2018年4月21日 (土)

新潟県・米山知事が「女性問題」で辞任

最近の政治のバタバタのひとつ。新潟県・米山知事が辞任した件だが、冷静に見つめた記事はないかと思っていたら、こんな記事を見付けた。弁護士の視点である。

米山知事が「女性問題」で辞任 女子大生との「援助交際」、法的な問題は?
新潟県の米山隆一知事が4月18日夜、「週刊文春」で報じられた女性問題の責任を取り、辞職することを明らかにした。19日発売の「週刊文春」(4月26日号)は、米山氏が出会い系サイトで複数の成人女性に金銭を渡し、肉体関係を結んでいたと報じている。
米山氏は独身で、相手女性との詳細は不明だ。それでも何か法的な問題はあるのだろうか。援助交際の法的な問題について検討した。

援助交際って法的に問題ないの?
異性に対して金銭を渡して肉体関係を結ぶ「援助交際」。モラルをのぞき、この行為に関する法的な論点は、次の2つだ。
(1)売春は違法なのか
(2)「援助交際」は売春と言えるのか

●「売春」は違法だが、刑事罰はない
まず(1)の売春が違法かどうか。結論からいえば、買ってもダメ、売ってもダメ。しかし「違法だが、刑事罰はない」というのが、厄介なところだ。
「売春防止法」は、売春の定義を「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう」(第2条)と定めている。また、そのような売春行為をすることを「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」(第3条)と明確に禁じる。
ただ、刑事罰の対象になるのは、「勧誘する人」「周旋(あっせん)する人」(第6条)に限られる。経営者や客引きは刑事罰の対象だが、客や売春する人は刑事罰の対象外なのだ。

援助交際は「売春」なのか?
次に(2)援助交際は「売春」かどうか、を検討しよう。
「売春=違法」ということは(1)で説明したが、援助交際の場合にはどうか。米山氏のように独身で、「少なくとも僕は好きでしたよ」(4月17日の記者会見より)という場合、自然な恋愛だとも言えそうだ。
一般的にも「女性と肉体関係を持ちたい」と考えた男性が食事をご馳走したり、プレゼントを贈る。そうして関係を深めながら、肉体関係に至ることに違和感はない。援助交際においても、全てのケースが「売春であり、違法である」とは言い切れないのが難しい点だ。
結論として、独身である米山氏が金銭を支払って、女性と肉体関係を持ったとしても、それだけでただちに「違法」だとはいえない。
しかし、「週刊文春」の記事によれば、相手側女性は「最初からお互い援助交際が目的」と証言している。関係を深める中で「少なくとも僕は好きでしたよ」という恋愛感情が芽生えたとも言えなくはないが、女性については「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交する」(売春防止法第2条)に該当するとして、その相手である米山氏も「刑事罰はないが、違法」となる可能性はある。

相手が未成年、どちらかに配偶者がいた場合には
また、今回のケースとは異なるが、相手が未成年だった場合や、配偶者がいた場合には法的な問題を孕む。
援助交際をしている女性が、18歳未満の時は、「児童ポルノ法」(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)によって、厳しく罰せられることになる。
また、米山氏は独身だが、もし妻子がいた場合には、「不貞行為」と「不法行為」の問題に発展する可能性があった。」(
2018/04/19「弁護士ドットコムニュース」ここより)

この記事に3つのコメントがあった。部分的にメモしてみると・・・
「匿名ユーザー
不倫しても生活がだらしなくても、政治手腕があるなら政治家を続けてほしいです。それは与党野党、左派右派に限らず願います。そんなことを問題にして有能な人を政治から遠ざけるのはやめてほしいです。
問題がある人だと思うならリコール運動をすればいいだけでは?・・・・・」

「ななし  30代 女性
女性に叩かれること覚悟で書きますが、米山さんが可哀想ですね。・・・・
米山さんだけ槍玉にあげられ辞職されるのが何とも気の毒でたまらない。
女子大生は米山さんから金銭だの食事だのプレゼントだの散々援助を受けておいてなぜ今さら被害者面で週刊紙にリークしているのか理解に苦しむ。
この女子大生も名前を公にすべし。
刑事罰は無いにしろ大学の名前に泥を塗ったことで退学させれば良い。」

「通行人  50代 男性
素朴な疑問ですが、米山さんの周辺を探る理由は一体何だったのか?やはり原発の再稼働問題でしょうかねえ?
米山さんが知事のままでは再稼働に目処が立たないので、某電力会社が周辺を徹底的に調査させて、マスコミに繋いだのと考えると、今回の騒ぎがなんとなく理解出来ます。
人間は、叩けば必ず埃が出ますからねー。」

これらは、擁護側の代表的な意見では?と思って読んだ。
在京6紙の社説で、この問題を取り上げているのは?と覗いたら、読売一社だけだった。論調はもちろん「知事として資質を欠いていたと言わざるを得ない。」「女性との関係は知事就任後も続いたといい、責任は免れない。」・・・・

この事件?を聞いて、前川・前文科事務次官と、財務省の福田事務次官の顔が浮かんだ。タイミング的に、福田次官と米山知事が、同じ女性問題でマスコミを賑わせている中、両者のスタンスの違いがあまりにも大きい。よって、米山知事の辞任を惜しむ声もNetには多いようだ。

自分はどうも週刊誌が好かない。結果として、週刊誌が人事を握っているようで、気にくわない。本来業務とは関係のない事柄で、鬼の首を取ったような騒ぎ。それで有能な政治家が去っていくのは残念。確かに「脇が甘い」ということなのだろうが・・・。
それに、どうも裏の力学が作用しているようで気にくわない。権力者が誰かを潰そうと思えば、「人間は、叩けば必ず埃が出ますから」それを探し出して潰す・・・

おっと、そんな事を考えると「学校のひとつや二つ、友人に便宜を図ってもいいじゃないか! 些細なことさ・・」ということになってしまうな・・・
最近は、ニュースで安倍首相が出てくると、「消音」ボタンを押すのが習慣になってきた。あの、ただただ口先だけの軽い言葉の羅列は、もう聞きたくない。言っている事と、やっている事が真逆の人の言葉など、聞きたくないのだ。

20180420181605389 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より

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2018年4月20日 (金)

東京スカイツリーに行く

東京スカイツリーが開業したのは2012年5月だという。当サイトでも、FM放送アンテナが東京タワーからスカイツリーに移り、FM電波の劇的な改善があった(ここ)。
それで、スカイツリーには非常に興味があったのだが、どうせ混んでいるのだろうと思って、実際に行くことはなかった。そうこうするうちに、6年も経ってしまった。それで、都内に用があったので、ついでに行ってみる気になった。今日の天気が晴天、というのも後押しをして・・・

上野駅の公園口前からシャトルバスで、スカイツリーに。20分ほど。入ると、まず生徒の団体。なるほど、幾ら平日でも、修学旅行が多いのだ。
4Fに登ってチケットを買う。ほとんど並んでいない。2060円。エレベーターも直ぐに乗れた。その高速さにビックリ。350mをたった50秒で登る。最高分速600m、時速だと36K/h。
まさにアッという間に着いた。
なるほど・・・。これは景色がよい。空いていそうなので、まずは上まで上がってみるか・・・。1030円で、450mの展望回廊まで行く。こちらは30秒。
展望回廊は、なるほどスロープ。ビックリしたのは、フロア全体が宝塚のPR。眺めは良い。浅草寺が見える。(風景の写真はサイズが大きいです)

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しかし晴れてはいるが、遠くがかすんでいる。新宿のビル群も、東京タワーさえもはっきり見えない。眼下のアサヒビールの「金のうんこ」は見える。

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エレベーターで下の展望デッキにもどって、一回り。ガラス床から下と見ると、なるほど・・・
でも景色は上とそれほど変わらない。結論として、第一展望台で充分。450mまで上がっても、景色がぼやけるだけ?

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エレベーターで地上に降りると、スカイツリータウンという店群。お土産屋などがびっしり。
フードコートで少し遅いランチ。外に出ると、初夏の風。川には鯉のぼり・・・

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総じて、上からの風景は期待以下。やはり1~2月の寒いときでないと、遠くは見えないようだ。台風の次の日が、チリが吹き飛ばされて良いかなとも思っていたが、どうだろう。
今日は、晴天であっても、NGだった。そして350mの展望台で充分だったな・・・。

同じように、シャトルバスで上野駅に戻る。乗り換えもなく、これが便利なようだ。
バスを降りると、目の前が国立西洋美術館。65歳以上は、常設館が無料だというので、時間潰しに入ってみた。松方コレクションのモネの作品群。
18042013 門外漢の自分は、どうもピンと来ない。大きな「睡蓮」も近くで見ると、絵の具の荒い筆使い。しかし遠くから見ると、それらしく見える。
玄関前のロダンの考える人は、相変わらず鎮座。ロビーでぼやっと美術館のTV解説を眺めていたら、そろそろ時間になったので、新宿に行って、いつもの飲み会・・・。
「スカイツリーに行って来た」と言うと、誰も行っていなかった。どうも老人は行かない場所のようだ。

7000歩近く歩いたので、帰ってからガックリ。春と言っても、もう初夏。都内の散歩も季節を選ばないと・・・。
それにしても、どこも外人さんの多いこと。日本はもう観光国のようだ。

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2018年4月17日 (火)

沢田美喜のエリザベス・サンダースホーム

だいぶ前の放送だが、NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史~沢田美喜」(2018/03/05・12放送)を聞いた。
敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた人である。
三菱財閥の創始者の孫であった沢田さんは、戦後、駐留米兵との間の強姦や売春などで生まれ、捨てられていく混血児を救うため、募集や私財を投げ打って、自分が育った財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を買い戻し、孤児院エリザベス・サンダースホームを設立。そして周囲の「混血児」への偏見迫害や、学校生活との折り合いの問題からホームの中に聖ステパノ学園小学校・中学校も設立した。
そして成人した子のために、ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。孤児院の卒園生が数多く移住した。

沢田さんのお話の中で、特に気になった部分がこれ。生きるために、資格(免許)を持たせること。そして当時は、捨て子だと分かるような名前を平気で付けた日本人の残酷さ。

<NHK沢田美喜さんの話>

*この番組の全部(30分×2)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

全体に貫かれているのは、「天災は防ぐことが出来ない。しかし戦争だけは人間が防ぐことができる。戦争だけはやってはいけない。」

日本に移民が少ないのは、島国根性からか、排他的な文化があることは否めない。特に、親に捨てられた混血の孤児に対する日本人の冷たい扱いは、目に浮かぶ。
よって、沢田さんの話を聞いても、講演も里子捜しも全部アメリカ。日本では無理。

しかし、混血孤児が、どこからの援助も受けられなかったという事実を改めて知った。親から捨てられ、戦争というその原因を作った国からも捨てられ、ただ死ぬしかなかった孤児たち。その子たちも、まさに我々と同じ世代。70歳を過ぎている。
そのような歴史も、徐々に忘れ去られ、戦争を知らない政治家たちが、ただメンツのために、戦争にアクセルを踏んでいる日本。
日本人全体が、今一度、かつての戦争で何が起きたかを勉強し直さないと、将来世代に禍根を残すことになる。この沢田さんの体験とお話を、もう一度よく聞き直したいものだ。

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2018年4月15日 (日)

中島みゆきの「元気ですか」

中島みゆきの作品を全部聞き直してみた。新たな発見があるかと思って・・・
48アルバム、498曲の中で、また幾つか発見したのでその紹介。
歌がない歌?を発見した。

<中島みゆきの「元気ですか」>

「元気ですか」
  作詞:中島みゆき

「元気ですか」と
電話をかけました
あの女(ひと)のところへ電話をかけました
いやな私です
やめようと思ったけれど
いろんなこと わかってるけれど
わかりきってるけれど
電話をかけました
あの女に元気かとききました
あの女に幸せかとききました
わかっているのに わかっているのに
遠回しに 探りをいれてる私
皮肉のつもり 嫌がらせのつもり
いやな私……
あいつに嫌われるの 当り前

あの女の声は濁りがなくて
真夜中なのに つきあってくれる
きっと 知ってるのに
あいつ 言ったでしょう 私のこと
うるさい女って 言ったでしょう
……そうね
あいつは そんな男じゃない
わかってる
あいつのこと
うるさく追いかける私
誰だって知ってる
でも あなただけ笑わなかった
やさしいのね やさしいのね
あの頃はもう 愛されていたから?
……何を望んでるの あたし
あの女もいつか
飽きられることを!!

あの女は いつまでも 電話につきあってくれて
あたしは別に話すことなんかない
声をきいてみたかっただけよ
どんな声があいつは好きなの
どんな話し方があいつは好きなの
……私 電話をかけました
「あいつがやけに あなたの絵をほめるのよ」
「あたしも あの絵 好きだな」
「それにね あのモデル 実は
あたしの彼に……そう 彼に ちょっと 似ててね……」
……ウソ ばっかり……
誘いをかけてるだけよ
あいつの話が出ないかと思って
「明日どうするの」だって
そんなこと 知ったことじゃ ないわよね
どうして そんなに答えるの
わかってるのよ あたし
わかってるのよ あたし
ほんとは
「そこにいる あいつを 電話に出して」
って言いたいのよ
…………
…………

あの女が最後まで しらを切ったのは
最大限の 私への思いやり
わかってる あたし
わかってる あの女
わかってるのに わかっているのに
うらやましくて
うらやましくて
……つき合ってくれてありがとう
でも今夜は 私 泣くと思います
うらやましくて
やっぱり
うらやましくて
うらやましくて
うらやましくて

今夜は 泣くと
……思います

この歌?は、1978年4月10日に発売された4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」に収録されている。これは歌と言うより、朗読。いや珍しい・・・・
中島みゆきが作詞はしているだろうが、作曲も?と思って、JASRACのデータベースを検索してみたが、やはり登録されていない。やはり歌では無いのだ。

それにしても暗い・・・。「うらみ・ます」(ここ)と同じような暗さ・・・

自分など、もう関係無いが、若い人が失恋したときに聞くと、なぐさめられるかも・・・

自分が“聞く曲”としてピックアップした104曲を見ると、最初の1976年の1stアルバムから1986年までの12thアルバムの歌に集中していた。ほぼ半分・・・。
自分がファンだった喜多郎も布施明も、小椋佳も、聞く作品は、その全てが初期の作品。それ以降の作品には付いて行けなかった。中島みゆきも同じ・・・。
それにしても、とてつもなく広い中島みゆきの世界ではある。

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2018年4月14日 (土)

「親の介護を機に、自らの生活が崩壊」~今のうちの心構え

今朝の朝日新聞で、ちょっと気になった記事。
「(けいざい+)愛、よろしく:反響編 夫婦でうつ経験、働いて生き抜く
 3月15日から3回にわたり、この欄で「愛、よろしく」を連載しました。幼いころは夜逃げを繰り返す貧乏暮らし。借金を抱え、26歳で自死しようとするが思い直す。誰でも愛して助ける「ウルトラマン」のような人になろうと決意、IT会社をつくって元ヤンキーを雇い、「俺たちクズでも幸せになる権利がある」とがんばる――。そんな社長と元ヤン社員の物語でした。共感して思いを寄せていただいた夫婦を訪ねました。

 埼玉県にある、エレベーターのない5階だてアパートの5階に、その50代夫婦は住んでいる。
 「私たちは、勇気と力と未来をいただきました」
 夫婦は、何度も心中を考えてきたという。練炭やロープを買ったことがある。遺書を書き、死に場所を求めてさまよったこともある。
 ふたりは、14年前までは順調だった。
 夫は、有名私大の法学部を卒業し、信用金庫に勤めた。外回りをしていて妻に出会った。給料は悪くない。夫婦で東京・築地にいっては、すしを堪能した。いま住んでいる部屋も購入できた。
 勤めて十数年たった2004年。妻の父が病に倒れた。妻は介護をがんばった。夫は仕事と介護を両立しようとがんばった。妻がうつ病に。夫もうつ病になり、休職。夫婦は日々の買い物に行くだけの、ほぼ引きこもり生活をした。
 半年たって体調が回復してきたので、夫は仕事に復帰しようとした。職場に行くと、みんなに無視された。理由もなく怒鳴られることもたびたび。でも休職したことが負い目で言い返せない。仕事を減らされ、減らされ、ついに机を取り上げられた。
 退職を決めた。だれからも彼を気遣う言葉がなかった。送別会もなかった。退職の日。花束どころか、「お疲れ様でした」という言葉さえもなかった。
 子どもはいない。やさしい言葉をくれたのは妻だけだった。彼女を守らなくてはと、ある会社に再就職した。だが、社内いじめでうつが再発、数年で退職に追い込まれた。
 「子どもの頃から、いじめられてきました。社会人になっても、いじめられるとは」と夫。
 「夫は、仕事と介護に誠実に取り組もうとしただけです。心が繊細すぎるのが悪いのですか」と妻。
 わずかながらの貯金が、生活費で減っていく。バッグや家具など、売れるものは売った。稼がなくてはお金が底をつく。夫はあせる。バイトを決める。でも、すぐに辞めてしまう。その繰り返しで、バイト先を50ぐらい変えてしまった。そして、何度も自死を考えた。うつが治っていないのだ。
 生活はいつもギリギリだ。なのに、新聞は欠かさずに取りつづけている。新聞をやめると社会とのつながりが切れると思うから。
 夫は言う。「連載に巡りあい、記事に『クズでも幸せになる権利がある』とありました。私たちにも、その権利はあると思ったのです」
 この春、夫婦は同じ職場でバイトを始めた。時給はひとり900円ほどだが、週休2日で働けば暮らしていける。
 働いて、何があっても生きぬく。いつか、きっと、良いことがある。そう信じて。
    ◇
 バリバリ働いているみなさん、これはひとごとではないのです。うつを抱える日本人は100万人を超えるといわれます。かくいう私も、心療内科に通ったことがあります。自分に限って……、はありません。(編集委員・中島隆)」(
2018/04/14付「朝日新聞」p8より)

「有名私大の法学部を卒業し、信用金庫に勤めた」平穏な生活を激変させたのは、「妻の父が病に倒れた。妻は介護をがんばった。夫は仕事と介護を両立しようとがんばった。妻がうつ病に。夫もうつ病になり、休職。」・・・・
親の介護が、子どもの平穏な生活を崩壊させる、という現実。古希を超えた我々にとって、まさに人ごとではない。それは加害者として・・・

さすがに、「介護する」苦労話は、70歳を過ぎた我々の雑談でも少なくなってきた。100歳を超える父親の介護の話をしていたある人も、昨年だったか、とうとう亡くなったという。
親の介護を終え、現在はいっとき平和な時期だ。そして数年後には、自分自身が介護される側に立つ可能性。
“その時”の対応策は??

2~3日前、街でばったり昔の仕事仲間の先輩と会った。街を歩いていて知り合いに会うなど、ほとんど無い。相当な偶然だ。話は「お元気ですか?」「その後、皆さん(仕事仲間)は如何ですか?」という話になる。そして返ってくる返事は「**さんが亡くなったの、知っている?」という話。
そして「段々と、亡くなった話が多くなりますね。じゃあお元気で」と別れる。

そう、まもなく自分たちの順番。
そして思った。自分やカミさんが、余命宣告された時、及び突然死したときに“どうするか?”は、元気な今のうちに、メモとして残しておく事が必要なのではないか?
たぶん、“その時”は動転して考えがまとまらないので・・・

ふとこんなことを思い出した。
親父の何回忌のときだったか、法事の会食(お斎)のあとで、(菩提寺の継承者の)兄貴の発案で、我々3人兄弟そろって親父の一番下の弟(叔父)夫婦とテーブルを囲んで、「叔父さんの所は女の子ばかりなので、もしもの時は、この先祖代々の墓に入りませんか?」と相談した。
この時、兄弟が全員そろっていることが大事(全員賛成)、と兄貴は言っていたが、なるほどと思った。この時は、叔父夫婦も健康だった。しかし、その数年後、叔父は68歳で亡くなった。
こんな話は、健康の時でないと話せない。だから結果としては良いタイミングだった。たぶんガンが見つかった時も、叔父夫婦も墓のことは心配しないで済んだのでは?
そして一人残された叔母も、最近、お寺から生前の戒名をもらったと聞いた。自分が亡くなった後、何とか子どもたちへの迷惑が少なくなるように、との思いなのだろう。

自分たちも、やはりまだ健康な今のうちに、子どもたちへの影響が少しでも少なくなるよう、“そのとき”の対処方法をメモに残しておくことが必要かも知れない、と思った。

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2018年4月11日 (水)

中島みゆきの「雪」

先日、中島みゆきの「砂の船」(ここ)を発掘したが、同時に「雪」という歌も“発見”した。

<中島みゆきの「雪」>

「雪」
  作詞・作曲:中島みゆき

雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました

あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて

雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました

手をさしのべれば いつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても 消える
まるで 淡すぎる雪のようです

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

手をさしのべれば いつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても 消える
まるで 淡すぎる雪のようです

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました

この歌は、1981年発売の「臨月」に収録されている。この歌は、亡き父への思いを歌ったものだという。

ここ)によると・・・
「中島みゆきの父眞一郎氏は産婦人科の開業医であった」
「眞一郎氏は1975年9月に51歳の働き盛りに脳溢血で倒れます。」
「折しも中島みゆきは同月『アザミ嬢のララバイ』でプロ・デビューを果たしています。さらに10月、「つま恋本選会」では『時代』を歌ってグランプリを受賞します。」
「1976年1月、眞一郎氏は息を引き取ります。」
「中島みゆきは父の早世を二つの歌にして発表しています。一つはサード・アルバム『あ・り・が・と・う』に収録されている『まつりばやし』で、もう一つは8枚目のアルバム『臨月』に収められている『雪』です。」
「『雪』では道標だった父親の逝去で戸惑う姿が歌われています。」
「また『雪』では「あの人が旅立つ前に 私が投げつけたわがままは いつかつぐなうはずでした 抱いたまま 消えてしまうなんて」とも歌っています。「わがまま」とはプロ・デビューを断り定職にも就かず父親の仕事の手伝いをしながら音楽活動をすることを指しているのでしょう。それを「つぐなう」機会がやっと巡ってきたのにその成果を見ることもなく逝ってしまったことへの無念さを歌うと同時に、父親に借りを作ったままであることがその後の中島みゆきの音楽活動へのばねになったのではないかと推察します。」

とのこと。

父親が亡くなったとき、中島みゆきは23歳。アルバム「臨月」は1981年なので、その5年後の作品。
そんな背景を踏まえて聞くと、実に切ない歌に聞だ。

今音源を持っている彼女のアルバムは43。そこから選んでHDDプレヤーに転送してあるのが89曲。まだ発見していない心に沁みる歌が他にもあるかも知れない。
そう思って、発売順に、歌詞の本を片手に、改めてひと通り聞いてみようと、まず初期の3アルバムの音源を愛機HAP-Z1ESに転送した。

追:坂本冬美がこの歌をカバーしていた。

<坂本冬美の「雪」>

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2018年4月 9日 (月)

「お墓」はシニア族のこれからの大テーマ

昨日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(日曜に想う)生き方と逝き方、桜散る季節に 編集委員・福島申二
 暖地の桜はあらかた散ったが、岩手県盛岡市辺りはまだつぼみが春を抱いている。市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある。
 原は1921(大正10)年に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻の浅は、穴の深さをしきりにたずねたそうだ。「深さをよく覚えておいてくださいね」と周りの人たちに頼んだ。わけを聞かれるとこう言った。
 「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから。横を向けば話ができるように、平らに並べてくださるようにお願いしますよ」
 1年4カ月のち、後を追うように他界した浅は、望み通りに同じ深さに埋葬されたという。それからほぼ1世紀、ふたりの墓石は同じ形で左右に並び、仲良く語らっているかに見える。
 「永眠の地」「終(つい)のすみか」の一つの理想を見る思いだが、ここにきて、墓をめぐる世相は急変しつつある。
 少子化につれて人口が減り始め、家族のかたちや人の生き方が多様化する時代である。守る人の絶えた無縁墓が各地で目立ち、夫と同じ墓に入りたくないという妻も珍しくない時世になってきた。
 原敬と浅のエピソードは、どこか遠いお伽噺(とぎばなし)のように聞こえてくる。
     *
 亡くなった者をあの世で結びあわせる冥婚(めいこん)という言葉は古くからあって、旧習ながらどこか詩的に響いてくる。
 片や死後離婚は新しい言葉で、散文的だ。亡くなった配偶者の親族との法的関係を断つことをいう造語だが、もともとは配偶者と同じ墓を拒む場合をそう称してきたようだ。本紙記事には1994年に後者の意味で初めて登場する。
 それからほぼ四半世紀、いずれの場合も、死後離婚に至るすきま風はもっぱら妻の側から吹いてくるようだ。家族という役割のなかで、これまで女性が負わされてきた忍耐ゆえと想像はつく。
 昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて、「悩む」「できれば避けたい」「絶対に嫌だ」と答えた女性は4人に1人を数えた。男性は7%程度と低かった。婚家の代々の墓への抵抗感がある人もいることだろう。
 これこそお伽噺かもしれないが、評論家の花田清輝が次の話を書いていた。
 パリのペール・ラシェーズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてあるそうだ。「ジャック・ジュラン――お前を待ってるよ!」。あとの墓には「ジャクリーヌ・ジュラン――はい、まいりましたよ!」。
 思わず頬がゆるむ。とはいえ昨今、それが理想とばかり思っていては素朴に過ぎよう。百人いれば生き方と逝き方に百の考えがある。近年広まった「終活」という言葉には、かたちはともあれ、ひとが一個の人間に戻って退場しようとする静かな意思があるように思われる。
     *
 北へ向かう桜前線は、きょうはどのあたりまで行ったか。ときに生きがいに結びつけ、ときに死にざまに重ねて、日本人は桜に思いを託してきた。
 〈死支度(しにじたく)致(いた)せ致せと桜かな〉一茶
 不吉な句ではあるまい。桜の恬淡(てんたん)とした美しさが一茶にそう言わせる。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないだろう。
 単身で暮らす世帯が4分の1を超えたいま、弔いも墓も「家」から「個」へとかたちを変えるのは自然な流れだ。女性専用をうたう墓所も近年目につく。
 自分らしく。あの人らしく。
 昨今はそれがエンディングのキーワードだと聞いたことがある。残った者の思い出の温め方も人それぞれでいい。
 美しい桜に仮託する散りざまとは異なり、人の死にはリアリズムの縮図のような事柄が入り乱れる。加えてこれからは少子に多死が重なる未体験のゾーンに我々は踏み込んでいくことになる。
 難しい時代だけれど、賢く処したいものだ。人生の機微に通じたシェークスピアの劇にこんなせりふがあった。
 〈終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です〉(小田島雄志訳)」(
2018/04/08付「朝日新聞」p3より)

そしてだいぶ前の記事だが、こんな話もあった。

「(フォーラム)弔いのあり方:3 お墓の悩み
お墓で困っていることは何ですか?/親や配偶者のお墓はどうしたいですか(どうしましたか)?/自分のお墓はどうしたいですか?
 “最後のすみか”ともいえるお墓。遠く離れた故郷にあって守れないという人もいれば、死んだあとまで夫(妻)の家族と一緒なんて嫌だという人もいます。遺骨は自然にかえしてほしいというお墓不要論も聞こえます。これまでの家のお墓から、人それぞれの形に変わりつつあるお墓のあり方について、みなさんと考えます。

 ■自分だけなら不要だが
 お墓についての様々な意見や体験がアンケートに寄せられました。
     ◇
 ●「両親の墓は遠く、自分自身の病気などでずっと行けません。親戚などから墓参りに来ないのかと責められることもありますが、お墓参りは誰のためなのか疑問を感じます。私は、マンションに合う小さな仏壇を買い、両親の好きだったお菓子やお花を供えて写真を見ながら手を合わせます。想(おも)う人のところに来てくれると信じて、それでよしとしています」(熊本県・60代女性)
180409haka  ●「自分だけなら墓は不要と思いますが、田舎にある先祖代々の墓まで自分の決断でなくしてしまうほどの意気地はありません。かといって田舎の墓に入るつもりもありません。子どもに遠方の墓の墓守をさせるわけにいかないので。やむなく東京に墓を買って改葬する覚悟を決めました。近くにある寺院墓地が理想ですが、将来子どもに檀家(だんか)としてのもろもろを無理に押しつけたくありません」(東京都・40代男性)
 ●「祖父のときは友人や親戚がたくさん葬式に来てくれたが、自分には仲の良い友人はそれほどいないし、結婚したいとは思っていない。そうすると私が死んだときには、姉やその家族にもろもろの費用を負担してもらうことになるかもしれない。私は永代供養墓に入れてもらうのが良いと思った。父方の先祖の墓は浜松市にあるのだが、父が死んだらその墓は、今住んでいるところに作られると思う。将来、姉も自分も別の場所に住むことになるかもしれない。そうなると両親の墓と母方の祖父母の墓をどうするかという問題もある」(埼玉県・10代男性)
 ●「別に主人の実家のお墓参りくらいしてもいいけど、自分が入るのはイヤだわぁ。死ぬ時くらい1人でいきたいなぁー。前、テレビ番組で誰かが言ってたけど、ダンナの家の先祖代々の墓なんて、知らない人ばっかりで、死んでまで肩身の狭い思いをするのはイヤだって。まさにそれですね。仲のいいお友達(墓友?)というのもあるみたいだけど、人間、絶対最初と最後は1人だと思うんだよね。月にでも埋葬してほしいわー。月が昇って来たら、月に向かって手を合わせてもらえばお墓参り完了! 子供たちもお手軽でいいんじゃないかなーって」(茨城県・40代女性)
 ●「私たち夫婦は別姓で生活しています。だから墓石には『○○家之墓』と刻まず、好きな言葉とかデザインしたい。本当は、墓も必要ないと思う。しかし、自分が父親を亡くした時には、法事や墓参りなどでだいぶ気持ちの整理がついたことを考えると、娘たちがおばあさんになる頃くらいまでは、亡き親をしのぶよすがとしての墓が必要なのかなと考えます」(東京都・50代女性)
 ●「子が親の葬儀をしたり墓参りするって、ごく自然のことだと思うんです。なにを騒いでるんでしょう?墓は遺族のためでなく、純粋に死者のためにあります。そこには死者への丁重な想い。日々の報告、感謝、道徳など。死者と生者が幸せになるためのエッセンスがたくさん入ってるんです。そして、今を生きる智慧も。墓参りって、ほんとに美しい日本文化ですよ。マスコミの皆さん。死を馬鹿にしてませんか? 死を軽く見てませんか? 表面の現象ではなく、背景にある孤独を取材してください」(大阪府・50代男性)

 ■墓じまい終え、さっぱりした
 東京都の福嶋圭子さん(82)は、10年ほど前に静岡県にある先祖の墓を「墓じまい」しました。戦時中、戦禍から逃れるために祖母と疎開し、3回も墓を移したそうです。
 20歳の頃、祖母が亡くなり、静岡の墓に埋葬しました。それ以来、戦争の思い出がある静岡からは次第に足が遠のくようになり、めったにお参りにも行かなくなりました。年をとり、自分の死も意識するようになると、墓は重荷になっていき、妹と相談し、墓じまいを決めました。
 先祖の骨は、寺の合葬墓に埋葬してもらいました。「お気持ちでいい」と言われ、10万円ほど払いました。事がすむと、「さっぱりしたいい気分」になったといいます。
 寺や墓への抵抗感から、「自分は自分らしく死にたい」とずっと考えてきたという福嶋さんは、8年ほど前に都内の樹木葬の墓地を見学し、「ここだ」と感じました。広がる芝生の上を小鳥が飛び交い、桜の木もあります。これまでの暗いお墓のイメージとはまったく違っていました。2年後、20万円で自分の区画を購入しました。
 息子には、「骨を持って行ってくれるだけで、お参りもいらない」と言ってあります。最近、息子の妻の父親が亡くなり「ボート部だったから海洋散骨した」と聞きました。気持ちがふっと明るくなりました。「みんな、自分の好きにしていいんですね」(田中聡子)

 ■「継ぐ人いない」全国から相談 NPO法人「やすらか庵」代表の清野勉さん
 千葉市のNPO法人「やすらか庵(あん)」は、無縁仏を増やさないため、墓じまいに関する相談に応じています。代表で、真言宗の僧侶でもある清野勉さん(58)は「相談は、全国から毎日のようにきます」。
 最も相談が多いのは70代。「後を継ぐ人がいない」という理由が大半ですが、夫婦それぞれの実家に墓があるなど「数を減らしたい」という人も。散骨のサポートを15年前から始め、墓じまいの要望が大きく増えたのは7、8年前といいます。いまでは重機を自前で用意し、実際に墓を撤去する作業も請け負っており、昨年は50件ほど手がけました。
 注意点は、お墓がどこにあるか、遺骨をどうしたいかによって異なります。公営墓地であれば、届け出をして許可をもらい、撤去するだけです。ただ、同じ墓地にある合葬墓に移したいなら、申し込みや合葬の時期が決まっており、墓じまいもそれにあわせることになります。
 民間の墓地や寺は、利用できる石材店が指定されていることが多々あります。「どうしても見積もりが高くなりがちですね」と清野さん。
 寺の場合、ほかにも金銭にからむ相談が目立ちます。墓じまいを申し入れたら数百万円の「離檀料」を求められた、同じ寺の永代供養墓を勧められ200万円と言われた――。相談を受けて清野さんが寺と交渉することも多く、離檀料を半額以下にしてもらった例もあるそうです。
 とり出した遺骨を自宅に持ち帰ることは基本的に認められません。散骨する場合、改葬の届けが必要かは自治体によって異なり、船に乗って一緒にまく形だと通常は十数万円。格安の業者も出てきましたが、「岸の近くでまくなど、よくない業者もいます」。墓の撤去費用は、墓の大きさや作業のしやすさなどで変わり、やすらか庵の場合は「通常の墓で20万~30万円程度」だそうです。(山田史比古)

 ■「家」から「個人の選択」に
 「あなたの実家の墓に入ることは選択肢にないから」。都内の会社員の女性(31)は昨夏、夫に伝えました。一昨年に結婚。夫の家の墓に行ったことはなく、夫の親にも数回しか会っていません。当然だと思って口にした言葉でしたが、夫は驚いたような表情を浮かべていました。
 「なぜ結婚したら夫の家の墓に入らなければいけないのか」「家と結婚するわけじゃない」と幼い頃から思っていました。夫のことは大切ですが、「死んでしまったら生身の人間の関係ではないのだから、どこの墓に入っても、墓がなくてもかまわないのでは」と考えています。自身は散骨に関心があり、インターネットなどで情報収集しています。
 「墓をめぐる家族論」などの著者でNPO法人エンディングセンターの井上治代理事長は、「夫の家の墓に入るということが当然ではなくなってきている」と指摘します。2000年ごろ、井上さんの周りで「夫と同じ墓に入らない」と選んだ人の多くは、夫の親との関係がうまくいかなかったり、夫の実家で肩身の狭い思いをしたり、「『家』意識に押しつぶされた人が、墓を別にすることで逃れようとしていました」。それがだんだんと「個人の選択」になってきており、「夫婦や家族がお互いの意思を尊重し、結果的に夫と別の墓になった」という人が増えているそうです。永代供養墓などの「継承しない墓」が増えたことも、女性の選択肢を広げたと分析しています。
 井上さんは「家制度がなくなっても、『代々続いてきたものを、誰かが継いで守る』という家意識が色濃く残っていたのが墓でした。それがやっと、変わってきています」と話しています。(田中聡子)」(
2018/02/18付「朝日新聞」p9より)

おとぎ話のような上の記事と、リアリティのある下の記事。
現実は、なかなかおとぎ話のようにはいかない・・・。

自分も古希を過ぎた。カミさんとの雑談にも「終活」の話題が多くなってきた。我が家も、墓については上の記事と同じような課題を抱えている。
終活で、財産分与は前向きの課題。それはどうにでもなる。ならないのが、自らの介護と墓。特に墓は自分が死んだ後の話なので、如何ともし難い。せいぜい、自分より長生きするはずの家族に希望を言っておく位。

さっき(2018/04/09 17:49)のTV朝日の番組。「区内20%が“陸の孤島” 孤立化する!世田谷シニア”商店街消滅・・・買い物も苦労」という特集をしていた。
世田谷区の調査では、バスの通れない狭い道路が多く、高越不便地域は20%もあるという。
そして高齢化・孤立化の背景として「高級住宅地のプライド」があるという。それにより、近所付き合いが22人中16人が「近隣との交流が希薄」と答えているという。
そして元自動車関連会社を経営していた83歳の男性は、4年前に奥さんを亡くして生活が一変。外に出掛けるのは2~3ヶ月に1回。ひとり息子とは疎遠。足も衰えてしまい、家事はお手伝いさんに一任。食事もお手伝いさんが作ってくれたものをチンして食べるだけ。
一見、悠々自適に見えるが「現在の生活と妻がいたときの生活のギャップが、あまりにもありすぎる。この不自由さ、この寂しさ、この悲しさ。早く死にたいんだよ!」
世田谷区という誰もがうらやむ所に住んでいる人も、その「3高(所得水準・学歴・職種が高い)」というプライド故に、老後はなかなか大変らしい。

もはや、子どもに頼る時代ではない。
上の「寺や墓への抵抗感から、「自分は自分らしく死にたい」とずっと考えてきたという福嶋さんは、8年ほど前に都内の樹木葬の墓地を見学し、「ここだ」と感じました。・・・2年後、20万円で自分の区画を購入しました。息子には、「骨を持って行ってくれるだけで、お参りもいらない」と言ってあります。」という記事を読んで、「おっ、カミさんと同じような事を言う人がいる」と思った。

余命宣告されるような大きな病気が見付かる前に、墓をどうするかは、夫婦と家族の間で相談しておくべき問題かな、と思った。自分は上の“おとぎ話”が好きなのだが・・・

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2018年4月 7日 (土)

レジで「お先にどうぞ」~今日の豚肉事件

だいぶん前だが、朝日新聞の投書で、こんな記事があった。
「(ひととき)お会計、先にどうぞ
 夕方のスーパーのレジは混み合っていた。私の前には3人並んでいた。バスの発車時刻まではあと20分あったので、「ラッキー」と思いながら待っていた。
 1人目のレジは早く終わった。2人目の時に何やらトラブルが発生。レジ係の女性がいったん離れ、隣の係の女性に数分間相談してから、買い物客に説明をして、やっと終わった。
 やっと私の前の女性の番になった。かごには山盛りの品物。どうしようかな、と考えた。あと5分でバスの時間。私は2品だけ。
 思い切って、声をかけた。「厚かましいお願いですみません。バスの時間が迫っています。その次は30分後なので、大変申し訳ありませんが、レジの順番を代わっていただけませんか」。女性は私を見て「あ、いいですよ」と快く順番を譲ってくれた。私は丁寧にお礼を言って、急いでバスに乗った。
 それ以来、スーパーのレジに並ぶ時は、後ろの人を見るようになった。お弁当や飲み物だけの人には、できるだけ代わってあげるようにしている。
 あの時の女性に感謝をしながら、私も気持ちよく譲ってあげようと思っている。(埼玉県越谷市 主婦 80歳)」(
2018/01/23付「朝日新聞」P29より)

そう、こんなことは“普通”でありたいもの・・・。
それにしても、日本のスーパーのレジの丁寧さには、いつも感心する。きちっと、お客のひとり一人に「いらっしゃいませ」と挨拶をして、そこまでやらなくても、と思うほど、丁寧にポリ袋に入れてくれる。
そして感心するのが、レジに並ぶ列が均等なこと。誰もが、一番短い列に並ぶので、そうなる。自分も自然とレジに並ぶ客の数と、買い物カゴの多さを見て列を決めている。あっ、ここはレジが二人なので、多少長くてもこっちが早いぞ・・・。

話は飛ぶが、今日の昼、ちょっとした“事件”があった。昼食で料理した豚肉を食べると、イヤ~な感じ。傷んでいる。吐き出すほどではないが、カミさんに聞くと、そうでも無いという。数切れ食べて「オレは止めておく」と肉だけ分けた。するとカミさんも同様に食べない。やはり少しおかしいという。
「店に電話する?」と言うので、「電話してみようか」と、レシート番号に電話してみた。
「店長さん居ますか?」「昨夕買った豚肉ですけど、少し傷んでいるようだが、他から同じような話はありませんか?無ければ良いんですが・・・。賞味期限は明日だし、よく火を通せと書いてあるので、ちゃんと料理したのだが・・・」
すると「直ぐに調べに行くので、住所はどこですか?」「いや、わざわざ来てくれるのも大変なので、後でそっちに行く予定があるので持って行きます」「いや、時間が経つと傷む可能性があるので」と譲らない。
仕方なく「住所は・・・」と言うと、20分ほどで店長さんがやってきた。
お皿に、残っていた肉を置いて「ちょっと食べてみて。もしかすると自分の勘違いかも知れないので・・・」
店長は、肉を口に入れて、味わっている。そして次々と全部食べてしまった。そして目をつむってしばらくした後、「これは痛んでいません」と、痛んでいない理由を色々と言う。
「これが普通と言うなら、それで良いです。ご足労掛けてすみません」と言うと「残った肉を引き取られて頂けますか?電話があったことを報告しないといけないので。肉代と電話代は持ってきましたので」というので、残った肉とレシートを持って帰って貰った。

まあ、これだけの話だが、店長さんの心の内が見えるような気がした。たぶん自分も同じようにした、と思うので・・・
本当に、何でもなかったら、一口食べただけで「何がおかしいのでしょう?」と疑問を呈するはず。それが、数口、全部食べてからの返事。
帰った後、カミさんに話したのは、立場的に、痛んでいる物を「痛んでいますね」とは言えない。それこそ保健所と店の信用の話になってしまうので。だから何が何でも、正常品と言うしかない。しかし物は引き取る。そして善後策を・・・・

そもそも「数量限定品」とは書いてあるが、203円というのが安過ぎる。スライスが5~6枚、300gほどあったか・・・。それが200円とは?そして「良く火を入れて」という注意書きも気になる。
生肉のままでは何の匂いもしなかったが、人間も動物。口に入れると、本能的に感じる物がある。自分は結構それを信じている。本当に食べてはいけない物は、口に入れた途端、吐き出すもの・・・・。今回はそれほどではなかった。
試食してから、しばらくの沈黙は、たぶん店長が「何て言おうか?」を考えている時間に思えた。

Netの時代。店の悪評は直ぐに伝搬する。特に、傷んだ食品を売ったとなると、大問題。
まあ、自分もクレーマーと思われないように、丁寧に言ったつもりだし、カミさんも「好きなお店で、いつも応援していますから」とフォローしていた。
この店も、近くに巨大スーパーが出来たお陰で苦戦中と聞く。
いつもカミさんはオレに、「安過ぎるのは何かある」と言うのが口癖。「良くそんな安い物を買うね」と自分をバカにしていた。それが今回は飛んだ大失敗。
「安過ぎる物」には注意しましょう。

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