲み放題(ひとり爺(ジ)ッち。)
これも確か。シルバー族の飲み放題は、幹事の会計のめんどうくささからの開放では?と思っている。もっとも自分も、先日の同期会の幹事では飲み放題にした。私的な会合なら、絶対に飲み放題にはしないな…

35) 部屋がない ローン組むのは 俺なのに(下部父)
このテーマは時代を問わず普遍だね。単身赴任から帰ってみたら、自室が子どもに占領されていた…ナンテ言う話もあるらしい。自室は唯一安穏を得られる場所なので、必須。
そう言えば、先日コーヒー会でウチに来た同期の友人を、ハイレゾを聞かせるために、初めて自室に入れたら、「自分の部屋を持っているのか…。オレも作ろうかな…」なんて言っていたっけ・・・

38) パパお願い♪ ゴーストライター 子の宿題(ダラリーマン)
佐村河内氏のゴーストライター事件も、もう昔の話…と思っていたが、昨年の2月の話で、ちょうど1年前だったんだね。小保方事件と違って、こちらは過去の話となり、ホンモノの作曲者がテレビなどで活躍している。

39) あゝ定年 これから妻が 我が上司( 呼人(よびと)
この句の作者は幸せ者だ。ウチなんて、定年が見えて来たときから、カミさんはずっと上司。しかも、「サンデー毎日になったら、フィフティ・フィフティなので、家事も半分ずつだよ」なんて言われて、会社を辞めるに辞められない状態が続いている…

41) 「あなた来てー」 唯一の出番 虫退治(レリゴーッ)
この句の作者はエライ。虫を退治できるので…。自分など、「オーイ!ゴキブリが出たぞ~!」と二三歩後ずさりして、カミさんを呼ぶ。でも先日、夜中に見付けたときは、カミさんが寝た後だったので、仕方なく自力でスリッパで叩いた。自分も強くなったものだと自賛した。

46) リタイヤで 妻の偉大さ 今 わかる(読み人知らず)
この句の作者も、悟りが足りないな。リタイヤする前でも、「妻の偉大さ」は充分に分かっていなくては・・・。まして、よく聞く話だが妻の急逝で分かるなど、妻に失礼! 妻は結婚した途端に、偉大なのだ。(←コレ、決して褒めているワケではないのだが…)

59) 里帰り 孫が来るたび 諭吉去り(赤いチャンチャンコ)
早くそうならないかな~~。孫でもヨメさんでも、やはりあげるなら現金が一番では?
本当は、印象に残る“物”であげたい所だが、貰う方は、自分の好みで“物”を買いたいはずなので、キャッシュが一番。これはもう相手のことを思って割り切るしかない。

72) 8%(ハチパー)で 暗算できぬ 料金に(年金生活)
これもそうだが、平成になって、西暦との読み替えがまったく出来なくなった。昭和の時代は、1970年が昭和45年と、5の倍数だったので読み替えも出来たが、2015年が平成27年だと、計算が出来ない。
ま消費税だけは10%になれば、非常に簡単にはなるが、あまり嬉しくもなく…

総じて、昔のサラ川は面白かった。味わいがあった。それに引き替え、最近のサラ川は面白くない。
もっとも自分の“味わう実力の低下”のせいかも知れないが・・・

150224doudemo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月23日 (月)

「ラーメンを食べると鼻水が出るのはなぜ?」

毎日、日経から飛んで来るメルマガ。そんな中で、こんな記事を見付けた。毒にも薬にもならない話だが(失礼!)、良いニュースの無いこの頃、ホッとするかも・・・

ラーメンを食べると鼻水が出るのはなぜ?
熱くても寒くても、辛くても出る鼻水の不思議に迫る

 寒い日が続くこの時期。ラーメンやうどん、鍋など、温かい食べ物が恋しい季節だ。ところで、こういった熱々のものを食べると、鼻水がズルズル出てくる人がけっこういる。ラーメン屋のテーブルによく箱ティッシュが置いてあるのも、この現象がかなり普遍的であることの1つの証といえるだろう。
 なぜラーメンで鼻水が出るのだろう。JCHO(ジェイコー)東京新宿メディカルセンター耳鼻咽喉科部長の石井正則氏は、主に2つの理由があると話す。
熱い湯気の刺激から粘膜を守る防御反応
 「1つ目は、熱い湯気を鼻水の気化熱で冷まそうとするラジエーター作用。熱さの刺激を和らげようとする反射的な反応です」
 体には、体内の環境をできるだけ一定に保とうとする働きがある。外気が暑くなったときに、汗をかいて体温を下げようとするのは、代表的な体温維持のメカニズムだ。同様に、鼻の中で「熱い!」という刺激を感じたときは、鼻水を出して熱を冷まそうとするのだ。
 そうか。熱さを感じた鼻粘膜が、汗をかいているようなものか。
 「逆に、寒い日に急に野外に出て冷気にさらされた場合には、冷たい刺激に反応して鼻水が出ます。いずれも、急激な温度変化を和らげ、粘膜を守っているのです」

1日に出る鼻水は1.5リットル
 鼻水は、普段から体を守るために働いている。1日に分泌される量は約1.5リットル。これが鼻粘膜の表面をまんべんなく覆って湿り気を保ち、吸い込まれた異物を取り除く。
 通常、鼻水の大半はのどの奥へ流れこみ、唾液などと一緒に胃へ飲み込まれる。湯気を吸い込んだときには量が増えるので、外にあふれるわけだ。
 さらに風邪や花粉症になると、鼻水の量が飛躍的に増える。これは、大量の花粉やウイルス感染といった刺激によって、炎症反応が起きるためだ。異変を感知した白血球などの免疫細胞が鼻粘膜に集まり、「ヒスタミン」という物質などを放出。この刺激で鼻水の分泌150223hanamizu 量が急激に増加する。同時に粘膜が腫れて鼻腔が狭くなるので、鼻詰まりも起きてしまう。
 「鼻水で細菌や花粉を洗い流し、“通路”を狭めてこれ以上の侵入をブロックする。防御反応の一環です」
 なるほど。細菌や花粉を追い出すのも鼻水。暑さ寒さから粘膜を守るのも、鼻水。実は、体のために頑張っていたんだな。
コショウの辛さで鼻水が増える
 さて、話をラーメンに戻そう。2つ目の理由とは何だろう。
 「ラーメンは、コショウやトウガラシなどで辛くしますね。辛いものを食べると、鼻水が出やすいのです」
 辛いから鼻水? 意外な結びつきにも思えるが、ここには自律神経の働きが関わっている。自律神経は、体の中のさまざまな機能を調節する神経で、主に体が緊張したときに働く交感神経と、主にリラックスしたときに働く副交感神経の2系統がある。鼻水をコントロールしているのは副交感神経だ。
 「辛いものを食べると、舌と胃粘膜にある辛味センサーが反応し、脳の中の『中枢自律神経線維網』というネットワークが反応します。すると、交感神経と副交感神経が両方とも活性化するのです」
 交感神経の働きで、汗が出る。一方、副交感神経の作用によって、唾液や消化液、そして鼻水の分泌が増える。辛さの刺激によって鼻水が増えるこの現象は「味覚性鼻炎」と呼ばれ、ラーメンのほかにも、カレーライス、スパイスが効いたスープや鍋などを食べたときによく起きるそうだ。
 「この反応は個人差があります。汗ばかり出る人もいますし、鼻水ばかり出る人もいます。両方が出る人もいます」

のどちんこを冷やせば鼻水は出ない?
 なるほど~。では、鼻水を出さない食べ方はないのだろうか?
 「コショウをかけすぎないのが基本です」と石井さん。さらに、こんな方法も教えてくれた。
 「食べる前に氷(アイスキューブ)をほおばり、舌でのどちんこの辺りにしばらく押し付けてキンキンに冷やします。こうすると副交感神経が麻痺して、まったく鼻水が出ません」
 ほぉ、そうなんですか。
 「ただし、口の中の感覚も麻痺するので、全然美味しくない。しかも、食べ始めるとすぐに口腔内が温まって、効果も消えます。実験としては面白いですが、実用的ではないでしょう(笑)」
 あー、それは残念。まあ、体がスパイシーな美味しさを感じているサインと受け止めれば、鼻水もそう悪くない気がする。寒い日は、鼻水をすすりながらホットなものをいただきましょう。(北村 昌陽=科学・医療ジャーナリスト)」(
2015/2/12付「日経Gooday」ここより)

自分も昼によくラーメンを食べるが、確かにティッシュで鼻をかみながらの“奮闘”。
そう言えば、どのラーメン屋にもティッシュがあるな・・・

それはそれとして、自分の鼻風邪による“鼻水のキレ”が悪くなったこと・・・。体の老化で、たかだか鼻風邪でも、“ヌケ”に時間が掛かるようになってきた。これは痰も同じ。
風邪を引いたときは、あまりにティッシュの使用量が多いので、トイレットペーパーを使うのだが、それも瞬く間に無くなって・・・
しかし何とか治って、鼻がスースーするときの気持ちの良いこと・・・
それにしても「1日に出る鼻水は1.5リットル」という量は半端ではない。鼻風邪や花粉症の時なら分かるが、平常時の1.5リットルは想像を絶する。唾液ならいざ知らず、自販機のペットボトル3本分。いやはや体の中の防御システムはスゴイ・・・

今日の関東の気温は20度位まで上がったとか…。春も近い。
何とか今年のインフルエンザも峠を越し、次は花粉症の季節!?

改めて、普通の状態(=健康=鼻水の無い状態)の有り難さが身に沁みるこの頃である。

150223syokupan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月21日 (土)

新沼謙治の「南部牛追唄」

岩手県出身の新沼謙治が、杉並児童合唱団とともに歌う「南部牛追唄」を初めて聞いた。その編曲の妙もあり、素晴らしい出来である。

<新沼謙治の「南部牛追唄」>

「南部牛追唄」
 岩手県民謡(編曲:尼崎裕子)
 新沼謙治/杉並児童合唱団

田舎なれどもサーハーエ
南部の国はヨー
西も東もサーハーエ
金の山コーラサンサエー

今度来るときゃサーハーエ
持って来ておくれヨー
奥のみ山のサーハーエ
ナギの葉をコリャサンサエー

Netで探すと、こんなCDの解説が見つかった。
「「南部牛追い唄」(岩手)
    《田舎なれども 南部の国は 西も東も 金の山》
  岩手県は山が多く、物資の運搬には、力の強い牛が主に使われた。牛方たちは、沢内盆地の米を黒沢尻(北上市)や盛岡の南部藩の米倉へ運ぶために、三、四日も旅を続けた。その道中に唄ったのが「馬方節」に対する「牛方節」である。戦前は盛岡の星川萬多蔵が右手に青竹を持ち、床を叩きながら牛方の生活を唄いあげていた。戦後、弟子の福田岩月が舞台用のために、少し甘さを加えた。旋律が美しいために人気があるが、節回しを誇張したり、やたらに声を張り上げ、語尾を伸ばして唄うと牛がとまどう。」(
ここより)

何とも、平和な音楽ではある。

150221nobita <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月20日 (金)

「介護、官製賃上げに限界」

介護の現場は大変だ。非常に厳しい介護の仕事に携わる人には頭が下がる。
その介護の仕事の給料が安い。それについて、こんな記事があった。

介護、官製賃上げに限界
政府、スタッフ待遇改善めざすが… 大規模化で生産性向上必要

 介護スタッフに賃上げの春は来るのか。政府は2015年度から、介護スタッフの月給を平均1万2千円上げる方針を決めた。だが、過去のデータを検証すると賃上げがどこまで及ぶかは不透明だ。財政難が深まるなかで官製賃上げは矛盾がにじむ。全国30万施設の大半を占める零細事業者の集約で生産性を高め、賃上げ原資を捻出する方策が必要になりそうだ。
 「正直、アベノミクスの実感はない。賃上げに期待したい」。東京・世田谷の特別養護老人ホーム(特養)で働く介護福祉士(38)はこう話す。だが、賃上げへの道筋は視界不良だ。
認識と実態ズレ
 まずはデータから検証してみよう。政府はこれまでも介護スタッフの待遇改善に向け資金を投じており、厚生労働省は「09年度から累計で月3万円アップの効果があった」とする。ところが、13年の賃金構造基本統計調査をみると介護スタッフの月給は約22万円。全産業に比べ10万円ほど低い水準はほとんど変わっていない。
 ギャップはなぜ生じるのか。介護スタッフの賃上げでは勤続が1年延びるごとに賃金表に従って増やす「定期昇給」が8割近くと最も多い。賃金表そのものを書き換えて一律に水準を底上げするベースアップは1割どまりだ。
 一方、重労働で知られる介護の現場では2年未満で辞める人が全体の3割になる。都内の特養ホームの施設長は「3年たつと当初入ったスタッフは2割しか残らない」と明かす。短期間で転職したり辞めたりする構造そのものが変わらないと、賃上げ効果がなかなか現場に及びにくい。
 政府が決めた賃上げの枠組みもつぎはぎ感が強い。介護業に従事する人は約250万人とみられるが、賃上げの対象は7割を占める介護スタッフのみだ。介護に直接携わらないリハビリ専門職や調理師を対象外とするのは「現場の運営実態から離れた方策」(都内の特養の施設長)との声が根強い。
零細事業者多く
 政府は事業者の収入となる介護報酬を15年度から2.27%下げると決めた。介護費が約10兆円に膨らみ「財政(の悪化)を無視できない」(塩崎恭久厚労相)ためだ。減収で経営難になる事業者は介護スタッフの賃上げに取り組みにくい。むしろ「人件費を抑えるためにボーナス削減などが進み、待遇は良くならない」(特養の業界団体、全国老人福祉施設協議会幹部)との声も出る。
 介護の需要は増えているのに財源は乏しく、賃上げの効果が及ぶかわからない。八方ふさがりの感があるが、首都圏で介護事業を手掛ける大手企業の役員は「政府に頼らずに取るべき手はある」と指摘する。大規模化を進めて生産性を高める方向に活路を見いだす戦略だ。
 この会社は傘下の高齢者住宅などを50カ所以上まで拡大。介護スタッフの業務見直しも進め、配膳や掃除、見回りといった専門性の乏しい仕事はパートやアルバイトに任せた。
 スタッフは介護に専念させる仕組みで、限られた人件費をスタッフに重点的に充て仕事の負担も軽くできるようになった。規模拡大や分業の徹底で生産性を高めた結果、収益が向上し賃上げを可能にする原資を確保できたという。
 介護サービスを提供する施設・事業所は全国で34万カ所。零細経営が多い。帝国データバンクの過去の調査では、職員数が10人未満の法人が約2割、10~50人未満の法人が約3割にも上った。
 特養ホームの運営をほぼ独占する社会福祉法人も、半数は「1法人1施設」。キヤノングローバル戦略研究所の松山幸弘研究主幹は「零細経営では限界がある。規模を拡大し合理化すれば職員の定着率も上がる。待遇の改善にもつながってくる」と指摘する。
 高齢化が進むなか、25年度には介護スタッフは30万人不足する。1000兆円に膨らんだ国の借金を考えれば、官製賃上げは対症療法の域を出ない。事業者集約を促す規制緩和や制度改革を急ぎ、生産性を高めなければ介護現場の苦境からの脱却は逃げ水のように遠のいてしまう。(武田敏英)」(2015/02/19付「日経新聞」P2より)

スタッフの定着率は、その組織(会社)の魅力度に直結する。学生が就職の企業を選ぶときに、退職率を気にするのは正しい。入社した人が、やり甲斐を持って生き生きと仕事をしていれば、退職者は少ない。しかし、いわゆるブラック企業では、どんどん人は辞める。
介護の現場も同じ。利用者が老人ホームを選ぶときに、スタッフの定着率はその施設の魅力度を測る格好の材料だ。
しかし、上の記事のように、模範たるべき特養でさえ、「3年たつと当初入ったスタッフは2割しか残らない」とすると、他は推して知るべし…

ウチの家族も、3人老人ホームに入っていたが、今は1人だけ。よって、まだまだ他人事ではない。
我が家は、ホームで色々とお世話になっただけに、介護の仕事をする人の大変さも分かり、それだけに何とかその待遇が改善されることを祈りたいものだ。

150220nekoze <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年2月19日 (木)

「名前で世相を読む 男子は「蓮・はると」時代へ」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
名前で世相を読む 男子は「蓮・はると」時代へ
 昨年(2014年)に生まれた新生児の名前の人気ランキング(明治安田生命保険調べ)が発表された。名前の流行にはどんなサイクルや法則があり、今はどんな時代に差し掛かっているのだろうか? 過去103年のランキングの推移を細かく追いかけながらまとめてみた。まず今回は男子名編。
名前の流行はほぼ10年周期
 男子名で多かったのは「蓮」「大翔」「陽向」「陽太」「悠真」「湊」「悠人」「陸」「駿」「朝陽」の150219namae 順。これがトップ10の顔ぶれ。首位の「蓮」(前年3位)、2位の「大翔」(同4位)、3位の「陽向」(同8位)、4位の「陽太」(同15位)がそれぞれ順位を上げた一方、前年首位の「悠真」は5位に順位を下げ、上位の顔ぶれが大きく変わった。
 比較できる過去103年のランキングで首位の変遷を追うと、流行のサイクルが浮かび上がる。例外はあるが、ほぼ10年くらいの期間で「清」→「勇・勝」→「博・茂」→「誠」→「大輔」→「翔太」→「大輝」→「大翔」→「蓮」と変遷しているのだ。つまり、現在は「蓮」時代の初期に差し掛かっていると判断することができる。

2011年から「蓮」時代に突入
 では、「蓮」人気はいつごろから始まったのだろうか?
 「蓮」がトップ10に顔を出したのは1999年(平成11年)の9位が最初。その後、ジワジワと順位を上げて2004年(平成16年)に初めて首位に輝き、「大翔」とトップ争いを繰り広げるようになる。本格的な「蓮」時代に入ったのは2011年(平成23年)以降のことだ。
 流行の変遷は時代の空気や世相を明確に反映している。
 戦前は「清らかさ」、戦中は「勇ましさ」「勝つ」など武運が強く求められた時代。それが戦後になると、「茂」「稔」「隆」など経済発展や「博」「誠」など学問による立身出世を願う風潮に切り替わり、やがて「大輔」「翔太」「大輝」「大翔」など雄大さや躍動感、ロマンのある名前が好まれる時代に突入する。テレビなどメディアの発達に伴い、ドラマや映画、アニメの主人公、芸能界やスポーツ界の有名人にあやかろうという機運も強まった。

武運、経済発展、学問、ロマン……元号も
 参考までに、首位の変遷をさらに細かく検証してみよう。
150219namae1  1912年(大正1年)、1913年(大正2年)、1914年(大正3年)の首位はそれぞれ「正一」「正二」「正三」。元号(大正)と年を組み合わせた名前の人気が高まった。1927年(昭和2年)、1928年(昭和3年)にも「昭二」「昭三」という元号(昭和)と年を組み合わせた名前が首位にたった。元号が変わった初期には元号にちなんだ名前が流行する傾向があるようだ。ただ平成の初期には「翔平」という名前がトップ10入りしたくらいで、この傾向は薄らぎつつある。
 1916年(大正5年)に突然、首位になった「辰雄」は辰(たつ)年だったことにちなんだ名前。1960年(昭和35年)、1961年(昭和36年)に首位になった「浩」は現皇太子の浩宮さまのご生誕(1960年)にあやかった名前と考えられる。
 秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまが誕生された2006年以降は「悠」という字を取り入れた名前が急速に増え、2013年(平成25年)にはついに「悠真」が首位に輝いた。

読みからも世相が見えてくる
 さて、名前の表記ではなく、読みの流行について探ってみると、異なる法則が浮かび上がる。同じ表記でも読み方が多くなるのだ。
 たとえば2位の「大翔」には「ひろと」「はると」「やまと」「そら」「たいが」「たいと」など様々な読み方がある。3位の「陽向」も「ひなた」「はるた」、4位の「陽太」も「ひなた」「ようた」「はるた」などと読み方にかなり幅が出てくる。
 かつて「清」は「きよし」、「誠」は「まこと」、「大輔」は「だいすけ」などと名前の読みがほぼ定まっていた時代と比べると、表記と読みの関係は明らかに異なっているようだ。

表記と読みでランキングが乖離するワケ?
 そこで注目したいのが読みのランキング。表記のランキングとはまったく一致していない150209namae2 ことに気が付く。トップ10は「はると」「ゆうと」「そうた」「ゆうま」「りく」「そうま」「はるき」「れん」「あさひ」「ゆうせい」「ひなた」「かいと」の順。名前の表記のランキングで首位だった「蓮」(れん)は7位にとどまった。
 なぜ表記と読みのランキングがこれほど乖離(かいり)しているのだろうか?
 実は名付けの方法が大きく変化したことと関係している。最近の子どもの名前は、最初に音や響き、リズムで読みを決め、そこに好みの漢字や文字を当てはめるケースが増えているのだ。
 これは最近の両親が名付け本を参考に名前を付けているためと考えられる。多くの名付け本が音や響きやリズムで読みを決め、その後に当て字で表記を決める方法を紹介しているからだ。だから読みで「はると」「ゆうと」などに人気が集中しても、名前の表記は多様化する傾向が強くなる。

まず音や響きで読みを決め、漢字を当てはめる
 たとえば、読みランキングで首位の「はると」の表記は「大翔」「陽翔」「陽150209namae3 斗」「春翔」「晴斗」「悠人」「晴翔」「悠翔」「遥人」「陽大」「遥斗」「春音」「春斗」「晴人」など30種類以上もある。2位の「ゆうと」だと「悠人」「悠斗」「優斗」「優人」「悠都」「悠翔」「弓人」「結仁」「佑都」など20種類以上もある。
 そうなると「悠人」や「悠翔」が「はると」とも「ゆうと」とも読めるややこしい現象も起きる。人気が高い名前ほど読みや表記が分かりにくいのはこのためだ。

多くは限られた音の組み合わせ
 読みのランキングを見ると、意外な事実に気がつく。ごく限られた音(読み)の組み合わせによる名前が大部分を占めているのだ。
 目立つのは「ゆう・はる・しょう・りょう・こう・そう」+「と・き・た・ま・すけ・せい」という組み合150209namae4 わせ。「はると」「ゆうと」「しょうた」「りょうた」「こうき」「そうた」「ゆうせい」「そうま」……などトップ10の名前のうちの多くがこれに属する。
 名前の読みにも流行のサイクルがある。比較可能な2000年からランキングの変遷を追いかけると、首位は「ゆうき」→「ゆうと」→「はると」と大きく推移している。つまり、現在は「はると」の黄金期のまっただ中に差し掛かっているといえる。
 ちなみに「はると」が初めてトップ10入りしたのは2003年。以降、急速に順位を上げ、2009年から6年連続で首位の座を維持している。一方、2000~2005年に首位だった「ゆうき」は2013年からはトップ10圏外に沈んでしまった。
 このほかランキングの変遷からは、(1)「しょう」「りょう」が付く名前から「はる」「そう」が付く名前に人気がシフトしている、(2)名前の末尾は「と」「き」「た」の人気が高いが、最近は「ま」「すけ」「せい」も増えている――という傾向も読み取れる。
 このように名前の流行は、生き物のように世相を反映しながら、絶えず変貌を遂げているのだ。(編集委員 小林明)」(2015/02/06付「日経新聞」)

時代の推移に、老人の自分が付いて行けないことは多々あるが、スマホなどと同じく、この「名前」も到底自分の古い頭では付いて行けない。
いわゆるキラキラネームという珍名には、付いて行けない、と言うより、辟易している。
このキラキラネーム。世の親たちは、死ぬまで使わざるを得ない子ども本人のことを考えているのだろうか?とさえ思う。自分から言わせると、それはもう虐待である・・・。
上の記事は、そこまでは行っていない現状報告だが、それでも老人から見ると、なかなかの難物である。ま、時代の脱落者(自分のこと)のたわごとではあるが・・・

人にとって、聞いていて一番心地よいのは自分の名前だそうだ。人から言われて、一番心地よいはずの、その名前を、間違えて言われたときには、どんな気持ちになるのか・・・
上の例のように、「何と読むか分からない」「何通りもの読み方がある」という名前では、間違われるのが普通になってしまう・・・。
また上のように、「はると」の30種や「ゆうと」の20種など、同じ読みの名前がたくさんあると、例えば病院などで「○○さん」と呼ばれると、何人もの人が「ハイッ」と言うのでは? または、自分が呼ばれても、間違った呼び方だと、自分ではないと思ってしまうのでは?
名刺ならまだ振り仮名を振ることも出来るが、それ以外ではあまりに不便・・・。そしてそれは、全部親の責任…。
ま、時代の脱落者(自分のこと)の過剰な心配かも知れないが・・・

30数年前、自分も子どもの名付けでは、ずいぶんと考えた。そのポリシーは、「間違って読まれないこと(一つの読み方しかないこと)」「電話で名前の漢字を相手に簡単に伝えられること」「発音したときに、はっきり聞こえること」などだった。

幸いにも、自分は今のキラキラネームなどの子どもは周囲に居らず、名前を呼ぶ機会は無いので困っていない。それに引き替え、ウチのカミさんは、手帳に友人の孫の現代的な名前を書いて、何とか間違えないように気を遣っているようだ。

子育てのスタートにある子どもの名付け。世の親たちは、“(一生使う)子どもからの視点”を忘れないようにして名付けて欲しいものだ。

150219jigoku <付録>「ボケて(bokete)」より

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