2015年7月 4日 (土)

NAC-HD1からWAV/FLACとして読み出す方法

この記事は、SONYのHDDオーディオプレヤーのNAC-HD1のPCMデータを、WAV/FLACとして読み出す方法である。
NAC-HD1から、ハイレゾのHDDオーディオプレヤーHAP-Z1ESやHAP-S1などに乗り換えた時、せっかく貯めたNAC-HD1の音楽データをHAP-Z1ESに移したくなる。しかし、著作権に厳しいなSONYは、それを簡単には許してくれない。USBメモリなどにはMP3のような圧縮データでしか転送出来ない。従って自分は、今まではNAC-HD1のアナログ出力を利用して、WAV/FLACに変換してきた(ここ)。
それが先日、Noriyukiさんから、ウォークマン経由で、直接PCMとして取り出す方法を教えて頂いた(これ)。まさに目から鱗(!!)の方法である。

この方法だと、NAC-HD1のPCMデータを、そのままWAV/FLACに変換出来るため、信号の劣化がない。その手順を整理してメモしてみる。
(なお、ウォークマンは、手持ちのNW-A17(2014年11月8日発売)、NW-A857(2010年11月13日発売)、NW-847(2009年10月31日発売)の3種で、どれも何の問題も無かった。ウォークマンの機種は選ばないようである)

例)自分はFM放送から録音した楽曲を、NAC-HD1に月毎に「15年6月・・・」というフォルダを作って置いているので、そのフォルダ毎にFLACに変換した。

<NAC-HD1からPCM信号で出力>
1)ウォークマンをNAC-HD1のUSBにつなぐ。
2)転送するフォルダを選んで、「オプション」「転送」「ウォークマン」「標準転送」で「設定」「フォーマット指定」「PCM」「閉じる」→「実行」
・これでウォークマンの「OMGAUDIO」フォルダにATRACのPCMファイルが出来る。

<ウォークマンからPCへのPCMファイル転送>
1)PCに「xアプリ」(ここ)をインストール。
2) 「xアプリ」を起動→「機器へ転送」→ウォークマンをつなぐ→右のウォークマン欄の下の「すべて選択」をクリック→「←」をクリック
150704nac1 *自分のウォークマンはATRACファイルが無いため(フォルダモードだけ使用している)、転送したファイルがそのまま表示されるが、既にウォークマンにATRACファイルが存在する場合は、ウォークマンにアルバムがズラリと並んでしまう。よって、あらかじめNACの編集で、転送する楽曲の「アルバム名」を「1」などの分かり易いアルバム名に変更しておいた方が良い。
その時は、
・・・ウォークマンをつなぐ→右のウォークマンのアルバム名の「1」をクリック→「←(PCに転送)」をクリック

<xアプリでATRACファイルをWAVに変換>
1)転送された楽曲を選択
150704nac2 *「xアプリ」で転送された左の欄(PC側)は、アルバム名しか表示されないので、△印をクリックして楽曲名(トラック名)を表示させ、Ctrlキーを押しながら、全てのトラック(曲名)を選択する。
2)右クリックで「WAV形式で保存」→あらかじめ作っておいた「ミュージック」150704nac3 の「temp1」フォルダを指定→「OK」
*「temp1」にWAVファイルが出来ていることを確認して、(後の作業のために)xアプリの左の欄と右の欄を「すべて選択」→右クリック→「削除」→(二度と使わないので)「パソコンからも削除」」
*既に、ATRACファイルがある場合は、「1」だけのフォルダを削除

★これで、temp1フォルダにWAVファイルが出来ているので、これをHAP-Z1ESに転送すれば良い。このWAVには、トラック名、アーティスト名、アルバム名も付いているのでHAP-Z1ESでもキチンと表示され、不都合はない。
(WAVで良い場合は、FLACへの変換と失われたタグ情報の付加作業が不要なので、下記の音量調整だけをされたら如何でしょう・・・)

加えて自分は、FLACに変換して、音量を93dBに合わせている。
<WAVファイル→FLAGファイルへの変換と音量のレベル合わせ>
WAVからFLACへ変換するソフトは「xrecode II」を使った(ここなど)。
(インストール方法は省略~立ち上げる毎に、カウンタが動くが、カウンタがゼロになって色の変わった1~4のどれかのボタンを押すと無料で使える)

<まずクリップしない範囲で、音量を最大にする>
1) 音量のノーマライズ(正規化)の設定は、「入力設定」の「正規化を実行」のボックスにチェックを入れる。右隣に「設定」という名のボタンが出てくるのでクリック。「正規化」を選んで、左の欄は上下とも「98」%に、右の「レベルが小さい(大きい)場合」は上下とも「90」(幾らでも良い)に設定。
2)「出力設定」は「場所を指定」であらかじめ作っておいた「temp2」を指定。「正確なフルパスに出力」のチェックは無し。
3)「目的の形式」で「FLAC」を選択。
4)変換するWAVファイル(フォルダ=「temp1」)を、「xrecode II」の窓にドラッグして、「開始」ボタンを押すと、音量のノーマライズとFLACへの変換をして「temp2」にFLACファイルが出来る。

150704nac4 150704nac5 150704nac7

<音量を93dBに合わせる>
5) 「xrecode II」の窓に、上で作られたFLACのフォルダ「temp2」をドラッグして登録する。
6)「入力設定」の「正規化を実行」の右隣の「設定」をクリック。「均一化」をクリック。デフォルトの「89.0」から「93.0」に変更。(リッピングしたCDの音源のレベルと、合わせるため。89dBでは小さいので、自分は93dBとした)。「オーディオに適用」を選択。「OK」
7)「リプレイゲイン」をクリック。「トラックゲイン分析」をクリック。
8)分析が始まり、窓に「トラックゲイン」と「トラック・ピーク」が表示される。左下の「合計サイズ」左のチェックを外すと、全てのチェックが外れる。「トラックゲイン」をクリックして並べ替えて(見易く)、マイナスの符号が付いたものだけにチェックを入れる。
(+のゲイン補正をしてしまうと、ピークが1を越えてしまい、クリップするので、マイナスゲイン(93dBより大きい曲)だけ実行)
9)「出力設定」で、あらかじめ作っておいた「temp3」を指定→「開始」
10) 「temp3」のフォルダに、93dBに減音補正されたFLACファイルが出来るので、それを元の「temp2」フォルダに上書き。これで「temp2」フォルダは、最大音量が93dB(しかしクリップする可能性のあるファイルは0.98まで)のFLACファイルが出来る。
*(確認)「temp2」フォルダを「xrecode II」にドラッグして、「リプレイゲイン」→「トラックゲイン分析」をクリックして、全てのトラックが「トラック・ピーク」が「1.00」を超えていないこと、「トラックゲイン」に「-」の付いたトラックが無い事を確認。

<FLACファイルへのタグ情報の埋込>
「STEP_M」(ここ)を使用。
*「オプション」「オプション設定」「表示項目設定」で「更新日」と「演奏時間」にクリックを入れておくと便利。
*タグ情報を、「temp1」のWAVファイルを使うか、またはあらかじめ、NACから転送してMP3ファイル(詳細タグ情報付き)を作っておく。MP3作成は、NACで、「オプション」「転送」「USBストレージ」「ビットレート」は96か128に(タグ情報だけ使うので、低ビットレートでOK)

1) 「STEP」に、FLACフォルダ「temp2」をドラッグして登録。
2) 「STEP」に、「temp1」のWAVファイル、またはUSBメモリの「MUSIC」フォルダに出来た「mp3」のフォルダをドラッグして登録。
150704nac8 3) 「STEP」の「演奏時間」をクリックすると、FLACとWAV(MP3)が同じような順で並ぶ(はず)。
4)「WAV(MP3)」の「トラック名」から「ジャンル」までを選択してコピーし、「FLAC」の欄に貼り付け。→同じ時間だと、所々順番が逆になることがあるので、オリジナルの「ファイル名」と、変更する「トラック名・が合っていることをチェック。違う150704nac9 場合は修正。
5)FLACリストの左欄を上下にドラッグして選択し、「変換」「デフォルト変換」「トラック名→ファイル名」をクリックして、トラック名も新しくする。(これは自分の趣味)
6)上のフロッピーマークの「タグ情報を更新」をクリックして出来上がり!

以上で、「temp2」にNAC-HD1のPCM音楽が、FLACファイルとして変換出来た。
あとはこれをHAP-Z1ESに転送するだけ。

*いやはや、Noriyukiさんから、ウォークマン経由でのPCM化を教えて頂いたので、効率的になっただけでなく、当然音質の劣化もない。
ちょっと作業が大変そうだが、慣れると短時間に出来る。
今日、アナログ経由で作ったFLACを、400曲余り、上の方式に入れ替えてしまった。

(関連記事)
SONYのHDDオーディオプレーヤーNAC-HD1のアナログ音源の、HAP-Z1ESへの乗り換え  

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2015年7月 3日 (金)

香西かおりの「早稲田通り」

自分が歌謡曲を聞くとき、イントロを聞いただけで、録っておく曲かどうか、直ぐに決まる。そんな中で、昔録っておいた歌の一つがこれ・・・

<香西かおりの「早稲田通り」>

「早稲田通り
  作詞:星村龍一
  作曲:聖川湧

この町に 忘れられない人がいる
訪ね来るたび 帰らぬ日々が
今もこの胸 泣かせます
ここであなたに 愛されました
ここで生きてく はかなさ知った
早稲田通りは 遠い想い出しみる町

あの頃は 夢をかたちに出来なくて
いつも肩寄せ この町角で
何度飲んだろ 夜更けまで
あなた今でも 一人でしょうか
あなた深酒 やめたでしょうか
早稲田通りは 今も心の泣かせ町

想い出は消えるものさと 言うけれど
つらい時代のきれいな夢は
遠くなるほど沁みるのよ
ここであなたをあきらめました
ここで女の悲しさ知った
早稲田通りは 恋の想い出しぐれ町

この歌は、“自分的には”非常に惜しい! 歌の題から、爽やかな歌謡曲を連想するが、どうもド演歌なのである。
つまり、歌詞の「何度飲んだろ 夜更けまで」「あなた深酒 やめたでしょうか」が、惜しい・・・
「早稲田通り」という学生街を連想するような曲名からも、マンドリンを駆使した編曲からも、西島三重子の「池上線」(ここ)のような素朴な歌を想像する。しかし残念・・・!!

この歌は、「流恋草」(はぐれそう)のB面で、1991年3月25日に発売された、香西かおりの3枚目のシングルだという。
香西かおりは、色々と聞いてきたが、当サイトには「あゝ人恋し」(ここ)しか挙げていない。
前に記事にも書いたが、自分は特に香西かおりの初期の作品に、惚れた歌が多い。

この歌もそうだが、世ではあまり有名でないが、自分が気になっている曲が色々あり、今まで紹介してきた。
森田由美恵の「潮風の吹く町」(ここ)、小柳ルミ子の「ゆうぐれの里」(こ)、都はるみ「ふるさとよ」(ここ)、石川さゆり「吾亦紅」(ここ)などなど・・・

最近の歌はあまり興味がない。どんどん作られ、どんどん忘れられていくようで、まさに歌の消費!!
どうも最近の歌には、“残る”歌が少ないような気がする。
この「早稲田通り」という歌も、世に残る歌かどうかは分からない。でも、一部の歌詞を除くと、自分としては残す歌に入るかも・・・。

150703hag <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年7月 1日 (水)

中国、韓国、ロシアの「歴史教科書」に描かれている日本

「文藝春秋」(2015年7月号)の「中国、韓国、ロシアの「歴史教科書」日本はいかに描かれているか 佐藤優」という記事を読んだ。
この手の記事をどう読むかはなかなか難しいが、いちおう気になった部分をメモしてみると・・・

(中国)
「行き詰ったら変える」

 まずは中国から見ていくと、中国の歴史教科書は、階級闘争史観と徹底したリアリズムに貫かれていることがよくわかります。
・・・
 〈中国の古典『周易』には「行き詰ったら変える。変えたら通る。通ったら続ける」と書いてある。改革とは変えることであり、時代に遅れた旧制度や旧文化と旧思想を取り除き、豊かな活力のある新制度や新文化と新思想を創ることである〉(『歴史 選修1 歴史上重大改革回眸』人民教育出版社)
 簡単に言ってしまえば「行き当たりばったりでいいから、上手くやれよ」ということです。マルクス・レーニン主義的な発展史観ではなく、臨機応変であることこそが歴史から学べることだ、と言っているのです。
 重要なのは、この言葉が歴史教科書自体にも適用される点です。この教科書を学んでいて、行き詰るところがでてきたら、そこは切り捨ててしまえばよい、自分の都合のいいものに入れ替えてしまってもいい、ということです。中国が共産党の一党独裁でありながら事実上、資本主義化しているのも、この言葉で簡単に理解ができます。社会主義に「行き詰ったから変えた」のです。
・・・
 そして戦後の日本に対する言及は極端に少なく、日中国交正常化に関して事実が淡々と記されているのみです。
 全体を通して見てみると、中国の歴史教科書は基本的に、反日教育でナショナリズムを煽るのではなく、世界史の中で中国がどのように振る舞ってきたのかを描こうとしています。領土を奪われたのも一時的に弱かった時代のことであって、本質的に我々は昔から一貫して大国であった、と考えていることは節々から伝わってきます。彼らは決して、経済が発展したから大国の仲間入りを果たしたのではないと考えていることもわかる。
・・・
 即ち中国は、単なる反日ではなく、反ファシズム陣営としてアメリカやイギリスなどと共に大きな戦争を戦い、そして勝ったことを強調したいのです。現在まで続く世界秩序を作ったプレイヤーであるという自負がひしひしと伝わってきます。

(韓国)
「テロリスト史観」の韓国

 続いて韓国の教科書です。今回、私が一番驚いたのは、この韓国の教科書に書かれた歴史観でした。この国の歴史観は日本にとって脅威だといっても過言ではありません。世界の教科書の中でも極めて珍しい、「テロリスト史観」によって貫かれているからです。「我が国の先達はここまで追い詰められ、テロをせざるを得なかった」、そういった歴史が延々と綴られているのです。
 北朝鮮との親和性は予想以上に強く感じられ、また北朝鮮の歴史教科書よりも過激な内容になっています。
・・・・
 韓国の教科書の本当の特異性が見られるのは、日韓併合前後からです。日本では韓国のテロリストと言えば伊藤博文を暗殺した安重根が思い浮かびます。ところが、その扱いはあっさりしたものです。
 〈張仁煥と田明雲はアメリカのサンフランシスコで日本の侵略を美化していたスティーブンスを狙撃し、安重根は満州のハルビンで伊藤博文を暗殺した(1909)〉(同前)
 そして、安重根以外のテロリストの行動に関する記述が続きます。
 〈朴烈は1923年日本で国王の暗殺を企てた。趙明河は1928年台湾で日本の皇族を刀で襲う義挙を行った〉
 〈1932年に韓人愛国団員の李奉昌が東京で日本の国王が乗ったとみられる馬車に爆弾を投げた。失敗したが、このことに対して上海の新聞では失敗を惜しむ論調で報道した〉
 〈韓人愛国団員だった尹奉吉は記念式の壇上に爆弾を投げ日本軍将軍と高官らを暗殺した。尹奉吉の義挙は世の中を驚かしたものであり、特に中国人に深い印象を与えた〉(同前)
 きりがないのでここまでにしますが、要するに天皇や政府高官を暗殺しようとしたテロリストを延々と紹介(李奉昌と尹奉吉は肖像写真っき)しているのです。安重根の“功績”がそれほど高くないこともわかる。
 その理由は明白です。伊藤博文は初代首相と言っても、国の元首ではありません。重要なのは「玉」。日本の国家元首である天皇や皇族の命を狙った者が、韓国の教科書では最も偉大だとされているのです。
文明国において、テロによって現状を打破する試みを褒め称えることは、通常考えられません。しかし、韓国は違う。伊藤博文暗殺に「成功」した安重根よりも、天皇暗殺に「失敗」したテロリストについて詳しく書いています。さらに言えば、これらの記述からは、天皇暗殺という動機を掲げただけで称賛に値し、手段や結果はどうでもよいという場当たり的な思考も見え隠れしています。
 この教科書で教えられるのは「我が国のテロリズムの歴史はこれだけ長い」ということに他なりません。イスラエルでもアイルランドでもそういった教育はしていません。韓国は“恨”の文化といわれますが、教科書も怒りに突き動かされて作られている。カーツと頭に血が上る怒りの感情が底流を貫いているようです。
・・・
 〈朴正煕政府は国民の反対を押し切って韓日協定を批准した。その結果韓国は経済開発に必要な資金の一部を充当でき、韓米日共同安保体制が形づくられた。その反面、日本の植民支配に対する謝罪、略奪文化財の返還、日本軍「慰安婦」や強制徴用者などさまざまな問題を解決することができなくなってしまった〉(同前)
 教科書に、「日韓の問題は解決することができなくなってしまった」とわざわざ記すところに韓国の歴史観の特異性が見て取れます。
 このように韓国の歴史教科書では、自民族内での同質化の比重が非常に高いため、普遍性がありません。ありていにいえば、この教科書を学んでも世界と渡り合う客観的な知性や歴史観を持てるとは思えない。これが、中国やロシアの教科書との最大の違いです。しかし、隣にこうした歴史観を持った国があることは、我々も改めてしっかりと認識しておかねばなりません。

(ロシア)
「最も狡猾なロシアの教科書

・・・・
 これは、「インターネット情報を用いて」という前段部分が、重要なポイントです。なぜなら、ロシア語で「露日戦争」と検索すれば、スターリンが一九四五年九月二日に行った対日勝利演説が必ずヒットするのです。
「一九〇四年の露日戦争の時のロシア軍の敗北は、国民の意識の中に重苦しい思い出を残した。それは、我が国の上に汚点をとどめた。わが国民は、いつの日にか日本が粉砕され、汚点が払拭される時が来ると信じて、待っていた。われわれの年長者たちは、四十年の間、その日を待ちわびた。そして、その日が到来したのである」
 これを読めば、第二次大戦の日本との戦争が、日露戦争の復讐戦だったことが、すぐ理解できるようになっている。ロシアの教科書執筆者は、この辺りまでしっかりと計算した上で、設問を作っているのです。復讐戦となった第二次大戦における対日戦争の記述からは、ロシアという国家の狡猾な部分が読み取れます。
 〈ヤルタ会談での根本的な合意に従って、ソヴィエト政府は1945年4月5日に日本との中立条約の破棄を通告し、8月8日に日本に宣戦布告した〉(『ロシアの歴史』)
日ソ中立条約の破棄を通告しているから、一見正々堂々としているように思えます。ところが、この条約が翌年まで有効だったことは全く書かれていないのです。
 確かにソ連は日本に対し宣戦布告も行ないました。しかし、電報を封鎖して日本に連絡がいかないように策略をめぐらし奇襲攻撃をしたことにはまったく触れてない。また、日本では火事場泥棒のごとき突然の参戦だったように扱われますが、周到な準備をしていたことをにおわせています。
 〈8月19日に関東軍司令部は、降伏する準備があると表明した。同盟諸国軍の共同攻撃を受けて、1945年9月2日に日本は完全に降伏した。これは第二次世界大戦の幕を下ろす出来事だった。サハリン南部とグリル列島がソヴィエト連邦の手に渡った〉(同前)
最後に書かれているグリル列島とは千島列島と北方領土のことです。ロシアでは、八月十九日になって初めて日本が降伏の準備を始めたように書かれているのです。千島列島の最北端にある占守島に、ソ連軍が上陸を始めたのは八月十八日のことでした。戦争が終わり武装解除中だったにもかかわらず、突如としてソ連軍が、攻撃を仕掛けたためやむなく応戦したと日本人は理解しています。ところが、ロシア人はそうはとらえていません。戦争は、九月二日まで継続されていたのだから、日本領を攻撃し占領したのは、通常の戦闘行為だと考えているのです。当然、グリル列島の占領も正当化されます。
 戦後は、日ソ共同宮言の記述と北方領土問題に関する記述が若干あるだけで、日本はほとんど登場しません。・・・

(日本)
「旧時代の教育をする日本

 翻って、日本の教科書について考えてみましょう。私は現在は同志社大学、過去に早稲田、慶應などで演習を受け持った経験があります。そこで世界史の重要な項目「ロシア革命」「真珠湾攻撃」や「ソ連崩壊」などの年号に関して、百聞の小テストをしてみました。ところが、全く答えられません。百点満点で、早稲田では平均五・〇点、慶應では四・八点でした。
 なぜ、このような事態になるのか。それは日本の教科書には物語がなく、単なる事実や用語の羅列ばかりが延々と続く、受験勉強以外には役に立たないものだからです。受験が終われば知識が定着せずにすべて忘れられてしまう。中国、韓国、ロシアそれぞれの教科書は、独自の物語性があって、読んでみると非常に面白い。一方の日本では、巨大な年表でしかないので、読み進めるのが苦痛です。
 これは、日本のエリート養成のシステムが後進国型であることの証明に他なりません。記憶とその再生を、ことのほか重視する。これは、旧時代の教育です。
 教科書から各国の歴史観や思考法のポイントを見てきました。ロシア・中国は世界のどこの国の人間とも話ができるような、徹底したリアリズムと普遍性を持った歴史を教え、韓国は独自色が強く、国際的に通用しない内側を向いた歴史を教えています。そして日本は、単なる年表を暗記させる、後進的な歴史教育です。
 日本の歴史教育は、一年間で通史を勉強するような暗記中心の詰込み型から、少しでも早く脱するべきです。そして物語性を重視し、今までより分量の多い教科書を作る必要があります。その教科書をロシアのように数年かけて学ぶことこそが、これからの世界で生き抜く知恵と思考を身に付ける、有効な方法になるでしょう。」(「文藝春秋」2015年7月号p118~「中国、韓国、ロシアの「歴史教科書」日本はいかに描かれているか 佐藤優」より)

最近の大西議員の「マスコミ懲らしめ論」などを聞いていると、「そこまで総理にへつらうのか・・・」と思ってしまう。いや、意外と総理が言わせている単なるアドバルーンかも・・・?

教科書は、将来の自国民を育てる基盤。それらを覗くと、それぞれの国としてのスタンスが読み取れるもの。
この記事では、韓国はキケン。日本は、何もやっていない・・・と言う。まあ何もしていないのは無害かも知れないが・・・

良くも悪くも、このような国の歴史観というものは、どの国でも長い時間を経て醸成されていくもの。それは簡単には変わらない。つまり文化なので・・
それが、日本では、現政権によって急速に変えられようとしている。
なるほど・・・。歴史修正主義とは良く言ったもの。

Netで「歴史修正主義」を検索すると、こんな解説が出てくる。
「従来の歴史観と違う歴史観を主張する者に対して「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するものである」として批判する場合に用いられる言葉。否認主義。「修正」の語が「正しく直す」という肯定的な意味であることから、旧来の歴史観に立つ者は「歴史改竄主義」と呼ぶこともある。」(wikiより)

「ここでいう歴史修正主義とは、「南京大虐殺まぼろし論」や「アウシュビッツのウソ」(ガス室による組織的虐殺などなかったとする論)のように歴史的に存在したことをあえて無かったと強弁したり、侵略戦争や植民地支配、軍隊などによる組織的虐殺行為など、今日批判的な評価が定着している事象について評価を逆転させて支持・擁護する主張をさす。「歴史修正主義の克服」(山田朗・高文研)P14より。」

日本の歴史教育は、こんな「歴史修正主義」による歴史改竄よりも、今までの年表暗記の無害教育の方が、マシなのかも・・・
何とも情けない現在の国情ではある。

●メモ:カウント~750万

150701wave <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年6月30日 (火)

「お弁当日記」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
お弁当 あなたと私 つなぐ宝箱
 ■1年139メニューを絵日記に 妻へ贈る「ありがとう」
 少し色あせた大学ノートが4冊。千葉県船橋市の****さん(64)、***さん(63)にとっての宝物だ。ノートの右側には、色鉛筆で描かれた弁当のイラスト、食べた感想とともに、必ず「ごちそうさま」の一言が。左側には弁当の写真が貼ってある。
 1994年、双子の娘が高校に入り、弁当をもっていくことになり、太郎さんも会社に持参することにした。毎日、3人分の弁当を作ってくれる妻に感謝を示す方法はないか? そこで思いついたのが「お弁当日記」。妻には内緒で書きため、翌年の誕生日にプレゼントしようとした。スタートは7月7日。この日は、のり弁と鶏手羽の塩焼きなどのおかずだった。
 お昼休みになると、弁当のふたをあけ、写真を撮り、イラストを描く。1級建築士でもある太郎さんは多少の絵心があった。10分ほどで仕上げて、食べ始める。急な仕事で弁当を食べられないときは、同僚に食べてもらい、写真だけ撮ってもらった。
 1年間で日記はノート4冊分になった。翌年6月14日。ノートの末尾に「お誕生日おめでとう 僕からの誕生日プレゼントです。いつもどうもありがとう タロー」と書いて渡した。受け取った由美子さんは「びっくりして涙が出て、娘たちと食い入るように見ました。家族の動向のメモも書いてあり、家族の1年間の記録でもあるんですね。ただ手抜きした日が、わかっちゃいますね」と苦笑する。
 ノートに描かれた弁当の数は139。太郎さんは「娘たちが孫の弁当メニューに困ったとき、役に立つのを楽しみにしています」。(石村裕輔、浅野真)」(2015/06/24付「朝日新聞」p33より)

この記事を読んで、ふと、昔カミさんが描いていたお弁当日記を思い出した。カミさんに言うと、ごそごそと出してきた。
これは長男が中2、次男が小学校6年で、中学受験に挑んでいたときのもの。次男は夕食を、塾の授業の合間に食べていたので、主に夕食のお弁当。その幾つかがこれ・・・
(毎日のスケッチの隣にあるメモに、個人名や成績の事が書いてあるので、それが無いページを探すのが大変だったが・・・)
(長男のお弁当日記)

Te1 Te2 Te3

(次男のお弁当日記)

T1 T2 T3

自分に言わせると、これはカミさんの趣味。まず「お弁当」が好きなんだな。そして絵を描くのも趣味。だからこんなノートが何冊も残っている。でも子どもたちは、その存在を知っているのかどうか・・・
一方、自分はお弁当の冷えたごはんが嫌い・・・。だから弁当も好きではない。一方、カミさんは冷えたごはんが好きなんだそうだ・・・。信じられん・・・

弁当と言えば、自分は高校時代を思い出す。昭和35~38年当時、今のようにタッパウェアの弁当箱もなく、アルマイトの弁当箱からおかずの汁が包んである新聞紙に滲んで・・・
でも、高校時代の昼休みは、包んである新聞の記事を読みながら食べていた。好物は、肉だんご。これは挽肉とタマネギを団子にしたものを揚げ、甘醤油で煮たもの。これが好きだった。お袋が作ってくれたそれ以外のおかずは全く覚えていない。

でも確かに、お弁当は母親と自分とを結ぶ連絡便。でも当時は、有り難いとも思わなかった。

そして今、コンビニではお弁当が溢れ、お弁当屋もおおはやり・・。それが結構おいしいらしい・・・。

もう25年近く前、1991年の我が家の「お弁当日記」ではある。

150630shika <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年6月28日 (日)

脚本家「倉本 聰」の講演会:わたしたちと放送~放送90年

HKラジオ第2を聞いていると、色々な人が講演会で話をしている。その中には、なるほど・・・と教訓を得るものがある一方、「ヘエー」と、面白いものとがある。
先日聞いた、「カルチャーラジオ日曜版」「人間を考える わたしたちと放送 ~放送90年(2)倉本 聰」(2015/06/14放送)は、後者の“面白い”講演だった。

NHKの解説にはこうある。
人間を考える わたしたちと放送~放送90年
各界の著名人に、豊かな人生経験の中から、様々な感動や発見のエピソードを通して、人間のすばらしさや生きる力等について語っていただく連続講座。6月は「わたしたちと放送」をテーマにします。
今年はラジオ放送開始90年。IT技術の革新やインターネットの普及にともなって、メディアのありようも変わり、存続の危機も叫ばれています。一方でグローバル化の甚だしい今日、情報の即時性、重要性はますます高まっています。
わたしたちの放送がどうあるべきか、これからの放送とわたしたちの社会のありようを問いかけます。」(
ここより)

そしてこの講演の、倉本聰氏に経歴について、こうある。
倉本 聰(くらもと・そう)
脚本家、劇作家、演出家。昭和10年、東京都生まれ。東京大学文学部美学科卒業後、昭和34年ニッポン放送入社。37年に退社後、脚本家に転身。52年、富良野に移住。59年から役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰。平成17年には、閉鎖された富良野プリンスホテルゴルフコースに植樹して、同地を自然の森に戻そうとするNPO法人C・C・C富良野自然塾を開設し、その塾長に就任。代表作に『北の国から』『前略おふくろ様』『昨日、悲別で』『ニングル』『優しい時間』など多数。」

★この番組の全部(60分)をお聞きになる方は、(ここ)をクリックしてしばらく待つ。

この倉本聰氏の話は、まさに人生の回顧録。
「北の国から」で有名な倉本聰氏だが、誰でも突然売れた訳ではない。そこには長い下積みがあり、色々な事件がある。

この話を聞いていて、NHKの大河ドラマ「勝海舟」を巡ってNHKと衝突があり、それがキッカケで北海道に移り住んだ、ということを知り、「ヘエー」と思って、Netで検索してみた。
すると(ここ)(ここ)というサイトで、その経緯が詳しく書かれていた。

軋轢の原因は、脚本家と演出家の境。それが「脚本家が演出権を侵害している」という事になり、ぶつかったらしい。
これは音楽でもあるらしい。編曲家は、楽譜を渡された後は、自由らしい。しかし、時には作曲家から、「ここはこうして」と注文が付くこともあり、制限がかかる。
でも編曲家も演出家も、原点は作曲家や脚本家の原作があってこその存在。自分的には、原作者の意図が勝ると思うのだが・・・
これはクラシック界における指揮者も同じ。指揮者は、いかに作曲者の意図を表現するかが仕事だという。つまり、「自分はこう思うから演奏する」のではなく、「作曲者は、楽譜には書いていないが、こう思って書いたのだろう」と想像して、それを具現化する。
そんな前提で上のNHKの演出家とのぶつかり事件を読むと、自分には違和感を覚える。

それにしても、雑誌の取材者との話は、やっぱり・・・と思う。つまり、取材の相手のことなどよりも、“読者にとって面白い”ことだけをつまみ食いして記事にする。まさに、マスコミとはそんなものなのだろう。

ともあれ、ひょんな事で、倉本聰氏の人生をなぞってしまった。
「北の国から」については、前に書いた(ここ)。これは「もう一度見たい20世紀の名作ドラマ」アンケートで、断トツの1位だった。
また、前に自分が感激したフジテレビの「風のガーデン」(ここ)も倉本聰。

昔の自分の記事を読むと、「北の国から」「優しい時間」「風のガーデン」が「富良野三部作」だという。そう言えば、「優しい時間」は見ていない。
そのうち、たぶんNetで探せば動画がどこかにあるだろうから見てみようかな・・・

150628mizu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年6月27日 (土)

「彼女」~死に向かう姿

先日の日経。
「(プロムナード)彼女 若松英輔
 余命が限られていると分かっていても彼女は、そのことを周囲に伝えるのを強く拒んだ。話を聞いた人が自分のことで人々が心配するのがいやだったのである。そこには夫の家族や自分の両親もふくまれていた。関係が悪かったのではない。親友も死まで彼女の闘病を知らなかった。
 だが容体が悪化し、腹水がたまり始め、夫ひとりでは介護することができなくなる。隠し通すことができなくなって彼女は、自分がガンであることを両親に伝えた。以後、夫ともども彼女の実家で暮らすことになった。亡くなる五ヶ月ほど前のことである。
 腹水だけでなく、胸にも水がたまり、呼吸することすら困難になることがあった。激しい苦痛であることは明らかだった。だが彼女は苦しみを訴えない。夫は「何でも言っていいんだよ。苦しいときはそう言ってね」と話した。すると彼女はしばらくだまってこう言った。「ありがとう。でもいいの。私が感じていることそのまま口にしたら、聞いたあなたはきっと、耐えられないと思うから」
 亡くなる前日のことだった。胸水の勢いが増して呼吸が困難になり、救急病院に搬送された。医師は応急処置をし、夫に状況は極めて深刻だと伝えた。彼女と夫が病室に入ると彼女の母親が来ていた。このとき、ほとんど口をきけない彼女が母に言ったのは、疲れるといけないから今日は家に戻って、明日また来てほしいということだった。「明日」は来なかった。彼女は、自分の最期を母親に見せまいとしたのである。
 二人きりになると彼女は、酸素マスク越しで夫にむかって、「ごめんね。少し疲れちゃった」と言った。亡くなったのは彼女の母親が病室を出て、三時間も経過していないときのことだった。夫は、まず妻の両親に連絡をし、自分の家族にもはじめて妻の闘病と死を伝えた。翌日が密葬と決まった。彼女は実家に運ばれ、その晩、夫は妻の横で寝た。幾度か顔をさわってみたが、つめたく動かない。当然ながら話しかけても応答はない。なぜか涙は出なかった。
 密葬には夫の家族も参列した。夫の母親は棺をつかみ、「どうして、あなたそこにいるの」とむせび泣いた。その声を聞いたとき夫は、本当に妻がいなくなったのだと初めてのように思う。わずかに残っていた理性がほころんでいたら夫は、葬儀を妨げるほどに慟哭したかもしれない。
 精神科医だった神谷美恵子の『生きがいについて』にはしばしば、愛する者を喪った若い女性の手記が引かれる。だが、手記を書いた女性とは、患者のひとりではなく、突然恋人を喪った若き日の神谷自身だったのである。
 「ガラガラガラ。突然おそろしい音を立てて大地は足もとからくずれ落ち、重い空がその中にめりこんだ。私は思わず両手で顔を覆い、道のまん中にへたへたとしゃがみこんだ。底知れぬ闇の中に無限に転落して行く。彼は逝き、それとともに私も今まで生きて来たこの生命を失った。」
 だが同書で神谷は、イギリスの詩人テニスンの次のような一節も引いている。
 「愛し、そして喪ったということは、いちども愛したことがないよりも、よいことなのだ」
 本当なのだろう。今はこの詩人の呻(うめ)きもよく分かる。これまで書いてきた「彼女」とは、五年前に逝った私の妻である。(批評家)」(2015/06/11付「日経新聞」夕刊p7より)

読んできて、何とも切ない。
大いなるものは、なぜこうも、人間の最期に、苦難を与えるのか・・・
そこに救いは無いのか・・・

こんな記事を読むたびに、最期まで意識があるのは残酷だと思う。
意識が正常なだけに、苦痛も敏感に受け止めてしまう。
それにしても「夫は、まず妻の両親に連絡をし、自分の家族にもはじめて妻の闘病と死を伝えた。」という推移に、それを聞いた夫の家族はどう思うのか・・・
夫である息子と、その両親との関係を色々と想像してしまう。
家族とは何か? 息子と親との関係とは・・・

自分なら耐えられないな・・・。家族とは、迷惑をかけあうもの。心配をされあうもの。家族だからこそ色々なことを一緒に悩み、起きた問題に巻き込むもの。それが出来るから家族。それが出来ないなら、他人と同じで真の家族とは言えないのでは??

そうは言っても、相手の心痛を思って、事実を伝えないのも、やはり「思いやり」・・・
家族には色々な形があり、一概には定義できないもの・・・。それは分かる。
しかし少なくとも自分は、家族とはどんな喜びも哀しみも分かち合える存在、と捉えたい。
まあ、我が家で起こった大事件は、たぶん家族に直ぐに伝わるだろう。上の彼女のように、それを秘匿しておくだけの力が無いだけだが・・・

話は飛ぶが、今日、ある男と話をしていて、こんなことを思った。
「今後起きるであろう課題は、起きた時に考えよう・・・」

想定される事件は、起こる前にシミュレーションをしておいて、予め方策を練っておくことは必要だと思っていた。でも、状況は刻々と変わる。その事件が起きた時は、既に周囲の状況は変わっている。何よりも、人の心も時間と共に変わっていく。つまり、以前にシミュレーションしたときとは、状況が違うのである。
よって、起きた時に考えよう・・・

えっ? 何の話かって?? 
お墓をどうするとか、病気になったらどうするとか、腰痛で動けなくなったらどうするとか・・・、ま、すべてさ・・・

150627musuko <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年6月25日 (木)

地震情報と、震源地までの距離計算

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(今さら聞けない+)地震情報 人の目も使って震源特
 地震が起こると、気象庁が数分のうちにテレビやインターネットを通じて、地震の震度や震源の場所を速報します。どうやって調べているのでしょう。
 気象庁によると、地震の発生を受けて約1分半後に、震度3以上を観測した地域名を伝える「震度速報」を発表します。5分後には、震度3以上を観測した市町村名などについての「震源・震度に関する情報」、または震度1以上を観測した地域名などの「各地の震度に関する情報」を出します。津波が予想される場合は、地震から約3分後に津波警報や津波注意報が発表されます。
      □     □
 震度や震源を調べるのに使われているのが、全国約1500カ所に設置されている地震計と約4400カ所にある震度計。気象庁だけでなく、自治体や大学、研究機関が設置しているものです。
 地震計は地面の揺れを波形としてとらえ、震度計はさらに揺れの加速度などから震度を計算します。内蔵された東西、南北、上下の3方向のセンサーが揺れを感知します。20年ほど前までは、震度は気象庁の職員の体感をもとに決めていたそうです。地震の規模はマグニチュードで示し、各地で観測された波形から自動的に推定されます。
 震源を特定するには、地震で生じる2種類の波を利用します。まずやってくる「カタカタ」と150625jisinn 小さく揺れるP波、その後に「ゆさゆさ」と大きく揺れるS波です。
 地面を伝わる速さは、P波が秒速約7キロ、S波は秒速約4キロ。震源が観測点のすぐ近くだと、P波とS波はほとんど一緒に来ますが、震源から離れた場所ではP波とS波との間に時間差(初期微動継続時間)が生じます。この時間差で観測点から震源までの距離を割り出せます。少なくとも3カ所で震源までの距離がわかれば、震源を特定できます。
 この作業は、東京都千代田区の気象庁と大阪市中央区の大阪管区気象台で同時に行われています。
 地震発生をとらえると、当直の職員数人が専用端末で揺れの波形を確認し、P波とS波がどこから始まっているかを読み取ります。道路工事など地震以外の揺れである可能性があるので、人の目で一つひとつ確認しています。
      □     □
 しかし、今年2月に三陸沖で発生した地震で、震源を実際よりも約100キロ沖合にあると間違えるケースが起きました。二つの地震がほとんど同じ場所で、数秒の差で発生していたのを、一つの地震と判断したのが原因でした。大阪管区気象台地震火山課の新納孝寿(にいのうこうじ)調査官は「めったに起きたことがない地震だった」と言います。
 気象庁は対策として、マグニチュード6以上で、深さ100キロ以内で起きた地震の場合はP波だけを使って震源を特定する方法も使い、割り出した震源の位置を比較する手順を加えました。P波が観測点に到達した時間と、観測点同士の位置関係から震源を特定する方法です。それぞれの計算で出た震源が50キロ以上離れていれば複数の地震として扱い、適切な発表ができるようにしました。
 また、地震が海域で起き、津波が発生する恐れがあるときは、予想される津波の高さに応じて大津波警報、津波警報、津波注意報が発表されます。
 予想に使われるのが、震源と規模の条件を変えてコンピューターでシミュレーションし、作成してある約10万通りの津波予想データベース。ここから適切な事例を選び、沿岸部での高さや到達予想時間を推定しています。
 しかし、震源が陸地に近いと、すぐに津波が襲来する恐れがあります。気象庁は「海岸付近で強い揺れや弱くても長い揺れを感じたときは、すぐに避難を始めてほしい」と呼びかけています。
 ■記者のひとこと
 今回の取材で、震源を特定する作業に人の目と手がかかっていることを知りました。てっきり自動化されているものと思っていました。東日本大震災があった2011年には、小さいものも含めて約30万個をチェックしたそうです。外国ではどうやっているのか気になりました。(福島慎吾)」(2015/06/13付「朝日新聞」e6より)

ま、そうだろな・・・・
所で、上の写真にある、震源までの距離の計算式が分からない・・・。
でも方程式を立てれば分かるはず・・・・

写真の1)を見て、二元一次方程式を立てる。
地震までの距離(y)=P波の速度(p)×初期微動までの時間(x)
地震までの距離(y)=S波の速度(s)×(初期微動までの時間(x)+初期微動継続時間(d))
つまり下記を解けばよい。
y=p×x
y=s×(x+d)

上の式から、x=y/p
下の式に代入すると、
y=s×(y/p+d)=s×(y+p×d)/p
y×p=s×y+s×p×d
yの項を移項して、
y(p-s)=s×p×d
よって
y=s×p×d/(p-s)=(p×s)/(p-s)×d
つまり写真にある
地震までの距離(y)=P波の速度(p)×S波の速度(s)/(P波の速度(p)-S波の速度(s))×初期微動継続時間(d))
となる。

なるほど・・・。合った・・・

まだまだ中学2年生の数学は解ける。
あと10年後、孫が中学生になったら教えてやるかな・・・
でも、その頃は、こっちがボケていたりして~・・・。あ~ヤダ!

150625migikiki <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年6月24日 (水)

「がん」と「癌」の違い

「ヘエー!」こんな定義があるらしい・・・
「(がん社会を診る) 「がん」と「癌」の違い 中川恵一
 この連載では一貫して「がん」という言葉を使っていますが、「癌」との違いをご存じでしょうか。
 「がん」は遺伝子の突然変異によって細胞が増殖する悪性腫瘍全般を指します。漢字の「癌」とは微妙な違いがあります。医学用語の「癌」は、臓器の表面を覆う上皮の細胞から発生する悪性腫瘍を意味し、英語ではカルチノーマと呼びます。ギリシャ語のカニを意味するカルキノスが語源で、当時唯一診断できた乳がんがカニの甲羅のように硬いことから名付けられました。
 上皮とは、皮膚や粘膜など、身体や臓器の表面を覆う組織ですが、外界とつながっていることが特徴です。たとえば、胃癌ができる胃の粘膜は、口や肛門を通じて外界とつながっていますから上皮の一つです。肺癌ができる気管支上皮も、膀胱(ぼうこう)癌ができる移行上皮も、鼻や尿道を通して外界と連続しています。膵臓(すいぞう)などは一見、身体の外とつながっていないように見えますが、膵臓癌ができる膵管は消化液を十二指腸に運ぶためのパイプですから、胃と同様に外界と連続しています。悪性腫瘍のほとんどは、こうした上皮細胞が悪性化した癌です。
 一方、骨や筋肉、脂肪のように外界につながっていない肉にあたる細胞からできる悪性腫瘍を「肉腫」(英語ではサルコーマ)と呼びます。肉腫は癌より頻度は少なく、悪性腫瘍全体の1%を占めるにすぎません。癌とちがって、若い世代にも多く、小児の悪性腫瘍の2割近くが肉腫です。肉腫は幅広い年齢の患者で、全身のさまざまな場所にできるため、治療法も、治療効果も多様なものになります。
 「癌」や「肉腫」のほか、白血病や悪性脳腫瘍など、すべての悪性腫瘍を総称したものが「がん」で、100種類以上あります。東京都にある国立がん研究センターが「癌研究センター」ではないのは、すべての悪性腫瘍を診療の対象にしているからです。
 ただ同じ「がん」でもできる臓器やタイプごとに、できやすい年齢もたちの悪さも全く異なります。日本人は「がんか、がんでないか」で一喜一憂しますが、「がん」という言葉でひとくくりにするのは間違っています。どの臓器のどんな種類の「がん」かが重要なのです。(東京大学病院准教授)」(2015/06/11付「日経新聞」夕刊p10より)

自分は今まで「がん」と「癌」は、単なる書き方が違うだけで、行っている意味は同じだとばかり思っていた。しかし、
「がん」=悪性腫瘍全体を指す
「癌」=悪性腫瘍のうち上皮性のものを指す
のだという。

では「ガン」は???
どうも「がん=ガン」らしい。

何? 自分の一番キライな言葉? 「がん」さ・・・

150624kinsyou <付録>「ボケて(bokete)」より

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