2014年9月 2日 (火)

「一人暮らし高齢者、479万人」&「肺がん「積極治療せず」6割」

当サイトは、どうも病気や死の話が多いので恐縮だが、まあ「良く死ぬことは良く生きること」という言葉もあるので・・・
だいぶ前だが、朝日新聞にこんな記事があった。
「(数字の話)一人暮らし高齢者、479万人
 2010年の国勢調査によると、2924万人いる65歳以上の高齢者のうち、一人暮らしは479万人で16.4%を占める。国立社会保障・人口問題研究所はこの割合が20年に18.5%、35年に20.4%に増えると推計している。
 高齢社会白書は、高齢者の孤立によって、生きがいの低下や孤立死の増加、消費契約のトラブルの発生などが起きる可能性を指摘している。厚生労働省研究班の推計では、12年時点で認知症は462万人いて、65歳以上の高齢者の約7人に1人に相当する。認知症で一人暮らしの人は10年時点で約43万人という。
 認知症の研究をしている鳥取大医学部の浦上克哉教授は「高齢者の一人暮らしの増加は、認知症の予防にも影響してくる」と話す。認知症の予防には、運動や知的活動、コミュニケーションが重要で、一人暮らしでは、ほかの人と話す機会が少なくなる傾向があるためだ。
 家族との会話は認知症を防ぐ効果があるとされ、特に3世代で暮らし、孫と話す機会があるとよいらしい。浦上さんは、一人暮らしになったら、日課を決めて朝から活動し、散歩や趣味、近所の人とのおしゃべりをすることを勧めている。」(2014/08/05付「朝日新聞」p29より)

そして先日の日経新聞にはこんな記事も・・・
肺がん「積極治療せず」6割 90歳以上で発見の場合
 90歳以上でがんが見つかった場合、切除や縮小を目指す積極的な治療は肺がんでは6割で行わず、胃がんや肝臓がんでも半数では実施しないことが25日、国立がん研究センターの集計で分かった。患者の多い主要な5種類のがんについて、2012年に全国397のがん診療連携拠点病院で診断された約61万人の診療情報を集計した。
 高齢者はがんの進行が比較的遅いことや、抗がん剤の副作用、手術の身体的負担を考慮し、痛みや吐き気への対応にとどめることが多いためとみられる。80代では、治療しない人の割合が最も高い肺がんでも無治療率は約3割にとどまった。
 集計は胃がん、大腸がん、肺がん、肝臓がん、乳がんが対象。90歳以上でも、大腸がんは8割、乳がんは9割が積極的に治療していた。大腸を詰まらせる大きながんを取り除く手術や、乳がんのホルモン療法が広く行われた可能性が考えられるが、原因は特定できていないという。
 また、40代以下と80代以上は進行した状態で見つかる場合が比較的多いが、若い患者はどのがんでも大半が積極的に治療を始めていた。
 センターは「本人の体調やがんの特徴によって適切な治療は変わるが、自分と同じ年代、進行度の人がどんな治療を受けているかの参考になる。患者と医師が話し合う際の材料にしてほしい」と話している。
 各病院が提供する医療の向上を図るため、診療数や生存率などの情報を集める「院内がん登録」を利用した。報告書は同センターのサイト、
http://www.ganjoho.jp/professional/index.html閲覧できる。」(2014/08/26付「日経新聞」p38より)

誰でも高齢になると、徐々に連れ合いを亡くし、ひとりになって病気を得て死んで行く。まさに「生老病死」で、高齢者の仲間入りをした自分も、これから後の3つを“こなさなければ”ならない。
上の記事によると、65歳以上のひとり暮らしが16%でこれから20%になって行くという。そしてガンにかかった時、90歳以上では半数以上が治療しないという・・・。そして、80歳ではそれが3割だという・・・。
この判断は、対象が自分の場合と家族とでは、違って来るような気がする。
それが家族であったら、もちろん本人の意志が最優先だが、認知症などで自分の意志を言えない場合は、多分その時点での、これからの本人の日々の生き甲斐を念頭に、無治療で「苦しまないで、そのまま」という選択をするような気がする。正月に亡くなったお袋(ここ)のように・・・。
そして、それが“我が事”だった場合は、フト我に返って、(その時の自分の状況にもよるが、自分の精神状態がまともだったら)「治療をしない」という選択に耐えられるか・・・だ。

ここでは、勝手に言いたいことを日々書き殴っているが、気が弱い自分の場合、ホントウに自分がそんな環境に陥った時、何もしないという恐怖に耐えられないかも・・・

今日も不整脈で病院に行ったが、この心臓が何かの病気で止まる時期が見えてきた時、自分は精神的に崩れるだろうことは容易に想像できる。
誰でも訪れる「その時」に向かって、何をどうすれば良いのか・・・。精神の鍛錬をしないと・・・ナンテいつも思うのだが、直ぐに「臭い物には蓋」と忘れてしまうことが自分の人間の浅さ・・・。トホホ・・・。

140902yubiwa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年9月 1日 (月)

「最近イラッときたマナー違反」ベスト20

先日の「朝日新聞」に、こんなベストテンが載っていた。
「(beランキング)最近イラッときたマナー違反
■通行を阻む歩きスマホ・たばこ
 暑くて暑くて、ただでさえ心の余裕がなくなっているところに他人のジコチューな行為に出くわすと、イライラが沸点に達しそうです。それが人間というもの。人はどんな場面で、他人のどんな行為にイラッとくるのでしょうか。読んでいるだけでイラッとくるかもしれませんが、しばしお付き合いを。

 誰にとっても都市生活にイライラはつきものだ。そのイライラはたぶん、あなたの心が狭いからではない。ランキングを見れば安心していただけるだろうか。一方で少しだけ、ご自身の振る舞いを省みる機会にもなるかもしれない。
 急速に普及したスマートフォンの扱いに厳しい目が向けられ、1位に。スマホ依存という言1400901ira 葉の通り、片時も目が離せない人もいる。「スマホ男が前から来てぶつかりそうだったので止まっていたら、邪魔だ、と怒られた」(大阪、49歳女性)というのは納得できないだろう。電気通信事業者協会は今夏、各地の花火大会で「やめましょう、歩きスマホ。」というロゴ入りのうちわを配った。効果やいかに。
 「歩道で、スマホを見ながら自転車に乗って向こうからやってくる。怖い」(愛知、45歳女性)と「自転車スマホ」を問題視する声も。大事故につながりかねない。
 2位は禁煙・分煙社会の裏返しだ。プハーッと心置きなくやれるのは道路だけ? とんでもない。最近は路上喫煙の禁止エリアが広がっているし、そうでなくても通行人の迷惑になる。「朝シャワーを浴び、髪を乾かして、爽快に出勤しようと道路に出たとたん、歩きたばこの人に遭遇。背中を蹴りたくなる」(宮城、52歳女性)
 たばこの先端の温度は800度になるとも言われる。「小さい頃にたばこで手の甲をやけどさせられた。歩行喫煙ほど子どもの敵はない!」(岐阜、51歳男性)
 元祖マナー違反が3、4位につけた。「家が角地に立っており、犬のフン害に憤慨している」(福岡、51歳男性)。冗談じゃ済まされない。「さっき、おじさんがたばこを道に捨て、足で蹴って排水溝に落としているのを見たばっかり」(北海道、54歳女性)。いるいる、排水溝を吸い殻入れと勘違いしている人。
 狭い道に横一列のご一行様。5位に入った。前を行くケースも、向かってくるケースも迷惑をこうむる。「高校生から20代くらいの若者は、すれ違う時、絶対と言っていいくらい道を譲らない」(京都、50歳女性)そうである。
トラブル恐れ?「注意しない」
 今回、イラッときた行為を10件まで選んでもらったが、「選択が10件までとは、少なすぎます! イラッときました」(福岡、64歳男性)とのおしかりを受けた。失礼いたしました。
 ご自身がイラッときやすい性格かも尋ねたところ、「しょっちゅうイラッとくる」17%、「時々イラッとくる」60%だった。一方、イラッときた時、人に注意するかどうかを聞くと、「めったに注意しない」62%、「絶対に注意しない」15%という結果だった。愛知の女性(54)は「夫はすぐにイラッときて、たまに人に注意をする。しかし今の時代、どんな人がいるかわからない。注意したら殴られたり刺されたりすることがあるので、やめてほしい」。
 なぜ、人はイラッとくるのか。「迷惑学」をテーマにした著作がある金城学院大学の北折充隆准教授(社会心理学)は「人は、他人への影響を考えない行為を不快に感じる。自分の行動を俯瞰(ふかん)する視点を持てるかどうかがカギになります」と話す。多くの人が他人にイライラしている現状について、「『失われた20年』と呼ばれる長い不景気で、社会の締め付けが厳しくなり、細かいところに目がいくようになったのだと思います」。
 どうしたら円滑な社会生活を送れるのか。北折さんは「やってもらってうれしかったことはどんどんやり、やられて嫌だったことはやらない、を徹底する。迷惑な人には恥ずかしいことと自覚させるべきですが、個人での実践は簡単ではありません」。今日も悩みながら生きていこう。(吉川一樹)
     ◇
 調査の方法 朝日新聞デジタルのウェブサイトで、デジタル会員登録者を対象に7月中旬にアンケートを実施。回答者数は1903人。編集部が挙げた64の選択肢から、ここ数カ月で印象に残っている他人のマナー違反を10件まで選んでもらった。21位以下は「電車・バスでイヤホンから音漏れさせる」「混雑の中で立ち止まる」「夜に騒音を出す」「口を開けてくちゃくちゃ食べる」と続いた。1~5位のイラストは岡山進矢さん。」2014/08/09付「朝日新聞」b2より)

<最近イラッときたマナー違反 ベスト20>
①携帯・スマホを見ながら歩く
②喫煙しながら歩く
③犬のフンを始末しない
④道にたばこを捨てる
⑤道路を横に並んで歩く
⑥自転車で歩道を疾走
⑦出入り口や通路でたむろする
⑧せきやくしゃみの時に口を押さえない
⑨道路につばを吐く
⑩電車で人が降りるのを待たずに乗る
⑪歩行者を優先しない車の運転
⑫混雑の中でキャリーバッグをひく
⑬列の割り込みをする
⑭あいさつをしない・返さない
⑮電車・バス・店で大声で話す
⑯ごみ出しのルールを守らない
⑰電車・バス・店で携帯で話す
⑱混雑の中でリュックを下ろさない
⑲混んでいるレジ・窓口でもたもたする
⑳電車・バス内で化粧をする

なかなか面白い統計ではある。まあバカバカしいけど・・・
これらを眺めてみると、電車内での化粧のように、イラッとするよりも不快に感じる項目もある。
上から順に、”自分的に”これらを眺めてみると、「道路を横に並んで歩く」は良くある。会社から駅までの通勤路が、近くの私立高校の通学路と重なっているため、帰りなど高校生がおしゃべりをしながら道路一杯になって歩いており、困る。朝は小学生並みに先生方が道路に出て「横に寄れ!」と号令をかけているので良いが・・・。
それと「出入り口や通路でたむろする」もある。会社の帰りに電車で駅に着くと、ホームへの階段の上り口付近に、近くの女子大の学生がこれまた固まっておしゃべり。だから、どっと降りた電車の乗客が、階段に近付けない・・・。困ったモノ・・・
「混雑の中でキャリーバッグをひく」も、電車の終点で、乗客がどっと改札へ向かう時に迷惑。キャリーを持っている人の後に、3人分位のスペースを取って堂々と歩くので、これまた邪魔・・・
また電車などで、「混雑の中でリュックを下ろさない」のも困る。背中からリュックを下ろして前にすれば良いが、背中のままだと2人分のスペースが必要になりラッシュの時は、困る。
・・・ナ~ンテ勝手なことを言っているが、立場変われば自分も知らぬうちにどれほど周囲に迷惑やイラッを与えているか分からない・・・。
「人の振り見て我が振り直せ」。他人を非難する前に、まず自分を見直さねば・・・ね。

140901akumu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月30日 (土)

伊藤久男の「夕陽行(仮)」

先日、半世紀前(1965年)のテープを再生した話を書いた(ここ)。今日はその第3弾。当時のNHKラジオで放送した伊藤久男集を録音したテープに入っていた曲名不詳の歌である。一番の歌詞から、とりあえず「夕陽行(仮)」という題名にしておく。

<伊藤久男の「夕陽行(仮)」>

「夕陽行(仮)」
   作詞:??
   作曲:??

草は枯れて 道のなき
荒れ野 寒そに(?)飛ぶ雁よ
ああ青春の
望み破れてさすらいの
旅のわびしき夕陽行

夜ごと結ぶ 夢にさえ
ひとりたどるは故郷よ
ああ沈みゆく
赤い夕日に(身を染めて?)
胸にあふるる我が涙

上の歌詞は、聞き取りをしたもので、正確ではない。もし、うまく聞き取れた方は教えて欲しい。

この歌探しを、ひとつのゲームとして捉えると、それもまた楽しい。
「ここに半世紀前のNHKラジオの録音があります。分かっていることは、伊藤久男が歌っているという事だけです。さて、この歌は何という歌でしょう??」という質問の解答は??

少なくとも、作曲は古関裕而だと思うのだが・・・
Netがどの位の影響力があるのかは知らないが、もし少しでも情報があれば、ぜひコメントを頂きたく・・・!!

140830sagase <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月29日 (金)

「健康長寿と医療費」そして「スイスへの安楽死渡航」

だいぶ前だが、日経新聞にこんな記事があった。
健康長寿で医療費は減る? 予防の効果、実証なく
 このほど、2014年版厚生労働白書が公表された。今年のメーンテーマは「健康長寿社会の実現に向けて」。日本はすでに長寿社会を実現しているが、これからの課題は「いかに健康な期間を長く保つか」だという。予防に気を使い、健康で長寿であれば、医療費や介護費も抑えられるとの考えだが、果たしてうまくいくのだろうか。
 厚労省の7月末の発表によると、13年の日本の平均寿命は男性が80.21歳、女性が86.61歳。女性は世界でも最長寿。この年初めて80歳代に到達した男性も香港やアイスランドなどと共にトップクラスに入る。医療水準の向上などに合わせ寿命はどんどん延びてきた。
 これに対し「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」である健康寿命は同省によると、男性70.42歳、女性73.62歳(共に10年時点)とされる。平均寿命と健康寿命の差は男性で10年、女性で13年ほどあるわけだが、厚生労働白書は「この差を縮めていくことが重要」と指摘した。
 白書は「我が国における健康をめぐる施策の変遷」「健康をめぐる状況と意識」「健康寿命の延伸に向けた最近の取り組み」の3章構成。注目されるのは「最近の取り組み」。国は要介護状態とならないための高齢者に対する予防事業、現役からの健康づくりなどを積極的に進めるという。
 介護予防では、全国の自治体が地域の実情に応じた体操教室など様々な取り組みがしやすい環境を整える。現役向けには、生活習慣病を防ぐための健診や健診結果に基づいた指導を強化し、禁煙対策も推進。これらの施策で25年に向けて5兆円規模の医療・介護費節減を図るとする。
 医療費や介護費は年間で50兆円近くも使われている。5兆円の節減は大きな効果だ。ところが医療制度に詳しい日本福祉大の二木立学長は「根拠がまったく示されていない主観的な目標、願望にすぎない」と指摘する。
 予防や健康増進活動を進めれば、医療費などは減ると思いたいところ。世界各国でも同じことを考えて、様々なモデル事業や実証研究が実施されてきた。しかし、それらの結果を見ると、健康状態の改善効果などは確かめられるものの、「医療費節減効果はほとんど確認されていない」(二木学長)という。
 禁煙プログラムについては例外的に余命延長と短期的な医療費節減の両方の効果が確認されている。ただ、禁煙によって寿命が延びる分で余計に医療費を使う。その生涯医療費を考慮すると、短期的な医療費削減効果は相殺されかねない。それどころか、禁煙プログラムを実施した方が生涯医療費は多くなるとの研究結果もある。
 予防や健康増進の活動は、国民一人ひとりが幸せに生きていくためにも必要。十分に取り組んでもらいたい。しかし、それで医療費や介護費が減らせるとは安易に考えない方がよさそうだ。
 超高齢化が進む中で、医療費や介護費の抑制は大きな課題であることは間違いない。ただその手法については根拠があるもの、実効性があるものを十分な説明と合意のうえで進めるべきだろう。(編集委員 山口聡)」(2014/08/10付「日経新聞」p3より)

我々シルバー族が、これから担う重たい課題が「平均寿命と健康寿命との間の期間をどうするか?」。
言うまでもなく、上の記事の論は、あくまでも平均値であって、実際に我々がどうなるかは分からない。でも「平均」では、平均寿命と健康寿命の差は男性で10年、女性で13年あるという。つまりこの期間は、“不健康状態”にあると想定される。つまり、他人の介護を必要とする期間である。
よって白書にあるように、「この差を縮めていくことが重要」であることは言うまでもない。
もちろん理想は、健康寿命を平均寿命に近付けることだが、ピンピンコロリはそう簡単ではない。

前に伯母が入っていた老人ホームに見舞いに行くと、全員がテレビの前でボーッとしている。もちろん認知症が進んでいた伯母も・・・。その光景を見るのが辛かった。
そして今年の正月に亡くなったお袋も、見舞いに行くと、いつも「する事がない。家に帰りたい」と言っていた。そしてホームの2年間は、ただただ食べて寝るだけの生活で、認知症も進んでいった。兄貴がよく言う。「お袋のこの2年間は何だったのか・・・」。でもそう簡単に人間は死ねない。

一方、先日こんなニュースもあった。
安楽死目的でスイスへの渡航者急増
 安楽死を遂げるためスイスに渡航した重症患者らの数が、2008年の123人から12年の172人へと4年間で約1.4倍に急増したとの調査結果を、チューリヒの研究機関が21日までに、英専門誌ジャーナル・オブ・メディカル・エシックスに発表した。
 急増の詳しい原因は不明だが、スイスでは医師が薬物を処方し、死を選んだ患者が自ら使用する「自殺ほう助」が事実上認められており、支援する団体も存在する。
 08~12年に31カ国の計611人(23~97歳)が安楽死の目的でスイスに渡航。平均年齢は69歳で約6割が女性。神経疾患の患者が多数を占めていた。国別ではドイツ、英国が多かった。
 欧州では安楽死をめぐる対応が国によって分かれており、制度化すべきかどうかの議論が徐々に活発化している。条件付きを含めると、オランダやベルギーなどでも認められている。(共同)(2014年8月22日)」

「「自殺ツーリズム」 安楽死を求めてスイスへ渡航する人が急増
チューリッヒ大学の研究者らによって「自殺ツーリズム」という研究論文が発表された。安楽死を遂げるためスイスに渡航した外国人が急増しているという。論文によると、2008年は123人だったのに対し、2012年は172人と4年間で1.4倍に急増。神経筋疾患の患者が多数を占めていたという。47Newsなどが報じた。
611人の渡航者を国別に見るとドイツとイギリスだけで3分の2を占め、フランス、イタリアなどが続いた。48%以上の人が神経疾患を抱えていたほか、がん(37%)、リウマチ(25%)、心疾患(15%)などの疾患を抱えており、約3分の1の人が複数の疾患を抱えていた。
スイスには、病気の末期症状や重度の身体疾患・精神疾患者に対し、有資格者の医師と看護師の援助を受けて自殺を幇助する「ディグニタス」という非営利団体が存在する。
論文によると、ディグニタスは年間600件の安楽死の案件を扱っており、そのうち150~200は海外からの渡航者によるものだとしている。論文の中の611人の安楽死のほとんどにも、ディグニタスが関わっていた。イギリスのBBCによると、ディグニタスはその活動によって、年間9000~1万500スイスフラン(100~120万円)を得ていると言われている。
なお、スイスにおける安楽死では、現在1人当たり約3000ドル(約31万円)のコストがかかるという。論文執筆者の一人であるユリアン・マウスバッハ博士は、海外諸国が安楽死を認めていないために患者がスイスまで旅行しなくてはならない状況や、安楽死のコストをスイス政府が支払い続けるべきなのかという問題を指摘しているという。」(2014/08/22付「ハフィントンポスト」(
ここ)より)

このスイスへの渡航者の中に、日本人はいないと言うが、これらの行動は、自ら「自分の寿命と健康寿命を、自分の意志で短縮すること」になる。
自分もそのうち、「今日も生きた!」と実感“できなくなる”日がやってくるだろう。その時に、何ら行動できない自分をどう捉えるのだろう?
ま、認知症になってしまえば、そんな事を考えることも無い訳ではあるが・・・

何とも、こんな記事が気になるトシになりつつあるな~・・・。

140829chinoike <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月28日 (木)

従軍慰安婦記事 誤報の“朝日新聞問題”

今朝、電車の中で日経新聞を読んでいたら、週刊文春と週間新潮の広告があり、従軍慰安婦問題で派手に朝日新聞をたたいていた。面白そうだから買おうかな・・・ナンテ・・・。
そして、昼食に行った近くのそば屋で朝日新聞をめくっていたら、こんな記事があった。
週刊文春の広告、朝日新聞社が掲載断る
 朝日新聞社は27日、週刊文春9月4日号の新聞用広告に、慰安婦問題をめぐって朝日新聞社の名誉と信用を著しく傷つける表現があるとして、朝日新聞への掲載を断った。文芸春秋は朝日新聞社に抗議した。
 朝日新聞社広報部は「当該の広告は論評の範囲を著しく逸脱し、本社の社会的評価を低下させるものであり、本社の広告掲載基準に基づいて掲載に応じられないと判断しました」としている。」(2014/08/28付「朝日新聞」P36より)

おっと、戦争だな・・・。朝日新聞に、文春だけでなく新潮の広告も見当たらないな・・・と思っていたら、朝日は新潮の広告も拒否したようだ。
朝日新聞が週刊新潮の広告も拒否
 新潮社は28日、朝日新聞に「週刊新潮」9月4日号(8月28日発売)の新聞広告の掲載を拒否されたと明らかにした。
 新潮社によると、当該号の広告には朝日新聞の旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する報道をめぐり、「『朝日新聞社』の辞書に『反省』『謝罪』の言葉はない!」などの文言があった。
 朝日新聞が26日、「反省」の文字や読者が減っているとした見出しを修正するよう求め、新潮社が拒否したところ、27日に掲載を見送ると連絡があった。新潮社の広報担当者は「批判されたから広告を拒否するとは言語道断。来週号で今回の問題を検証したい」と話している。」(2014年8月28日共同通信(ここ)より)

この問題については、朝日の記事を鵜呑みにする訳にはいかない。外紙はどう捉えているのかと思ったら、ニューズウィークの記事が見つかった。

慰安婦問題の本質は大誤報を認めても謝罪しない「朝日新聞問題」だ
       池田信夫 エコノMIX異論正論
 8月5日から6日にわたって朝日新聞は慰安婦問題の特集を組み、これまでの「強制連行」に関する一連の記事が誤報であることを認めて取り消した。30年以上にわたって繰り返してきたキャンペーンが誤報だとわかったら、まず謝罪するのが常識だが、朝日新聞は謝罪せず、「慰安婦問題の本質を直視せよ」と開き直っている。
 慰安婦問題の本質とは何だろうか。慰安婦というのは戦地で仕事をしていた娼婦のことで、1990年ごろまでは大した問題ではなかった。それが日韓の外交問題になったのは、1992年1月の朝日新聞の記事が発端だ。これは1面トップの「慰安所 軍関与示す資料」という見出しで、慰安婦が「挺身隊の名で強制連行」されたと書いた。
 今回の特集で認めたように、この記事は事実誤認である。慰安婦は民間業者の募集に応じて、賃金をもらって働いていたのだ。「韓国の済州島で『慰安婦狩り』をやった」という吉田清治の話も、本人がフィクションだと認めた。軍の関与については、1992年に加藤官房長官が公式に認めて謝罪した。
 本来はここで終わりだった。内地でも娼婦は届け出制で、一人ずつ警察や保健所が管理していた。それと同じことを戦場では軍がやっていただけで、国家責任でも戦争犯罪でもない。ところが朝日新聞は「日本政府は強制連行を認めよ」というキャンペーンを張り、韓国政府がこれに呼応して国家賠償を求めた。
 それに対して1993年に河野官房長官が、強制があったとも受け取れる談話を発表したが、これが逆効果だった。
 この談話が「日本政府は強制連行を認めた」と受け取られ、国連が日本政府の「性奴隷」を非難する報告書を出し、2000年代には米議会でも慰安婦非難決議が出るようになった。
 しかし慰安婦に国家賠償するわけには行かない。民間業者の募集した慰安婦に賠償したら、戦時中に(同じく民間の募集で)朝鮮から内地に来た32万人の男性労働者が賠償を求めて訴訟を起こすだろう。最高裁の判例で(内地も含めて)民間の生存者には何も賠償しないことが確定しているので、それは不可能なのだ。
 河野談話のころまでは他のメディアも似たようなもので、「政府が強制連行を認めた」と報じたメディアもある。しかし吉田が嘘を認め、証拠が何も出てこないため、他のメディアは90年代後半にはこの問題を報じなくなった。そんな中で、朝日新聞だけが1997年になっても特集を組んで慰安婦キャンペーンを続けた。
 ほとんどの海外メディアは日本の情報を朝日新聞を通じて知るので、朝日の告発記事が伝言ゲームのように歪曲され、誇張された。このころになると問題は慰安婦の存在そのもにすり替わり、「日本政府はかわいそうな性奴隷の存在を否定している」という話が世界中に広がった。
 このため2007年に第1次安倍内閣で「強制連行の証拠はない」という閣議決定をしたが、これで問題が再燃した。安倍首相は各国政府とメディアに集中砲火を浴びて河野談話を実質的に追認し、このあと政府は慰安婦問題にコメントしなくなった。
 このころにはほとんどの国内メディアが強制連行を報道しなくなったが、朝日新聞だけが政府を攻撃し続けた。
 なぜ朝日新聞は、嘘と知りつつ慰安婦キャンペーンを続けたのだろうか。1997年には吉田の話の「真偽が確認できない」と認めたのに、過去の誤報は訂正しなかった。このとき「女子挺身隊」が誤りであることも知っていたはずだが、言及もしていない。彼らがいまだに謝罪を拒否するのは、謝罪すると経営者の責任問題に発展するからだろう。
 要するに、慰安婦が国家に強制されて性奴隷になったという「慰安婦問題」はもともと存在しないのだ。これは朝日新聞が自作自演した朝日新聞問題である。ところが彼らは誤報を訂正しないで「それは枝葉の問題だ」と強弁し、日本政府に謝罪と賠償を求めてきた。これが日韓両国に憎悪の悪循環を生み、外交を混乱させてきた弊害の大きさははかり知れない。
 大誤報を書いた植村隆記者は今年3月に朝日新聞を退社したので、彼を国会に呼んで事実関係を確認する必要があるが、本質的な責任は、誤報が判明したあとも逃げ回った編集責任者と経営者にある。本来は報道機関が自主的に第三者委員会で解明することが望ましいが、朝日新聞にはその気がないようなので、国会がやるしかない。(ニューズウィーク日本版 2014年8月20日配信掲載)(ここ)より)

どうもこの記事の方が、まともに見える。

実は自分も先日まで、慰安婦問題は“存在する”と思っていた。それが、先日、民放の番組を見ていたら、カメラを抱えて現地取材をしたところ、「韓国の済州島で『慰安婦狩り』をやった」という吉田清治氏の著書にある話が、軒並みウソであることが分かったという。たった5時間の滞在で、現地の住民が「そんな話は知らない」と証言しているのだ。
こんなに簡単にバレることを天下の朝日新聞が・・・。まさか・・・。と思ってみたが、どうもこの話は朝日に分が悪いらしい。

先日の、自分とある人との会話・・・。
「この前、民放でやっていたが、現地住民に聞くと、吉田清治氏の著書にあるような話は聞いたことが無いと言っていた。そんな簡単に分かることを、大新聞が現地の状況も調べずに報道するとは考えられない。しかも、それだけ大々的に行われていたことなら、幾らだって証拠や証人が出てくるはず。それなのに、“やっと証人が見つかった”という話は何かヘン!?」
「だから慰安婦問題なんか、最初から無かったのだ。朝日がでっち上げて、国際問題までにしてしまった」
それがホントウとすると、この話は、取り返しが付かない大事件・・・。

先日のテレビ番組、『週刊BS-TBS報道部』「検証・メディアの戦争責任」(2014/8/17放送)で半藤さんが言っていたが(ここ)、戦前戦中と、戦争をネタに新聞は販売部数を伸ばし、国際連盟を脱退すべき、とキャンペーンを打ち、自分たちが国を動かしているという権力のオゴリで、軍部と結託をして国民を戦争に向かわせた・・・とか。そのような実態があるとすると、今回の慰安婦問題は全くそれと同じ構図ではないのか・・・

それにしても、自社に対する反対意見が載っているから、その広告を閉め出すなど、大新聞がやることとは思えない。
実は自分は、新聞は少しは「公」だと思っていたが、この朝日の行動で、まさに新聞・マスコミは“私”であることが良く分かった。
マスコミに踊らされず、よくよく真実を見る目を養わなければ・・・と再認識した“朝日問題”ではある。

140828syoubu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月27日 (水)

原発事故による避難者の自殺判決に思う

昨日(2014/08/26)あった原発事故による避難者女性の自殺の福島地裁の判決。在京6紙のうち、朝日と毎日が今朝の社説で取り上げていた。
「(朝日新聞・社説)原発と自殺―過酷さに司法の警告
 福島第一原発の事故のために避難生活を強いられた女性が、命を絶った。つかの間だけ戻れた自宅で焼身自殺した。
 夫と子どもたちが東京電力に賠償を求めて提訴した。約2年の審理をへて、裁判所はきのう、東電の責任を認めた。
 判決は、避難生活によるストレスの過酷さを強調している。慣れ親しんだ暮らしや仕事を奪われ、将来も見えない。その心の負担はあまりに重い。
 ひとたび事故を起こせば、避難生活の中で自ら死を選ぶ人が出ることを東電は予想できたはずだ。判決はそうも指摘した。
 原発の事故は、人間の環境も人生も激変させる。そこで起きた自殺との因果関係をそもそも否定する方がむずかしい。まっとうな司法判断である。
 避難中の自殺はこのほかにも起きている。事故が時を超えて、どれほど重い苦難を人びとに強いているか、この判決は改めて考えさせる。
 事故と自殺との関連性はこれまで、あいまいにされてきた。遺族が直接、賠償を求めても、東電側が因果関係を認めなかったり、認めても遺族には納得できない低い額を示したりといった対応が多かった。
 今回の裁判でも東電は、女性の精神的な弱さに責任があったかのような主張をしてきた。この判決を機に、そうした姿勢を反省すべきだ。
 個々の人間の心が強かろうが弱かろうが、死を選ばせるほどのストレスを与えたことに免罪符はないだろう。
 家族関係や健康など、自殺をとりまく状況はさまざまだ。原因の厳密な特定はむずかしい。だとしても避難生活の中で起きたケースである限り、直接、間接に事故が影を落としていることは明らかといえる。
 東日本大震災に関連した自殺者の人数は、遺体を調べる警察が判断し、内閣府がまとめている。それによると、福島県内では、2011年10人、12年に13人、13年に23人と、時間がたつほど増えている。岩手、宮城両県より多く、今年も7月末までに10人にのぼっている。
 計56人の半数近くの年齢は、50~60代に集中しており、動機は、健康問題(27人)、経済・生活問題(15人)などが挙げられている。
 いま何より肝要なのは、震災と原発事故がもたらす悲劇をこれ以上、起こさないことだ。
 被災者を死に追い込まないために、ストレスをいかに小さくできるか。その手だてを、国、自治体、東電を中心に社会全体で急がねばならない。」(2014/08/27付「朝日新聞」社説より)

「(毎日新聞・社説)避難者自殺判決 東電の責任厳しく指摘
 福島第1原発事故に伴う避難生活中に自殺した58歳の女性をめぐる裁判で、慰謝料など約4900万円を遺族に賠償するよう福島地裁が東京電力に命じた。東電にとって厳しい判断が示された。
 自殺をめぐる責任の所在が司法の場で争われることは少なくない。近年、過労自殺などで企業側に厳しい判断も出ている。そういった中で、原発事故による避難生活のストレスと自殺の関係が正面から争われ、判決は因果関係を明確に認めた。
 個別事例での判断とはいえ、原発事故をめぐる他の訴訟や和解交渉に与える影響は少なくないだろう。
 女性は、原発事故後の2011年7月、当時、計画的避難区域に指定されていた福島県川俣町の自宅に一時帰宅した際、自殺した。訴えたのは、女性の夫と子供3人だ。
 原発事故により、女性は生まれて以来ずっと住んできた故郷を離れ、避難生活を余儀なくされた。子供と別居し、働いていた養鶏場の閉鎖で仕事も失った。野菜を融通し合うなど密接な近隣住民とのつながりも失った。短期間に次々と襲ったこうしたストレスが女性を「うつ状態」に至らしめたと判決は認定した。
 女性には、震災前から不眠などの症状があり、心身症と診断され、通院治療を受けていた。東電側は、「個体側の脆弱(ぜいじゃく)性」として、こうした事情を指摘し、責任を争っていた。
 判決は、この点も考慮しつつ、自殺の要因の8割は原発事故によるストレスと認め、賠償額を算定した。
 いったん放射性物質が広範囲に飛散すれば、地域の居住者が避難を余儀なくされ、ストレスを受けてうつ病などを発病したり、自殺者も出たりすることを東電は当初から予見可能だったとまで判決は踏み込んだ。
 避難生活を送る人の中には、ストレスに強い人も弱い人もいる。脆弱性といった言葉で切り捨てることは許されない。判決が示した災害弱者への目配りは理解できる。
 原発事故をめぐっては、訴訟以外の紛争解決法として、国による原子力損害賠償紛争解決センターの和解仲介手続き(原発ADR)がある。こうした場で、自殺に限らずさまざまな観点から東電の責任が問われている。被害の訴えに対し、どう賠償をするか。あるべき賠償の範囲についての考え方もさまざまだ。
 いずれにしろ、被害者の声に真摯(しんし)に耳を傾け、被害に見合った賠償に応じることが、原発事故を起こした東電にとっては原点になるはずだ。
 福島県では、自殺を含む震災関連死の死者数が1670人を超え、地震や津波で亡くなった直接死を上回る。こうした人たちへの賠償のあり方についてもさらに議論が必要だ。」(2014/08/27付「毎日新聞」社説より)

被告である東電は、この裁判でどう主張していたのか・・・。新聞記事の断片を拾ってみると・・・
●「・・・裁判の中で「はま子さんの脆弱(ぜいじゃく)性を考えれば、原発事故が自殺の原因だとは言えない」と主張した東電に・・・」 (朝日ここ
●「東電は「原発事故で強い心理的負担が生じたことは認めるが、事故前から睡眠障害で薬を飲んでおり、原発事故以外の原因を考慮するべきだ」として争っていた。」 (日刊スポーツここ
●「東京電力側は「遺書が見つかっていないなど、自殺の原因がはっきりしない」と主張しました。」 (NHKここ
●「東電は「個人的要因を踏まえて因果関係の有無を判断すべきだ」と争う姿勢を崩さなかった。」 (河北新報ここ
●「東電側は「はま子さんはストレスへの耐性が弱かった」などと主張していたが・・・」 (毎日ここ
●「共同通信によると、今回の訴訟で、東電は「原発事故で強い心理的負担が生じたことは認めるが、事故前から睡眠障害で薬を飲んでおり、原発事故以外の原因を考慮するべきだ」と主張した。」 (ロイターここ

どれも苦しい言い訳である。たぶん本音とは違って・・・!?

前にも書いたが、自分は、現役時代に原発に設備を納入していたメーカー、という立場もあったため、原発の拒否派ではない。心情的には容認派・・・。
しかし、避難民のことを思うと、「原発は正義」とはとても言えない・・・。

今回の原発事故では、東電に無限責任があるとされている。しかしそれは正しいのか?各電力会社は、国策として原発を推進してきたのは間違いないし、国の方針、規制のもとで、作られてきた。よって、各電力会社から言わせれば、国の指導(許可)のもとに原発を作ってきて、一旦事故になれば「東電は無限責任」というのでは、あまりに国が無責任・・・と言いたいのでは??
今回事故の責任は、国も電力会社も、そしてそれを受け入れた自治体(そして受入に賛成した議員を選んだ住民も?)にもあるが、今更何を言っても始まらない。

結果として、今認識しなければいけないことは、自殺者まで出している避難民の現状をどうするか・・・だけ。しかしその策はなかなか見つからない・・・。それほど大変な事態なのだ。

前にも書いたが、(今更どうしようもないが)そもそも“人の住んでいない場所に原発を作る”という発想はなかったのか・・・。つまり、“事故になっても最低限の被害で済む立地”という発想は無かったのか・・・(孤島に作ると良いが、送電線が大変なのかな・・・?)

もし自分が避難者だったら・・・。「金など要らん。とにかく自宅に帰らせてくれ」とだけ言うように思う。
そんな意味で、幾ら精神的に弱かったとは言え、事故さえ無かったらこの女性も自殺はしなかったと思えるだけに、あまりに「事故」を見ないことにしてきたツケの重たさを感じる。そして、今更ながら“原発の恐ろしさ”におののく今の自分である。

140827nisesatu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月26日 (火)

「出世の極意」

先日の日経に面白い一文があった。
出世の極意 高橋秀実
 私は大学を卒業後、3年間会社に勤めて転職した。しかし転職先が半年でつぶれてしまい、以来、ずっとフリーである。
 フリーとは潜在的失業者のことで、いまだかつて「役職」というものに就いたことがない。友人や知人たちの役職の移り変わりを眺めているばかりなのだが、かれこれ30年近く眺めているうちに、「出世する人」と「出世しない人」を見分けられるようになってきた。両者は雰囲気からして明らかに違うのだ。
 誤解を恐れずに言わせていただくと、出世する人は、おおむね仕事が「できない」人である。もちろん無能という意味ではない。「できない」と素直に表明できる人。恥をさらせる人で、全身から何やら「できない」というオーラが漂っているのだ。考えてみれば、自分が「できない」からこそ人にお願いするわけで、彼らはおのずと腰が低く、感謝を忘れないのである。
 例えば、出世した知人の考える企画などは驚くほど陳腐だ。編集者として大丈夫なのか? と私は心配になり、思わず「そうじゃないでしょ」「こうしたほうがいいでしょ」などと熱く語り、語りながら次々とアイデアが思い浮かんだ。彼はいうなれば踏み台。ダメな企画を率先して提出し、まわりはそれを喜々として追い越していく。身を挺(てい)して「できない」をさらすことで周囲の「できる」を引き出すのである。逆に「できる」人はできるから命令するばかりで、周囲の「できない」を浮き立たせてしまうのだろう。
 そもそも「出世」とは仏教語で、世を出る、つまり出家と同様に私利私欲、俗世間を離れることを意味していたらしい。なんでもかんでも「できる」ように振る舞うのは煩悩にほかならず、それでは出世しないのだ。「出世」という言葉は今では「世を出る」ではなく「世に出る」という意味で使われているが、私が察するに、これは「世を出る」と「世に出る」ということではないだろうか。つまり「できない」と悟ると人は謙虚になる。自らをわきまえているので周囲の信頼を得て、世の中から必要とされるようになる。仕事とは世に「できない」ことがあるからそれを補うために発生するわけで、みんなが「できる」ようでは仕事自体がなくなってしまうのだ。
 そういえば先日、私は雑誌の企画で注目企業の社長たちに「座右の銘」をたずねて歩いた。どんなビジョンを持ってリーダーシップを発揮しているのか取材しようとしたのだが、全員が「座右の銘はありません」と答えた。ひとつの考え方ですべてを掌握するなんて到底できませんと。記事の企画上、それでは困ると私が訴えると、ある社長は「だったら何がいいですか?」と私に訊(き)いた。
「私が決めるんですか?」
 驚いた私は彼としばらく話し込んだ。世間話を聞きながら、私が「それにしましょうか」と提案すると、彼は「じゃあそれでお願いします」と微笑(ほほえ)んだ。主体性に欠けるようだが、彼によれば「社長」とは機能にすぎず、人に利用されるのがその務めだとか。
 出世する人は、その佇(たたず)まいが公園に似ている。公園は人が集まり遊ばれてこそ公園で、自分が遊ぶわけではない。だからひとりでいると、どこか寂びしさが漂っており、つい手を貸してあげたくなるのである。(ノンフィクション作家)」(2014/08/08付「日経新聞」夕刊p7より)

なかなか含蓄のある一文だと思う。ほとんどのサラリーマンは、上司との人間関係で苦労している。役職の上の人は、自分はエライ人、と勘違いして部下に“命令”を下す。「業務命令」と称して、押し付ける。「きかなければクビだぞ!」と脅(おど)す。部下も「仕方がない」と我慢する。それがどんな理不尽であっても・・・。そして部下にストレスが溜まっていく・・・。
それが良くも悪くも普通の(悪い)組織の現実の姿だと思ってきたが、“「社長」とは機能にすぎず、人に利用されるのがその務めだ”というスタンスは、それこそエライ・・・!

会社(社会)における人間関係は、つくづくお互いの人間性の問題だと思う。上司が熟した人間であれば、周囲の人は黙ってその人に付いて行く。命令されなくても、その意に沿う。しかし薄っぺらな人間の上司であれば、その時の命令こそ聞くが、それはその立場に対して仕方なく従っているだけで、その人がその立場を離れた瞬間に皆その人から離れていく。まあそんなもの・・・。

世の中のサラリーマン。上の記事にある「出世する人」が上司であったなら、どれほど皆の日常が生き生きとするか・・・。そして、どれほど世からパワハラが減るか・・・
しかし、自ら相手(上司)を選べないのも、これまた歴然たる現実である。
(ところで、石破幹事長は上司(自民党総裁)の“命令”に背き、安保相を辞退するんだって・・・。この上司の元では“出世しない”と悟ったのかな・・・??)

140826tabemono <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年8月25日 (月)

「無縁化、さまよう墓」

だいぶん前だが、朝日新聞を見てビックリ。何と朝刊のトップが、お墓の話なのだ。
無縁化、さまよう墓 不法投棄続々、「墓の墓」も
 先祖代々受け継がれてきた墓が受難の時を迎えている。墓守が絶えた無縁墓から撤去された墓石は、慰霊の場を離れ、さまよう。人里離れた山中に“墓の墓”が現れ、不法投棄も後を絶たない。
 高松市のJR高松駅から車で30分の山中に“墓の墓”がある。約1ヘクタールの空き地にコンクリートで固めた最大幅100メートル、高さ15メートルの扇状の巨大なひな壇が設けられ、壇上に墓石1万基が並ぶ。
 「古石材預り所」と称する管理者(52)によると、中四国や関西の寺から撤去された墓石を石材店などの業者が持ち込んでくる。家庭の事情で墓を引き払い不要になった墓石のほか、無縁墓もある。1基1万円で受け入れ、最近は年300基ほど集まる。クレーン機で石を整然と並べ、定期的に雑草をとる。「ここ数年でどんどん増えている。もうけはないが、やめたくてもやめられない」。まだ9万基収容できるという。
 一方、不法投棄された“墓の山”もある。兵庫県南あわじ市の山中には推定1500トンの墓石が山積みにされ、山の頂は高さ4メートルに達する。6月半ば、県淡路県民局の職員3人が墓石に合掌しながら現場を見て回った。
 「比較的新しい墓もある。墓碑銘から、代々にわたり大切にされてきたんだろうなと思わせる墓もあります」。県民交流室の小塩浩司環境参事は言う。
 2008年に廃棄物処理法違反容疑で逮捕・起訴された石材処理業者は、墓石の処分を安く請け負い、破砕などの適正処理をしないまま淡路島に捨てていた。県は撤去するよう指導するが、ほとんど手つかずのままだ。
 墓石の不法投棄は昨年も広島県、京都府内で見つかり、ここ5年の間に茨城、千葉、兵庫など各県で業者が逮捕されている。
 不要になった墓石は通常、寺や霊園、石材業者が預かるか、処理業者が破砕処分する。だが別の方法をとる業者は少なくない。関東の石材店の社長は「破砕には手間と金がかかる。たたりを恐れて処分しない業者もいる」と話す。
 無縁墓はどれほどあるのか。全国的な調査はないが、熊本県人吉市は昨年、全国でもまれな市内の全墓地995カ所の現況調査をした。
 人口はこの10年で1割減り3万4500人。65歳以上が32%を占める。「墓が雑草に埋もれている」「墓石が転げ落ちている」。近年増え始めた市民の相談を受け、役場はまる1年かけて、明らかに長く人の手が入っていない墓を拾い出した。
 「結果は想像以上でした」。市環境課の隅田節子課長補佐は言う。市内の墓1万5123基の4割超、6474基が無縁墓だった。8割が無縁の墓地もあった。「市として何ができるか。知恵を絞りたい」。妙案はすぐには浮かばない。(才本淳子)」(2014/07/30付「朝日新聞」P1より)

少子化、墓守が不在 過疎進み、各地で撤去
 都市部への人口流入と地方の過疎化、少子高齢化、未婚化。社会の急激な変容が墓の荒廃を加速させる。自治体は無縁墓の撤去を進める一方、血縁に頼らない新たな墓のかたちを模索する。
・・・
墓の問題に詳しい第一生命経済研究所の小谷みどり主任研究員は「公営も民営も無縁化の傾向は同じ。需要がある墓地は新たな使用者のために無縁墓の撤去を進める。需要がない墓地はそのまま荒れ果てていく恐れがある」と指摘する。
・・・
 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、人口に占める65歳以上の高齢化率は2025年には3割を占め、団塊の世代は75歳を超え「多死時代」が到来する。一方で未婚化が進み、中高年を中心に35%が単身世帯となる。過疎化も劇的に進む。民間研究機関「日本創成会議」は、40年までに全国896自治体が「消滅可能性都市」になると予測する。
 「つまり墓を継ぐ子がいない独り身の死亡者が増え、特に過疎地では墓を世話する人そのものがいなくなる」(槇村さん)
・・・
 血縁の有無にかかわらず不特定多数の人を埋葬する「合葬墓」を設ける自治体も増えている。朝日新聞のアンケートでは東京都と11の道府県庁所在市が公営墓地に整備していた。
 都立小平霊園(東村山市)に11年度整備された合葬墓は、木々の下に1万人の遺骨を埋葬できる。12年度は500人分の募集に16倍の申し込みが、昨年度は1600人分の募集に10倍の申し込みがあった。高まる需要に、13年度には都立八柱霊園(千葉県松戸市)に10万人埋葬できる巨大墳墓を整備した。大阪市も10年度に市設瓜破霊園(平野区)に合葬墓を設置。2万4千人埋葬でき、現在956人が眠る。(才本淳子)」(2014/07/30付「朝日新聞」P2より)

墓には、お骨の収納場所と、故人を偲ぶ場所という2つの側面があるように思うが、昨今、あまりに遠い墓地には、故人を偲ぶために行くにはしんどく、ついサボってしまう。そしてそれが当たり前になって、故人が遠くなる・・・。

我々団塊の世代が次々とリタイアし、これからそれぞれが人生の“終活”に向かう時代なので、世の中で墓の話などが多い。
それぞれの家庭で事情が異なるにせよ、これは避けては通れない話。

先日、NHKの「団塊スタイル」で「どうする?お墓」(2014/08/01放送(ここ))をやっていた。
二人の娘の嫁ぎ先と一緒に、3家合同の墓を作った話や、墓の引っ越しなど、色々・・・。地方のお墓を、遠くてお参りできないからと引っ越そうと思ったら、檀家が少なくなって困っているお寺から、離壇料120万円を要求されたという話など・・・。
番組の最後の方で、「本人が子どもたちに迷惑をかけないように・・・と、散骨を頼んでも、子どもたちが、冥福を祈る場所が欲しい、と言うかもしれず、一方的にやるのではなく、家族で事前に良く話し合いを・・・」と言っていた。
確かに、死んだ後のことは、残された家族の問題となる。よって本人の意志はあるにせよ、残された人の意志で全てが決まることも多い。だから生前に公営墓地を申し込んでおくこともあり、先日の記事(ここ)のように、生前枠では抽選倍率が20倍を超えたりもする。

しかし家代々の墓がある家では、亡くなった先代は、自分が入った墓がいつまでも継承されるであろうことを期待しているだろうが、代が変わると、場所や経済的な問題を含めて、継承者の考え方も変わる・・・。

墓の問題は、誰かが病気になってからでは話が出来ない。全員が健康なうちに、必要な相談はしておいた方が良いのかも知れない。
我々シルバー族にとって、終活は笑い事ではないのである。

140817papa <付録>「ボケて(bokete)」より

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