2014年12月17日 (水)

「IT普及度、日本11位に低下」

先日の日経新聞にこんな記事があった。
IT普及度、日本11位に低下 トップ10圏外に 13年調査
 国際電気通信連合(ITU)が2013年の情報通信の普及状況を国ごとに比べたところ、日本は166カ国・地域のなかで11位だった。前年より1つ下がり、08年以来5年ぶりにトップテン圏外に転落した。
 家庭で使う光ファイバー回線など固定通信の利用率が低いことが影響した。首位は教育141217jyouhou 分野や行政手続きの電子化が進んだデンマークだった。
 ITUは国連の専門機関。07年から各国の情報通信の普及状況を調べてランキングにしており、13年の分をこのほどまとめた。携帯電話や光回線の契約率、パソコンの保有率などを総合的に比べている。日本がトップテンから外れるのは11位だった08年以来となる。携帯は普及しているが、光回線の契約率が低いことが順位を押し下げた。
 08年以降ずっと首位だった韓国が2位に落ちた。3位のスウェーデン、4位のアイスランド、6位のノルウェーなど北欧諸国が上位を占めた。携帯によるインターネット利用が増えている英国が7位から5位に順位を上げた。米国は14位、中国は86位だった。」(2014/12/01付「日経新聞」より)

<国別IT普及度 ベスト15>
①デンマーク
②韓国
③スウェーデン
④アイスランド
⑤英国
⑥ノルウェー
⑦オランダ
⑧フィンランド
⑨香港
⑩ルクセンブルク
⑪日本
⑫オーストラリア
⑬スイス
⑭米国
⑮モナコ

日本は結構ITは普及していると思っていたが、11位だって・・・。意外と下位だね・・・。
それにしても、北欧はあらゆる分野で、世界のトップを走っている。国が小さいとは言え、国民は文明を謳歌している。まさに国民の実力の成果か・・・?

141217online それに引き替え日本では、前に電子政府と称して、多くのムダが発生したことは記憶に新しい。まあこれらの例は、「お役所仕事」の延長線上に国のIT施策があった結果なのだろう。国にお金が無い昨今、これらにかけた税金が今更ながらもったいない・・・。(ここ

話は飛ぶが、先日Netでこん記事を見付けた。
「「日本人はなぜ中国人の日本製品ボイコットを気にしないの?」=訪日中国人がガイドの説明に納得!―中国ネット

9日、中国のインターネット上に、ツアー旅行で日本を訪れた際に、ガイドから言われた言葉に衝撃を受けたというブログが掲載された。
141217hannichi (写真は、2012年9月に四川で起きた反日デモで「日本製品ボイコット」の横断幕を掲げる中国人。 2014年12月9日、中国のインターネット上に、ツアー旅行で日本を訪れた際に、ガイドから言われた言葉に衝撃を受けたというブログが掲載された。)
日本旅行をしたときのガイドが、「日本人はどうして中国人の日本製品ボイコットを気にしないのか」という問いに答えたときのことをはっきりと覚えている。それにはちゃんとした理由があったのだ。
ガイドは「中国古代の4大発明は羅針盤、紙、火薬、印刷。これは中国人の世界文明に対する大きな貢献です。では、皆さんは日本人の現代の世界に対する4大貢献を知っていますか?」と聞いた。誰も答えないのを見ると、ガイドは「それは、インスタント麺、パソコン、デジカメ、ハンディー(ビデオ)カメラです」と続けた。
なるほど。そう考えると、現代の生活の中で日本製品を拒否し続けられる人がどれだけいるか疑問だ。ガイドが言う通り、このことを理解するだけで「日本製品ボイコットを叫ぶのは単なる憂さ晴らしにすぎない」ということが日本人にもはっきりとわかるのだろう。
ガイドは「本当に日本製品をボイコットするためには、純国産のものを使用しなければなりません。それには、中国人が自らの科学レベルを向上させ、厳しい研究を重ねて独自の技術を開発しなければならないのです」と言った。ガイドの理性ある話は、私に日本製品ボイコットに対する新しい考え方を教えてくれた。(翻訳・編集/TK)Record China 12月15日(月)配信
ここ)より」

ここに紹介されているガイドさんは、中国の添乗員のガイドさんなのだろう。なるほど、そんな見方もあるのか・・・と思う。

世界から見た日本。そして隣国のガイドさんから見た日本・・・。日本のITについての評価も様々・・・。
先の衆院選のテレビ東京の特番で、池上さんの安倍首相へのインタビュー。
――これだけの議席を確保すると、安倍総理の悲願である憲法改正が視野に入ってくると思うが、ご本人の手で成し遂げたい?
「国民的なご理解が必要です。国民投票で過半数の支持を得なければいけません。理解を深めるところから進めていきたい」
――憲法改正に向けて一歩一歩進んでいく、ということですね。
「そういうことですね」
池上氏は安倍首相の話を次のようにまとめた。
「憲法改正の熱意、野望をまったく隠そうとされなかった」(
ここより)

まさか、日本が「徴兵の普及度、日本*位に急上昇」ナンテことは無かろうが、中国のガイドさんが、「日本人の現代の世界に対する4大貢献の一つは武器です・・・」なんて言う時代が来る??
(選挙の事はここに書かないと誓ったのだが(バカバカしくて)、なぜか筆がそっちに向かってしまう・・・。この記事は「IT普及度」の話なのに・・・)

141217fukusayou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月16日 (火)

「頑張れ、受験生!」「死後同居?」湊かなえのコラムより

今日の日経夕刊の「プロムナード」というコラム。湊かなえ氏のタイトルは「ありがとう、さようなら」。読むと、半年続いた連載が今日で終わりとか・・・

先日も「旅立ちのBGM」(ここ)を取り上げたが、当blogのネタ用フォルダにまだ眠っている氏の記事を思い出した。だいぶ前の記事だが、読んでみよう・・・
「(プロムナード)頑張れ、受験生! 湊かなえ
 サイン会で読者の方から、私の小説を読むきっかけとなった作品を挙げられることがよくあります。映像化されたものがほとんどですが、今年に入ってから、私の作品の中では1、2を争うマイナーな短編集がその中に混ざるようになりました。
 入試や模擬試験の問題として取り上げられたからです。一部抜粋という形だったので、続きが気になって本を読むことにした、と言われ、そういう出会いがあるのだなと、とても嬉(うれ)しく思いました。
 入試問題となる場合、試験前の問題流出を防ぐため、引用されることは原作者に知らされません。サイン会の後に、入試問題として使用しましたと、問題用紙と模範解答が届きました。有難(ありがた)いことに数校が別々の短編を取り上げてくれています。早速解いてみるか、とワクワクしながら問題用紙に向かいました。
 まずは漢字問題。私は小説を書く際、自分が書けない、読めない漢字はなるべく使わないように心がけています。普段口にしない単語や熟語もそうです。
 私の作品の登場人物は、自分と同様、一見どこにでもいそうな人たちばかりです。だから、特別な言葉は用いません。「驚いた」よりも「驚愕(きょうがく)した」の方が字面としては賢そうに見えるけれど、日常生活の中で「驚愕した」と言ったことなど、おそらく一度もないので、小説でも「驚いた」と書きます。そのため、漢字の読み書きは全問正解でした。
 本文中に5カ所ほど空欄があり、適切な擬音語、擬態語を選びなさいという記号問題がありました。こんなに多用していたのか、と気付かされ、猛反省です。擬音語や擬態語はイメージを伝えるのにとても便利ですが、どこか漠然としており、これらを頼らずに描写することを意識して書いた文章の方が、より鮮明に場面を浮かび上がらせることができると自分に言い聞かせながら書いていたはずなのに、と。
 ある担当編集者からは「……」を使うのは手抜きだと言われたこともあります。みんな使っているのに、と不満に思いながらも、「……」と書いた場所に無理やりにでも言葉を当てはめてみると、あら不思議。奥まで踏み込んでいたと思っていた人物の内面に、さらにもう一歩入ることができたような気がして、おおっ、と歓声を上げてしまいました。
 人物の内面。傍線部の時の主人公の気持ちを何文字で答えなさい、という問題もありました。これははじめから模範解答を見てしまいます。そして、ああそうだな、と納得はするのですが、それは自分が全文を知っているからで、抜粋された箇所だけ読んでも解るのかな、と心配になったりもするのです。
 逆に、この作品を読んだ人が試験を受けていたら、とも想像してみます。この学校に入るのは運命なんじゃないか、と奇跡に遭遇したような気分になり、絶対に合格できると確信して、実力以上のパワーが発揮できそうです。湊かなえがそれほど好きなわけじゃないけど、お母さんが読んでいたからたまたま手に取ったという人は、お母さんありがとう、と心から感謝するかもしれない。ついでに湊もありがとう。
 楽しい想像が尽きることはありませんが、出会いとは予期せぬところに転がっているものであり、今後も作品を通じて一人でも多くの方と出会えたら幸いに思います。(作家)」(2014/11/11付「日経新聞」夕刊p7より)

「(プロムナード)死後同居? 湊かなえ
 田舎の農家の大家族で育ったわたしは、都会のサラリーマンの核家族に憧れていました。この夢だけは絶対に叶(かな)えてやると、強く誓っていたのに、自分の田舎とは別の田舎に住む長男と結婚してしまいました。それでも構わないと思えるような大恋愛ではなかったのですが……。人生とはなかなか計画通りにはいかないものです。
 しかし、NOと言えないわたしが一つだけ、結婚直後にきっぱりと宣言したことがあります。
「同居はしません」
 家として完成している旦那さんの実家は、何年経っても自分の家ではなく、ただ住まわせてもらっている場所にしかならなそうに思えたからです。
 結果、旦那さんの実家から自転車で10分のところに家を建て、10余年、良い関係を築けているのではないかと思います。
 ところが、先日、旦那さんのおじいさんの法事がありました。会ったことがないため、思いを馳(は)せることもなく、炎天下、墓前でお寺さんが読経するのを聞きながら、ぼんやりお墓を眺めていると、ふと、疑問が生じてきました。
 わたしが死んだら、この先祖墓に入るのか?
 信仰心の薄いわたしは死んだら全部終わりだと思っています。死後の世界などあるはずがない。でも、もしあったらどうしよう。お墓が一つの家だとしたら、会ったこともない旦那さんのご先祖たちと一緒に住むことになる。何人入っているのか知らないけれど、大、大、大家族ではないか。よそ者のわたしはどれだけ気を遣わなければならないんだ。
 どうにか回避できないかと考えました。死ぬ前に自分の墓を建てておくのはどうだろう。周囲に空きはないので、少し離れたところになるけれど、それくらい距離があった方が上手(うま)くいくはずだ。それなら、個人墓ではなく、夫婦墓の方がいいかもしれない。そもそも、墓なんているのだろうか。トンガの海や大好きな南八ヶ岳に散骨。しかし、残った人に負担をかけたくはない。
 答えが出ないまま、食事の場に移り、その席で旦那さんのお母さんに訊(たず)ねました。
「わたしが今死んだら、やっぱり、××家(湊はペンネームです)のお墓に入らなあかんのやろか」
「しゃあないやろな」
 仕方ないと言われては、それまでです。知っている人が誰もいないわけではないし、骨壺(こつつぼ)が部屋みたいなものだろうし、年々図太(ずぶと)くなっているので、同居になってもどうにかやっていけるのではないかな、という気もしています。
 妻たるもの、夫の家の墓に入るのは当然ではないか。死後の同居がイヤだと? このバカものが!
 と、長年、身を粉にして家庭を支えてきたと自負している男性方からお怒りの声が聞こえてきそうなことも重々承知しています。しかし、実際、世の奥さま方はお墓のことをどんなふうに考えているのでしょう。特に、そういう方々の奥さまは。
 問題を先送りにするため、市販薬で1週間ほどダマしダマしやり過ごしていた胃痛を診察してもらいに、病院に行きました。コーヒーを控えるようにと言われ、それを原動力に原稿を書いているわたしは、今は墓よりもそちらの方が深刻な問題になっています。(作家)」(2014/8/12付「日経新聞」夕刊p7より)

よく読んでいた欄なので、終わるのは残念だが、仕方がない。しかし、この連載は上の記事のように、なかなか楽しかった。氏も自由に書いていたようで、自書のPRなどをしていた記事もあった。
それで、自分は湊かなえ氏の小説を読んだことがあったかな・・・と考えると、無い・・・
そもそも自分は小説をほとんど読んでいないのだ。でも湊かなえの映画やドラマは見たことがある。映画で「告白」は見たし(ここ)、wowowドラマで「贖罪」も見たな・・・

でもこんな“おっかない”小説を書く作者も、こんなコラムも書くんだね・・・。
とにかく読んでいて、ついニヤッとする楽しい連載であった。

141216shikashi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月15日 (月)

「将棋」~親父の思い出

先日の朝日新聞に、「将棋や囲碁をやっている人は1割」という記事があった。
「(be between 読者とつくる)囲碁・将棋、やってますか?
 日本の伝統文化と言われる囲碁と将棋。平安貴族や戦国武将も親しんだ日本人にとって身近なボードゲームです。でも、縁側に盤を持ち出して親しい人と「まずは一局」。そんな光景は減ってきているようです。盤を挟んだこちらと向こうで、さまざまな思考や感情が行き交う奥深い世界。あなたは楽しんでいますか。
懐かしき「縁側で一局」
141215syougi  「やっている」はわずか1割。担当として囲碁・将棋のプロやアマチュアが盤上で情熱を燃やすさまを見てきた記者にとっては、いささかショッキングな数字だった。
 やらない理由の最多は「ルールが分からない」だった。「父親に教えてもらったがルールが覚えられず、すぐにやめた」(埼玉、47歳女性)、「やってみたいと思い、子ども向けの本を買って読んでみたが、理解できなかった」(神奈川、74歳男性)という回答が続出。「中学の時、父と祖父に惨敗。その後、『あそこがダメ』『センスがない』と言いたい放題言われ、一気に将棋が嫌いになった」(神奈川、40歳男性)という苦い経験の持ち主もいた。
 日本生産性本部の「レジャー白書2014」でも囲碁・将棋人口は減少傾向にある。2013年の囲碁人口は280万人、将棋670万人。ともにここ5年で最低だった。
 やっている人はどこに魅力を感じているのだろうか。
 頭脳スポーツとも言われ、「毎日ネットで将棋を指すが、ボケ防止に役立っている」(大阪、72歳男性)といった声は年配の人を中心に多い。千葉の男性(78)は「学生時代に囲碁を覚え、その時の碁敵が退職後も好敵手。月に1、2度打ち、終了後に2人で一杯やりながら碁の反省や近況を交換するのが至福の時」だといい、勝負だけではない楽しみ方もある。担当記者としては「戦いが好きな人、じっくり攻めてくる人。人となりや性格が分かり、人間観察が必要な人間くさいゲーム」(神奈川、67歳男性)という意見に共感を覚えた。
 ただし、今回のアンケートで対戦相手として最も多かったのは、人間ではなくコンピューターゲームだった。
 将棋ではコンピューターソフトがプロ棋士に勝つほど強くなった。現代では周りに相手がいなくても、パソコンに向かえば色々な強さのソフトと対戦できる。「勝負にこだわると相手とのコミュニケーションが悪くなるので、最近はパソコンのゲームで毎日楽しんでいる」(愛媛、70歳男性)との声もあるほどで、もはや「縁側で一局」の時代は過ぎ去ったのかもしれない。
 その一方で、「やっていない」と答えた9割の人のうち「やってみたいと思う」人は半数近くいた。対戦したい相手を聞くと、今度はゲームやネットではなく、友人・知人、家族が上位を占めた。人間関係が希薄になったと言われる時代ゆえか、人間同士が顔を突き合わせた時代へのあこがれさえ感じさせる。
 実際、盤を挟めば簡単に世代を超えた交流が生まれる。神奈川の女性(69)は「孫と一緒にやっているが、勝負の時は情け容赦しない。負けてあげたら強くならないし、悔しがる気持ちも大事にしている」。長崎の女性(62)も「韓国の高校生の男の子とその母親を民泊させた時、会話もままならない中、息子が将棋盤を持ち出すと、男の子も韓国にも似たようなゲームがあると言って2人で大いに盛り上がっていた」といい、時には国境や言葉の壁さえ飛び越える。
 論理的思考や判断力が身につくという知的なイメージが強いからこそ、「子どもの頃は人が集まれば囲碁か将棋を必ずやっていた。ルールの分からない子も『山崩し』から駒に親しんだ。身近にやっている人がいなくなり、さみしい」(東京、59歳女性)という声は少なくない。そんな中、こんな希望の声も届いた。「昔は核家族ではなく、祖父によく教えてもらった。今、孫が時々しているのを見ている。早く上達して相手になってほしい」(北海道、65歳男性)。その願い、かなうとうれしい。(深松真司)」(2014/12/13付「朝日新聞」b10より)

 こんな記事を読みながら、ふと18年前に亡くなった親父を思い出した。何度も書いているが、自分は将棋や囲碁はやらない(=出来ない)。しかし、親父や兄貴や息子は将棋を指していた。
特に将棋が好きだった親父は、現役のサラリーマン時代、会社の将棋の同好会で、大山さんを招待したことがあって、そのときに書いて貰った「**(親父)さんへ」という大山さんの“書”が床の間に飾ってあった。

息子が小学校2~3年生の頃だったか、やっと将棋のルールを覚えた頃、自分も将棋のルールだけは知っていたので「オレに勝ったら何でも買ってやるぞ」なんて言って遊んでやったら、何と負けてしまった。それで自転車を買う羽目になった。その後息子は、しばらく駅ビルにあった将棋の教室に通ったが、当時はコンピュータ将棋も無く、日頃将棋を指す相手がいなかったため、あまり上達しないままで終わった。
その後、息子が再スタートをしたのが中学生になった頃だったか、田舎に帰ったときに親父(=息子の祖父)から将棋盤と駒を貰った。それから息子は凝り始め、将棋連盟の近くの将棋クラブに通うようになってから強くなり、今に至っている。
実は、ちょうど息子が思春期に差し掛かっていたとき、親父はこの息子を非常に心配していたと、親父が亡くなったあとに兄貴から聞いた。正月などは家族で田舎に帰っていたのだが、そのときに息子と将棋を指すと、親父が負けるようになってきた。普通は「孫が数十年やっている自分より強くなった」と喜ぶのだが、親父は違った。当時高校生だった息子の態度、人間性を非常に心配していたという。「このままではダメだと・・・」。
当時思春期の息子は、将棋だけは指すものの、田舎に帰っても、家族に挨拶をしない。口をきかない・・・。祖父母を含めた家族に対するそんな態度を、「人間としてなっていない・・・」と親父は非常に心配していたという・・・。しかし将棋に負けている状態だと、メンツのためか、なかなか言えなかったらしく、「まず将棋で孫を負かせてから、祖父としてキチンと言い聞かせなくてはいけない」と、将棋の本を読んで猛勉強していたらしい。
そして、息子が高校2年の時に脳出血で突然亡くなった親父の枕元には、赤鉛筆で線を引いて勉強していた将棋の本が残されていた。葬式の時、兄貴が「孫に色々と言い聞かせたかっただろうに、それがかなわないうちに死んでしまったな・・・」と言いながら、その将棋の本をお棺に入れて一緒に焼いた。
それからもう18年になる・・・。

自分はやらない将棋だが、なぜか親父(祖父)と息子(孫)との不思議な縁を感じる「将棋」である。

141215funn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月13日 (土)

法政大学ギタークラブOBバンドによる、羽村「ゆとろぎコンサート」その3

法政大学ギタークラブOBバンドによる、「羽村市生涯学習センターゆとろぎ」での「ゆとろぎコンサート」に、またカミさんと行ってきた。
今回が3回目なので、自分たちももう慣れたもの。3分前に到着。観客はいつもの通り、高齢者が多い。
今日は演目の中で、「タブー」を聞いてみよう。

<法政大学ギタークラブOBバンド「タブー」~編曲:青木健司>

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さて今日の演奏だが、結構練習したらしく(?)、違和感なく(失礼!)聞けた(←これは重要なこと!)。上の「タブー」も途中で少々アンサンブルを崩したが、何の何の!ドンマイ!ドンマイ!
しかし相変わらず、スピーカー(拡声)が良くない。全員のギターにマイクを付けているのだ141213housei ろうか・・・。とにかくギターの音だけが、右手のスピーカーから大きく聞こえる。
確かにこのバンドの売りである(?)パーカッションに、音量的にギターが負けるので拡声しているのだろうが、パーカッションの“ナマの素晴らしい音”に対して、曇ったスピーカーからのギターの音が残念!!
このようなミニコンサートでは、楽器のナマの音を聞きたいもの。しかし拡声によって音は台無し。ただ直接聞こえるパーカッションやリーダーの演奏する電気ギターだけは「良い音だな・・・」と感じる。
ところで、「拡声一切無し」というのは無理なのだろうか? 場所が玄関ホールという残響が期待できない“音楽にとって最悪”の場所なので、それは無理か・・・。でも、幾らクラシックギターの音が小さいとは言え、「アランフェス協奏曲」ではギター1本で立派にオーケストラと張り合っている・・・

さてお馴染みの「ヒゲの迷?名歌手」さんの登場。今日の曲目は声を張り上げないおとなしい曲だったので、安心して(!)聞けた。ま、このバンドの名物ですね・・・

ともあれ、今回は3回目。前の記事を見ると、このコンサートは年に一回のペースで行っているらしい。
いつでも元気なOBバンドではある。

(関連記事)
法政大学ギタークラブOB会による、羽村「ゆとろぎコンサート」 
法政大ギタークラブOB会の記念演奏会に行く 
法政大学ギタークラブOB会のミニコンサートに行く 

141213denwa <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月12日 (金)

“人生で”再び聞き直している音楽・・・

先日、リタイアした会社のミニ同期会があった。1970年に入社して同じ工場に配属になったメンバーの同期会である。正式には年に一回だが、皆ヒマなので、半年ぶりにミニの同期会。13名が集まった。
久しぶりに会ったO君。ハイレゾの話になった。先日、電気屋でハイレゾの音を試聴し、それなりの音なので、自分もハイレゾを始めようかと思っているとのこと。
自分的には、ぞっこん惚れ込んでいるHDDプレヤーHAP-Z1ES(ここ)を薦めたいが、人には聞くスタイルがある。O君は、Net通販は大キライだという。それに音源をNetでダウンロードするスタイルもキライとか・・・。
それで結局、「クラシックを最高の音で聞くならSACD」という店の薦めで、SACDプレヤーを買い、SACDディスクを買い始めたという便りがあった。
なるほど・・・。自分と違って、お金も時間もあるし(?)、今までのクラシックCDを聞くスタイルの延長線上にあるSACDは、O君らしい選択・・・。

自分はと言うと、O君とは違って、クラシックも聞くものの「歌謡曲を良い音で」がメインのため、「現在あるCDを如何に良い音で・・・」が主目的になる。(M君は先の同期会で、「何で前川清を良い音で聞く必要があるのか・・・」なんて言っていたが・・・)
とにかくHAP-Z1ESは、CD音源を良い音で再生してくれるのと同時に、タブレットによる音源(曲)へのアクセスが自由自在であるので非常に便利であり、全ての音源をこれに放り込んでいる。

「この所、アナタおかしい・・・」とカミさんが言うように、少々おかしくなっている。
レンタルCDを借りまくり、図書館からクラシックのCDを借りまくっているから・・・
FMなどから集めた音源も、当然CDにはかなわない。それで、聞く歌手のCDをレンタルで借りて、FMから集めた音源をCD音源に入れ換えている。やはりCDのオリジナル音源は良い音なので・・・
そして、クラシックの音楽も、改めて集め直している。幸いなことに、近くの図書館に結構なCDがあり、図書館の蔵書をNetで検索して、レコ芸の「名曲ガイド」という本で“お薦め”を確認して、予約して借りている。

一度乗れた自転車は、数十年後でも乗れるという。それと同じで、昔覚えた音楽の旋律も、しっかりと頭に入っているようで、久しぶりに聞いても覚えている。
つまり、若い頃にLPを買って、現役の頃は忙しくて聞くヒマが無く、ホントウに30~40年聞いていなかった曲も、今改めて聞くと、ちゃんと旋律が頭に残っている。ベートーベンの「大公」やピアノ協奏曲第1番、フランクの交響曲など、昔LPを買った頃を思い出してCDを借りているのだが、ちゃんと旋律を覚えている。そんなものか・・・

でも新しい発見はほとんど無い。つまり、クラシックのいわゆる名曲と言われている曲は、自分も知っていて今でも聞くが、昔、名曲といわれているものでも、自分にフィットしなかった曲は、今聞いてもフィットしない。トシと共に音楽の好みが変わる、ということは無いようだ。
でも、自分の音楽人生を一から振り返っていることは事実。音源をHAP-Z1ESに放り込む、という作業を通して「この曲は昔聞いたな・・・」と思って、改めてCDを借りている。もっともだいたい借り終わって、それを聞くのはこれからだが・・・。

まるで、音楽、特にクラシックが自分の中で還暦(一回りして最初に戻る)を迎えたようである。

141212yuusyoku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月11日 (木)

いまさら「1票の格差」~さて、選挙だが・・・

衆院選まであと3日と迫ってきた。でもいっこうに緊迫感がない。テレビの、選挙についての情報番組も激減しているという。「1票の格差」についても飽きてしまったのか、あまり騒々しくない。そんな中で、今朝の朝日新聞こんな指摘があった。
「(読み解き経済)一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん
・・・・
 日本の選挙制度は、残念ながらアローの定理を心配する以前の水準にある。一票の格差問題がそれだ。今回の衆院選では、一票の格差は最大で2.14倍との報道がなされた。この数字は様々な問題を投げかける。例えば、社会保障問題一つ取ってみても、その改革の遅れが、将来世代に与える負担は大きい。
 ここで指摘したいのは、一票の格差ゆえに、社会保障制度改革の遅れによって不利益を被る若年世代の有権者の声が不当に小さくなっている点である。20歳以上50歳未満の有権者と50歳以上の有権者の比は、一票が最も軽い東京1区で57%対43%、一票が最も重い宮城5区で41%対59%となっている。若い世代がより多い選挙区の一票の軽さがそのまま彼らの発言力の軽さにつながっていると言ってもよい。
 しかし、本当の一票の格差は現在の若年世代と高齢世代との間にあるのではない。真の格差は未(いま)だ生まれ来ぬ子どもたちと私たち大人の間にある。当たり前のことだが、どのように選挙制度を改革しようとも(仮に今の子どもたちに選挙権を与えることができたとしても)、未だ生まれ来ぬ子どもたちに選挙権を与えることはできない。
・・・
今、日本国民が手を染めつつある最大の過ちは、社会保障や税制の改革の先送りをすることによって、未だ生まれ来ぬ子どもたちに、1人当たり数百万円もの借金を生まれながらに押し付けようとしていることである。
 選挙制度はアローの定理が述べるように完全なものにすることはできない。しかし、不完全なものを少しでも大義ある制度に近づけようという努力を怠ってはならない。選挙権のある者同士の間での平等がその第一。そして、第二は、選挙権のない者への押し付けを慎むということである。これらの原則が守られなければ、私たちはいずれ、未だ生まれ来ぬ子どもたちの反乱や革命を招くことになるであろう。選挙がどのような結果に終わっても、一票の格差の解消と、将来世代を借金まみれにしない努力だけは超党派で行うことを心からお願いしたい。」(
2014/12/11付「朝日新聞」p38より)

目の前の議席確保のために、次世代へ問題を先送りしている今の政治屋・・・
もう少し、我々国民も声を挙げないといけないのでは・・・??

先日、その問題点を整理した記事があった。日経のサイトの、今までの記事をまとめた「超サクッ!ニュースまとめをMyニュースでまとめ読み」という欄である。まあ知られている話だが、見ておこう。
「1票の格差」国会、抜本是正に及び腰
 最高裁が「違憲状態」と判断した「1票の格差」が抜本是正されないまま、衆院が解散され、総選挙が行われる。昨年7月の参院選を巡る「1票の格差」訴訟の上告審判決で、最高1312111ppyou1 裁大法廷は26日、選挙無効を求めた訴訟について「違憲状態」としながらも、「違憲」「選挙無効」などと踏み込んだ判断は示さなかった。専門家は格差解消に及び腰な国会の姿勢を批判している。
1票の格差とは
『1票の格差は、議員1人当たりの有権者数が選挙区ごとに異なることで、有権者の投票価値に差が生じる現象。最高裁は最大格差が「2.43倍」だった2012年衆院選について、昨年の大法廷判決で「違憲状態」と指摘した。』
「0増5減」とは
『今回の衆院選では格差改善のため、高知や佐賀など5県の選挙区を3から2に減らし、小選挙区の総定数を300から295とする「0増5減」が適用されるが、それでも格差が2倍以上の選挙区は1月時点で14に上る。』
是正が進まない原因は
『「日本の国会議員は世襲が多く、いわば家業になっている人が少なくありません。落選につながりかねない選挙区の変更への反発は与野党を問わず激しいものがあります。議員の選び方は小選挙区と比例代表のどちらがよいのかなどの『選挙制度改革』、国会議員が多すぎないかという『定数削減』。これらの課題と『1票の格差』をまぜこぜに議論する人が多いことも出口をみえにくくしています」』
『元最高裁判事の泉徳治弁護士は「増税延期などの政策判断を問うなら、選挙に国民の多数の意思が正確に反映されなくてはならないのに、その前提条件が整っていない」と指摘。「格差解消にはさらに18増18減が必要だが、与野党とも取り組む気がない。主文で明確に『違憲』と宣言してこなかった最高裁にも責任がある」と話している。』
今後の訴訟の行方は
『「1票の格差」が是正されないまま国政選挙が行われているとして、選挙のやり直しを求めている弁護士グループが17日、東京・霞が関で記者会見し「このまま衆院を解散すれ1312111ppyou2 ば、投開票日の翌日に全295選挙区で選挙無効訴訟を起こす」として、衆院で高まる解散機運にクギを刺した。』
『升永英俊弁護士は「1年たっても(格差が)解決せずまた選挙をすれば、最高裁は違憲と判断するしかない」と強調。久保利英明弁護士も「投票価値が平等でない選挙制度では、国民の信を問うことはできないはずだ」と批判した。』
他の先進国では
『国によって様々だ。例えば米上院議員は「州代表」と位置付けられ、憲法によって人口と無関係に各州2議席が割り振られるため、最大格差は60倍を超える。「先進国で最も民主的でない議会」とも言われる。』
『2007年の国民議会選挙で最大格差が5倍を超えたフランスでは、憲法裁判所の違憲判断を受けて1県に最低2議席を与える規定を撤廃、2.37倍まで是正した。』
『先進国中で規制が厳しいのはドイツ連邦議会下院。原則として各選挙区の人口が全国平均の上下25%を超えてはならないとされ、格差はおおむね2倍程度に抑えられている。』
(超サクッ!ニュースまとめをMyニュースでまとめ読み)」(
2014/11/26付「日経」(ここ)より)

マスコミは盛んに自民党圧勝の予想を伝えている。「1票の格差」なんてもう過去の話のように・・・。有権者に、他の選択肢は無いのか・・・。世論誘導も含めて、何もかもが、首相の想定通りに進んでいるのを止めるために、「軽い1票」があるとは言え・・・・

話は変わるが、ヘイトスピーチの違法性を認めた判断が最高裁で確定したが、各党の見解は色々だという。
各党、法規制は足並みそろわず
 平和・人権問題に取り組む約20の市民団体などでつくる「外国人人権法連絡会」(東京)は衆院選前、ヘイトスピーチに関して主要政党にアンケートした。
 「国が具体的な対策を策定する必要性」についての質問に自民、民主、維新、公明、共産、社民の各党が「必要」と回答。「人種差別撤廃基本法等の制定」の賛否を問う質問では自民が「検討中」、維新が「党としての立場は未定」、公明が「現段階では賛成、反対のいずれでもない」とし、民主、共産、社民は「賛成」だった。
 次世代は二つの質問について「結論が出ていません」と回答。生活と改革は11月28日までに回答がなかった。」(
2014/12/11付「朝日新聞」より)

こんな記事を読むと、何もかもが「今の日本はもう救いがないな・・・。もうダメだな・・・」ナンテ思ってしまう・・・。
そう言えば、今朝の新聞の週刊誌の広告に「ルポ“進次郎の乱”完全密着 「数字を並べ立て、ガンガンやればいいってもんじゃない」。アベノミクスとは一線を画し、“新自民党”結成も視野に。官邸も神経を尖らせる小泉進次郎こそ最強の野党だ!」なんていう文字があった。(週刊文春 2014/12/18日号の広告より)

まあ、選挙結果を待つまでもなく、今の流れを止められるのは、意外と自民党内のこんな若い力かも知れないな・・・

141211dousitan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月 9日 (火)

がんの告知と「魔の2週間」~日ごろ冷静な人も別人に

先日、こんな記事を読んだ。
がんの告知と「魔の2週間」 日ごろ冷静な人も別人に
その言葉は、ある日不意に言い渡される――「がん」。耳にした瞬間、多くの人は「死」を初めて実感し、自分の「命」を改めて認識するようになるという。今や日本人のおよそ半分が、なんらかのがんにかかる時代。人生、家族、仕事……。がんをきっかけに診療室で繰り広げられる人間模様とともに、がん治療の最前線を歩み続ける森山紀之・東京ミッドタウンクリニック健診センター長が語る、現代人に伝えたい生き方の道しるべ。

たとえ早期のがんであっても人は必ず取り乱す
 「がんの疑いがあります」という言葉を、みなさんだったらどう受け止めるでしょうか。
 がんの早期発見に大きな力になっているのが健康診断、がん検診、人間ドックなどの検査です。検査によって早期に発見できたなら、それは喜ばしいことのはず。ところがなかなかそうもいかないのが人間というものなのです。
141209gann_2  40代のあるご夫婦のケースです。ある晩、富永大祐さん(仮名)が帰宅すると、奥さんの優美さん(仮名)が真っ暗な部屋で泣いていました。聞けば、以前受けた婦人科検診の結果が出て、「ステージIII」だと言われた、と。インターネットで調べたら「がんが広がっている」「転移が見られる」と書いてあった。「私はがんだ、手遅れだ、もうダメだ」と、優美さんはわんわん泣きながら訴えたそうです。
 大祐さんは日ごろ冷静で穏やかな妻の豹変(ひょうへん)ぶりにびっくりしたようです。ステージIIIは確かなのか、そもそも婦人科検診でがんの進行度までわかるのか。しごくまっとうな疑問を口にし、とにかく優美さんを落ち着かせようと「大丈夫、大丈夫」と笑顔を見せたのですが、取り乱している優美さんは聞く耳を持ちません。それどころか「こんなに深刻なのに、あなたは笑っているばかりで、ちっともわかってくれない」と、夫を責める始末……。

正しく認識していれば大泣きする必要はなかった
 実はこの騒動、優美さんが細胞診の判定分類である「クラスIII」を、がんの進度を示す「ステージIII」と、取り違えたことが引き起こしたものでした。
 よくあるケースなので簡単にまとめますと、細胞診の結果は、「クラス1=異形細胞がない」「クラスII=異形細胞は存在するが悪性でない」「クラスIII=悪性と疑わしい細胞が存在するが断定できない」「クラスIV=悪性細胞の可能性が高い」「クラスV=確実に悪性」の5つに分類されます。優美さんが検診を受けてわかった「クラスIII」とは、がんになるかどうかもわからないレベルで、大泣きする必要はまったくなかったのです。

<がんの検査結果は誤解を招きやすい>
がんになる前の状態を示す例
前がん病変(異形成)からがんに進展する可能性があるかどうかを、「クラス」として判定する検査がある。例えば、子宮頸部の「子宮頸部細胞診」では、その結果をクラス1~5として示し、「クラス1=正常」「クラス2=軽度異形成を疑う」「クラス3a=中度異形成を疑う」「クラス3b=高度異形成を疑う」「クラス4=早期がん(ステージ0)細胞を疑う」「クラス5=ステージIa以上のがん細胞を疑う」という判定がなされる。前がん病変(異形成)は、口腔(こうくう)、胃、子宮、皮膚、大腸、乳房などに起こり、放置しておくとがんに変わるリスクが高まる。
がんがある状態を示す例
がんの状態をステージ(=病期)0~IVの5段階で示す。ステージを判定する方法の一つに、国際対がん連合の「TNM分類」がある。「T因子=がん(Tumor)の大きさ」「N因子=周辺のリンパ節(Node)への転移の有無」「M因子=別の臓器への転移(Metastasis)の有無」に応じて、ステージ0~IVに分類される。ステージがIV期に進むにつれてがんが広がっている状態になる。がんの大きさとサイズ、転移の有無によって「IA」「IB」「IIA」「IIB」などと、さらにステージを細かく分類していく。

 一方、「ステージ」はがんの進度の分類で、転移の有無などをもとにI~IV期に分かれています。先のケースで登場した「ステージIII」は、優美さんが集めた情報にもあったように、がんが進み、すでに「転移が見られる」といったやや深刻な状態です。
 ここで何が言いたいのかというと、日ごろから冷静な人を別人に変えてしまうのが「がん」であるということなのです。そして、そんなときにこそ家族やパートナーなど、患者を取り巻く人の有りようが改めて問われるのです。

生存率が90%でも、「自分は助からない」と思い込む
 がんは命に関わる病気ですから、告知をしたとき、「治るのか、治らないのか」「治せるのか、治せないのか」といった2つの結論が、患者さんとそのご家族にとっての最大の焦点となります。ところが、「早期がんだから、9割の人が助かっています」とお伝えしても、「いやいや自分は助からない方の1割になるに違いない」と考えてしまう人が非常に多いのです。
 これは大変残念なことだと思います。というのも、「きっと死ぬんだ」と沈み込んでしまう人と、「自分は大丈夫だ」と希望を持って生きる人とは、その後の経過が全然違うといってもいいのです。医学をやっている人間として、科学的に説明のつかないものは信じたくないのですが、ストレスから解放されて前向きに過ごすことが、体に与える影響は計り知れません。患者本人のがんばりと、周りの温かいサポートによって、信じられないような出来事が起こることに幾度となく接してきました。その意味では、患者さんの思いを受け止め、寄り添えるご家族の存在もまた、この上ない力となります。
 なかには、受診されたときにすでに末期で手の施しようがないケースもあります。こちらから伝えるにせよ、患者さんに「進行がんですか?」「助からないのですか?」と問われて答えるにせよ、告知の時は大変気を使います。そしてどんな心配りをして伝えたところで、ほとんどの方は「現状を正しく受け止める」ことができません。
 告知の直後は、衝撃を受け、絶望したり、怒り出したり、がんであるはずがないと否認したり。その後は、不安、不眠、食欲不振など日常生活に支障をきたす症状に多くの人が悩まされることになります。私はこの期間を“魔の2週間”と呼んでいます。程度の差こそあれ、がんの告知を受けてから適応するまでにはそのくらいの時間がかかるものなのです。

「生きるか、死ぬか」の二択に目を向けない
 ご家族には、「患者さんはものすごくわがままになります」と説明し、理解してもらえるように努めます。ですが、看病に疲れたパートナーに「おまえは俺が死ねばいいと思っているんだろう?」という投げやりな言葉をぶつけたりするのですから、ご家族はどれだけ苦しいことか。残念なことに、がんをきっかけに離婚をしたり、ご家族の絆が切れてしまったりするのは、場合によっては無理もないことなのかもしれません。
 ですがその一方で、がんになったからこそ、それまで以上に支え合って生きていく見事なご夫婦を今までたくさん見てきましたし、闘病を通して家族の絆が強くなることもあります。
 がんになるということは、本人にとってはもちろん、家族にとっても大変な災難です。ですから、今あるこの状況の中で、精神的にも肉体的にも最も軽いダメージで済ませるにはどうしたらよいかを考えていただきたいと思うのです。とにかく頭を切り替えて、「生きるか、死ぬか」といった二択の結論から目をそらすことが大切。日々の仕事や生活、自分の生きがいなどに集中したり、没頭したりするのでもいい。
 少し不適切なたとえになるかもしれませんが、がんは交通事故や血管イベント(心筋梗塞、脳梗塞など)で突然死んでしまうことに比べれば、期限付きではあっても、というより、期限付きであるからこそ、残された時間を充実させる道が残されています。
 「自分の命を後悔なくまっとうしてほしい」
 どんなケースのがんであっても、私はこう祈るような思いで、日々患者さんやご家族に向き合っています。(まとめ:平林理恵=ライター)

Profile 森山紀之(もりやま のりゆき)
東京ミッドタウンクリニック健診センター長、常務理事
1947年、和歌山県生まれ。千葉大学医学部卒。76年に国立がんセンター放射線診断部に入局。同センターのがん予防・検診研究センター長を経て、現職。ヘリカルスキャンX線CT装置の開発に携わり、早期がんの発見に貢献。2005年に高松宮妃癌研究基金学術賞、07年に朝日がん大賞を受賞。主な著書に「がんはどこまで治せるか」(徳間書店)。」(
2014/12/01付「日経新聞」「日経Goodayセレクション」(ここ)より)

この記事、およそ他人事ではない。自分もまだその(ガンになる)半分に入っていないが、誰でも、いつでもその可能性はある。
気弱な自分の場合、2週間くらいで平常心に戻るとは到底考えられない。

先日、同期会があったが、ある男が「明後日、人間ドックなので、酒を控えなきゃ」と言っていた。「今さら人間ドック?」「何? ドックに行っていないの?」「わざわざ病気を見付けることも無かろう。具合が悪くなったときに病院に行けばよい」「ガンは早期発見が重要では?」「自分だって、市の健診はやっているが、レントゲンはもう撮らない」・・・
70歳がそろそろ手に届く我々の同期会は、相変わらずの病気自慢大会。自分も不整脈や胃酸過多を“誇った”が、10数年前に心臓の手術で3本の動脈を取り替えたBくんや、40代で胃がんの手術をして「脂っこい物はダメなんだ」というOくんにはかなわない。

彼(か)の短歌の河野裕子さんもガンになったときは荒れたというが(ここ)、誰でもそれは避けられない。
しかし、強い人間はいる。どうもウチのカミさんも強そう・・・
先日、カミさんに血尿が出てヒヤッとしたが(その後OK)、その時にカミさんが発した言葉を今でも覚えている。「**と**と**が心配。まだ死ねない・・・」。つまり、まだ3つのことをやり残しているので、自分が死ぬと、そのことが心配だという。

ふと、昔見たTVドラマ「Woman」(第5回)の満島ひかりのセリフを思い出した(ここ~第5回の録音あり)。
「私、死ねないんです。ダメなんです。死ぬのダメなんです。今死ぬと、今死ねないんです。絶対死んだらダメなんです。絶対ダメなんです。何でかって言うと、お話ししたかどうか分かりませんけど、子供がいます。2人います。上の子が女の子で小学校に入ったばかりで1年141209woman 生です。下の子が来年から幼稚園で男の子です。7歳と4歳です。
子供達の父親は、4年前に事故で亡くなりました。なので、私が、いなくなってしまったら、子供達2人だけに、あの子達2人だけになってしまいます。だから死ぬのダメなんです。絶対死んだらダメなんです。
あの子達が大人になるまで、まだ、まだまだ、ず~っとかかります。2人きりになっちゃうんで、死ねません。生きなきゃいけないんです。
小さくて、まだ、小さい命なんです。私が守らなきゃいけない命なんです。・・・」(
ここより)

それにしても女性は、いや母親は強い。この一念があれば、病気さえも退散してしまうだろう。
それに比べて、男はからっきし弱い。もし自分だったら、自分のことだけで頭がいっぱいになって、他のことなど二の次になるような気がする・・・。
とにかく、こんなことを考えなければいけなくなる時が、少しでも先であることを祈ろう。

141209fuann <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年12月 8日 (月)

ピアノ独奏版のモーツァルトの「レクイエム」

何度も書いているが、当サイトのコンセプトは「ヘェー!」・・・。クラシック音楽でも、たまにこの「ヘェー」に出くわす。

先日、NHKラジオ深夜便<奥田佳道の”クラシック”の遺伝子⑥>(2014/11/24放送)で、何とピアノによるモーツァルトの「レクイエム」を聞いた。編曲したチェルニーはモーツアルトが亡くなった年の生まれであり、ベートーヴェンを師として持ち、リストの少年時代にレッスンを与えたという。
それでどうも気になって、結局放送で紹介のあった小川京子演奏のCDを買ってしまった。その幾つかを聞いてみよう。

<チェルニー編曲ピアノ独奏版「モーツァルト:レクイエム」より「②キリエ」~小川京子(pf)>

<同ピアノ独奏版「モーツァルト:レクイエム」より「③怒りの日」>

<同ピアノ独奏版「モーツァルト:レクイエム」より「⑤恐るべき御稜威の王」>

<同ピアノ独奏版「モーツァルト:レクイエム」より「⑧涙の日」>

このCDについて、HMVのサイトにこんな解説があった。
モーツァルト:レクイエムのピアノ独奏版! 編曲はカール・チェルニー
2011年12月、モーツァルト没後220年を記念するコンサートで全曲が演奏され(おそらく日本初演)、モーツァルト・ファンのあいだで話題となったチェルニー編曲によるピアノ独奏版の『レクイエム』。
 今回登場するCDはその3ヵ月後にセッション・レコーディングされたもので、演奏・音質共に万全な状態で作品を楽しむことができます。
 ピアノの練習曲で知られるチェルニー(ツェルニー)は、交響曲や協奏曲、室内楽なども残しているほか、他の作曲家の作品の編曲もおこなっており、モーツァルトでも、すでに「4手ピアノ伴奏と声楽のための編曲」が知られていました。
 今回の演奏は、そこからさらに大胆に音の集約が図られたヴァージョンということで、声楽部分も管弦楽部分も、ピアノ独奏ですべて表現してしまおうという思い切ったアプローチが注目されるところです。ちなみに元のヴァージョンは、よく知られるジュスマイヤー版です。
 演奏はこの編曲版の紹介者でもある海老澤敏氏の奥様で、古典派作品に造詣の深いピアニスト小川京子。
 レクイエムのピアノ編曲といえば、ナウモフによるフォーレのレクイエム編曲と、ブラーム自身の編曲によるドイツ・レクイエム4手ピアノ版が知られており、どちらもたいへん美しいピアノ曲として楽しむことができただけに、今回のチェルニーによるモーツァルトの編曲にも、期待が寄せられるところです。(HMV)」
ここより)

このトシになると、何を聞いてもあまりビックリしなくなるが、このような異質な音楽(失礼!)には興味が湧く。
ピアノ編曲版というと、ベートーベンの交響曲やベルリオーズの幻想交響曲などのCDは持っているが、前にも紹介したように、ブラームスの交響曲(ここ)や、ワーグナーなどの作品(ここ)もあるようだ。

クラシックも一通り聞いてしまうと、このような番外編も面白い。
ついでに、こんな記事を書きながら、ついピアノ版のブラームスの交響曲第1番のCDを注文してしまった。チャイコフスキーの悲愴や、ドボルザークの新世界のピアノ版もCDがあるらしい。ちょっと聞いてみたくなった・・・
まあ、こんな楽しみ方もあるということで・・・。

(関連記事)
モーツァルトの「レクイエム」(涙の日)の版による聞き比べ 

141208cola <付録>「ボケて(bokete)」より

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«「勉強しないとああなるわよ」は最低だ~小島慶子さんの話