2014年7月22日 (火)

2年ぶりのコーヒーショップ

今日は1時間早い出勤だったので、1時間早く退社した。それで時間があったので、乗換駅でつい降りて、前に毎朝通ったコーショップに寄ってみた。
実は自分は、2年弱前から、重役出勤、つまり10時出勤なのだ(ここ)。会社まで朝は1時間半ほどかかるが、それでも楽・・・。
しかし(火)だけは定例会議のため、1時間早く出勤している。それで帰りも1時間早いというわけ・・・

重役出勤の前は、毎朝乗換駅で途中下車し、駅前のコーヒーショップで軽い朝食を摂るのが日課だった。その店に、1年9ヶ月ぶりに行ってみた。店構えは同じだが、中に入ると様子が変わっている。いつも座っていた2階に上がると、店内の配置が変わっており、喫煙室が密室になっている。昔は単に間仕切りがあっただけなので、煙が回っていた。それだけ喫煙に対する状況が厳しくなっているのだろう。
夕方に入ったのは初めてだが、店内はいっぱい。学生が多い。一人用の席も多い。とりあえず、店の隅に席を取った。そしていつも飲んでいたコーヒー・・・。
でも何か落ち着かない・・・。皆本を読んだりしているが、自分だけはそそくさと席を立った。帰りにトイレに入ると、ここも改装してあって、立派。

話は変わるが、NHKラジオ深夜便「ワールドネットワーク」でイギリス・コルチェスターからのレポート(2014/07/17放送)でこんな話をしていた。
イギリスも高齢化社会になってきて、2037年までに80歳以上の人が600万人、人口の1割に達するという。それに向かっての研究の中で、高齢者自身の意見として、現在ではほとんど見られない街中での公衆トイレの増設や、町の商店に協力を求めて、高齢者がちょっとトイレを借りられる制度を作って欲しい、というのが出ているそうだ。
そのイギリスからの話に対し、相槌を打つアナウンサーがさも自慢げに「日本ではコンビニにトイレを併設する所が多くて、先日も利用させて貰って助かった。コンビニは色々な所にあるので、日本では既に実現されている」と・・・
確かに、こんなコーヒーショップに寄らなくても、立派なトイレは街中のコンビニにある。いやはや便利になったものだ。

おっとコーヒーショップのトイレの話から、話が脱線してしまった。
ともあれ、昔の行き付けの店に久しぶりに行ってみると、その変化に、年月の過ぎ去るのが早いことを感じる。
とにかく時間が経つのが早過ぎる。何とかならないものか・・・
たった2年だが、妙に時間の経過を感じてしまったほろ苦い今日の1杯のコーヒーではあった。

140722mac <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月21日 (月)

「海はどうして出来たのか」藤岡換太郎著~Uさんの読書ノート

昔の会社の先輩だったUさんが送ってくれる「読書ノート」。正直、いつも難しいのだが、今回は良かった。科学なので・・・
Uさんのメールにこうある。
「毎日暑いですね。お元気でお過ごしの事と存じます。今回の本の紹介は「海はどうして出来たのか」藤岡換太郎著である。夏と言いうと何と言っても「海」である。お孫さんに「おじいちゃん、海はどうして出来たの?」と尋ねられたら、各位はどのように答えますか?
また、もう一つの視点は日本の将来に明るい希望が見えない中で、唯一の希望が「海」である。日本列島は周りを海に取り囲まれている。しかも幸か不幸か火山帯海溝が多くある。レアーメタル等の鉱物資源の埋蔵が期待できる。海をチョット調べて見ようではないか。」

★「海はどうして出来たのか」藤岡換太郎著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

地球の46億年の時間軸を1年に例えた地球カレンダー。その表現で少し抜粋してみると・・・
・「2月25日」に誕生した生命は、「3月29日」に簡単なバクテリアに進化し、更に「5月31日」になると光合成をする生物であるシアノバクテリアが生まれる。
・酸素が発生したのは、およそ27億年前、地球カレンダーで言えば「5月31日」。それは海の中で「生命」によって作られた。地球上の酸素は全て植物の光合成が賄っている。
・約4億万年前に節足動物が陸上に現れる。そして海には魚類が出現し、その後魚類から両生類が派生した。
・6550万年前、地球カレダーで「12月26日」、現在のメキシコ・ユカタン半島に直径10㎞の巨大な隕石が地球に衝突した。これによって巨大地震と巨大津波が発生し、衝突による火災で陸は火の海と化し、ほとんどの植物は燃えて煤が発生し、それによって太陽光が遮られて、地球は急激に温度が下がって2億年に亘って繁栄して来た恐竜が絶滅する。
・地球カレンダーの大晦日「12月31日、午後11時37分」、遂に地球上にホモサピエンスが登場する。そして「残り2秒」でイギリスに於いて産業革命が始まる。「残り1秒」で21世紀が始まったのである。

そしてこれからの地球は・・・
・海はこれからも永久にこのままの姿であり続けるのか?これまでの地球史の中で海が消滅したという記録は残って居ない。しかし海はやがてなくなると考えている人達がいる。海の水が全て地球の内部に持ち運ばれてしまい、地球の表層に水が無くなってしまうというシナリオである。
・今から約10億年後にその時が来ると言われている。海が消えた地球は生物の生存は望めない。それは今の火星のような星になると言う事である。

前に映画で見たことがあるが、太陽の終焉=地球の終焉は50億年ほど先の事と考えられているという。でも今から10億年後には、既に地球は人の住めない火星化・・・
地球の年齢からすると、今の地球は寿命の半分位ということか・・・?ともあれ、長大な時間軸であり、今のホモサピエンスがどのように進化しているのか、想像だにできない。

科学というと、亡くなった親父を思い出す。経理屋だった親父は、それでも科学は好きだったらしく、その関係の本が本棚にたくさんあった。宇宙関係の本や、世界七不思議といった本も・・・。子どもだった自分はそんな本をよく盗み読みしたもの・・・
ウチの家族は文系が多かったが、自分は珍しい理系!? それもこんな本の影響があったのかも・・・
それにしても、子どもにその家庭環境が与える影響は大きい。本がたくさんあれば本好きになるし、ピアノが鳴っていれば音楽好きになる!?
まあ親の遺伝子が半分ずつ子どもに伝わるわけなので、環境と相まってそれは当然ではあるが、それにしても、子に与える影響を考えると、何もかもがちょっと怖ろしい。
よくウチで話題になる。親の血を受け継いでいるはずの息子どもが、どうもそうは思えない・・・。いつも「でもね~。病院で間違えた可能性もないしね~」と、半ば諦めている(!?)この頃である。

140721ashidake <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月20日 (日)

奥田英朗著「沈黙の町で」を読んで

カミさんに強く薦められ、奥田英朗著「沈黙の町で」を読んだ。
とにかく奥田英朗は“うまい”ので読めと・・・

1年前の朝日新聞の文化欄の切り抜きも一緒に・・・。その記事に曰く・・・
「誰も裁かず 心情引き出す いじめ描く「沈黙の町で」単行本化
 小さな地方の都市で、中学2年の男子が学校で転落死し、いじめの実態が明らかになる――。朝日新聞連載時に反響を呼んだ奥田英朗の小説『沈黙の町で』(朝日新聞出版)が単行本になった。「何が起こったのか、小説だからこそ全景を描くことができた」と作者は語る。
140720chinmoku  1学期末の試験をひかえた中学校で、2年B組の名倉祐一が死んでいるのが見つかった。携帯メールからゆすりといじめがあったとわかる。失点を恐れて先走る警察は少年2人を逮捕、2人を補導する。わが子を守ろうとする加害者側の親の暴走、真相解明を求める被害者家族の焦燥。学校側は穏便第一だ。真夏の地方都市を舞台にした群像劇で町の全体像に迫る。
 昨年7月の連載終了直前に、大津市での中学2年生の自殺といじめの関係が話題になった。その後も痛ましい出来事が続いている。
 「いじめはなくならない。自分の中学時代を思い返しても、通過儀礼のようなものでさえあった。特に男子は弱肉強食で暴力と隣り合わせ。自力では地域から逃げ出せない中学3年間は、サバイバルの時期だ」
 『沈黙の町で』には、学校生活の中で「いじめ」がおこる雰囲気が形づくられていく様子が描かれる。加害側には元いじめられっ子や不良だけでなく、正義漢や人気者がいる。死んだ名倉も従順なだけではない
 〈大変だなあ。生きて行くって〉――先輩からのいやがらせを回避するため、教師にうそをつく女子中学生のつぶやきは切実だ。
 作者が執筆の際に気をつけたのは「誰も裁かない」ということだ。「百%の正義も悪もない。裁くと物語の値を落とすと思う。何かを踏みにじることになるし、何かを見なようにしていることになる」
 ただ、この作品は自分の中に痛みを生んだという。「登場人物が死ぬという設定は避けられないし、これまでもあったが、人間の尊厳を損なってまで物語を作りたくはなかった。今回は、そこに抵触したかもしれない。登場人物全員を救いたいと思ったが、最初に名倉君を死なせてしまった。登場人物を見捨てるみたいで、書きながらもずっと胸が痛かった」
 連載中、読者から「名倉君を救って欲しい」という手紙など、各登場人物への同情や共感が寄せられた。「奥田さんは教師だったのか」という元教師からの問い合わせもあった。教師経験はないし、人物取材もしない。「13歳の子供にも、親にも言い分かある。登場人物に耳を傾けて声を引き出していく」というスタイルだ。何事も大人に相談せずに処理しようとする子供たちと、都合のよい事実だけを知りたがる大人たち。それぞれの「言い分」が、単行本化にあたって加筆修正され、大人と子供の世界の乖離がよりくっきりと浮かび上がった。(吉村千彰)」(
2013/02/25付「朝日新聞」文化面より)

本の内容は上の記事の通りだが、読んでいてストーリーの変化の少なさに、少々不満を覚えた。舞台は中学校とその周辺。同級生の死を取り巻く小さな動きを、事細かに描いて行く。
物語は、7月1日の事件発生から一学期の終業式までの動きと、4月の始業式から事件発生の日までの、二つの時間軸で動いていく。そしてその二つの流れが、最後に一つになる。
上の記事のように、この物語には悪役もヒーローもいない。カミさんが言うように、どこにでもいる中学生とその家族、そして教師やマスコミが、まあそうだろうな・・・という動きをしている。特に母親の「自分の子どもさえ・・・」という姿や、平凡な生活で、このような事件が勃発した時のパニックの様(さま)は、我が家でもありそう・・・。

一番不安定だという中学生時代の友だちや教師との関係。そして、子どもを甘やかして育てることの危険性、親と子の薄い会話・・・。もちろん子どもは問題が起きても、「親に相談する」などという選択肢は無い。子どもを育てる上で、一番やっかいなこの時期、どこにでも発生する可能性のある事件のような気がする。

振り返ると、自分たちの頃は(昭和30年代後半だが)、イジメという言葉はあまり聞かなかった。しかし不良はいた。でもそんなに悪さをすることもなく・・・。しかし今は携帯の時代。メールでイジメの「指示」が直ぐに飛ぶ。

言うまでもなく、イジメは理屈抜きで悪いこと。特に自分がいじめられないために付和雷同しての集団でのイジメは、多くの悲劇を生んでいる。
この物語も、いじめられて死んだ子どもが完全な被害者で、いじめていた友だちが完全な加害者、という前提で進んでいく。しかし、その先入観は徐々にくつがえされて行く。つまり、いじめられていた本人も、場所を変えると(下級生や女子生徒相手だと)いじめる側に立っている・・・。それはまさに、食物連鎖を連想させる。

どこにでもありそうなここに描かれている数々の出来事。それが一人の死によって、周辺の事情が明らかにされていくが、もし死という事件さえなかったら、どこにでもある風景として霧のように消えて行く運命だったのだろう。
今の学校現場で、このようなイジメがどのような状態なのかは知らないが、たぶん現実にはこのようなことは普通の風景なのだろうな・・・と思いつつ、何とも救いのない読後感ではあった。
せめて、孫にはいじめる側にもいじめられる側にも立って欲しくないと、ただ祈るのだが・・・

140720undoukai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月18日 (金)

(集団的自衛権)「松阪市長の違憲提訴」記者会見~「愚かな為政者」という発言のマスコミ各社の報道の違い

昨日、こんな報道があった。
松阪市長、違憲提訴へ団体設立 集団的自衛権で活動の受け皿
 三重県松阪市の山中光茂市長は17日、集団的自衛権の行使を可能とする閣議決定の無効確認を求めて提訴するため、活動の受け皿となる市民団体「ピースウイング」を設立し140718kyoudou た。
 全国の自治体首長や議員、一般市民に参加を呼び掛ける。既に松阪市議や愛知県、大阪府などの地方議員計40人が賛同する考えを伝えてきているという。山中氏は団体を通じて、集団的自衛権をめぐる問題に関する勉強会やシンポジウムを開くなど提訴に向けた準備を進めたいという。
 会見で山中市長は「愚かな為政者が戦争できる論理を打ち出したことで幸せが壊される。国民全体で幸せを守っていかなければならない」と訴えた。」(
2014/07/17付「共同通信」~ここ

マスコミ各社が、集団的自衛権の憲法解釈変更について、世論調査も含めて色々な報道スタンスであることは前に書いた(ここ)。

上の共同の「愚かな為政者が戦争できる論理を打ち出した・・・」という会見での発言報道に、自分は興味を持った。それで会見でのこの発言を、各紙がどのように報道しているのか、Netで調べてみた。

先ず反対派の朝日は・・・
「・・・記者会見した山中市長は「国民が築いた平和が、愚かな為政者によって台なしにされようとしている。当たり前の幸せを次の世代に残せるか、今が分水嶺(ぶんすいれい)」と設立趣旨を述べた。・・・また、「提訴自体が目的ではない」とした上で、「平和への思いを共有する中で、憲法の平和的生存権の侵害という訴えの利益を見極めたい」と語った。さらに、訴えの利益については「自衛隊員が契約していない労務を強いられることへの国家賠償請求など、様々な論理が考えられる」と述べた。」(「朝日新聞」ここより)

そして賛成派の読売は・・・
「・・・山中市長は会見で、「憲法が保障する国民の平和的生存権を侵す違憲状態にある。国民的な議論を経ずに行われており、遺憾だ」と今回の閣議決定を批判。1か月以内に市民団体を設立した上で、勉強会やシンポジウムなどを開催し、賛同者の意見を集約して提訴に踏み切るかどうか判断するとした。
 山中市長は「提訴ありきではないが、手法の一つ。全国市長会などにも呼びかけ、地道に仲間を募り、運動を広げたい」と述べた。」
(「読売新聞」ここより)

同じ記者会見でも、切り取る言葉によって、読者の受ける印象は大きく違う。

同じく時事通信は・・・
「・・・山中市長は同日午前の会見で「司法の場において国にノーを突き付けていきたい」と述べた。」(「時事通信」ここより)

中日新聞は・・・
「・・・会見した山中市長は「市民の当たり前の幸せが守れるか今が分水嶺(れい)。人生をかけて運動に取り組みたい」と決意を語った。」(「中日新聞」ここより)

日テレは・・・
「・・・会見で山中市長は「ひとりひとりの当たり前の幸せが壊れていく前に防ぎたい」と話し、今後、有識者や市民とともに国に対し、集団提訴していく考えを明らかにした。」(「日テレ」ここより)

名古屋テレビは・・・
「・・・松阪市の山中市長は会見で、「憲法を冒涜する判断をした安倍政権に司法の場でしっかりとNOを突きつけなければならない」と力を込めました。」(「名古屋テレビ」ここより)

そして、東京新聞は共同を引き、毎日、日経、NHKでは、そもそもこの17日の会見の報道記事は見つからなかった。
つまり、「愚かな為政者」という発言は、共同と朝日しか取り上げなかったわけだ。

自分は今の安倍首相の政治姿勢に対し、首相が尊敬する祖父の岸元首相が、国民の大反対を押し切って安保改定に踏み切って“歴史に名を残した”ことを念頭に、同じように自分も歴史的に名を残したい自己顕示欲から、何の緊急性も必要性も無いのに、また自民党が国民から支持されている訳でも無いのに(ここ)、小選挙区制の仕組みのイタズラから多数議席を得ている今のチャンスを捉えて、国民無視の利己的な野心を遂げようとしているとしか見えない。
今朝の朝日新聞(2014/07/18付p15)に、野中・元自民党幹事長のインタビュー記事が載っていた。これら自民党OBも、安倍政権のやり方や公明党の存在感の無さを憂いていた。
そして、結果として誰もその「愚かな為政者」を止められない日本政治の体たらく・・・
先ずは、先の記事で野中氏が言っている「創価学会の協力なくして自民党議員の8割は選挙で落ちますよ」に期待して(!)、公明党が一人前の公党として、一人の大臣の椅子にしがみつくのではなく、これを機に政権離脱を期待したいのだが・・・

140718syuusei <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月17日 (木)

「犬派」と「猫派」

先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
猫の流儀 大竹昭子
 長いこと、自分は犬派だと思っていた。ふらふらさまようのが好きな性格を野良犬の姿に重ね、シンパシーを抱いていた。犬にならば難なく気持ちを委ねることができたのだ。
 反対に猫についてはまったくだめだった。飼ったことがなく、どういう生き物なのかわからない。親しみの持ちようがなかった。
 ところが最近、さまようのが好きだったり、身勝手だったりする自分の性格は、実は猫に近いのではないか、と思いはじめた。
 どこかの家から猫が出てきて柵の隙間から向かいの家に入って行く。または、わざわざ狭い路地に身を滑りこませて通り抜けようとする。空っぽの駐車場に数匹が測ったように等間隔を空けて香箱を作っていることもある。思わず立ち止まって眺め入ってしまう。そのそっけない図々(ずうずう)しさといい、気ままな様子といい、互いの距離の置き方といい、我が身を見ているようによくわかり、深い共感がわき起こる。
 犬は猫ほど気ままな態度はとらないものである。習慣を守り、ルーティーンワークをこなし、すべてを予想の範囲内で処理する彼らは、意外性にはほとんど縁がない。
 両者の立場のちがいを考慮する必要はあるかもしれない。犬にはうるさく命令するご主人がいて、自由に動きまわることはままならないが、猫は家を勝手に出入りし、野良という生き方も選択できるのだ。
 それならば、猫みたいに自由に生きられたら、犬も性格が変わって、猫に近づいてくるのだろうか。
 ここで思い出すのは、バリ島の犬のことである。あの島では猫はめったに見ない代わりに、犬はとても多くていたるところで見かける。数匹飼っている家も珍しくなく、しかも放し飼い状態で、犬が猫に近い自由を得て暮らしているのだ。
 にもかかわらず、彼らの行動に猫のような気ままさを感じることは少ない。家の前を人が通ろうものなら、こぞって出てきて吠(ほ)え立てる。その激しい吠え声はその家の敷地が終わり、隣家の犬がバトンを受けて啼きはじめるまでつづく。勤勉なガードマンさながらの働きぶりである。
 道を歩いている姿もよく見かけるが、その様子はさまようような猫の歩き方とちがい、行くべき場所を持っている人間の姿に近い。役所に書類でも取りに行くような顔なのだ。
 ひるがえって、歩いている猫の姿を見て用事がありそうだと感じることはない。たとえあっても、角をまがったとたんに別のことに気が移って忘れてしまいそうな、当てにならない顔をしている。
 猫にとって優先されるのはまず自分の気分なのだろう。とらえにくいそれをしかと捕まえ、平常心を保つのがうまい。大事なのは外界と自分の位置関係であり、それを破るものは無視するし、ふりまわされもしない。自分を操ることにおいて、彼らは天性の直感力をもっているのだ。
 もしかしたら、ルーティーンワークが苦手な私にとって、猫は導師たりうるかもしれない。そう考えて、散歩の道々、猫を見かけると立ち止まり、彼らの流儀を観察するようになった。
 動きやすい気持ちの流れを読み、ベストの状態をつかまえて自らを仕事机に座らせようと努めるとき、だいぶ猫に近づいたかな、と思うこの頃である。(作家)」(
2014/07/16付「日経新聞」夕刊p7より)

「犬派」と「猫派」・・・。あまり意識したことはなかったが、猫を飼うという選択肢は、たぶん自分には無いのだろう。いや、犬を飼う選択肢も、本来は無かった。しかしカミさんが12年前に犬を飼いたいと言い出してから世界が変わった!? それ以来、我々夫婦の生活は、犬を中心にして回っているようだ。やれエサを残した、足音が軽快でない、歩き方に元気がない・・・等々。とにかく相手は生きもの。だから、夏は12畳のLDに、たった3Kgの犬のためにエアコンは1日中点けっぱなしだし、冬は暖房用具も入れっ放し・・・。
まあ仕方がないけど・・・。

思い出してみると、自分には犬について、咬まれた思い出しかない。家の近くの会社の寮で、番犬用の大きな犬が逃げ、それに2度も咬まれた。未だに尻にその跡が残っている。だから自分は昔から犬がキライ。犬は吠えて咬むものだと思い込んでいた。
でも今飼っているヨーキーのメイ子は何をしても咬まない。これはしつけ以前の犬の性格なのかも知れない。
猫についてもあまり良い思い出がない。前に住んでいた家で、隣家で野良猫にエサをあげるので、我が家の庭が猫の通り道。そして挙げ句の果てに、子ども用に作った庭の砂場が、猫のフンだらけになって使えなくなり、悪い思い出だけが残った。
メイ子を連れて散歩に行っても、駐車場の車の上などに寝ている猫をよく見かける。そしてメイ子と出くわした猫は、戦闘意欲満々で、通り過ぎるまでじっとこちらの様子をうかがっている・・・。
まあ道で出会っても、猫は怖く無いが、繋がれていない犬は怖い・・・。トラウマだな・・・。

8年ほど前に、ツアーでオーストリアに行った。その時、ある湖の桟橋に皆でたたずんでい165841 ると、向こうの桟橋に大きな犬を連れた男の人がいた。その人が犬をそのままにして、こっちの桟橋に歩いてくる。そして、声を掛けると、その大きな犬はゆっさゆっさとこちらに歩いてきて、飼い主の足下に座った。
その従順さに、感動さえ覚えたもの。犬は飼い主には従順だと・・・。

それに引き替え、いつも散歩で通る近所の角の家の犬は何だ!? 庭に2頭放し飼いしているが、前の道をメイ子を連れて通る度に、大きな声で吠える。周囲の家に迷惑この上ない。

最近、メイ子の食事の状況を夫婦で心配している。今日は食べ残していないか?? 今日のウンチは?
でもこのところ完食が続き、良いウンチで大丈夫・・・。一安心。
まさか日常で、こんな会話をするとは思ってもいなかった。犬を飼うなど、まさにワンチャンスのメイ子。
いつまでも元気で居てくれると嬉しいのだが・・・。居ないことが有り得なくなってしまった我々「犬派夫婦」ではある。

140717ogamareru <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月16日 (水)

「フォーチュン500」2014年版と原発再稼働

先日の日経でこんな記事を読んだ。
「「フォーチュン500」が映す米欧の厚い壁  編集委員 西條都夫
 売上高順に世界の企業を番付する米フォーチュン誌のグローバル500社ランキングが発表された。今年ランクインした日本企業は前年から5社減って57社にとどまった。2000年には100社を超える日本企業が名を連ね、全体の2割以上を占めたが、年を追うごとに数が減り、今では1割強になってしまった。
 何が原因なのか。日本勢がほぼ半減する一方で、巨大国有企業を中心にした中国企業は増え続け、今年は95社がランクインした。日本が中国に逆転されたのは2011年で、その後は差がじわじわと広がっている。GDP(国内総生産)と同じ、日中の逆転劇がここでも起きている。

■日本の優勢、自動車くらい
 だが、筆者が最も気になるのは中国の台頭ではない。むしろ「古くからのライバル」である米欧企業との差が再び開きつつあるのではないか、という点が心配の種だ。中国企業は一部の例外はあるが、多くの企業は中国国外におけるプレゼンスが小さく、世界市場で日本企業としのぎを削るところはまだ少ない。
 だが、欧米企業は違う。日本勢に先駆けて世界市場に展開し、高いブランド力や技術力を誇る、日本企業にとって正面からのライバルである。この稿では、グローバル製造業に絞って、日米のチャンピオン企業の比較をしてみよう。
140715500sya1  ランキングをざっと見渡して日本が明らかに優勢なのは、自動車だ。トヨタ自動車以下富士重工業まで6社がランクインし、部品メーカーもデンソーなどが名を連ねた。500社全体に占める順位でも、日本トップのトヨタの9位に対して、米国トップのゼネラル・モーターズは21位にとどまる。
 だが、それ以外で日本が優勢な分野は少ない。あえて探せば、1つは新日鉄住金が184位にランクインした鉄鋼産業だろうか。この業界でトップ500に名を連ねた米企業はない。また、487位に入った富士フイルムも、かつての最大のライバルである米イーストマン・コダックが破綻に追い込まれた事実を踏まえれば、「勝ち組」に分類してもいいだろう。
 だが、「勝ち組」リストはこれで終わりだ。それ以外の日米比較を列挙してみよう(カッコ内は500社のなかでの全体順位)。
 キリがないのでこのへんでやめておくが、日本企業が規模の競争で劣後している現状を実感してもらえただろう。IT(情報技術)や金融、石油メジャーなど、今回の比較からあえて除外した米国の得意分野をカウントすれば、日米の産業力の厚みの差はさらに顕著なものになるはずだ。

■欧州の「小国」も有力企業を輩出
 一方で欧州企業も手ごわいライバルである。たとえば、一般的には「小国」と分類されるオランダはロイヤル・ダッチ・シェル(2位)以下フィリップスやハイネケンなど12社が、スイス140715500sya はネスレ(72位)など13社がランクインした。オランダの人口は1660万人、スイスの人口は795万人と日本よりはるかに小さいが、それでもこれだけの有力グローバル企業を輩出する。日本企業としても、欧州勢のブランド戦略やグローバル化への意気込みなど見習うべき点は多い。
 日本企業の足元の業績は好調で、経営者にも明るいムードが漂う。それ自体は悪いことではないが、しかし、業界再編など残された課題も多い。グローバル市場で米欧の巨人と伍(ご)して対等に競争できるだけの経営基盤が自社にあるのかどうか、経営者は問うべきである。


西條都夫(さいじょう・くにお) 87年日本経済新聞社入社。産業部、米州編集総局(ニューヨーク)などを経て企業報道部編集委員兼論説委員。専門分野は自動車・電機・企業経営全般・産業政策など。」(2014
/07/15付「日経新聞」「ニュースこう読む(西條都夫)」より)

この順位は企業の売上高である。つまり事業規模であり、大会社のことである。
この記事は、日本の地位の低下を嘆いているが、上の円グラフを見て、自分はむしろ感心した。まあ、つい最近までGNP世界第2位であり、先年3位に落ちたとは言え、規模からすると日本の経済力はまだまだ一流と見える。
つまり、まだ英独仏の2倍であり、韓国の3倍の企業数を保っている。確かに断トツの会社は自動車位しかない。それに続くのは、上のリストを見ても、重電インフラ位しか目立たない。
でも、2000年では100社を超えていたというから、当時の日本は凄まじい経済力だったわけだ。

さっきのニュースでは、いよいよ原発の再稼働に向けた動きが始まったと言っていた。膨大な火力発電のための化石燃料の輸入増加を考えると、経済的には原発再稼働が現実解なのかも知れない。
しかし一方では、福島から非難して家を追われた人の自殺者が増えているとも聞く。つまり原発事故では、直接的な死者はゼロだなんて言っているが、避難した人の死者の数は怖ろしいほどの数になっているのだろう。
それら都合の悪い数字は発表されていないが、もし事故が無かった状態での福島県民の死亡率と、事故によって上がってしまった死亡率の比較の数字が公表(研究)されたら、世の中の原発に対する評価は激変するかも知れない。

「脱原発」と、言葉では簡単。しかし代替エネルギーをどうするのか・・・。新設原発は論外としても、リスクの少ない新しい原発までも廃炉にするのか・・・。
経済のための原発と、それによる多くの国民の命に直結するリスク・・・。
何とも答のない難しい議論ではある。

140716senkyo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月14日 (月)

若山彰の「喜びも悲しみも幾歳月」

先日、WOWOWで木下恵介特集を放送していてが、映画「喜びも悲しみも幾歳月」をまたじっくりと見てしまった。
この作品は1957年(昭和32年)の作品。当時この映画を見た記憶は無い。しかしこの歌は昔から良く知っている。今日は、現存する3つの音源を聞いてみよう。

<若山彰の「喜びも悲しみも幾歳月」モノラル・オリジナル>

「喜びも悲しみも幾歳月」
  作詞・作曲:木下忠司

俺等岬の 燈台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って 灯をかざす
灯をかざす

冬が来たぞと 海鳥鳴けば
北は雪国 吹雪の夜の
沖に霧笛が 呼びかける
呼びかける

離れ小島に 南の風が
吹けば春来る 花の香便り
遠い故郷 想い出す
想い出す

朝に夕べに 入船出船
妻よがんばれ 涙をぬぐえ
もえてきらめく 夏の海
夏の海

星を数えて 波の音聞いて
共にすごした 幾歳月の
喜び悲しみ 目に浮かぶ
目に浮かぶ

次は、上のオリジナル盤とほとんど同じ編曲によるステレオ盤。
<若山彰の「喜びも悲しみも幾歳月」ステレオ>

そして、バックの女声コーラスが男声に変わったステレオ再録盤。
<若山彰の「喜びも悲しみも幾歳月」ステレオ再録>

この映画は、まさにこの歌詞の順に物語が進む。無人の島での孤独な生活。現代人では到底想像も出来ない。それ故か、日本の全3,348基の灯台は2006年に全て無人化されたという・・・。

この映画では、色々な夫婦像が描かれており、夫婦とは・・・について考えさせられることが多い。ここで描かれている夫婦の姿をメモすると・・・

この映画の主人公、有沢四郎(佐田啓二)、きよ子(高峰秀子)夫婦は、四郎の父親が亡くなって信州の実家に帰った時に見合いをして、直ぐに三三九度を挙げ、嫁さんをそのまま灯台に連れて帰る。そんな出会いの夫婦だったが、そ二人の絆は強かった。
一方、信州から、きよ子の学友だった藤井たつ子(桂木洋子)が訪ねて来て、きよ子が振った男を、実はたつ子が好きだったことを打ち明ける。この二人はその後結婚するが、夫に先立たれて、あまり良い結婚生活ではなかった。
そして、その時に「殺したい」言うたつ子を叱ったのが、灯台守の大変さで妻が気が狂ってしまった次席職員。別居生活の疑心暗鬼と子どもを亡くした心労で、妻が心を病んでしまったが、いつもこの妻を抱いているという。
そして四郎の同僚の野津(田村高広)は、台長の娘真砂子(伊藤弘子)に恋をしたが、「野津さんは好きだが、灯台守の所には行かない」と言っていたが、父親が灯台の屋根から落ちて死んだことを機に、結婚する。
140714yorokobimoそして、主人公の有沢一家は、東京から疎開してきた名取親子(夏川静江)と親しくなり世話をするが、戦後東京に帰った名取は、その恩返しに、と娘の有沢雪野を東京の自宅に住まわせ、学校へ行かせる。そして有名なラストシーンで、名取の息子と雪野は結婚してエジプトに赴任していく。
まあこのように、色々な夫婦像が出てくるのだが、それらの夫婦像をどう見るか・・・。

主人公のように、出会いはワンチャンスであっても、長く続く夫婦。そして藤井たつ子のように、恋い焦がれて夫婦になっても、必ずしも幸福になるとは限らない夫婦もある・・・。

この主人公の場合は、息子・光太郎が大学に落ちて荒んだ末、不良に刺されて死ぬという悲劇に見舞われるが、それでも二人は手を取り合って生きて行く。普通は罵りあうのでは!?
前の「「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が泣ける」(こ)という記事でも挙げたが、自分は「星を数えて・・・」という歌詞が好き。
こんな歌を聞きながら、自分たちの長い夫婦生活を思い返してみるのも良いのかも・・・。

(関連記事)
「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が泣ける

140714toei <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年7月13日 (日)

「野党よ、再編ゲームより論戦を」

安倍政権の暴走を止めるのは野党しかいないが、その野党の現実について、何か書いたものがないか・・・と思っていたら、こんな記事を見付けた。
「(日曜に想う)野党よ、再編ゲームより論戦を 特別編集委員・星 浩
 講演やシンポジウムで、アベノミクスや集団的自衛権などについて話し終えると、最近は、こんな質問がよく出る。「それにしても、野党はいったい何をしているのか」
 そんな疑問を抱くのは当然だ。重要な課題が山ほどあるのに、これほど野党の影が薄い政局は珍しいからだ。質問に答えるため、私はホワイトボードに数字を書くことにしている。
 自民党  1881万→1662万
 民主党  2984万→962万
 維新の会 0→1226万
 みんなの党 300万→524万

 これは、2009年8月と12年12月の総選挙の比例区で、各党が得た票数だ。09年は自民党から民主党に政権が交代し、12年は自民党が政権に復帰した。12年総選挙の直後、自民党の石破茂幹事長は「自民党が勝ったのではない。民主党が負けたのだ」と語った。確かに、自民党は得票を1割ほど減らしながら、低投票率という事情もあって1位になり、政権を奪還した。
 民主党は、3年3カ月の政権運営があまりにも未熟で、有権者からこっぴどく叱られた。驚くべきことは、初挑戦の維新の会が、比例区では民主党を大きく上回ったことだ。
 もともと、維新とみんなには、自民党が半数に届かなければ連立に応じて政権入りしたいという思惑があった。だから「野党として政権と厳しく対決してほしい」と期待しても、しょせん無理なのだ。講演終了後に駆け寄ってきた初老の男性が「民主党の激減も、維新の躍進も、有権者が判断したのだから、責任がありますね」と話していた。私の言いたかったことを、ちゃんと理解してくれていた。
     *
 その野党が、得意げに「再編をめざす」という。ちょっと待って欲しい。維新とみんなは野党としての役割を果たせず、党内対立のあげくに分裂。支持者の期待にこたえられなかったのだから、まずはおわびして、何が欠けていたかを検証すべきだろう。
 ところで、政界再編騒ぎのたびにメディアの報道ぶりを考えさせられる。あまりも大げさに取り上げる傾向があるからだ。みんなの党の山内康一国会対策委員長からこんな体験を聞いた。
 民主党や維新の若手議員と安全保障問題の勉強会を続けている。毎回5人から10人が参加。取材する記者はほとんどいなかった。ところが昨年秋、突然、36人の野党議員が顔をそろえた。多くのテレビカメラや取材記者が殺到した。どうやら、維新の議員が「野党再編に向けた会合が開かれる」とメディアにささやいたことで、騒ぎになったらしい。
 「野党議員の政策勉強だと関心は持たれないが、再編となると、がぜん注目される。メディアの体質がよく見えました」と山内氏は苦笑いする。メディア側は、純粋な勉強会だと分かった後は取材に来ていないそうだ。
 野党の政策は実現する可能性も小さいし、政策の中身についての地味な話題にメディアは食いつかない。それが再編となると、単純で分かりやすい。政治家同士の言い争いも「絵になる」ニュースだ。こうして、再編問題は過剰に報じられるようになる。
     *
 選挙で新勢力が追い風に乗って実力以上に得票する→国会での活動はうまくいかず、支持者は失望する→政党の分裂、合併を重ねるが、支持者は戻らない――。そんな空しい再編ゲームはそろそろ、終わりにすべきだ。
 次の総選挙で自民党に対抗する野党候補が乱立すれば不利になるのは当然だから、いずれは候補者調整が必要となる。だが、それは各野党がきちんとした政策を練り上げ、アピールする力をつけてからの話だ。この夏は、野党の政治家が有権者の声をじっくり聞いて政権与党に論争を挑む準備を進める良い機会だ。空しい再編騒ぎを繰り返すのか、与野党のまっとうな論戦の舞台を作り直すのか。野党だけでなく、有権者やメディアも熟考の時だ。」(
2014/07/13付「朝日新聞」p2より)

上の「2009年8月と12年12月の総選挙の比例区」の票数を見ると、“戦争をしたくない”国民が持っている手段が、如何に少ないかが分かる。否、無いのかも・・・
民主党政権に大きな期待をして、それが過度だと分かった時、直ぐに白ける有権者も大人げないが、それから向かう先が、「もともと、維新とみんなには、自民党が半数に届かなければ連立に応じて政権入りしたいという思惑があった。だから「野党として政権と厳しく対決してほしい」と期待しても、しょせん無理なのだ。」という状況では、道が無い・・・。
では共産党、と言っても、限度がある。

話は変わるが、先日テレビで、日本のステルス戦闘機の開発状況について放送していた。日本は次期戦闘機として、1機100億円もする米国のF-35を採用することになっているが(配備は2015年から?)、実は日本でもステルス戦闘機の開発をしているという。しかも搭載するエンジンは1995年から開発しており、戦闘機は既に5分の1の無人機の飛行テストが成功している。そして有人の試作機は、2014年にも初飛行の予定だとか・・・
これらの報道を聞くと、武器の輸出解禁とともに、日本は確実に「戦争」に近づいているように見える。少なくても、良い意味での戦争アレルギーが無くなってきている。
それらの動きに目を光らせ(暴露し)、国民に警鐘を鳴らすことのできる野党の存在は民主国家にとって欠くことが出来ないもの・・・。それなのに・・・

ある人は、「安倍政権は10年続くかも・・・」と言っていた。ポスト安倍や、野党などの対抗馬の状況を見ると、あながち空想ではないかも・・・。
今日の滋賀県知事選では、自民・公明の推薦候補が敗れたが、10月の福島、11月の沖縄の知事選が、引き続きどうなるか・・・。民意のバロメータになるかも知れない。
まさに「野党だけでなく、有権者やメディアも熟考の時だ。」

140712corner <付録>「ボケて(bokete)」より

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